アジア動向年報
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2010年のフィリピン ベニグノ・アキノⅢ新政権への期待
美甘 信吾
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2011 年 2011 巻 p. 297-324

詳細

2010年のフィリピン ベニグノ・アキノⅢ新政権への期待

概況

将来,2010年はフィリピンの大きな転換点と評価されるかもしれない。5月に行われた大統領選挙では,ベニグノ・アキノⅢが大勝し,6月30日に第15代フィリピン共和国大統領に就任した。2001年にジョセフ・エストラーダ大統領が汚職疑惑により退陣した後,副大統領から昇格した前任のグロリア・マカパガル・アロヨ大統領は,2004年の大統領選挙での勝利を経て計9年におよぶ任期を終えた。エストラーダ政権に代わり不正・汚職の追放を期待されながら,自らも選挙不正や汚職の噂が絶えなかったアロヨ前大統領は,国民的な人気とカリスマ性に欠けた。フィリピン民主主義の最大のシンボルであるベニグノ・アキノ元上院議員とコラソン・アキノ元大統領の息子であるアキノⅢ新大統領は,国民の信頼という遺産を引き継いだ。大統領選挙戦を通じて政治家として成長するアキノⅢの姿は国民に安心感を与えた。アキノⅢ新大統領には,不正・汚職を追放し貧困を削減する変革をもたらす大きな期待が寄せられている。

この期待の背景には,フィリピン政治経済の着実な変化がある。政治的には,自動集計システムによる選挙を大きな混乱なく終えた意義は大きい。これまで不正の横行により選挙委員会に対する国民の信頼は低かったが,大統領選を通じてそれが大きく回復した。このことは,政府や政治に対する信頼の回復にも繋がった。また,確実に経済成長を続けている実績がある。2009年には世界不況の影響もありGDP成長率は1.1%と伸び悩んだが,2010年には7.3%の高成長を記録した。しかしながら,就任から半年のアキノⅢ新政権に実績と呼べるものは,まだない。国民世論もほぼ10年ぶりの新政権には寛大であり,早急な成果を求めているわけではない。期待を現実の変革に結びつけて公約どおり汚職と不正をなくし,貧困を削減できるのか,アキノⅢ新政権の真価が問われるのは,2011年以降である。

国内政治

アキノⅢ新政権の誕生

5月10日に,大統領,副大統領,上院議員,下院議員,地方首長および地方議員を選ぶ総選挙が行われた。フィリピンでは,国民が全国区の直接選挙で大統領を選ぶ。大統領選挙は,国民が自分たちの未来を託す人物を選ぶ過程を通じて国民がさまざまな出来事を共有する,国民国家形成における一大イベントである。選挙のたびに,いずれの大統領候補も政府の汚職追放と貧困の撲滅を政権公約の重大課題に挙げる。大統領や上院・下院議員といった政治エリートの多くは,親の富と名声を引き継ぐ名家の出身である。実績よりも国民的人気やイメージが選挙結果に重要な影響をもたらし,地方政治も地元の有力ファミリーの出身者が大きな影響力を持つ。少数の政治エリート層の継続的な支配構造には,変化が少ない。しかし,国民的なヒーローとヒロインの息子であるアキノⅢ新大統領には,変革をもたらす大きな期待が寄せられている。下院議員と上院議員の活動を通じて顕著な実績があるわけではないアキノⅢ大統領の国民的人気の背景には,誠実な人柄に信頼を寄せる世論がある。

5月10日の総選挙の最大の焦点のひとつが,自動集計システムを導入した初めての選挙が大きな障害なく行われるかどうかであった。自動集計システムは,選挙結果の迅速な集計と,集計過程における不正排除を目的としたものだが,選挙前にはその導入に不安の声も多かった。停電などで集計結果が出ない,システムのソフトウエアの改ざんによる大規模な不正,意図しないシステムの不具合や障害,不慣れな有権者による無効票の多発などが心配された。しかし,当日は,多少の混乱はあったものの,総選挙の正当性に影響をおよぼす問題は起きず,開票後2日以内にほぼ当選者が判明するというフィリピン選挙史上画期的な成果を出した。

大統領選挙の結果自体は,予想に反するものではなかった(表1)。2009年末からの事前調査では,アキノⅢ大統領候補の優位は明確だった。次点のエストラーダ元大統領は,予想を上回る善戦だったとも評されるが,直前の事前調査でも3位のマヌエル・ビリヤール候補を上回り,不名誉な大統領退任後も妻と息子が,上院議員の議席を獲得しており全国区の支持は多かった。今回の選挙で再選され上院議長にも再選されたファン・ポンセ・エンリレ上院議長やエルネスト・マセダ元上院議長もエストラーダ元大統領を支持しており,有力候補としての存在感は示していた。アキノⅢ候補の出馬表明以前は最有力候補だったビリヤール上院議員は,得票を伸ばせなかった。道路建設をめぐる不正疑惑が上院で問題となりエンリレ上院議長との対立が表面化していたうえ,証券取引をめぐる不正疑惑も浮上していたからであった。しかし,富裕層の出身ではなく不動産事業などで財をなし政界に転じたビリヤール候補が,大統領選の有力候補となったことはフィリピン政治のひとつの変化であった。一方,政権与党ラカス・カンピ党の候補であったギルベルト・テオドロ前国防長官は,アロヨ政権の不人気もあり予想どおり支持を拡大できなかった。

副大統領選挙は,接戦が予想されていた(表2)。エストラーダ大統領候補と共に出馬した前マカティ市長のジェジョマール・ビナイ候補が,アキノⅢ大統領と共に自由党から出馬したロハス前上院議員を投票直前に急速に追い上げ,僅差で勝利した。4月半ばの事前調査では,ロハス上院議員が39%の支持率でビナイ候補は25%だったが,選挙直前の事前調査では共に37%で並んでいた。これについては,自由党のアキノⅢ大統領候補とロハス副大統領候補の組み合わせではなく,アキノⅢ大統領候補とビナイ副大統領候補の組み合わせを支持した票が多かったからとも指摘される。フィリピンでは,選挙民は必ずしも大統領候補と副大統領候補を同じ政党から選ぶとは限らない。マニラの中心的商業地域であるマカティの前市長であったビナイ副大統領候補は,エストラーダ大統領候補以上の票を獲得している。同候補はマニラ周辺での票を固めたのに加え,南部や北部の地方での集票にも成功した。アキノⅢ大統領候補と同様に首都圏のエリートの代表とのイメージが強いロハス候補に対し,庶民的なイメージのビナイ候補に支持が集まったといえる。

表1  大統領選挙結果

(出所) 両院委員会による投票確認結果(Philippine Daily Inquirer,2010年6月9日)。

表2  副大統領選挙結果

(出所) 両院委員会による投票確認結果(Philippine Daily Inquirer,2010年6月9日)。

議会の動き

フィリピン下院では,大統領の所属政党の当選議員数が少数でも多数派形成の中核を担うことは可能である。たびたび所属政党を変える議員も多く,政党が議員の投票行動におよぼす影響も絶対的ではない。下院では,アキノⅢ大統領の所属政党である自由党は総選挙後40人ほどしか当選者を出せなかった。その後,入党者を増やし,議会開会時には70議席となっていたが,前アロヨ政権下の与党連合だったラカス・カンピ党の80議席にはおよばなかった。しかし,下院議長選挙では,自由党のフェリシアーノ・ベルモンテ議員が230票中220票の圧倒的多数を獲得し議長に就任した。ベルモンテ議長は,2001年にも下院議長を務めておりフィリピン政界での影響力も強い。2001~10年は,ケソン市長として堅実な市政運営を行っている。ラカス・カンピ党に所属していたが,今選挙の出馬に向けて離党し2009年の11月に自由党に入党している。下院の主要委員会の委員長ポストも自由党議員が占めている。選挙直後は,地元パンパンガ州第2地区選出の下院議員に当選したアロヨ前大統領が下院議長のポストを目指す可能性があり,自由党の多数派連合形成は難航するとの憶測も出た。だが,ベルモンテ候補は6月には党派を超えた支持を固め,自由党を中核とする大連合が形成される方向は固まった。この背景には,アキノⅢ大統領の圧倒的な国民的な人気があった。下院議員にとって,大統領を支持することは,地元での人気を上げ優先開発支援資金(PDAF,または「ポーク・バレル」とも呼ぶ)の分配にも有利となる。実質的に予算の分配に影響力があり,国民的な人気の高い大統領に議員らが不支持を表明する理由は少ない。

上院議長選挙では,エンリレ上院議員が21人の支持を集め議長に就任した(表3)。議長選挙は自由党のフランシスコ・パギリナン候補と大統領選にも出馬した国民党のビリヤール上院議員が議長選挙直前まで過半数を超える支持獲得(13票)を画策していた。当初ビリヤール候補が優勢との見方が強かったが,結局両者とも13票の獲得には至らなかった。上院議員は24人だが,アキノⅢ上院議員が大統領となり,アントニオ・トリリャネス上院議員がクーデタに関与した疑いで拘留中,パンフィロ・ラクソン上院議員が殺人事件の容疑をかけられ逃走中のため,実際に投票するのは21人の上院議員に限られたという特殊事情も影響した。最終的に86歳と高齢だが政界の重鎮であり,前議会でも上院議長を務めたエンリレ議員を議長に選出することで,自由・国民両党や他の議員の間で合意が得られた。妥協案の取りまとめに中心的な役割を果たしたエドガルト・アンガラ議員とエンリレ議員は,上院の独立性を維持し分裂を避けることと,大統領との協力関係構築を重視した議長選出であったと述べている。当初自由党のパギリナン議員を支持していたエンリレ議員が自ら出馬した背景にはそうした事情があった。副議長には,エストラーダ前大統領の息子で,前議会でも副議長を務めたジンゴイ・エストラーダ議員が就任した。

アキノⅢ政権は,大統領の国民からの圧倒的な支持を背景に下院では大連合を形成し,エンリレ上院議長とも良好な関係を築けるとの見方が強い。上院は独立性が強く,政権の法案が承認されるかは個別法案の内容によって異なる。それにもかかわらず,2011年度の予算案は年内に両院で可決され,政権と議会の協調関係を印象づけた。年内に予算案が両院を通過したのは,11年ぶりのことだった。しかし,政権の重要政策法案はまだ明確化されておらず,年内には政府と議会が優先法案についての合意を形成する場である立法行政開発諮問評議会(LEDAC)も開催されていない。政権と議会との関係が真に問われるのは,アキノⅢ政権の中期開発計画が策定され,優先法案が明確化される2011年初頭以降となる。

表3  上院議員選挙

(出所)  選挙委員会。http://www.comelec.gov.ph/results/2010natl_local/national/senatorial_byranked.html。

アキノⅢ政権の施政方針と重要政策

アキノⅢ大統領は,「汚職がなくなれば,貧者もいなくなる」(Kung walang corrupt, walang mahirap!)を選挙スローガンに掲げ,国民からの多くの支持を得た。選挙キャンペーンを通じ,汚職の噂が絶えないにもかかわらず権力を行使し,不正追及も曖昧にしてきたアロヨ政権は,もはや国民からの信頼も正統性もないと批判し,誠実で国民に信頼される政治への変革の必要性を訴え続けた。就任以来基本的にはこの主張を継承し,汚職・不正を追放し国民から信頼される政府となること,政府機関の無駄を省き教育・医療・貧困対策などの社会サービスを向上させること,官民の協力体制により効率的な経済インフラを整備することを重視する姿勢を示している。とくに,前政権からの不正・汚職の追放を急いで政府の透明性を向上させ,国民のための政治を行おうとする姿勢は,アロヨ前政権の不正追及のための真実究明委員会の設置や大統領報道局を改組する行政命令を出したことにより強調された。就任演説や施政方針演説は基本的にフィリピーノ語で行い,フィリピン国民のための政府であることを強調している。具体的な優先政策は2011年以降中期開発計画の作成とLEDACでの優先法案の合意形成を経て明確化されていくが,組閣や就任演説,予算案の作成など2010年の動きを総合すると,アキノⅢ政権の施政方針と重要政策はおおむね以下のようになる。

アキノⅢ政権の主要閣僚は,大統領との親交が深く信頼関係が強固な人物で占められた。そのなかには,母親であるコラソン・アキノ元大統領に閣僚として仕えた者もいる。官房長官には,法律家で両親同士の親交も深いパキュト・オチョアが就任した。オチョアはアキノⅢが下院議員として公職について以来信頼を寄せる相談相手であり,法律顧問の役割も果たしていた。アルベルト・ロムロ外務長官は,前政権から引き続き外務長官を務めることとなった。ロムロ長官は,コラソン・アキノ大統領の内閣に予算行政管理長官として入閣した後,上院議員となっている。アロヨ前政権下では2004年に外務長官に就任した。セザル・プリシマ財務長官は,国内最大の会計事務所(SGV)の責任者を務めた後,前アロヨ政権で貿易産業長官と財務長官を務めたが,アロヨ前大統領の選挙不正に抗議し辞任している。ロハス副大統領候補との親交も深く,大統領選挙戦を通じてアキノⅢ大統領を支援していた。予算行政管理長官には下院議員を長く務め,アキノⅢの相談役でもあったフロレンシオ・アバドが就任した。アバド予算行政管理長官の娘のフリア・アバドは,アキノⅢが上院議員に当選以来チーフ・スタッフを務めていたが,31歳の若さでアキノⅢ政権の大統領秘書室長として入閣した。貿易産業長官には,経済界出身のグレゴリー・ドミンゴが就任したが,将来的には副大統領選に破れたロハス元上院議院に交代するとの憶測も呼んでいる。フィリピン大学経済学部教授のカエタノ・パデランガ国家経済開発庁長官は,コラソン・アキノ政権でも同長官を務めている。司法長官には,前人権委員会委員長で司法界からも信頼の厚いレイラ・デ・リマが就任した。教育長官には,アキノ家とも親交が深いアルミン・ルイストロ・ラサール大学学長が就任した。国防長官のヴォルテア・ガズミンは,コラソン・アキノ元大統領の警護を担当し,大統領からの厚い信頼を得ていた。

6月30日の大統領の就任演説では,何よりも不正と汚職にまみれた前政権から決別し,国民に信頼される政権を目指す姿勢を強調した(表4)。フィリピーノ語での「あなたたちが私の主人だ」(Kayo ang boss ko)という国民への呼びかけは,多くの共感を生んだ。7月26日の施政方針演説も,フィリピーノ語で行われた。アキノⅢ大統領はまず,アロヨ前政権下での不正を追及する姿勢を明確化し,マニラ上下水道機構(MWSS),国家電力会社(Napocor),首都圏鉄道(MRT),国家食糧庁(NFA)などの政府機関での不適切な支出を糾弾した。また,政府支出を適正化し,教育,インフラ整備,医療を向上し安全を保障するためには,官民の協力体制が重要であることを強調した。加えて,共産党系の新人民軍やモロ・イスラーム解放戦線(MILF)との和平交渉を進めることや経済成長促進のための投資誘致も重要課題に挙げた。これらの目的のために政府機関を効率化し,無駄を削減することで赤字財政を健全化する方針を明確にした。議会に対しては,重要法案として財政適正化法案,政府資材調達法案,公正取引法案,国家土地使用法案,国防法改正案,証言者保護法案などを挙げている。施政方針演説では「夢の実現」を強調したが,人権問題や農地改革,外交問題等の重要政策課題に対する言及がないとの批判もあった。コファンコ家(コラソン・アキノ元大統領の生家)の所有するルイシータ農園では,農地改革問題で対立が続いている。また,アキノⅢ大統領が指摘した政府や国営企業の不正支出に対するデータには明確な裏づけがなく,大統領もまだ施政方針を具体化した経済改革政策やプロジェクトを明らかにしていないとも指摘されている。アロヨ政権の不正追及のために,アキノⅢ大統領は行政命令第1号で真実究明委員会を発足させたと宣言したが,後にこの行政命令は最高裁により違憲と判断されている。

10月6日には,就任後100日の成果をまとめているが,ここで最初の成果として挙げられたのが,誠実で国民の声を聴く政府の誕生だった。ここでは,現政権が国民からの信頼を回復し,経済も成長基調にあることが強調された。さらに具体的な成果として国防省の資材調達や公共工事に関する無駄の削減,天気予報システムの改善,無駄の削減による増税なき財政再建政策,貧困層に対する支援金の支出を挙げている。

クリスマス明けの12月27日,2011年度の予算案が両院を通過し,大統領の承認を得た。年内に次年度の予算が承認されるのは,11年ぶりのことだった。予算は,前年度比で6.8%増加し1兆6000億ペソの規模に達した。アバド予算行政管理長官は,この予算は34%を社会サービスに充てた教育・医療・貧困対策を重視したものであることを強調している。予算の増加幅がもっとも高かったのは教育省で,2011年度から本格化する公営幼稚園の整備や教員の増加と待遇改善,学校の教室の増加等教育施設の改善のために使われる。医療分野では農村の医療施設の改善や子供のワクチン接種が重要課題とされた。貧困対策としては,貧困家庭に対する210億ペソの直接支援金が予算に組み込まれた。議会では,この使途を議会が監視する制度を予算法案に入れたが,これに関しては大統領が拒否権を発動している。この直接支援金については,公平かつ適正に分配されるかが争点となっている。また,支援金の支給は,貧しい家庭の依存心増長に繋がるとの批判もある。

2010年は,アキノⅢ政権に対する期待が持続した。11月末に民間調査会社のSWSが行った調査でも,74%の人々が大統領のパフォーマンスに対して満足と答えている(10%が不満足)。大統領に対する支持率は高いが,ラモス大統領もエストラーダ大統領も大統領に就任した年内は高い支持率を維持していた。アキノⅢ政権が,公正で豊かな社会を実現するという夢を実現できるか,評価するにはまだ早い。アキノⅢ政権の政治手腕には不安も多い。たとえば,政治判断のスピードが遅く実行力は示せずにいる。フィリピンでは,政権交代により1000以上の行政管理職のポストが入れ替わる可能性がある。しかし,アキノⅢ政権は,この交替を迅速には行えていない。閣僚のポストでもラモン・パヘ環境天然資源長官,ジェシー・ロブレド内務自治長官,ロサリンダ・バルドス労働雇用長官が,長期間にわたり正式な任命委員会の承認を得ない長官代行にとどまった。政府の透明性を高め国民とのコミュニケーションを円滑化する目的で,大統領府の報道関係の組織が改編され,新たにコミュニケーション開発戦略計画官のポストがつくられた。これで大統領府の閣僚級の報道関係官はレシエルダ大統領スポークスパーソン,カランダン・コミュニケーション開発戦略計画長官,コロマ・コミュニケーション・オペレーション長官の3人体制となったが,組織上の役割分担も明確でなく,現時点では目的に合った成果が示せるか疑問もある。また,政権の重要課題である不正追及や政府支出の適正化に関する行政命令の違憲性が問われ,政権の行政能力に対する疑問が広がった。前政権の不正追及を目的とする真実究明委員会の設置のための行政命令第1号は,最高裁によりすでに違憲と判断されている。ほかにも国営企業の役員に対する報酬支払いの差し止めを求めた行政命令第7号などの違憲性が問われている。これは,アキノⅢ大統領の法律関係顧問の未熟さが原因として批判されているが,任命者にも当然責任はある。

国民の支持を集めるアキノⅢ政権にとっても,治安維持と国内紛争終結が重要課題である。アキノⅢ政権の問題への対応力がもっとも疑問視されたのが,香港からの旅行者8人が犠牲者となったマニラのバス・ジャック事件だった。解雇を不満とする元警察官が起こしたこの事件は,詳細がリアルタイムでメディアに報じられ大きな衝撃を与えた。事件後,香港政府がフィリピンへの旅行を一時禁止するなど外交問題ともなった。大統領も政府の対応の誤りを認め謝罪している。また,アキノⅢ政権でも,共産党系の新人民軍とモロ・イスラーム解放戦線との和平交渉,ミンダナオの和平実現は重要課題として挙げられているが,年内には和平合意に向けての予備交渉が始められたにすぎない。クリスマス停戦直前には,北サマール州で共産党武装勢力により10人の国軍兵士が殺害される事件が起きている。2011年8月には,ムスリム・ミンダナオ自治地域の選挙が予定されているが,選挙を延期する案も浮上している。ミンダナオの和平達成には,MILFとの和平合意が重要だが,まだ明確な見通しは立っていない。また,自治地域のガバナンスの強化も困難な課題である。自治地域では紛争と暴力事件が絶えず,新政権の誕生が平和秩序の回復に寄与するか注目されている。

誠実なアキノⅢ大統領は,フィリピンの経済界や宗教界のエリートの広範な支持を集めている。アロヨ政権に批判的だったマカティ・ビジネスクラブも,大統領選挙戦を通じアキノⅢ大統領を支持していた。会長であるラモン・デル・ロザリオは,コラソン・アキノ元大統領の支持者であり,アキノ家との親交も深い。しかし,アキノⅢ大統領は,上院議員時代より産児制限や避妊推進政策の必要性に言及していたことからカトリックを中心とする宗教界との対立も予想されている。家族計画や性教育の問題が争点となるリプロダクティブ・ヘルス法案(性と生殖に関する健康法案)の審議の行方にも関心が集まる。

表4  アキノⅢ新大統領16公約:フィリピン国民との社会契約

(出所) Official Gazette of the Republic of the Philippinesより筆者作成(http://www.gov.ph/the-republic/the-president/benigno-simeon-cojuangco-aquino-iii/platform-of-government/)。

経済

実質GDP成長率は7.3%の高成長

2010年フィリピン経済は7.3%と,高いGDP成長率を記録した。総選挙は政府支出と民間支出を増やし成長率をいくぶんか押し上げる効果があった。GDP成長率は1.1%だった2009年に比して大きく改善し,5.0~6.0%だった政府目標をも大幅に上回った。一方,GNPは7.2%増加し,海外純要素所得も6.0%増加した。海外からの所得の伸びがやや鈍かったのは,ペソ高の影響による。成長率を四半期別にみると,第1四半期に7.8%と高い成長を記録したのち,その後も各四半期で,8.2%,6.3%,7.1%と高成長が持続した。証券市場も活況で,11月初めに最高値を記録した後,下降傾向となったが,12月30日のフィリピン証券市場指標(PSEI)の終値は4201.14で,2009年の終値に比べ37.6%の上昇を記録した。

年率7.3%の高成長への部門別の貢献度をみると,鉱工業部門が3.9%分の貢献を示した。とくに電子部品や石油製品や食品といった製造業が高い成長を示した。サービス部門も堅調に成長し,3.5%分の貢献を示している。同部門への国内投資が増加し,ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)産業の急激な成長が目立った。また,ホテルやレストラン業界,卸業や小売業も好調で,サービス輸出も好調だった。エルニーニョ現象による異常気象で,農業部門の貢献度はマイナス0.1%にとどまった。しかし,第4四半期は5.4%の成長を記録した。これは,収穫期であったことと台風の被害が少なかったことによる。

支出項目別にみると,2010年の高い経済成長は個人消費に支えられたが,投資の増加も成長を助けた。建設部門や電子部品を中心とする製造業部門に対する民間投資の増加が17.0%というきわめて高い国内総資本形成の増加を導いた。海外からの送金も着実に増加し,213億ドルに達した。2010年の銀行システムを通じての送金到着額は2009年に比べ7.9%の伸びを記録している。一方,物価は比較的落ち着いた動きを示し,消費者物価上昇率は3.8%と政府の目標値内におさまっている。しかし,燃料や電気水道価格は2010年に13.2%上昇し,庶民の生活の懸念材料となっている。食料品の物価上昇率も2009年の6.0%から,2010年には4.5%と下降傾向にあるが,世界市場の動向に大きく影響されるため,今後上昇に転じる可能性もある。

中央銀行の政策金利は,年間を通して翌日物借入金利(逆現先レート)は4.0%,同貸出金利(現先レート)は6.0%の水準を維持している。これは,2009年7月から変わっていない。再割引の供給枠は600億ペソだったものを3月と4月に徐々に引き下げ200億ペソに縮小し,リーマンショック以前の水準に戻している。2010年9月末の対外債務は598億ドルに達しているが,短期の債務は多くない。外貨準備残高は,輸出の増加とペソ高の影響もあり538億ドルと歴史的な高水準に達した。これは約9.4カ月分の輸入総額と同額で,短期債務総額の9.8倍に相当する。フィリピンの銀行システムも安定しており,2010年9月末の不良債権比率も3.8%と低い。銀行業全体では,総資産7.2%,ペソ預金10.6%,貸出9.8%,いずれも前年の9月末の水準より増加し,堅実な成長を示している。しかし,フィリピン企業の大部分を占める中小企業は,安定志向の銀行から融資を受けにくく,資金調達が困難とも指摘されている。

2010年は経済成長により雇用情勢も改善している。雇用者数は2.8%伸び,98万3000人分の雇用が増えたと推測される。その結果,失業率は2009年の7.5%から7.3%へと若干改善している。

2010年は1年を通じて好況感が持続し,今後の見通しも全体的に楽観的である。民間調査会社のSWSが11月に行った世論調査では,42%の人が今後1年間の生活向上を予測し,好況を予測する人も39%にのぼっている。この数値は1998年の調査開始以来最高で,経済の先行きに対する楽観的見方が国民の間に広がっていること示している。こうした好況への期待は,アキノⅢの大統領選挙勝利を契機とし,8月にバス・ジャックにより香港からの旅行者が犠牲となった事件で一時後退したが,それ以後再び回復している。

経済成長への期待感に対し,現実は厳しい。世界経済不況の影響を受けた2009年を除くと,フィリピンは2002年以降堅調な経済成長を続け,2007年にも7.1%のGDP成長率を記録している。しかし,1人当たりのGDP成長率は3%以下にとどまり,高成長の果実が隅々にまで行き届いたとはいえない。約30%の貧困率をミレニアム開発目標の15%にまで減らすためには,今後6年間で平均6%のGDP成長率を達成しなければならないと試算されている。2010年11月末のSWSの世論調査では,過去3カ月間に18.1%(推計340万)の家庭で飢えを経験していると報告された。2009年版トランスペアレンシー・インターナショナルの世界汚職報告書でも若干の改善が見られるものの,178カ国中134位と汚職問題の深刻さが示されている。2011年度世界銀行のビジネス環境調査(Doing Business)でも,183カ国中148位と評価は低い。

フィリピンは,海外投資誘致・輸出振興による経済開発を目指したが,その成果が表れているとはいいがたい。製造業は競争力をつけたとはいいがたく,工業製品の輸出の60%以上を電子部品が占める「モノカルチャー」的ともいうべき脆弱な構造となっている。ほかのアジア諸国の高度成長を牽引した海外直接投資もフィリピン向けは2000年の182億ドルに対して2009年には236億ドルと伸び悩んでいる。他方,2009年のインドネシア向け海外直接投資は728億ドル,ベトナム向け投資は990億ドルを記録している。フィリピン企業の成長力を高めるためにもインフラ整備への投資は不可欠だが,国家の財政基盤の脆弱性も継続的な問題である。2010年1~11月の財政赤字は,2698億ペソに達している。

官民協力の課題

大規模な財政赤字を抱える政府は,財政再建を目指しながらも経済成長・雇用創出・貧困撲滅のために民間と政府の投資を増やし,経済のインフラを整備し,また社会サービスを充実させようとしている。歴代政権と同様に,アキノⅢ政権は困難な経済開発課題に直面している。アキノⅢ政権では,政府と民間企業との協調(PPP)を重視し,公共事業に民間の資金を活用することを目論んでいる。11月には,鉄道,道路,飛行場建設など80の主要インフラ整備事業構想(総額約33億ドル)が発表された。1990年代初頭,ラモス政権はビルト・オペレート・トランスファー(BOT)法を成立させ,これを電力供給体制整備に民間資金を活用する枠組みとして利用した。基本的には,民間企業の専門性と資源をさまざまな公共事業の資金調達,建設,管理,運用,サービスの提供に活用するのがBOT法の目的である。この枠組みの下,民間資金は多様な方法で公共事業に使われたが,プロジェクトの計画・実施・管理に関する責任の所在や利益の分配,損害の補償方法など,過去の経験からも多くの課題が指摘されている。

たとえば1998年には,土地・交通局のデータベース構築などの情報システム構築に民間資金活用が試みられたが,そもそも情報システム構築に関するPPPのガイドラインが存在しなかったためにプロジェクトは遅れ,政府資金の節約にもユーザーの利便性向上にも繋がらなかった。マニラ上下水道機構(MWSS)の設立では,水道供給を改善させた功績はあった。しかし,その過程では,水道供給と料金,保証されるべきサービスのレベルに関して包括的な指針が明確でなく,サービス供給と料金の徴収に関する運用を適正に監視する機関も機能していないという問題も指摘された。BOT法をめぐっては改正案が議論されているが,監視体制についても関係各省庁に監視を任せるか,国家経済開発庁などが横断的に所管するべきか,基本的な枠組みについても見解が分かれている。

効率的で公正なPPP確立のためには,多くの障害がある。下院の政策調査機関である企画予算部(CPBD)の報告書などでも指摘されているように,政府にはマクロ経済環境を安定させ長期の投資を奨励するための債券市場を整備することや,政府開発援助資金の有効活用,監視機関の強化,BOT法の改正,透明性を向上させるための情報公開制度の整備への取り組みを早急に行うことが求められている。

アキノⅢ政権は,9月9日に行政命令第8号により,貿易産業省の管轄だったBOTセンターを改組し,国家経済開発庁の管轄下にPPPセンターを設立している。また3億ペソのフィージビリティ・スタディのための予算も確保している。この組織改革は,PPP推進とマーケティング強化,各関係機関の調整と運営管理の強化が目的だが,どれほどの効果を上げられるかはまだ明確ではない。

電力供給問題

これまで,市場原理を導入し政府の補助金を減らして,安価で安定した電力供給を確保することを目標として,電力事業の改革が行われてきた。PPP推進の観点からも,もっとも注目されているのが電力業界であろう。電力料金の低下と安定供給がフィリピン経済の競争力を強化するためには不可欠とも指摘されている。消費者が供給会社を選択できるオープンアクセスを実現する前に,少なくとも70%の事業を民営化することが,2001年の電力産業改革法(EPIRA)の前提となっていた。この法律に従い国家電力会社(Napocor)の資産売却を進めている電力事業資産・負債管理会社(PSALM)は,カラヤン市やナガ市,レイテ島やミンダナオ島などにさまざまなタイプの民営化予定の電力事業所を多く抱えている。とくに南部のミンダナオ島では民営化改革が遅れ,政府の補助金に頼る構造が残っている。また,水力発電が多く,干害による水量不足からくる電力供給の不安定さが問題化している。根本的な問題として政府規定の電力料金があまりに安く設定されていて,民間の投資が集まらないと指摘されている。ディーゼル発電の場合,1KWh当たり2.95ペソの設定価格に対し実効価格は7ペソであり,石炭火力発電の場合は1KWh当たり3.57ペソの設定価格に対し実効価格は5~6ペソであるとも試算されている。

成長が続くセブ島が位置するビサヤ地方でも,2009年の夏頃から電力不足が問題となっていた。しかし,新たに石炭火力発電所が3つの電力発電会社により建設され,合計610MWの電力供給が2011年初めから始まるため停電問題は解決されると予測されている。これは,ビサヤ地方の1日の平均電力需要1200MWの約半分を占める電力供給である。しかし,経済成長が続き年間で5~6%の需要が増え続けているセブ島では,とくに需要が増える時期の供給が2013年頃までには再び不足するとの見方もある。その他,バコロド市やイロイロ市などの地方都市での電力供給不足への懸念が広がっている。

民営化による電力事業参入により順調に業績を伸ばしている企業もある。電力事業に参入したサンミゲル社は,1200MWの発電能力を持つイリジャン天然ガス発電所(バタンガス州),345MWのサン・ロケ多目的水力発電所,1000MWのスアル石炭火力発電所(ともにパンガシナン州),620MWのリマイ町の複合発電方式発電所(バタアン州)を運用している。2010年初めから9月までに380万MW,241億ペソを売り上げ,7億ペソの純利益を得たと報じられている。これらは収益化の成功例とも考えられるが,公共事業による大規模な収益は常に消費者に還元されるべきとの批判は当然出てこよう。他方,収益の上がらない事業に民間企業が投資するとは通常は考えられず,前述のような電力事業参入に伴う利益が投資に応じた適正な価格設定によるものか判断するのは難しい。

2010年の成長産業

近年フィリピンで著しい成長を記録し,今後も成長が期待されているのは,ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)産業であろう。現在も60万人の雇用を生んでいると推計されている。フィリピン・ビジネス・プロセッシング協会(BPAP)の中期成長戦略目標(2011~2016年)では,250億ドル規模への成長と130万人の雇用を見込んでいる。2010年のIBMの報告書では,BPO産業の最適地として長年首位の座にあったインドに代わり,人件費と英語力で優位なフィリピンが首位となったとも報じられている。フィリピンは,電力コストやインフラ環境ではほかの地域に劣るものの,インターネットコストや人件費では優位にあるとされている。

BPO産業には,コンタクト(コール)センター,バックオフィス・サービス,情報技術,エンジニア・サービス,アニメーション,トランスクリプション(医療・法律分野など)の分野がある。BPO産業は,2004年には10万500人の雇用を生み14億7500万ドルの収益規模だったものが,2008年には37万1965人の雇用者と60億6100万ドルの収益を上げるという具合に急成長を遂げている。最近ではとくにコールセンター分野での成長が著しい。BPO産業の波及効果は建設業などの一部に限られるとの見方もあるが,ほかの産業に比較して給与水準は高く,とくに若年層での雇用増加への期待は高い。ILOの報告書では,フィリピンのBPO産業の平均月額給与は1万6928ペソで,1万ペソに満たない最低賃金を大幅に上回る。ただし,今後は複雑化する業務に対して,能力の高い人材の不足が成長の障害になるとの懸念が広がっている。さらに24時間の勤務体制という厳しい労働条件のために,労働条件の改善が問題化するとの指摘もある。

フィリピンの主力輸出産業である半導体・電子部品産業は,2010年は高成長を記録した。世界経済の緩やかな回復もあり,同産業は13億ドルの投資を集め,通年で30%以上の高成長が見込まれている。1~9月の輸出は,235億ドルに達し2009年の同時期に比べ47%以上の伸びを示した。今後の成長が期待される分野であり,輸出開発機構(EDC)も2016年までに輸出の倍増を目標としているが,業界団体であるフィリピン電子産業連合会(PAEII)は2011年度の成長率が2010年度に比べて鈍り,10%程度と予想している。2010年度の急成長は世界市場の低迷で輸出が減った2009年度に比較したものであり,さらに半導体・電子部品業界では世界市場での厳しい価格競争が予想されている。

対外関係

国民の圧倒的な支持を得たアキノⅢ政権の誕生は,ASEAN諸国,アメリカ,中国,日本,韓国,ヨーロッパ連合諸国などの主要貿易相手国からも歓迎された。アロヨ前政権に任命されたロムロ外務長官が留任したことで,アキノⅢ政権誕生により外交方針に大きな変化はないものと受け止められている。ASEAN諸国とアメリカ,中国,日本などの主要貿易相手国および援助国を重視し,経済問題を重視する外交姿勢は継続的である。出稼ぎ労働者の安全確保も重要な外交方針である。

アキノⅢ新大統領は外遊を控えるとの姿勢も示したが,9月にアメリカで行われた国連総会に出席してオバマ大統領やクリントン国務長官と会談し,大統領として外交デビューを飾った。その後10月には,ベトナムでのASEAN首脳会議に出席し,11月には横浜で開かれたAPEC首脳会議にも出席している。アメリカ,日本との首脳会談では,引き続き政府開発援助による経済協力の約束を取り付けている。フィリピン,ベトナム,マレーシア,ブルネイ,台湾,中国が領有権を主張しているスプラトリー諸島(南沙諸島)問題では,大きな進展はなかった。

5月には,ニューヨークの国連本部で開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議でフィリピンのリブラン・カバクチュラン大使が議長を務めている。国際的にも関心が高い会議で議長国を務め最終文書の取りまとめに貢献したことは,フィリピンの国際社会での信頼を高めることにも寄与した。

香港からの8人の旅行者が犠牲となった8月のマニラでのバス・ジャック事件では,フィリピン政府の対応に批判が集まった。香港政府はフィリピンへの渡航中止を勧告し,香港では大規模なデモが発生している。しかし,中国との関係が悪化したわけではない。オスロで行われた中国の民主化運動家の劉暁波氏のノーベル平和賞の授与式に,フィリピンは政府代表の派遣を見送り,中国との関係を重視する姿勢を明確化している。しかし,この派遣見送りは,アメリカやヨーロッパ諸国からは不評を買った。

2011年の課題

2011年はアキノⅢ政権の真価が問われる年になる。2月には中期開発計画が発表され,LEDACが開かれ,行政府と議会で重要法案に関する合意形成が行われる予定である。この合意形成を経て重要法案成立に向けて指導力を発揮できるか,とくに独立性の強い上院との調整では大統領の調整能力が試される。経済関連法案だけでなく,家族計画や性教育の問題でカトリック教会から批判の強いリプロダクティブ・ヘルス法案や,基本教育期間を12年間に延長する教育改革の行方もフィリピンの未来に大きな影響を与える。また長年の懸案事項であるムスリム系武装組織や共産党系の新人民軍との和平交渉がアキノⅢ政権下で進展するかにも注目が集まる。これらの解決に向け,ひとつの重要な試金石となるのが,8月に予定されているムスリム・ミンダナオ自治地域の選挙である。

アキノⅢ政権の経済外交の方向性も試される。日比経済連携協定(JPEPA)の見直しが始まる。さらなる自由貿易協定の推進のため,環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加も議論されることになろう。

(信州大学准教授)

重要日誌 フィリピン 2010年
  1月
1日 フィリピンを含むASEAN6カ国で7881品目の関税撤廃。
2日 フィリピン地震研究所がマヨン火山の警戒レベルを5段階中4から3へ引き下げ。
5日 コタバト地裁で,アムパトゥアン市長のマギンダナオ州での大量殺害事件への関与に対する無罪判決。
7日 司法省,元広報官と運転手の殺人事件に関与した疑いでパンフィロ・ラクソン上院議員を提訴。
10日 総選挙に向けて全国的な銃規制開始。
13日 フィリピンも参加する国連平和維持軍が活動中のハイチで大地震発生。
15日 選挙委員会が144政党の5月総選挙への立候補を承認。
26日 ムーディーズがフィリピンの銀行システムの格付けをほかの12カ国とともに「安定」に格上げ。
29日 コタバト市で飛行機事故が発生し,空軍将校を含む8人が死亡。
  2月
3日 世論調査機関のパルス・アジア,1月時点での大統領候補への支持率に関する世論調査結果を発表。アキノ候補37%,ビリヤール候補35%で拮抗。
6日 ルソン島南部で新人民軍関係者として医者・看護婦・助産婦を含む43人の医療従事者が逮捕される。逮捕の違法性が問題化。
8日 ケソン州で8人の誘拐容疑者が警察官との銃撃戦で死亡。
11日 最高裁が自動集計システムに関する選挙委員会とスマートマティック社との契約を無効とする訴えを棄却。
19日 国家送電公社がエルニーニョ現象による干害の全国的拡大と水力発電用の水不足を警告。
19日 ミンダナオ島で水不足による電力不足が深刻化。
20日 ルソン島の余剰電力を諸島部へ供給開始。
21日 国軍が過激派組織アブ・サヤフの幹部を含む6人のメンバーの殺害を発表。
27日 バシラン州で,住民ら11人がアブ・サヤフ幹部らの武装集団の襲撃により殺害される。
  3月
1日 電力不足による停電がマニラ首都圏を含むルソン島にも広がる。
2日 最高裁が5月総選挙に出馬予定の任命行政官に即時辞任を要求。
3日 アロヨ大統領が5月総選挙立候補予定者の辞任に伴い大規模な内閣改造。メンドーサ官房長官が就任。
6日 オリエンタル・ミンドロ州で11人の国軍兵士が新人民軍により殺害される。
7日 スルー州でフィリピン海兵隊がアブ・サヤフのメンバー7人を掃討。
8日 アロヨ大統領が国軍参謀総長にデルフィン・バンギット将軍を任命。
11日 アロヨ大統領が水不足に見舞われたミンダナオ島を災害被災地域と宣言。
15日 ピーター・ファビラ前貿易産業長官が中央銀行政策委員に任命される。
17日 最高裁が総選挙後5月17日に退任予定であるプノ最高裁判所長官の後任者の任命権をアロヨ現大統領に認定。
26日 5月地方選挙戦開始。
  4月
5日 91日国債の利率が3.875%に低下。
6日 パルス・アジア,3月時点での大統領候補への支持率に関する世論調査結果を発表。アキノ候補37%,ビリヤール候補25%で,アキノ候補が優位に。
7日 マニラを含むルソン島広域で停電。その後も不安定な電力供給が続く。
8日 ベトナムのハノイでASEAN首脳会議が開催。アロヨ大統領も出席。
10日 香港とシンガポールで5月総選挙の海外滞在者の投票が始まる。
13日 イサベラ市でアブ・サヤフによる爆破事件が発生。15人が死亡。
14日 農業省幹部がエルニーニョ現象などによる穀物への損害額が4月5日の推計で84億ペソにのぼると証言。
17日 アグラ司法長官が,アムパトゥアン・ムスリム・ミンダナオ自治地域知事らがマギンダナオ州大量殺害事件に関与したとの容疑に関する提訴を棄却。その後,この判断に対する抗議行動が続発。
23日 ビリヤール大統領候補が違法な証券取引への関与を改めて否定。
29日 パルス・アジア,大統領候補への支持率に関する世論調査を発表。アキノ候補が39%で独走。ビリヤール候補とエストラーダ候補は20%の支持率で拮抗。
29日 選挙委員会が5月総選挙で自動集計と並行して手作業で集計する提案を否定。
  5月
2日 アロヨ大統領がマニラ上下水道機構(MWSS)の会長に前政治顧問のガブリエル・クラウディオ氏を任命。
3日 フィリピンのリブラン・カバクチュラン大使が議長を務める核不拡散条約(NPT)再検討会議がニューヨークの国連本部で開催。
4日 選挙委員会が自動集計システムのコンパクト・フラッシュカード7万6000枚をリコール。
6日 選挙委員会が自動集計システムの事前テストの成功を公表。
8日 選挙委員会がリコールしたフラッシュカードの70%の交換を終了したと公表。
10日 2010年正・副大統領,国政・地方選挙実施。
15日 選挙委員会が最初の9人の上院議員当選者を宣言。史上最速の結果。
17日 アロヨ大統領がレナト・コロナ最高裁長官を任命。
18日 選挙委員会が3人の上院議員当選者を宣言。
19日 与党ラカス・カンピ党の会合で,下院議員に当選したアロヨ現大統領が下院議長選への出馬を否定。
28日 最高裁が砂糖農地も包括的農地改革法(RA6657)の対象と判断。
  6月
2日 オンブズマンがナショナル・ブロードバンド汚職疑惑に関するアロヨ大統領の関与を否認。
4日 第14議会が閉会。情報公開法案は不成立。
4日 与党のラカス・カンピ党が次期議会の下院議長候補にエドセル・ラグマン議員を推す。
5日 バシラン州でアブ・サヤフが誘拐した3人を殺害。
8日 国会での開票作業が終了。アキノⅢ候補とビナイ候補がそれぞれ正・副大統領に当選した最終結果が確定。
10日 アロヨ大統領が石油等の関税を引き下げる行政命令第890号に署名。
13日 セブ島のバス事故で20人以上が死亡,30人が負傷。犠牲者のほとんどはイラン人旅行者。
20日 ダバオ・デル・スル州でジャーナリストが殺害される。5日間で3人目の犠牲者。
26日 中央銀行幹部が次期政権へ引き継ぐ財政赤字が3400億ペソにのぼると証言。
29日 アキノⅢ次期大統領が主要閣僚を発表。
30日 アキノⅢ大統領とビナイ副大統領が就任。
  7月
2日 アキノⅢ大統領が国軍参謀総長交代式典に参列。
3日 セブ島でバス事故により15人が死亡,65人が負傷。
9日 ロハス副大統領候補が大統領選挙法廷(最高裁)にビナイ候補の当選を無効とする異議申し立てを行う。
12日 アキノⅢ大統領が民間調査会社SWS調査で88%の高い信頼性を獲得。調査開始以来の最高値を記録。
14日 台風の通過によりルソン島各地で被害が広がる。22人が死亡,35人が行方不明。
15日 ビナイ副大統領が住居都市開発調整評議会議長として入閣。
15日 中央銀行が2012~2014年の中期インフレ・ターゲットを4±1%と発表。
21日 マニラ首都圏での水不足が深刻化。政府は緊急事態ではないとの認識を表明。
22日 関税局が大規模な密輸業者を摘発。
26日 第15議会が開会。アキノⅢ大統領が議会で初めての施政方針演説を行う。
26日 上院議長にフアン・ポンセ・エンリレ議員,下院議長にフェリシアーノ・ベルモンテ議員が就任。
30日 フィリピン航空(PAL)がパイロットの不足により国内・国際便でフライトをキャンセル。その後もフライトへの影響が続く。
  8月
6日 ルイシータ農園の土地分配問題で農民グループと農園経営者との間で合意が成立。法的手続き開始。
18日 ベンゲット州でバス事故,41人が死亡。
21日 北サマール州で新人民軍の地雷により警察官8人と住民らが殺害される。
23日 マニラ市のリサール公園でバス・ジャック事件が発生し,人質となった香港からの旅行者8人が救出作戦中に犠牲となる。
23日 マニラのトンド地区の私服警察官による容疑者虐待の映像がメディアに流失。アムネスティ・インターナショナルがアキノⅢ大統領の人権問題に対する取り組みの不十分さを指摘。
26日 内国歳入局が55億ペソの申告漏れがあったとして会社経営者を脱税容疑で告発。
29日 香港でマニラのバス・ジャック事件に関し,フィリピン政府の対応に抗議する大規模なデモが発生。
30日 アメリカ国際開発援助庁の支援による家族計画プログラムが開始。
  9月
10日 ペソ建ての国債10億ドルを発行。
14日 最高裁がオンブズマンのメルセジタス・グチエレスに対する弾劾手続きを停止。
17日 デ・リマ司法長官が8月のバス・ジャック事件の真相究明報告書を大統領に提出。
21日 リコ・プノ内務自治次官がフエテン(違法賭博)関係者より金銭を受け取っていた疑惑が発覚。
24日 アキノⅢ大統領,アメリカのクリントン国務長官より190億ペソの援助資金提供を約束される。
25日 ニューヨークの国連総会でアキノⅢ大統領が演説。
26日 アキノⅢ大統領,アメリカのオバマ大統領と会談。
26日 司法試験が行われていたマニラのデ・ラサール大学で爆破事件,受験生ら47人以上が負傷。
30日 社会福祉開発省が150万人の幼児を対象としてデイケアセンターによる給食プログラムを開始。
  10月
1日 アキノⅢ大統領,家族計画問題についてカトリック司教らと意見交換。推進の立場をあらためて説明。
5日 教育省が大学入学前の基礎教育年数を現行の10年から12年に延長する計画を発表。実施はアキノⅢ政権後の見通し。
13日 アキノⅢ大統領がトリリャネス上院議員ら前政権に対する反乱罪容疑者の恩赦を表明。
14日 関税局がフィリピン・シェルを輸入関税の脱税容疑で提訴。
17日 ルソン島北部に大型の台風13号が接近。数千人の住民が避難開始。その後,台風により12人が死亡,農作物への被害は15億ペソと推計。
21日 コタバト市でバス爆破事件が発生。10人が死亡し30人以上が負傷。
25日 全国でバランガイ選挙が実施。5人の死亡者が出る。
26日 セブ・パシフィック航空がフィリピン証券取引所に上場。
28日 中央銀行が外貨政策の規制緩和を発表。
28日 ベトナムのハノイでASEAN首脳会議が開催。アキノⅢ大統領も出席。日本の菅直人首相と会談。
29日 労働雇用省がフィリピン航空に2600人の解雇を認める。
  11月
2日 ペソが高騰し,1ドル=42ペソ台に。
6日 カトリック司教協議会のネレオ・オドチマール会長が家族計画に関するリプロダクティブ・ヘルス法案に改めて反対の意向を表明。
7日 ソマリア沖で海賊に拘束されていた韓国のタンカーが保釈金を支払い解放される。フィリピン人乗組員19人も無事。
10日 アメリカのクリントン元大統領がフィリピンを訪問。アキノⅢ大統領と会談。
10日 主要労働組合がフィリピン航空の解雇に異議申し立て。
12日 横浜でAPEC首脳・閣僚会議開催。アキノⅢ大統領と経済閣僚らが出席。
12日 スタンダード・アンド・プアーズがフィリピンの外貨建て長期債券の格付けをBBに格上げ。
25日 ホセ・メロ選挙委員長が2011年1月31日で辞任する意向を表明。
30日 パルス・アジア,69%がリプロダクティブ・ヘルス法案を支持しているとの世論調査結果を公表。
  12月
2日 内国歳入局がマニラ上下水道機構(MWSS)幹部3人を脱税容疑で告発。
5日 プロテスタント系のフィリピン教会国民会議(NCCP)がリプロダクティブ・ヘルス法案への理解を表明。
7日 アロヨ前政権の不正追及を目的とする行政命令第1号を最高裁が違憲と判断。
9日 オスロで行われるノーベル平和賞の授与式にフィリピン政府は代表を派遣しないことを決定。
10日 2月に新人民軍関係者として拘束された医療従事者43人が大統領令により解放。
14日 北サマール州で新人民軍により10人の国軍兵士が殺害される。
16日 政府と新人民軍の間で18日間のクリスマス休戦が始まる。
23日 政府が行政命令第1号を違憲とした最高裁判断に異議申し立てを行う。
25日 ホロ島の警察敷地内の教会でクリスマス・ミサの最中に爆破事件。10人が負傷。
27日 2011年度の予算案が両院協議会を通過し,大統領が承認。

参考資料 フィリピン 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  国家機関主要人名簿(2010年12月末現在)
②  国家機関主要人名簿(2010年12月末現在)(続き)
③  地方政府制度(2010年12月31日現在)

主要統計 フィリピン 2010年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:1985年価格)
4  国際収支
5  国・地域別貿易
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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