アジア動向年報
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各国・地域の動向
2010年のモンゴル 経済成長を回復させるも,不安要因は消えず
湊 邦生
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2011 年 2011 巻 p. 71-96

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2010年のモンゴル 経済成長を回復させるも,不安要因は消えず

概況

2010年末,バトボルド首相はモンゴル国民に向け,新年を迎えるにあたってのメッセージを発表した。同首相はメッセージのなかで2010年を振り返り,「未来への発展の礎となる多くの重要な出来事に満ちていた」と述べた。

事実,本章で述べるように,2010年のモンゴルは国内政治・経済・外交面ともに重要な動きが数多く見られた。なかでも経済面では,GDPおよび工業総生産の成長率が急激に回復しており,いわゆる「リーマン・ショック」に端を発した2008年後半以来の経済混乱に,一応の終止符が打たれたといえよう。また,タワントルゴイ炭田やオヨー・トルゴイ鉱山の開発に向けた動きなど,今後モンゴル経済への貢献が大いに期待されるプロジェクトも進行している。

しかし,その陰で,2010年に起きた出来事のなかには,今後の混乱につながりかねないものも存在している。鉱山開発が進展する一方で,農牧業では2009年冬から2010年の春にかけてゾド(雪害)が発生,未曾有の大打撃を被った。政治面では,連合政権を組む二大政党のひとつであるモンゴル人民革命党(以下,人民革命党)が11月の党大会で党名を「モンゴル人民党」(以下,人民党)に変更したが,この党名変更を是としないグループが事実上分派する事態となった。また,2010年前半には政府・国会への抗議集会・デモも相次いで行われた。他方,インフレ率の再上昇,改善の見られない失業問題などの懸念材料も存在する。この1年でモンゴルは経済面でこそ苦境を脱したが,解決すべき問題は少なくない。

国内政治

民主化20周年の節目に集会・デモ相次ぐ

2010年はモンゴルが社会主義時代の一党独裁体制を放棄し,複数政党制に移行してから20年目にあたる。この年の春には,当時を彷彿とさせるような集会やデモが相次いで行われた。

3月11日には政府・国会を批判する市民団体が集結し,「国民運動」の名のもとにウランバートルで統一集会を開催,市内中心部でデモ行進を挙行した。集会には約1000人,デモ行進には約200人が参加したと報じられた。

「国民運動」による政府・国会批判集会は同月24日にも行われた。彼らはデモに先立つ23日に記者会見を開き,オヨー・トルゴイ鉱山のフィージビリティ・スタディの停止と見直しなどを要求し,要求が聞き入れられなければ国会の解散を国民に呼びかけることを表明した。

4月に入ると,1日に教育・科学労働組合による給与引き上げを要求するデモが行われたほか,春季国会が開会された5日に市民団体「公約要求人民連合」が選挙前の公約の実現と国会解散を要求するデモをスフバートル広場で挙行,続いて72時間の座り込みを行った。しかし,8日に国会からは解散拒否の回答が届いたため,デモ参加者の代表7人がハンガーストライキを開始した。8日には医師・医療労働者が給与引き上げを要求してデモを行った。

しかし,4月14日に健康状態を理由としてハンスト参加者の強制排除が行われると,その後はデモなどの目立った動きは見られなくなった。その背景としては,後述する「人間開発基金」の分配金が国民に行き渡ったことや,4月2日に臨時閣議で国民1人当たり合計150万トグリグの年金・社会保障・現金等の交付が決定したのに加え,10月1日付で国家公務員給与および年金・公的扶助が30%引き上げられたことで,国民の不満が緩和されたことが考えられる。加えて,2008年国会選挙後の騒乱が国民の記憶に新しいなかで,当時,選挙結果に反対していたグループによる強硬な政権批判が広範な支持を得られなかったことも挙げられる。

モンゴル人民革命党,「モンゴル人民党」に改称

2010年は人民革命党に2つの大きな動きがあった。ひとつはバヤル党首の辞任である。前年に健康上の理由で首相を辞任した後,バヤル党首は党首の座にとどまりながらアメリカで静養を続けてきた。この状態は党首が首相を務めるべきとする人民革命党の規定とは矛盾するものである。しかし,3月末に一時帰国したバヤル党首は4月8日の人民革命党幹部会に出席,党首辞任の意向を表明した。後任に立候補したのはバトボルド首相のみであり,幹部会の支持を得て新党首に就任することとなった。

もうひとつの大きな動きが党名変更である。11月に開催された第26回党大会で,党名から「革命」を外し,結党時の党名である「モンゴル人民党」(Mongol Ardyn Nam)に変更することが提起され,圧倒的多数の賛成により承認された。党大会では党首選挙も行われ,バトボルド首相が党首に再選された。

しかし,党名変更には反対の声も上がった。なかでもエンフバヤル前大統領は党大会に先立つ11月3日,有力紙『ゾーニー・メデー』紙で公開書簡を掲載,党大会でも改称反対の演説を行った。さらに,シネバヤル国会議員,オドワル元保健副大臣,ツォグ元法相らは党名変更に反対して「人民革命党暫定本部」を設立,臨時党大会開催に向けて動き出した。

これに対し,人民党は12月にウランバートル党委員会でシネバヤル国会議員の除名を決定,国会の人民党会派も同議員の会派からの除名を決定した。加えて,12月には「暫定本部」組織者の1人で政治研究者のモロル=エルデネ氏を提訴したのに続き,ほかの組織者についても提訴の準備に入った。しかし,同本部側の動きを抑えるには至っておらず,対立は収まる気配がない。

深刻化する環境問題

8月27日の定例閣議はウランバートルではなく,ウムヌゴビ県バヤンダライ郡の「ガショーン・ホーロイ」という砂漠地帯で開催された。砂漠に置かれた机に向かい,この日のために用意された緑のキャップをかぶり閣議に臨む閣僚の姿が各紙で報じられた。閣議ではガンスフ自然環境・観光相が気候変動とその影響について報告を行ったのに続き,気候変動に関する政策について議論が行われた。

バトボルド首相はこの閣議を行った理由として,砂漠化が進むゴビで閣議を行うことにより,地球規模の気候変動について一般大衆の関心を引き寄せ,解決策についてともに考えていくためであるとしている。後述するように,2010年にはゾドによる家畜の大量死が発生しており,近年の砂漠化などと合わせて,気候変動との関連が指摘されている。

一方で,ウランバートルではゲル地区を中心に,冬場の暖房に石炭を使うため,大気汚染が長年問題となっている。とくに,2010年には二酸化窒素の計測値が環境基準を上回ったケースが計測回数全体の30.3%となり,2009年の19.6%から急増した。同様に,二酸化硫黄については2009年の30.5%から47.0%に,10ミクロン以下の粒子状物質については2009年の32.2%から59.8%にまで増加した(Monthly Bulletin of Statistics,2010年12月号。以下,2010年の統計数値はすべて予測値にもとづく)。

水質汚染も後を絶たない。3月にはウランバートル近郊で中国,韓国資本の企業が運営する採石場からの排水が雪解け水の洪水で流され,付近が浸水する被害があった。7月から8月にかけて自然環境・観光省と専門検査庁がオルホン川で検査を行い,無許可で金の採掘を行ったうえ,廃棄物によって川を汚染した企業,少なくとも7社が摘発された。

このようななか,エルベグドルジ大統領は5月と10月の第2週の土曜日を全国植樹の日に定め,全国に植樹を呼びかけた。第1回となった5月15日には大統領や国会議員をはじめ,一般市民,企業などによる植樹が行われ,ウランバートルだけで約13万本の木が植えられた。

経済

急回復した経済成長率,工業と農牧業の明暗

2009年にモンゴルの成長率はゼロ付近まで低下したが,2010年には一転して6.7%にまで回復,いわゆる「リーマン・ショック」後の経済停滞に終止符が打たれたかたちとなった。

成長率急回復の原動力となったのは工業の復調である。2010年の工業総生産成長率は10.0%と,2009年のマイナス成長から一転して2桁成長を記録した。工業総生産の内訳を見ると,約7割を占める鉱業採掘部門の成長率は10.1%であり,約2割を占める製造業部門の成長率が11.4%と,それぞれ高い伸びを示している。鉱業採掘部門では,生産の7割程度を占める金属鉱石の生産が2009年を6.6%下回ったものの,前年比91.4%と倍増に近い伸びを示した石炭生産が成長を支えた。製造業部門では生産額で第2のシェアを持つ繊維製品の生産が2009年を21.8%下回ったものの,シェア最大の食品・飲料品の生産が24.0%増加したほか,生産シェアの大きい非鉄金属製品が54.0%,鉄製品が29.6%,前年比でそれぞれ増加した。

反面,農牧業は2009年から冬に発生したゾドによって大打撃を受けた。モンツァメ通信社は7月6日付でエンフボルド非常事態委員長の発表を伝えているが,これによると,今回のゾドではモンゴル全21県のうち15県で被害が発生,死亡家畜頭数は880万頭,金額にして4740億トグリグという被害規模となった。2009年に過去最高を記録したモンゴル国内の家畜頭数は,1年間で2006年の水準まで減少したことになる。

2010年は自然災害に加え,口蹄疫の拡がりも深刻であった。4月27日にドルノド県ハルハゴル郡で口蹄疫の発生が確認されたのに始まり,8月末から9月にかけてドルノド県,スフバートル県,さらにはウランバートル市内でも口蹄疫が発生した。そのため,2010年12月末までに口蹄疫に感染した家畜2万5933頭がすべて殺処分された。

政府は諸外国・国際機関の支援を得ながら,農牧業の被害回復に努めている。前述のエンフボルド非常事態委員長の発表では,7月6日時点で国内から8400万トグリグ,外国・国際機関・NGOから40億トグリグの義捐金を受け取ったとしている。しかし,前回のゾド発生時には2000年から2002年にかけて家畜頭数が減少し続けており(図1),2010年の冬も各地で大量の降雪が報告されていることから,今回のゾドでも被害が2011年以降も続くことが懸念される。

図1  モンゴル全国の家畜頭数の増減(1999~2010年)

(出所) Mongolian Statistical Yearbook,2002年版,2004年版,2007年版;Mongol Ulsin Ediin Zasgiin Baidlin Tukhai Taniltsuulga(モンゴル国家統計局『モンゴル経済,社会状況報告』),2008年12月号,2009年12月号,2010年12月号。

大規模鉱山開発の進展

この年にはオヨー・トルゴイ鉱山,タワントルゴイ炭田の開発に関して重要な決定がなされた。3月末に鉱物資源・エネルギー省管轄の専門家委員会がオヨー・トルゴイ鉱山のフィージビリティ・スタディを承認したのに続き,閣議において投資契約の発効が宣言された。4月5日にはオヨー・トルゴイ社から前払い金250万ドルのうち,2回目の支払いとして50万ドルが政府に支払われた。5月6日には国有資産委員会がオヨー・トルゴイ社取締役としてバガバンディ元大統領,ツァガーン大統領顧問,ガンボルド・ハス銀行前総裁の3人を任命した。

タワントルゴイ炭田開発に関する動きを見ると,6月24日に国会が鉄道建設国家政策を承認し,チョイバルサン=サインシャンド=タワントルゴイ炭田間1100キロメートルの鉄道建設が決まった。この路線はチョイバルサンからロシア・シベリア鉄道に通じる鉄道につながるものであり,レール幅もモンゴルの既存路線およびロシアと同じ広軌である。

続く7月8日には国会でタワントルゴイ炭田開発に関する決議が可決された。これによると,炭田開発を行う国有企業エルデネス・タワントルゴイ(Erdenes Tavantolgoi)社を設立し,同社株式のうち10%を国民に無償交付,10%を6月30日までに企業登録を済ませ,かつ税金を納めている活動中の企業に有償で譲渡,残る30%は内外の証券取引所で売却することとされた。12月17日には国家資産委員会によって,エルデネス・タワントルゴイ社の経営陣が任命された。

ただし,これらのプロジェクトの進め方については異論も根強い。オヨー・トルゴイ鉱山の開発案については,契約発効を前に,前述の「国民運動」や一部国会議員が強い反対を表明した。また,タワントルゴイ炭田開発については,政府案に対する国民の評価が高いとは言い難い。『ゾーニー・メデー』紙は7月にウランバートル市在住者を対象に,炭田開発案に関する世論調査を2回実施している。ここでは,前述の政府案,エンフバヤル前大統領の案(炭田を100%国民の共有とし,利益を国民に均等に分配),企業連合「モンゴル999」の案(炭田の株式のうち34%を国有とし,33%を「モンゴル999」,33%を国民が所有)の3つの方法のうち,いずれを支持するかが問われている。調査のうち,モンメディア社の調査結果では,回答者全体の65.2%がエンフバヤル案を,24.5%が「モンゴル999」案を支持し,政府案を支持したのは7.6%にとどまった。もう一方のインフラテスト社調査では,エンフバヤル案の支持が回答者全体の50.8%,「モンゴル999」案の支持が40.1%となり,政府案の支持は7.1%のみであった。調査結果を単純にモンゴル全国に当てはめることはできないが,それでも政府案の人気のなさがうかがえよう。今後タワントルゴイ炭田開発が政府案にもとづいて進められることで,国民から反発の声が上がることも懸念される。

なお,鉱山開発の進展とともに,鉱物資源によって得られる利益を国民に配分すべく,2009年に設立された「人間開発基金」の分配金の支給が開始された。2月1日には第1次分配金として国民1人当たり7万トグリグの交付が始まったが,それに加えて7月には国民1人当たり5万トグリグの交付が閣議で決定され,翌8月に交付が始められた。

インフレ再発,改善されない失業問題

経済成長率が回復し,鉱山開発が進展している一方で,経済面では懸念すべき問題も表れている。そのひとつがインフレの再発である。消費者物価の上昇率は2009年末の時点で前年比4.2%まで低下していたが,2010年には前年比13.0%,年平均で10.1%と再び2桁に達した。なかでも教育部門で前年比18.8%,食料品部門で前年比18.6%,通信部門で前年比14.6%,住居・水・電気・燃料部門で前年比12.7%とそれぞれ価格が上昇しており,市民生活に影響を与えている。

加えて,失業問題でも改善が見られない。経済成長にもかかわらず,2010年末時点での登録失業者数は3万8250人と,2009年末時点での登録失業者数3万8077人から減少するどころか,若干とはいえ増加している。

モンゴルの調査機関サント・マラル財団による「ポリト・バロメーター」2010年10月調査では,もっとも重要な社会経済問題として「失業」を挙げる回答が35.7%ともっとも多くなっており,この問題への世論の関心は高い。また,行政側も大規模鉱山開発プロジェクトを雇用増加につなげようとしている。4月1日にはウランバートル市とオヨー・トルゴイ社との間で,失業者3000人を雇用し,平均月額30万トグリグの給与を支払うという内容の合意覚書が交わされた。また,9月24日にはオトゴンバヤル教育・文化・科学相,ガンディ社会福祉・労働相とマーシャル・オヨー・トルゴイ社社長が合意覚書に署名した。これによりオヨー・トルゴイ社が360億トグリグを拠出し,3年間で3300人の職業訓練を行うこととなった。しかし,10月8日にウランバートルで開催された全国規模の合同就職説明会では,最大の目玉となるはずであったオヨー・トルゴイ社および関連企業が参加せず,関係者に失望を与えた。

対外関係

2010年も2009年に引き続き,政府首脳や閣僚,高官が積極的に外国訪問を行ったほか,世界経済フォーラムをはじめ,アジア中南米協力フォーラム(FEALAC)やアジア欧州会合(ASEM)などの国際会議への参加も目立った。

さらに,タワントルゴイ炭田,オヨー・トルゴイ鉱山の開発などを背景に,諸外国からの代表団がモンゴルを訪問,経済・ビジネスに関する協議を行う機会も多く見られた。

対ロシア関係

ロシアとの関係では,モンゴルのロシアに対する巨額の債務問題が持ち越されていた。2003年の時点で対ロシア債務の98%の免除が決まっていたが,2009年8月に残る2%の返済をロシア側が要求し,すでに完済されたと考えていたモンゴル側との食い違いが表面化していた。

事態が大きく動いたのは,12月に行われたバトボルド首相のロシア公式訪問においてである。12月14日にバトボルド首相はプーチン首相と会談,モンゴルがロシアに380万ドルを一括して支払うことで双方が合意した。これにより,旧ソ連時代にまで遡る債務の問題が完全な解決を見ることとなった。

バトボルド首相の訪ロはこれ以外にも成果を生んだ。まず,モンゴルにおけるウラン開発を行うモンゴル・ロシア合弁企業「ドルノド・ウラン」社の設立が合意された。また,モンゴルからロシアへの食肉・肉加工製品の輸出拡大,鉄道,運輸,軍事などの分野での協力拡大に関する共同文書への署名が行われたほか,ロシア側が家畜へのワクチン接種を目的とする3億7500万ルーブルの援助の供与を表明した。マトビエンコ・サンクトペテルブルク市長との会談では,同市に留学するモンゴル人留学生の人数を増加させることで合意した。

また,これに先立つ9月1日から15日にかけて,モンゴル・ロシア合同軍事演習「ダルハン3」がロシア・ブリヤート共和国内で行われた。これは2008年に開始された両国の合同軍事演習「ダルハン」の3回目となるもので,モンゴル側からは約250人の将兵が参加した。

債務問題の影響もあり,対ロシア関係ではこれら以外に特筆すべき動きはなかった。しかし,前述の鉄道建設国家政策が実現すれば,タワントルゴイ炭田から産出される石炭がロシア経由で輸送されることになり,経済・物流面での両国の結びつきが再強化されるものと見込まれる。すでにチョイルからロシア・ボストチニーまでの石炭輸送列車の試験運行が10月と12月の2度行われるなど,ロシア経由の石炭輸送ルート確立に向けた動きは2010年に着実に進んでいる。

対中国関係

2010年もモンゴル・中国間で首脳の往来が見られた。4月には,ボアオ・アジア・フォーラム2010年年次総会出席のため訪中したバトボルド首相が習近平副主席,温家宝首相と会談したのに加え,エルベグドルジ大統領が就任後初めて中国を公式訪問,胡錦濤主席と会談したほか,モンゴル・中国ビジネスフォーラム,上海万博開会式に出席した。6月1~2日には,温家宝首相が中国の首相として16年ぶりにモンゴルを公式訪問した。この訪問でエルベグドルジ大統領,バトボルド首相,デムベレル国会議長との会談が行われたほか,経済・技術協力政府間協定,5000万元の無償資金協力契約などの文書に署名がなされた。温家宝首相はウランバートルで行われたモンゴル・中国貿易経済フォーラムにも出席した。

首脳の往来以外にも,拡大する経済関係を背景に,協議・交流の機会が相次いだ。1月26日~2月2日に第3回モンゴル・中国経済協力作業部会がウランバートルで開催され,天津港でのモンゴル人ビジネスマンや企業家の経済活動,第三国への輸出について話し合いが行われた。7月26日には天津市代表団が来訪し,経済面での協力やウランバートルでの投資について,エンフボルド副首相やバータルゾリグ・ウランバートル副市長などと会談が行われた。9月2日にはアルタンホヤグ第一副首相が長春での第6回吉林・北東アジア投資貿易博覧会,第4回東北アジア経済貿易協力ハイレベルフォーラムに出席したのに加え,同月13日にはザンダンシャタル外務・貿易相が上海万博の「モンゴル・デー」に出席した。

2010年に両国間の貿易額は大幅な伸びを見せた。モンゴルの対中国輸出額は2009年より76.5%,中国からの輸入額は85.7%それぞれ増加した。また,中国への輸出が輸出全体に占めるシェアは2009年を10ポイント上回る84.9%となり,中国からの輸入のシェアも2009年を5ポイント上回る30.5%に拡大した。

しかし,経済関係の拡大の一方で,両国の間で懸案事項も少なからず生じている。2009年に中国がモンゴル民族伝統の歌唱法「ホーミー」を自国のものとしてユネスコの無形文化遺産に申請したと報じられた件では,2010年に入って両国間で事態収拾が図られたものの,それまでモンゴル国内の反発が続いた。また,7月にはオブス県で金の採掘を行う中国資本の企業と,彼らによる環境被害を訴える地元住民との間で衝突が発生した。同様の衝突は9月にセレンゲ県でも発生した。

モンゴルにおける中国に対する印象は決して改善されていない。前述のサント・マラル財団の調査によると,モンゴルのベストパートナーとして中国を選んだ回答者はわずか3%で,1位のロシア(57.2%)に大差をつけられている。

対日関係

民主化以来,モンゴルと日本との関係は良好に推移してきたが,2010年の元横綱朝青龍の引退はそのような関係に一石を投じるものであった。モンゴルでは朝青龍に同情的な報道がなされ,報道機関のなかには相撲報道のボイコットを呼びかけるものすら現れたことから,ザンダンシャタル外務・貿易相がモンゴル・日本関係への影響を懸念する談話を発表する事態となった。

とはいえ,この一件を除けば日本との関係は良好であった。2010年で注目されるのは,首脳・閣僚による相次ぐ訪日である。1月にツォグトバータル外務政務次官がFEALAC期間中に鳩山首相と会談したのをはじめ,3月にはドルリグジャブ官房長官が訪日,岡田外相と会談,7月にはゾリグト鉱物資源・エネルギー相が訪日,岡田外相や直嶋経産相,大島JICA副総裁と会談した。10月にはバトボルド首相がカナダ訪問の帰路,日本に立ち寄り,菅首相との懇談を行った。両首相は9月の国連総会出席の際にも会談しており,わずか1カ月の間に2度顔を合わせたことになる。そして11月にはエルベグドルジ大統領が日本を公式訪問し,天皇・皇后両陛下との会見,菅首相との会談が行われたほか,随行したザンダンシャタル外務・貿易相と前原外相との会談が行われた。一方,日本からは8月に岡田外相がモンゴルを公式訪問,ザンダンシャタル外務・貿易相と会談を行ったほか,エルベグドルジ大統領およびバトボルド首相を表敬した。

もうひとつ注目されるのは,モンゴルの資源開発への参加を目指した日本の官民双方の動きである。前述のゾリグト大臣の訪日の際には,日本の石油天然ガス・金属鉱物資源機構および独立行政法人産業技術総合研究所との間で覚書を締結,レアアース・レアメタル資源の探索開発で協力することとなった。10月のバトボルド首相と菅首相との懇談には日本の大手商社のトップが出席し,レアアース開発の協力や,鉱物資源およびインフラなどへの日本の投資について話し合われた。12月には第4回日本・モンゴル貿易・投資および鉱物資源開発官民合同協議会がウランバートルで開催されたほか,伊藤忠,丸紅,住商,双日が韓国・ロシアの企業と共同でタワントルゴイ入札に参加することが報じられるなど,モンゴルの鉱山開発に対する日本企業の関心の高さを示す報道が相次いだ。

なお,3月24日の閣議において,日本人がモンゴルに30日以内の期間で滞在する場合,ビザが免除されることが決定された。これにより,日本からモンゴルへの観光客・ビジネス客の増加が期待される。2010年はモンゴルと日本とが経済・ビジネス面でも結びつきを強めた1年と言えよう。

対米関係

2010年にはモンゴルとアメリカとの間で首脳の交流はなく,閣僚級の交流も,7月のASEAN地域フォーラム期間中に,ザンダンシャタル外務・貿易相がクリントン国務長官と会談した程度であった。

一方で,この年にはアメリカのイニシアティブによる基金であるミレニアム・チャレンジ会計(MCA)を中心とする援助プロジェクトが展開された。まず,同会計の資金により実施されるチョイル=サインシャンド間の舗装道路建設については,5月に工事請負契約が締結され,9月に起工式が行われた。同じく9月にウランバートル市長とMCAとの間で協議が行われ,12月には両者が協力覚書を交換し,ウランバートル=ナライハ間の自動車道新設工事,ウランバートル周辺の牧草地管理,職業教育,保健,エネルギー,環境などの分野で協力して活動することとなった。上記のプロジェクト以外では,1月に赤字削減と社会的弱者に対する社会福祉継続を主目的とする1000万ドルの無償資金協力契約に署名がなされたほか,9月には環境分野およびガバナンス改善を主な用途とする約947万ドルの無償資金協力合意書への署名が行われた。

以上のように,2010年の対アメリカ関係は経済援助を中心とするものであった。他方,貿易面でアメリカの比重は低下した。対アメリカ輸入は前年比54%増の1億5931万ドルとなったものの,輸入全体におけるシェアは4.9%で2009年とほぼ同じであり,輸出は2009年の約3分の1となる486万ドルに減少し,輸出全体に占めるシェアは0.1%にまで落ち込んでいる。

なお,2003年に開始された国際軍事演習「ハーン・クエスト」は2010年にも実施された。今回の演習ではモンゴル,アメリカをはじめ日本を含む計9カ国から合計約330人が参加した。

対ヨーロッパ関係

2010年も2009年同様,ヨーロッパ各国との往来が盛んであった。2月にはエルベグドルジ大統領がEU本部を訪問,ヴァンロンプイ欧州理事会議長,ブゼク欧州議会議長,バローゾ欧州委員長と会談した。3月にはバトボルド首相がオーストリア,ハンガリーを歴訪,ファイマン・オーストリア首相,バイナイ・ハンガリー首相らと会談した。10月にはエルベグドルジ大統領がベルギー,フィンランド,デンマークを歴訪,アジア欧州会合第8回首脳会合に出席したほか,ベルギー国王アルベルト2世,ハロネン・フィンランド大統領,デンマーク女王マルグレーテ2世など各国要人と会談した。一方,4月にはアマード・ポルトガル外相,ウルソ・イタリア経済開発省副大臣,5月にはフィシェル・チェコ首相,8月にはニーベル・ドイツ経済協力開発相がそれぞれモンゴルを来訪した。

もうひとつの特筆すべき動きとして,12月に行われたモンゴル・EU間パートナーシップ協力協定(PCA)への署名が挙げられる。2009年9月から進められてきたPCA締結のための交渉が結実したことで,モンゴル・EU間の関係深化を期待する声が上がっている。今後はEUがモンゴルを非市場経済国のリストから外すための交渉が進められることになっている。

ただし,この年には憂慮すべき事件も発生した。ホルツ国家安全保障会議事務局長がロンドンでイギリス当局に逮捕された件である。容疑は2003年にフランスでモンゴル国民を略取しモンゴルまで連行したというものである。モンゴル政府は略取を認めたものの,ホルツ事務局長がイギリス政府の招きで訪英していたため外交特権があるとして,釈放を要求した。しかしイギリス政府は釈放を拒否,自国での公判を開始したため,緊張が高まっている。略取が行われたフランス,略取の際に経由地となったドイツとベルギーもこの事件に関心を寄せており,今後イギリスのみならず,これらの国々との対立が表面化する恐れもある。

対韓国・北朝鮮関係

2010年はモンゴルが韓国との国交を樹立してから20周年にあたる。このためモンゴルでは2010年を「モンゴルにおける韓国年」に指定し,韓国との交流が盛んに行われた。

韓国との要人の往来を見ると,2月にはデムベレル国会議長が訪韓,金炯旿国会議長と会談した。6月には韓国から任太煕労働部長官が来訪,バトボルド首相,ガンディ社会福祉・労働相と会談したのに加え,李石淵法制処長が来訪,バトボルド首相と会談した。これらの会談では,韓国におけるモンゴル人労働者の権利保護や,モンゴル人不法労働者の問題が主な焦点となった。8月にはガンディ社会福祉・労働相率いる代表団が訪韓,在韓モンゴル人労働者やその雇用主の代表,韓国人男性と結婚したモンゴル人女性の代表者との会談を行った。このほか,8月にはモンゴル・韓国領事局間政策対話が,9月にはモンゴル・韓国経済協力提携会議がそれぞれウランバートルで開催された。

一方,4月にはザンダンシャタル外務・貿易相率いる訪問団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を公式訪問,金永南最高人民会議常任委員会委員長や朴義春外相,崔泰福最高人民会議議長と会談した。この訪問で経済・貿易における協力に関する覚書への署名が行われている。また,『ゾーニー・メデー』紙4月26日付によれば,外相会談の際にモンゴル側から北朝鮮の非核化への全面的な支持が伝えられたとされる。

その他

9月27日から10月1日にかけて,バトボルド首相はモンゴル首相として初めてカナダを訪問した。この訪問でハーパー首相との首脳会談が行われ,外国投資促進保護協定締結の交渉加速で両首脳が合意したほか,公共サービス改革に関する情報交換,規格統一に関する情報交換,農牧業分野での協力に関する協力覚書に署名した。また,デイ行財政管理調整委員会委員長兼アジア太平洋ゲートウェイ担当相,ピーター・ヴァン・ローン国際貿易相との会談が行われた。

また,6月にはエルベグドルジ大統領がイスタンブールでギュル・トルコ大統領と会談,10月にはアルンチ・トルコ副首相が来訪,バトボルド大統領と会談したほか,中小企業支援に関する協力覚書に署名した。

このほか,2010年もモンゴルは国際平和維持活動への参加を継続した。1月にはボルド国防相がアフガニスタンに関するロンドン国際会議に出席したほか,3月29日には46番目の参加国として,アフガニスタンにおける国際治安支援部隊に参加した。6月には兵士264人がチャドにおける国連平和維持活動に,8月にはシエラレオネへの平和維持部隊として兵士120人がそれぞれ派遣された。11月にはエルベグドルジ大統領とボルド国防相がリスボンでのNATO首脳会議に出席した。

2011年の課題

2011年は国会選挙の前年にあたる。ここまで連立政権を組んできた人民党・民主党の二大政党であるが,今後は選挙をにらんだ駆け引きを活発化させよう。これ以外の野党も,選挙に向けて存在感を示そうとすると考えられる。

とくに,人民党から事実上分離したシネバヤル国会議員ら「人民革命党暫定本部」の動きは注目される。彼らと同じく党名改称に反対したエンフバヤル前大統領は,人民党離党の意向こそ否定しているものの,同本部を支持する構えを示している。「第3代大統領」の肩書でしばしばメディアに登場する同氏が今後,同本部に加わることになれば,人民党としても無視できるものではない。その場合,人民党側がどのような対抗策をとるかが焦点となる。

経済面では,鉱山開発を軸に経済成長を維持させつつ,インフレの抑制や失業問題をどう解決していくかが課題となる。そのためには,鉱山開発で得た資金を元に,新たな産業を振興させることで雇用を創出していくことが重要となる。しかし,現状ではこの資金は「人間開発基金」を通じた国民への直接配付に回されており,産業創出などの投資に向けるには政治的な困難が予想される。

また,2011年予算も不安材料である。2011年予算の赤字額は約6000億トグリグで,モンゴルのGDPの9.9%に達している。これは2008年の選挙公約である国民への現金支給や,2010年10月に実施された国家公務員の昇給,年金・扶助の増額を反映した結果であるが,再燃したインフレを助長するとの指摘が相次いでいる。そのような事態となれば,再び社会不安がもたらされる恐れもある。しかし,選挙公約の実現をめぐってデモや抗議活動が発生したことや,2012年の国会選挙への影響を考えれば,国民への「ばらまき」を止めるのも容易ではない。政府・国会はジレンマに陥っている。

経済成長を回復させたモンゴルではあるが,成長軌道に戻るか,再び混乱に陥るか,悩ましい局面を迎えている。2011年はモンゴルにとって大きな岐路となる1年であろう。

(立命館大学助教)

重要日誌 モンゴル 2010年
  1月
12日 第3回モンゴル・ハンガリー貿易・経済・科学技術協力政府間協議開催(~14日)。
14日 エルベグドルジ大統領,国会に死刑廃止の呼びかけ。
16日 ツォグトバータル外務事務次官,アジア中南米協力フォーラムに出席(~17日)。
21日 モンゴル・EU間パートナーシップ協力協定に関する協議を開催。
21日 国会緊急集会,中央銀行エンフホヤグ第一副総裁・エンフジャルガル副総裁を罷免。
26日 第3回モンゴル・中国経済協力作業部会,ウランバートルで開催(~2月2日)。
27日 エルベグドルジ大統領,世界経済フォーラム出席(~30日)。
28日 ボルド国防相,アフガニスタンに関するロンドン国際会議に出席。
28日 国会,コンセッション法および修正銀行法を可決。
29日 サウスゴビ・エナジー・リソーシズ社,香港証券取引市場で新規株式公開。
31日 エルベグドルジ大統領,サマーズ米国家経済会議委員長と会談。
  2月
1日 エルベグドルジ大統領,ベルギー訪問(~2日)。EU首脳らと会談。
1日 人間開発基金の分配金として国民1人当たり7万トグリグの交付開始。
4日 国会,中央銀行第一副総裁にB・ジャブフラン,副総裁にN・ゾルジャルガルを任命する人事を承認。
4日 国会,2010年から2012年にかけての国有資産私有化計画を可決。
4日 秋季国会閉会。
8日 「経済フォーラム2010」開催(~9日)。
11日 オトゴンバヤル教育・文化・科学相,ユネスコ訪問(~12日)。
13日 オトゴンバヤル教育・文化・科学相,ドイツ・フライブルク大学訪問。
19日 トゥブ県ブレン郡にアメリカのデルタⅡロケットの一部が落下。
22日 デムベレル国会議長,訪韓(~26日)。金炯旿国会議長らと会談。
23日 ツォグトバータル外務事務次官,ニューヨークで潘基文国連事務総長と会談。
25日 ツォグトバータル外務事務次官,ワシントンでキャンベル東アジア・太平洋担当国務次官補と会談。
26日 モンゴル・アメリカ年次二国間協議開催。
27日 エルベグドルジ大統領,ゾド(雪害)被害を受けた西部各県を視察(~3月4日)。
  3月
1日 バトボルド首相,41人の退役軍人に対しアパートを供与,鍵を手渡す。
4日 日本政府よりゾド対策として70万ドル相当の無償援助物資供与契約締結。
8日 バトボルド首相,オーストリア訪問(~9日)。コスタ国連事務局長代行・国連ウィーン代表部事務局長らと会談。
8日 ドルリグジャブ大統領府長官,訪日(~15日)。
9日 バトボルド首相,ファイマン・オーストリア首相,ウォーラー国際原子力機関(IAEA)事務局次長らと会談。
10日 バトボルド首相,ハンガリー訪問(~12日)。バイナイ首相と会談。
10日 民主党党内会派「民主勢力連合」,第1回総会を政府宮殿で開催。
11日 「国民運動」,ウランバートルで政府批判集会・デモ挙行。
13日 民主党,地方党委員会・同委員会指導部・全国協議委員会年次定例選挙(~23日)。
15日 包括的核禁止条約発効促進地域セミナー開催(~16日)。
16日 横領の罪で国際手配中のスレンホル元産業・通商省事務次官,ウィーンで逮捕。
24日 閣議,日本人がモンゴルに30日以内の期間で滞在する際のビザを4月1日から免除することを決定。
30日 日本の無償資金協力により建設される高架橋「太陽橋」起工式開催。
31日 閣議,オヨー・トルゴイ投資契約の発効を告知。
  4月
1日 ムンフバヤル・ウランバートル市長,オヨー・トルゴイ鉱山における雇用増加の覚書手交。
2日 臨時閣議,国民1人当たり合計150万トグリグの年金・社会保障・現金等の交付を決定。
5日 春季国会開会。
6日 アマード・ポルトガル外相,来訪(~8日)。ザンダンシャタル外務・貿易相と会談。
8日 人民革命党バヤル党首,健康上の理由より辞任,後任にバトボルド首相が就任。
10日 バトボルド首相,ボアオ(中国)でのボアオ・アジア・フォーラム年次総会に出席。
12日 ウルソ・イタリア経済開発省副大臣率いる代表団,来訪。
14日 バトボルド首相,温家宝中国首相と会談。
17日 民主党,全国協議委員会開催。
20日 ザンダンシャタル外務・貿易相,訪朝(~22日)。金永南最高人民会議常任委員会委員長らと会談。
27日 ドルノド県ハルハゴル郡で口蹄疫の発生を確認。
28日 斎木外務省アジア大洋州局長,来訪。
28日 エルベグドルジ大統領,訪中(~5月4日)。
  5月
6日 国有資産委員会,オヨー・トルゴイ社取締役にバガバンディ元大統領,ツァガーン大統領顧問,ガンボルド・ハス銀行前総裁を任命。
11日 国会,前日に辞任したアルタンホヤグ検事総長の後任としてドルリグジャブ大統領府長官の検事総長就任を承認。
17日 ドルリクジャブ前大統領府長官の後任としてD・バトトルガが就任。
19日 フィシェル・チェコ首相,来訪(~20日)。
24日 バラドス・カナダ行政サービス委員会委員長率いるカナダ代表団,来訪。
25日 モンゴル航空,整備部門職員の業務ボイコットにより国際線飛行停止(~27日)。
26日 閣議,モンゴル開発銀行の創設決定。
27日 ドミニカ共和国と国交樹立。
  6月
1日 温家宝中国首相,来訪(~2日)。
7日 エルベグドルジ大統領,イスタンブールでのアジア信頼醸成措置会議に出席(~9日)。
9日 エルベグドルジ大統領,ギュル・トルコ大統領と会談。
10日 エルベグドルジ大統領,タシケントで上海協力機構首脳会議に出席(~11日)。
13日 日本のマスメディア代表団,来訪(~16日)。
17日 胡春華中国内モンゴル自治区党委員会書記率いる代表団,来訪。
17日 政府・世界経済フォーラム共催の「鉱業部門の適切な発展」会議,ウランバートルで開催(~18日)。
21日 第36回アジア太平洋貿易協定常任委員会,ウランバートルで開催(~23日)。
21日 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表団(日本),来訪(~25日)。
23日 国軍第2次派遣団264人,チャドにおける国連平和維持活動に派遣。
24日 国会,鉄道建設国家政策を承認。
27日 クマール・インド下院議長率いるインド国会代表団,来訪(~30日)。
29日 イブラヒム・サウジアラビア石油鉱物相,来訪。
30日 モンゴル・ブルガリア政府間協議開催(~7月1日)。
  7月
1日 2008年7月1日騒乱記念碑の起工式開催。
5日 国民電子登録開始。
7日 国会,タワントルゴイ炭田開発に関する決議を可決。
9日 サヒン・トルコ国会議長,デムベレル国会議長と会談。
15日 春季国会閉会。
15日 エルベグドルジ大統領,ロシア連邦ブリヤート共和国訪問(~19日)。第4回世界モンゴル人会議に出席,ナゴヴィツ・ロシア連邦ブリヤート共和国大統領と会談。
17日 国軍,カンボジアでのアジア太平洋諸国合同軍事演習「アンコール・センチネル2010」に参加(~30日)。
21日 閣議,コンセッション法の対象となる91の案件等を決定。
21日 バトボルド首相,西部9県視察(~8月15日)。
22日 ザンダンシャタル外務・貿易相,ハノイでASEAN地域フォーラム出席(~23日)。会期中にクリントン国務長官らと会談。
23日 アノド銀行,解散決定。
26日 中国・天津市代表団,来訪(~8月1日)。
29日 ゾリグト鉱物資源・エネルギー相,訪日(~8月3日)。岡田外相らと会談。
  8月
2日 ハーン銀行J・モロウCEO退任,後任にS・モリス新CEO就任。
4日 エルベグドルジ大統領,直腸の手術。
8日 国際軍事演習「ハーン・クエスト2010」実施(~20日)。
8日 人間開発基金の分配金,国民1人当たり5万トグリグの交付開始。
10日 デムベレル国会議長,アジェイ・チバー国連事務次長補と会談。
13日 ガンディ社会福祉・労働相率いる代表団,訪韓(~15日)。
19日 ニーベル・ドイツ経済協力開発相,来訪(~23日)。
24日 バトボルド首相,ゴビ3県視察(~27日)。
26日 第19回北東アジア経済フォーラム,ウランバートルで開催(~27日)。
26日 第14回モンゴル・ベトナム政府間経済・貿易・科学技術協力委員会,ウランバートルで開催(~29日)。
27日 閣議,ウムヌゴビ県バヤンダライ郡の砂漠で開催。気候変動の問題について協議。
29日 岡田外務大臣,来訪(~30日)。
29日 ウランバートル市ハン=オール地区で鳥の感染症ニューカッスル病の発生を確認。
  9月
1日 デムベレル国会議長,東部3県を視察(~7日)。
1日 アルタンホヤグ第一副首相,訪中(~4日)。
3日 チョイル=サインシャンド間176.4キロメートルの舗装道起工式開催。
4日 バトボルド首相,北部農耕地帯4県を視察(~5日)。
6日 モンゴル・韓国経済協力提携会議,ウランバートルで開催。
8日 モンゴル・ドイツ経済政策対話開催。
8日 第8回鉱業投資家フォーラム「ディスカバー・モンゴリア2010」開催(~10日)。
13日 上海万博で「モンゴル・デー」開催,ザンダンシャタル外務・貿易相出席。
13日 エンフボルド副首相,天津での2010夏季世界経済フォーラムに出席(~15日)。
17日 B・ホルツ国家安全保障会議事務局長,モンゴル国民略取の容疑によりロンドンで逮捕。
20日 バトボルド首相,国連総会に出席(~27日)。潘基文国連事務総長と会談。
24日 バトボルド首相,菅首相と会談。
27日 バトボルド首相,カナダ訪問(~10月1日)。ハーパー首相らと会談。
  10月
1日 秋季国会開会。
1日 国家公務員給与および年金・公的扶助の金額を30%引き上げ。
3日 バトボルド首相,訪日。菅首相と会談。
4日 エルベグドルジ大統領,ブリュッセルでのアジア欧州会合(ASEM)第8回首脳会合出席(~5日)。
5日 エルベグドルジ大統領,フィンランド訪問(~7日)。ハロネン大統領らと会談。
7日 エルベグドルジ大統領,デンマーク訪問(~9日)。ラスムセン首相らと会談。
8日 中央職業安定所主催による「労働・発展の基礎」合同就職説明会開催。
11日 第13回モンゴル・EU定期協議開催。
11日 オヨー・トルゴイ社,新CEOにC・マクレー氏の就任を発表。
13日 モンゴリアン・マイニング・コーポレーション社,香港証券市場で新規株式公開。
14日 政府,社会福祉労働相主催による「労働・発展の基礎」全国セミナー開催。
18日 ツァヒルガーン・テーベル社はじめ14社の従業員,共同で新型トロリーバス製造,ウランバートル市に引き渡し。
23日 アルンチ・トルコ副首相,来訪(~26日)。
27日 運輸部門9社が合併,モンゴル・テーベル・ネグデル社発足。
  11月
4日 人民革命党第26回党大会開催(~8日)。
5日 人民革命党,第26回党大会で党名を「モンゴル人民党」に変更。
11日 全国人口住居調査開始(~17日)。
15日 エルベグドルジ大統領,訪日(~19日)。
19日 民主党,全国協議委員会開催。
20日 エルベグドルジ大統領・ボルド国防相,リスボンでのNATO首脳会議に出席。
25日 国会,2011年度国家予算承認。
  12月
3日 人民党ウランバートル党委員会,党名変更に反対したシネバヤル国会議員の除名を決定。
9日 デムベレル国会議長,訪印(~13日)。
9日 Ch・ガンホヤグ,副蔵相に就任。
13日 バトボルド首相,訪ロ(~16日)。プーチン首相らと会談。
13日 第4回日本・モンゴル貿易・投資および鉱物資源開発官民合同協議会,ウランバートルで開催。
14日 デムベレル国会議長,ベトナム訪問(~17日)。
15日 第12回モンゴル・中国領事間政策対話,北京で開催。
17日 国家資産委員会,エルデネス・タワントルゴイ社の経営陣を任命。
20日 モンゴル・EU間パートナーシップ協力協定,仮調印。
20日 バトボルド首相,カマール・カタール財政経済相と会談。
27日 バトバヤル国会議員ら,ゾリグト資源・エネルギー相罷免を国会に提案。
29日 閣議,2011年を「雇用の年」とすることを決定。開発銀行法を国会に上程。

参考資料 モンゴル 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  政府要人名簿(2010年12月末現在)
③  2010年経済成果(抄訳)(国家統計局発表)
③  2010年経済成果(抄訳)(国家統計局発表)(続き)

主要統計 モンゴル 2010年
1  基礎統計
2  主要経済指標
3  作物収穫高
4  家畜頭数
5  主要輸出品
6  主要輸入品
7  主要国別貿易構成比(2010年)1)
8  主要工業生産状況
 
© 2011 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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