2013 年 2013 巻 p. 155-182
2012年の台湾は1月に行われた総統選挙と立法院選挙の同日選で始まった。結果,現職の馬英九総統が再選され,5月からさらに4年の任期を務めることになった。また,立法院選挙では国民党が前回の獲得議席より減らしたものの,過半数を制することになった。しかし,政府は電気料金の値上げやアメリカ産牛肉輸入再開で住民から反発を買うことになった。さらに,台湾政府は日本の尖閣諸島国有化に反発する一方で,中国とは共闘しない姿勢もとり続けた。
経済では,欧米の景気減速の影響を受け,2012年の実質経済成長率は1.26%と,前年を大きく下回った。また,鴻海精密工業がシャープに出資する話が注目された年であった。中国との関係では,8月末に中台通貨の直接取引に合意するとともに,中台交渉窓口機関のトップ会談で長年の懸案であった投資保護協定にようやく合意するに至った。
日本との関係では尖閣諸島問題を除いては,ほぼ順調な関係が続いた。とくに,日台断交40年であった2012年には,東日本大震災への多額の義援金と支援に対する日本の感謝の気持ちとして,断交後初めて駐日代表が春の園遊会に招待され,また過去最高人数の受勲があった。アメリカとの関係では,懸案であったアメリカ産牛肉輸入問題が解決した。
1月14日,総統・副総統選挙と立法院選挙が実施された。これらの選挙を同日選で行ったのは初めてであった。この総統・副総統選挙に立候補したのは,国民党から馬英九(総統)・呉敦義(行政院長)コンビ,民進党から蔡英文・蘇嘉全コンビ,また有権者署名によって立候補ができた親民党の宋楚瑜・林瑞雄コンビの3陣営であったが,事実上は国民党と民進党の一騎打ちとなった。この選挙では,さまざまなネガティブ・キャンペーンが展開されたが(『アジア動向年報2012』参照),結局最大の争点として浮上したのは対中政策の要である「92年コンセンサス」に対する考え方であった。このコンセンサスは,1992年に中台の窓口機関の折衝で形成されたといわれる考えであり,文書化されたものではない。また,このコンセンサスの解釈については,当時の国民党政府は「『ひとつの中国』の中身については(中華民国と中華人民共和国)それぞれが述べ合うことで合意した」と解釈している(一般に「一中各表」と呼ばれる)。
馬政権は,このコンセンサスを中台交渉の前提条件として,2008年以降2011年末までに7回にわたる中台窓口機関でのトップ会談を実施するとともに,三通(中国との直接の通商,通航,通信)の解禁や経済協力枠組協議(Economic Cooperation Framework Agreement:ECFA)などの経済分野における改善につなげた。国民党側はこのコンセンサスによって,中国との関係が改善できたとするとともに,今後も交渉の基盤になるという考え方で選挙運動を展開した。
一方,民進党側は,このコンセンサスは文書化されていないこと,中国側の解釈は「ひとつの中国」であるために,蔡英文候補は「92年コンセンサスは存在しない」と主張し,また台湾住民による民主的な手続きを踏まえた「台湾コンセンサス」を構築したうえで,中国との交渉に当たるべきとの主張を展開した。
蔡英文候補のこの主張については経済界からは反発が起き,2011年12月以降には一部の大企業の経営者が92年コンセンサスを認める立場を表明した。それに伴って,馬候補への支持も明らかにする経営者もいた。これらの経営者は,92年コンセンサスがない状況では中国との安定的な関係の構築はもちろん,対話や経済的な関係は強化できないとの立場を鮮明にした。
また,蔡英文候補側は総統選に勝利しても,立法院では民進党が過半数を獲得することはできないという「ねじれ現象」が起きることを想定して,1月8日には行政院長への民進党以外からの人材登用を含め,連立構想を打ち出した。しかし,この連立構想は民進党から出馬した陳水扁前総統が2000年に当選した際,国民党籍の唐飛氏を行政院長に任命したものの,わずか4カ月で辞任した時と同じようなイメージをもたれることになり,かえって民進党への政権交代に不安を増幅させることになった。
選挙結果は,馬・呉コンビが蔡・蘇コンビに約80万票差をつけて勝利し,馬候補は再選された(表1)。しかしながら,国民党候補の得票率は前回の58.45%から51.60%と大きく下がった。馬候補は勝利演説のなかで,中国との関係については「中華民国憲法の下,『統一せず,独立せず,武力行使せず』という主張がおおむね認められた。これこそが台湾の共通認識と思う」と述べた。一方,蔡英文候補は選挙敗北の責任をとり,同日夜,民進党主席の辞任を表明した。なお,投票率は74.38%であり,過去最低であった。
(注) 候補者名は,左が総統候補,右が副総統候補。
(出所) 中央選挙委員会ウェブサイト(http://web.cec.gov.tw/bin/home.php)。
総統選挙と同時に行われた立法院選挙は,2回目の小選挙区比例代表並立制で実施された。投票率は,小選挙区と原住民枠で74.47%,比例区・華僑枠で74.33%であった。
選挙結果をみると,国民党が獲得議席を減少させた一方,民進党が前回より13議席伸ばす結果となった(表2)。より詳細にみると,国民党は前回選挙時の獲得議席81議席を大きく下回る64議席にとどまったが,過半数を制することになった。一方,民進党は前回選挙で13議席しか獲得できなかった小選挙区で中南部を中心に27議席を獲得したことが党勢回復につながり,40議席を獲得した。議席全体の3分の1以上を獲得したので,行政院長の不信任決議案を提出することが可能となった。さらに,今回の選挙では,親民党や台湾団結聯盟(台聯)も議席を回復した。親民党は前回選挙で1議席を獲得したが,その後議員の選挙違反による失職で議席を失い,また台聯は前回選挙で議席が獲得できなかった。今回の選挙では,親民党と台聯ともに3議席を獲得したため,立法院の院内協議に参加できることになった。
(注) 前回議席数は2008年選挙時の獲得議席数。-は候補者をたてていない。
(出所) 表1と同じ。
呉敦義行政院長は総統選挙で副総統候補として馬総統とともに立候補し,当選した。呉敦義院長は1月31日に立法委員の任期が切れ,翌日に立法院が1月14日に当選した新たな立法委員を招集することもあり,1月31日に内閣総辞職をした。同日午後に,陳冲副院長が新行政院長として任命され,その後閣僚名簿を発表した。交通部長や経済部長など一部の閣僚は留任,他方,かつて民進党に所属した楊秋興・前高雄県長が政務委員として入閣した。2月6日に業務の引き継ぎが行われ,陳冲内閣は本格的に始動した。
アメリカ産牛肉の輸入再開と混乱台湾では,2010年1月に牛肉の危険部位を輸入禁止にする法案が成立していた。その後,アメリカ産牛肉に赤身を増すために使用されるラクトパミンという添加物が含まれているために,消費者団体を中心により厳しい措置をとるべきとの声が高まった。そのため,立法院では与野党による解禁反対の法案が提出されるに至った。この措置がアメリカ側との関係において,最大の問題となっていた。
馬総統は再選直後の2月1日,アメリカ在台湾協会(AIT)のレイモンド・バッガード理事長と会談した際,6日に成立する陳冲内閣がアメリカ産牛肉の輸入規制を緩和することを示唆する発言をした。この規制緩和の背景には,アメリカが1月に行われた総統選挙で馬総統の再選を陰で支持した見返りともいわれている。これに対して,民進党籍の市長と県長はラクトパミンの使用禁止を呼びかける声明を発表した。また,消費者の反発を受けて,大手スーパーでは独自にアメリカ産輸入牛肉の販売を無期限で中止した。
しかしながら,行政院は3月2日,安全の確認,豚肉との分離,産地表示の義務付け,そして内臓を取り除くという4条件を付けたうえで,輸入再開の方針を明らかにした。この方針に対して,養豚農家を中心とした畜産団体などが反発し,3月8日には台北でデモ行進が行われた。6月12日には立法院で食品衛生管理法改正案が採決される予定であったが,民進党側が本会議場を占拠し採決を妨害したために,結局採決はできなかった。
その後,国際食品規格委員会(コーデックス委員会:CAC)が7月5日にラクトパミンの残留基準を10ppb (1ppb=10億分の1)と決定した。これを受けて,政府は改正案成立後に,CACの基準を参考に2週間以内に台湾独自の基準を制定し,公告を通じて産地表示の義務化を徹底させることとした。また,政府は改正案で豚肉の輸入は引き続き禁止することを盛り込んだため,最終的には与野党が妥協して7月25日に臨時立法院会で賛成多数で可決した。
馬総統の第13代総統就任演説5月20日に馬総統は正式に第13代総統として,呉副総統とともに宣誓をし,第2期政権がスタートした。宣誓後には就任演説が行われ,今後4年を展望し,「黄金の10年」の国家ビジョンをもって奮闘すると述べた。そして,経済成長のエネルギー強化,雇用の創出と社会における公平と正義の定着,低炭素とグリーンエネルギーの環境づくり,文化的国力の構築,人材の積極的な育成と招聘を国家発展の5本柱と位置づけ,これらによって台湾の国際競争力を高めて幸福な社会へと邁進すると宣言した。
また,馬総統は両岸の和平,実務的な活路外交,強固な国防が台湾の安全を確保する鉄のトライアングルになるとの認識を示した。そのなかで,両岸の和平については,中華民国憲法が両岸関係に取り組む際の最高指導原則であり,台湾海峡の現状を維持し,92年コンセンサスを基礎に中国との和平を推進しなければならないとした。活路外交については,アメリカに続いて日本を取り上げ,第1期馬政権での日本に関する外交成果である在外公館(台北駐日経済文化代表処札幌分処)の設置,航空,文化,投資などに関して,過去40年でもっとも友好的な「特別なパートナーシップ」を確立したと振り返った。2008年就任演説では日本との関係はまったく触れられなかったこともあり,対日関係を重視しているとみることができよう。
外交関係ポストの人事交代馬総統は9月になって,中国を含む外交ポストでの人事交代を実施した。これは当初6月に中台交渉窓口機関のトップ会談(江陳会談)が予定されていたために外交関係ポストの多くをそのまま留任させたことが背景にある(実際には江陳会談は8月に実施)。この交代で,行政院大陸委員会主任委員に王郁琦・国家安全会議諮門委員,交渉窓口機関である海峡交流基金会(海基会)の董事長(理事長)は江丙坤氏から林中森・国民党秘書長に交代することになった。また,胡為真・国家安全会議秘書長の辞任に伴い,袁健生・駐米代表が後任に,駐米代表の後任には金溥聡・元国民党秘書長が就任することになった。なお,頼幸媛・行政院大陸委員会主任委員はWTO代表に転出することとなった。
9月27日には楊進添・外交部長が総統府秘書長に就任が決まったことに伴い,後任の外交部長に林永楽・駐EU代表が就任した。
海基会の林中森・董事長は10月16日からプライベートを含めて初めて訪中し,同日には中国側の交渉窓口機関の陳雲林・海峡両岸関係協会長と会談した。この会談では,両岸窓口双方による相手先への出先機関の設置について早急に協議,交渉をすることになった。
民進党主席選挙の実施民進党の蔡英文主席は総統選挙敗北の責任をとり,開票日であった1月14日に辞任を表明した。その後,蔡英文主席は2月29日に正式に辞任することになり,5月に後任を選ぶ主席選挙を行うことになった。新主席が決定するまでは,陳菊・高雄市長が代理主席として職務を代行した。主席選挙は4月2日告示,9日から13日までを立候補受付期間とし,投票は5月27日に実施となった。
主席選挙には,蘇煥智・前台南県長,蘇貞昌・元行政院長,呉栄義・元行政院副院長,許信良・元党主席,蔡同栄・前立法委員の5名が立候補した。選挙期間中には3回にわたるテレビ討論会が開催された。5月27日には投開票が行われ, 蘇貞昌候補が5万5894票(得票率50.47%)を獲得し,主席に選出された。なお投票率は68.62%であった。
日本の尖閣諸島国有化に対する反発2012年は台湾も領有権を主張する尖閣諸島(台湾では「釣魚台」)で日本と大きく対立した。1月16日に,日本政府が39の無名島に命名する方針を発表し,そのなかに尖閣諸島の島が含まれていたことに対して,翌17日には外交部は領有権を主張して抗議した。また,4月17日に石原慎太郎東京都知事(当時)がアメリカで尖閣諸島購入の意向を示した際には,外交部は中華民国固有の領土だと主張し,日本政府に対して慎重に対応するように求めた。6月28日午前の東京都議による尖閣諸島の周辺海域の視察にも,外交部は同日日本側に「重大な関心」を伝えた。また,同日午後には行政院海岸巡防署の巡視船が尖閣諸島の大正島付近を航行したことに交流協会(日台間実務関係を維持するための日本側の大使館に相当する機関)が抗議する一方,外交部側は「定例の巡視,警護任務」とし,抗議の受け入れを拒否した。
馬総統は日本政府の尖閣諸島の国有化方針に反発した。日本政府が尖閣諸島国有化の方針を決定した7月7日には,馬総統は「釣魚台に対する主権は一歩も譲れない」ことを強調し,日本政府が1895年に尖閣諸島を領土に編入したという主張に対しても「事実上の不法占拠といっても過言ではない」と非難した。日台関係が良好な状況でも「民族の大義,国家の主権は別問題」との立場を示した。その一方,馬総統は新たな提案を行った。8月5日に発表した「東シナ海平和イニシアティブ」である。このなかで,馬総統は自己抑制,紛争の棚上げ,国際法の遵守,東シナ海行動規範の策定検討,資源共同開発の枠組み確立に努め,平和を維持するべきだと呼びかけた。
しかし,それ以降も,尖閣諸島の領有権問題はくすぶり続けた。8月19日には,尖閣諸島周辺で開催されていた慰霊祭に出席した日本の一部地方議員が尖閣諸島に上陸したことに対し,楊進添・外交部長が交流協会台北事務所に対して厳重に抗議をした。また,9月7日には馬総統は日本を牽制するために,尖閣諸島から140キロメートルの彭佳嶼を視察し,あわせて巡視船7隻も出動した。同時に,馬総統はこの視察で東シナ海平和イニシアティブを推進する具体的な構想を発表した。
これ以降,さらに問題は複雑化することになった。9月11日に日本政府が尖閣諸島を購入し国有化した。沈斯淳・台北駐日経済文化代表処代表(駐日大使に相当)は同日,今井正・交流協会理事長に国有化は中華民国の主権侵害であるとして厳重に抗議した。そして,12日午後には沈斯淳・代表は日本の尖閣諸島国有化について説明するために,台湾へ戻った。日台間には直接的な外交関係がないとはいえ,大使と同等の駐日代表が召還されるという極めて厳しい状況に陥ったのである。その後,沈斯淳・駐日代表は10月4日に馬総統や立法院への報告業務が終わったとして日本に戻った。
また,8月14日にも台湾の民間団体である中華保釣協会が尖閣諸島を目指す香港の抗議船と合流を予定していたが,船主が協力を拒否したため計画が取りやめになった。9月24日には,日本の尖閣諸島国有化への抗議と,生活のための漁業権を守るために,台湾宜蘭県の漁船60隻が出港し,巡視船12隻も同行した。漁民たちは宜蘭県政府に燃料費の補助を求めたが断られ,『中国時報』やホテルなどを傘下におく旺旺グループの蔡衍明・総裁(会長)から燃料費の援助を受けて出港した。翌25日午前7時40分頃から午前9時にかけて漁船約40隻と巡視船8隻が魚釣島の西南西約22キロメートルの領海内に侵入し,日本側では海上保安庁の巡視船が拡声機で警告するとともに,領海に侵入した漁船に放水をした。一方,台湾側の巡視船も無線や電光掲示板で直ちに退去するように求めるとともに,放水で応戦した。また,台湾の漁船には台湾メディア関係者60人が乗船し,実況中継をした。最終的には午前10時頃に集団で魚釣島から離れた。台湾によるこの規模の領海侵犯は1996年以来のことであった。馬総統は27日に,領海侵犯をした漁民たちと総統府で会見し,日本に反省を促した。
一方,日本側もこの状況を打開するために,9月25日に今井正・交流協会理事長が日帰りで急きょ訪台し,楊進添・外交部長と会談した。会談では楊進添・外交部長は中華民国の厳正な立場を理解してほしいと要請をした。また,玄葉光一郎外相(当時)は10月5日に交流協会台北事務所を通じてメッセージを発表した。そのメッセージのなかでは尖閣問題にも言及し,偶発的衝突を招きかねない挑発的行為を相互に自制しつつ,実務的かつ具体的な協力を進めていくことが重要であるという点について,日台双方の認識は一致していると指摘した。日本の新聞社は外交関係がない台湾に対してのメッセージは異例と報じた。
なお,この尖閣問題に関しては,台湾は中国とは一線を画した対応をとった。たとえば,4月25日に中国国務院台湾事務弁公室が会見で南海諸島と尖閣諸島は中国と台湾が共同で守る責任があると発言したことに対して,頼幸媛・行政院大陸委員会主任委員は翌日の立法院で「これら諸島は中華民国固有の領土であり,認められない」とし,「領有権を巡る問題解決に中国と共同戦線を張ることはない」との立場を表明している。
2012年の実質経済成長率は1.26%であり,2009年に次ぐ低い成長率であった。四半期ごとの成長率(前年同期比)をみると,第1四半期0.59%,第2四半期マイナス0.12%,第3四半期0.73%,第4四半期3.72%となり,第4四半期を除いて経済は低調であった。この要因は,輸出の成長率が前年比0.13%とほとんど伸びなかったこと,投資が前年比マイナス3.6%になったことがあげられる。欧米をはじめとする世界経済の不調が輸出や投資に影響を与えたのである。
貿易については,2012年の輸出総額が2546億ドル,輸入総額が2278億ドルであり,前年よりそれぞれ17.4%,19.1%の減少となった。相手先上位3国・地域は,輸出では中国,香港,アメリカ,輸入では日本,中国,アメリカであり前年と同じ国・地域であった。貿易総額に占める中国の割合は前年21.6%から25.2%と大きく増加し,中国への依存度は一段と高まった。しかしながら,中国との貿易は前年より輸出では3.8%,輸入では6.2%,それぞれ減少した。
2012年の中国を除く対外直接投資は,承認ベースで321件,80億9864万ドルであり,前年より件数で15件,金額で44億181万ドルそれぞれ増加した。郭台銘・鴻海精密工業董事長(会長)によるシャープ子会社への投資によって,日本への投資が10億ドルを超えたことが要因のひとつである(後述)。一方,対中直接投資は承認ベースで636件,127億9208万ドルであり,前年より件数で251件,金額で15億8455万ドル減少した。中国への投資のうち,製造業が件数の51.1%,金額の58.8%を占めたが,前年の64.3%,72.2%より大きくその割合を減少させた。
消費者物価の上昇率は1.93%であった。このうち,サービス類は0.74%,商品は3.38%それぞれ上昇した。農産物を除いた商品の物価上昇率は1.30%,さらに水産物とエネルギーを除くと0.93%であった。6月の豪雨の影響を受けた農産物の生産不良と原油価格の上昇が消費者物価の上昇を招くことになった。なお,失業率は4.24%であり,前年の4.39%をわずかに下回った。
電気料金値上げの混乱再選を果たした馬総統は,2月3日に新しい閣僚が任命されたことに伴い関係閣僚を集め,電気や石油,水道の価格を合理的な水準にするよう指示した。この背景には,これらが産業にとって非常に重要であるため,これまで価格設定を低めにしてきたことにある。また,公営企業である台湾電力や中国石油の赤字経営が進み,その対応も必要であったことがあげられる。とくに,電気料金については施顔祥・経済部長が3月12日に「料金を調整(値上げ)しなければ,台湾電力の経営は来年にも破綻する」と発言した。
これを受け,経済部は4月12日に電気料金値上げを発表した。その内容は実施日を5月15日からとし,住宅用で平均16.9%,商業用30%,工業用35%それぞれ引き上げ,全体では平均29.5%引き上げるというものであった。とくに,工業用の値上げ後の料金は韓国よりも2割以上割高になり,産業競争力に影響を及ぼすと,産業界からも反発の声が上がった。
4月30日には政府与党会議が開催され,そのなかで王金平・立法院長が「産業,市民への影響が大きすぎるので,値上げ幅の縮小と段階的な実施にするべき」と提言し,出席者の多くもこの提言に賛同した。これを受け,馬総統は5月1日に経済部で開催された電気料金調整会議に出席し,その後記者会見で料金を段階的に上げることを表明した。実施日を6月10日と12月10日とし,それぞれ値上げ幅全体の40%ずつ値上げし,残り20%は台湾電力が示す方法によって,実施日を決定するということになった。また,当初住宅用では1カ月当たり 120kWh以上を値上げの対象としていたが,対象を1カ月当たり 330kWh以上に引き上げた。同様に,商業用では当初はすべてを値上げ対象としたが,1カ月当たり 330kWh以下であれば対象外とし,工業用ではオフピーク時の値上げ幅を当初の62%から50%に引き下げた。
ただ,このような混乱を引き起こしたことで,5月2日には立法院経済委員会では「馬総統は全国民に対して謝罪するべき」という決議が採択された。9月になって,さらに状況は変化した。本来ならば12月10日に2回目の値上げをする予定であったが,17日に陳冲・行政院長が立法院で実施日を2013年10月1日に延期することを表明した。また,馬総統も2013年10月以降,燃料の国際相場の動きに応じて四半期ごとに電気料金を見直す制度を導入する考えも示した。
金融部門における中国との関係改善中国との経済関係において,2012年は金融分野での関係改善が進んだ。4月2日には,台湾系銀行である華南銀行は深圳支店での人民元取り扱いについて中国の銀行業監督管理委員会で認可されたことを明らかにした。また,6月7日には,行政院金融監督管理委員会が中国の大手商業銀行である中国銀行と交通銀行の台北支店の設置を許可した。中国銀行は認可後わずか3週間ほどの6月27日に開業式典を行った。この支店は中国の大手銀行が初めて台湾に設置した支店となった。
8月31日には中央銀行と中国人民銀行が元と人民元の直接取引を始めることで合意,「海峡両岸貨幣決算合作備忘録」(MOU)を締結した。この締結から60日以内に中台が決済銀行を指名して,台湾側の銀行は人民元業務が扱えるようになる。また,台湾系企業にとっては,中国との貿易決済でドルを介する必要がなくなり,コストを抑えることができる。さらに,個人は人民元建ての金融投資ができるようになる。中国での手続きが遅れたこともあり,60日以内に決済銀行を指名することはできなかったが,12月11日に中国人民銀行が中国側の決済銀行として中国銀行台北支店を指名したことを明らかにした。これによって,台湾での外国為替取扱銀行による人民元取扱業務の体制が整ったのである。
鴻海精密工業によるシャープへの出資2012年は日本にとって,台湾企業に注目が集まる年でもあった。その最たるものが,電子機器の受託製造サービスにおける世界最大手企業である鴻海精密工業グループ(鴻海)によるシャープへの出資であろう。3月27日に,シャープが鴻海と資本・業務提携することが発表された。その内容は,シャープが669億円の第三者割当増資を実施し,これを鴻海とそのグループ会社計4社に譲渡して資本調達を図ろうというものであった。これによって,シャープ本体への鴻海の出資比率は議決ベースで9.98%となり,筆頭株主になるというものであった。また同時に,堺工場を運営する子会社のシャープディスプレイプロダクト(SDP)社の株式の半数近くを鴻海の郭台銘・董事長に660億円で譲渡することも発表された。SDP社の株式譲渡は6月28日に郭台銘・董事長個人から郭氏の投資会社へ変更され,一部の株式譲渡が完了したことが明らかになった。そして,7月12日にはすべての株式譲渡が完了し,順調に進んだ。
しかし,シャープ本体への出資は順調にはいかなかった。これは,当初は資本の出資だけで終わると考えられていたためである。6月26日に開催されたシャープの株主総会では,奥田社長が鴻海から役員の派遣や追加出資は受けないと発言し,鴻海もこれに同意していた。しかし,8月に入ってから両社に見解の相違が出てきた。これは,シャープ株の急激な下落による。もともと,3月の発表の際には,経済部投資審議委員会の許可が得られ次第,2013年3月26日までに鴻海はシャープ株を1株550円で購入することになっていた。その後,シャープ株が下落し,8月3日には終値で206円となり,株価が半分以下になったのである。そのため,鴻海側が株式取得価格の見直しを両社で合意したと発表したが,シャープ広報はそれを否定,両社で食い違いが生じた。また,経済部投資審議委員会は,シャープ本体への出資は取得価格が高すぎることを理由に8月に差し戻したのである。
こうしたさなか,郭台銘・董事長が日台産業連携訪問団の一員として来日した際,SDPで予定されていた記者会見を欠席した。代理で会見を開いた鴻海ナンバー2の戴正呉・副総裁(副会長)はシャープとの交渉は継続中で,両社の共同発表までは何も話せず,今後はできるだけ早く結果を知らせるとだけ述べた。また,9月3日付の『聯合晩報』では郭台銘・董事長のインタビューが掲載され,シャープの経営に介入することを明言し,鴻海が経営にかかわれないのであれば銀行に出資を求めればよいと発言した。この発言によって,出資だけと思われていた鴻海は経営にも参画する意思を有することが明らかになり,さらに,鴻海は中小型液晶関連事業の分社化を求めていることも明らかになった。
こうした対立が表面化した一方, 12月4日になって事態はさらに変化した。シャープは研究開発資金を得るためにアメリカのクアルコム社に対し2回にわたって第三者割当増資を行うことが明らかになった。具体的には,第1次第三者割当増資では,シャープがクアルコム社に対し12月27日を払込期日とする3012万株(発行済株式総数の2.64%)を発行し49億円を調達し,第2次第三者割当増資では2013年3月29日を払込期日とすることになっている(発行株式数,調達金額は未定)。郭台銘・董事長は事前にシャープからクアルコム社の出資の連絡は受けていて,出資交渉に影響はないとの認識を示した(『聯合報』12月6日付)。2013年2月末現在,鴻海は経済部投資審議委員会にシャープへの投資申請を提出していない。そのため,出資自体が危ぶまれている状況といわざるをえない。
東日本大震災に際しては,台湾から200億円を超える義援金や物資が届けられた。それに対する日本の謝意を表すため,交流協会台北事務所は3月10日以降特別事業を実施した。主な事業としては,テレビの特別放送やCM,主要新聞紙への感謝広告の掲載などがあげられる。CMは,YouTubeでも公開された。
その一方,3月11日に日本政府が国立劇場で主催した追悼式典では,出席していた羅坤燦・駐日副代表が台湾代表としての指名献花から外されていたことが翌12日の参議院予算委員会で明らかになり,野田佳彦首相(当時)が陳謝した。この件に対しては,台湾政府はとくに抗議などは行わなかった。3月12日には,馬総統は交流協会台北事務所が台北で開催した東日本大震災追悼・復興レセプションに出席した際,あいさつの中で,福島第一原発の30キロメートル圏内と計画的避難地域を除いて,福島県への渡航延期勧告を解除したことを明らかにした。これに対して,玄葉外相(当時)は記者会見でこの解除を評価した。
また,4月19日に天皇・皇后両陛下が主催された春の園遊会では,馮寄台・駐日代表夫妻が出席した。園遊会への招待は日台断交後初めてのことであり,天皇陛下が直接馮寄台・駐日代表に台湾からの支援に対して謝意を示された。馮寄台・駐日代表は5月22日に東京で開催された離任レセプションでこのことを「外交官生活における最高の栄誉だ」と述べた。
さらに,叙勲受章者についても,春と秋にそれぞれ4人が受章した。これは,2005年からの台湾への叙勲再開でもっとも多い受章者数であるだけでなく,春の叙勲で選ばれた張榮發・エバーグリーン総裁と辜濂松・中国信託ホールディングス会長は断交後最高位の叙勲となった。張榮發・エバーグリーン総裁は5月8日に皇居での伝達式に出席し,天皇陛下に謁見した。
経済関係では,4月11日に日台特許審査ハイウェイ試行プログラムについての覚書を交流協会と亜東関係協会で締結し,5月1日から実施された。この覚書の締結によって,日台の特許機関が相互に審査ができるようになるとともに,一方で特許を申請すれば,相手側でも特許取得の優先権を主張できるようになる。また,11月29日には電気製品分野の日台相互承認取決め(MRA)と日台産業協力架け橋プロジェクトの協力強化に関する覚書(MOU)を締結した。前者は,輸出側の検査に基づく認証結果を輸入側も受け入れる制度であり,日本側にとって台湾は6番目の締結先となった。適用される製品は日本側454項目,台湾が277項目である。これによって,輸出入において時間と費用を削減することが可能となる。自由貿易協定(FTA)に関しては,馬総統は5月16日に樽井澄夫・交流協会台北事務所代表と会談した際,締結を強く希望した。
また,日本では出入国管理及び難民認定法が7月9日に改正施行され,ICチップ内蔵の在留カードが発行されることになった。これにあわせて,これまで台湾出身者の国籍が「中国」と記載されていたものが,「台湾」の記載に変更された。
2009年以来交渉が中断している日台漁業交渉に関しては,馬総統が8月20日にNHKの単独インタビューで交渉再開に期待を表明した。また,9月にロシア・ウラジオストックで開催されたAPEC首脳会議の際には野田首相(当時)と連戦・総統特使(元副総統,国民党名誉主席)が会談し,尖閣諸島周辺での漁業権について協力を進めることで合意した。10月には漁業交渉が3年ぶりに再開されるとの報道もあったが,本交渉ではなく交渉合意のための予備会合が東京で11月30日に開催された。尖閣諸島の主権問題に絡み,一時は交渉再開困難との話もあったが,予備会合にこぎつけることはできた。会合では漁船の操業水域や漁業資源の管理などについて説明と意見交換が行われた。また,双方の主張に相違はあるものの,協議を継続していくことでまとまった。
アメリカとの関係アメリカとの関係についても,おおむね順調であった。馬総統の再選に関しては,ホワイトハウスは声明を発表し,馬総統の再選を祝福するとともに,台湾海峡情勢の平和と安定,中台の関係改善はアメリカにとって極めて重要だと指摘した。また,馬政権下での中台関係の深化が今後も継続することへの期待を表明した。
しかしながら,馬総統の再選については祝福したものの,アメリカ産牛肉の輸入再開が決まるまでは(既述),アメリカからの圧力があったのも事実であった。たとえば,フランシスコ・サンチェス商務省次官の訪台延期である。当初,次官は輸出倍増計画推進のために日本を訪問後,3月4日から6日まで台湾を訪問し,その後ベトナムを訪問する予定であった。しかし,訪台延期は3月1日になって突如AITから発表された。次官訪台が実現していれば,この10年間で最高位のアメリカ政府関係者の訪台であった。当初,台湾訪問を延期した背景にはアメリカ産牛肉問題が関係しているのではないかとの憶測も流れたこともあり,影響がまったくなかったとは言い切れなかった。
その後,台湾政府はアメリカ産牛肉輸入の再開を条件付きで認める道を開いたこともあり,2010年から停滞したアメリカとの貿易投資枠組協定(TIFA)交渉再開に向けての環境が整った。経済部では,税関協力,電子商取引,投資協定,企画相互認証の4分野での協定締結を目指そうとしている。また,馬政権は将来,環太平洋経済連携協定(TPP)加盟を希望しているため,加盟国の同意,とくにTPPで主導的な役割を果たしているアメリカの意向が重要であるとともに,今後米台交渉が順調に進むのか,注視する必要があろう。
台湾の尖閣諸島問題に対する対応について,アメリカは不満を募らせた。AITのスポークスマンは8月6日に,この問題について特定の立場をとらないが,領有権を主張する国々で平和的方法での問題解決を希望すると述べた。その後,台湾の漁船や巡視船が9月25日魚釣島に領海侵入をしたことに対しては,アメリカは10月2日から開催された米台国防工業会議に国務省と国防総省の高官が欠席するという対応をとった。これまでアメリカは,この会議に国務省からは国務次官補または国務次官補代理を,国防総省からは国防次官補または国防副次官補という高官が出席してきた。政府高官欠席の背景には,アメリカ国務省が尖閣諸島は日米安保条約第5条が適用範囲であるとし,その理由に1972年の沖縄返還以来,尖閣諸島は日本の施政権下にあることを挙げていることによるものである。
10月2日にはヒラリー・クリントン国務長官が台湾を37番目のビザ免除プログラム指定国・地域に含めることを明らかにし,11月から実施された。このプログラムの適用によって,観光・商用目的で最大90日間アメリカに滞在できることになった。
中国との関係呉伯雄・国民党名誉主席が3月21日から28日まで訪中し,22日には胡錦濤・国家主席と会談した。また,呉敦義・次期副総統も4月1日から訪中し,ボアオ・アジア・フォーラムに出席するとともに,李克強・副首相と会談した。この会談では,呉敦義・次期副総統は中台投資保護協定の早期締結など経済問題の議論だけではなく,台湾が国際民間航空機関(ICAO)や気候変動枠組条約(UNFCCC)への参加を希望していることを伝えた。さらに,9月のAPEC首脳会談では連戦・総統特使と胡錦濤・国家主席が会談し,胡錦濤・国家主席は台湾が適切な方式でICAOの関連活動に参与できるよう真剣に検討すると述べた。一方,民進党関係者も中国を訪問した。羅致政スポークスマンが3月,東呉大学副教授の立場で訪中し研究会に出席した。また,謝長廷・元主席も交流がある国際バーテンダー協会に個人参加するために10月4日から訪中した。
経済関係では,経済部は中国資本による第3次投資開放を3月20日に決定し,発光ダイオード(LED),太陽電池など製造業の115項目の中国資本への投資開放を実施することを発表した。これによって,製造業の97%が投資開放されることとなった。
また,中台交渉窓口機関の第8回トップ会談(江陳会談)は8月9日に開催された。当初は6月末の開催が予定されていたが,懸案であった投資保護協定での台湾企業経営者(台商)の安全問題,台湾企業と中国の投資先での紛争解決方法に関して調整がつかず,台湾側から延期を申し入れた。8月に開催された江陳会談では,投資保護協定(中国語名:「海峡両岸投資保障和促進協議」)と税関協力協定(中国語名:「海峡両岸税関合作協議」)に調印した。また,中台交渉窓口機関は投資保護協定における「身柄の自由と安全保障についてのコンセンサス」も共同発表した。この投資保護協定は2010年6月に調印した「両岸経済協力枠組協議」(ECFA)で協議項目のひとつであった。この投資保護協定の調印によって,中国で操業する台湾企業(台商)の財産権や経営権,身柄の安全などの権益強化が期待される。その一方で,台湾が紛争解決方法として望んでいた国際機関での仲裁は,中国が中台関係を「国内問題」と位置づけたために投資保護協定には盛り込まれず,台湾が譲歩した形となった。
その一方,中国の新しいパスポートに台湾を代表する景勝地である日月潭と清水断崖の図案が使用されていることが明らかになり,行政院大陸委員会は論争を引き起こす挑発的な行為であり,両岸の相互信頼を傷つけるものと批判した。
経済協力交渉に関する動き日本やアメリカ,中国以外の経済協力に関しては,いくつかの国との協定締結に向けた動きがあった。たとえば,マレーシアとはFTAにあたる経済協力協定(ECA)の締結に向け,マレーシアのシンクタンクと共同研究を始める方針を経済部が5月24日に明らかにしている。また,ニュージーランドともECA締結の正式交渉開始を明言した。さらに,韓国とも,台湾側から要請して6月に投資保障協定(BIT)締結に向けた交渉を行っていたことが明らかになった。韓国とのBITが締結できれば,1992年の断交以後,初めての関係樹立となる。
その一方で,もっとも早くから経済協力協議を進めていたシンガポールとの交渉は, 9月のAPEC首脳会議で連戦・総統特使とシンガポールのリー・シェンロン首相との会談で2012年中に締結との報道がされた。しかし,シンガポールと協議をしていた「シンガポールと台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域経済パートナーシップ協定」(ASTEP)は2012年には締結されなかった。
2013年1月31日,陳冲行政院長が健康問題と家族の事情のため辞任を表明し,後任には江宜樺副院長が昇格することになった。2月7日に正式に陳冲内閣が総辞職し,旧正月明けの2月18日に江宜樺内閣が発足した。新内閣発足にあわせて,経済部長と行政院経済建設委員会主任委員の重要経済閣僚が交代した。2013年は低迷した経済を立て直せるかどうかが課題になろう。
経済では,行政院主計総処は2013年2月22 日,2013年の実質成長率を3.59%,消費者物価指数の上昇率を1.37%との予測を公表した。全四半期を通じて,3%以上の経済成長率が達成可能との立場をとっている。2012年はゼロ成長であった輸出が回復し,株価上昇に伴う消費マインドの改善によって,民間消費の増加を予測している。また,民間投資も前年比7.8%増と予測している。中国との経済関係については,2010年に締結したECFAの対象品目が2013年1月1日からすべて関税ゼロになった。2013年はECFAの継続交渉が本格的に始まるかどうかが焦点になろう。また,中国人民銀行と中国銀行台北支店は1月25日に人民元業務に関する決済協議に調印,28日には台湾の中央銀行は中国銀行台北支店を人民元の決済銀行とすることを認可した。これによって,2月9日には46銀行で中国と台湾の通貨直接決済が開始された。この直接決済が始まったことによって,今後貿易や投資の緊密化が進むことになろう。
対外関係は,日本とは「日台民間漁業取決め」を2013年4月10日に交わし,合意した。この合意によって,日本との最大の懸案事項が解決した。また,アメリカとの関係については,牛肉の輸入問題が解決したこともあり,TIFAの交渉が再開でき,何らかの成案を得ることができるのかが焦点となろう。
(新領域研究センター研究グループ長代理)
1月 | |
3日 | 張榮發・エバーグリーン総裁,総統選での馬英九候補支持を表明。 |
3日 | 石垣市議の魚釣島上陸に対し,外交部が再度尖閣諸島の領有権主張。 |
5日 | 台北都市交通システム(MRT)新荘線,開通。 |
6日 | 陳水扁前総統,義母の葬儀出席のため仮出所。 |
9日 | 鴻海グループ傘下の富士康中国・煙台工場で労働者の抗議運動。 |
11日 | 李登輝元総統,新聞広告で民進党の蔡英文候補の支持を呼びかけ。 |
13日 | 李元総統,民進党の選挙集会に出席し,蔡英文候補の支持訴え。 |
14日 | 総統選・立法院選投開票。国民党の馬英九・呉敦義コンビ当選,立法院でも国民党過半数の議席獲得。 |
14日 | 蔡英文候補,総統選敗北の責任をとり民進党主席の辞任表明。 |
16日 | 第1回台日産業協力推進チーム会合,開催。 |
31日 | 陳冲次期行政院長,新内閣名簿発表。 |
2月 | |
1日 | 馬総統,バッガード・アメリカ在台湾協会理事長と会談。 |
1日 | 立法院,院長に王金平氏,副院長に洪秀柱氏を選任。 |
6日 | 呉敦義・行政院長退任,陳冲・行政院副院長が後任に就任し,内閣発足。 |
20日 | 行政院原子力委員会,稼働中の3原発の安全を報告。 |
22日 | 民進党,陳菊・高雄市長を代理主席に選出。 |
28日 | 外交部,馮寄台・台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表)の後任に沈斯淳・外交部常務次長をあてる人事発表。 |
29日 | 蔡民進党主席辞任。陳高雄市長が代理主席に就任。 |
3月 | |
1日 | 台湾港務股份有限公司設立。交通部傘下の港務局,支社に移行。 |
1日 | 米国商務省次官の訪台延期を発表。 |
2日 | 外交部,日本政府による尖閣諸島内の無名島への命名に対し抗議。 |
3日 | 台湾証券取引所,会社更生法申請の情報開示を怠ったことに対し,エルピーダメモリ社に100万元の罰金を科すことを発表。 |
4日 | 行政院,条件付きでアメリカ産牛肉輸入再開を決定。 |
7日 | 陳前総統,検査入院。翌8日,カテーテル手術受ける。12日退院。 |
8日 | 国立中央大学,海部俊樹元首相に名誉博士号授与。 |
10日 | 交流協会,東日本大震災への義援金や支援に対し,特別番組やCMの特別事業実施を開始。翌11日,主要紙に感謝広告掲載。 |
12日 | 野田佳彦首相,東日本大震災1周年追悼式での献花で台北駐日経済文化代表処を紹介しなかったことを陳謝。 |
12日 | 馬総統,一部を除いて福島県への渡航延期勧告解除。 |
20日 | 経済部,中国資本に対する第3次投資開放発表。 |
21日 | 呉伯雄・国民党名誉主席,訪中(~28日)。22日,胡錦濤・中国国家主席と会談。 |
21日 | 経済部台日産業協力推進事務室,発足。 |
26日 | 財政部,日中韓印による鉄鋼製品の反ダンピング調査実施を発表。 |
27日 | シャープ,鴻海精密工業との資本提携を発表。 |
28日 | エルピーダメモリ社,台湾証券取引所の上場廃止。 |
4月 | |
1日 | 交流協会,公益財団法人に移行。 |
1日 | 呉次期副総統,ボアオ・アジア・フォーラム出席のため訪中。李克強・副首相と会談。 |
1日 | 大陸委員会,中国人の台湾への個人旅行の対象住民の拡大,1日当たりの入国者数制限の引き上げを発表。 |
2日 | 中国の銀行業監督管理委員会,華南銀行深圳支店に人民元の取り扱いを認可。 |
7日 | 馬総統,初のアフリカ訪問(~18日)。 |
11日 | 樽井澄夫・外務省参与,24日付で交流協会台北事務所次期代表への就任が決定。今井正・現代表は交流協会理事長に就任へ。 |
11日 | 交流協会と亜東関係協会,特許審査ハイウェイ覚書に調印。5月1日に発効。 |
12日 | 経済部,5月15日からの電気料金の値上げ決定。 |
13日 | 民進党主席選挙に5人が立候補。 |
19日 | 春の園遊会に馮寄台・駐日代表夫妻出席。 |
26日 | 中国との経済協力委員会開催。 |
26日 | 第1回台湾研究世界大会,開催(~28日)。 |
29日 | 日本政府,春の叙勲で張榮發・エバーグリーン総裁,辜濂松・中国信託ホールディングス会長ら4人の受勲発表。 |
5月 | |
1日 | 馬総統,電気料金調整会議に出席,3段階で料金を値上げすると発表。 |
2日 | 政治大学日本研究センター,「台日関係40周年:回顧と展望」学術会議開催。 |
4日 | 彭淮南中央銀行総裁,アジア開発銀行年次総会で国の名称について抗議。 |
8日 | 張エバーグリーン総裁,春の叙勲の伝達式出席。天皇陛下に謁見。 |
10日 | 陳内閣,憲法の規定により総辞職。 |
10日 | 台湾電力,工業用電力値上げ修正を発表。 |
15日 | 中央選挙委員会,選挙法違反で馬総統に50万元の罰金決定。 |
16日 | 馬総統,樽井・交流協会台北事務所代表と初会談。 |
20日 | 馬総統,第13代総統に就任。 |
20日 | 陳行政院長就任,改造内閣発足。 |
20日 | 行政院文化建設委員会,文化部に昇格。行政院新聞局廃止。 |
20日 | 郭台銘・鴻海精密工業会長がシャープへの増額出資の意向表明。 |
21日 | 最高検特捜部,陳前総統を国家機密保護法違反などで起訴。 |
24日 | 経済部,マレーシアとの経済協力協定締結の共同研究開始を発表。 |
27日 | 民進党主席選挙実施,蘇貞昌・元主席当選。 |
29日 | 劉憶如・財政部長,辞任表明。翌日辞任。後任は張盛和・前財政部次長。 |
30日 | 蘇氏,民進党第14代主席に就任。 |
30日 | 沈駐日代表,着任。 |
6月 | |
7日 | 金融監督管理委員会,中国の中国銀行,交通銀行の台北支店開業を許可。 |
12日 | 豪雨により,桃園の工業園区で浸水被害。 |
27日 | 最高法院検察署,林益世・行政院秘書長の収賄疑惑の捜査開始。林・秘書長,29日辞任。 |
28日 | 中国銀行台北支店の業務開始。 |
7月 | |
1日 | 王金平・立法院長,訪日(~7日)。宮城・松島などの被災地も訪問。 |
2日 | 林・前行政院秘書長,収賄で逮捕。 |
4日 | 台湾の遊漁船,尖閣沖の領海に侵入。 |
7日 | 馬祖列島でカジノ建設についての住民投票。賛成票が過半数を占める結果に。 |
9日 | 日本の入管難民法改正施行。在留カードの国名表記を「台湾」の記載に変更。 |
10日 | 行政院秘書長の後任に陳士魁・副秘書長が昇格。 |
11日 | 馬総統,来年の国民党主席選挙に再出馬を表明。 |
15日 | 馬総統,戒厳令解除25周年追悼式典で政治犯などの犠牲者の遺族に対し謝罪。 |
16日 | ワールドゲームズ高雄大会,開催(~26日)。 |
25日 | 立法院,食品衛生管理法改正案,キャピタルゲイン課税法案,可決。 |
29日 | 周功鑫・国立故宮博物院長,辞任。 |
8月 | |
5日 | 馬総統,「東シナ海平和イニシアティブ」発表。 |
6日 | 蔡・前民進党主席の教育基金会成立。 |
8日 | 台湾赤十字組織が支援の公営住宅,福島県相馬市に完成。 |
8日 | 陳雲林・海峡両岸関係協会長,来訪(~10日)。9日に第8回江陳会談。中国と投資保護協定と税関協力協定に調印。 |
9日 | 労工委員会,最低賃金審議委員会開催,最低賃金引き上げ決定。翌年から適用。 |
19日 | 楊進添・外交部長,樽井・交流協会台北事務所代表を呼び,日本の地方議員による尖閣諸島上陸に抗議。 |
19日 | 総統府,陳前総統の勲章回収の法的解釈を法務部に請求。 |
20日 | 蔡・前民進党主席,呉副総統,劉・前財政部長を最高法院検察署へ告訴。 |
20日 | 行政院,2013年度中央政府総予算案承認。 |
20日 | 馬総統,NHKの単独インタビューに出演。 |
21日 | 聯華電子取締役会,日本子会社清算決議。 |
23日 | 故宮博物院,文物展の日本開催日程の見通し発表。 |
28日 | 鴻海精密工業,NECから液晶特許購入で合意。 |
30日 | 中台の海上保安機関で合同海難救助訓練実施。 |
31日 | 馬総統,南沙諸島(スプラトリー諸島)の太平島に上陸。 |
31日 | 中央銀行,人民元との直接決済で中国人民銀行と合意したことを発表。 |
9月 | |
1日 | 亜東関係協会,外交部東アジア太平洋司(局相当)に編入。 |
1日 | 記者など6000人がメディアの寡占化に反対のデモ実施。 |
3日 | 尹啓銘・経済建設委員会主任委員,台湾企業の里帰り投資への優遇案を馬総統に進言。 |
4日 | 立法委員3人,太平島に上陸。 |
6日 | 連戦・元副総統,第20回APEC首脳会議出席のため,訪ロ。7日,胡錦濤・中国国家主席と会談。 |
7日 | 台湾赤十字組織,第3回自由都市・堺平和貢献賞受賞。 |
7日 | 馬総統,彭佳嶼訪問。尖閣問題に関し,日中台の対話提案。 |
11日 | 陳行政院長,経済成長のための5政策を発表。 |
12日 | 尖閣諸島の領有権を主張する団体,交流協会台北事務所前で抗議。 |
12日 | 沈駐日代表,尖閣諸島問題を説明するために離日。 |
13日 | 国立故宮博物院の後任院長に馮明珠・副院長を任命。 |
17日 | 陳行政院長,2回目の電力料金値上げの延期を立法院で表明。 |
18日 | 民進党立法委員団,陳行政院長の不信任決議案提出。22日否決。 |
19日 | 外交部長,大陸委員会などの閣僚交代人事を内定。 |
21日 | 抗議船1隻が尖閣沖の接続水域に侵入。夜には台湾の巡視船も接続水域に侵入。 |
25日 | 今井・交流協会理事長,尖閣問題協議のため来訪。 |
25日 | 40隻の台湾漁船が尖閣沖に侵入。日台の巡視船が放水合戦。 |
27日 | 馬総統,漁船団と総統府で面会。 |
30日 | 上海万博の台湾館の移転完了。 |
10月 | |
1日 | 海岸巡防署の巡視船1隻が尖閣沖を航行。 |
1日 | 沈駐日代表,尖閣領有権の国際司法裁判所への提訴困難と表明。 |
2日 | クリントン米国務長官,11月1日から台湾を37番目のビザ免除国・地域に含めることを表明。 |
4日 | 謝長廷・民進党元主席,訪中(~8日)。 |
4日 | 沈駐日代表,帰任。 |
5日 | 陳前総統,重度のうつ病と医師団発表。 |
9日 | 行政院,中国から里帰り投資をする台湾企業に対し,外国人雇用で優遇措置の採用決定。 |
10日 | 外交部,アメリカの主要紙に尖閣諸島の領有権を主張する意見広告を掲載。 |
10日 | 経済部,外国からの対台湾投資を事前許可制から事後報告制への変更の方針表明。 |
11日 | 台北高等行政法院,中部科学工業園区の開発許可無効の判決。 |
16日 | 林中森・海峡交流基金会董事長,訪中(~21日)。 |
19日 | 立法院,尖閣諸島の主権を主張する決議を採択。 |
20日 | バチカンとの国交樹立70周年式典開催。 |
11月 | |
1日 | 台湾高等法院,陳前総統の刑を懲役18年6カ月,罰金1.56億元に裁定。 |
2日 | 日本工商会,経済建設委員会に政策提言白書提出。 |
3日 | 日本政府,秋の叙勲で黄政旺・元台日商務協議会長,曹永和・台湾大学兼任教授ら4人の受勲発表。 |
5日 | 台湾高等法院,呉淑珍・前総統夫人に懲役19年2カ月,罰金1.58億元の判決。 |
7日 | 衛生署食品薬物管理局,日本の厚生労働省と連携協定締結を公表。 |
8日 | 行政院,永久居留証の保持条件緩和を決定。 |
15日 | 馬総統,中国国民党主席名で習近平・中国共産党総書記に祝電送付。 |
21日 | 民進党,中国事務委員会設置。蘇・党主席が代表兼任。 |
23日 | 大陸委員会,中国政府が台湾をパスポートで自国領扱いしたことに非難声明。 |
26日 | 郁慕明・新党主席,汎藍陣営からの離脱宣言。 |
27日 | 香港の壱伝体,台湾のメディア事業を5社に売却することを決定。 |
28日 | 馬総統,大橋・交流協会長と会談。 |
29日 | 交流協会と亜東関係協会,電気製品分野の日台相互承認取決め(MRA)と日台産業架け橋プロジェクト協力強化に関する覚書(MOU)締結。 |
30日 | 日台漁業交渉再開のための予備会合,東京で開催。 |
30日 | 李朝卿・南投県長,収賄容疑で逮捕。 |
30日 | 張花冠・嘉義県長ら21人,贈収賄罪で起訴。 |
12月 | |
1日 | 金溥聡・駐米代表,着任。 |
5日 | 辜・中国信託ホールディングス会長,死去。 |
6日 | 馬総統,アメリカのヒル元国務次官補と会談。「東シナ海行動規範」の策定に着手と表明。 |
11日 | 中国人民銀行,中国銀行台北支店を中台間の通貨直接決済の決済銀行に指名。 |
19日 | 経済部投資審議委員会,中国遠洋集団など中国系企業3社の高雄港第6コンテナターミナル運営会社への投資承認。 |
20日 | 行政院,外国人および華僑の台湾投資について,事前許可の原則不要を決定。 |
20日 | 経済部と中国石油,太平島での石油探査の来年実施を表明。 |
(出所) 行政院(http://www.ey.gov.tw),監察院(http://www.cy.gov.tw)および司法院(http://www.judicial.gov.tw)ウェブサイトを参照。