アジア動向年報
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各国・地域の動向
2010年の台湾 新直轄市の誕生とECFAの締結
竹内 孝之池上 寬
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2011 年 2011 巻 p. 153-182

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2010年の台湾 新直轄市の誕生とECFAの締結

概況

2010年は前半に合計7選挙区で立法委員補欠選挙(以下,補選)が,11月に直轄市の市長および議会選挙がそれぞれ行われた。与党国民党は補選で1選挙区での勝利にとどまった。直轄市の選挙では国民党が3市長ポストを獲得したものの,そのうち2市では民進党候補と接戦した末の辛勝となった。また5直轄市議会選挙の総獲得議席数は民進党と同数となり,国民党は苦戦した。今回選挙が行われた直轄市のうち,3市は12月25日に県市の単独あるいは合併による昇格により発足し,また同日に高雄県が既存の直轄市である高雄市と合併した。これは1998年の台湾省の機能廃止に続く,大きな地方制度改革である。

経済では,世界的な景気回復の影響を受け,2010年の実質経済成長率は10.8%となり,1989年以来の2桁成長を達成した。対中経済関係では,6月末に重慶で開催された第5回江陳会談で経済協力枠組協議(ECFA)に合意し,調印が行われた。2011年1月1日より中台合わせて806品目の関税引き下げが開始された。

対外関係ではECFA締結など中国との関係改善が継続された。これに伴い,シンガポールとも経済協力パートナーシップ協定について交渉開始の目処がたった。また,香港とは双方に交渉窓口機関が設置された。さらに,2009年同様,世界保健機関(WHO)総会へのオブザーバー参加も実現した。一方,日本との関係では防空識別圏の変更や尖閣諸島問題をめぐる摩擦も見られた。

国内政治

立法委員補欠選挙

1月9日,桃園県2区,台中県3区,台東県全県区の3選挙区で補選が行われた。いずれの選挙区でも前職は国民党に所属していたが,今回は民進党候補が全勝した。桃園県2区,台中県3区の補選は,前職が選挙違反で有罪が確定して失職したことによるものであった。そのため,所属政党である国民党への批判から,民進党が勝利した。一方,台東県では前職が2009年の台東県長選挙出馬のため辞職したものであるが,国民党は鄺麗貞前台東県長を今回の補選で擁立した。彼女は選挙違反で失職した呉俊立元台東県長の妻(形式上は離婚済み)で,2006年の同県長選挙に事実上夫の代理として出馬し,当選した。しかし,頻繁に海外視察を行い,とくに2008年には同県が台風被害に遭った時も海外視察に出ていた。このことが問題視され,2009年県長選挙では国民党の公認を得られず,出馬を見送った。鄺前県長は今回の補選において党公認を得たものの,当選には至らなかった。

2月27日には桃園県3区,新竹県全県区,嘉義県2区,花蓮県全県区の4選挙区で補選が行われた。前職の所属政党は嘉義県2区のみ民進党,ほかの3選挙区が国民党であった。いずれの前職も2009年の県長選挙において出馬あるいは当選したため,辞任した。1月9日の補選と異なり,国民党の前職や候補者の資質には大きな問題がなかった。しかし,結果的には民進党が花蓮県を除く3選挙区で勝利した。

7選挙区における補選の結果をまとめると,民進党6勝,国民党1勝となった。台東県と花蓮県は従来,民進党の勢力が非常に弱い地域であったにもかかわらず,民進党は台東県で勝利し,花蓮県では敗北したものの惜敗率は84%と善戦した。これは国民党の支持が大きく後退したことを示す結果であった。

度重なる政府要職の人事異動

(1)総統府

2月11日,蘇起国家安全会議(以下,国安会)秘書長が辞任した。表向きの理由は任務が達成されたことと,プライベートを充実させるためとされた。しかし,蘇秘書長はさまざまな問題で批判を浴びていたことから,実際には馬英九政権に対する世論の批判を緩和させるためだと考えられる。また,蘇秘書長は2009年の台風被害直後に外国からの支援を断った張本人ではないかと疑念を向けられていた。さらに,立法委員がアメリカ産牛肉危険部位の輸入解禁を阻止するため食品衛生法の改正に動いた際,蘇秘書長は「アメリカとの合意は国内法に優先する」と発言して同法改正の動きを牽制し,世論の反感を招いた。野党が反発しているECFAの旗振り役が蘇秘書長であったことも辞任の要因であった。

後任には,外交官出身の胡為真元駐シンガポール代表が就任した。胡秘書長も蘇前秘書長と同様外省人であり,思想的にはより保守的とされる。彼の父は蒋介石の側近だった胡宗南将軍である。彼自身も,2007年に陳水扁政権による蒋介石批判や「台湾正名」(公共施設や公営企業の名称変更)などの「脱中国化」政策を公然と批判し,駐シンガポール代表を解任された。総統府秘書長の交代は,馬政権の方針転換を意味しない。

また,12月15日には林満紅国史館長が辞任し,在職期間が最短の国史館長となった。国史館は2011年が中華民国建国100周年であることを記念し,「民国百人」という中華民国の偉人100人を選ぶウェブ投票を実施した。その際,国史館は中華民国の統治機構が1949年に中国から台湾に移転してきた経緯を考慮せず,時代や地理など条件を設定しなかった。そのため,鄧小平(軍事部門で1位)や毛沢東(政治部門で3位)など中国の人物が上位に入った。12月8日,国民党の周守訓立法委員は立法院国防委員会でこの問題を指摘した。与党だけでなく,野党からもさまざまな批判が噴き出した。これは,独裁や弾圧を行った中華民国や国民党の要人に対する反感が本省人に残っているためである。「民国百人」の企画は急遽中止された。事態を重く見た馬総統の意向もあり,林館長は辞任を余儀なくされた。馬総統は暫定的に劉宝貴総統府副秘書長を国史館長代理とした。

(2)行政院

行政院では意見対立から,閣僚2人の進退問題が発生した。まず,3月8日に楊志良衛生署長が辞意を表明した。原因は,楊署長が健康保険料の値上げを主張したものの,呉敦義行政院院長が世論の反発を恐れて反対したことにある。しかし,台湾でも社会保険の財政は逼迫している。それにもかかわらず「政治家は選挙のことばかり考え,政策の専門性を無視している」と,楊署長は馬総統や呉院長を公然と非難した。イメージ低下を恐れた馬総統と呉院長は健康保険料の値上げに応じ,楊署長も17日に辞意を撤回した。

3月9日には,王清峰法務部長が「私の在職中は死刑を執行しない。そのために更迭されても構わない」と発言した。台湾では陳政権,馬政権とも死刑廃止に前向きで,過去4年間,死刑執行を見送ってきた。王部長も3月2日に「死刑廃止は既定路線だ」と述べたが,実際は法改正の遅れに不満を持っていたようである。9日の王部長発言には,犯罪被害者やその遺族のほか,法曹界,江宜樺内政部長など政権内部からも「法制度を歪める」との批判が出た。しかし,自説を堅持した王部長は11日深夜に辞意を表明し,呉行政院院長も了承した。その後,黄世銘法務部政務次長が法務部長の職権を代行し,22日に曽勇夫検察総長代行が法務部長に就任した。

5月12日には,朱立倫行政院副院長が新北市長選挙(後述)出馬のため,辞任した。その後任には陳沖金融監督管理委員会(以下,金管会)主任委員が就任した。後任の金管会主任委員には陳裕璋第一金融持株会社会長が就任した。

賴浩敏中央選挙委員会主任委員が司法院院長に就任したため(後述),呉行政院院長は10月25日に張博雅総統府資政(上級顧問)をその後任に指名し,11月12日に立法院で承認された。

汚職問題と法務部廉政署の設置

7月13日,台湾高等法院裁判官の汚職疑惑が公になった。5月12日に台湾高等法院は,何智輝元苗栗県長および元立法委員の汚職事件に関するやり直し1審で無罪判決を下した。しかし,審理に当たった裁判官は何智輝に買収されていたことが,最高検察と台北地方検察の特捜部の捜査で明らかになった。この問題を受けて,7月16日に黄水通高等法院院長が辞意を表明した。さらに,賴英照司法院院長も「(自分にも)政治的責任がある」と述べ,17日に馬総統に辞表を提出し,18日に受理された。

このほかにも,6月には台中市で警察官と暴力団員が会食をしていたことが問題となった。また,7月には屏東県議会で林清都議長を含む議員8人が汚職容疑で起訴されるなど不祥事が絶えなかった。

そこで,馬総統は7月20日,法務部に汚職取り締まりを専門に行う廉政署を設置する方針を明らかにした。ただし,法務部には既に調査局があり,機能が重複するとの指摘もある。また,監察院も不正の調査や告発を行う機関であり,その地位は行政院や国会である立法院と同格である。これらの機関との整合性については,課題が残っている。

司法院人事

司法院では頼前院長が辞任後も大法官にとどまり,謝在全副院長が院長代理を務めた。馬総統はすぐに次期正副院長人事の検討に入った。当初は蘇永欽政治大学法律系教授(元国家通信伝播委員会主任委員)が院長に指名されるとの観測もあった。これは,彼が蘇起前国安会秘書長の実弟で,馬総統の大学時代の級友だったためである。しかし,この人選は野党からの批判を招く要因となった。

結局,馬英九総統は8月24日に,政治的に中立的とされる弁護士出身の賴中央選挙委員会主任委員を院長に,蘇永欽を副院長に指名すると発表した。最近の事例をみると司法院正副院長ともに大法官の経験がない人物が抜擢されることは異例であった。10月8日,立法院において審議が行われ,民進党が反対したものの,国民党の多数が賛成したため,この人事は承認された。同13日,新正副院長が就任し,前院長の頼大法官と謝副院長は退任した。

陳水扁前総統の汚職容疑に関する裁判

陳前総統や呉淑珍同夫人らは複数の刑事訴追を受けている。そのうち,外交費横領容疑では6月8日に台北地方法院(台北地裁)が無罪の1審判決を下した。

「国務機要費」(総統の交際費や機密費)横領容疑では,6月11日に台湾高等法院(台湾高裁)が不正経理で捻出された資金の一部も外交工作に用いられたと認め,横領額を1億元から1500万元に減らし,懲役20年(1審では無期)に減刑する2審判決を下した。

第2次金融改革をめぐる汚職容疑では,11月5日に台北地裁が無罪の1審判決を下したが,呉行政院院長や馬総統は総統の権限を過小評価したと同判決を批判した。同29日,台湾高裁は同事件の審理を台北地裁に差し戻した。

11月11日,最高法院(最高裁)は陳前総統と同夫人に桃園県の龍潭サイエンスパーク用地買収をめぐる汚職容疑につき懲役11年と罰金各1億5000万元,台北101会長ポストをめぐる口利き容疑につき懲役8年と罰金各500万元の3審判決を下して有罪が確定した。なお,国務機要費横領容疑の審理は台湾高裁に差し戻された。

正副総統経験者は退任後も年金のほか,オフィスの賃貸費や事務スタッフの人件費を受け取り,国家安全局による警護を受けるなどの特典を享受する。しかし,陳前総統は最高裁で一部容疑の有罪が確定したため,これらの特典を失った。また,陳前総統は12月2日に台北刑務所に収監された。なお,同様に有罪が確定した呉夫人は障害者で,体調も悪いため,年内の収監が見送られた。

民進党の動向

馬政権への支持が低迷するなか,民進党の蔡英文主席は2012年に予定されている総統選挙での政権奪還を意識し始めた。2010年1月1日,蔡主席は党内で政策議論を行ったうえで,中期的政策綱領として「10年政綱」を策定し,民進党の最高議決機関である全国代表大会に諮る方針を明らかにした。これには,民進党が陳前総統のようにアイデンティティや独立路線のみを強調するのではなく,現実的な政策を重視する姿勢に改めたことを有権者に対して印象づける目論見があると考えられる。しかし,「10年政綱」は,必ずしもマニフェストのように具体的な目標や計画を掲げるものではない。「10年政綱」のうち,エスニシティ,ジェンダー,教育,持続的農業は8月から10月にかけて草案が発表された。しかし,外交や経済など主要な分野についてはシンポジウムを開催し,議論を行うにとどまった。

5月23日には,民進党主席選挙が行われた。同選挙には蔡主席のほか,尤清元台北県長が立候補した。投票の結果,蔡主席が7万8244票を獲得し,90.27%の得票率で圧勝した。とはいえ,蔡主席の党内におけるリーダーシップが十分に確立されたとはいいにくい。民進党は「台湾は主権国家であるべき」との立場から,ECFAの締結を含む馬政権の対中国政策に対して「台湾の地位を貶める」と批判してきた(「対外関係」を参照)。しかし,蔡主席は5月3日に行われたシンポジウムで「互恵,平和,対等を条件に中国と交渉しても良い」と述べるにとどまり,民進党が政権に就いた場合,中国との交渉方法やECFAの扱いをどうするかについては言及しなかった。こうした問題は党内の急進独立派と穏健派の対立を招きやすいため,蔡主席も自身の考えを表明するのを躊躇していると考えられる。

新直轄市の発足と地方制度法の改正

内政部および行政院は,2009年に台北県による単独での直轄市昇格,台中市と台中県の合併による昇格,台南市と台南県の合併による昇格,既存の直轄市である高雄市と高雄県の合併を承認した。直轄市は省と同格の地方行政区画で,直轄市長は閣僚級であり,行政院会議(閣議)に出席する資格を持つ。

新直轄市は12月25日に成立し,直轄市は合わせて5つとなった。これにより,1998年の機能廃止後も形式上存続している台湾省の版図は大幅に削がれ,台湾の全人口の約6割は直轄市に居住することとなった。合併により成立した直轄市のうち,台中市のみが新政府庁舎を建設した。一方,台南市と高雄市は旧県市政府庁舎を「市政中心」(市政センター)あるいは「行政中心」と呼称し,継続して使用している。

また,台北県は昇格に伴い,「新北市」に改称された。行政院は当初,新北市の英文名称をXinbei Cityとしたもの,市長選挙後に朱新市長(この時点では未就任)の主張を受け入れNew Taipei Cityに改めた。ほかの新直轄市の名称は「台中市」,「台南市」,「高雄市」とされた。ただし,「高雄市」を含め,いずれも同名の旧市が県を吸収し,存続するのではなく,全くの「新設」とされた。なお,2009年の審査で直轄市昇格が承認されなかった桃園県は,6月7日に人口200万人を突破したため,2011年1月1日より財政上,直轄市に準じて扱われている。

新直轄市の発足に先立ち,2010年1月に地方制度法が改正され,県市から直轄市へ移行するための詳細事項が決められた。県の下には郷・鎮・県轄市があり,これらは地方自治体である。そのため,首長(郷・鎮・市長)と議会組織(郷・鎮・市民代表会)は選挙で選ばれてきた。しかし,昇格後,郷・鎮・県轄市は直轄市の出先機関である「区」に移行した。これに伴い,区長は市長の任命とされ,議会組織は廃止された。ただし,今回の法改正では,県から直轄市に移行する場合,郷鎮市長は区長に,郷鎮市民代表は連続2期務めていない場合のみ区政諮詢委員に転任することとされた。

5直轄市の市長,議会選挙

直轄市の市長,議会選挙が11月27日に行われた。この選挙は馬政権にとって,2009年県市長選挙と並ぶ事実上の中間選挙であった。このため,国民党,民進党とも党幹部や閣僚経験者など重量級の候補を擁立した。選挙結果は国民党が台北,新北,台中の3市長ポストを守り,民進党も高雄,台南の2市長ポストを維持するにとどまった(表1)。

新北市では蔡英文民進党主席と行政院副院長を辞任した朱国民党副主席が接戦を繰り広げた。国民党の現職であった周錫瑋台北県長は支持率が低迷していたため,党内予備選の段階で立候補を断念した。民進党では,台北県長の経験がある蘇貞昌元行政院院長に新北市長選挙への出馬を望む声もあった。しかし,蘇貞昌はあえて外省人有権者が多く民進党に不利な台北市市長選挙に出馬した。台北市では国民党の現職で外省人でもある郝龍斌市長が有利と見られていた。しかし,8月に台北市政府の汚職問題が発覚し,副市長や市政府秘書長が取り調べを受け,辞任に追い込まれた。このため,選挙戦後半の世論調査では蘇貞昌候補への支持が郝候補に迫った。

投票日前日の11月26日,国民党の連勝文中央常務委員(連戦国民党名誉主席の長男)が陳鴻源台北市議員の選挙応援中に銃撃を受け,また,その流れ弾で参加者1人が死亡する事件が起きた。犯人は陳議員を狙ったものの,連常務委員を誤って襲ったと供述した。しかし,2004年総統選挙における陳水扁,呂秀蓮正副総統への銃撃と同様,政党関係者や選挙賭博の胴元の関与も疑われた。結局,台北市では郝候補が大差で,新北市では朱候補が僅差で勝利した。

一方,合併で誕生した3市では,いずれも旧県・市の現職首長が同じ政党の所属であった。このため,新しい直轄市でも旧県市長の所属政党の候補が当選すると予想されていた。台南市では許添財(旧)台南市長と蘇煥智台南県長が民進党に所属していたが,頼清徳立法委員が同党の公認を得た。高雄市では陳菊(旧)高雄市長が民進党の公認を得た。これを不服とした楊秋興高雄県長は8月9日に民進党を離れ,高雄市長選挙に出馬したが,民進党の支持票は割れなかった。むしろ,楊候補は国民党支持層を切り崩し,国民党の黄昭順候補は陳,楊両候補に次ぐ3位に甘んじた。台中市では国民党の胡志強(旧)台中市長が優勢と見られていた。同党の黄仲生台中県長は自ら引退を選び,胡候補を支持した。胡候補は当選を果たしたものの,開票結果を見ると民進党の蘇嘉全候補に僅差に迫られていた。

このように国民党は3勝2敗で馬政権の面目を保った。しかし,5市長選挙の合計得票数では民進党を下回った。また,5市議会議員選挙における両党の合計獲得議席数は同数であり,台南市と高雄市両議会では民進党が初めて第一党となった(表2)。とくに台南市議会では民進党が過半数を占め,正副議長を選出した。台北市議会,高雄市議会では民進党から副議長が選出され,国民党は議長しか選出できなかった。台中市では議長が無所属,副議長が国民党から選出された。国民党が正副議長とも選出できたのは新北市のみであった。

表1  直轄市長選挙における主要候補の得票数,得票率

(出所) 中央選挙委員会ウェブサイト(http://www.cec.gov.tw)。

 

表2  直轄市議会選挙における政党別獲得議席数,得票率

(出所) 表1と同じ。

(竹内)

経済

マクロ経済の概況

2010年の実質経済成長率は10.8%であり,2年ぶりのプラス成長となるとともに,2004年の6.19%を超える高成長となった。また,10%を超える成長率は1989年以来,21年ぶりのことであった。四半期ごとの成長率は,第1四半期13.6%,第2四半期12.9%,第3四半期10.7%,第4四半期6.9%であった。この高成長の要因は輸出が25.6%,民間投資が32.8%とそれぞれ1987年,1965年以来の大幅成長したことによる。この背景には世界経済が2008年のリーマン・ショックから立ち直ったことによって,電子製品,コンピューター,通信製品の輸出や投資が好調であったことが挙げられる。また,企業の景気回復は雇用の改善と給与所得の上昇をもたらした。その結果が民間消費にも波及し,この6年でもっとも高い3.7%増加したことも高成長を支える要因になった。

貿易については,輸出が2746億ドル,輸入が2514億ドルであり,前年よりそれぞれ34.8%,44.2%と大きく増加した。相手先上位3カ国・地域は,輸出では中国,香港,アメリカで前年と変わらなかった一方,輸入では日本,中国,アメリカとなり,中国からの輸入が初めてアメリカを上回ることになった。貿易総額に占める中国の割合は前年の20.8%から21.5%と微増であったが,総額では1129億ドルとなり,初めて1000億ドルの大台に乗せた。

2010年の中国を除く対外直接投資は,承認ベースで247件,28億2345万ドルであり,前年より件数で4件,金額で1億8000万ドル余り減少した。一方,対中直接投資は承認ベースで914件,146億1787万ドルであり,前年より件数で324件,金額で74億7500万ドル余り増加した。このうち,製造業が件数で63%,金額で74.2%を占め,旺盛な投資が行われた。また,金融部門はECFAの締結もあって,前年の10倍以上投資額が増加した。

消費者物価の上昇率は0.96%であった。このうち,サービス類は0.31%,商品類は1.78%それぞれ上昇した。農産物を除いた商品類の物価上昇率は1.03%,さらに水産物とエネルギーを除くと0.44%であった。つまり,食料品とエネルギーにおける価格上昇が消費者物価の上昇に直結した。なお,失業率は前年の5.85%を若干下回る5.21%であったが,2年続けて5%以上であった。

中国とのECFAの締結と経済関係

2010年,中国との経済関係は大きな節目を迎えることになった。それは,中国とのECFAが締結されたことである。このECFAは6月29日に重慶で開催された第5回江陳会談(「対外関係」を参照)で調印したものである。これによって,中国側の539品目,台湾側の267品目がアーリーハーベスト(先行実施項目)として,ゼロ関税を適用されることになった。関税引き下げは2011年1月1日より3段階に分けられて行われ,2013年1月1日からは対象となった全品目でゼロ関税が適用される予定である。アーリーハーベストが輸入金額に占める割合は,中国側は16.1%の138億4000万ドル,台湾側は10.5%の28億6000万ドルになる。中国側が譲歩した形になっていると言えよう。さらに,今後10年以内には,今回アーリーハーベストに適用された品目以外のすべての品目で関税がゼロになる予定である。

また,サービス分野でもアーリーハーベストが合意され,中国側が銀行や保険などの金融部門を中心に11項目,台湾側が研究開発サービスや銀行など8項目が開放することになった。このなかでも銀行業務に関しては,中国側は台湾系銀行に対して事務所設立から1年で支店昇格,支店昇格から1年が経過し,かつ単年度の利益計上で人民元を取り扱うことを認めた。一方,台湾側は中国系銀行に対して事務所設置から1年で支店昇格および台湾元取り扱いを認めることにした。

ECFAは台湾がその締結を急いだといわれている。その背景には,2010年1月に中国とASEAN間の自由貿易協定(FTA)が完全発効したことが挙げられる。この完全発効によって,台湾の輸出に影響が出るとの認識が締結を急がせたといえる。台湾はこれまで国交を持つパナマなどの中南米5カ国とFTAを締結してきた。しかし,貿易に占める割合は非常に小さく,その効果はほとんどなかったといってよい。今回の締結は,中台分断後初めての包括的経済協定でもある。この締結で中台関係は新たな時代に入ったともいえる。

また,第5回江陳会談では知的財産権保護協定についても合意し,調印した。その内容は平等互恵原則にもとづいて,特許,商標,著作権および植物品種権などの強化をうたった。そのために,知的財産権の保護における交流,協力や協議を通じて関係する問題の解決を図り,中台における知的財産権の管理および保護を行うこととなった。

しかしながら,これらの合意があった一方で,2010年は中台経済交渉に限界が見えた年でもあった。12月21日には台北で第6回江陳会談が行われ,当初調印が予定されていた投資保護協議は次回以降の江陳会談に先送りになったのである。この協議は企業が進出先で不利な扱いを受けないようにするために締結するものであり,中国に進出している台湾系企業が調印を強く要望していたものであった。しかし,投資でトラブルが発生した際の仲裁制度の取り扱いについて中台が歩み寄ることができず,先送りになった。第6回江陳会談では医薬衛生協力協議にのみに調印し,伝染病予防,医薬品の安全管理・研究開発,漢方薬に関する研究と交流および漢方薬原料の安全管理,緊急応急措置などについて合意した。この会談では,ECFAの実務を行うための経済協力委員会をいつ設置するかを決定できなかった。結局,経済協力委員会は2011年1月に設置されたが,ECFA開始後の体制について不安を残すことになった。

鴻海グループの中国工場での自殺騒動と企業拡大

中台経済関係がさらに進展し,台湾系企業の中国への積極的な投資が行われている一方で,中国で企業活動を行っている台湾系企業にとっては大きな試練もあった。EMS(電子製品の製造受託サービス)分野で世界トップのシェアを誇り,台湾を代表する企業のひとつである鴻海精密工業グループでの騒動がその典型例であった。同グループの中国での子会社である富士康科技集団(フォックスコン)では,中国人労働者の自殺が相次いでいることが5月に明らかになり,グループでその対応に追われることになった。5月26日には鴻海精密工業グループの郭台銘董事長が記者会見を行い,自殺問題について謝罪した。また,鴻海精密工業はグループ会社を含めて顧客との守秘義務によって,これまで生産ラインなど工場や現場を一切公開してこなかった。しかし,この事件を受けて,中国,香港,台湾などのマスコミ関係者200人に初めて深圳の龍華工場を公開した。

富士康科技集団はアップル社のiPhoneやiPadといった携帯電話や携帯端末,任天堂のWiiやソニーのPlayStationといったゲーム機など大手メーカー製品の生産を受託している。そのため,この問題を重く見たアップル社,HP社などの一部委託企業の幹部が5月28日に労働環境の調査を実施した。その前日には中国政府も調査チームを派遣した。このように,富士康の労働者の相次ぐ自殺は台湾企業の中国での経営の難しさを露呈することになった。

この問題に対処するため,富士康は賃金水準を上げることとした。6月1日から全労働者の賃金の30%引き上げを実施するとともに,6月6日には一部労働者に対して10月1日から67%の賃上げを実施することを発表した。つまり,1週間で2回の賃上げを決定し,一部労働者とはいえ,基本給が当初の2倍になった。この賃上げは単に今働いている労働者に報いるための賃上げではなく,人材流出を防ぐために実施されたとも言われている。また,深圳の工場を縮小し,生産の一部を河南省や天津市に移転させて新工場を建設する,あるいは台湾へ一部生産を戻すといった計画が報道されたが,結局2010年には大きな動きにはならなかった。

自殺騒動という問題こそあったが,2010年の鴻海精密工業は順調に拡大した。とくに,8月の売上高は2148億元となり,台湾における民間企業では初めて月間2000億元を突破した。これは世界経済の回復で,委託製品への需要が高まったことによって受注が拡大した結果であった。また,12月末には日立製作所の子会社である日立ディスプレイズが実施する第三者割当増資を引き受けることで同社を買収し,経営権を掌握することになったと報道された。この背景には,日立ディスプレイズがアップル社向けの製品に必要な技術を持っているため,買収することで技術を獲得し,垂直統合して拡大することがあると言われている。2009年の奇美電子の買収に続く今回の買収によって,鴻海精密工業は今後も委託製造企業としての地位を固めることになったと言えよう。

羽田=台北松山間の国際定期便就航

2009年12月,日本側の財団法人交流協会と台湾側の亜東関係協会は,2010年秋の羽田空港の新国際線ターミナル開業に合わせ,羽田=台北松山間の定期路線を開設することで合意した。その結果,日本側の日本航空,全日空,台湾側の中華航空,エバー航空の4社が毎日各2便(往復)運航することになり,10月31日に就航した。

台北松山空港は桃園国際空港開港後には国内線専用空港として使用されてきたが,2008年12月の両岸定期便の直航開始によって上海など一部の中国都市との定期路線が就航した。羽田への路線開設はそれ以来の国際線の開設である。全日空とエバー航空はエバー航空が日本乗り入れを始めた当時から一部路線で共同運航便を実施していたが,今回の路線開設にあたり,日本航空と中華航空も羽田=台北松山間に限って共同運航便を開始した。この就航によって,日本,台湾とも市街に近い路線が開設された。そのため,今後多くの乗客が成田=桃園線から羽田=松山線にシフトすると考えられる。

(池上)

対外関係

中国との関係

台湾と中国は2009年より水面下でECFAについて交渉していたが,2010年には4回の正式交渉(1月26日[北京],3月31日~4月1日[桃園],6月13日[北京],6月23~24日[台北])を行った。

この間,野党の民進党や台湾団結連盟は農業や従来型製造業への打撃,中国人労働者の流入を懸念し,ECFAに反対した。またECFAが批准なしで発効する「両岸協議」であるため,野党が「立法院では十分に審査されない」と指摘し,その是非を問う公民投票(レファレンダム)の実施を求め,署名活動やデモ集会を行った。一方,馬政権はECFAがFTAの早期実施にすぎず,台湾に有利な内容のみを盛り込み,中国人労働者を導入しないと説明し,その締結後には他国とのFTA締結が容易になるなどのメリットを説いた。1月9日には馬英九総統自らがECFAに関する会見を行い,国内各地でも説明会が開催された。中国側も2月27日に温家宝首相が「(ECFAでは)台湾に利益を譲る」と発言し,3月30日にも王毅国務院台湾事務弁公室主任が同様の発言を行い,さらにECFA締結後には「ひとつの中国」原則の遵守を条件に台湾とほかの国によるFTA締結を容認する姿勢を見せた。

6月29日,双方の窓口機関のトップである台湾の江丙坤海峡基金会(以下,海基会)理事長と中国の陳雲林海峡関係協会会長による第5回江陳会談が重慶で開催され,知的財産権保護協議とともにECFAの合意文書が締結された。8月17日には立法院においてECFAの審議が終了した。両岸協議は条約と違い,立法院が拒否しなければ批准なしで発効する。民進党は条項ごとに修正を提案し,審議を引き延ばしたが,多数議席を握る与党国民党によって否決された。そして,9月12日にECFAが発効した。同日,台湾の経済部と中国の商務部はECFAの英訳版を発表した。ECFA英文名称には,諸外国の間で締結されるFTAと同様に「協定」(agreement)が用いられることが確認された。それまで野党には香港と中国の間で締結された経済貿易緊密化取り決め(CEPA)と同様,「取り決め」(arrangement)がECFAにも用いられるのではないかとの懸念があった。CEPAは「一国二制度」の下にある中国の中央政府とその地方政府である香港特別行政区の間で締結されたものである。仮にECFAで「取り決め」が用いられれば,台湾の地位が香港と同じく,中国の一部と認めたことになると,野党は懸念していた。12月21日には,第6回江陳会談が台北で行われ,医薬衛生協力協議の合意文書が締結された。しかし,投資保護協議については第6回江陳会談までに合意できず,調印が見送られた。

このほか,中国は台湾向けの弾道ミサイルの撤去を示唆し,馬政権を政治協議に誘う姿勢を見せた。ただし,中国側の言う撤去とは完全な廃棄ではなく,台湾を照準から外すことや,ミサイルを別の場所に保管することを指す。つまり,ミサイルは一度撤去されても,再配備される可能性が残る。馬総統は経済協議の後に政治協議を行う可能性を否定していないが,その時期については明言を避けた。

香港との関係

馬政権による中国との関係改善により,台湾と香港の関係も活発化している。3月27日には香港の初代行政長官だった董建華(中国)全国政治協商会議副主席が来訪した。私的な訪問とされたが,来訪した中国要人としては最高位にあたる。また,中国外交部駐香港特派員公署の職員が随伴し,連戦国民党名誉主席(30日)や江海基会理事長(31日)とも会談した。このため,董副主席の来訪は台湾と香港の関係事務に関する交渉などの任務を帯びていた可能性がある。

4月1日,香港政府は台湾との窓口機関である「港台経済文化合作協進会」(以下,協進会)を発足させた。曽蔭権行政長官は協進会の名誉主席に曽俊華財政司司長,主席に李業広行政会議非公式メンバー(中国語では「非官守成員」),常務副主席に林瑞麟政制内地事務局長を任命した。香港の対外関係事務は政制内地事務局の管轄であることから,林常務副主席が同会の運営にあたると考えられる。

台湾側では5月26日に,「台港経済文化合作策進会」(以下,策進会)が発足した。中国との交渉窓口機関である海基会と同様,大陸委員会から委託を受け,香港側との関係事務にあたる。策進会理事長には林振国元財政部長が,副理事長には高長大陸委員会副主任委員が,秘書長には朱曦大陸委員会港澳(香港,マカオ)処長がそれぞれ就任した。

なお,台湾は駐在機関として香港に「中華旅行社」(台湾政府内では,大陸委員会香港事務局)などを設置しているが,香港は台湾に駐在機関を設置していない。6月4日から5日にかけ,台湾の賴幸媛大陸委員会主任委員が香港を訪問した。賴主任委員は帰国後,香港側に台湾に駐在機関を設置する希望があることと,双方のビザなし渡航を推進する意向を明らかにした。

シンガポールとの関係

8月5日,台湾側の駐シンガポール台北代表処とシンガポール駐台北商務弁事処が共同で,FTAに相当する「経済協力協定」の実現性を検討することで合意したとのプレスリリースを発表した。シンガポールは馬政権にとって中国を除き,FTA交渉相手として最有力候補であった。シンガポール側も馬政権の発足前から,台湾とのFTAを示唆していた。このタイミングで公表された背景には,同月に立法院でECFAに対する審議が予定されていたこと,馬政権がECFA締結の外交的メリットを示す必要に迫られていたことが挙げられる。

12月15日には,やはり駐シンガポール台北代表処とシンガポール駐台北商務弁事処が共同で,FTAの正式交渉を行うことを発表した。このFTAの正式名称は「シンガポールと台湾,澎湖,金門,馬祖独立関税領域経済パートナーシップ協議」である。中国語では「協議」であるが,英語では協定(agreement)とされた。これはECFAと同様であり,台湾に対して「ひとつの中国」原則の遵守とその枠内でのFTA締結を求める中国側にも一定の配慮を示すものとなった。

アメリカとの関係

2009年に台湾はアメリカ産牛肉危険部位の輸入解禁でアメリカと合意した。しかし,台湾では与党国民党の立法委員からも,安全性を危惧する声が上がった。2010年1月5日,立法院では食品衛生管理法第11条の改正が可決され,最近10年以内にBSE(牛海綿状脳症)が発生した地域で成育された牛について危険部位の輸入を禁止することとし,事実上アメリカとの合意を縮小した。アメリカ在台湾協会(AIT),通商代表部や農務省は,この法改正を台湾側による一方的な合意の破棄であると強く非難した。馬政権には今回の輸入解禁を契機に,アメリカとの貿易投資枠組み協定(TIFA)にもとづく協議を進め,FTA交渉につなげたいとの思惑があった。9月末に2010年中のTIFA会合の開催で合意したと発表されたものの,実現には至らなかった。

アメリカ国防総省は1月29日に,台湾に対する総額約64億ドルの武器供与を議会に通知したことを発表した。これにはUH-60ブラックホーク汎用ヘリコプター60機,パトリオットPAC-3ミサイル迎撃システム114基,ハープーン対艦ミサイル12基,オスプレイ級掃海艇2隻,「博勝」指揮統制システム用機材60セットが含まれる。今回の武器供与はオバマ政権として初めてであるが,ブッシュ前政権による2008年の武器供与に並ぶ大規模なものとなった。また,アメリカ国防総省はAH-64Dアパッチロングボウ戦闘ヘリコプター31機を台湾に供与すると11月8日に発表した。しかし,長年の懸案である通常動力潜水艦や,増強される中国空軍に対抗するため台湾が近年強く求めているF-16C/D戦闘機の供与については進展がなかった。

馬総統は1月に中米のホンジュラス,ドミニカ訪問の際,往路でサンフランシスコ(25~26日),帰路でロサンゼルス(28~29日)に1泊し,3月の太平洋6カ国訪問の際もグアムに寄航(26日)したが,ぞれぞれの寄港地においてレイモンド・バーグハートAIT理事長の出迎えを受けた。さらに6月3日にも来訪したバーグハートAIT理事長と会談した。会談では馬総統がアメリカとのFTA締結,潜水艦および戦闘機などの供与の実現を求めた。

日本との関係

1月4日,2009年末に辞任した斎藤正樹交流協会台北事務所代表の後任として,今井正・元マレーシア大使が任命され,1月20日に着任した。1月14日には訪日中の江海基会理事長が馬英九総統から鳩山首相への親書を日本側に渡したと述べた。4月には交流協会と台湾側の亜東関係協会の間で「交流と協力の強化に関する覚書」が取り交わされた。双方の間には1972年に取り交わした「在外事務所相互設置に関する取決」があったが,同第3条は双方の在外事務所の活動内容を制限する文言を含んでいた。実際は双方の活動や交流が拡大しつつあり,今回の覚書は実態を追認したものである。10月には羽田空港と台北松山空港の間で直航便の運航が開始された。4月には麻生太郎,10月には安倍晋三,12月には森喜朗ら歴代の首相経験者が来訪し,うち麻生,安倍元首相は馬総統とも面会した。

こうした関係緊密化の一方で,摩擦も見られた。日本は6月25日に沖縄県与那国島上空の防空識別圏の範囲を西側に拡大した。従来の防空識別圏は沖縄返還前に米軍が設置したものを引き継いでいたが,同島上空のうち西側の空域は防空識別圏に入っていなかった。同島上空の西側は日本領空であるにもかかわらず,台湾(沖縄返還当時は在台湾米軍)の防空識別圏に入っていたものの,現在は台湾側も同島上空を外して運用していると見られていた。そこで,日本側は台湾側に通告したうえで,同島上の領空西側の一部とその外側2海里へ防空識別圏を拡大することとした。しかし,台湾の外交部は5月29日に「日本からの説明がなく,この措置も受け入れられない」との抗議声明を発表し,6月24日にも同様の声明を再度出した。

9月には尖閣諸島沖で中国漁船による日本巡視船への衝突事件が発生した。同事件に際して,台湾の沈呂巡外交部政務次長(次官)は同月13日に日本の今井代表を呼び出して同諸島の領有権を主張した。14日には台湾の漁船が日本への抗議活動のため尖閣諸島沖の日本領海を侵犯しようとしたが,日本の巡視船に阻止された。台湾側は海岸巡防署所属の巡視船がこの漁船を日本領海付近まで護衛し,また外交部が日本側の対応に抗議する声明を出した。さらに日米外相会談とASEM(アジア欧州会合)首脳会議に合わせ,27日に外交部,10月5日に総統府が尖閣諸島の領有権を主張する声明を出した。この間,外交部が主催した会見では,台湾が中国ではなく,日本にばかり抗議することに日本人記者が疑問を呈した。外交部報道官は「魚釣台(台湾側での尖閣諸島の呼称)は中華民国の領土」とのみ主張し,正面からの返答を避けた。しかし,10月27日の立法院司法法制委員会において,民進党の李俊毅委員が同様の質問を行い,胡為真国家安全会議秘書長は「(尖閣諸島問題は)日本と我が方および大陸(中国)の問題であり,両岸(台湾と中国)における問題ではない」と答弁した。

国際組織への参加

WHO事務局は2009年に続き,閣僚である台湾の衛生署長にWHO総会にあたる世界保健大会(WHA)への招聘状を送付した。楊衛生署長は5月17日から21日にかけ,スイスのジュネーブに赴いてWHAに出席した。18日に演説の機会を与えられたほか,中国の陳竺衛生部長とも会談した。

11月13日から14日にかけて横浜でAPEC首脳会議が開催され,連国民党名誉主席(元副総統)が馬総統の代理として出席した。13日には中国国家主席である胡錦濤中国共産党総書記と会談した。馬政権は蕭萬長副総統を総統代理としてAPECに派遣することを希望しているとの報道も見られたが,結局実現しなかった。

11月29日から12月10日にかけて,メキシコのカンクンで第16回国連気候変動枠組条約(UNFCCC)締約国会議(COP16)が開催された。会議に先立ち,行政院新聞局は26日にイギリスのエコノミスト誌に台湾のUNFCCC参加を訴える広告を掲載した。会議では工業技術研究院がNGOの資格でオブザーバー参加した。これは2009年と同様であるが,今回は邱文彦環境保護署副署長(次官)がその代表団長を務め,初めて台湾政府高官が同会議に出席した。

台湾外交部によれば,台湾の国際組織への参加については,3月10日にヨーロッパ議会,6月にオーストラリア連邦議会上院,7月にアメリカ議会下院のほか,アメリカ各州の議会でも19州の上院,22州の下院が支持を表明する決議などを採択した。また,アメリカのジョセフ・R・ドノバン国務省首席次官補代理は,台湾が今後も継続してWHAに出席できるようWHO事務局と交渉していることを5月19日に明らかにした。

(竹内)

2011年の課題

2011年は中華民国建国100周年である。馬政権はこの記念行事を準備している。しかし,国史館が企画したイベントは早くも中止され,同館長が辞任したように,台湾における中華民国の存在は政治的な議論の対象になりやすい。また,2012年前半には総統と立法委員の選挙が予定されている。2011年はこれらの選挙日程や各党候補者の選出が決まる年でもある。

中国はこれまで馬政権に好意的な姿勢を見せてきたが,今後は政治協議など敏感な問題を持ち出す可能性がある。また,中国は,2012年総統選挙における馬英九総統の再選が難しいと判断した場合,台湾に対する態度を変えるかどうか,注目される。台湾はかねてから現在の保有機よりも高性能なF-16C/D戦闘機の供与をアメリカに求めてきた。2010年末には中国の新型戦闘機「殲撃20」のプロトタイプが事実上公開されたが,これが台湾への戦闘機供与を促すのかどうかも,注目される点である。

経済では,行政院主計処は2月7日,2011年の実質成長率を4.6%,消費者物価上昇率を2.0%とする予測を公表した。これは,輸出が引き続き台湾経済を牽引して11.8%成長を見込むとともに,食料価格と原油価格が国内に影響を与えることを考慮している。対中関係については,1月からECFAが発効し,ECFAの実務を行う経済協力委員会が設置された。この効果が具体的に台湾経済に表れるのか,さらに中台経済関係に何らかの影響を与えるのかが注目される。また,投資保護協定など懸案事項が解決できるかどうかも注目する必要があろう。

(竹内:地域研究センター)

(池上:新領域研究センター)

重要日誌 台湾 2010年
  1月
4日 交流協会,同台北事務所代表に今井正元沖縄担当大使を任命。
5日 立法院,食品衛生管理法修正案を可決。アメリカ通商代表部,アメリカ産牛肉危険部位輸入に関する合意の一方的破棄と非難。
5日 立法院,客家基本法を可決。
9日 桃園県2区,台中県3区,台東県全県区で立法委員補欠選挙,民進党が全勝。
12日 立法院,行政院組織法改正案,2010年度予算を可決。
16日 両岸金融監理協力覚書,発効。
18日 立法院,地方制度法修正案を可決。
18日 監察院,陳聰明検察総長を弾劾。陳検察総長は辞意表明。
20日 今井交流協会台北事務所代表,着任。
25日 馬英九総統,中南米訪問(~30日)。
26日 両岸経済協力枠組協議(ECFA)第1回事務協議,北京で行われる。
26日 林政則前新竹市長,政務委員および台湾省主席に就任。蔡勲雄経済建設委員会主任委員,政務委員を兼任。
26日 ヤマト運輸,統一グループに「黒猫宅急便」の永久ライセンスを付与。
29日 アメリカ国防総省,台湾への武器売却を議会に通知。
  2月
3日 経済部商業司,遠東集団による太平洋崇光百貨(Sogo)株取得を不正と裁定。
4日 台北地裁,二重国籍を隠匿した李慶安前立法委員に詐欺罪で懲役2年の判決。
8日 象印マホービン,台湾企業に対する商標および著作権侵害の裁判で全面勝訴。
9日 馬総統,報道関係者向けECFA説明会を主催。
10日 消費者文教基金会,アメリカ産牛肉輸入に関する公民投票の署名活動第2弾を開始。
11日 蘇起国家安全会議秘書長,辞意表明。後任には胡為真元国安会副秘書長が就任(22日)。
23日 黄昆輝台湾団結連盟主席,ECFA公民投票の署名活動第2弾を開始。
24日 蘇俊賓新聞局長,退任。後任には江啓臣東呉大学副教授が就任。
27日 桃園県3区,新竹県全県区,嘉義県2区,花蓮県全県区で立法委員補欠選挙,嘉義県2区を除く3選挙区で民進党が勝利。
27日 中国の温家宝首相,ECFAにおいて台湾に利益を譲ると発言。
  3月
1日 17県市議会,正副議長を選出。
1日 羅智強総統府報道官,就任。
1日 富邦グループ,中国中信集団と北京市でのリース事業の合弁会社設立を発表。
4日 高雄県甲仙郷にて,M6.4の地震が発生。地滑りで住民数百人が犠牲に。
6日 中国,汚職で有罪判決を受けていた白鴻森元彰化縣議長を台湾側へ引き渡し。
8日 楊志良衛生署長,辞意表明(17日に撤回)。
11日 王清峰法務部長,死刑廃止の持論を貫くため辞任。
15日 中国の夏興華民航総局副局長,来訪(~21日)。
18日 群創光電,奇美電子と統宝光電合併,新・奇美電子誕生。
21日 馬総統,オセアニア6カ国訪問(~27日)。
21日 第4回江陳会談で合意された農産品検疫,漁船船員労務,検査測定認証基準に関する3協議,発効。
22日 曽勇夫検察総長代行,法務部長に就任。
27日 董建華前香港行政長官(中国全国政協副主席),非公式来訪。連戦国民党名誉主席(30日),江丙坤海基会理事長(31日)と会談。
31日 桃園県でのECFA第2回交渉のため,中国の唐煒商務部台港澳司司長,来訪。
  4月
1日 香港政府,台湾との窓口機関である港台経済文化合作協進会を発足させる。
5日 麻生前首相,来訪。王金平立法院院長(6日),馬総統(7日)とそれぞれ会見。
6日 中国の韓正上海市市長,来訪。郝龍斌台北市長,連戦国民党名誉主席と会談。台北市と上海市,4分野協力の覚書締結。
8日 銭復両岸共同市場基金会最高顧問(元監察院院長),ボアオ・アジアフォーラム出席のため訪中。
16日 台湾高裁,陳水扁前総統の勾留期間を延長。
21日 駐日代表処,台北文化センターを設置。盛治仁・行政院文化建設委員会主任委員,訪日し,開催式典に出席。
25日 馬総統と蔡英文民進党主席によるECFAに関する公開討論,開催。
27日 立法院,個人情報保護法修正案を可決。
28日 連,呉伯雄国民党名誉主席ら,上海万博参観のため訪中,胡錦濤中国共産党(中共)総書記と会見(29日)。
29日 日本政府,何瑞藤台湾日本研究学会理事長(元台湾大学教授)に旭日中綬章,陳俄安台湾原住民陳俄安博物館長に旭日単光章を叙勲。
30日 交流協会と亜東関係協会,交流と協力の強化に関する覚書を交わす。
30日 法務部,4年ぶりに死刑を執行。
30日 友達光電(AUO),アメリカでの液晶パネル特許に関する裁判で,韓国のLGディスプレーに勝訴と発表。
  5月
1日 上海万博台湾館,プレオープン(開館式は5月11日)。
3日 フランスの国際商業会議所仲裁裁判所,台湾海軍のラファイエット級フリーゲート購入汚職事件につき,フランス・タリス(旧トムソン)社に台湾政府への賠償を命じる。
4日 台湾の海峡両岸観光旅遊協会,北京に旅行事務所を開設。
7日 中国の海峡両岸旅遊交流協会,台北に旅行事務所を開設。
10日 シンガポール高裁,陳水扁政権時代の対パプアニューギニア工作資金問題につき,仲介者に台湾政府への資金返還を命じる判決。
12日 朱立倫行政院副院長,辞意表明。
17日 陳沖行政院副院長,陳裕璋金融管理監督委員会主任委員,就任。
17日 楊衛生署長,WHA(WHO総会)に出席,中国の陳竺衛生部長と会談(18日)。
17日 APECビジネス諮問委員会,台北にて開催(~22日)。
20日 民進党など,ECFA反対集会を開催。
23日 民進党主席選挙,蔡主席を再選(7月21日,就任)。
26日 香港との台湾側交渉窓口機関となる台港経済文化合作策進会,発足。
29日 外交部,日本側の与那国島上空防空識別圏の変更に抗議。
  6月
3日 レイモンド・バーグハート・アメリカ在台協会理事長,来訪。馬総統と会見(4日)。
4日 賴幸媛大陸委員会主任委員,香港訪問(~5日)。
8日 台北地裁,陳前総統の外交部経費流用疑惑につき無罪の1審判決。
9日 桃園県,人口200万人を突破。財政上,直轄市に準ずる扱いが可能に。
10日 アメリカ司法省,液晶パネルの価格カルテルに関し,AUO幹部6人告訴を発表。
11日 台湾高裁,陳前総統らの国務機要費流用疑惑につき,刑期を20年に減刑する2審判決。
13日 ECFA第3回交渉,北京にて開催。
18日 台湾高裁,陳前総統の拘留延長を決定(3回目)。
19日 中国の国務院台湾事務弁公室と福建省政府,第2回海峡論壇を開催。台湾側からは,黄敏惠国民党副主席,郁慕明新党主席,秦金生新民党秘書長らが出席。
23日 ECFA第4回交渉,台北にて開催(~24日)。
25日 中央銀行,公定歩合を0.125ポイント引き上げ,年1.375%に。
26日 民進党,ECFA反対デモを実施。
29日 第5回江陳会談,重慶にて開催。ECFA,知的財産権保護協力協議に調印。
  7月
5日 台北市,アジア太平洋経済・貿易サービスセンター設置。
7日 奇美電子,ソニーを液晶パネル特許技術侵害したとして,アメリカと中国で提訴。
10日 国共フォーラム,広州市にて開催(~11日)。
12日 呉国民党名誉主席,北京で胡中共総書記と会談。
13日 台湾高裁での汚職事件,発覚。黄水通台湾高裁院院長,賴英照司法院院長が引責辞任(16日,18日)。
13日 立法院,公務員退職法改正案を可決。
14日 アメリカ司法省,陳水扁前総統家族名義の不動産の没収を2カ所のアメリカ連邦地裁に提訴。
20日 馬総統,法務部に廉政署(汚職取り締まり部門)を設置すると表明。
27日 台湾高裁,林正二立法委員(親民党,平地原住民枠)の当選無効を確定する判決。
30日 アメリカ議会下院,台湾の国際民間航空機関へのオブザーバー参加支持の決議。
30日 中国国防部報道官,台湾向け弾道ミサイル撤去について交渉の用意があると発言。
30日 台北高等行政法院,中部科学工業園区(中科)后里七星園区と二林園区の開発停止判決。
  8月
5日 駐シンガポール台北代表処とシンガポール駐台北弁事代表処,経済協力協議(英文ではagreement)検討に合意したとの共同プレスリリースを発表。
9日 楊秋興高雄県長,高雄市長選挙への出馬のため,民進党を離党。
11日 中国の李亜飛海峡関係協会副会長,1992年コンセンサスの内容を「ひとつの中国,各自が表現」であると発言。
17日 立法院,ECFA合意の審議を完了。
18日 立法院,海関進口税則(輸入関税率)修正案を可決。ECFA関連の法改正が完了。
19日 立法院,資政(上級顧問),国策顧問をすべて無給とする総統府組織法の改正,中国人留学生受け入れ関連3法の改正を可決。
24日 馬総統,賴浩敏司法院院長,蘇永欽同副院長を指名すると発表。
26日 国際花博覧会に関する汚職疑惑が明らかに。
31日 香港の曽俊華財政司司長,協進会名誉主席として来訪。台湾の台港経済文化合作策進会と香港の港台経済文化合作協進会,初会合を開催。
31日 台湾,中華台北の名義で全米熱帯まぐろ類委員会(IATTC)に正式加盟。
  9月
2日 中国の蔡武文化部長,中華文化聯誼会名誉会長の肩書で来訪(~8日)。
4日 台北地検,新生高架橋補修工事汚職疑惑につき台北市政府職員3人を書類送検。13日に李永萍台北副市長らが引責辞任。
12日 ECFA,発効。経済部と中国商務部,ECFAの英文訳を公開。
13日 行政院労工委員会,4年ぶりの法定最低賃金引き上げ決定。
13日 沈呂巡外交部政務次長,交流協会の今井代表を呼び出し,尖閣諸島の領有権を主張。
14日 外交部,日本の海上保安庁による台湾籍抗議船の尖閣諸島海域侵入阻止に抗議。
16日 台湾と中国,初の合同海上救難訓練。鄭樟雄海岸巡防署副署長,中華捜救協会名誉理事長の肩書で参加。
21日 経済部と内外企業27社,総額1000億台湾元以上の投資意向書を交わす。
22日 中国の温首相,台湾向け短距離弾道ミサイル撤去の可能性に言及。
  10月
1日 セメント業界,政府に対し中国製セメントにアンチダンピング適用申し立て。
1日 中央銀行,公定歩合0.125ポイント引き上げ,年1.5%に。
5日 台北地検,台北市新生高架道路汚職疑惑で家宅捜索。楊錫安同市秘書長,辞任。
8日 立法院,賴,蘇司法院正副院長,張明珠,高永光考試委員人事案を承認。
9日 統一阪急台北店,開店。15万人来客。
10日 双十国慶節(中華民国建国および辛亥革命記念日)記念式典開催。
23日 東京国際映画祭にて,中国側が台湾の参加名義に異議。呉敦義行政院院長,総統府,新聞局,同事件につき中国を非難(25日)。
31日 羽田=台北松山間直行便運航記念行事のため,日本の国会議員団,来訪。安倍元首相,馬総統と会見。
  11月
5日 台北地裁,金融改革汚職疑惑につき陳前総統ら被告全員に無罪の判決。
6日 台北国際花博覧会,開会。
11日 連国民党名誉主席,APEC首脳会議出席のため訪日(~14日),胡錦濤中共総書記と会見(13日)。
12日 政府,大豆粉や砂糖等6品目の食品原料の関税を時限的に下げることを決定。
12日 最高裁,桃園県龍潭の不動産売買に関わる陳前総統らの収賄容疑につき有罪判決。懲役11年の刑が確定。陳前総統の収監が確定。
12日 欧州議会,台湾旅券保持者へのシェンゲン協定適用による査証免除を可決。
12日 張博雅中央選挙委員会主任委員,就任。
12日 中国,収賄容疑で逃亡していた張炳龍元台湾高裁花蓮分院裁判官を台湾側に引き渡す。
14日 クリントン元米大統領,来訪。
19日 行政院,アジア大会における楊淑君選手の失格措置に抗議。20日,外交部も。
26日 連勝文(連国民党名誉主席の長男),陳鴻源台北市議の選挙応援中,銃撃される。居合わせた参加者1人が死亡。
26日 台北市日本工商会,政府に政策提言や日系企業の要望に関する白書提出。
27日 直轄市市長,議会選挙,投票日。
29日 台湾高裁,陳前総統らの金融改革をめぐる汚職,マネーロンダリング事件につき,台北地裁への差し戻しを決定。
  12月
7日 スタインバーグ米国務副長官,台湾の国連気候変動枠組条約参加を支持。
8日 欧州委員会,台湾と韓国の液晶パネルメーカー5社に価格カルテルを結んだとして制裁金の実施発表。
9日 日台貿易経済会議,開催(~10日)。
10日 総統府人権諮詢委員会,発足。
15日 林満紅国史館長,「民国百年」(ウェブでの偉人投票企画)の混乱につき引責辞任。
20日 中国の陳雲林海協会会長,来訪。翌21日,第6回江陳会談,医薬衛生協力協議に調印。
31日 中央銀行,公定歩合0.125ポイント引き上げ,年1.625%に。

参考資料 台湾 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)

(出所) 行政院研究発展考核委員会編『中華民国政府組織與工作』2003年,および行政院(http://www.ey.gov.tw/)を参照。

②  国家機関要人名簿(2010年12月末現在)
③  主要政党要職名簿(2010年12月末現在)
④  台湾と外交関係のある国(2010年12月末現在)

主要統計 台湾 2010年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2006年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  中央政府財政(決算ベース)
7  産業別対中投資
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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