アジア動向年報
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各国・地域の動向
2012年のスリランカ 進む政権基盤の強化と中央集権化
荒井 悦代
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2013 年 2013 巻 p. 523-546

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2012年のスリランカ 進む政権基盤の強化と中央集権化

概況

国内政治では,州評議会選挙で与党が圧勝し,現政権の基盤の強化が進んだ。また,地方に分散していた開発に関する権限を中央所管の新たな省庁に付与する法律(デヴィ・ネグマ法)が成立するなど,中央集権的な傾向がみられる。

立法機関と司法の関係が問われる事件が発生した。最高裁判所長官の弾劾動議が提出され,審議の結果罷免されることになった。国内外から司法の独立性や審議のプロセスに問題があったと批判されている。

内戦終結から3年が経過し,テロの脅威がなくなったこともあり,各地方の利益団体の対立が表面化し始めた。また,各種団体がデモなどで直接的に政府に要求するタイプの動きが増えた。

経済成長率は,輸出や農業の不振のため,2011年の8.3%を下回り,6.4%程度になりそうな見込みである。貿易赤字削減を目的として,中央銀行は5年ぶりに金利引き上げとルピーの切り下げに踏み切った。その結果,輸入は対前年比5.8%減少した。しかし輸出も7.4%減ったので,貿易赤字は4.1%の減少にとどまった。年前半には干ばつ,年後半には洪水に見舞われ,コメなどの農作物が被害を受け,価格が高騰して年後半のインフレ率がやや高まった。

外交面では,インドとはこれまで,タミル・ナードゥ州政府との間で民族問題について対立があるものの,インド中央政府との関係は良好であった。しかし,3月の国連人権理事会でインドが反スリランカ票を投じたことで二国間関係に緊張がもたらされた。漁民の問題も解決策は見いだせないままである。一方,中国とは国防部長が来訪するなど,経済面だけでなく軍事面でも関係を強めるような動きがみられる。大統領による頻繁な外国訪問・会議出席が行われたほか,アフリカ諸国との関係が強化された。

国内政治

州評議会選挙

東部州,北中部州,サバラガムワ州で9月8日に州評議会選挙が行われた。前回の選挙は2008年に行われており,1年前倒しの解散・選挙となった。東部州の民族別構成は,シンハラ人23%,タミル人40%,ムスリム37%であり,各グループを代表する政党がしのぎを削った。

2008年の東部州評議会選挙は,2007年7月の東部制圧直後に行われ,政治的解決に前向きな姿勢を示すものであった。タミル政党としては,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)から分離したタミル人民解放の虎(TMVP)が与党・統一人民自由連合(UPFA)と連立を組んだ。その一方でタミル国民連合(TNA)は,TMVPが武装したままであることから,自由・公正な選挙が期待できず,候補者や党員の身に危険が及ぶ可能性があるとして,参加を見合わせていたが,今回はランカ・タミル連邦党 (ITAK)として参加した。前回の選挙で統一国民党(UNP)と連立したスリランカ・ムスリム会議(SLMC)の去就は揺れた。中央政府ではUPFAの一部であるSLMCは,州評議会選挙でもUPFAと組むと発表したすぐ後に,独立して戦うと宣言した。選挙後の議席の割り当てで合意に至らなかった模様である。

選挙中,ハキームSLMC総裁はアンパラ県カルムナイでの集会で「大統領は,ほかの形のテロリズムを制圧したように黄色いローブ(僧侶の法衣)テロリズムも制圧するべきだ」という発言をし,UPFAの一角をなすシンハラ政党などから大反発を受けた。さらにムスリム内部でもハキーム総裁と,アタウッラ地方・州評議会大臣が対立し,支持者間での激しい衝突があったと報告されている。

結果は表1の通り,東部州評議会選挙に初参戦となったITAKの得票率は予想を下回る31%にとどまった。どの政党も過半数をとることができず,連立政権を発足させざるをえなくなった。ITAKは,UNP,SLMCと組めば22議席となり過半数を超えるとしてSLMCにアプローチした。D.E.W.グナセーカラ人的資源大臣(上級大臣,所属政党は共産党,UPFAに属する)は3民族の調和を重視してすべての政党による取り組みを提案した。しかし,SLMCは,UPFAとの良好な関係を強調して選挙を戦ってきた。ITAKと組むとなれば開発プロジェクトなどの進行が遅れる可能性が高くなる。結果として,UPFAとSLMCが連立を組み,UPFAから州主席大臣が任命された。ピラヤン(TMVPのリーダーで前州主席大臣)は,UPFA候補者としての最多の得票数を獲得し,マヒンダ・ラージャパクセ大統領のアドバイザーに任命された。

シンハラ人が多数派を占める北中部州およびサバラガムワ州では政権与党のUPFAが圧勝した(表1参照)。

表1  州評議会議員選挙結果

(注) UPFA:統一人民自由連合,UNP:統一国民党,ITAK:ランカ・タミル連邦党,SLMC:スリランカ・ムスリム会議,NFF:国民自由戦線,CWC:セイロン労働者会議,JVP:人民解放戦線。UPFAの獲得議席数のカッコ内は2008年選挙時。

(出所) Department of Electionsウェブサイト(http://www.slelections.gov.lk/)より筆者作成。

北中部州では,バーティ・プレマル・ディサナヤケが州主席大臣を3期連続して務めていた。しかし今回の選挙でUPFA候補者として最多の得票数を獲得したのは,バーティではなく,S.M.ランジットであった。ランジットの兄のS.M.チャンドラセーナが中央政府で大臣ポスト(農業サービス・野生動物大臣)にあり,兄弟で主要ポストにつくことを好ましくないと判断したUPFAの執行委員会は,ランジットが州主席大臣に就任するのは適切でないとした。兄は大臣を辞任し,弟を州主席大臣に就任させるように要求した。他方,バーティも州主席大臣にふさわしいのは自分だと主張して譲らず,最終的には大統領が調整に入り州主席大臣にはランジットが就任した。州評議会議長選出に関しては,UNPが指名したUPFA候補者でバーティに近い人物が選出された。

サバラガムワ州の前回の選挙では,人民解放戦線(JVP)が2議席確保していたが,今回は1議席もとれなかった。JVPの本拠地である南部を舞台にした選挙にもかかわらず,得票率も1.5%と伸び悩んだ。UNPも前回の17から14に議席を減らした。議席を増やしたUPFA内部では,新人の二世議員が目立った。

いずれの州でも政権与党あるいはそれを支持する政党が勝利し,2009年の州評議会選挙結果も合わせると,選挙が実施されていない北部州を除くすべての州政府は政権与党が確固たる基盤を築いたことになる。これによって,現政権は「民主的に国民から選出された政権」としての地位を内外に誇示することになった。

選挙が公正に行われたかどうかに関しては,干ばつ対策として,政府が肥料や送水ポンプなどを支給していたが,それが実質的な選挙対策となっていたとUNPは批判している。補助以外でも,大統領をはじめとする与党政治家はこぞって選挙区に入り,国会議員選挙並みの大規模な応援合戦を繰り広げた。

第13次憲法改正で設置された州評議会は,地方への権限委譲を意図していた。しかし,実際は各地方の特色を活かした政治を実現するための機関になっていない。たとえば東部州の結果にみるように選挙民も,どちらかというと開発プロジェクトの実施主体としての中央政府に期待を寄せている。州主席大臣の座を巡る争いや二世議員が多くみられることは,中央の関心事がそのまま地方に持ち込まれていることを示す。

権限委譲の後退

州評議会選挙の結果以外に権限移譲の後退の兆候を示すのは,市街地・国土計画令改正案とデヴィ・ネグマ(生活向上)法案である。前者は,地方の管轄する土地を,保護や開発を目的として中央政府が接収することを可能にするものである。後者はサムルディ局(貧困層救援対策),南部開発局,高地開発局を統合し,大統領の弟であるバジル・ラージャパクセが大臣を務める経済開発省の下にデヴィ・ネグマ開発局を新たに設置するものである。これらは第13次改正憲法に規定された州の権限の一部を中央省庁の権限とすることにほかならないことから,2法案に対して違憲の申し立てがあった。最高裁判所(以下,最高裁)は,これに対して法案成立の条件として各州評議会の承認を求めた。

市街地・国土計画令改正案に対しては,2月に西部州,東部州評議会が反対し,政府は4月に法案を取り下げた。デヴィ・ネグマ法案に関しては,9月から10月にかけて北部州を除くすべての州評議会で承認を得た。州評議会議員選挙が行われていない北部州では,大統領の任命を受けて就任している知事が承認した。しかし,再び違憲の申し立てがなされ,これに対して最高裁は国民投票を行うことと,国会の3分の2の賛成が必要であると判断した(この判断が後述する最高裁長官の弾劾につながったとみられている)。

最終的には,国民投票が不要となるようにデヴィ・ネグマ法案を修正したうえで,2013年1月8日に国会の3分の2を超える大多数の賛成を得て通過した。

タミル政党は従来から警察権限と土地開発権限を地方に移譲するべきだとし,これこそが内戦後の民族和解につながると主張している。しかし,シンハラ人が多数を占める州評議会だけでなく,多民族からなる東部州評議会でも権限を中央に付与する決議がなされている。インド政府も第13次改正憲法の完全実施を求めているが,タミル政党やインド政府が要求する権限移譲の姿からはますます遠ざかることとなった。

司法と政治の対立

司法を巡る2つの事件が2012年のスリランカを揺るがした。ひとつは地方の対抗勢力の対立に巻き込まれたケースだが,もうひとつは国際社会も強く関心を寄せるような,司法の独立性を問われる事件に発展した。

マナー県ウプクラム(コンダイピティ)では,内戦中にヴィダタルディヴから移動してきたタミル人カトリック系住民と地元ムスリム漁民の間で土地と漁港の使用を巡って対立があった。ムスリム漁民らは6月からタミル人らに土地の明け渡しを求めて交渉を続けてきたが,タミル人らは約束を守らず居住を続けていた。これに業を煮やしたムスリム漁民らがいくつかの漁業施設を占拠した。マナー地方裁判所は警察にムスリム漁民13人の逮捕を命じ,7月17日にはタミル人住民の港の使用許可(別の場所に移るまでの期限付き)と保護を命じた。裁判所が18日にさらに3人のムスリム漁民の逮捕を命じたことでムスリム漁民ら500人ほどが裁判所付近に集合し,抗議デモを実施するに至った。デモ参加者は裁判所に投石したため,警察が催涙弾を撃つなど騒然となった。

この襲撃事件に関して,7月20日,マナー地方裁判所の裁判官は,リシャード・バディユディーン工業・商業大臣が抗議デモの前日に警察に電話し裁判所の判決を覆すよう圧力をかけ,襲撃の最中も脅迫電話をかけてきたと訴えた。スリランカ弁護士協会は大臣の司法への介入に抗議してストライキを実施した。バディユディーン大臣は介入を否定している。

もうひとつは最高裁長官罷免に発展したケースである。デヴィ・ネグマ法案を巡り司法と行政の対立が表面化しつつあるときに,大統領から最高裁長官および司法サービス委員会(JSC)メンバーに対して面談の申し込みがあった。しかし,司法側は司法の独立の観点からこれを拒否した。その後,司法サービス委員会の長官マンジュラ・ティラカラトネが9月18日,国営メディアが司法関係者を批判するいわれのない報道を行っており,これは司法の独立性を侵すものだと疑義を示した。同月28日,同長官は18日の発言以降,司法関係者とその家族に対して身体に危険が及びそうな気配があることを明らかにした。そして10月7日,同長官は自宅付近で何者かに襲撃され負傷した。これに対して司法関係者らは抗議のストライキを実施している。

最高裁がデヴィ・ネグマ法案の違憲審査を行っている最中の10月30日,与党UPFAはシラーニ・バンダラナイケ最高裁長官の弾劾を決議した。11月1日には長官弾劾を求める国会議員117人の署名が国会議長に提出された。6日には大統領の兄で議長のチャマル・ラージャパクセが長官に対する14項目の嫌疑を読み上げた。嫌疑は,資産公開の不備,権力濫用,憲法軽視などからなる。次いで与党議員7人,野党議員4人からなる弾劾審査を目的とする国会選任委員会(PSC)が設置された。PSCは15日,長官に対して14項目の嫌疑に対して審議予定の23日までに回答するよう要求した。この間,長官からは時間の猶予を求める要請がなされたが,認められなかった。最高裁もPSCに対して審議の延期を勧告したものの,予定通り23日に長官本人がPSCに出席して審査が行われた。最高裁はさらに28日に,自然法の原則に従えばPSCに最高裁長官の弾劾審査を行う権限はないと判断を下した。しかし翌日の国会においてUPFA議員が,2001年に当時の議長だったアヌラ・バンダラナイケが同様の判断を下していると主張し,国会議長も,外部のいかなる機関も国会に申し立てできないとして,最高裁や野党の反対を押し切った。

司法と議会の対立は深まっていった。12月3日には,全国の司法関係者らが共同声明を出して,メディアによる司法に対する中傷的な発言に抗議するとともに,PSCのメンバー構成に疑義を唱えた。それでもPSC審議は続いたが,6日のヒアリングでシラーニ長官は,PSCメンバーの態度があまりにも敵対的で不適切な言葉遣いをしており,司法の尊厳を保てないとして,審議を途中退席している。翌7日にはPSCの野党議員メンバーも,適切な手続きを踏んでいないとして審議への出席を取りやめた。これに対してはアメリカもPSCの審議について透明性の確保と適切なプロセスの遵守を求める声明を出している。

長官および野党議員の不在,およびアメリカからの声明にもかかわらず12月8日,PSCは審議の結果を国会に報告している。内容は5つの嫌疑のうち3つが極めて疑わしく,最高裁長官というポストに不適切とするに十分な証拠となる,というものだった。嫌疑は14項目あったが,残りの9項目は審議するまでもないという。これに対して,UNP議員でPSCメンバーのラクシマン・キリエッラは,審議時間が短く,審議プロセスも適切でなかった,PSCを補佐する専門家をあてるべきであった,PSCの構成が不適切だったなどの理由をあげ,審議はあたかも宗教裁判であったと批判した。

PSCの審議結果は国会提出1カ月後に改めて国会で審議され,最終的に弾劾が決定することになった。その間も控訴裁がPSCには弾劾審査を行う法的根拠がないため,決定は無効であると判断したものの,2013年1月11日,国会での審議の後,155対49で承認され,最高裁長官の罷免が決定した。

最高裁長官の弾劾・罷免に関しては,国内野党だけでなく,海外からも司法の独立および適正手続の観点から批判が出ている。

シラーニは2011年5月にラージャパクセ大統領によって女性としては初となる最高裁長官に任命された。しかし,彼女の任命は大統領の権限を強化した2010年の第18次憲法改正によって,大統領が最高裁長官を任命できるようになって初めての長官任命であった。人権を重視する弁護士らはこの任命を政治的任命と批判し,司法の独立が脅かされると懸念を表明した。すなわちシラーニ長官は大統領のロイヤリストとみなされていたにもかかわらず,市街地・国土計画令改正案およびデヴィ・ネグマ法案に対して,反政府的ともみられかねない判断を下したことで,罷免に至ったとの見方がなされている。これまで政府寄りの判決を下してきたともいわれるシラーニ長官でさえ弾劾を免れないほど,中央の政治的権限を強めようとする意思が強いとみることができよう。

和解プロセスとLLRC

2011年12月に国会に提出された「過去の教訓・和解委員会」(LLRC)報告書が示す勧告の進捗状況は国際社会から厳しい目にさらされ,実施を求められるようになった。

3月に行われた第19回国連人権理事会(UNHRC)で,アメリカが決議案「スリランカにおける和解とアカウンタビリティの促進」を提出した。内容は,スリランカ政府に対しLLRC報告書の勧告実現,包括的な行動計画の早期提示を求め,国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)からの助言および技術的支援を義務づけるものだった。これはTNAが1月に発表した「LLRC報告書に対する見解」という,LLRCに対する批判的な報告書の要求によく似ている。これに対してスリランカ政府代表は,勧告内容の実施に取り組んでいる最中であり,外部からの関与は必要ないと主張した。中国やパキスタンなども外国の圧力を批判した。しかし,決議案は賛成24,反対15,棄権8で採択された。ここでスリランカにとって予想外だったのは2009年の決議の際はスリランカを支持したインドが賛成に回ったことだった(対外関係を参照)。

LLRC勧告の実現にもつながる人権問題への対応としては,統計局が2月に内戦末期の北部州における自然死以外の死因による死者数を7934人と発表して,人権NGO発表の死者数である,数万という数字を打ち消した。6月にはLLRCの勧告実施に関して分野を(1)国家政策,(2)内戦の終末期,(3)人権・安全保障,(4)再定住,開発の4つに分け,285の実施などを提示した。

北部州における国内避難民(IDP)の再定住が進んでおり,9月までに難民キャンプは閉鎖された。2012年末までに22万5000世帯が再定住を完了し,残るは親戚・友人宅および福祉センターに身を寄せる8782世帯のみとなった(再定住省統計より)。1万人あまりの元LTTEメンバーの社会復帰も進んでいる。LLRC勧告への対応が欧米諸国の期待通りの速さや内容ではないものの,実施に移されつつある。その一方で民族問題の解決に向けた,TNAを含んだ形でのPSCの設立には今年度中も至らなかった。

国連は11月,内戦末期のスリランカにおける国連の行動をレビューした報告書を提出した。内容は国連の重大な失敗を認めるものであった。国連がスリランカを一方的に批判するだけでなく,詳細な自己批判を行ったことで,スリランカとしても対応せざるをえなくなった。

第13次改正憲法を巡るTNA,インド,スリランカ政府の動き

地方の権限を縮小させるような法案が国会に提示されるなか,権限移譲を規定した第13次改正憲法を実質的に運用させたいTNAとインド,別の形を目指すスリランカ政府のやりとりがあった。

1月,インドのクリシュナ外相は,スリランカを訪問した際,大統領から第13次改正プラスを実施する確約を取り付けたと語った。さらに4月にはインド下院野党指導者スワラジ議員を中心とした議員代表団がスリランカを訪問した。6日間にわたり政府関係者のみならずタミル政党などとも精力的に会談し,スリランカに対してタミル人保護や第13次改正憲法の完全実施を呼びかけた。インド側は自らが1980年代に策定に関与した第13次改正憲法の実施をスリランカに求めている。多くの少数民族を抱えるインドとしては,隣国での民族紛争の行方にも目を光らせざるをえないためである。

ただ,ここで注意しなければならないのは,第13次改正プラスとして大統領がインド側に伝えたのは,上院の設立についてであったことである。タミル政党として政府と内戦後の北・東部の復興および和解,権限委譲などを協議する主体として期待されたTNAは,土地や警察権限・予算権限を主に求めており,上院の設立は重要ではなかった。TNAは失望を隠さず,スレシュTNA報道官は,上院は権限移譲と結びつかない以上,話し合いの価値はないと切り捨てている。ジャフナ選出の議員シバジリンガムも,TNAが求めているのは自治と自律であるとして,上院の創設に批判的である。

しかし,10月には第13次改正憲法の存在を揺るがすような議論が巻き起こった。大統領の弟のゴーターベ国防・都市開発次官が新聞インタビューで,第13次改正憲法を廃止するか現状に則した形に改めると述べた。与党内部でも意見が分かれ,国民自由戦線(NFF)のウィーラワンサ建設大臣やシンハラ国民の遺産(JHU)のチャンピカ大臣らのシンハラ右派政治家らは廃止の立場を表明した。仏教界からも廃止を主張する有力僧侶が現れた。

野党

2011年12月にラニル・ウィクレマシンハが党内選挙によってUNP総裁に選出された。7月には総裁選挙は6年に1度と作業部会が決定し,これで現在62歳のラニルの地位は2018年まで保たれることになった。この決定に対しては党内部からも反発があり,反ラニル・グループは裁判所に提訴する一方,党幹部側は,党の規定や指示に従わなかった党員への締め付けを強化している。UNPは,小規模野党とともに10月,ビパクシャ・ビローダヤ(Vipakshaye Virodaya)なる野党共闘グループを立ち上げて,集会などを開催しているが,グループの具体的な規約などは未定のようである。

4月7日,JVPの総裁ソーマワンサ・アマラシンハと一線を画すグループで,新党を結成しようとして準備中であったプレマクマール・グナラトナム(『アジア動向年報2012』「スリランカ」参照)と女性の活動家が,何者かに連れ去られて行方不明となった。グナラトナムがオーストラリア国籍であったことからオーストラリア大使らがスリランカ政府に対して捜索を依頼した。しかし,スリランカ政府はグナラトナムの入国記録がないとして,捜索を拒否した。2日後,解放されたグナラトナムは警察に保護を求めた後,オーストラリアに送還された。帰国後,グナラトナムは連行されて尋問や拷問を受けたことを明らかにした。新しい政党に関する尋問を受けたと述べているが,誰が何のためにグナラトナムを拉致したのかは明らかでない。(通常,スリランカ国内で人権上の問題が発生しても,欧米諸国はなかなか介入できなかった。今回は,グナラトナムがオーストラリア国籍を持つことから,オーストラリア政府が介入しようとしたが,スリランカ政府はにべもなくはねつけた形になった。)

5月,2010年の大統領選挙の候補者で,野党民主国民連合(DNA)指導者のサラット・フォンセーカ元陸軍司令官がヴェリカダ刑務所から釈放された。都市部におけるフォンセーカ支持は根強く,大勢の群衆が出迎えた。フォンセーカは,政治活動に積極的な姿勢をみせているが,市民権が7年間剥奪されており,選挙には立候補できない。フォンセーカはUNPとの連携はありえないと断言している。

5月のメーデーでTNAリーダーのサンバンダンがスリランカ国旗をかざした。タミル人のベテラン政治家としては,大きな変化であるとみなされた。しかし5月末,バティカロアで開催された集会で,独立を求める党規に変更がないことを宣言し,同時に北部州・東部州の融合も求めた。10月には,TNA内部で合意形成や説明が十分なされていないことに対して不協和音が露わになった。

社会の動き

2009年5月の内戦終結から3年あまりが経過したスリランカでは,政府に対してそれぞれの地方や組織の要求を,デモという手段を用いて直接訴える動きが広まった。2月の燃料価格引き上げを契機として電気料金,パンなどの価格引き上げが相次いで発表されると,物価上昇に抗議するデモが多発した。警察がデモ隊を鎮圧するために催涙弾などを用いるため,デモ参加者が暴徒化する傾向にある。北中部州ダンブッラでは,モスクの撤去を求める仏僧らが中心となったデモが発生し,民族間の緊張が高まった。また,大学教員のストライキは,3カ月の長期にわたった。大学教員連盟(FUTA)は,2011年7月の合意に従って基本給の引き上げや大学教育の質を維持するための予算措置の実施を求めていたものの,実現されなかったので,大規模なストライキに打って出た。

経済

2012年のGDP成長率は,第1四半期は7.9%を保ったものの,徐々に低下し,全体では6.4%ほどにとどまる見込みで,前年の8.3%を下回る結果となった。成長率下落の要因は以下に述べるような,天候不順による農業の不振,輸出の不振などである。

農業セクターは上半期までは対前年同期比のGDPは10.3%増と好調であった。マハ期(10~4月)のコメ生産も36.4%増えている。しかし,南西モンスーンの遅れによる北中部州,北西部州での8月の干ばつや,11月の洪水により,ヤラ期(5~9月)のコメ生産減(-38.3%)や茶などの農産物の生産や流通が影響を受けた。天候不順が続いたものの,年末のコロンボ消費者物価指数(12カ月平均)は前年同月比7.6%増にとどまった。

2011 年度の貿易赤字が対前年度比98%増となったことから輸入を削減する方策が急務となった。そのため中央銀行は,2007年以来初となる政策金利引き上げ(2月)に続き,4月にも再び金利を引き上げた。貸出を減らすことで消費財輸入の引き締めをねらったものである。ルピーの為替レートも2,3月に引き下げが容認され,さらに消費財(食料品)や車両への課税引き上げなどの措置もとられた。その結果,消費財の輸入は対前年比18.0%減少した。前年に急増した車両輸入額は,燃料価格の引き上げの影響もあり43.8%の減少となった。輸入全体は5.8%減となった。

輸出は3月からの繊維品輸出の減少が止まらず,対前年度比7.4%減となった。輸入の減少にもかかわらず,輸出も縮小したため貿易収支赤字はわずか4.1%減にとどまった。この貿易赤字をサービスセクターが埋め合わせをしている構図に変化はない。海外送金(16.3%増)と観光収入(25.1%増)は好調であった。年間の海外からの観光客は初めて100万人を突破した。

ただし,送金については今後も順調とは言いきれない。2012年中,スリランカではサウジアラビアにメイドとして働きに行っていた東部州ムットゥール出身のムスリム女性の処遇が注目されていた。リザナ・ナフィークは17歳だった2005年に,出稼ぎ先の家の生後4カ月の乳児を殺害した容疑で逮捕され,2007年に死刑判決が下されていた。スリランカ政府はこれに抗議し,サウジアラビア側に猶予を求めていたが,結局2013年1月9日に処刑された。これを受けてスリランカ政府は,女性のメイドとしての海外労働を推奨しない方向に進みそうである。

その一方で男性の海外労働者出国数は2010年から女性を上回っている。近年,出稼ぎ先として人気があるのは,労働条件が良く,給与も高い韓国である。10月には3万4000人が労働資格を得るために韓国語の試験を受験した。

海外に出稼ぎが多いのは,国内の雇用が不足しているためである。2012年半ば以降になってオーストラリアへ向かう難民が急増した。オーストラリア出入国管理局によれば2012年中に3000人以上ものスリランカ人難民庇護申請者が船によるオーストラリアへの不法入国を試みた。スリランカ海軍もスリランカ近海で年間3000人以上を保護している(とくに7,8月に集中している)。人権団体は,難民の多くはタミル人で,内戦終結から3年以上経過してもなお政府やLTTEから迫害を受けていると主張するが,オーストラリア政府はこれらの多くが経済難民であるとして,8月以降管理を強化し,700人を強制送還した。その結果,到着する船の数は減少した。オーストラリア政府からは,難民急増の背景にはスリランカ政府高官が関与しているのではないかとの疑念が提示されている。

内戦終結後のコロンボ証券市場(CSE)の株価は好調な上昇を示していたが(図1),実は2010年の株価は操作されていたとされる。すなわち,株価指数の上昇は,実績のない企業の株式が売買されることによって人為的に作られていたものだった。2012年5月に発覚した,国有企業である国民貯蓄銀行(NSB)の幹部で,シラーニ最高裁長官の夫でもあるカーリヤワサムがかかわった株式取引が典型的である。市場価格が1株30ルピーほどのザ・フィナンス・カンパニー(セリンコのグループ企業で,同グループを巡る2008年のスキャンダルの影響を受けて再建中)の株式13%を1株50ルピー(総額3億9100万ルピー)という市場価格を大幅に上回る価格で購入している。そのほかにも年金基金による,業績の芳しくない企業の株購入を巡る不可解な取引が報告されている。

図1  コロンボ株式市場指数

(出所) Central Bank of Sri Lanka, Selected Economic Indicators,各月版。

対外関係

インドとは,内戦終結以降,両国間に横たわる海域における漁民の領海侵犯や密漁によるトラブルが懸案事項として解決されないままになっていた。2012年も同様に双方の軍や沿岸警備隊が漁民を拿捕する事件が相次いだ。さらに3月の国連人権理事会を契機にスリランカにおける反インド感情が高まった。ただ,インドは原案にあったスリランカの義務を緩和する交渉をしたうえで賛成票を投じている。スリランカにおけるタミル問題を重視するタミル・ナードゥ州から強い圧力があったためである。

このほかにも,タミル・ナードゥ州では7月,タミル・イーラム(タミル人独自の国家)を支持する団体の集会が行われ,カルナニディ・ドラヴィダ進歩同盟党首がこれを支持した。8月にはインドの軍事施設を使用するスリランカ軍の訓練にジャヤラリタ州首相が反対し,また,訪印中のスリランカ人高校生スポーツ選手の帰国を命じた。スリランカ側はこれに対してインドへの渡航自粛命令を出したが,まもなくインド巡礼中のスリランカ人旅行者たちが暴徒に襲撃される事件が発生した。

このように両国の関係が冷え込むなかで8月,カピラバスツ舎利がデリーの国立博物館から34年ぶりにスリランカに貸し出されることとなり,約1カ月間ケラニヤをはじめとする10カ所で開帳され,正装したスリランカ人が長い行列をなして参拝した。

中国との関係は,中国の援助によるノロッチョライ火力発電所が不具合を起こしてしばしば運転を停止したことから,中国への不満が国民のなかに高まったものの外交上の問題に発展することはなく,むしろ良好な関係を維持した。たとえばインドに売却する直前まで手続きをしていた土地が中国の航空機メーカー・中国航空技術輸出入公司(CATIC)に売られることになり,インドは不快感を表明した。8月には梁光烈国防部長,9月には呉邦国全人代常務委員会委員長が来訪し,軍事および経済面での連携を確認した。また11月には,スリランカのSupremeSAT(Pvt)Ltd.と中国長城工業総公司との合弁事業で,中国の衛星発射センターからスリランカ初の静止衛星が打ち上げられ,宇宙技術センターをキャンディに建設する(総額3億2000万ドル)など,両国の協力関係は範囲を広げている。

2012年中,大統領は積極的に海外の会議に出席した。海外からの要人の来訪も数多く,とくにアフリカ諸国との関係強化が目立った。

2013年の課題

内戦終結以降,インドや中国の援助を利用して地方のインフラ建設を進めてきたスリランカ政府は今後,コロンボを中心とする都市部の開発も地方と平行して実施するつもりのようだ。そうなると今も存在する都市部と農村部の経済的な格差はさらに拡大することになるだろう。農村部の絶大な支持を得ている現政権としては,その格差を放置するわけにはいかない。いかなる方策がとられるか注目される。

国際関係では,11月に予定されている英連邦会議の開催国となっている。最高裁長官罷免や内戦後の人権問題などでスリランカ政府と国際社会の間に確執があるため,順調に開催したいスリランカとしては各国への働きかけが行われるだろう。その際に,人権保護に関する達成度を各国にみせる必要がある。国連の継続的な関与は今後も続くであろう。実質的な進展を期待したい。

(地域研究センター研究グループ長代理)

重要日誌 スリランカ 2012年
  1月
10日 ゴーターベ国防・都市開発次官,過去の教訓・和解委員会(LLRC)の勧告を実施に移すと語る。
11日 トリンコマリー沖でインド漁船2隻と漁師ら13人を拿捕。
14日 インド・スリランカ合同漁業委員会,合意まとまらず。
14日 タミル国民連合(TNA),「LLRC報告書に対する見解」を発表。
16日 インド外相S.M. クリシュナ来訪(4日間)。大統領,ピーリス外相,TNA,ムスリムの代表らと会談。北部の住宅建設に関する合意に調印。
21日 カッチャティブ島沖でインド人漁民が襲撃される。スリランカ海軍は関与を否定。
22日 カラム元印大統領,来訪。
23日 サラット・フォンセーカ元軍司令官ら,反逆罪で高等裁判所に控訴される。
23日 スリランカ海軍,プルムッダイでインド人漁民43人逮捕。26日解放。
27日 シャヴェンドラ・シルバ,国連平和維持軍への助言委員会委員に任命される。ナビ・ピライ国連人権高等弁務官は任命に抗議の書簡。
29日 TNA,土地,警察,予算権限が権限移譲に含まれるべきで,国会選任委員会(PSC)に加わる最低条件だと強調。
  2月
3日 中銀,レポ・レートとリバース・レポ・レートの0.5%引き上げを発表。
4日 大統領,独立記念日の集会で,民族問題は「輸入物」の解決策でなくPSCの議論によって解決するのが望ましい,と語る。
7日 最高裁付近で手榴弾10個が袋に入った状態で発見される。
8日 最高裁前で民主国民連合(DNA),統一国民党(UNP)らがフォンセーカ釈放を要求しサチャグラハ(ハンスト)と抗議。
9日 中銀,為替の変動を容認する方向へ転換すると発表。
10日 大統領,パキスタン訪問。ザルダーリー大統領,ギーラーニー首相らと会談。
11日 ディーゼル価格を1リットル当たり31ルピー引き上げ。ガソリンは12ルピー,ケロシン油は35ルピー引き上げ。
12日 オテロ米国務次官およびロバート・ブレイク米国務次官補(南アジア・中央アジア担当),来訪。大統領と会談。
15日 大統領,シンガポール訪問(~16日)。ビジネス・投資促進の覚書を締結。
15日 電気料金値上げを発表。家庭用低量25%,中量35%,大量40%,工業用は15%増。
15日 チラウ漁民による燃料値上げ反対デモに警官が発砲し1人死亡。外出禁止令発令。
25日 統計局,「北部州における主な出来事目録」を発表。2009年の自然死以外の死亡者数は7934人。
27日 ジュネーブで第19回国連人権理事会(UNHRC)開催。
  3月
7日 アメリカ,UNHRCに「スリランカにおける和解とアカウンタビリティの促進」決議案提出。
7日 ジャヤラリタ・タミル・ナードゥ州首相,シン印首相宛に書簡。
14日 イギリスのテレビ局チャネル4,ドキュメンタリー番組「スリランカのキリングフィールド:罰せられない戦争犯罪」を放映。
19日 シン印首相,下院答弁でスリランカ決議案に賛成票を投じる可能性を示唆。
21日 大統領,ムカジー印財務相と電話会談。
22日 アメリカによる決議案,UNHRCで賛成多数で採択される (賛成24,反対15,棄権8) 。
28日 スリランカ・エキスポで大統領,「我が政府は和解を通じて恒久的な平和確立へ1マイルを踏み出した。誰も指図することはできない」と演説。
31日 政府,自動車輸入に課す物品税の引き上げを発表。
  4月
2日 IMF,スリランカに4億2600万㌦の融資を承認。
3日 港湾局,コロンボ港の混雑を理由にすべての車両の輸入を5月31日よりハンバントタ港に移すと発表(後に撤回)。
5日 中銀,政策金利のレポ・レートの0.25%,リバース・レポ・レート0.75%引き上げを発表。
7日 人民解放戦線(JVP)メンバーのプレマクマール・グナラトナム,行方不明になる。
9日 プレマクマール・グナラトナム,解放され警察に出頭し,保護される。
16日 インド国会議員の代表団,来訪(~21日)。
20日 ダンブッラでモスクの移動を求める集会。
23日 スリランカ沿岸警備隊,インド・モルディブと合同海上演習。
23日 大統領,韓国訪問(~26日)。スリランカ人労働者の韓国就労を拡大する方向で合意。
  5月
1日 与党統一人民自由連合(UPFA),コロンボで大規模なメーデー開催。
3日 岡田副総理,スリランカ来訪(~4日)。大統領,バジル経済開発大臣らと会談。北中部州・北部州を視察。
18日 大統領,フォンセーカ元陸軍司令官釈放書類に署名。
19日 内戦終結3周年の式典開催。
20日 大統領,第12回経済フォーラムに出席するため,カタール訪問。
21日 フォンセーカ元陸軍司令官,釈放される。
  6月
1日 インド内務省,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)の非合法化措置を2年間延長。
2日 コロンボ市内の11カ所のチェックポイントから軍が撤退。警察のみに。
4日 大統領,エリザベス女王即位60周年記念式典に参加するためイギリスに到着。
5日 大統領のロンドン・シティでの講演がキャンセルされる。
6日 ハンバントタ港に初めてタンカーが入港(開港は2010年11月)。
7日 ジャガット・ジャヤスーリヤ軍司令官と梁光烈中国国防部長,北京で会談。両国の軍事協力関係の強化を確認。
8日 大統領,バチカン訪問。ローマ法王ベネディクト14世と対談。
11日 クリントン米国務長官,スリランカを含む7カ国・地域をアメリカのイラン原油制裁法の適用対象から新たに除外すると発表。
14日 フォンセーカ,釈放以来初会見し,現政権に加わることなく,現在の腐敗した体制を覆して,この国を救うと発言。
15日 大統領,キューバ訪問(~19日)。ラウル・カストロ国家評議会議長と会談。
15日 ハンバントタ県で開催のJVP集会が襲撃され,2人死亡。
18日 第20回UNHRC開幕。スリランカ代表,内戦終結後のスリランカの取り組みをアピール。
19日 大統領,ブラジル訪問(~24日)。国連持続可能な開発会議(リオ+20)に出席。
21日 大統領,シン印首相と会談。
25日 最高裁,2011年8月に行われた全国共通試験(GCE/AL)について,大学教育運営委員会(UGC)に対して採点を無効とし再採点を行うべきとの判決。
27日 北中部州,東部州,サバラガムワ州評議会解散。
28日 メノン印国家安全保障顧問,来訪。
28日 バブニヤの刑務所で,タミル人囚人らが刑務官らを人質にとる。海外のLTTE支持団体との関与が明らかとなる。
29日 犯罪捜査局(CID),ランカ・ミラー・ウエブサイト社とランXニュースウエブサイト社に立入り調査。
  7月
3日 大学教員連盟(FUTA),政府側と大学教員の給与引き上げなどに関して協議。物別れに終わり,4日からストライキ開始。
12日 メディア・情報大臣,新たなニュースサイトの登録に10万ルピー,毎年の更新に5万ルピーを課すと発表(後に引き下げ)。
18日 マナーの漁民らと警察が衝突。裁判所が襲撃される。
19日 UNP,党総裁選挙は6年ごとに実施すると決定。
20日 マナーの事件に抗議して,弁護士らがストライキ。
25日 LLRC勧告の実施に関する国家行動計画が閣議に提出され承認される。タスクフォース任命。
28日 ゴーターベ国防・都市計画次官,「北部州の国内避難民(IDP)の再定住は8月中旬に完了し,すべてのキャンプは閉鎖される」と発言。
  8月
8日 ジュネーブのスリランカ国連代表,UNHRCに人権問題に関する報告書を提出。
10日 政府,砂糖,コメ,豆など8品目の生活必需品の値下げを発表。
10日 デヴィ・ネグマ法案,国会に提出される。
12日 カルナニディ・ドラヴィダ進歩同盟党首,インド・タミル・ナードゥ州でタミル・イーラム支援団体会議を開催。
13日 アンパラ県で,ムスリム国民会議(MNC,党首アタウッラ大臣)の支持者とスリランカ・ムスリム会議(SLMC)支持者が衝突。SLMC党首ハキームの車に投石・放火など。
19日 政府,イギリス外務省のスリランカ旅行への注意呼びかけに抗議。
20日 インドよりカピラバスツ舎利到着。
21日 ディサナヤケ高等教育大臣,医学部を除く全国の大学の無期限閉鎖を決定。
22日 明石康日本政府代表,来訪(~27日)。大統領ら要人と会談。
23日 ワヒード・モルディブ大統領,来訪。
29日 梁光烈中国国防部長,来訪。
29日 大統領,第16回非同盟諸国会議に出席するためイラン訪問。
31日 アンパラ県でMNCとSLMC支持者の衝突。
  9月
3日 タミル・ナードゥ州でスリランカ人巡礼者が乗ったバスが襲われる。
3日 スリランカ政府,旅行会社を通じてスリランカ人のタミル・ナードゥ州渡航自粛を呼びかけ。
8日 北中部州,東部州,サバラガムワ州選挙。北中部州,サバラガムワ州では与党の圧勝。東部州でもUPFAが第1党となる。
11日 コロンボで第58回英連邦議員会議(~14日)。
13日 ブレイク米国務次官補,ジャフナ訪問。
14日 国連人権高等弁務官事務所チーム,来訪(~20日)。
17日 呉邦国・中国全人代常務委員会委員長,来訪。
18日 司法サービス委員会(JSC)長官,国営メディアが司法関係者に対していわれのない批判を行っていると発言。
20日 大統領,インド訪問。シン印首相と会談(~21日,到着は19日)。
25日 メニック・ファームIDPキャンプ閉鎖。
25日 西部州評議会でデヴィ・ネグマ法案を承認する決議がなされ,続いて北西部州評議会・ウヴァ州・東部州・中央州でも承認される。
28日 JSC長官,司法関係者や家族の身に危険が及ぶ可能性について言及。
  10月
1日 ピーリス外務大臣,国連総会で演説し,「国際問題を解決するためには,各国の主権の平等の原則に則った行動が取られるべきである」と述べる。
7日 JSC長官,何者かに襲われる。
8日 すべての裁判所関係者,JSC長官襲撃事件に抗議するストライキを実施。
9日 2013年度予算の第1読会。
10日 国会に地方議会の新選挙制度に関する2つの法案(「地方議会選挙法修正法案」および「地方議会特別法案」)が提出され,全会一致で可決される。
11日 TNA議員団(サンバンダン議員団長ほか),インド政府からの招待を受け,インドを訪問。シン印首相およびクリシュナ印外相とそれぞれ会談。
12日 FUTA,7月以来継続していたストライキを停止すると宣言。
15日 大統領,第1回アジア協力対話首脳会合に出席するためにクウェートを訪問。
21日 大統領,エネルギーフォーラムに出席するためドバイ訪問(~24日)。
30日 UPFA,シラーニ・バンダラナイケ最高裁長官の弾劾動議提出を決定。
  11月
6日 国会議長,国会に最高裁長官の弾劾審議のためのPSCを設置する。
6日 最高裁の判事3人,デヴィ・ネグマ法などの法案に関する決議を国会議長に送付。
8日 大統領,財務大臣として2013年度予算を国会で発表。
9日 ヴェリカダ刑務所で囚人らが暴動。発砲により死傷者多数。脱獄者も。
11日 ゴーターベ国防・都市開発次官,訪中。梁光烈国防部長と会談。
12日 国連事務総長,スリランカに関する国連の行動レビューの中間報告を受領。内容はかなり自己批判的。
14日 シラーニ最高裁長官への弾劾に関する手続き開始。
19日 大統領,カザフスタン訪問(~20日)。
23日 PSC,弾劾動議の審査を開始。
27日 中国・西昌衛星発射センターでスリランカ初の静止衛星の打ち上げ。
27日 ジャフナ大学で学生が英雄記念日の式典を行おうとしていたところ,警察が急襲。
  12月
8日 PSC議長のアヌラ・ピリヤダーシャナ・ヤーパ,報告書を提出。
8日 予算審議が終了し,予算案が大多数の賛成によって可決,成立。
19日 シラーニ最高裁長官,PSCの決定について控訴裁判所に異議申し立て。
19日 インド・タミル・ナードゥ州でLTTE関係者が逮捕される。
19日 デヴィ・ネグマ法案閣議決定。
21日 控訴裁判所,国会議長およびPSCに対し,シラーニ最高裁長官の申し立ての審理が終了するまで,最高裁長官の権利を侵害するような行為を慎むよう勧告。また,国会議長,PSC委員および国会事務総長に対し,1月3日に出廷するよう通知。
22日 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR),「スリランカ出身の亡命希望者の国際保護の必要性を評価するための適正ガイドライン」を発表。

参考資料 スリランカ 2012年
①  国家機構図(2012年12月末現在)
②  政府要人名簿(2012年12月末現在)
②  政府要人名簿(2012年12月末現在)(続き)

主要統計 スリランカ 2012年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質: 2002年価格)
4  輸出・輸入分類
5  国際収支
 
© 2013 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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