2012 年 2012 巻 p. 151-178
国内では2012年の総統選挙に向けた動きが活発化した。国民党は現職の馬英九総統の再選を狙い,民進党は蔡英文同党主席を総統候補に擁立,3回目の政権交代と初の女性総統の誕生を目指した。さらに,国民党と仲違いした宋楚瑜親民党主席も出馬したため,総統選挙は12年ぶりに三つ巴の争いとなった。
経済では,欧米の景気減速の影響を受け,2011年の実質経済成長率は4.04%となり,5%成長を達成することはできなかった。対中経済関係では,1月に「経済協力枠組協定」(ECFA)が発効したものの,前年から交渉していた投資保護協定は合意に至らなかった。その一方で,日本とは民間投資取り決めを締結し,内国民待遇,最恵国待遇などで合意するとともに,日本企業からの投資を受け入れるために政府が積極的な活動を行った。
東日本大震災の発生後,親日感情の強い台湾では巨額の義援金が集まった。その金額は海外からの支援としては最高額となり,日本でも台湾側の関心の高さが注目された。日台の実務関係も民間投資取り決めや航空自由化(オープンスカイ)実現のための合意文書の取り交わしなど大きく進展した。一方,中国との関係は交渉窓口機関のトップによる会談の開催が1回のみとなり,従来よりも関係進展のペースが鈍化した。また,馬総統は選挙を意識し,中国に批判的な姿勢もみせた。
1月31日,馬総統は1997年に死刑執行された江国慶空軍一等兵が無実であったと謝罪する声明を発表した。江一等兵は1996年当時,空軍作戦司令部での兵役中に,同司令部で起きた強姦殺人事件の容疑者とされた。空軍スパイ摘発部隊の将校の拷問を受け,江一等兵は自白を強要された。1997年,軍事法院では自白証言だけで,江一等兵の有罪が確定された。
監察院は空軍や軍事法院の審理を疑問視し,すぐに調査を開始した。しかし,監察院は政局の混乱で2005年から2008年の間機能停止に陥り,調査報告の発表は2010年5月までずれ込んだ。監察院は報告のなかで拷問や陳肇敏空軍作戦司令(後の国防部長)の対応が違法であると指摘し,検察総長に再捜査を要請した。
要請を受けた検察総長は台中地検に再捜査を命じた。その結果,当時,空軍司令部で勤務していた許栄洲が真犯人だと判明し,その事実が2011年1月28日に発表された。国防部北部地方軍事法院は5月26日に再審開始を決定し,9月13日に江一等兵の名誉を回復した。一方,台北地検は5月24日に真犯人の許を起訴し,20年の懲役を求刑したが,冤罪の責任を負うべき空軍や軍事法廷関係者は証拠不十分と時効成立のため不起訴処分とされた。これには江一等兵の遺族だけでなく,与野党双方の立法委員からも非難の声が上がった。その後,国防部は11月29日に,北部地方軍事法院は遺族に支払う賠償金を冤罪の責任者に負担させると決定し,台北地裁に彼らの財産差し押さえを申請したと明らかにした。
東日本大震災の反響3月11日に起きた東日本大震災について,台湾で起きた各界からの支援の動きは対外関係の項で扱い,ここでは台湾国内での反響について述べる。
震災当日,交通部気象局は津波警報を発令した。新北市(一部),基隆市,宜蘭県,花蓮県,台東県など太平洋岸5県市では,学校の授業や職場の業務の切り上げと一斉早退が行われた。馬総統は中央災害対応センターに移り,呉敦義行政院長や関係閣僚とともに緊急会議を開催し,太平洋岸の5県市長との連絡,軍隊がすでに警戒態勢に入ったことの確認を行った。
福島第一原発事故の発生後,各空港では日本からの渡航客に対する放射能チェックが実施された。台湾には2011年内に完成予定だった第四原発を含めて4カ所に原発があるが,すべてが海に面し,近くに活断層も存在する。また,第一,第二原発の原子炉は旧型であるが,福島第一原発と同様,寿命の延長が許可されていた。さらに,屏東県にある第三原発を除き,3原発が首都台北市を取り囲む新北市に立地している。とくに,もっとも古い第一原発は台北市からわずか28キロメートルの位置にある。このため,反原発団体や野党民進党は,台湾で原発事故が起きれば福島以上に深刻な被害を受けると指摘し,原発の全廃を訴えた。政府は5月に古い原発の寿命延長を撤回した。ただし,第四原発については商用運転の開始を見送るとしつつ,建設が継続された。なお,馬総統は第四原発の商用運転を2016年までに開始したいと11月3日に述べた。
司法院人事をめぐる混乱3月30日,馬総統は司法院大法官に邵燕玲最高法院法官(最高裁裁判官),陳碧玉司法人員研習所所長,黄璽君最高行政法院法官,羅昌発台湾大学教授の4人を指名する人事案を発表した。このなかで邵は2010年に少女暴行事件の上告審の主審を務めたが,「被告が被害者の意思を侵害していない」と主張し,控訴審まで維持された強姦についての有罪判決を破棄,高等法院高雄分院に差し戻した。この事件は世論に波紋を広げ,彼女の解任を求める「白玫瑰(バラ)運動」まで起きた。こうした経緯があったにもかかわらず,邵が大法官に指名されたことに対して,メディアや野党だけでなく,与党からも批判が起こった。
これに驚いた邵は指名を辞退し,馬総統は代わりに湯徳宗台湾大学教授を指名した。馬総統は4月1日に行った記者会見で,「3月28日に大法官候補者と面会し,最高裁の少女暴行事件の判決にも言及した。しかし,邵が『同事件の主審は私だ』と述べなかったので,気づかなかった」と釈明した。また,後日には陳がアメリカ国籍を,羅がカナダ永住権を過去にもっていたことが明らかになったが,いずれもすでに放棄していた。そのため,馬総統は両者を擁護し,同人事案は再変更されることなく,6月14日に立法院で承認された。
法務部廉政署の設置4月1日,立法院は法務部廉政署組織法を可決した。廉政署は汚職取り締まりや防止を効率的に行うための機関で,事実上,法務部政風司を改組する形で7月20日に発足した。廉政署自体には訴追権限がないものの,同署に常駐する検察官と連携し,刑事訴追を円滑に行う制度設計が施された。各政府機関には従来から不正防止を図る「政風」部門があり,廉政署はこれらとも連携を行う。
従来から汚職や不正を扱う機関には,監察院や法務部調査局,最高検察署特別偵査組(特捜部)があった。しかし,監察院には刑事訴追する権限がない。また,法務部調査局や特捜部は担当分野が広く,汚職捜査に注力できなかった。ただし,監察院は法務部がある行政院と同格であり,総統府や他院も監督するには監察院に廉政部を設置したほうが望ましいという意見もあった。
相次ぐ野党関係者に対する告発2011年も陳水扁政権時代の不正に関する動きが多くみられた。しかし,なかには無罪が確定したり,証拠不足のまま告発や捜査が行われたケースもあった。
呉叔珍・陳前総統夫人は2010年11月に最高裁判決で,新竹科学工業園区龍潭園区をめぐる汚職と台北101会長人事をめぐる不正につき有罪が確定した。しかし,同夫人は半身不随の障害者であり,体調不良も著しいため,台中刑務所の附属病院が2011年2月18日に健康検査を行い,同夫人の収監は不可能と判定した。
3月30日,総統府は文書を不正に廃棄したとして,陳前総統や呂秀蓮前副総統,当時の正副総統府秘書長らを監察院に告発した。しかし,陳政権最後の総統府秘書長だった陳唐山は「政権移行時には,馬政権側も書類引き渡しについて『問題ない』と述べた」と指摘し,告発が政治的なものだと批判した。また,監察院も総統府に対して証拠不足を指摘し,証拠の追加提出を求めた。
4月28日の最高裁判決では,外交機密費流用容疑に対して陳前総統の無罪が確定した。また,8月26日の台湾高裁における国務機要費などに関する差し戻し審でも,陳前総統は同容疑につき無罪,文書偽造に対して2年8カ月に減刑された。同判決では,呉夫人も南港展覧館をめぐる汚職容疑について懲役11年6カ月に減刑された。
6月30日,最高検特捜部は李登輝元総統と劉泰英元国民党投資事業管理委員会主任委員を公費流用で起訴した。容疑は外交工作資金の残金を国家安全会議(以下,国安会)に返却せず,台湾綜合研究院の設立資金に流用したというものである。しかし,この問題は国安会の会計担当者が2003年に起訴されたものの,すでに無罪が確定しており,決着がついた問題とみられていた。むしろ,民進党は李元総統が蔡民進党主席を総統候補として支持したために,馬政権の指図で検察が動いたと疑い,検察当局や馬総統を批判した。
首長特別費問題の幕引き与野党を問わず多くの政治家に流用疑惑がかけられた「首長特別費」(地方自治体の正副首長,議会の正副議長,中央政府の閣僚や次官などの交際費)問題は政治的な幕引きが行われた。5月3日,立法院は会計法改正案を可決し,2006年以前の首長特別費についてその使途をめぐる法的責任を問わないこととなった。しかし,民進党が求めた総統府の国務機要費や議員や村,里など末端の民意代表の手当は免責の対象から外された。5月には検察当局が与党関係者への関連捜査を打ち切ったと報道された。7月28日には最高検特捜部がすべての首長特別費捜査を終了したと発表した。すでに裁判で係争中の案件についても,免責期間のものには無罪判決が出された。ただし,陳政権の杜正勝故宮博物院長および教育部長の秘書2人が,免責期間の後に行われた不正について有罪判決を受けることとなった。
2012年総統および立法委員選挙日程と総統候補者2012年には総統と立法委員の選挙が予定されている。2008年選挙では同日実施が見送られ,立法委員選挙は1月,総統選挙は3月に行われた。しかし,4月19日,中央選挙委員会は総統選挙を2カ月前倒し,立法委員選挙と同じ1月14日に投票を実施すると決定した。台湾では戸籍に名目上の住所が登録されるが,これと実際の居住地が異なるケースが多い。今回は不在者投票の導入が検討された。しかし,国内では民進党の支持が多い南部から北部に出て,就学あるいは就労する人が多く,海外については中国駐在員には国民党支持者が多い。そのため,不在者投票の詳細について,与野党のコンセンサスを形成することが難しく,導入は断念された。
国民党では馬総統以外の候補者が現れなかった。このため,党内予備選挙は実施されず,4月27日の同党中央常務委員会で馬総統が同党候補者となることが決定された。しかし,蕭萬長副総統は5月31日に,任期限りでの引退を表明した。そこで,馬総統は6月19日に呉敦義行政院長を副総統候補に指名した。呉院長は南投県や高雄市長を歴任しており,中南部での支持基盤を強化する狙いがあると思われる。
従来,国民党は親民党や新党と協力し,「青陣営」を形成していた。しかし,馬総統は立法委員選挙候補者から親民党系の人物を排除した。これに反発した親民党は8月10日に同党独自の立法委員候補リストの一部を発表した。9月1日には宋親民党主席が総統選挙への立候補を表明し,9月20日には林瑞雄台湾大学名誉教授を副総統候補に指名した。林名誉教授はアメリカ国籍を持っていたが,27日に放棄の手続きを行った。親民党は国政選挙での得票率が5%未満であるため,宋主席の立候補には有権者総数の1.5%(約26万人)の署名が必要であった。親民党は52万人の署名を集め,うち44万5000票が審査で有効とされた。こうして,宋主席の立候補は受理され,青陣営の分裂が確定した。
一方,民進党では蔡同党主席のほか,蘇貞昌元行政院長(前回選挙での副総統候補),許信良元主席が党内予備選に立候補した。公認候補の決定は世論調査を行い,馬総統を対立候補として選挙が行われた場合の得票率によって行われた。蔡主席は得票率42.5%で馬総統(35%)に勝利できるとの結果が出たため,公認を獲得した。許元主席は12.2%で馬総統に敗北,蘇元行政院長は勝利できるが,得票率は41.5%で蔡主席に及ばないとの結果であった。副総統候補には総統候補としての公認を逃した蘇元行政院長が適任と思われたが,本人は固辞したため,2010年の台中市選挙で惜敗した蘇嘉全同党秘書長が指名された。
与野党総統候補の政策と主張民進党の蔡主席は3月25日に「2025年非核家園計画」を発表し,原発廃止を訴えた。8月には「十年政綱」と題した政策綱領のうち,未発表だった中国政策,安全保障や社会関連の諸分野の部分を発表した。同党中央常務委員会は8月24日には同綱領に加え,経済格差の是正や社会的公正の実現を訴えた「台湾新世代社会経済決議文」を採択した。蔡主席も同決議文と同じ観点から,経済的な成果を強調する馬政権を批判した。しかし,蔡主席は経済政策や中国政策の具体策に踏み込むことを避けた。蔡主席は従来,ECFAを廃止すべきと主張してきたが,選挙戦では棚上げし,事実上ECFAを容認する姿勢をみせた。また,蔡主席は李登輝政権時代にできたとされる中国との「1992年コンセンサス」の存在を否定してきた。しかし,馬総統の追及をかわすため,12月2日には国民党が同コンセンサスの内容だと主張している「『ひとつの中国,各自が表現』を検討課題のひとつにする」と述べた。ただし,どういう検討を行うのかについては,明言を避けた。
一方,国民党は積極的に政策をアピールした。馬総統は8月28日に記者会見を開催し,「1992年コンセンサス」の経緯を説明し,その存在を疑う蔡主席に反論した。「台湾加油讃」(国民党の選挙本部)の金溥聰執行長は9月11日,再選後に馬総統が訪中し,平和協定を締結する可能性に言及した。総統府は総統の訪中を否定したが,馬総統は10月17日に自らの政策綱領「黄金十年」の中国政策編を説明するなかで,平和協定に言及した。これらは議論を避ける民進党にあえて挑戦する意図から出た発言であったが,世論の反発を受けた。このため,馬総統は「平和協定の前にレファレンダムを実施する」と釈明に追われた。
また,馬総統は中国と一線を画す姿勢も示した。5月9日に台湾を中国の一省とするWHO事務局の内部文書を民進党の管碧玲立法委員が暴露すると,馬総統は10日に記者会見を開き,中国の圧力が同問題の背景だと非難した。馬総統は1989年に中国で起きた天安門事件の発生日である6月4日に同事件の再評価と民主化の推進,劉曉波,艾未未ら活動家の釈放を求める声明を発表した。15日には対中政策を担う大陸委員会以外の政府機関に対して,パンフレットやウェブサイトの中国語版では中国で用いられる簡体字を用いず,「正体字」(繁体字)に限るよう指示した。
総統選挙戦での激しいネガティブ・キャンペーンさらに,選挙戦では激しいネガティブ・キャンペーンが展開された。9月28日には国民党の邱毅立法委員が,民進党の蘇嘉全副総統候補が「農舎」(農業関連の建築物)と偽り,農地に違法な邸宅を所有していることを暴露した。しかし,国民党の議員や政府要人も「農舎」と称した違法な住宅を所有していることが発覚した。また,蘇候補は邸宅を非営利活動に提供すると述べたため,疑惑追及は収束した。
11月16日には週刊紙『壹週刊』が,馬総統が選挙賭博の元締めの自宅を訪れたと報道した。馬総統は18日に面会した事実を認めたが,彼の素性を知らなかったと釈明し,報道が事実より誇張されていると述べた。そして,21日にはこの報道を仕組み,批判を展開したとして,民進党を名誉毀損で訴えた。
民進党は,農産物の価格下落による農民の窮状を馬政権の無策の結果であると批判したが,パンフレットのなかで安い渋柿の値段を示しながら,価格の高い甘柿の写真を掲載していた。陳武雄農業委員会主任委員は11月26日にこの問題を指摘し,民進党のパンフレットこそ甘柿の値段を暴落させかねないと批判した。27日には馬総統も同様の発言を行った。12月1日,蔡民進党主席はパンフレットに誤植があったと謝罪したが,同党立法委員には渋柿の価格が安いことは事実だと主張し,馬政権への批判を続ける者もいた。
12月12日,劉憶如経済建設委員会(経建会)主任委員は,蔡主席が行政院副院長時代に自らの天下り先を確保するため,政府ファンド「国家発展基金管理会」による宇昌生技(TaiMed Biologics)社への投資計画を承認したと発言し,その証拠書類を公表した。しかし,この書類には不自然な日付が記され,民進党は劉主任委員による証拠捏造だと批判し,劉主任委員を文書偽造と総統選挙罷免法違反で告発した。また,李遠哲前中央研究院長ら民進党シンパの科学者らが,投資先企業の事業が元々有望であったと述べ,投資が正当なものだったと蔡主席を擁護した。しかし,劉主任委員は蔡主席を非難する姿勢を崩さなかった。
(竹内)
2011年の実質経済成長率は4.04%であり,年ベースでは堅調に成長した。しかし,四半期ごとの成長率をみると,第1四半期6.62%,第2四半期4.52%,第3四半期3.45%,第4四半期1.89%となり,時期を追うごとに景気減速が鮮明になった1年であった。この要因は,前年に民間投資と輸出が20%を超えたが,2011年はそれぞれ4.51%,マイナス3.79%と大幅に成長率が下がったためである。この背景には,3月に起きた東日本大震災の影響よりも,年後半に顕在化した欧米の債務問題によって先進国経済の回復が遅れるとともに,台湾元相場の上昇が民間投資と輸出にブレーキをかけたことがある。
貿易については,輸出が3083億ドル,輸入が2814億ドルであり,前年よりそれぞれ12.3%,12%増加したが,その増加率は前年の34.8%,44.1%より大きく減少した。相手先上位3国・地域は,輸出では中国,香港,アメリカ,輸入では日本,中国,アメリカであり前年と同じ国・地域であった。貿易総額に占める中国の割合は前年の21.5%から21.6%と微増する一方,前年より輸出は9.1%,輸入は21.3%増加した。政府はECFAによって,台湾から中国への輸出は増加するとしていたが,結果としては輸出よりも輸入の増加が著しかったといえる。
2011年の中国を除く対外直接投資は,承認ベースで306件,36億9683万ドルであり,前年より件数で59件,金額で8億7338万ドルそれぞれ増加した。一方,対中直接投資は承認ベースで887件,143億7662万ドルであり,前年より件数で27件,金額で2億4124万ドル減少した。中国への投資のうち,製造業が件数の64.3%,金額の72.2%を占め,製造業への旺盛な投資が続いた。また,金融・保険業における対中投資はECFAの発効や金融部門の投資改善もあって,前年より件数で2倍以上,金額では2.5倍以上増加した。
消費者物価の上昇率は1.42%であった。このうち,サービス類は0.65%,商品類は2.39%それぞれ上昇した。農産物を除いた商品類の物価上昇率は1.48%,さらに水産物とエネルギーを除くと1.12%であった。天候の影響を受け,農産物の生産不良が消費者物価の上昇を招くことになった。なお,失業率は4.39%であり,前年の5.21%を大きく下回った。
中国とのECFAの発効と停滞する交渉前年6月末に中国と締結したECFAが2011年1月1日に発効した。ECFAの実務を行う両岸経済協力委員会は1月22日に初会合を開催し,ECFAの範囲,優先順位などを決める協議を行うとともに,投資保障,貿易事務や金融事務の小委員会,問題が生じた場合の解決などを進める小委員会が設置された。11月には第2回委員会が中国・杭州市で開催され,ECFA品目とサービス貿易の執行状況,ECFA発効後の協議事項である産業協力,通関協力,中台の経済貿易団体の相互事務機構の設置などの経済協力分野事項の推進,ECFAの今後半年の重点的計画などについて意見交換が行われた。5月25日には三角貿易の場合でも,ECFAの対象品目である場合には,税を優遇することが決まった。この結果,域内企業の商機拡大に貢献するような形になった。
また,EFCA関係以外では4月25日には両岸銀行監督管理協力作業が始まり,中国側は台湾の政府系銀行の投資について具体的な協議を行い,トップ協議を今後定期的に行うことでも合意した。5月には両岸空運交渉が行われ,直航便数をこれまでの週あたり370便から558便まで大幅増便するとともに,台南から中国への直航開始,高雄便では不定期チャーター便の就航,中国側では発着空港の開放などで合意した。
一方で,双方の交渉窓口機関トップによる「江陳会談」は馬政権発足後,年2回行われてきたが,2011年は10月に1回のみ行われた。この会談でも最大の懸案事項であった投資保護協定の締結は見送られた(「対外関係」を参照)。
経済分野における日本との関係改善中国との経済関係の停滞が顕著であった一方,日本との経済関係は大きく進展した。まずあげられるのが,9月22日に合意した日台間の民間投資取り決めである。この取り決めは日台間の実務関係の交渉を行う日本の財団法人交流協会と台湾の亜東関係協会との間で合意した事実上の投資協定である。この取り決めの正式名称は「投資の自由化,促進及び保護に関する相互協力のための財団法人交流協会と亜東関係協会との間の取り決め」(中国語名:亜東関係協会與財団法人交流協会有関投資自由化,促進及保護合作協議)であり,名称のなかに協定の文言はないが,内容的には日台投資協定と呼んでよいものである。この取り決めは1972年の日台断交後最高レベルの取り決めであり,おもな内容には内国民待遇,最恵国待遇,特定措置の履行要求の禁止などが含まれている。また,日台双方とも一部業種についてはネガティブ・リスト方式によって,対象から除外して合意がなされている(「対外関係」も参照)。
次に,11月10日に交流協会と亜東関係協会の間で調印した航空自由化(オープンスカイ)協定の締結である。この協定では段階的自由化を行うことに同意し,その内容は定期便を運航する航空会社の制限撤廃,東京(羽田,成田)以外の路線で参入できる航空会社,就航地,便数の制限撤廃と同時に以遠権を許可し,台湾の航空会社に対しては成田への旅客便の週2便増,貨物便の週4便増,羽田発夜間便の松山以外の台湾の空港に週7便運航,チャーター便や不定期旅客および貨物便の運航会社と便数の制限撤廃などである。なお,成田と羽田の発着便については,2013年夏に成田空港の発着枠が年間延べ27万回に拡大した際に自由化を実現することとなった。
このような取り決めや協定とは別に,台湾政府は日本企業から台湾への投資を誘致する活動を積極的に実施した。この背景にあるのは,東日本大震災である。東日本大震災以後,日系企業がオペレーションの補完をするために台湾への投資を増加させた。また,台湾の経済発展は日本との貿易を通じて支えられているという考えが台湾側にあり,中国とECFAを結んだことでより中国に進出しやすいことを強調している。さらに,台湾政府は「日中台の経済トライアングル」を目指そうとしている。そのためには,日本の投資を積極的に誘致することは今後の台湾にとって有益なのである。
これらに対する具体的行動として,馬総統は5月に行政院に対して日本との経済分野での関係強化のための窓口設置を指示し,これに対応するためにかつて経済部長を務めた尹啓銘行政院政務委員を任命した。とくに,材料化学,バイオテクノロジー,グリーンエネルギー,環境保護,情報通信技術などでの提携強化を推進することになった。
7月以降,劉憶如経建会主任委員や尹政務委員らがたびたび訪日し,日台企業や団体との協力覚書の締結やセミナーを積極的に行った。また,2012年を目処に日本企業専用の工業園区を台南に設置し,今後さらに日本企業の誘致活動を進めようとした。ある国に特定した工業園区はインドに対するものに次ぐものである。11月には経済部と行政院国家科学委員会によって,TJパークと名付けられた工業園区の具体的構想が明らかになり,敷地面積73.6ヘクタール,進出できる産業はIT,紡績,バイオテクノロジー,機械,部品産業に従事または関連する企業が対象になった。2012年から本格的に誘致活動が行われる予定である。
政府による景気刺激策の実施2011年後半の欧米における金融問題の再燃は台湾経済,とくに輸出に影響を与えることになった。これは,リーマン・ショックにより台湾経済が後退した時と同じように,一部企業が無給休暇を実施する形で表れた。10月28日には王如玄労工委員会主任委員は黒字企業に対して無給休暇の実施を禁止する方針を示したが,その数は減少することはなかった。12月1日には,85社が無給休暇を実施し,対象者数は8636人に達したことが明らかになった。労工委員会は12月に入って無給休暇は最長3カ月に決めるとともに,いくつかの条令も制定した。しかしながら,労働組合は経営者が法律を遵守しないのに,無給休暇の期間を守るわけがないと批判した。
また,2011年に批准されたアメリカと韓国によるFTAは,発効後に台湾の輸出に影響を与えることが懸念された。経済部では米韓FTAで118億ドルの輸出に影響が出ると予測を公表した。電子・通信などの製品を中心に,アメリカへの輸出品の65.1%はすでにゼロ関税が実施されていたが,プラスチック,機械,化学,光学,紡績・アパレルなどの製品への影響は必至といわれていた。そのため,財政部では3000品目を対象に輸入原料・部品に対する関税払い戻し措置の実施,10月には電子製品,精密機器,自動車部品など1210品目に対して輸出戻し税が復活した。しかしながら,この政策は単に輸出拡大を目的としているのではないかともいわれている。
欧州の信用不安の影響を最小限にするため,あるいは2012年の経済成長率を4%以上にするために,行政院は11月に入って省庁を横断する形で「経済景気専門チーム」を設置し,30日に馬総統に対して経済振興策を提出した。その内容は,投資促進,内需拡大,輸出振興,消費刺激の4本柱としてまとめられている。投資促進では欧州や新興市場で誘致活動を強化,日台企業アライアンスの強化続行,台湾企業の投資回帰の促進などである。内需拡大では着手していない公共事業の実施加速,BOT事業の加速,輸出拡大では中国市場の拡大,アライアンス強化による日本企業の台湾調達の拡大などである。最後の消費刺激には,消費促進イベントや展示会の開催による商機拡大,観光収入の拡大などがある。
12月20日には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記の死去や欧州の信用不安に対応するために,馬総統は国安会の下に「財政経済対策チーム」を発足させ,産学官の代表者が参加した。また,同日には行政院は株式市場の安定化や市場の流動性向上のために政府の基金を無期限で市場に投入することを明らかにし,21日には生保業の運用資金1兆3000億元の公共事業への引き入れなどを含めた新たな内需拡大策をまとめた。このような対策を実施することで,政府は2012年の経済成長率を4%以上にすることを目指している。
(池上)
東日本大震災当日,台湾では各地の消防隊員から構成される捜索隊が組織された。しかし,出発は3月14日にずれ込み,現地入りは15日となったほか,福島第一原発での事故発生を受け,18日に捜索活動を終了し,20日に帰国した。台湾では日本への義援金を募る動きが広がった。一方,14日には政府要人や与野党の職員らが,自身の給与1日分を日本への義援金とすることを表明した。テレビ番組や各地のイベントなどでも義援金の呼びかけが行われた。義援金は4月初めに100億円を突破した後も増え続け,7月には楊永明新聞局長が200億円に達したと述べた。これは海外から日本への義援金として最高額である。
原発事故の影響で台湾から日本への観光旅行客は激減した。しかし,台湾側は王金平立法院長を団長とする大型訪日団を4月と5月に2回派遣した。とくに5月の訪日団は観光業者を含めて300人近い規模で,台湾人の日本観光を促進するため,外国人観光客の3分の1を台湾人が占めている北海道に立ち寄った。
4月11日,今井交流協会台北事務所長は馬総統に東日本大震災に対する台湾側の支援への謝意を表明し,また菅首相の公開書簡の内容も伝えた。4月20日には鳩山前首相が王院長,許水徳元考試院長(元駐日代表),江丙坤海峡基金会理事長ら訪日団との面会時に謝意を表明した。台湾側はこれで日本側の謝意が十分に伝わったとし,4月14日に主要国の大手紙に掲載された日本政府による謝意広告が台湾では見送られたことを問題としなかった。しかし,日本国内では民間有志による「謝謝台湾計画」が約2000万円の資金を集め,5月3日に『聯合報』と『自由時報』に謝意広告を掲載し,残金を震災義援金とした。また9月17日から19日には同様の趣旨で,日本側の与那国島から台湾の蘇澳まで日本人による水泳リレーが行われた。9月14日には野田首相が国会における答弁のなかで,改めて台湾側への謝意を述べた。
日本では台湾側が求めていた「海外美術品等公開促進法」が3月9日に衆議院で可決,3月25日に参議院で可決,成立した(9月15日施行)。これは,海外の美術館や博物館の所蔵品を差し押さえや強制執行の対象外とするものである。台湾の故宮博物院の所蔵品は中国から運び込まれたものであり,従来は日本で故宮展を開催すれば,中国による返還請求に遭うリスクがあった。
また,9月22日には日台民間投資取り決めの調印式が台北で行われ,6月に就任した大橋光夫交流協会会長が出席,文書に署名した。同取り決めには中国との投資保護協定で懸案となった,企業と投資先当局との紛争を国際仲裁機関で解決する旨の条項が含まれる。11月10日には,オープンスカイの実現も合意された。
日本からの主な来訪者には海部俊樹(3月の震災直前),森喜朗(5月),安倍晋三(9月),麻生太郎(10月の国慶節)ら4人の首相経験者のほか,衛藤征士郎衆議院副議長(5月)などがあげられる。とくに衆議院副議長の来訪は断交後初である。
アメリカとの関係5月10日,アメリカ海軍のミサイルフリゲートがソマリア沖で海賊に乗っ取られた台湾漁船「日春財68号」を撃沈し,人質の台湾人船長が死亡した。同船は2010年3月に海賊に襲われ,その後,船長の解放にむけた交渉が行われ,4月には身代金の金額が合意された矢先であった。訃報は21日になってアメリカ在台湾協会(AIT)を通じて台湾側に通知されたが,詳細な状況報告がなかったため,遺族や台湾側はアメリカ側に抗議し,説明を要求した。6月下旬,アメリカのキャンベル国務次官補が台湾外交部を通じて追悼の意を示した書簡を遺族に渡した。また,アメリカ国務省は7月23日に事件の報告書を送付し,30日に慰問金の金額を提示したものの,遺族や台湾の漁業関係団体は,謝罪がなく,慰問金と賠償金は性格が異なると反発した。
9月21日,アメリカ国防総省は台湾に対してF-16A/B戦闘機(ただし,その発展型C/D型と同等の機器を搭載)用アップグレード部品を供与すると決定した。しかし,台湾が陳政権時代より求めていたF-16C/D戦闘機66機の供与は見送られた。老朽化が著しい台湾空軍のF-5E/F戦闘機を代替しつつ,近代化する中国空軍に対抗するため,陳政権はF-16C/D戦闘機を追加供与するようアメリカ側に求めた。ブッシュ前政権はこれに前向きであったが,当時の台湾では立法院の多数を占める野党国民党がその購入予算を否決し,実現しなかった。
国民党の馬政権成立後も,蘇起国安会秘書長(当時)が中国に配慮して,F-16C/D戦闘機の購入を止めていたと,民進党は批判していた。蘇国安会秘書長の辞任後,来訪したアメリカの要人と馬総統による会談や国民党所属の立法委員の訪米を通して,アメリカ側に供与を強く要望するようになった。しかし,オバマ政権への交代後,アメリカ側がF-16C/D戦闘機の供与に慎重になったため,馬政権はオバマ政権の意向に配慮し,正式な売却要請を控えたと説明した。民進党は,いずれにしても国民党と馬政権に責任があると非難した。
とはいえ,今回決定された部品は高度な索敵能力を持つ能動型電子走査式(AESA)レーダーやグラスコックピット,推力が増強されたF-100-PW299ターボファンエンジンなどであり,既存のF-16戦闘機を最新型(E/F型)と同等の性能に引き上げることが可能である。F-16の装備品として,短距離空対空ミサイル「サイドワンダー」の最新型AIM-9X(140発)および同訓練用ミサイル(56発),暗視装置,爆弾の精密誘導を行うJDAM(128セット)の供与も決定された。金額はこれらF-16戦闘機関連だけで約53億ドル,F-5E/F戦闘機やC-130輸送機用の整備部品も含めると58億5000万ドルとなる。馬政権発足以来,アメリカが決定した3回の大規模な兵器供与は総額183億ドルで,陳政権時代(84億ドル)だけでなく,12年間続いた李登輝政権時代(162億ドル)の金額をも上回る。
フィリピンによる台湾人容疑者の中国への引き渡し問題フィリピンで中国人10人と台湾人14人からなる詐欺グループが2010年12月27日に逮捕された。この詐欺グループは国際電話を用い,政府高官を含む中国人被害者から金銭を詐取していたため,中国政府は台湾人を含む容疑者全員の引き渡しを求めた。台湾政府はこの要求を拒むようフィリピン政府に申し入れたが, 2011年2月2日に全員が中国に引き渡された。フィリピン政府は,2010年にマニラ警察の不適切な対応により,バスジャック事件で人質とされた香港人観光客が死亡したことを中国政府に責め立てられ,謝罪したばかりであった。このため,フィリピン政府は中国への配慮を優先したと考えられる。
しかし,台湾外交部は同日,フィリピン側に強い抗議の意を表明した。8日には外交部と労工委員会(労働委員会)が,制裁措置としてフィリピン人労働者の受け入れ手続きをわざと遅延させ,事実上一時中止すると発表した。
フィリピン大統領府は9日に,「ひとつの中国」原則を理由に,台湾の抗議を突っぱねた。しかし,一方では,制裁措置の解除を求めるため,与党自由党総裁のマヌエル・ロハス二世上院議員を大統領特使として21日に派遣し,楊進添外交部長(21日)や馬総統(22日)と会談した。しかし,ロハス特使は「授権されていない」として謝罪を拒み,交渉は決裂した。なお,5月3日にはフィリピンのラモス元大統領が来訪したが,私的訪問とされ,台湾の要人とは面会しなかった。
結局,フィリピン側は7日に移民局長を更迭し,8日にアキノ大統領が楊外交部長宛書簡のなかで同国側の非を認めたほか,別の詐欺容疑で逮捕された台湾人容疑者を台湾に引き渡した。9日,楊外交部長はこれらを評価し,制裁解除の意向を示した。ロハス特使が13日に再来訪し,14日に楊外交部長や馬総統との会見で改めてフィリピン側の非を認め,再発防止を約束した。また,双方はFTAに相当する「経済パートナーシップ協定」に関する研究など,関係発展を目指すことでも合意した。台湾側は15日に制裁の解除を正式に発表した。なお,中国に引き渡された容疑者の台湾移送は,7月に行われた(次項参照)。
中国との関係10月20日に中国の天津市で江丙坤海峡基金会理事長と中国の陳雲林海峡関係協会会長による第7回江陳会談が開催され,原子力エネルギー安全協力協定が締結された。これは,中国福建省の福清原発が台湾北部から200キロメートル内に立地しており,福島第一原発事故の後,緊急時の連絡体制が必要だと認識されたためである。しかし,2010年6月以降交渉が行われてきた投資保護協定は締結が見送られた。台湾側は台湾人駐在員の安全確保,とくに中国当局による身柄拘束を24時間以内に台湾側に通知することと,投資企業と現地当局の紛争処理を国際仲裁機関で行うことを要求した。前者は中国側が同意したものの,後者については双方の妥協が成立しなかったとされる。
フィリピンが中国に移送した台湾人詐欺容疑者については,5月に王卓鈞警政署長が訪中,中国の孟建柱公安部長と交渉を行い, 7月6日に台湾へ引き渡しされた。また6月11日には別の詐欺事件でカンボジアが逮捕,中国に移送した台湾人容疑者が台湾に引き渡された。5月6日から7日までの間,関中考試院長が訪中したが,これは上海で死亡した娘の遺体と孫を引き取るため,特例で許可されたものであった。6月28日に中国人による台湾への個人観光が解禁された。これは台湾で発表される前,12日に王毅国務院台湾事務弁公室主任が先に発表し,台湾側を驚かせたため,何らかの行き違いがあった可能性も取りざたされた。
香港,マカオとの関係7月4日,頼幸媛大陸委員会主任委員は,香港における台湾の駐在機構「中華旅行社」とマカオにある「台北経済文化中心」をそれぞれ,7月15日および同4日より「台北経済文化弁事処」(以下,弁事処)に改称すると発表した。なお,香港では経済部管轄の「遠東貿易中心」,新聞局管轄の「光華新聞文化中心」も設置されていたが,駐香港弁事処に吸収された。また香港,マカオ両政府は台湾の弁事処職員に対して,所得税の免除や出入境時の優先窓口の利用,VIP出迎え時の空港の制限区域への立ち入りを認めるなど,外交特権に準じた扱いを適用した。
8月10日には台湾側の「台港経済文化合作策進会」(以下,策進会)と香港側の「港台経済文化合作協進会」(以下,協進会)による第2回会合が行われた。同会議には台湾側から林振国策進会理事長ら,香港側からは李業広協進会主席のほか,曽俊華財政司長(協進会名誉主席)が出席した。曽財政司長は台湾市民によるビザ申請をネット上から無料で取得できる仕組みにする方針を表明した。
12月2日にはマカオが台湾における駐在機構として「マカオ経済文化弁事処」を,19日には香港が同じく「駐台北経済貿易文化弁事処」を設置した。ただし,準備期間が短かったため,実際の活動開始は2012年初めの見通しである。12月30日には,台湾と香港の新しい「航空運輸協議」(航空取り決め)が締結された。従来は民間の業界団体の間で締結してきたが,今回は策進会と協進会が締結した。
国際機関への参加,FTA交渉台湾は「中国中央銀行,台北」(Central Bank of China,Taipei)の名義で東南アジア諸国中央銀行グループ(SEACEN)に正式加盟してきた。しかし,中国の中央銀行(中国人民銀行)の加盟にともない, SEACENは1月25日,台湾の同意なく,その名義を「中華台北中央銀行」(Central Bank,Chinese Taipei)に変更した。
WHOからは2009年,2010年同様,世界保健大会(WHA,WHO総会に相当)で台湾の衛生署長のオブザーバー出席が認められた。2012年は,邱文達衛生署長がWHAに出席し,18日に本会議での演説を行った。
10月25日,台湾の駐ウェリントン経済文化代表処とニュージーランドの駐台北商工弁事処は連名で,「経済協力協定」に関する共同研究を行うと発表した。同様の発表は2010年12月にシンガポールとの間でも行われ,馬政権はすでに同国と交渉中であると説明したが,具体的な進捗は不明である。
11月28日には,南アフリカのダーバンで開催された国連気候変動枠組条約第17回締約国会議(COP17)に,張子敬環境保護署副署長をはじめとする「代表団」が派遣された。ただし,これは研究機関である工業技術研究院の名義とNGOの資格で参加するものであり,WHOのような政府としての参加ではない。
(竹内)
2012年1月14日,総統選挙の投票が行われ,馬総統が再選された。ただし,馬総統の得票率は51.6%と,前回選挙(58.5%)から大きく下がった。同時実施された立法委員選挙でも与党国民党は64議席を獲得し,立法委員の過半数を確保したが,前回選挙結果(81議席)には及ばなかった。馬政権の2期目は5月20日に始まる。これに先立ち,次期副総統に当選した呉敦義行政院長が辞任し,2月6日より陳沖行政院長率いる新内閣が発足した。また,2010年に成立した改正行政院組織法が2012年元旦に施行され,行政院に所属する中央官庁の再編が2012年中に行われる予定である。しかし,各官庁の設置法の立法作業は遅れている。
経済では,行政院主計処は2月22日,2012年の実質成長率を3.85%,消費者物価増加率を1.46%との予測を公表した。第1四半期を底として,第2四半期以降経済は回復するとの立場をとっている。ただし,輸出の成長率は4.87%と引き続き成長すると予測する一方,民間投資はマイナス1.16%と厳しい見通しを立てている。対中関係については,馬政権の続投が決まり,投資保護協定の締結やECFAの対象品目が増えるのかどうかが注目される。
対外関係は馬総統の再選によって,波乱要因がなくなった。馬政権はTPPへの参加を希望し,そのためにアメリカとの投資貿易枠組協定会合の再開を目指している。しかし,アメリカが求める輸入牛肉の安全規制の緩和には,国内の抵抗が強い。対中関係では,1期目に妥結できなかった投資保護協定や,現時点ではFTAの早期実施であるECFAの継続交渉などの課題が残っている。平和協定など政治分野の交渉には世論が慎重なうえ,馬総統自身もレファレンダムという高いハードルを設けた。頼大陸委員会主任委員や馬総統は総統選挙後,「武力の不行使」の制度に言及したが,その具体的な内容は明らかにされていない。
(竹内:地域研究センター)
(池上:新領域研究センター)
1月 | |
1日 | 桃園県,準直轄市となる。 |
4日 | 立法院,全民健康保険法を改正。 |
8日 | 両岸経済協力委員会,発足。 |
10日 | 立法院,商品表示法を改正。 |
11日 | シェンゲン協定参加国,台湾旅券所持者へのビザ免除を適用開始。 |
19日 | 金溥聰国民党秘書長,辞意表明。 |
21日 | 呂芳上国史館長,就任。 |
25日 | 東南アジア諸国中央銀行グループ,台湾の名義を「中華台北」に変更。 |
25日 | 馬英九総統,レイモンド・バッカード在台湾アメリカ協会(AIT)理事長と会見。 |
28日 | 1997年に死刑執行された江国慶の無罪が判明。31日,馬総統が遺族に謝罪。 |
29日 | 国立歴史博物院,中国の瀋陽故宮博物院と瀋陽故宮博文物展を共催(~5/11)。 |
31日 | 廖了以総統府秘書長,国民党秘書長に就任。後任には伍錦霖考試院副院長が就任。 |
2月 | |
2日 | フィリピン,国際詐欺グループの台湾人容疑者14人を中国に引き渡す。 |
8日 | 外交部,労工委員会,対フィリピン制裁措置として労働者受け入れ停止を発表。 |
8日 | 国防部,羅賢哲陸軍少将による中国への機密漏洩を公表。 |
9日 | 邱文達衛生署長,就任。 |
16日 | 台湾ブランド企業連盟設立。 |
18日 | 台中刑務所付設病院,呉叔珍(陳水扁前総統夫人)の収監は困難と判定。 |
21日 | マニュエル・ロハス2世フィリピン大統領特使,来訪(~22日)。 |
21日 | 両岸経済協力委員会,第1回会合を開催。 |
23日 | 中国の陳雲林海峡関係協会(海協会)会長,経済視察団を引き連れ,来訪(~28日)。 |
23日 | 民進党,新境界文教基金会に2つの研究センターを設置。 |
3月 | |
3日 | フィリピンのラモス元大統領,来訪。台湾側要人は面会に応じず。 |
5日 | 高雄市4区,台南市4区立法委員補欠選挙,両選挙区で民進党候補が勝利。 |
9日 | パネルの対中投資規制を緩和。 |
11日 | 馬総統,海部俊樹元首相と会見。 |
13日 | ロハス・フィリピン大統領特使,再来訪。馬総統と会見(14日)。対フィリピン制裁,解除(15日)。 |
14日 | 台湾の捜索隊,日本へ派遣。東日本大震災被災地で捜索活動(15~18日)。 |
18日 | 東日本大震災支援のためのチャリティー番組放映。馬総統夫妻も出演。 |
25日 | 日本で海外美術品公開促進法が成立。日本での台北故宮展が可能に。 |
28日 | シンガポールのリー・クアンユー上級相,来訪(~31日)。馬総統と会見(29日)。 |
30日 | 馬総統,次期大法官人事案を発表。 |
30日 | 総統府,陳水扁前総統ら前政権の総統府関係者17人を公文書廃棄で監察院に告発。 |
31日 | 高雄港第6埠頭,供用開始。 |
4月 | |
1日 | 中央銀行,公定歩合0.125ポイント引き上げ,年1.75%に。 |
7日 | WHO,WHA(同総会)招聘状を台湾の衛生署長あてに送付。 |
8日 | 立法院,行政法人法を可決。 |
11日 | 今井交流協会台北事務所長,馬総統に震災支援への謝意を表明。 |
11日 | 漢光27号演習(~15日)。4年ぶりに高速道路で戦闘機の発着訓練を実施(12日)。 |
12日 | 監察院,台北市政府の新生高架道路汚職疑惑を否定する調査報告を発表。 |
19日 | 中央選挙委員会(中選委),2012年の立法委員選挙と総統選挙の同時実施を決定。 |
20日 | 王金平立法院長,訪日。 |
23日 | 馬総統,国民党本部に総統候補申請。27日の中央常務委員会で決定。 |
25日 | 両岸銀行監督管理協力プラットフォーム第1回会合,開催。 |
25日 | 台北国際花卉博覧会,閉幕。 |
27日 | 中台の金融当局が初会合。 |
27日 | 民進党,蔡英文主席を総統候補に決定。 |
28日 | 最高裁,陳前総統の外交機密費流用疑惑につき無罪を確定する判決。 |
29日 | 江啓臣新聞局長,選挙出馬のため辞任。後任は楊永明前国家安全会議諮詢委員。 |
5月 | |
3日 | 立法院,首長特別費流用の非刑事化を可決。 |
3日 | 日本の民間有志による「謝謝台湾計画」,台湾の震災支援に対する謝意広告を掲載。 |
4日 | 范姜泰基総統府報道官,就任。 |
5日 | 民進党中央常務委員会,最英文主席と総統選挙での同党公認候補者と正式決定。 |
6日 | 第7回両岸経貿文化論壇,成都で開催(~8日)。 |
6日 | 台湾と中国,ECFA締結をWTOに通報。 |
6日 | 関中考試院長,上海で自殺した娘を引き取るため訪中(~7日)。 |
6日 | 衛藤征士郎衆議院副議長,来訪。 |
7日 | 森喜朗元首相,来訪。馬総統らとともに八田與一記念公園開園式典に出席(8日)。 |
10日 | 蕭萬長副総統,パラグアイ,パナマ訪問(~20日)。 |
10日 | 政府,WHOが台湾を中国の一部として扱ったことに対して抗議。 |
14日 | 王金平立法院長,北海道訪問。 |
20日 | 政府,6月1日に奢多税実施と発表。 |
20日 | 施顔祥経済部長,3原子力発電所の稼働延長しない方針を表明。 |
27日 | 立法院,人民団体法を改正,共産主義や国土分裂の主張を禁じる規定を削除。 |
28日 | AIT,ソマリア沖海賊と米海軍の交戦で台湾籍漁船の船長が死亡したと通知。 |
6月 | |
4日 | 馬総統,天安門事件記念声明。 |
8日 | 第1回両岸協議の成果と検討会議を台北で開催。 |
9日 | パリ上訴裁判所,台湾海軍ラファイエット級フリゲート導入汚職事件で,フランスのタレス社に台湾政府への賠償を命じる。 |
11日 | カンボジアが中国に移送した台湾人詐欺事件容疑者122人,台湾に移送される。 |
13日 | 立法院,法官(裁判官)法を可決。裁判官は3年に1度審査を受けることに。 |
13日 | 合作銀行,中国農業銀行と全面業務協力協議のMOU締結。 |
15日 | 馬総統,政府機関に「正体字」(繁体字)のみ用いるよう指示。 |
18日 | 日本政府,交流協会の元職員,曽茂林氏と王寛裕氏に瑞宝双光章を叙勲。 |
19日 | 馬総統,呉敦義行政院長を次期副総統候補に指名。 |
21日 | 服部礼次郎交流協会会長,退任。後任には大橋光夫昭和電工元会長が就任。 |
21日 | 海峡交流基金会(海基会),海協会,28日より中国人の台湾個人旅行の解禁で合意。 |
25日 | バッカードAIT理事長,来訪。蔡民進党主席(27日),馬総統(28日)と会談。 |
30日 | 最高検察署,李登輝元総統を国務機要費流用容疑で起訴。 |
7月 | |
1日 | 中央銀行,公定歩合を0.125ポイントと引き上げ,1.875%に。 |
2日 | 国民党中央常務委員会,馬総統,呉行政院長を正副総統候補に正式決定。 |
6日 | フィリピンが中国に引き渡した台湾人詐欺容疑者,台湾に移送される。 |
15日 | 中華旅行社など台湾の香港駐在機構,台北経済文化弁事処に改称。 |
20日 | 法務部廉政署,発足。 |
21日 | 労工委員会基本工資(最低賃金)審議委員会,最低賃金の5%アップを決定。 |
28日 | 最高検,すべての首長特別費流用疑惑の捜査を打ち切ったと発表。 |
8月 | |
1日 | 財務部,インドと税関相互支援協定を締結。 |
8日 | 屏東空港閉鎖。 |
10日 | 親民党,立法委員候補者名簿の第1弾を発表。国民党との決裂が確定。 |
11日 | 高金素梅立法委員,2009年の靖国神社職員への暴行容疑で東京地検に書類送検される。9月8日,不起訴処分に。 |
15日 | 内政部,2010年合計特殊出生率が0.895と発表,世界最低水準に。 |
16日 | 蔡民進党主席,「十年政綱」の未発表分野を順次発表(~25日)。 |
17日 | 最高裁,陳前総統一家の偽証につき有罪判決。長男の陳致中高雄市議員,失職。 |
23日 | 台湾高裁,李慶安元立法委員の二重国籍問題につき,逆転無罪の判決。 |
24日 | 民進党中央執行委員会,「十年政綱」「台湾新世代社会経済決議文」を採択。 |
27日 | 台湾大学および成功大学病院で,エイズ感染者から臓器移植を行う医療ミス。 |
28日 | 馬総統,中国との「1992年コンセンサス」に関する記者会見を開催。 |
30日 | 台北地裁,WTO工作資金問題につき,邱義仁元国家安全会議秘書長,高英茂外交部次長に無罪判決。 |
9月 | |
1日 | 宋楚瑜親民党主席,総統選挙への立候補を表明。 |
1日 | 士林地裁,故宮博物院南院をめぐる汚職疑惑につき,石守謙元院長らに無罪判決。 |
6日 | 安倍晋三元首相,来訪(~8日)。蔡民進党主席,馬総統と会談。 |
9日 | 蔡民進党主席,蘇嘉全同党秘書長を副総統候補に指名。 |
11日 | 金溥聰「台湾加油讃」執行長,馬総統再選後の訪中と平和協定の締結に言及。 |
12日 | 蔡民進党主席,訪米(~20日)。金「台湾加油讃」執行長も同期間に訪米。 |
14日 | 中国の范麗青国台弁報道官,馬総統の訪中は「条件が整えば,実現する」と発言。 |
21日 | アメリカ政府,台湾に対する兵器売却(総額58.52億ドル)を議会に通知。 |
22日 | 日台民間投資取り決め,締結される。 |
28日 | 邱毅立法委員,蘇嘉全副総統候補が違法な住宅を所有と暴露。 |
29日 | 馬総統,事実上の政策綱領である「黄金十年」の発表記者会見を分野毎に開催しはじめる(~10月17日)。 |
10月 | |
3日 | 蔡民進党主席,訪日(~5日)。前原民主党政調会長(3日),安倍元首相(5日)と会談。 |
4日 | 馬総統,服部礼次郎元交流協会理事長に大綬景星勳章を授与。 |
10日 | 双十国慶節記念式典。馬政権では初の軍事パレードを実施。馬総統,麻生元首相ら日華議員懇談会メンバーと会見。 |
11日 | 馬総統,ラムズフェルド元米国防長官に大綬景星勳章を授与。 |
13日 | 台湾高裁,金融改革汚職で陳前総統に懲役18年,呉夫人に同11年の2審判決。 |
17日 | 馬総統,中国との平和協定に言及。 |
19日 | 江丙坤海基会理事長,訪中(~21日)。陳海協会会長と会談(第7次江陳会談),原発安全協力協議に署名(20日)。 |
19日 | 曽永権立法院副院長,金「台湾加油讃」執行長ら訪日(~23日)。 |
19日 | 范姜総統府報道官,平和協定の前にレファレンダムを行うと発言。馬総統も20日に同様の発言。 |
24日 | 馬総統,野党の批判に反駁するため「平和協議に関する10の保証」を発表。 |
25日 | 台湾とニュージーランド,経済協力協定に関する共同研究を行うと発表。 |
31日 | 施経済部長,第四原発を遅くとも2017年に営業運転させると発言。 |
11月 | |
1日 | 第2回両岸経済協力会議,中国・杭州市で開催。 |
1日 | 親民党,宋楚瑜主席の総統選挙出馬資格獲得の署名が35万5589人分集まったと発表。 |
4日 | 立法院,指定区域での売春を合法化する社会秩序維持法を改正。 |
4日 | 台北市日本工商会,政府へ3回目の政策提言白書提出。 |
5日 | 連戦国民党名誉主席,香港訪問(~8日)。林瑞麟政務司長と会談。 |
7日 | 政府,緊急景気対策10項目まとめる。 |
10日 | 日台航空協定,改定。 |
10日 | 劉姍姍駐カンザス弁事処長,フィリピン人家政婦雇用をめぐる詐欺容疑で逮捕される。 |
11日 | 連戦国民党名誉主席,ハワイ訪問(~15日)。胡錦濤中国共産党総書記と会談(11日),APEC首脳会議に出席(13日)。 |
14日 | 法務部廉政処,故宮博物院職員を所蔵品画像データの違法コピー容疑で取り調べ。 |
14日 | 馬総統,環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に10年かけて参加する方針と表明。 |
16日 | 台湾高裁,対パプア外交工作資金の横領で仲介役の呉思材に有罪判決。 |
16日 | 馬総統,地下賭博の元締めに面会したことを週刊誌『壹周刊』に暴露される。 |
17日 | 馬総統,連戦APEC特使の帰国報告の席上で,TPP参加を決断すべきと発言。 |
18日 | 盛治仁文化建設委員会主任委員,国慶節での音楽制作費問題で引責辞任。 |
26日 | 陳武雄農業委員会主任委員,民進党の農業問題パンフレットを批判。 |
29日 | 国防部,江国慶冤罪事件に関連し,元軍幹部の財産仮差し押えを申請。 |
29日 | 台北市,2017年夏季ユニバーシアードの開催権獲得。 |
29日 | 台湾高裁,石守謙故宮博物院長らの汚職疑惑につき,無罪とする2審判決。 |
12月 | |
1日 | 蔡民進党主席,農業問題パンフレットについて、誤植であったと謝罪。 |
1日 | ラジブ・シャー米国際開発庁長官,来訪。馬総統と会談(2日)。 |
1日 | 郭台銘鴻海精密工業グループ董事長,馬総統への支持表明。 |
2日 | 蔡民進党主席,総統選挙で当選すれば,「ひとつの中国,各自が表現」を検討と発言。 |
2日 | 立法院,農民向け年金を月1000元増やす老年農民福利津貼暫行條例修正案を可決。 |
5日 | 3総統候補によるテレビ討論会。 |
10日 | 3副総統候補によるテレビ討論会。 |
12日 | 劉憶如経済建設委員会主任委員,「宇昌生技」問題を公表。 |
12日 | ダニエル・ポネマン米エネルギー省副長官,来訪。 |
13日 | 立法院,兵役法一部条文改正案可決。兵役制度が志願制に変更。 |
15日 | 台湾公正選挙国際委員会,発足。 |
19日 | 香港政府,駐台北経済貿易文化弁事処を暫定開設。 |
22日 | AIT,台湾がビザ免除プログラムの適用候補国に入ったと発表。 |
22日 | 馬総統,財政経済対策チームを設置。 |
25日 | 民進党と台湾団結聯盟(台聯),1月の選挙での協力合意。 |
28日 | 『壹周刊』,法務部調査局が蔡民進党主席の身辺調査や尾行を行っていると暴露。 |
28日 | ドイツと「所得税とキャピタルタックスの二重課税回避及び脱税防止協定」を台北で署名。ドイツでは19日署名。 |
30日 | 中選委による第2回政見放送。 |
30日 | 国防部,徴兵制を廃止すると発表。 |
30日 | 台湾と香港,新航空運輸協議を締結。 |
(出所) 行政院研究発展考核委員会編『中華民国政府組織與工作』2003年,および行政院(http://www.ey.gov.tw/)を参照。