アジア動向年報
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各国・地域の動向
2013年のマレーシア 総選挙で現状維持,改革は後退ぎみ
伊賀 司
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2014 年 2014 巻 p. 361-388

詳細

2013年のマレーシア 総選挙で現状維持,改革は後退ぎみ

概況

2013年には総選挙が5年ぶりに実施された。前回2008年の総選挙で大きく勢力を後退させた与党連合の国民戦線(Barisan Nasional:BN)に対し,野党側の人民連盟(Pakatan Rakyat:PR)が政権交代に手が届くかどうかに関心が集まった。選挙の結果は,BNが安定多数の確保に成功してナジブ政権の継続が決まった。総選挙後の法改正やメディアに対する措置から,ナジブ政権の政治的自由化の姿勢は後退しているようにみえる。

経済は,世界経済の不透明さを反映して海外需要が伸び悩み,減速を余儀なくされた。経済を下支えしたのは,旺盛な民間消費に裏打ちされた国内需要であった。ただし足元では,急増する家計債務と高騰する不動産価格が経済の懸念材料となっている。政府の経済政策の面では,総選挙後に物品・サービス税(Goods and Service Tax:GST)の導入,補助金削減や公共料金値上げなどが発表された点が注目される。また,新しいブミプトラ支援策としてブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダ(Bumiputera Economic Empowerment Agenda)が発表されたが,この支援策に対し,ナジブ政権がこれまで進めてきた経済改革との矛盾も指摘されている。

対外関係では,「スールー王国軍」(Royal Sulu Sultanate Army)を名乗る武装集団の侵入事件と,存在感を増しつつある中国との関係が注目される。

国内政治

第13回総選挙

1970年代から安定した長期与党体制を維持してきたBNだが,前回2008年の第12回総選挙では従来まで維持してきた連邦下院での3分の2の議席のラインを失い,スランゴール州やペナン州といった経済的に発展した重要州の州政権を野党に奪われたことで退潮が指摘されていた。このため,2013年5月5日に投開票が行われた第13回総選挙では,インターネット上や海外メディアを中心に総選挙前から政権交代の可能性が語られていた。また,2011年から再活性化している選挙制度改革運動のブルシ(Bersih)運動の影響もあり,国民の選挙への関心もこれまでにないほど高まっていた。2008年から2013年の総選挙にかけて登録有権者数は1074万227人から1326万8002人に,投票者数は816万1039人から1125万7147人に,投票率では75.99%から85.84%へ増加しており,とくに投票率が前回より10%以上伸びたことは今回の選挙の関心の強さをうかがわせる。

選挙期間中は,主に主流メディアを使った大規模な広告戦術と小規模な対話集会を重ねていったBNに対し,PRは2008年の総選挙でも威力を発揮したインターネットを最大限に利用するとともに,チェラマ(Ceramah)と呼ばれる,時には数万人が参加する大規模な政治集会を開催していった。とくにPR側の集会では「チェンジ」(Ubah)や「今回で!」(Ini Kali Lah!)といった合言葉が使われ,政権交代が目前に迫っているかのような雰囲気の下で大量の支持者が動員された。

今回の選挙結果をBNとPRが獲得した連邦下院の議席数からみると,BNが133議席,PRが89議席を獲得し,BNが安定多数を維持した。2008年の総選挙のBNと野党の獲得議席が,それぞれ140議席と82議席だったので,今回の選挙では,PRが7議席を積み増したものの,現状維持の結果に終わったといえる。しかし,得票率では与野党が逆転する。今回の総選挙でのBNの得票率は47.38%であり,PRは50.87%である。これまでの選挙でBNの得票率は5割から6割で推移しており,前回2008年の総選挙でも50.27%と,かろうじて5割の得票率を確保していたことから考えると,今回の選挙では獲得議席数と得票率との乖離がいっそう明らかになったといえる。

BNとPRとの間で獲得議席数と得票率に明確な差がみられる原因は選挙制度とその選挙区割りにある。小選挙区制度を採用するマレーシアでは死票が多く,獲得議席と得票率の乖離を生みやすい。こうした小選挙区制度本来の要因に加え,今回選挙でBNの政権維持を支えた最大の要因はいわゆる「1票の格差」である。PRが当選者を出した選挙区の多くは都市部にあり,とくにスランゴール州を含む首都圏では圧倒的な強さをみせた。今回の選挙で登録有権者数が10万人を超える選挙区は13あるが,そのうち9選挙区がスランゴール州にある。PRは上記の13選挙区で10勝しており,スランゴール州の9選挙区では全勝である。その一方で,BNが安定的な強さをみせたのが東マレーシアのサバ州とサラワク州である。サバ州とサラワク州ではマレー半島部ほど開発が進んでおらず,相対的に人口希薄な未開発地が広がっており,登録有権者数が1万~2万人台の選挙区が数多くある。つまり,BNは人口希薄で選挙区の規模の小さい村落部で大量当選者を出し,PRは人口が多く大規模選挙区が集中する都市部でBNを圧倒した。

問題なのは,「都市と村落の支持の分裂状況」のなかで大きな「1票の格差」が存在することである。「1票の格差」のもっとも極端な例をみると,スランゴール州のスルダン選挙区(P102)ではPRの候補者が7万9000票余りを獲得して当選する一方で,サラワク州のカノウィト選挙区(P210)ではBNの候補者が8000票余りで当選している。つまり,「1票の格差」が最大で10倍弱あり,この例以外にも全般的にBNが強い支持基盤を持つ村落部が過大に代表されているのである。BNが今回の選挙で政権を維持できた背景には,これまで与党としての特権を利用してBN主導で実施されてきた選挙区割りの影響が大きい。

今回の選挙結果を左右した要因として「都市と村落の支持の分裂状況」が指摘される一方で,ナジブ首相や一部の与党幹部を中心に「華人ツナミ」(Chinese Tsunami)を指摘する声もある。つまり,華人票がBNからPRに流れたことがBNの不振を引き起こしたという指摘である。事実,表1にみられるようにBN構成政党のうち今回の選挙でもっとも議席を減らしたのは,華人に支持基盤を置くマレーシア華人協会(Malaysian Chinese Association:MCA)やサラワク統一人民党(Sarawak United People’s Party:SUPP)などの華人政党であり,マレー人政党の統一マレー国民組織(United Malays National Organization:UMNO)やインド人政党のマレーシア・インド人会議(Malaysia Indian Congress:MIC)は逆に議席を増やしている。ただし,BNの華人政党の勢力後退は,2008年の総選挙結果でもみられる傾向であり,今回の選挙では華人のBNへの不支持がよりいっそう顕著になったといえるだろう。後述するMCAの党内対立の影響もあって,BNが今後,華人からの支持を回復することは容易ではないように思える。

表1  2013年総選挙結果と2008年総選挙からの変化

(出所)  中村正志「マレーシア史上もっとも注目された選挙――何が変わったのか?」山本博之編『二大政党制は定着するのか――2013年マレーシア総選挙の現地報告と分析』日本マレーシア学会,2013年,28ページ。本章の表は筆者が一部手を加えた。

BNに対する華人支持の大幅な後退は,これまでBNが掲げてきた「統治の正統性」の論理に深刻な影響を与えている。1970年代から続いてきたBNの統治は,「すべての民族と地域の代表」がBNという共通の傘の下に集まって,話し合いと調整によって政治的決定を行うという論理の下で正統化されてきた。時代を経るにつれ,BNの政治的決定がBN内で圧倒的影響力を持つUMNOの決定とほぼ変わらない場面が多数みられるようになり,この論理が形骸化していったものの,各民族や地域(の構成員)が政府の支援を得ようとするときに,BN内に送り込んだ自らの民族・地域政党の代表を通じて要望を行う状況は依然として続いてきた。

しかし,総選挙後のMCAの決定がこのBNの論理を揺さぶっている。MCAは2011年と2012年の党大会で,もし,第13回総選挙の結果が第12回総選挙の結果よりも悪ければ,連邦と州のすべてのレベルで政府の閣僚を出さないことを決議していた。2013年総選挙でMCAが前回総選挙より大きく議席を後退させると,選挙後の指導者間の主導権争いも影響して,MCAは自党から閣僚を出さないことを決定した。これにより,連邦政府の大臣には華人の政党政治家が存在しないという史上初の状況が生まれた。ナジブ首相は民間人のポール・ロウを首相府大臣に任命して唯一の華人出身の大臣を確保したが,こうした状況下では,これまでBNが主張してきた「すべての民族と地域の代表」を集めた与党連合としての建前が崩れつつあるのは明らかである。

今回の選挙結果を受けてBN内では,華人政党やインド人政党の間で合併に向けた話し合いの動きがすでに出始めている。民族と地域の代表政党から構成される現在の枠組みを取り払って,単一政党となるべきだとの意見もBNの一部にはある。BNが構成政党の合併を進め,崩れかけた統治の論理を再び立て直すのか,それとも新たな別の論理を打ち出していくのかが注目される。

各党の役員選挙

総選挙後には各党の役員を選出する役員選挙や党大会が順次行われた。BNでは,最大与党のUMNOが来るべき総選挙に備えることを理由として,2012年に延期していた役員選挙を10月に実施した。UMNOは今回の役員選挙から新しい選挙方式を導入した。前回2009年までの役員選挙では,191の地域支部(division)から送られる約2500人の代議員が党大会の日に役員を選出する方式をとってきた。今回の役員選挙からUMNOはアメリカの大統領選挙でも採用されている選挙人団(electoral college)の制度を採用することとなり,役員選挙で投票を行う有権者の数を約15万人に増加させた。この15万人の有権者の投票は,191の各地域支部に割り当てられた票数に換算されることとなる。

こうした制度変更の一方で,UMNOの最高幹部人事の選挙結果は現職勝利に終わり,大きな変化はみられなかった(表2)。総裁のナジブ首相と副総裁のムヒディン・ヤシン副首相が無投票で当選する一方,党内序列第3位で3人が充てられる副総裁補ポストの選挙では,マハティール元首相の三男で今回の総選挙でBNが奪還したクダ州の州首相に新たに就任したムクリス・マハティールの挑戦が話題となった。UMNO副総裁補選挙に今回初挑戦したムクリス・クダ州首相は,実際に獲得した有権者数では当選ライン上にいたものの,選挙人団の数で敗れた。副総裁補に当選したのは,現職のアフマド・ザヒド・ハミディ内務大臣,シャフィー・アプダル農村・地域開発大臣,ヒシャムディン・フセイン国防大臣であった。最高評議会の主要メンバーでもある青年部長と婦人部長のポストもカイリ・ジャマルディン青年・スポーツ大臣と女性・家族・コミュニティ開発省の元大臣のシャリザ・アブドゥル・ジャリルがそれぞれ現職の強さをみせて当選した。

表2  UMNO党中央役員選挙名簿と選挙結果

(注)  1 ) 票数のカッコ内は実際の獲得票数。

2 )カッコ内は票数。

3 )総裁任命の最高評議会評議委員のMohammad Kazim Elias は評議委員に任命されたが,就任を拒否。

(出所) The Star Online, New Straits Times Online から筆者作成。

UMNO年次党大会は10月の役員選挙結果を受けて12月に開かれた。党大会の目玉でもある総裁基調演説のなかでナジブ首相は,イスラームの重視やマレー人優遇政策への転回をみせた。前年までのナジブ首相の基調講演と比較すれば, 2013年ほどイスラームやマレー人優遇政策が強調されたことはなく,新しい変化である。この背景には,UMNO内でマレー人優先主義を主張する保守派が勢いづいている状況がある。UMNOの保守派は,ナジブ首相による非マレー人への配慮や民族をベースとしない経済政策などに不満を抱いてきたものの,総選挙を前にしてこれまではそれほど表立った動きを示してこなかった。しかし,総選挙でBNの華人政党が大きく議席を減らし,その穴をUMNOが穴埋めしたために,ナジブ首相も彼らの主張をある程度,受け入れざるをえなくなったのである。こうしたUMNO保守派の声の高まりを受けて,ナジブ政権の政策にもマレー人を中心とするブミプトラへの特別の配慮が再び示され始めている(詳細は後述)。

MCAは2008年の総選挙で連邦下院議席を半減させて以降,党内対立が激化していた。最終的には2010年の党役員選挙で当時現職のオン・テーキアット総裁を破って副総裁のチュア・ソイレックが総裁に就任することで,党内対立は一時的に沈静化した。しかし,その後も党内対立は尾を引き,5月の総選挙では華人の間では依然として人気が高かった当時のオン前総裁が候補者から外されるなど,党内対立が総選挙の準備や,さらにはその結果にも影響した面は否めない。

総選挙でさらに議席を減らして壊滅的な打撃を受けたMCAだが,党内対立は収まることはなかった。総選挙後の党内対立は,チュア総裁とリョウ・ティオンライ副総裁の間で起こった。総選挙での大敗を受けて,チュア総裁は12月に予定されていたMCAの党総裁選への出馬を取りやめることを一度は発表したものの,後に総裁選出馬もありうるという立場を匂わせるようになり,リョウ副総裁や彼の支持者は強く反発した。両者の対立が最高潮に達したのが,10月の臨時党大会である。ここでは,チュア総裁派が主導してリョウ副総裁の問責決議の採決が目指されていた。結局,臨時党大会でリョウ副総裁派が勝利して問責決議は出されなかった。勢いに乗ったリョウ副総裁が12月の年次党大会で総裁に選出されたことで,MCAの党内対立は一時的に収まることとなった。

野党の方では,民主行動党(Democratic Action Party:DAP)が党の指導部を形成する20人の中央執行委員会委員の再選挙を9月に行った。DAPの中央執行委員会委員の選挙は2012年12月に実施されたが,選挙不正の疑いを持った党員の一部が結社登録官に苦情を申し立てたために結社登録官による介入を招いた。結社登録官は中央執行委員会委員選挙での不正が疑われることを理由として,選挙期間が始まる直前の4月17日になって総選挙で政党のロゴマークを使用することを禁じる通告をDAPに出した。DAPは自党のロゴマークが使えなくなる事態に直面して,同じPRとして連合を組む,汎マレーシア・イスラーム党(Parti Islam Se-Malaysia:PAS)や人民公正党(Parti Keadilan Rakyat:PKR)のロゴマークをつけて選挙戦を戦うことも想定していたものの,19日になって結社登録官はDAPのロゴ使用を一転して認めることになった。選挙後にもDAPと結社登録官との話し合いが続けられ,9月にDAPの中央執行委員会委員の再選挙が行われることが決定した。再選挙では,2012年12月に選挙を行った時と同じメンバーが当選することとなった。

総選挙で議席を減らした野党のPASも11月に役員選挙を行った。PASは伝統的に宗教指導者のウラマーと非ウラマーとの間で,イスラーム法の実施やPRのほかの構成政党であるDAPおよびPKRとの関係をめぐって路線の対立が存在してきた。前回2011年のPASの役員選挙では無投票だった総裁は別として,副総裁および3人の副総裁補がすべて非ウラマーのグループから選出されたために,非ウラマーの影響力が高まっていた。2013年の役員選挙では,副総裁補に1人のウラマーが当選し,ウラマー・グループの影響力の回復がみられた。

政治的自由化の後退

2011年9月にナジブ首相は国内治安法(Internal Security Act:ISA)や扇動法(Sedition Act)などの一連の抑圧的法の廃止や改正を進めることを発表し,政治的自由化に着手することになった。現在までに抑圧的な法の廃止や改正が順次行われてはいるものの,実態は,同様な効果を持つ新たな法の制定や既存の法の改正によって,首相が約束した政治的自由化の試みは中身のないものになりつつある。

総選挙後には,犯罪防止法(Prevention of Crime Act)と刑法の改正が行われているが,野党やNGOからの強い反対があった。従来の犯罪防止法では,被疑者は最大で71日間勾留される可能性があったものの,その期間中に裁判へと移行することが可能であった。しかし,改正によって,法曹関係者などから構成される5人の委員会の決定により,裁判なしで被疑者を2年間勾留することが可能になった。政治的自由化の観点からみれば,裁判なしでの勾留を可能にする今回の犯罪防止法の改正は,すでに導入されている治安違反(特別措置)法(Security Offences (Special Measures) Act)とあわせて,ナジブ首相が2012年に廃止した非常事態令(Emergency Ordinance)や国内治安法の廃止を意味のないものとしてしまっているといえるだろう。

政府が今回の犯罪防止法改正を必要とする理由として挙げたのは,(都市部を中心とする)犯罪の増加である。アブドゥラ政権の後半期から重要アジェンダに浮上した犯罪への対処は,ナジブ政権が行政改革の指針として2010年に発表した政府変革プログラム(Government Transformation Program:GTP)の6大目標(2012年に7大目標に拡大)のひとつであり,5月の総選挙では国民が緊急の対策を求める重要なアジェンダでもあった。しかし,これまでのところ,政府が増加する犯罪に有効な手立てを打ってきたとは言い難い。総選挙後にはとくに,アラブ・マレーシア銀行設立者の銃殺事件や民間警備会社職員による犯罪などの深刻な犯罪が頻繁に報道されたことで,人々の不安を掻き立てた。警察がギャング組織の大規模な一斉逮捕や犯罪防止に向けた新たな対策機関設立を発表する一方,拘束された被疑者が獄中で暴行を受けて死亡した事件やギャングの取り締まり活動中に起こった警官の行き過ぎた行動など警察不祥事も目立っており,野党やNGOを中心に犯罪防止法の改正に懸念の声があがっている。

今回の刑法改正でもっとも議論を呼んだのは,203A条の規定である。新たに挿入された203A条では,公務員が公務で知り得た情報を開示することを禁止し,違反した者には罰金,懲役あるいはその両方が科される。問題になるのは,開示が禁止される情報の定義があまりに一般的すぎることであり,この規定に基づく恣意的な運用が行われる恐れが非常に高い点である。また,マレーシアにはすでに機密情報を保護する目的で国家機密法(Official Secret Act)が存在している。国家機密法を通じて情報が機密にされる場合,担当公務員によって所定の手続きを経て機密情報かどうかが決定され,その決定に基づいて法に違反したかどうかが判断される。しかし,今回の刑法改正で挿入された203A条によって,こうした情報の機密手続きさえもなしに違反者を生み出すことが可能となった。法曹関係者の間からは国家機密法以上に国民の「情報の自由」を阻害する恐れがあるとする声もあがっている。政府が2010年に制定した内部告発者保護法(Whistleblower Protection Act)との矛盾を指摘する声もある。

12月にみられた経済専門週刊紙『ザ・ヒート』(The Heat)の出版免許停止命令から総選挙後のナジブ政権の政治的自由化に対する姿勢の変化をみることも可能であろう。『ザ・ヒート』は,11月に発行された紙面の第1面で,政府に特定のポストを持たないナジブ首相の妻のロスマ・マンサールが政府専用機を利用してカタールの女性サミットに出席したことを報じつつ,ナジブ首相とその妻の支出について注意を喚起する記事を出した。その後の内務省からの出版免許停止命令は,この記事に基づいて出されたものと考えられている。『ザ・ヒート』の出版免許停止を受けて,ジャーナリストやNGOなどによる街頭デモを含む抗議行動が起こっている。

犯罪防止法と刑法の改正や『ザ・ヒート』の出版免許停止にみられるように,総選挙後のナジブ政権では,これまで実行を約束してきた政治的自由化の推進からは後退するような政策が散見されるようになっている。

経済

2013年の実質GDP成長率は,第1四半期4.1%,第2四半期4.4%,第3四半期5.0%,第4四半期5.1%で,通年の成長率は前年の5.6%から4.7%に落ち込んだ。とくに2013年上半期の成長率落ち込みの原因は,中国経済の成長懸念の高まりやユーロ圏の経済危機が未解決であることなど外部環境の不透明さに起因する海外需要の減少で輸出が低迷したためである。輸出の要である製造業の伸び率は,第1四半期0.3%と,2012年第4四半期の5.7%から急激に落ち込んだものの,その後の海外需要の緩やかな回復によって,第2四半期3.3%,第3四半期4.2%,第4四半期5.1%と上昇してプラスに転じていった。

上半期の弱体な海外需要の一方で,経済を下支えしたのは,活発な国内需要であり,なかでも堅調な民間消費に引っ張られて成長が維持された。民間消費は,第1四半期7.5%,第2四半期7.2%,第3四半期8.2%,第4四半期7.2%,通年で7.6%の成長率を記録した。

他方で,懸念すべき材料もある。2013年通年の消費者物価上昇率は前年比2.1%だが,12月に限定すると前年同月比3.2%の上昇である。これは,政府が進める財政改革に伴い,補助金削減や公共料金値上げが2013年後半に一斉に発表されたためである。また,2013年の経済を下支えした旺盛な民間消費の裏には,急増する家計債務や不動産バブルの懸念がつきまとっている。

GST導入,補助金削減と公共料金値上げ

政府累積債務の上限は対GDP比の55%と法で定められている。しかし,2013年11月の時点で政府累積債務はすでに54.8%に達しており,財政立て直しは急務であった。総選挙が終わったこともあり,2013年の後半には,これまで見送られてきた国民負担の増加が一挙に発表されることとなった。

国民負担に関するもっとも重要な発表は,2014年予算案発表と同時に明らかにされたGSTの導入である。GSTは2015年4月から6%で導入されることとなった。実はナジブ政権は2009年にもGSTの導入を試みている。しかし,この時は国民各層からの反対が強く,ナジブ首相も総選挙を前にしてGST導入を見送った。現在のところGSTの課税対象外となるものとして,コメ,砂糖,塩といった食料品の一部,パイプでの水道供給,一定量までの電気,パスポートや政府のライセンス発行,公共交通機関の料金などが予定されている。GSTの導入に伴って,所得税が1~3%減税となり,法人税が1%減税で24%になることも予定されている。GST導入に対する国民の反応では,単なる反対だけではなく,実際の家計負担がどのくらいになるか分からずに不安を感じる声もメディアで伝えられている。

他方で,政府の補助金削減や公共料金の値上げはナジブ政権への明確な批判となっている。まず,9月に政府は燃料費の補助金削減に踏み切った。これによりRON95型ガソリンと軽油が1リットル当たり20セン値上がりして,それぞれ2.1リンギと2.0リンギになった。砂糖への補助金は2012年9月の段階ですでに1キログラム当たり20センの削減がなされていたが,2013年10月には残りの補助金の34センが全面廃止となった。12月には,2014年1月から電気料金が15%値上げされることが発表され,1kWh当たり4.99センの値上げとなった。また,同じ月には2014年から首都圏の高速道路料金が50センから2リンギに値上げされることも発表された。さらに11月にクアラルンプール市政府によって発表された不動産税改定の発表は住民の大きな反対運動を引き起こした。クアラルンプール市の従来の不動産税は商業施設が12%,一般住宅が6%の税率であった。それが,2014年1月からの新計算によっては最大200%以上の課税ともなりうることが発表されると,不動産オーナーを中心に住民からの抗議が相次いだ。住民による激しい抗議に直面したクアラルンプール市政府は,従来よりもさらに1~4%低い税率を発表して,住民の不満を収めざるをえなくなった。

一連の補助金削減や公共料金値上げは,近年の生活コストの上昇にさらされている都市部の住民を中心にナジブ政権への反発を生んでいる。政府は月収3000リンギ以下の低・中所得の世帯を対象に2012年から始めた特別手当(Bantuan Rakyat 1Malaysia:BR1M) の支給額をこれまでの500リンギから2014年には650リンギに増額することを発表しており,この支給増額を通じて,低・中所得者に対して補助金削減や公共料金値上げの影響を緩和できるとしている。しかし,国民の多くが納得していない。12月に実施された世論調査で,ナジブ首相の支持率は前回8月調査時の62%から52%へと急落しており,一連の補助金削減や公共料金値上げの影響が支持率にも明確に表れている。

家計債務の増加と住宅問題

近年のマレーシア経済では課題とされてきた政府累積債務の増加とともに,家計債務の急速な増加も注目されている。マレーシアにおけるGDP比でみた家計債務の比率は,2009年の70%から2012年には80.5%,2013年には83%にまで急上昇している。ほかのアジア諸国の対GDP比でみた家計債務の比率は,タイが30%,インドネシアが15.8%,香港が58%,台湾が82%,日本が75%,シンガポールが67%である。マレーシアよりも大きな家計債務を抱えている国として,アメリカの91.7%,オーストラリアの113%,ニュージーランドの91%,イギリスの114%,韓国の91%があげられる。国際比較からは,欧米の先進国ほどではないものの,周辺アジア諸国と比較するとマレーシアの家計債務がかなり大きいことが分かる。急増する家計債務を懸念した中央銀行のバンク・ヌガラは,7月に家計債務を抑制するための新たな規制を発表し,即日適用している。その中身は,個人向けローンの借入期間を最大25年から10年に制限,不動産関連のローンの借入期間を最大45年から35年に制限,認可前の個人金融商品を提供することの禁止,の3つの柱からなっていた。

マレーシアの場合,家計債務の内訳は,住宅ローンが45%を占め,個人向け金融が17%を占める。個人向け金融は現在,非常に速いペースで拡大しており,年平均20%の伸びを示している。この背景には,個人向け金融の約6割を提供しているノンバンクの活発な活動がある。

他方で,住宅ローンが急増する家計債務の45%を占めていることから分かるように,近年のマレーシアでは都市中間層を中心に旺盛な住宅需要が存在し,さらにそれが前提となった不動産ブームが続いている。この不動産ブームには政府も一役買っている。政府は2007年4月1日から2009年12月31日まで不動産譲渡益税(Real Property Gains Tax:RPGT)の免税措置をとっていた。また,外国人による不動産売買も不動産ブームを活性化させる要因であった。不動産ブームの過熱を懸念した政府は,RPGTの税率を段階的に上げ,2013年9月の時点では,マレーシア人か外国人かを問わず,不動産の売買の際,購入から2年以内の売買には15%,2年以上5年以内だと10%の税金が課せられ,5年目から免税とする税率を定めていた。しかし,RPGTを再導入したものの,不動産価格の上昇が依然として止まらなかったため,政府は2013年10月の2014年度予算案の公表と同時に,RPGTのさらなる引き上げを発表した。これにより,RPGTは3年以内が30%,4年目で20%,5年目で15%,6年目から免税へと変更された。一方,外国人に対しては,5年目まで30%,6年目からは5%の税が課されることとなった。

RPGT引き上げの原因となった不動産や住宅価格の上昇の結果,低・中所得世帯には持ち家を持てない世帯が増加し,国民の不満は高まっている。ある調査では国民の75%が国内不動産の価格が高すぎると答えており,とくに「ホームレス」(homeless)世代と呼ばれる20代後半から30代の不満は高い。政府は不動産ブームの沈静化と国民の住宅取得を進めるため,2つの方策をとっている。

第1に,「マイホーム」(MyHome)と呼ばれる,民間デベロッパーの低・中所得者向け住宅建築を後押しするための補助金提供と規制の緩和からなる一連の政策である。その柱は,民間デベロッパーが建設する低コスト住宅1戸当たりに最大で3万リンギを拠出する補助金政策である。また,政府は1982年以来,民間デベロッパーに対して,建設する住宅の少なくとも30%を低コスト住宅に割り当てるように定めてきたが,これを20%を低コスト住宅に,20%を中コスト住宅に割り当てるルールに変更した。

第2は,政府自らが住宅を建設する方策である。政府は2012年に制定したワンマレーシア国民住宅(Perumahan Rakyat 1Malaysia:PR1MA)法に基づき,PR1MA社を設立した。PR1MA社の使命は都市部において中所得世帯とされる2500~7500リンギの月収を持つ世帯を対象に,10万リンギから40万リンギの間の住宅を建設することである。PR1MAが建築する住宅価格は民間デベロッパーの住宅よりも約2割ほど安価に設定されおり,購入希望者は抽選で選ばれる。PR1MA社は中所得者向けの住宅供給を目指して始まった新しいスキームであるが,低所得者向け住宅供給については,国営住宅公社(Syarikat Perumahan Negara Berhad:SPNB)や国家住宅局が提供し,公務員向け住宅にも特別プログラムが組まれている。

政府はMyHome,PR1MAやSPNBなどを通じて2014年中に22万3000戸の住宅を提供する予定である。RPGTの値上げも含む上記の一連の政策に対し,現在のところ,供給側の民間デベロッパーだけでなく,需要者側の全国住宅購入者協会(National House Buyers Association)なども歓迎の姿勢を示している。

ブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダ

ナジブ政権は2010年に経済改革の指針としての新経済モデル(New Economic Model:NEM)と,その指針に基づいた具体的な政策である経済変革プログラム(Economic Transformation Program:ETP)を発表した。NEMやETPではマレーシアが直面している「中所得の罠」から抜け出して2020年までの先進国入りを果たすため,「高所得」,「包括性」,「持続性」をキーワードに民族ベースのアファーマティブ・アクションから脱却し,市場原理を重視した経済政策を採用することを謳っていた。

しかし,総選挙後にはNEMやETPの理念に反する政策が発表されている。ナジブ首相自らが9月に発表したブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダでは,首相府内にブミプトラ経済会議を創設し,マレー人を中心とするブミプトラ・コミュニティ支援のために5分野を重視する政策を実施することを定めた。その5分野とは,(1)人的資本,(2)株式所有,(3)(住宅や工業用地などの)非金融資産,(4)企業家育成とビジネス支援,(5)行政サービス,の5分野であり,ほかにも310億リンギの公共事業がブミプトラに割り当てられる予定である。このアジェンダ発表に対し,同じ与党内のMCAなどからも懸念が示されており,経済界からもNEMやETPとの矛盾を指摘して,再考を促す声も少なくない。

BNの構成政党や経済界からの反対にもかかわらず,ナジブ首相がこのアジェンダを9月に発表した理由は,総選挙での支持の見返りの提供と,UMNO内での首相自身の生き残りのためである。見返りについては,総選挙で減少したBNへの華人支持を埋め合わせたUMNO支持層を今後も繋ぎ止めておくためには具体的な見返りが必要であった。UMNO内での生き残りについては,党内で勢いづく保守派を前にして,ナジブ首相は政権が推進してきた改革から後退したと国民からみられることを認識しつつも,妥協せざるをえなかったとみられる。2013年のUMNO役員選挙でナジブ首相は総裁に無投票で再選されたが,役員選挙の立候補受付直前まで,ナジブ首相の対立候補が出るのではないかとの噂がUMNO内には存在していた。

対外関係

「スールー王国軍」侵入事件

3月1日にサバ州東海岸のラハダトゥ郡でマレーシアの治安部隊とフィリピンから侵入した「スールー王国軍」を名乗る武装集団との銃撃戦があった。その後,銃撃戦はセンポルナ郡にも拡大していったが,最終的には3月5日からマレーシア国軍と警察が合同で「スールー王国軍」に対する大規模な殲滅作戦を実施するに至った。この事件の発生から拡大にかけての関係者の意図や現地の実際の状況など,本稿執筆時点でも依然として明らかになっていない点が多い。事件の発端は,2月12日に「スールー王国軍」を自称する200人余りの武装勢力が突如,国境を越えてフィリピンから侵入したことに始まる。「スールー王国軍」の侵入の背景には,サバの領有権を主張する旧スールー王国のスルタンの指示があったとされている。「スールー王国軍」が侵入したのはラハダトゥ郡で,タンドゥオ村を占拠して立てこもった。マレーシア側は治安部隊を派遣して村を取り囲み,投降を呼び掛けていたが,3月1日に銃撃戦があってマレーシアの治安部隊から2人の犠牲者が出たことで状況が一変した。新聞やテレビは死亡した治安部隊の隊員を英雄として扱うとともに,「スールー王国軍」をテロリストとして敵意を煽る報道があふれ,国民の間からは犠牲となった治安部隊員の残された家族に同情が寄せられ,多額の寄付金が集まった。政府は「スールー王国軍」に断固とした措置をとることを約束した。空爆も含む陸・海・空の3軍による大規模な軍事作戦(Operasi Daulat)が展開され,「スールー王国軍」を壊滅させたのである。

今回,マレーシア政府が「軍」を自称するとはいえ,200人余りの武装集団に空爆を含む非常に大規模な軍事作戦を展開した背景には,総選挙でのBNの支持獲得に向けたアピールの側面があったことは否定できない。とくに,サバ州では1980年代から始まった不正な手続きを通じた外国人移民の身分証明書発行の問題や国境地帯の警備の問題などで有効な対策をとってこなかった連邦政府に対する住民の不満が高まっていた。総選挙が目前に迫るなかで起こった「スールー王国軍」侵入を発端とした大規模軍事作戦によって,BNはサバ州を中心に支持固めを行うことに成功したともいわれている。

中国との関係

2013年は中国との関係で大きな進展があった。2月にはパハン州クアンタンで中国とマレーシアの二国間共同プロジェクトであるクアンタン工業団地の操業が始まった。このプロジェクトでは中国から105億リンギの投資が約束され,8500人の雇用が見込まれており,完全操業は2015年になる予定である。クアンタン工業団地は中国とマレーシアの共同プロジェクトとして2012年4月に先行して始まった広西壮族自治区の欽州工業団地の姉妹プロジェクトである。

10月には習近平国家主席が来訪してナジブ首相と会談し,両国関係を軍事協力を含む「包括的戦略パートナーシップ」(Comprehensive Strategic Partnership)に格上げすることで合意した。マレーシアにとって中国は最大の貿易相手国となっており,中国にとってもマレーシアはアジアでは日本,韓国に次ぐ貿易相手国となっている。こうした両国間の良好な貿易関係を受けて,両首脳は,二国間の貿易額を2017年までに1600億ドルへと拡大することで合意した。

二国間の関係の深化は教育面でも進んでいる。厦門大学が中国の大学としては初めて海外キャンパスを開設することとなり,その場所にはクアラルンプール国際空港に程近いセパン郡のサラッティンギが選ばれている。

ナジブ政権下で中国との関係は投資,貿易や教育の分野を中心に従来以上に深化しており,中国の存在感はますます大きくなっている。その一方で,マレーシアと中国との間にはサラワク州沖約80キロの距離にあり,マレーシアの排他的経済水域(EEZ)内にあるジェームズ礁(James Shoal,中国語名は曽母暗沙)の領有権をめぐる対立が浮上している。3月には中国艦船がジェームズ礁周辺に侵入し,マレーシア政府は中国政府に抗議した。10月には,ジェームズ礁に近いサバ州ビントゥルに海軍基地を建設する計画が発表されているが,これは中国への対抗策とみられている。他方で,10月にはマレーシア・中国首脳会談での成果を受けて,2014年に中国とマレーシアで共同軍事演習を実施することも発表されており,外交・防衛問題に関し,マレーシア政府による中国へのアプローチは現在のところ硬軟織り交ぜたものとなっている。

日本との関係

日本との関係では首脳会談を通じて関係の深まりがみられた。2013年にはナジブ首相と安倍首相の会談が7月と12月の2度行われている。会談では,マレーシア側から東方政策(Look East Policy)の「第2波」に向けての取り組みが説明され,日本側からは,インフラ,高速鉄道,上下水道などの整備や先端医療での協力が約束された。首脳会談で安倍首相は,シンガポール=クアラルンプール間で建設が予定されている高速鉄道計画での新幹線の採用をマレーシアに売り込むことにとくに熱心だったといわれている。

シンガポール=クアラルンプール間の高速鉄道計画は2月に行われたナジブ首相とシンガポールのリー・シェンロン首相との会談で決定された。総工費は400億リンギの予定で2020年までに完成し,90分で両都市間を結ぶ計画である。この高速鉄道計画は2014年後半から国際入札が開始される見通しで,日本以外にも中国やフランス,ドイツなども関心を示しているといわれている。

このほか,日本政府はASEAN友好協力40周年を記念して,マレーシアからの観光客に対するビザの発給要件緩和を7月1日から開始しており,今後,マレーシア人の訪日が増加していくことが予想される。

2014年の課題

政権交代の可能性も語られていた総選挙だが,結果は議席数ではほぼ現状維持であった。ただし,得票率での与野党逆転や,都市と村落部の「1票の格差」問題,BNに対する華人支持の継続的低下など,長期与党体制を続けてきたBNの統治の限界が今回の選挙でいっそう明らかになったといえる。今後はBNにとっては構成政党の再編も含めた体制の立て直しが重要な課題となる。

ナジブ首相は,NEMやGTPを通じた経済・行政改革政策や,抑圧的法の廃止・改正による政治的自由化政策を発表することで,改革者としてのイメージを定着させ,自らの求心力を高めようとしてきた。しかし,総選挙後には,ブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダでNEMの基本理念とは異なる民族ベースの支援策を打ち出し,犯罪防止法と刑法の改正や週刊紙『ザ・ヒート』停刊措置によって政治的自由化の方針から外れる政策をとるなど,改革の後退と受け取られかねない政権の姿勢が散見されるようになっている。今後の改革の行方を左右する重要な要素のひとつは,ナジブ首相が総裁を務めるUMNOの動向であり,党内のマレー人優先を重視するグループにナジブ首相がどこまで妥協するかで改革の成否は決まっていくだろう。ただし,総選挙後の一連の補助金削減や公共料金値上げによってナジブ首相に対する国民の支持は低下しており,首相を取り巻く環境はますます厳しくなっているといわざるをえない。

2014年の経済は,2013年に実施された一連の補助金削減や公共料金値上げによって消費者物価の上昇が見込まれ,国内消費や投資はやや減速する一方,輸出の回復が全体の経済を補うとみられている。こうした状況下では,増大する家計債務や不動産価格の上昇を抑えつつも,国内需要をいかに維持していくのかが重要な課題となるだろう。

(京都大学東南アジア研究所機関研究員)

重要日誌 マレーシア 2013年
  1月
1日 最低賃金令が施行される(従業員5人以下の企業は7月1日より施行)。最低賃金は半島部で月900リンギ,東マレーシアでは月800リンギに。
1日 オーストラリアとの自由貿易協定発効。
12日 野党とNGO,共同でムルデカ・スタジアムに向けてデモ行進(People’s Uprising Rally)を行う。10万人近くが参加。
14日 2012年に発足したサバの不法移民に関する王立調査委員会,移民への非正規手続きでの身分証明書供与についての調査(Project IC)で公聴会を開始。
15日 最低賃金制度導入に反対する使用者団体の抗議デモが発生。
17日 サラワク国民党(Sarawak National Party:SNAP)の結社登録抹消。
22日 ナジブ首相,汎マレーシア・イスラーム党(PAS)が州政権を握るクランタン州での国民戦線(BN)の州政府版マニフェストを発表。
  2月
5日 ナジブ首相臨席の下,マレーシアと中国の共同プロジェクトであるクアンタン工業団地がパハン州クアンタンで起工式実施。
6日 スレンバンで最低賃金令施行に関して不満を持つ外国人労働者のデモが発生。翌7日にはムアルでも外国人労働者のデモ。
6日 前年度から続く低所得者向け一時給付金(BR1M2.0)の2013年度の配布が開始。
12日 サバ州ラハダトゥ郡にフィリピンから「スールー王国軍」を名乗る武装勢力が侵入。
12日 ナジブ首相,ペナンのモノレール建設計画を進めることにあらためて言及。
16日 オーストラリアの上院議員がLCCTターミナルで入国を拒否される。
17日 被雇用者積立基金(Employee Provident Found:EPF)が2012年度の配当率を2011年より0.15%高い6.15%と発表。
19日 ナジブ首相,シンガポールでリー・シェンロン首相と会談,両国を結ぶ高速鉄道建設に同意。
19日 国際貿易産業省,翌20日付で台湾,中国,インドネシア,韓国からの輸入鋼線に反ダンピング税を課税すると発表。
23日 ナジブ首相,サラワク州のBN指導者と会談。
25日 PR,選挙マニフェストを発表。
28日 ナジブ首相,タイのインラック首相と会談。タイ南部の紛争沈静化のためにマレーシアが仲介役を務めることを表明。
  3月
1日 サバ州のラハダトゥ郡で「スールー王国軍」とマレーシア治安当局との銃撃戦が始まる。
5日 国軍と警察共同で「スールー王国軍」の大規模な殲滅作戦(Operasi Daulat)開始。翌日からは残党の掃討戦に移行。
11日 ナジブ首相,警察官と国軍兵士23万人を対象とした賃上げを発表。
12日 アラブ首長国連邦(アブダビ)のシェイク・モハメド王子,来訪。ナジブ首相と会談,石油備蓄基地と国際金融地区の二国間共同開発が決定。
18日 サバ州首相タイブ・マフムドのファミリー企業による木材汚職疑惑に関して,隠し撮りを含むビデオが国際NGOによってYou Tube上にアップロードされる。
19日 ナジブ首相,経済変革プログラム(ETP)と政府変革プログラム(GTP)の成果について年次報告書を発表。
19日 政府は外国人に対する最低賃金制度の適用を年末まで延期することを発表。
20日 バンク・ヌガラ,新たな外為規制の緩和措置を発表。
26日 ランカウイ国際海空軍展示会開催(~30日)。
26日 マレーシアが領有権を主張するジェームズ礁周辺に中国の艦船4隻が侵入。マレーシア政府は中国政府に抗議。
27日 政府,第10次マレーシア計画で定めた貧困削減目標を2015年の達成予定年よりも前倒しで達成したと発表。
28日 ヌグリスンビラン州の州議会が5年の任期を終えて解散される。任期満了による議会解散は史上初。
  4月
3日 ナジブ首相,連邦下院解散を発表。
6日 BNがマニフェストを発表。
6日 全国銀行被雇用者組合(National Union of Bank Employees:NUBE)がメイバンクとCIMBの本社前でピケを実施。
17日 結社登録官が民主行動党(DAP)に対し,総選挙でのDAPの政党ロゴマーク使用を禁じることを通告。しかし,19日には一転,DAPのロゴマーク使用を許可。
20日 第13回総選挙公示。
23日 選挙期間中にペナン州のニボン・トゥバルのBN事務所で爆発事件。1人がけが。
28日 ブルネイで第22回ASEANサミットが開催。総選挙期間中のため,マレーシアからは首相の代理で上院議長が出席。
  5月
5日 総選挙投票日。
6日 ナジブ首相が王宮で首相に再任。
8日 野党が主導する,選挙不正に抗議するデモがクラナジャヤ競技場で開催(Black 505デモ)。この日のデモの後にも国内各地で選挙不正に抗議するデモが相次ぐ。
15日 ナジブ首相,新閣僚人事を発表。
22日 警察が増加する犯罪に対して,新たな犯罪防止機関を設立することを発表。
23日 野党幹部2人と活動家1人が扇動法違反の容疑で逮捕される。
27日 野党幹部6人が平和的集会法違反の容疑で逮捕される。
  6月
13日 政府,外国人投資家を対象に数次ビザの発給を行うことを発表。
18日 政府,累積債務削減に向けて財政政策委員会と財政政策事務局の設置を発表。
22日 野党が主導するデモ隊がクアラルンプールのムルボック広場に向けて行進を行う。このデモで一連のBlack 505デモは終結。
23日 政府,深刻なヘイズ(煙害)の被害が出ているジョホール州のムアルとレダンを対象に非常事態を宣言。
30日 金融サービス法とイスラーム金融サービス法が施行。
  7月
1日 最低定年法が施行される。民間企業の定年が従来の55歳から60歳に引き上げ。
1日 日本政府によるマレーシアからの観光客に対するビザの発効要件緩和が適用開始。
5日 バンク・ヌガラ,家計債務抑制のため個人ローンの借入期間の制限など新たな規制を発表。
5日 片親の同意があれば子供本人の同意なしに,18歳未満の子供をイスラーム教に改宗させることができる規定を盛り込んだ,イスラーム法行政(連邦領)法の改正案が議会に提出されていたものの,BN内の非マレー系政党などの反対を受けて閣議で改正法案を廃案にすることが決定される。
12日 トレンガヌ州議会クアラブスット選挙区補選公示。統一マレー国民組織(UMNO)とPASの戦いに。
15日 コタキナバルで環太平洋経済連携協定(TPP)第18回拡大交渉会合開催(~25日)。
15日 PR,第13回総選挙で不正が行われたとしてクアラルンプール高等裁判所に選挙のやり直しを求める訴訟を起こす。
15日 SPスティアとリンブナン・ヒジャウ,中国の欽州工業団地を共同で開発するための合弁企業の設立を発表。
24日 トレンガヌ州議会クアラブスット選挙区補選でUMNOが勝利。
25日 安倍首相来訪,ナジブ首相と会談。
29日 フランスのエロー首相来訪,ナジブ首相と会談。
31日 政府,グレード1~54の公務員に500リンギ,66万人の政府年金受給者に250リンギの特別ボーナス支給。
  8月
1日 TPP交渉に関して一般国民からの意見を募集するオープン・デイが開催される。
1日 マレーシアのイスラーム金融の新たなブランドとして「Malaysia:World’s Islamic Finance Marketplace」が始動。
17日 警察が増加する犯罪を抑制するために犯罪者集団などに対する特別取り締まり活動(Ops Cantas Khas)を開始。
23日 一部でナジブ首相の関与も噂されてきた2006年10月に起こったモンゴル人女性殺害事件の実行犯とされる2人の元警察官に対して,控訴裁判所で逆転無罪判決。
26日 南アフリカのズマ大統領来訪,ナジブ首相と会談。
29日 1969年の「5月13日事件」を描いた映画「Tanda Putera」の公開が始まる。
  9月
1日 政府の各部局や自警団組織(Rela)が協力して不法滞在者に対する全国一斉取り締まり活動を開始。
3日 RON95型ガソリン価格と軽油の補助金削減が実施され,1リットル当たり20セン値上げに。
6日 政府,2013年から2025年までの長期教育政策の指針となる教育青書を発表。
10日 アジア鉄道ビジネス2013年会議にてナジブ首相,2020年までの鉄道開発プロジェクトに1600億リンギを追加投資する予定であると発表。
12日 サバの不法移民に関する王立調査委員会,マハティール元首相を喚問して移民への身分証明書供与に関して聞き取り実施。
16日 マラヤ共産党書記長のチンペン(陳平),タイのバンコクで客死。
18日 選挙制度改革運動のブルシ,第13回総選挙での選挙不正に対する模擬裁判(People’s Tribunal)を開始(~22日)。
27日 政府,14%のタバコ税引き上げを発表。
29日 DAP中央執行委員会委員の(再)選挙が実施される。
  10月
1日 連邦下院議会にて,2012年度の会計検査院報告の第1弾(連邦政府)と第2弾(連邦政府関連機関)が発表。
2日 犯罪防止法改正案が連邦下院で可決。
3日 中国の習近平国家主席来訪。翌4日にナジブ首相と会談。
6日 自由民主党(Liberal Democratic Party:LDP),リーダーシップの問題のため臨時党大会を開催して協議。
10日 ヒシャムディン国防大臣,サラワク州ビントゥルに海軍基地を建設すると発表。
12日 UMNO党役員選挙(青年部長,婦人部長)実施。
14日 控訴裁判所,内務省の訴えを認め,カトリック週刊紙『ザ・ヘラルド』による「アッラー」の言葉の使用を禁ずる判決。
19日 UMNO党役員選挙(副総裁補,最高評議会評議委員)実施。
20日 マレーシア華人協会(MCA)臨時党大会開催。リョウ副総裁への問責決議は可決されず。
21日 政府,2011年の決定に基づき,東マレーシアでのキリスト教徒による「アッラー」の言葉の使用を認めることを再確認。
22日 203A条の挿入を含む刑法改正案が連邦下院を通過。
23日 労働者団体の被抑圧者ネットワーク(Jaringan Rakyat Tertindas:JERIT),物品・サービス税(GST)導入に反対する集会を全国数カ所で開催。
23日 9月に死去した前クダ州首相が選出されていたスンガイリマウ選挙区での補選が公示。UMNOとPASとの戦い。
24日 PR,2014年予算案の対案を発表。
24日 会計検査院,1日の報告書に基づいて8つの省庁と政府関連機関に調査を行うことを表明。
24日 2000部の『ザ・ヘラルド』(The Herald)がサバのコタキナバル空港で一時差し押さえ。27日に差し押さえが解除。
25日 2014年度予算案発表。
26日 政府の砂糖への補助金が撤廃。
26日 グラカンの党役員選挙で新総裁にマー・シュウコン(Mah Siew Keong)が選出される。
26日 2002年からのマイ・セカンド・ホーム・プログラムの参加者が2万2320人に達したことを観光大臣が発表。日本からの参加者は2880人で4187人の中国に次ぐ。
29日 ヒシャムディン国防大臣,北京で常万全国防大臣と会談,来年の共同軍事演習実施で合意。
30日 各州スルタンらが参加して統治者会議が開催。
  11月
1日 スランゴール,ペラ,ペナンの3州で漁網のサイズの規制に反対する漁師がストライキを開始。
4日 クダ州のスンガイリマウ選挙区州議会補選でPASが勝利。
13日 連邦下院でクアラルンプール市の不動産税の改定に反対が相次ぐ。
15日 個人情報の商業目的での悪用を防ぐ目的の個人情報保護法が施行される。
15日 サバ州センポルナ郡ポムポム島のリゾートでフィリピンから侵入してきた武装集団によって台湾人1人が射殺,1人が拉致される。
18日 バンク・ヌガラと中国人民銀行,相手国の金融機関に自国での流動性提供で便宜を図る協定を交わす。
22日 PAS年次党大会が開催され,党役員選挙が行われる。24日まで。
23日 ジョホール州が2014年1月から休日を金曜日と土曜日に変更することを発表。
25日 国家調和諮問評議会(National Unity Consultative Council:NUCC)発足。6カ月以内に多民族間の調和に向けた報告書を提出する予定。
26日 シンガポールが行っていたとされる盗聴行為の疑惑に対し,外務省がシンガポールの高等弁務官を呼び出して懸念を伝える。
30日 マレーシア・インド人会議(MIC)の党役員選挙。総裁と副総裁は無投票当選。
  12月
2日 政府,電力の15%値上げを2014年1月1日より実施すると正式発表。
5日 UMNO年次党大会開幕(~7日まで)。
12日 ASEAN首脳会議で訪日中のナジブ首相,安倍首相と会談。
19日 週刊紙『ザ・ヒート』(The Heat)が内務省の命令で停刊に。
19日 クアラルンプール市の不動産税改定問題で住民の反対運動を受け,税率が下げられる。
19日 ナジブ首相,インドネシア訪問,ユドヨノ大統領と会談。会談ではインドネシア人家政婦の問題を中心に話し合い。
19日 21日MCA年次党大会開催。役員選挙実施。
26日 EPF,55歳で受け取る積立基金額の基準を上げて19万6800リンギとすることを発表。

参考資料 マレーシア 2013年
①  国家機構図(2013年12月末現在)
②  ナジブ内閣名簿(2013年12月末現在)
②  ナジブ内閣名簿(2013年12月末現在)(続き)
③  州首相名簿
②,③の注

主要統計 マレーシア 2013年
1  基礎統計
2  支出別国民総所得(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2005年価格)
4  国・地域別貿易
5  連邦政府財政
6  国際収支
 
© 2014 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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