2014 年 2014 巻 p. 459-482
就任3年目,任期の折り返し点を迎えたテインセイン大統領は,着実に改革を推し進めつつ,根深い問題の解決に取り組んだ。しかしながら,2年後に迫った2015年の総選挙が強く意識され,本来,長期的な見通しをもって取り組んでいくべき問題について,目に見える成果を早く挙げようとする焦りもみられた。その背景には,諸政治勢力間の調整に手間取り,必ずしも政府の期待どおりに事態が進展しない状況があった。
国内政治では,政府による民主化政策の推進で,政治的自由がいっそう拡大した。そうしたなかで憲法改正をめぐる論議が盛り上がり,政府・与党側からも憲法見直し合同委員会の設置など改憲に向けた具体的な動きがみられるようになった。少数民族問題については,政府と国軍と少数民族諸勢力のそれぞれの思惑のずれを伴いつつも,全国的停戦の実現に向けて一定の成果が得られた。
他方で,政治的な自由は大衆の声を大きくし,さまざまな社会問題を顕在化させもした。土地や労働に関する問題については,農民や労働者の権利を保護する方向で一定の成果をみた。大統領や与党が2015年の選挙も見据えながら,問題解決に向けた新たな法的枠組みを形成しつつある。しかしながら,反イスラーム言説が公然と流布されるなか,国内の多数派仏教徒の不満が宗教的少数派のイスラーム教徒に対して暴力的に吐き出される状況が生まれている。ヤカイン(ラカイン)州でのロヒンギャとヤカイン仏教徒との対立が全国に波及し,各地で暴動が相次いだが,政府の対応はおおむね対症療法的なものに限られていた。
対外的には,テインセイン大統領の積極的な首脳外交が目立った。アメリカやヨーロッパ諸国からさらなる制裁緩和を引き出すとともに,中国との関係改善にも注力し,多角的な経済関係の構築を目指した。また日本の後押しを得て,延滞債務問題を解決し,新たなる援助獲得に道を開いた。こうした国際的環境のなかで,国内では外国投資法施行細則の発表や金融部門の改革など経済環境の整備も進められ,経済特区建設や携帯電話通信事業,国際空港の拡充といった大型プロジェクトが本格的に動きはじめた。
前年に引き続き,政府によって矢継ぎ早に民主化政策がとられた。まず,これまで数多くの「良心の囚人」を生み出してきた抑圧的法律が取り除かれつつある。1月15日には,反政府演説などを取り締まる法律(国家法秩序回復評議会1996年法律第5号)が,同月28日には,5人以上の集会禁止などに用いられた命令(国家法秩序回復評議会1988年命令第2号)がそれぞれ廃止された。
言論の自由も拡充されている。1964年から事前検閲によってメディアを規制してきた情報省下の報道検閲登録局は,2012年8月より機能を停止していたが,2013年1月24日の閣議で正式に廃止が決定された。こうした流れを受けて,国営紙に限られていた日刊紙に民間企業が参入する道が開かれた。政府は3月末までに16社に発行許可を出し,4月1日に半世紀ぶりに民間日刊紙が復活した(初日に店頭に並んだのは4紙のみ)。
また,政治犯の釈放も推し進められた。大統領指示に従って2月19日に残存政治犯調査委員会が組織された。ソーテイン大統領府相を長とする同委員会は,以後12回の会合を開き,順次,政治犯に恩赦が与えられた。結果として,12月30日までに計354人が釈放された。12月30日には,服役囚の釈放に加えて,既決および起訴中のすべての政治犯罪を赦免する旨の大統領令第51号も発出された。7月のヨーロッパ外遊中,テインセイン大統領は年末までにすべての政治犯を釈放すると明言していた。恩赦の連発と年末の大統領令はその約束履行を内外に印象づけるものとなった。
憲法改正をめぐる議論政治的自由の拡大がいっそう進むなかで,根本的な国の在り方をめぐって,諸勢力間での憲法改正論議が活発化した。国内には,改革の主導者たるテインセイン大統領の現政権のほか,主に4つの政治勢力が存在している。7月に連邦議会議長に就任したシュエマン党首を筆頭に立法府をおさえる与党・連邦団結発展党(USDP),国内外の注目を集める民主化の旗手アウンサンスーチー氏(以下,スーチー氏)が率いる最大野党の国民民主連盟(NLD),民族自治と連邦制を求める少数民族諸組織,そして,現憲法によって行政府と立法府に一定の影響力が確保されている国軍がある。
以前からNLDは憲法改正を公約に掲げて活動してきたが,2013年には与党・政権側からも改憲に向けた動きがみられた。7月25日,連邦議会は憲法見直し合同委員会を設置した。委員長は連邦議会副議長が務め,委員会を構成する109人の議員は与党USDPから52人,軍人議員枠から25人,NLDから7人,その他の少数民族政党などの16政党から若干名ずつが選ばれた。同委員会が10月から憲法改正に関する提言を公募したところ,12月末までに2万8000通の意見書が寄せられ,提起された改正点の数は延べ32万点に上ったという。
この間の憲法改正論議では,正副大統領の資格要件を定めた第59条,連邦議会の440議席のうち330議席以下を民選議員に110議席以下を国軍最高司令官の任命による軍人議員に割り当てる第109条,憲法改正手続きを開始するには全議員数の75%より多い賛成が必要と定めた第436条,前軍事政権下の役人が職務中にとったいかなる行為も起訴を免れると定めた第445条などが争点となった。とくに第59条(f)項は,両親,配偶者,子どもに外国籍保有者がいる者は正副大統領に就けないとの規定であり,これがスーチー氏の大統領就任を妨げるため,NLDから強い改正要求が出されていた。2013年末から2014年初にかけて,シュエマン連邦議会議長率いる与党USDPやテインセイン大統領がこの第59条の修正に前向きな姿勢をみせたとの報道が相次いでなされ,改憲への社会的期待が膨らんだ。
ところが,2014年1月31日に憲法見直し委員会が連邦議会に提出した予備報告には,大統領資格条項のみならず重要な修正点はほとんど盛り込まれておらず,逆に,約10万人がこれらの条項の修正を望んでいないとの記載がなされていたという。現体制で優越的位置を占めるUSDPと国軍が改革に対して示した消極的反応とみられる。
少数民族武装組織との全国的停戦に向けた交渉テインセイン大統領は2011年3月の就任以来,前政権末期に関係が悪化した少数民族武装組織との停戦・和平交渉に注力してきた。2012年5月には大統領自らを長とするハイレベルの連邦平和構築中央委員会と,実務担当の連邦平和構築作業委員会を組織し,アウンミン鉄道相(のち大統領府相)を交渉責任者に据えて体制を整えた。その成果として,長年戦闘を続けてきたカレン民族同盟(KNU)との停戦をはじめ,同年末までに主要17組織のうち13組織との間で停戦合意が実現した。他方,北東部の中国国境付近では,カチン独立機構(KIO)の戦闘部隊と国軍の戦闘が激化し,2012年末から2013年初にかけて,KIOの本拠地ライザを国軍が空爆するという事態に至った。大統領による再三の停戦命令にもかかわらず,戦闘は継続し,軍に対する大統領の統制力の弱さが露呈されることとなった。
2013年には,政府と残る4組織との個別交渉が難航した。KIOとは2月以降,断続的に戦闘が生じるなか,中国や国連の仲介も得ながら複数回にわたり協議が開かれた。しかし,停戦協定の締結には至っていない。結局,8月の全ビルマ学生民主戦線(ABSDF,1988年の民主化運動に参加した学生が運動弾圧後にタイ国境地帯で結成した組織。ビルマ人元学生が中心だが,KIOなど他の少数民族組織と共闘関係にあった)との協定が,年内に新たに結ばれた唯一の停戦協定となった。
各組織との一対一の交渉を進める一方で,政府は少数民族組織の連合体との協議や諸組織の代表が一堂に会する会議の開催を通じて,全国的停戦協定の実現にも取り組んだ。2月20日には,KIOやKNUなど11組織の加盟する統一民族連邦評議会(UNFC)とアウンミン大統領府相率いる連邦平和構築作業委員会がタイのチェンマイで初めての協議を行った。9月の2度目の協議では,政治対話のロードマップや全国的停戦協定について話し合われたが,協定の締結には至らなかった。しかし,10月初旬のKIOとの個別交渉において政府側は,KIOが全少数民族組織を集める会議を主催することを認め,ともに全国的停戦協定の実現に取り組んでいくことについてKIOの合意を取り付けた。その結果,同月末にライザで少数民族諸組織代表の会議が開かれ,政府との交渉窓口となる全国停戦調整代表団が組織された。直後の11月4日,ミッチーナーでその代表団と政府側との初協議が行われた。即座には協定が結ばれなかったものの,このように全国停戦実現に向けた包括的な交渉の場が設定されたことは一定の成果と評価できよう。
テインセイン大統領はこの少数民族問題について,7月のヨーロッパ訪問中に,全国停戦が間近だと公言していた。しかし,事態はその言葉どおりには展開しなかった。交渉は遅れ,11月のミッチーナー協議で2回目の協議を翌月中にパアンで開催することが合意されたにもかかわらず,結局年内に開催することはできなかった。政府と少数民族諸組織は全国停戦の必要性を認識する点では一致していながら,政治対話の枠組みや各組織の戦闘部隊の位置づけに関する見解には相違があり,それが少数民族側に協定締結を踏みとどまらせているようだ。この間,地方分権的な指揮命令系統を持つ連邦軍の創設という少数民族組織側の要求に対して,ミンアウンフライン国軍最高司令官が否定的な見解を示したとの報道がなされた。また,前述の憲法見直し委員会の2014年1月31日の予備報告では,ほぼ唯一の改正点として地方政府の権限強化が提案され,少数民族に対する一定の配慮が示されはしたものの,軍隊の改組については言及がなかったという。
宗教問題の深刻化2012年6月以来,バングラデシュ国境に近いヤカイン州北西部では仏教徒ヤカイン人とイスラーム教徒のロヒンギャの対立が顕在化し,繰り返し暴動が発生している。同地での国内避難民の数は2012年11月時点で10万人を超えるとみられた。こうした地方的問題を発端として,2013年には宗教問題が全国に広がり,事態は深刻さの度合いを増している。多数派仏教徒によるイスラーム教徒への排撃という形をとる暴動が各地で続発した。3月下旬にはマンダレー地域メイッティーラーとバゴー地域の諸地区,4月末にはヤンゴン地域オウッカン,5月末にはシャン州ラーショー,8月下旬にはザガイン地域カンバルー,9月末にはヤカイン州東部タンドゥエーなどで,比較的大規模な暴動が発生した。
問題拡大の背景には,国内でイスラーム教徒が勢力を拡大しているとする言説が,仏教徒たちの危機感を煽っている状況がある。言論の自由が広がるなかで,一部の仏教僧は説法会などを通じてイスラーム教徒に対する批判を繰り返すようになっており,これが広範な支持を獲得しつつある。具体的には,イスラーム教徒の商店に対するボイコットを呼び掛けたり,一夫多妻婚のためにイスラーム教徒の人口が急増していると主張して,自らの宗教と民族性を守るために仏教徒女性の異教徒間婚や改宗を法律で規制する必要を説いたりしている。この反イスラーム運動は,仏教の三宝(仏法僧)をそれぞれ示す3つの数字を連ねた969を象徴的に用いるため,969運動とも呼ばれる。
欧米メディアでは,こうした言説の流布が一連の宗教暴動の発生を促したと報道され,969運動への批判が国際的に高まった。そうしたなか,6月下旬に発売されたアメリカの『タイム』誌の表紙に,969運動の主唱者ウィラトゥ師の写真が「仏教徒テロの顔」という見出しとともに掲載されたことが波紋を呼んだ。国内では僧に対する侮辱だとして反発と抗議の声が上がり,政府は同月25日に問題の『タイム』誌に発禁処分を下した。ミャンマー世論には,国際社会がロヒンギャなどイスラーム教徒に過度に同情的だとする批判が根強くみられる。8月には,暴動後のメイッティーラーを視察に訪れた国連のキンタナ人権状況特別報告者が,現地の抗議者に包囲・妨害され,視察を中断するという事件が起こった。
ヤカイン州の問題については,2012年8月に大統領命令に従って組織された抗争調査委員会が,2013年4月に報告書を提出した。その報告書は政府の公式見解を反映して,ロヒンギャを不法移民の「ベンガリ」(ベンガル人)とし,イスラーム教徒の人口増加への懸念を示すものだった。調査委員会の提言を受けて,ヤカイン州政府は5月下旬,ロヒンギャを対象に子どもの数を2人までとする出生制限を課した。この措置は人種差別・人権侵害として国際社会からの批判を招いた。テインセイン大統領はロヒンギャへの市民権付与には消極的でありつつも,別方向から問題解決に取り組む姿勢をアピールしている。大統領の欧州訪問中に大統領府は,ヤカイン州の人権侵害に関わってきたとされる国境管理組織(ミャンマー語名称の頭文字をとってナサカという)を7月12日に解散したことを発表した。また,10月初めには,大統領自らが閣僚と軍高官からなる大規模訪問団を引き連れてヤカイン州を視察した。直前に暴動の発生したタンドゥエーなど訪問した先々で現地住民代表者と会見し,暴力行為の抑制を訴えた。
宗教問題は海外へも飛び火した。イスラーム教徒が多数を占める国々ではミャンマー政府に反対するデモが組織された。より過激な暴力沙汰も近隣国で発生している。4月には,インドネシア・スマトラ島の難民収容所で大多数のロヒンギャ難民が少数のミャンマー人仏教徒難民を襲撃して8人が死亡した。同国では仏教施設の爆破やミャンマー大使館を対象としたテロ計画の摘発もあった。また,40万人のミャンマー人出稼ぎ労働者を抱えるマレーシアでは,5月末から仏教徒を狙った襲撃事件が続発し,両国政府間で労働者の帰国措置が講じられた。他方で,11月中旬には,これまでミャンマー政府によって関与を拒否されていたイスラーム協力機構(OIC)代表団の来訪が実現し,政府首脳との会談,ヤカイン州視察が行われるなど,問題解決へ向けた外交的努力もみられた。
2013年1月から12月の対ミャンマー直接投資総額(認可ベース)は約27億ドルとなり,前年同期の約10億ドルから大幅に増加した。
そうしたなか,さらなる外資呼び込みのためのルール作りが進んでいる。1月31日,ミャンマー投資委員会は,2012年に改正された外国投資法の施行細則を発表した(通達第1号)。そこでは以下のように外国投資の禁止・制限分野が示された。第1に,防衛関連の事業,環境破壊につながる事業,宝石の採掘,電力の商業取引などの21分野では,外国企業の参入が禁止される。第2に,加工食品製造,ビル建設,空運などの42分野では,外国企業はミャンマー企業との合弁のみによって認可される。第3に,13の省が所管する115分野では,事業の認可にあたって,関係各省の意見書や連邦政府の承認が必要とされる。第4に,畜産業や小売業など27分野では,特定の条件の下で外資の参入が許可される。第5に,採鉱や大規模な建設事業などの34分野では環境アセスメントが必要となる。このように詳細なリストが提示されたことにより,制限付きとはいえ多様な分野への外資の参入が可能になることが明らかとなった。とりわけ,第4の範疇に含まれる小売業は,従来,外資参入が認められていなかったが,今後は立地や規模に関する条件を満たせば,外国企業の進出も認められる可能性が出てきた。
貿易については,従来,非関税障壁のひとつとなっていた輸出入ライセンスが,商務省通達により3月1日から一部廃止された。しかし,必ずしも通達の内容が末端まで浸透しておらず,現場では少なからず混乱が生じているという。
大型事業案件の始動外資の受け皿として,ティラワ,ダウェー,チャウッピューに経済特区を建設する計画が進められている。ティラワ経済特区開発には日本が深く関与し,5月の安倍晋三首相来訪時に共同事業体設立についての覚書が締結された。10月末に日本の商社連合(三菱商事,丸紅,住友商事)が49%,ミャンマー政府および民間企業が51%を出資する形で共同事業体が設立され,2015年の先行開発地区開業を目指して造成が始まった。ダウェー経済特区の開発は,タイの大手建設会社のイタリアン・タイ(Italian-Thai Development)が受注していたが,資金難のため工事が停滞していた。ミャンマーとタイの両国政府は11月21日の協議で,同社に開発権を与える契約を2014年5月に破棄することを決定した。両国政府は今後の開発への日本の参入を期待しており,9月には3カ国協議も開催されていた。他方で,2014年内着工予定のチャウッピュー経済特区は,中国のシティック・グループ・コーポレーション(CITIC Group Corporation,中国中信集団有限公司)が中心となって開発される可能性が高いが,まだ公式には開発主体が選定されていない。なお,2009年より建設されていたチャウッピューと中国雲南省をつなぐ石油と天然ガスのパイプラインは,7月末に天然ガス用のものが稼働を開始し,石油パイプラインも完成間近とみられる。2014年1月24日には,これら3特区に関わる新たな経済特区法が制定された。
また,携帯電話通信事業や空港の改修・建設事業といった大型事業の入札が相次いだ。現状におけるミャンマーの携帯電話普及率は10%未満だが,政府は2016年までに80%まで上げることを目指している。今後15年間の通信事業免許を争う入札には11の国際企業連合が参加し,6月末にカタールのウリードゥ(Ooredoo)とノルウェーのテレノール(Telenor)が落札した。両社には事業開始から5年以内に国土の75%を覆う通信網を構築することが求められている。10月8日に通信法が成立し,2014年より事業が開始される見込みだ。これら外国企業に加えて,従来通信事業を担ってきた国営企業のミャンマー郵電公社(Myanmar Post and Telecommunication)とヤダナボン・テレポート(Yadanapon Teleport)も民営化される予定で,海外企業との提携が模索されている。
今後のミャンマー来訪者の急増を見越し,ヤンゴン,マンダレー両国際空港の改修・運営とヤンゴン郊外のハンターワディ新空港建設・運営の認可をめぐって入札が行われた。入札結果は8月10日に発表され,ヤンゴン空港の事業権は国内大手アジア・ワールド(Asia World)の系列会社と中国,シンガポール,マレーシアの企業からなる企業連合が,マンダレー空港の事業権は日本の三菱商事,JALUXと国内企業の企業連合が,ハンターワディ新空港の事業権は仁川国際空港公社などの韓国企業連合が落札した。しかし,ハンターワディ空港建設事業については,当局と落札企業との交渉が行き詰まり,2014年2月には入札時次点であったシンガポールのヨンナム・ホールディングス(Yongnam Holdings)とチャンギ空港,日本の日揮らの企業連合との交渉が開始された。なお,ホテル・観光省によれば,2013年のヤンゴン国際空港を利用した外国人入国者数は81万人強で,前年比46%増だった。
金融部門の改革金融部門の改革も進んでいる。7月11日には,ミャンマー中央銀行法が成立し,財務省(財政歳入省より改名)から切り離されて中央銀行の独立性が高まった。今後は,財政赤字を補填するための紙幣増刷には歯止めがかかると予想される。ただし,外資が大量に流入するなかで,中央銀行の金融政策に効果を持たせて,物価を安定させるためには,発達した金融市場が必要となる。現状のミャンマーはこの前提を欠いている。
金融市場・資本市場を生み出そうとする取り組みも継続された。7月末には証券取引法が成立した。ミャンマー政府は2015年に証券取引所を開設する目標を掲げており,2012年5月に中央銀行は東京証券取引所および大和総研とこの分野の支援に関する覚書を調印していた。なお,大和証券は中央銀行へのコンピュータ環境導入支援も行っており,こうした金融業界のIT化に対しては日本政府からの無償資金協力も取り付けられた。
8月初めには,インターバンクマーケットが開設され,銀行間の外貨取引が可能となった。ただし,現在のところ外国銀行の支店開設は認められておらず,また,国内銀行はリスクを恐れて取引を躊躇しているため,外貨取引はほとんど行われていないという。
土地問題・労働問題への対応2012年より労働争議や土地争議が頻発しているため,2013年には農民や労働者に配慮する動きもみられた。10月8日には,農民の権利保護および経済厚生向上法が成立した。この法案の準備は次期大統領の座を狙う与党USDP党首のシュエマン氏とスーチー氏の協力のもとに進められたという。同法では,農業信用の供与,農業投入財・技術の供与,農産物価格支持,農民の土地権利保護,作付けの自由,農産物販売の自由などが謳われている。成立までに盛んに議論がなされ,当初の法案で強調された政府の買取りによる農産物価格支持は,財政への影響が勘案された結果,「必要に応じて行う」との表現に改められた。
また,4月1日には再び公務員給与の引き上げが行われた。ミャンマーの公務員数は約200万人といわれる。2012年の月額3万チャットの生活手当支給に加え,今回は基本給に2万チャットが上乗せされた。2014年1月の発表によると,2014年4月にさらに2万チャット引き上げられる予定で,公務員の最低賃金は2011年時点の3万5000チャットから10万5000チャットへと3倍になる。従来,過度に低い公務員給与が汚職の蔓延する原因の一つと目されていた。そのため,この政策は,国民からの支持獲得のみならず,汚職の抑制効果も期待されている。政府は汚職のないクリーンな統治を目標に掲げており,その取り組みとして1月8日に反腐敗活動委員会を設置した(大統領府通達第9号)。8月7日には,反腐敗法が成立し,公務員の資産状況公開が義務づけられることになった。なお,同法の立法過程では,大統領からの修正提案をほぼ反映することなく議会が法案を可決し,大統領と与党との間の溝が浮かび上がった。
他方で,公務員給与の引き上げにより物価の上昇が促進されることが懸念されてもいる。2012年度に2.8%だったインフレ率(年平均値)は,2013年度には5.6%(4~1月平均値)に上がった。すでにヤンゴン近郊の工場地区では,低賃金での長時間労働に生活を圧迫された多数の労働者が賃上げを要求するデモを繰り返している。このような状況下で3月22日,労使交渉の基本的枠組みとなる最低賃金法が制定された。現在,同法に基づいて組織された委員会が,業種ごとの具体的な最低賃金額の設定に向けて検討を始めている。
2012年に表面化したザガイン地域のレッパダウン銅鉱山開発問題では,計画続行の決定が下され,地元住民は不満を募らせている。軍系のエコノミック・ホールディングス(Economic Holdings)と中国の万宝鉱業公司による開発計画に地元住民が抗議し,警察によって弾圧された事件を受けて,2012年末に政府は開発計画続行の是非を検討する調査委員会を組織した。スーチー氏を委員長とする同委員会は2013年3月に報告書を提出し,透明性の欠如や土地収用に対する補償の不十分さなどの問題点を指摘しつつも,それらを改善したうえで開発を継続すべきとの結論を示した。地元住民はこれに反発し,報告書の説明に訪れたスーチー氏を取り囲んで拒絶の意を示すなど,抗議活動を続けている。しかし,7月には,事業収益のうちミャンマー政府の取り分を4%から51%へと大幅に増やす契約が上記2社と結び直され,10月には,問題点がいまだ改善されてないとの指摘にもかかわらず事業が再開された。このような大規模プロジェクトの推進と住民の権利保護との相克は,経済特区建設などほかの案件でも問題化している。
ミャンマーへの経済支援の障害となる延滞債務問題の解決には,日本が主導的役割を果たした。2012年4月の両国首脳会談時に合意されていた約3000億円の対日延滞債務の解消措置が,1月30日に実施された。これに先立つ同月25日のパリクラブ(主要債権国会合)では,日本,フランス,ドイツ,ノルウェー,イギリスなど11の主要債権国に対するミャンマーの債務のうち,60%に当たる約60億ドルを免除することで合意が成立していた。日本の免除額はその半分を占めた。また,同月,日本の国際協力銀行からのつなぎ融資によって,ミャンマーはアジア開発銀行と世界銀行に対する延滞債務を解消し,それぞれ5億1200万ドルと4億4000万ドルの新規融資を獲得した。
こうした延滞債務の解消が各国による経済支援の再開を促した。日本に関しては,1月に麻生副首相兼財務相が来訪し,四半世紀ぶりに500億円規模の円借款を再開する旨表明した。5月には,約40の企業・団体代表者を引き連れて,安倍首相が来訪した。日本の首相の来訪としては36年ぶりとなるこの訪問では,債務の遅延損害金など約2000億円についてさらなる債務救済が行われたのみならず,2013年度内に510億円の円借款と400億円の無償資金・技術協力を提供することが改めて表明された。実際,2013年末までに,円借款としては貧困地域の開発,ヤンゴン都市圏の火力発電所の改修,ティラワ経済特区開発の3件が実施された。無償資金協力は,バルーチャウン(Baluchaung)第2水力発電所の補修,気象観測装置の整備,ヤンゴンの上水道整備,中央銀行のICTシステム整備といったインフラ整備支援に加えて,少数民族地域の支援にも供されている。なお,日本政府は2月に,長年にわたりミャンマー支援に関わってきた日本財団会長の笹川陽平氏をミャンマー国民和解担当日本政府代表に任命し,少数民族組織との国内和平達成を後押ししている。
さらに12月中旬,日・ASEAN特別首脳会議に出席するためにテインセイン大統領が訪日した際,二国間首脳会談で安倍首相から,新たに鉄道,水道,灌漑の整備などに関する4件,632億円の円借款供与が表明された。また,両国間の投資の自由化,保護および促進を目指す投資協定が締結された。これはミャンマーにとって初の本格的な自由化協定となった。
活発な首脳外交による経済関係の多角化ミャンマー政府は首脳外交を通じてアメリカやヨーロッパ諸国に積極的に働きかけを行い,各国もさらなる制裁緩和を実施して,双方から貿易・投資関係の拡充が図られた。
アメリカ財務省は2月22日,ミャンマー国内の主要4銀行(ミャンマー経済銀行,ミャンマー投資商業銀行,アジア・グリーン・ディベロップメント銀行,エーヤーワディー銀行)に対して,アメリカ企業との取引を許可した。直後の25日には,ヤンゴンで両国の商工会議所による貿易投資会議が開催され,経済ビジネス担当の国務次官補率いる50人のアメリカ財界代表が来訪した。さらに5月2日には,アメリカ政府によって前軍事政権要人に科されていたビザの発給停止措置が解除された。アメリカからのハイレベルの要人来訪はなかったものの,ミャンマーからは5月にテインセイン大統領(1966年以来初の首脳訪米),6月にシュエマン下院議長が訪米し,経済協力関係の促進が図られた。その成果として,テインセイン大統領の訪米時に貿易・投資枠組み協定が結ばれた。また,6月には,アメリカ国際開発庁(USAID)による1億7000万ドルの援助に関する経済協力協定が調印され,前年のオバマ大統領来訪時になされた約束が具体化した。
また,テインセイン大統領は,2月末から3月初めにかけて,就任後初のヨーロッパ外遊を行い,ノルウェー,フィンランド,オーストリア,ベルギー,イタリアを歴訪した。ベルギーを除く4カ国は,ミャンマーの債務減免に合意したパリクラブのメンバーであり,とりわけノルウェーは5億3400万ドル相当の債務全額免除によって,日本とともに主要債権国間の合意形成に大きな役割を果たしていた。ベルギーでは,大統領自らEU本部で改革の進捗状況を説明し,制裁解除を訴えた。7月のテインセイン大統領による2度目のヨーロッパ外遊では,EU主要国であるイギリスとフランスへの訪問が実施された。ロヒンギャ問題への対応が国際的な批判の的となっていた折,テインセイン大統領は年内の政治犯全員釈放や少数民族問題の早期解決などを強調して,改革の進展をアピールした。
これを受けてEUは,4月22日に武器禁輸を除くすべての制裁解除を決定し,7月19日にはミャンマーへの一般特恵関税の適用が再開された。9月には,初の駐在大使が着任し,前年に設置された連絡事務所が正式に代表部へと格上げされた。さらに11月中旬には,第1回のミャンマーEU・タスク・フォース会議が開催された。これはアシュトンEU外務・安全保障政策上級代表とソーテイン大統領府相が共同議長を務めるハイレベルの会合で,今後7年間のEUによる支援額が年間9000万ユーロまで引き上げられると表明された。二国間関係では,イギリスがテインセイン大統領の訪英を「歴史的訪問」と評価し,カチン州の紛争被害者支援や翌年の国勢調査実施支援のための3000万ポンドの供与や国軍改革への協力を表明したほか,フランス,オランダ,ベルギー,フィンランド,チェコなどその他のEU加盟国や,ノルウェー,スイスからも重要閣僚のミャンマー来訪が相次ぎ,関係が強化された。
なお,テインセイン大統領は最初のヨーロッパ外遊から帰国した翌週には,ニュージーランドとオーストラリアにも訪問し,オーストラリアの財政支援額を2015年までに年間1億ドルまで引き上げる成果を得た。
変わりつつある対中関係前軍事政権の時代,ミャンマーは中国と緊密な関係を築くことで,欧米の経済制裁を乗り切った。ところが,2011年のテインセイン大統領の就任後,この関係に変化が生じた。矢継ぎ早の改革によって欧米諸国との関係が好転しはじめた2011年9月,テインセイン大統領は,国民の反対運動への配慮を示すかたちで,中国が36億ドルを投じたミッソン・ダム建設計画の凍結に踏み切った。その後,以前は盛んになされた首脳レベルの要人往来は影をひそめ,ミャンマーからは最高レベルの訪中が継続されながらも,中国からミャンマーへ中央政治局常務委員が来訪することはなくなった。
2012年11月に習近平新体制が発足してから,中国は近隣地域を重視する外交政策を展開し,2013年には日本とフィリピンを除く周辺諸国との関係強化を図った。そうしたなか,中国とミャンマーの双方が新たな二国間関係の在り方を模索しているようにみえる。2013年4月,習近平国家主席はボアオ・アジア・フォーラムに参加するために中国海南省を訪れたテインセイン大統領と会談し,経済協力協定と優遇バイヤーズクレジット協定を締結した。また,ミャンマー北部の中国国境地域で国軍とKIO武装組織との戦闘が激化した問題について,中国は関与を強める姿勢をみせた。3月11日の中国外交部発表によると,中国政府はこの問題に対処するために新設したアジア担当特使なるポストに,外交部副部長や国連代表を歴任した王英凡氏を任命した。王特使は,以後のミャンマー政府とKIOの停戦協議にオブザーバーとして出席するようになった。テインセイン政権側も,首脳会談の席などで停戦協議への中国の関与に感謝を述べつつ,住民の抗議運動によって停止されていたレッパダウン銅鉱山の開発を10月に再開し,中国の利権に対する一定の配慮を示した。
しかしながら,ミャンマー・中国関係が従来の緊密さを取り戻しつつあるとはいえない。中国の対ミャンマー投資認可額は過去最高となった2010年度の82億ドルから年々大幅に減少し,2013年度は4月から11月まででわずか1500万ドルにまで落ち込んだ。ミッソン・ダム建設凍結やレッパダウン銅鉱山開発での抗議運動が中国からの投資を遠ざけているとみられる。また,外交面においても,中国から楊潔篪国務委員や劉延東国務院副総理の来訪がありはしたものの,習近平体制発足後にフィリピン,ラオス,ミャンマーを除く他のASEAN諸国には中央政治局常務委員の来訪がなされたことと比べると見劣りする。むしろ盛んなのは両軍間の要人往来で,1月には中国人民解放軍の戚建国副総参謀長が来訪して,第1回中国ミャンマー戦略安全保障協議が開かれ,7月には范長龍中央軍事委員会副主席が来訪,ミャンマー側からは10月にミンアウンフライン国軍最高司令官が訪中した。中国は,自国に不利な決断をしかねないテインセイン大統領の政府とは別の政治勢力として,国軍との関係維持・強化を図っている可能性もある。
2014年,テインセイン政権は引き続きいくつもの困難な課題に取り組んでいかねばならない。インフラの整備が不十分な段階で大量の外資が流入すれば,社会不安の広がりが加速する可能性がある。また,2015年の総選挙を前にして,諸勢力間の政治力学が強く働き,円滑な政策遂行はますます難しくなることが予想される。こうした状況のもと,目先の成果のみならず,長期的視点に立った地道な改革努力を,国民や国際社会がいかに評価し後押ししてゆくかが問われるだろう。
憲法改正については,2014年1月31日に連邦議会に提出された憲法見直し委員会の予備報告で消極的な見解が示されたが,以後も引き続き議論が重ねられていくだろう。関心が集中しがちな大統領資格要件のほかにも,軍の政治への関わり,行政・立法・司法の三権のバランス,少数民族問題とも絡む中央政府と地方政府との関係など,統治制度の根本的見直しのために考えるべき事項は山積している。
2014年の特筆すべき国内的課題としては,30年ぶりの国勢調査実施がある。とくに,民族・宗教の範疇や国民の範囲がいかに設定されるのか,データはどのように編纂され公開されるのかが注目される。反イスラームの言説は,イスラーム教徒の人口増加と勢力拡大に対する病的な怖れを基礎として広まっている。他方で,これまでの政府統計ではイスラーム教徒の人口は実際よりも少なく見積もられてきたともいわれている。今度の国勢調査の結果として,「正確な」数値が公表された場合,それがもたらす影響が大きなものとなることは容易に想像できる。
外交面では,ミャンマーは2014年にASEAN議長国を務める。テインセイン政権にとっては,国際社会への完全復帰をアピールする機会となりうる一方で,南シナ海問題に関する中国とASEAN諸国との関係調整に難しい舵取りを迫られることになるだろう。
(地域研究センター)
1月 | |
2日 | 麻生副首相兼財務相,来訪。 |
7日 | インドネシアのマルティ外相,来訪。 |
8日 | 反腐敗活動委員会設置。 |
13日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,シンガポール,マレーシア歴訪開始。 |
15日 | 1996年法律第5号の廃止。 |
16日 | ロシアのラブロフ外相,来訪。 |
16日 | 通信・情報技術相と宗教相,辞任。 |
20日 | 第1回中国ミャンマー戦略安全保障協議,開催。中国人民解放軍の戚建国副総参謀長が来訪し出席。 |
20日 | 韓国の姜昌煕国会議長,来訪。 |
21日 | フィンランドのハウタラ国際開発相,来訪。 |
21日 | インドのアントニー国防相,来訪。 |
22日 | ラオスのパニー国会議長,来訪。 |
23日 | ニャントゥン副大統領,スイス訪問。世界経済フォーラムへ出席。 |
24日 | 報道検閲登録局廃止の閣議決定。 |
24日 | アウンサンスーチー氏,ハワイ,韓国訪問に出発。 |
24日 | チェコのクバ産業貿易相,来訪。 |
25日 | パリクラブで,ミャンマーの債務約60億㌦の免除に合意。 |
28日 | 1988年命令第2号の廃止。 |
30日 | 日本政府,ミャンマーの延滞債務約3000億円を解消。 |
31日 | 新外国投資法施行細則発表。 |
2月 | |
4日 | カチン独立機構(KIO)と連邦平和構築作業委員会,中国雲南省で停戦協議。 |
4日 | ワナマウンルィン外相,ヨーロッパ歴訪出発。ベルギー,ルクセンブルク,イギリス,フランスを訪問。 |
5日 | 宗教相にサンシン氏を任命。 |
5日 | タナサック・タイ国軍最高司令官,来訪。 |
7日 | 黒田東彦アジア開発銀行総裁,来訪。 |
12日 | インドのクマール下院議長,来訪。 |
13日 | 通信・情報技術相にミャッヘイン氏を任命。国境相はテインテー氏に替えて,テッナインウィン氏が就任。 |
18日 | カンゾー国家計画・経済発展相,訪日。 |
19日 | 日本政府,日本財団会長の笹川陽平氏を「ミャンマー国民和解に関し,関係国政府等と交渉するための日本政府代表」に任命。 |
19日 | 残存政治犯調査委員会の設置。 |
20日 | 連邦平和構築作業委員会,チェンマイで統一民族連邦評議会(UNFC)と初協議。 |
21日 | セルビアのムルキッチ外相,来訪。 |
22日 | アメリカ財務省,ミャンマーの主要4銀行にアメリカ企業との取引許可。 |
25日 | テインセイン大統領,初のヨーロッパ歴訪出発。ノルウェー,フィンランド,オーストリア,ベルギー,イタリアを訪問。 |
25日 | 米ミャンマー貿易投資会議開催。国務次官補率いる50人のアメリカ財界訪問団来訪。 |
3月 | |
1日 | 一部品目について輸出入ライセンス制度を廃止。 |
2日 | ロシアのショイグ国防相,来訪。ロシア国防相としては初の来訪。 |
11日 | サイマウカン副大統領,ラオス訪問。第6回CLMV会議などに出席。 |
11日 | 中国外交部,ミャンマーを担当する新設ポストのアジア担当特使に王英凡・元外交部副部長を任命したと発表。 |
11日 | 中国雲南省瑞麗でKIOと連邦平和構築委員会の停戦協議。上記の王英凡氏出席。 |
12日 | レッパダウン銅鉱山問題についての調査委員会報告,国営紙に掲載。 |
13日 | テインセイン大統領,ニュージーランド,オーストラリア歴訪。 |
15日 | ベルギーのレンデルス副首相兼外相,来訪。 |
19日 | ニャントゥン副大統領,ベトナム訪問。 |
20日 | メイッティーラーで宗教暴動発生。 |
22日 | フランスのカンファン外務大臣付開発担当大臣,来訪。 |
22日 | シュミットGoogle社会長,来訪。 |
23日 | シュエマン人民代表院議長,ニュージーランド訪問。 |
25日 | バゴー地域の諸地区で宗教暴動発生。戒厳令の発出。 |
4月 | |
1日 | 民間日刊紙の発行開始。 |
1日 | 公務員給与の月額2万チャット引き上げ。 |
1日 | シンガポールのタン大統領,来訪。 |
2日 | インドネシアのハッタ経済担当調整大臣,来訪。 |
3日 | ノルウェーのギスケ貿易産業相,来訪。 |
5日 | テインセイン大統領,中国訪問出発。海南省でボアオ・アジア・フォーラムに出席。習近平国家主席と会談。経済協力協定,優遇バイヤーズクレジット協定締結。 |
5日 | インドネシア・スマトラ島の難民収容所で,ミャンマー難民間の宗教対立発生。 |
13日 | スーチー氏,訪日。 |
21日 | シュエマン人民代表院議長,韓国訪問。 |
22日 | EU理事会,武器禁輸を除く対ミャンマー制裁の解除を決定。 |
22日 | 国際危機グループ(ICG),テインセイン大統領に平和賞を授与。 |
23日 | インドネシアのユドヨノ大統領,来訪。 |
24日 | テインセイン大統領,ブルネイで第22回ASEAN首脳会議に出席。タイのインラック首相と二者会談,ダウェー開発を協議。 |
27日 | スーチー氏,モンゴル訪問。 |
29日 | テインセイン大統領,タイ訪問。第69回国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)へ出席。 |
30日 | ヤカイン州抗争調査委員会の報告書要旨,国営紙掲載。 |
30日 | ヤンゴン地域オウッカンで宗教暴動発生。 |
5月 | |
2日 | シンガポールのン国防相,来訪。 |
2日 | アメリカが前軍事政権要人に科していたビザ発給停止措置を解除。 |
9日 | ネーピードーで麻薬統制協力に関する6カ国閣僚級会議開催。中国,カンボジア,ラオス,ミャンマー,タイ,ベトナムが参加。 |
17日 | テインセイン大統領,アメリカ訪問。 |
18日 | サイマウカン副大統領,タイ訪問。第2回アジア太平洋水サミットへ出席。韓国の鄭烘原首相と二者会談。 |
21日 | アメリカと貿易投資枠組協定締結。 |
23日 | ヤカイン州政府,ロヒンギャに子ども2人までの出生制限を課す。 |
24日 | 日本の安倍首相,来訪。年度末までに910億円の有償・無償援助実施すると表明。 |
28日 | 連邦平和構築作業委員会とKIOがミッチーナーで協議。 |
28日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,タイ訪問。タイより爵位の授与。 |
28日 | ラーショーで宗教暴動発生。戒厳令発出。 |
28日 | オランダのファンハーゲン・インフラ環境相,来訪。 |
30日 | 以後,6月初めにかけてマレーシアでミャンマー人労働者への襲撃相次ぐ。 |
6月 | |
3日 | イギリスのリチャード国防参謀総長,来訪。 |
3日 | 韓国の林官彬国防政策室長,来訪。 |
5日 | ヤンゴンで第22回世界経済フォーラム(WEF)東アジア部会開催。 |
6日 | インドのシャルマ商工相,国境に来訪。第5回合同貿易委員会,第1回合同貿易・投資フォーラムの開催。 |
8日 | シュエマン人民代表院議長率いる議員団,アメリカ訪問。 |
11日 | ワナマウンルィン外相,インドネシア訪問。 |
15日 | ニャントゥン副大統領,タイ訪問。ダウェー経済特区の包括的開発に関する第2回合同会議に出席。 |
17日 | イギリスのダンカン国際開発閣外相,来訪。ヤカイン,カチン州視察。 |
19日 | 第1回ミャンマー韓国経済協力合同委員会会議。韓国の玄旿錫副首相兼企画財政部長官,来訪。韓国が2013年から5年契約で5億㌦の貸付けを実施することに合意。 |
23日 | 中国の楊潔篪国務委員,来訪。 |
23日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,ロシア訪問。戦闘機工場の視察。 |
25日 | 政府,ウィラトゥ師を表紙にした『タイム』誌に発禁処分。 |
27日 | 携帯電話事業免許入札でノルウェーのテレノールとカタールのウリードゥ落札。 |
7月 | |
3日 | ニュージーランドのマッカリー外相,来訪。 |
8日 | タイのタナサック国軍最高司令官,来訪。サッカー親善大会開会式に出席。 |
10日 | オーストラリアのカー外相,来訪。 |
11日 | 中央銀行法施行。 |
12日 | マレーシアのズルキフリ国軍司令官,来訪。 |
12日 | 政府,ヤカイン州の国境管理組織解散。 |
14日 | テインセイン大統領,2度目のヨーロッパ外遊。イギリスとフランスを訪問。 |
19日 | EU,ミャンマーに一般特恵関税制度を再適用。 |
23日 | 中国の范長龍中央軍事委員会副主席,来訪。 |
24日 | ベトナムのフン国会議長,来訪。 |
25日 | 閣僚人事で,工業相と労働相,鉄道運輸相とエネルギー相をそれぞれ入れ替え。 |
25日 | 連邦議会,憲法見直し合同委員会設置。 |
28日 | チャウッピューと中国雲南省を結ぶ天然ガスパイプライン開通。 |
30日 | フランスのブリック貿易相,来訪。 |
31日 | 連邦議会議長が,キンアウンミン民族代表院議長からシュエマン人民代表院議長に交代。 |
8月 | |
5日 | 外貨売買の銀行間取引開設。 |
5日 | 連邦平和構築作業委員会,全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)と停戦協定調印。 |
10日 | 3国際空港建設の入札結果発表。 |
14日 | ワナマウンルィン外相,タイ訪問。 |
19日 | キンタナ国連ミャンマー人権状況特別報告者がメイッティーラーで妨害に遭い視察中止。 |
22日 | 茂木経産相,来訪。 |
24日 | ザガイン地域カンバルーで宗教暴動発生。 |
28日 | ワナマウンルィン外相,訪中。中国・ASEAN特別外相会議に出席。 |
29日 | 韓国の劉正福安全行政部長官,来訪。 |
9月 | |
2日 | テインセイン大統領,訪中。南寧で第10回中国・ASEAN博覧会,ビジネス投資サミットに参加。李克強総理と会談。 |
8日 | 連邦平和構築作業委員会とUNFCの2回目の協議。 |
10日 | ワナマウンルィン外相,スイス,オーストリア訪問。ジュネーブ軍縮会議,国連人権理事会,IAEA会議への出席。 |
11日 | ティモール・レステのグスマン首相,来訪。 |
13日 | ラトビアのリンケービッチ外相,来訪。 |
15日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,タイ訪問。 |
18日 | スーチー氏,東ヨーロッパ歴訪開始。ポーランド,ハンガリー,チェコを訪問。 |
20日 | マレーシアのムスタパ国際貿易産業相,来訪。 |
22日 | シュエマン連邦議会議長,タイ訪問。 |
24日 | EU全権大使着任。 |
26日 | シュエマン連邦議会議長,マレーシア訪問。 |
27日 | ダウェー経済特区開発に関するミャンマー,タイ,日本の3カ国協議開催。 |
28日 | ニャントゥン副大統領,ベルギー訪問。 |
29日 | ヤカイン州東部タンドゥエーで宗教暴動発生。 |
30日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,マレーシア訪問。 |
10月 | |
1日 | テインセイン大統領,ヤカイン州視察開始。 |
5日 | シュエマン連邦議会議長,スイス,オーストリア訪問。 |
8日 | テインセイン大統領,第23回ASEAN首脳会議出席。 |
10日 | 連邦平和構築作業委員会,KIOと協議。全国停戦協定へ向けた取り組み開始。 |
10日 | ニャントゥン副大統領,マレーシア訪問。 |
10日 | ヤンゴン市,バゴー地域で爆発事件発生。 |
12日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,訪中。 |
18日 | スーチー氏,ヨーロッパ歴訪出発。ベルギー,ルクセンブルク,フランス,イギリス,イタリアを訪問。 |
22日 | ワナマウンルィン外相,イタリア訪問。 |
29日 | 日本とミャンマー,ティラワ経済特区開発のための共同事業体設立協定締結。 |
11月 | |
2日 | ライザで少数民族組織の会議開催。 |
3日 | ウェルィン国防相,タイ訪問。 |
5日 | ミッチーナーで連邦平和構築作業委員会と諸民族組織代表の会議。共同声明発出。 |
13日 | ミャンマーEU・タスク・フォース会議開催。 |
13日 | イスラーム協力機構(OIC)代表団,来訪。ヤカイン州視察。 |
18日 | モンゴルのエルベグドルジ大統領,来訪。 |
18日 | オランダのプルメン外国貿易開発協力相,来訪。 |
19日 | スイスのイナイヒェン=フライシュ経済事務局長官,来訪。第1回ミャンマー・スイス経済対話開催。 |
21日 | バンコクでダウェー経済特区開発に関する第4回ミャンマー・タイ合同会議開催。イタリアン・タイ社の開発権停止決定。 |
23日 | タイのスラポン副首相兼外相,来訪。 |
26日 | スーチー氏,オーストラリア訪問。 |
28日 | シュエマン連邦議会議長,訪日。 |
12月 | |
2日 | キンアウンミン民族代表院議長,インド訪問。 |
4日 | テインセイン大統領,フィリピン訪問。 |
5日 | ヤンゴン大学,学部教育再開。 |
6日 | ラガルドIMF専務理事,来訪。 |
7日 | フランスのフィリペティ文化通信大臣,来訪。 |
9日 | ラオスのチュームマリー国家主席,来訪。 |
10日 | ソーウィン国軍副司令官,インド訪問。 |
10日 | 中国の劉延東国務院副総理,来訪。 |
11日 | 第27回東南アジア競技会開会。 |
12日 | テインセイン大統領,訪日。 |
15日 | 日本と投資協定締結。 |
16日 | シュエマン連邦議会議長,インドネシア,カンボジア歴訪。 |
30日 | 既決および起訴中のすべての政治犯罪を赦免する大統領令第51号の発出。 |