アジア動向年報
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各国・地域の動向
2010年のインド 相次ぐ汚職の表面化
辻田 祐子島根 良枝
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2011 年 2011 巻 p. 445-476

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2010年のインド 相次ぐ汚職の表面化

概況

2009年の総選挙で成立したインド国民会議派(会議派)の率いる第2次統一進歩連合(UPA)政権は,経済成長,農村部の発展,経済社会弱者層への配慮を重視する政策を掲げている。しかし,物価上昇,汚職問題,後進地域での極左武装組織のテロ活動,ジャンムー・カシミール州での抗議活動などの治安対策に追われ,大きな政治実績に欠ける1年だった。会議派はビハール州議会選挙でも議席を減らした。

インドの実質GDP成長率は,世界金融危機の影響を受けて2008年度に6.8%に低下したものの,2009年度にすでに景気回復の兆しが現れて8.0%まで復調し,2010年度には8.6%に達した見込みである。2008年度の成長鈍化が比較的軽微にとどまり,さらに2009年度以降速やかに景気が回復した要因としては,輸出依存度(輸出/名目GDP)が低いため海外経済の影響を受けにくいうえ,財政・金融面での景気刺激策が奏功しサービス業部門と消費が底堅く推移して景気を下支えしたことがある。ただし,2010年度の成長加速をもって,インド経済が世界金融危機以前の高成長路線に復帰したとの評価が一般的にはなされているものの,景気回復の勢いは力強いものとはいえない。2009年度後半には製造業が2桁の大幅な伸びを記録して景気回復を主導したが,2010年度に入ると伸び率は大きく低下し続けている。また,食料価格の高率の上昇が長期化しているなか,食料以外の価格も上昇傾向を強めており,インフレが問題になっている。

対外関係では,イギリス,アメリカ,フランス,中国,ロシアの首脳が相次いで来訪し,巨大新興市場インドへの活発なトップセールスを繰り広げた。一方で,中国との間で懸案となっている国境問題には大きな進展がみられず,2008年11月のムンバイ・テロ事件で急速に冷却化したパキスタンとの関係改善も進まなかった。

国内政治

物価上昇をめぐる与野党対立

野党による与党攻撃は物価問題から始まった。2月末に開始された予算国会で,野党は食料品をはじめとする物価の著しい上昇に対して採決を要する討議を要求した。さらに2月26日に発表された2010/11年度予算案では,尿素を除く化学肥料価格の自由化と石油製品価格の引き上げが問題になった。とりわけ,石油製品への関税と物品税引き上げに対し,インド人民党(BJP)を中心とする国民民主連合(NDA),左翼政党の野党のみならず,与党UPAに閣外協力してきた大衆社会党,社会主義党,民族ジャナター・ダル,さらにUPA内でも全インド草の根会議派(西ベンガル州),ドラヴィダ進歩連盟(タミル・ナードゥ[TN]州)などの2011年に州議会選挙を控える州を地盤にする政党も撤回を要求した。ムカルジー財務相は引き上げを撤回しないと主張したことから,何度も国会審議が中断された。

4月27日,予算関連法案への拒否権である減額動議(石油・天然ガス省予算)が下院に提出された。動議の可決は内閣不信任に相当する。BJP提出の動議は賛成162票,反対246票,左翼政党提出の動議は賛成201票,反対289票でいずれも可決されなかった。値上げに反対していた大衆社会党が最終的に与党支持に回り,社会主義党,民族ジャナター・ダルが投票を棄権したためである。

6月,政府はガソリン小売価格の自由化,貧困層への影響が大きいLPGと灯油価格の6年ぶりの値上げなどに踏み切った。7月5日,BJPや左翼政党は値上げの撤回を求め,2004年のUPA政権発足以来最大規模の全国ゼネストを実施した。交通機関の麻痺,公共,教育機関の閉鎖,物資輸送の停止により,市民生活に大きな影響が出た。

7月下旬からの国会でも野党の攻撃はゆるまなかった。野党は内閣問責決議にあたる延会動議の提出や採決を要する討議を求めたが,いずれも下院議長に拒否された。最終的には8月に入って「インフレ圧力による普通の人々へのマイナスの影響を懸念する」議員決議が採択されて与野党対立は決着した。インフレ率は8月以降やや低下したものの依然として7~9%台の水準で推移しており,物価の動向によっては再び野党が攻撃を強める可能性が高い。

相次ぐ汚職疑惑

2010年,与党をもっとも揺るがせたのは相次いで明るみになった汚職疑惑である。まず3月下旬,クリケットのインド・プレミア・リーグ(IPL)への新たな参加チームの入札が行われたが,ケーララ州選出のS・タルール外務担当国務相が,落札した同州コッチのチームに便宜を図った見返りとしてその交際相手に株式が渡っていた疑惑が浮上し,4月18日に辞任に追い込まれた。

次いで8月,デリーで10月に予定されていた英連邦競技大会を目前にして,大会組織委員会の資金に不透明な流れがあるとの中央汚職取締委員会の指摘を受け,職員3人が停職になった(その後,11月に3人,2011年2月にはさらに組織委員会高官2人が汚職で逮捕された)。11月,会議派は大会組織委員会会長を務めたS・カルマーディーを党の役職から外した。

11月の冬期国会直前になると,1999年の対パキスタン紛争の戦死者遺族向けに建設されたムンバイの一等地に建つ高層マンションに,政治家,高級官僚,紛争とは関係のない軍関係者が入居していることが明るみになった。マハーラーシュトラ州のA・チャワーン首相(会議派)の親族も入居しており,会議派指導部は,冬期国会で予想される野党の厳しい追及を前に同首相を11月9日に辞任させた。

与党に最大のダメージを与えたのが,2008年の第2世代携帯電話周波数の割り当てにおいてラジャ通信・情報技術相(ドラヴィダ進歩連盟:DMK)が一部の大企業に便宜を図ったのではないかという汚職疑惑である。2009年から中央捜査局の捜査汚職が始まり,予算国会では野党によるラジャ通信・情報技術相の辞任要求が出された。5月19日に発表された第3世代携帯電話周波数の割り当て競売結果が総額6771億ルピーに達したことから,あらためて第2世代携帯電話周波数の割り当て(総額1234億ルピー)との価格差が注目された。

野党による大臣解任要求は11月からの冬期国会でも続いた。解任しないなら審議に応じないとする野党は,第2世代携帯電話周波数の不透明な割り当てにより国庫に1兆7600億ルピーの損害を与えたとの会計検査院報告が明らかにされると,ますます与党に対する攻撃を強めた。全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)のジャヤラリタ党首は,ラジャ通信・情報技術相を解任すればUPAを支持すると揺さぶりをかけ始めた。DMKとAIADMKはともに2011年に州議会選挙が予定されるTN州の地方政党でライバル関係にある。

11月14日,ラジャ情報・通信技術相はDMKのカルナニディ党首(TN州首相)と会議派指導部の話し合いを受けて,潔白を主張しつつ辞任した。しかし,野党の与党攻撃は止まらず,むしろ上下両院の合同委員会による汚職調査要求を強めた。また,シン首相も11月までラジャを閣僚にとどめた責任を問われている。与野党の両院合同部会の設置をめぐる対立が激化し,冬期国会はほとんど審議できずに終了した。

もっとも汚職疑惑は与党関係者だけに限られたものではない。BJPのイェデュラッパ・カルナータカ州首相については,バンガロールの政府所有地の割り当てにおいて息子ら親族に便宜を図った疑惑などが報じられている。党指導部は同州首相を辞任させる方向で調整したが,最終的に続投させている。

汚職は計画経済時代のライセンス制度のもとでも行われていたが,経済自由化後は汚職がより高額化し,より広く浸透したといわれる。第2世代携帯電話周波数の割り当てに関する汚職捜査の過程で,企業ロビイストと大企業関係者,政治家,ジャーナリストらの会話を録音した当局による盗聴テープが流出し,あらためて官民の癒着や大企業の政府への影響力が浮き彫りになった。

原子力損害民事責任法の成立

2008年に締結したアメリカとの原子力協定でインドの原子力市場にアメリカ企業の参入が可能となったが,最後まで残されていたのが万一の原発事故の際の賠償に関する法律の制定である。2010年に入って与党の示した草案に対し,野党は発電所運営事業者や資機材供給企業の事故への責任を厳しく問うよう修正を迫った。1984年12月にマディヤ・プラデーシュ州ボパールのインド・ユニオン・カーバイド社から毒ガスが流出し,その後遺症などによる死者も含め,少なくともこれまでに2万人以上が死亡したとされる世界最悪の産業事故の責任を問う判決が6月に下され,当時のインド・ユニオン・カーバイド社の会長ら7人に禁固2年が言い渡された(即日保釈)。この判決を不服とする世論が高まったことも,企業の責任をより厳しく問う法案への修正に影響を与えたとみられる。

7月下旬に開始された国会では,原発事故の際の発電所運営事業者の賠償限度額が,与野党の交渉によって50億ルピーから150億ルピーに引き上げられた。また,発電所運営事業者が資機材供給企業に対し償還権を請求できる条件のひとつ「原発事故が故意の行動もしくは重大な過失により資機材,サービスが提供された結果である」という条項に対し,野党は故意の行動を証明することは困難であると主張し,「原発事故が供給企業もしくはその従業員が基準を満たしていない資機材,サービスを供給した結果である」に書き換えられた。

左翼政党は,11月のオバマ大統領来訪前の法案成立を目指す性急な与党の動きを批判し,また法案はアメリカに有利だとして反対する姿勢を貫いた。しかし,BJPが修正法案を承認したため,8月25日に下院,同30日に上院を通過した。ただし,同法は,10月に国際原子力機関で署名した原子力損害補完的補償条約よりも原発の資機材供給者の万一の事故の際の責任を厳しく問う内容となっている。アメリカは企業が原子力事故の責任を負うリスクに懸念を表明しており,今後法改正への圧力を高める可能性がある。

そのほか注目される法案としては,連邦下院,州議会の議席定数の33%を女性に留保する法案が上院を通過したことが挙げられる。州より下の議会ではすでに女性留保議席が導入されている。会議派,BJP,左翼などの主要政党は賛成に回っており,BJPは3月に発表したガドカリ新総裁の下で全国執行委員会の3分の1のポストに女性を任命し,法案を先取りする党の取り組みをアピールした。

他方で,法案には反対も根強い。たとえば,大衆社会党は上院の採決を棄権し,社会主義党と民族ジャナター・ダルは法案に反対し,UPAへの閣外協力の取り下げをちらつかせつつ,彼らの支持基盤である後進諸階級,ムスリムの枠を女性留保議席内に設けることを要求している。下院通過は予断を許さない状況である。

治安対策

極左武装組織「ナクサライト」対策は,内政の最重要課題に位置づけられている。近年,ナクサライトはアーンドラ・プラデーシュ州,オリッサ州,チャッティースガル州,ジャールカンド州,ビハール州,西ベンガル州の中部から東部にかけての後進地域(通称「赤い回廊」)で急速に活動を活発化させている。政府はこれらの地域で軍事作戦の展開を中心として,道路建設や電化などの開発も推進している。さらに,2009年10~11月頃から地域ごとの詳細な行動計画をもとにした中央治安部隊を中心とする掃討作戦(通称「緑の狩作戦」)が各地で展開されている。しかし,ナクサライトは後進地域の部族など貧困層の一部から支援を得ているともいわれるため,軍事作戦だけでは解決が困難になっている。2月,政府はナクサライトに72日間戦闘を停止すれば直接対話を行うと発表したが,ナクサライトはまず政府がそのように行動したら対話に応じる準備はあると反撃し,対話は実現しなかった。

その後もナクサライトの攻撃は続いた。2月,西ベンガル州ミドナプル県の治安部隊駐屯地がナクサライトに襲撃され,治安部隊に多くの死者が出た。同月,ビハール州ジャムイ県でもナクサライト約120人の攻撃により村人に多数の死傷者が出ている。4月,オリッサ州コラプト県でナクサライトの仕掛けた地雷により治安部隊に死傷者を出した。次いで同月,チャッティースガル州ダンテワーダ県で治安部隊が襲撃され,それまでで最悪の被害(治安部隊76人が死亡)を出す事件が発生した。チダムバラム内相は引責辞任を表明したが,シン首相はそれを認めなかった。しかし,内相批判が野党のみならず与党内からも出され,ナクサライト対策をめぐる政府内の対立が改めて浮きぼりになった。空軍の投入による掃討作戦の強化を主張する武力行使強化派から,ナクサライト活動地域で部族の生活向上に総合的に取り組む必要があると考える開発推進派まで,政府内の意見は大きく分かれている。ナクサライト活動の活発な各州政府からは,政治的な解決に向けた模索が要望された。

しかし,5月以降もナクサライトの攻撃が続き,民間人の被害も急増している。5月17日,チャッティースガル州ダンテワーダ県でのバスの爆破により治安部隊と民間人の多数が死亡し,同月28日には西ベンガル州西ミドナプル県で特急列車が脱線し,多数の死傷者を出した事故ではナクサライトの関与が取りざたされている。これに対し中央政府は7月14日にナクサライト活動の活発な州の首相を集め,もっとも活動被害の著しい州の4州(ジャールカンド州,オリッサ州,チャッティースガル州,西ベンガル州)に統合治安部隊を設置し,掃討作戦部隊を増強する方針を打ち出した。7月24日に各州首相を集めて開催された国家開発評議会でもナクサライト問題が話し合われ,首相は国家計画委員会に対し総合的な開発計画を設計するように命じた。

これを受けて11月,中央政府は新たな開発プログラムを発表した。ナクサライト活動のもっとも活発な60県に対し道路,飲料水,保健,教育分野に2010/11年度2億5000万ルピー,2011/12年度3億2000万ルピーを供与する統合行動計画と呼ばれるものである。ただし,これらの地域の一部では豊富な鉱物資源の利権が絡む複雑な問題が存在し,森林や土地の所有権を求める部族民の生活向上につながる開発の推進も容易ではない。これまでも中央,州政府が開発資金を投入してきたが,ターゲット層である部族民などには届いておらず,治安の悪化でアクセスできない地域が存在するなどの問題が報告されている。

ジャンムー・カシミール(JK)州の治安も安定しなかった。6月,シン首相が同州を訪問し,100億ルピーの開発支援を打ち出した。その数日後,スリナガルでの若者らのデモに対して治安部隊が催涙ガスを発射し,少年が死亡した事件を契機に抗議活動が拡大した。7月,政府は事態が改善しないことから軍の投入に踏み切ったが,それでも住民と治安部隊との衝突は続いた。カシミール情勢が不安定のままでは,対パキスタン関係の改善にも支障が出る可能性がある。9月,政府は次の打開策を打ち出した。チダムバラム内相を団長とする39人の全政党代表団がJK州を訪問し,同州を地盤とする政党,カシミールの分離を求める全党自由会議(APHC),市民らと会談したのである。全政党からなる代表団がJK州を訪問したのは1990年以来であった。25日,中央政府は代表団の訪問を受けて,JK州への対応策として8項目のイニシアティブを発表した。それには,中央政府とJK州との対話,インフラ開発,治安状況の検討,拘束されている民間人の釈放,6月以降のデモによる死者(108人)への見舞金の供与,などが含まれる。

そのほか,2月にマハーラーシュトラ州プネー,12月にウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナシーで爆発事件が発生し,外国人を含む死傷者が多数出た。イスラーム武装組織の関与が疑われている。

ビハール州議会選挙

ビハール州で10月から11月の6日間に分けて州議会選挙が実施された。前回2005年選挙で15年ぶりに政権交代が実現したが,今回はジャナター・ダル(統一派)(JD[U])とBJPの連立政権に対する初めての有権者の審判が注目された。一部地域ではナクサライトが投票ボイコットを促したが,大きな投票妨害はほとんどなかったようである。投票率(52.7%)は,前回(45.9%)を上回った。結果は表1の通りである。与党が全243議席のうち206議席(JD[U]115議席,BJP 91議席)を獲得する地滑り的大勝利を収めた。ニティーシュ・クマール州首相の治安回復と開発実績の手腕が高く評価されたとみられる。政権返り咲きを狙ったL・P・ヤーダヴ前州首相の率いる民族ジャナター・ダルとR・V・パースワン元連邦鉄鋼相の人民の力党は,合計25議席しか獲得できなかった。また,中央与党の会議派は単独で選挙戦に臨み,シン首相,ソニア・ガンディー総裁,ラーフル・ガンディー幹事長を選挙戦に投入したが,前回議席から5議席減となる4議席に留まった。会議派のビハール州での人気復活の兆候はほとんどみられない。11月26日,2期目のニティーシュ・クマール政権が発足した。

表1  ビハール州議会選挙

(出所) Election Commission of India website(http://eci.nic.in/eci_main/index.asp).

(辻田)

経済

成長率は世界金融危機発生以前の水準に

インド経済は,2003~2007年度に実質GDP成長率が年率平均で9%近い水準で推移するなど順調な経済成長が注目されたが,製造業生産の伸びは世界金融危機発生以前の2007年度中から低下しはじめていた。需要面でも,景気の先行指標ともいえる粗固定資本形成の伸び率がすでに2007年度後半から低下しており,2007年度中には成長が息切れしはじめていた。2008年度の成長鈍化は,GDP成長率でみると6.8%と比較的軽微にとどまったものの,世界金融危機という外的・一時的要因のみでなく,それ以前から成長を制約しつつあった企業財務基盤の脆弱性,インフラの不足というインド経済の抱える構造的な成長制約要因にも起因する。

その後,2009年度には早くも景気回復の兆しが現れてGDP成長率は8.0%まで復調し,2010年度には8.6%に達した見込みである。四半期ベースでは,実質GDP成長率は2007年度10~12月期から2008年度10~12月期まで低下した後に上昇に転じた。表2中の実質GDP成長率は要素価格表示,表3中は市場価格表示の値である。成長率の落ち込みと回復が,要素価格に間接税を加え補助金を差し引いた市場価格において顕著であったのは,景気後退期に政府が物品税などの間接税率を引き下げるとともに補助金支出を拡大したことを反映したものであろう。

いずれの価格表示でみても,2010年度の成長率は2003~2007年度に近い水準まで回復した。表2に示したように,世界金融危機の影響がもっとも深刻であった製造業部門と貿易・ホテル・運輸・通信業部門は2009年度後半に2桁の伸び率となるなど,他部門に先行して大きく回復した。行政・国防その他が2009年度前半に突出した伸びを示したのは,2009年5月の総選挙関連や景気対策としての政府支出の増加を反映したものである。

需要面では,2007年度10~12月期からの成長鈍化傾向は,それまでに成長を牽引した粗固定資本形成,民間消費と輸出の大幅な落ち込みによるものであった。2007年度7~9月期に18.3%を記録するなど高率の伸びを続けていた粗固定資本形成は,表3中に示されるように2009年度4~6月期には0.4%減まで落ち込んだ。民間消費支出も,雇用環境の悪化や後述する製造業企業における人件費の削減などを反映して2008年度中を通じて伸び率が低下傾向をたどった。輸出は2009年度7~9月期に先進国向けを中心に13.7%減と大幅に減少した。2008年度以降の成長を需要面で下支えしたのはもっぱら政府部門の消費支出であったが,景気刺激策の発動を反映して顕著に増加した政府支出が一巡すると,2009年度末からは成長の牽引力から後退した。新たに成長を支えたのは,第1は粗固定資本形成であり,2009年度4~6月期にマイナスの伸びとなった後に大きく回復して2009年度1~3月期には19.2%増を記録した。第2は輸出であり,投資の増加と歩調を合わせて回復した。2009年度以降の輸出については,経済特区(Special Economic Zone:SEZ)からの輸出が拡大していることを特記すべきであろう。SEZからの輸出が輸出総額に占める割合は,2007年度に10.2%と初めて2桁になり,2008年度は11.9%であった。それが2009年度には26.1%,2010年度4~12月期に29.7%に達したのである。SEZ振興に向けた関連法が2005年度に制定された成果が現れはじめたことに加え,2008年度の景気後退が輸出企業の新陳代謝を促した可能性がある。第3は民間消費である。後述する企業データによると,景気後退に際して企業はまず労務費を削減したが,企業の労務費支払いの伸びは2008年度中に次第に低下した後,2009年度に入って一貫して上昇していることが分かる。また,2010年度10~12月期には海外資金の流入によって株式相場が急上昇し,資産効果によって消費が刺激された。民間消費の動向はこうした賃金支払いや資産価格の動きに呼応して,2009年度中に下げ止まり,2010年度に入ってからは伸び率が上昇しつつある。2009年度末からは粗固定資本形成と輸出が,2010年度に入ってからはそれらに加えて民間部門の消費支出が成長を支える姿になった。

2009年度前半までの景気回復が,世界金融危機後にも比較的堅調に推移したサービス業部門と政府消費需要を中心としたものであったのに対して,2009年度後半以降は,製造業部門と投資,輸出,民間消費需要を中心としたものへと様変わりした。

表2  産業部門別の実質GDP成長率

(注) 1)要素価格表示であるため,実質GDP成長率は市場価格表示である表3中の値と異なる。2)2010年度の値は中央統計局の予測値(quick estimate),各四半期の値は暫定値(estimate)。3)シェアは2010年度10~12月期の名目値より算出。

(出所) Central Statistical Organisation, Ministry of Statistics and Programme Implementation, Government of India “Press Note: Estimates of Gross Domestic Product for the Third Quarter (October-December) of 2010-11”(2011),および同 “Press Note: Advanced Estimates of National Income 2010-11”(2011)より作成。

表3  需要項目別の実質GDP成長率

(注) 1)市場価格表示であるため,実質GDP成長率は要素価格表示である表2中の値と異なる。2)2010年度の値は中央統計局の予測値(quick estimate),各四半期の値は暫定値(estimate)。3)シェアは2010年度10~12月期の名目値より算出。

(出所) 表2に同じ。

製造業部門の成長持続には疑問

2010年度に見込まれている8.6%という実質GDP成長率の水準を今後とも維持できるか,すなわちインド経済が高成長路線に復帰したのかを展望するひとつの鍵は,製造業の成長力にある。製造業部門は2009年度10~12月期に11.4%,1~3月期に16.3%という高い伸びを実現したが,2010年度に入ってからは伸び率が目立って低下して10~12月期には5.6%にとどまった。製造業部門の回復が持続する見通しは不確かである。

さらに鉱工業生産指数の動向を示した図1によると,2009年度以降の生産回復が顕著であるのが資本財と耐久消費財部門であること,さらに両部門の生産の伸びは変動が激しいことが分かる。両部門の鉱工業生産指数におけるウェイトは9.26,5.37と小さく,鉱工業生産全体に与える影響は限定的である。一方,ウェイトの35.57を占める基礎財,26.51を占める中間財,23.30を占める非耐久消費財の生産指数の伸びは,景気の回復し始めた2009年度後半以降にも目立った改善はみられない。インフレの問題については後述するが,食料インフレがとりわけ低位・中位所得層の消費伸び悩みにつながり,非耐久消費財等の生産拡大を抑制していることが懸念される。

次に,製造業に従事する企業に関する指標をみてみよう。表4は製造業企業の売上,経費と利益の伸び率を示したものである。表に示した以前の2007年度後半に,企業セクターは世界金融危機の影響にまず直面した。好景気が持続して不動産および金融資産価格が上昇していたなかで,企業は売上とともに資産からの高収入を享受していたが,金融危機の影響で市況が変化するとその他の収入の伸びが大幅に低下し,2008年度4~6月期には10%近い減少となった。同時に原油高に見舞われて燃料費および原材料費支出が増加し,世界的な信用収縮を受けて利払費負担が大幅に増加した。表4中では,記載期中における伸び率の最大値を濃く,最小値を薄く網掛けで示した。燃料費および利払費の伸び率は2008年度7~9月期にそれぞれ最大値である37.8%,69.9%となった。企業は人員・賃金調整などにより労務費の削減に努めたものの,ほかの経費高騰を受けて翌2008年度10~12月期には税引後利益の伸び,利益の売上に対する比率が最低となった。その後,まず資産価格が持ち直して利益の売上に対する比率が2009年度4~6月期に金融危機以前の水準まで回復し,次いで2009年度後半には売上の伸びが復調した。売上の回復につれて,原材料費,労務費の伸びが順次最高値を記録し,現在に至っている。この間の動向から,次の2点が指摘できる。第1は,本業の売上動向に先行して,資産価格の影響を受けるその他の収入が変動したことである。資産価格の変動は海外資本流入の動向の影響を受けており,資本流入動向が利払費負担という経費面だけでなく収入面でも企業の経営パフォーマンスに影響を与える構図になっていることが分かる。第2は,企業が労務費を柔軟に調整していることである。労務費の柔軟な調整は,消費への影響を通じて,景気の振幅を増大させる要因である。在庫増減については表4中にデータが少ないが,近年,企業が在庫投資を抑制するなかで在庫の変動が激しくなる傾向が生じており,これも景気の振幅を増大させる要因になっている可能性がある。

なお,2009年度10~12月期以降,売上の増大を上回って原材料費が増大している。これは中間財,基礎財の需要が増大した際にサプライリスポンスが働きにくく価格が上昇しやすいという問題を示唆するものであり,今後注意して観察する必要がある。

図1  鉱工業生産指数の推移

(出所) Reserve Bank of India, RBI Bulletin,各月版より作成。

表4  製造業企業の売上,経費と利益の伸び率(前年同期比,%)

(注) 出所によると,aは分子が負,bは分母が負とのこと。各指標について,記載期中の最高値に濃く,最低値に薄く網掛けした。

(出所) Government of India, Economic Survey 2010-2011 より作成。

インフレの昂進と海外からの資本流入

2008年度には卸売物価指数上昇率が前年度の4.8%から8.0%に,消費者物価指数上昇率が前年度の6.1%から9.1%に高まるなど,物価上昇が問題となった。2009年度前半には,卸売物価の上昇は沈静化し,6月,7月には卸売物価指数は下落した。にもかかわらず,しばしば食料インフレと呼称されるように,この間の物価動向においては食料価格の上昇が顕著であり,インフレの問題が一貫してクローズアップされてきた。インドにおいては,栄養失調人口の比率が高く,家計の総支出に占める食料の比重は4割を超えるなど,食料価格の上昇は国民生活に深刻な打撃を与えかねない問題である。

2009年度以降の国内景気の回復と世界的な一次産品価格上昇の影響を受け,2009年度前半には一次産品としての食料品(卸売物価指数におけるウェイトは14.34)と,工業製品としての食料加工品(同9.97)の双方とも10%を超える上昇率となり,年度後半には食料加工品価格の上昇率は10~20%の間で推移し,食料品価格は20%を超える上昇率を続けた(図2)。2010年度に入ってからは,食料加工品価格の上昇率は12月までほぼ一貫して大きな下落傾向となったが,食料品価格は20%を超える伸びからは低下したものの,依然,10%を超える水準にとどまっている。玉ネギをはじめとする野菜類やスパイス類など生活に密着した必需品の価格が高騰したことから,生活実感としての物価上昇は物価指数にみる以上に大きく,一部では政府への不満につながっている。2009年度中の物価上昇の直接的な原因は,記録的な少雨による食料価格の上昇,国際的な原油価格の上昇であったが,景気回復の持続にともなって,2010年度には工業製品価格も上昇に転じた。2010年度には食料価格の上昇率がやや鈍化する一方,燃料・光熱,住宅,衣類・履物類など食料以外の幅広い品目で伸び率が高まってきた(表5)。

食料や燃料・光熱,住宅などの物価上昇は,家計の非裁量的支出増大がその他の消費を圧迫することを通じて,生活水準の低下につながると同時に,消費財生産の成長加速を需要面から制約している可能性がある。表6に示した民間最終消費の伸び率では,2009年度に,家賃・光熱費等が5.9%に上昇する一方,食料・飲料の伸びが0.5%まで落ち込んでいる。ここで伸び率は実質価格から算出されているため,食料や家賃などの価格が上昇したなかで,購買力に限りのある中・低所得層家計がそうした財の消費量を抑制して対応したことが示唆される。被服・履物の消費が伸び悩む傾向にあるのも,同様の説明が可能であろう。他方,家具・什器,運輸・通信,医療・健康といった,比較的富裕な層が消費を伸ばしているとみられる財の消費支出は伸び率が高い。製造業の生産回復は資本財と耐久消費財が中心であり非耐久消費財の生産回復が遅れているが,食料・飲料や被服・履物の消費抑制は,とくに非耐久消費財分野の不振を長期化させかねない。

インド準備銀行(RBI)は,世界金融危機の影響に対処するため,2008年9月央に金融緩和に政策スタンスを転換し,「危機対応」(managing the crisis)への姿勢を明確にした。その後,景気の回復傾向とインフレへ懸念の高まりから,2009年10月以降は一貫して「景気回復対応」(managing the recovery)に注力した金融引き締め政策を続けている。2010年度に入ってからのRBIによる政策金利引き上げは6度に及び,現在,レポ・レートは6.5%,リバース・レポ・レートは5.5%,現金準備率は6%まで引き上げられた。

国内金利の上昇は,先進国経済に先駆けてインド経済の回復傾向が鮮明になるなかで,海外からの資本流入加速につながっている。2009年度の純資本流入は534億ドル(GDP比で3.8%)と,2008年度の68億ドル(同0.5%)から大きく増大した。2010年度4~9月期の純資本流入は,前年度同期の230億ドルを上回る367億ドルであり,2010年度通年ではさらに資本流入が加速する見通しである。

図2  卸売物価上昇率の推移

(出所) Reserve Bank of India, RBI Bulletin,2011年2月より作成。

表5  品目グループ別の消費者物価指数伸び率

(出所) 図2に同じ。

表6  品目別にみた民間最終消費の伸び率とシェア

(出所) 図2に同じ。

サプライリスポンスを制約するインフラの問題

これまでみてきたなかで,製造業生産の回復とともに原材料費が大幅に増加する,食料インフレが長期化する,といった現象が景気の回復過程で顕在化していることが危惧される。こうした現象はいずれも,需給ギャップに対するサプライ側のリスポンスが弱いことに起因している。製造業生産においては,資本財や耐久消費財の生産が伸びる一方,それにともなって需要の増大する基礎財,中間財といった投入財の生産が伸び悩んでいる。食料インフレについては,近年,経済成長にともなう購買力の向上に加え,マハトマ・ガンディー国家農村雇用保障スキーム(MGNREGS)などの社会保障スキームの影響により食料需要が押し上げられてきた。MGNREGSにより雇用機会を与えられた世帯数は,2008年度には4510万,2009年度には5260万,2010年度には4~12月期は4100万に及び,これら低所得世帯の購買力向上は食料需要につながったと考えられるためである。ところが需要の拡大に対する供給側のリスポンスは弱く,多くの主要作物について,1人当たりの供給可能量(生産+輸入)は停滞ないしやや低下している。

供給側の迅速なリスポンスを抑制する要因としてもっとも重要なのは,かねて指摘されてきたインフラ不足であろう。インフラについては深刻な電力不足への対応が遅れていることがたびたび指摘されてきたが,輸送・倉庫・通信への投資も鈍化している。粗資本形成の伸び率を分野別にみると,まず,電力・ガス・水道業への投資の伸び率は2009年度には3.5%まで低下した(表7)。2010年度には,発電能力拡張目標の達成率は12月時点で47.8%にとどまっている。内訳をみると,民間部門の達成率が81.6%であるのに対して,中央政府が29.3%,州政府が38%と政府部門で低くなっている。また,料金徴収の容易な通信や道路(表7中では[その他の輸送]に含まれる)への投資は比較的順調であったが,2009年度にはそれらへの投資も伸び率が0.9%増へと大きく低下した。倉庫の例では,保管容量が2007年度の98.78メトリックトンから2009年度時点で105.98メトリックトンに拡大したにすぎない。電力不足解消の遅れは,自家発電の必要性から製造業の投資コストを増大させて企業の投資拡大を阻害している。また,輸送・倉庫網の立ち後れは,生産コスト増大の要因であるだけでなく,市況に合わせた迅速な供給のネックとなる。さらに,農作物については市場での不足と価格上昇が深刻な問題となる一方で,流通過程における腐敗と廃棄が指摘されており,廃棄される農作物は生産の3割程度に及ぶと推測されている。食料インフレへの対応策としては,保管・流通・販売に関する制度的インフラの整備とともに,輸送・倉庫インフラの整備が欠かせない。

政府は現行の第11次5カ年計画(2007~2011年度)中で,9%台の経済成長率に早急に復帰するとともに,貧困層の生活水準を改善する「包摂的な成長」(Inclusive growth)を実現することを政策目的に掲げてきた。2010年度には成長率は高まったものの,四半期ベースでみると成長率にはすでに低下の兆しがみえるうえ,貧困層の生活に打撃を与える食料インフレが長期化しつつある。5カ年計画の最終年度に当たる2011年度には,成長力抑制と食料インフレ双方に共通する要因であるインフラ整備が喫緊の課題である。

表7  分野別にみた粗資本形成の伸び率

(出所) 表4に同じ。

(島根)

対外関係

2010年も戦略的パートナーシップを基本とする多角的な外交が展開された。国連安保理常任理事国5カ国すべての首脳が来訪し,積極的なトップセールスを展開した。とくに,2008年に国際原子力市場に復帰したインドの巨大原子力市場を狙った各国との原子力協定の締結と発電所建設の動きが活発化している。さらに,向こう10年で800億ドルを要するともいわれる軍の近代化が計画されており,軍備・軍事機器の売り込みも増加している。インドはこうした経済外交によりアメリカ,ロシア,フランスから原子力供給グループ(NSG)への加盟や国連安保理常任理事国入りへの政治的支援を引き出すことに成功した。しかし,最大の懸案である対パキスタン関係では関係改善に向けた見通しが立たなかった。

原子力分野の動き

2008年のアメリカとの原子力協定で国際原子力市場に復帰したインドは,巨大原子力市場を狙う各国とエネルギー需要の高まる自らの思惑の一致から,相次いで原子力協定を締結している。アメリカ,フランス,ロシア,カザフスタン,アルゼンチン,ナミビア,モンゴル,EUに続き,2010年はイギリス,カナダと協定を締結した。

さらに2010年3月末,アメリカの提供する核燃料のインドでの再処理方法に合意した。この合意により国内に2基の再処理施設を建設し,アメリカとの再交渉なしで施設の処理能力を増大することが可能になる。さらに8月に原子力損害民事責任法が成立したのを受けて,アメリカをはじめとする各国企業のインド原子力市場への参入の準備が整った。しかし,同法は,原子力損害補完的補償条約との齟齬がみられるため,今後修正される可能性もある(国内政治の項参照)。

インドは原子力分野での国際的なイニシアティブにも積極的に取り組んだ。4月,47カ国の首脳らが核安全問題などについて協議した核安全保障サミットで,「原子力エネルギーパートナーシップのためのグローバル・センター」の設立に関する国際的なイニシアティブを打ち出した。高度原子力システム,原子力セキュリティ,放射線安全性,放射線技術の応用などに関する国際的な学術交流,トレーニング,研究開発を目的とした最新施設をハリヤーナー州に設置することが発表されている。

安定した対米関係――オバマ大統領の来訪

対米関係は2010年も順調に推移した。6月初旬にアメリカで初めて両国の戦略的対話が行われた。クリシュナ外相はクリントン国務長官と会談し,ムンバイ・テロ事件への関与で逮捕されたパキスタン系アメリカ人への尋問,ハイテク分野でのアメリカの輸出規制の撤廃を要望した。オバマ大統領のインド訪問についても発表された。

オバマ大統領は11月6日から4日間,アジア諸国歴訪の最初の訪問国としてインドを初訪問した。約200人の財界人を引き連れての最初の訪問地ムンバイでは,航空機,発電用設備など約100億ドルの契約を成立させ,対インド輸出の増加がアメリカ国内の雇用創出につながることをアメリカ国民に向けて強調した。また,2008年のムンバイ・テロ事件で標的となったホテルのひとつに宿泊し,犠牲者に哀悼の意を示し,テロの根絶を訴えた。

次いでデリーでは,シン首相との首脳会談が実施された。9日に発表された共同宣言では戦略的関係の強化が謳われた。とくに,経済関係の強化が目立つ。インドが要望していた1998年の核実験に対する制裁措置である国防機関などへの軍事転用可能なハイテク分野の輸出規制の撤廃も発表された。アメリカはNSGをはじめ軍縮,核不拡散を目的とする輸出管理関連の4つの国際枠組みへのインドの段階的な正式加盟に対する支援も表明している。また,クリーン・エネルギーの共同調査開発,シェール・ガスの開発,夏季モンスーンの降雨量予測に関する技術協力にも合意した。政治面での成果としては,アメリカがインドの国連安保理常任理事国入りへの支持を表明したことが挙げられる。この背後にはアジアで影響力を増す中国に対するアメリカの警戒感があると指摘される。

対パキスタン関係――対話再開への険しい道のり

対パキスタン関係は,2008年11月に起きたムンバイのテロ事件へのパキスタンの関与をめぐって一気に冷え込んだ。2010年も両国間の問題を議論するための枠組みである「複合的対話」再開の見通しは立たなかった。テロ問題に関する集中的な協議から段階的に対話再開への道筋を描くインドに対し,カシミール問題を含め二国間の全問題を議論する対話の即時再開を望むパキスタンの間の基本姿勢の違いが埋まらなかったためである。

2月13日,プネーで外国人を含む9人が死亡,少なくとも60人が負傷する爆発事件が発生し,パキスタンに拠点を置くイスラーム過激派の関与が疑われた。2月25日に両国の対話再開に向けた外務次官会談がアメリカの積極的な働きかけにより予定されており,BJPは反対したものの予定通り会談は開催された。しかし,インドがムンバイ・テロ事件のパキスタン人容疑者の引き渡しを求めるなどテロ問題を中心議題として取り上げたのに対し,パキスタンはカシミール問題,水利問題を中心に二国間のすべての問題に関する議論を主張し,話し合いは平行線のまま終了した。

2月末,シン首相はパキスタンに影響力をもつサウジアラビアを訪問し,4月末には,南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議のために訪問していたブータンのティンプーで,ギーラーニー・パキスタン首相と会談し,信頼醸成のための外相会談を実施することに合意した。しかし,インドはパキスタンのテロ対策に不安を募らせている。5月,ムンバイ・テロ事件で唯一生きて捕えられた実行犯に死刑判決が下され,パキスタンの越境テロに対して強い警告を発した。6月,SAARC内相会談でイスラマバードを訪問していたチダムバラム内相はパキスタンのマリク内相と会談し,ムンバイ・テロ事件の全容解明へのパキスタンの協力に不満を表明した。7月15日にイスラマバードで開催された外相会談でも今後接触を維持することに合意するにとどまり,複合的対話再開の見通しは立たなかった。

対中関係――温家宝首相の訪問

近年の対中国関係の特徴は,経済分野を中心とする急速な関係拡大と領土問題での対立である。両国関係の密接化の象徴として,4月のクリシュナ外相の訪中時に両国首脳の間にホットラインが開設されたことが挙げられる。7月のメノン国家安全保障顧問の中国訪問では,経済関係強化,アフガニスタンでのインフラストラクチャー,鉱物資源の共同開発について話し合われた。一方で,インドはカシミールをめぐる中国の動きを警戒している。インドは,中国軍によるパキスタン側カシミール地域での道路建設の報道に対して懸念を表明し,またカシミール地域を管轄する国軍関係者の申請した中国入国ビザを拒否されたことから,中国との軍事交流を一時停止するなどの動きがあった。

外交関係樹立60周年となった2010年の締めくくりとして12月15日から3日間,温家宝首相が400人の財界人を引き連れて来訪し,オバマ大統領のトップセールスを上回る160億ドルの商談が成立した。首脳会談では2015年までに両国の貿易額を1000億ドルまで引き上げることに合意している。その他,テロ対策,核不拡散,気候変動,海上警備の各分野での協力に合意した。一方,領土問題には大きな進展がなかった。とくにインドが懸念しているビザ発給(中国はパキスタンのカシミール出身者には通常のスタンプによるビザを発給しているのに対し,インドのジャンムー・カシミール州出身者および中国との国境問題を抱えるアルナーチャル・プラデーシュ州出身者には別紙のビザをパスポートにホチキス止めして発給している)と両国を流れるブラマプトラ川の上流に中国がダム建設をしている問題については,今後の協議に委ねられることになった。

日印関係――包括的経済連携協定発効へ

10月,シン首相が訪日し,首脳会談が行われた。最大の成果は,包括的経済連携協定(CEPA)の締結に合意したことである。両国の貿易総額の94%分の関税を発効後10年間で撤廃する。インド側の要求である後発医薬品審査の迅速化,インド料理,伝統舞踊・音楽,ヨガ,英語指導員の就労にも合意したが,インド人看護師,介護福祉士の就労については協定発効後2年以内に結論を出すことになった。CEPAは日本にとって12番目の経済連携協定であり,2011年に発効の見込みである。ただし,2010年1月にCEPA発効済みの韓国に出遅れた感があるのは否めない。

そのほか,首脳会談では閣僚級経済対話の設置,ビザ手続きの簡素化,民生用原子力協定交渉の加速化,国連安保理改革への連携,レアアースやレアメタルの開発協力促進などでも合意し,「次なる10年に向けた日印戦略的グローバル・パートナーシップのビジョン」に署名した。

今後の二国間関係では,2010年に入って開始された原子力協定に関する交渉の行方が注目される。交渉の争点のひとつはインドが核実験を実施した場合の協定の扱いで,日本は協定停止の条項を入れることを主張する一方で,インドは核実験モラトリアムの実績を強調している。

対ロシア,イギリス,フランス関係

3月,プーチン・ロシア首相が来訪し,新たな原子力発電所の建設など原子力,化学肥料,宇宙分野などで合意に達した。12月のメドベージェフ大統領の来訪時には,第5世代戦闘機の共同開発,両国間貿易額を2015年までに倍増(200億ドル)させること,石油・ガス分野の共同開発など30項目に合意した。ただし,新たな原子力発電所の建設については,原子力損害民事責任法の成立を受けてロシアが慎重な姿勢をとり,協議持ち越しとなった。

イギリスは,2月にインドとの民生用原子力協力協定に署名した。7月,キャメロン首相が約100人の財界人らを連れて来訪し,軍事訓練機57機の契約(約2億ドル)を成立させた。さらに5年間で両国間貿易額を倍増させるための両国企業の最高経営責任者らによるフォーラムが設置された。

フランスのサルコジ大統領は12月に来訪し,アルバ社の原子力発電所に関する合意をはじめ7つの合意に達した。フランスは小売業,保険業に向こう2年で100億ドルの投資をする準備があると発言し,インドに外資規制撤廃への圧力をかけた。

(辻田)

2011年の課題

与党が汚職問題をどのように乗り切るかが安定した政権運営のポイントになるだろう。第2世代携帯電話周波数の割り当てに関する汚職捜査が本格化し,ラジャ元通信・情報技術相は2011年2月に逮捕された。与党は,野党の要求である両院合同委員会(JPC)を設置し,汚職調査を行うことに合意している。JPCは,過去に4回しか設置されたことがない。

2011年は5つの州議会,連邦直轄地での選挙が予定されている。会議派,BJPの動向だけでなく,2009年の総選挙で議席を大きく後退させた左翼政党が西ベンガル州とケーララ州で政権の座を守れるかが注目される。

2010年までの景気の回復過程で,需給ギャップが解消されにくいという問題が顕在化した。製造業は資本財や耐久消費財を中心に2009年度後半に2桁の大幅な伸びを記録したが,投入財の生産拡大が遅れがちであったため,製造業全体の生産も2010年には伸び率が低下し続けた。より幅広い産業分野で生産拡大を実現して投入財生産の遅れがボトルネックになることを避けるためには,インフラ不足への対処が不可欠である。また,食料価格上昇が長期化するとともに食料以外の価格も上昇傾向を強めインフレが問題になっている点についても,生産増強とともに物流・倉庫インフラの整備が急がれる。

対外関係では,対パキスタン関係の改善が最大の課題である。2011年2月にブータンのティンプーで外務次官会談が行われ,7月にインドで両国の外相会談を開催することに合意した。

(辻田:地域研究センター)

(島根:龍谷大学准教授)

重要日誌 インド 2010年
  1月
12日 シャルマ商工相,輸出奨励策の追加を発表。
17日 J・バス元西ベンガル州首相死去。
24日 李明博韓国大統領来訪(~27日)。
  2月
6日 物価対策についての州首相会議開催。
8日 統計局,2009年度のGDP伸び率予測値を発表(7.2%)。
11日 内閣経済委員会,財務大臣の承認できる外国直接投資の上限金額引き上げを発表。
11日 政府,イギリスと民生用原子力協力協定に署名。
13日 マハーラーシュトラ州プネーで爆発事件。外国人を含む9人死亡,60人負傷。
15日 ナクサライト,西ベンガル州西ミドナプル県で治安部隊を攻撃。少なくとも25人死亡。
17日 ビハール州ジャムイ県でナクサライト約120人の襲撃により少なくとも12人の村人が死亡,12人負傷。
19日 2009/10年度経済白書が発表される。
22日 予算国会開催(~5月7日)。
22日 ナクサライト,政府の72日間の停戦と対話の呼びかけに対し,まず政府が暴力活動を停止したら対話に応じると発表。
23日 下院野党議員代表にインド人民党(BJP)のS・スワラージが選出される。
25日 デリーでインド・パキスタン外務次官会談。
25日 ムカルジー財務相,第13次財務委員会報告書を国会に提出。
26日 政府,2010/11年度予算発表。
27日 シン首相,サウジアラビア訪問(~3月1日)。リヤド宣言に署名。
  3月
9日 連邦下院議会と州議会議席の33%を女性に割り当てる憲法(第108次改正)法案が連邦上院を通過。
12日 プーチン・ロシア首相来訪。
19日 インド準備銀行(RBI),レポ・レート,リバース・レポ・レートの引き上げを発表。
27日 最高裁特別捜査チーム,モディ・グジャラート州首相に2002年反ムスリム暴動に関して審問。
29日 与党の全国共通最低綱領の実施状況を監視する国家諮問会議が設置され,S・ガンディー会議派総裁が議長に就任。
29日 政府,アメリカとの使用済み核燃料再処理に関する取り決め合意に達したと発表。
31日 シャルマ商工相,統合した外国直接投資政策の完成を発表。
  4月
1日 政府,2011年センサスを開始。
1日 2009年子供の義務教育権利法が発効。
4日 オリッサ州コラプト県でナクサライトの仕掛けた地雷により治安部隊11人死亡。
5日 クリシュナ外相,中国訪問(~8日)。
6日 チャッティースガル州ダンテワーダ県でナクサライトが治安部隊を襲撃し,76人死亡。
10日 シン首相,核安全保障サミットのためアメリカ訪問。次いでブラジル・ロシア・インド・中国(BRICs)サミット,インド・ブラジル・南アフリカ(IBSA)サミットのためブラジル訪問(~17日)。
18日 S・タルール外務担当国務相,クリケットのインド・プレミア・リーグ(IPL)の入札不正疑惑で辞任。
20日 M・サングマー(会議派),メガラヤ州首相に就任。
20日 RBI,金利引き上げを盛り込んだ2010年度金融政策を発表。
25日 インド・クリケット管理協会,モディIPL会長に停職処分を下す。
27日 連邦下院議会に左翼政党,BJPがそれぞれ予算関連法案への減額動議を提出。いずれも可決せず。
28日 シン首相,南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会談のためブータン訪問(~30日)。パキスタンのギーラーニー首相と会談。
29日 直嶋経済産業相と北沢防衛相,インド訪問(~5月1日)。
  5月
6日 ムンバイ特別法廷,2008年ムンバイ・テロ事件で唯一生きて逮捕されたパキスタン人容疑者に死刑判決を下す。
17日 チャッティースガル州ダンテワーダ県でナクサライトが民間バスを爆破。民間人と治安部隊の少なくとも35人死亡。
19日 通信・情報技術省,第3世代携帯電話周波数オークションの結果を発表。
22日 エア・インディア・エクスプレス機,マンガロール近郊で墜落。乗員・乗客158人死亡。
26日 パティル大統領,中国訪問(~31日)。
28日 西ベンガル州西ミドナプル県で列車脱線事故により少なくとも141人死亡。ナクサライトの犯行説が有力。
31日 統計局,2009/10年度GDP成長率の改定値を発表。
  6月
1日 5月30日にS・ソレン首相が辞任したジャールカンド州に大統領統治導入。
3日 戦略的対話のため訪米中のクリシュナ外相,クリントン国務長官と会談。
4日 財務省,上場企業に25%以上の株式公開を義務づける証券契約規則2010を発表。
7日 シン首相,ジャンムー・カシミール(JK)州訪問。8日に100億㍓の支援を打ち出す。
7日 ボパール地裁,1984年のボパール・ガス流出事故に関しユニオン・カーバイド社会長(当時)ら7人に最大2年の禁固刑の判決(即日保釈)。
11日 通信・情報技術省,BWA(Broadband Wireless Access)用周波数オークションの結果を発表。
21日 閣僚グル―プ,ボパール・ガス流出事故の遺族と被害者に150億㍓の救済金の供与を政府に勧告。
24日 イスラマバードでインド・パキスタン外務次官会談。
25日 チダムバラム内相,SAARC内相会合でイスラマバード訪問中にパキスタンのマリク内相と会談。
25日 シン首相,G20出席のためカナダ訪問(~29日)。27日にカナダと民生用原子力協定に署名。
28日 東京で第1回日印原子力協定締結交渉(~29日)。その後,デリーで第2回交渉(10月8~9日),東京で第3回交渉(11月22~24日)。
29日 チャッティースガル州ナーラヤンプル県でナクサライトの攻撃により治安部隊の少なくとも26人が死亡。
  7月
2日 政府,アーンドラ・プラデーシュ(AP)州で治安部隊との銃撃戦でナクサライト最高幹部の1人が死亡したと発表。
2日 RBI,レポ・レート,リバース・レポ・レートの引き上げを実施。
4日 メノン国家安全保障顧問,中国訪問(~7日)。
5日 野党,石油製品価格値上げに反対して全国ゼネスト。
6日 第1回日印外務・防衛次官会談「2+2」対話がデリーで開催される。
8日 政府,6月以降続くJK州でのデモ鎮静化に陸軍を投入。
14日 クリシュナ外相,パキスタン訪問(~16日)。15日に外相会談。
14日 中央政府,ナクサライト活動の活発な州に統合治安部隊の設置などを提案。
19日 西ベンガル州で列車衝突事故。少なくとも67人死亡,120人負傷。
24日 国家開発評議会開催。首相,国家計画委員会にナクサライト被害地域での総括的開発計画の設計を命じる。
25日 タンシュエ・ミャンマー国家平和発展評議会議長,来訪(~29日)。
26日 国会(モンスーン期)開催(~8月27日)。
27日 キャメロン・イギリス首相来訪(~29日)。
  8月
4日 下院にてインフレ問題に関する議員決議採択される。
5日 英連邦競技大会組織委員会,職員3人を汚職で停職処分。
6日 JK州レーの洪水で165人死亡,500人以上行方不明。
21日 岡田外相,第4回日印戦略対話のためインド訪問(~22日)。
23日 シャルマ商工相,貿易政策に対して追加的な輸出政策を発表。
25日 原子力損害民事責任法,下院を通過(30日に上院通過)。
26日 パキスタン側カシミール地域で中国軍による道路建設が行われていると報道。
27日 中国,カシミール地域を管轄するインド軍関係者への入国ビザ発給を拒否と報道。
  9月
9日 閣議,2011年センサスで1931年以来初めてとなるカースト調査の実施を承認。
9日 パティル大統領,ラオス,カンボジア訪問(~18日)。
11日 ジャールカンド州首相にA・ムンダー(BJP)就任。
16日 RBI,金利引き上げを実施。
20日 チダムバラム内相,全政党代表団39人を率いてデモの続くJK州を訪問。州の各政党らと対談(~21日)。25日に政府は8項目のJK州対応策を発表。
30日 アラハバード高裁,アヨーディヤーのモスク跡地の3分の2をヒンドゥー教徒,3分の1をムスリムに所有を認める命令を下す。
  10月
3日 デリーで英連邦競技大会開催(~14日)。
13日 政府,JK州との持続的な対話のために3人の有識者を任命。
14日 イェデュラッパ・カルナータカ州首相(BJP),内閣信任決議案を可決で乗り切る。
21日 ビハール州議会選挙投票日(10月24,28日,11月1,9,20日)。
24日 シン首相訪日(~26日)。25日に日印包括的経済連携協定(CEPA)に合意。次いで首相はマレーシアを訪問し,27日に経済協力協定を含む6つの合意に署名。その後,インド・ASEANサミット,東アジアサミット出席のためベトナム訪問(~30日)。
27日 政府,国際原子力機関で原子力損害補完的補償条約に署名。
  11月
2日 RBI,金利引き上げを実施。
6日 アメリカのオバマ大統領来訪(~9日)。
9日 冬期国会開催(~12月13日)。
9日 A・チャワーン・マハーラーシュトラ州首相,住宅分譲に関する不正疑惑で辞任。後任はP・チャワーン(11日就任)。
10日 シン首相,G20サミット出席のため韓国訪問(~12日)。
14日 ラジャ通信・情報技術相,第2世代携帯電話周波数の割り当てをめぐる汚職疑惑で辞任。
15日 中央捜査局,英連邦競技大会組織委員会関係者2人を汚職疑惑で逮捕。のちにさらに1人を逮捕。
16日 会計検査院,第2世代携帯電話周波数の割り当てに関する報告書を国会に提出。
16日 最高裁,首相に対し,ジャナター党スワミ党首のラジャ前通信・情報技術相を起訴するよう求めた申し立てに16カ月何もしなかった理由を審問。
18日 通信規制委員会,第2世代携帯電話周波数の割り当てを受けてサービスを提供していない6企業69ライセンスの停止を勧告。
20日 首相,最高裁に対し中央捜査局による捜査後にラジャ前通信・情報技術相の処遇を検討する予定だったと回答。
24日 ビハール州議会選挙開票。与党ジャナター・ダル(統一派)とBJPの与党連合が大勝。26日にニティーシュ・クマール首相就任。
25日 23日に辞任したK・ロサイヤーAP州首相後任としてN・K・K・レッディーが首相に就任。
26日 政府,ナクサライト活動のもっとも活発な60県への統合行動計画を承認。
26日 パティル大統領,アラブ首長国連邦,シリアを訪問(~29日)。
29日 第14回インド・中国国境問題対話が中国で開催される(~30日)。
29日 政府,第2世代携帯電話周波数の割り当ての汚職捜査対象になっている企業ロビイストの電話の盗聴記録が流出した経緯を調査するよう国税当局に命令。
  12月
4日 サルコジ・フランス大統領来訪(~7日)。原子力発電所などの7つの合意に署名。
6日 最高裁,P・J・トーマス元通信次官が中央汚職取締委員会委員長に任命された妥当性を検討することを通告。
7日 ウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナシーで爆発。少なくとも1人死亡,外国人を含む21人負傷。
9日 シン首相,EU・インドサミットのためベルギー,次いでドイツ訪問(~12日)。
15日 温家宝・中国首相来訪(~17日)。
21日 メドベージェフ・ロシア大統領来訪。30項目の合意に署名。
24日 ライプル地裁,ナクサライトの暴力活動を扇動したとして人権活動家ら3人に終身刑の判決。国内外で抗議運動発生。
30日 AP州テーランガーナー地域に関する委員会,中央政府に報告書を提出。

参考資料 インド 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  連邦政府主要人名簿(2010年12月末現在)
③  統一進歩連合閣僚名簿(2010年12月末現在)
③  統一進歩連合閣僚名簿(2010年12月末現在)(続き)

主要統計 インド 2010年
1  基礎統計
2  生産・物価指数
3  国民所得統計1)
4  産業別国内総生産(実質:2004/05年度価格)1)
5  国際収支
6  国・地域別貿易
7  中央政府財政
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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