アジア動向年報
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各国・地域の動向
2013年のフィリピン スーパー台風直撃
鈴木 有理佳
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2014 年 2014 巻 p. 333-360

詳細

2013年のフィリピン スーパー台風直撃

概況

2013年のフィリピンにおける最大の出来事は,11月のスーパー台風直撃であろう。死者・行方不明者7000人以上を出し,甚大な被害をもたらした。ほかにも複数の台風やボホール地震による被害があり,自然災害が多発した。

国内政治では,5月に中間選挙が実施された。上院選挙では与党陣営が勝利し,上下両院議長も与党から選出された。ベニグノ・アキノⅢ大統領による議会運営は容易になることが予想される。ただし,アキノ政権後半開始早々にポークバレルをめぐる不正が発覚し,司法のメスが入った。ポークバレルは議会運営を円滑にする一種の装置である。大統領と議会の関係のあり方が問われる事態となっている。他方,政府とモロ・イスラーム解放戦線(MILF)の和平交渉は大きく前進した。2013年内には3つの付属文書に合意し,最終的な包括和平合意まであと一歩となった。その他,アキノ政権にとって2013年は総じて危機対応に追われた年でもあった。上述した複数の自然災害に加え,2月には「スルー(スールー)王国軍」によるマレーシア・サバ州侵入事件,9月にはモロ民族解放戦線(MNLF)によるサンボアンガ市襲撃・占拠事件がおこり,いずれも流血の事態となった。

経済面では実質GDP成長率が7.2%となり,好調を維持した。消費と投資が経済を牽引した。インフレや財政収支も安定し,大手格付会社3社によってフィリピンの格付けが投資適格級に引き上げられた。懸念された台風被害やアメリカの量的金融緩和(QE3)縮小の影響は限定的であった。

対外関係では,南シナ海の領有権問題をめぐり,具体的な行動を取り始めた。1月には国際海洋法裁判所(ITLOS)に中国を提訴した。また,同盟国アメリカをはじめ,類似の問題を抱える日本などとも関係強化を進めた。他方,5月にはフィリピン沿岸警備隊による台湾漁船に対する発砲事件がおこり,台湾人漁師が死亡した。そのため,一時,台湾との関係が冷え込む出来事があった。

国内政治

中間選挙実施

国内政治における最大の出来事は,5月13日に行われた中間選挙である。改選対象となったのは上院の半数(12議席),下院(全292議席),州知事や市長などの地方政府の首長ならびに地方議会議員などで,全部で約1万8000議席であった。

本選挙の注目を集めたのは,やはり上院である。今回のような中間選挙の場合,アキノ政権の信任投票として位置づけられるからだ。その選挙戦はアキノ大統領が所属する自由党を軸とした与党連合(Team PNoy)に対して,ジェジョマール・ビナイ副大統領を中心にした野党連合(UNA)という構図で繰り広げられた。野党連合はビナイ副大統領とジョセフ・エストラーダ元大統領の各政党が母体である。両者は2010年大統領選挙に副大統領と大統領候補として一緒に組んで出馬した仲で,今回の中間選挙のため再び接近した。ビナイ副大統領は2016年の次期大統領選挙への出馬をすでに表明しており,今回の野党連合結成はその準備ではないかとも目された。

このように与野党の区別が一見ありながら,その実態は政策基盤や対立軸のない緩い結びつきであった。野党側は好調な経済と全国的に高支持率(図1)を維持しているアキノ政権を批判する材料が見当たらず,与党との違いを明確に打ち出せぬまま「建設的な野党」(野党連合幹部の発言)を自認するにとどまった。そのため,争点のない選挙戦が繰り広げられた。

図1  アキノ大統領の純支持率

(注) 純支持率は支持率から不支持率を差し引いたもの。

(出所) Social Weather Stationsより筆者作成。

もうひとつ,上院選挙が注目される理由がある。それは,次の大統領選挙を占う意味合いを持つからだ。憲法の規定上,大統領職は一期のみで再選はない。上院は大統領と同じ全国区で争われるため,上院議員になること自体が大統領職への近道であり,そのうえ選挙での得票率は支持率を推し量るうえで有効である。ただし今回の場合,次の大統領を狙っているとされるビナイ副大統領は直接参戦せず,代わりに娘のナンシー・ビナイを上院議員候補として擁立した。そのビナイという名前がどこまで通用するか,そして事前調査で与党連合優位とされたアキノ陣営がどれだけ議席を確保するかが,上院選挙の焦点となった。

上院選挙の結果は与党連合の圧勝であった。改選12議席のうち,9議席を与党連合が占めた(表1)。再選6人,新人6人で,新人ではトップ当選したグレース・ポー・リヤマンサレスを除くと,ほかは著名な政治家一族の出身である。グレース・ポーは政治家一族の出身ではないものの,両親ともに俳優で,とくに父親がフィリピン映画界を代表する俳優であったために圧倒的な知名度を誇ること,また選挙不正疑惑のつきまとう2004年の大統領選挙にその父親が出馬して敗北し,そのまま同年末に急逝したという不幸な出来事があったことから,同情票が集まったのではないかともみられている。注目されていたビナイ副大統領の娘ナンシー・ビナイは得票率41.9%で当選した。父親が3年前の大統領選挙で副大統領に当選した時の得票率(41.7%)とほぼ同じである。彼女は公職についたこともなく,また民間における実務経験もないことから,背後にいるビナイ副大統領の存在感を改めて見せつけたと受け止められている。

表1  2013上院選挙の当選者

(注) 得票率は投票者数40,144,207に占める割合。上院選挙の投票は最大12人まで複数選択可能ため,得票率の合計は100%にならない。

(出所) 選挙委員会資料“NBOC Resolution No. 0010-13”より筆者作成。

上院に限らず,政治家一族がその知名度と地盤を活かして当選する事例が下院や地方選挙で多く観察された。ビナイ副大統領の息子はマニラ首都圏マカティ市長に再選された。グロリア・マカパガル・アロヨ前大統領は下院議員(パンパンガ州第2区)に,そしてその息子も別の選出区から同じく下院議員(カマリネス・スル州第2区)にともに再選されている。エストラーダ元大統領はマニラ市長に選出され,同氏と内縁関係にあった妻(上院議員に当選したJVの母親)は同じマニラ首都圏のサンフアン市長に再選された。マルコス一族も健在である。マルコス元大統領夫人のイメルダ・マルコスが下院議員(イロコス・ノルテ州第2区)に再選され,娘はイロコス・ノルテ州知事に対立候補不在で選出された。息子はすでに上院の非改選議員である。その他,プロボクサーで下院議員のマニー・パッキャオが対立候補不在で再び下院議員(サランガニ州)に選出され,その妻は同じくサランガニ州副知事に初当選した。このように,一族で国政・地方の政治ポストを多数獲得する事例は後を絶たない。

下院や地方選挙では与野党の争いというよりも,上述した知名度や地盤がものをいう。そのうえ,フィリピンの政党は凝集性が低く,政党移籍が容易である。政党の枠を超えて政権を支持する側に回ることも少なくなく,とくに下院ではその傾向が強い。したがって,下院選挙では政党別の獲得議席数が発表されることもなければ,議論されることもほとんどないのが実状である。なお,7月に開会した議会で,上院議長にはフランクリン・ドリロン議員,下院議長にはフェリシアノ・ベルモンテ議員が選出された。両氏ともアキノ大統領が所属する自由党の議員である。アキノ大統領にとっては身内から両議長が選出されたことになり,政権後半の議会運営がある程度容易になると見込まれる。

ポークバレルをめぐる不正発覚

2013年は2つの出来事を機に,これまで長らく指摘されてきたポークバレルの不正問題に司法のメスが入った。司法当局は本格的に捜査に動き出し,11月には最高裁がポークバレルに違憲判決を出した。

ポークバレル(pork barrel)とはその正式名称を「優先開発支援資金」(PDAF)といい,政府予算のうち議員1人ずつに割り当てられる資金のことである。毎年度,上院議員には1人当たり最大2億ペソ,下院議員には同7000万ペソが割り当てられる。使途は一定範囲内での裁量が認められており,議員の選出区にばらまかれることが多い。資金は予算行政管理省から議員指定プロジェクトを管轄する各省庁ないし他の公的政策実施機関を経由し,そこからさらに地方へと流れる。ただし,その過程で議員の親族や懇意にしている業者が運営するNGOなどが介在し,汚職や横領の温床になっているとも指摘されてきた。

ポークバレルの不正が発覚した出来事のひとつは,不法監禁事件である。3月に発覚,解決したその事件は,女性実業家が親族の男性を監禁していたというものである。事件解決後,救出された男性の証言から,女性実業家ジャネット・リム・ナポレスが運営するNGOがポークバレルの不正流用に関与していたことが発覚した。過去10年間に100億ペソという大規模なものである。さらに,現職の上院議員を含む多数の議員や政府職員が不正に関与していること,そして彼らがキックバックとして資金の4~5割を得ていたことなどが明るみにでた。

もうひとつの出来事は,会計検査委員会による監査報告である。アロヨ前政権下の2007~2009年のポークバレルの一部につき,3年がかりで特別監査を実施していた同委員会は2013年8月に監査結果を公にした。報告では,予算行政管理省や他の公的政策実施機関によるずさんな支出手続きと資金管理,資金の一時的受け手となる正体不明なNGOの多さ,議員指定プロジェクトの実体性の無さなどが指摘された。正体不明なNGOには,上述したナポレスが運営していたものも含まれている。

ポークバレルをめぐる不正が次々に発覚していくなか,司法省と国家捜査局は容疑が固まりしだい,関係者を横領,贈収賄,背任容疑などでオンブズマンに告発した。その数は90人を超え,現職の上院議員3人や政府幹部,多数の元下院議員,アロヨ前大統領と当時の閣僚,それにナポレスも含む。その過程で,議員ら関係者によるキックバックが4~7割という証言も報道された。そしてこうした出来事が世間を騒がせ,市民のポークバレルに対する批判が高まるまさにその最中にも,農村と市場を結ぶ道路整備資金の不正流用が発覚した。現職の予算行政管理省職員と議会スタッフらがさまざまな書類を偽装し,資金を引き出していたというのである。それまで,アロヨ前政権時代の出来事としてみられていた不正が,アキノ現政権の足元でも行われていたことになる。

ポークバレルをめぐるこの一連の動きが最高潮に達したのは,11月19日の最高裁による違憲判決である。ポークバレルのみならず,大統領に裁量権があるマランパヤ資金(ガス田採掘利益の政府取り分)と大統領社会資金(カジノなどを運営する娯楽賭博公社からの上納金)の一部についても違憲とされた。司法見解は,予算法成立後に資金の使途を新たに特定することは認められず,とくに議員が使途や支出先までを特定するポークバレルは,立法府の役割を越えているというものである。実は過去3回ほどポークバレルに対して司法判断が下されているが,いずれも合憲であった。その時は議員の使途特定を単なる「推薦行為」と甘く解釈していた。しかしながら今回,厳しい判決が下されたのは,不正が悪質で大規模であることに加えて,アキノ大統領が政権発足当初から汚職撲滅を掲げ,汚職を悪とする雰囲気が醸成されてきたからでもある。今後,オンブズマンは司法省や会計検査委員会とともに本格的に捜査を開始することを明言している。事態がどこまで進展するのかが注目される。

なお,2014年度予算からポークバレルは廃止になり予算項目から落とされた。ポークバレルは議会運営を円滑にするための一種の装置である。それが廃止されたことで大統領の議会運営にどう影響するのか,財政のあり方のみならず,大統領と議会の関係のあり方も問われる事態となっている。

スーパー台風ヨランダ

フィリピンは台風や熱帯低気圧による被害が多い国である。2013年はとくに8月から11月にかけて相次ぐ被害を受けた。そのうち,最大の被害をもたらしたのはフィリピン史上最強といわれた台風ヨランダ(国際名Haiyan,日本では30号)である。台風ヨランダは猛烈な強さを維持したまま11月8日にフィリピン中部のビサヤ地域を直撃し,死者6245人,行方不明者1039人(いずれも2014年3月6日時点)を出した。被災者は約1607万人で,これはフィリピン全人口の16.5%にもなる。そのうち,避難者は89万世帯の約409万人と報告されている。全半壊した家屋は約114万戸に及び,空港や道路をはじめ,通信,電力,水道などのインフラ全般が被害を受けた。台風による被害総額は約398億ペソで,そのうちインフラ関連が195億ペソ,農林水産業が203億ペソと推定されている。アキノ大統領は台風直撃2日後の11月10日に被害がもっとも大きかったレイテ島タクロバン市に入り,翌11日に国家非常事態宣言を発令した。あわせて約190億ペソ分の緊急資金を用意することも明らかにした。

猛烈な台風の接近は,気象当局はじめ政府も事前に把握していた。政府は各方面に災害対応準備を呼び掛けていたが,それ以上に台風の威力と被害は想定を超えるものであった。被災地域では食料や水不足が深刻化し,略奪行為の発生や治安悪化が報告された。救援活動や物資の配給は遅れた。その背景として,中央と地方政府の連携の悪さやインフラの破壊などがある。救援活動のためにいち早く駆けつけるはずの国軍部隊は,自らの食料確保の問題や装備の欠如などから機動的ではなく,対応が遅れた。

世界中がフィリピンの惨事を憂えるなか,救援活動をいち早くそれも大規模に展開したのがアメリカである。空母ジョージ・ワシントンをはじめ,揚陸艦や巡洋艦,駆逐艦などを派遣した。「ダマヤン(思いやり)作戦」と名づけられた救援活動には,多数の輸送機やオスプレイも投入された。日本も過去にない規模で救援活動を行った。自衛隊部隊1180人を派遣し,護衛艦など3隻,輸送機や輸送ヘリなど16機の態勢で,医療活動および輸送活動などを実施した。その他,13カ国の部隊が救援活動に駆けつけ,それ以外の国や地域からもフィリピンに対する支援物資の提供や資金協力の申し出などが相次いだ。

今後,被災地域の復興が焦点となる。国家経済開発庁によれば,復興には今後4年間で3610億ペソかかると推定されている。また,アキノ大統領は12月に,復興担当大統領補佐官(閣僚相当)としてパンフィロ・ラクソン前上院議員を任命した。任務は復興全般につき関係諸機関を調整・統括し,また復興計画を大統領に提出することになっている。そして年末には復興のための補正予算も成立した。復興のための本格的な始動が望まれる。

2013年はほかにも自然災害が多発した年であった。自然災害が発生するたびに死者・行方不明者が多数出るだけではなく,インフラや建物の損傷,産業への被害など,大きな損害をもたらしている。8月半ばには台風ラブヨ(国際名Utor)がルソン島北部を横断し,死者・行方不明者14人を出した。日にちをおかずに,今度は熱帯低気圧マリン(国際名Trami)によって刺激された季節風がルソン島北部に大雨をもたらした。数日間続いた大雨によりマニラ首都圏と近隣州で冠水し,8月19日から20日にかけて首都機能が麻痺した。死者・行方不明者は合わせて31人で,被災者は305万人にも及ぶ。また,10月半ばには台風サンティ(国際名Nari)がルソン島中部を横断し,死者・行方不明者20人を出した。被災者は約90万人で,そのうち7万人が避難したと報告されている。

大地震もあった。10月15日にボホール州サグバヤンでM7.2の地震が発生し,死者・行方不明者230人を出した。被災者は約322万人で,そのうち約7万世帯,34万人以上が避難した。全半壊した家屋はボホール州やセブ州,その他の近隣州で約7万3000戸と報告されている。その他,多くの教会や学校,病院なども被害を受け,さらには港湾施設や空港,道路や橋なども損傷した。被害総額は道路や建物など約22億ペソと推定される。

火山噴火もあった。5月7日にはマヨン火山が水蒸気爆発を起こし,火口付近にいたドイツやスペインからの登山者ら5人が死亡した。

「スルー王国軍」によるマレーシア・サバ州侵入事件

アキノ政権の危機対応が問われた出来事のうち,イスラーム勢力によって引き起こされた事件が2つある。そのうちのひとつが本事件で,もうひとつは後述するモロ民族解放戦線(MNLF)の一部勢力による事件である。

事件は2013年2月半ばに発生した。スルー(スールー)王国スルタンの末裔と自称するキラム家一族とその支持者ら数百人が武装し,マレーシア・サバ州ラハダトゥ地区に突如侵入したのである。彼らの行動の目的は,サバがスルー王国の領土であることを主張することにあった。

武装勢力の侵入を確認したマレーシア治安当局は彼らを包囲し,2月26日までに撤退するよう勧告した。アキノ大統領もテレビ中継を通じて同様に撤退を呼び掛け,撤退しない場合は法的手段に出ることも辞さないと警告した。だが武装勢力側は一切応じず,ついに3月1日,マレーシア治安当局と武力衝突になった。3月5日にはマレーシア国軍による空爆を伴う激しい掃討作戦が行われた。3月末まで続いた武力衝突の結果,マレーシア側の警察官と国軍兵士が複数人死亡し,武装勢力側と合わせて70人以上が死亡したと報道されている。そして武装勢力の一員とおぼしき100人以上がマレーシア当局に拘束され,そのうち20人がテロ容疑で逮捕された。また,サバ在住のフィリピン人1万5000人以上がスルーやタウィタウィに帰還したと報告されている。

マレーシアとの二国間関係に大きな影を落としかねない流血の事態となったが,フィリピン国外での出来事という事実を割り引いたとしても,フィリピン当局による事態の把握は遅く,さまざまな対応が後手に回った。上述したアキノ大統領による呼び掛けは,2月26日のまさに撤退期限日であり,武装勢力のサバ侵入が判明してからすでに2週間も経っていた。また,フィリピンのアルベルト・デル・ロサリオ外務長官がクアラルンプールにてマレーシアのアニファ・アマン外務大臣やアフマド・ザヒド・ハミディ国防大臣(当時)と会談し,平和的解決を求めたのは武力衝突開始直後であった。さらに,フィリピン政府が本事件の首謀者と正式に接触したのは武力衝突最中の3月11日であった。首謀者はキラム家当主で,自称スルタンのジャマルル・キラムⅢである。ジャマルルと彼の側近の一部は事件中もずっとマニラ首都圏にいることがわかっていた。それにも関わらず,マヌエル・ロハス内務自治長官がジャマルルの弟と会談したのは侵入判明から1カ月過ぎてからのことであった。

本事件は領土問題を理由に発生したが,その背景には,後述するようにアキノ政権になって大きく進展した政府とモロ・イスラーム解放戦線(MILF)との和平交渉がある。交渉過程にスルー王国スルタンとして参加できないことに不満を抱いていることを,ジャマルル自身が明らかにしている。そのジャマルルだが,10月20日,マニラ首都圏内の病院にて多臓器不全で死去した。

MNLFによるサンボアンガ市襲撃・占拠事件

危機対応が問われたもうひとつの出来事は,モロ民族解放戦線(MNLF)の一部勢力によるサンボアンガ市襲撃・占拠事件である。9月9日,武装勢力200人以上がミンダナオ西部のサンボアンガ市を襲撃し,市民約200人を人質にして市街地を占拠した。フィリピン治安当局が出動したもののすぐに銃撃戦となり,国軍が空爆を伴う制圧行動を開始した。市内制圧までに3週間かかり,この間,人質となった市民は大半が解放されたが,武装勢力と治安当局側,それに人質合わせて137人が死亡した。また,避難した市民は10万人を超えた。民間航空路線と海上輸送はすべて停止し,サンボアンガ市の都市機能は完全に麻痺した。建物なども一部破壊され,その被害総額は約2億ペソと推定されている。

100人以上もの死者が出る惨事となった本事件を引き起こしたのは,MNLF元議長ヌル・ミスワリの支持者達である。彼らの行動の背景には,上述したサバ州侵入事件と同様に,政府とMILFとの和平交渉の進展に対する不満があるとみられている。1996年にミスワリ率いるMNLFは政府と和平合意を締結したが,その履行が不十分で,経済的な恩恵をほとんど受けることなく現在に至っている。当時の和平合意の進捗状況を再検討するため,政府とMNLF主流派が断続的に協議を続けているが,実際には進展中のMILFとの和平合意に取って代わられようとしている。報道によれば,ミスワリと支持者らが8月にスルー州で「バンサモロ共和国」という独立国を宣言したという情報もあり,彼らが勢力誇示のためにサンボアンガ市を占拠した可能性も指摘されている。

本事件は事態収束まで約3週間かかったものの,政府の対応は早かった。事件発生4日後の9月13日にはアキノ大統領が現地入りした。大統領はそのまま9日間滞在しつづけ,自ら制圧作戦を指揮し,市民の保護にもあたった。そして10月9日,サンボアンガ地裁はミスワリとその部下3人の逮捕状を発行した。容疑は反乱罪である。ただし,彼らは所在不明で逮捕に至っていない。

MILFと包括和平合意締結に向けて前進

モロ・イスラーム解放戦線(MILF)との和平交渉は1年間でさらに前進した。2012年10月に枠組合意に達していた政府とMILFの両交渉団にとって,次の作業は4つの付属文書(Annex)を詰めることであった。それらの文書がすべて合意に達すれば,包括和平合意締結の運びとなる。2013年は8回の予備交渉をこれまでと同様にクアラルンプールで実施し,3つの付属文書の合意にこぎつけた。そして残りの1つは2014年1月に合意した。

2013年内に合意した付属文書は「移行期間の統治体制」「財源調達と富の配分」「権限分担」である。これらのうち,2番目の「富の配分」で交渉が難航し,予定日数を延長して行われた。富とは税の徴収や天然資源の採掘などから発生する収益のことである。この富を,和平合意後に設立予定の新政体「バンサモロ」と中央政府の間でどのように配分するかが争点であった。MILF側は当初,すべてにおいて中央政府よりも大きい配分を望んでいたとされる。交渉の結果,石油や天然ガスなどの化石燃料からの収益配分はバンサモロ50%,中央政府50%となったが,その他,非金属鉱物の探査・開発・採掘などからの収益は100%がバンサモロに,金属鉱物はバンサモロ75%,中央政府25%に,そしてバンサモロ地域から徴収された国税も75%が同自治政府へ配分される形で譲歩したもようである。最後の国税配分に関しては,現在のムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)の70%より大きく,そのうえ議会による詳細な審議なしの総額自動歳出になる予定で,配分条件が現行のARMMよりも改善する見込みである。

2014年1月に合意した付属文書は,MILFの武装解除方法などを定めた「正常化」である。これをもって全4つの付属文書が合意に至り,包括和平合意の締結が2014年3月に予定された。今後,MILF和平交渉団長モハグハ・イクバルを委員長とする移行委員会(Transition Commission)がバンサモロ基本法を起草し,アキノ大統領を通して議会に上程されることになる。すでに,2013年2月には移行委員会のメンバーが発表されており,イクバル委員長を除くとMILF側7人,政府側7人の合計15人である。

経済

好調を維持

2013年のフィリピン経済は好調を維持し,実質GDP成長率は7.2%であった。海外就労者の送金が反映される海外純要素所得は9.4%増で,実質GNP成長率は7.5%となった。11月の台風被害や予想されるアメリカの量的金融緩和(QE3)縮小の影響が懸念されたが,限定的であった。

需要面では個人消費が5.6%増と堅調であったことに加えて,中間選挙を背景とした政府消費が上半期に伸びた。また,投資が18.2%増と大きく寄与した。投資のうち,建設投資が10.9%増,設備投資が14.4%増であった。設備投資の2桁成長は外資の増加が一部反映されたと考えられる。付加価値ベースでみる輸出は0.8%増と停滞した。総じて2013年のフィリピン経済は,消費と投資の両需要項目が牽引する構図となった。

産業面では農林水産業が1.1%増,鉱工業が9.5%増(うち製造業は10.5%増),サービス業が7.1%増であった。製造業の2桁成長は上述した設備投資の増加と重なる。詳細には化学,一次金属,一般機械,通信機器・部品などの産業が好調であった。経済の半分を占めるサービス業も相変わらず好調で,とくに金融が12.4%増と目立った。

財貿易は輸出額が前年比3.6%増の539億ドル,輸入額が同0.5%減の618億ドルであった。輸出は全体の4割を占める電子製品が3.9%減と振るわず,逆に増加したのは農産品や鉱物資源,軽工業品などであった。

国際収支統計による海外からの直接投資額は前年比20%増の38億6000万ドルであった。ほぼすべての産業で増加したが,とくにインフラ事業の投資が伸びた。消費者物価上昇率は年平均3.0%で,比較的安定した。月別にみると,8月に2.1%で底を打ち,その後は少しずつ上昇して12月には4.1%となった。相次ぐ台風被害の影響とクリスマスに向けた需要増などにより,年末にかけて食料品価格が値上がりした。

雇用面では2013年の完全失業率が7.3%,不完全就業率が19.8%であった。失業者を人数にすると全国で約289万人である。地域別ではマニラ首都圏の失業率が10.3% でもっとも高く,約52万人であった。投資が増加し,好調な経済を維持しているにも関わらず,雇用状況が改善しない状態が続いている。なお,新規に出国した海外就労者は約170万人で,前年よりわずかに減少した。これは船員を主とする洋上就労者が約3割減少したことによる。なお,海外からの送金は前年比7.4%増の230億ドルであった。

金融――政策金利を据え置き

金融面では,予想されるアメリカの量的金融緩和(QE3)縮小や他の国際情勢による不確実性の影響が懸念された。対外勘定において,証券投資の流出入で月次変動がみられたものの,海外からの直接投資や送金の増加に支えられ,経常収支と国際収支はともに黒字となった。不確実性の影響は限定的であったといえるだろう。とはいえ,為替レートは2013年初から12月末までの1年間に7.53%減価し,12月27日に1ドル当たり44.40ペソで取引を終えた。

フィリピンの金融政策はインフレ・ターゲットを採用しているが,2013年は上述したQE3縮小観測の影響を想定しながらの舵取りとなった。そうしたなか,消費者物価上昇率が年初より比較的安定し,目標圏である3~5%内に落ち着いていたため,金融政策に余裕が生まれた。フィリピン中央銀行は政策金利である翌日物借入金利(逆現先レート)を3.5%に,同貸出金利(現先レート)を5.5%に据え置いた。ただし,二次的な政策金利ともいえる特別預金口座(SDA)の金利を4月までに段階的に引き下げて2.0%にし,同口座へのアクセスを限定した。SDAは中央銀行の政策手段を広げるために1998年に設定されたもので,過剰流動性の調整を目的とする。金利は翌日物借入金利の3.5%よりわずかに高く設定されていた。そのため,SDAには2013年1月初めの時点で約1兆6000億ペソもの資金が滞留し,その規模は2013年度国家予算の6割を超えていた。差し迫ったインフレ懸念がないことから,中央銀行は国内の経済活動を資金面で支えようとSDAに滞留する資金の市場放出を狙った。

こうした政策により,国内流動性(M3)の伸びは2013年平均で23.0%と,2012年平均の6.8%に比べて増加した。しかしながら,金融機関による与信活動はさほど変化がなく,融資残高の伸びは2013年末時点で16.4%と,前年の伸びとほぼ同じであった。そのうち,民間企業への融資残高の伸びは15.3%で,前年の伸び16.6%を下回った。企業による投資活動の活発化を意図した政策は,必ずしも効果を上げていないようである。

財政――財政収支改善により格付け引き上げ

2013年の中央政府財政収支は収入が1兆7161億ペソ,支出が1兆8802億ペソで,約1641億ペソの赤字(名目GDP比1.4%)であった。フィリピンは通常,財政収支不足分の資金調達を国内外から広く行うが,2013年は財政収支改善のため対外借入を少額にし,主として国内借入に依存した。このように財政状況が安定しかつ対外依存度を引き下げたこと,そのうえ政治も安定し,経済が好調を維持していることから,国際的な格付会社のフィッチ,S&P,ムーディーズの3社はそろってフィリピンのソブリン格付けを投資適格級に引き上げた。

格付け引き上げの影響は直ちに国債金利に現れた。投資家の需要がとりわけ短期国債に集中し,指標金利ともされる91日物財務省証券の金利が史上最低の0.001%にまで低下した。同様に182日物の金利も0.001%となり,364日物は一時0.190%となるなど,すべての財務省証券で金利が1%を下回った。

しかしながら,財政収支改善をそのまま素直に喜べないのがフィリピン財政の実態である。収入の伸びが遅い場合,それ以上に支出を抑制すれば収支改善になるからだ。2013年の財政支出の名目GDPに占める割合は16.3%であり,2012年の16.8%よりわずかながら低下した。政府支出の抑制は,政府の役割が必要とされる教育・保健分野やインフラ整備に影響を及ぼす。ただ,フィリピン財政の根本的課題は収入面にある。財政収入の約9割が税収だが,その税収を名目GDPで除した2013年の租税負担率は13.3%であった。2012年の12.9%より上昇したものの,1990年代半ばに記録した15%超には及ばない。税務当局は税収改善を目指し,脱税や密輸の取り締まり強化を続けているが,これもまた困難をきわめている。

PPPによるインフラ整備の遅れ

フィリピン経済が抱える問題のひとつはインフラ整備の遅れである。投資環境改善のため,アキノ政権はインフラ整備を重視し,従来どおりの公共事業として進める方法を維持しつつ,一方で民間の資金や技術を活用した官民連携方式(PPP)も採用している。とりわけPPPについては,2010年のアキノ政権発足直後に約80案件の計画を大々的に発表し,国内外から関心を集めてきた。ところがそれが大きく行き詰まり,もはやアキノ政権にとって不名誉な出来事になりつつある。

入札済みの案件は,2012年末時点においてわずか2件であり,2013年は新たに3件が加わったにすぎない。落札されたのは,(1)ニノイ・アキノ国際空港高速道路プロジェクト(全長7.75キロメートル,155億ペソ),(2)学校教室建設プロジェクトⅡ(公立学校に約4300教室を増築,39億ペソ),(3)整形外科センター近代化プロジェクト(57億ペソ)の3件である。その他,当局の準備不足で入札が遅れ,入札を実施したものの参加者からの要望でプロジェクトを見直さざるをえないなど,入札不調で終わる例がいくつかあった。また,これまでの落札案件についても,当局と落札企業の再交渉により本契約に至るまでに時間がかかり,そのうえ企業側の都合で着工がさらに遅れるなど,予定どおりに進んでいる事業はひとつもない。こうした遅れの背景には,PPPを主導する官僚機構の経験・能力不足の問題に加えて,政権発足直後に実効性の高い包括的なインフラ事業計画を策定できなかったことがある。事業が走り出してから大きな修正を余儀なくされており,政権終了までの残り数年でどこまで進展するかが注目される。

企業の動き

フィリピン企業は総じて好調な経済を追い風としつつも,QE3縮小を初めとする不確実性の影響も多少あった。フィリピン株価指数は5月に最高値を更新し,一時7403.65を記録した。年初より27%の上昇である。その後は乱高下しながら下落し,2013年末の終値は5889.83であった。こうしたなか,新規株式公開(IPO)を実施した企業は8社であった。内訳は金融機関3社,観光業2社,小売,海運,製造業各1社である。ただ,年度後半に不確実性が高まり,株式市場にも影響したことから,公開を見送る企業もあった。また,公開時期を遅らせたり,公開株の規模を縮小したりという対応を迫られる事例もあった。

上場する企業がある一方で,上場を取り下げる企業も続出した。証券取引委員会は証券市場の発展を目的に,2012年から発行済み株式の10%公開を義務づけている。期日までに遵守できない企業は上場取り消しとなる。その結果,2013年末までに10社ほどが証券取引所から姿を消した。

企業再編の動きも報道された。大きな案件では,食品・インフラ事業を手がけるサンミゲル社が,配電会社メラルコの持株27.1%をゴコンウェイ・グループのJGサミットに売却することで合意した。取引額は720億ペソとも報道されている。サンミゲル社は売却資金でほかのインフラ事業への参入を模索しているようである。その他,SMグループが傘下の不動産関連企業を合弁整理し,同分野の最大手に踊り出た。不動産開発やショッピングモール運営に力を入れる意向である。

対外関係

南シナ海の領有権問題

南シナ海(フィリピン名:西フィリピン海)の領有権問題をめぐり,フィリピンはより具体的な行動に出た。ひとつは国際海洋法裁判所(ITLOS)に仲裁をゆだねたこと,そしてもうひとつは後述するように同盟国アメリカを初めとする諸外国との関係強化を進めたことである。

フィリピン政府は1月に,かねてより主張していた国際法の枠組みに則った平和的解決を求めて中国をITLOSに提訴した。ITLOSは6月までに仲裁パネルの5人の委員を決定し,8月に審理手続きの日程を明らかにした。フィリピンには2014年3月までに陳述書を提出するよう求めている。なお,仲裁パネル委員の出身国はドイツ,フランス,オランダ,ポーランド,ガーナで,委員長はガーナ出身の委員に決まった。

こうしたフィリピンの行動に対して中国側は強く抗議し,かつ牽制する動きを強めた。中国漁船や監視船による領海侵入が頻繁に観測された。また,9月に中国広西チワン族自治区の南寧市で開幕した第10回中国・ASEAN博覧会と中国・ASEAN商務・投資サミットにアキノ大統領が招待されていたが,8月末にその招待が取り消される(フィリピン外務省報道)という出来事もあった。

南シナ海の領有権問題は,中国と他のASEAN諸国との問題でもある。同海域の平和と安定を確保するため,中国とASEANの間で「行動規範」を早急に制定することもフィリピンは主張している。だが,この点に関しては実質的な進展がなかった。

アメリカや日本との関係強化

中国を牽制する行動として,同盟国アメリカとの連携強化が本格的に進められた。まずは例年どおり比米合同軍事演習が4月と6月,そして9月にも行われた。4月の合同軍事演習では比米双方の兵士約8000人が参加した。自然災害への対応などを想定した多国籍机上訓練も行われ,フィリピンとアメリカ以外に日本を含む9カ国の駐在武官らが参加した。そして6月には南シナ海のスカボロー礁(フィリピン名:パナタグ礁)沖で,第19回協力海上即応訓練(CARAT)を行い,さらに9月にはサンバレス州スービックで陸海共同上陸訓練(Phiblex)を実施した。このような高度な合同軍事演習は,フィリピンの海洋安全保障ならびに海洋領域に対する認識を高め,防衛体制の強化を図ることを狙いとしている。

合同軍事演習と平行して,8月半ばにはアメリカと安全保障協議を開始した。これは二国間の防衛協力に係る枠組協定の交渉で,2013年内は両国で断続的に事務レベル協議が行われた。背景には,米海兵隊の将来的なローテーション配備先をフィリピンにするという計画がある。ただ,フィリピン国内には米軍の恒久的な駐留に対する強い懸念がある。それに対して,8月末に来訪したアメリカのヘーゲル国防長官が「永続的に軍事基地を設けるのではない」と否定した。また,ケリー国務長官も12月に来訪し,フィリピンのデル・ロサリオ外務長官と比米同盟関係の強化について改めて確認しあった。

フィリピンと同じ海洋国家である日本とも関係強化を進めている。7月末に来訪した安倍首相とアキノ大統領は,南シナ海における領有権問題に関して国際法に則った平和的解決を支持することを互いに確認しあった。また,日本政府はフィリピンの海洋における安全対応能力強化に関する支援として,フィリピン沿岸警備隊に10隻の船舶供与を約束した。

その他,フィリピンは戦略的同盟国としてオーストラリアとの関係強化も視野に入れている。加えて,韓国からも装備や戦闘機が供与されることになった。

台湾漁船に対する発砲事件

5月9日,フィリピンと台湾の間のバシー海峡でフィリピン沿岸警備隊が台湾漁船に発砲し,台湾人漁師1人が死亡する事件が起きた。この事件をきっかけに,一時,台湾との関係が一気に冷え込んだ。

フィリピン沿岸警備隊は,台湾漁船が激しくぶつかってこようとしたので正当防衛であったと主張し,アキノ大統領も5月15日に行った謝罪表明のなかで「故意ではなかった」(unintended)と説明した。そのため台湾側は強く反発し,フィリピン人の新規就労申請停止,ハイレベルの交流や経済投資交流の停止,漁業協力や科学研究協力プロジェクトの停止など,合計11の制裁措置を発動した。また,台湾在住フィリピン人がレストランでのサービスを拒まれたという報告もあるなど,台湾市民のフィリピン人に対する風当たりも強まった。台湾在住フィリピン人は8万人以上とされており,フィリピンにとって台湾は政治経済上,良好な関係を保ちたい地域のひとつである。そこでフィリピン政府は5月末に国家捜査局職員を台湾に派遣して調査を行った。その結果,沿岸警備隊の関係者8人について刑事上と行政上の両責任を追及する方針を固めた。責任を明確にしたことから台湾も態度を軟化させ,6月に漁業協定に関する対話を開始した。そして8月にはフィリピン政府が遺族に正式に謝罪し,台湾側も制裁措置を解除した。上記関係者8人については,8月18日,業務上過失致死で起訴した。

なお,同事件は発生から3カ月で一応の解決をみたが,この解決が香港からの旅行者を犠牲にした2010年の事件を呼び起こし,今度は香港との関係が再び悪化する事態になっている。その事件とは2010年8月にマニラ市内で起きた観光バス乗っ取り事件である。当時,香港からの旅行者8人が救出作戦中に死亡し,犯人も射殺された。アキノ大統領は事件後,哀悼の意を表明したものの,民間人が起こした事件について国が謝罪する必要なしという立場から謝罪していない。そのうえ,救出作戦に関わった関係者らはいまだ正式に処分されていない。そこで,死亡した旅行者の遺族がフィリピン政府に対して正式な謝罪と慰謝料を求めて,香港で訴訟を起こしたのである。それを受け,香港政府も再びフィリピンに対する制裁措置をちらつかすようになった。この騒ぎを受けて,10月にマニラ市議会が謝罪決議を採択し,エストラーダ市長(元大統領)が謝罪した。しかし,それでも事態は収まらず,11月にアキノ大統領がレネ・アレメンドラス内閣担当長官を香港に派遣して交渉にあたらせた。だが,解決策は見出せていない。香港には約18万人ものフィリピン人が滞在しているとされ,関係悪化の影響が懸念される。

2014年の課題

アキノ政権も後半に入った。大統領が高支持率を維持し続けるかぎり,議会運営は比較的容易であることが予想される。ただし,ポークバレル廃止が今後どう政治に影響するかが注目されよう。そのポークバレル不正問題に関し,真相究明がどこまで進むのか,関係者の訴追・逮捕はあるのか,訴追されたとして審理が順調に進み,有罪判決が出るのかなどが焦点となる。有力な政治家らを相手にしていることもあり,フィリピン司法の真価が問われる。

2014年3月27日に政府とMILFが包括的和平合意を締結した。今後はバンサモロ基本法を策定する作業がある。その後,法案は議会に上程,審議され,法律成立後は国民投票に付されることになる。和平交渉を快く思わない勢力も存在するため,今後の成り行きを注視する必要があろう。

経済面では,好調の維持が課題である。好調といえどもこれまで雇用の増加をもたらしていない。消費や輸出が拡大し,それが投資の増加をもたらすような好循環を生み出す経済構造に転換する必要がある。そのためにはインフラ整備が課題であることはいうまでもない。迅速かつ確実な対応が望まれる。

(地域研究センター)

重要日誌 フィリピン 2013年
  1月
6日 ケソン州アティモナンで国軍・警察と違法賭博関与の疑いがある集団との間で銃撃戦。容疑者側13人死亡。
9日 岸田外務大臣,来訪(~10日)。
14日 アキノ大統領,ダバオ・オクシデンタル州創設法(RA10360)に署名。10月に住民投票実施。
15日 アキノ大統領,エマヌエル・バウティスタ陸軍司令官を国軍参謀総長に任命(20日に就任)。
16日 アルジェリア・イナメナスの天然ガス精製プラントで発生した人質拘束事件に多数のフィリピン人が巻き込まれる。8人死亡。
17日 アメリカ海軍掃海艦ガーディアン,スルー海のトゥバタハ岩礁自然公園海域で座礁。同公園はユネスコ自然遺産に登録。
18日 アキノ大統領,家内労働者の保護を目的とした家内労働者法(RA10361)に署名。
21日 政府交渉団,モロ・イスラーム解放戦線(MILF)と第35回予備交渉実施(~25日)。
22日 政府,南シナ海の領有権をめぐり国際海洋法裁判所(ITLOS)に中国を提訴。
23日 アキノ大統領,世界経済フォーラム・ダボス会議出席のためスイス訪問(~27日)。
24日 中央銀行,政策金利は据え置くも,特別預金口座の金利を償還期間に関わらず3.0%に統一引き下げ。
  2月
4日 フィリピン開発フォーラム開催。ダバオ市で(~5日)。
12日 「スルー王国軍」と称する数百人規模の武装勢力がマレーシア・サバ州のラハダトゥ地区に侵入していることが明らかに。
25日 大統領府,バンサモロ基本法起草のための移行委員会メンバー15人を発表。委員長はMILF和平交渉団長のモハグハ・イクバル。
25日 政府交渉団,MILFと第36回予備交渉実施(~27日)。「移行期間の統治体制」に関する付属文書に合意(27日)。
  3月
1日 マレーシア・サバ州に侵入しているフィリピン人武装勢力とマレーシア治安当局との間で武力衝突発生。
6日 中東・ゴラン高原の国際連合兵力引き離し監視軍に派遣されているフィリピン人隊員21人が武装勢力に誘拐される。9日に解放。
7日 アキノ大統領,フィリピンに乗り入れている外国の航空と海運会社に課していたコモンキャリア税(CCT)と特別税(GBT)を撤廃する法律(RA10378)に署名。
7日 国際民間航空機関(ICAO),2009年から続いていたフィリピンに対する「重要な安全性の懸念」(SSC)指定の解除を表明。
14日 中央銀行,政策金利のうち翌日物借入金利を償還期間に関わらず3.5%に統一維持。また,特別預金口座の金利を2.5%に引き下げ。
19日 最高裁,2013年12月に成立した人口抑制を目的とするリプロダクティブ・ヘルス法に一時的差止め命令。期間は120日。
23日 アブサヤフ,2011年12月に誘拐したオーストラリア人男性を解放。サンボアンガ・デル・スル州で。
27日 格付会社フィッチ・レーティングス,フィリピンのソブリン格付けを「BBBマイナス」の投資適格級に引き上げ。
30日 1月にトゥバタハ岩礁自然公園海域で座礁したアメリカ掃海艦ガーディアンの解体・撤去作業が終了。
  4月
5日 比米合同軍事演習バリカタン開始。中部ルソンで(~17日)。
8日 漁船とおぼしき中国船,トゥバタハ岩礁自然公園海域で座礁。フィリピン沿岸警備隊が船員12人を拘束。
9日 政府交渉団,MILFと第37回予備交渉実施(~11日)。
15日 ブルネイのボルキア国王,来訪(~16日)。
18日 中央銀行,外為取引緩和策を発表。金融機関窓口における外貨売買の上限額引き上げなど。
24日 アキノ大統領,第22回ASEAN首脳会議出席のためブルネイ訪問(~25日)。
25日 中央銀行,特別預金口座の金利を2.0%に引き下げ。
  5月
2日 格付会社S&P,フィリピンのソブリン格付けを「BBBマイナス」の投資適格級に引き上げ。
7日 マヨン火山が噴火。水蒸気爆発。火口近くにいたドイツやスペインからの登山者やフィリピン人ガイド合わせて5人死亡。
7日 中東・ゴラン高原の国際連合兵力引き離し監視軍に派遣されているフィリピン人隊員4人が武装勢力に誘拐される。12日に解放。
9日 フィリピンと台湾の間のバシー海峡でフィリピン沿岸警備隊が台湾漁船に発砲。台湾人漁師1人死亡。
13日 中間選挙にあたる国政・地方統一選挙実施。
15日 株価指数(PSEi),年初来最高値を記録。15日終値が7392.20。一時7403.65に。
15日 アキノ大統領,基礎教育強化法(RA10533)に署名。
15日 アキノ大統領,台湾漁船に対する発砲事件に関し,在台北フィリピン政府代表部を通して謝罪の意を示す。台湾側は受け入れず。
24日 アキノ大統領,地方銀行(Rural Banks)の外資規制を緩和する法律(RA10574)に署名。最大60%まで出資可能に。
25日 海兵隊がアブサヤフと銃撃戦に。海兵隊員7人,アブサヤフ側も7人死亡。スルー州で。
  6月
5日 ティモール・レステのグスマン首相,来訪(~9日)。
7日 アキノ大統領,世界経済フォーラム・東アジア会議出席のためミャンマー訪問(~8日)。
27日 比米両海軍が合同軍事演習開始。第19回協力海上即応訓練(CARAT)。南シナ海のスカボロー礁沖で(~7月2日)。
  7月
8日 政府交渉団,MILFと第38回予備交渉実施(~13日)。「財源調達と富の分配」に関する付属文書に合意(13日)。
12日 欧州航空安全委員会,フィリピン航空に対する乗り入れ禁止を解除。安全性が確認されたとして。
16日 最高裁,アロヨ前大統領が2009年7月に国民の芸術家として認定した4人を無効と判断。理由は裁量権の乱用。
16日 最高裁,リプロダクティブ・ヘルス法に対して無期限の差止め命令。
22日 第16議会が開会。上院議長にフランクリン・ドリロン議員,下院議長にフェリシアノ・ベルモンテ議員が選出される。
22日 アキノ大統領,議会にて施政方針演説を行う。
23日 アキノ大統領,総額2兆2680億ペソの2014年度予算法案を議会に上程。
26日 安倍首相,来訪(~27日)。
  8月
5日 国家捜査局,アブドラ・ディマポロ下院議員(ラナオ・デル・ノルテ州選出)を入院先の病院にて逮捕。2004年の農業用肥料配布をめぐる汚職容疑で。
13日 マニラで比米安全保障協議を開始。これ以降,断続的に両国で続く予定に。
14日 マカティ地裁,自らの親族に対する不法監禁容疑で実業家ジャネット・リム・ナポレスの逮捕状を発行。同氏はポークバレル不正授受疑惑の渦中にいる人物。
16日 セブ島沖で旅客フェリーM/V St. Thomas Aquinas(乗員乗客870人)と貨物船M/V Sulpicio Express 7(乗組員38人)が衝突,死者・行方不明者137人。
16日 会計検査委員会,2007~2009年のポークバレル資金に関する監査報告を発表。政府機関をはじめ,多数の議員やNGOによるずさんな支出が明らかに。
18日 司法省,5月に台湾漁船に発砲したフィリピン沿岸警備隊8人を業務上過失致死容疑で起訴。
19日 前日から降り続いた大雨により,マニラ首都圏と近郊で冠水。首都機能麻痺。死者・行方不明者31人。
22日 政府交渉団,MILFと第39回予備交渉実施(~25日)。
28日 逮捕状が出ていたジャネット・リム・ナポレスがアキノ大統領の元に出頭し,司法当局によって逮捕される。
29日 アメリカのヘーゲル国防長官,来訪(~30日)。
  9月
2日 ロハス国家捜査局長,辞任を表明。ナポレスの逮捕状に関する情報漏えいをめぐり引責辞任。
6日 マニラ首都圏三者賃金生産性委員会,1日当たりの最低賃金の10ペソ引き上げを決定。466ペソに(10月4日から)。
9日 モロ民族解放戦線(MNLF)の一部武装勢力がサンボアンガ市を襲撃。市民約200人を人質にして市街地を占拠。
10日 最高裁,2013年度ポークバレルの残額支出に対し,即時停止を命令。
10日 政府交渉団,MILFと第40回予備交渉実施(~20日)。
16日 国家捜査局,ポークバレル不正流用ならびに贈収賄容疑で上院議員3人,ナポレスを含む38人をオンブズマンに告発。
18日 比米合同軍事演習開始。陸海共同上陸訓練(Phiblex)。サンバレス州で(~10月11日)。
20日 1月6日に発生した事件で,警察官13人に逮捕状出る。殺人容疑。
28日 ミス・ワールド・コンテストに参加したフィリピン代表が優勝。オロンガポ出身のメーガン・リン・ヤング。
  10月
3日 国家捜査局,2009年に約9億ペソの政府資金につき不正流用ならびに贈収賄容疑でアロヨ前大統領と当時の閣僚3人,それにナポレスを含む24人をオンブズマンに告発。
3日 格付会社ムーディーズ,フィリピンのソブリン格付けを「Baa3」の投資適格級に引き上げ。
6日 アキノ大統領,第21回APEC首脳会議出席のためインドネシア訪問(~8日)。
8日 アキノ大統領,第23回ASEAN首脳会議など出席のためブルネイ訪問(~10日)。
8日 政府交渉団,MILFと第41回予備交渉実施(~13日)。
9日 サンボアンガ地裁,MNLF元議長ヌル・ミスワリとその部下3人の逮捕状を発行。サンボアンガ市襲撃事件にかかる反乱容疑で。
11日 台風サンティ(国際名Nari)がルソン島中部に上陸。死者・行方不明者20人。
15日 ボホール州サグバヤンを震源とするM7.2の地震発生。死者・行方不明者は合わせて230人。
17日 アキノ大統領,韓国訪問(~18日)。
20日 自称スルー王国スルタンのジャマルル・キラムⅢ,多臓器不全でマニラ首都圏内の病院で死去。享年75歳。
22日 下院,2014年度予算法案を可決。
28日 全国でバランガイ選挙実施。被災したボホール州とサンボアンガ市は11月25日。
28日 ダバオ・オクシデンタル州創設に関し住民投票実施。賛成多数で81番目の州誕生。
  11月
4日 フィリピン航空,15年ぶりにロンドン直行便就航。
4日 国家通信委員会,地上デジタル放送に日本方式(ISDB-T)の採用を発表。
7日 上院,公務員規律委員会にてナポレスを証人喚問。
8日 台風ヨランダ(国際名Haiyan)が猛烈な強さでビサヤ地域を直撃。暴風と高潮により甚大な被害をもたらす。死者・行方不明者は7000人超。
11日 アキノ大統領,台風被害による国家非常事態を宣言。
13日 アキノ大統領,2013年度投資優先計画(IPP)を承認。
19日 最高裁,ポークバレルに対して違憲判決。大統領が裁量権をもつ一部資金も含む。
19日 アキノ大統領,アルメンドラス内閣担当長官を特使として香港に派遣。2010年の観光バス乗っ取り事件の解決に関して。
26日 上院,2014年度予算法案を可決。法案は両院協議会に。
29日 国家捜査局,9月につづきポークバレル不正流用ならびに贈収賄容疑で元下院議員7人を含む34人をオンブズマンに告発。現職のビアソン関税局長も含まれる。
  12月
1日 カトリック司教会議の議長にパンガシナン州リンガエン・ダグパン大司教のソクラテス・ヴィレガスが就任。
2日 ビアソン関税局長,辞任。後任代行にジョン・フィリップ・セビリヤ財務省次官。
4日 ミャンマーのテインセイン大統領,来訪(~6日)。
4日 アブサヤフ,2012年6月に誘拐したヨルダン人ジャーナリストを解放。スルー州で。
5日 政府交渉団,MILFと第42回予備交渉実施(~8日)。「権限分担」に関する付属文書に合意(8日)。
6日 アキノ大統領,復興担当大統領補佐官(閣僚相当)にラクソン前上院議員を任命。
7日 小野寺防衛大臣,来訪(~8日)。
10日 2014年度予算法案,両院協議会にて修正後,通過。
11日 上院,2014年度修正予算法案を可決。下院は16日に可決。
12日 アキノ大統領,日・ASEAN特別首脳会議出席のため訪日(~15日)。
17日 アメリカのケリー国務長官,来訪(~18日)。
17日 ミス・インターナショナル・コンテストに参加したフィリピン代表が優勝。マスバテ出身のベア・ローズ・サンティアゴ。
19日 新人民軍,一方的にクリスマス休戦を発表。12月24~25日と31日~1月2日。
20日 アキノ大統領,2014年度予算である一般歳出法に署名(RA10633)。総額2兆2650億ペソ。
20日 国連の潘基文事務総長,来訪(~22日)。
22日 ミャンマーで行われた第27回東南アジア競技大会が閉幕し,フィリピンは29個の金メダルを獲得(11カ国中7番目)。銀・銅を合わせたメダル総数は101個。
23日 最高裁,送電会社メラルコの電気料金値上げ申請(4.15ペソ/kWh)に一時的差止め命令。
26日 アキノ大統領,台風や地震の被災地域復興を目的とした2013年度補正予算法(RA10634)に署名。総額146億ペソで支出期限は2014年末。

参考資料 フィリピン 2013年
①  国家機構図(2013年12月末現在)
②  国家機関主要人名簿(2013年12月末現在)
②  国家機関主要人名簿(2013年12月末現在)(続き)
③  地方政府制度(2013年12月31日現在)

主要統計 フィリピン 2013年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国際収支
5  国・地域別貿易
 
© 2014 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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