アジア動向年報
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2010年のネパール 長引く政治抗争で遠のく新憲法の制定
水野 正己
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2011 年 2011 巻 p. 477-500

詳細

2010年のネパール 長引く政治抗争で遠のく新憲法の制定

概況

2010年の政治課題のひとつは,5月28日を期限とする新憲法の制定であり,またその前提条件として,統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)の人民解放軍(PLA)とネパール国軍との統合がもうひとつの政治課題となっていた。憲法制定議会で第2次内閣を率いたネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)のM・K・ネパール首相は,憲法制定および軍統合のいずれにおいても,CPN-UMLおよびネパール・コングレス(NC)ほか22党からなる連立与党と,議会の最大多数党で野党の座につくUCPN-Mとの厳しい対立抗争の調整に失敗した。ネパール首相は,与野党合意にもとづき暫定憲法を改正し,憲法制定議会の存続期間を1カ年延長することによって危機を回避したが,ついに6月30日に辞任に追い込まれた。

首相辞任後,主要3党(UCPN-M,CPN-UML,NC)は党首クラスを擁立して首相選挙に臨み,7月から11月までに合計16回の投票を行ったが,連立政権の枠組みづくりを伴わない当然の結果として,憲法制定議会の過半数を制する立候補者は1人も出なかった。この間,暫定憲法の規定によりネパール前首相はじめ,すべての前閣僚が暫定内閣を構成し政権運営にあたった。この変則状態は,2011年に首相選出規定が改訂され新首相が選出されるまで,約7カ月続いた。

国内経済は,農業生産の低迷が影響し,2009/10年度の成長率は3.5%にとどまった。しかし,海外出稼ぎは好調で,海外からの送金総額は国内総生産の21%に達した。また,「2011ネパール観光年」に向けた取り組みが開始された。

国連ネパールミッション(UNMIN)は,2010年に駐在期間の延長が3回行われた。しかし,PLAのほかに国軍も監視対象とするUNMINを嫌うネパール暫定内閣のもとで駐在延長の要請が中止され,2011年1月15日をもって撤退することになった。

国内政治

新憲法の策定経過

新憲法策定のため,2009年1月の憲法委員会設置以来,草案作成作業が行われてきた。11の分野別委員会で草案を作成し,その結果を憲法制定議会に対して報告することになっていた。しかし,報告書が出そろったのは2010年1月下旬で,憲法委員会が発足当初に見込んでいた作業工程から約8カ月遅れのことであった。分野別委員会のうち最後まで紛糾したのは「国家再編および分権委員会」で,最大の争点は連邦制編成(区割り)であった。

これより先,憲法制定および和平行程をめぐる対立点の意見調整を図るため,1月8日,主要3党(UCPN-M,NC,CPN-UML)の合意により高級レベル政治メカニズム(HLPM)を設置することになった。同メカニズムはダハールUCPN-M議長,コイララNC総裁,カナルCPN-UML委員長の3人で構成され,調整役はコイララ総裁が務めた。また,同メカニズムの下に委員6人の作業委員会が設けられ,1月末に協議事項の範囲が決定された。ネパール首相は,自らがHLPMのメンバーに指名されなかった理由を,3党の首脳がHLPMを倒閣論議の場とするためとみなし,当初から懐疑的な姿勢を取った。これに対して,HLPMの提案者で調整役のコイララNC総裁は,倒閣の意図がないことを強調し,ネパール首相にオブザーバーとしてHLPMに定期的に出席するよう要請した。

2月初旬,分野別委員会が準備した草案を憲法制定議会で検討した後,憲法委員会に付して憲法原案の作成に取りかかることになった。この時点で,当初計画から9カ月遅れの作業進捗状況であった。3月に入ると,憲法原案の策定の遅れに対して,簡易憲法(行政組織,司法制度,選挙制度)の制定でも可能との見解がネムワン憲法制定議会議長から提起されたが,政党の反応は否定的だった。ガッチャダール副首相は,主要3党が合意に達し,誠実に作業を遂行するならば,新憲法は期限内に制定されることを確信しているとした。また,憲法制定期間の延長を求める声に対して,期限までなお100日以上残されており,憲法制定議会の分野別委員会からすでに報告書の形で草案が提出されているため,主要3党が誠実に期限内制定に取り組めば,新憲法の原案は15日以内に完成するとした。

結局,期限までの残された期間のうち50日間を憲法制定手続きにあてるならば,原案作成提出期限をまだ1カ月は引き延ばしできることから,期限内の制定は可能とする作業工程案が浮上した。そして,25政党による協議の結果,5月28日の期限までに憲法を制定するための広範な議論とコンセンサスづくりが合意された。このように,3月時点では,政治的合意を前提としながらも,期限内の憲法制定は可能との意見が表面上は大勢を占めていた。

連邦州の編成をめぐる各党の主張

分野別委員会のなかで,政党が激しく論戦を交わしたのは連邦制編成(区割り)についてであった。「国家再編および分権委員会」(委員43人)は,UCPN-MおよびCPN-UMLの委員の賛成(24人)により,主要民族の居住地を基本にした14州案を採択した。しかし,NC委員は経済地理的区分にもとづく6州案を主張したため,同委員会報告には両論併記を望む意見もあった。UCPN-Mは,14州案(居住人口中の最大の民族グループを中心に区割りするもの)がもっとも科学的な方法にもとづいており,国家の統一と主権を支えるものと評価した。NCおよびCPN-UMLの一部議員は民族性にもとづく連邦制に反対の立場から,UCPN-Mの区割りは現実離れした案で地域間の紛争を招来するものと批判した。マデシ人権フォーラム(MJF)は,タライのマデシ(タライはネパール南部でインド国境地帯の地域を指し,マデシはそこに居住するインド系住民)をひとつの州に編成すべき点を強調し,マデシを2分割する14州案を批判した。その他のマデシ系政党も,マデシを分断する内容の区割り案を拒否し,友愛党(SP)はマデシの分断は2008年1月30日の政府との協定に違反するものとした。タルー(タライ原住民族グループのひとつ)の人口が多いチトワン郡をマデシ州に統合する案に反対の意見もみられた。また,14州案は,山地部が12州で,タライは2州となっているため,タライの少数民族やムスリム勢力はタライの区割りを増やすよう要求した。

和平行程の進捗状況

PLAとネパール国軍との統合は,新憲法制定と車の両輪の関係にあり,同時解決を図るものとされてきた。この両軍の統合の前段として,UNMINの検査で無資格(2006年5月の武装闘争終結当時,未成年であった者)と認定されたPLA兵の除隊作業が進められた。この無資格兵除隊作業は2010年1月7日に始まり,2月8日に終了した。自主除隊者を含めた無資格除隊者数は2973人に達した。このほか,2006年5月以降のPLA入隊を理由に無資格とされた1035人を加えた4008人(うち,約3分の1が女性)が全無資格除隊者数である。これらの無資格除隊者のうち社会復帰を希望する者に対する職業訓練が,国連児童基金などによって実施されている。UCPN-Mは,無資格除隊者のなかの希望者に対して同党の青年組織である青年共産主義者連盟(YCL)への雇用を斡旋する方針を打ち出した。この結果,7兵站基地21支部合計1万9602人(2008年UNMIN検査結果による公式数値)がまだ残されており,これらの兵員が真の意味での軍統合の対象となった。

政府は1月,「統一ネパール共産党毛沢東主義派人民解放軍と国軍の統合特別委員会」(AISC)のもとに設置された「統一ネパール共産党毛沢東主義派人民解放軍の管理・統合・社会復帰のための特別委員会」(SCSIR)に行動計画の策定を指示した。そして,軍統合の実質的な業務の遂行にあたる組織としてSCSIRに事務局を設置することが決定した。AISCはその下に技術委員会と称する別の特別委員会を設けており,PLAやその兵站基地の日常業務の管理と遂行にあたらせてきた。今回は,UCPN-Mの意向に配慮して,それとは別組織を設置し,PLA統合に絞った業務の遂行にあたることになった。

軍統合後,PLAはUCPN-MからSCSIR事務局という政府機関の管理下に置かれることになる。SCSIR事務局は,軍統合後のPLA兵站基地の管理責任を負い,AISCに定期的に報告書を提出することになっている。この意味で,SCSIRの事務局設置は,和平行程において重要な意義を持つものと評価された。

軍統合に関する紛糾の種のひとつに,対象者の人数があった。3月28日,AISCは,(1)PLAの自主除隊者(政界転出希望者および社会復帰希望者)に対する支援のあり方,(2)軍への統合を希望する者の選考基準について,技術委員会に対して3日以内に報告書を作成して提出するよう求めた。これに対してUCPN-Mは,軍統合を希望する者は全員が統合対象に該当するとの立場を表明した。NCは,コイララ総裁時代から3500~4000人の規模を主張してきており,またネパール首相は,国軍には約3000人,治安警察を併せて合計5000人とする統合案を提示していた。UCPN-Mは,コイララNC総裁との間で1万5000人規模の統合をすでに合意していたとし,政府側の主張を強く非難した。その後,バンダリ国防相らが「兵士一人一武器」の原則論を打ち出し,PLAの登録武器(3400丁)に見合う人数しか国軍への統合を認めない立場を主張した。また,同国防相はPLA兵に対する国軍兵員検査を新たに行う必要性を強調した。

これに関連して,PLAの兵員情報の開示問題が浮上した。ネパール政府がUNMINに対してPLAの兵員数に関する情報の提供を求めた。しかしUNMINは,極秘情報であることや国連機関としての公平性の維持と守秘義務との兼ね合いから直接政府に情報提供できないと,この要請を拒否した。これに対して,政府側が事態を憂慮したため,UNMINは前向きの姿勢に転換し,ランドグレンUNMIN代表がPLAの最新情報について,利害関係者がそろう合同監視委員会の場でのみ公表するとして決着をみた。

統合の方式については,PLAの一括統合か個別編入かで議論が分かれた。グルン国軍参謀長は,パスコ国連事務総長政治問題特別代表との会談で,PLAの国軍への一括統合方式に反対の意思を表明した。これに対して,一括統合を主張しているUCPN-Mは,この参謀長発言を国軍の政治的中立に抵触する政治的発言として非難した。

憲法制定議会の存続期間延長と首相退陣問題

2月初旬から,連立与党で最大勢力を有するNC内部にネパール内閣に対する不満が増幅してきた。この背景として,首相が連立政権の精神をないがしろにし,NCとの協議なしに一方的な政権運営に走っていることへの不満があった。また,カナルCPN-UML委員長はネパール首相に対して,政党間の合意形成と和平行程推進の失敗の責任を取り辞任を要求する声を党内から発した。3月には,カナルCPN-UML委員長はUCPN-Mに対して,同党が市民政党に転換するなら,ネパール内閣に代わる連立政権構想について話し合う用意があると持ちかけた。4月になると,憲法制定議会の延長問題がいっそう現実化し,ネパール首相およびCPN-UMLは憲法制定議会の任期延長方針を固め,暫定憲法改正の方針を決断した。

4月末から5月初旬にかけて,UCPN-Mは大規模なデモを配置し,政権の奪還に向けた行動を強化した。これに対して,連立与党を支持する22党はUCPN-Mにストを中止し,協議の席に着くよう促したが,ゼネスト突入により首都の生活は連日混乱をきたした。しかし,ゼネスト6日目の5月7日,市民団体(ネパール商工会議所連盟,平和と民主主義のための専門職連盟,ネパール商工会議所,ネパールジャーナリスト連合,ネパール医師会,各種職能団体など)が平和集会を呼びかけ,「主人公は民衆」の声とともにゼネスト中止を訴えた。その結果,さすがのUCPN-Mも事実上ゼネスト中止に踏み切らざるをえなくなった。

政府は5月14日,憲法制定議会の存続期間延長問題を協議するため高級レベル委員会を設置した。UCPN-Mは,ネパール首相の辞任と合意による政権の樹立とが認められない限り,憲法制定議会の延長に反対の立場を表明した。しかし,NCのシタウラ元内相は,憲法制定議会の延長は確実な情勢であり,UCPN-Mもやがて賛成に回るとの見通しを示し,与党側が押し切る形勢となった。

5月28日は,早くから議会周辺に市民が押し寄せ,ネパール首相の辞任を求めるデモが繰り広げられた。その日の午前,CPN-UMLの議員64人が首相の辞任を求める覚書をネムワン憲法制定議会議長およびネパール首相に送り届け,さらにCPN-UMLの派閥間で首相の辞任時期をめぐる意見の対立が表面化した。この与党内部の足並みの乱れを突いて,UCPN-Mは首相退陣を条件に憲法制定議会の存続期限延長に応じる方針に転換した。主要3党は,「ネパール首相の辞任,和平行程の一括推進(和平合意に規定された課題のうち,未解決のものについてまとめて解決を図る),合意による政権の樹立」を内容とする3項目の合意に達した。

同日深夜の会期時間切れ17分前に召集された憲法制定議会において,出席議員数585人のうち,賛成580票,反対5票の賛成多数により,憲法制定議会の存続期限を2011年5月28日まで1年間延長する暫定憲法改正案が可決され,ネパール首相は当面の危機を乗り切った。潘基文国連事務総長は,政党間の意見対立ならびに憲法制定議会の将来の不安定化に深刻な懸念を表明し,党利党略よりも憲法制定と和平行程推進のため国益第一で協力することを各政党に求めた声明を発表した。

しかし,憲法制定議会延長の前提として主要3党が合意した3項目の解釈をめぐって各党は対立し,我田引水の駆け引きが続いたため,ネパール首相の辞任表明は6月30日までずれ込んだ。また,新首相が決定するまでの期間,ネパール連立内閣が暫定的に職務を継続することになったが,それは7カ月間に及んだ。

首相選挙

ネパール首相の辞任により,暫定憲法の規定にもとづいて首相選出の手続きが進められた。主要3党は独自候補を擁立して首相選挙に臨んだ。合意による政権を目指していたCPN-UMLは第1回選挙から党の首相候補のカナル委員長の立候補を取り下げ,投票には中立の立場を保持する戦略をとった。そのため,首相選挙は事実上UCPN-MとNCの対決となったが,選挙結果は7月21日の第1回目から11月4日の第16回目まで表1のとおりで,憲法制定議会の議員定数(601人)の過半数の301票を獲得した候補者は1人も出ず,徒労に帰した。

第8回目の投票を前にした9月17日,ダハールUCPN-M議長とCPN-UMLのカナル委員長は,ダハール議長の立候補取りやめと,CPN-UMLの首相選挙での中立保持の2点で合意に達した。また,両党は,憲法制定議会議長に対して,現行規定による首相選挙の中止と,第8回目の投票から立候補を取り下げる旨を申し入れた。同議長は,規定上これを直ちに受け入れることはできないとした。

ダハールUCPN-M議長がCPN-UMLのカナル委員長との連携関係を求めた背景には,CPN-UML左派に対して働きかけ,自らが首相の座に就かなくても,UCPN-Mにとって望ましい者,すなわちCPN-UMLのカナル委員長を擁立する戦略の転換があった。この政権奪回戦略は,2010年の首相選挙では功を奏さなかったが,2011年になって新選挙規定にもとづく出直し首相選挙においてカナル首相誕生という形で成功を収めた。

NCは,CPN-UMLの支持が得られれば,マデシ系政党はNCとCPN-UMLの連立政権に投票することは間違いなく,そうなればUCPN-Mはずしが実現するというシナリオを描いていた。

11月14日,主要3党にMJFなどマデシ系政党を加えた7政党は,首相選挙を中止することでは一致したが,代替措置では意見の一致をみなかった。さらに,UCPN-M,CPN-UML,MJF,ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(社会主義者),ネパ:国民党,友愛党(サリタ・ギリ派),ネパール国民党,国民解放党の8党は,憲法制定議会事務局に首相選挙規定の改訂に関する要望書を提出した。

NCはポウデル議員団長の擁立を続け,さらに最高裁の裁定(憲法制定議会議長の裁断による首相の決定)にもとづいてネムワン議長に同候補を首相に指名するよう圧力をかけた。同議長は,全党の同意が得られない限り裁断による首相指名は不可能としてこれを退け,新首相の決定は年明けに持ち越された(後掲「2011年の課題」参照)。

表1  首相選挙の投票結果一覧1)(2010年)

(注) 1)立候補者(所属政党)について,本文「国内政治」参照。

2)「その他」には,白票,棄権,退場を含む。

3)[-」は,立候補の取り下げを示す。

(出所) 筆者作成。

仕切り直しの憲法制定作業と和平行程の推進

憲法制定議会の存続期限延長後の憲法策定作業は政党間の立場の相違に起因する対立に阻まれ,見るべき進展はなかった。憲法委員会の会合はほとんど開催されず,また開催されても憲法原案作成の日程変更が主な議事という有様だった。

分野別委員会の報告書は憲法制定議会で検討されたが,政党間の意見対立により,憲法制定議会から憲法委員会に対して分野別報告書を踏まえた憲法原案の準備を指示できない事態が生じていた。憲法委員会の15人委員会が整理したところ,そうした争点は11分野のうち8分野にわたり,全部で220カ所に及んでいた。

そこで10月初旬,ネムワン憲法制定議会議長は27政党の指導者に呼びかけ,政党間の合意により争点の解消に努力するよう働きかけた。これにもとづいて,憲法制定議会に議席を有する27党を代表する形で高級レベル・タスクフォース(委員7人)が設置され,ダハールUCPN-M議長がその調整役に就任した。同月14日に開かれた初会合で10月19日から24日までを期限として,政党間の意見の隔たりの縮小を図ることが合意された。ネムワン憲法制定議会議長は,憲法は各党の主張を表明した文書ではなく,すべての人民が受け入れることの可能な政治文書であるとの基本認識が共有された結果,タスクフォースの設置に至ったと,その憲法策定上の意義を強調した。タスクフォースは,任期を12月半ばまで延長して争点の解消に努めた。その結果,127カ所の争点について解決が図られたが,政党間の対立が激しく未解決な問題点がなお83カ所も残された。それらの解消に向けた新たな取り組みは年明けに持ち越された。

和平行程についてみるべき動きは,まず9月にUNMINの駐在延長問題(期間と規模と任務の見直し)をめぐって政府とUCPN-Mとの間で4項目合意(UNMINの4カ月間の現行任務による駐在期間延長,和平行程の完遂,PLA統合期間を2010年9月17日~2011年1月14日とすること,国内治安活動のために国軍が行う技術者の採用・訓練・物資調達の是認)が結ばれたことである。これを契機に,9月15日にSCSIRが軍統合作業の推進をうたい,9月17日からの作業開始とUNMINの駐在期間中の統合完了を強調した。

しかしながら,統合作業の管理にあたるSCSIR事務局の編成や人事,統合の作業手順などは未決定のままで,一括統合方式を主張してきたUCPN-Mは国軍と別組織とすることを要求した。これに対して,NCおよびCPN-UMLは個人単位の編入とすることや,統合の基準は国軍の現行基準を適用すること(UCPN-Mはこれに反対で別基準の設定を要求している)を主張した。また,ネパール首相やNCはPLAの全員を統合の対象とはしない方針を打ち出している。

SCSIR事務局の構成は,調整役の事務局長1人,専門家4人のほか,国軍,武装警察,警察,PLA各1人の合計9人となっている。なお,発足にあたって,事務局長の選任をめぐって主要3党の意見が対立し,実際の任命は11月30日まで遅れた。後に,SCSIRが首相の指揮監督のもとに,UNMINの撤退後の2011年1月14日から,PLAの管理業務を担当することになった。

法の支配の欠如

法の支配の欠如は2010年も大きな改善がみられなかった。

ジャーナリストや経済人の殺害事件が発生し,とくに2月のジャミン・シャー殺害事件では,首都で白昼発生しながら容疑者が逮捕されていないことが憂慮され,スジャータ・コイララ副首相兼外相は警察の関与について調査が必要と表明した。また,マルワリ全国協議会は,アルン・シンハニヤ殺害事件(3月1日,ジャナカプール・マルワリ・セワ協会会長でジャナカプール・メディア・トゥデイ・グループ社主が射殺された)に対する迅速な捜査をネパール首相に要請した。

このため3月初旬には,特別治安計画(Special Security Plan,2009年9月開始)の失敗に対してラワル内相(CPN-UML)に対する非難が高まり,辞任要求の声も上がった。政府のスポークスマンであるポクレル情報・通信相は,治安状況の悪化に関して,警察の後ろ盾となってきた国軍の威力が低下したため政府が無法状態を改善できなくなったと釈明した。また,内相は,UCPN-Mの国家に対する武力闘争でさまざまな不満分子や犯罪組織が勢力をもたげ,国家に戦いを挑むようにさせたとし,治安情勢の悪化の責任の一端はUCPN-Mにあるとした。

最高裁判所は,法の支配を確実にする目的で,裁判に関する汚職防止による公正の確保のほか,1000人規模の司法警察の設置を政府に要求し,全国の司法関係者の身辺の安全策の構築に乗りだした。

ネパール国内の法の支配,無法状態の終結,判決の履行の欠落を指摘し,政府に改善を求める声は,海外からも発せられた。マイナ・スヌワール事件(2004年2月17日に発生した国軍兵による14歳少女拷問殺害事件)の法的責任の追及がなされないまま現在に至っていることを憂慮した人権団体により,政府に対して法的措置の要求がなされた。また,国内および国際人権団体(アムネスティ・インターナショナル)が,それぞれネパール政府に対して真相解明と容疑者の裁判を要求した。

この問題の兵士は,政府が派遣した国連平和維持軍の一員としてチャドに派遣されていたが,国際人権団体からの厳しい追及に抗しきれず,国連は同兵士をネパール政府への通告なしに2010年1月に本国に帰還させてしまった。なお,国軍の真相究明委員会では容疑は晴れたものの,カーブレ郡裁判所からは,同兵士に対して逮捕状が発せられている。ネパール首相も,国軍に対して同兵士を出頭させるよう指示している。これに対して,バンダリ国防相は軍命に従った兵士の行動は処罰の対象としないと述べ,頑な姿勢を崩さなかった。

経済

国内経済の状況

2009/10年の経済成長率は,前年度よりやや低い3.5%にとどまった。この主な原因は,天候不順による農業生産の減少である。国内総生産(GDP)の部門別構成比は,それぞれ第1次産業が34.1%,第2次産業が14.4%,第3次産業が51.5%であった。部門別成長率は,それぞれ1.2%,3.9%,5.5%となっており,近年は第3次産業部門の成長率の高さが目立つ。同年度の消費者物価指数は10.7%上昇した。2008/09年度の輸出総額は676億9750万ルピー,輸入総額は2844億6960万ルピーで,大幅な貿易赤字となった。

海外出稼ぎの状況は表2のとおりであり,2001/02年以降2009/10年までの政府の承認を得た正規出稼ぎ者は累計で174万5000人に達した。世界銀行が取りまとめた『出稼ぎと送金ファクトブック2011』(2010年10月公表)によると,ネパールの出稼ぎ人口は2010年央で98万2200人,対総人口比で3.3%となっている。ネパール人出稼ぎ者の多い国は,インドのほか,マレーシア,カタール,サウジアラビア,アラブ首長国連邦,クウェート,バーレーン,大韓民国,香港,オマーンである。政府は世界108カ国を出稼ぎ対象国としているが,そのうち出稼ぎが実際に行われているのは35カ国にすぎない。この理由として,政府は出稼ぎ斡旋業者の就業先開拓努力の不足を指摘している。一方,業者側は,ネパールよりも政治情勢が不安定な国が含まれていることや,ネパール人出稼ぎ労働者の未熟練性が原因であるとし,政府に改善努力の余地があることを指摘した。

表2  就労先国別の出稼ぎ者数1)

(注) 1)各会計年度末時点の就労先国受け入れ承認数の累計(ただし,2009/10年の欄は2010年4月中旬までの単年度分のみ,同年度までの累計は合計欄)である。

(出所) Government of Nepal, Ministry of Finance, Economic Survey 2009/10, Table7.2およびDepartment of Foreign Employment (Ministry of Labor and Transportation Management), Final Report of F.Y. 2066/067 より筆者作成。

経済政策の動向

2010年も,交通ゼネスト,ストライキ,道路封鎖,交通妨害に加えて,電力および石油関連のエネルギー不足が,国内経済活動の大きな障害となった。そのうち,ネパール石油公社(NOC)による製品価格引き上げに関しては,単なる値上げ反対運動にとどまらず,政府の補助金について論議が巻き起こった。12月中旬,LPガスの消費者価格の引き上げをめぐって,消費者の利益無視と産業の利益への奉仕に対する批判が広まった。LPガス(日常重要生活用品に指定されており,民生用需要が70%,産業用が30%を占める)に対する課税は,1ボンベ当たり207ルピー(うち,149ルピーが付加価値税相当)となっている。産業用の場合,付加価値税は戻し制度が設けられており,消費者の犠牲によって産業保護がなされているとの批判から,この関係を逆にすることおよびNOCの経営の透明性の確保が,値上げ反対運動の要求事項に取り上げられた。

近年,首都の大気汚染と廃棄物処理問題が深刻化しているが,2011年のネパール観光年を目前にして,これまでになく大きな課題として取り上げられた。そして,カトマンドゥ盆地を貫流するバグマティ川流域の環境修復,環境美化・緑化,衛生向上などを目的とした予算総額150億ルピー超の大型環境保全計画が始められることになった。

また,ネパールで初めての「土地利用政策2010」が公表された。この土地利用に関する政策文書では,農地の無秩序な転用による農業部門への負の影響が高まってきたことに対して,科学的な土地改革を通じて合理的な土地利用を図る必要性が指摘されている。政策対象分野には,土地利用政策の策定主体(中央政府と地方政府との権限調整),土地改革(包括的和平協定および暫定憲法の規定にもとづくもの),目的別の土地面積,農地取引の制限などが含まれている。計画期間は15カ年で,広く意見を募って実施計画を確定するとされている。

さらに,36公営企業に対する2008/09年度の検査の結果,半数の18企業が赤字を計上していたことから,「国家予算管理および執行制度検討委員会」(委員長ナラヤン・ダハールUCPN-M議員)が公営企業のあり方に関する報告書を取りまとめ,11月に財務省に提出した。それを受けて,政府は予算演説のなかで「高級レベル公営企業管理委員会」の設置を明らかにした。

また同報告書は,人民による所有の観点から公営企業を次のように仕分けし,ただちに民営化すべきもの(木材公社,国民建設会社など計4企業),合併すべきもの(工業団地管理会社と全国生産性・経済開発センターほか計3組6企業),政府所有株式を削減すべきもの(ヘタウダ・セメント会社,ジャナカプールたばこ会社など計4企業),経営改革を促進すべきもの(ネパール食料公社,ネパール石油公社など8企業),官民共同所有(PPP)とすべきもの(ネパール・エアライン,ネパール・テレコムなど計10企業),協同組合とすべきもの(酪農開発公社,農業資材会社など6企業)に分類している。ネパール農業開発銀行(1968年設立)はPPPの対象に区分され,政府は発行株式の30%を戦略的パートナーに売却し,政府の所有株式率を50.71%から約20%にまで減らす計画がすでに閣議で承認されている。

対外関係

国連およびUNMIN

ネパールの和平行程に大きな影響力を有するUNMINは,ネパール政府がPLAの統合完了まで駐在を要請したため,国連安保理の全会一致による決議にもとづいて1月,5月,9月に各4カ月ずつ駐在期間を延長し,和平行程の推進にあたった。国連安保理は,UNMINがネパール政府と協力して任務にあたることを強調した。そのため,1月の延長決定の際には,駐在期限を憲法制定期限(2010年5月28日)の2週間前とし,それまでにPLA統合を完了させることが期待されていた。とくに潘基文国連事務総長は,ネパールの和平行程が不安定で,PLAの国軍への統合あるいは社会復帰,国軍の民主的改革など主要問題は未解決のままであり,崩壊の危険性は高まっていると警鐘を鳴らした。また,人権問題をめぐる状況,法の支配なども改善の兆しがなく,ネパール政府の無関心状態が続いていると,不満の意を表明した。

10月に来訪したパスコ国連事務総長政治問題特別代表は,UNMINの駐在期間が100日余となったことを指摘し,この間に政党が強い政治的意思を表明して和平行程を完了させるよう促した。また,国連安保理がUNMINの駐在終結の決定を覆すことはないと明言し,撤退が本決まりになった。これは,UNMINがPLAと国軍を対等に取り扱い,国軍もその監視の対象になっていることに対して,連立与党および国軍の反発の意思が強く働いた結果である。かくして,UNMINは2011年1月15日をもって撤退し,4年間にわたるネパール駐在に終止符を打つことになった。国連ネパール駐在当局者は,UNMIN撤退後の空隙を埋めるため,首都に特別ユニットを設置する方向で調整が進められていることを明らかにしたが,具体的な検討は2011年に持ち越された。

対米関係

アメリカのオバマ政権は,国軍が引き起こした人権侵害事件の解明について国軍の十分な協力が国務長官によって確認されない限り,ネパールに軍事援助を行わない方針を打ち出した。また,同長官による確認事項として,国軍の任務の再定義,兵員数の見直し,国軍改革の履行(文民の国防相による統制強化によって予算執行の透明性や説明責任を担保すること,およびPLAと国軍の統合を指す)を挙げた。ただし,国軍の人道的活動および復興支援活動に関する援助については,これらの条件は適用しないとした。国軍およびPLAによる人権侵害事件の真相究明,罪を犯しても法による処罰が行われない無法文化の根絶に対して,アメリカは強い関心を示した。真相究明および和平仲介委員会や行方不明者対策委員会がこうした課題に立ち向かう第一歩とアメリカは位置づけている。

対イギリス関係

イギリスは,憲法制定議会の期限に合わせて5月末にダンカン国際開発相をネパールに派遣した。就任後,初の外遊先としてネパールを訪れた国際開発相は,ネパール政府が人権および民主主義的価値を擁護し,社会の安定を確保することを期待すると強調した。さらに,法による支配の徹底など紛争後の諸問題をネパールの政治家が重視していないと不満を表明した。また,政局の混迷に対して,同国際開発相は先進各国の援助機関に働きかけ,国際開発援助を梃子に政治の正常化を呼びかけ,人権尊重とより民主的な社会の建設に向けて前進するよう期待するとした。イギリスは,2013年までにGDPの0.7%まで援助総額を引き上げる政策を採っており,それに伴い対ネパール援助も増額される見通しを示した。

対インド・中国関係ほか

対インド関係では,2月にインド国境を越える武器の搬入が明るみに出た。2006年の包括的和平協定により,国軍およびPLAは兵員や武器を増強できないため,政府は武器輸入が警察用のもので国軍用ではないとの釈明に追われた。

中国は,内政不干渉の立場からネパールの政治情勢に対して口を差し挟むことはなく,またネパール側はギャツオ在ネパール・ダライラマ代表を逮捕するなど,3月10日のチベット蜂起の日に向けたチベット人難民によるネパール国内での抗議行動を抑え込んだ。他方,経済分野における両国関係はネパール・中国非政府間協力協議会の開催などを通じて拡大し,とくに2005年以降,中国はネパールに対する投資活動を増加させてきた。その結果,中国がインドを凌駕し,対ネパール最大の投資国になった。中国がネパールでの投資対象として強い関心を寄せている部門は,水力発電,観光,航空輸送,希少金属,不動産,医療,機械である。

人権問題に関して,アメリカおよびヨーロッパなど計14カ国(オーストラリア,ベルギー,カナダ,デンマーク,フィンランド,フランス,ドイツ,イスラエル,イタリア,ノルウェー,スペイン,スウェーデン,スイス)の大使館は,児童の誘拐を取り締まる法的措置の強化のため,1993年国際養子縁組の規制に関するハーグ条約にもとづく国内法の履行を求めて共同歩調をとり,とくに国際養子縁組の規則の厳格な適用をネパール政府に求めた。同様の問題が2007年に浮上した際,ドイツがネパールからの養子を禁止したため,ネパール政府は国際養子縁組の規制を強化し,その後再開していた。しかしながら,事態の改善がみられないため,ドイツに続いてカナダもネパールからの養子縁組の中止措置をとり,ネパールからの養子縁組の最大の受け入れ国であるアメリカも8月に中止措置に踏み切った。

2011年の課題

2011年1月に政局は急展開し,首相選挙規定の改正案がまとまり,1月25日に可決され,27日に第17回目にあたる首相選挙が公示された。投票日の2月3日を目前に各政党の駆け引きが繰り返された。その結果,ダハールUCPN-M議長とカナルCPN-UML委員長との間で7項目合意が密約の形で結ばれ,ダハール議長が立候補を取り下げた。かくして,2月3日の憲法制定議会で投票の結果,598票のうち368票を獲得したCPN-UMLのカナル委員長が首相に選出された。

2月6日の宣誓式を経てカナル委員長は正式に首相に就任したが,密約の内容が公表されると同時に,CPN-UMLの対抗派閥から激しい批判が巻き起こり,新首相は組閣に入れない事態に至った。2月8日,CPN-UMLは7項目合意の一部を字句修正したうえで了承したが,今度は,新内閣の閣僚ポストの配分をめぐってUCPN-MとCPN-UMLの対立が表面化した。他方,バッタライUCPN-M副議長はCPN-UML支持に回ったことが誤りであったと批判し,7項目合意の履行に対するカナル首相の態度いかんによっては閣外協力の立場をとると,首相サイドを牽制した。新政権は発足当初から政権基盤の脆弱性を露呈しはじめ,カナル首相はNCを含む政党に協力を呼びかけるなど,多数派工作に動き出した。UCPN-Mは2月15日に,「和平と憲法制定」のため閣内協力への転換をバッタライ副議長声明として明らかにした。カナル連立政権が抱えている問題のひとつは閣僚ポストの配分であった。UCPN-Mは,国防,財務,内務等の重要閣僚ポストを要求したが,これに対して,CPN-UMLの反カナル派のネパール元首相らは,内相ポストをUCPN-Mに渡すことは断固容認できないと強い反対の立場を表明し,さらに7項目合意の解釈変更を要求した。そのため,UCPN-Mの反発を招き,首相就任後2カ月以上経っても新内閣閣僚の顔ぶれが決まらない状態が続いた。

憲法制定期限は2011年4月13日までとするとの3党合意があるため,これに合わせたPLAと国軍の統合を含む和平行程と憲法制定作業が具体的な成果を収めるか否かは,以上のとおりまったく予断を許さないが,その帰趨はカナル新政権が憲法制定議会でどれほど広範な合意形成に成功するか否かにかかっている。

(日本大学教授)

重要日誌 ネパール 2010年
  1月
1日 ランドグレン国連ネパールミッション(UNMIN)代表,首相と会談。
5日 首相,「統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)人民解放軍(PLA)と国軍の統合特別委員会」(AISC)の管理・統合・社会復帰特別委員会(SCSIR)に行動計画策定を指示。
7日 PLA無資格兵除隊調整委員会,除隊作業開始。
8日 主要3党(UCPN-M,ネパールコングレス[NC],ネパール共産党統一マルクスレーニン主義派[CPN-UML]),高級レベル政治メカニズム(HLPM)設置。
9日 憲法制定議会,マトリカ・ヤダヴ,ジャガト・ヤダヴ両名の議員資格無効宣告。
10日 国民戦線(RJP),連邦制反対スト。
18日 インド陸軍参謀長,来訪(~21日)。
19日 SCSIR,軍統合の手続きを合意。
21日 国連安保理,UNMINの駐在期間4カ月間の再延長決議。
24日 ポウデルNC議員団長,NC総裁とUCPN-M議長間のPLA統合兵員数の密約公表。
31日 HLPM,青年共産主義者連盟(YCL)と青年の力(YF)のシンドゥリ郡下衝突事件真相究明委員会を設置。
  2月
1日 ネパール共産党統一派(スベディ派閥)とUCPN-M,統合決定。
4日 UCPN-M,4月までの街頭行動を公表。
5日 憲法委員会,憲法の本草案作成開始。
7日 民放テレビ社主ジャミン・シャー殺害事件発生。
8日 政府,PLAの無資格兵除隊作業完了。
9日 政府,ジャミン・シャー殺害事件究明のため5人の裁判官による調査委員会設置。
11日 ガッチャダール副首相,期限内の憲法制定とPLAの統合完了は可能と発言。
13日 22与党,ネパール内閣支持を表明。
15日 民主主義と平和の市民運動,憲法制定議会と政党に憲法制定要求運動開始。
16日 大統領,インド訪問(~19日)。17日にシン・インド首相と会談。ネパール国境までの鉄路延長など4事業の覚書調印。
19日 カナルCPN-UML委員長,首相に辞任要求。
22日 平和復興相,PLA統合は「兵士一人一武器」が原則と表明。
24日 首相,教育相更迭,後任にスクラ・タライ・マデシ民主党(TMDP)書記長を任命。
28日 イエチュリ・インド共産党指導者,来訪(~3月2日)。
  3月
1日 ジャナカプール・メディア・トディ・グループ社主シンハニア殺害事件発生。
4日 ランドグレンUNMIN代表,PLAの情報を政府に提供すると表明。国防相は,実情把握のため再検査が必要と主張。
5日 ネパールジャーナリスト連合会,治安悪化の責任を取って首相退陣を要求。
7日 憲法制定議会議長,簡易憲法の制定可能と発言。
9日 憲法制定議会,憲法委員会による草案提出期限の30日間延期可決。
10日 パスコ国連事務総長政治問題特別代表,インド訪問を経て来訪(~12日)。
10日 首相,アンサリ国務相の辞任承認。
14日 政府とUNMIN,関係悪化。
20日 コイララNC総裁,死去(86歳)。
28日 ポクレル情報・通信相,PLA統合は「兵士一人一武器」が原則と表明。
28日 AISC,SCSIRに軍統合案策定を指示。
29日 マデシ人権フォーラム(MJF),首相退陣要求の首都デモ。
31日 マッコーネル・イギリス首相特別代表,来訪(~4月2日)。
  4月
1日 大統領,王制復帰は時代錯誤,憲法未制定でも大統領や軍の統治ないと発言。
2日 UCPN-M,SCSIRでPLAの除隊条件に1人200万ルピーの手当か土地の支給を要求。
2日 CPN-UML,現内閣に代わる国民合意政府に議員70人が署名し,首相派と党内対立激化。
3日 ネパール共産党統一派(スベディ派閥),UCPN-Mと正式統合。
9日 ピンド・デンマーク国際協力相,国連人権高等弁務官事務所の2カ年間駐在延長を首相に促す。
9日 カタワル元国軍参謀長,民主化運動で廃止の国家体制は国民投票で決定すべきと発言。
11日 政府,国内世論の批判高まり,機械読取用旅券印刷機のインドへの発注を中止。
15日 CPN-UML,期限内の和平行程完了と憲法制定は不可能と公式に表明。
16日 6党(NC,CPN-UML,MJF,マデシ人権フォーラム民主[MJF-D],TMDP,友愛党[SP]),PLA統合兵員数を3000人とし,30日以内の完了を決定。UCPN-Mは最低1万5000人の統合要求。
22日 首相,憲法未制定の場合のポスト5月28日対応を法律家に相談。
23日 内閣,憲法協議会で暫定憲法規定機関の長を任命。
25日 UCPN-M,憲法協議会の決定無効提訴。
27日 首相,ブータンのチィエンプで開催の第16回南アジア地域協力連合(SAARC)に出席(~30日)。29日にシン・インド首相と会談。
30日 首相,国家安全保障会議を開催しUCPN-Mの無期限ゼネストへの対応を協議。
  5月
1日 22与党,4項目合意し,UCPN-Mにゼネスト中止を要請。
2日 UCPN-M,無期限ゼネスト突入。
5日 政府,UNMINの駐在延長を要請。
7日 市民団体,平和集会でUCPN-Mにゼネスト中止を要求。UCPN-Mは市民生活への影響を考慮しゼネスト延期(事実上の中止)。
13日 国連安保理,UNMINの駐在期間4カ月間の再延長決議。
14日 政府,憲法制定議会延長を協議する9委員による高級レベル委員会を設置。
18日 ポクレル情報・通信相,憲法制定議会の期限は政治的妥協の産物で延長可能発言。
26日 ダンカン・イギリス国際開発相,来訪(~28日)。
27日 市民団体,主要3党に憲法制定議会の延長要求。
28日 憲法制定議会,憲法制定議会の存続期間を1年延長する暫定憲法改正案可決。
28日 ネパール学生連合,憲法未制定に抗議し憲法制定議会議員601人の人形燃やす。
29日 UCPN-M,人民連邦共和国憲法案公表。
  6月
2日 主要3党,3項目の履行協議物別れ。
6日 憲法制定議会議長,憲法原案は8割完成,後は主要3党の3項目合意履行と訴え。
7日 政府,ネパールで最初の「土地利用政策2010」策定。
11日 首相,スード・インド大使と会談。
17日 ポカレルCPN-UML書記長,ネパール首相の辞職が近いと発言。
23日 憲法制定議会議長,主要3党の党首会談で憲法制定作業の促進訴え。
24日 18政党,主要3党に3項目履行の最後通牒を発する。
27日 バンダリ国防相,PLAの全兵員の国軍統合は不可能と強調。
29日 憲法制定議会の20少数政党,主要3党に政治抗争の打開を要求。
30日 首相,夕方6時のテレビ放送で辞任表明し,暫定内閣に移行。
  7月
1日 ヤダヴ大統領,合意による首相選出期限を7月7日にすると公表。
6日 主要3党,2011年4月13日を憲法制定の期限とすることで合意。
8日 UCPN-M,憲法策定作業工程を作成し,同党主導の挙国一致政権樹立方針決定。
10日 UCPN-M,「政治的膠着状態終結のための合意の基礎」と題する行動計画公表。
12日 暫定内閣,2010/11年度暫定予算案提出。
15日 主要3党,国家再建委員会(SRC)の設置決定。25小政党は事前相談無いと非難。
16日 国民民主党(RPP),2派に分裂。
18日 憲法制定議会,憲法策定作業日程変更のため暫定憲法改正。
20日 憲法制定議会,首相選挙の立候補届出開始。
21日 憲法制定議会,第1回首相選挙。
23日 憲法制定議会,第2回首相選挙。
26日 カナルCPN-UML委員長,UML抜きの連立政権なら,野党に回ると表明。
29日 コイララ副首相兼外相,NC主導の合意による政府を目指すべきと発言。
29日 バッタライUCPN-M副議長,UNMIN代表と会談しPLAをAISC下に置く用意があると発言。
30日 NC,小規模政党に首相選の支持要請。
  8月
2日 統一マデシ民主戦線(UDMF),首相選を前に主要政党にマデシ統一州案を要請。
2日 憲法制定議会,第3回首相選挙。
4日 サラン・インド首相特使,来訪(~7日)。
5日 18政党,NCおよびUCPN-Mに首相選挙立候補取り止めを呼びかけ。
5日 ネパール共産党マルクスレーニン主義派(CPN-ML)の4議員,CPN-ML(社会主義者)を立ち上げ第4回首相選挙でUCPN-Mに投票と発言。
6日 憲法制定議会,第4回首相選挙。
9日 UCPN-MとNC,首相選挙立候補をお互いに取り止めるよう要求。
16日 最高裁判所,憲法協議会委員の任命破棄。
22日 ラワル内相,交通ゼネスト等の対策に予算40億ルピーの特別治安計画実施に言及。
23日 憲法制定議会,第5回首相選挙。
27日 ヤダヴ大統領,主要3党の首脳に首相の早期選出を要請。
  9月
3日 政府,バグマティ川環境整備修復のため行動計画開始。
4日 マハラUCPN-M議員,中国筋に議会工作資金提供を要求する録音テープ発覚。
5日 憲法制定議会,第6回首相選挙。
6日 AISC,技術委員会の任期4カ月延長。
7日 憲法制定議会,第7回首相選挙。
8日 UCPN-MとNC,CPN-UML暫定内閣に道義上予算案提出権限無いと予算審議拒否。
13日 政府,UNMIN駐在期間延長についてUCPN-Mとの間で4項目合意。
14日 ネパール暫定首相,カナルCPN-UML委員長の首相候補推薦の3条件提示。
15日 国連安保理,UNMINの4カ月間の駐在延長決議。国連事務総長訪ネの意思表明。
15日 AISC,4カ月間でPLAの統合完了を合意。
17日 NC,第12回党大会開幕(~21日)。
17日 UCPN-MとCPN-UML,首相選挙に関する3項目合意。
18日 CPN-UML,NCに首相選立候補見送りを要請。
20日 ダハールUCPN-M議長,次期総選挙で3分の2以上の議席獲得の意思表明。
23日 CPN-UMLとUCPN-M,首相選挙で合意。
26日 憲法制定議会,第8回首相選挙。
30日 憲法制定議会,第9回首相選挙。
30日 15人パネル,7分野の憲法草案に関する報告書を憲法制定議会議長に提出。
30日 最高裁判所,大統領による国軍参謀長再任行為違憲の訴えを破棄。
  10月
2日 AISC,UNMINに対してPLAの兵員数の資料提出を要求。
4日 グルン参謀長,イギリス訪問(~8日)。
6日 憲法制定議会,第10回首相選挙。
6日 パスコ国連事務総長政治問題特別代表,来訪(~8日)。和平行程の完遂を政党に要請。
7日 憲法制定議会,第11回首相選挙。
8日 ヤダヴMJF議長,UCPN-Mの武器保持が和平行程の最大の障害と非難。
10日 憲法制定議会,第12回首相選挙。
10日 UNMIN,PLA兵站基地の兵員数を政府(平和・復興省)に通知。
11日 憲法制定議会議長,政党に首相選挙規定改正について合意形成を呼びかけ。
13日 27党,憲法案の相違点解消のため高級レベル・タスクフォースを設置し,調整役にダハールUCPN-M議長を選任。翌14日の初会合で憲法策定の促進を確認。
16日 パスコ特別代表(ニューヨーク),国連安保理はUNMIN駐在延長に消極的と表明。
16日 憲法制定議会議長,首相選挙規定の改訂の必要性を訴え。
19日 高級レベル・タスクフォース(10月13日設置),国家統治にかかる9項目の争点解消。
26日 憲法制定議会,第13回首相選挙。
29日 憲法制定議会,第14回首相選挙。
  11月
1日 憲法制定議会,第15回首相選挙。
4日 憲法制定議会,第16回首相選挙。
6日 主要3党,政局打開のため2日間の非公開協議を開始するも,結論出ず。
10日 最高裁判所,首相選出につき憲法制定議会議長に適切な措置をとるよう指示。
14日 7政党,首相選挙中止を協議。
16日 8政党,新規定による首相選出要求。
19日 憲法制定議会,首相選挙を12月2日に延期(以後,無期限延期状態が継続)。
20日 UCPN-M,パンデイ財務相の2010/11年度予算演説阻止。
23日 UCPN-Mのバッタライおよびバイディア両副委員長,ダハール委員長の独断的姿勢を批判。
25日 UCPN-M,全国指導者会議開催(~27日)。
30日 政府,2010/11年度予算政令公布。
30日 内閣,SCSIR委員長にシャルマ元中将を任命。他の委員は未定。
30日 カタワル元国軍参謀長,象徴的国王が必要と発言。
30日 暫定首相,カンボジアおよびEU訪問(~12月10日)。
  12月
1日 シャルマSCSIR委員長,12月末までにPLAの管理移管を完了する計画案公表。
3日 パスコ国連事務総長政治問題特別代表,来訪(~4日)。
4日 政党人16人,国際NGOの助成でストックホルムへ憲法学習目的で1週間渡航。
9日 政府,UNMINの備品引継ぎを要請。
13日 パラス元皇太子,チトワンの観光施設でコイララ副首相兼外相の娘婿に発砲。
16日 27政党,高級レベル作業部会により憲法草案の210項目中127項目の相違点解消。
16日 SCSIR,行動計画の策定を事務局に指示。翌17日に事務局長の人選で紛糾。
17日 最高裁判所,首相選挙の投票で憲法制定議会議員の棄権禁止命令。
19日 学生運動団体,ネパール燃料公社の石油製品値上げ反対運動展開。全国に飛び火。
19日 憲法制定議会,召集。20日に総会。
26日 閣議,国防省と国軍の連絡のため委員3人の防衛運営委員会設置を了承。
30日 27党,新憲法で一院制州議会の導入を合意。国政レベルの議会制度は未定。
31日 UCPN-M,国連安保理にUNMIN駐在延長を単独要請。

参考資料 ネパール 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  政府要人名簿(職名,氏名,所属政党1)
②  政府要人名簿(職名,氏名,所属政党1))(続き)

主要統計 ネパール 2010年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(2000/01年固定価格)
4  対外貿易
5  国際収支
6  国家財政
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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