2023 Volume 64 Issue 4 Pages 72-76
現代のムスリム多数派諸国の多くが民主化や政治的安定性,経済発展,人間開発などのさまざまな指標でその他の世界と比較して劣っているのはなぜなのか。本書の根幹を成すのはこの大きな問いであり,本書によれば,この問題は歴史的背景と切っても切り離すことができない。中世の時代には科学や哲学で西洋よりも秀でていたイスラーム世界が,近代以降に科学技術,軍事力,経済力すべてにおいて西洋に引き離されることとなった理由を,西洋列強を目前にしたムスリム社会の衰退と無力さに問題意識を持つ知識人の誰しもが永年にわたって問い続けてきた。本書は,この古き問いに対する新しい答えを政治学の枠組みから見つけるべく,歴史的制度論に基づき,イスラーム諸王朝の諸制度に関する過程追跡とイスラーム政治思想に関する緻密な文献研究を組み合わせて考察した意欲作である。
そして,本書は各国,特にムスリム多数派諸国で反響を呼んだ。2020年のインドネシア語訳を皮切りに,2021年にアラビア語訳とペルシア語訳,そして2022年にはボスニア語訳版が出版され,著者の出身地トルコやその他の国々でも各種メディアで取り上げられている。学術界においては分野ごとに異なる反応がみられている。欧米を中心にこれまで30以上の書評が出されているが,政治学系の雑誌では概ね高く評価されており,アメリカ政治学会の2020年の受賞作にもなった。他方で,一部の中東地域研究やイスラーム研究の雑誌では批判的な評価もみられた。そのような本書の主張とは何であるのか,その概要をみていきたい。
著者は,本書の主張を序章にて簡潔に述べている。それはすなわち,イスラーム諸王朝において中世以降構築された「ウラマー -国家連合(ulema-state alliance)」と著者が呼ぶ宗教権威と支配者の間の相互協力関係の制度化が,ムスリム社会の衰退の引き金となり,また現代のムスリム多数派諸国における諸問題の解決を困難にする要因となっている,というものである。この主張を展開する上で,本書は,現代のムスリム多数派諸国を取り巻く諸問題がウラマー -国家連合によりもたらされていることを示す第1部(第1章〜第3章)と,ウラマー -国家連合がいかにして形成されたのかを解明すべく歴史を紐解いていく第2部(第4章〜第7章)とで構成される。第1部は51ページ,第2部は158ページで構成されており,第2部にて本書の見せ場である歴史制度分析と文献研究が行われる。
第1部では,現代のムスリム多数派諸国の多くが直面するおもな問題として,ジハード主義などによる政治暴力の蔓延(第1章),権威主義体制と非民主政治の定着(第2章),そして社会経済上の低開発状態の持続(第3章)を挙げている。著者によれば,これら諸問題の原因をめぐっては,西洋列強による植民地支配や欧米による介入主義的な外交政策などが原因であると主張する「反植民地主義的アプローチ」と,イスラームの「本質的特性」とされる啓典や教義などに原因を見出す「本質主義的(essentialist)アプローチ」の両方が既存のディスコースの二大潮流であるが,それぞれに弱点や問題点がある。それに対して,本書は,ムスリム社会の一アクターであるウラマーとそれを抱擁する国家に着目する。著者によれば,ウラマーは硬直的なヒエラルキーを構築してイスラームの法解釈権を実質的に独占し,イスラーム法解釈の知的停滞をもたらした。一方,権威主義国家はレジティマシーを求めてウラマーを取り込み,それによりウラマーの社会的権威は維持され,ウラマーと国家との相互協力関係が形成されてきた。ウラマーの法解釈は,ジハード主義者を説得して政治暴力の問題を解決する上で十分な役割を果たせていない。また,イスラーム法はジェンダー不平等や非ムスリム少数派などをめぐる非民主的な側面を克服することができておらず,ムスリム社会における不自由を助長している。さらに,保守的なウラマーと抑圧的な国家が大きな権威を握ってきたムスリム社会では,自由で創造的な発想が可能な知的階層と経済的インセンティブに基づき富の拡大を求めるブルジョワジーの出現が阻まれ,現代における低開発状態に繋がっているという。
それでは,なぜ,どのようにウラマー -国家連合が構築され,それに伴う形でムスリム社会が変容してきたのか。第2部では,この問いに答えるべく,7世紀から11世紀(第4章),12世紀から14世紀(第5章),15世紀から17世紀(第6章),18世紀から19世紀(第7章)とイスラーム世界の歴史を俯瞰し,ウラマー -国家連合の形成過程が辿られる。
第4章「進歩:学者と商人(Progress: Scholars and Merchants)」によると,初期イスラーム時代にはウラマー -国家連合は存在せず,それ故これはイスラームという宗教における本質的特性ではなかったことが示される。この時代にはウラマーのほとんどが商工業従事者か,またはその家系に属していたため,経済的に自立し,その後の時代と比較すると相対的に支配者からも独立していた。そして,自由な知的空間と活発な商業活動が存在していたことにより,「イスラームの黄金時代」と称される繁栄をもたらした。しかし,11世紀を決定的分岐点として,イスラームが宗教と国家の両方を包摂するものと説く思想(Din wa Dawla)が制度化されていく。興味深いことに,著者によれば,この思想はクルアーンや権威あるハディースが根拠であるわけではなく,イスラーム以前のサーサーン朝ペルシアの国家論に源泉がある。にもかかわらず,セルジューク朝よりこの思想に基づく制度化が進み,その後のイスラーム諸王朝にも経路依存的に受け継がれ,洗練されていく。セルジューク朝は,当時影響力を保持していたシーア派諸王朝に対抗するために,スンナ派を正統派として確立するべく,ウラマーを国家的に養成するマドラサの設立を後押しした。これらのマドラサは支配者層によるワクフ(寄進制度)を通して設立され,支配者のウラマーへの影響力が強まっていった。また同時期より,支配者が軍人に対して封土の分与地の徴税権を授与するイクター制が普及し,軍による経済活動の掌握が進むと同時に商業が停滞するようになった。このようにして,イスラーム諸王朝における軍人の特権的地位が確立され,それにレジティマシーを付与するものとしてのウラマーとの相互協力関係がこの時代に築かれた。
第5章「危機:侵略者(Crisis: The Invaders)」では,十字軍やモンゴル帝国という外敵の侵略がイスラーム世界の停滞をもたらしたとする見方について議論されている。これらの侵略は多くの都市で破壊と殺戮をもたらした一方で,東西交易の拡大や技術伝播にも繋がった面がある。またイスラーム諸王朝はその後すぐに復興し,これまでになく地政学的な安全保障を確立することができた。これらの点から,著者は外敵の侵略が衰退をもたらしたとする説を否定している。その一方で,外敵の侵略はイスラーム諸王朝の防衛的な軍事化を一層促し,これが商業や学問をさらに衰退させたことも示されており,肝心なのはイスラーム諸王朝内部の動態であったことも強調される。
第6章「権力:三つのムスリム帝国(Power: Three Muslim Empires)」では,ウラマー -国家連合が最も洗練された形で体現された国家としてオスマン帝国,サファヴィー朝,ムガル帝国の三帝国について叙述される。これらの王朝では地政学的安全保障の確立が最優先され,軍事エリートとウラマーが特権的階級を構成した。一方で,商人は矮小化され,学問は著しく停滞した。それを象徴するものとして,同時代の西洋におけるルネサンスのもとで発明された革命的技術である火薬,活版印刷術,航海羅針盤のうち,イスラーム諸王朝が積極的に取り入れたのはウラマー -国家連合を維持するために必要な火薬のみであった。対して,イスラーム諸王朝は航海には無関心であり,活版印刷術に至ってはウラマーの反対により導入まで数世紀の遅れが生じた。
第7章「崩壊:西洋植民地主義とムスリムの改革者たち(Collapse: Western Colonialism and Muslim Reformists)」では,西洋列強の台頭と植民地主義の始まりによりもたらされたインパクトが主題である。イスラーム諸王朝でも近代化を目指すべく国家・社会制度の改革が試みられ,ウラマー -国家連合を形作る旧制度の解体が行われる。しかし,国家主導で改革が進められるなか,ムスリムを主体とするブルジョワジーや知的階層がそれまで不在であったことは,経済活動や科学技術を発展させるための原動力が存在しないことに等しかった。また,ウラマーは旧制度の解体と世俗主義政権の成立以後も社会的権威を維持していたため,実質的に政策に対する拒否権を保持しており,改革に抵抗してきた。このような旧制度の負の遺産により,改革は失敗し,ムスリム社会は西洋列強による植民地支配に対して為す術がなかっただけでなく,第1部で議論されたように,独立以後も多くの政治・経済問題に直面し続けている。
著者は本書を「主として政治学の著書であり,歴史学ではない(p.xvi)」としており,現代の諸問題を出発点としつつ,その原因を理解するための方法として歴史制度分析を行っている。評者も歴史学を専門としていないため,ここでは,現代のムスリム多数派諸国の多くが抱える諸問題の背景を理解する上で本書の分析がどれだけ有用であるのか,という観点から評したい。
本書の評価できる点は,先行研究でも指摘されてきたウラマーと統治者との相互協力的な関係性を,ウラマー -国家連合という明快な枠組みに落とし込んでいることである。これにより,ウラマーとそれを抱擁する支配者層が形成する制度を説明変数として捉えることができ,それがどのようにイスラーム諸王朝の近代以降の停滞を促し,また現代のムスリム多数派諸国の諸問題に影響を及ぼしているのか,分析が可能となる。この制度面の分析を社会階層分析と組み合わせることで,ウラマーと支配者層の特権的地位の制度化を,資本蓄積を担うブルジョワジーや民主化の安定に寄与する中産階級が十分に形成されていない状況と結び付けており,社会経済の低開発性や権威主義が持続する背景について説得力のある説明がなされている。
また,本書は歴史的制度論に基づき,制度分析における中核的な問いである特定の制度がなぜ存続するのかという問題に対して,制度を正当化する思想とそれを生み出すアクターの役割に着目する。特に合理的選択制度論との対比においては,これが「思想の役割を過小評価している(p.64-65)」とし,「制度そのものはレジティマシーを内包しておらず,イデオロギーにより正当化される必要がある(p.65)」という立場をとる。それにより,ウラマー -国家連合という制度的枠組みが,なぜ近代以降の諸問題に対して有効な解決策を提起できていないにもかかわらず存続するのか,という問いに対する答えを示している。本書が導き出す答えによれば,政教一致の原則を定めるイスラームの政治思想や,私的領域だけでなく公的領域をも規定するイスラーム法の原理は,ウラマー -国家連合による制度的特権を享受するアクターであるウラマーの政治経済的利権によって形作られてきた。そして,政治をめぐるこれらのイスラームの思想や原理が現代でも経路依存的に再生産されており,ウラマーが政治に対して影響力を持つ制度的枠組みを存続させているのである。これを論じるためには,イスラームの歴史や政治思想を理解する作業という比較政治学者にとって極めて大きなハードルを乗り越える必要があるが,著者はマーワルディーやガザーリー,イブン・タイミーヤなどのイスラーム学者の思想を解析する力量を持っており,非常に独創的な分析を行っている。
それを踏まえて,評者は以下の三つの疑問点を投げかけたい。まず,ウラマー -国家連合は本書の核心的な概念であるが,十分な定義づけがなされていると言い難い。現代の文脈でウラマー -国家連合の存在を特定し,その度合いを国家間比較し,政策やガバナンスへの影響を理解するには,何をみればよいのか。聖職者が最高権力を握るイランのイスラーム共和制が現代におけるウラマー -国家連合の完全体であると捉えられるのかもしれないが,同様の政治体制を取らないその他多くの国々についてはどのように考えればよいのか。本書の知見をさらに発展させて実証分析に役立てたいところだが,本書はそれに必要な材料を十分に提供できておらず,惜しいところである。本書はムスリム多数派諸国を一括りにしていることからも,国家間比較を試みようとすると一層その限界が目立ってしまう。
次に,本書でいわれている「反植民地主義的アプローチ」に対する批判についてである。本書では,このアプローチを代替するものとしてウラマー -国家連合の概念が提起されているが,植民地主義や介入主義を批判的に捉える見方と本書の主張は相互に排他的なものではないはずである。植民地支配までの歴史におけるイスラーム諸王朝の停滞について,ウラマー -国家連合を主要因とする見方は理にかなっているかもしれないが,植民地支配以降の現代世界の文脈において植民地主義の遺産や介入主義を抜きにして考えるのは強引であると言わざるを得ない。本来ならば,外的要因としての植民地支配や諸外国による政治介入および武力侵攻と,内的要因としてのウラマー -国家連合という形で分類し,その両方を議論していけるはずである。
三つ目は,著者が度々言及しているイスラームの「本質的特性(essential characteristics, p.xv, 30)」というものについてである。これについても,それが何であるか十分に定義づけられていないまま議論が進められている。「本質的特性」が議論される箇所では,これが“Islamic texts”(p.xv),“Quran and hadiths”(p.9)などと記載されていることから,クルアーンという決して揺るがない聖典と,正統なハディースにて記録されるムハンマドの言行が本質だと捉えられているようである。しかし,Brown[2015]も示すように,イスラームの教義はこれらだけでは自立し得ず,その解釈を担う専門家や解釈法をめぐる学問体系の必要性がウラマーと法源学の発展を促してきたという側面がある。法学やウラマーの存在がそれだけ根幹的なものであるのならば,それは中世のイスラーム黎明期以降確立されてきたイスラームの「本質的特性」のひとつとはいえないのであろうか?もしそう捉えるとするならば,ウラマーの権威により形作られるウラマー -国家連合をイスラーム的な政治制度の理念型ではないと捉える著者の主張は弱められてしまう。
しかし,それらを鑑みても,本書が与えてくれる視座は刺激的である。最後に,メタな側面であるが,イスラームの歴史においてウラマー批判自体は決して新しいものではないにもかかわらず,本書が評価されているコンテクストについて言及したい。現代のムスリム多数派諸国の多くでウラマーが特権的地位を維持している傍らで,政治的安定や経済発展,社会正義が伴っていないことへの社会の不満が募っている情勢を反映している可能性はないだろうか。これはインドネシアで顕著にみられることであり,世俗派ジョコ・ウィドド政権のもとでイスラーム主義運動や法学主義的なウラマーへの風当たりが強まっている。2022年11月にインドネシアが主催したG20サミットに先駆けて,「R20(Religion 20)」宗教間対話フォーラムがバリ島で開催されたが,宗教的多元主義を基調とするムスリム大衆組織ナフダトゥル・ウラマー新指導部が主催し,復興主義的なイスラーム勢力の存在は皆無に等しかった。本書の著者はこのR20フォーラムにパネリストとして招待されており,現代国際秩序が定めようとする「あるべきイスラームの姿」についての言説を形成するのに一役買っている。つまり,本書が読まれることそれ自体が,イスラームと政治をめぐる現状について示唆しているものがある。
言説形成への影響という点についてもう少し掘り下げると,本書の主張に対する賛否の違いはこの点において分かれている傾向が見て取れる。冒頭にも述べたように,これまで30以上出された書評を俯瞰すると,政治学の観点からは高く評価がなされている一方で,一部の地域研究およびイスラーム研究系の雑誌では批判的な書評が出されている。これらの意見によれば,著者のとる実証主義的な立場はそれが用いる元データ(たとえばフリーダムハウスの指標)の中立性を所与のものとして捉えており,データや知識,方法などの認識論的な側面自体が,西洋とイスラーム世界の間の力関係の差を反映している可能性を考慮できておらず[Sakarya 2020],そのような力関係の差をもとに生み出されるナラティブが欧米の覇権主義によるイスラーム世界への介入を正当化してきたことを認識できていない[Sadriu 2023]。評者は,政治学的な分析枠組みの有用性は認識すべきであると考えるが,それと同時に,データの背後にある覇権国の地政学的利害・力関係や,分析結果が生み出すナラティブといった点に常に敏感であるべきであるという見方には同意する。異なる分野の観点を理解することは,研究データ・方法の中立性や研究結果が生み出すナラティブの実社会へのインパクトといった課題に対応する上での第一歩であるといえるだろう。評者の本書に対する批判点は,政治学のみならず地域研究やイスラーム研究など,異なる分野の観点を取り入れたつもりである。
このように,本書の主張への賛否はそれぞれあるだろうが,むしろそれ故に,その議論から得られる知見は貴重なものがある。比較政治学者,地域研究者,イスラーム研究者と分野の垣根を越えて,本書は幅広く読まれ,議論される価値があると評者は考える。