2013 年 2013 巻 p. 225-244
10月15日にシハヌーク前国王が逝去したことは,カンボジア国民に大きな衝撃をもたらし,服喪期間には多くの国民が王宮前で祈りをささげた。国内政治では,2013年の総選挙を前にして,人民党以外の勢力の離合集散が一段落し,サムランシー党と人権党がカンボジア救国党として合併し,ノロドムラナリット党から改名した愛国党のフンシンペック党への合流が決まり,人民党,カンボジア救国党,フンシンペック党という3大勢力にまとまった。
国内経済は,欧米市場の不調にもかかわらず,EU向けを中心に衣料品の輸出が伸び続けており,観光業や建設業も好調で,6%台の成長を確保できる見込みである。一方,賃上げや労働環境の改善を求める声も大きく,一部のストライキは長期化したり暴力的な衝突に発展した。
対外的には,ASEAN議長国としてASEAN首脳会議や東アジアサミットなど,各国の首脳が集まる会議を主催し,国際・地域社会での責任を果たした。一方,中国の政治的・経済的影響が強まるなか,7月のASEAN外相会議では中国とASEAN加盟国との間で利害が対立する南シナ海領有権問題をマネージできず,共同宣言不成立という事態を招いた。
10月15日午前2時,ノロドム・シハヌーク前国王が,病気療養のために滞在していた北京で,89歳で逝去した。遺体は,17日,シハモニ国王,フン・セン首相らに伴われて帰国した。シハヌークは,1953年にカンボジアを独立に導いたものの,1970年にクーデタにより国を追われ,1975年からの民主カンプチア時代はポル・ポト派により幽閉生活を強いられるなどの苦難の時を過ごした。1980年代はそのポル・ポト派と手を組み三派連合としての政権樹立を目指した。その後,1991年のパリ和平協定締結の中心的な役割を果たし,1993年に再び国王の座についた。2004年10月の退位後は,すでに政治的な影響力は失っていたが,国民からの人気は絶大であり,生前,シハヌークは行幸先では国民を子として慈しみ,国民は父のように彼を慕ってきた。逝去後10日間の服喪期間には,多くの国民が地方から王宮前に弔問に訪れた。国葬は,3カ月後の2013年2月に執り行われ,多くの国民が参列した。
上院議会議員選挙・コミューン評議会議員選挙1月29日に上院議会議員選挙,6月3日にコミューン評議会議員選挙が行われた(表1)。上院議会はコミューン評議会議員による制限選挙で57議席,ほかに国民議会からの推薦で2議席,国王からの推薦でさらに2議席の合計61議席により構成される。1月の選挙では,人民党が46議席,サムランシー党が11議席を獲得した。フンシンペック党は立候補者を立てず,議席を失った。人権党は独自の候補者を立てず,選挙権をもつ党員はサムランシー党候補者への投票が推奨された。人民党は第7区(コンポンスプー,コンポンチナン,ポーサット,コッコン,プレアシハヌーク州),サムランシー党はプノンペンでの得票率が高かった。
(注) 前回の上院議会議員選挙は2006年,コミューン評議会議員選挙は2007年に行われた。
(出所) 国家選挙管理委員会資料。
コミューン評議会議員選挙は,人民党が7993議席から8292議席,人権党が0議席から800議席を獲得し議席を増やした一方で,サムランシー党は2660議席から2155議席へと減少,フンシンペック党は274議席から151議席へ,ノロドムラナリット党は425議席から52議席へと減少した。
人民党の勢力が引き続き安定していること,王党派の衰退が著しいこと,また,都市部で高い支持を得ているサムランシー党と人権党が協力すると上院議員選挙のようにまとまった対抗勢力として機能する可能性がある一方,協力がない場合はコミューン評議会議員選挙のように互いの票を侵食し合うことが確認された。
国民議会選挙に向けた政党の再編2013年に控えた国民議会選挙に向けた政党の再編が本格化した。事実上の海外亡命状態が続いている最大野党のサムランシー党のサム・ランシー党首は,7月に人権党のクム・ソッカー党首とフィリピン・マニラで党首会談を行い,合併の合意が成立した。両党は,10月にカンボジア救国党(Cambodia National Rescue Party)として内務省に政党登録を行い,党首にはサム・ランシーが就任した。2007年に人権党が成立して以来,支持層が都市部に集中する両党は,王党派の衰退分をサムランシー党と人権党が分け合う,もしくは,サムランシー党が党首不在で党勢に陰りがみえると,人権党がその分の勢力を拡大するというような構図が続いてきた。この合併により人民党に対抗しうる野党勢力の結集が実現した。ただし,サム・ランシーは禁錮12年の有罪判決を受けて国外を転々としており,帰国の目処が立っていない。党首不在のままスタートした救国党では,人権党出身者およびサムランシー党出身者の間の協力に基づいたスムーズな党運営が実現できるのかは未知数である。
一方,コミューン評議会議員選挙での惨敗にみられるように,衰退の一途をたどる王党派は,5月にフンシンペック党とノロドムラナリット党の合併を発表した。しかし,その1カ月後には,ノロドムラナリット党の党内不和,およびノロドム・ラナリット党首が抱くフンシンペック党への不満などが明らかになり,合併の雲行きが怪しくなり,8月にラナリットは政界引退を表明した。ラナリットの引退は2度目で,前回は2010年12月に引退し,1年後に復帰した。ノロドムラナリット党は党首引退に伴い,愛国党(Nationalist Party)に党名を変更し,さらに8月23日,当初の予定通り,フンシンペック党との合流に向けた準備を進めることを決定した。
汚職との闘い2010年に発足した反汚職ユニット(ACU)は,2012年にはカンダール州裁判所職員の賄賂,プレアヴィヒア州検察官および税務官の賄賂事件の2件の汚職を摘発するにとどまった。2010年に最初に逮捕された前ポーサット州検察官トップ・チャンセレイヴットの汚職事件は,3月に控訴審判決があり,1審の禁錮19年の判決が支持された。また,2011年に薬物対策国家機構(NACD)のムック・ダラー事務局長(当時)が麻薬犯罪者から賄賂を受け取り自らも売買にかかわっていたとされる事件は,1月の1審で終身刑の判決があり,控訴審の審理が続いている。
ACUの取り組みとして,公的機関の窓口レベルでの汚職を減らすため,公式・非公式にどのような手数料が徴収されているか調査が行われており,また,12月には2回目の政治家・政府高官などを対象とした資産申告の実施がアナウンスされた。ただし,2011年に実施した資産申告の成果は曖昧なままであり,申告漏れに対する罰金などの懲罰が実施されたという報道はない。次回の申告が汚職撲滅にどれだけ効果があるのかは疑問である。
土地政策の転換政府が民間企業に国有地を期間99年を限度に貸し出す制度である経済的土地コンセッション(Economic Land Concession:ELC)をめぐっては,ELC設定後に適切な開発が行われない事例や企業・政府と住民が立ち退きや補償をめぐり激しく対立し逮捕者が出るような事例が多発している。4月26日には,コッコン州のELCが設定された地域で違法伐採を行っていたと思われる中国企業の様子を調べていた環境活動家チュット・ヴッティが,警察関係者に銃撃され死亡するという事件が発生した。銃撃した側にも死傷者が出ており,真相は明らかにされていない。この事件後の5月7日,フン・セン首相は「ELCの新規承認は行わない」「既存のELCに違法行為がないかどうかを見直す」というELCモラトリアムの文書に署名をした。文書への署名時点で交渉中であった数件のELCは承認されたが,その後は新規の承認はしていない模様である。また,多くの土地問題を生み出している要因である土地登記の遅れを解決するべく,7月から大学生ボランティアによる土地登録作業が始まり,2000人が地方に派遣された。
政府による新しい取り組みはみられるものの,農村部での天然ゴムやサトウキビなどの農業プランテーション開発やプノンペン周辺での都市開発をめぐる企業や政府と住民の対立は,いまだに収まる気配がない。5月にはクロチェ州チロン郡プロマー村で住民とTTY社の間の対立に巻き込まれた14歳の少女が銃撃により死亡した。この事件では,1000世帯の立ち退きに重武装した軍が動員されたといわれている。内務省は,同村において分離独立を目指す反政府活動が行われていたと主張し,7月15日,首謀者として独立系ラジオ局Beehiveのオーナーであるマム・ソナンドを逮捕した。ソナンドは政府への率直な批判を展開するジャーナリストであり,2003年および2005年にもその発言を理由に逮捕された経験がある。ソナンドは分離独立の計画もプロマー村との関わりも否認したが,村人を扇動した罪で,プノンペン地裁は10月,禁錮20年の判決を下した。プノンペンでも,ボン・コック(コック湖)周辺開発,ボレイケイラー地区開発で立ち退きに反発していた住民たちが,抗議活動の最中に相次いで逮捕されており,土地の所有権に関する争いにかかわる活動家たちの人権が危惧されている。
クメール・ルージュ裁判の進捗クメール・ルージュ裁判(カンボジア特別法廷,ECCC)では,2月3日,カン・ケック・イウ元S21収容所所長(通称ドゥッチ)の上級審判決があり,1審の判決(2010年7月26日)の禁錮35年を破棄し,最高刑の終身刑が言い渡され,第1事案の判決が確定した。今後は,第2事案の最高幹部のヌオン・チア元人民代表会議議長,イエン・サリ元副首相兼外相,イエン・チリト元社会問題相,キュー・サンパン元国家幹部会議長ら4人の審理に焦点が当てられる。しかし,9月13日,イエン・チリト(80歳)が認知症のため審理に耐えられないとして釈放が決定され(16日に釈放),プノンペン都内の自宅に移った。残りの3人については,証拠調べが行われているものの,高齢のため代わるがわる病気で入退院を繰り返す状況が続いた。
中堅幹部を対象としたさらなる訴追に消極的なカンボジア政府およびそのプレッシャーを受けていると思われるカンボジア人判事と,訴追に積極的な立場をとる国際判事の間での対立が長らく続いてきた(第3,4事案)。2011年に当時の国際捜査判事が辞任した後,後任として就任したローラン・カスペル・アンセルメ判事に対して,2011年10月以来,同判事の積極的な姿勢を敬遠したカンボジア司法最高評議会からの承認が得られず,5月までにアンセルメ判事は離任した。11月に新しく就任したマーク・ハーモン判事が,カンボジア側の捜査判事であるユー・ブンレン判事の合意のないままに第4事案に関する情報を公開するなど,国際捜査判事と国内捜査判事の間の不協和音は続いている。
なお,日本人裁判官として本法廷に参加してきた野口元郎上級審判事は,裁判の予想外の長期化を理由として,ドゥッチ判決の後の7月に辞任した。裁判は引き続き,資金不足と被告の高齢化と闘いつつ,ゆっくりと進んでいる。
2012年のカンボジア経済について,世界銀行は6.3%,ADBは6.4%,カンボジア政府は6.5%の成長率をそれぞれ予想している。縫製業が好調であったことが主要な要因である。欧米市場の低迷にもかかわらず,とくにEUへの縫製品輸出が伸び続けており,15億5600万ドル,前年度比22%増(HSコード61および62の合計値による)となった。縫製業の投資も82件が承認された。また,海外からの観光客が358万人(前年度比24%増)に増加したこと,建設プロジェクトへの投資認可件数が70%以上増加したことなどもプラスの材料としてあげられる。ただし,もうひとつの基幹産業である農業部門は,天候不順により輸出が減少した。
2012年の外国投資は,周辺国の賃金上昇を受け,カンボジアの投資環境があらためて見直されたことから,増加傾向が継続した。2010年から進出が増えている日本企業も,製造業のみならず,大手都市銀行の事務所が開設されたり,大型ショッピングモールの建設が開始されるなどの新しい動きがみられた。
2012年末に商用採掘開始が予定されていたタイ湾沖の油田開発は,準備が間に合わなかったことから,少なくとも2016年まで延期されることになった。
コメの輸出2015年までに年間100万トンのコメ輸出を目指すカンボジアは, 2012年はEUやアメリカなどを中心に合計約20万トンを輸出した(カンボジア農林水産省)。また,今後中国に30万トン,インドネシアに10万トンを輸出することに合意した。中国向けは6月初旬,最初の144トンがプノンペン港から輸出された。2012年上半期のコメ生産は順調であったが,下半期は天候不順のためコメの生産は減少し,品質も低下した。なお,タイのコメ買い取り政策の影響で,非公式にタイに流出したコメも相当量あったと考えられる。
今後の輸出のために精米業への投資が増大しており,タイや中国企業による参入が相次いだ。2012年は適格投資案件(QIP)として9件の精米業への投資が承認された。国内の業者も参加して精米輸出業者の協会が結成されるなど,100万トン輸出の目標に向けた動きを加速させている。
労働市場の動向縫製・製靴工場労働者による抗議活動やストライキが相次いだ。その規模は数千人規模のものも増えており,解決に時間がかかったり,暴力問題に発展したりするケースもみられた。スヴァーイリアン州バベット市マンハッタン経済特区内で運動靴を製造するカオウェイ・スポーツ社では,2月,工場周辺にて6000人の労働者が最低賃金61ドルに25ドルの上乗せを要求していたところ,女性労働者ら3人が銃撃により負傷した。バベット市長だったチュック・バンディットの関与が疑われたが,12月の裁判では訴えは却下され,未解決のままである。また,カンダール州アンスヌオル郡のタイ・ヤン社では,勤続手当の支給などを求めて同社の3工場の労働者4000人(最大時)が6月25日から2カ月近くのストライキを行い,プノンペン都に向けて行進を行った。労働者側の主張によると,同社は社名変更を繰り返すことで勤続手当の支払いを逃れてきたという(タイ・ヤン社はこれを否定)。カンダール州裁判所はストライキを停止して職場に復帰するように命じたが,それに従わなかったために53人が解雇された。
政府・カンボジア縫製業協会・労働組合の3者間の合意により,縫製工場での最低賃金は2014年まで61ドルに据え置かれることが決定しており,賃金を上げることは困難である。2011年の物価上昇率は5.5%(IMF,年平均),2012年は3.1%と推定されており,急激な物価上昇はないが,2010年に決定された最低賃金に据え置かれたままであるために,労働者は生活の窮状を訴えている。このため,諸手当の引き上げによる解決が模索され,月額皆勤手当10ドルおよび通勤手当7ドルが縫製業協会加盟企業において義務化され,実質的には10ドル程度賃金水準が上昇した。
2012年4月に隣国タイの最低賃金が平均約40%上昇したことは,カンボジア人労働者にとってタイでの出稼ぎ労働をより魅力的なものにするとともに,タイ国内に展開する企業が相対的に賃金の低いカンボジアへの進出を検討する要因にもなった。カンボジアへの外国投資は2012年も好調であったが,国内での労働者の不足も指摘され始めている。農村部にいる労働者を効率的に都市部に供給できていないことに加え,海外への出稼ぎ労働もその原因としてあげられる。カンボジア人労働者は,合法・違法を含め約30万人がタイで働いているとされる。2012年12月は,二国間での取り決めと2008年にタイで制定された外国人雇用法に基づき行われてきた不法滞在労働者の合法化登録の締め切りが設定されていた。同法によると,不法滞在しているカンボジア人労働者が,カンボジア大使館で健康診断と国籍確認の手続きを行うことで,その後も合法的な労働が可能になる。しかし,カンボジア人労働者の多さと事務処理能力の問題,また最近まで続いていた不安定な二国間関係のあおりを受け,多くの労働者の登録は期限までに終了できず,12月の時点で約15万人が強制退去の可能性がある状態におかれたが,大規模な強制退去は見送られた。
2012年の1年間,2度目のASEAN議長国を務め,ASEAN首脳会議(4月,11月),東アジアサミット(11月)などの主要会議を開催し,国際・地域社会の一員としての責務を果たした。
7月9日のASEAN外相会議では,南シナ海の島々の領有権を主張する中国と利害が対立するASEAN諸国との間で議論が紛糾し,共同声明を採択することができない事態に陥った。近年のカンボジアへの経済援助により中国の影響力が強まるなか,中国の立場を代弁しようとするカンボジアに対して,フィリピン,ベトナム,ブルネイ,マレーシアは激しく反発した。会議後,インドネシアのマルティ外相が各国を歴訪し,7月20日までに南シナ海行動規範の早期策定などの6つの原則について合意を取り付けた。しかし,その後も,8月には帰任を控えた在フィリピン・カンボジア大使のホス・セレイトンがフィリピン政府を非難するなど,火種がくすぶることとなった。11月のASEAN首脳会議では,同様の対立が繰り返されることのないように,慎重な議事運営が行われた。
11月の東アジアサミットには,当初参加予定であったロシアのプーチン大統領は参加しなかったものの,オバマ大統領がアメリカ大統領としてはじめてカンボジアを訪問した。オバマ大統領から,海外にいるサム・ランシー党首や勾留されているマム・ソナンドの事案などに対して人権を尊重した解決を求める発言があったが,カンボジアは具体的な対応をとらず,アメリカもそれに対して強硬な手段をとることもなかった。カンボジアからは,従来から主張している,1970年代のロン・ノル政権時代のアメリカへの債務取り消しを求めたが,受け入れられなかった。
隣国との関係関係悪化が続いていたタイとは,2011年末の外相会談以降,良好な関係が続いている。2008年から続いてきたプレア・ヴィヒア寺院周辺の領有権をめぐる対立に関しては,派遣が予定されていたインドネシア国軍を主体とするASEAN監視団は,タイ・カンボジア・インドネシアの間での手順や予算などの調整がつかず,2012年中に派遣されることはなかった。しかし,7月にはカンボジア軍とタイ軍がそれぞれ暫定非武装地帯(PDZ)から撤退し,国境地域は一応の平静が保たれている。ただし,問題そのものは完全に解決されているわけではなく,両国は2013年中に予定されている国際司法裁判所(ICJ)の判断を待っている。
タイとの経済協力は2011年12月の外相会談以降再開され,6月14日にはポイペト(カンボジア)・アランヤプラテート(タイ)国境での車両の相互乗り入れが開始され,トラックやバスがそれぞれ1日当たり40台ずつ乗り入れることが可能になった。また,12月にシングル・ビザの運用が開始され,35カ国からの旅行者が両国間を共通のビザで移動することが可能になった。今後,経済回廊沿いの人およびモノの交流がますます活発になっていくことが期待されている。
ベトナムとは,2012年中にはすべての陸上国境線を画定し国境杭を設置する予定であった。6月に,最終杭(314番)設置の記念式典が開かれたが,一部の杭の設置は年内には終了しなかった。また,国境画定の作業に伴って,カンボジア側のコンポンチャーム州ポニヤクレック郡の2村が移転を迫られる可能性があることが発表された。ベトナム国境は,1985年国境画定条約および2005年補足協定によって画定作業が行われている。カンボジア国内では,これらの動きは「政府がベトナム側に有利なかたちで進めようとしているのではないか」という野党の主張により,長年国内の政治的対立の原因となってきた。サム・ランシー党首が海外滞在を余儀なくされているのも,2009年にベトナム国境の杭を引き抜いた事件に端を発している。今後,移転を迫られる村の扱いについて,国内野党勢力を中心とした反発も予想される。なお,ASEANの諸会議のなかで議論された南シナ海領有権問題をめぐって,カンボジアはかつてないほどに,ベトナムと利益が対立する中国の立場を支持した。しかし,フィリピンとの対立は激化した一方,ベトナムとカンボジアの対立を表面化させることはなかった。
中国からの投資・援助2012年も中国からの多額の投資・援助が約束された。ASEAN首脳会議直前の3月30日の胡錦濤国家主席来訪時には,4000万ドルの無償資金援助と3000万ドルの借款の約束,貿易額を2017年までに5億ドルに増加させること,カンボジアの2013~2014年の国連安保理非常任理事国立候補への支持(10月の国連総会で落選)などについて合意した。また,11月のASEAN首脳会議・東アジアサミットに温家宝首相が来訪した際には,貿易協定に署名するとともに,5200万ドルの水資源開発への協力に合意した。また,会談の席でフン・セン首相は,3~5億ドル相当のさらなる支援の要請をしたといわれる。このような経済的依存が強まるなかで,南シナ海領有権問題をめぐるカンボジアの姿勢(「ASEAN議長国としての1年間の成果」の項参照)や,失脚した中国重慶市党委員会書記の薄熙来の関与が疑われていたイギリス人実業家死亡事件の重要参考人とされる在プノンペンのフランス人建築家を北京に向かわせたことにみられるように,中国政府に配慮したと思われる行動がみられた。
具体的な借款プロジェクトとしては,2月に中国輸出入銀行から3億200万ドルの借り入れに調印している。この資金は,道路整備(国道214号線,76号線)および灌漑プロジェクトに使用される。6月には,4億3000万ドルの借款に調印しており,6号線を含む道路プロジェクトおよびバッタンバンでの多目的ダム建設に使用される予定である。2012年には,中国からの援助による国道8号線(133キロ,プレイヴェーン州)や国道78号線(121キロ,ラッタナキリー州,ストゥントラエン州)が完成した。
中国からの主要な投資先は,縫製業や農業であるが,中国への精米輸出も始まったことから,「市場としての中国」も視野に入れた精米業への進出もみられた。また,引き続き大規模開発プロジェクトも盛んに行われており,鉱業開発とその輸送路となる道路や発電所の開発などインフラがセットになった投資が行われている。12月には,プレアヴィヒア州の鉱山からコッコン州に至る鉄道への投資計画が発表され,中国マネーの存在感はますます高まっている。
一方,中国企業が建設するインフラの品質と情報開示への懸念が指摘されるような事故が起きた。12月,中国企業が建設しているストゥン・アタイ水力発電用ダムが一部崩壊する事故があり,現場にいた労働者4人が死傷・行方不明となった。より多くの行方不明者がいるのではないかという報道もあり,情報開示への懸念が指摘された。
2013年7月には国民議会選挙が行われる。人民党の地盤は引き続き盤石であろうと考えられるが,長期政権の人民党内部での世代交代がどのように行われるのか,土地政策など社会問題への対処がどのように国民に評価されるのか,野党勢力は結束することでどのような結果が出るのかが注視される。また,公正な選挙の実施のために野党第1党党首であるサム・ランシーを帰国させることができるのかどうかは,カンボジアの民主主義の国際的評価を左右するものでもある。
2006年に始動したクメール・ルージュ裁判は,従来から懸念されてきた被告の高齢化がさらに進み,2013年3月にイエン・サリ被告(87歳)が病気のため死亡した。虐殺が生じたメカニズムを知るうえでもっとも重要な第2事案で証拠調べの対象とされている被告は,高齢(80歳代)で病気がちであることから,彼らの健康状態に留意しつつ,裁判手続きが進められる。
経済においては,周辺国の賃金上昇に伴って,カンボジアへの投資の増大が期待されている一方,農村部の労働力の活用が不十分ななか,カンボジア国内での賃上げや労働者不足などの傾向も観察される。海外での出稼ぎと国内労働市場とのバランス,農村部の労働力の活用など,労働市場の改革は急務である。
対外的には,中国への依存がますます高まる状況において,ASEANや欧米諸国,日本との間のバランスをどのようにとっていくのかが課題である。隣国との協力を推進していくうえで,国境画定をめぐる対立の解決は避けられない。とくに,2008年以来続いてきたプレア・ヴィヒア寺院周辺の領有権問題について,ICJがどのような判断を下すのか,そしてそれに対してタイ・カンボジア両国がその判断を受け入れることができるのかどうかも注目される。
(バンコク事務所)
1月 | |
3日 | プノンペン都ボレイケイラー地区で立退きをめぐり住民と警察が衝突。10人逮捕。 |
3日 | 公的調達法,国民議会可決。 |
5日 | ボンティアイミアンチェイ地裁,元麻薬取締局長ムック・ダラーに,終身刑および罰金30万㌦の判決。 |
13日 | フン・セン首相の次男フン・マニット,国防省インテリジェンス部副部長に昇進。 |
18日 | プレイスプー社会更正施設で,ボレイケイラー地区での抗議で拘束された22人が脱走。 |
19日 | クロチェ州スヌオル郡で,キャッサバ・プランテーション開発での立ち退きをめぐり,住民が国道76号線を封鎖。TTY社と住民が衝突,4人が被弾。23日にモック・マレット環境相,住民に土地返却を約束。 |
29日 | 上院議会議員選挙実施。 |
30日 | 2012年12月12日に予定されていた石油商用採掘開始が遅れることが判明。2016年にずれ込む予定。 |
2月 | |
2日 | 中国輸出入銀行から3億200万㌦の借り入れに調印。道路(国道214号線,76号線)および灌漑プロジェクト実施。 |
3日 | クメール・ルージュ裁判上級審,カン・ケック・イウ元S21収容所所長に対し,終身刑確定。 |
5日 | サイゴンハノイ商業株式銀行,初の海外支店をプノンペンに開設。5つ目のベトナムの銀行。 |
6日 | 三菱東京UFJ銀行,プノンペン事務所開設。 |
8日 | 三井住友銀行,プノンペン事務所開設。 |
13日 | タイ・カンボジア合同国境委員会開催(バンコク,~14日)。 |
13日 | コック湖周辺住民に475件の土地権発行。 |
16日 | プノンペン地裁,前チア・シム上院議長護衛隊ユニット長チューン・チャンタンに違法武器所持と公文書偽造で禁錮10年判決。24日,軍事裁判所は禁錮26年,横領した300万㌦の支払いを命令。 |
19日 | サイ・チュム国民議会第二副議長が上院議会第一副議長に,コーン・ソダリー国民議会人権委員会委員長が国民議会第二副議長に就任決定。 |
20日 | スヴァーイリアン州バベット市マンハッタン経済特区内カオウェイ・スポーツ社縫製工場で6000人規模の労働争議中,銃撃により3人負傷。 |
28日 | 国道48号線にて観光バス事故。外国人乗客2人が死亡。 |
3月 | |
3日 | クロチェ州スヌオル郡の銃撃事件(1月)の容疑者としてTTY社警備員3人逮捕。 |
6日 | 軍警察,ペニュ・ヴィボル前チア・シム上院議員アドバイザーを重大な詐欺・不正があったとして逮捕。 |
8日 | バベットでの銃撃事件の関与が疑われるチュック・バンディット知事,解任。 |
14日 | 反汚職ユニットによる逮捕1号案件,トップ・チャンセレイヴット前ポーサット州検察官の控訴審は1審禁錮19年を支持。 |
14日 | ベトナム国境画定作業,7割の国境標設置箇所について合意文書を交わす。 |
27日 | ASEAN財務相会議開催。 |
30日 | 胡錦濤中国国家主席来訪。4000万㌦の無償援助,3000万㌦の借款支援の実施,貿易額を2017年までに5億㌦に増加させること,カンボジアの2013~2014年の国連安保理非常任理事国立候補への支持などについて合意。 |
4月 | |
3日 | ASEAN首脳会議開催。フン・セン首相は地域の通貨基金強化,域内格差縮小,労働者移動の自由化などを呼びかけ。南シナ海問題への対応への批判も受けた。 |
4日 | タイ・カンボジア総合国境委員会(GBC)開催(シアムリアプ,~5日)。 |
8日 | タイ・ソンクラー県のシーフード工場のカンボジア人労働者,待遇改善を求めてストライキ。 |
14日 | タイ・タクシン元首相,シアムリアプを私的訪問(~18日)。支持者が集結。 |
18日 | プノンペン水道公社,カンボジア株式市場に上場。 |
26日 | コッコン州モンドルセイマー郡で,中国企業の違法伐採を調査していた環境活動家チュット・ヴッティが銃撃され死亡。 |
30日 | プノンペン地裁,マレーシアへの家事労働者の派遣前訓練時に,訓練生を違法監禁していた派遣業者スタッフに禁錮5年判決。 |
5月 | |
4日 | クメール・ルージュ裁判所のローラン・カスペル・アンセルメ判事,辞任。 |
7日 | 首相,経済土地コンセッション(ELC)のモラトリアムに署名。当面新規ELCは認めず,既存ELCに違法行為がないか見直す。 |
16日 | クロチェ州チロン郡プロマー村での立ち退きの際,女児が銃撃され死亡。内務省は,村内で民主主義者同盟による分離独立が計画されていたとして,5人を指名手配。 |
21日 | 初の生命保険会社カンボディアン生命,営業開始。 |
22日 | コック湖周辺地域開発をめぐる立ち退きへの抗議により,13人が逮捕される。 |
24日 | フンシンペック党とノロドムラナリット党,コミューン評議会議員選挙後の合併を合意。 |
28日 | 中国,1900万㌦の軍事援助実施。 |
29日 | ASEAN国防相会議開催。 |
6月 | |
3日 | コミューン評議会議員選挙実施。 |
9日 | 144㌧の精米,中国へ初の輸出へ。 |
10日 | ハオ・ナムホン外相,アメリカ訪問。クリントン国務長官と会談。 |
13日 | 中国輸出入銀行から4.3億㌦の借款に合意。6号線を含む道路プロジェクトおよびバッタンバン州の多目的ダム建設に使用。 |
14日 | チャン・コサル前チア・シム上院議長顧問(2011年逮捕),獄中にて病死。 |
17日 | ヴァー・キムホン国境委員会委員長,ベトナムとの国境画定作業の過程で,コンポンチャーム州の2村を移動する可能性に言及。 |
18日 | 中国企業,コンポート州の石炭火力発電所(300MW,4億㌦)建設への投資決定。 |
25日 | カンダール州アンスヌオル郡タイ・ヤン社の工場労働者4000人によるストライキが始まる。 |
26日 | 労働組合FTU代表チア・モニー,路線の違いからCITAおよびCCUとの決別を表明。 |
28日 | 日本の皇太子,来訪。 |
7月 | |
1日 | 土地登録作業の学生ボランティア400人が8州に出発。 |
3日 | プノンペン地裁,前ウッドーミアンチェイ州知事のライ・ヴィレアクらの麻薬事件関与について,禁錮12年判決。 |
9日 | ASEAN外相会議開催(プノンペン)。南シナ海問題をめぐり共同声明採択見送られる。 |
11日 | クリントン米国務長官,来訪。13日,米・ASEANビジネスフォーラムに出席。 |
15日 | クメール・ルージュ裁判所で野口元郎上級審判事,辞任。 |
15日 | 民主主義者同盟代表で,独立系ラジオ局オーナーのマム・ソナンドが,クロチェ州での分離独立を首謀したとして逮捕。 |
18日 | 中国・重慶市の薄熙来事件をめぐり,プノンペン滞在中のフランス人建築家が,捜査協力のため本人の意思で北京に向かう。 |
18日 | プレア・ヴィヒア寺院周辺の暫定非武装地帯からの兵力撤退始まる。 |
19日 | インドネシアのマルティ外相,来訪。南シナ海問題でハオ・ナムホン外相と会談。 |
25日 | WHO,カンボジア国内で謎の病気による子供56人の死亡を発表。後にEV-71ウイルスによるものと判明。 |
26日 | サムランシー党と人権党,合併を決定。カンボジア救国党と命名。10月2日に政党登録。 |
8月 | |
5日 | 環境や住民への影響が懸念されていたプレイラン(4万㌶),コッコン(3200㌶)のELCの7月2日付取り消しが判明。 |
10日 | ノロドム・ラナリット,政界からの引退表明。 |
16日 | フィリピンにトゥオト・パンニャ新大使赴任。ホス・セレイトン前大使は10日に帰国命令。 |
23日 | ノロドムラナリット党から改称した愛国党,フンシンペック党との合併を決定。 |
27日 | プノンペンのカムコ・シティ・プロジェクト,1年ぶりに工事再開。 |
29日 | タイ・ヤン社のストライキを扇動したとして,ロン・チュン労働組合代表に裁判所への出頭命令。 |
9月 | |
1日 | 首相,訪中(~2日)。 |
2日 | インターネット上で不法なファイル交換を促したとして,2009年にスウェーデンで有罪判決がでていたパイレート・ベイ社共同創業者ゴットフリート・スヴァルトホルム・ワーグ,プノンペンで逮捕。10日に送還。 |
24日 | シハモニ国王,ベトナム訪問。 |
26日 | ムー・ソクホア国民議会議員,免責特権復活。 |
30日 | Anco社の資金管理をめぐって元社員の夫とともに勾留されていたテップ・コラープ,プノンペン国際大学学長,釈放。 |
30日 | プノンペン都警察長官トッチ・ナロット准将からチュオン・ソヴァン少将に交代。 |
10月 | |
1日 | プノンペン地裁,村人扇動などでマム・ソナンドに禁錮20年判決。 |
9日 | 首相,公務員の昇給を約束。 |
15日 | シハヌーク前国王,北京にて逝去。89歳。17日,シハモニ国王らに伴われて帰国。24日まで服喪期間。 |
18日 | 国連総会で安保理非常任理事国改選に立候補するも落選。 |
29日 | 携帯電話会社Mfone社,破産。 |
11月 | |
6日 | 国家選挙管理委員会,サム・ランシー党首を選挙人リストから削除。 |
17日 | ASEAN首脳会議開催。 |
18日 | 東アジアサミット開催。オバマ米大統領,来訪。 |
19日 | ASEAN・USサミットなどの会議開催。オバマ米大統領と首相,首脳会談。 |
12月 | |
2日 | ストゥン・アタイ水力発電用ダムにて,崩壊事故。 |
7日 | 中国大規模投資視察団,来訪(~8日)。 |
8日 | シアムリアプ州シアムリアプ市にて市場火災。9人死亡。 |
10日 | イオン・ショッピングモール起工式。 |
13日 | 携帯電話Hello社,Smart社を買収。 |
14日 | タイ,不法滞在の外国人労働者の登録締め切り。約15万人のカンボジア人が強制退去の可能性がある状況におかれる。 |
17日 | コッコン州にて,矢崎総業工場完成式典。 |
19日 | タイ国境暫定非武装地帯の地雷除去について合意。 |
26日 | ACMECSシングル・ビザ運用開始。 |
31日 | 中国中鉄,カンボジア鉄鋼鉱業グループ社との鉄道建設プロジェクトに合意。 |
(②③④の注) F はフンシンペック党所属(それ以外は人民党所属),*は女性,**は2009年3月12日承認。