アジア動向年報
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各国・地域の動向
2010年の韓国 激動の南北関係に揺れた政治・外交,経済は堅調
奥田 聡安倍 誠
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2011 年 2011 巻 p. 19-46

詳細

2010年の韓国 激動の南北関係に揺れた政治・外交,経済は堅調

概況

2010年の韓国政治は,北朝鮮との激動する関係に翻弄された。3月の哨戒艦沈没を受けて北朝鮮への強硬姿勢を打ち出した与党ハンナラ党は,6月2日の統一地方選挙で予想外に苦戦した。しかし,11月に北朝鮮が延坪島を砲撃すると,対北朝鮮世論は一斉に硬化した。一方,軍は大規模演習に力を入れた。その他,年初に政府が世宗市整備計画の修正(行政機関移転の取りやめ)を打ち出したが,国会は6月にそれを否決し,予定通り行政機関移転が進められることになった。

経済は,輸出増が投資増につながる好循環が現れ,2009年後半からの回復基調を確かなものとした。景気浮揚策からの出口戦略も実行に移され,政策金利が2度引き上げられた。ただ,不動産市場の低迷は建設業の不振のみならず,貯蓄銀行の経営不安も誘発した。経済政策の基調は2009年からの「親庶民」のほか,中小企業との「相生」(共存)が加わり,大企業には中小企業への配慮が求められた。

対外関係では,南北関係が世界的関心を集めた。3月の哨戒艦沈没事件で南北関係は険悪化し,11月の延坪島砲撃で関係は再び険悪化した。対日関係はひとまず良好に推移した。日韓併合100周年に際し,日本から植民地支配謝罪と王朝関係図書返還が表明された。対米関係もおおむね良好で,南北関係緊迫化と関連し,防衛面を中心とする協力関係をさらに密接にした。対中関係は,哨戒艦沈没事件や延坪島砲撃と関連して中国が北朝鮮に対する影響力を行使しなかったため,対中世論は冷ややかなものとなった。

国内政治

哨戒艦「天安」号の沈没と原因究明

2010年の韓国政治は激動する南北朝鮮関係に翻弄された感がある。その始まりといえるのが哨戒艦沈没事件であった。3月26日夜,黄海5島のひとつで韓国が実効支配する白翎島の南西沖を航行中であった韓国海軍の哨戒艦「天安」の艦尾付近に原因不明の爆発が起こり,船体は27日未明までに沈没した。この事故のため,乗組員104人のうち40人が死亡,6人が行方不明となった。1000トン以上の大型戦闘艦が沈没したのは韓国海軍史上初めてであった。

現場付近では過去にもたびたび南北両軍が衝突しており,今回の哨戒艦沈没も北朝鮮の仕業であるとの観測が早くから出ていた。しかし,韓国側は当初原因特定に慎重であった。国防部は哨戒艦沈没の原因解明を軍民合同調査団に任せることとし,調査団が4月11日に発足した。調査団にはアメリカ,オーストラリア,イギリス,スウェーデンの4カ国の専門家も参加した。事故当時の船体周辺の状況解明や沈没船体および現場周辺に散乱した破片など物的証拠の収集が進むにつれ,調査団の結論は北朝鮮による魚雷攻撃に傾いていった。

哨戒艦沈没から56日目の5月20日,軍民合同調査団は哨戒艦沈没の原因について,北朝鮮の小型潜水艇によって発射された北朝鮮製の魚雷の攻撃によるものであるとの最終結論を発表した。調査団はその根拠として,(1)船体の竜骨が下から上に向かって変形,船底の破断面も上を向いていたこと,(2)回収された残骸からわかる攻撃魚雷の形状および寸法が,北朝鮮が輸出向けに作成した魚雷のカタログに記載された設計図と一致したほか,残骸にハングルで書かれた「1番」の文字が残っていたこと,(3)事故当時,中国とロシアの潜水艇はいずれも自国周辺でのみ活動していたこと,などを示した。

哨戒艦沈没原因発表後の賛否両論と政府の対応

軍民合同調査団の発表した事故原因に対し,国内には哨戒艦沈没原因の断定は早計との慎重な見方が残った。5月30日に発表されたテレビ局SBSの世論調査によると,同調査団発表を信用すると回答した人の割合は64%にとどまった。この理由は,沈没原因の特定と北朝鮮への非難で南北関係がさらに緊張した場合には北朝鮮との戦争をも想定せざるをえず,それゆえ原因特定は慎重にすべきだと考える人が多かったからである。

しかし,政府・与党は北朝鮮に対する対決姿勢を鮮明にしていった。軍民合同調査団の発表を受け,政府は5月24日に北朝鮮に対する7項目の対抗措置を発表した。内容は,開城工業団地運営と人道支援を除く南北経済協力と貿易の中断,北朝鮮による領土等侵犯時の自衛権発動,韓米による対潜水艦演習の実施および大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)にもとづく演習強化などである。

6月地方選――与党の予想外の敗北

こうしたなか,6月2日に統一地方選挙が行われた。この選挙では,有権者の選択が哨戒艦沈没と関連して北朝鮮に対する強硬姿勢を主張する与党ハンナラ党と,北朝鮮の関与に対して慎重な検証が必要とする野党民主党のどちらに下されるかが焦点となった。ハンナラ党は,多くの人が韓国への脅威増大を感じたとみて,北朝鮮に対する強硬姿勢を強調することで支持を広げ,世宗市整備事業の計画変更や4大河川整備事業など国政レベルの懸案処理にもつなげようと目論んだ。選挙前の複数の世論調査では,ハンナラ党有利との見方が有力であった。しかし,選挙結果はそうした予想を裏切るものであった。ハンナラ党は首都ソウルでは呉世勲市長が僅差で再選を果たしたが,概して民主党を中心とする野党の躍進を許す結果となった。

ハンナラ党の予想外の敗北は,南北関係の緊張を嫌う有権者の意識を同党が読み違え,対北強硬姿勢を続けたことが主因とみられている。この選挙では,20~30歳代の若年層の投票率が高かったことが注目される。戦争勃発の場合に直接戦闘に従事することになるこれら世代は,多くが北朝鮮との対決を打ち出したハンナラ党への反対票を投じたとみられ,同党敗北を決定づけたと考えられる。

表1  2010年統一地方選挙政党別当選者総括

(注) 議会当選者数は地域区と比例区の合計。

(出所) 中央選挙管理委員会歴代選挙情報システム(http://info.nec.go.kr/main/main_load.xhtml)。

与党の態勢立て直しと支持持ち直し

ハンナラ党は統一地方選の敗北で態勢の立て直しを迫られた。6月3日には鄭夢準代表が地方統一選敗北の責任を取り,辞任した。次いで,ハンナラ党は主要政策の一角を占めていた世宗市整備計画の変更を断念することにした。1月11日に明らかにされた変更案では世宗市への行政機関移転を取りやめ,教育・科学中心経済都市として整備することになっていた。世宗市整備計画の変更については,李明博大統領や鄭雲燦首相などの執行部は計画変更を,一方朴槿恵議員を中心とする親朴グループは原案通りの実行を求め,与党分裂の主因となっていた。6月29日,国会本会議で世宗市整備計画の変更案は否決され,同市への行政機関移転は原案通り行われることになった。

ハンナラ党の態勢立て直しの動きは,なおも続いた。7月7日,李大統領は大統領府の組織再編を実施し,世宗市整備計画などを担当していた国政企画首席を廃止した。また,世宗市整備計画の変更を主導してきた鄭雲燦首相が計画変更案の国会否決の責任を取って7月29日に辞意を表明し,首相を含む大掛かりな閣僚交代が行われることとなった。8月8日には李大統領が新首相に金台鎬前慶尚南道知事を指名したほか,7部署の長官と中央労働委員会委員長および首相室長(いずれも長官級)の交代を決めた。8月29日に朴淵次ゲート(盧武鉉政権下での不正政治資金疑惑)への関与を疑われた金台鎬知事が首相就任を辞退したが,10月1日に金滉植監査院長が新たな首相に就任した。一方,世宗市整備計画修正の断念を受けて,ハンナラ党内で互いに対立していた李大統領と朴槿恵元代表の間の歩み寄りがみられた。8月21日には李大統領と朴槿恵元代表が11カ月ぶりに会談し,意見交換を行った。

与党の体制立て直しが進むなか,7月28日に国会の再・補欠選挙が8選挙区で行われた。6月の統一地方選勝利で勢いづく民主党に対し,守勢に立ったハンナラ党は苦戦が予想されたが,結果はハンナラ党5議席に対し,民主党は3議席を獲得したのにとどまった。6月の統一地方選に勝利した民主党の慢心を指摘する向きが多い一方で,ハンナラ党に関しては世宗市問題の決着で党内対立が和らいだことに加え,保守層の掘り起こしや地域貢献度の高い候補の選定など,同党の緻密な選挙準備が功を奏したとの評価も多い。国会の再・補欠選挙は10月にも行われ,ハンナラ党が6議席中5議席を獲得し,再度圧勝した。民主党は票田の光州で無所属候補に議席を奪われるなど,惨敗を喫した。

政策推進に弾み

7月の国会再・補欠選挙でのハンナラ党の勝利で,同党の政策推進はかなり容易になった。重点の置かれた政策は,2009年から持ち越した4大河川(4大江)整備事業と庶民生活向けの政策であった。

4大河川整備事業については,2011年度予算政府案において国土海洋部,水資源公社など4部署合計で9兆4580億ウォン(前年比15.4%増)が割り当てられた。12月8日には4大河川整備事業の主要法案となる親水区域活用特別法(親水法)がハンナラ党単独で開かれた国会本会議を通過した。親水法は,4大河川周辺での公共機関による住宅・レジャー開発などの大規模土地開発を可能にするものである。なお,4大河川整備事業については,予算の浪費や推進の拙速さ,環境破壊などに加え,すでに撤回された「朝鮮半島大運河構想」(李大統領の選挙公約)の焼き直しとの批判も根強い。しかし,波及効果に注目した流域自治体の支持は広がっており,12月3日には環境団体が提起した漢江区間の工事差し止め請求が却下されるなど,事業遂行に弾みがつきそうである。

庶民政策については,保育料の公費負担など若年層向け対策が目を引く。2011年度予算政府案では,「庶民希望3大中核課題」として月所得450万ウォン以下および国際結婚の家庭が養育する5歳以下の乳幼児の保育料と専門系高校の入学・授業料を国庫負担とすることになった(「経済」の節を参照)。10月に確定した「第2次低出産・高齢化社会基本計画」(2011~15年)でも第2子以降の高校授業料の全額免除が盛り込まれるなど,少子化対策と関連づけた庶民政策に力が入れられている。

北朝鮮による延坪島砲撃と軍の対応

3月の哨戒艦沈没の後,韓国軍は演習を強化し,それを積極的に広報するようになった。7月には過去最大級の韓米合同軍事演習が,10月13日にはPSIにもとづく海上封鎖訓練が行われている。このようにして韓国側が守りを固めようとした矢先,事件は起きた。

11月23日午後,北朝鮮は黄海5島のひとつ,延坪島を砲撃した。北朝鮮は多連装ロケット砲と海岸砲により約170発を撃ち,そのうち80発が島に着弾した。この攻撃で海兵隊員2人と民間人2人の計4人が死亡した。市街地にも多数が着弾し,島を管轄する仁川市の集計によれば被災家屋は118棟に上った。韓国軍も応戦,80発の砲撃を行った。1953年の朝鮮戦争停戦以後,韓国側が支配する領域への砲撃で民間人に死者が出たのはこれが初めてであった。

韓国政府は砲撃後ただちに,北朝鮮に対し断固たる対応を取ると声明した。哨戒艦沈没事件の際には,北朝鮮の責任追及に慎重であった民主党も今回は北朝鮮に対して武力挑発の中止を求めた。また,国内世論も硬化した。東亜日報社が11月30日から12月1日にかけて実施したアンケートでは,北朝鮮への支援を再開すべきとした人は26.3%だったのに対し,援助の全面反対あるいは北朝鮮が謝罪するまで停止とした人は70.1%に上った(『東亜日報』2010年12月2日付)。

3月の哨戒艦沈没事件後,8カ月で再び北朝鮮の攻撃を受けたことにより,韓国の安全についての不安が一層高まったといわざるをえない。今回の砲撃によって,いくつかの問題点が浮き彫りとなった。

第1が,反撃をより早く,強力に行うべきだったという点である。韓国側の反撃開始まで13分かかったが,攻撃原点の確認,反撃の承認やK9自走砲の射撃準備などに時間を要したという。また,現行の交戦規則では少なくとも受けた攻撃以上の対応をとることとなっているが,実際にはそれに満たない反撃しか行っていない。戦闘機による反撃が必要だったとの声も強かった。これらに対し,金滉植首相は11月30日に,「対応態勢,準備態勢において全般的に不十分な点があった」と認めた。軍の消極的な姿勢に李大統領も不満であったとされ,金泰栄国防部長官が事実上更迭された。

第2が,交戦規則自体の問題である。現行の規則では同種・同量の武器で2~3倍の応射を行うとなっている(比例原則)が,これでは外からの攻撃に対して十分な反撃ができないとの指摘が出ていた。これに対し,12月7日に金寛鎮国防部長官は,北朝鮮が攻撃してきた際には交戦規則や停戦協定に縛られることなく,現場の判断で自衛権を行使するよう軍に対して下達した。その際には攻撃原点に打撃を与えるまで措置することを優先し,報告は後回しにしてよい,とした。

第3が,戦力不足である。延坪島への戦力配備は主に北朝鮮の侵入を想定したものであり,砲撃戦には弱かった。砲撃当時,延坪島にはK9自走砲6門と設置後50年以上経過した古い海岸砲など,砲撃能力としては最低限のものしか配備されていなかった。また,延坪島を含む黄海5島での戦力不足には,盧武鉉政権下での国防改革も影響している。国防部が2005年に発表した「国防改革2020」計画では,この地域の海兵隊を4000人削減することになっていた。「接敵地域」であるこれら5島に北朝鮮の砲撃に対する十分な反撃能力がないことを知った李大統領は,11月25日の緊急安全保障・経済点検会議で「世界最高の装備を揃え,徹底した対応を行え」と指示した。

これを受け,政府は急きょ戦力増強に乗り出し,黄海5島の事実上の要塞化を目指している。延坪島の自走砲が倍増され,北朝鮮の地対艦ミサイルの攻撃を事前探知する対砲レーダーも緊急配備された。また,5島へ再び北朝鮮が砲撃を加えてきた際には,攻撃原点に対する戦闘機による爆撃も行うこととした。2011年度国防予算では哨戒艦沈没にともなう緊張の高まりに対応するために自走砲や戦闘機の大幅な増強を予定していたが,延坪島砲撃を受けて戦力をさらに増強することとなり,急きょ予算が組み替えられた。12月8日に国会本会議を通過した2011年度予算案では,国防予算に1419億ウォンが上乗せされた。また,付近での演習も強化された。11月28日からの黄海での韓米合同軍事演習には,アメリカの空母「ジョージ・ワシントン」も参加した。12月20日には,北朝鮮が再砲撃の可能性をほのめかす警告を発するなか,韓国軍が延坪島沖で射撃訓練を行った。

今回の砲撃はこれまで進まなかった軍全体の改革を促進しそうである。12月29日,国防部は合同軍司令部と西北海域司令部の創設を盛り込んだ新年度業務報告を李大統領に対して行った。合同軍司令部は作戦指揮権などの軍令権と人事などの軍政権を併せ持ち,陸海空の三軍が事実上の「統合軍体制」のもとに改編されることを意味する。これにより,指揮系統の単純化と作戦実施の迅速化などが目論まれている。西北海域司令部は,戦略的重要性が高まった黄海5島周辺を担当し,三軍および海兵隊を合同部隊として運用し,単一指揮系統のもとに効率的な作戦を行うことを目指している。

(奥田)

経済

景気の本格回復と政策金利の引き上げ

韓国経済にとって2010年はリーマン・ショック以後の景気回復を確かなものにした1年であった。韓国銀行発表のGDP成長率(暫定)は6.1%と,前年の0.2%と比べると大幅な伸びとなり,2002年以来の高成長をみせた。世界同時不況のなかでも比較的堅調であった輸出が前年比14.6%増(実質,国民所得ベース)と引き続き高い伸びを示した。それが設備投資に火をつける(前年比24.5%増)とともに,民間消費の拡大も誘発する(同4.1%増)好循環が生じた。しかし,不動産市況の低迷を反映して建設投資は2.3%のマイナスとなった。また,四半期別にみると成長率の鈍化が続いており,第4四半期の設備投資が前期比マイナスを記録するなど,早くも景気に減速感が表れている。

経済活動別には,輸出と設備投資の伸びを反映して製造業が年間で14.6%増を記録した。サービス業も堅調で,とくに運輸保管業(前年比9.6%増),保険・社会福祉事業(同7.1%増),小売卸・宿泊業(同6.1%増)が高い伸びをみせた。国内総所得(GDI)の成長率は,輸入価格の上昇による交易条件の悪化でGDPより低い5.8%となった。1人当たりのGDPは高い成長率とウォン高により,3年ぶりに2万ドル台を回復する見通しである。

2010年の消費者物価上昇率は2.9%と通年では2009年の2.8%と同水準を維持したが,第4四半期は内需の堅調な回復に加えて,天候不順による野菜類の価格上昇や世界的な穀物および資源価格の急騰もあって前年同期比3.6%の上昇となった。年初から景気浮揚策からの「出口戦略」が議論になり,韓国銀行は2.0%と史上最低の水準にまで引き下げていた政策金利の引き上げを模索していた。しかし,企画財政部などはヨーロッパ財政危機の長期化による世界経済の先行き不透明感に加えて,金利を引き上げた場合のウォン高による国際競争力の弱化や家計負債への影響等を懸念して慎重な対応を求めた。結局,韓国銀行は7月9日,11月16日の2度にわたって0.25ポイントずつ政策金利を引き上げた。

雇用情勢も回復の兆しをみせた。統計庁発表の2010年の就業者数は,好調な製造業で19万人,政府の雇用創出政策に後押しされた保険および社会福祉サービス業で16万人など,多くの部門で増加をみせた。しかし,公共行政部門での7万人の減少が響いて全体の就業者数は2382万人と前年比32万3000人の増加にとどまった。失業率は前年(3.6%)とほぼ同じ3.7%であり,とくに青年層(15~29歳)の失業率は8.0%と高止まりしたままである。政府は大企業に対して新規採用の拡大を求めるとともに,人文社会系の大卒者で未就業の3万人に対する職業訓練プログラムを設けるなど対策に躍起であるが,目にみえる効果は表れていない。

表2  支出項目別および経済活動別国内総生産 (2005年価格,前期比,%)

(注) 数値はすべて暫定値。四半期別数値はすべて季節調整後の値。

(出所) 韓国銀行「2010年第4四半期および年間国内総生産(速報)」2011年1月26日。

貿易黒字の拡大と資本流入規制

輸出の好調により,2010年の貿易黒字は拡大を続けた。通関ベースの輸出額は4664億ドル(前年比28.3%増),輸入額は4252億ドル(同31.6%増)となり,貿易黒字は412億ドルと3年連続で過去最高を更新した。輸出を商品別にみると,半導体が前年比61.2%と大幅な増加をみせたほか,世界金融危機による落ち込みから回復した乗用車(前年比41.9%増)や機械・精密機器(同34.4%増)も好調であった。しかし,携帯電話を中心とした情報通信機器は国内メーカーのスマートフォンへの取り組みの遅れなどから4.7%減少した。地域別には中国やその他新興国向け,また欧州を除く先進国向けを中心に広く輸出を拡大することに成功している。他方,輸入では設備投資の活発化を反映して機械・精密機器類が前年比41.8%,景気回復と原油価格の上昇を受けて原油が同35.3%の大幅な増加となった。

国際収支のその他の項目では証券投資が386億ドルの入超と,2009年の497億ドルには及ばないものの史上2番目の大幅な黒字を記録した。世界経済の先行きへの懸念が依然としてくすぶるなかで韓国経済の回復に対する海外投資家の評価の高さがうかがえる。外国為替市場はこのような貿易収支の黒字基調と証券投資の流入を受けてウォン高に進む局面もあったが,欧州の財政不安による投資資金の新興国からの離脱の余波,さらには哨戒艦沈没や延坪島砲撃事件の影響も受け,結局2010年末の対ドル為替レートは1ドル=1134ウォンと前年比2.6%のウォン高にとどまった。他方で円高が進行したことにより,対円では2009年末の100円=1264ウォンから1393ウォンと9.2%の切り下げとなった。このことが日本製品との競合が多い韓国製品の輸出拡大に大きく寄与したことは間違いない。

外為取引に関連して,韓国政府は資本流入を規制する措置を相次いで打ち出した。10月から外国銀行の為替先物持ち高を自己資本の250%に制限するとともに,11月には外国人投資家の国債の利子や譲渡益への非課税措置を廃止した。さらに,政府は2011年7月から銀行の海外借り入れに0.05~0.2%の付加金を課す新制度の導入を決めている。2008年にみられたような資金の急速な流出にともなう経済の不安定化を防ぐことが目的とされるが,政府の実際の狙いは輸出競争力を維持するためのウォン高防止にあるともみられている。過度な資本規制は対外信認度の低下による韓国からの資金逃避を招く可能性もあり,今後の政策の方向性および市場の受け止め方が注目される。

好調な企業業績

景気の本格的な回復は企業業績にも表れていた。国内の代表的な企業であるサムスン電子の2010年決算は売上高が154兆6000億ウォン,営業利益が17兆3000億ウォン(連結ベース,以下同じ)とそれぞれ過去最高を記録した。DRAMやNAND型フラッシュメモリなど半導体分野が好調であったことに加え,年初には低迷していた情報通信分野もアンドロイド搭載のスマートフォンであるギャラクシーSが世界的にヒットしたことにより,年後半に業績を挽回した。他方,スマートフォンで出遅れたLG電子は下半期に営業赤字を記録し,年間でも1800億ウォンの黒字にとどまった,しかし,同じLGグループのLG化学は売上高19兆5000億ウォン,営業利益2兆8000億ウォンと過去最高を記録した。主力の石油化学部門での高付加価値製品の比重拡大,世界シェア1位のLCD用偏光板の販売好調などが同社の業績好調に寄与した。同じく韓国を代表する企業のひとつである現代自動車も,国内向け販売は政府の販売促進策の打ち切りから伸び悩んだが,北米や新興国向けの輸出が好調で売上高112兆6000億ウォン,営業利益9兆1000億ウォンとやはり過去最高となった。韓国上場会社協議会が11月16日に発表した12月決算上場会社全体の1~9月期の営業実績も,売上高は14.3%増,営業利益は53.2%増と急速な回復をみせた。好調な企業業績を反映して,総合株価指数(KOSPI)は2009年末の1682.77から2010年末は2051.00と大幅に上昇して2007年10月の水準にまで回復した。

不動産市場の低迷と貯蓄銀行の経営不安

好調な経済に影を落としたのが不動産市場の低迷である。2006年頃から活発なマンション建設が行われてきたが,2009年後半から供給過剰が顕在化していた。国土海洋部発表の全国のマンション取引件数は2010年10月から減少に転じ,金融決済院によれば2009年12月には新規分譲マンションの3分の1が成約ゼロになるなど,販売が大きく落ち込んだ。これにより,建設業の業績が急速に悪化し,6月25日に債権金融機関は中堅・中小の建設会社9社については金融機関主導でその経営再建を図るとともに,再建が困難な6社を破綻処理する方針を発表した。不動産低迷の影響は民間企業だけでなく,公営企業である韓国土地住宅公社(LH)にも及んだ。賃貸住宅や宅地・新都市開発の不振から2010年6月末時点の同公社の負債総額は117兆ウォン,負債比率は523%に達した。LH本体だけでなく,出資先企業の経営悪化も問題になった。LH職員の天下り先確保のために,これら企業が収益性のない事業に無理に投資したことが原因として指摘された。政府は2011年度予算で賃貸住宅の建設単価引き上げや国庫への配当放棄などを通じて,1兆2000億ウォンの財政支援を行うことを決めた。LH自身も12月29日に人員削減や出資企業の整理とともに,計画段階の138事業のうち114事業を延期,縮小,もしくは中止する構造調整策を発表した。

不動産市場の低迷は,金融機関の経営も揺るがした。とくに大きな影響を受けたのは,中小金融機関の貯蓄銀行である。2006年以降,貯蓄銀行はマンションや商業施設の完成後の分譲収益を担保として建設資金を貸し出すプロジェクト融資を大幅に拡大していた。とくに,政府は同年8月から国際決済銀行(BIS)基準の自己資本比率が8%以上で,かつ破綻懸念先債権以下に分類される不良債権比率が8%以下の貯蓄銀行をいわゆる「88クラブ」に分類し,それまで融資先1社当たり80億ウォンとしていた融資上限を緩和した。さらに政府は合併を通じて貯蓄銀行の大型化を誘導した。こうした政策が貯蓄銀行を巨額のプロジェクト融資にのめり込ませる契機になった。2010年に入ってから,貯蓄銀行の不動産開発向け融資の2割強が不良債権化したとされる。6月25日,政府は不良債権化した貯蓄銀行のプロジェクト融資4兆4000億ウォンを韓国資産管理公社で買い取ることを決め,そのために公的資金2兆8000億ウォンを投入することとした。しかし,12月8日に金融委員会が公表した財務資料にもとづくストレステスト(健全性審査)の結果によれば,貯蓄銀行3行が破綻に直面していて,このままでは2011年にはさらに5行が破綻する恐れがある。金融システム全体にまで問題が波及する可能性は小さいとみられるものの,貯蓄銀行の処理は政府が解決すべき大きな課題として2011年に持ち越されることになった。

不動産市況の低迷は家計にも影響を及ぼしている。中産層の多くがローンで資金を借り入れたうえで資産運用の手段として住宅購入を行っており,不動産価格の下落は家計の資金繰りを悪化させることになる。2010年末の家計負債は795兆4000億ウォンで前年比8.4%の伸びとなった。景気回復によって所得が上昇しているために大きな問題とはなっていないが,家計負債の増加は個人消費拡大の足かせとなりかねない。政府は当初,不動産の低迷に対して市場の自律的な調整の過程であるとして静観していたが,8月29日にようやく「不動産総合対策」を発表した。主な内容は,住宅担保貸出の年間返済額を所得の一定比率以下に制限する総負債償還比率規制の一時撤廃,庶民向け住宅の供給時期および戸数の調整,初めての住宅購入者向けの最大2億ウォンのローン新設などである。このような対策もあって,2010年末になって不動産景気は回復の兆しをみせはじめた。12月の全国のアパート取引件数は6万3192件と4年ぶりの高水準に達し,アパート価格も9月以降上昇傾向にある。

「親庶民」分配政策と中小企業との「相生」

2009年後半から,李明博政権の経済運営は分配をより重視する方向に軸足を移していた。その「親庶民」的な傾向は2010年に入ってからも継続し,とくに6月の統一地方選での与党敗北以降はより明瞭になった。8月24日に中央生活保障委員会は国民基礎生活保障制度にもとづく2011年の最低生計費を5.6%引き上げ,4人家族では7万6000ウォン引き上げて月額143万9413ウォンとすることを決めた。この引き上げ率は過去5年間平均の3.71%を大幅に上回るものである。さらに政府は9月16日の国民経済対策会議において2011年度予算で「庶民希望3大中核課題」に3兆7200億ウォン計上することを決定した。3大中核課題とは,保育料全面支援の対象世帯を月間所得258万ウォン以上から450万ウォン以上に引き上げ(対象世帯の70%をカバー),国際結婚家庭の保育料全面支援,専門系高校生に対する授業料など学費の全面支援である。このほかにも低所得者層95万世帯に対して電気・ガス料金や灯油・練炭購入に使用可能な年間17万2000ウォン相当のエネルギークーポンを支給することにした。2011年度の庶民・社会的弱者向け予算は2010年の29兆ウォンから32兆ウォンとほかの予算項目と比べても突出した増額となった。これに対しては,大衆迎合的な措置で財政の健全化に水を差すものだと批判が出ている。

同じく「親庶民」政策の延長線上にあって,8月15日の光復節(解放記念日)に李大統領が強調した「公正」重視の政策としてあげられるのが中小企業振興策である。ここで特徴的なのは,政府が中小企業に対して直接的に支援を行うのではなく,大企業に社会的責任として中小企業との共存共栄,いわゆる「相生」のための努力を求めたことである。そのきっかけは7月22日に李大統領が現場視察において,自営業者から,大手金融会社の貸出金利が年利40~50%と聞かされたことだった。自営業者の勘違いの発言だったが,これ以降,大統領は大企業の社会的責任として中小企業との「相生」を強調するようになった。大企業中心の経済団体である全国経済人連合会(「全経連」)はこれに対して同月28日に「市場経済を重視すべき」との声明を発表したが,大統領は翌29日に「全経連は大企業の利益のみ擁護していては困る。社会的責任も念頭に置くべきだ」と反論した。続いて,企画財政部長官や知識経済部長官も下請け取引等での不公正取引の摘発に強い姿勢で臨むと発言した。サムスングループの金融系列会社などに対する税務調査も政府の大企業に対する圧力と受け止められ(政府側は否定),大企業は慌てて対策を講じることになった。サムスン電子は8月16日までに,一部の二次・三次下請け業者の一次下請けへの格上げ,下請け業者との取引での現金決済の拡大,企業銀行と共同での下請け・協力企業支援のための1兆ウォン基金の設立,サムスン電子から下請け業者へ主要原資材の直接供給などの「相生方案」を発表した。これを受けて,現代自動車やLG,SKなど,他の大企業も相次いで取引のある中小企業に対する支援策を発表した。政府も9月29日の大統領主催の大・中小企業同伴成長戦略会議において,中小企業協同組合への納品単価調整協議申請権の付与,大企業の協力企業支援事業向け投資に対する7%の税額控除などの中小企業支援策を発表した。政府の大企業に対する強い姿勢の背景には,景気回復の恩恵が大企業に偏り,中小企業には十分に及んでいないことに対する多くの国民の強い不満がある。しかし,大企業と中小企業の成長格差や両者間の不公正取引は韓国の経済発展の初期から指摘されてきた問題であり,大企業への圧力のみで解決できるかどうかは不透明である。

(安倍)

対外関係

南北関係

3月の哨戒艦沈没と11月の北朝鮮による延坪島砲撃は韓国国内に衝撃を与えたのみならず,世界の耳目を引いた。北朝鮮との関係は悪化の一途をたどった。

2009年秋に李大統領が提示したビッグバーゲン(北朝鮮が核を放棄すれば北朝鮮の体制保障と大規模な経済支援を行うという一括解決策)を踏まえ,韓国は2010年年初より北朝鮮に対して硬軟両様のアプローチを試みた。1月20日には金泰栄国防部長官が,「北朝鮮に核攻撃の兆候があれば先制攻撃も辞さない」と北朝鮮をけん制した一方,1月28日には李大統領が南北首脳会談の意向を表明した。

しかし,結果として韓国は北朝鮮が発していた危険なサインを見誤ったようである。1月15日に北朝鮮は国防委員会報道官声明を通じて「青瓦台(韓国大統領府)などへの報復の聖戦」に言及,同27~28日には黄海5島の白翎島と延坪島付近の北方限界線周辺の海域に向けてそれぞれ100発程度の砲弾を発射した。3月26日には,韓国海軍の哨戒艦が沈没する事件が起きた。5月20日の軍民合同調査団の「哨戒艦沈没は北朝鮮の魚雷攻撃による」との発表を受け,政府は5月24日に北朝鮮に対する7項目の対抗措置を発表した(「国内政治」の節で既述)。これにより,南北間の交流は開城工業団地事業と人道援助に局限されることとなった。哨戒艦沈没の加害者と名指しされた北朝鮮は5月21日,国防委員会報道官声明で軍民合同調査団の調査結果をでっち上げであると強く反発した。哨戒艦沈没に関する各国の反応をみると,中国とロシアを除いては,おおむね韓国側の立場を支持した。この後,7月9日には国連安保理事会が哨戒艦沈没に関する議長声明を採択した。中国の反対によって北朝鮮を名指しはしなかったが,哨戒艦に対する攻撃を非難する内容となっている。

9月に入ると,南北対話を模索する動きが表れた。大韓赤十字社が8月の北朝鮮水害に対する救援物資を送ることを決定,そのうちコメ5000トンなどが北朝鮮に届けられた。また,10月30日から11月5日までの間,金剛山において離散家族の再会が実現した。だが,対話に向かうかにみえた南北関係は再び冷却した。

11月23日の北朝鮮による延坪島砲撃は,朝鮮戦争停戦以来初となる民間人の犠牲をともなったものであった。当然のことながら,韓国は態度を硬化させた。これにともなって,韓国が採った対策のひとつが南北交流の制限であった。11月29日の大統領談話で,李大統領は「これ以上の忍耐と寛容はさらに大きな挑発を生むだけ」であり,「北朝鮮とのいかなる対話や協力ももはや期待しない」と述べた。これまで細々と続いていた人道支援も取りやめとなり,中国丹東に集結していたセメントや医薬品などの水害支援物資は回収された。これにより,南北間の交流は開城工業団地事業のみとなった。韓国の採ったもうひとつの対策は軍事的準備の強化であった。黄海5島への戦力緊急増強,黄海での軍事演習の強化や合同軍司令部創設の検討,などの対策が取られた(「国内政治」の節を参照)。12月末に公表された『2010国防白書』では,「北朝鮮は敵」との記述が復活した。

延坪島砲撃にともなう内外の反応は3月の哨戒艦沈没の時に比べると,北朝鮮に対して厳しいものとなった。国内では政府・与党のほか,野党民主党が北朝鮮を非難した。諸外国も早い段階で北朝鮮に対する非難声明を相次いで発した。ロシアも今回は北朝鮮の砲撃を非難する側に回った。また,国際刑事裁判所は哨戒艦沈没と延坪島砲撃が北朝鮮の戦争犯罪に当たるかどうかについて予備調査を開始した。しかし,中国は哨戒艦沈没の時と同様,北朝鮮を非難することをせず,6カ国協議の開催を呼びかけた。

北朝鮮からの相次ぐ挑発をうけ,韓国は南北関係の基調を交流・協力から統一準備へと移しつつある。李大統領は,8月15日の光復節の演説で統一税の導入に言及した。これについて,大統領府は「いつ来てもおかしくない統一に備えようとの意味合い」であったと説明した。延坪島砲撃など,その後の南北関係の緊張で統一税導入は現実味を帯びつつある。12月29日に統一部が2011年度業務報告で示した「3大目標,4大戦略,8大課題」には「対話」の語は含まれなかった。

対日関係

南北の関係緊張により日韓両国間の利害が一致し,対立が顕在化しなかった。2010年は日韓併合100周年であったが,これによる混乱も特段発生しなかった。

北朝鮮への対応に関しては,同国の慎重な行動を望む点で日韓が一致しており,2010年には日本が韓国側の立場を一貫して支持した。3月の哨戒艦沈没については,5月20日の軍民合同調査団の原因発表に先立つ19日,日韓電話首脳会談で鳩山首相が韓国への支持を伝えたほか,同月29日には鳩山首相が哨戒艦沈没で犠牲となった韓国海軍将兵の墓所を参拝した。11月23日の延坪島砲撃に際しては同日,仙谷官房長官が北朝鮮非難の政府見解を発表した。また,日韓が防衛面で歩調を合わせる場面もみられた。韓国軍は10月13日から2日間にわたってPSIにもとづく海上封鎖訓練を実施したが,自衛隊からは護衛艦2隻が参加した。

日韓併合100周年など過去史をめぐっては,8月10日に菅首相が発表した談話を通じて,日本側が日韓併合の強制性を認めるとともに,朝鮮王朝儀軌などの朝鮮王朝関連図書を引き渡すことを表明した。これに対し,李大統領は8月15日の光復節演説で「初めて韓国国民に向けて,韓国国民の意に反する植民支配を反省し,謝罪した。これを日本の一歩前進した努力と評価する」とした。11月14日には,金星煥外交通商部長官と前原誠司外相が朝鮮王朝関連図書の引き渡しを盛り込んだ日韓図書協定に署名した。また,過去史に関する日韓共同研究については2つの主要な成果発表があった。1つは3月23日の第2期韓日歴史共同研究委員会の最終報告書で,任那日本府説を否定した。もう1つは10月22日の日韓新時代共同研究プロジェクトの報告書で,武力を背景とした日韓併合に言及した。

日韓経済連携協定(EPA)については,9月16日に交渉再開に向けた局長級の事前協議が行われた。これは5月29日の日韓首脳会談におけるEPA交渉再開に関する事前協議を格上げするとの合意にもとづくものである。

2010年は国際市場で躍進する韓国に対する日本の関心が高まった年でもあった。これと関連し,経済産業省は4月1日に韓国室を創設した。

対米関係

2010年,韓米両国は蜜月関係とも呼ぶべき良好な関係を維持した。北東アジアの安定はアフガニスタンと並んで,アメリカ世界戦略上の関心事である。アメリカにとっては,最近の経済発展で自信をつけて膨張傾向を強める中国とともに,延坪島砲撃のような局地攻撃や核開発など不穏な動きをみせる北朝鮮をけん制する必要性が高まった。北東アジアでは,日米関係が普天間問題の迷走を機に軋みが生じているなか,韓米関係が同地域安定のうえで韓米関係の重要性は以前にも増して高まった。

2010年における良好な韓米関係を象徴するのが,両国間の緊密な防衛協力である。韓米両軍は,2009年11月の大青海戦以後に南北関係が緊迫化したとの認識を共有し,各種演習に力を入れた。哨戒艦沈没や延坪島砲撃などの事件を通じ,韓米両軍の協調関係は一層強まった感がある。韓国やその周辺で韓米両軍が参加する演習は,「キーリゾルブ」が3月に行われたほか,7月以降は毎月行われた。7月25~28日に釜山近海で実施された韓米合同軍事演習ではアメリカの空母「ジョージ・ワシントン」が参加し,11月28日~12月1日の演習では同空母が中国の反発をよそに黄海に入って活動した。また,6月27日には韓国軍への戦時作戦統制権返還を2015年12月へと3年7カ月延期することで,韓米両国が合意した。これらを通じて,両国は朝鮮半島における米軍の存在と韓米同盟の強固さをアピールした。

要人の往来も頻繁となった。2010年の韓米両国首脳の会談は電話会談を含めると6回を数え,前年の3回を上回った。哨戒艇沈没や延坪島砲撃などの韓国側の重要案件に関して,アメリカは首脳間の電話会談でいち早く韓国の立場を支持した。韓米両国は外相+国防相会談(2プラス2会議)を7月21日にソウルで開催し,哨戒艦沈没事件後の北朝鮮への対応などについて協議した。この際,アメリカのクリントン国務長官とゲーツ国防長官は韓国に3日間滞在したが,アメリカの外交と安全保障のトップがアジアを同時訪問するのは珍しく,とくにゲーツ国防長官の韓国滞在期間はアメリカの現職長官としては異例の長さであった。

韓米のかつてない良好な関係を背景に,韓国での対米感情は大きく好転した。アメリカの世論調査機関のピュー・リサーチ・センターが6月17日に公表したところでは,韓国人の対米好感度は79%で,2007年の58%に比べ大きく上昇した。

懸案であった韓米FTAについては,12月3日に追加交渉が最終妥結した。両国は,アメリカ市場での乗用車関税の撤廃時期を当初の「発効即時」から「5年後」に変更することなどで合意した。これによりアメリカにおける韓米FTAに対する根強い反対は沈静化することが期待され,批准に向けての展望が開けてきた。

対中国関係

哨戒艇沈没などの北朝鮮による一連の不穏な動きに対して,韓国は2008年以来「戦略的協力パートナー関係」にある中国が影響力を行使することを期待していた。しかし,中国は北朝鮮の動きを抑止しようとはしなかった。中国漁船の違法操業取り締まりをめぐって中国がみせた高圧的な姿勢に韓国の苛立ちは高まった。

4月30日に開かれた首脳会談では,哨戒艦沈没と韓中FTAが議論された。李大統領は哨戒艦沈没と関連し,中国の協力を求めた。中国の胡錦濤主席から哨戒艦沈没で亡くなった乗組員に対する哀悼の意が表明され,韓国側の原因究明に関する科学的・客観的調査を評価した。

だが,この後中国は北朝鮮擁護の態度を次第に強め,むしろ韓国の自制・冷静さを求めるようになっていった。5月29日に中国の温家宝首相を招いて開かれた韓中首脳会談における哨戒艦沈没についての中国の反応は「国際的調査と各国の反応を注視する」というもので,韓国が期待していた北朝鮮への非難,あるいは同国への影響力行使への言及はなかった。6月から7月にかけての国連安保理事会では哨戒艦沈没について協議されたが,声明文作成過程で中国はロシアとともに一貫して北朝鮮非難の文言除去を主張した。その結果,7月9日に発表された安保理事会議長声明では北朝鮮が名指しされることはなかった。

中国の北朝鮮擁護の姿勢は,11月23日の北朝鮮による延坪島砲撃の後も続いた。11月27日,中国の武大偉朝鮮半島問題特別代表は延坪島砲撃後の事態収拾と関連し,6カ国協議首席代表による緊急会合を提案した。しかし,韓国内ではこの提案は冷ややかに受け止められた。12月19日の延坪島砲撃と関連した国連安保理事会での協議でも,韓国の黄海での射撃訓練を問題視する中国は北朝鮮への非難を避け,上記協議は不調に終わった。

12月18日には,於青島沖の黄海で違法操業中であった中国漁船が韓国警備船に体当たりして沈没し,乗組員1人が死亡した。この過程で,中国漁船に乗り込もうとした韓国の海洋警察官4人が中国漁船乗組員に鉄パイプで殴られるなどして重軽傷を負う事件が発生した。8月に尖閣列島近海で中国漁船による同様の体当たり事案が発生して日中両国の関係が悪化したこともあり,韓国は拘束した中国漁船乗組員を25日に本国送還した。この間,21日に中国は沈没した船体と死亡した乗組員に対する賠償請求に言及した。

一方,これまで韓国内での慎重論が強かった韓中FTA推進に動きがみられた。4月20日に李大統領が推進を指示,4月30日の韓中首脳会談では韓中FTAの共同研究を早期に終らせ,交渉開始に向けて努力することで意見の一致をみた。この時期の韓中FTA推進には,台湾と中国の間の両岸経済協力枠組協議(ECFA,事実上の中台FTA)締結が近づいたことや批准が進まない韓米FTA交渉への圧力,哨戒艦沈没後の対北朝鮮対応における中国の協力取り付けなどが絡んでいたとされる(『マネートゥデイ』2010年4月20日付)。5月28日には韓中FTAに関する産官学共同研究が正式に終了し,政府間交渉に向けての準備が進められた。

その他

2010年は韓国外交が標榜した「グローバル外交」にふさわしく,各国との外交が活発に繰り広げられた。11月11日から2日間にわたって開かれた主要20カ国・地域(G20)首脳会議では,為替レートの柔軟性拡大,経常収支ガイドラインに向けた日程に合意したソウル宣言が採択された。G20首脳会議の成功は韓国の台頭を広く世界に印象づけ,韓国外交史のなかでも特筆すべき事績となった。

韓国は2009年末にアラブ首長国連邦(UAE)から400億ドル規模の原子力発電所建設を受注したが,2010年にも大型案件獲得に努力した。大型発注が見込まれたトルコ,ベトナム,マレーシアとの間では首脳の往来があった。ただし,受注確実とされたヨルダンの原発案件は日仏連合に敗退し,トルコでも日本勢の巻き返しに遭っている。2010年の原発受注は,前年の大型受注に比べると精彩を欠いた。

韓国の対外活動が広がりをみせる一方,それにともなう問題も生じた。アメリカの要請を受けて9月に打ち出した対イラン制裁で,韓国政府はイランのメラト銀行ソウル支店を2カ月間営業停止としたが,イランは強く反発した。4月にはソマリアで韓国のタンカー,三湖ドリーム号が海賊に乗っ取られ,7カ月後の11月に950万ドルを支払って解放された。

FTAに関しては,2010年にも積極的に推進された。すでに言及したFTA案件のほか,韓EU FTAが10月6日に正式署名され,2011年半ばの発効が見込まれている。韓米FTAも12月に最終合意されており,欧米諸国との自由貿易実現が目前に迫った。2010年に新たな動きのあったFTA案件としては韓インド包括的経済連携協定(CEPA,1月1日発効),韓トルコFTA(4月26日交渉開始),日中韓FTA(5月6日に産官学研究開始),韓ベトナムFTA(6月23日に共同産業班始動),中央アメリカ5カ国(パナマ,コスタリカ,グアテマラ,ホンジュラス,ドミニカ共和国。10月に共同研究開始)が挙げられる。

(奥田)

2011年の課題

国内政治では,2012年秋に予定されている大統領選をにらんだ政界の動きが注目される。2011年2月下旬の段階でハンナラ党の朴槿恵元代表が次期大統領にふさわしいとする人が31.0%で,2位の13.1%大きく引き離している。しかし,与党内対立を主導した朴槿恵元代表への批判は依然としてあり,優位は盤石といいがたい。2011年は大きな選挙がなく,李大統領は4大河川事業や親庶民政策など2010年からの継続案件の遂行に注力するだろう。また,与党内の融和と与野党間のコミュニケーション円滑化も引き続き課題となろう。

経済面では,調整の年となりそうである。まず原油など国際商品の価格高騰への対処が求められる。海外の商品価格高騰が国内の物価高に波及するのを食い止めることは「親庶民」の観点からも重要である。不動産市場に関しては,「不動産総合対策」を着実に実施して建設不況に歯止めをかけること,そして建設不況をきっかけに広がった貯蓄銀行の経営不安を金融システム全体への不安へと拡散させないことも求められる。また,ここ数年の積極的支出で悪化の兆しがみられる財政の基調を「健全財政」へと回帰させられるかも焦点となろう。

外交においては,韓国側の主張を維持しつつ南北関係を安定させることがもっとも重要である。また,2010年に打ち出された統一税などの南北統一準備をどのように具体化するかが課題となろう。対米関係では,史上最良といわれる関係をいかに維持し,北朝鮮の暴発を防ぐかが焦点となる。対中関係では,北朝鮮への中国の影響力行使を引き続き働きかけるとともに,膨張傾向をみせる大きな隣人との付き合い方を模索する必要があろう。ますます緊密化する経済関係とすれ違いが多くなった政治関係との間のバランスをどう取るかが課題となる。

(奥田:地域研究センター研究グループ長)

(安倍:新領域研究センター研究グループ長)

重要日誌 韓国 2010年
  1月
1日 韓インド包括的経済連携協定(CEPA),発効。
5日 現代製鉄唐津工場の第1高炉で火入れ式。
11日 政府,世宗市への行政官庁移転を取りやめ,「教育科学中心都市」とする事業修正案を発表。
20日 金泰栄国防部長官,「北朝鮮に核攻撃の兆候があれば先制攻撃も辞さない」と発言。
27日 北朝鮮,白翎島と延坪島付近の北方限界線周辺の海域に向けて合計約200発の砲弾を発射(~28日)。
28日 李明博大統領,BBCとのインタビューで,「南北首脳会談の用意がある」とを表明。
  2月
9日 ロッテグループ,GSマートとGS百貨店の買収を発表。
24日 サムスン電子,世界で初めて40ナノ級4ギガDDR3DRAMの量産に入ったと発表。
25日 STX重工業,イラクのバスラで一貫製鉄所と火力発電所,複合石油化学団地の計64億ドルのプラントを受注。
  3月
1日 女子フィギュアスケートのキム・ヨナ選手,バンクーバー冬季五輪で金メダル。女子選手初のグランドスラムを達成。
8日 韓米合同軍事演習「キーリゾルブ」実施(~18日)。
16日 韓国銀行新総裁に金仲秀OECD大使が内定。
23日 日韓有識者の第2期歴史共同研究委員会報告書公表,歴史認識の相違点は残しつつ,韓国側が日本側の研究成果に一定の評価。
24日 李健煕,サムスン電子会長として経営一線への復帰を宣言。
26日 海軍哨戒艦の「天安」,白翎島南西沖の黄海で原因不明の爆発に遭う。乗組員46人が死亡・行方不明(27日沈没)。
  4月
11日 国防部,哨戒艦沈没原因を解明する軍民合同調査団を結成。
14日 ムーディーズ,韓国の信用等級をA1に格上げ,1997年の通貨危機以前の水準に復帰。
23日 北朝鮮,金剛山観光地区内の韓国政府・韓国観光公社所有の不動産を没収。
30日 李大統領,中国の胡錦濤主席と会談。哨戒艦沈没事件と韓中FTAを議論。
  5月
12日 サムスン生命,株式市場に上場。初日の時価総額は22兆8000億ウォンと上場企業中4位に。
14日 ポスコ,大宇インターナショナル買収の優先交渉権を獲得。
20日 軍民合同調査団,3月の哨戒艦「天安」の沈没は,北朝鮮の魚雷による外部水中爆発が原因であったと発表。
20日 北朝鮮国防委員会,軍民合同調査団による哨戒艦沈没の調査結果をでっち上げと主張。北側調査団の受け入れを要求。
21日 アメリカのクリントン国務長官,哨戒艦沈没の調査結果を受け,北朝鮮に対して,軍事的挑発は重大な結果を招く,と警告。
24日 政府,哨戒艦沈没への7項目の対抗策を発表。開城工業団地運営および人道支援を除くすべての経済的交流を停止。
25日 北朝鮮の祖国平和統一委員会,韓国の哨戒艦沈没関連対抗策に抗議,「南側とのすべての関係を断絶する」と発表。
28日 韓国と中国,韓中FTAに関する産官学共同研究を終了。
29日 日韓中首脳会議,開催。
29日 鳩山首相,大田顕忠院を訪問。哨戒艦沈没で犠牲となった将兵の墓所を参拝。
29日 温家宝中国首相,韓中首脳会談で哨戒艦沈没と関連し,「国際的調査と各国の反応を注視する」と発言。
  6月
2日 統一地方選挙実施。ハンナラ党が予想外の敗北。ソウルは呉世勲市長が再選。
3日 鄭夢準ハンナラ党代表,統一地方選敗北の責任を取って辞任。
25日 金融機関,建設,造船等の65社をワークアウトもしくは退出させる方針。政府は貯蓄銀行のプロジェクト融資4兆4000億ウォンの買い取りを決定。
25日 サムスン電子のスマートフォン「ギャラクシーS」国内販売開始,1万台余りが5時間で売り切れ。
27日 李大統領とアメリカのオバマ大統領,戦時作戦統制権の移管を,2015年12月1日まで3年7カ月延期することで合意。
29日 国会,本会議で世宗市整備計画事業修正案を否決。
  7月
1日 労組専従者への賃金支払い禁止と例外規定としての一定の勤労時間免除制度(タイムオフ)実施。
7日 李大統領,大統領府組織を改編。
9日 韓国銀行金融通貨委員会,基準金利を17カ月ぶりに引き上げて2.0%から2.25%とすることを決定。
9日 国連安保理事会,哨戒艦沈没事件についての議長声明を採択。
12日 城南市,モラトリアム宣言。板橋基盤施設造成費5200億ウォンの短期弁済困難。
15日 アメリカのオバマ大統領,ミシガン州ホーランドのLG化学バッテリー工場起工式に参席。
21日 韓米外相・国防相(2プラス2)会談,ソウルで実施。
21日 アメリカのクリントン国務長官,哨戒艦沈没と関連し,北朝鮮への新たな金融制裁を表明。
24日 ASEAN地域フォーラム(ARF),哨戒艦沈没と関連し,憂慮の念と国連安保理議長声明への支持を表明。
25日 韓米両軍,過去最大級の合同軍事演習を実施(~28日)。米軍の空母は日本海に展開。
28日 国会の再・補欠選挙,実施。ハンナラ党が8議席中5議席を獲得。
29日 李大統領,「全経連は大企業の利益のみ擁護せずに社会的責任も念頭に置くべき」と発言。
29日 鄭雲燦首相,世宗市事業修正案否決の責任を取り辞任。
  8月
1日 公共料金が相次ぐ値上げ,住宅用電気料金は平均2%,都市ガス料金は平均4.9%。市外・高速バス料金も値上げ。
4日 ポスコ,インドネシアのクラカタウ社と合弁で同国での年産600万トン規模の一貫製鉄所建設に合意。
5日 韓国軍,黄海で単独海上機動訓練を実施(~9日)。
8日 李大統領,内閣を改造。首相に金台鎬前慶尚南道知事を内定,7長官を交代。
10日 菅直人首相,韓国併合100周年に際し,「植民地支配がもたらした多大な損害と苦痛に対して,改めて痛切な反省と心からの謝罪を表明する」との談話を発表。
12日 双竜自動車売却の優先交渉者にインドのマヒンドラ社が選定される。
15日 李大統領,光復節挨拶で統一税の導入に言及。
16日 サムスン電子,中小企業との7つの「相生方案」を発表。
21日 李大統領,朴槿恵元ハンナラ党代表と11カ月ぶりに会談。
26日 ソウルで韓国・ボリビア首脳会談,リチウム開発および産業化に関する了解覚書を締結。
29日 政府,不動産総合対策を発表。
29日 金台鎬首相内定者,収賄疑惑を受け,首相指名を辞退。
30日 韓ペルーFTA,交渉妥結。
  9月
4日 柳明桓外務部長官,娘の縁故採用疑惑を受け辞意を表明。
13日 李大統領,大企業トップ12人と会談,「大企業のために中小企業がうまくいかないのは事実」として「相生」ための努力を求める。
13日 大韓赤十字社,8月の北朝鮮水害と関連,コメ5000トンなどを送る,と発表。
16日 政府国民経済対策会議,2011年度予算に「庶民希望3大中核課題」関連予算を計上することを決定。
17日 LG電子,創業家の具本俊副会長が経営のトップに。
21日 現代自動車,ロシアのサンクトペテルブルクに年産15万台規模の工場を竣工,竣工式にプーチン首相も出席。
29日 李大統領主催で大・中小企業同伴成長戦略会議,中小企業支援策を決定。
  10月
1日 李大統領,金滉植監査院長を首相に任命。
6日 韓EU FTA,正式署名。
13日 韓国軍,大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)にもとづく海上封鎖訓練を初めて実施(~14日)。14カ国が参加,自衛隊からは護衛艦2隻が参加。
18日 李大統領,白菜など農水産物の価格暴騰に対して流通構造の改善を指示。
22日 慶州でG20財務長官・中央銀行総裁会議開幕。
26日 政府,第2次低出産・高齢化社会基本計画を確定。
27日 地方再・補欠選挙,実施。ハンナラ党が6選挙区中5選挙区で勝利。
28日 北朝鮮,南北赤十字会談でコメ50万トンと肥料30万トンを要求。
30日 南北離散家族再会(~11月5日)。南北合計で836人が面会。
  11月
11日 主要20カ国・地域(G20)首脳会議,ソウルで開催(~12日)。李大統領と来韓の各国首脳,相次いで会談。
12日 ソウルG20サミット閉幕,為替レートの柔軟性拡大,経常収支ガイドラインに向けた日程に合意したソウル宣言を採択。
13日 SKテレコム,サムスン電子のギャラクシーTab販売開始。
14日 金星煥外交通商部長官と前原誠司外相,朝鮮王室儀軌など朝鮮王朝関連図書を韓国に引き渡す日韓図書協定に署名。
16日 韓国銀行金融通貨委員会,基準金利を2.25%から2.50%に引き上げ。
16日 現代建設債権団,現代グループを買収優先交渉対象者に選定。
23日 北朝鮮,延坪島を砲撃。砲弾80発が着弾,民間人2人を含む4人が死亡。
23日 政府,延坪島砲撃は韓国への武力挑発で,北朝鮮は相応の責任を追うべき,と発表。
23日 仙谷官房長官,ギブス・ホワイトハウス報道官,ラブロフ・ロシア外相,相次いで北朝鮮の延坪島砲撃を非難。
23日 ハナ金融,外換銀行の株式51.02%を取得することでローンスターと合意。
23日 現代製鉄,唐津製鉄所第2高炉火入れ式,同社は年産2000万トン体制に。
25日 金泰栄国防部長官,延坪島砲撃の責任を取って辞意を表明。
26日 政府,予算案を国会に提出。自走砲と戦闘機に1兆4000億ウォンを計上。
27日 中国の武大偉朝鮮半島問題特別代表,6カ国協議首席代表による緊急会合を提案。
28日 現代自動車,年産40万台規模の中国北京第3工場着工,2012年には中国で年産100万台体制に。
28日 韓米両軍,黄海で合同軍事演習を実施(~12月1日)。アメリカの空母「ジョージ・ワシントン」も同海域で参加。
29日 李大統領,延坪島砲撃と関連し,対国民談話を発表。
30日 金滉植首相,延坪島砲撃への韓国軍の対応や準備に不備があったと認める。
  12月
3日 サムスングループ役員人事,李健煕会長の長男李在鎔と長女の李富鎭が社長昇進,グループ統括組織として未来戦略室を設置。
3日 ソウル行政法院,環境団体による4大河川整備事業漢江区間の工事差し止め請求を却下。
3日 韓米FTAの追加交渉,妥結。アメリカ市場での自動車関税を即時撤廃から5年内撤廃に変更。
3日 韓国軍,日米共同統合演習に初めてオブザーバー参加。
4日 李大統領,国防部長官に金寛鎮元合同参謀議長を任命。
5日 サムスン電子,水原に1万人規模の新研究所「R5」を着工。
6日 国際刑事裁判所,延坪島砲撃と哨戒艦撃沈が戦争犯罪に当たるかの予備調査を開始。
7日 金寛鎮国防部長官,北朝鮮の攻撃の際は自衛権行使を優先,と軍に下達。
7日 日米韓3カ国の外相,北朝鮮の核開発と韓国・延坪島砲撃を非難,挑発行為の中断を要求する共同声明を発表。
7日 李大統領,閣議で黄海5島の要塞化を段階的に推進せよ,と指示。
8日 2011年度予算案,ハンナラ党の単独審議により国会本会議を通過(支出総額309兆5518億ウォン,前年比5.5%増)。親水法なども通過。
14日 総合株価指数(KOSPI)終値,2009.05と3年1カ月ぶりに2000台を回復。
14日 サムスン電子,医療機器メーカーのメディソン社の買収契約を締結,医療機器部門に本格参入。
17日 現代建設債権団,買収資金の出処問題で現代グループの優先交渉者の地位剥奪を発表,現代自動車グループと交渉へ。
18日 於青島沖で違法操業中の中国漁船,韓国海洋警察の警備艇に体当たり,沈没。
19日 国連安保理,延坪島砲撃と関連して緊急会合を開催。中国の反対により声明採択に至らず。
20日 韓国軍,延坪島周辺海域で射撃訓練を実施。
25日 海洋警察,警備艇に体当たりして沈没した中国船の乗組員3人を起訴しないまま本国送還。
27日 国防部,国防白書で北朝鮮の政権と軍を「我々の敵」と表現。
29日 韓国土地住宅公社(LH),138事業のうち114事業を縮小・延期もしくは中止する構造調整策を発表。
29日 統一部,李大統領への新年業務報告で対北朝鮮政策の基本を,「交流・協力」から「統一準備」に変える考えを示す。
29日 国防部,李大統領への2011年度業務報告で合同軍司令部と西北海域司令部の創設,黄海5島の要塞化推進を表明。

参考資料 韓国 2010年
①  国家機構図

(出所) 大統領府ホームページ(http://www.president.go.kr)等から作成。

②  国家機関要人名簿(2010年12月31日現在)

主要統計 韓国 2010年
1  基礎統計
2  支出項目別国内総生産(実質:2005年固定価格)
3  産業別国内総生産(実質:2005年固定価格)
4  国(地域)別貿易
5  国際収支
6  国家財政
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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