2011 年 2011 巻 p. 249-266
2010年は,翌年開催予定のラオス人民革命党第9回党大会に向けた動きが活発化し,県党書記や県知事の人事異動が相次いだ。なかでも,国民を驚かせたのが,12月末のブアソーン首相の突然の辞任であった。任期途中での首相の辞任は異例中の異例である。ブアソーンの個人的理由もさることながら,党大会を3カ月後に控え,人事をめぐり党内で何らかの「不和」が生じていたことを窺わせる。経済は順調に推移し,2009/10年度のGDP成長率は7.9%と目標の7.5%を上回り,高い成長率を維持した。1人当たりGDPは1069ドルとなった。一方,都市と農村の格差が拡大しており,経済成長至上主義に対する批判も表れはじめた。外交は,例年どおりベトナムと中国との関係強化を中心に展開された。7月には,トーンルン副首相・外相が,現体制下の高級指導者として初めてアメリカを公式訪問し,新たな動きもみられた。
12月23日,第6期第10回国会最終日,任期を約半年残してブアソーン首相が突然辞任した。それにともない,トーンシン国会議長の首相就任,パニー国会副議長の議長就任があわせて承認された。理由は「家族の問題」と発表されたが,任期途中での首相の辞任という異例の事態に,内外ではさまざまな憶測を呼んだ。外国メディアでは,経済改革への積極的姿勢が保守派の反感を買ったこと,汚職問題を解決できなかったこと,また,健康問題や党内派閥争い等が指摘された。党内のベトナム派対中国派の争いの結果とする報道もあった。しかし,現在の経済政策はブアソーンが提唱したわけではなく,また,党内に明確な派閥も存在しない。汚職もブアソーン1人の問題ではなく,党全体で取り組むべき問題である。では,辞任の理由は何だろうか。党内事情やブアソーンの個人的問題等,さまざまな要素が偶然かつ複合的に絡み合った結果と考えられる。これには,大きく3つの要因を指摘できる。
第1は,人事をめぐる問題である。2011年,ラオス人民革命党は3月中旬に第9回党大会を開催し,新期党中央執行委員会を選出する。その後,4月に第7期国会選挙を実施し,6月に新内閣を発足させる予定である。通常,党大会の2~3カ月前には,主要人事がある程度固まるが,今回は首相ポストをめぐって,党内で合意形成ができなかった可能性が高い。
ブアソーンは,カムタイ前国家主席の後ろ楯もあり,2006年に弱冠52歳の若さで首相に就任した。将来の党指導者と目され,首相を2期10年務めることは既定路線とみられていた。しかし,彼自身は,党内に幅広い人脈やネットワークを築いていたわけではない。また,若さと経験不足を補うほどの,力強い指導力があるわけでもなかった。したがって,閣内では,ソムサワート常任副首相やトーンルン副首相・外相等が,時にブアソーンよりも大きな権力を行使していた。彼より年上で革命運動での経験が長い幹部達は,ブアソーンを見下していたともいわれている。つまりブアソーンは,「調整役」としては機能したが,求心力はなく,閣内をまとめることができなかったのである。そのため,ブアソーン続投に対しては,党内の一部から異論が出ていた。
首相の座をめぐっては,12月初旬の段階で,ブアソーン続投からソムサワートやトーンルン,また,トーンシンの就任説まで,いくつかの噂が飛び交っていた。そのこと自体,党内で人事に関して合意形成ができていなかったことを示している。そして,トーンシン以外,誰が首相に就任しても党内外に一定の不満を残すことは確実であった。ソムサワートは,中国系で中国共産党指導部との関係が深く,一部外国メディアからは中国派の筆頭格とのレッテルを貼られている。したがって,彼の首相就任は内外に不要な憶測をかき立てることになる。また,半ば強引ともいえる彼の政治手腕に対しては,一部批判もある。一方,トーンルンも指導力に欠け,長老や若手の信頼が厚いわけではない。つまり,適任者がいなかったのである。したがって,党大会数カ月前の段階で,主要人事をめぐり党内で何らかの「論争」が起きていたと考えられる。ただ,これは明確な派閥による権力闘争ではない。党内や閣内の結束を目指すうえで生じた「不和」であり,その意味では,幹部の目標は一致している。問題は,党内が納得できる人物を選び,人事を進め,党大会への準備を整えることであった。そこで,指導部はブアソーンを見切り,また,ソムサワートやトーンルンではなく,トーンシンを首相に就任させたのではないだろうか。トーンシンは,ソムサワートやトーンルンよりも1歳年上の67歳であり,党組織委員会委員長や首都ヴィエンチャン知事を務めたこれまでの経歴からも,申し分ない人材である。党長老の信頼があり,中堅や若手からの支持も得られるトーンシンは,閣内を統一するうえで最適だったといえる。
しかし,党内「不和」を解決し人事を進めるために,任期途中の辞任という形を取る必要はない。党内の合意が形成できれば済む問題である。また,2011年3月の党大会を経て,6月の国会で交代させる通常の手続きの方が,不要な憶測を呼ぶことも少ない。したがって,党大会や次期国会まで待てない,言い換えれば,12月末の段階で辞めさせざるをえない何らかの理由があったと考えられる。それが,第2の個人的問題と,第3の政府の不正支出をめぐる問題である。
ブアソーンは女性問題を抱えており,多くの女性党員や国民から批判が出ていた。秋から年末にかけて,国家機関や地方で第9期党中央執行委員候補者に対する意見聴取が行われ,そこで,ブアソーンに対する批判が噴出した可能性がある。また,一部には,健康問題や彼自身の汚職を指摘する声もある。いずれにしろ,第2の要因として何らかの個人的問題が辞任の背景にあり,国民からの批判も高まっていたと考えられる。そして,そのことが,交代を早める要因になったことは間違いなかろう。つまり,辞任させることで,国民の理解を求めたのである。
第3は,政府の不正支出をめぐる問題である。辞任2日前の12月21日,国会は,国会未承認の多額の政府支出に対し,批判を展開した(詳細は後述)。これに対しブアソーンは,批判を受け入れつつも,「いくつかの未承認事業は,政治局の承認を得ている。政治局の一部構成員は国会議員でもあり,国会を代表し承認していると判断したため,改めて国会常務委員会に報告し承認を受ける必要はないと理解した」と反論している。政治局がラオスの最高意思決定機関であることは,誰もが認める暗黙の了解である。しかし,指導者が,政治局と国家の関係を公にすることは稀であり,ブアソーンの発言はある意味「タブー」を破ったとも受け取れる。この発言により多くの国会議員の反感だけでなく,長老の怒りを買った可能性も否定できない。また,発言時点で辞任が決まっていたとすれば,この発言は責任を負わされることへの抵抗とも受け取れる。いずれにしろ,政府の不正支出問題が,辞任に何らかの影響を及ぼしたことは間違いないだろう。
今回の辞任騒動は,辞任のタイミングと状況から考えて,少なくとも以上3つの要因が複合的に絡み合った結果と考えられる。そして,今回のブアソーン辞任は,人事をめぐって党内に「論争」や「緩い争い」が存在することを示唆するものである。なお,今後のブアソーンの処遇は明らかにされていない。
第6期国会――国会の発言力強化第6期第9回国会が6月14~30日に開催された。今国会では,統計法案,消費者保護法案,HIV/AIDS防止法案が可決されたほか,経済問題が審議された。たとえば,サラワン県やサワンナケート県選出議員からは,国家の経済成長が地方に裨益していないことが指摘された。また,セコーン県選出議員は,同県内で外国人投資家が契約に違反し,住民に土地を返還していないこと,ボケオ県選出議員は,国家機関が政府職員に対し違法に土地使用権を委譲していることを指摘した。そして国会は,土地が資産家や投資家に囲われている現在の状況を改善し,持続的な開発を行うため,土地政策を見直すよう政府に迫った。国民からも,土地や経済問題,また,汚職や不正等のガバナンス問題を中心に,電話を通じて約170の質問が国会に寄せられた。
もっとも問題となったのが政府予算である。12月14~23日に開催された第10回国会では,予算について激しい議論が行われた。2008/09年度会計監査報告により,約310億キープの国家収入が国庫に入らなかったこと,また,国会未承認の公共投資事業の総額が577億キープにのぼることが明らかになったのである。これに対して国会は,政府に厳しい対応を求めた。しかし政府は,各国家機関への予算配分が少ないため,各国家機関は独自に財源を確保し必要な公共事業を行っていると反論した。とくに,ブアソーン首相は,予算の不透明性や手続きの不備に対する不満に理解を示し,緊急の場合を除いて未承認プロジェクトを実施すべきでないと述べる一方で,一部事業は政治局の承認を受けたため,問題ないとの認識を示した。国会議員にも政府に同情する声はある。しかし国会は政府に対して透明性と手続きの正当性を求めた。このような議論が行われ,政府答弁でさまざまな事実が明らかになること自体,国会が変化している証といえよう。そして,国会議員にも「代表」としての意識が芽生えはじめているのである。
第9回党大会に向けた準備2010年は,第9回党大会に向けた準備が本格化した。5月のボリカムサイ県第5回党大会を皮切りに,各県で党大会が開催された。党大会とともに実施されたのが,県党書記や知事の異動である。フアパン県,ウドムサイ県,ボリカムサイ県,ルアンパバーン県,チャンパーサック県,ヴィエンチャン県,アッタプー県で新たな県党書記・知事が選出された。彼らのほとんどが,県党副書記,副大臣,副知事からの昇格である。彼らが第9期党中央執行委員会に入ることはほぼ確実である。なお,前任者の多くは党中央や大臣ポストに異動した。
政府発表によると,2009/10年度のGDP成長率は7.9%と目標の7.5%を上回り,1人当たりGDPは1069ドルとなった。近年,ラオスは7%台の成長を維持しており,とくに都市部では目に見えて人々の生活が豊かになっている。世界銀行によれば,この高成長は,ナムトゥン2水力発電所の稼働,天然資源の輸出,縫製業や農産品加工,建設等が好調だったことに起因する。なかでも,成長を牽引しているのが天然資源開発である。たとえば,ナムトゥン2水力発電所は3月に稼働後,6月にはすでに60万ドルの収入をラオス政府にもたらした。セポン金・銅鉱山を手がけるMMGランサン・ミネラル社は,2009年,ラオス政府に対し利潤税やロイヤルティ等,合計8050万ドルを支払った。加えて,MMGは200万ドルの配当も支払っている。ラオスは2015年までの平均GDP成長率を最低でも8%と設定しており,今後も天然資源開発に依存し続ける姿勢に変わりはない。また,ラオスは10月に開催された第10回円卓会議において,次期5カ年(2011~2015年)計画達成のため,39億ドルの支援を支援国・機関に対して要請した。
高成長の一方で,インフレ率が年率8%に達し,市民生活に影響が出はじめた。そこで,ラオス労働連盟は最低賃金の月34万8000キープから50万キープへの引き上げを政府に提案した。今後政府が引き上げ額を検討し,結論は翌年に出る予定である。また,政府は4月の閣議で,遠隔地や国境地域に勤務する職員や公務員の待遇改善を審議し,8月には,出産補助や5歳以下の小児診療の無償化を決定した。政府は,ようやく国民生活の改善にも目を向けはじめたといえる。
土地問題ラオスは現在,「土地を資本に転換する」との開発政策を進めている。これは,開発に必要な財源不足を補うため,国家は土地を「資本」に経済開発を進めるという戦略である。言い換えれば,長期コンセッションにより大規模な土地を外資に貸し付け,天然資源開発を行うことである。ただ,土地問題をめぐるトラブルが後を絶たない。10月,「土地を資本に転換する」ことに関するセミナーが開催された。ソムサワート常任副首相はセミナーで,「土地を資本に転換する」ことの定義が統一されておらず,不十分な補償,土地の不正使用等,多くの問題が生じていることを認め,ルール作りの必要性を訴えた。一方,ラオスにとって,土地はほぼ唯一の資本であるため,今後も「土地を資本に転換する」ことが開発には欠かせないとも述べている。問題が拡大すれば政治に悪影響を及ぼしかねない。統一的なルール作りは国民だけでなく,党・政府にとっても必要なのである。
外国投資2009/10年度の外国投資は,世界的不況の流れや政府によるゴムプランテーション等への規制により,前年度の約43億ドルから減少し,約14億ドルとなった。投資の中心は天然資源分野である。1月,ベトナムの大手不動産会社ホアン・アイン・ザーライ(HAGL)が,アッタプー県の第2ナムコン水力発電所建設に関して,ラオス政府と合意した。2月には,日本の王子製紙が植林用の土地コンセッションを獲得し,また,ツムラは生薬栽培のため現地法人を設立した。3月,中国電力工程有限公司が,ウドムサイ県のナムベン水力発電所建設に関して,また,ベトナム電力公社(EVN)が,シェンクアン県のナムモー1水力発電所建設に関して,それぞれラオス政府と合意した。5月には,ペトロベトナムドリル溶液化学製品株式会社がバライト(重晶石)の探査・採掘許認可を取得した。天然資源開発絡みの事業は毎月のように認可されている。
一方,ラオスは投資先として注目を集めているが,世界銀行のDoing Business 2010では183カ国中167位,トランスペアレンシー・インターナショナルの「2010年の世界の腐敗認識指数」では,178カ国中154位と低位に位置している。ラオスの投資環境は決して良いとはいえず,投資環境の改善が望まれる。
WTO加盟に向けた動き現在,ラオスはWTO加盟交渉を行っている。7月には日本,そして9月には中国と,それぞれ二国間交渉を妥結した。国内でもWTO加盟に向けた制度整備が進んでいる。9月の閣議では,国内企業と外国企業の利潤税を28%に統一する国家主席令を承認した(Vientiane Times,2010年10月7日付)。国内企業は現在の35%からの引き下げ,外国企業は現在の20%からの引き上げとなる。11月の閣議では,中小企業の取引高税を10%に統一することを承認した。現在,生産促進のため,税率が5%に抑えられている飲料水や麺加工工場等の一部企業も例外ではない。以上の税率の変更は,今後,国会承認や首相令の公布を経て適用されることになる(Vientiane Times,2010年12月3日付)。
株式市場オープン10月10日,ラオス初となる株式市場が発足した。公式取引は2011年1月11日から開始されるが,12月には,ラオス外国商業銀行(BCEL)とラオス電力公社(EDL)がIPO(新規株式公開)を行った。BCEL株は,8月に設立されたランサン証券が,EDL株は同じく8月に設立されたBCEL・KT証券が主幹事を担当した。当初は2社の上場だが,今後は国有企業を中心に上場企業を増やす予定である。
2010年は両国の特別な関係に新たな定義づけがなされた。3月,ブンニャン国家副主席がベトナムを訪問した。ノン・ドゥック・マイン・ベトナム共産党書記長は,ブンニャン国家副主席との会談で,両国関係を新たな段階に押し上げるため最大限努力すると述べた。そのマイン書記長は,4月13日からラオスを訪問し,チュームマリー党書記長と会談した。両者は,両国関係が新しい発展段階にあるとの認識で一致し,今後も,伝統的かつ特別な団結で結ばれた両国の全面的協力関係を守り深めていくことを確認した。そして,両国のこのような関係を,互いの国家建設と国防において必要な要素であり,「何物にも代えがたく,次世代に引き継がなければならない貴重な財産」と位置づけた。8月に来訪したグエン・ミン・チェット・ベトナム大統領も,同様の発言を繰り返した。このような新しい定義づけは,両国関係が不変であることを内外に強く印象づけたといえる。現在,両国は特別な関係に関する歴史書の編纂を行っており,すでに次世代への継承に向けた準備が着々と進められている。
投資関係も順調であった。ベトナム企業はこれまで219の投資プロジェクト,総額約24億ドルの認可をラオス政府から受けており,2010年5月現在,タイ,中国に次いで第3位の投資国となっている。8月に来訪したチェット大統領は,ブアソーン首相と会談した際,ベトナム企業が投資する際の投資環境の改善を要求するとともに,ラオスの主要企業に対しベトナムへの投資を呼びかけた。
深化する中国関係1年を通じて要人の交流が行われ,両国関係の緊密ぶりが改めて示された。6月,サマーン政治局員が中国を訪問し,呉邦国中国全人代常務委員会委員長と会談した。会談で呉邦国委員長は,両国関係は新しい時代に進んでいるとし,協力関係のさらなる拡大を提案した。同月,習近平中国国家副主席が来訪した。チュームマリー国家主席との会談では,2009年に「包括的な戦略的パートナーシップ」を確立し,両国関係が新たな段階に入ったとの認識を示したうえで,さらなる関係強化を図ることで一致した。また,習副主席は,ブンニャン国家副主席との会談の際,関係強化のための5つの提案を行った。高級レベルによる頻繁な相互訪問の維持,信頼強化,貿易・経済関係を飛躍的に前進させるための新たな協力分野とアプローチの開拓,外交関係樹立50周年祝賀イベントの開催,共通の利害を守るための国際舞台における緊密な協力である。10月には,ラオス人民革命党と中国共産党が共同で,「近代的社会主義建設の理論と実践に関するセミナー」を開催した。両国は社会主義という「同じ理想」を掲げる一方,市場経済化による近代国家建設を目指している。ラオスにとっては,社会主義建設を理論的に正当化していくうえで,中国の経験から学ぶことは多い。
経済関係も順調であった。2010年の中国による対ラオス投資は前年の2億4700万ドルから増え,5億5600万ドルとなった。11月,ヴィエンチャン総合開発定礎式が行われた。内外から批判されているいわゆる「チャイナタウン」建設である。当初の建設予定地であるタートルアン湿地帯から,21キロメートル地点にある工業団地内へと建設地が移されたが,ついに建設工事が着工した。また,4月の両国政府の建設合意を受け,12月に北京で開催された第7回世界高速鉄道会議において,ソムサワート常任副首相が昆明=首都ヴィエンチャンを結ぶ鉄道が2015年に開通すると発表した。投資総額は約1000億元にのぼり,70%が中国の無利子融資である。中国によるラオスへの進出はますます勢いを増している。
アメリカ関係――新たな関係への第1歩7月,トーンルン副首相・外相が現体制下の高級指導者として初めてアメリカを公式訪問し,クリントン国務長官と会談した。両者は,相互利益を促進し,建設的関係を構築することは地域と世界の安定に寄与するとし,交流を強化することで一致した。オバマ政権には,東南アジアへの関与拡大,また,ラオスには,アメリカとの経済関係を拡大したいとの思惑がある。今回の訪問は,両者の利害が一致した結果であり,今後の両国関係の拡大が期待される。
一定の関係を維持するタイ関係9月,カシット・タイ外相が来訪し,トーンルン副首相・外相と会談した。両者は協力関係の促進で一致した。12月,ナムトゥン2水力発電所開所式出席のため,アピシット首相が来訪した。ブアソーン首相との会談では,二国間や多国間関係における緊密な協力で合意した。このように,政治的には一定の関係を維持している。一方で経済関係は再び深まりつつある。タイは元よりラオスへの最大の投資国であるが,近年,ラオスへのタイ企業の注目が再び高まりつつある。タイ輸出入銀行の外国プロジェクト支援総額246億9000万バーツのうち,ラオスは最大の90億バーツの支援を受けている。そのほとんどが電力プロジェクトである。現在,タイ・ナーン県の対岸のサイニャブリー県では,タイとラオスの合弁により大型発電所の建設が計画されている。
2011年は5年に一度やってくる政治の年である。3月に第9回党大会,4月には第7期国会選挙が実施され,党や政府の人事異動が行われる。党大会では,政治局が大きく若返ることはないだろうが,サマーンとシーサワートの2人の長老の引退が確実視されており,次世代幹部数名の政治局入りが見込まれている。一方,党中央執行委員会や新期国会では若返りが期待されている。そして,いくつかの省で大臣の交代が行われ,若手が抜擢される可能性もある。このように,徐々に世代交代が進むと考えられるが,革命第一世代が引退するなかで,今後ますます人事に関して合意を形成することが難しくなる。スムーズな世代交代は今後の大きな課題である。
経済では,加熱する経済開発への対応が課題となる。新指導部が経済政策を大きく変えることはないが,格差や汚職,また土地問題等さまざまな問題が顕在化しており,対応を迫られている。党大会では,問題に対する何らかの方針を国民に示す必要があろう。対応を怠れば,党は国民の信頼を失いかねない。党大会でどのような5カ年戦略が提示されるか注目される。
(地域研究センター)
1月 | |
9日 | 第32回ラオス・ベトナム協力委員会会議,開催(~12日)。 |
10日 | 協力と投資のためのベトナムビジネス協会(Vietnam Business Association for Cooperation and Investment in Laos:Viet-Lao BACI),設立。80の企業や個人が登録。 |
16日 | ラオス,韓国に経済・貿易分野の代表部を設置。 |
19日 | ベトナム企業ホアン・アイン・ザーライ(HAGL),アッタプー県の第2ナムコン水力発電所建設に関する覚書をラオス計画・投資省と調印。 |
2月 | |
1日 | トーンルン副首相・外相,インドを訪問(~3日)。 |
1日 | 王子製紙,サワンナケート,サラワン,チャンパーサック,セコーン,アッタプーの5県で植林を行うための土地コンセッションを獲得。投資額は4000万ドル。 |
9日 | カムパイ・セコーン県党書記・知事がアッタプー県党書記・知事に異動し,カムプーイ・セコーン県党副書記を県党書記・知事に任命。 |
11日 | フアパン県で県党書記・知事の交代。パンカム党書記・知事が中央に異動し,カムフン保健省副大臣が新党書記・知事に就任。 |
19日 | 日本企業ツムラ,ラオスでの原料栽培と加工工場建設のため,チャンパーサック県に現地法人ラオ・ツムラを設立。 |
3月 | |
2日 | チュームマリー国家主席・党書記長,日本を訪問(~6日)。 |
4日 | ラオス政府とベトナム電力公社(EVN)インターナショナル,同企業がシェンクアン県ナムモー1水力発電所建設にかかる調査を行うことで合意。投資額は約1億ドル。 |
10日 | 中国電力工程有限公司,ウドムサイ県にナムベン水力発電所を建設することでラオス政府と合意。投資額は7000万ドル。 |
10日 | 月例閣僚会議,開催(~11日)。「遠隔地や国境地域に勤務する職員・公務員に関する首相令案」などを審議。 |
12日 | パンカム前フアパン県知事,教育大臣に就任。 |
17日 | ナムトゥン2水力発電所,稼働開始。 |
25日 | ソムコット前教育大臣,シェンクアン県党書記・知事に就任。 |
26日 | タイのゼネコン大手チョーガンチャン(CK),ラオスに水力発電事業を手がける100%出資子会社「サイニャブリー・パワー」(XPCL)を設立すると発表。 |
28日 | ブンニャン国家副主席,ベトナムを訪問(~31日)。 |
4月 | |
2日 | タイ発電公社(EGAT)とホンサー電力,売電契約に調印。EGATは2015年にホンサー火力発電所が稼働後,毎年1473MWの電力を25年間購入。 |
7日 | ラオス政府と中国政府,中国が昆明=首都ヴィエンチャン間の鉄道建設を支援することで合意。 |
13日 | ノン・ドゥック・マイン・ベトナム共産党書記長,来訪(~15日)。 |
19日 | ウドムサイ県で党書記・知事が交代。ブンポーン党書記・知事が党中央に異動し,カムラー・リンナソーンが新党書記・知事に就任。 |
21日 | 政府・県知事合同会議,開催(~24日)。2015年までのベトナム,中国との協力戦略等を承認。 |
26日 | ソムペット・ティップマーラー国防副大臣・党中央委員,死去。享年69歳。 |
27日 | 三井住友海上火災保険,ラオスでの事業開始。 |
5月 | |
13日 | オーンヌア首相府大臣・国家農村開発・貧困削減委員会委員長,首都ヴィエンチャンで,貧困基準と開発基準に関する首相令の内容を明示。貧困基準は,1日2100kcalに満たない食事,衣服の欠如,定住地の欠如,基礎教育費用が賄えない等の生活要件と,全国平均で月給19万2000キープ,農村地域は18万キープ,都市部では24万キープの金銭的要件の2種類を適用。 |
17日 | 第8期党中央執行委員会第10回総会,開催(~22日)。第9回党大会に提出する諸文書について協議。 |
21日 | ペトロベトナムドリル溶液化学製品株式会社,バライト(重晶石)の探査・採掘許認可を取得。 |
26日 | ボリカムサイ県第5回党大会,開催(~28日)。パーン党副書記を党書記に選出。 |
31日 | ブンポーン前ウドムサイ県知事,党中央事務局長に就任。 |
6月 | |
1日 | カムプイ前党中央事務局長,国家社会科学アカデミー院長に就任。 |
2日 | チュオン・タン・サン・ベトナム共産党政治局員・書記局常任,来訪(~5日)。 |
8日 | サマーン政治局員,中国を訪問(~15日)。 |
10日 | ボケオ県第4回党大会,開催(~11日)。カムマン党書記を再選。 |
14日 | 第6期第9回国会,開会(~30日)。統計法,消費者保護法,HIV/AIDS防止法の3案を可決。また,政府予算の不正使用に関して国会が不満を表明。 |
15日 | 習近平中国国家副主席,来訪(~16日)。 |
15日 | ボリカムサイ県知事交代式。パーン・ノーイマニーが新知事に就任。 |
21日 | ウドムサイ県第7回党大会,開催(~22日)。 |
7月 | |
8日 | シンラオウォン計画・投資相,中国を訪問(~15日)。 |
12日 | トーンルン副首相・外相,アメリカを公式訪問(~14日)。 |
15日 | サイニャブリー県第5回党大会,開催(~17日)。リアン党書記を再選。 |
24日 | 岡田外相,来訪(~25日)。ラオスのWTO加盟にかかる二国間交渉の妥結に関する署名式を実施。 |
8月 | |
2日 | 月例閣僚会議,開催(~3日)。出産補助や5歳以下の小児診療の無償化に関する政策案を承認。 |
13日 | ラオ開発銀行とベトナムのサコムバンク,ランサン証券の設立で合意。 |
18日 | ルアンパバーン県第6回党大会,開催(~20日)。カムペーン党副書記・副知事を党書記に選出。 |
19日 | カムアン県第8回党大会,開催(~21日)。カムバイ党書記を再選。 |
24日 | グエン・ミン・チェット・ベトナム大統領,来訪(~26日) |
26日 | サワンナケート県第7回党大会,開催(~28日)。ヴィライワン党書記を再選。 |
31日 | ラオス外国商業銀行(BCEL)とタイのKT Zmico証券,BCEL・KT証券を設立することで合意。 |
9月 | |
3日 | 国家主席府相交代式。スバン国家主席府相が首相府相に,ポンサワット外務副大臣が国家主席府相に就任。 |
9日 | パティル・インド大統領,来訪(~13日)。 |
14日 | カシット・タイ外相,来訪(~15日)。 |
15日 | ブアソーン首相,ベトナムを訪問(~17日)。 |
21日 | チャンパーサック県第6回党大会,開催(~23日)。ソーンサイ知事を県党書記に選出。 |
21日 | ヴィエンチャン県第4回党大会,開催(~23日)。カムムン・ポンタディーを党書記に選出。 |
24日 | WTO加盟に関する二国間交渉,中国と妥結。 |
10月 | |
4日 | 劉志軍中国鉄道部長,来訪(~5日)。 |
6日 | 国家土地管理機構,「土地を資本に転換する」ことに関するセミナー開催。ソムサワート常任副首相が土地を資本に転換することの定義が統一されていないことを認める。 |
6日 | ルアンパバーン県知事交代式。ブンフアン知事が首相府に異動し,カムペーン副知事が知事に就任。 |
10日 | ラオス株式市場,発足。取引開始は2011年1月11日。 |
20日 | 第10回円卓会議,開催。ラオスはドナー国・機関に対し,次期5カ年(2011~2015年)計画に39億ドルの支援を要求。 |
20日 | ルアンナムター県第6回党大会,開催(~22日)。ピムマソーン党書記を再選。 |
21日 | 中国共産党の劉雲山中央宣伝部長,来訪。 |
21日 | 中国広西チワン族自治区南寧でラオス・ビジネス・投資フォーラム,開催。 |
22日 | ラオス人民革命党と中国共産党,「近代的社会主義建設の理論と実践に関するセミナー」を開催。 |
27日 | シェンクアン県第6回党大会,開催(~29日)。ソムコット党書記を選出。 |
28日 | フアパン県第8回党大会,開催(~30日)。カムフン党書記を選出。 |
11月 | |
7日 | アヌ王記念公園建立記念式典,開催。 |
9日 | クラスター爆弾に関する条約(オスロ条約)の第1回締約国会議,ヴィエンチャンで開催(~12日)。 |
18日 | ヴィエンチャン総合開発定礎式,開催。 |
19日 | ヴィエンチャン遷都450周年と建国35周年祝賀記念式典,開催。 |
22日 | アッタプー県第8回党大会,開催(~23日)。カムパン・ポムマタットを党書記に選出。 |
26日 | 月例閣僚会議,開催(~27日)。取引高税を10%に統一する国家主席布告を承認。 |
12月 | |
6日 | 第8期党中央執行委員会第11回総会,開催(~11日)。第9回党大会に提出される政治報告案,第7期経済・社会開発5カ年(2011~2015年)計画案,第9期党規約改正案を審議。 |
7日 | ソムサワート常任副首相,北京で開催されている第7回世界高速鉄道会議で,雲南省昆明と首都ヴィエンチャンを結ぶ高速鉄道が2015年に開通する見通しと発表。 |
9日 | ナムトゥン2水力発電所開所式,開催。 |
9日 | アピシット・タイ首相,来訪。 |
14日 | 第6期第10回国会,開会(~23日)。度量衡に関する新法,国会法改正,国会選挙法改正,経済紛争の解決に関する法改正案を可決。また,23日,ブアソーン首相の辞任を了承するとともに,トーンシン国会議長を首相に任命する国家主席提案,パニー国会副議長を国会議長に任命する国会常務委員会提案をそれぞれ承認。 |
15日 | 第6回全国労働連盟代表者大会,開催(~16日)。カムラー副議長を議長に選出。 |
15日 | サラワン県第7回党大会,開催(~16日)。カムブン党書記を再選。 |
21日 | ラオス政府と中国企業家による貿易・投資に関する意見交換会,開催。 |
(注) *は女性。
(注) *は女性。
(注) *は女性。
(注) *は女性。