2023 Volume 64 Issue 4 Pages 67-71
本書『アジアにおけるトラウマの過去――1930年代から現在までの歴史,精神医学,トラウマ――』(未訳)は,心理的トラウマの歴史について,東アジアと東南アジアを主たる対象地域として比較研究した初めての著作である。1930年から現在にかけてアジアで起こった悲惨な出来事への個人やコミュニティの反応が,12の事例研究を通して比較分析される。なかでも日本を扱った事例は5つと多く,軍国主義,植民地主義,太平洋戦争,精神医学,原爆,男性性といった事項と関連して論じられる。
英語圏でトラウマの歴史に関する比較研究は,これまで対象地域が欧米に限定されていた。シリーズ前著『トラウマの過去――産業革命から第一次世界大戦まで――』では,1930年代までの欧米諸国において,「(おもに精神)医学がもつ文化ないし国ごとの科学の様式」が,各国のトラウマ史に影響を与える要因であったことが明らかにされた[ミカーリ,レルナー 2017, 19]。他方で本書は,悲惨な経験とトラウマ反応を解釈する際,欧米由来の精神医学がどのような役割をアジア各地でもつのか,ローカルな知識や対処法と精神医学による知識がどう相互作用するのか(もしくはしないのか),欧米とアジアのあいだの差異を比較し論じる。その際,トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害; Post-Traumatic Stress Disorder)といった精神医学用語が鍵概念として用いられている。
2名の編者をはじめとする歴史学者と人類学者が協働で執筆している点も本書の特徴である。編者のひとりMark S. Micaleは,イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校歴史学科の名誉教授で,近代ヨーロッパ思想史・文化史,医学史(特に精神医学と神経学),近代フランス史,精神分析研究,男性学を専攻し,シリーズ前著の編者でもある。もうひとりの編者Hans Polsは,シドニー大学科学史・科学哲学科の教授である。オランダ領東インドとインドネシアを対象地域とし,植民地医学の歴史,脱植民地化の過程で医学研究と実践がどのように変化したかに関心をもち,精神医学とメンタルヘルスに焦点を当てた研究を行っている(p.21)。
本書の構成は,編者2名による「序論」のあとに,書き手と対象地域の異なる「第1章〜第12章」の各論が続き,最後に医療人類学者Byron J. Goodによる「あとがき」でまとめられる。
序論は,編者であるPolsとMicaleが担当した総論的な章であり,本書全体の見取り図ともなっている。アジアにおけるトラウマ研究の背景について詳細に述べられた後,12の事例研究について比較し論じられる。特に,歴史に基づくトラウマのグローバルな研究に関する新しい洞察やアプローチを発見することを目的として,アジア諸国におけるトラウマの経験,表現,理解,反応の仕方について,西洋世界におけるこれら現象の知見と比較対照されている(p.2)。
各論をみていく前にアジアの歴史において,どのようなトラウマ的出来事があったか,本書が扱う事例を年代順に確認しておきたい。1935年4月,台湾新竹――台中地震(第1章)。1939〜1945年,第二次世界大戦(第2章,第12章)。1945年8月,広島・長崎での原子爆弾投下(第3章)。1947年〜,旧英領インド分割以降のカシミール紛争(第11章)。1950〜1953年,朝鮮戦争(第4章)。1960年代〜1975年,ベトナム戦争(第5章)。1965〜1966年,インドネシアでの共産主義者虐殺(第6章,第9章)。1966〜1976年,中国での文化大革命(第8章)。1975〜1979年,カンボジアのクメール・ルージュ政権(第7章)。1962〜2011年,ミャンマーの軍事独裁政権(第10章)。
全12章ある事例研究を,本稿では3グループに分けてみていきたい。最初のグループは第1章から第4章である。台湾,日本,韓国といった東アジアが対象地域であり,各地の精神医学の特徴に焦点が当てられ,歴史学者が執筆する。時代は20世紀中葉であり,日本が軍国主義のもと近隣諸国に領土を広げた時期から第二次世界大戦以降にあたる。各章では,地震,太平洋戦争,原爆,朝鮮戦争といったトラウマ的出来事がトピックとして取り扱われる。第1章は,台湾の医学史家であるHarry Yi-Jui Wuが担当し,植民地台湾で発生した地震による心理的後遺症に関する当時の精神医学疫学研究について,熱帯気候による台湾人の「劣った」体質という言説に着目して論じられる。第2章は,日本の近代史家であるEri Nakamuraが担当し,太平洋戦争中の戦争神経症の日本における診断と治療について,日本人の人種的優位に対する強い信念と,強靭な男らしさとのかかわりで論じられ,ドイツ精神医学の影響が大きくあると結論づけられる。第3章は,記憶と文化史を専門とする歴史家であるRan Zwigenbergが担当し,広島・長崎での被曝後のトラウマに関し,なぜ原爆犠牲者の心理的反応への対応が戦後日本ではなされなかったのかを,日本の精神医学理論の傾向,日本人のもつ恥の文化,アメリカによる検閲を要因に挙げて論じられる。第4章は,医学史家であるJennifer Yum-Parkが担当し,韓国では,アメリカ式の軍精神医学が,朝鮮戦争の時期に日本式に替わり導入されるなかで,戦争神経症の治療が始まったと論じる。
次のグループは,第5章,第7章,第8章,第10章,第11章である。これらの章は,アメリカを拠点とする人類学者が執筆しており,民族誌的な調査に基づいて,西洋由来の概念であるトラウマや精神医学が定義するPTSDの限界に注目する。対象地域はベトナム,カンボジア,中国,ミャンマー,インドに拡がり,時代は20世紀後半から現代にまで至る。各章では,ベトナム戦争,クメール・ルージュ政権下でのジェノサイド,文化大革命時代の強制移住,軍政による拷問・投獄,カシミール紛争といったトラウマ的出来事がトピックとして取り扱われる。Narquis Barakによる第5章では,ベトナム人精神科医が診るベトナム人の患者にPTSDが認められないことについて,ベトナム精神医学の背景,ベトナムの宗教,拡大家族の観点から論じられる。法人類学者Caroline Bennettによる第7章では,カンボジアでのジェノサイド以降の死者との関係性について,集団墓地に関する民族誌的研究により死者と生者のあいだの継続的な関係を明らかにし,西洋世界のトラウマ概念の限界が指摘される。医療人類学者Hua Wuによる第8章では,中国における文化大革命の一環での強制移住を主題にし,イデオロギー浄化を受けた者たちとともにかつて暮らした遠隔にある農村を再訪しインタビュー調査をしている。心理人類学者Seinenu M. Thein-Lemelsonによる第10章では,軍政下ミャンマーで拷問を受け投獄された元政治犯についての調査から,上座部仏教に根ざした犠牲を意味する‘anitnah’という概念が,苦難からの回復に不可欠であるとの分析が提示される。医療人類学者Saiba Varmaによる第11章では,インドのカシミール地方において,人道援助の精神医療の現場ではPTSD診断が用いられたが,地元で用いられる‘kamzori’という慢性疲労と痛みを表す概念のほうが,長年にわたり抑圧されたカシミール住民の実情を示すには適切であると論じられる。
最後のグループは第6章,第9章,第12章であり,悲惨な経験をした市井の人々の対処の仕方について,女性に焦点を当てて論じた章からなる。対象地域は,インドネシア,日本および韓国である。時代は,20世紀後半から現代までであり,各章では,女性政治犯,慰安婦のトラウマ経験がトピックとして取り扱われる。第6章は,オーストラリアの歴史家であるVannessa Hearmanが担当し,政治犯として収容されていたインドネシア人女性が英国人女性との文通によって癒しを得たという効果を描写した。第9章は,各々マレーシアとニュージーランドで活動するDyah PitalokaとMohan J. Duttaの共著で,かつて政治犯として投獄された経験をもつインドネシア人女性らが,過去の試練を受け入れる手段として合唱団を設立し,回復する様子が調査された。第12章は,ジェンダーと人種間の平等,社会正義に研究関心をもつMaki Kimuraが担当し,モニュメントと記憶をめぐって,とりわけ慰安婦に関する日韓問題を取り扱っている。
あとがきでは,医療人類学者であるGoodが,各章を簡潔に振り返り,編者らによる序章での議論に意見を述べる。それとともに,津波と紛争後のアチェでの精神保健調査において国際移住機関(IOM)と協働した際に得た視点からも議論を深め,本書との関連で論じている。
人類学と精神医学を専攻する評者の立ち位置から,本書の意義と課題について述べていきたい。評者は,これまでカンボジアを調査地として精神医学とローカルな疾患概念のあいだの影響関係について,医学的な知識・技術のグローバリゼーションを踏まえながら,人類学的調査・研究を行ってきた。(たとえば,ジェノサイドを経験したカンボジア人のトラウマを主題にした研究がある[吉田 2019, 347-370])。
本書の一つ目の意義として,アジアの歴史研究(さらに視野を拡げればアジアの地域研究)に批判的トラウマ理論(Critical Trauma Theory)を導入し,歴史に関する心理的トラウマ研究を地理的にアジア地域という非西洋世界へと拡張したことにある。これまで英語圏で同様の書籍は出ていない(ただし日本では人類学者を中心にして編まれた二冊組のトラウマ論集がある[田中・松嶋 2018; 2019])。欧米においては,鉄道事故に始まり,第一次世界大戦,ホロコーストがトラウマ関連の歴史研究の主たる対象事例であり,精神医学の展開と相互に深くかかわりがあった。本書は,欧米でのトラウマ的経験の価値体系を,アジア地域の苦悩の場に拡張することで,これまで西洋世界の内部のみで捉えられてきた「トラウマ」概念を問い直している。アジア地域の人々が経験するトラウマ自体を実証的に捉えることで,グローバルに通用する真のトラウマモデルを探求する可能性が開かれたのである。批判的トラウマ理論[Casper and Wertheimer 2016]では,トラウマというカテゴリーは当然視されることはなく,むしろ「トラウマ」の政治的・文化的な働きを評価するために,紐解かれ,問い直される。本書における執筆者たちは各事例研究において,このような方法論を用いて研究主題に接近している。
二つ目の意義は,アジア出身の研究者たちが,欧米出身の編者や研究者と出会い,対話を重ねるなかで,この論集が編まれたという経緯に見出せる。欧米だけでの内内の議論に終始していては,このような新しい研究分野の展開には至っていないだろう。編者二人は,アジアの歴史研究にトラウマ概念を適用する若い研究者の台頭に着目し,個別で活動する彼らに研究発表と交流の場を設けた。編者らを通して,彼らは,学問分野や地理的なへだたりを超え,集い,議論を深めることができた。ここでは,全12章のうちの過半数を占めるアジア出身者が重要な役割を担っている。現地語を母語として当該社会の基礎的な知識を備えたアジア出身者と欧米出身者が協働することで,欧米地域ネイティブがもつ常識的な捉え方(トラウマ,PTSD,人道主義など)を乗り超えるための道筋が示されたのである。本書では,アジアと欧米の研究者が協働する重要性が示されるなかで,政治体制によるトラウマ関連対処の差異(たとえば日本を扱った第1章〜第4章,第12章,インドネシアを扱った第6章,第9章,中国を扱った第8章),PTSD診断が西洋世界の自文化中心主義である可能性(第5章,第10章,第11章),土地固有のトラウマ理解と対処法の有効性(たとえば第6章,第7章,第9章,第10章,第11章),アジアでの精神保健活動実践への展望(たとえば第6章,第9章)といった重要な論点が提出されているのである。
三つ目の意義は,直前に挙げた「アジアでの精神保健活動実践の展望」にかかわり,歴史に関する心理的トラウマ研究を精神保健福祉医療実践につなげて応用するという視点を有する点である。類似する議論は,特定の文化史の産物としての精神医学そのものの民族誌的研究を目指す文化精神医学(Cultural Psychiatry)においてもなされてきた[Kirmayer and Minas 2000]。文化精神医学が臨床医学の一分野であり,「どのように臨床に役立つのか」という実践的な動機が根底にあるのに対して,本書では逆に歴史学・人類学研究から実践への接続が試みられる。たとえばインドネシアを扱った章(第6章,第9章)とあとがきにて,アジア地域における精神保健活動実践に関与する研究への展望が提示される。編者であるPolsは,インドネシア精神医療の未来を形作ることを目的とした複数の企画に携っており(p.21),あとがきの著者Goodも,同国において精神保健サービスの開発に重点を置いている(pp.332-333)。彼らは協働で,インドネシアの精神保健システムの改善を実現するため,400人以上の精神保健専門家にインタビューし,2冊組編著を出版している[Pols et al. 2019]。ここでは,津波と紛争後のアチェでの地域精神保健サービス,自然災害後の精神保健ケア,1965年の政治的混乱についての沈黙を破ること,家庭内暴力と女性の精神保健といったトラウマ関連の案件が検討されている。こうした応用的視点を有するトラウマ研究は,精神保健福祉医療実践とのかかわりから,今後ますます重要度が高まる領域となるだろう。
最後に本書のもつ課題について述べたい。本論では,「真にグローバル化された心理的トラウマモデル」(p.5)が目指されているものの,アジアの諸地域と欧米との実証的レベルでの地域間比較に留まっており,それらを架橋するグローバルな理論の構築にまでは至っていない。これまでの欧米地域におけるトラウマの歴史研究を,アジア地域に拡大することで新しい研究分野が確立されている点は重要であり評価できるが,世界全体をカバーする統一的なトラウマ理論の今後の展開について示せておらず,その点が評者には気にかかった。実証的な事例に即した比較分析を,地道に,精緻に行っていくことは重要であろう。だがそれと同時に,概念的,解釈的なモデルを示す必要もあろう。評者は,三つの可能性があるのではないかと考えている。第一に,統一的な心理的トラウマ反応モデルが示される可能性(関連する議論としては,地域的な意味を含んだより幅広い症状を示す心的外傷後ストレス症候群(Post-traumatic Stress Syndrome)[Hinton and Good 2016],主体ではなく記憶が過去を証言するという記憶の存在論[直野 2022])である。第二に,グローバルに展開する資本主義や植民地主義,そして政治体制とリンクした心理モデルの可能性(関連する議論としては,植民地主義が要因となり生じる現地住民の精神病理[ファノン 1987],疾患・病いの経験・医療を形成する上で政治経済的な諸力の存在や世界システムを重視する批判的医療人類学[Singer and Baer 1995])である。そして第三に,グローバルな科学的事実とローカルな土地固有の知識との影響関係を知識が生成する実践のプロセスとしてみるトラウマ理論の可能性(関連する議論としては,アクターネットワーク理論[ラトゥール 2019],西洋医学から影響を受けて変容していく中国医学を描いた民族誌[Zhan 2009])である。今後,本研究分野の発展に期待したい。
以上,評者の視点から,本書の意義と課題を提示した。研究者だけでなく,医療や人道支援に携わる実務の人たち,政策立案や行政にかかわる人たち,そしてアジアにおける歴史に基づくトラウマに関心をもつ市井の人々,当事者やその家族にも一読をお勧めしたい。トラウマ的出来事が世界を覆っている今日において,本書は,過去のトラウマへの反省を我々に促し,変化の激しいアジアの未来を創造していくための必読書となるだろう。邦訳が出ることにも期待したい。