Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Timur Dadabaev, Shigeto Sonoda eds., Uzbek Migrants and Japanese Society (in Japanese)
Masato Hiwatari
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2024 Volume 65 Issue 3 Pages 143-146

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2023年10月の時点で,日本で働く外国人労働者は204万人余りとなり,初めて200万人を超え,過去最多を記録した[厚生労働省 2024]。これまで,日本への移住者としては,中国,韓国,ベトナム,フィリピンなど東・東南アジアや,ブラジル,ペルーなど中南米からの人々が中心であったが,円安でも来日数が伸びている背景として,送り出し国が多様化してきたことが挙げられる。そのような国のひとつが,中央アジアのウズベキスタンである。2010年代以降,ウズベキスタンから日本への移住者は急増しており,その多くが私費留学生として日本語学校に入学してきた。本書では,このような教育目的と労働目的を兼ねた移住者を「教育=労働移民」と定義し,その移住メカニズムや移住者の直面する困難,移住生活に対する自己の認識等の問題を,公式統計や世論調査のほか,移住者に対する3度にわたる独自の質問票/インタビュー調査の結果をふまえて検討したものである。

Ⅰ 本書の概要

本書の構成は,以下の7章からなる。

第1章「ウズベキスタンから世界へ」では,ウズベキスタンからの国外移民の概要や背景が紹介され,そのなかでの日本での位置づけが示される。旧ソ連からの独立後,ウズベキスタンにおいては,「ロシア一辺倒」であった対外認識が,とくに若者において大きく変化してきた。ウズベキスタンからの最大の出稼ぎ先は,ロシア,カザフスタン,トルコ,最近では韓国などであったが,日本も新たな移民先として注目されている。日本への移住はとくに2010年代半ば頃から急増しており,その多くは,私費留学生,とくに日本語学校への入学者への増加によるものであったことが示される。

第2章「日本語学校という選択――入国の動機と経路――」では,ウズベキスタンからの移住,とくに日本語学校に入学する学生が急増している背景を探っている。日本語学校に入学したウズベキスタン人は,2011年の35人から2018年の1427人というように新型コロナ禍前まで急増してきた。ソ連崩壊後,日本の官民がウズベキスタンにおける日本語教育を支援してきた経緯があり,2016年のカリモフ大統領死去後の新体制において,ウズベキスタンから若者が海外に出る風潮が強まったという背景がある。しかし,2010年代半ば以降に日本語学校への入学者が急増したより直接的な引き金となったのは,先発隊やブローカーの台頭であったことが示される。日本にわたるウズベキスタンの若者は,先発隊やブローカーから情報を得て,家族や知人から多額の借金をするなどして資金調達し,日本に入国してきた。来日後にも,先発隊やブローカーが「世話役」として,留学生にアルバイトなどの職を斡旋するという。

第3章「教育から労働へ――教育=労働移民の現実――」では,日本語学校に入学したウズベキスタンからの若者の,日本における暮らしぶりや直面する困難が扱われる。彼らの多くは,来日後すぐ仕事を探し始め,留学ビザの法定時間を超えて就労する。生活費を切り詰めることで,来日に必要であった借金を返済するだけでなく,母国の家族へも送金しようとするという。調査協力者の来日前の借金額の最頻値は1万米ドルに達する。「時給1000円のアルバイトを毎月300時間,休みなく一日10時間働いて30万円を稼ぎ,家賃や食事などで毎月10万円を使い,残り20万円が手元に残る(60ページ)」。ここから学費を捻出すると,月5万円程度が残り,これが借金の返済や家族への仕送りに充てられる。そのような過酷な生活環境にあっても,調査協力者の3分の1が日本での生活を「とても満足」と回答し,「不満」だと回答したものは全体の6パーセントにすぎなかった。故郷に錦を飾ることをめざして,心理規制を働かせていることが指摘されている。

第4章「越境するジェンダー――女性移住者の経験――」では,とくに女性移民が直面する固有の問題を掘り下げている。日本に在住するウズベキスタン人のうち女性は20パーセント程度であるが,そもそも女性の海外移住者が少ないことには制度的,文化的な障壁があることが示される。たとえば,2019年に国際パスポート制度が導入される以前,海外渡航者は内務省で登録証を発行してもらう必要があったが女性は厳しい条件が課されていた。また,ウズベキスタン社会においては女性にとって保守的な伝統的役割規範や,親や周囲からの期待が存在し,海外移住をめざす女性にはさまざまな葛藤があった。移住者の心理からはそうした役割期待からの逃避の側面も見い出される。また,在日コミュニティにおいては,男女別に扶助のネットワークが存在していることも示されている。

第5章「文化実践としての国際移動――「ウズベクらしさ」の力学――」では,移住者が日本での生活体験を自ら意味づける上で「ウズベクらしさ」という概念に頻繁に言及することに着目し,彼らのアイデンティティや移住経験に対する主観的な捉え方を論じている。集団的意思決定や,上下関係の尊重,他者に対する思いやり(oqibat),行間を読み取って表現をやわらげ相手に配慮する道徳(andisha)などに特徴づけられる「ウズベクらしさ」は,日本の文化と共通する特徴も多くもち,日本人の行動様式を受け入れやすくしている面があると指摘される。一方で,移住者は自らのアイデンティティを保持するために,「ウズベクらしさ」の固有性を強調し,日本社会を「他者化」する心理や行動もみられるようである。そして,多額の借金を抱えて来日した学生が,予想以上に厳しい生活に直面するなか,生活に満足していると回答する心理メカニズムとして,「ウズベクらしさ」やイスラーム的な考え方が作用しているという見方が提示される。たとえば,「ムソフィール(musofir:修行者)」としてイスラームの地でない日本で苦行を積み,修羅場を乗り越えることができれば,イスラーム教徒としての生活が豊かとなり,帰国後に尊敬されるようになるといった考え方である。

第6章「移住先としての日本と韓国」では,ウズベキスタンからの移民先として重要な国となっている韓国の事情を取り上げ,日本の場合との比較を行っている。韓国は,中央アジアからみると,外交的アプローチ,高齢化による労働力不足などの点で,日本との共通点が目立ち,とくに若者の日韓両国に対する対外認識は類似しているという。韓国の移民政策の特徴として,2004年に導入された雇用許可制度を検討している。韓国政府は,ウズベキスタン人に年間で3000人の受け入れ枠を保証し,ウズベキスタンの関係省庁が労働移民のための特設機関を設け,韓国への渡航をサポートしている。しかし,韓国にあっても,この枠に入れなかった者は,日本同様に,語学学校を経由した教育=労働移民となるという。彼らの韓国における労働条件としては,在学中の就労許可の条件が厳しかったり,雇用主は住居と食事を提供することが多いなど,日本との違いがみられ,移住者はそれらの条件も考慮しながら移住先を選択しているという。

第7章「ウズベク移民と日本の将来」では,ウズベキスタンからの日本への教育=労働移民の特徴について,従来の東アジアや東南アジアからの移住と何が違うのかを整理しつつ総括し,日本の対応を問うている。これまで日本への主要な送り出し国であった中国,ベトナム,フィリピン,ブラジル,ネパールなどの国と比較すると,第1に,ウズベキスタンは,日本と外交をもつようになってまだ30年しか経っておらず二国間の結びつきの歴史が浅い。これは移民を受け入れる際のさまざまな公式・非公式のインフラが整っていない可能性を示唆する。第2に,ウズベク移民が,日本での長期滞在を望んでいないという点でも,これまでの移住者とは異なる。これには,制度的問題が長期滞在を困難にしているというだけでなく,文化的,心理的距離の問題もかかわっている。第3に,ウズベキスタンを含む中央アジアの人々にとって,日本は,移民先として一つの選択肢にすぎず,アメリカ,ロシア,EUほど人気があるわけではない。中央アジアからの人の流れは,地政学的要因にも大きく依存しており,流動的であると指摘されている。これらの新しい移住者の必要性や政策的対応については,日本の労働市場の現状をふまえ,日本に住む人々が真剣に考えるべきであると論じている。

Ⅱ 本書の学術的貢献

以上のように,本書は,ウズベキスタンからの日本への移住者に関する多岐にわたる論点を扱った研究書であるが,本書の学術的貢献について,評者の観点からとくに以下の3点を強調しておきたい。

第1に,本書は,新たな段階に入った日本の移民政策を考える上で,非常に多くの洞察を提供する。ウズベキスタンからの教育=労働移民は,日本においては新しいタイプの移民現象である。すなわち,ウズベキスタンのような中央アジアの国々は,東アジアや東南アジアの国々のように官民交流の長い歴史を有するわけではない。ウズベキスタン人側からしても,移民先としての数ある選択肢のひとつとして日本を選んでいるにすぎない。そして,これらの移住者は,基本的には短期・中期の出稼ぎ移民である。日本は,こうした新しいタイプの労働移民を受け入れる体制を十分に整えているとは言い難い。現在,日本は,特定技能実習制度のもとで12分野(旧14業種)に絞って労働力を受け入れているが,労働力不足に十分に対応しきれているとはいえないだろう。雇用者が日本語学校生を装った留学生を実質的な労働者として迎え入れる土壌が出来上がっているが,このような現状の枠組みは不法労働につながりやすい。実際に,ウズベキスタン人が不法就労者として摘発されるケースも増えてきている。このような短期・中期的な労働移民を適切に受け入れ,日本の労働力不足の解消に貢献させられるような公式・非公式の枠組みを整えることが求められている。そのために,本書は,日本における移民実態を解明するだけでなく,隣国の韓国の移民受入政策と比較するなどしながら,さまざまな示唆を提示している。

第2に,国を超えた移住をもたらす直接的なメカニズムを説明する上で,先発隊やブローカーといった社会ネットワークの役割を具体的に明らかにした点は,既存の移民研究に対する豊かな示唆に溢れている。2000年代に世界的に急増したグローバルな移民活動を扱った研究は,経済学や政治学の分野で増加したが,プッシュ要因やプル要因として,送り出し国と受け入れ国の間での賃金格差や労働の需給格差などの経済構造的な要因が強調されすぎてきた印象がある。また,移民受入政策や語学教育などの政府の政策はしばしば焦点となってきた。一方で,移民の意思決定に直接に影響をもたらすネットワークの役割を分析した研究は緒についたばかりである。ウズベキスタンと日本の関係性をみると,確かに,少子高齢化の進む日本においては労働力不足が危惧される一方で,人口増加率の高いウズベキスタンにおいては労働余剰や雇用不足が大きな課題となっているという構造的要因はあろう。また,日本政府は開発援助の名目で,1990年代からウズベキスタンのような市場移行国に日本語教育支援を実施してきた経緯がある。しかし,これらによっては,なぜほかでもなく2010年代中頃になって,ウズベキスタンからの移住者が急増したのかという直接的な理由は説明できない。教育=労働移民の急増のメカニズムとしては,日本の特殊な制度環境があり,それに対応して成長した先発隊やブローカーの暗躍があり,教育=労働移民を日本に送り込む非公式なチャネルが出来上がった点が重要である。この点を具体的な事例をもって明らかにした本研究は,移民発生のメカニズムにかかわる研究に対して大いに貢献するはずである。

第3に,本書は,移住者の生活実態を明らかにする上で,移住という経験を移住者自身が自らどのように意味づけているのかという主観的な問題に深く迫っている点に,他の移民研究とは一線を画する独自性がみられる。この姿勢は,文化を解釈しようとする人類学的なアプローチに通じるものがあるが,このような考察は,編著者ら自身がウズベキスタンから日本への移住者であるという点から,より説得力をもってなされている。借金を背負って来日した留学生は,借金返済に加えて家族へ送金をするために,法定時間を大幅に超えて労働し,相当に切り詰めた生活を送ることになる。にもかかわらず,インタビュー調査において,ウズベキスタンからの移住者は,現状に対する不満をほとんど口にしない。このパズルはどのように理解されるべきであろうか。本書は,こうした彼らの心理的メカニズムについて,インタビュー調査に基づき,回答者の語りから,「ウズベクらしさ」や宗教的な考え方が作用していることを浮き彫りにしている。

Ⅲ 若干のコメント

次に,評者が本書を読んでいるなかで,やや不足を感じ,さらに詳細に踏み込んでほしいと思った論点について述べたい。

第1に,先発隊やブローカーの役割を示す上で,ウズベキスタン人固有の特徴についてはより掘り下げて示してほしいと感じた。こうしたブローカーをとおして日本語学校の留学生を装った労働移民が増加してきたこと自体は,ウズベキスタンからの移住者特有のことではなく,近年では東南アジア等の他国からの移住者でも生じていることである。そのなかで,ウズベキスタン移民に固有の特徴はあるのだろうか。一つとして,こうしたネットワークの背景に,ウズベキスタン人特有の同郷ネットワークやマハッラと呼ばれる伝統的な地域社会にみられる社会的な繋がりがある点が,本書において指摘されている(56-57ページ)。過去に評者は,フェルガナ渓谷のマハッラにおける現地調査をとおして,マハッラにおけるネットワークが移民の意思決定に深く関与していることを家計調査データに基づくミクロ計量分析から示したことがある[Hiwatari 2016]。このようなネットワークが,日本語学校への入学やさらには移住後の職探し,移住先での生活の相互扶助などにおいても機能し得るという観点は,地域研究としても大変興味深い。移住前と移住後のネットワークの「連続性」や「変化」について,さらに深掘りすることで,地域研究としての深みも増すはずであると思われた。

第2に,本書において提示された「ウズベクらしさ」や移住者の苦境に対する主観的な捉え方は,移民研究にとどまらず,さまざまな方向から検討の余地があると感じられた。一つの発展の方向性は,人々の主観的厚生を扱う幸福度研究であろう。旧社会主義諸国は,全体として,幸福度のスコアが比較的に低いことで知られているが,そのなかでウズベキスタンは,じつは,幸福度スコアが際立って高い。その背景について,評者も,社会的信頼やソーシャル・キャピタルの観点から興味をもって考察を進めてきたが,ウズベキスタン固有の要因について明らかにされたとはいえない[たとえば,Doi and Hiwatari 2023]。本書で「ウズベクらしさ」として挙げられているいくつかの特徴的なものごとの考え方や,「ムソフィール」のようなイスラームの概念が,大きなヒントをもたらすかもしれない。一方で,これらの概念や考え方を用いた社会科学的な研究を展開するのならば,これらがどれほどウズベキスタンの人々に固有のものであるのか,他国との比較などをとおしてより精緻に概念化・分析してゆく必要性も感じられた。

ここで指摘した点は,本書の不足を意味するというよりは,本書で示されたさまざまな論点が移民研究や幸福度研究をはじめとする多様な社会科学分野の研究にさらに発展してゆく可能性を包含していることを示すともいえるだろう。以上のように,本書は,日本の今後の移民社会や移民政策の問題を考える上で極めて有用であるというだけでなく,移民研究や地域研究に携わる多くの研究者が豊かな示唆を得られる内容となっている。その意味で,多くの読者にとって有意義な著書であることは疑い得ない。

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