アジア動向年報
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2010年のアジア 世界経済を牽引するアジア,存在感を増す中国
奥田 聡
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2011 年 2011 巻 p. 3-6

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2010年のアジア 世界経済を牽引するアジア,存在感を増す中国

世界経済成長の原動力となったアジア

2010年の世界経済は,世界同時不況からの脱出のために各国が行った経済刺激策が功を奏し,回復過程をたどった。IMFの世界経済見通し(WEO)によれば,世界経済成長率は2009年のマイナス0.6%から2010年には5.0%へと加速した。

こうしたなか,2010年のアジア経済は前年に引き続き世界経済を牽引する原動力の役割を果たした。上記IMF見通しによれば,2010年のアジア途上国の経済成長率は8.4%で,2009年の9.3%に引き続き世界平均を大きく上回る良好なパフォーマンスを維持した。各国の金融緩和により放出された巨額の資金が高い成長を見込めるアジア各国に流れ込んだ。これが先進国経済の緩やかな回復やアジア各国の所得向上に伴う内需の高まりと相まって生産の増加をさらに促した。

好調を続けた2010年のアジア経済のなかでもひときわ目立つのが10.3%の成長を遂げた中国と8.6%の成長を遂げたインドの存在である。2010年の中国のGDP総額は日本(5兆4588億ドル)を上回る6兆94億ドルに達し,世界第2位の経済大国となった。インドのGDP総額も1兆5870億ドルに達した。中印両国では経済規模の拡大に伴う国内での所得向上が自動車や住宅などの普及を促進し,本格的な大衆消費社会が到来した。中印においてますます巨大化する内需はそれ自体が「引力」を生んで新たな富の流入を誘うという,壮大な好循環が現出しつつある。

中国とインドの発展は,アジア諸国を潤している。2009年には成長が低迷したASEAN先発国や韓国,台湾などの比較的高所得の国においても,中印両国向け輸出の増加に助けられて経済成長が加速した。とくに,ASEANの中継貿易港であるシンガポールは,周辺諸国の貿易増加の好影響を一身に受け,1人当たり所得が日本を上回る高所得国にもかかわらず2桁成長を示した。

アジア諸国はリーマン・ショック後の緩和策からの「出口」を模索しはじめた。マレーシアでは,経済対策実施に伴う財政赤字を是正するため,新経済モデル(NEM)が発表された。韓国,中国,インドネシアやインドなどでは預金準備率や政策金利の引き上げなどの金融引き締めを行った。こうした金融引き締めには,原油や食糧の国際価格高騰に伴う物価高への懸念を払拭する意図もこめられている。物価上昇はとくに南アジアにおいて深刻で,物価上昇が政治への不満に転化しないよう各国政府は神経を尖らせている。

後発途上国では,電力不足が深刻化している。2009年に引き続き,後発国はハイペースの経済成長を遂げているが,それに伴って急増している電力需要に供給が追いつかないのが実情である。現下の原油高もあり,原子力発電所の建設を進めようとする国もある。インドやバングラデシュ,ベトナムはその例である。

原油や鉱物資源の価格高騰は,多くのアジア諸国にとってその負担を増す悪材料であるが,これら資源を豊富に持つ一部諸国にとってはかえって朗報となり,鉱業資源開発が活発化している。ロシア極東やモンゴル,カンボジア,ティモール・レステなどはレアアースや石油開発に沸いた。今後資源価格は一層の高値が見込まれ,資源を持つ後発国にとっては巨額の経済的利益を得る絶好の機会となろう。

内政では政経分離の傾向

アジア諸国の国内政治は相変わらず各国各様であったが,社会主義諸国においては中央の統制から距離を置こうとする傾向が見られたほか,各国における政経分離の傾向が見られた。中国では反日運動が中央批判に転化する兆しが見られたほか,ベトナムでは国会が政府の政策に対するチェック機能を働かせようとしたことなどが注目される。また,タクシン元首相の支持派と反対派の間で流血の国内対立が起きたタイでは,経済成長がそれにより大きく落ち込むことはなく,極左過激派の運動に悩まされているインドでもマクロ経済は安定的に運営されて高成長を実現した。これらの傾向は,アジア諸国における所得水準の上昇と国民生活の安定と無関係ではなかろう。ただし,以前から問題となってきた汚職,腐敗の追放には程遠く,依然として多くの国々においてこれらの問題の解決が政策的急務となっている。

政権交代に関しては,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)において金正恩氏が表舞台に登場したことにより健康不安が取り沙汰される金正日総書記の後継者が事実上決まった。フィリピンでは故コラソン・アキノ大統領の息子であるアキノⅢ大統領が就任し,民営化推進や腐敗追放が期待されている。

国政選挙としては,ミャンマーの総選挙が注目された。結果は現政権の勝利に終わったが,長らく軟禁されていたアウンサン・スーチー氏が解放され,「民政移管」が実現した。長期間維持されてきた閉鎖的体制が変化する契機になるかどうか,注目される。

アジアには,国内の武装勢力の活動に悩まされる国が多い。ミャンマー,インド,バングラデシュ,パキスタン,アフガニスタンなどでは死傷者を伴う事件が2010年にも相次ぎ,問題解決の糸口は依然としてつかめないままである。内戦状態にあるアフガニスタンでは,米軍をはじめとする計13万人の外国軍の存在にもかかわらず,情勢は転換しなかった。しかし,フィリピンでは政府と武装勢力との間で予備的対話が開始され,長年の対立が和解へと向かうことが期待される。

インターネットと携帯電話の普及は,所得水準向上とも相まって,アジア諸国においても民主化要求を強める要因として作用した。しかし,国民が各種情報を豊富に取得することをすべての国の政府が快く思っているわけではなく,情報統制を試みるケースもある。2010年にクローズアップされた例としては中国がある。国際的に有名な検索エンジンを提供するグーグル社が中国政府の検閲に反発して同国市場から撤退する騒動が起きた。中国では民主化運動家の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことに関する報道を遮断する措置が取られている。

旧勢力に対する巻き返しや過去の過ちの修復と見るべき事例もあった。バングラデシュでは1975年のラフマン大統領殺害事件の実行犯が処刑されたほか,1971年の独立戦争当時に独立勢力弾圧を助けた協力者らに対する処罰が目論まれている。台湾では陳水扁前総統が汚職のために有罪判決を受けて収監された。パキスタンでは大統領権限を制限する改憲が行われ,最高裁が政治を動かす司法政治が現大統領の政治生命をも危機の淵に追い詰めた。

対立の過去を清算し,新たな未来を開こうとの動きもあった。カンボジアでは,クメール・ルージュの戦争犯罪を裁くカンボジア特別法廷(ECCC)が初の1審判決を出した。ネパールでは王政廃止後の国の形を決める新憲法制定の作業が引き続き進められた。

朝鮮半島情勢の緊迫と中国の膨張

アジアの国際情勢を見ると,朝鮮半島情勢の緊迫化がなんと言っても目を引く。世襲による権力移行期を迎え,経済的苦境のなかにある北朝鮮は,アメリカとの対話を渇望した。しかし,アメリカは核をちらつかせる北朝鮮の手法に不信を持ち,かつて「太陽政策」によって北朝鮮を支援した韓国も今は一貫して冷淡である。これにいらだった北朝鮮は韓国領の延坪島への砲撃など,韓国に対する実力行使に打って出た。これに対し,国際社会は一斉に北朝鮮を非難したが,中国とロシアは関係国による対話の再開を主張することで問題の鎮静化を図った。

中国は,海洋権益の主張を強めるなど膨張の傾向を見せた。尖閣諸島での中国漁船の領海侵犯事件,黄海での中国漁船員による韓国海洋警察官への暴行事件,南沙・西沙諸島における中国と周辺諸国との衝突などが起き,日本,韓国,ASEAN諸国における対中警戒感は強まった。また,中国の閉鎖性への批判や経済大国にふさわしい行動を求める動きも出た。民主化運動家の劉暁波氏へのノーベル平和賞授与は,中国の言論統制に対する国際社会の批判とも受け取れる。中国の輸出を支える人民元の安値への批判も強まっている。このほか,中国が経済援助などを通じて南アジア諸国やミャンマー,ラオスなどの一部東南アジア周辺諸国との関係強化を図っていることも注目される。

朝鮮半島情勢の緊迫化と中国の膨張を受け,米中対抗の図式も鮮明化した。朝鮮半島情勢と尖閣諸島問題についてアメリカは一貫して日韓の立場を支持し,黄海へ空母を派遣した。これは,朝鮮半島情勢に関して中国が北朝鮮を擁護したのと好対照をなす。アメリカの空母派遣に対し,中国は不快感を隠さなかった。

ASEAN域内では,タイとカンボジアがプレア・ヴィヒア寺院とその周辺の土地をめぐって紛争を続けたほかは,加盟国相互の関係がおおむね良好に推移した。ASEANは,アジア域内でのフォーラムを提供するのみならず,アジアとそれ以外を結ぶ役割を拡大している。アジア地域サミット(EAS)にアメリカとロシアが参加することになったほか,EAS参加国の防衛大臣が参加する拡大ASEAN国防大臣会議(ADMMプラス)が初めて開催され,アジアの安全保障を話し合う場が新たにひとつ加わった。

このほか,南アジアではインドがバングラデシュとスリランカに接近しているのが目立つ。インドは,電力不足に悩むバングラデシュに発電所建設などの支援を行うことにし,スリランカには国内避難民住宅建設などの支援を約束している。インドのこうした動きは,南アジアでの存在感を増す中国への対抗措置という意味もある。一方,インドとパキスタンとの関係は2008年のムンバイでのテロ事件以後冷え込んだが,2010年にも修復できなかった。

(地域研究センター研究グループ長)

 
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