2012 年 2012 巻 p. 293-320
2011年は,ベニグノ・アキノⅢ大統領にとってアロヨ前政権下における負の遺産の清算に注力する年となった。フィリピンでは,2007年にもグロリア・マカパガル・アロヨ前大統領の前任のジョセフ・エストラダ元大統領が汚職疑惑により退陣に追い込まれた後,裁判にかけられ有罪判決を受けるという出来事があった。最終的にエストラダ元大統領は恩赦を付与されて自由の身となったが,同様のシナリオが現政権下においても,アロヨ前大統領の身にも降りかかろうとしている。任期終了後も下院議員として政界に残り,影響力を保持しようと試みたアロヨ前大統領に対して,アキノ大統領は不正疑惑に関する調査委員会を設置し,2004年統一選挙および2007年中間選挙の疑惑の解明を進めた。その結果,12月にベンハミン・アバロス元選挙管理委員長とアロヨ前大統領に対して選挙妨害工作の容疑で逮捕状が出され,両氏の身柄は拘束された。こうした反アロヨの波は,アロヨ前大統領が任期終了直前に任命したレナト・コロナ最高裁長官に対する弾劾発議に発展し,現在,アロヨ寄りといわれるコロナ長官を罷免しようとする試みが進められている。
経済面では,実質GDP成長率が3.7%と失速し,2010年全国統一選挙効果によって34年ぶりに最高値を記録した前年の7.3%の約半減となった。背景には,アキノ大統領の汚職撲滅政策により予算の支出に関するチェックが厳しくなったため,公共事業部門に公的予算が行き渡らなかったという事情がある。
対外関係では,大統領が7カ国を外遊し,近隣諸国の首脳と積極的に会談を重ね,連携強化に努める姿勢が明確となった。南沙諸島(スプラトリー諸島)については,領有権を主張するフィリピンが中国に対して抗議を行う場面がみられたが,来訪した中国の国防部長とアキノ大統領の会談が実現したことに加えて,フィリピンからも外務長官を中国に派遣するなど,双方の間で話し合いによる調整を重視する方針が共有された。
発足後2年目を迎えたアキノ政権の就任後1年間のパフォーマンスを振り返ると,おおむね合格点だったといえる。国民からの高い支持率に支えられたアキノ政権は,汚職撲滅と貧困削減を政権の優先課題として掲げ,主要政策の立案・実行を推し進めた。
2度目となる施政方針演説で強調されたのは,公務員のお手盛り報酬規定の見直し,徴税能力の向上,海外投資の呼び込みによる経済の活性化,予算のゼロベース設定,支出がすでに決定していた政府事業の徹底的な見直し,雇用増加の推進などであった。とくに財政の健全化で成果を上げたことはアキノ政権への高い評価につながった。これにより,株価や通貨ペソも上昇基調をたどり,大手格付け機関による格上げが相次いだ。
アキノ大統領は,今後のさらなる財政再建のために,個人納税者の所得情報提出の義務付けや密輸取り締まりを強化することで徴税能力の向上を目指すと明言し,今後は新たに弁護士や医師などの専門職に焦点を当てた個人納税システムを導入すると公表した。また,4月の失業率が前年同期の8%から7.2%に改善された点についても触れ,政治の安定化をより確かなものとするためには最貧困層に経済成長を実感してもらう必要があるとして,貧困層の定義を見直す法案を議会に提出したうえで,最貧困層に重点を置いた人材育成のための予算を確保し,彼らの就職支援および雇用機会の増加に資する政策を別途立案すると公約した。
政権2年目の優先審議法案アキノ大統領は,年初に大統領をはじめ全閣僚が出席する閣議を開催し,各閣僚やフィリピン外国人商工会議所などより推薦された180余りの法案のなかから,立法行政開発諮問委員会(LEDAC)に提出する優先審議法案を絞り込む作業を進めた。LEDACとは,フィデル・ラモス政権下の1992年に共和国法第7640号に基づき設立された大統領に対する諮問的機関で,国家経済開発庁の管轄下で社会経済開発目標の審議および決定を行い,提言する役割を担っている。LEDACの構成員は大統領,副大統領,上院議長,下院議長,大統領が指名する閣僚7人,上院議長が指名する上院議員3人,下院議長が指名する下院議員3人,地方自治体代表1人,青年代表1人,民間部門代表1人の合計20人から成る。2年目を迎えるアキノ政権の主要方針となる優先審議法案選定に当たって重視された分野は,①貧困撲滅,国民の健康,教育,能力の向上推進,②生産性向上,雇用創出,食料確保,③官民連携(PPP)事業の推進と競争力を高める政策環境づくり,④南沙諸島の領有権の主張を含む国防強化と法の遵守の徹底,⑤官僚の能力強化の5つであった。
人間開発分野においては,多数の候補案のなかから基礎教育の年限を現行の10年から12年に移行させる基礎教育年限延長法案や,スラム解消に向けた公共住宅施設の拡充を目指す住宅都市開発省新設法案などが提案された。同分野については,カトリック教会からの強い反対を受けつつも,アキノ大統領が上院議員時代から支持してきた人口抑制(リプロダクティブ・ヘルス)法案が含まれるか否かという点に注目が集まったが,最終的には同法案の優先審議指定は見送られた。経済・インフラ整備分野では,官民連携(PPP)による民間資金を活用したBOT(建設-運営-移譲)方式によるインフラ整備推進法案を主軸に据えることが決定され,同法案を補完する形で海外からの投資を促進する投資インセンティブ合理化法案が採用された。安全保障・法治分野では,近年,中国との対立が表面化している南沙諸島の領有権をめぐる問題を考慮し,領海内における海上交通路規定法案,外国船舶の権利と義務の規定法案,経済水域の規定法案などが提案された。良い統治(グッド・ガバナンス)の分野では,公務員による権限濫用抑止の必要性に基づき,政府系機関の理事らへのお手盛り報酬を見直す財政規律推進法案や,政府調達改革法の修正法案が採用された(表1)。
(出所) Philippine Daily Inquirer紙,Business World紙より筆者作成。
LEDACで審議された優先法案のなかには,2011年に現在の知事代行が任期終了を迎えるムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)政府の知事選挙の延期法案が含まれていた。本法案は,2011年8月に予定されていたARMM知事選を,中間選挙が実施される2013年5月に延期するもので,それまでは暫定知事は大統領が直接任命すると定めるものであった。
ARMM知事選挙の延期2008年のARMM知事選挙では,アロヨ前大統領との結びつきが強かったとされるサルディ・アンパトゥアン知事(当時)が圧勝し,再選を果たした。しかし,2009年11月にマギンダナオ州で起きた大量虐殺事件への関与疑惑でアンパトゥアン知事が逮捕されて以来,ARMM自治政府に対する住民の不信の念は深まる一方となり,ミンダナオにおける反政府勢力との和平交渉の進展にまで支障を来すまでになった。本件は,アンパトゥアン陣営の対立候補者が州知事選に立候補するのに際し,衝突回避のために家族が代理で届け出に向かい,それにメディア関係者や民間人が同伴していたところ,一行が殺害された事件で,死者は50人以上にのぼったうえに,現場には死体を遺棄するための建設重機が用意されるなど計画的な手口によるものであった。
アンパトゥアン一族とアロヨ前大統領は緊密な関係にあったとされており,アロヨ前大統領は2004年全国統一選挙の際にアンパトゥアン一族に票の取りまとめを依頼する一方,見返りに膨大な政府予算を投下したとの報道がある。アキノ政権は,ARMMにおけるアロヨ派の有力者による得票の独占状態を回避することを目的に,選挙費用の効率化と選挙自体の公正性の維持を見込んで,ARMM知事選と2013年中間選挙の同時実施を図った。背景には,ARMM自治政府の腐敗体質の改革に着手して住民の行政に対する信頼の回復を試みると同時に,現政権の正統性を確保するうえでも,アロヨ前政権の負の遺産を清算したいとする考えがあったと思われる。
6月末,アキノ大統領は議会を通過したARMM知事選挙延期法(共和国法第10153号)に署名し,12月下旬にバシラン島出身で元下院議員という経歴を持つムジブ・ハタマン氏を暫定知事に任命した。ARMM自治政府本庁舎内で開かれた政権交代式(Formal Turn-Over Ceremony)には,ジェシー・ロブレド内務自治長官やテレシタ・デレス和平交渉担当長官らが出席した。ハタマン氏は,就任演説でARMM自治政府の改革を最優先課題として掲げ,2013年5月の中間選挙までの17カ月間,暫定知事として治安の安定,行政の効率化,社会経済開発の推進に取り組む方針を示した。
なお,ARMMは,コラソン・アキノ政権下の1989年に制定されたミンダナオ自治区基本法(共和国法第6734号)に基づき,ラナオ・デル・スル州,マギンダナオ州,バシラン州,スルー州,タウイタウイ州の5州から構成される自治地域で,本庁所在地はマギンダナオ州コタバト市となる。
アロヨ前大統領の逮捕アロヨ前大統領に対しては,これまでにも2004年大統領選挙の不正疑惑や国家ブロードバンドネットワーク(NBN)事業契約に関する汚職疑惑などが浮上していた。とくに,2007年上院選挙の際は,与党議員を当選させるため対立候補の得票を少なくするようマギンダナオ州の知事らに対して選挙不正の取りまとめを指示したとの疑惑が根強かった。選挙委員会の調査によると,同選挙では集計用紙の書き換えや野党支持者の投票所からの締め出しなど,組織的な妨害行為が多発したと報告されており,実際に,マギンダナオ州では当時上院議員だったアキノ現大統領を含めて,野党系上院議員4人の得票数が0となる異例の事態が生じた。
12月,こうした不正疑惑に関する告発を受けて,マニラ首都圏パサイ地域裁判所はアロヨ前大統領(現下院議員)に対して同選挙妨害容疑で逮捕状を発行した。地域裁判所からの逮捕状発行が可能だった理由は,法律上,下級裁判所にも逮捕状の発行権限が付与されていることに加えて,アロヨ前大統領によって任命された判事が多数を占める最高裁に逮捕状の発行を請求するよりも,下級審の方がより迅速かつ簡便に発行手続きを進めることができるといった事情があった。当時,アロヨ前大統領は頸椎疾患を抱えており,海外で治療を受けるために出国を希望していた。行き先はフィリピンと犯罪人引き渡し条約を締結していない中米のドミニカ共和国と目され,逮捕日の夕方にはマニラ発シンガポール行きの航空便で出国する予定であった。しかし,司法省が事前にアロヨ前大統領夫妻を出入国管理局の監視対象リストに含める省令第422号を公布していたため,アロヨ前大統領は空港まではたどり着いたが,出国することはできなかった。病院に戻ったアロヨ前大統領は,身柄確保のため退役軍人病院に移送され,その後,逮捕された。
アロヨ前大統領の逮捕に関して,民間世論調査機関ソーシャル・ウェザー・ステーション(SWS)が12月初旬に実施した調査によると,アキノ政権のアロヨ前大統領に対する一連の扱いについては回答者の69%が適切であると答えた。一方で,辛辣であるとの回答は17%,寛大であるとの回答は13%であった。アロヨ前大統領の逮捕が適切であると答えた回答者は,ミンダナオ地方で79%,マニラ首都圏で78%と高く,アロヨ前大統領の地盤であるパンパンガ州を含むルソン地方(首都圏を除く)では,66%が適切,17%が辛辣,16%が寛大であると答えている。また,前々回の大統領選以来,盤石な票田としてアロヨ前大統領を支え続けてきたビサヤ地方では,適切であると答えたのは59%と低く,辛辣であると答えたのは24%と一番高かった。社会階層別では大きな相違はみられなかったが,学歴別では高学歴になるにつれてアロヨ前大統領の逮捕は適切であるとの回答が増加する傾向がみられた。同調査では,アロヨ前大統領への信頼度調査も同時に実施され,アロヨ前大統領を信頼していないと答えた回答者は73%,逆に信頼していると答えた回答者は11%という結果となった。
アロヨ氏の逮捕は適切と解する層が多数を占める世論を背景に,アロヨ前大統領は今後長期にわたる裁判闘争に入らざるをえなくなったが,裁判が最高裁判所まで持ち込まれた場合は,アロヨ前大統領は無罪になる可能性は高いとの見方は根強い。背景には,アロヨ政権下で首席補佐官などを務めた腹心で,現在,最高裁長官を務めるレナト・コロナ氏の存在があり,一部の与党議員の間では,「コロナ長官はアロヨ前大統領が仕掛けた地雷」と言われている。
アロヨ派の司法府とアキノ政権の対立コロナ最高裁長官はアロヨ前大統領が任期終了直前に任命した,いわゆるアロヨ前大統領の懐刀とも言える人物である。2010年5月,アロヨ前大統領の後任を決める大統領選挙の実施を目前にレイナト・プノ前最高裁長官が定年を迎えて退官した。大統領としての任期を終えた後に,自身がエストラダ元大統領に対して行ったような汚職疑惑追及に晒されることを恐れたアロヨ前大統領は,これまでの大統領経験者の去就としては前代未聞であった下院選への出馬という選択をし,地盤であるパンパンガ州選出の議員として政界にとどまることを選んだ。加えて,汚職追及の要となる最終的な司法判断を決定する最高裁長官に,自分に近しいコロナ氏を任命することで,その後の関連裁判で有利な判決を得やすい状況を整えることに成功した。コロナ長官が定年の70歳まで長官職に就いた場合はアキノ大統領の在任期間を超えることになり,アキノ政権下におけるアロヨ前大統領の汚職疑惑の追及が滞りうることは一目瞭然であった。
任期終了直前の最高裁長官の任命は,大統領の権限濫用による駆け込み任命に当たるとしてメディアや世論から批判が集中した。本件については合憲性を問う訴訟が最高裁に提訴されたが,憲法上,大統領による任期終了間際の任命を法的に禁止する規定が存在しないため,アロヨ前大統領の駆け込み任命は覆らなかった。9年半という長期にわたったアロヨ政権末期には,最高裁判所における判事は全員アロヨ前大統領によって任命された者で占められるという事態となった。このため,当時の最高裁判所はアロヨ・コートと呼ばれ,世論やメディアの批判の対象となった。
最高裁の人事が,アロヨ前大統領の汚職疑惑解明の足かせとなる理由のひとつに,憲法が裁判所に付与している違憲立法審査制度の存在がある。フィリピンでは,憲法上,行政府や立法府の行為の違法性に関する訴訟を裁判所に提訴する枠組みが保障されていることから,アロヨ寄りの判事が多数派を占める法廷ではアロヨ前大統領に有利な判決が出される可能性が少なくない。実際に最高裁は,アキノ政権発足後の最初の行政命令によって設立された真実究明委員会(委員長:ヒラリオ・ダビデ元最高裁長官)の創設を違憲と判断しており,大統領就任式以来,表面化しつつあったアキノ大統領とコロナ最高裁長官の間の不協和音に拍車をかけた。本令では,汚職事件を専門に扱う行政監察院など他の機関との兼ね合いから,真実委員会の機能は①証拠の収集・評価および証人の確保,②大統領,議会,行政監察院への証拠および調査報告書の提出,③関連政府機関への証拠および調査報告書の提出,訴追勧告などに限定されていた。しかし,コロナ長官を含む15人中10人の最高裁判事は「行政命令第1号は政府機関の新設を立法府固有の権限と定めた憲法に抵触し,行政監察院などの権限を一部侵害する。また,調査対象を前政権関係者に限定する本委員会は,法による平等な保護を定めた憲法条項に抵触する」として,違憲判断を示した。同様に,最高裁は,前述したアロヨ前大統領の国外出国に制限をかけた司法省令第422号に対しても仮差し止め令を出し,アキノ政権との軋轢は先鋭化していった。
最高裁長官に対する弾劾発議アロヨ前大統領の最高裁における影響力を排除するために議会を通じてアキノ大統領がとった行動は,コロナ最高裁長官に対する弾劾発議であった。最高裁長官は就任の際には大統領からの任命を必要とするが,大統領には罷免権がないため,最高裁長官を辞めさせるには議会による弾劾裁判が必要となる。
最高裁長官に対する弾劾発議は,憲法規定に基づき,まず下院議員によって申立書が下院議長に提出され,関連委員会における聴聞会が開催される。委員会は全委員の過半数の票をもって弾劾発議の賛否を採決し,その結果を報告書にまとめて下院議長に提出する。委員会からの決議書を受領した下院議長は,審議を進め,全下院議員の3分の1以上の得票をもって弾劾発議の賛否を決する。弾劾発議が採択された場合,下院は速やかに上院に弾劾発議書を送付し,これを受理した上院において弾劾裁判所が設置される。この場合は,上院議長が裁判長を,全上院議員が陪審員役を,一部の下院議員が検察官の役割を務める。
コロナ長官に対する弾劾事項は,個人資産の虚偽申告を中心とするものであった。具体的には,最高裁判事に就任した2002年時点では1400万ペソだった個人資産が,現在2200万ペソに増加した件,1600万ペソで購入したケソン市内の不動産を300万ペソと過少申告した件などが虚偽申告に該当するとして弾劾理由とされた。フィリピンでは公職に就く者は毎年資産状況をまとめた報告書を提出する義務があり,過去の記録によると,コロナ長官の場合,過去9年間の不動産売買額は少なくとも5600万ペソを超えていた。しかし,憲法上,別途法律で定めないかぎりは,大統領の年俸は30万ペソ,最高裁長官の年俸は24万ペソと規定されており,コロナ長官がどのように巨額の資産を形成してきたのかという点に疑問が集中した。民間銀行の情報開示によってコロナ長官のペソ建ての銀行口座に総額3200万ペソの預金があることが判明したが,この額もコロナ長官の申告額である350万ペソとは乖離していたため,虚偽表示の疑いが持たれた。また,コロナ長官の妻が,首都圏にある土地を娘に1800万ペソで売却したという記録に関して,娘の年間所得が約8500ペソと最貧困層レベルであったことから,本来なら税率の高い贈与になるところを,売買に見せかけて脱税を図ったのではないかとの疑惑も浮上した。
今後のコロナ長官の弾劾裁判の見通しについては,半年ぐらいで結論が出るとする見方と,2013年には上下両院議員の改選時期がやってくることに鑑み,長官側は審議の引き延ばしを図り,議員らが選挙運動に忙殺される隙を狙うために長期化を目論んでいるとする見方がある。裁判の今後については,いまだ不透明な点があるが,アロヨ前大統領の汚職疑惑追及に関する裁判とコロナ最高裁長官の弾劾裁判の行方によっては「汚職とアロヨ派の一掃」を掲げるアキノ政権が,今後大きな打撃を受ける可能性もある。
MILFとの和平交渉2003年,政府とモロ・イスラーム解放戦線(MILF)は停戦合意を締結し,2004年よりマレーシア,ブルネイ,リビアのムスリム国から構成されるミンダナオ国際監視団(IMT)による停戦監視活動が始まった。日本政府は2006年よりミンダナオ和平交渉に積極的に関与しはじめ,同年,IMTの社会経済開発を支援するために日本人要員の派遣を決定した。現在,コタバト市にあるIMT本部には3代目の日本人要員が常駐しており,マレーシア19人,インドネシア15人,ブルネイ14人,リビア3人,EU2人,ノルウェー2人,日本2人の総勢57人(このうち軍人42人,文民15人)が停戦監視活動に参加している。また,1月よりEUから人道支援・国際人権法コンポーネントの担当要員として新たに2人が派遣され,IMTは停戦監視,市民保護,人道支援,社会経済支援の4体制に分かれて,和平合意成立後のミンダナオにおける社会の安定に向けた活動を継続している。
アキノ政権は,発足当初からMILFとの和平交渉に意欲を示していた。この方針は,5月にコタバト市を訪問した政府側の和平交渉団のマルビック・レオネン団長がミンダナオ和平の進展のために活動を続けているムスリム,クリスチャン,少数民族などの主要グループやNGOなどの市民団体に対して「アキノ大統領は1年以内にMILFとの和平合意の締結を希望している」と直接伝えたことなどにも表れている。6月末には,政府とMILFの非公式会合がマレーシアのクアラルンプールで開催された。この時点においてMILF側はすでに自案となる包括和平合意案を提出していたが,相対する政府案は示されず,両者間で合意案の内容に関する実質的な議論は交わされぬままに終わった。
こうした状況のなか,8月上旬,成田空港近郊のホテルにてアキノ大統領とムラドMILF議長による極秘会談が行われた。本会談は双方の和平交渉団長のみが記録係として同席しただけの1対1のもので,率直な意見交換が交わされた。会談後の共同声明によると,両者はアキノ大統領の任期中に和平合意に達し,合意内容を実行に移すことを確認した。また,MILFがフィリピンからの分離,独立を求めていないことも確認された。本会談はフィリピン政府からの要請で実現したもので,非ムスリム国としては初めてIMTに要員を派遣し,深くミンダナオ和平にかかわってきた日本が会談の場に選ばれた。当初,フィリピン政府は会談の場として恒久平和の象徴である広島市を希望していたが,安全上の理由により成田市が選ばれた。MILF議長が大統領と直接会談するのは1997年に和平交渉が開始されて以来初めてで,政府は「歴史的な会談だ」と評価し,MILF側は今後の交渉の加速に期待を寄せている。
極秘会談の後に開かれた第22回正式和平準備会合では,ようやくMILF側の包括和平合意案に対する政府案が提出された。“Three for One Formula”と称された本案は,政治的解決,大規模経済開発,歴史認識の再確認を一体的に進めることを唱道したものであった。ここでいう政治的解決とは,MILFが以前より目指していたバンサモロ(フィリピンのムスリム)の民族自決を実現するための自治政府の設立と同時に,インフラ整備などの大規模経済開発を並行して進めることを意味する。ただし,ここでいう自治政府とは,政府案ではあくまでも現行の地方自治法の範囲内にとどまるものであり,憲法改正が必要となる連邦制への移行を図るものではない。しかし,MILFは和平合意に当たって,あくまで準国家(Sub-State)と呼ばれる立法や徴税などに関する権限を有した自治体への変更を条件としているため,将来的な憲法改正の可能性がまったく否定されているわけではない。
一方,政府側はMILFとの和平交渉と並行してARMM自治政府の抜本的な改革を進めつつ,ある程度現行の枠組みを残しながら合意後の新しい自治政府のあり方を描こうとしている。現時点では,政府とMILFはそれぞれの合意案に基づいて現行のARMM自治政府から暫定統治機構へ移行した後,最終的にMILFの主要幹部も登用した新しい自治政府の創設を目指しているが,詳細については今後さらなる協議が必要となる。
11月初旬,政府とMILFは再度クアラルンプールで非公式会合を開催した。そこでは今後,政府側とMILF側双方の提出案の共通点と相違点を明確にし,内容をすりあわせることによって合意締結に向けた実質的な議論を進展させることが確認された。続く12月初旬の第23回公式和平協議の後には,「引き続き予断を許さない状況ではあるが,合意の大枠を形成するための実質的な議論の下で和平交渉は確実に前進している」との共同声明が発表された。
共産主義的反政府勢力との和平交渉2月,ノルウェーの首都オスロで政府と共産党の統一戦線組織・民族民主戦線(NDF)との和平交渉が開かれた。交渉後に発表された共同声明によると,政府とNDFは社会・経済改革,政治改革と憲法改正,武装兵の撤収などの主要議題に関して今後1年半以内に合意する方針で一致したとされる。政府側を代表するアレクサンダー・パディリア交渉団長は,今後は政府とNDFの代表による作業部会を設置したうえで定期的に会合を開き,2012年8月頃を目処に双方の合意をまとめたいと意欲をみせた。
交渉はおおむね友好的な雰囲気のなかで進められたが,政府側は共産党の軍事部門にあたる新人民軍(NPA)が革命税と称して住民や企業から金を徴収し,応じない場合は施設等を襲撃するという強硬手段に訴える問題については,公権力に基づく取り締まり体制を維持するとの姿勢を崩さず,税金徴収関連については政府に権限があると主張し,NDF関係者が革命税と称して住民や企業から金品を脅し取った場合や,襲撃によって民間人や民間組織に損害を与えた場合は,国軍や警察による拘束の対象となると警告した。
実際に,革命税の徴収問題については,これまでにNDFが,ミンダナオ地方で操業する外資系鉱山業者7社に環境保護義務の徹底と革命税支払いを要請し,応じなければ操業停止に追い込むと一方的に持ちかけるという事件が起こるなど,国内経済の発展に支障を来すような場面がしばしばみられた。こうした動きに対してアキノ政権は強い懸念を表明し,必要ならば治安部隊の増強も辞さないとの姿勢を貫いている。この革命税の件に関しては,双方の意見が対立して議論は平行線をたどったが,NDF側が要求していた政治犯釈放については歩み寄りが成立し,最終的に政府から1人,NDFから元国軍兵士1人と現職警察官2人が釈放されることが決定された。
2011年の実質GDP成長率は3.7%であった。これは4.5~5.0%だった政府目標を下回るもので,2010年全国統一選挙の効果で34年ぶりに最高値を記録した前年の7.3%と比較すると約半分となった。GDP成長率を四半期別にみると,第1四半期に4.9%を記録したが,その後は各四半期で,3.4%,3.6%,3.7%とほぼ横ばいの状況であった。国家統計調査局によると,GDP成長率が急落した背景には,公共事業部門の落ち込みの影響があるとされる。近年のマニラ首都圏近辺を中心としたコンドミニアムの新築ラッシュに押され,民間建設部門は比較的好調であったため,建設部門は6.3%と高い値を示したものの,公共事業部門全体では前年比でマイナス29.4%と急落した。この下落について,カエタノ・パデランガ国家経済開発長官は「2011年は年初に中東および北米における危機の影響で石油価格が高騰したことに加えて,東日本大震災やバンコクの洪水災害などグローバルな需給プロセスに影響を与えた大惨事が起きたため,政府がコントロールしえない諸条件によってGDP成長率は低迷せざるをえなかった」と説明した。これに対して,国家統計調査局は第4四半期のGDP成長率が前年同期の6.1%の約4割減の3.7%にとどまった理由として,インフラ整備関連の政府予算の支出が滞ったことを指摘した。
フィリピン経済の成長を抑制しているのは輸出の減速,未熟なインフラ,インフレの3点であると言われている。フィリピンの輸出依存率は27%と比較的低いが,輸出産業の多くが電子機器であるため,昨今の電子産業の低迷によって輸出は大幅に減少している。とくに,第3四半期において輸出は前年同期比でマイナス13.1%と落ち込み,純輸出の成長への寄与度ではマイナス8.2%と2008年の世界金融危機時を超えるマイナス寄与となった。輸出の伸び悩みは,最終消費地である先進各国の需要停滞から,もうしばらく続くものと見られる。
他方,牽引車の役割を果たしたサービス部門の寄与度は5%と好調で,同部門はクリスマス・シーズンを迎えた第4四半期には5.9%という高い値を記録した。また,農業部門が国内経済における要であることに変わりはないが,農業部門の寄与度は第4四半期に発生した台風の影響で政府目標の3.0~3.5%を下回る2.34%にとどまった。これは,従来農業部門全体の生産高の約3割を占めていたコメとトウモロコシの不振によるところが大きい。
中央銀行は2009年7月から約2年間,翌日物借入金利(逆現先レート)と同貸出金利(現先レート)を据え置いてきたが,2011年5月に翌日物借入金利を4.0%から4.5%に,同貸出金利を6.0%から6.5%に引き上げた。しかし,その後のGDP成長率の低迷を受けて財務省は金利の引き下げを検討し始めた。一方,証券市場は活況を維持し,12月末のフィリピン証券市場指標(PSEI)の終値は,2010年の終値と比較すると4.05%の上昇となる4371.96を記録した。世界金融危機以降の株価の上昇ペースをほかのASEAN主要国と比較すると,フィリピンはインドネシア,タイに次ぐ高水準となる。
また,年平均43.31ペソ(対ドルレート)となった為替相場もペソ増価の傾向にあった。世界金融危機後の景気回復局面で,アキノ政権の発足で政治の安定度が増したフィリピンにも資本が流入するようになり,株価や為替を押し上げたものと見られる。さらに,ムーディーズが外貨建ておよびペソ建ての債務の格付けを「Ba3」から「Ba2」へ引き上げ,続いてフィッチが長期外貨建て発行体格付けを「BB」から「BB+」へ引き上げるなど,フィリピンの対外的な評価も向上した。いずれの格付け会社も格上げした理由として,アキノ政権下の財政再建とマクロ経済の安定の定着を挙げた。
官民協力の課題2010年に引き続き,アキノ政権では,政府と民間企業との協調(PPP)を重視し,民間の資金を活用した公共事業の推進を試みている。アキノ大統領は行政命令第8号を公布し,既存のBOTセンターを関連省庁,自治体,企業,国際機関などを取りまとめる要としてのPPPセンターへと改組し,本部をケソン市に,同サテライト事務所をマカティ市に設置した。これにより,PPP事業の承認,評価,進捗状況のモニタリング,実施機関への助言,技術支援,関連情報などを国際機関や外資系企業に提供する体制が整えられた。同センターおよびサテライト事務所は,国家経済開発庁の管轄の下で機能するものである。
PPP事業の主要案件には,ニノイ・アキノ高速道路の第2期工事,北・南ルソン高速道路の連結工事,ダアンハリと南ルソン間を結ぶ高速道路の連結工事,マニラ首都圏内を走る高架鉄道のLRT1号線南部延伸工事などがある。このほかにも,LRT1号線およびMRT3号線の民営化事業の実施が予定されており,この2つの事業はLRT1号線南部延伸工事の請負企業が統合事業として引き継ぐことになっている(表2)。
(出所) Philippine Daily Inquirer紙,Business World紙より筆者作成。
将来的にはボホール州にタグビララン空港に代わるボホール新空港の建設工事,パラワン州プエルト・プリンセサ空港の滑走路の延伸および旅客ターミナルなどの改修工事,アルバイ州内における新レガスピ空港建設工事,ミサミス・オリエンタル州ラギンディガン空港の運営・管理の民間委託事業などの実施も予定されており,とくに観光客の誘致が見込める主要な地方都市においてインフラ整備事業の推進が見込まれている。
民間資金を活用してインフラ整備を進めるPPP事業は,1990年代のラモス政権以降に活用されるようになったBOT方式とほぼ同じ内容となっている。アキノ政権は,さらにプロジェクト実施中の法制度の変更などにより損失が生じた場合に政府が補塡するリスク保証を付加することで,民間企業や国際機関からの投資の促進を目指す意向である。しかし,アキノ大統領の任期は2016年までで,政権交代後に新政権が契約内容や法制度に変更を加えるリスクの保証までは確約されていないため,政権交代後,新政権の意向によってはこのリスク保証が空手形に終わる可能性は残されたままである。加えて,将来的に政府補塡額が膨張した場合は,国家財政のさらなる硬直化を招き,社会サービスの低下につながるのではないかと危惧する声もある。
PPP事業に対する国内外からの期待は高く,アキノ政権も最優先経済政策に掲げてプロジェクトの推進に努めている。実際,アキノ大統領は,1月にアルベルト・ロムロ元外務長官をPPP事業への投資誘致のため韓国に派遣し,また,大統領自身が5月にタイを訪問した際にアピシット首相に対して農業部門における連携強化に加えて,PPP事業への投資誘致を積極的にアピールした。しかし,実際にはPPP事業の本格的展開は遅れているのが現状であり,なかにはすでに当初の予定を変更する案件も出てきたため,外資系企業からは「これでは課題となっているビジネス環境の改善には程遠い」,「実施の有無さえ不明で不透明な状態が続いている状況では,投資意欲が削がれる」との声が出ている。
とくにインフラ整備に関連する案件で遅れが目立っている理由のひとつに,汚職撲滅や不正の払拭を重要視するアキノ政権の基本姿勢がある。アキノ大統領の清廉潔白性および汚職撲滅関連政策の徹底性は政府機関に浸透しており,各事業,とりわけ政府調達やPPPなど民間企業がかかわってくる大型事業については見直しが求められることが多く,予算執行が遅れがちであった。こうした傾向は,8月末までに政府が支出した額が年度予算の58%であったことにも表れており(前年同期は約70%),慎重になるあまり結果として予算の過少支出という事態を招いた。公共事業における予算執行の滞りはGDP成長率の低下の遠因になり,アキノ大統領は第4四半期にようやく景気刺激策として約721億ペソの予算支出を承認したが,GDP成長率は第3四半期の3.6%から第4四半期の3.7%に若干変化しただけで,大幅な改善を実現することはできなかった。
日比経済連携協定による看護師・介護福祉士の受け入れ日比経済連携協定(JPEPA)に基づく看護師・介護福祉士候補者の日本就労に関して,送り出し機関に当たる労働雇用省の海外雇用庁(POEA)の発表によると,2011年度における日本の医療・福祉施設の求人数は計187人であった。内訳は,看護師102人および介護福祉士85人で,介護福祉士の求人数が看護師の求人数を下回ったのは協定批准後初めてのことであった。背景には,日本の景気後退の影響があり,病院や福祉施設などがフィリピン人よりも日本人の雇用を優先した影響が大きかったという事情がある。日本人介護職の賃金相場が下がっていることから,施設側にとっては外国人候補者の受け入れのメリットが薄くなっている。このため,JPEPAの枠組みを利用して外国人を受け入れるよりも,日本人を採用する方が病院としては採算が見込めることとなったことが介護福祉士の求人数の減少につながったとされる。日本側の受け入れ調整機関に当たる国際厚生事業団も,求人数逆転の背景について派遣切りなどが続いて雇用市場が下向きとなっている日本の経済状況を指摘した。一方,看護師の求人増加については,2010年の国家試験でフィリピン人合格者が1人出たことにより,合格は不可能なことではないとの見方が強まったのが大きい。また,2011年より渡日前にフィリピンにて2~3カ月の日本語の語学研修制度が導入されたことから,言語に対するハードルが若干下がったことも好影響を与えた理由のひとつである。2011年度の最大受け入れ枠は,これまで通り看護師200人,介護福祉士300人からなる500人が維持された。POEAによるとフィリピン側からの応募者のうち書類選考を通過したのは過去最多の550人(看護師300人,介護福祉士250人)で,最終的に来日したフィリピン人は看護師候補者70人,介護福祉士候補者61人の計131人であった。
2011年,アキノ大統領はインドネシア,シンガポール,中国,タイ,ブルネイ,日本,アメリカを訪問し,近隣諸国との関係緊密化に努めた。このうちインドネシアと中国は再訪し,アメリカについてもオバマ大統領との首脳会談に臨んだワシントンD.C.とAPEC首脳会議に参加したハワイの2カ所を訪れた。アキノ大統領は,上院議員時代は海外視察に対しては消極的でパスポートを所有していない議員として知られていたが,大統領職に就任した後は積極的に外遊を重ねた。
南沙諸島の領有権を巡る問題フィリピン,中国,ベトナムなどがそれぞれに領有権を主張する南沙諸島の問題に関しては,来訪した中国の梁光烈国防部長とアキノ大統領が会談し,平和的に解決することを確認した。これに先立つ梁光烈国防部長とボルタイレ・ガズミン国防長官の会談においても,緊張感を高めるような一方的な行動は起こさないことが確認され,相互に安易な軍事行動などを抑制することで合意した。
南沙諸島の周辺は石油や天然ガスなどのエネルギー資源が豊富とされ,パガサ島など複数の島を実効支配するフィリピン政府は海底探査を続けている。しかし,南沙諸島近辺の資源探査作業を中国の艦船に妨害されたり,南沙諸島西部で中国による建造物新設の動きが確認されたり,パガサ島の南西約26キロメートルに位置するスビ環礁に中国が灯台を建設している様子がフィリピン空軍偵察機によって撮影されるなど,中国との軋轢が表面化する機会は少なくなかった。こうした中国の動きに対して,フィリピンは国連の海洋問題・法務部に,中国による南沙諸島の領有権の主張は国際海洋法違反であると主張する反対意見書を提出したり,在フィリピン中国大使館を通して中国政府へ抗議書を送付したり,下院議員団が南沙諸島のパグアサ島を視察した際に国旗を持ち込んで掲揚するなど,領有権を主張し続けた。
南沙諸島に関しては,アメリカも南シナ海の自由航行権など海洋の安全保障を守るために同盟国や友好国と協力して軍事的関与を継続することを明らかにした。本件に関して,アキノ大統領は,デル・ロサリオ外務長官をアメリカに派遣し,ヒラリー・クリントン国務長官と南沙諸島の領有権問題に関する対フィリピン軍事支援について会談する場を設けさせ,同問題における相互協力関係を確認した。
台湾との関係の緊迫化と収束フィリピン当局は,中国人が被害者となった詐欺事件の容疑で台湾人容疑者14人および中国人10人の身柄を拘束した。これらの容疑者を中国政府からの身柄引き渡し要求に応えて中国に移送したところ,台湾外交部がフィリピン政府の対応を非難し,駐フィリピン台北経済文化代表処代表を通じてデリマ司法長官に抗議の書簡を提出,同代表を台湾に召還するという事態となった。フィリピン政府はアマデオ・ペレス駐台代表(マニラ経済文化事務所)を通じて,台湾の楊進添外交部長に対して対応について謝罪し,また,アキノ大統領の個人的な特使として政権与党党首のマヌエル・ロハス前上院議員が台湾を訪問して,馬英九総統,楊外交部長と会談してフィリピン政府の基本方針を説明し,事態の収拾を図った。ロハス前上院議員は,台湾人容疑者14人の身柄を中国政府に引き渡した件についてフィリピンの立場を説明するとともに,多数のフィリピン人が海外出稼ぎ労働者として働いている台湾における外国人の雇用についても言及し,就労を希望するフィリピン人労働者に対するビザ申請審査厳格化を緩和するよう求めた。
政権発足3年目となる2012年はアキノ政権にとって正念場の1年となるであろう。というのも,一般的に大統領の影響力は6年間の任期のうち前半の3年間は大きいが,後半の3年間は議員らの関心が次回の選挙に向かうため,憲法規定上で再選が禁止されている現職大統領の求心力は失速する傾向がみられることによる。変化と汚職撲滅を通した貧困削減を訴えて大統領に就任したアキノ氏に対して高まった期待感が一段落つくなか,貧困層を中心とする国民がアキノ大統領を見る目はこれまでより厳しくなる可能性がある。1年半の任期を終えた時点で,アキノ大統領は前任のアロヨ前大統領を遙かに凌ぐ支持率を維持しているが,2012年はいかにこのまま求心力を維持しつつ,汚職撲滅,アロヨ前大統領の汚職疑惑の追及,反政府勢力との和平交渉,PPP事業などを推し進め,貧困層が実感できる経済成長を達成していくかという点に注目が集まるであろう。
(新領域研究センター)
1月 | |
6日 | 予算管理省,2012年の財政赤字上限目標額を対GDP比で2.6%に設定(11年の目標額は対GDP比3.2%)。 |
9日 | ベニグノ・アキノⅢ大統領,アルベルト・ロムロ外務長官を官民連携(PPP)事業への投資誘致のため韓国に派遣(~11日)。 |
11日 | カトリック司教協会(CBCP),アキノ大統領が支持する人口抑制(リプロダクティブ・ヘルス)法案への反対ミサを実施。 |
14日 | 日比経済連携協定に基づく就労コース志望の看護師・介護福祉士候補者募集の最終締め切り。 |
15日 | アキノ大統領,ホセ・メロ選挙委員長の後任にシクスト・ブリリャンテス氏を任命。 |
19日 | 政権与党の自由党,全国幹部会合でマヌエル・ロハスⅢ前上院議員を党首に選出(再任)。総裁にアキノ大統領,幹事長にアバヤ下院議員が就任。 |
26日 | マニラ首都圏の主幹道路・エドサ通りでバス爆発事故発生。乗客4人死亡,14人負傷。 |
2月 | |
8日 | アンヘロ・レイエス元国軍参謀総長,裏金問題収受の追及に関する聴聞会の開催を目前に拳銃自殺。 |
9日 | 政府,モロ・イスラーム解放戦線(MILF)とアキノ政権発足後初の和平交渉を仲介国マレーシアの首都クアラルンプールにて開催(~10日)。MILFは包括的和平協定案を修正した自案を政府側に提出。 |
10日 | 民間世論調査期間ソーシャル・ウェザー・ステーション(SWS),アキノ大統領への満足度は74%と発表。アキノ大統領は同調査が開始された1989年以来の最高値を維持。 |
10日 | アキノ大統領,政府系公社および金融機関の理事の報酬規定に関する行政命令第24号に署名(同理事に対する賞与および特別手当は2010年末より支払い停止)。 |
15日 | 政府,フィリピン共産党の民族民主戦線(NDF)との和平交渉を仲介国ノルウェーの首都オスロにて約5年半ぶりに開催(~21日)。 |
17日 | 司法省,中国で麻薬密輸罪により有罪判決を受けた海外出稼ぎ労働者(OFW)3人の死刑執行延期を要請。 |
18日 | ジェジョマール・ビナイ副大統領,死刑執行延期要請のため特使として訪中。これを受けた中国政府は19日に死刑執行の延期を決定,共同声明を発表。 |
20日 | アキノ大統領,台湾人容疑者の中国送還による関係の緊迫化を受けて,ロハス前上院議員を台湾に派遣。 |
24日 | アキノ大統領,アルベルト・ロムロ外務長官の後任にアルベルト・デル・ロサリオ氏を任命。 |
24日 | グロリア・マカパガル・アロヨ前大統領(現下院議員),最大野党ラカス・カンピ・CMDの党首を辞任し,名誉総裁に。後任にはラモン・レビリヤ上院議員が就任。 |
25日 | ビナイ副大統領,アラブ諸国の情勢悪化を受け,OFWの安否確認も兼ねてクウェート,サウジアラビア,アラブ首長国連邦(UAE)を訪問。 |
27日 | アキノ大統領,人間開発分野,経済・インフラ整備分野,安全保障・法治分野,グッド・ガバナンス分野における優先審議対象の23法案を立法行政開発諮問委員会(LEDAC)に提出。人口抑制法案は含まず。 |
3月 | |
5日 | アキノ大統領,リカルド・ダビデ国軍参謀総長の後任にエドゥアルド・オバン中将を任命。 |
5日 | 政府,南沙諸島(スプラトリー諸島)近辺の資源探査作業が中国の哨戒艇に妨害されたとして在フィリピン中国大使館に抗議。 |
7日 | アキノ大統領,インドネシアを訪問(~9日)。スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領と会談。 |
9日 | アキノ大統領,シンガポールを訪問(~11日)。リー・シェンロン首相と会談。 |
4月 | |
5日 | アキノ大統領,レイナルド・ビリアール会計委員長の後任にガルシア・プリド・タン氏を任命。 |
5日 | 大統領府,国連の海洋問題・法務部に中国の南沙諸島に関する領有権の主張は国際海洋法違反であるとして反対意見書を提出。 |
19日 | アキノ大統領,証券取引委員会を財務省の管轄下に戻すことを定める行政命令第37号に署名。 |
27日 | レイナルド・ビリアール会計委員長,国軍の諜報活動関連予算を会計検査の対象に含める旨発表。 |
29日 | アキノ大統領,フェ・バリン証券取引委員長の後任にテレシタ・ヘルボサ氏を任命。 |
5月 | |
2日 | SWS世論調査結果,アキノ大統領に関する満足度は65%。 |
6日 | メルセジタス・グチェレス行政監察院長(オンブズマン)辞職。 |
9日 | アキノ大統領,アロヨ前政権下で国軍将兵反乱事件(2003年7月)を蜂起した青年将兵ら23人に恩赦を付与。 |
23日 | アキノ大統領,来訪した中国の梁光烈国防部長と会談。議題は南沙諸島の領有権をめぐる問題等。 |
26日 | アキノ大統領,タイを訪問。アピシット・ウェーチャーチーワ首相と会談し,PPP事業への積極的な投資や農業部門における連携強化を呼びかけ。 |
26日 | 地域賃金生産性委員会(RTWPB),マニラ首都圏の最低賃金を367~404ペソから389~426ペソに引き上げ。 |
6月 | |
1日 | アキノ大統領,ブルネイを訪問(~2日)。ハサナル・ボルキア国王と会談。 |
1日 | 政府,南沙諸島西部で中国による建造物新設の動きが確認されたとして,駐フィリピン中国大使に抗議。 |
7日 | アキノ大統領,政府系公社ガバナンス法(共和国法第10149号)に署名。 |
7日 | アキノ大統領,ホセ・デヘスス運輸通信大臣の後任に自由党党首のロハス前上院議員を任命。 |
8日 | セザール・プリシマ財務長官,2011年財政赤字の上限額(3000億ペソ)に変更はない旨発言。 |
15日 | ムーディーズ,国家電力公社(Napocor)の格付けをBa3からBa2に引き上げ。 |
21日 | SWS世論調査結果,アキノ大統領の満足度は64%。 |
22日 | 世論調査機関パルス・エイシア,アキノ大統領の支持率は71%と発表。もっとも高い支持率はビナイ副大統領の83%。 |
23日 | デル・ロサリオ外務長官,訪米。ヒラリー・クリントン国務長官と南沙諸島の領有権問題に関する対フィリピン軍事支援について会談。 |
27日 | 政府,MILFとの和平交渉をクアラルンプールにて開催(~28日)。 |
28日 | 比米合同海軍演習,南沙諸島近隣となるパラワン州沖のスルー海にて開始。 |
30日 | アキノ大統領,ARMM知事選挙と2013年中間選挙の同時実施に関するARMM知事選挙延期法(共和国法第10153号)に署名。 |
7月 | |
2日 | サウジアラビア,フィリピン人およびインドネシア人メイドへの就労許可発行を中止。 |
7日 | デル・ロサリオ外務長官,アキノ大統領から南沙諸島の領有権をめぐる争いを解決するよう直接の指示を受け,中国を訪問。 |
9日 | CBCP,次期議長にホセ・パルマ副議長を選出。 |
20日 | 下院議員団,南沙諸島のパグアサ島を視察。国旗を持ち込んで掲揚するなど,フィリピンの領有権を主張。 |
25日 | アキノ大統領,施政方針演説。 |
26日 | 予算行政管理省,2012年予算法案を下院に提出。 |
27日 | アキノ大統領,グチェレス行政監察院長の後任に最高裁判所元判事のコンチータ・カルピオ・モラレス氏を任命。 |
29日 | 人権委員会,故マルコス元大統領の英雄墓地への埋葬問題に対する反対意見書を発表。 |
31日 | ガザリ・ジャファールMILF副議長(政治問題担当),先祖伝来の土地における天然資源の探査は和平交渉の阻害要因になるとして,外資系企業による探査活動を中止するよう政府に要請。 |
8月 | |
1日 | アキノ大統領,コラソン・アキノ元大統領の2周忌に当たり弔意を表明。 |
1日 | ペソが高騰し1ドル=41.925ペソに。3年ぶりに最高値更新。 |
1日 | 上院,人口抑制法案の審議開始。 |
1日 | エドセル・ラグマン下院少数派院内総務,アキノ政権の1年目の業績を批判。 |
2日 | クリスティーノ・ナギアット Jr. フィリピン娯楽ゲーム公社(PAGCOR)委員長,アロヨ前大統領の任期終了直前の2010年5月末に大統領社会基金に3億4500万ペソを振り込んだと発言。 |
3日 | 上半期の財政赤字,前年同期から91%減の約170億ペソ。 |
3日 | フアン・ミゲル・ズビリ上院議員,2007年中間選挙不正疑惑の浮上を受けて辞職。 |
4日 | アキノ大統領,訪日。成田市内にてMILFのムラド・エブラヒム議長と極秘会談。和平交渉の早期解決を目指すことで一致(~6日)。 |
9日 | デリマ司法長官,アロヨ前大統領を出入国管理局の監視対象リストに含める司法省令第422号に署名。 |
9日 | 下院改憲委員会,憲法改正に関する公聴会を開始。 |
11日 | 上院選挙法廷(SET),ズビリ上院議員の辞職要因だった2007年選挙不正疑惑を調査した結果,アキリノ・L・ピメンテル Jr. 氏の繰り上げ当選を認定。 |
13日 | アキノ大統領,アルベルト・リム観光長官の後任にラモン・ヒメネス氏を任命。 |
15日 | デリマ司法長官とシクスト・ブリリャンテス選挙委員長,2004年統一選挙と2007年中間選挙の不正疑惑に関する合同調査委員会設置を発表。 |
22日 | 政府,クアラルンプールにおけるMILFとの和平交渉で,武装解除要請を含む提案書を提出(~24日)。 |
23日 | 最高裁,アロヨ前大統領夫妻の出国を制限する司法省令第422号の仮差し止め令。 |
30日 | アキノ大統領,訪中。胡錦涛総書記と会談(~9月3日)。 |
9月 | |
9日 | アキノ大統領,ラウル・バカルゾ警察長官の後任にニカノール・バルトロメ氏を任命。 |
9日 | アキノ大統領,公共事業に関する情報提供や技術支援などを担当してきたBOTセンターをPPPセンターへ名称変更する行政命令第8号に署名。 |
18日 | アキノ大統領,訪米(~23日)。バラク・オバマ大統領と会談。 |
25日 | アキノ大統領,訪日(~28日)。野田首相と会談。 |
10月 | |
5日 | アキノ大統領,エディベルト・サンドバル公務員特別裁判所(サンディガンバヤン)首席判事の後任にフランシスコ・ヴィリアールス Jr. 氏を任命。 |
11日 | アキノ大統領,景気刺激策として約721億ペソの予算支出を承認。 |
12日 | 下院,2012年予算法案を承認。上院へ提出。 |
26日 | アキノ大統領,来訪中のトゥロン・タン・サン・ベトナム大統領と会談。 |
11月 | |
3日 | 政府,MILFとの非公式会合をクアラルンプールにて開催。 |
11日 | アキノ大統領,APEC首脳会議参加のため訪米(ハワイ)。 |
13日 | アキノ大統領,ジュリア・ギラード豪首相と会談。 |
16日 | アキノ大統領,来訪中のクリントン米国務長官と会談。 |
17日 | アキノ大統領,第19回ASEANサミット参加のためインドネシアへ出発。 |
17日 | アロヨ前大統領,司法省による出国制限の停止を最高裁に申請。 |
18日 | アキノ大統領,バリにてオバマ米大統領と会談。 |
21日 | アキノ大統領,来訪中の韓国の李明博大統領と会談。 |
22日 | 上院,2012年予算法案を承認。両院協議会へ提出。 |
29日 | 両院協議会,2012年予算法案を承認。大統領へ提出。 |
12月 | |
1日 | アメリ・アンブラ・カトーMILF司令官,心筋梗塞により死亡。 |
5日 | 政府,MILFとの第23回公式和平協議をクアラルンプールにて開催,共同声明を発表(~7日)。 |
7日 | 下院司法委員会,慰安婦問題に関する裁判で国民の信頼を裏切ったとして,マリアノ・カスティリョ最高裁判事に対する弾劾発議案を可決。 |
12日 | アキノ大統領,エドゥアルド・オバン国軍参謀総長の後任にジェシー・デリョサ中将を任命。 |
13日 | パサイ地域裁判所,ベンハミン・アバロス元選挙委員長を選挙妨害工作の容疑で逮捕。アロヨ前大統領に対しても同様の逮捕状を発行。 |
14日 | 上院,コロナ最高裁長官弾劾発議のための弾劾裁判所を招集。 |
15日 | アキノ大統領,2012年予算法案に署名。総額は約1兆8160億ペソ(前年比10.4%増)。 |
17日 | アキノ大統領,ムジブ・ハタマン氏をARMM暫定知事に任命。 |
18日 | 台風(21号)センドン,ミンダナオ島を横断。死者1200人,不明者100人を超える被害発生。 |
21日 | パサイ地裁,アロヨ前大統領の一時帰宅申請を却下。 |
23日 | フロレンシオ・アバド予算行政管理長官,2011年の財政赤字は予定上限額の3000億ペソを遙かに下回る1800億ペソにとどまるとの見通しを発表。 |
26日 | コロナ最高裁長官,上院に対して同氏に対する弾劾発議の提訴を取り下げるよう嘆願書を提出。 |
28日 | オンブズマン,中国系企業による政府系ブロードバンド網構築事業の不正疑惑にかかわったとしてサンディガンバヤンにアロヨ前大統領を提訴。 |
29日 | コロナ最高裁長官,弾劾発議の審議開催にあたり,公聴会を開くよう上院に申請。 |