アジア動向年報
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南シナ海 南シナ海をめぐる領有権問題
知花 いづみ
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2014 年 2014 巻 p. 23-36

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概況

近年,南シナ海における南沙諸島(スプラトリー諸島)や西沙諸島(パラセル諸島)などに関する領有権問題が再び注目を集めている。本海域には東沙諸島,西沙諸島,中沙諸島(スカボロー礁),南沙諸島など,サンゴ礁からなる小島が点在し,このうち東沙諸島については台湾と中国が,西沙諸島についてはベトナムと中国が,中沙諸島については中国とフィリピンが,南沙諸島については,中国,台湾,ベトナム,フィリピン,マレーシア,ブルネイ,インドネシアがそれぞれに一部の島嶼で実効支配を行い,主権を主張している。

近隣諸国が同海域に高い関心を示すようになった背景には,1960年代後半に周辺海域に石油・天然ガス資源が存在する可能性が公表されたことがある。南シナ海は中東諸国からの原油を積載した貨物船などの輸送経路ともなっており,世界貿易を支える海上交通の要路でもある。このため,アメリカまでもが「航行の自由」を主張して南シナ海域問題に関与するようになった。

同海域における問題のうちもっとも深刻なのは,中国を中心とする実力行使による領有権の拡大を図る動きである。中国はベトナムとの間で起こった1988年の「南沙海戦」(赤瓜礁海戦)で赤瓜礁の主権を主張したのを皮切りに,フィリピン領とされていたミスチーフ礁(美済礁)に建造物を建設し,政府担当官を派遣することで実効支配を確立するなど,実力行使による領土および領海の拡大を目指してきた。近年では,フィリピンやベトナムによる石油やガスなどの天然資源の探査調査活動を,海洋監視船の派遣や海底ケーブルの切断などで妨害するといった行為を継続している。

こうした中国の動きを牽制するために,関係諸国の間では1990年代後半からASEANの枠組みを通して利害を調整しようとする動きが見られるようになった。これにより,2002年には領有権をめぐる紛争解決における武力衝突の回避とASEAN加盟国間における信頼醸成を目的とする「南シナ海における関係諸国行動宣言」(Declaration on the Conduct of Parties in the South China Sea: DOC)が採択され,2011年のASEAN外相会議では「行動宣言の履行に関する指針」(Guidelines and the Action Plan for the Implementation of DOC)が合意された。しかし,これらの宣言などには法的拘束力がなく,中国側はあくまでも当事国との二国間での交渉による問題解決を希望しているため,関係諸国間との緊張は今後も続くものと考えられる。

南シナ海の領有権をめぐる関係諸国の動向

中国大陸,台湾島,インドシナ半島,マレー半島,スマトラ島,カリマンタン島(ボルネオ島),フィリピン諸島に取り囲まれている南シナ海には,東西約1500キロメートルにわたって小さな島々が点在している。同海域の平均深度は1212メートル,中央部の深海平原は水深4000メートル以上,最深部は5559メートル,海盆の平均水深は約3500メートルとされており,豊富な漁業資源,石油・ガスなどの天然資源の存在が見込まれていることに加えて,世界貿易を支える海上交通の要ともなっている(図1)。

図1  各国が自国の主権を主張する境界線

(出所) D. Rosenburg/Middleburg Colleage/Harvard Asia Quarterly/philのデータより作成。

南シナ海の領有権をめぐる争いが白熱しはじめた背景には,1968年に同海域の海底資源探査活動を担当する「アジア沿海鉱物資源共同探査調整委員会」(Committee for Coordination of Joint Prospecting for Mineral Resources in Asian Offshore Areas: CCOP)が南シナ海域における豊富な石油・天然ガス資源の存在を示唆した報告を出したことがある。本報告によって,周辺諸国の関心が南シナ海の海底資源の権利獲得に集中しはじめた。

現在,同海域に対して中国,ベトナム,フィリピン,マレーシア,台湾,ブルネイが全部または一部の領有権を主張している。このうち,ブルネイについてはマレーシアが占有する島嶼のひとつの主権を主張しているが,対立を表面化させるには至っていない。同海域の領有権争いに関しては,中国の武力行使による介入が目立っており,1970年代より中国は軍事力などをもって実効支配しうる領域を拡大しようと試みてきた。こうした動きは1974年に中国と南ベトナムの間で起きた「西沙海戦」,1988年の中国とベトナム間の「南沙海戦」,1995年にフィリピンから激しい抗議を受けた中国政府によるミスチーフ礁の乗っ取りといった事件にあらわれている。

日本もかつては同海域における領有権を保持していた国家のひとつであった。南シナ海と日本の関わりは,日本の燐採掘会社による南シナ海の調査が開始された1918年に遡る。当時の日本の燐採掘会社は南沙諸島の6島で採掘を開始し,同作業は20年近く継続された。ほかの周辺諸国に先駆けて同海域の発展可能性に着目していた日本は,1938年に南沙諸島周辺を「新南群島」と名付けて領有を宣言した。以降,太平洋戦争に敗れるまでこの海域は日本の領海とされていたが,1945年の敗戦後,日本軍は南沙諸島から撤退した。1951年に開催されたサンフランシスコ講和会議で,日本はこれらの諸島の領有権を正式に放棄した。

(1)ベトナム

同海域の可能性に注目していたのは日本だけではなかった。国土の東に南シナ海を臨むベトナムも1920年代より宗主国フランスの艦船派遣などにより,西沙および南沙諸島の調査を開始し,1933年には仏領インドシナの総督が政府決定をもって南沙諸島の一部を現在のバリア・ヴンタウ省に編入すると宣言した。また,フランスは1939年に同地域を新しい行政単位のひとつとして認定し,公式に領土に組み込んだ。さらに,1951年のサンフランシスコ講和会議では,南ベトナム代表が西沙・南沙諸島の主権を主張する声明を発表し,国際社会に対しても自国の領有権を主張した。1956年以降は,実効支配を継続させるために軍隊を同地域に派遣しはじめ,大統領令をもって恒常的に自国領である旨認定した。

こうした動きは,1975年の国家統合以降に加速するようになった。ベトナム政府は1970年代末までにスプラトリー島(南威島),南子島(Southwest Cay),敦謙沙洲(Sandy Cay),景宏島(Sin Cowe Island)を占有し,1988年の中国との「南沙海戦」の前後には万安灘(Vanguard Bank)を,1990年代初頭には金盾暗沙(Kingstone Shoal)の領有権を主張するに至った。ベトナムが領有する島嶼のなかでは,南沙諸島で4番目に大きいスプラトリー島が最大の拠点となっている。同島にはベトナム人民軍が常駐し,軍の使用に耐えうる滑走路が整備されており,カインホア省チュオンサ県に属するとして実効支配を継続している。

(2)フィリピン

フィリピンが南沙諸島を自国の国防範囲に含めると発表したのは,1946年であった。ただし,石油・天然ガス埋蔵の可能性が報告されるまでは,同地域は中国やインドシナ半島など共産主義陣営への防波堤としての意義により重点が置かれていた。1956年,フィリピン出身の民間人トーマス・クローマ氏が南沙諸島北部海域の島に上陸したことを契機に,フィリピン政府は同島をフィリピーノ語で「自由の島」を意味するカラヤン(Kalayaan)島と名づけて自国の領土であることを宣言した。フィリピン側のこうした動きに反発した台湾は,南沙諸島最大の島である太平島(Itu Aba Island)に軍隊を駐留させ,南ベトナムはスプラトリー島に国旗を掲揚して抗議の意を示した。

1970年代に入ると,同海域におけるフィリピン政府による本格的な実効支配が進められ,1970年に馬歓島(Nanshan Island)を,1971年にフィリピーノ語でパグアサ(Pagasa)島と呼ぶ中業島(Thitu Island)や南鑰島(Loaita Island)といった島嶼をフィリピン海軍が次々と占有した。南沙諸島で2番目に大きい面積を有するパグアサ島はフィリピンが実効支配する最大の島で,淡水が確保できるほか1500メートル級の滑走路が整備されており,海兵隊が常駐している。また,2002年からは政府の入植政策に基づき民間人も生活している。

1979年には大統領令第1599号が公布され,排他的経済水域が設定された。この流れは2009年に制定されたフィリピン領海基線法(共和国法第9522号)に引き継がれており,本法ではスカボロー礁とカラヤン島の領有権はフィリピンに属すると明記されている。2011年には,下院議員団が軍用機で上陸・視察するという公式訪問が行われた。また,2012年に,ベニグノ・アキノ3世大統領は南シナ海の一部を「西フィリピン海」と呼称すると定めた行政命令第29号を公布し,地図や学校教育における「西フィリピン海」の呼称使用の公用化を義務づけた。現在,軍事協定に基づく同盟国であるアメリカは,公式会見の場で南シナ海を指す場合に「西フィリピン海」の呼称を使用している。

(3)マレーシア

マレーシアは1960年代後半より,南シナ海域における石油・天然ガス田の開発を意欲的に続けてきた。1971年,マレーシア政府は南沙諸島の一部に対する主権の主張を開始したが,これは領有権の範囲が重複する南ベトナムによって拒否された。1979年,マレーシア政府は自国の排他的経済水域内に位置する領海を示した領海・大陸棚地図を発表し,南沙諸島の12の島嶼を自国領であると宣言した。1980年,マレーシア政府はこの12の島嶼のひとつである安波沙洲(Amboyna Cay)をベトナムが不法に占拠したと訴えて抗議し,1983年より同海域への兵力派遣を公式に開始した。軍隊を用いた武力行使の結果,マレーシアは1983年に弾丸礁(Swallow Reef)を,1986年には光星仔礁(Ardasier Reef)と南海礁(Mariveles Reef)を占有し,1999年にはさらに楡亜暗沙(Investigator Shoal)とヒキ礁(Erica Reef)を実効支配下に置いた。

マレーシアが主張している領有権の範囲は中国,台湾,フィリピン,ベトナム,ブルネイと重複する箇所がある。ただし,マレーシアは近隣諸国との対立を好まず,むしろ融和する姿勢をとっており,とくにベトナムやブルネイとの間で協調関係を維持している。これは,1992年にベトナムとの間で同意した南沙諸島における大陸棚部分の共同開発に関する二国間合意,2009年の国連海洋法条約の大陸棚限界委員会(Commission on the Limits of the Continental Shelf: CLCS)への大陸棚限界延長のベトナムとの共同申請,同年にブルネイとの間で調印された海上境界協定に基づくボルネオ島沖の鉱区における石油・天然ガス田の共同開発の開始などにあらわれている。

(4)台湾

台湾は南沙諸島のなかで最大の面積を有する太平島の領有権を主張している。南沙諸島の北部に位置する同島は,20世紀初めから日本人が燐鉱採掘のために進出していた地域にあたる。1933年,ベトナムの宗主国フランス植民地当局が同島の占拠を試みて日本人を退去させたが,1939年に再度日本軍が占領し,「長島」という名称を付与して台湾・高雄州の管轄下に配置した。1946年,敗戦を契機に日本軍が撤退した後はフランス軍が太平島に上陸した。中華民国政府の抗議によって,領有権の帰属について両国間による交渉の場が設けられる予定であったが,後のインドシナ戦争の激化でフランス側が協議を放棄した。台湾は太平島を広東省政府の管轄下に置くとして同島の実効支配権を確立した。現在,同島は行政区分上,高雄市旗津区中興里に属しており,軍および警察要員が配置されている。太平島に対する主権は中国,ベトナム,フィリピンも同様に主張しているが,とくに中国は太平島を支配下に収めなければ,南シナ海全域や付近の重要航路が確保できないことから,並々ならぬ関心を示している。

中国の実効支配

中国の南シナ海との関わりは,1930年代半ばに外務省,内務省,海軍省によって設立された水陸地図審査委員会が東沙,西沙,中沙,南沙諸島を盛り込んだ中国南海各島嶼図を刊行したことに端を発する。中国政府は,1958年には12カイリ領海宣言を通じて,国際社会に対して南シナ海全体における主権を公式に主張し,1980年代初頭には同海域における石油資源の海底調査を開始した。また,1983年には諸島礁に海軍遠洋実習艦隊,地質学者・考古学者などを含む調査団の南沙諸島への派遣を開始しており,1987年以降は同海域に軍艦を送り出す本格的な軍事演習を実施している。

1988年,中国海軍はベトナム海軍との「南沙海戦」を通じて赤瓜礁(Johnson South Reef),東門礁(Hughes Reef),永暑礁(Fiery Cross Reef),南薫礁(Gaven Reef),渚碧礁(Subi Reef)などの岩礁の実効支配権を獲得した。しかし,これらの岩礁は地形条件がきわめて厳しく,国連海洋法条約第121条で規定された「島とは水に囲まれ,満潮時においても水面上に存在する自然発生的に形成された領域のことを指す」とする要件を満たさないとする見方が強かった。しかし,その後,中国政府は渚碧礁の岩礁上に,航行の安全と平和利用を目的とした通信・レーダー施設を建設した。現在,同施設には接岸可能な船着き場やヘリコプター離着陸施設が併設され,軍隊が常駐している。1992年,中華人民共和国領海および接続水域法(領海法)が制定され,台湾,尖閣諸島,東沙諸島,西沙諸島,南沙諸島等に対する主権および管轄権は中国に属すると規定された。

中国のこうした実力行使を通じた領有権確立の動きは,1995年のミスチーフ礁の占拠行動や建造物の構築などにもあらわれている。パラワン島から西に約210キロメートル沖の場所に位置しており,パガニバン(Panganiban)島というフィリピン名が付与されているミスチーフ礁については,フィリピンが主権を主張していた。しかし,1995年,雨季のため海況が悪くフィリピン海軍による巡回行動が滞った時期に,中国は同礁上に建造物の建築を開始し,4年の歳月をかけて完成させた。フィリピン政府は自国の安全に関わるとして中国の施設建設に反対したが,中国政府はそれを無視して,その後も風力発電や太陽光パネルの設備を備えた4棟の建造物建設を進めた。現在,同礁には自国の漁師の保護という目的のもと中国政府の漁政局担当官が常駐している。

1991年までフィリピンには南シナ海を望むマニラ北方に米軍のスービック海軍基地があった。しかし,ソ連崩壊後に米比相互防衛条約が見直され,特別基地協定更新の交渉が停滞したことに加えて,ピナツボ火山の噴火といった自然災害が起きたため,米軍はフィリピンからの撤退を決定した。1990年代以降の南シナ海における米軍の不在は,ミスチーフ礁に対する中国の実力行使に対する心理的負担を軽減させてしまったのではないかとの見方もある。この経験を通して中国の行動を牽制する必要性を再認識したフィリピンは,1998年に再度アメリカと地位協定を締結し直し,パラワン沖やミンダナオ島近辺での比米軍事合同演習を再開した。

中国が領有権にこだわる理由

(1)豊富な天然資源

南シナ海には石油や天然ガスが海底に豊富に眠ると目されており,周辺諸国の期待は高い。資源開発については,外資誘致が可能な資金力および技術力ともに優位にあるマレーシア,ブルネイ,インドネシアが先行しており,その後にベトナムとフィリピンが続いている。同海域における中国の資源開発は,これまでは海南島沖などの中国近海を中心に展開され,深海の掘削技術不足や大陸本土との距離といった不良条件に阻まれて,南沙海域までの進出は難しいとされてきた。しかし,天然資源の必要性が認識されるにしたがって,中国政府は政府監視船を南沙・西沙諸島近辺へ派遣し,他国の資源探査活動を妨害するようになった。

こうした軋轢は,とくにフィリピンとベトナムの間で表面化した。2011年,パラワン島の西約250キロメートル沖にあるリード礁(Reed Bank)周辺鉱区で資源探査活動を行っていたフィリピンの探査船が,中国の海洋監視船2隻から圧力行動を受けた。2隻の中国監視船は探査船を挟むように航行し,探査船の動きを制限しようとしたが,報告を受けたフィリピン海軍が現場に到着した時には中国船はすでに立ち去っており,関係者の身柄を拘束することはできなかった。また,同年,ベトナム中部ニャチャン沖約150キロメートル沖の鉱区においても,ベトナム政府系公社の探査船が中国の海洋監視船3隻に囲まれ,圧力行動を受けるという事件が起きた。その際,ベトナム側は地震探査用の海底ケーブルを切断されるなど大きな損害を被った。ベトナム政府は中国に対して「こうした行為はベトナムの排他的経済水域内で主権を侵害する行為に該当する」と批判し,「ケーブルは海面下30メートルに設置されたものであり,特殊機材がなければ切断は不可能なため,本妨害行為は事前に用意周到に準備されたものといわざるをえない」と厳しい姿勢を示した。しかし,中国外交部は「中国の管轄下にある海域における正常範囲の取り締まり行為にすぎない」として,自国の正当性を強調した。

(2)南シナ海の航行の自由と重要航路

南シナ海は,マラッカ海峡を玄関口としてインド洋に連なる重要航路である。これまでのアジア経済圏の繁栄は,この東アジアとインド洋を結ぶシーレーンを通してもたらされてきた。この海路を通してヨーロッパとアジアの交易は活発化し,シルクロードになぞらえられる「海上の道」はこれまでのアジア経済圏の繁栄に大きく貢献してきた。シーレーンと呼ばれている海路は,船舶が自由に航行するだけの通路ではなく,国家の経済的発展のための生命線としての役割も担っている。このため,南シナ海の周辺諸国にとっては,シーレーンを安全に航行できる環境を維持,提供することがより重要となり,航行の安全に関する信頼性の高い国際協定が存在しない場合は,沿岸諸国が船舶の安全航行とシーレーンの安定的確保のための軍事および外交政策を確実に実施していくことが必要となる。

シーレーン内の航行を自国に有利なように統制できる海軍力を平時から保持することによって,海域内の安全は確保される。海上交通路に関しては,もしも航路が封鎖された場合,別の海路を迂回すれば十分であるということはなく,「航行の自由」はどのような状況においても保障されなければならない。中国にとって南シナ海が航行不能となった場合は,迂回路の設定が困難であるため,南シナ海は海上交通路としても高い重要性を有している。中国側にとっては,そのような場合に台湾との安全保障上の関係が良好に保たれていれば,バシー海峡を通るという選択肢が残されているが,仮に南シナ海が航行不能となりかつ台湾との関係が良好でない場合は,航路の確保のために海軍力を用いる可能性がまったくないわけではない。これらのことに鑑みると,南シナ海問題の軋轢は,単なる島嶼の領有権や海洋境界の画定をめぐる争いと捉えるだけでなく,武力紛争が生じる危険性もあることに留意しなければならない。

関係諸国間での調整

こうした南シナ海の領有権をめぐる関係諸国間の利害調整に関して,重要な役割を果たしてきた機関にASEANがある。とくに,南シナ海問題が表面化してきた1990年代後半以降,ASEANは現状維持と武力衝突の回避を目的とする「南シナ海における関係諸国行動宣言」(DOC)の採択への協力を中国側に強く求めるようになった。紆余曲折を経て,ASEANと中国は2002年にカンボジアのプノンペンで「行動宣言」に調印した。この「行動宣言」には,紛争の平和的方法による解決,武力による威嚇や武力使用の禁止,無人島への新規要員の派遣の禁止,航行の自由の保障の徹底といった内容が盛り込まれたが,本合意はあくまで「行動宣言」にすぎず,本来ASEANが目指してきた「行動規範」(Code of Conduct for the South China Sea: COC)と比較すると,法的拘束力が弱いものであることは明らかであった。

「行動宣言」は南シナ海における武力紛争の抑止力としては一定の効果を有したと考えられるが,海洋環境の保護,海洋科学調査,海洋航行と通信の安全,海洋捜索救難,国境を越える犯罪対策といった多国間における協力活動の充実や信頼醸成を促進する特別措置などの面ではいまだ具体化していないものが少なくない。また,「行動宣言」は第10条で,加盟国は「行動規範」の採択に向け協力しあう義務を負うと定めているが,実際の「行動規範」の策定作業は停滞気味であった。

2011年,ASEANサミット議長国を務めたインドネシアで「行動宣言」をめぐる高級実務者会議(Senior Officials Meeting: SOM)が4年ぶりに開かれ,ASEANと中国が「行動宣言の履行に関する指針」に合意した。このガイドラインには(1)「行動宣言」署名国は平和的問題解決のために対話と協議を継続する義務を負う,(2)「行動宣言」に規定された活動は明確に確認できるものとするべきで,かつ活動への参加は自由意思を基本とする,(3)署名国はASEAN・中国外相会議で毎年活動の進捗状況を報告しなければならない,といった規定が含まれていた。

これは「行動宣言」の内容と比較すると,確実な前進であるといえる内容である。しかし,最終目標として「行動規範」の策定と採択の実現を目指すとする規定を盛り込むことはできたものの,それはあくまで努力目標にとどまるもので,実現に向けた具体的な道筋は示されなかった。また,「ASEAN内で事前に多国間協議を実施する」という文言の追加も,中国の強い反対によって見送られた。「行動規範」の策定については,まずASEAN加盟国によって起草した草案に基づいて中国と交渉する席を設けるのか,またはASEAN加盟国と中国を含めた計11カ国の合意が必要となるのかといった手続き面についても曖昧な部分が残されたままである。

2012年にフィリピンが「行動規範」の草案を作成して,ASEAN事務局に提出したが,ほかの加盟国や中国から国連海洋法条約の適用や紛争解決メカニズムなどに関する規定が細かすぎるといった苦情を受け,草案完成には至っていない。

また,同年カンボジアで開催されたASEAN外相会議では,ASEAN設立以来45年間で初めて共同声明を出すことができなかった。南シナ海問題については,領有権問題の当事国のフィリピンやベトナムと,内陸国の議長国カンボジアとでは温度差があり,加盟国間の調整は容易ではなかったためである。2013年にブルネイで開催された日・ASEAN首脳会議では,南シナ海の領有権問題が再度議題に上がり,参加各国の複数の首脳から「中国の力による現状変更の動きを大変懸念している」「同問題は国際法に基づいて解決されるべきで,ASEANが一体性を保って対応することが重要である」「法による支配の徹底が必要である」といった考えが示され,国際法に基づいた平和的な解決を目指すべきだとの認識が改めて確認された。

アメリカの関与

2010年のハノイでのASEAN地域フォーラム(ARF)以降,南シナ海問題への関与姿勢を打ち出してきたアメリカも,航行の自由の保障の重要性を強調するクリントン国務長官発言などを通して「行動規範」策定への動きを後押しする姿勢を示し続けてきた。「海洋強国」(Sea Power)を自認するアメリカは,領土主権紛争についてはどの国の主張も支持しないとする立場を明確にしている。しかし,海洋の国際公共財としての性格を有する「航行の自由」は自国の国益に関わるため,「領海の主張は国際法に基づくべきである」として,南シナ海全体の領有権を主張する中国側に法的根拠を示すように提案し,行動の自重を呼び掛けた。

こうしたASEAN内の紛争解決の仲介役としてアメリカの参加が認められるようになった背景には,フィリピンやベトナムといった近隣の海洋国家が中国対策として大国を引き込む外交的な駆け引きをしていることがある。近年,アメリカは米軍の海外展開の見直しや日本,韓国,オーストラリア,フィリピンなどとの同盟強化に加えて,ベトナムとの軍事交流や演習を拡大するなどアジア・オセアニア地域における軍事力の再均衡化を図っている。また,アメリカは多様な領土紛争の解決を目的に,関係諸国による協調的な外交プロセスを支持する立場を明らかにしており,中国による武力の行使あるいは威嚇に対して反対姿勢を示している。さらに,南シナ海における領土主権をめぐる紛争については中立の立場を示しつつも,当事国は国連海洋法条約に基づき領土主権を主張すべきであり,南シナ海における領有権の主張は,国際法規に基づく合法的な主張からのみ導き出されるべきであると強調している。一方,中国側はこうしたアメリカの姿勢に反発を示し,南シナ海問題を国際化することや,多国間問題として公に取り扱うことは問題をより複雑化させるだけで解決をいっそう困難にするにすぎないと反論した。

今後の展望――緊張緩和に向けて

今後は中国との間で高まる緊張感のなか,ASEANが一枚岩となって中国との緊張緩和に向けた具体的な道筋を示すことができるか,という点に注目が集まるであろう。この点については,2011年に,中国とASEAN間における紛争の平和的解決の指針となる「行動宣言の履行に関する指針」が合意された。本指針は2002年の「行動宣言」を実行に移すための協力関係の構築および今後の方向性について定めたもので,「行動宣言」の署名から9年間進展がみられなかったことに鑑みると,一定の評価に値するといえる。ただし,指針の次の段階に当たる法的拘束力を有する「行動規範」の策定の目処がまったく立っていないため,ここから先が問題であるのは否めない。

これ以上,南シナ海の領有権問題に関して,ASEANから足かせをはめられたくないというのが中国の思惑である。中国は南シナ海の領有権問題に関しては譲歩する姿勢をみせておらず,行動宣言の指針の合意文書において「事前の多国間協議の必要性」という文言の削除を要求したことにもみられるように,今後の交渉は中国と関係当事国との二国間で協議すべきだと主張する立場を変えていない。行動宣言の指針に関して歩み寄りの姿勢を示したのは,これ以上抵抗の姿勢を継続するとASEAN諸国との関係悪化により,アメリカのさらなる介入を招きかねないとの判断があったためだといわれている。一方,フィリピンやベトナムは中国と1対1で交渉をしても勝算が見込めないことから,ASEAN全体として中国と交渉を重ねつつ問題解決の道を探ろうとしており,南シナ海の領有権をめぐる関係諸国間の緊張関係は今後も続くものと考えられる。

(新領域研究センター)

参考資料:南沙諸島の領有権をめぐる動向(1993~2013年)

(出所) 『アジア動向年報』(1969~2013年版,アジア経済研究所)より作成。

参考資料:南沙諸島の領有権をめぐる動向(1993~2013年)(続き)

(出所) 『アジア動向年報』(1969~2013年版,アジア経済研究所)より作成。

 
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