Journal of Rural Problems
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Haruka Ueda
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2022 Volume 58 Issue 3 Pages 175-176

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はじめに,拙著への書評をいただいたことに深く感謝申し上げたい.評者の山田氏は,2005年の食育基本法成立前から食農教育研究を進めておられた.本書の原型となる博士論文執筆時には,京大地下の図書館にて氏が執筆された書籍をみつけ,時間を忘れて読みふけった思い出がある.この度,書評リプライという機会を生かして,氏と食育に関する議論ができることは大変嬉しく,この度の編集委員会からの素敵なお誘いにも改めて感謝申し上げたい.

拙著については,山田氏以前に3人の先生方からも書評を受けていた(清原昭子『農業と経済』2021年夏号,山田浩子『農業経済研究』93巻3号,大宮めぐみ『フードシステム研究』29巻1号).そこで本稿では,山田氏の提起された論点とあわせて,他三氏に共通する論点もとりあげながらリプライしてみたいと思う.なお,いずれの論点も研究の限界点としてすでに拙著内に明記していたものであり,その点では,評者らの指摘は的を射ている.問題は,これらの限界を後の研究でどう克服するかであるが,これについては拙著執筆後の研究の展開とあわせてリプライしたい.紙幅の制約上,味覚教育内での幼児期の位置付け,直近のCOVID-19の影響に関する山田氏の指摘には別の機会に回答することとしたい.

1. 潜在能力アプローチは食育に応用できるか

第一の論点は,A.センの潜在能力アプローチ(以下CA)と食育との親和性である.山田氏は「CAは貧困をはじめ不平等問題を扱う理論とのイメージであり,食育応用への理解はやや難しい」と述べられている.これは山田氏のみならず多くの研究者が「CA=途上国の貧困・飢餓分析理論」として受容してきた経緯によるところが大きいが,この研究史観には二つの修正が必要である.第一に,CAの源流は社会的選択理論という,多様な個人の「善」をいかに社会的「善」の評価・決定につなげるかの研究にある.そうした民主主義的社会における「善」(well-being)の多様性をどう考えるかが問題の核心であり,CAは「善き食生活(well-eating)」研究にこそ本領発揮できる理論である.センがCAを応用した局面がたまたまインドの貧困・飢餓分析であっただけであり,国外では教育や健康分野などCAは広範な領域で応用されている.対照的に食生活領域では全く応用が進んでおらず,拙著では食育基礎理論として確立させることで一石を投じようとしたわけである.

第二に,これは拙著執筆後に再認識するようになったのだが,もう一人のCA提唱者である哲学者M.ヌスバウムの貢献も正当に評価する必要がある.センはwell-beingの内容を最後まで特定しなかったが,ヌスバウムはこれに果敢に挑戦した.それは「何が正しいか」ではなく(功利主義,義務論),「いかに生きるべきか」を探求する徳倫理の哲学者としての自負があったからであろう.ヌスバウムという第三項を考えることで,CAと徳倫理はより強く結びつき,さらには「徳倫理としての食育」という位置付けが可能になるのである.さらなる詳細は,国内外の食倫理研究の展開とともに論じた拙稿(上田,2022)をご覧いただければ幸いである.

拙著でも述べたように,多様な価値観を前提とする食育を展開するため,個々人の「善き食生活」の内容を探求することが必要となる.嬉しいことに,その後の研究でCAは「善き食生活」の探求に実証的有効性を発揮することが明らかになった.例えば,973名へのアンケート調査から日本市民の「善き食生活」の内容を特定した実証研究では,以下二つの論点にもかかわる興味深い結果が得られた(Ueda, 2022a, 2022b).一つは,日本でも「栄養(バランス・必要摂取・節制)」が主な内容となっており,他の先進国との共通内容が多いことである.これは近年の栄養主義的傾向の表れでもあるが,文化的多様性が現状みられないゆえに食文化的探求をより一層必要とさせる結果となった.もう一つは,食材の新鮮さ・季節・旬(美的自然観)は重視される一方で,そうした食材を供給するフードシステムの視点(客観的自然観)は一切含まれていなかった.

2. 日本食文化に適合した食育とは何か

「今後は日本の文化に適した食育の教授法開発が期待される」という山田氏の指摘は,「日本型の食育の確立を期待する」大宮氏にも共通している.味覚教育の哲学的基礎の探求が,結局フランスでのガストロノミ研究を必要としたように,拙著でいう「日本型の食育」とは食材(教材)を入れ替えたり,既存の学習指導要領との適合性を検討したりというテクニカルな次元のみではなく,食思想や美意識といったもっと食文化の内奥に迫る次元での分析を必要とするものである.これは一朝一夕で成し遂げられるものではないが,まずは「善き食生活」の実証研究でも矛盾が示唆された「日本的自然観」から分析をはじめることとした.アニミズム(古代),仏教(中世),儒教(近世)を経て近代栄養学の受容に至るまでの日本的自然観の系譜をまとめたはよいが(Ueda, 2022c),まだ美的自然観と客観的自然観との大きな溝を埋めることはできておらず,今後の課題である.

3. フードシステムの視点を食育にどう取り込むか

食育でフードシステムをどう教授するかという点は,山田氏のみならず大宮氏の指摘にもあった.執筆後,この課題に取り組み始めて直面したのが,どの概念モデルをどの配分で教えるかである.筆者は農業経済学における経済主体の主体間関係・構造に基づくフードシステム理論に慣れ親しんできたが,実際に食育行政で広く依拠されるのは食生態学的な食環境概念であり,また直近の国連Food System Summitなど国際的には環境への影響も加味したモデルも提案される.限られた食育機会の中で,何をどのバランスで教授するかが今後の検討課題である.

4. 食育の学際的研究とは何か

四人の評者とも拙著を「食育の学際的研究」と位置付けていたが,学際性とはともすれば曖昧な概念にとどまってしまう.あとがきで「農学分野における応用人文社会科学」の研究とも書いたが,これも学際性とほぼ同義である.この機会に,改めて拙著のディシプリン的規定をしておくこととしたい.

第一に,拙著は従来の食育研究における公衆栄養学や社会心理学理論を無視するものでは決してない.教育効果や推進体制の分析には,尺度開発や評価体系設計,ヘルスプロモーション理論などを積極的に援用しており,だからこそ,それだけでは対処することができない理論的課題が見えてきたのである.

そこで,拙著で用いる諸理論の統合的な役割を果たしたのが倫理学である.とりわけCAを通して,先述した徳倫理学の潮流を強く引き継ぐものである.

食倫理研究の中でも徳倫理への着目はあるが,大多数が概説にとどまっており,それを食育という具体的局面で展開したことは拙著の特徴の一つである.

倫理学と並んで「食べ手の社会学」という1980年代のフランスで確立された理論群も重要な役割を果たしている.従来の社会学では見逃されていた食のトータル性(生理-心理-文化的存在)に迫る同学派の理論・実証研究の成果は味覚教育やガストロノミの分析において全面的に応用することができた.

こうして,従来主流であった栄養学と心理学のみならず,倫理学と社会学を統合したことをもって「学際的」な食育研究と評価されるのであれば本望である.なおこの度,こうした理論的枠組みの修正や「日本のガストロノミ」の章を加えた英語版(Ueda, 2022d)の書籍を出版する機会に恵まれた.拙著刊行以後の研究の展開も盛り込んであるので,興味があれば是非手にとっていただければ幸いである.

引用文献
 
© 2022 The Association for Regional Agricultural and Forestry Economics
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