アジア動向年報
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各国・地域の動向
2011年のカンボジア 洪水にも耐え,安定した成長をみせた経済
初鹿野 直美
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2012 年 2012 巻 p. 223-242

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2011年のカンボジア 洪水にも耐え,安定した成長をみせた経済

概況

2011年は,パリ和平協定から20周年の節目の年であった。国内政治は,2012年コミューン評議会選挙および2013年の総選挙を前に,政党間・政党内でのせめぎあいが続き,人民党以外の勢力の混乱が目立った。また,政府は反汚職の取り組みを推進し,薬物対策関係者らの大規模な汚職を摘発した。カンボジア特別法廷(ECCC,クメール・ルージュ裁判)については,3月に第1事案(カン・ケック・イウ元S21政治犯収容所所長)の上級審が開催され,11月に幹部クラスを裁く第2事案の1審が開始された。経済は,2001年以来最悪の洪水を経験しつつも,衣料品輸出が好調だったこと,建設業が復活したことから,6.9%程度の経済成長を確保できるのではないかと予想されている。対外関係では,年初のタイとの対立状況が,7月に一転して協調へと転換した。また,中国との接近が著しい一方で,欧米の援助機関や国際機関とは,規制的色彩の強いNGO法案や土地所有権をめぐる争いへの対処などでの対立もみられた。

国内政治

反汚職法の執行

2010年に制定された反汚職法により,反汚職ユニット(ACU)による具体的な汚職への取り組みが始まった。2010年12月にボンティアイミアンチェイ州警察署長でソー・ケーン内務大臣の元ボディガードのフン・ヒアンが薬物取引にかかる汚職の疑いで逮捕されたことに端を発し,そこから芋づる式に6人の関係者が逮捕された。その一連の動きのなかで,1月,薬物対策国家機構(NACD)のムック・ダラー事務局長が,薬物取引への直接関与および薬物犯から賄賂を受け取り,逃亡を手助けしてきた疑いで逮捕された。ムック・ダラーは,薬物取り締まりの中枢にいながら,32もの事件にかかわってきたとされており,数十万ドルの賄賂受け取りの容疑をかけられているが,本人は否定している。

政府高官らに義務化された資産申告をめぐっては,フン・セン首相を含む2万4854人が4月7日までに申告に応じたとされる。4月1日に申告を済ませた首相は,「毎月460万リエル(約1150ドル)の収入があるのみである」と発表した。通常資産内容が公開されるわけではなく,何人か申告できなかった人もいたといわれ,透明性に限界はあるものの,これまでのカンボジアの状況からすると画期的な出来事であった。

サム・ランシー裁判の行方と野党の動向

サム・ランシー党党首のサム・ランシーは,ベトナム国境杭を引き抜いた事件を起こした2009年以来海外滞在を余儀なくされており,2011年も滞在先のフランスから帰国することができず,3月に国民議会議員の地位を失った。

ランシー不在のあいだ,サム・ランシー党は,ボン・コック(コック湖)周辺地域の土地問題や労働問題などで積極的な発言を行っている。しかし,長期にわたる党首の不在は同党執行部の求心力を弱め,内部の混乱を招いている。2011年を通して党所属議員の対立や,人権党や他政党への人材流出が相次いだ。3月,マウ・モニーヴァン国民議会議員が議員を辞職し,党執行部を批判し人権党に入ったことを受け,党執行部は同氏を除名した。また,10月には,有権者への活動を十分に行っていない,党に対して不誠実であるとの理由で,ト・ヴァンチャン国民議会議員およびヴァン・シヴアン上院議員を除名した。ヴァンチャンは,党決定に反発し裁判に訴えるとともに,人権党に入党した。また,与党からの揺さぶりも絶えず,12月には,カンダール州刑務所からの党活動家脱走を手助けしたとして,チャン・チェーン国民議会議員が不逮捕特権を剥奪された。なお,ムー・ソクフオ国民議会議員も2010年に不逮捕特権を剥奪されて以降,2011年中も同権利を回復していない。

王党派については,ノロドム・ラナリットが2010年末に政界に復帰し,2011年初頭にフンシンペック党とノロドム・ラナリット党の再統合を訴えた。しかし,フンシンペック党は2006年に袂を分かったラナリットとの和解はしなかった。一方,フンシンペック党内では,人民党との連立政権内で党の独自色が出せずにいることに苛立ちを覚える党員も多い。1~3月には,ニュック・ブンチャイ幹事長(副首相)が,「党指導部に相談なしに党本部建物を385万ドルで売却した」「中国系通信企業のライセンス取得に関して,580万ドルを不正に受け取った」と糾弾された(ブンチャイはいずれも否定している)。2月末,これらの訴えの中心となったポーン・チャンター元国民議会議員らはノロドム・ラナリット党へと移籍した。このような党内対立を受け,4月3日のフンシンペック党大会では,ブンチャイのリーダーシップを強化する方向で指導部の再編を行い,彼を総裁(プロティアン・プロテバット)に選出した。

与党であるフンシンペック党も有力野党も,内部対立や離反に苦しんでいる。野党同士では,サム・ランシー党と人権党のあいだでの協力体制構築に向けた議論が持たれたこともあったが,結局頓挫してしまった。これらの対立のなかで,人民党以外のそれぞれの党が党員の奪い合いを繰り返しており,2012年コミューン評議会選挙および2013年総選挙を前に,どの党も人民党の対抗勢力としての体制を整えることがなかった。

チア・シム上院議長側近スキャンダル

9月23~25日,チア・シム上院議長官房のペーン・クンティアボレイ儀典長,元顧問のポンロック・ホー中将,チャン・コサル警察中将,官房の一員であるキュウ・ボラーの4人が,少なくとも51の進出外国企業に多額の賄賂を要求していたことが判明し,逮捕された。また,チア・シム上院議長の周辺では,8月13日にチュアン・チャントーン元親衛隊長も違法武器所持および公文書偽造の疑いで逮捕されている。このような動きは,人民党内での勢力争い,すなわち,フン・セン首相の対抗派閥であるチア・シム上院議長に近いグループの勢力を弱める意図があると考えられる。

カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ裁判)

ECCCでは,S21政治犯収容所で起きた戦争犯罪を対象とした第1事案について,カン・ケック・イウ元所長に対して3月に上級審の審理が行われ,2012年2月の判決にて終身刑が確定した。

カンボジア全土で起きた事件を対象とした第2事案については,11月に第1審の審理が本格的にスタートした。第2事案では,ヌオン・チア元人民代表会議議長,イエン・サリ元副首相兼外相,イエン・チリト元社会問題相,キュー・サンパン元国家幹部会議長ら4人に対して,人道に対する罪,1949年8月12日ジュネーブ諸条約の重大な違反,ジェノサイド罪が問われている。被告人らがいずれも70~80代の高齢であることから裁判手続きに耐えうるか,予審の段階から繰り返し議論が行われてきた。第1審の審理が始まる直前の11月17日,イエン・チリトについては認知症が著しいとして裁判の対象からはずされた。残る元幹部3人を対象として,11月21日から冒頭陳述が行われ,12月5日から本格的に証拠調べが始まった。

かねてからカンボジア政府およびカンボジア人スタッフと国連および国際スタッフとの間で対立が繰り返されてきた第3,第4事案の捜査については,2011年も衝突が繰り返された。4月29日,ジークフリート・ブランク国際捜査判事とユー・ブンレーン国内捜査判事は,第3事案の捜査を終了し訴追をしない方向であることを発表した。これに対し,捜査が不十分であるとして,被害者やNGOなどから非難の声があがった。ブランク判事は,政府からの圧力があったとし,10月に辞任した。後任は,ローラン・カスペル・アンセルメ予備判事が就任する予定であったが,インターネット上で積極的な捜査を求める発言を繰り返してきた来歴のある彼の就任に,カンボジア政府は反発し,予定されていた11月の期日になっても任命手続きを阻んだ。なお,第3事案としては,元海軍司令官ミアハ・モット,元空軍司令官スー・メートの2人,第4事案として,政権中堅幹部だったアオム・アーン,ユム・トゥット,ウム・チャエムの3人が捜査対象とされている。

第1,第2事案については,高齢化と裁判の長期化,予算不足,カンボジア政府からの圧力といった数々の課題に直面しつつも,裁判は少しずつ着実に進捗をみせている。一方で,第3,第4事案については,政府と国連側の対話ができなくなっており,暗礁に乗り上げている。

経済

経済概況

2011年のカンボジアは,深刻な洪水に見舞われたものの,衣料品のEU向け輸出の大幅増加,建設業の復活により,経済成長率は6.9%となる見込みである。

衣料品(HSコード61,62の合計値)は,EU向け輸出は12億3205万ドル(前年度比56%増),アメリカ向け輸出が25億8613万ドル(前年度比17%増),日本向け輸出は1億5459万ドル(同48%増)で,主要市場において大幅な増加がみられた(いずれも相手国側貿易統計による)。

建設セクターについては,国土管理・都市計画・建設省で10月までに建設許可が前年に比べて53.8%増加し,金額にして11億ドルに達した。中央銀行によると,建設セクターへの銀行融資も3億1000万ドル(前年度比41%増)に達している。住居プロジェクトが75%増えており,建設セクターの成長を支えている。

これらに加え,洪水被害にもかかわらず,コメや天然ゴムなどの農産品の輸出が積極的に展開され,経済を支えた。

コメの生産・輸出への洪水の影響

2011年の雨季は,過去10年間でもっとも深刻な洪水をもたらした。7~10月までに水田22万ヘクタール(全体比9%)が破壊され,250人が死亡し,25万人が一時避難生活を余儀なくされた。プノンペンは大きな被害から免れたが,11月に実施される予定だった水祭りのボート競争が中止に追い込まれた。コメの生産量は,洪水被害にもかかわらず,農家が田植えの時期や場所などを調整したことから,最終的に5.5%減程度に押しとどまる見込みである。なお,1トン当たりのコメ価格は,雨季米が275ドル,乾季米が295ドルで,前年度比約13%増(年加重平均,価格データはカンボジア経済研究所[EIC]による)と,大きく上昇した。洪水の影響のみならず,タイでインラック政権が籾質入制度を導入し,コメの基準価格が高めに設定されたことでタイのコメ価格が上昇し,カンボジアのコメがタイに流出したことも原因のひとつとして考えられる。水田が被害を受けた農家,とくに貧困層への経済的影響が憂慮される。ただし,2011年末以降,コメ価格は急落している。

コメ生産量は停滞したが,輸出は順調な成長をみせた。カンボジア政府は「2015年までに100万トンを輸出する」(2010年発表コメ政策)という目標を立てているが,これに対して世界銀行は懐疑的な見通しを示している。「100万トン」実現可能性は未知数であるが,カンボジアの大手精米業者は,2011年中にヨーロッパ,中東への輸出を開始しており,2011年11月の時点で,16万6700トンを輸出した(2010年は通年で4万4700トン)。さらに2012年には中国,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への輸出を計画するなど,市場を拡大している。

国家歳入の増加

2011年の歳入は前年度比17%増が見込まれている。好調な経済成長に加え,税収が増えたことが大きい。とくに,直接税と物品税の税収増加が大きく貢献している。2011年に初めて導入された固定資産税は,11月末を締切日として徴税が行われ,徴税額は総額1340万ドルにのぼった。これまで,関税や輸入税などに頼ってきた税収であるが,今後2015年のASEAN自由貿易協定(AFTA)の完成を前に,国内の徴税基盤を整えていく必要性がかねてから指摘されてきた。固定資産税の導入と同時に,これまでは汚職が黙認されてきた税務官らの徴税体制についても,指導が強化されている。

証券取引所オープン

7月11日,プノンペンのカナディア・タワー内に証券取引所(CSX)が開所した。取り引きは2011年末までに始まる見込みであったが,準備が間に合わず,2012年初めの開始を予定している。3月,取り引きに使用される通貨が現地通貨リエルに決定したが,カンボジア国内に流通する通貨の9割がドルであるという現実にかんがみて,当面はドルとリエルの両方の使用が認められることになった。株式公開を予定しているのは,シハヌークビル港湾公社,テレコム・カンボジア,プノンペン水道公社の3社である。将来,中小企業を含めた民間企業の参加を目指しているというが,透明性のある会計を備えることなど,多くのカンボジア企業にとってはクリアしなければならない課題が多く,彼らが参加できるようになるには,道のりが遠い。

労働者をめぐる環境

工場内の労働環境の悪さから,集団失神事故が相次ぎ,社会問題化した。工場内の労働者が集団で失神する事故は以前から存在してきたが,2011年には1500人以上の労働者の失神が確認され,労働省やILOが調査に乗り出した。1工場で数百人単位での集団失神が相次いだのは,空調の悪さ,有毒化学物質の充満,不健康な生活習慣などが原因であると指摘された。一方,労働組合指導者らは,低賃金と過度の時間外労働が原因であると主張している。

最低賃金については,2010年の労使間の合意により2014年まで凍結されているが,それ以外の諸手当については引き続き交渉が継続された。 3月から皆勤手当が月額5ドルから7ドルに増額され,また,11月には,2012年1月から健康手当5ドルの一律支給が合意された。

海外への出稼ぎ労働者

カンボジアは,タイやマレーシア,韓国に労働者を派遣している。とくに2011年は,マレーシアに派遣された家事労働者の女性たちが虐待された事例や,タイを経由してタイやインドネシア沖で,漁業労働で搾取的労働をさせられた事例が多く報告された。極端な虐待例が多く報告されたマレーシアに関して,10月,家事労働者の派遣が停止されることとなった。

韓国に対しては,2007年から雇用許可制(EPS)に基づく未熟練労働者の派遣(3年~4年10カ月)が認められている。毎年韓国側で決められた数の受入れの募集が実施されることになっているが,2011年は過去4年間の合計値の5000人に匹敵する人数の募集があり,あらたに5000人の若者が韓国へ労働者として派遣された。タイやマレーシアで得られる収入の数倍にあたる1300ドル以上の月給が得られることが人気を呼んでいる。

中東への労働者派遣についても準備が進められており,12月にはカタールに工場労働者を派遣する旨,合意が成立した。ただし,家事労働者については労働環境が保障できないとして,派遣は見送られることとなった。

日本企業の進出加速

海外からの企業進出は順調な増加をみせている。12月に5000人の雇用を創出できる工場をプノンペン経済特区内にオープンさせたミネベア社の進出が大きな話題となった(2011年末時点では労働者数約1400人)。ほかに,2014年にショッピングモールの開業を目指しているイオンをはじめ,パナソニック,三井住友銀行,三菱東京UFJ銀行が相次いで事務所設置を発表するなど,日本企業の進出が加速した。カンボジア開発評議会(CDC)によると,日本企業の投資は2010年の約2倍の7500万ドル(認可ベース)にのぼった。これらの進出が,すぐにカンボジア経済全体に大きなインパクトを与えるというわけでないが,日本企業の進出がカンボジアの投資環境が改善されたというシグナルになり,さらなる投資の呼び水となることが期待されている。

対外関係

タイとの関係

2008年以来,カンボジアは国境地域のプレア・ヴィヒア寺院周辺の領有権をめぐってタイとの対立を深めてきた。2010年12月末に,カンボジア領内に侵入したタイ国会議員パニット・ウィキットセートおよび反タクシン派活動家のウェーラ・ソムクワームキットらタイ人7人が逮捕された。彼らのうち,国会議員を含む5人の保釈が1月に決定され帰国したが,活動家のウェーラおよびその秘書の女性は,より重いスパイ罪に問われており保釈が許されなかった。

タイは,2011年7月に総選挙を控え,対カンボジア政策を急進化させていった。2月4~16日にかけて断続的に銃撃戦が続き,民間人を含む10人以上の死者が出た。このような関係悪化を受けて,2月14日,カンボジアからの書簡に基づき,国連安全保障理事会で話し合いがもたれた。その後2月22日にジャカルタで緊急ASEAN外相会談が開催され,インドネシア国軍をメンバーとしたASEAN停戦監視団の派遣が決定された。4月7~8日にかけて,インドネシア・ボゴールにて,タイ,カンボジアの二国間での合同国境委員会(JBC)の開催が実現した。

国境地域では,4月末および6月に再度銃撃戦が起きるなど,その後も一進一退の状況が続いた。一方で,ASEANの会合などで双方のトップが直接顔を合わせて意見交換をする機会も増え,国境地域での衝突が全面的な衝突につながることはなかった。

7月,カンボジアと良好な関係をもつタクシン・元タイ首相の実妹であるインラックがタイの選挙に勝利し新政権を樹立すると,フン・セン首相はこれを歓迎した。9月15日に,インラック新首相はプノンペンを訪問し,フン・セン首相およびシハモニ国王らと会談し,その2日後,9月17~20日にタクシンがプノンペンおよびシアムリアプを訪問した。タクシンは経済・財務省で講演,フン・セン首相と会談し,タイから訪れた支持者らとの会合をもった。この訪問は,2009年末以来の出来事であった。

政権交代後,急激に両国の外交関係は改善した。今後は4つの課題について,両国の関係改善が進められていくことが期待されている。ひとつ目は,陸上国境交渉である。7月18日,プレア・ヴィヒア寺院周辺の領有権をめぐる1962年判決の解釈を求めたカンボジアによる提訴(4月29日)を受けた国際司法裁判所(ICJ)は,タイ,カンボジア両国ともプレア・ヴィヒア寺院周辺の非武装地帯から撤退しASEAN監視団を受け入れる旨の仮保全措置を命ずる判決を出した。また,9月23日,ユタサック・タイ国防大臣がプノンペンを訪問,ティア・バニュ国防大臣およびフン・セン首相と会談し,国境交渉再開に向けた動きが本格化した。12月20~21日,総合国境委員会(GBC)がプノンペンで開催され,非武装地帯からの撤退に合意した。ただし,具体的なスケジュールの決定には至らず,インドネシア国軍の監視団受入れについては,タイ国内での反発が大きく,実現可能性は不透明である。2つ目は,海上国境交渉である。タイ湾沖の重複主張地域には油田の存在が確認されており,今後の開発に向けた話し合いが待たれている。3つ目は,2011年12月末以来刑務所にいるウェーラおよびその秘書の処遇についてである。2人は有罪判決に対して控訴をしてきたため,恩赦の検討対象からはずされてきた。12月に控訴を取り下げたが,まだ処遇への結論は出ていない。4つ目は,関係悪化以来事実上の凍結状態にあったタイによるカンボジアへの二国間の経済協力プロジェクトの再開である。鉄道プロジェクトなどの再開につき,12月以降話し合いが始まっている。

中国との関係

中国とは,引き続き良好かつ政治的・経済的に深い関係を保っている。2011年は,8月に周永康中国共産党中央政治局常務委員が来訪し,中国製ヘリコプターZ-9の購入1億9500万ドルを含む26の投資・援助プロジェクトの覚書を締結した。また,10月末にフン・セン首相が,第8回中国・ASEAN展示会が開催された南寧を訪問した際は,温家宝中国首相との会談の場で,道路インフラや灌漑システムへの支援を含む5億ドルの借款の約束が行われた。このほかに,カンボジアが洪水被害を受けた際は,10月半ばにいち早く788万ドルの支援を実施している。

経済関係としては,中国は引き続き第1位の投資国であり,縫製業やインフラ分野など,幅広い分野への投資が行われてきた。12月7日,中国のシノハイドロ社が建設してきたコンポート州のコムチャイ・ダムが完成した。193.2MWは,カンボジアのこれまでの電力供給量の40%に相当する能力であり,2012年3月から発電が開始される予定である。2011年には,そのような中国企業をさらにバックアップすべく,中国銀行が5月に,中国商工銀行が11月末にプノンペン支店をオープンした。貿易についても,10月の首脳会談の際に,2012年は貿易額を25億ドルへと増加させることが合意され,キャッサバや精米などの農産物の中国向け輸出の増加が見込まれている。

中国との政治・経済関係が深まるなか,カンボジア政府が深いつながりをもつベトナムと利害が対立する南シナ海での領有権問題に関して,今後,中国とベトナムの間に挟まれるカンボジアの発言が注目される。

NGO法案,土地問題への対処をめぐるドナーとの意見対立

カンボジア政府は,1990年代からNGO法制定に向けて準備を進めてきたが,2010年末から制定に向けた議論が本格的に開始された。同法案は,2010年12月~2011年12月までに第1~第4次草案が公開されてきたが,NGOへの規制を強める性格をもったものであることから,ドナー各国を巻き込んで議論が巻き起こっている。政府は,NGOなどの団体による犯罪・テロを防止するとともに, NGO活動をより促進するためにこの法律を定めると主張する。しかし,NGO側は,この法律が必要以上にNGOらの発言や活動の自由を抑圧するのではないかと懸念している。たとえば,法案17条で,国際NGOが「平和,安定,公共の秩序を脅かし,あるいは国家安全保障,国家統一,カンボジア社会の文化・慣習・伝統に危害を及ぼす」と判断された場合,外務・国際協力省は当該NGOの活動を認める覚書(3年おきに更新)を終了できるとしている。カンボジアでは,8月に,鉄道プロジェクト予定地の立ち退きに批判的な報告書を発表したNGOが,5カ月の活動停止処分を受けたこともあり,政府に批判的な立場をとる団体について,同様のことが頻発するのではないかという懸念が広がっている。ほかにも同法案に含まれる恣意的な運用が可能な曖昧かつ不明確な条項に対して,多くのNGOは改善を求めている。

土地問題への対処については,ボン・コック周辺地域開発プロジェクトをめぐる政府・企業と国際社会との対立が指摘される。2007年に開発計画が明らかになって以来,プノンペン北部のボン・コック周辺住民とプノンペン都政府および開発企業シュカク社(中国資本およびカンボジア資本の合弁企業)の対立は,多くのNGOや国際機関を巻き込んできた。とくに全国で土地登記を支援するプロジェクトを行ってきた世界銀行は,この開発に伴ってボン・コック周辺地域に住んでいる人びとの人権が侵害されているとして,2008年に土地管理プロジェクトから撤退した。その後も事態が改善されぬまま,湖の埋め立てとその後の都市開発に向けた準備が進んでいくのを目の前に,8月9日,世界銀行は新規融資の凍結を発表した。8月11日,これを受けて政府は756世帯に対して12.44ヘクタールの移転用地を準備すると決定した。従来の不作為状態からは一歩前進したかにみえたが,影響を受けた世帯は4000近くあり,その後も補償の対象からはずされた人々や納得できない人々と企業側との対立は収まっていない。

都市部以外にも,農村地域でのプランテーション開発に伴う対立も,多発している。プレアヴィヒア,コンポントム,クロチェ,ストゥントラエン州にまたがる20万ヘクタールの原生林であるプレイ・プライ(プライ森)の6000ヘクタールに対して,ゴム・プランテーションの開発が認められた件について,先住民を含む多くの住民およびNGOから反発の声があがった。モンドルキリー州カエウ・サイマー郡でプランテーション開発を進めていたTTY社(カンボジア資本)の住民立退き問題でも,住民との対立の解消に時間がかかっている。ボン・コック開発のように,援助機関が圧力をかけることはひとつの手段なのかもしれないが,このような干渉による解決が続くことは,決して好ましいことではない。さらに,近年は中国のように「条件が課されない援助」を多く受けるカンボジアにとって,今後世界銀行などによる援助資金凍結のようなやり方が,政府の意思決定になんら影響しなくなってくる可能性もある。開発プロジェクトをめぐる政府の決定においては,目先の開発ではなく長期的に自国にとって何が重要なのか,責任ある決定が求められる。

2012年の課題

2012年,カンボジアはASEAN議長国を務め,東アジアサミット(EAS)などを含む,大きな国際会議を数多く主催する。域内の責任ある国家としての能力が試されることとなる。政治面では,上院議員選挙(1月)およびコミューン評議会選挙(6月)が行われる。サム・ランシー党首の帰国問題をはじめ,野党がこれらの選挙や2013年総選挙に向けてどのような準備ができるのかが注目すべき点となる。汚職対策は,引き続き強化されていくものと考えられるが,取り締まりが権力闘争の道具となることなく,ガバナンスの改善がさらに進むことが望まれる。ECCCでは,2月に第1事案のカン・ケック・イウ被告に対して終身刑の判決が言い渡された。第2事案については,2011年末から始まった審理が2012年も続けられていく。一方,第3,第4事案の捜査をめぐる国内の論理と国際社会との意見の相違がどのように解決されていくのか,その推移が見守られる。経済的には,2012年初めに証券取引所の取り引きが,12月に石油の採掘が開始されるなどの動きが予定されている。近年カンボジアに引き付けられはじめた投資家を,今後も引き続き引き留めることができるのかを見きわめるうえで,重要な1年となるだろう。対外的には,中国の影響が強まるなか,旧来の欧米ドナー諸国・国際機関との関係,タイ・ベトナムといった隣国との関係をどのようにバランスをとっていくのかが課題となるであろう。

(地域研究センター)

重要日誌 カンボジア 2011年
  1月
3日 首相長男フン・マナエト国防省反テロ対策課長兼首相警備隊副司令官,陸軍少将に昇進。
11日 ムック・ダラー薬物対策国家機構(NACD)事務局長,汚職の疑いで逮捕。
17日 インドネシア・ロンボクにてASEAN外相会談。カシット・タイ外相とハオ・ナムホン外相,国境問題について会談。
21日 国境侵入して2010年12月に逮捕されたタイ人グループ7人のうち,パニット・タイ国会議員を含む5人に執行猶予判決。5人は保釈され帰国。反タクシン派活動家ウェーラら2人は2月1日に実刑判決で収監。
24日 プレーク・ターメアク友好橋開通(中国が4350万ドル支援)。
25日 サム・ランシー党,2013年総選挙候補者について,2008年候補者からの変更決定を発表。
  2月
2日 フンシンペック党ポーン・チャンター前国民議会議員,ニュック・ブンチャイ幹事長の党本部移転・売却を非難。
4日 カシット・タイ外相来訪。国境侵入事件で収監中のウェーラらと面会。
4日 プレア・ヴィヒア寺院付近でタイ軍とカンボジア軍の銃撃戦(~7日)。
12日 ネアックルアン橋梁起工式開催(日本の無償資金協力119.4億円)。
13日 政府,コッコン州の2万400㌶のチタン開発コンセッションを承認。
14日 国連安保理,カンボジアおよびタイ両国の外相から国境での衝突について聴取。ASEANによる解決を求める。
15日 ベトナム山岳少数民族のための難民センター(2005年設立),閉鎖。
21日 シアムリアプにて,ゴム・サミット開催。
22日 ジャカルタにて緊急ASEAN外相会談。タイ・カンボジアの国境問題について,インドネシアの監視団派遣に合意。
23日 ミャンマー航空,ヤンゴン=シアムリアプ便就航。
28日 ポーン・チャンター元フンシンペック党国民議会議員らが,ノロドム・ラナリット党に移籍。
  3月
1日 最高裁,サム・ランシー有罪のベトナム国境杭引き抜き事件控訴審判決を支持。
1日 カンボジア人女性と50歳以上の外国人男性との結婚について,収入制限(月収2500ドル以上)を決定。
9日 ベトナム国防相ら来訪(~11日)。
13日 サム・ランシー党マウ・モニーヴァン国民議会議員辞職。3月23日に党を除名。
15日 サム・ランシー,国民議会議員の地位を喪失。
24日 NGO法第2次草案公表。
26日 北朝鮮軍事代表団来訪。
28日 カンボジア特別法廷(ECCC),第1事案について,上級審の審理開催。
29日 ホセ・ラモス・ホルタ・ティモール・レステ大統領来訪。
29日 ソフィテル・ポケトラ・ホテル,開業。
31日 エールフランス,37年ぶりにプノンペン空港に定期便就航。
31日 大手縫製企業ジューン・テキスタイルの工場が火災で焼失。
  4月
1日 フン・セン首相,反汚職ユニット(ACU)に資産申告。
3日 フンシンペック党大会,開催。
7日 インドネシア・ボゴールにて,タイと国境交渉(~8日)。
7日 政府高官らのACUへの資産申告,締め切り。2万4854人が申告。
8日 コッコン州チタン鉱山開発計画への許可,環境への悪影響を理由に取り消し。
17日 ロイヤル・グループ,カンボジア初の人工衛星プロジェクトの許可を得たことを発表。
20日 第18回政府・援助機関調整委員会(GDCC)開催。
23日 ウッドーミアンチェイ州タイ国境にて銃撃戦(~5月初旬)。
25日 プノンペンにて,第2回カンボジア・ベトナム投資促進会議開催。ズン・ベトナム首相来訪。合計9億ドルの投資プロジェクトに署名。
29日 政府,国際司法裁判所(ICJ)にタイとの国境問題に関して,1962年判決の解釈を求める訴えを提起。
29日 ECCC共同捜査判事,第3事案について捜査終了の見込みであることを発表。
  5月
7日 中国銀行プノンペン支店開業。
8日 ジャカルタで開催されたASEANサミットにて,フン・セン首相とアピシット・タイ首相が会談。9日には,ハオ・ナムホン外相とカシット・タイ外相が会談。
11日 国家選挙委員会,2012年コミューン評議会選挙を4月から6月への延期を発表。
11日 ECCCのリアチ・ソンバット広報官,病死(47歳)。
12日 ACU初の逮捕案件であるトップ・チャンセレイヴット元ポーサット州検察官の汚職につき,プノンペン裁判所は禁固19年の有罪判決。
18日 カンボジア王国軍,モンゴル,インドネシアとともに多国間軍事演習をコンポンスプー州にて実施(~30日)。アメリカの支援による。
25日 プサー・トマイ(セントラル・マーケット)の改装工事終了。
  6月
9日 プノンペン,プレアシハヌークなどで,国際犯罪にかかわった疑いのある中国人187人が逮捕。
21日 ティア・バニュ国防相,中国訪問。習近平副主席と会談。
27日 カンボジア初の中東向けコメ輸出が出荷(UAE向け,300トン。来年は5000トンを予定)。
28日 ボンティアイミアンチェイ州国境付近でタイと銃撃戦。住民は避難。
  7月
2日 フランソワ・フィヨン・フランス首相来訪。
6日 タークマウ橋起工式(中国支援)。
11日 証券取引所,オープン。
18日 ICJ,プレア・ヴィヒア寺院周辺の非武装地帯からカンボジアおよびタイ両軍の撤退を命じる仮保全措置を発令。
20日 人民党第5期中央委員会第36回総会開催。フン・センを党の首相候補として承認。
29日 NGO法第3次草案公開。
  8月
9日 世界銀行,ボン・コック周辺地域開発問題への政府の対処方法に問題があるとして,新規融資凍結を発表。
11日 フン・セン首相,ボン・コック周辺地域住民756世帯に対し,12.44ヘクタールの土地を移転先として準備する政令に署名。
13日 チア・シム上院議長親衛隊のチュアン・チャントーン隊長が,違法武器所持,公文書偽造の疑いで逮捕。
22日 周永康中国共産党中央政治局常務委員来訪。中国製ヘリコプター購入を含む,26件の投資・援助プロジェクト覚書への署名。
  9月
11日 サム・ランシー党第5回大会開催。
15日 インラック・タイ首相来訪。フン・セン首相と会談。
17日 タクシン・元タイ首相来訪。フン・セン首相と会談,支持者との会合などを実施(~20日)。
21日 ソムサック・タイ国会議長来訪。
23日 ユタサック・タイ国防相来訪。
23日 チア・シム上院議長官房のペーン・クンティアボレイ儀典長を含む側近4人,外国企業への詐欺の疑いで逮捕(~25日)。
24日 カンボジア・タイ両国政治家などによるサッカー友好試合,プノンペンのオリンピックスタジアムで開催。
  10月
7日 サム・ランシー党,ト・ヴァンチャン国民議会議員とヴァン・シヴアン上院議員を除名。
9日 ECCC,ジークフリート・ブランク国際捜査判事辞任。
13日 洪水の影響のため,水祭りの祭典中止を決定。
16日 マレーシアへの家事労働者派遣停止。
20日 フン・セン首相ら,第8回中国・ASEAN展示会(中国・南寧)に出席。温家宝首相と会談。22日に5億ドルの借款に合意。
30日 ノロドム・シハヌーク前国王の90歳(数え年)およびパリ和平協定20周年を祝う式典開催。
  11月
2日 第2チュローイチョンヴァー橋起工式(中国支援)。
4日 国民議会,硫酸による傷害罪に関する法律を可決。
7日 国民議会,刑務所法を可決。
8日 小売業大手イオン,プノンペンにショッピングモール出店を発表。2014年完成予定。
17日 ECCC,イエン・チリト被告について,認知症が著しく法廷に耐えられないと判断。
21日 ECCC,第2事案の第1審の審理を開始。
21日 サム・ランシー党国民議会議員3人(カエ・ソヴァンナロアト,ヌット・ロムドゥオル,タック・ラニー)が,議員辞職。
23日 繊維・縫製・製靴業労働者の賃金について,2012年1月から5ドルの健康手当の支給を決定。
24日 国民議会,2012年予算法を可決。
28日 対人地雷禁止条約(オタワ条約)第11回締約国会議をプノンペンにて開催(~12月2日)。158カ国が参加。
30日 中国工商銀行プノンペン支店,開業。
  12月
2日 カンボジア石油化学会社,中国自控(CACS)社などと合同で製油所建設へ。2014年完成予定。
7日 コンポート州,コムチャイ・ダム完成(193.2MW)。
9日 政府,工場労働者に限ってカタールに労働者を派遣することを決定。
10日 ボン・コック周辺地域住民254世帯に対して,初の土地所有権証書授与。
12日 NGO法第4次草案公開。
14日 ラッタナキリー州およびモンドルキリー州の3先住民村に対して,集団的土地所有権の証書授与。
15日 コッコン州国境にて,カンボジア王国軍がタイの軍用ヘリコプターを誤射。
17日 ミネベア社,プノンペン経済特区内の工場の開所式典開催。
20日 タイとの総合国境委員会(GBC),プノンペンにて開催(~21日)。
20日 サム・ランシー党チャン・チェーン国民議会議員,不逮捕特権剥奪。
21日 2007年制定の新民法典,施行開始。
27日 チア・シム上院議長側近汚職事件について,プノンペン裁判所は禁固3~4年の有罪判決。
28日 タイ人国境侵入事件のウェーラら,控訴を取り下げ。
29日 ハオ・ナムホン外相,プノンペンにてスラポン・タイ外相と会談。

参考資料 カンボジア 2011年
①  国家機構図(2011年12月末現在)
②  大臣会議名簿(2008年9月25日承認,2009年3月12日追加承認)

(②③④の注) Fはフンシンペック党所属(それ以外は人民党所属),*は女性,**は2009年3月12日承認。

③  立法府
④  司法府

主要統計 カンボジア 2011年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  中央政府財政
7  中央政府財政支出
 
© 2012 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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