Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
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Book Review: Taylor C. Boas, Evangelicals and Electoral Politics in Latin America: A Kingdom of This World.
Shuichiro Masukata
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2024 Volume 65 Issue 2 Pages 102-105

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Ⅰ はじめに

政治と宗教は,ラテンアメリカ政治の主要な関心事項のひとつである。植民地化以降,ラテンアメリカで社会秩序の中心として人々の精神世界を握ったのはカトリックである。カトリックは,独立後に政教分離が採用されたことで国教としての特権的地位が失われたが,教会の革新派は貧困者の支援や民主化運動の拠点を提供し,伝統派は中絶反対を支持する勢力として政治に密接につながってきた[舛方・宮地 2023, 311-312]。ところが現代のラテンアメリカにおいて政治と宗教にまつわる事項で最も注目を集めるのは,キリスト教福音派(evangelical/evangelico)の動向である。ラテンアメリカでは長らく少数派であった福音派は,20世紀後半よりブラジルを中心に信者数が増加する傾向にあり,宗教的少数派を代表する福音派の政治家も誕生している[Smith 2019]。

しかし類似性が高いとされるラテンアメリカにあって,宗教的少数派が代表されて政治的影響力をもつ国と,そうでない国があるのはなぜか。著者のボアス(Taylor C. Boas)はラテンアメリカの比較政治,とくに選挙政治や投票行動の専門家である。本書は,大統領選挙における候補者の選挙戦略に注目した前作[Boas 2016]に続き,ブラジル・チリ・ペルーをおもな事例とし,ラテンアメリカの福音派と民主主義への展望に貴重な示唆を与えている。

Ⅱ 概要

第1章は導入に該当する。この章で特筆すべきは福音派の定義と,宗教を構成する要素の説明である。福音主義は言語によって微妙に意味が異なる。今日のラテンアメリカにおける大多数のEvangelicoは,その信条と実践に基づいて,英語が意味する福音主義者(evangelical)として位置づけられる。本書でもevangelicalは,スペイン語やポルトガル語でevangelicoと表現される意味と同じで,個人的な救済,聖書の文字通りの解釈などを強調するプロテスタントの形態を表している。福音派はカトリックと同じく神学的教義と社会的アイデンティティをもち組織の目標を社会で実現しようと行動する宗教集団である。この福音派は彼らの関心事項を直接に政治空間でも提唱するために同志を公職に押し上げ,その同志に集団の選好や意見の忠実な反映を要求する記述的代表(descriptive representation)を有する。

では福音派はなぜ記述的代表を追求するのか。少数派の記述的代表やラテンアメリカの選挙における福音派の台頭を分析する先行研究は,その要因を投票行動,選挙制度,政党システムなど政治制度から説明してきた。しかし本書はこうした先行研究の主張とは異なり,そのおもな要因を,彼らの利益や世界観に対する脅威が発生したことで,福音派の宗教的アイデンティティが次第に政治化されたためであると主張し,宗教組織の集団的アイデンティティが時間とともに政治的アイデンティティへと変容する過程に着目している。

とくに福音派アイデンティティの政治化にまつわる国家間の違いは,二つの重大局面の結果として表出される。第一が,20世紀初頭前後のカトリック教会が世俗化に直面した局面(自由主義改革)であり,第二が,21世紀初頭前後の保守的な世界観に対する脅威に直面した局面(性にまつわる政治の台頭)である。この二つの局面に注目することは福音派アイデンティティの政治化を説明する上で役に立つ。ただし本章では,キリスト教組織内部の亀裂が潜在的には福音派の台頭という潮流を抑制する役割を果たす可能性があることも指摘されている。

こうした前提にたち第2章と第3章では,投票行動と宗教に関する議論が展開される。第2章はブラジル,チリ,ペルーにおける福音派の記述的代表について投票行動と政治制度に焦点を当てた先行研究を整理する。まず,投票行動論の中でも,コンジョイント・サーベイ実験を紹介し,この3カ国では福音派がカトリックの候補者よりも同じ系列の宗教候補者を強く選好していること,さらに生態学的分析(ecological analysis)により同じ宗派の信者を選好していることを選挙データから明らかにした。次に,こうした選好を福音派の選挙での勝利につなげやすい政治制度が一部の国で存在するかどうかを検証した。すると各国の選挙制度や政党システムは,ブラジルで障壁が最も低く,チリで最も高く,ペルーはその中間といった福音派の記述的代表の程度と想定された方向で一致していることが明らかになった。ところがサブナショナル分析によれば,潜在的に交絡しうる多くの国内レベルの変数を統制することで,政党システムや選挙制度など政治制度の違いが,福音派が投票に向かいやすかったり,選挙で勝利しやすかったりする可能性とは直接には関連していないことが示された。したがって,福音派はなぜ記述的代表を追求するのかという先述した本書の問いに対して,これまでの研究が説明不十分であると本書は主張している。

第3章は,独立後のラテンアメリカにおける福音派集団の成長と多様性について,政治に対する神学的・イデオロギー的な方向性に焦点を当てて論じる。プロテスタンティズムをめぐる国際的な潮流は,ペンテコステ派の台頭,反共産原理主義と解放神学に影響された進歩主義との衝突など,いずれもこの地域に大きな影響を与えた。1960年代から1980年代にかけてのブラジル,チリ,ペルーの軍事政権時代には,ラテンアメリカのプロテスタンティズムにおけるこうした既存の分裂が,それぞれの国の福音主義者の共同体におけるさまざまな種類の分裂へと統合された。その統合は再民主化後の集団的な政治的代表権を追求する意欲に影響を与えるものであった。とくにラテンアメリカにおける福音派の政治的野心の違いは,先述の通り20世紀初頭の世俗改革と21世紀初頭の性にまつわる政治の台頭という二つの重大局面の結果として表出された。具体的には,ブラジルでは二つの分岐における重大な脅威が選挙への大規模な動員を促したが,チリでは脅威が少なく動員を遅らせた。ペルーでは,福音派に対する脅威は存在したものの,福音派と広範な社会との間に大きな亀裂があったため,選挙への福音派の動員も予想より少なかった。

第4章から第6章は,これまでの議論を踏まえた事例研究となる。第4章はブラジルの事例である。ブラジルにおいて二つの重要局面は福音派のアイデンティティの政治化に有効に作用した。ブラジルでは第一の重要局面で,カトリック教会が失われた特権を取り戻そうとしたことが福音派への脅威となった。第二の重要局面では,1980年代末以降から堕胎,同性婚,学校教育におけるジェンダーなど性にまつわる捉え方が議論されたが,宗教的平等を守ろうとする動員においてカトリック保守派よりも福音派の方が性にまつわる進歩的な政治改革に反対しやすくなったことで,再び福音派が選挙に動員される傾向が促進された。

第5章はチリの事例である。チリは,ブラジルとは異なる道筋がある。チリでは福音派に対する脅威は最小限であったため,選挙に向けた野心も限定的であった。まず,カトリック教会の内部の宗派は互いに友好的であったため,カトリック教会は失われた権威を取り戻す動員を行わず,カトリック教会の存在は福音派にとっても存続に向けた脅威とはならなかった。さらに福音派は政策を主導する姿勢をほとんどみせなかったため,議会でも政治家は福音派を代表する必要はなかった。こうしてチリでは福音派の動員が限定的であった結果,保守的なカトリック教会が選挙において強力な存在感を示したことで,性にまつわる政治が争点として浮上した局面でも,進歩的な改革に反対する方向性が定まっていた。

第6章はペルーの事例である。ペルーでは福音派が選挙に参入する動機は,ペルーでもっとも顕著な政治的亀裂のひとつとして浮上したフジモリ主義(Fujimorismo)と関連してきたことで複雑になった。ペルーにおける福音派は歴史的にも重要局面で重大な脅威に直面しているので,理論的にはこうした脅威が政治的反応をも促すはずである。確かに1940年代から1980年代にかけて福音派は宗教的平等の大義を守るために選挙に動員された。ところが1990年から2000年にかけて大統領を務めたフジモリ(Alberto Fujimori)の存在は,福音派の穏健派と保守派の間に不信感を植え付け福音派内の亀裂を深めた。ペルーでは再民主化後に宗教的平等法を求める場面でも福音派内の宗派は共通の基盤を築くことができず,福音派の代表を選出するインセンティブを弱めた。第二の重要局面である2000年代から2010年代にかけても,性をめぐる政治問題の高まりは,保守的な福音派に代表選出を求める新たな動機となったが,フジモリに反対する勢力からは積極的な支持を得られなかった。

第7章は最後に宗教,政治,制度変化に関する論点を総括し比較の視点を提示している。さらに,その理論がコロンビア,コスタリカ,グアテマラという他のラテンアメリカ諸国でも応用できるかを検証したところ,コロンビアとコスタリカの事例では広い範囲で適用できることが確認できた。他方で,グアテマラはラテンアメリカでもっとも福音派が多い国にもかかわらず,その脅威に反応する動員には別の経路がありえた。すなわち,グアテマラでは福音派の構成員が経済的エリートとしても代表されていた場合に動員は発生しうるということである。

Ⅲ 特徴

本書はラテンアメリカにおける宗教政治に関する説明が明快であり,方法論に対する深い前提知識がなくとも,読み物として十分に読み応えのある作品である。その上で本書の最大の貢献は,選挙政治における有益な分析手法を駆使して説明した点である。近年,因果推論に重きをおく米国の政治学を中心に日本でもサーベイ実験に対する関心が高まっている。サーベイ実験は意識調査やウェブ調査などに実験的な要素を組み込むことで因果関係を推定する方法である。本書でも著者がブラジルなどで実施したサーベイ実験は有効に機能している。著者によればこのサーベイ実験を通じて,有権者が自分と同じ宗派であることを理由に政治家に投票するという単純な考え方に反して,福音派には確かに記述的代表が機能していることが確認された。

もっとも,サーベイ実験は独立変数と従属変数の因果関係の適切さを表す内的妥当性を高めることができたとしても,実験結果を一般化する適切さを表す外的妥当性には課題を抱えていることが指摘されてきた[秦・Song 2020]。しかしこのサーベイ実験の限界も著者は自覚している。先述の通り著者は投票行動と政治制度による分析は福音派の記述的代表を説明する上で不十分であるとしているが,サーベイ実験の問題点も補完する試みとして歴史比較分析と過程追跡を行っている。

この歴史比較分析と過程追跡などの質的分析の手順は,マクロな政治変動を分析する者には見習う点が多いだろう。論理展開が明瞭で,その手順は複数国の選挙政治において福音派の姿勢に影響を与えた共同体に対する脅威とは何だったのかを引き出すためだけでなく,他の利益集団の台頭を分析する際にも有益になりうる。本書の場合,福音派の宗教的アイデンティティが政治化する過程は3カ国間で異なるが,過程追跡によってある瞬間の情報を切り取った短期的視点ではみえない歴史的文脈への理解も深められる。さらにラテンアメリカにおいてもっとも福音主義が強い国々で二次的な事例研究も実施して,文中で構築された理論にどの程度まで汎用可能性があるのかを検証している点でも抜かりがない。

Ⅳ 今後期待される論点

最後に今後に期待される論点を挙げておく。第一点目は,事例選択におけるボリビアの位置づけである。本書の目的は,ラテンアメリカで最も福音派の多い国々における福音派の記述的代表の違いを説明することにあり,著者の説明によればブラジル,チリ,ペルーが事例として選択された根拠は,福音派が代表を選出するのに十分な人数をもっていたためという。ところが本書の指標に基づくと,ボリビアは南米大陸で2位の福音派数を有するにもかかわらず,対象国として外されている。2019年のボリビア大統領選挙では,チヒョンチョン(Chi Hyun Chung)という韓国系ボリビア人の政治家が出馬し,3位の得票数であった。本書は類型化に有効な事例を主観的に選定しているが,福音派の強さを物語るチョンが他国の政治家と同様に反同性愛などの性にまつわる政治活動を展開していることからも,ボリビアも検討に値する事例となりうるだろう。

第二点目は,混合研究法(multi-method)を活用する際に残される課題である。方法論の面でもサーベイ実験の課題を克服するため,歴史比較分析など質的分析との混合研究法が効果を発揮している。しかし統計手法と事例研究の異なる手法を数多く組み合わせることは,変数間の因果関係の解明を目指す上で有効である一方,異なる方法の間での整合性を確保することが課題となる[東島 2021]。Smith[2023]も著者が説明不十分とした政治制度と福音派の記述的代表の因果関係がブラジルでは有意であることを本書の書評で主張しており,本書が用いた複数の分析手法の組み合わせが妥当なのか慎重な検討が求められる。

第三点目は,カトリックと福音派の対立に関する著者の立場である。宗教組織は信者を動員する力があるため政治家の有力な支持基盤となる。一方,宗教組織が真理と信じる教義に基づき政治的な力をもつことは,意思決定に妥協困難な対立を持ち込むことになる。本書は最後に非民主的な福音派の対応に警戒し,福音派側に寛容な精神を求める語調で終わる。しかし複数の聖職者による性的虐待などカトリック教会の権威を揺るがす事件が多発し,信者がカトリック教会の体制に幻滅して福音派に改宗している背景やカトリック教会の姿勢を批判する福音派の言い分は言及されていない。憎しみの連鎖を止めるには両者の立場を尊重することから始めなければならない。

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