アジア動向年報
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各国・地域の動向
2010年のマレーシア 「新経済モデル」に向けた経済,行政,対外関係の刷新
鈴木 絢女
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2011 年 2011 巻 p. 325-352

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2010年のマレーシア 「新経済モデル」に向けた経済,行政,対外関係の刷新

概況

2年目に入ったナジブ政権は,中進国の罠からの脱却と2008年金融危機時の緊急経済対策により拡大した財政赤字の縮小を目指し,新経済モデル(New Economic Model:NEM)と第10次マレーシア計画を発表した。2008年総選挙で明らかになった国民戦線(Barisan Nasional:BN)政権に対する国民の不満への取り組みとして導入した,「ひとつのマレーシア:国民第一,即時実行」(1Malaysia: People First, Performance Now)コンセプト,行政パフォーマンス向上を謳った「行政機構改革プログラム」(Government Transformation Programme:GTP)と並び,NEMは,20年来の国家目標である「2020年までの先進国入り」実現のための屋台骨をなしている。NEMは,外交分野でも新機軸となり,アメリカへの経済,政治分野における接近や,先進技術分野での投資や協力を目的とした日本,韓国の再評価など,新たな関係構築がみられた。

NEMを掲げ,行政,経済の刷新を進めるナジブ政権への支持は,堅調な経済成長にも支えられ,高水準を維持している。ただし,ブミプトラ優遇政策の段階的縮小,補助金削減,物品サービス税の導入,最低賃金の法制化など,決定が先送りされた争点も多い。

BN各党は,指導部の刷新を進め,2008年総選挙以来の内紛を収拾しつつあり,次期総選挙へ向けた準備を進めようとしている。他方で,連邦政府の掌握をも視野に入れる野党連合である人民連盟(Pakatan Rakyat:PR)では,党役員ポストをめぐる内部闘争の熾烈化もみられた。そのなかで,PR支持者やPR政党から離脱したメンバーが新政党を組織し,「第三勢力」を形成するなど,政党政治は新しい局面を迎えつつある。

国内政治

経済と行政の抜本的改革へ向けたプログラム

2009年4月のナジブ首相就任は,BNへの支持低下,くすぶる民族間の不信感,労働生産性の低さ,停滞する海外直接投資(FDI),止まらない頭脳流出,進まない高付加価値経済への移行など,多くの負の遺産を引き継いでの船出となった。山積する課題への回答として,ナジブ政権は,2010年3月,NEMを打ち出した。NEMは,2020年までに1人当たりの所得を現在の7000ドルから1万5000ドルへと倍増させると同時に,あらゆるグループが経済成長の恩恵を受ける経済の実現を目指している。そのための戦略として,NEMは,(1)規制緩和や民営化の促進による民間セクターの再活性化,(2)労働の質向上と外国人労働者への依存からの脱却,(3)補助金削減等を通じた競争的な国内経済の創出,(4)公共セクターの強化,(5)透明性が高く市場友好的な優遇政策,(6)知的インフラの整備,(7)成長セクターの強化,(8)環境と財政両面での持続可能な成長,(9)下層40%の能力構築を掲げている。

NEM実現のための具体的な目標と戦略を定めたのが,「経済改革プログラム」(Economic Transformation Programme:ETP),「行政機構改革プログラム」(GTP)である。ETPは,石油・ガス,パーム油,クアラルンプール再開発など,経済成長や雇用創出効果の高い分野に焦点を絞り,131の具体的なプロジェクトを特定している。他方,GTPは,効率的で透明性の高い行政サービスの提供を目標とし,(1)犯罪発生率の削減,(2)汚職撲滅,(3)教育水準の引き上げ,(4)低所得者層の生活水準引き上げ,(5)地方部での基盤インフラの改善,(6)公共交通機関の改善を謳っている。

ETPとGTPの実施および監督を担う「業績管理・実行局」(Performance Management and Delivery Unit:Pemandu)は,2009年に首相府内の正式な部局となり,赤字続きのマレーシア航空の立て直しに従事した元マレーシア航空CEOで現首相府大臣のイドリス・ジャラが「Pemandu CEO」に就任した。Pemanduは,政権のスローガンである「国民第一,即時実行」を具体化し,政府のパフォーマンスを可視化することで国民の信頼を回復しようとするナジブの懐刀ともいえよう。内務省や運輸省,教育省など各分野の担当省庁は,具体的な数値目標を掲げ,その達成状況をPemanduおよび首相に定期的に報告することが義務づけられるなど,企業経営の手法が行政機構に持ち込まれることになった。

ナジブ政権が直面する改革の理想と政治の現実

NEMは,ブミプトラに対する優遇政策,とりわけ,新経済政策(New Economic Policy:NEP)期に導入されたブミプトラへの株式30%割り当て条件が,レントシーキングやパトロネージにつながり,市場歪曲的効果を持っているとし,割り当て制は「それほど有意義でないかもしれない」と結論している。ナジブも,4月の訪米時に,政府による援助策は「民族によってではなく,経済的必要」に応じたものとなると述べ,「市場友好的で,透明性が高く,業績志向」の優遇政策へと分配の原理を転換し,ブミプトラに対する優遇政策を段階的に撤回していくと言明した。

この発言に対して,華人商工会議所をはじめとするビジネスセクターが賛意を示した一方で,マレー人からは激しい反発の声が上がった。その急先鋒が,下院議員イブラヒム・アリが2008年に設立したマレー人権利擁護団体プルカサである。プルカサは,憲法に定められたマレー人の特別の地位とNEMとの齟齬を指摘し,「マレー人NGO審議会」(Majlis Perundingan NGO Melayu)を組織化した。さらに,41年前に民族暴動が起きた5月13日にマレー人NGOやマハティール・モハマド元首相らと,「立ち上がるマレー人」(Melayu Bangkit)と称する集会を企画するなど,圧力を強めていった(ただし,集会許可が下りず,6月に延期)。このほか,スランゴール州マレー人商工会議所も,株式割り当ての50%への引き上げを求めた。結局,このような圧力のなかで上程された第10次計画文書には,ブミプトラによる資本所有30%目標が明記されることとなった。

同様に論争を呼んだのが,物品サービス税(Goods and Service Tax:GST)と砂糖および燃料の補助金削減であった。政府は,緊急経済対策の結果拡大した5.6%の財政赤字と対GDP比51.3%に上る政府債務残高の縮小を目的として,2011年半ばにもGSTを導入すると発表していた。これには,約40%を石油収入に依存するいびつな歳入構造の是正という目的もあった。しかし,3月に第2読会に付される予定だったGST法案は,野党からの反対を受け,国内外の経済界からの早期実施によるマクロ経済健全化を求める声にもかかわらず,審議延期となった。

GST法案と並び争点となったのが,経常収支の約15%を占めるとされる補助金の削減だった。Pemanduは,今のペースで政府債務残高が増加すれば,マレーシアは2019年に財政破綻するとし,今後5年間で補助金を30%削減する必要があると主張した。しかし,これに対しては,野党のみならず,与党からも異論が提起された。とくに,野党である民主行動党(Democratic Action Party:DAP)からは,国民の生活に直接影響のある分野からではなく,BNの取り巻きが運営しているといわれる独立系発電事業者への補助金から削減を始めるべきだという主張があった。結局,2010年7月から砂糖と燃料の補助金削減が始まったが,反対論にも留意した段階的な実施にとどまっている。

経済の合理性の下でのブミプトラ優遇政策撤廃や,財政均衡へ向けた営為が,なし崩し的に後退せざるをえなかった要因として,政権の脆弱な基盤を指摘することができる。2009年第4四半期以来の経済成長,キャッチーなスローガン,出版メディアやインターネットの積極活用,民族融和的なパフォーマンスによって,ナジブは確実に支持を拡大してきた。民間調査会社ムルデカ・センターの調査によれば,就任時に44%だった支持率は,1年後には69%にまで上昇し,現在でも同水準を保っている。とはいえ,ナジブ政権は,選挙による国民のお墨つきという決定的な正当性基盤を欠いたままである。そのために,ナジブの党内,連合与党内での立場はいまだ盤石とはいえない。また,2008年総選挙の痛みからの回復過程で,リーダーシップ争いの混沌のなかにあったBN各党が,そもそも人気がなくて当たり前のGSTや補助金削減を避けようとしたのは,当然ともいえる。

BN各党の自己改革への試み

2008年選挙の結果,2004年選挙時の198議席から140議席へと下院議席数を後退させたBN各党は,痛みをともないながら指導者交代を通じた自己変革を進め,次回選挙に向けた体制を作ろうとしている。

2008年選挙で獲得議席を半減させるという憂き目に遭ったマレーシア華人協会(Malaysian Chinese Association:MCA)は,2008年10月の役員選挙で,敗戦の将オン・カーティンを拒否し,青年部部長だったオン・テーキアットを党首に,また,多数の新人を中央委員に選出する大刷新を図った。しかし,この選挙の後,党は18カ月間にわたる党内闘争を経験する。チュア・ソイレック副党首(当時)のセックスビデオの流出(2009年)や,ウィー・カーシオン青年部部長の汚職疑惑暴露など,世論や汚職対策局(Malaysian Anti-Corruption Commission:MACC)をも巻き込む熾烈な争いが展開した。結局,オン・テーキアットのリーダーシップに反発した中央委員21人が委員を辞し,党役員選挙による決着の道がとられた。

党首ポストには,現職のオン・テーキアット,チュア・ソイレックに加え,返り咲きを狙うオン・カーティンの3人が立候補し,チュア・ソイレックが2312票のうち,901票を獲得して当選した(表1)。これは,新しい党首を迎え,党の改革を進めたいという党員の意思の表れであった。

とはいえ,チュアの得票は圧倒的多数ではない。そのうえ,その他の役員選挙の結果をみると,カーティン派のリウ・ティオンライが副党首,副党首補にはチュア派,カーティン派,テーキアット派それぞれ1人ずつと,明白な勝者のいない選挙となった。テーキアット派の不満や,回復しない華人有権者の支持など,MCAが直面する課題は多い。チュアは,華語学校団体との関係深化を進め,マレー人学校関係者が非マレー人学生を「移民」と称した際には,この発言を厳しく糾弾するなど,華人権利の擁護者としての党の位置づけの回復を試みているが,確かな手応えを得るには至っていないのが現状である。

マレーシア・インド人会議(Malaysian Indian Congress:MIC)も,リーダーの交代を決行した。30年にわたり党首ポストを独占し,公共事業大臣時代の汚職のイメージがつきまとうサミー・ベルを支持基盤拡大の障害とみなしたMICのV.ムギラン青年部副部長は,5月,サミー・ベルに2012年の退任予定を前倒しするよう迫った。党は,ムギランと彼に同調した中央委員を直ちに追放したが,ムギランらはこれに対抗して,「反サミー・ベル運動」(Gerakan Anti-Samy Vellu:GAS)を組織し,辞任要求を続けた。結局この運動に屈し,11期31年にわたり党首の座にあったサミー・ベルは,12月に退任する。副党首から昇格したG.パラニバルの下,MICはGAS派の役員ポストへの復帰を進めるなど,分裂した党の修復を進めている。

リーダーの交代を進めたMCAとMICに対して,ペナン州政府を失い,自失状態にある民政運動党(Gerakan Rakyat Malaysia)では,新陳代謝が全く進んでいない。ペナン州支部長の不信任決議案は否決され,鬱積する党首コー・ツークーンへの不満も運動には発展しないままに惰性が続いている。

他方で,ナジブの総裁就任によって,ほかのBN各党に先駆けて自己変革を始めたUMNOは,党の理念と機構双方の面での改革を図り,選挙へ向けた体制づくりを進めた。そもそも,2008年選挙で非マレー人が野党を支持した理由のひとつは,UMNOの過激化にあった。アブドゥッラー・バダウィ首相(当時)の娘婿であるカイリ・ジャムルッディンの,華人によるマレー人の周辺化に対し断固戦うという発言や,2006年UMNO総会での青年部部長ヒシャムディン・フセイン(当時)によるクリス(刀)をかざすパフォーマンスが,非マレー人の目に,過激で排他的なマレー人優位主義と映ったのである。

この反省から,ナジブ総裁は,UMNOを再び中道穏健のマレー人政党として位置づけようとしている。たとえば,党大会の党首演説での,マレー人の特別の地位は憲法によって保障,保護されており,ことさらに主張する必要はないとする発言は,NEMの導入による優遇政策の撤回を危惧する党員の不安緩和のみならず,党員による優遇政策の争点化の自重を求めるメッセージでもある。また,3民族の共同の成果としてのマラヤ独立という歴史的遺産のなかに自らを位置づけ,民族間のバランス達成を目指すリーダーというイメージも発信した。総会では,人口比を反映した経済的富の分配を要求するお決まりの主張もあったが,党員全体での「ムルデカ」(独立)の合唱が起こるなど,穏健路線の回復は好意的に受け取られている。首相府大臣ナズリ・アジズや青年部部長カイリなど,宗教や政治についてリベラルな主張をする党幹部への一般社会からの支持も手伝い,穏健路線は,少なくとも党上層部において定着しつつある。

UMNOはまた,ほかのBN各党に先駆けて,次回総選挙への準備を始めている。同党は,2011年に予定されていた党役員選挙を延期したうえで,党の規律遵守や上下両院候補者の決定に権限を持つ州支部連絡委員の入れ替えを行った。これに関連し,国際貿易産業省副大臣ムクリズ・マハティールのクダ州副連絡委員長就任が注目に値する。ムクリズの任命は,彼の全国的な人気を若年層の取り込みに利用しようとする党の意図によっている。しかし,クダ州支部にポストを持たないムクリズの任命は,地方支部で地道な活動を行ってきた党員の不満を喚起する可能性も持つ。2009年,党規約が改正され,党役員選挙への立候補に際して必要だった地方支部からの一定の推薦が,立候補の条件でなくなった(『アジア動向年報2009』参照)。党中央への影響力低下を余儀なくされた地方支部と党中央の緊張が,今後の党内政治のダイナミクスを左右する可能性がある。

表1  MCA党中央役員選挙結果(抜粋)

(注) ( )内は,選挙をめぐって形成されたグループ:OKT=Ong Ka Ting;CSL=Chua Soi Lik;OTK=Ong Tee Kiat。表記がない候補者は,本人か,特定のグループへの帰属がない場合。

(出所) The Star,2010年3月29日。

ゆらぎをみせたPR

野党連合PRは,2008年選挙で,前回獲得の20議席から82議席(現在は77議席)へと下院議席を拡大し,5州の政権を掌握した(現在は4州)。しかし,野党政権が統治するスランゴール州やペナン州では,市評議会選挙の復活や情報公開法の設置をはじめとする選挙公約が,連邦政府の反対もあって実現しないことへの苛立ちが募っている。さらに,連邦政府が任命権限を持つ州行政府高官と州知事の対立も絶えない。この問題の根本的な解決は,PRによる連邦政府掌握に尽きる。2008年選挙の思いがけない成功で自信を強めた野党各党は,行政首都プトラジャヤの掌握を視野に入れるようになった。

しかし,より大きな権力獲得の見通しは,将来の権力や権限の分配をめぐる闘争にもつながる。2010年のPRは,人民正義党(Parti Keadilan Rakyat:PKR)のほころびと,PKR,DAP,汎マレーシア・イスラム党(Parti Islam Se-Malaysia:PAS)の協力関係の揺らぎに集約された。

PRの中心的存在であるPKRは,党員の半数がマレー人,インド人23%,華人12%,サバ・サラワク州15%と,多民族政党の名にかなった構成を実現している数少ない政党である。ただし,その実態は,事実上のリーダーであるアンワル・イブラヒムの副首相罷免と逮捕(1998年)以来彼を支えてきた「レフォルマシ」グループ,ムスリム青年運動(Angkatan Belia Islam:ABIM)グループ,NGOグループ,元UMNOグループ,左派グループ,ヒンドゥー権利行動団体(Hindu Rights Action Force:ヒンドラフ)グループなど,多様なグループの集合体であり,BN長期政権の打破,政府の透明性確保や法の支配の確立,公正な分配といった原則論以外には,ほとんど共通点を見いだすのが難しい。2010年,PKRは,このような性格ゆえの困難に直面し,ほころびをみせることとなった。

まず,宗教問題をめぐる立場の違いが,党を揺さぶった。2009年12月,高等裁判所は,キリスト教系週刊誌『ヘラルド』誌による「アッラー」という語の使用を禁止した同年1月の内務省決定を無効とし,同誌による同語の使用を合憲とする判決を出した。これに反対するマレー人学生らが国立モスクでデモンストレーションを組織するなど,この判決は大きな反響を呼んだ。PKRはPASとともに,高裁判決を支持する立場をとったが,これに反対した2人のPKR所属議員が離党し,無所属議員となった。

11月にかけて行われた党役員選挙は,党内対立をさらに深めた。2009年の党規約改正で,PKRの役員は40万人の党員による直接選挙により選出されることになった。党首については,アンワルの妻ワン・アジザの無投票当選が決定しており,焦点は党のナンバー2を決める副党首選挙だった。2月に始まった同性愛裁判(後述)の判決次第では,アンワルの政治生命が絶たれる可能性もあることから,この裁判は,将来のリーダーを決める選挙ともみられた。また,連邦政府掌握を視野に入れれば,党役員ポストは,連邦政府における大臣ポストをも意味する。そのため,選挙戦には多くのリーダーが立候補を示唆した。

最終的な候補者となったのは,レフォルマシ運動以来のアンワルの腹心アズミン・アリ,ABIMのムスタファ・カミル・アユブ,元UMNO議員で,2009年に採択されたPRの「共通政策」の作成者であるザイド・イブラヒムの3人である(表2)。この選挙戦で,アンワルがアズミン支持を表明したことが,党の民主的プロセスを歪曲したという批判を引き起こし,ザイドの離党につながった。また,選挙プロセスに不正行為があったとする主張も後を絶たず,マレーシア初の党役員直接選挙は,PKRの威信に傷をつけることになってしまった。投票の結果は,アズミンの圧倒的な勝利だったが,選挙後の演説で,「裏切り者」を粛清し,「レフォルマシ」精神にもとづいた党への忠誠を涵養すると述べたアズミンへの不信感は根強い。

さらに,選挙と前後して,ヒンドラフ・グループの一部が,インド人に対する優遇政策やタミル語学校援助などの公約が果たされていないとして,サバ州では,ジェフリー・キティンガン率いるグループが,党がカダサン・ドゥスン人の権利を十分に尊重していないとして,それぞれ離党した。副党首補選挙では,インド人候補者がすべて落選し,任命ポストを含めたリストをみても,サバ州を代表する党員は不在である。PKRの多民族性は,少しずつ失われつつあるようにみえる。

他方で,PASとDAPは堅調な党運営を行った。PASは,PRの中心的支持基盤である華人の支持獲得を目指し,非ムスリム部門の設立や非ムスリム候補者の擁立を決定した。党内には,党の「アッラー」判決に関する立場や非ムスリム部門設置について不満もあるといわれているが,対立が顕在化するには至っていない。DAPもまた,全国レベルの対立はなく,着実に若年層の間に支持を広げている。選挙の現場における2党の協力体制も拡充しており,とくに華人選挙区でのPASへの支持拡大につながっている。

とはいえ,PR内の関係は安定的とはいえない。たとえば,DAP書記長のリム・グアンエンが州知事を務めるペナン州では,州政権によるマレー人商業地区の取り壊しや州公営企業のポスト配分における政党間の不平等に異議を唱えた2人のPKR議員が離党した。さらに,一連のPKR議員の離党の結果,PKR,DAP,PASの下院議席数が,それぞれ26議席,28議席,23議席となると,アンワルの野党リーダーとしての地位を疑問視する声が出始めた。連邦政府を掌握した場合のポスト配分をめぐっても,PAS顧問のニック・アジズが,非ムスリムは副首相にはなれないと発言してDAPの反感を買うなど,合意は形成されていない。また,PASによる非ムスリム候補者擁立の動きは,PKRとDAPから猜疑の目でみられている。さらに,連邦レベルでのイスラム刑法の実施とイスラム国家化というPASのビジョンとDAPによる世俗国家の主張も,歩み寄りをみないままである。

表2  PKR党中央役員選挙結果(抜粋)

(出所) Parti Keadilan Rakyatウェブサイト(http://www.keadilanrakyat.org/)。

「二大政党制」の行方

改革を進めるUMNO,党内闘争から立ち直ろうともがくMCA,ほころびるPKRといった与野党の動きは,補欠選挙の結果を左右した(表3)。

ウル・スランゴール下院選挙区では,BN(MIC)候補者が,PKR候補者に対して1725票の差をつけて当選した。サバ州のバトゥ・サピ下院選挙区でも,BN(PBS)が,PKRなどに対して6359票の大差で勝利した。マレー人が6割以上を占めるクランタン州のガラス州議会選挙区でも,BN(UMNO)候補が,PAS候補に勝利した。他方で,サラワク州では,華人が多数を占めるシブ下院選挙区で,DAP候補者が勝利した。

シブ選挙区に関しては,汚職や職権濫用の噂が後を絶たないタイブ・マハムド州知事に対する反発というローカルな要因もあったが,その他の選挙でも,華人が多数を占める都市部では,野党の優位が明らかであり,概して華人のBN離れは続いたままであるといえる。他方で,マレー人とインド人票は明らかにBNに戻りつつあり,70%から80%がBNに投票したとさえいわれている。

議会は,アンワルの同性愛裁判と1Malaysiaコンセプトの起源をめぐり,年末にかけて混乱した。

同性愛裁判は,2008年6月にアンワルから同性愛行為を受けたとする元秘書の訴えにもとづく刑事裁判であり,アンワルにとっては,1998年に続く同じ容疑での2度目の裁判である。有罪となれば,20年以下の実刑判決となる。2010年2月に始まった公判では,医師による検査結果やDNA検査機器の正確性などが焦点となっているが,野党側が,同性愛行為はナジブ首相とその妻によって仕組まれたと主張するなど,裁判所内にとどまらぬ争点となっている。

12月,WikiLeaksによって,アンワルが「仕掛け」にはまり,同性愛行為におよんだというシンガポール諜報員の発言が暴露されたのを受け,野党はこの件を審議する緊急動議を提出した。しかし,この動議は却下され,他方で,アンワルほか4人のPR議員に対する6カ月間の議員資格停止動議が提出される。

これは,1Malaysiaコンセプトがイスラエル政府と関係を持つコンサルタント会社,アプコ社(Apco Worldwide)の造語であるとするアンワルの議会内での発言に関するものである。議会は,この発言を議員特権の濫用であるとして,多数決により当該発言の議員特権委員会への付託を決定し,その後,アンワルの資格停止を勧告した。ほかの3議員の資格停止の理由は,特権委員会の審議に参加した際に,委員会の内部情報を漏洩したことなどであった。この動議に抗議して,野党議員は議会から退場し,野党不在のまま審議が行われることとなった。

このようにPKRの内紛や議会内での与野党協議の紛糾のためにBNとPRによる二大政党制が成熟に向かわない一方で,「第三勢力」が形成されつつある。ジェフリー・キティンガンによる,サバ・サラワク両州の連邦内での地位や先住民族の権利の保護を目指す「統一ボルネオ戦線」(United Borneo Front),弁護士でヒンドラフ活動家P.ウタヤクマルによる「人権党」(Human Rights Party),ザイド・イブラヒム率いる「マレーシア人民福祉党」(Kesejahteraan Insan Tanah Air)など,PKRからの離脱グループによる政党結成や再編に加えて,PKR賛同者であったブロガーのラジャ・ペトラ・カマルッディンと人権弁護士らによる「マレーシア自由権運動」(Malaysian Civil Liberties Movement)の立ち上げが相次いだ。これらのグループは,次期総選挙での候補者擁立を表明しており,BNとPRの競争に影響する可能性がある。

表3  2008年総選挙結果/2010年補欠選挙結果

(出所) The Star,選挙委員会ウェブサイト(http://www.spr.gov.my/)。

経済

リーマン・ショック以来の低迷から抜け出したマレーシアは,2010年,7.2%の経済成長を遂げた。第1四半期のGDP成長率は予想を大きく超えた10.1%,第2四半期には8.9%と推移した後,経済は急速な回復後の落ち着きをみせ,第3四半期は5.3%,第4四半期は4.8%となった。中央銀行は2.0%に抑えられていた政策金利を3回にわたり2.75%まで引き上げ,リンギ高がこれに続いた。

サプライサイドでは,すべてのセクターでプラス成長となった。とくに,2009年に9.4%のマイナス成長になった製造業は,輸送設備等,電気・電子機器,石油・化学・ゴム・プラスティック製品などに牽引され,第1四半期には17.0%の成長率を記録し,年平均でも11.4%の伸びとなった。サービス業の成長率は6.0%で,前年の2.5%を大きく上回った。なかでも,金利上昇の恩恵を受けた金融・保険の成長率は6.1%,インターネットや携帯電話などのコミュニケーションが8.5%だった。前年の景気刺激策の恩恵を受けた建設業は,5.2%の伸びとなった。2011年度予算に盛り込まれた大規模インフラ事業によって,建設業はさらなる成長が期待される。農業の成長率は1.7%,鉱工業は0.2%だった。

需要サイドでは,民間消費と総固定資本の拡大が経済成長に貢献した。経済回復にともない,コミュニケーション,飲食品,運輸などの分野で消費が拡大し,民間消費の成長率は通年で6.6%となり,2009年の0.7%を大きく上回った。民間総固定資本も,自動車生産の増加にともなう機械設備と運輸設備への支出が拡大したことから,9.4%の増加となった。政府による総固定資本形成は,8.3%増となった。

経済回復を反映し,1月に3.6%だった失業率は,12月に3.1%に減少した。インフレ率は,1年間で1.3%から2.2%に上昇した。とくに,国内消費の拡大を反映し,飲食品,レストラン・ホテルの分野での上昇が著しかった。また,7月に始まった燃料と砂糖の補助金削減もインフレ率の上昇に影響している。

リンギ高にもかかわらず,輸出総額は前年比13.0%増の6394億リンギだった。主要輸出品目の成長率は,電子・電機(輸出総額の39.1%)が9.9%,パーム油および関連製品(9.8%)は23.9%,化学製品(6.4%)は21.9%,液化天然ガス(6.0%)は22.1%,原油(4.8%)は21.3%,木材および関連製品(3.2%)は,5.1%だった。主な輸出相手国は,シンガポール(輸出総額の13.4%),中国(12.6%),日本(10.4%),アメリカ(9.5%),タイ(5.3%)だった。

他方で,輸入総額は,5292億リンギで,前年比21.7%増となった。主な輸入相手国は,日本(輸入総額の12.6%),中国(12.6%),シンガポール(11.4%),アメリカ(10.7%),タイ(6.2%)で,主要品目は,機械および運輸設備(輸入総額の49.4%),製造品(18.4%),鉱物燃料等(10.0%),化学製品(9.1%)だった。

製造業へのFDI認可額は472億リンギ,実行ベースでは214億リンギと,2009年の326億リンギ,140億リンギをそれぞれ上回った。2009年に最大の投資国だった日本に代わり,2010年はアメリカが投資を急増させ,最大の投資国になった。

経済の再編へ向けたプログラム

好況を背景に,NEMとして示された青写真に向かって経済計画,予算が組み立てられていった。

まず,NEM実現のための具体的プログラムであるETPは,石油・ガス,パーム油および関連製品,金融サービス,観光業,卸売・小売業,情報通信技術,教育産業,電子・電機,ビジネスサービス,医療,農業,グレーター・クアラルンプール(クアラルンプール再開発)の12分野を重点分野とし,131の「エントリー・ポイント・プロジェクト」(Entry Point Projects:EPPs)を特定して国内外からの入札を募るという方法をとる。2011年1月までに,国内外の民間企業,政府系企業(Government-Linked Companies:GLCs)による19のプロジェクト実施が決定しており,670億リンギの投資が確定した。

また,民間セクターの活性化という目標に従い,政府は,政府100%所有の投資会社カザナ・ナショナル(Khazanah Nasional Bhd)が所有するGLCs株放出を進めており,衛星放送アストロ(Astro All Asia Networks Plc),高速道路運営のプラス社(PLUS Expressways Bhd),郵便のポス・マレーシア(Pos Malaysia)などの買収に向けた協議が進行している。NEMの策定にあたった経済諮問委員会からは,GLCsの政府保有株を30%以下に抑えるという提案も出ており,民営化は今後も続くとみられる。

自由化,規制緩和も徐々に進んでいる。国家自動車政策(National Automotive Policy:NAP)が3月に施行され,1800cc以上の排気量を持つ高級車の製造が自由化され,ブミプトラ株式割り当ての対象から除外された。NAPは,政権の取り巻きの特権と化している輸入車の輸入許可証(Approved Permit:AP)を,2015年までに全廃するとしている。また,金融セクターでは,2009年に発表された自由化方針の下,日本(2行),フランス,アラブ首長国連邦,インドネシアの銀行計5行に操業ライセンスが付与された。

6月には,第10次マレーシア計画が成立した。第10次計画は,2011年から2015の間に,GDPと民間投資がそれぞれ6%,12.8%のペースで成長し,財政赤字は2.8%まで減少するという大胆な数値目標を掲げた。高成長の望める分野として,ETPの12分野が特定されたほか,ブミプトラの経済的地位向上のためのプログラムを監視する審議会設置も盛り込まれた。

第10次計画の初年度にあたる2011年度の予算は,歳入が前年比2.3%増の2120億リンギ,歳出は前年比2.8%増の1658億リンギで,懸案の財政赤字は現在の5.6%から5.4%に減少するとしている。2011年度予算で重視されているのが,政府による10億リンギの投資を「呼び水」とした125億リンギ規模の官民パートナーシップによる大量高速輸送機関(MRT)や高速道路建設をはじめとするインフラ事業である。さらに,国営投資会社プルモダラン・ナショナル(Permodalan Nasional Bhd)による100階建ての新たなランドマーク「ワリサン・ムルデカ」に50億リンギが割り当てられた。このほか,GLCsの民営化,ハイブリッドカーの輸入関税撤廃も盛り込まれた。社会政策分野では,最低賃金を決定する審議会の設置,個人年金スキームの導入が注目される。

対外関係

内政と同様,ナジブ外交の鍵となっているのが,NEMである。投資と技術と知識をいかにマレーシアに持ち込むかという課題への回答が,前政権と異なる関係構築のパターンをもたらした。

アメリカとの「新しい関係の始まり」

2010年4月にニューヨークで開催された核サミットと同時に行われたナジブ=オバマ会談は,「新たな関係の始まり」と両国で評価された。この会談で,オバマは,対テロ戦略の重点となっているアフガニスタン再建における穏健ムスリム国家としての貢献と,イランの核開発問題における協力をマレーシアに要請した。核サミットの目的は,核兵器開発に関連しうる物資の国際コントロールと対イラン制裁への合意調達である。アメリカは過去数年にわたり,マレーシア企業がイランに核兵器関連部品を輸出していると主張してきた。ナジブはサミットに先立ち,核兵器開発につながる物資の輸出等を制限する戦略物資取引法(Strategic Trade Act)を可決させ,さらに,会談の3日後には,イランへのガソリン供給を停止し,同国に対して国連安全保障理事会決議に従いウラン濃縮を停止するよう求めた。

アブドゥッラー前政権が,イランとの二国間,多国間協力を進めたことに鑑みると,大きな変化である。この変化は,ナジブのNEMへの意思の投影とみることができる。首脳会談で,ナジブはNEMの下での経済の自由化を強調した。また,アメリカの経済界との会合でもNEMを紹介している。首脳会談は,工業製品の輸出市場のみならず,アメリカの資本,情報通信技術,バイオテクノロジーの呼び込みを狙うナジブと,穏健ムスリム国家としてのマレーシアの協力を必要とするオバマの利益の一致の所産であった。ナジブ訪米以来,アメリカからの再生可能エネルギー分野などハイテク投資が相次いでいる。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への加盟交渉開始や,ASEAN+6にロシアとアメリカを含める提言にもみられるように,アメリカとの関係は,ナジブ外交の柱となっている。

高付加価値経済への移行に向けた関係構築

同じ動機での外交は,ほかの先進国との関係にもみられる。10月には,マレーシア・EU FTA交渉が始まり,2012年までの締結が予定されている。日本,韓国の再評価も顕著である。ナジブは4月に日本を公式訪問,鳩山首相と会談し,NEMについて説明している。両首脳は,持続的成長のための協力や環境・エネルギー分野,人材育成などの分野における協力を謳った共同声明と,環境,省エネ,再生可能エネルギーに関する二国間協力について定めた「日・マレーシア環境・エネルギー協力イニシアティブ」を発表した。12月に,李韓国大統領が外交関係50周年を記念して来訪した際には,ナジブは,貿易や投資のほか,原子力発電分野での協力の可能性を示唆している。

他方で,新しい成長のセンターである中東諸国やインドとの経済関係強化も進められた。とくに,インドとは,2度の首脳会談が開催され,物とサービスの貿易および投資に関する「マレーシア・インド包括的経済協定」の調印が合意されたほか,高等教育や金融市場分野の覚書が締結された。また,ナジブは,アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビを1月に公式訪問し,太陽エネルギーと再生可能エネルギーを利用したゼロ・エミッション・シティとして有名なマスダール・シティを見学した。その後,財務省100%所有の1Malaysia社(1Malaysia Development Bhd)による「クアラルンプール国際金融区」プロジェクトと「サラワク再生可能エネルギー・コリドー」プロジェクトへの,アブダビ政府100%所有の投資会社,ムバダラ・ディヴェロップメント・カンパニー(Mubadala Development Company)による出資が発表された。いずれも,ETPの重点分野である。

周辺国との関係

周辺国との関係として特筆すべきは,シンガポール領内のマレーシア国営マレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu Bhd:KTMB)所有地の移転に関する「1990年合意」の実施である。9月,ナジブとリー・シンガポール首相は,KTMBの駅舎をマレーシア寄りに移転し,カザナ・ナショナルとシンガポールのテマセク・ホールディングス(Temasek Holdings)が出資するM-S Pte 社がKTMB所有地を共同開発すること,さらに同社がマリーナ・サウスなどシンガポールの商業地区を共同開発することを決定し,20年にわたる「1990年合意」をめぐる対立を解決した。

インドネシアでは,マレーシア政府がインドネシアの海上保安官を領海侵犯で拘束したのをきっかけに,反マレーシア運動が起きた。運動主体の多くは,マレーシアに移民労働者として滞在し,強制送還されたり,不遇な扱いを受けたインドネシア人だとされる。

2011年の課題

経済分野では,NEMやETPで描かれるような民間主導の活力ある経済を,具体的にどう実現していくかが課題となる。2011年度予算やEPPの担い手をみると,現段階では,重点事業の実施主体の多くはGLCsである。また,ワリサン・ムルデカをはじめとするインフラ事業が,どのくらい波及効果を持つのかも明らかでない。政府による「呼び水」,GLCsによるプロジェクト実施を,どのように持続的で成長効果の高い民間企業の活動につなげるかという「リンク」が明らかにされる必要がある。また,停滞する賃金も課題である。賃金水準の見直しは,補助金削減にともなう物価上昇により打撃を受ける国民の生活を守るためのみならず,高付加価値産業を中心とした経済への移行に必要な人材を確保するためにも重要である。

政治の分野では,議会制度に則った健全な政党間の競争の回復が重要課題である。まず,数の力でねじ伏せる道具でも,派手なパフォーマンスで国民の注目を集める舞台でもなく,討論する場としての議会の回復が課題である。また,BNが代表できない利益をすくいあげる政党としてのPKRの立て直しとPR協力の深化が必要である。社会のさまざまな不満や嘆きを代表するはずの政党が揺らぐようになれば,人々は政党や議会の枠組みの外に不満のはけ口を求めるようになる。「アッラー」問題をめぐるムスリムの反応や「移民」発言に反映されるように,社会レベルでの宗教間,民族間の不信感は根深い。建設的な世論を形成し,議会内でさまざまな利益を代表することのできる政党づくりが急務である。

(福岡女子大学講師)

重要日誌 マレーシア 2010年
  1月
1日 ASEAN・中国FTA施行。
3日 首相,ヘラルド誌による「アッラー」という語の使用を認めた高等裁判所判決に関し,ムスリムに冷静な対応を呼びかける。
5日 高等裁判所,内務省による「アッラー」判決の執行停止申請を認める。
7日 政府,国籍と排気量にもとづくガソリン補助金削減スキームを5月から実施と発表。
8日 スランゴール州の教会で放火。
8日 国立モスクほかで「アッラー」判決に反対するムスリム学生グループらによる集会。
10日 政府,教会の放火に関連し,宗教間対話を開催と発表。
13日 ペナン州知事,MACCの事情聴取中に転落死したスランゴール州議会議員秘書テオ・ベンホックの死因は他殺と発言。警察は扇動法容疑で同知事を捜査。
16日 首相,UAE公式訪問。
19日 首相,インド公式訪問。
27日 政府,マレーシア人1人を含む10人を国際テロリズムに関連した疑いで治安維持法(ISA)によって拘留と発表。
28日 政府,GTPロードマップを発表。
  2月
2日 アンワルPKR顧問の同性愛容疑をめぐる公判が始まる。原告は,元アンワル秘書。
4日 インド人と華人に対して差別的な発言をしたとして,首相側近が辞職。
8日 首相,マレーシアが競争力を持つためには補助金削減が必要と談。
9日 連邦裁判所,ザンブリーを正当なペラ州知事とした控訴裁判所判決を支持。
9日 内相,ISA修正に向けた会合を開催。
11日 政府,生活必需品は2011年央に導入予定のGSTの対象外と談。
12日 オーストラリア議会議員60人,同性愛裁判の中止をマレーシア政府に要請。
15日 アメリカ上院議会外交委員会議長,同性愛裁判について公正な裁判を要請。
22日 中央銀行,マレーシア経済は回復基調と言明。
23日 下院議員団アメリカ訪問。二国間FTA,テロ対策について協議。
  3月
1日 首相,公共セクターの効率化と監視によって6%の経済成長は可能と談。
1日 ペナン州のPKR下院議員,同州におけるPKRの周辺化を問題とし,離党。
2日 PKR下院議員,「アッラー」判決を党が容認したことに反対し,離党。
3日 タイブ・サラワク州知事,無投票で9期連続統一ブミプトラ伝統党党首に。
3日 監査審査会設置。
4日 チュア・ソイレックMCA副党首ら21人,党中央委員会を辞任。党役員選挙へ。
4日 政府,国籍と排気量にもとづくガソリン補助金スキームを断念。
4日 中央銀行,翌日物金利(OPR)を0.25ポイント引き上げ,2.25%に。
6日 MCA年次総会。チュア支持派を中心にボイコット多数。
7日 マレー人の特別の地位とイスラームを擁護するマレー人NGOによる集会。
7日 PKR下院議員,「アッラー」判決をめぐりPAS議員および党を批判し,除籍。
11日 首相,TPPの検討開始を発表。
11日 ペナン州のPKR下院議員,ペナンにおけるPKRの周辺化を問題とし,離党。
13日 GST法案上程延期へ。
17日 アンワル,「1Malaysia」は,イスラエル政府と関係を持つコンサルタント会社Apco社による造語と主張。
19日 政府,ISA改正法撤回。
23日 首相,NEMの下,ブミプトラへの優遇政策は漸進的に見直されると談。
27日 マハティール元首相,マレー人権利団体プルカサ年次総会でNEMを批判。
28日 MCA役員選挙。チュア党首,リウ・ティオンライ副党首当選。
30日 首相,NEMを発表。
30日 内務省,人身売買対策を発表。
30日 首相,政府の持株会社Khazanah保有のPos Malaysia株売却を発表。
  4月
1日 首相,入札広告と受注業者を公表するポータルサイトMy Procurementを発表。
5日 核兵器開発につながる物資の輸出等を制限する戦略物資取引法可決。
6日 政府,宗教間対話組織の設置を承認。
6日 首相,「1Malaysia」は自らの造語と談。Apco社も同様の主張。
8日 首相,ASEANサミット出席。
12日 MCA,中華商工業会連合会など華人団体,NEMへの支持を表明。
12日 首相,核サミット出席。オバマ米大統領と会談。
13日 宗教間対話組織の会合延期。
15日 ペトロナス,イランへのガソリン供給を停止。国連による経済制裁の一環として。
19日 首相,日本訪問。鳩山首相と会談。
20日 内部告発者保護法可決。
22日 下院,「1Malaysia」に関する発言が議員特権の濫用であるとして,アンワルの処遇を議員特権委員会に付託。
25日 下院ウル・スランゴール選挙区補欠選挙。BN候補当選。
28日 首相,ヴァンハネン・フィンランド首相と会談。貿易と投資について。
  5月
2日 反GST集会。
4日 エネルギー相,原子力発電所の建設用地の検討開始を発表。
4日 サイムダービー,エネルギー部門で巨額の損失。
5日 財務相,GST法案は,不当利益防止法の成立後と談。
10日 首相,カンボジア公式訪問。
13日 中央銀行,OPRを2.5%に引き上げ。
14日 国連人権理事会理事国に再選。
14日 PKR下院議員,離党。
16日 下院シブ選挙区補欠選挙。DAP候補当選。
19日 MIC,サミー・ベル党首の辞任を要求した副青年部長のポスト剥奪。副青年部長は反サミー・ベル運動(GAS)組織化へ。
24日 首相,シンガポール訪問。
25日 MIC,サミー・ベル党首の辞任を要求した党中央委員のポスト剥奪。
27日 イドリス首相府相,現在のペースで政府債務残高が増加すればマレーシアは2019年に破綻と談。補助金の合理化を主張。
29日 プルカサ,ブミプトラ経済会議を開催。NEMについて議論。
30日 GAS集会。MIC党員など5000人。
  6月
1日 ガザでの人道支援に向かっていたマレーシア人12人,イスラエルにより拘束。
1日 政府,MCA党役員選挙をうけ,小規模内閣改造。
3日 首相,ラオス公式訪問。
10日 第10次マレーシア計画上程(30日可決)。
11日 PAS年次総会(~13日)。
17日 中央銀行,みずほ銀行など外銀5行にライセンス発行。
22日 シンガポール首相来訪。シンガポール領内のKTMB所有地について協議。
27日 MCA,煽動的発言をした首相側近が起訴されないことについて不満を表明。
  7月
5日 内務省,PKR機関紙『スアラ・クアディラン』の出版許可申請を却下。同紙が虚偽の報道(「連邦土地開発庁破産」)をしたとして。
8日 首相,マレーシア・インドCEOフォーラム設置を発表。
9日 中央銀行,OPRを2.75%に引き上げ。
10日 MIC党大会。
13日 MACC,2009年度報告。23人の政治家を逮捕,15人を起訴(UMNO12人,マレーシア人民運動党[Gerakan],DAP,PKR各1人)。
14日 スランゴール州議会,情報公開法上程。
15日 砂糖・燃料の補助金削減開始。
16日 MACCの事情聴取中に転落死したスランゴール州議会議員秘書の追悼集会。
23日 UNCTADレポート,マレーシアの2009年度FDIが前年比81%減と報告。
29日 MACC,前運輸相リン・リョンシックを,クラン港自由経済区用地購入に際し不正を働いたとして告発。
  8月
4日 DAP下院議員,スランゴール州政府に対して,ブミプトラの住居購入における割引措置を撤廃するよう要求。
7日 PAS党首,ブミプトラへの割引措置は必要と談。
7日 BN各党青年部,大学・大学カレッジ法の緩和と学生の政治活動容認を政府に要請。
12日 クランタン州,シャリア通貨発行。
12日 ジョホール州中学校校長,非マレー人生徒を「移民」と呼ぶ。同様の発言が教育関係者から相次ぐ。
14日 華人経済会議。ブミプトラ割り当ての段階的撤廃要求などを決議。
17日 BN,PR各党が校長による「移民」発言を批判。
18日 中央銀行,非居住者との貿易決済におけるリンギ使用を容認。
19日 アンワル,PR連邦政府が成立した場合,5年以内に世帯収入を最低1カ月4000リンギ以上にすると発表。
20日 控訴裁判所判決。個人がムスリムか否かを決定する権限はシャリア法廷にのみあるとする。
20日 首相,景気刺激策は導入しないと談。
21日 カーパルDAP下院議員,PRが連邦政府を構成した場合,イスラーム刑法を施行し,イスラーム国家を樹立するとしたニック・アジズPAS顧問の発言を批判。
23日 在インドネシア・マレーシア大使館前で反マレーシア集会。
25日 国際貿易産業省,「ASEANサービスに関する枠組み協定」に従い,15分野の自由化を提案。
25日 外相,インドネシア政府に対して反マレーシア・デモを抑制するよう要請。
26日 PR3党,イスラーム国家問題を争点としないことで合意。
26日 PKR,新党結成を企図したとして,サバ州支部メンバー12人を1年間の資格停止処分。
30日 クランタン州,オイルロイヤルティの不払いを理由にペトロナスを告発。
  9月
1日 首相,NEMはNEPの完全な撤廃を意味しているわけではないと談。
1日 サバ州副知事,サバ州知事と所属政党自由民主党の確執から,離党。
4日 首相,コミュニケーション・マルチメディア委員会に対し,扇動的なウェブコンテンツの取り締まり強化を指示。
5日 教育省,教師に対して差別的発言をしないよう通達。
11日 首相,リンギのオフショア取引容認を示唆。
19日 首相,インドネシアとの国境問題早期解決に意欲。
19日 マレーシア製造業連盟(FMM),リンギ取引の国際化に難色を示す。
20日 マレーシア・シンガポール,KTMB所有地問題に決着。
24日 風刺漫画家ズナー,「アッラー」問題などに関する作品を発表したとして逮捕。
27日 連邦管理のサラワク州バクンダムの州への売却が決定。
27日 首相,国連総会で各宗教の穏健派の結集を主唱。
28日 リンギ,1ドル=3.08リンギまで上昇。過去13年間で最高値。
30日 サミー・ベルMIC党首,3カ月以内に退任すると発表。
  10月
5日 首相,欧州委員会委員長と会談。マレーシア・EU FTA交渉開始で合意。
6日 TPP加盟交渉入りが承認される。
9日 控訴裁判所,2009年3月のペラ州議会議長解任を正当とする判決。
10日 MCA党大会。
10日 Gerakan,ペナン支部長の信任を問う緊急総会。不信任案不成立。
13日 移民局スタッフ7人,密入国斡旋容疑でISAにより逮捕。
13日 国際貿易産業省,輸入許可証(AP)の半減を閣議に提案。
15日 予算上程(12月13日成立)。
19日 UMNO党大会(~23日)。
27日 シン・インド首相来訪。マレーシア・インド包括的経済協力協定の調印に合意のほか,リトルインディアの完成式に出席。
29日 全党員によるPKR党役員選挙開始。
29日 首相,ASEAN+3会合出席。
  11月
1日 ペナン州議会,情報公開法上程。
1日 ギラード・オーストラリア首相来訪。人身売買,密入国について副首相と会談。
2日 クリントン米国務長官来訪。
4日 下院バトゥ・サピ選挙区補欠選挙,クランタン州議会ガラス選挙区補欠選挙実施。双方ともBN候補者が当選。
6日 Gerakan党大会。包括的なBNの実現を希求。
19日 PKR党員,副党首選挙の差し止め命令を求める裁判を起こす。
19日 PKR副党首候補ザイド・イブラヒム,PKR離党。
26日 PKR党大会(~28日)。
  12月
3日 首相,NEMの具体策を発表。
5日 スランゴール州知事と支持者,Syabas社による水道料金値上げなどに反対するデモ。
5日 BN大会。直接党員を認める党規約改正を発表。
6日 サミー・ベルMIC党首退任。パラニヴァル副党首に禅譲。
10日 韓国の李大統領来訪。首脳会談。
13日 マレーシア・ブルネイ,国境付近の油田共同採掘に合意。
14日 アンワルの同性愛疑惑に関するオーストラリアとシンガポールの高官による会談内容がWikiLeaksにより漏洩。
16日 下院議会議員特権委員会,アンワルほか野党議員4人の6カ月間の議員資格停止を勧告。野党議員は抗議のため議会退場。
19日 PR大会。
21日 フォルクスワーゲンとDRB-Hicom,マレーシア国内での生産に合意。
23日 サイムダービー,元CEOを不正管理,背任などで告訴。
29日 労働組合会議役員選挙。PKR党員の現職が落選。

参考資料 マレーシア 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  政府要人名簿(2010年12月末現在)
②  政府要人名簿(2010年12月末現在)(続き)
③  州首相名簿

主要統計 マレーシア 2010年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国・地域別貿易
5  連邦政府財政
6  国際収支
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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