Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Keijiro Otsuka, Innovations for Development: A New Perspective of Development Economics (in Japanese)
Kei Kajisa
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2024 Volume 65 Issue 1 Pages 57-61

Details

 

開発経済学を大きく前進させる専門書であると同時に,日本語で読める中上級レベルの開発経済学の新たな定番テキストが登場した。本の帯に「大塚『開発』経済学の集大成」とある。まさにそのような本だと思う。本書は,著者の過去40年近くにわたる研究成果にもとづき,「革新」をキーワードに貧困削減のための開発戦略を提示する高度に専門的な研究書である。それと同時に,学部の上級生や大学院生を対象として書かれた教科書と位置づけることもできる。通常は相容れないことが多い専門性と一般性を兼ね備えており,まさに本書自体が「革新」的な著書と言えるのではないだろうか。

Ⅰ 本書の概要

まずは本書の概要から見ていこう。本書は5部から成る。大きな流れとして,まず理論的背景を解説し,その理解をもとに開発戦略を議論するという流れになっており,第Ⅰ部では,農業部門の特色,第Ⅱ部では製造業部門の特色を理解するための理論的背景が説明される。これら2つの部では,著者自身の既存の研究にもとづいてモデルが提示されており,本書のなかでも比較的「上級」のレベルとなっている。続く第Ⅲ部と第Ⅳ部では農業・製造業の順で開発戦略の吟味が行われ,第Ⅴ部で農業と製造業を包括的に扱い,統一的な枠組みの下で開発戦略が示される。

第Ⅰ部で扱う農業の特徴で重要な点が,農業というものはそもそも平面的に広がりがある場所で生産が行われ,かつ天候などのショックに生産が左右されやすいという点である。よって,農家が,雇用した農業労働者を完璧に管理することは困難であるし(第2章),また地主が小作の営農を完璧に把握することも難しい(第3章)という状況が生まれる。このような状況の下での農家の行動が,情報の非対称の下でのエージェンシーモデルにもとづいて解説される。とくに第3章の小作契約の内容は,Journal of Economic Literatureに掲載され,この分野の必読文献となっている論文にもとづいており圧巻である[Otsuka, Chuma and Hayami 1992]。

また,もう一つ重要な農業の特色として,農業のなかでもとくに穀類の生産においては,技術の模倣が容易(営農技術の模倣のしやすさや自殖品種の再利用の可能性の高さ)で,すなわち技術に正の外部性があることが指摘される。よって農業では革新の公的便益が私的便益を大きく上回るため,その正の外部性をいかに内部化するかが農業において「革新」を成功させるカギとなる点が指摘される。

第Ⅱ部第4章では製造業に目を転じ,製造業の発展を考える際には,次の2点,すなわち,この産業が集積する傾向があること,そして集積の発展のためには「革新」が重要であることが,園部・大塚[2004]で展開された内発的産業発展の理論にもとづいて説明される。ここで評者が,本書の独自かつ重要な貢献で,この点をきちんと頭に入れておかないと後半の議論や政策の正当性が理解しづらくなると考える点が,この本独自の「革新」の定義である。

本書は,途上国の経済発展のために必要な製造業における「革新」は,シュンペーター的な画期的な革新だけではなく,より広い意味での「多面的革新」と主張する。「多面的革新」には,生産方法,製品の質という「技術革新」だけでなく,マーケティング,経営管理,部品管理の改善といった「経営革新」も含まれ,この2つを同時に達成しなければならない点が強調される。しかし一方で,製造業の集積地では,「多面的革新」を達成したとしても集積した企業の間で模倣される可能性が高く,私的便益と公的便益に乖離が生じる。よって,そこから生じる正の外部性をいかに内部化するかが製造業の集積における「多面的革新」を成功させるカギとなる。続く第5章では,日本の工業化(とくに綿工業と製糸業)の経験にもとづき第4章の主張を裏づける。

農業部門の政策提言を行う第Ⅲ部では,まず第6章でアジアの「緑の革命」の経験を振り返り,国際的技術移転の重要性が確認される。穀類の農業技術の模倣性の高さから技術移転は私的インセンティブが弱く,公的なサポートが重要であることが確認される。第7章では,その経験のアフリカへの適用可能性について探る。第8章では,契約栽培と高付加価値農業の可能性について,技術が高度化し模倣性が低くなるケースとして検討している。このようにして,本書では,技術が比較的単純な穀類の生産性向上だけでなく(国際農業発展の多くの教科書はここで終わる),高付加価値農業へ発展していく過程までもが説明される。

製造業部門に関しては,第Ⅳ部の第9章でアジアの産業集積において技術移転が重要な役割を果たしたことについて,第10章ではアフリカではその技術移転がスムーズに行われていないことが足かせとなっている点が指摘され,やはり技術の模倣性が高ければ,「革新」の私的インセンティブが弱くなるので公的なサポートが必要である点が強調される。一方,第11章では海外直接投資(FDI)を通した技術移転が情報のスピルオーバーではなく,親会社から子会社への技術指導などフォーマルな経済取引により(農業で言えば契約栽培に近い形態で)行われている可能性が高いことが指摘される。第Ⅴ部第12章は「『革新と発展の経済学』を目指して」と題されたまとめとなっている。

以上の要約からわかるとおり,本書は,第Ⅰ部と第Ⅱ部の理論編において,途上国の経済発展のためには,農業においても製造業においてもいかにして技術の正の外部性(模倣のしやすさ)を内部化し,広い意味での「革新」を実現するかが重要であることが示される。第Ⅲ部と第Ⅳ部の政策編でそのための具体策がアジアとアフリカ,そして異なる模倣性の下で検討される。

Ⅱ 本書の特徴

本書を開発経済学の教科書として見た場合,これまでの中上級レベルの教科書で弱かった部分が強化されており,この分野の学生や研究者にとって極めて有用な教科書と言えるであろう。そこで,本書を既存の中上級向け教科書と比較することでその特徴を確認したい。以下3点にまとめられる。

第一に,本に大きなストーリーがあることである。多くの中上級教科書は,各章が開発経済の重要トピックで構成されており,いわゆるハンドブックスタイルが主流である。しかし,それゆえに章の間のつながりは弱いという弊害がある。一方で,本書は各章につながりがあり,全体としてストーリーがある。ここでストーリーがあるというのは,読み進めていくなかで産業ひいては国が成長していく過程が見えるということである。それゆえ,一つ目の利点は,読んでいて面白いのである。もう一つの利点は,ストーリーがあることが,政策立案にはとても重要だと思われる点である。著者も「はじめに」で触れているように,「個別的な施策の効果を厳密に評価しようという研究が現在では主流になっており,体系的に開発を促す戦略は多くの研究者の視野に入っていない」。いつどこで何をしたらよいのかという体系的な戦略(発展のための工程表と言ってよいかもしれない)のためには経済発展の俯瞰的な理解が重要であり,本書はそれを可能にする。

第二に,産業としては製造業が,地域としてはサブサハラ・アフリカに十分なページが割かれている点である。たとえば,ストーリーのある開発経済学の上級教科書としては,Hayami and Godo[2005]が挙げられると思うが,対象は農業部門が中心であり,事例はほぼアジアである。成長の(メイン)エンジンはやはり製造業であり,地域的にはサブサハラ・アフリカの貧困削減が国際社会の最重要課題の一つであることを考えれば,これら2点が明示的に議論され,しかも政策提言も行われている本書の学術的かつ社会的貢献は大きい。

第三は,先の2点と関連しているが,ミクロでありつつマクロでもあるという点ではないだろうか。本書でエビデンスとして紹介されている実証研究の多くは,著者自身がかかわった家計や企業の個票データにもとづく分析である。それゆえ,本書の事例のどれもが圃場で作業する農家,また工場で働く労働者,そして労働者の管理に悩む経営者の顔が目に浮かび,途上国の人々の「顔が見える」ミクロ経済分析になっている。そのそれぞれは,単独で分析されたものであるが,それらが1冊の本に集まり,産業や地域が包括的となると,マクロ分析の様相を呈してくる。第一で指摘した大きなストーリーが浮かび上がってくるのである。

このような稀有なスタイルの専門書が執筆可能であったことは,ほぼ自らの業績だけで教科書を書き上げることができるという著者の卓越した研究領域の広さのたまものではないだろうか。その広さの背景には,著者の専門が経済学であることと,著者の経済学に対する考え方が大きく影響しているように思われる。評者には,著者がどこかで「経済学とは人間行動の常識を体系化した学問である」というような意味のことを書いていた記憶がある。であるならば,農業も製造業も,アジアもアフリカも,それぞれ独自性や地域性はあるが,人間がかかわる限り基本原理は同じで,原則,経済学で十分に切れる(分析できる)という考えのもとに研究領域を拡大していったのだと思われる。

いずれにせよ,言い古された表現を使えば,トピックベースの教科書では読者が「木を見て森を見ず」になりがちなところ,ストーリーのある教科書では「木を見て森も見る」ことができるようになり,しかも本書はそれを著者自身の研究で成立させるという,いわば「木を育て森を作る」ことで成立させた稀有な存在とみなすことができるのではなかろうか。このような本が教科書として利用できるようになったことは開発経済学を学ぶ者,また学びなおす者たちにとって大変有意義なことであろう。

Ⅲ コメント

本書は扱う産業分野が広く,また時間軸が長いため,多くのコンセプトや政策が提言されている。そのどれもが重要であるが,評者の理解では,本書で一貫して重視されるのが,技術の模倣のしやすさに由来する正の外部性の存在であろう。この視点が本書の分析枠組みに統一感を与え,ひいては,農業も製造業も発展の原理は大きく変わらないという著者の主張をサポートする背景にもなっている。そこでこの点に関し2点コメントしたい。

外部性が存在する場合,その解決策として,教科書的には,政府による外部性の補正(典型的にはピグー税・補助金,数量規制),外部性を市場化する制度の導入(排出権取引制度など),そして共同体による外部性の内部化(一つの統合された組織として最適化)となろう。農業においては,公共財的性格の強い穀類の基礎技術や営農知識は政府に,また本書では明示的に扱われていないが,灌漑の維持管理は地域資源として共同体にアドバンテージがあると言えよう。一方,製造業においても,集積が疑似共同体として外部性の内部化に貢献している面があることが指摘される。

本書は,製造業においては,集積に加え,生産者組合が技術革新に重要な役割を果たす可能性を指摘する(94~95ページ)。この生産者組合の役割の厳密化において,さらに深堀りできるのではないだろうかというのが評者の第一のコメントである。引用されている過去の事例を見ると,多くの場合が,品質改善とその維持(クオリティー・コントロール(QC))に貢献しているようである。これらは,基本的に関係者全員で決まりを守ることによって実現できる改善で,生産者組合という共同体が共通の利益の実現に向けて努力しているケースと理解できよう。

一方で,製造業の発展のためには,たとえ経済発展の初期段階であっても個人や個々の企業が成し遂げる技術革新が重要になる側面もあるのではないだろうか(輸入技術の適正化など)。もしそこが重要であるなら,それらは具体的にはどのような技術群で,どのようにしたらそれらも促進できるかという問いが出てくる。原理的には知的財産権の確立が重要で,著者もその点について触れているが,この点に関しては,著者の視点は産業発展後期に的が絞られている印象である。

そこで,思い起こされるのが,農業のセクションで林業の研究から導かれた「共同体は資源を守る能力は高いが,資源に投資する能力は低い」という指摘である。実際に「樹木の世話は個人で,樹木の保護は皆で」という制度の導入を検証した経済実験では著者の議論を支持する結果が出始めているようだ(63~64ページ)。製造業の生産者組合でも,同じ枠組みで仮説が立てられるのではなかろうか。製造業において「樹木の保護」だけでなく「樹木の世話」も促進するようなハイブリッドな制度とはどのようなものなのかを考えてみてもよいのかもしれない。また,関連して,本書では多くの具体的な技術が登場するが,それらを産業別(農業と製造業)に,また,模倣のしやすさのレベルに分けて表にしたものがあれば,議論が具体的にイメージしやすくなり,読者にとって本書の理解の大きな助けになったのではないかという感想をもった。

コメントの2点目は,政府の役割についてである。本書では,農業技術の指導,経営研修プログラムなど市場の失敗を補正する支援や,さらにはそれら支援を行う比較優位のある産業の選定に政府が大きな役割を果たすべきであると指摘する。自然な流れとして,いわゆる「政府の失敗」が気になるところであり,当然著者もその点を指摘している(201ページ)。それに対する著者の回答は,「他の政府の成功」と「国家間の競争」である(201, 316ページ)。

政府の失敗の原因は教科書的には主に3つ。レントシーキングに反応した結果生じる社会的に非効率な資源分配,政府とステークホルダーの間の情報の非対称性による誤った政策介入,政府の能力不足による不十分な政策実施である。「国家間の競争」は国家の目的関数を家産国家的なものから,より国全体の成長へと誘導するかもしれない。また「他の政府の成功」は,成功の具体例により,ステークホルダーの需要をわかりやすいものとし,情報の非対称の問題を弱めたり,また成功例から学ぶことで政府の能力向上につながるかもしれない。「国家間の競争」は政府の能力向上意欲を高める効果もあるであろう。大きな枠組みとして異論はない。ただ,その議論の一歩手前に戻れば,では,そもそも国家(政治家)に他国の成功を意識させたり,競争意識をもたせることができるのであろうかという疑問も出てくる。政府の行動原理を扱う公共選択の理論も取り込むことで,発展が期待できる重要な研究課題なのではないかという感想をもった。

政府の役割に関して,著者は,比較優位のある産業を見つけることも政府の役割に含めるが,市場の失敗の補正に比べ,こちらはさらに難しいと思われる。もちろんこのことは著者も認めていて,回答としては,「すでに自発的に発展してきた既存の農業部門や産業集積は比較優位があるから発展してきたのであり,それらを優先すべきである」というものである(306, 314ページ)。この点は,かつての輸入代替工業化が重化学工業や高度製造業(自動車産業やコンピューター産業)といった途上国にとって「あこがれ」の産業の育成をめざし,大失敗を経験した戦略と大きく異なる点で,説得的である。ただし,実際に選択するとなると,どのような基準で選択するのかを考えなければならなくなり,やはりそう簡単ではないのではないかもしれない。この分野の深堀りも,とくに産業政策と関連して重要であろう。

関連して,現場の工夫を重視するという視点をもっと強調してもよいかもしれない。現場の工夫とは,現場の農家,工員,経営者たちが工夫して非効率や外部性を解決している行為のことである。たとえば,著者はこれまでの研究で,分益小作の下で懸念されていたマーシャルの非効率は,それが回避できるような長期的かつ緊密な人間関係が構築できる人と選択的に契約を結ぶことで解決されていることを発見した。また,本来は共有財産とみなされていた樹木もそれを育てる努力をする(投資する)と,私有権が認められるように現場が制度を柔軟に変えている工夫も発見した。製造業における外部性も,著者が重視する集積という疑似共同体を作る工夫で回避されている。そのような現場の工夫を阻害しないようにすることが,既存の産業が比較優位と乖離しない形で健全に発展するためには重要ではないかと思われる。フィールドワークを通して現場の工夫を発見する研究はまさに著者の真骨頂であると思われるので,この点を明示的に取り込むことで主張がさらに説得的になるのではないかとの印象をもった。

Ⅳ おわりに

本書は,多くの説得的な主張により構成されているが,それぞれの主張の背後にはデータ収集・分析・投稿と査読審査という困難なプロセスを経て出版された研究論文が存在する。この本で私たちは,それら研究のエッセンスを離れた場所から,いわばアルプスの山々の美しい稜線を眺めるように読んでいるのだが,その峰の一つひとつに著者はふもとから登っているのである。研究者をめざす読者は元論文に挑戦し,ふもとからの登山を試みてほしい。そして本書の主張がいかに緻密な実証にもとづいてなされているのか,その舞台裏を見てほしい。そうすることで,研究とはいかに地道で困難な作業であるか圧倒されるかもしれない。すでに研究に携わっている者であれば,なおさらそう感じるかもしれない。その際は,ぜひ,本書に再掲された「いかにして英文雑誌に論文を掲載するか」を読んでほしい。この記事は,実は開発経済学者や農業経済学者の間で隠れたバイブルとしてすでに有名な記事である。本書に再掲され,より多くの人の目に触れることになったことは実に喜ばしい。分析で困難に出会ったとき,また出版の過程でくじけそうになったときの強壮剤としてぜひ活用してほしい。

ところで,「はしがき」で「本書は著者の研究者としての集大成となる研究書である」と書かれている。しかし,本書を読み進めていくとわかるように,「将来の課題としたい」,「進行中の研究」,「暫定的結論」という表現が出てくる。まだ踏破していない山もあるようだ。本書の増補改訂版が待ち望まれる。

本書は,研究者は自らの立ち位置を再確認するため,もしくは学びなおしのため,学生は授業やゼミの教科書として,ぜひ読んでいただきたい必読書である。

文献リスト
  • 園部哲史・大塚啓二郎 2004. 『産業発展のルーツと戦略——日中台の経験に学ぶ——』知泉書館.
  • Hayami, Yujiro and Yoshihisa Godo 2005. Development Economics: From the Poverty to the Wealth of Nations, 3rd ed. Oxford: New York: Oxford University Press.
  • Otsuka, Keijiro, Hiroyuki Chuma and Yujiro Hayami 1992. Land and Labor Contracts in Agrarian Economies: Theories and Facts. Journal of Economic Literature. 30(4): 1965-2018.
 
© 2024 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
feedback
Top