2011 年 2011 巻 p. 579-602
現在,ロシア極東地域(以下,極東地域)では中央政府の主導の下,急ピッチで地域開発が進められている。極東地域は生活に厳しい自然条件の下にあることや生活インフラ整備の遅れなどから伝統的に人口定着率が低く,その広大な面積に比べて極度に少ない人口状態が持続している。2000年代以降,極東地域でも経済成長はみられるが,国民経済の発展に比較して相対的に遅れており,状況は変わっていない。極東地域は,以前より軍事的・地政学的に重要な地域とみなされているが,一貫した人口の減少は国家安全保障にとって大きな危険と考えられるようになってきた。そのため,ロシア政府は人口の定着化と増加を目指した極東地域と千島列島(ロシア名クリル諸島)を対象とした連邦特別プログラム「2013年までの極東とザバイカルの社会・経済発展」および「2007~2015年のクリル諸島の社会・経済発展」を策定,実施している。2010年には,これらプログラムの実現を促進させるために,大統領,首相をはじめとして政府首脳が頻繁に極東地域を訪問し,地域住民に対し中央政府が極東開発に強い政治的意思を持って取り組むことを示した。このことは,メドベージェフ大統領が日本政府の強い抗議にもかかわらず,千島列島の国後島(ロシア名クナシル島)への訪問を強行したことによっても示された。
外交面では,中国や韓国とは良好な関係を維持する一方,日本との関係では領土問題をめぐって対立が激化した。また,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と韓国との関係悪化は,ロシアに戦争の脅威を感知させるものとなった。
2010年,極東地域にかかわる政治の最大の出来事は,メドベージェフ大統領やプーチン首相など国家の最高首脳が「中央は極東地域を見捨てない」という強いメッセージを地域住民に対して直接に示したことであろう。
極東地域の発展は,軍事的・地政学的な観点からだけでなく,ロシア全体の経済発展とアジア地域におけるロシアの立場の強化にも重要であると考えられている。しかし,2000年代以降,極東地域経済はプラスの成長はしているものの,国内のほかの地域や中国東北部など隣接する地域と比べても相対的に遅れがみられる。その理由として,第1に長年にわたりもっとも発達したロシアの市場から経済やインフラの面で孤立していること,輸送コストが高いこと,第2に他地域と切り離されたエネルギーシステムとエネルギー区の存在,エネルギー消費の非効率性,第3に経済における革新的要素が少ないこと,第4に低密度の人口配置,低質な生活インフラ,快適な居住条件の欠如などが考えられている(7月2日,メドベージェフ大統領主催の下,ハバロフスク市で開催された極東地域開発に関する会議でのバザルギン地域発展相の発言)。
極東開発プログラムこのような状況を打破するため,中央政府は極東地域を対象とする長期的な発展プログラムにもとづいて地域を発展させようと苦心してきた。政府は1996年4月,連邦特別プログラム「1996~2005年における極東とザバイカルの社会・経済発展」を決定した。その後,プログラムの修正,新たな策定を経て現在,2007年11月に決定された連邦特別プログラム「2013年までの極東とザバイカルの社会・経済発展」が進行している。さらに2009年12月には,現在進行中のプログラムと並行して「2025年までの期間における極東とバイカル地域の社会・経済発展戦略」が中央政府によって決定された(2009年12月28日プーチン首相署名の政令により発布)。
これらプログラムでの問題意識は,極東地域は軍事的・地政学的な観点からロシアにとって重要な地域であるが,流出による人口の減少が続いていることは「もっとも危険な傾向」(7月2日,ハバロフスク市の会議におけるメドベージェフ大統領発言)であるということにある。そのための長期プログラムのコンセプトを要約すれば,①住民の定着と増加のためには地域の競争力と住民の生活水準を引き上げることが必要,②地域競争力の強化には経済構造のイノベーションと経済インフラの整備が必要,③生活環境の改善には生活インフラの改善が必要,となる。
2010年は,極東開発プログラムに関連して中央から政府要人がたびたび極東地域を訪れた。このなかでも特筆すべきは,メドベージェフ大統領が3回(7月,9月,11月)にわたり,またプーチン首相は2回(8月,12月)にわたり当地を訪れたことである。これらは,中央政権が強い政治的意思を持って極東の開発にあたるという姿勢を示し,これまで現地でたびたび噴出していた「極東は見捨てられている」という感情をなだめることにもなった。また,大統領は,日本政府からの強い遺憾の表明にもかかわらず,旧ソ連邦時代を含めて国家元首としては初めて「サハリン州クナシル島」を訪問したが,このことも本土から切り離された島民に大きな励ましとなった(後述の「サハリン州クリル諸島開発」参照)。
メドベージェフ大統領の極東訪問メドベージェフ大統領の3回に及ぶ極東訪問のなかでも7月の訪問は,極東地域開発とアジア太平洋地域(APR)諸国との協力問題に重点が置かれた。7月1~4日,大統領は東北アジア諸国との関係が強い極東地域南部のハバロフスク地方,ユダヤ自治州,アムール州および沿海地方を訪問した。これら地域の選択は,ハバロフスク市で同月2日に開催された「極東の社会・経済発展とアジア太平洋地域諸国との協力に関する会議」に関連している。この会議で大統領は,極東地域における諸問題の解決のためには「アジア太平洋地域諸国との経済協力が必要であり,それは極東とロシア全体の経済発展にとって大きな資源になりうる」と指摘した。なぜなら,APR諸国は,長年にわたり急速に発展し続けているとともに,世界的経済危機の下でも相対的に安定しており,いまやグローバル経済の発展の中心になっていること,またこの地域には巨大な技術と投資の潜在力がある一方,エネルギー資源や原料が不足しており,消費需要は高まり続けていることなどにより,極東地域の地理的位置と資源の存在が大きな戦略的価値を持ち始めていると認識されているからである。大統領は,APR諸国との協力に関して3つの課題を提起した。第1は極東地域とロシア全体のAPR諸国との経済協力を新しい段階に高めること。第2はAPR市場におけるハイテク領域においてロシアが,とくにエネルギー産業,航空機製造,宇宙サービスに特化すること。第3はAPRにおける統合組織(アジア太平洋協力会議[APEC],上海協力機構[SCO],ASEAN,BRICs[ブラジル,ロシア,インド,中国])におけるロシアの立場を強化することである。第2の課題に関して言えば,極東地域では,東西シベリアの石油を太平洋沿岸に運ぶ石油パイプライン「東シベリア=太平洋」と関連した石油加工工場や,サハリン天然ガスプロジェクトと関連した天然ガス加工工場の建設,ハバロフスク地方コムソモール・ナ・アムーレ市における航空機製造工場での民間航空機の生産,アムール州に新たに建設される宇宙船発射基地などが計画もしくは建設中であり,これらが念頭におかれている。APR諸国との協力は,メドベージェフ大統領が在外ロシア大使を一堂に集めて行った会議(モスクワ,7月12日)においても,その重要性が強調された。
プーチン首相の極東訪問プーチン首相は8月,サハ共和国,カムチャツカ地方,アムール州を訪問した。首相は,カムチャツカ地方では極東地域の重要産業である漁業問題に関する会議「ロシア漁業の発展のための諸措置について」を主催した(ペトロパブロフスク・カムチャツキー市,8月24日)。会議では,漁民代表からプーチン首相に対し,ロシアの排他的経済水域内で漁獲した海産物の自国漁港への持ち込みに対する関税徴収制度が漁民を悩ませていると直訴されたことに対し,首相はこの制度を廃止することを直ちに約束した。また漁獲海産物の衛生検査を実施する機関について,これまであいまいであった担当部局を明確にすることも確認された(漁労地から沿岸までは漁業委員会が,沿岸から消費者までは消費監視委員会が担当することになる)。このように極東漁民と直接に対話し,問題を直ちに解決することを約束することで,中央政府は極東の漁業を見捨てないというメッセージを送った。
アムール州では「ロシア国立宇宙船発射基地『ボストーチヌイ』設置問題」に関する会議をした(8月28日)ほか,石油パイプライン「東シベリア=太平洋」の中国側への分岐路線開通式に出席した(8月29日)。
2回目の極東訪問(ハバロフスク市,12月6日)では自身が党首を務める政党「統一ロシア」の極東支部地域間会議「2020年までの極東の社会・経済発展戦略,2010~2012年のプログラム」を主催し,基調演説を行った。そのなかでプーチン首相は,極東地域には多くの問題が残されているが,「2000年以降,極東地域に対する国家の支援は7倍に増大し,多くのプロジェクトが完成した」と述べた。そのなかには,ロシア全体の水力発電の約5%を占めるブレヤ水力発電所(アムール州),石油パイプライン「東シベリア=太平洋」,国道「アムール」(チタ=ハバロフスク)があり,これらによってこれまで切り離されてきた極東とロシア全体の経済空間は一歩一歩結びつきを強めている。今後の優先的な課題として,輸送インフラの整備,空港の建設と改修,国道の改修と道路網の整備,港湾整備,鉄道(シベリア鉄道,バム鉄道)整備,ガス供給ライン計画「サハリン=ハバロフスク=ウラジオストック」の推進,漁業環境の改善,新しい産業の創出(自動車組み立て,造船所),民間航空機製造業の世界市場への進出,宇宙船発射基地「ボストーチヌイ」を基盤とする研究科学都市の建設(アムール州),生活状況改善(医療,住居),ウラジオストック市のロシア極東におけるビジネス,文化,科学,教育の中心都市化などが提起された。
「サハリン州クリル諸島」開発メドベージェフ大統領は,11月1日,旧ソ連邦時代を含め,国家元首として初めて南千島の国後島を訪問した。国後島は日本との領土問題で係争地となっている島のひとつであり,前原外相はベールイ駐日大使に対し,大統領の訪問に抗議した。
千島列島の開発は,連邦特別プログラム「2007~2015年のクリル諸島の社会・経済発展」(以下,プログラム)にもとづいて実施されている。プログラムは1993年12月にロシア政府によって承認された「1994~1995年および2000年までのサハリン州クリル諸島における社会・経済発展」を起源としており,2001年12月と2006年8月の改定を経て,現プログラムが実施されている。プログラムの戦略的目的は「クリル諸島の安定した社会・経済発展の条件創出と自立した予算の確立,クリル諸島経済のロシアおよびアジア太平洋地域経済システムとの統合」(プログラム原文,以下同)とされ,その戦略的課題に「恒常的に居住する住民のための良好な生活条件の創出と居住地としてのこの地域の魅力の向上,漁業,輸送,エネルギー,技術インフラの発展,均衡のとれた地域経済の多様化と天然資源の全面的な利用」が掲げられた。プログラムは2007~2010年の第1期と2011~2015年の第2期に分けられて実施され,当初計画予算は179億4170万ルーブル(連邦資金79.2%,サハリン州資金6%,予算外資金14.8%)である。期待されている最終的な成果としては,漁獲量の2倍増(金額換算では2.5倍),海洋生物資源の基盤の拡大(2倍),電気・熱エネルギーコストの約3割の引き下げ,発電量の約3割の増加,道路,海運,航空輸送などの改善などによる貨客量の2倍増加,などが想定されている。
プログラム実施資金の大半を占める予算(連邦と州)にもとづく35施策の部門別内訳と完成期は,輸送部門4件(第1期3件),燃料エネルギー部門10件(第1期9件),漁業部門7件(第1期4件),社会インフラ部門9件(第1期8件),テレコミュニケーションシステム1件(第2期),自動車道路の新設・改修4件(第1期1件)である。また,島別では南千島24件(択捉島[ロシア名イトゥルゥプ島]12カ所,国後島9カ所,色丹島[同シコタン島]6カ所),北千島5件,全島5件である。これらのうち16件が2010年に完了するとされている(資料参照)。したがって,2010年はプログラム第1期最終期限として,突貫工事が行われたのである。
メドベージェフ大統領の国後島訪問に先立ち,極東地域からはホロシャービン・サハリン州知事が択捉島,国後島,色丹島(8月20日)を,イシャエフ極東連邦管区大統領全権代表がホロシャービン州知事とともに択捉島,国後島(9月10日)を視察し,中央からはベグロフ大統領府副長官が択捉島,国後島,色丹島(9月22日)を視察した。大統領の国後島訪問はこのような状況において実施された。さらに大統領の訪問後もシュヴァロフ第一副首相が大統領の指令を受けて択捉島,国後島を視察した(12月13日)。これらの視察はプログラムの実施状況を実況見分するためのものであった。
11月1日,メドベージェフ大統領はわずか4時間ほどの短い時間であったが,ベトナム・ハノイで行われたASEAN首脳会議からの帰途,国後島を訪問し,メンデレーエフ地熱発電所(1800kW),漁業コンビナート(従業員180人,加工能力1日当たり110トン),建設中の港湾係留施設や幼稚園(110人用)などを訪れ,プログラムの実施状況を視察した。大統領は千島列島の将来について「ここではロシア中央部と同様に良好な生活ができるようになるだろう」,「今後もクリル諸島に資金を投入する」と述べ,今後も千島列島の発展に中央政府が力を入れることを約束した。
対日戦勝記念日の新設7月2日,下院に9月2日を戦勝記念日とする法案が提出された。9月2日は,1945年に日本が連合国に対し無条件降伏文書に正式に調印した日であり,国際的にはこれを終戦の日とする国が多い。2010年は第二次世界大戦終結後65周年であり,サハリン州議会はこの日をロシアの記念日に加えるよう国会に働きかけていた。法案は7月7日に下院で採択された。法案の提出に先駆けて,3月18日にモスクワで「社会・保守クラブ」の会議が行われ,下院の重要ポストの議員たちが出席し,会議のテーマである「極東とロシアの社会・文化空間の統合」について議論が交わされた。この時,会議に出席したザバルジン下院国防委員会委員長,ネナシェフ委員らがサハリン州議会議員の要請を受け入れ,下院への法案提出者となった。サハリン州では1997年以降,9月2日を連邦レベルで対日戦勝の日を記念日にするように働きかけていた。上院は7月14日に法案を承認,7月25日の大統領令によって発効した。法律の制定を受けて,岡田外相は記者会見で「現在の日ロ関係のためにならない」と遺憾の意を表した。
新たな記念日に合わせて,サハリン島では,第二次世界大戦終結65周年記念集会(ミロノフ上院議長出席)や「第二次世界大戦の教訓と現代」と銘打った国際会議(中国,韓国,イギリス,ウクライナなどが参加)などが行われた。
極東地域の人口は1992年以降一貫して減少し続けている。その主要な原因は極東地域からの人口の流出である。2010年もすべての地方で人口が減少した。2010年11月末現在,極東地域の総人口はおよそ640万人であり,もっとも人口の多かった1991年に比べて167万人(約20%)ほど減少した。ロシアにとって軍事的,経済的に重要な極東地域におけるこのような人口減少は,中央政府のもっとも危惧すべき事態のひとつとなっている。中央政府としては,生活環境を改善し,経済活動を活性化することによって人口の減少を食い止めたいところであるが,ロシア全体における2000年代以降の経済成長に比較して,極東地域は相対的に遅れが見られる。2002年を100としたとき,2008年末にはロシア全体総生産が151.1であったのに対し,極東地域の総生産は140.6であった。2011年2月現在,地域総生産(GRP)はサハ共和国(対前年比102.6%)と沿海地方(同108%)のみが暫定値を発表している。なお,ロシア全体の国内総生産暫定値は対前年比104%であった。
極東地域経済の産業別構成は,農林業6.6%,鉱工業41.6%(鉱物採掘分野20.6%,加工業6.1%,電力・ガス・水の生産・配給4.2%,建設10.7%),サービス産業51.8%(2008年)であり,サービス産業の比重が高い。しかし,地方ごとに経済構造は大きく異なっており,サハ共和国とサハリン州は鉱工業の比重が高く(それぞれ53.6%,58.5%),そのなかでも鉱物採掘が圧倒的な比重を占めている(それぞれ36.5%,53.6%)。その他の地域ではサービス分野の比重が高く,そのなかでも沿海地方とハバロフスク地方,アムール州では卸・小売業(それぞれ24%,14.7%,14.4%),輸送・通信(それぞれ19.9%,18.1%,24.8%)が高く,カムチャツカ地方では漁業関連産業(19.4%)の比重が相対的に高い。
鉱工業生産の比重が高いサハリン州の鉱工業生産指数は対前年比101.2%とロシア全体(同108.2%),極東地域(同107.4%)に比べて極めて低かった。サハリン州の鉱工業の中心は鉱物(石炭,石油,天然ガス)採掘であり,2010年には前年を100とした物量指数でそれぞれ105.1,95.7,130であった。これは,もっとも重要な天然資源である石油の生産が減少したことが原因であった。2010年のサハリン州の輸出額は前年に比べて55%の大きな増加を示したが,輸出額117億9038.6万ドルのうち94%は燃料鉱物資源であり,日本,韓国,中国の3カ国で輸出額の95.2%を占めている(それぞれ49.3%,36.7%,9.2%)。
サービス部門の比重が高い沿海地方ではGRPが前年に比べて8%増加し,ロシア全体のGDP成長率に比べて4ポイント高かった。沿海地方の重要な産業である輸送部門は前年に比べて時価ベースで59.2%増加し,通信分野でも実質価格ベースで8.1%増加した。その他,建設分野でもAPEC施設建設に関連して32.2%(実質価格ベース)と高い増加を示した。2010年の沿海地方の貿易は,輸出,輸入とも高い増加を示した。輸出では,食料品,木材・紙パルプ,鉱物製品などが高い比率を占め(それぞれ48.1%,23.1%,14.6%),輸入では織物製品・靴類,機械・設備・輸送機器,食料品が高い比率を示した(それぞれ29.5%,29.5%,15.7%)。貿易相手国別では,中国,韓国,日本の3カ国で85.2%を占めている(それぞれ58.7%,16.5%,10%)。
(注) 1)2010年11月末。2)2010年9月末。3)魚・海産物。( )内は対前年比。
(出所) 各地方統計局ウェブサイト。
2010年の日本との国家関係は北方領土に関連して,年初からぎくしゃくしたものとなった。その一方で,地方間では協力に関する交流が行われた。
〈北方領土問題〉1月29日,国後島の北西海域において日本の漁船2隻がロシア国境警備隊のヘリコプターから銃撃を受けた。当初,日本政府は日本漁船が政府間協定(1998年2月21日締結)にもとづく安全操業区域内で操業していたとして,2月1日,駐日ロシア大使館に対し銃撃は極めて不適切だと抗議した。しかし,その後,当該船舶はレーダーを故意に切り,安全操業区域外で操業していたことが発覚したため,当該漁船の船長は日本国内で逮捕され,その後の両国間での大きな争点にはならなかった。
南千島の現住ロシア住民および日本人の元島民・子孫らのビザなし訪問をめぐっても,日本からの訪問に関してロシア側から手続き上の問題が提起された。3月10日にビザなし訪問に関する協議がユジノ・サハリンスク市で行われ,その際,ロシア側はロシアの港に入港する際に入港税を納付するよう要請した。これに対し,日本政府は「受け入れることは困難である」とする立場を表明した。結局,ロシア側はその提案を取り下げたが,5月14~16日の第1次訪問団の国後島入島に際し,今度は自国の法律にもとづいた様式の入国手続き文書を要求した。後に,この時日本側はロシア側の要求を受け入れていたことが判明し,日本外務省は以後同様の文書要求に対して拒否することを公に表明した。そのため,5月28日に第2次訪問団が国後島に入島した際,ロシア側様式の入国手続き文書提出を拒否したため,ビザなし訪問のシステムが崩壊することが危惧された。しかし,両国外務省の折衝の結果,従前通りの方式でのビザなし訪問が継続されることとなった。
9月以降はメドベージェフ大統領の千島列島訪問をめぐって,日ロ政府間で舌戦が行われた。大統領は9月のカムチャツカ訪問に際し,千島列島を訪問する計画を表明したが,天候悪化のため訪問を中止した。その際,大統領は「近いうちに必ずクリル諸島を訪問する」と表明した(9月29日)が,前原外相は「大統領が千島列島を訪問すれば両国関係に大きな打撃となる」ので千島列島を訪問しないようにと述べ,ロシア側をけん制した。これに対し,ロシア外務省は「ロシア大統領は自国のどの土地に行くかを自主的に決める」と日本側に反論した。大統領は,11月1日,国家元首として初めて日本との領土問題が起きている国後島を訪問した。ロシア側は,大統領の国後島訪問は「クリル諸島発展プログラム」(先述)の実施状況を視察するための純粋に国内的問題であるとしたが,日本側は係争地への国家元首の訪問は日ロ関係を損なうという立場をとった。大統領の国後島訪問に対し,前原外相はベールイ駐日大使に対し抗議を行った。さらに菅首相も記者会見で遺憾の意を表明した。菅首相は,11月13日に横浜で開かれたAPEC首脳会議の際の日ロ間の会談において,「今回大統領が国後島を訪問したことは,我が国の立場そして日本国民の感情から受け入れられない」(日本外務省ウェブサイト,http://www.mofa.go.jp)として抗議した。これに対し,メドベージェフ大統領は「我々の領土であり,これからもそうだ。感情的な声明や外交的ジェスチャーはやめたほうがよい。逆効果だ」(ロシア外務省ウェブサイト,http://www.mid.ru)と反論した。大統領は,自身の国後島訪問に引き続き,シュヴァロフ第一副首相に対して国後,択捉島を訪問するよう命じ,同第一副首相は12月13日に両島を訪問した。日本では,菅首相が「極めて遺憾」と表明するとともに,仙谷官房長官も12月14日「このような行為はロシア極東地域の開発にとってプラスにならないということについての決定的なシグナルを送る」と表明した。しかし,日本政府がロシア側に決定的なシグナルを送ることはなかった。
メドベージェフ大統領は12月24日,2010年を総括する記者会見で,「我々は共同の経済プロジェクトを実現する用意があり,クリル諸島であったさまざまなことを考慮する用意がある。しかし,このことはクリル諸島が我々の領土であるということを放棄するべきである,ということを意味しない」,「日本はクリル諸島に対するロシアの見方を見直す必要がある」と述べた。また,大統領は菅首相との先の会談において,「統一経済ゾーン,自由貿易ゾーンの創設について提案した」と述べた。これに対し,松本剛明外務副大臣は12月27日,ロシア側からは千島諸島で特別経済区域を創設することに関する提案はないと述べ,いずれにしろ,日本の立場は「北方領土は日本の領土であり」,「日本の立場に反するいかなる提案も受け入れることはできない」と述べた(日本外務省ウェブサイト)。
〈地方間協力〉ロシアと日本の交流・協力は,国家レベルの関係だけでなく,地方間レベルでも行われている。とくにサハリン州と接する北海道や日本海側の諸県が積極的に交流・協力を行っている。
3月19日,沿海地方と秋田県の間で「秋田県と沿海地方との友好関係および協力に関する協定」が調印された。同様の協定が,麻生福岡県知事を団長とし,北海道と日本海側の県知事(秋田,山形,新潟,富山,鳥取)が参加する日ロ知事会議訪問団が沿海地方(ウラジオストック)を訪問した際(5月4~5日),沿海地方と鳥取県の間でも締結された(「鳥取県と沿海地方との友好交流および協力に関する協定」,5月5日)。これらの協定は,両国の法律に従って,地方レベルで経済,貿易,文化,スポーツ,観光,青少年交流などで協力していくことをうたっている。さらに,沿海地方と秋田県との協定では農業,林業,学術などの分野でも協力することが合意された。同協定はまた,これら地域の地理的特性から,海上・鉄道輸送インフラの発展を主要な目的として掲げ,物流の整備を協力して進めていくこと,今後定期的に訪問団を相互派遣することで合意した。5月13日,泉田新潟県知事は第3回日ロエネルギー・環境対話(ハバロフスク)に参加するためハバロフスク市を訪問し,シポルト・ハバロフスク地方知事と両地方の協力拡大について会談した。7月2日には平井鳥取県知事,中村境港市長,松浦松江市長がウラジオストックを訪問し,沿海地方からの観光客の呼び込み(鳥取,境港)や沿海地方との貿易関係の発展(松江)について協議が行われた。また,9月2日には佐竹秋田県知事が再度沿海地方を訪問し,3月に締結された地方間協定に関する協議を行った。
対中関係現在,中国とロシアは国家間関係のもっとも高度な状態である「戦略的パートナーシップ」の関係にある。戦略的パートナーシップは,国家元首(大統領と国家主席)による公式・非公式の会談,年1回開催される定期首相会談,中央政府や地方政府など各レベルでの定期的な意見交換などの重層的制度に支えられている。2010年にも,国家最高首脳レベルの公式訪問から地方レベルの実務者訪問に至るまで,さまざまな交流が行われた。国家レベルでは,ロシア側からは9月末のメドベージェフ大統領の公式訪問,10月のミロノフ上院議長の公式訪問が行われ,中国側からは3月末の習近平国家副主席の公式訪問,5月上旬の胡錦濤主席の第二次世界大戦終結65周年記念式典のための訪問,11月下旬の温家宝首相のプーチン首相との定期首相会談のための訪問が行われた。地方レベルでは,2月上旬のイシャエフ極東連邦管区大統領全権代表の訪中をはじめ,4月中旬にはダリキン沿海地方知事の黒竜江省訪問などが行われた。
2010年の公式元首会談は,メドベージェフ大統領が中国を訪問して行われた。会談の結果,両国は共同声明「中ロのパートナーシップと戦略的相互協力関係の全面的深化」と共同声明「第二次世界大戦終結65周年に関連して」を採択した。調印されたその他13件の文書のうち9件がエネルギー関連であったことは,ロ中関係の根幹がエネルギー協力であることを物語っている。さらに,温家宝首相が11月22~24日にロシアを公式訪問して行われた両国定期首相会談においても,エネルギー問題は重要な課題であった。
〈エネルギー協力〉経済成長著しい中国にとって,エネルギーとその資源の不足は成長の大きな足かせになる。一方,天然資源の豊富なロシアにとっては,中国は広大な市場である。したがって,エネルギー協力が両国の戦略的パートナーシップの基盤であることは必然である。2010年には,とくに,石油と電力分野でロシア極東地域と中国東北地方との間の協力が進展した。
石油分野では,2009年に完成した石油パイプライン「東シベリア=太平洋」の中国大慶への分岐線による輸送開始が2011年1月に予定されている。これに合わせて2009年からロシア側分岐線の建設が開始され(『アジア動向年報2010』,32ページ参照),8月29日プーチン首相の出席のもと,その完成式典が行われた。また,定期首相会談に合わせて行われたエネルギー分野での協力会議において,ロシア石油株式会社「ロスネフチ」と中国石油天然ガス集団(CNPC)は複数箇所の石油ガス産地の探査・開発における協力で合意し,覚書に調印した。すでに両社は,9月21日に天津石油加工工場の建設について協定を交わしており,今次の協定によって上流から下流に及ぶ協力体制が整った。
石炭分野での協力も拡大している。ロシア産石炭の中国への輸出は,近年,急激に増大している。シマトコ・エネルギー相によればロシアから中国への石炭輸出は2008年には100万トン以下であったものが,2010年には1200万トンを超えると予想されている。9月1日にアムール州ブラゴベシチェンスク市で開催された定期首相会議準備会のエネルギー部会では,今後5年にわたり対中石炭輸出を年間約1500万トン,その後は2000万トンにまで拡大することがシマトコ・エネルギー相と張国宝・中国国家エネルギー局長の間で交わされた議定書に記された。このような石炭の長期的確保を担保するため,中国側が約60億ドルのクレジットを供与することが決まった。また,中国の石炭企業「神華集団」はアムール州・オゴジンスキー炭田の開発と輸送インフラ建設に関する協定をロシア側のパートナーと調印した。
電力は,極東地域,とくにアムール州にとって大きな輸出産業のひとつとなっている。現在,ロシアでは2段階(2008~2011年,2011~2020年)にわたる中国への電力の大規模輸出プロジェクトが進行しており,アムール州からの電力輸出はこの枠内で実施されている。第1段階の現在は,既存設備の整備,新たな発電設備の建設と高圧送電線の敷設によって中国への輸出環境を整える努力が行われている。
6月22日に開催されたロシア地域発展省の会議では電力の大規模輸出プロジェクト第2弾として,アムール州エルコヴェツ炭田から産出する褐炭を基盤とする熱電発電所の建設が承認された。2017年に発電所の建設完了が予定され,完成後,中国への輸出は600億kWhにまで拡大される。
7月26日,上海において中国「国家電網公司」とロシア電力エネルギー会社の間で協力の概括協定が締結された。劉振亜国家電網公司社長によれば,2009年に中国はロシアから8億kWh強の電力を輸入したが,2010年にはおよそ10億kWhにまで輸入量が拡大すると予想されている。現在,アムール州から中国への電力輸出はブラゴベシチェンスク=黒河(110キロボルト),ブラゴベシチェンスク=愛琿(220キロボルト)の2路線で行われているが,電力輸出増強のため2010年に新たに高圧の500キロボルト路線の敷設が開始され,2011年後半に完成が予定されている。一方,受け入れ側の黒竜江省では2010年末に敷設工事が完成した。これによって2012年には,ロシアから中国に向けて年間およそ43億kWhの電力が輸出される予定である。
〈地域間協力〉6月22日,地域発展省の地域投資政策専門家会議が開催され,ロ中国境地域間の投資協力に関する諸問題が審議された。会議では,2009年9月のメドベージェフ大統領と胡錦濤国家主席の会談で合意された「中国東北地区とロシア極東・東西シベリア地域協力計画」のなかから11プロジェクトが投資検討対象として提出され,そのうちの9件が承認された。これらのうちロ中国境地域に直接関係するものとしては,ハバロフスク地方1件,ユダヤ自治州1件,アムール州1件(前述)がある。ハバロフスク地方では,アムール河上の大ウスリー島に観光・レクリエーション型特別経済区の創設が認められた。工期は2011~2014年,2014~2017年の2段階に分かれ,中国から年間およそ150万人の観光客を呼び込むことが期待されている。ユダヤ自治州では,アムール河にかかるロ中鉄道連結橋の建設が承認された。2013年に完工予定であるこの鉄道橋は,ロ中の間の河川上における初めての両国鉄道連結橋となり,ロシア製品の中国への輸出における原価低減が期待されている。
国家間レベルでの極東地域と中国東北地区との協力以外に,地方間での協力関係も進展している。とくに,沿海地方と黒竜江省の間では4月12日,ダリキン沿海地方知事を団長とする訪問団が黒竜江省を公式訪問し,経済,教育,文化,投資プロジェクトの実施などについて黒竜江省長と会談を行い,その結果,地方間協力に関する議定書を作成した。また,ウラジオストック=ナホトカ=ボストーチヌイ港間の道路建設,ウスリースク熱エネルギーセンターおよび石炭ターミナル建設(ベズミャンナヤ湾),農作物栽培,畜産経営,穀物加工などの農業サービスの供与(2000万ドルの投資),木材加工区の創設(1億元の投資)などに中国企業からの参加意思が示された。
対韓関係1990年9月30日に国交が回復したロシアと韓国の関係は,2008年の李明博,メドベージェフ両大統領の会談において「戦略的パートナーシップ」への引き上げが合意された後,多面的に展開されてきた。2008年の首脳会談における共同声明によれば,このような戦略的パートナーシップの制度的基盤は,首脳間の緊密な交流と政府,議会を含めたさまざまなレベルでの交流と協力にあるとされている。
国交回復20周年記念の年である2010年には,両国首脳の交流が2回行われた。9月10日,李韓国大統領はメドベージェフ大統領の招待を受け,ロシア・ヤロスラブリ市で行われた国際政治フォーラムに出席し,首脳会談が行われた。また,11月にはメドベージェフ大統領が韓国を公式訪問(11月10~11日)した。この首脳会談では,戦略的パートナーシップを基盤とした国際的問題とともに,極東地域との経済関係,周辺地域の安全保障問題なども話し合われた。
11月の首脳会談で発表された共同声明によれば,極東・シベリア地域経済発展のための協力,とくに,インフラ,農業,漁業と海産物加工,輸送とロジスティクスの発展に関連するロ韓プロジェクトの実現について話し合われた。その結果,両国は極東における港湾・港湾インフラの発展のための具体的なプロジェクトを作成するために協力することで合意し,また朝鮮半島縦断鉄道とシベリア横断鉄道との連結,ロシアから韓国へのガスパイプラインと送電線の建設の重要性で認識が一致した。さらに,海上輸送における協力を拡大すること(「海上輸送に関する政府間協定」の締結),韓国側がロシアの排他的経済水域において漁獲を逐次的に拡大し,さらに極東における海産物加工業へ投資する意向(「極東における漁業コンプレックスへの韓国の投資受け入れ領域における相互協力についてのロシア漁業局と韓国農林水産食品部との間のメモランダム」の署名)を確認した。今後,極東地域における韓国企業の活動が活発化すると考えられる。
2010年は,ロ韓国交回復20周年であり,これを記念する象徴的なセレモニーが,メドベージェフ大統領の公式訪問に合わせて行われた。1904年,日露戦争時に日本軍によって奪われた巡洋艦「ヴァリャーグ」の艦首旗がメドベージェフ大統領列席の下,韓国側からロシアに返還された。ヴァリャーグの沈没後,日本が艦首旗を引き揚げて仁川郷土館に収蔵,1946年に開館した仁川市立博物館がこれを引き継いでいた。艦首旗返還に際し,大統領は「旗艦旗の譲渡はロシアと韓国を結びつける新しく,非常に良い関係のシンボルである」と述べた。
朝鮮半島情勢朝鮮半島をめぐる国際関係をめぐっては,ロシアにとって頭の痛い1年となった。3月末に黄海で韓国軍哨戒艦が沈没し,11月には黄海上の延坪島への北朝鮮による砲撃が引き起こされた。これらの出来事は,事態の推移によっては北朝鮮と韓国の間での軍事的紛争にまで発展する可能性があり,国境を接するロシア極東にとって極めて危険な出来事であった。
〈韓国軍哨戒艦沈没事件〉3月26日,韓国軍哨戒艦「天安」が黄海で沈没した。これに関し,韓国,アメリカ,オーストラリア,スウェーデン,イギリスから構成される合同調査団が5月20日,韓国艦艇の沈没は北朝鮮の魚雷によるものであると断定した調査結果を発表した。この報告に対し,北朝鮮の反発を危惧するロシアは,同日,外務省報道官が「最近高まりつつある朝鮮半島における緊張が紛争に発展しないように,すべての関係諸国に抑制と慎重を求める」と声明を出すとともに,翌21日にはラブロフ外相が韓国外相との電話会談においても同様の見解を表明した。メドベージェフ大統領は5月25日,李大統領と電話会談し,「抑制し,朝鮮半島で緊張がエスカレートしないよう」呼びかけた。また,翌26日には,大統領は「韓国側の提案を受け,ロシアの専門家グループを韓国に派遣し,独自の調査を行う」ことを明らかにした。この中で大統領は,事件の「真の原因を究明し,誰が個人的に事件に対し責任を負っているのかを明確にすることが重要である」,「誰が関与しているのかの信頼できる情報に従って,犯罪者に対し国際社会が必要かつ妥当であると認めた措置を取るべきである」と述べた。その後,ロシアは駐ロ北朝鮮大使館を通じて北朝鮮側とも協議を行い,双方は「地域での緊張をエスカレートさせることを認めない」ことを確認した(5月28日)。5月31日から6月7日にかけて,ロシア大統領の指令を受けたロシア海軍の専門家達が韓国を訪問し,独自の調査を行った。調査結果は,結局公表されなかったが,先に公表された国際合同調査団の報告とは異なるものであったと言われている。ロシアは戦略的パートナーシップの関係にある中国とも連携するためにロ中外相会談を行い(6月4日,北京),両者は「朝鮮半島は軍事的・政治的危機の淵にある」との共通の認識を示した。また両国は,「事態が南北朝鮮間の全面的な紛争をはらんだ,コントロールできない緊張の局面に移行しないよう,あらゆることを行う」と述べた。両者の連携は,国連安全保障理事会(安保理)全体会議(6月14日)において示された。犯行は北朝鮮によるものと断定する韓国を支持し,北朝鮮に対し制裁措置を行うべきであるとする日米に対し,ロシアと中国は慎重な姿勢を示した。しかし,メドベージェフ大統領も参加したG8首脳会議宣言(6月26日,カナダ・ムスコカ)では,沈没は北朝鮮に責任があるとの国際合同調査団の結論に依拠して,この攻撃を非難した。一方,安保理(7月9日)では,北朝鮮に対する制裁に慎重なロシアと中国の姿勢を反映して,北朝鮮と韓国の双方に受け入れ可能な表現を用いた安保理議長声明を出すにとどまった。
〈北朝鮮軍による韓国延坪島砲撃事件〉11月23日,北朝鮮軍は韓国の延坪島に対し砲撃を行い,これに対し韓国軍が砲撃で応戦するという事態が発生した。ロシア外務省はただちに,「ロシアは国家間関係におけるあらゆる武力の行使を断固として非難し,すべての係争問題はもっぱら平和的な政治的・外交的手段で解決されねばならないということに立脚する」との声明を出し,両国に対し「抑制と責任ある態度を求め,軍事的紛争にまでエスカレートするような行為をとらないよう」求めた(11月23日)。ラブロフ外相も,事件は軍事的行動につながる「あらゆる可能な手段を使って防がねばならない最大の危険である」と述べた。メドベージェフ大統領は11月24日,定期首相会議のためロシアを訪問中の温家宝中国首相と会談した際に温首相が「6カ国協議の再開が,朝鮮半島安定化を守り,半島非核化を実現する根本的な方法である」と述べたのに対し,「6カ国協議の早急な再開に賛意を表し,二国間,多国間の枠組みを通じて中国側と交流を保持し,立場を協調し,朝鮮半島の平和と安定を維持する」と述べた。
ラブロフ外相は,「今回の事件は北朝鮮が軍事演習と砲撃訓練を行わないように韓国に要求したにもかかわらず韓国が演習を行ったことに関連している」と述べ,事件のきっかけが韓国側にあると指摘するとともに,北朝鮮が海域ではなく居住区に対して砲撃を行ったことに対して,「問題は全く次元が異なる」と北朝鮮を非難した。また,安保理が地域の緊張状況を鎮静化することができるような見解を早急に表明することに期待を示した(11月25日)。事件が韓国の軍事演習に関連して引き起こされたものであるとする立場を取るロシアは,12月17日,韓国が12月18日から21日にかけて実施予定とされる軍事演習に対し,予定されている演習が同様な事件を再発させる可能性があることを指摘し,演習中止を呼び掛けた。それと同時に,ボロダフキン外務次官は,駐ロ・アメリカ大使と韓国大使に対し演習を中止するよう要請した。ロシアは安保理で声明を出すよう理事会開催を要請し(18日),翌19日開催されたが,米韓とロ中など利害関係者間の調整がつかず,理事会としての見解を表明することはできなかった。
極東地域では,中央政府の巨額の資金支出による地域発展プロジェクトの実施によって経済,社会,生活などのインフラ整備が進められている。しかし,中央政府がもっとも期待する人口の定着化と増加はいまだ実現していない。極東地域の人口問題は,ロシアがこの地域を編入してからずっと抱え続けている歴史的問題であり,一朝一夕に解決できる問題ではないが,常に極東地域にとっての問題となり続けている。とくに,2012年のAPEC首脳会談に向けて急ピッチで巨額の投資が向けられている沿海地方や,中国との国境島に経済特区が設けられる予定のハバロフスク地方,新しい宇宙船発射基地を基盤とする都市が建設される予定のアムール州など中国と国境を接する地域で,人口減少を食い止め,増加させることができるか,2011年はひとつの試金石となる年となるだろう。
経済面では極東ロシアの貿易がこれら日中韓3カ国と緊密に結ばれていることから,これら諸国との対外関係が問題となる。中国,韓国とは戦略的パートナーシップの関係にあり,大きな変化はみられないと考えられるが,日本との関係では2010年に悪化した領土をめぐる問題を改善することが必要となる。これに関連して,千島列島開発に中国,韓国の企業を引き入れることが検討されているが,日本側を刺激しないような対処ができるかが大きな課題となる。
(地域研究センター)
1月 | |
9日 | ロシアと韓国,ビザ取得条件の緩和協定発効。 |
29日 | 国後島北西沖で,日本の漁船2隻が国境侵犯の容疑で銃撃を受ける。 |
2月 | |
4日 | ダリキン沿海地方知事再任。 |
5日 | イシャエフ極東連邦管区大統領全権代表(以後,イシャエフ大統領全権代表),中国訪問(~8日)。 |
26日 | ユダヤ自治州と黒竜江省,友好関係設立の暫定協定に調印。 |
3月 | |
10日 | 南千島の現住ロシア住民および日本人の元島民および子孫らのビザなし訪問に関する協議が行われる(ユジノ・サハリンスク)。 |
14日 | ハバロフスク地方議会選挙。 |
19日 | 沿海地方と秋田県,「友好関係および協力に関する協定」に調印。 |
20日 | 習近平中国国家副主席,モスクワ訪問途上,沿海地方を訪問(~21日)。 |
22日 | ロシア地域発展省主催の「極東地域発展のための会議」開催(モスクワ)。 |
31日 | プーチン首相,沿海地方ルースキー島に観光とレクリエーションのための特別経済ゾーンを設置する政令に署名。 |
4月 | |
1日 | 日本政府,「北方領土問題解決の基本方針」の改定を承認。 |
12日 | ダリキン沿海地方知事,黒竜江省訪問。 |
15日 | ホロシャービン・サハリン州知事,韓国訪問。 |
19日 | イシャエフ大統領全権代表,訪日。 |
27日 | コジェミャコ・アムール州知事と黒竜江省長,経済協力について会談。 |
30日 | 「極東地方,ブリヤート共和国,ザバイカル地方およびイルクーツク州の社会・経済発展問題に関する国家委員会」開催(コムソモーリスク・ナ・アムーレ)。 |
5月 | |
4日 | 麻生福岡県知事を団長とする日ロ知事会議訪問団,沿海地方を訪問。 |
4日 | 富山県,ウラジオストックに「富山県ビジネス発展協力センター」開設。 |
5日 | 沿海地方と鳥取県,友好交流協定に調印。 |
9日 | メドベージェフ大統領,胡錦濤中国国家主席と会談(モスクワ)。 |
11日 | アメリカ海軍第7艦隊ブルーリッジ号,ウラジオストック訪問終了。 |
11日 | サハリン州議員,南千島訪問(~15日)。 |
13日 | 日ロエネルギー・環境対話(ハバロフスク)。 |
19日 | ラブロフ外相,下院公聴会で北方領土問題に関し「第二次世界大戦の結果を受け入れるべきだ」と述べる。 |
19日 | 北海道議会議長を団長とする代表団,サハリン州を訪問。 |
25日 | メドベージェフ大統領,李明博韓国大統領と電話で会談し,朝鮮半島における緊張をエスカレートさせないように要請。 |
28日 | ボロダフキン外務省次官と金英在駐ロ北朝鮮大使,韓国哨戒艦問題で会談。 |
6月 | |
21日 | トゥルトゥネフ天然資源・環境相,中ロ首相定期会議環境協力分科会総会に出席(ハバロフスク)。 |
21日 | メドベージェフ大統領,連邦法「漁業および水生生物資源の保護」の改正に関する指示を出す。 |
22日 | 地域発展省の地域投資政策専門家会議,開催。 |
23日 | サハリン州副知事,韓国外交通商部東北アジア局長と会談。サハリン朝鮮人の帰還問題について協議。 |
30日 | 軍事演習「ボストーク2010」が日本海で開始(~7月8日)。 |
7月 | |
1日 | メドベージェフ大統領,極東地方視察開始(ハバロフスク,ビロビジャン,ブラゴベシチェンスク,ウラジオストック,~4日)。 |
2日 | メドベージェフ大統領,「極東の社会・経済発展とアジア太平洋地域諸国との協力に関する会議」主催(ハバロフスク)。 |
2日 | 同大統領,連邦運輸大臣に対しハバロフスク地方大ウスリー島のインフラ整備計画を命じる。 |
2日 | 法律「軍人の名誉とロシアの記念日」の修正案(9月2日を第二次世界大戦終戦の日とする)がロシア下院に提出される。 |
2日 | 第4回太平洋経済会議開催(ウラジオストック,~3日)。 |
2日 | 平井鳥取県知事を団長とする代表団,ウラジオストックを訪問。 |
3日 | メドベージェフ大統領,「国境地域における通関および移民問題に関する会議」主催(ブラゴベシチェンスク)。 |
4日 | メドベージェフ大統領,軍事演習「ボストーク2010」視察(ウラジオストック)。 |
6日 | ロシア保安局沿海地方国境警備局警備艇,韓国訪問(~9日)。7日,韓国警備艇と共同演習。 |
7日 | 岡田外相,軍事演習「ボストーク2010」が択捉島で行われたことに対し,遺憾の意を表明。 |
12日 | メドベージェフ大統領,在外ロシア大使等との会議において,対アジア外交の重要性について演説。 |
23日 | 日米の艦艇,ウラジオストック港を訪問。 |
25日 | メドベージェフ大統領,「連邦法『軍人の名誉の日とロシアの記念日』第1条の修正について」に署名し,発効。 |
27日 | 自衛隊とロシア海軍,公海上で遭難した船舶の捜索・救助の海上訓練を実施。 |
27日 | 岡田外相,ロシアが9月2日を新たな対日戦勝記念日とすることに遺憾の意を表明。 |
27日 | サハリン州青年代表団,北海道訪問。 |
30日 | ストロガノフ・サハリン州知事代理と横田稚内市長会談(ユジノ・サハリンスク)。 |
8月 | |
6日 | ロシア,アメリカ,カナダの空軍飛行士による国際反テロ演習実施(ハバロフスク,~14日)。 |
23日 | プーチン首相,極東地域訪問(~29日)。 |
24日 | プーチン首相,「ロシア漁業発展のための諸措置について」の会議開催(ペトロパブロフスク・カムチャツキー)。 |
25日 | ロシア,中国,韓国,アメリカ,日本の沿岸警備組織の共同演習(ウラジオストック)。 |
29日 | プーチン首相,石油パイプライン「東シベリア=太平洋」の中国への分岐路線(スコボロジノ=中国国境)開通式に出席(アムール州)。 |
9月 | |
2日 | 国際会議「第二次世界大戦の教訓と現代」がサハリン州で開催(ユジノ・サハリンスク,~3日)。 |
2日 | ミロノフ上院議長,サハリン州の第二次世界大戦終結65周年記念集会に参加(ユジノ・サハリンスク)。 |
2日 | 佐竹秋田県知事を団長とする代表団,ウラジオストックを訪問。 |
3日 | ホロシャービン・サハリン州知事,イワノフ副首相と千島列島発展問題について協議(モスクワ)。 |
3日 | ロシア外務省,岡田外相発言(「北方領土はロシアによって不法に占領された」)に対し,「第二次世界大戦の結果生じたロシアの領土」であると反論。 |
5日 | パトルーシェフ安全保障会議議長とイシャエフ大統領全権代表,サハリン州を訪問。 |
7日 | 第6回バイカル経済フォーラム開催(イルクーツク,~10日)。 |
10日 | イシャエフ大統領全権代表とホロシャービン・サハリン州知事,択捉,国後島を視察。 |
10日 | 李明博韓国大統領,メドベージェフ大統領の招待を受けヤロスラブリ国際政治フォーラム出席(ヤロスラブリ)。 |
21日 | メドベージェフ大統領,大統領令「ロシア連邦の軍管区について」に署名。 |
22日 | ベグロフ大統領府副長官,択捉,国後,色丹島を視察。 |
26日 | メドベージェフ大統領,中国公式訪問(~28日)。 |
27日 | サハリン州議会,2018年までの新たな社会経済発展プログラムを採択。 |
29日 | メドベージェフ大統領,カムチャツカ地方を訪問し,「近いうちに千島列島を訪問する」と明言。 |
30日 | 前原外相,メドベージェフ大統領の千島列島訪問予定に懸念を表明。 |
30日 | ネステレンコ外務省報道官,前原外相発言に対し「大統領は自国領土訪問ルートを自主的に決定することができる」と反論。 |
30日 | 第9回アジア太平洋地域都市サミット開催(ウラジオストック)。 |
10月 | |
14日 | シンポジウム「アジア太平洋協力:韓国とロシア――国家利益,役割,展望」開催(ウラジオストック)。 |
19日 | ミロノフ上院議長,中国を訪問し,胡錦濤国家主席と会談。 |
28日 | ロシア・プリモーリエガスと韓国国営ガス会社,プリモーリエガスの近代化に協力する議定書に調印。 |
31日 | 第9回極東・シベリア・中国東北地区大学長フォーラム開催(ハバロフスク)。 |
31日 | イシャエフ大統領全権代表,メドベージェフ大統領の国後島訪問を「非友好的行為」と表明した日本政府に対し,「言語道断」と述べる。 |
11月 | |
1日 | メドベージェフ大統領,国後島を初めて訪問。 |
1日 | 前原外相,メドベージェフ大統領の国後島訪問に対し,駐日ロシア大使に抗議。 |
2日 | イシャエフ大統領全権代表,「クリル諸島の社会・経済発展連邦特別プログラム」の実施に特別の注意を払うことを強調し,メドベージェフ大統領が将来,択捉,色丹島を訪問することを希望すると述べる。 |
10日 | メドベージェフ大統領,韓国公式訪問(~11日)。 |
11日 | メドベージェフ大統領,G20首脳会議に出席(ソウル,~12日)。 |
12日 | 第4回日ロ投資フォーラム開催(東京)。 |
13日 | メドベージェフ大統領,APEC首脳会議に出席(東京,~14日)。 |
16日 | 国後島で接岸用施設の第1期工事が完成。 |
18日 | サゾノフ外務省副報道官,「ロシアは『論争となっている領土問題』を含む日本が提起した問題を検討しないと表明したことはない」と述べる。 |
22日 | サハリン州政府高官,州政府の会議において,「クリル諸島の社会・経済発展連邦特別プログラム2007~2015年」にもとづいて千島列島に7カ所の魚養殖工場(国後島2カ所,択捉,色丹島を含む)を建設する計画であると述べる。 |
22日 | 温家宝中国首相,ロシアを公式訪問(~24日)。 |
22日 | ロ中エネルギー対話,開催(サンクト・ペテルブルグ)。 |
23日 | 第15回ロ中定期首相会議(サンクト・ペテルブルグ)。 |
30日 | メドベージェフ大統領,連邦議会に対し教書演説を行う。 |
12月 | |
6日 | プーチン首相,政党「統一ロシア」の極東支部総会で「2020年までの極東の社会経済発展戦略,2010~2012年のプログラム」について演説を行う(ハバロフスク)。 |
12日 | 朴義春北朝鮮外相,ロシア訪問。 |
13日 | シュヴァロフ第一副首相,メドベージェフ大統領の命を受けて国後,択捉島を視察。菅首相,これに関し,「極めて遺憾」と表明。 |
13日 | ラブロフ外相,朴義春北朝鮮外相と会談(モスクワ)。 |
13日 | 「極東・ザバイカルの地域間経済相互協力協会」の対外経済活動に関する調整協議会開催(ハバロフスク)。 |
14日 | 仙谷官房長官,シュヴァロフ第一副首相の国後,択捉島視察に対し,「ロシア極東地域の開発にとってプラスにならない,ということについての決定的なシグナルを送る」と表明。 |
17日 | ボロダフキン外務次官,駐ロシア韓国大使に対し,延坪島での砲撃訓練を中止するよう要請。 |
24日 | メドベージェフ大統領,年末記者会見において,菅首相との会見時,北方領土での「統一経済ゾーン,自由貿易ゾーン」の設立について提案したと言明。 |
24日 | ホロシャービン・サハリン州知事,本年の最大の出来事として,メドベージェフ大統領の千島列島訪問をあげる。 |
28日 | 松本剛明外務副大臣,メドベージェフ大統領の年末記者会見における,発言(「北方領土での『統一経済ゾーン,自由貿易ゾーン』の設立について提案した」)を否定。 |