アジア動向年報
Online ISSN : 2434-0847
Print ISSN : 0915-1109
各国・地域の動向
2011年の朝鮮民主主義人民共和国 最高指導者2代目の死去
中川 雅彦
著者情報
解説誌・一般情報誌 フリー HTML

2012 年 2012 巻 p. 45-68

詳細

2011年の朝鮮民主主義人民共和国 最高指導者2代目の死去

概況

2011年の朝鮮民主主義人民共和国(本章では以下,「朝鮮」と略し,南北関係については「北側」とする)では,12月に最高指導者金正日が死去し,すでに後継者となっていた金正恩がそのすべての権限を引き継ぐことになる見通しである。

南北関係については,上半期に関係改善に向けた接触があったが,ほとんど進展がみられず,下半期に政府間対話はほぼ断絶した状態となった。

経済については,食糧難などの厳しさは克服されたわけではないが,2009年,2010年に引き続き,生活関連部門に力が入れられ,一応の回復を続けた。

対外関係については,アメリカとの関係で,オバマ政権になってから初めての次官級協議が開催された。また,金正日の中国訪問およびロシア訪問を通じて,隣国との関係を強化してきており,今後,中国の東北開発およびロシアの極東開発との連携強化が進められる見通しである。

国内政治

最高指導者の死去

朝鮮においては,金正日が朝鮮労働党では中央委員会総秘書(総書記)および中央軍事委員会委員長として,国家機関では国防委員会委員長として,そして人民軍では最高司令官として最高の地位にあった。2011年12月17日8時30分に金正日は死去した。金正日の死去は,朝鮮中央放送が19日午前10時に,12時に「特別放送」があると予告したうえで,そのとおり12時に発表した。朝鮮中央放送はそれとともに,17日付の党中央委員会・党中央軍事委員会・国防委員会・内閣による「全体党員と人民軍将兵と人民に告ぐ」との文書,国家葬儀委員会の構成,同17日付の国家葬儀委員会公報,同17日付の「疾病と死亡原因についての医学的結論書」を発表した。

「疾病と死亡原因についての医学的結論書」によると,死亡原因は精神的・肉体的疲労に重症性心筋梗塞が発生して心臓ショックを併発したためとなっており,場所は「野戦列車」と呼ばれる専用列車のなかであるとされている。また,「全体党員と人民軍将兵と人民に告ぐ」では,金正日の息子である金正恩にも言及され,金正恩は「主体革命偉業の偉大な継承者」「党と軍隊と人民の卓越した領導者」であるとされた。

金正恩は,2009年1月に後継者に決定されたと伝えられており,2010年9月27日の最高司令官命令で人民軍大将となり,翌28日の党代表者会で党中央軍事委員会副委員長に就任していた。この党代表者会では金正恩の伯母にあたる党軽工業部長の金慶喜とその夫である国防委員会副委員長兼党行政部長の張成沢がそれぞれ政治局委員,政治局候補委員に昇格しており,党内で金正恩を支える重要な役割を果たしているとみられる。金正恩を筆頭として組織された国家葬儀委員会は2011年12月17~29日を哀悼期間に定め,28日に永訣式,29日に中央追悼大会を開催した。

金正恩最高司令官就任

金正日の肩書のうち党総秘書と国防委員会委員長は空席になっても,党機関や国家機関の日常業務に大きな支障があるものではないが,人民軍で最高司令官が空席であれば軍事行動に支障をきたすことになる。そのため,人民軍最高司令官の就任はすみやかに行われるべきものであった。

哀悼期間が終了した翌日である12月30日に党政治局会議が開かれ,金正日の「2011年10月8日遺訓」にしたがって金正恩の人民軍最高司令官就任が発表された。この10月8日遺訓については,『労働新聞』2011年12月20日政論「われわれの将軍様,いつも人民とともに」で,金正日が10月8日に「金正恩党中央軍事委員会副委員長を真心で受け入れなければなりません」「活動家たちは今後も党のまわりに心をひとつにして団結して仕事をうまくしていかなければなりません」と語ったとされているが,誰に対して語ったのかは明らかにされておらず,これ以上どのような指示があったのかも発表されていない。

金正恩の経歴についてはこれまでのところ,公式発表がないが,『労働新聞』2011年12月24日社説では金正日が金正恩に対して「早くから銃の深遠な真理を植え付けなさった」と述べることで,金正恩に軍歴があることを示している。また,平壌市民の間では金日成軍事総合大学を卒業したといわれている。

残りの地位である党と国防委員会での地位については,2012年以降に金正恩が就任することになるであろう。

進まない南北緊張緩和

韓国側との関係すなわち南北関係は,1991年12月13日に調印された「北南間の和解と不可侵および協力交流に関する合意書」によって,「国と国との関係ではなく統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」とされている。しかし,南側の李明博政権は南北関係の改善には熱心ではなく,しかも,2010年には天安号沈没事件,延坪島砲撃事件によって,南北間の緊張は高まる一方であった。前者は朝鮮西海(黄海)で韓国軍の哨戒艦が突然沈没したものであるが,これをめぐって南側は北側の魚雷攻撃によるものであるとの見解をとっており,北側は自分たちとは関係ないとの立場をとっている。後者は韓国軍の西海での実弾演習に対して北側が砲撃したものだが,南側は実弾演習の場所が自分たちの領海内であって北側が挑発行動をとったものであるとの見解をとっており,北側はその場所が自分たちの領海であったために対抗措置を講じたとの立場をとっている(『アジア動向年報2011』52~56ページ参照)。

北側はこの2つの事件に関する軍事会談の開催を2011年1月20日に提案した。この前日である19日にホワイトハウスでオバマ大統領と中国の胡錦濤国家主席が南北対話を促す共同声明を発表しており,対話に熱心ではない李明博政権もこの提案に応じざるをえなかった。北側の提案は,「天安号事件と延坪島砲撃戦に対する見解を明らかにして朝鮮半島の緊張状態を解消することについて」を議題とする高位級軍事会談を開催するための協議に入ろうというものであった。同20日,南側はこの提案の受け入れを発表したが,そのなかで「一連の軍事挑発に対する謝罪などの責任ある措置および追加挑発防止の確約」について話し合うと述べていた(聯合ニュース,2011年1月20日発)。2月8~9日,板門店南側の「平和の家」で実務協議が行われたが,南側は議題を「天安号爆沈と延坪島砲撃挑発についての責任的な措置と追加挑発防止確約,非核化の真正性」とすることを逆提案し,「責任ある措置」と「追加挑発防止確約」を強く主張した。2つの事件に関する双方の立場の相違がそのまま議題の名称に関する提案に反映された形となり,協議は議題設定から行き詰まって決裂した。

強気の姿勢をとってきた李明博政権も2012年初めの大統領任期満了が近づくにつれ,南北関係での成果を求めるようになってきた。3月31日,韓国統一部は,ユージンベル財団が申請した耐性結核治療薬約3億3600万ウォン相当の北側への搬出を承認したと発表し,延坪島砲撃事件以来禁止していた民間の人道支援を許可することで融和姿勢を示した。4月に入ると,「首脳会談」を開催しようという案を北側に秘密裏に提示した。5月8日に李明博大統領は訪問先のベルリンで哨戒艦沈没事件と延坪島砲撃事件に関して,北側に強く「謝罪」を要求していると述べる一方,翌9日,同じくベルリンの記者会見で金正日を2012年3月に開催予定の核安全保障サミットに招待する意向を発表した。同日,南側は北側との秘密接触で,「謝罪」を前提とした「首脳会談」の開催を提案した。しかし,北側には「謝罪」提案を受け入れる余地がなく,北側は南側の提案を拒絶した。

北側は,5月23日から韓国軍が京畿道楊州と仁川市の射撃場で実弾射撃訓練に入ったことでさらに態度を硬化させていった。それは,これらの射撃訓練場で,金正日や金正恩の写真が訓練の標的に用いられていたためであった。30日,北側の国防委員会は,この訓練を非難するとともに,李明博政権を「これ以上相手にしない」と述べ,東海地区の南北間軍事通信を遮断して金剛山地区の通信連絡所を閉鎖する措置を講じると発表した。さらに6月1日,北側の国防委員会は先に述べた秘密接触の内容を公開した。さらに3日,人民軍最高司令部は,韓国軍の射撃訓練について「同族対決の極み」「特大型挑発行為」だと非難し,「全面的な軍事的報復行動」に入ることになると強く警告した。

北側の非難攻勢は楊州と仁川の訓練場での問題から拡大し,6月28日には政府が,江原道鉄原の韓国軍第5軍団第3師団(白骨部隊)での標語を非難する声明を発表し,29日には人民軍最高司令部がこれに対して「新たな宣戦布告」とみなし,「軍事的報復行動」をとるとの声明を発表した。ただし,実際の軍事行動がとられることはなかった。

金剛山観光事業をめぐる対立

南北関係改善の象徴的な事業としては,金剛山および開城の観光事業,開城工業地区での経済協力事業がある。このうち開城での経済協力事業は,2010年5月に北側が開城地区にある協議事務所を廃止し,12月に南側が開城への訪問を禁止するなど,その継続が危ぶまれる状況が続いているものの,2011年6月現在,南側の企業は123社,滞在人員は560人であり,北側労働者は4万7172人で運営されている。これに対して,金剛山観光事業は2008年に中断されたままであり,2012年1月12日,北側の名勝地総合開発指導局と中央特区開発指導局は,南側の統一部および統一部南北協力地区支援団団長に対して,金剛山観光再開のための会談を開くことを提案したが,南側はこれを無視した。

北側は金剛山地区が南側との協力事業の形態ではもはや再開が困難であると判断したようである。4月29日,北側は,これまでの「金剛山観光地区」を廃止し,新たに「金剛山国際観光特区」を設置する最高人民会議常任委員会政令第1618号を採択した。この法令によって,これまで韓国企業を投資誘致の対象としていた金剛山地区にその他の国の投資を受け入れることができるようになった。そして6月17日,北側の金剛山国際観光特区指導局は,金剛山地区内のすべての財産を整理すると発表,不動産をもっているすべての南側事業者に対して財産の処理問題を協議するために30日までに金剛山に来るよう通告した。6月29日と7月13日,金剛山で南北間の協議が行われたが,合意に至らず,7月29日,北側は,南側財産を「法的処分」すると発表,南側企業に対して3週間以内に第三者への委任,または第三国で面談して登録処理するよう要求した。8月22日,北側は,南側財産の没収を発表し,金剛山地区に残っている南側人員に退去を要求し,南側人員は翌23日までに帰還した。

一方で北側は,7月2日に中国上海からの観光団を受け入れたが,この観光コースには金剛山も含まれていた。さらに,南側人員が退去してから,8月31日~9月1日に北側は中国延辺朝鮮族自治州旅游局の金成文局長を団長とする試験国際観光団を金剛山に招請した。こうして金剛山観光事業は南北関係改善のための事業としての意味を喪失した。

関係改善への足がかり

南北関係に暁光がみえるようになったきっかけは,これまで強硬姿勢をとってきた南側の玄仁沢統一部長官が8月30日に更迭されて,新たな長官に柳佑益前駐中大使が内定し,9月19日に就任したことであった。19日,統一部は7大宗教団体の北側訪問を許可したことを発表し,20日,中断されていた開城工業団地内の消防署と応急医療施設の建設を再び推進すると発表した。21~24日,金喜中カトリック大主教を団長とする7大宗教団体代表団が平壌を訪問した。

12月17日の金正日死去に際して,南側からは26日に開城経由で故金大中夫人と現代グループの玄貞恩会長ら弔問団が平壌入りした。しかし,その他の弔問団は許可されず,北側は30日,国防委員会声明で南側での弔問表示と弔問団派遣を制限した李明博政権を非難して,「永遠に相手にしない」と述べるに至った。ただし,北側は民間交流を否定しているわけではない。

経済

生活関連部門に重点

2011年1月1日,『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「今年にもう一度,軽工業と農業に拍車をかけ,人民生活に画期的な転換をもたらそう」が発表され,2010年に引き続き,軽工業,農業といった生活関連部門に力が入れられることが示された。とくに軽工業は「総攻撃戦の主攻前線」と位置づけられ,原料,燃料,資材,資金を滞りなくこの部門に供給することが強調された。

軽工業に原料,燃料,資材を供給する部門は2010年の新年共同社説から「先行部門,基礎工業部門」と呼ばれている。「先行部門」は「4大先行部門」とも呼ばれ,電力,石炭,金属,鉄道運輸を示している。一方,「基礎工業部門」はこの先行部門に加えて鉱業,機械,化学,建材を含む概念である(『労働新聞』2009年11月18日付)。共同社説では「軽工業革命はすなわち化学革命である」とされ,化学が強調されたが,『労働新聞』2011年2月4日付では,改めて化学,鉱業などに言及された。

この目標とは別に,新たな長期計画が策定されたことが1月15日発朝鮮中央通信で発表された。この報道によると,「国家経済開発10カ年戦略計画」に関する内閣決定が採択され,この実行にあたる機関として「国家経済開発総局」を設置したということであった。この計画は,インフラの建設や農業,電力,石炭,燃料,金属などの基礎工業と地域開発を中核とする「戦略的目標」を示したものであり,2020年までに「先進国水準」に達するとされているが,詳細は不明である。また,主要なプロジェクトは大豊国際投資グループに委任すると発表されている。

大豊国際投資グループは,2010年1月20日に第1次理事会が開催されて国防委員会直属の組織となり,大規模対外経済協力事業を「国家予算とは完全に独立したプロジェクト」で実施することを目標としている。このグループは2010年3月に傘下に国際開発銀行を設立したが,これまでの具体的な活動や資金の状況は発表されていない。しかし,この内閣決定で,長期的な開発計画に外国資本を導入しようとする動きが始まったことは注目される。

国家予算の動向

2011年4月7日に開かれた最高人民会議第12期第4次会議では,朴秀吉副総理兼財政相によって国家予算報告がなされた。ただし,国家予算報告は2005年実績以降,金額が公表されておらず,今回も発表されなかった。また,2009年末に貨幣交換が実施されたが,2010年以降,増加率などの数値に物価調整が施されたのかどうかも不明である。公表されたところでは,2010年収入実績が計画の101.3%執行,支出実績が計画の99.9%執行であった。予算計画では収入と支出は同額になるよう策定されるため,予算計画の収入金額(=支出金額)の1.4%相当の黒字を出すことができたことがわかる。黒字の決算は2008年から続いており,国家予算が健全に運営される体質ができていることが確認できる。規模に関しても,2010年収入実績は7.7%増,支出実績は8.2%増と発表された。国家予算収入の規模はすでに2007年頃に1980年代後半の水準に回復しており,経済全体が新たな成長の時代に入ったことが伺われる(図1)。

図1  国家予算収入の推移

(出所) 公式報道により筆者作成。

2010年収入実績については,項目に関する数値はいっさい発表されず,支出実績については,軽工業が10.9%増,農業が9.4%増,先行部門(電力,石炭,金属,鉄道運輸)および基礎工業(化学,機械,鉱業など)が8.0%増,基本建設が12.9%増,科学技術が8.1%増,福祉に関わる人民的施策費が6%増であったこと,国防費が支出総額の15.8%であったことが発表されただけである。

2011年予算計画に関しては,国営企業および協同団体からの収入金の納付方法に大きな変更がみられた。解放直後から2001年まで,国営企業は企業の利益に課せられる国家企業利益金(法人税に相当)と製品の販売に課せられる取引収入金(取引税に相当)を納付し,協同団体も団体の利益に課せられる協同団体利益金と製品の販売に課せられる取引収入金を納付していた。国営企業および協同団体が販売する製品はすべて国家によって価格が定められており,その価格のうち一定の金額が取引収入金として納付されていた。そのため,この仕組みでは,国営企業および協同団体は利益があげられなくても,製品を販売した分について取引収入金を納付することになっていた。その取引収入金は2001年に廃止され,そのかわり国家企業利益金と協同団体利益金の納付について,それらの名称がそれぞれ国家企業利得金,協同団体利得金に改称されるとともに取引収入金の分がそれらに取り込まれるよう利益に課する比率が引き上げられた。これは,当時,利益の小さな企業について取引収入金の分の負担を軽減するための保護的な措置であったといえる。これに対して,2011年予算計画では取引収入金が復活し,国家企業利得金,協同団体利得金がそれぞれ国家企業利益金,協同団体利益金に再びその名称を変更して,元の制度に戻った。保護的な制度は,すでにほとんどの企業が生産を回復したことにより,必要がなくなったものとみられる。実際,2011年予算計画に関しては,収入は7.5%増,支出は8.9%増であり,いずれも2010年実績とほぼ同水準の経済成長を見越したものであった。

2011年予算計画の収入項目については,国家企業利益金と取引収入金の総計が収入全体の78.5%を占めることになると発表されている。国家企業利得金の前年の規模が不明であるため増加分は不明であるが,数値が発表されたことは相当の増加を見込んでいることを示している。このほか,協同団体利益金が3.8%増,固定財産減価償却金が1.4%増,不動産使用料収入が0.7%増,社会保険料収入が0.4%増と発表されている。

一方,2011年予算計画の支出項目については,軽工業が12.9%増,農業が9%増,「先行部門,基礎工業部門」が13.5%増,基本建設が15.1%増,科学技術が10.1%増,国防費が支出全体の15.8%であると発表された。軽工業と農業に対する投資の増加は,2011年1月1日に発表された『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「今年にもう一度,軽工業と農業に拍車をかけ,人民生活に画期的な転換をもたらそう」で,2010年に引き続き,「軽工業」「農業」といった生活関連の部門に力を入れるという基本方針を反映したものであるといえる。そして,資本財を生産する「先行部門,基礎工業部門」に対する投資の増加は,軽工業と農業への原料,動力,機械などの供給を拡大しようとしていることを示している。

食糧事情

政府の求めに応じて10月3~17日に現地調査を行った国連食糧農業機関・世界食糧計画(FAO/WFP)代表団の報告書(“FAO/WFP Crop and Food Security Assessment Mission to the Democratic People’s Republic of Korea,”2011年11月25日付)によれば,政府が示した2011/12穀物年度(11~10月)の穀物生産は前年度より8.5%増の547.5万トンになる見込みである。報告書では,この改善は肥料の普及,機械化,電力事情の改善によるものだとされている。ただし,この547.5万トンは,コメを精米換算すると465.7万トンになり,国内需要の539.6万トンを満たすことができず,73.9万トンを輸入しなければならないが,このうち商業輸入32.5万トン,援助7.5万トンが見込まれており,依然41.4万トンが不足しているということである。

また,報告書には,糧政事業所による穀物配給の状況が記されているが,2011年3月から1日1人当たりの供給が200グラムを下回るようになり,6月には150グラムにまで落ち込み,7月からは200グラムに復帰したということである。報告書はこの落ち込みは2008年以来であると述べている。こうした記述から,依然として都市の食糧事情は厳しい状態にあることがわかる。

また,今回のFAO/WFPの調査は,国営商店,常設市場,農民市場にまで及んでいる。ところが,報告書では,それらで扱われている商品のなかにはコメやトウモロコシなどの主要な穀物は見当たらず,穀物の流通に関する「非公式的な市場メカニズム」が存在するはずだとのコメントが記載されている。

携帯電話の普及

政府機関紙『民主朝鮮』2011年10月15日付によると,内閣全員会議拡大会議で,「人民消費品生産が上昇の軌道に確実に乗った」とされた。食糧事情は依然厳しいものの,一般の人々の消費生活は着実に改善されているようである。その一端はファーストフード店の展開や携帯電話の普及にみられる。2009年6月に平壌で初のファーストフード店である三台星清涼飲料店が開店し,2010年には凱旋青年公園と青年ホテルに分店を開設,2011年11月には市内6カ所でスタンドショップを運営するようになった。また,対外奉仕局傘下の金星食料工場が2011年8月15日からトルコ式調理パン(朝鮮語で「ミルサム」)のスタンドの運営を開始し,すでに市内20カ所で運営されている。

朝鮮における移動通信事業は,逓信省傘下の朝鮮逓信会社が1995年にタイのロックスリー・パシフィック社との合弁で東北アジア電話通信会社を設立して,2002年11月から平壌市と羅先市で携帯電話事業を開始したことに始まる。その後,朝鮮逓信会社は2007年1月19日にエジプトのオラスコム電気通信会社と電気通信分野での長期的協力で合意して,逓オ合作会社を設立し,2008年12月15日から第3世代移動通信事業「高麗リンク」を開始した。ロックスリーの事業は現在でも羅先市で維持されているが,平壌を中心とした通信網は主にオラスコムの事業に使われている模様である。2011年3月2日,朝鮮中央通信は,全国的なブロードバンド化,第3世代移動通信網,衛星通信体系が確立したと報道した。これにより,携帯電話は全国的範囲で使用可能になったようである。

逓オ合作会社の携帯電話は急速に普及している。2008年12月の事業開始から3カ月間で携帯電話の利用者は2万人となり,2010年4月で12万人と急増し,2011年1月で45万人,9月末で80万9000人と発表されている。

経済特区の拡大

朝鮮では,1991年末に羅津市および先鋒郡に諸外国の投資を誘致しようとする初の経済特区である自由経済貿易地帯(1999年に「羅津・先鋒経済貿易地帯」,2000年に「羅先経済貿易地帯」に改称)が設置され,2002年には中国人事業家の投資を見込んだ「新義州特別行政区」,および南北共同事業として韓国側の投資を誘致する「金剛山観光地区」と「開城工業地区」が設置された。うち,新義州特別行政区は設置後すぐに,投資を予定していた中国人事業家が逮捕されたことで頓挫していた。また,金剛山観光地区は,2008年7月に南側の観光客が立入禁止区域で射殺された事件を契機に,韓国政府が事業を中断させていた。新義州では2008年8月に「新義州=大鶏島経済開発区」が設置され,将来投資を誘致することを前提に独自に開発を進めることになった。さらに,2011年には中国の投資を呼び込んで新義州と羅先の活性化を図るとともに,金剛山観光をこれまでとは別の仕組みで運営することで活性化しようとする動きがみられた。

金剛山については,先に述べた通り,2011年4月29日,金剛山観光地区を廃止して「金剛山国際観光地区」とする政令が発表された。従来の南北共同事業の枠組みでは観光事業が韓国側の現代峨山グループの独占状態となっており,すでに韓国政府によって事業が中断されている状態では観光客も投資も見込むことができなくなっていた。そのため,独占状態を解消し,中国からの観光客と投資を誘致するために,新たな法制度を整えることになった。5月31日には金剛山国際観光特区法の制定が発表された。金剛山観光事業は中国からの観光客を受け入れることで実施されるようになった。

新義州については,鴨緑江の三角州である黄金坪と威化島に6月6日「黄金坪・威化島経済地帯」を設置した。8~9日,黄金坪・威化島経済地帯と羅先経済貿易地帯朝中共同開発・共同管理プロジェクトの着工式を行い,羅先も含めて共同開発に乗り出すことになった。12月8日に朝鮮中央通信は,黄金坪威化島経済地帯法を採択したこと,羅先経済地帯法を修正補充したことを発表した。

対外関係

対米関係での前進

2010年10月に朝鮮側がアメリカの研究者たちに対してウラン濃縮施設を公開したことで,アメリカの政治指導者たちは朝鮮の存在を強く意識した模様である。2011年1月19日,オバマ大統領は訪米中の胡錦濤中国国家主席とともに発表した共同声明のなかで,朝鮮半島に関して,南北間の「誠実で建設的な対話」の進展の重要性を指摘し,ウラン濃縮についても懸念を表明した。

アメリカ側では,ホワイトハウスで朝鮮に対する関心が強くなったことで,朝鮮との民間交流の動きがみられるようになった。3月8~11日,アメリカのAP通信社のカーリーCEOが平壌を訪問して,金永南最高人民会議常任委員会委員長と会見した。また,3月19日~4月2日,カリフォルニア大学サンディエゴ校世界紛争・協力センターの招請で朝鮮の貿易省と農業省の中堅クラス幹部12人が訪米し,非営利団体「アジア・ソサエティー」主催のセミナーに参加した。

こうした交流の拡大は朝米間ですでに水面下の外交交渉が始まっていたことを暗示するものであった。4月12日,国務省は,朝鮮でアメリカ人1人が拘束されていることを明らかにした。26~28日,カーター元大統領が,アハティサーリ前フィンランド大統領,ブルントラント元ノルウェー首相,ロビンソン前アイルランド大統領らとともに平壌を訪問した。カーターらは28日,ソウルで記者会見し,金正日からの書簡を受け取ったことを発表した。さらに,5月10~13日,アメリカのNGO「サマリタンズ・パース」会長であるフランクリン・グラハム牧師が平壌を訪問し,朴義春外務相と会談した。5月27日,朝鮮中央通信は,カーター元大統領とグラハム牧師から逮捕されていたアメリカ人の釈放が要請されていたことを明らかにし,それに応じて釈放すると発表した。これによって,公式の外交交渉に向けた雰囲気が醸成された。7月24日,クリントン国務長官は,朝鮮外務省の金桂冠第一副相をニューヨークに招待するとの声明を発表した。

7月28~29日,ニューヨークで金桂冠第一副相とボズワース対朝鮮政策特別代表との会談が実現した。8月1日発の朝鮮中央通信は,会談では朝米関係改善と朝鮮半島非核化,6者会談(朝,米,中,ロ,韓,日による6カ国協議)再開に関する問題が「建設的な雰囲気で論議」されたと報じた。2日には,アメリカ側が朝鮮側に対して,朝鮮戦争時の米兵遺骨発掘に関する協議を提案した。さらに,18日には,アメリカ国務省が,朝鮮の自然災害に対し,最大90万ドルの緊急支援を実施すると発表した。10月24~25日,ジュネーブで金桂冠とボズワースとの2回目の会談が行われ,協議を継続することが確認された。

中ロとの関係強化

隣接する友好国である中国,ロシアとの関係は,金正日の2011年の訪問にみられるとおり,強化されている。金正日は5月20~26日に中国を訪問し,25日に北京で胡錦濤国家主席と会談した。8月20~25日にはロシアを訪問し,24日にブリヤート共和国ウランウデでメドベージェフ大統領と会談した。

とくにロシアとの関係については,ロシアがガスパイプラインを朝鮮半島に通す構想を具体化させており,大きな前進がみられた。5月17日,金正日は来訪したロシア対外情報局のフラトコフ長官と会談したが,ロシアのインターファックス通信18日発は,この会談ではガスパイプラインの敷設についても話し合われたと報じた。そして,8月24日の首脳会談では,朝鮮領内を経由して韓国に抜ける100キロメートルのガスパイプラインを建設するための特別委員会を設置することで合意がなされたと発表された。そして,9月15日に,ロシアで金煕英原油工業相とガスプロム社のミレル社長がガスパイプライン建設計画に関する了解覚書に調印した。

一方で9月13日に,ハバロフスクのロシア東部戦略司令部は,ロシアと朝鮮が2012年に捜索救難を目的にした合同軍事演習を行う見通しであると発表した。また,ロシアの『イズベスチヤ』紙9月14日付は,ロシア財務省筋の話として,朝鮮のロシアに対する債務110億ドルについて,うち90%を帳消しにして,残り10%を共同プロジェクトに充てることをロシアが朝鮮に対して提案し,朝鮮側もこれに同意したと報道した。ロシアは朝鮮半島に関して,ガスパイプラインの建設のみならず,軍事面,経済面で強く関与していく姿勢を示したといえよう。

2012年の課題

2012年は故・金日成主席の誕生から100年にあたり,党は2007年11月30日~12月1日の全国知識人大会および2008年1月1日の新年共同社説によって,2012年を「強盛大国の大門を開く年」と位置づけている。2009年に,学術誌『経済研究』(2009年第1号)に社会科学院の李基成教授が「現時期社会主義経済強国建設の重要課業」と題する論文を発表したが,そこでは,強盛大国を構成する「思想強国」「軍事強国」「経済強国」のうち,「思想強国」と「軍事強国」はすでに達成されており,残りは「経済強国」であること,そして、「強盛大国の大門を開く」とは過去最高の生産水準であった1980年代後半の水準を突破することであると述べられている。2011年に入ってから「強盛国家」「強盛復興」という用語も用いられているが,これまでのところこれらは「強盛大国」と同義語であり,目標の内容に変更がみられるわけではない。国家予算収入の規模が1980年後半のそれを凌駕していることからみて,1980年代後半の生産水準を突破するという課題はすでに達成されたか,あるいは近々達成可能なものであるとみられる。

2012年1月1日,『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「偉大な金正日同志の遺訓を受け入れて2012年を強盛復興の全盛期が開かれる誇るべき勝利の年として輝かそう」が発表された。このなかでは金正恩が「党と国家,軍隊の最高指導者」「主体革命偉業の継承者」「団結の中心」と表現されて,この新たな最高指導者の下での団結が強調された。そして,2011年に引き続き「軽工業」「農業」といった生活関連の部門に力が入れられることが示された。これは,最高指導者が交代しても,当面,党と国家の基本政策には変化がないということを示したものである。

南北関係については共同社説では李明博政権が厳しく非難されているが,民間交流が途絶しているわけではなく,政府間対話が復活する可能性も皆無ではない。また,共同社説では対外関係について具体的なことは述べていないが,これは中国,ロシアとの関係強化が進展しているところに,アメリカとの協議が始まり,これが継続する見込みであるため,とくに言及することがないと考えられたためであると思われる。

(地域研究センター研究グループ長代理)

重要日誌 朝鮮民主主義人民共和国 2011年
  1月
1日 『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「今年にもう一度,軽工業と農業に拍車をかけ,人民生活に画期的な転換をもたらそう」発表。
12日 朝鮮中央通信,金正日の南浦琉璃瓶工場現地指導を報道。
13日 国家価格制定局を国家価格制定委員会に格上げ。
14日 朝鮮中央通信,金正日の平安北道内工場現地指導を報道。金正恩同行。
15日 朝鮮中央通信,金正日の大館琉璃工場現地指導を報道。金正恩同行。
15日 朝鮮中央通信,「国家経済開発10カ年戦略計画」に関する内閣決定採択を報道。
18日 朝鮮中央通信,金正日の1月18日機械総合工場現地指導を報道。
19日 金正日,国家科学院生物工学分院を現地指導。
19日 朝鮮中央通信,金正日の中央動物園現地指導を報道。
20日 朝鮮中央通信,金正日の11月20日工場・龍岳山ミネラルウォーター工場現地指導を報道。金正恩同行。
21日 金正日の沙里院市内食料工場を現地指導。
21日 朝鮮中央通信,金正日の黄海北道人民学習堂現地指導を報道。
21日 エジプト・オラスコム電気通信会社のナギブ・サウィリス理事長,来訪(~24日)。23日,金正日会見。
22日 朝鮮中央通信,金正日の万寿台創作社現地指導を報道。
30日 金正日,咸興市内重要企業を現地指導。
  2月
1日 朝鮮中央通信,金正日の新興機械工場現地指導を報道。
2日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第6556軍部隊指揮部視察を報道。金正恩同行
2日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍精誠医学総合研究所現地指導を報道。金正恩同行。
11日 朝鮮中央通信,金正日の雲山工具工場現地指導を報道。
13日 中国国務委員の孟建柱公安部長,来訪(~15日)。14日,金正日会見,金正恩同席。
16日 党中央委員会・党中央軍事委員会・国防委員会で2・16慶祝宴会,金正日出席,金正恩同席。
16日 先軍青年総動員大会。27日,金正日,参加者と記念撮影。
  3月
3日 朝鮮中央通信,金正日の平壌蔬菜科学研究所・平壌花草研究所現地指導を報道。金正恩同行。
8日 AP通信社のカーリーCEO,来訪(~11日)。
10日 金正日,咸興市内の工場・企業を現地指導。
16日 朱祥誠人民保安部長解任。
16日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍海軍第597軍部隊管下工場視察を報道。金正恩同行。
24日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍武装装備部門活動家熱誠者大会参加者との記念撮影を報道。金正恩同席。
24日 朝鮮赤十字会,東日本での地震に関して日本赤十字社に10万ドルの義援金。
27日 石炭工業大会。28日,金正日,参加者と記念撮影。
  4月
6日 朝鮮中央通信,金正日の慈江道内工場・企業現地指導を報道。金正恩同行。
7日 朝鮮中央通信,金正日の江界市内工場現地指導を報道。金正恩同行。
7日 最高人民会議第12期第4次会議。
7日 李明洙人民保安部長就任。
8日 朝鮮中央通信,金正日の慈江道内工場・企業現地指導を報道。金正恩同行。
12日 人民軍最高司令官命令,人民軍指揮成員の軍事称号を昇級。
15日 国家品質監督局,国家品質監督委員会に昇格。
20日 朝鮮中央通信,金正日の金策製鉄連合企業所現地指導を報道。
20日 朝鮮中央通信,金正日の輸城川総合食料工場現地指導を報道。
21日 朝鮮中央通信,金正日の恵山青年鉱山現地指導を報道。
22日 朝鮮中央通信,金正日の羅津造船所現地指導を報道。
23日 朝鮮中央通信,金正日の城津製鋼連合企業所現地指導を報道。
24日 金正日,龍城機械連合企業所を現地指導。
26日 アメリカのカーター元大統領ら,来訪(~28日)。
29日 金剛山国際観光特区設置。
29日 世界食糧計画(WFP),朝鮮に対して緊急食糧支援を開始すると発表。
  5月
4日 金正日,人民軍総合体育館開館式参席。金正恩同席。
6日 金正日,平壌市内軽工業工場を現地指導。
7日 朝鮮中央通信,金正日の南興青年化学連合企業所現地指導を報道。
10日 アメリカのNGO「サマリタンズ・パース」会長のグラハム牧師,来訪(~13日)。
12日 朝鮮中央通信,金正日の球場養魚場現地指導を報道。
17日 金正日,ロシア対外情報局のフラトコフ長官と会談。
18日 朝鮮中央通信,金正日の龍田果樹農場・徳城果樹農場現地指導を報道。
20日 金正日,中国訪問(~26日)。
24日 アメリカ国務省のロバート・キング人権・人道主義問題担当特使,来訪(~28日)。
28日 朝鮮中央通信,金正日の煕川発電所建設場現地指導を報道。金正恩同行。
30日 国防委員会,声明で李明博政権を「これ以上相手にしない」と発表。
  6月
2日 朝鮮中央TV,金正日の自然科学研究所(養魚研究所)現地指導を報道。
2日 金正日,高山果樹農場を現地指導。
4日 跆拳道師範団,訪米(~21日)。
6日 党中央委員会政治局拡大会議。
6日 黄金坪・威化島経済地帯を設置。
8日 黄金坪・威化島経済地帯と羅先経済貿易地帯の朝中共同開発・共同管理プロジェクト着工式(~9日)。
8日 中国共産党政治局委員・書記の李源潮組織部長,来訪(~13日)。13日,金正日会見。
23日 朝鮮中央通信社の金炳浩社長,AP通信社の招請で訪米(~7月1日)。
  7月
4日 朝鮮中央通信,金正日の楽元機械連合企業所現地指導を報道。
4日 朝鮮中央通信,金正日の龍川郡新岩協同農場現地指導を報道。
10日 朝鮮中央通信,金正日の第2次平壌第一百貨店商品展示会場現地指導を報道。
10日 朝鮮中央通信,金正日の中央動物園現地指導を報道。金正恩同行。
10日 中国共産党政治局委員の張徳江副総理,来訪(~12日)。12日,金正日会見。
13日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第963軍部隊指揮部視察を報道。
21日 朝鮮中央通信,金正日の大同江果樹総合農場・大同江果物総合乾燥工場現地指導を報道。金正恩同行。
24日 道・市・郡人民会議代議員選挙。
25日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍海軍司令部視察を報道。金正恩同行。
25日 金正日,党中央軍事委員会と国防委員会の戦勝節慶祝宴会に出席,金正恩同席。
28日 ニューヨークで金桂冠外務省第一副相,ボズワース特別代表と会談(~29日)。
28日 朝鮮中央通信,金正日の5月11日工場現地指導を報道。金正恩同行。
28日 朝鮮中央通信,金正日の2・8ビナロン連合企業所現地指導を報道。
  8月
18日 アメリカ国務省,朝鮮の洪水被害に対して緊急支援を実施すると発表。
20日 金正日,ロシア・シベリアおよび極東地域を訪問(~27日)。24日,メドベージェフ大統領と会談,25日,中国東北に立ち寄り。
30日 朝鮮中央通信,金正日の煕川発電所建設場現地指導を報道。金正恩同行。
30日 朝鮮中央通信,金正日の龍林郡現地指導を報道。金正恩同行。
  9月
8日 朝鮮中央通信,金正日の普通門通り肉類商店現地指導を報道。金正恩同行。
8日 朝鮮中央通信,金正日の平壌市内諸部門事業現地指導を報道。金正恩同行。
9日 建国63周年労農赤衛隊閲兵式,金正日参加,金正恩同席。
10日 朝鮮中央通信,金正日の木蘭ビデオ社現地指導を報道。金正恩同行。
10日 金煕英原油工業相,ロシア訪問(~20日)。
19日 恵山青年鉱山現代化設備および惠中鉱業合営会社操業式。
21日 ラオス共産党のチュームマリー書記長,来訪(~23日)。23日,金正日と会談。
21日 韓国の7大宗教代表団,来訪。
26日 崔永林総理,中国訪問(~30日)。
  10月
3日 金正日,端川港建設場を現地指導。
3日 朝鮮中央通信,金正日の龍田果樹農場現地指導を報道。
3日 朝鮮中央通信,金正日の端川マグネシア工場現地指導を報道。
3日 ロシア非常事態省国際人道主義作戦保障局のベラヴェンツェフ局長,来訪(~6日)。
7日 朝鮮中央通信,金正日の楽浪栄誉軍人樹脂日用品工場現地指導を報道。
7日 朝鮮中央通信,金正日の平城合成皮革工場現地指導を報道。
9日 朝鮮中央通信,金正日の中央養苗場現地指導を報道。金正恩同行。
9日 朝鮮中央通信,金正日の太陽熱設備センター現地指導を報道。金正恩同行。
9日 朝鮮中央通信,金正日の斗団アヒル工場現地指導を報道。
12日 朝鮮中央通信,党中央軍事委員会での金正日を招待しての党創建66周年宴会報道。金正恩同席。
13日 朝鮮中央通信,金正日の大同江スッポン工場現地指導を報道。金正恩同行。
13日 羅津=ハッサン鉄道区間試験列車運行。
13日 朝鮮中央通信,金正日の大同江豚工場・大同江網工場現地指導を報道。金正恩同行。
15日 朝鮮中央通信,金正日の大興青年英雄鉱山・龍陽鉱山現地指導を報道。
16日 朝鮮中央通信,金正日の咸興市内重要企業現地指導を報道。金正恩同行。
17日 朝鮮中央通信,金正日の咸州郡東峰協同農場現地指導を報道。
17日 ロシア・アムール州のコジャミャコ知事,来訪(~21日)。20日,金正日会見。
19日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第4304軍部隊視察を報道。金正恩同行。
19日 咸鏡南道内活動家・労力革新者・科学者・技術者,金正日の招請で平壌見学(~24日)。
22日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第985軍部隊指揮部視察を報道。金正恩同行。
22日 朝鮮中央通信,金正日の広徳豚工場現地指導を報道。金正恩同行。
23日 中国政府と経済技術協力協定調印。
23日 中国国務院の李克強副総理,来訪(~25日)。24日,金正日会見,金正恩同席。
24日 金桂冠外務省第一副相,ジュネーブでボズワース特別代表と会談(~25日)。
29日 朝鮮中央通信,金正日の慈江道現地指導を報道。金正恩同行。
31日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第789軍部隊視察を報道。金正恩同行。
31日 金正日,劉洪才駐朝中国大使と会見,金正恩同席。
  11月
2日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍空軍連合部隊訓練指導を報道。金正恩同行。
3日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第322軍部隊視察を報道。金正恩同行。
3日 朝鮮中央通信,金正日の台城機械工場現地指導を報道。金正恩同行。
4日 煕川蓮河機械総合工場活動家・労働革新者・技術者,平壌見学(~9日)。
7日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍空軍第813軍部隊視察を報道。金正恩同行。
11日 朝鮮中央通信,金正日の「キム・ジョンファンの養魚事業所」現地指導を報道。
12日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第580軍部隊管下「オム・ドクサンの養魚場」視察を報道。
13日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第534軍部隊管下総合食料加工工場視察を報道。
15日 中国中央軍事委員会委員・解放軍総政治部主任の李継耐上将,来訪(~18日)。17日,金正日会見,金正恩同席。
16日 南スーダン政府と外交関係設定に関するコミュニケに調印
17日 興南肥料連合企業所ガス化1系列工程操業開始。
17日 2・8ビナロン連合企業所水平紡糸・繊維生産工程操業開始。
22日 朝鮮中央通信,金正日の人民内務軍第3154軍部隊建設者との記念撮影を報道。
25日 朝鮮中央通信,金正日の「リ・ミョンジェの石加工工場」現地指導を報道。金正恩同行。
25日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第233大連合部隊指揮部視察を報道。金正恩同行。
26日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍空軍第1016軍部隊視察を報道。金正恩同行。
27日 朝鮮中央通信,金正日のクァイル郡現地指導を報道。金正恩同行。
30日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第630大連合部隊総合戦術訓練指導を報道。金正恩同行。
  12月
3日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍空軍第378軍部隊飛行訓練指導を報道。金正恩同行。
4日 金正日,凱旋青年公園遊戯場を視察,金正恩同行。
9日 金正日,咸鏡南道諸部門を現地指導(~10日)。
12日 ロシア連邦航空宇宙局のネラヂコ局長,来訪(~15日)。13日,政府間航空探索・救助分野協力協定に調印。
13日 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第966大連合部隊火力打撃訓練指導を報道。金正恩同行。
15日 朝鮮中央通信,金正日のハナ音楽情報センター現地指導を報道。金正恩同行。
15日 金正日,光復地区商業中心を現地指導。金正恩同行。
17日 金正日,死去。19日に発表。
30日 党政治局会議,金正日の「10月8日遺訓」により,金正恩を人民軍最高司令官にすることを宣布。
31日 党中央委員会・党中央軍事委員会共同スローガン発表。

参考資料 朝鮮民主主義人民共和国 2011年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  朝鮮労働党中央機構図
③  党および国家機関の指導メンバー
③  党および国家機関の指導メンバー(続き)

主要統計 朝鮮民主主義人民共和国 2011年
1  国家予算収入総額(2003~2011年)
2  国家予算支出総額および収支(2003~2011年)
3  国防費(2003~2011年)
4  工業生産の伸び(2000~2009年)
5  主要国の対朝鮮貿易(2006~2011年)
 
© 2012 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
feedback
Top