アジア動向年報
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各国・地域の動向
2013年のインド 経済退潮のなか連邦下院選挙をひかえて流動化する政局
近藤 則夫太田 仁志
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2014 年 2014 巻 p. 511-542

詳細

2013年のインド 経済退潮のなか連邦下院選挙をひかえて流動化する政局

概況

政局は翌年の連邦下院選挙に向けて流動化が激しい。会議派の人気低落が混迷に拍車をかけている。経済低迷のなかで会議派率いる統一進歩連合(UPA)政権が「食糧安全保障法」を成立させたことは特筆に値するが,財政再建がUPA政権にのしかかっており,広く選挙民の関心を得る経済政策をとることは簡単ではない。人気回復の決め手はなく,会議派は12月の州議会選挙で惨敗した。インド人民党(BJP)はグジャラート州首相で,党内実力者ナレンドラ・モディのヒンドゥー教徒の間での人気をてこに選挙戦略を推し進め,成果をあげている。また有力な州政党は会議派でもなく,BJPでもない「第3勢力」として結集しようとしている。一方,長期の運動の結果,アーンドラ・プラデーシュ(AP)州のテーランガーナー地域が州になることが決まったが,それは,他地域の自治権運動を活発化した。

経済に関しては,2013年も前年度に引き続き停滞気味である。とりわけ鉱工業の停滞がインド経済の足を引っ張っている。物価水準は前年から高止まりし,年後半にとくに食料農産物の激しい価格高騰に見舞われた。9月にはラグラム・ラジャン元シカゴ大学教授がインド準備銀行(RBI)の新総裁に就任し,物価抑制に努めることを言明している。アメリカの量的緩和縮小の観測から6月以降はルピーの減価が著しいが,金輸入制限などにより,年末にかけて貿易・経常赤字の縮小がみられた。財政赤字も前年に比べて対GDP比で縮小している。成長率は高くないものの,インド経済は着実に歩みを進めている。

対外関係は,中国,パキスタンとの国境未確定地である「実効支配線」(LoC)地域の不安定性が露呈した。とくに後者との間では小規模ながら軍事衝突が生じ,インドのカシミール地域の分離主義運動と連動したゲリラの襲撃事件もあり,関係が悪化した。アメリカ,ロシア,日本などとの関係は安定して推移した。

国内政治

連邦下院総選挙に向けて動き出した政局

政局は2014年に予定されている連邦下院選挙に向けて動き出した。2004年から政権を担当する会議派は,2013年に入り各種の世論調査から次の連邦下院選挙では大きく後退することが予想されている。このような状況のもと,会議派,BJPとも,どのような戦略で選挙に向かうのかが政局の焦点となった。BJPと比べると政権を担当する会議派は財政再建,失速気味の経済成長の立て直しという課題を背負う分だけ,野放図な政策はできず制約が大きい。

会議派は1月19日の運営委員会でソニア・ガンディー総裁の長男であるラーフール・ガンディーを会議派副総裁に任命することを承認し,同氏は23日に正式に副総裁に就任した。マンモーハン・シン首相は高齢で世代交代が必要であり,また,連邦下院選挙をにらんで根強い人気があるネルー=ガンディー家の人間を前面に出すことが会議派には必要だったからである。

これに対しBJPはUPA政権の腐敗や経済政策の失敗をつき,また,グジャラート州首相であるモディを前面に出して人々に支持を訴える戦略をとっている。BJPは,N・ガドカリ総裁が脱税容疑で税務局の捜査を受けたため辞任し,1月23日にラージナート・シンが総裁に選出された。同氏は3月2~3日に行われた全国評議会で正式に総裁に承認されるが,評議会で注目を集めたのは総裁よりもモディであった。グジャラート州は2002年に最大級の宗派暴動を経験し少数派のムスリムを中心に1000人を超える死者を出した。暴動の拡大は,ヒンドゥー民族主義の強硬派であるモディ州首相に大きな責任がある。一方,モディは州の経済発展を加速した有能な政治家ともみられている。このような「強力で有能」な指導者というイメージはヒンドゥー教徒のあいだでモディの人気を広め,BJP内,および,BJPに大きな影響力をもつ民族奉仕団(RSS)でも,総裁をしのぐ支持を獲得しつつあり,それがモディを注目の的とした。6月9日のBJP全国執行委員会は選挙を率いる党代表にモディを指名した。

しかしモディを選挙および選挙に勝利した場合の政権構想の中心に据えることは,ヒンドゥー民族主義が突出することを歓迎しない政党からは反発を招いた。BJP率いる国民民主連合(NDA)に参加するジャナター・ダル(統一派)(JD[U])はムスリムが多いビハール州の政権党であるが,党首シャラド・ヤーダヴは2月8日にBJPやRSSなど関連団体がヒンドゥー民族主義のシンボルとしているウッタル・プラデーシュ(UP)州アヨーディヤーのラーム寺院建立運動はNDAとは関係ないと談話を発表したり,4月13日のJD(U)全国執行委員会でNDAの次期首相候補としてモディは受け入れられないと表明しBJPを牽制した。にもかかわらずBJPがモディを次期首相候補とする決定を行ったため,JD(U)は6月16日にNDA離脱を決定した。BJPは,総裁ラージナート・シンが7月7日にラーム寺院建立は選挙の争点ではないと釈明したが,BJPに大きな影響力をもつRSSの支持を得たモディを選挙の中心に据えざるをえず,9月13日には選挙に勝利した場合モディを首相にすると宣言した。

このようなBJPの勢いに対して会議派は守勢に立たされている。3月19日にはタミル・ナードゥ州を基盤とするドラヴィダ進歩連盟の党首カルナニディが,連邦政府は内戦中のスリランカ政府によるタミル人に対する人権侵害を強く追求していないと批判し,UPAおよび連邦政府からの離脱を決定した。しかし,逆に会議派に擦り寄る政党もあり,たとえばビハール州では民族ジャナター・ダルと人民の力党は選挙協力を求めて10月以降ソニア総裁と接触を重ねている。

一方,会議派は政権党として国民に負担を求める政策も実行せざるをえない。たとえば,1月21日に政府は鉄道運賃の値上げを行ったが,庶民が利用する2等普通運賃もほぼ10年ぶりに値上げせざるをえなかった。鉄道大臣P・K・バンサルは鉄道の財政事情は限界にきているとして人々に理解を求めた。また5月1日にはリン酸とカリウムへの肥料補助金の削減を決定した。

しかし2009年に選挙公約として掲げられた「食糧安全保障」は強く進められた。政府は国会休会中の7月8日に「全国食糧安全保障」の大統領令を発令した。大統領令は国会再開後6週間以内に立法手続きに入らなければ失効するため,法案が用意され,8月26日に連邦下院,9月2日に上院を通過し,12日に大統領の承認を得て「全国食糧安全保障法」が成立した。州政府を事業実施者とする同法は人口の67%をカバーするといわれる(「経済」も参照)。UPA政権が多額の補助金を必須とする同法の成立を急いだ理由は連邦下院選挙をひかえて貧困大衆の関心を得ることにあった。

以上のように政権は緊縮財政と選挙政治の間で揺れ動いているが,緊縮財政という制約のなかでも資源配分にメリハリをつけて対処しようとしている。

11月13日に財務省はソブリン格付けを維持するためにも財政赤字をGDP比4.8%に抑えることが必要で,そのため貧困層向けのUPA政権の旗艦事業である「マホトマ・ガンディー全国農村雇用保証法事業」(MGNREGA)なども含めて多くの事業予算を削減する提案をした。しかし,MGNREGAなどの削減は非生産的でUPAの信頼を損なうとして農村開発大臣J・ラメ-シュに反論された。チダンバラン財務大臣は12月11日に財政規律に妥協はないと反論しつつも,13日に財政赤字削減のため事業予算を削減するが,UPA政権の旗艦事業や防衛予算への配慮は翌年2月の暫定予算で対応すると一定の妥協を示さざるをえなかった。

一方,UPA政権の成果としてはインド版オンブズマンともいえる「ローク・パールおよびローク・アユクタ法」が制定されたことがあげられる(「ローク・パール」は連邦レベル,「ローク・アユクタ」は州レベルのオンブズマン)。腐敗問題はUPA政権について回り,2008年に発覚した第2世代携帯電話周波数帯割当免許にからむスキャンダル,2012年に会計検査院によって指摘された石炭鉱区を適切な入札を経ないで不当に安い価格で民間企業に分配したのではないかという疑惑などが相次いで政治問題化した。2013年に入っても,甥が鉄道委員会の人事に干渉し賄賂を受け取ったとされた鉄道大臣P・K・バンサルと石炭鉱区割り当て不正疑惑の報告書に干渉したと非難された司法・公正大臣A・クマールが5月10日に辞任した。強力なオンブズマン制度が求められるのは,頻発する政府高官の腐敗スキャンダルがその背景にある。ローク・パールは1968年以降立法化が試みられ,UPA政権でも2005年,2008年,2010年に立法化が試みられた。2011年にもアンナ・ハザーレー率いる反腐敗運動に圧されて立法化が試みられたが時間切れとなった。しかし政権末期に至り,法案は12月17日に上院を,18日に下院を通過し,2014年1月1日に大統領の承認を受け成立した。予算支出関連を除けば,12月5日から18日の冬期国会中,成立したのは同法案だけである。同法では連邦首相も,国際関係,安全保障,治安,宇宙,原子力など戦略的に重要な分野にかかわる事案を除き腐敗審問の対象となる。

会議派は全般的な人気の低迷,12月の州議会選挙の惨敗を受けて態勢の立て直しを急いでいる。同月19日にはデリー首都圏,チャッティースガル州の州会議派委員長をそれぞれA・シン・ラブリ,B・バゲールに交代させ,12月20日には連邦環境・森林大臣のJ・ナタラジャンが党務に専念するため大臣職を辞任した。2014年1月21日にはラージャスターン州の州会議派委員長に連邦閣僚のサチン・パイロットが任命された。次世代の会議派指導者と目されるパイロットやラブリはラーフール・ガンディーと親密な関係にあり,会議派は世代交代に向けて徐々に動きつつある。2014年1月3日にシン首相は連邦下院選挙の結果いかんにかかわらず首相を続けることはないと明言した。

次期選挙をにらんでは,会議派でもBJPでもない,州政党を中心としたいわゆる「第3勢力」の動向も重要である。州レベルの多くの有力政党にとって,会議派は伝統的に対抗政党であるが,ヒンドゥー至上主義的な民族主義を掲げるBJPに対する反発もある。9月7日から10日にかけてUP州のムッザファルナガルで起こった宗派暴動も反BJPの雰囲気を広めた。暴動はインド農民組合の集会でBJPなどの指導者が少数派に対して挑発的な発言を行ったことをきっかけとして拡大し,33人が死亡した。宗派暴動の件数は2000年代半ば頃までに減少が続いていたが,近年再び増加傾向がみられ,UP州与党である社会主義党など州政党は警戒感を強めていた。このような宗派暴動の増加は連邦下院選挙を翌年にひかえて協力関係の構築を模索する反BJP諸政党が共同歩調をとるきっかけとなった。10月30日にインド共産党(マルクス主義)(CPI[M])など左翼政党やJD(U),社会主義党など14党がデリーで反宗派主義集会を開催したが,これは,同時に連邦下院選挙に向けての「第3勢力」結集の方向性を示すものとなった。

州議会選挙

2013年には州議会選挙が9州で行われた。結果は表1のとおりである。12月開票の州議会選挙では会議派の退潮が目立った。

表1  州議会選挙結果

(出所) インド選挙委員会(http://eci.nic.in/)のデータなどから筆者作成。

2月には北東部のトリプラ州で14日に,メガラヤ州とナガランド州で23日に選挙が行われた。選挙は平穏に行われ,28日にまとめて開票された。トリプラ州ではCPI(M)が圧勝し,1998年から州首相を務めるマニク・サルカルが州首相に再選された。メガラヤ州では会議派が過半数に2議席足りない29議席を獲得し,ナショナリスト会議派党や無所属の支持を得て州政権を樹立した。ムクル・サングマが3月5日に州首相に就任した。ナガランド州ではナガ人民戦線が過半数の38議席を獲得して州政権を樹立した。2003年以来州首相を務めるネイフィウ・リオが3月5日に州首相に就任した。

5月に行われたカルナータカ州議会選挙は注目された。2008年の選挙ではBJPは224議席中110議席を獲得し,無所属議員の支持もあわせて政権についた。州首相にはB・S・イェデュラッパが就いた。しかし,同政権はBJP党内の派閥争いなどから,任期中4回の信任投票を受けるなど,不安定であった。同州首相は2011年7月に違法採掘の告発を受け辞任し,S・ゴウダが州首相になったが,ゴウダも2012年7月には派閥争いからJ・シェッタルに代わった。2013年に入っても1月29日にイェデュラッパ支持のBJP議員12人が辞任したり,2月21日に派閥争いから州閣僚2人が辞任するなど政権は安定しなかった。選挙は5月5日に行われ5月8日に開票された。会議派が単独過半数の122議席を獲得し安定政権を樹立するという結果となった。州首相にはシッダラマイヤーが5月13日に就任した。

一方,11,12月の北インドの州議会選挙ではインフレの高進など庶民の不満を高める経済状況もあって,会議派の退潮がはっきりした。

チャッティースガル州では5月25日にバスタル県ダルバーで極左武装勢力ナクサライトの襲撃で元連邦政府閣僚のV・C・シュクラなど会議派指導者多数が殺害される事件が起こるなど部族民地帯では治安は回復しているとは言い難いが,BJP州政権は2012年12月に立法した州独自の食糧安全保障法により安価な穀物配給を行うなど福祉,開発事業で一定の成果をあげた。これに対して会議派は,党内の派閥対立で選挙を効率的に戦えなかった。投票は11月11,19日に行われ,12月8日の開票では与党BJPが49議席を獲得し,39議席を得た会議派を引き離し再選された。12月12日にラーマン・シンが州首相に3期連続で就任した。

マディヤ・プラデーシュ州では11月25日に投票が行われた。BJP州政権に対する評価は必ずしも高くなかったが,会議派は連邦閣僚のカマル・ナートやJ・シンディア,および,ディグヴィジャイ・シンなど有力者間の派閥対立により十分な選挙態勢がとれなかった。これに対して,BJPは政治的にクリーンなイメージのS・S・チョーハン州首相を中心にムスリムを含むすべての人々のための開発を行うことをアピールして選挙に臨み,幅広い人々の支持を確保することができた。12月8日の開票ではBJPは過半数を大きく超える165議席を確保し圧勝した。チョーハンは12月13日に3期連続で州首相に選出された。

ミゾラム州では11月25日に投票が行われ,12月9日の開票の結果,会議派が40議席中34議席を獲得し圧勝した。11,12月に行われた州議会選挙で会議派が唯一勝利した州となった。州首相にはラルタンハウラが再選された。

ラージャスターン州では12月1日に投票が行われた。7月25日の世論調査では道路,飲料水,農業などの分野で州政府の実績は評価が高くなく,与党会議派とBJPの支持率はほぼ等しかった(Hindu,7月25日)。しかし,12月8日の開票では会議派は21議席しか獲得できず惨敗した。BJPは163議席を獲得し大勝した。BJPの州組織は今回の選挙では党内の派閥対立に悩まされることも少なく,またモディの応援キャンペーン人気もあって幅広い階層から支持を得ることに成功した。12月13日にヴァスンダラ・ラージェーが州首相に返り咲いた。

12月の州議会選挙でもっとも注目される結果となったのはデリー首都圏である。会議派は1998年から15年間シーラ・ディクシット州首相の下で政権を維持してきたが,行政の腐敗,前年大きな政治問題となったレイプ事件,インフレの高進などによって市民の不満は高まり,会議派の人気は低下しつつあった。投票は12月4日に行われ,開票は12月8日に行われた。会議派は8議席しか得られず大敗し,BJPが31議席,庶民党が28議席という結果となった。

選挙結果でBJPの復活よりも注目を集めたのは「庶民党」の躍進であった。同党は2012年11月にA・ケジュリワルらによって創設された党である。ケジュリワルは,2011年に反腐敗大衆運動を行ったハザーレーと行動をともにした運動家である。ガンディー主義者のハザーレーは政治に踏み込むことには慎重であったが,ケジュリワルは政治に踏み込むことを求め意見が対立し,両者は2012年9月に袂を分かった。このような出自の庶民党は市民運動としての性格を濃厚にもっており,その出現は既成政党への挑戦という意味合いをもった。

庶民党は第2党であったが会議派の全面的支持を得て12月23日には政権を樹立することを決定し,28日にケジュリワルが州首相に就任した。ケジュリワル庶民党政権は既成政党の政権とは異なる新基軸をつぎつぎに打ち出した。12月30日には水道メーターを設置した世帯に対して水道水の供給を666リットルまで無料にすると発表し,翌2014年1月13日には前会議派州政権の決定を覆して総合小売業における海外直接投資(FDI)を認めないと決定した。また同月20日にはデリーの警察行政を連邦政府からデリー首都圏政府に移すように求めて示威行動した。しかし,デリー州議会でより厳格な内容をもつ「人民のローク・パール」法案が否決されたことでケジュリワル州首相は辞任した。

「テーランガーナー州」創設への動きと地域運動

AP州北西部のテーランガーナー地域は州都ハイデラバードを含む10県からなる地域で,先進的な沿岸部と比べて社会経済発展が遅れ,他地域との統合はテーランガーナー地域に不利になっているとの認識があった。そのため1969年から一時期,州創設運動が盛んになった。その後運動は下火になったが,2001年にテーランガーナー民族会議(TRS)がK・チャンドラシェーカル・ラーオによって設立され,また2004年の連邦下院選挙で第1党となった会議派がUPA政権樹立のためTRSの支持を必要とし新州創設を取り上げたため再び活発化した。もっとも会議派は2004年の州議会選挙で州政権に就いたため,政治不安を起こしかねない州分割に消極的となった。TRSはそれに不満を抱き2006年にはUPAから脱退した。2009年11月にはラーオのハンストをきっかけに運動は過激化し,AP州各地で混乱が生じた。そのため12月には連邦政府内務大臣チダンバランは新州の創設を進めると発表せざるをえなくなり新州創設運動は加速した。その後「テーランガーナー統一行動委員会」などによるゼネスト,州分割賛成派と反対派の衝突,AP州選出議員による抗議の辞任など混乱が続き,慎重な姿勢をみせていた会議派指導部を動かしていく。事態が山場を迎えたのが2013年であった。

2013年1月30日には会議派指導部は「テーランガーナー州」創設に反対しないとの意見を表明し,合意形成に向けて動き出したが,AP州では与党会議派,主要野党テルグー・デーサム党(TDP)とも両地域に複雑な利害関係を抱え,州の分割・新州創設には容易に同調できなかった。しかし,6月に入ると新州を求める運動が激化し,それに対抗して「シーマンドラ」と呼ばれるテーランガーナー以外の地域の分割反対運動も激しさを増した。さらに州会議派有力者がTRSへ入党するなど政治的混乱が拡大した。連邦政府は決断を迫られ,7月30日にUPA協議委員会は州創設を認める決定を行った。これに対して翌日「シーマンドラ合同行動委員会」はゼネストにより反対し,また,8月1日にはAP州K・K・レッディー会議派政権の閣僚多数が分割に抗議して辞任を表明した。辞任はレッディー州首相の説得で回避されたものの,シーマンドラ地域の会議派やTDP国会議員の抗議の辞任願いが相次ぎ,混乱が続いた。10月6日には新州の設立に抗議して電力雇用者合同行動会議がストライキを行い,シーマンドラ地方13県で停電となり生活に大きな影響を与えた。

このような混乱にもかかわらず新州創設のプロセスは進行し,12月5日に連邦政府が新州創設を承認し,翌日大統領に承認を求めて法案が送られた。大統領は憲法に従って11日にはAP州議会の審議のため法案を送った。AP州議会は2014年1月30日に法案を拒否する決議を行ったが,テーランガーナー州創設法案は2月20日に連邦の両議会を通過した。

一方,新州創設を認める7月30日のUPA協議委員会決定は各地の自治権運動を刺激した。同日30日にはアッサム州のボドランドで,「全ボド学生ユニオン」が「ボドランド州」設立のため運動を強化すると発表した。同地域は2003年に「ボドランド領域協議会」が設立され,比較的高度な自治が認められたが,独自州を求める動きは終息していなかった。31日には同じくアッサム州のカルビ・アングロング丘陵で州への昇格を求める運動が激化し,混乱で1人が死亡し外出禁止令が出された。また,同日にはマハーラーシュトラ州のヴィダルバ地域で州創設を求める「ヴィダルバ共同行動委員会」が新州創設運動を強化する決議を行った。8月3日には西ベンガル州ダージリン県で「ゴルカランド州」設立を求めて「ゴルカ人民戦線」(GJM)のストライキが行われ,治安が混乱した。同地域では2011年7月に連邦政府,西ベンガル州政府,GJMの3者間で「ゴルカランド地域行政機構」設置が調印され,2012年8月には同機構の選挙が行われGJMが政権についたが,独自州設立の運動は依然として活発である。

経済

2013年のインド経済は2012年の落ち込みから回復することなく,引き続き停滞気味であった。2011/12年度の実質GDP成長率は,10%近くの成長率を記録した2010/11年度からブレーキがかかって6.7%であったが,翌2012/13年度は4.5%と10年ぶりのさらに低い経済成長率であった。それが2013/14年度の成長率は4.9%となると予測され,見込みとしても実感としても大きな回復は先送りとなった(表2)。しかし一方で,潜在的に7~8%という高い経済成長が期待されるインド経済の現状を悲観的にみる向きはあるが,今日先進諸国では達成が難しい4.9%という経済成長率が見込まれているということを見落とすべきではない。もちろん成長の中身を問う必要はあるものの,インド経済は着実に歩みを進めているという点は認識しておきたい。インド経済の停滞や先行きの不透明感が報道されるなかで,インドに進出する日系企業数も2008年からの5年で倍増し,2013年には1000社を超えるまでに拡大している。

産業部門別の実質GDP成長率では,鉱業と製造業がマイナス成長である。2012/13年度はかろうじてプラスの成長率を記録した製造業は,2013/14年度にはマイナス0.2%に落ち込む見通しである。また,鉱業は製造業よりも深刻な低迷を続けており,2013/14年度はマイナス1.9%の予測である(以上表2)。2013年4~12月の鉱工業生産指数の成長率を使途別にみると,中間財と基本財がそれぞれ3.0%,1.3%のプラスの成長率を記録する一方,資本財はマイナス0.5%,また消費財はマイナス3.0%であった。こと耐久消費財に限っては12.9%減というきわめて顕著なマイナス成長となっている。かつての勢いが嘘であるかのようなここ2年の建設業の停滞ぶりと相まって,経済の回復を実感できるのはまだ先のようである。

表2  産業部門別の実質GDP成長率

(注) 2004/05年度を基準年とする要素価格に基づき算出。いずれも予測値または暫定値に基づく。

(出所) インド統計・事業実施省中央統計局(CSO)のプレスノートに基づき筆者作成。

高い成長率を記録しているのが金融・保険・不動産・ビジネスサービスで,2013/14年度は11.2%の成長が見込まれている。地域・社会・個人向けサービスの成長率も堅調で,総じて鉱工業の滞りをサービス業が補う構図である。

農業については,2012/13年度はモンスーン不足の影響もあり,農業を含む農林漁業は1.4%の伸びにとどまった。しかし2013年はモンスーンが良好で,2013/14年度の農林漁業の成長率は4.6%の見込みである。本年度の穀類の収穫高は2011/12年度に記録した2億5929万トンの収穫高を上回り2億6300万トンに達するものとみられている。だが次項でみるように,2013年後半には農産物・食料品の価格上昇がインドを襲った。

高止まりする物価,下半期の食料農産物の高騰

インドは2012年から高止まりする物価に苦しめられている。図1は卸売物価指数(WPI)と消費者物価指数(CPI)で測った2012~2013年の物価上昇率である。WPIによる2012年の全体の物価上昇率は,前年同月比の年平均で7.5%であったのに対して,2013年は同6.3%と上昇率は若干緩和している。RBIが安全領域と考える物価上昇率は4~5%程度で,依然として低い水準とはいえないものの,経済の停滞を反映させているかのような趨勢である。実際,製造品の物価上昇率は年平均で3.3%と,2013年に入って大きく低下している。

図1  物価上昇率の推移

(注) 前年同月比。

(出所) WPIについてはインド商工業省経済諮問室(OEA)のウェブサイト(http://www.eaindustry.nic.in/)のデータに,CPIについてはReserve Bank of India, RBI Bulletin, 各号に基づき筆者作成。

それに対して燃料・電力の物価上昇率は,2013年3月にいったんは10%を下回る水準になったが,7月からは再び10%を超える上昇率であった。これは5月末にアメリカの連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長が量的緩和の縮小に言及したことに端を発する,ドルに対する6月以降の記録的なルピー安の影響である。原油の多くを輸入に頼るインドはルピー安が燃料・電力の物価上昇に結びつきやすく,生産コストにも上昇圧力がかかることになる。

だが注目すべきは2013年下半期の食料農産物価格の激しい上昇である。食料農産物価格は2012年も決して低い水準ではなかったが,それでも前年同月比の年平均で8%台であった。2013年は,2012年12月~2013年2月まで10%を超える物価上昇率ののち,3~5月は10%を切ったが,6月以降再び10%を超え,8月には19.2%というきわめて高い価格上昇を記録した。11月にはさらに上昇して19.7%になっている。年末12月には若干物価を下げたが,それでも前年同月比ではゆうに10%を上回る水準である。個別品目では玉ねぎの価格が6月に前年同月比で145.4%の上昇率を記録すると,7月には182.0%,8月には300.2%を超えるに至り,9月は335.7%,10月は326.1%,そして11月は272.2%と激しく高騰した。

前項でみたように,2013年の農業の収穫は良好であるなかで,野菜をはじめとする食料農産物のこの物価上昇の要因はいまひとつ明確ではない。一応の要因として,長雨の影響による収穫の遅れや物流の寸断,また倉庫などの貯蔵や流通インフラがそもそも未発達であることが挙げられている。ルピーの減価も輸入食料価格の上昇をもたらす。また,玉ねぎ価格の上昇率は12月に一転して67.2%に急落していて,中間業者が一斉に供給をストップさせたなどという陰謀説も価格高騰の原因として聞こえてくる。このほか,タンパク質の高い農作物や野菜,果物への嗜好のシフトの進展という食習慣の変化,また,肥料価格やMGNREGAなどの政府の農村重視・保護政策が直接・間接にもたらす農業労働者の実質賃金の上昇などによる耕作費用の上昇が指摘されている。

食料農産物価格は2013年末から低下しつつあるものの,依然として高水準にある。そもそもCPIによる物価上昇率はWPIよりも高く,2013年の月平均のCPI物価は10%以上であった。身近な食料農産物の価格の高騰と相まって,市民の間ではWPIの6%台という水準よりもはるかに強いインフレ感が広まっている。過去には政権交代をも促すような危険領域にある物価水準のかじ取りが2013年を通じた大きな政策課題であったことは明確である。

改善する経常赤字と貿易赤字,下落するルピー

経常赤字は2013年の終盤にかけて大きな改善をみせている。2012/13年度の経常赤字は2011/12年度の782億ドルから増大して878億ドルを記録し,GDP比も4.2%から4.8%に悪化した。2012年10~12月期の経常赤字はGDPの6.7%という高水準であった。それが続く2013年1~3月期にはGDP比で3.6%に低下した(赤字額は181億ドル)。しかし翌4~6月期には赤字幅が再び拡大し,GDP比で4.9%,218億ドルを記録した。だが7~9月期には一転,52億ドルと大幅に縮小し,GDP比でも1.2%に大きく低下した。この大幅な赤字縮小の要因は輸入の減少と輸出の増大である。輸入の減少にとくに大きく貢献したのが金の輸入減で,経常赤字を抑えるためにRBIは5月13日,銀行の金の輸入に制限をかけ,また政府は9月17日に宝飾品輸入税を8%から15%に,金の宝飾品輸入税については10%から15%に引き上げている。7~9月期の輸入減はこれらの政策の一定の成果が表れた形である。計画委員会は2013/14年度の経常赤字がGDPの2.5%に収まると予測している。

2013年の輸出入について,ドル建ての貿易収支は2013年7月以降,高い縮小率を示している(表3)。石油関連製品と非石油関連製品に分けると,非石油関連の輸入の減少が著しく,金の輸入の減少が大きいことを改めてみることができる。9月の貿易赤字は63億9000万ドルで,前年同月比62.7%減の大幅縮小であった。10~12月も同40%以上の赤字縮小を記録している。2013年の貿易赤字は1557億3000万ドルで,2012年の1920億9000万ドルから2割近く(18.9%)改善した。

表3  米ドル建てによる2013年の輸出入の対前年伸び率(%)と対米ドル為替レート

(注) 前年同月比。

1)対米ドル為替レートはルピー建てとドル建ての輸出実額から算出した。したがって実際の為替レートとは異なる。

2)対米ドル為替レート「減価率」は,上記2013年の同2012年に対する減価率(%)。

(出所) Reserve Bank of India, RBI Bulletin, 各号に基づき筆者作成。

また貿易額の伸びは,ルピー建てのほうがドル建てよりも伸び率が大きくなる(あるいは縮小率が小さくなる)。つまりルピー建てでは思ったほど輸入額は減っておらず,これが物価の上昇として表れる。そして物価上昇の背景のひとつに,ドルに対するルピーの減価がある。既述のようにそのきっかけは,5月末のFRBバーナンキ議長の量的緩和縮小発言であった。5月末の為替相場の終値は1ドル=55~56ルピー台であったのが6月27日に初めて60ルピーを超え,8月28日は終値の最安値68.311ルピーを記録した。この際RBIはルピーを守るべく,国営石油企業大手がRBIから直接ドルを購入できる措置などの諸施策を打ち出し,なんとかルピーの下落を防いだ。それでも8月下旬から9月初頭にかけて65ルピーを上回る水準が続き,その後9月中旬あたりから年末にかけて,おおむね61~62ルピー台の範囲で推移した。2013年12月31日の終値は1ドル=61.8970ルピーであった。表3からは,2013年下半期の減価が著しく,8月以降ルピーが対ドルで前年同月比10%以上の大きな下落を記録したことを確認できる。

貿易収支は2013年の下半期に改善をみせたが,金の輸入規制に加えて,この下半期の大幅なルピーの下落もその背後にある。同時に,年末にかけて若干の足踏みはみられたが,7~10月の輸出額の増加は10%を超えるなど,ルピー安の影響は輸出にもうかがえる。ルピーの減価は物価上昇という悪影響をもたらす一方で,貿易収支の改善にも一定の役割を演じている。

なお,2013/14年度の財政赤字はGDP比で4.6%と,前年度2012/13年度の4.9%から低下する見込みである。2013/14年度の収支に大きく貢献したのは政府支出の削減と第2世代携帯電話周波数帯売却益によるものである。2012年に就任後,チダンバラン財務大臣は財政赤字のGDP比が2013/14年度には4.8%になるよう目指していたが,それを達成した形となった。

RBIによる政策金利の変更,ラグラム・ラジャン氏のRBI総裁就任

2013年のインドは高止まりする物価に頭を悩ませてきたが,RBI の政策金利を通じた施策は次のようであった。RBI は年初1 月29日に9 カ月ぶりとなる政策金利の引き下げを実施した。具体的にはいずれも0.25ポイントの引き下げを実施して,レポ・レートを8.00%から7.75%に,リバース・レポ・レートを6.75%に,現金準備率(CRR)を4.00%とし(CRR のみ2 月9 日からの実施),またマージナル・スタンディング・ファシリティー(MSF)を8.75%とした。高止まりする物価にもかかわらず政策金利の引き下げを実施したのは,スバラオRBI 総裁が物価高よりも景気減速により配慮したからである。3 月19日にも本年2 度目の政策金利の変更を実施し,レポ・レート,リバース・レポ・レート,そしてMSF を1月に続いて0.25ポイント引き下げ,それぞれ7.50%,6.50%,8.50%とした。引き下げの主たる理由はやはり,景気への配慮である。

3 月の政策金利の引き下げののちも物価は図1 にあるように下落しており,CPI の高止まりは気にはなるが, 4 月のWPI はRBI が安全領域と考える5 %を下回る4.8%に低下している。他方で株価は,インドの代表的な指数であるSENSEX が3 月の終値の最高値1 万9683を8 日に記録したのち, 4 月中旬までむしろ下落基調にあった。本年3 度目の政策金利の引き下げを実施したのはSENSEX が4 月中旬以降に上昇に転じたのちの5 月3 日で,この時も3 月と同じくレポ・レート,リバース・レポ・レート,MSF の3 つの金利を0.25ポイント引き下げ,それぞれ7.25%,6.25%,8.25%としている。

WPI は5 月末の量的緩和に関するFRB バーナンキ発言ののちに上昇に転じたが, 9 月にRBI 総裁を退任するまでの間,スバラオ総裁はルピーの下落を防ぐべく7 月15日付でMSF を一気に2 ポイント引き上げて10.25%としたほかは,レポ・レート,リバース・レポ・レート,CRR を据え置いたままとした。その後の8 月下旬のルピーの大幅減価と,食料品価格および燃料・電力の卸売物価の上昇はすでにみたとおりである。

9 月4 日,元シカゴ大学教授のラグラム・ラジャン氏がRBI 新総裁に就任した。ラジャン氏は国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストや,直近ではインド財務省主席経済顧問を務め,また,2008年のアメリカのサブプライム問題に端を発する金融危機を予測した数少ない専門家でもある。ラジャン氏は総裁就任後の9 月20日,2011年10月以来の約2 年ぶりの利上げを行い,レポ・レートとリバース・レポ・レートを0.25ポイント引き上げてそれぞれ7.50%,6.50%とし,金融の引き締めにかかった。翌月10月29日も両者を同じく0.25ポイント引き上げて7.75%,6.75%とし,物価上昇を断固抑制するという姿勢を明確にしている。この間CRRは据え置かれたが,資本流動性に考慮して,MSF を9 月20日に9.50%,10月7 日に9.00%,10月29日に8.75%と相次いで引き下げた。

RBI の金利政策はこのように,総裁の交代を境にして主要金利であるレポ・レートの動きが大きく異なっている。2013年の6 月以降のルピーの下落や物価上昇はスバラオ前総裁の失策であったとの見方がある一方,ラジャン新総裁に対して市場はおおむね好反応を示し,また期待も高い。SENSEX はラジャン新総裁誕生後の9 月以降は上昇基調にあり,10月30日は終値でこれまでの最高値であった2010年11月の2 万1004を更新する2 万1033を付け,11月3 日の終値は2 万1239とさらに最高値を更新した。しかし2013年にSENSEX が最高値2 万1484を付けたのは,景気対策・経済改革を推し進めるだろうことが期待されている野党第1党のBJP が4 つの州議会選挙で勝利を収めた後の12月9 日だった。このことは下院選挙を2014年4 ~ 5 月に控え,インドでは経済に及ぼす政治的要因の影響が大きいことを示唆している。

社会保障・貧困削減政策,問われる政策実行能力

2013年には社会保障・貧困削減政策でも大きな動きがあった。その代表格が9月に大統領が承認した全国食糧安全保障法である。本法はインド全人口の3分の2に上る低所得者層8億2000万人(農村部が75%,都市部が50%の人口が対象)にコメ1キロ当たり3ルピー,小麦を同2ルピー,そしてトウモロコシなどの雑穀を同1ルピーという市場価格よりも安価で,毎月5キロを上限に提供するというものである。この法律実施に伴い,毎年1兆2500億ルピー程度の巨額な財政負担増が見込まれている。ちなみに世界貿易機関(WTO)も行き過ぎた食糧補助を問題視したが,12月のWTO公式閣僚会議に出席したアナンド・シャルマ商工大臣は本法の重要性を認めさせることに成功している。

2013年1月からは,現政権が貧困対策の最大の目玉として位置づけていた手当直接給付(DBT)が開始されている。これは,中央政府が提供する諸々の補助金・給付プログラムの運営の透明性を高め,また給付の中間搾取や無駄遣いをなくすことを主要目的として,補助金・給付を貧困線以下の個々の人々に直接移転するものである。DBTはまず手始めに1月1日から20県で導入され,3月までに43県に対象が拡大された。7月1日にはさらに78県が加わり,計121県においてDBTが実施されることとなった。また政府は6月1日に,12桁の身分証明番号「Aadhaar」と結び付けた,液化石油ガス(LPG)シリンダー購入時の補助金給付を行う液化石油ガス手当直接給付(DBTL)を全国20県で開始している。9月1日には54県に対象を拡大し,翌2日には2014年1月からの実施県を289県に拡大することが発表された。

国民の身分証明番号であるAadhaarは,政府の各種補助金給付プログラムの不正をなくし,プログラムが対象とする人々に給付が確実になされることを目指して,2010年9月に与党会議派の肝いりで導入された身分証明・国民登録制度である。しかし最高裁判所は9月,いかなる給付制度もAadhaarの所有者に限定されるものではないとの暫定令を出し,Aadhaarをめぐっては雲行きが怪しくなることがあった。そもそもの直接給付についても,たとえば貧困層への食料の直接給付を行う公的分配システム(PDS)に替えて現金の直接給付すなわちDBTの導入を政府が目指そうとしたところ,食料・一次産品市場が十分に発達していない状況の下では現物支給が不可欠である,また,給付現金を娯楽や嗜好品の購入など別の用途に充てられ本来の目的が達せられない,などの批判が噴出した。

貧困層を対象とする社会保障政策としてはそのほか,貧困層を対象とする医療保険である全国健康保険計画(RSBY)の対象が4月以降段階的に拡大されている。12月にはMGNREGAの対象事業として,トイレのない個人宅へのトイレ建設に補助金が出されることが発表された。

なお9月には,中央政府公務員給与の改定勧告を行う第7次中央給与委員会が設置され,2016年1月1日からを予定している履行には巨額の財政負担が予想されている。下院選挙を翌年に控え,時期が時期だけにこれらの大きな支出を伴う取り組みには,選挙対策のバラマキという非難は避けられないが,先に述べたように,他方で現政権は2013年には痛みを伴う鉄道運賃の引き上げや6月には天然ガス価格の値上げ(実施は2014年4月1日)を閣議決定している。取られる施策・政策の評価には,その目的の適正さや費用対効果などの観点から評価することが重要である。

重要法案の成立,規制緩和の取り組み

先述した全国食糧安全保障法が成立した国会期間(通称モンスーン国会)には別の重要法も成立している。たとえば2012年12月に下院で承認されていた企業法案は,8月8日に上院で可決された。本法では企業の合併時に旧法で規定された裁判所の承認を不要とする規定や,取締役の3分の1を当該企業の経営から独立した人物とする企業統治にかかる規定,また収益の2%を企業の社会的責任(CSR)活動に費やすといった規定が謳われている。ムカルジー大統領は8月29日に本法を承認している。

9月19日には年金基金規制・開発庁法が発効した。高齢化社会を迎えるにあたって,その監督機関である年金基金規制・開発庁(PFRDA)はこれまでその根拠法がなく,年金制度の運営能力が不十分であった。本法の成立により年金制度に対する認知の広まりと取り組みの深化進展が期待されている。

また,重要法案のなかでもとりわけ注目されたのが9月27日に成立した「土地収用,移住,生活再建および再定住にかかる公正な補償と手続き透明性への権利法」である(施行は2014年1月1日)。本法はインフラ開発や工業用地のために農地などの土地の譲渡を円滑に進めることを目的としている。

2013年には以上のような重要法案の成立のほか,銀行の新設認可に関する進展もあった。RBIは2月22日,民間銀行設立に関する最終ガイドラインを発表し,7月1日の申請締め切りまでに,26件の申請があった。銀行の新設を通じて,とりわけ都市部に比べてアクセスが限定されている農村部・地方への銀行サービスの浸透を狙っている。

外国直接投資(FDI)をめぐっては,政府は7月16日,前年に引き続き追加の規制緩和を発表している。この背景には6月以降のルピー安の進行と経常赤字の拡大がある。今回の規制緩和では,たとえば通信分野では携帯電話で74%までの自動承認と,外国投資促進委員会(FIPB)による承認を条件に100%までの投資を認めることとなった。また単一ブランドの小売店については49%までを自動承認とし,それ以上の投資にはFIPBによる承認を条件に上限を100%とした。複数ブランドの小売に関するさらなる緩和は今回見送られたが,8月22日に出された通達では若干の修正が試みられた。前年9月の規制緩和以降もインド市場への参入を表明する複数ブランド小売企業は現れず,中央政府の焦りともみえる動きであるが,12月17日にイギリスに拠点を置くテスコがインドのタタ・グループのトレントとの合弁会社設立をFIPBに申請,12月30日に承認を受け,ようやくインド初の外資系複数ブランド小売店チェーンが設立に動き出した。

それでも,FDIの受け入れに摩擦がないわけではない。外資側に立つと,通信企業のボーダフォンや携帯電話機器で一世を風靡したノキアは課税をめぐってインド税務当局と揉めており,とりわけノキアはマイクロソフトへの事業売却からチェンナイの工場を除外させられそうな危機にある。また前々から品質管理に問題を抱えていた日本の第一三共の子会社ランバクシーは,9月にアメリカの食品医薬局(FDA)から新たにモハリ工場でも品質問題を指摘され,同工場からは輸出停止となっている。インドは依然として外資系企業にとってはチャレンジングな場であり,今後とも根気強く接していく必要があることには変わりない。

対外関係

アメリカ,ロシア,日本との関係

アメリカとの関係は,アメリカが差別的として問題にするインドの知的所有権の問題,アメリカの一般的な就労ビザであるH-1Bビザ取得条件の厳格化の問題,2002年の宗派暴動への関与が問題視されるモディ・グジャラート州首相へのビザ発給禁止措置問題などが懸案事項としてあるが,緊急の問題ではなく,両国関係はおおむね安定的に推移した。6月24日にはアメリカとの第4回戦略対話がデリーで開かれ,ケリー米国務長官が来訪した。会議では両国間の戦略的協調を深化し,また,投資や貿易の促進,民生用原子力協力の推進,兵器貿易,教育などの諸分野での協力推進が確認された。9月27日にはシン首相が訪米し,オバマ大統領と会談した。両首脳は防衛・安全保障,貿易投資,エネルギー・環境,高等教育などで協力が推進されたことを確認し,さらなるパートナーシップの強化を謳った。しかし,12月12日にニューヨーク・インド総領事館副総領事のデブヤニ・コブラガデ女史がインド人メイドの労働ビザを不正に取得したとされアメリカの警察に逮捕された事件はインドの国民感情を害し政治問題化した。逮捕のときに強制的に服を脱がされるなどインド人女性にとってはきわめて屈辱的行為が行われたからである。

ロシアとの関係は,ソ連時代から兵器の供給を受けてきたことから伝統的に防衛面での結びつきが強いという特徴がある。6月29日にはロシアからステルス・フリゲート艦3隻のうち最後の艦が引き渡され,11月16日には空母ヴィクラマディティヤが引き渡された。10月19日には両国の合同軍事訓練がタール砂漠で行われた。また,10月21日には第14次のインド・ロシア年次首脳会議がモスクワで行われ,シン首相はプーチン大統領と会談しシリアやアフガニスタン情勢について協力の強化が模索され,またクダンクラムの原子力発電など民生用原子力,防衛などにおける協力関係の強化が協議された。

日本との関係はインドを重視する安倍政権の下,親密度を増している。5月27日にはシン首相が首脳会議のため訪日し,両国は「戦略的グローバル・パートナーシップ」の深化で合意した。インドの日本に対する最大の要望は民生用原子力協力の締結であるが,協定妥結に向け交渉を進めることが確認された。9月3日に東京で行われた協議でも交渉の加速が確認されている。また11月30日から天皇・皇后両陛下がインドを訪れたことは両国間の国交親善に寄与した。

中国との関係

2013年の対中国関係は基本的には前年に続いて比較的に安定的に推移したが,国境未確定のカシミール地域で対立があり緊張が生じた。

カシミールのラダック地方では,4月15日から5月5日に両国間のLoC付近で中国の人民解放軍のパトロール部隊とインド・チベット国境警備隊がお互いに「領土」に侵入したと主張して対立が続いた。しかし,4月21日には前年に設置された「国境問題協議調整作業メカニズム」を通じて協議し,5月5日には双方は部隊を4月15日以前の地点に戻すことで衝突は回避された。中国の李克強首相のデリー訪問を5月半ばにひかえ双方とも紛争長期化は望まなかった。事件後,6月29日には国境問題に関する第16ラウンドの協議が北京で行われた。協議は9月30日にも北京で行われた。その成果が,中国の北京訪問中のシン首相と李克強首相の間で10月23日に署名された「国境防衛協力協約」である。同協約はLoCでの対立は武力ではなく話し合いで解決するとした。

このような事件はあったが,信頼醸成プロセスも粛々と積み上げられている。BRICS首脳会合開催中の3月27日にシン首相は習近平国家主席と公式会談を行い,5月19日には李克強首相がデリーを訪問した。8月20日にはデリーで第5回インド・中国戦略対話が行われ,ブラフマプトラ川など国際河川の利水問題,インドの対中国貿易赤字問題,LoC地域の安定化などについて協議が行われた。上述の10月23日のシン首相の訪中も両国首脳間の信頼醸成に寄与した。また,軍事面でも信頼醸成強化が話し合われ,北京を訪問中のアントニー国防大臣と常万全国防部長は7月5日に会談を行い軍事交流の拡大を協議した。11月5日から10日間,5年ぶりの両国の合同軍事訓練である対テロ合同軍事演習が中国の成都で行われた。

以上のように信頼醸成は積み重ねられているがLoCなど懸案事項も多く,インドは中国への警戒感をゆるめたわけではない。パキスタン政府が1月30日に中国の支援で建設したグワーダル港の運営権をシンガポールの港湾企業から中国企業に移すことを決定したこと,スリランカのラージャパクセ大統領が中国を訪問した5月30日に,2016年に中国企業によってスリランカの衛星を打ち上げる契約が結ばれたことなどは安全保障上の懸念を抱かせた。またインドは国民議会選挙中のブータンに対して7月8日に石油製品輸出に対する補助金と,インド消費税の払い戻し措置を停止する方針を発表したが,それはインドの緊縮財政による援助の見直しという要因だけでなく,ブータンが中国寄りの姿勢を強めたことに対する圧力とみられている。補助金はブータンで新政権が成立したのち,8月1日に復活された。中国に対する根強い警戒感は,インドの内閣防衛委員会が7月17日に陸軍にLoCに配備する山岳打撃部隊の創設を認めたことにも現れている。

パキスタンとの関係

パキスタンとの関係は停滞した。大きな要因はカシミールのLoC沿いで1月に起きた衝突事件である。両国間では2003年にLoCにおける「停戦」が合意されているが,2013年に入って1月6日にLoCで銃撃,砲撃戦がありパキスタン兵士が死亡する事件が起こり,翌7日にパキスタン外務省はインドの越境攻撃であると抗議した。8日には今度はパキスタン軍によりインド兵2人が殺害された。事件は兵士1人の首が切断されたとの報道によって衝撃を与えた。インドは砲撃戦など衝突の拡大を防ぐため11日に会談を提案し,また,15日にはパンジャーブのアッタリ・ワガ国境で65歳以上のパキスタン市民に対して現地でビザ発給を発表するなど並行的に軟化姿勢を示した。衝突の拡大はパキスタン政府も望まず,16日に両国の軍事作戦局長の間で緊張を悪化させないことで同意した。

このように1月の軍事衝突拡大は回避されたが,カシミールのLoCを挟む両国間の不安定性は解消していない。その最大の要因はムスリム多住地域で分離主義に揺れるインド側カシミールの不安定性にある。2月9日には2001年の国会議事堂襲撃事件に関与したとしてカシミール出身のアフザル・グルの死刑が執行されたが,カシミール地方ではこれを不当として抗議運動で騒乱が起こった。3月5日には治安部隊の発砲により1人が死亡し,8日には警察や治安部隊と住民の衝突で50人以上が負傷した。パキスタン国会はアフザル・グルの死刑執行を非難する決議を3月15日に行ったが,インド政府は内政干渉として反発した。

パキスタンの対応は強硬一辺倒ではなく,5月17,25日には拿捕したインド人漁民96人の釈放を行うなど軟化のサインを出しているが,分離主義ゲリラのインドへの出撃をおさえられないかぎり事態の改善は難しい。ゲリラの襲撃事件は続き,3月13日にはスリナガルで中央警察予備隊5人,ゲリラ2人が死亡した。8月6日にはLoC沿いのプーンチでインド兵5人が殺害され,LoCを挟んで砲撃戦が起こった。インドはパキスタン高等弁務官を呼び厳しく抗議した(パキスタンは責任を否定)。9月26日にはジャンムー地方で警察と軍に対する襲撃事件が発生しゲリラ側3人を含めて12人が死亡している。事態の悪化を食い止めるため,9月29日にはニューヨークの国連本部でシン首相とパキスタンのシャリーフ首相が会談し,正常化が必要との認識で一致したが,その後も事件は散発的に続き,10月28日にはインド軍士官がパキスタン側からの発砲で死亡した。このような事件にもかかわらず,正常化の努力は続いた。12月24日には国境のワガで両国の軍事作戦局長が会談し,LoCにおける戦闘の停止,平和と安定維持の努力の継続が表明された。

2014年の課題

政治面の最優先課題は連邦下院選挙後に安定政権を成立させることである。会議派,BJP両陣営とも過半数を獲得することは不可能であり,有力な州政党による「第3勢力」結集の動きとも相まって,政局の行方は予測しがたい。連立政権となることは間違いないが,安定政権となりうるかは予断を許さない。各地の自治権運動の広がり,経済成長の立て直しなど重要課題が山積するなかで困難な政策決定を行える安定政権を成立させることが必要とされる。

経済については,2014年にはいくぶん成長率が回復するものと見込まれている。しかし兎にも角にもことが大きく動き出すとしたら,4~5月の連邦下院議会選挙以降である。そのようななかで,高止まりする物価水準には引き続き注視する必要がある。また物価の安定を最大の課題と位置づけるラジャンRBI新総裁の政策手腕にも関心が集まるだろう。GDP比での縮小が進む経常赤字と財政赤字の動向,また,FDIへのさらなる規制緩和が2014年にもみられるか,注目される。

(近藤:地域研究センター研究グループ長)

(太田:地域研究センター)

重要日誌 インド 2013年
  1月
1日 政府,手当直接給付(DBT)を全国20県で開始。3月までに43県に拡大。
6日 ジャンムー・カシミール州(JK)の実効支配線(LoC)沿いで印パ両軍銃撃・砲撃戦。双方で数人死亡(~10日)。
7日 ジャールカンド州議会でジャールカンド解放戦線(JMM),インド人民党(BJP)州政権への支持を撤回。BJP,州議会過半数を維持できず大統領統治(18日)。
7日 ジャールカンド州ラテハル県において極左武装勢力との遭遇戦。治安部隊11人死亡。
21日 鉄道運賃改訂。2等普通運賃10年ぶりに値上げ。
22日 N・ガドカリBJP総裁,関連会社の脱税容疑で総裁2期継続を断念。ラージナート・シンが新総裁(23日)。
23日 ラーフール・ガンディー,会議派副総裁に就任。
29日 インド準備銀行(RBI),レポ・レート(市中銀行への短期貸出金利)と現金準備率(CRR)を0.25%引き下げてそれぞれ7.75%と4.00%に。
  2月
3日 ムカルジー大統領,性犯罪に対する罰則強化の大統領令に署名。
8日 保険規制・開発庁(IRDA),保険会社による企業株式保有上限を投資先1企業につき10%から最大で15%に引き上げ。
9日 2001年の国会襲撃事件の犯人,アフザル・グルの死刑執行。カシミールで抗議運動が激化,騒乱が拡大(~16日)。
12日 アッサム州ゴールパラ県でラバー民族と非ラバー民族の間で衝突。衝突と警察の発砲で12人が死亡。
19日 来訪中のキャメロン英首相,シン首相と会談。規制緩和や投資環境の整備などを求める。
20日 主要労働組合,ゼネラル・ストライキを実施(~21日)。
21日 アーンドラ・プラデーシュ(AP)州,ハイデラバードで連続爆弾テロ。16人死亡。
22日 RBI,民間銀行設立に関する新ガイドラインを発表。
24日 マニプル州のクキ州要求委員会,「クキ州」設立を求めて,マニプル州と他地域の輸送を封鎖。
25日 従業員退職準備基金機構(EPFO)が従業員退職準備基金(EPF)の2012年度の利回りを8.5%と決定。
28日 2013年度予算発表。
28日 州議会選挙,補欠選挙開票。メガラヤ州で会議派,政権維持。ナガランド州ではナガ人民戦線,トリプラ州では左翼戦線が勝利。
  3月
2日 BJPの全国評議会開催(~3日)。
13日 カシミールのスリナガルでゲリラ襲撃。治安部隊5人,ゲリラ2人死亡。
18日 西ベンガル州政府,ダーリジン・ゴルカ丘陵評議会の自治権拡大を定める「ゴルカランド領域行政法2011年」の改正を可決。
19日 RBI,レポ・レートを0.25%引き下げて7.50%に。
19日 ドラヴィダ進歩連盟党首カルナニディ,連邦政府のスリランカ政策を批判して統一進歩連合(UPA)から離脱発表。
22日 政府,インド鉄鋼公社(SAIL)の持ち株5.82%を売却。
26日 第7回日印戦略対話でクルシード外務大臣来日。
26日 シン首相,南アフリカ・ダーバンでの第5回BRICS首脳会議に出席。BRICS,開発銀行の設立に同意。習近平中国国家主席と会談(27日)。
  4月
1日 マハーラーシュトラ州政府,州内の複数の自治体で地方自治体税(LBT)を導入。これによりインドから物品入市税(オクトロイ)がなくなる。
4日 政府,製糖工場に対する貧困層向け低価格割り当て供給義務の規制緩和を発表(当面は2年間の予定)。
13日 ハリヤーナー州カイタル県の村で上位カーストのロールが被抑圧カーストを襲撃。200世帯の被抑圧カースト避難。
16日 チャッティースガル州スクマ県で銃撃戦により15人の極左武装勢力殺害。
18日 アナンド・シャルマ商工大臣,「貿易政策2009~2014年」への2013年度貿易政策年次増補発表。
18日 最高裁,カルナータカ州で違法操業の鉱山49のリース契約を破棄する決定。
19日 第2世代携帯電話周波数帯割当スキャンダルに関する合同国会委員会報告書,シン首相,チダンバラン財務大臣の責任は認定せず。ヴァジペイー元首相などの責任を追及。
  5月
3日 RBI,レポ・レートを0.25%引き下げて7.25%に。
5日 4月15日からカシミール地方で印中両軍のにらみ合いが続いていた問題で,両国とも部隊を撤退させることで合意。
8日 カルナータカ州議会選挙開票,会議派過半数を制し勝利。シッダラマイアーが州首相に就任(18日)。
10日 鉄道大臣P・K・バンサル,甥が鉄道委員会の人事に干渉して賄賂を受け取ったとされ辞任。司法・公正大臣A・クマールも石炭鉱区割り当て不正疑惑の報告書に干渉したとされ辞任。
13日 RBI,経常赤字の拡大を抑えるため銀行の金の輸入を制限。
14日 政府,4月の卸売物価指数の上昇率(速報値)4.89%を発表,5%を下回るのは約4年半ぶり。
15日 化学・肥料省,2013年医薬品(価格管理)令を発表。
19日 中国の李克強首相,来訪(~21日)。シン首相,会談で貿易不均衡を問題視(20日)。
25日 チャッティースガル州バスタル県ダルバーで極左武装勢力の襲撃により,会議派指導者など24人死亡。
27日 シン首相,訪日(~30日)。安倍晋三首相など要人と民生用原子力協力,安全保障などに関して協議。
31日 政府,2012年度の実質GDP成長率を4.8%と発表。
  6月
1日 政府,液化石油ガス手当直接給付(DBTL)を全国20県で開始。
3日 マニプル全部族民学生組合による38時間道路封鎖。
15日 BSNL社,国内で唯一提供してきた電報サービスを終了。
16日 ジャナター・ダル(統一派)(JD[U]),次期総選挙でグジャラート州首相ナレンドラ・モディがBJPを率いることに反発して,国民民主連合(NDA)離脱を決定。
20日 モンスーンによる洪水,地滑りにより各地で被害。行方不明者はウッタラカンド州で4120人,ウッタル・プラデーシュ(UP)州で1150人(9月17日発表)。
24日 デリーでアメリカと第4回戦略対話。
27日 天然ガス価格の値上げを閣議決定(2014年4月1日から実施)。
  7月
1日 政府,DBTを78県に拡大。計121県に。
5日 北京でアントニー国防大臣,中国の国防部長で中国人民解放軍上将の常万全と会談。軍事交流の拡大を協議。
8日 インド,ブータンへの石油製品輸出に対する補助金と,消費税払い戻し措置の停止を発表。しかし天然ガスと灯油の補助金は8月1日から供給再開。
8日 マニプル州でクキ州要求委員会による24時間ゼネスト。
8日 政府,「全国食糧安全保障令」を発令。
13日 ジャールカンド州で大統領統治終了。JMM,会議派,民族ジャナター・ダルの連立政権成立。JMMのH・ソレンが州首相に就任。
14日 インド原子力発電公社,タミル・ナードゥ(TN)州クダンクラム原子力発電1号機の運転開始に成功と発表。
15日 RBI,外国為替市場を安定させるためマージナル・スタンディング・ファシリティー(MSF)を8.25%から10.25%に引き上げ。
15日 カーヴェリー川の河川水の分配をめぐってカルナータカ州とTN州対立。TN州,より多くの水の分配を主張。
17日 ビハール州サラン県チャプラの小学校給食で農薬混入のため小学生22人死亡。
30日 UPA協議委員会,テーランガーナー地域のAP州からの分離を認める。連邦政府,暴力事件の発生に備えて治安部隊増強。AP州各地で抗議行動拡大。
  8月
6日 JK州の印パ間のLoCで襲撃によりインド兵5人殺害される。インド,厳しく抗議。パキスタンは責任を否定。
10日 海軍の国産の原子力潜水艦「アリハント」就航。
14日 通常型潜水艦「シンドゥラクシャク」が爆発・沈没。乗員全員死亡。
20日 デリーで,第5回インド・中国戦略対話。
21日 SENSEX,終値が2013年の最安値を更新。終値は1万7905.91。
28日 ルピーの為替レートが対ドルで最安値を更新。終値は1㌦=68.311ルピー。
29日 ムカルジー大統領,2013年企業法を承認(ただし9月12日付官報では法律の一部の条項のみ掲載)。
  9月
1日 政府,DBTLを全国54県に拡大。翌2日,2014年1月1日までに289県に拡大することを発表。
4日 RBI新総裁に元シカゴ大学教授のラグラム・ラジャンが就任。任期は3年。
5日 シン首相,ロシアのサンクトペテルブルクでのG20サミットに参加(~6日)。
7日 UP州,ムッザファルナガルで宗派暴動(~10日)。33人死亡。
11日 茂木敏充経済産業大臣,来訪(~12日)。
12日 「全国食糧安全保障法」大統領の承認を得て成立。
13日 BJP,2014年の連邦下院選挙に勝利した場合,モディを首相にすると表明。
14日 オディシャ州マルカンギリ県で治安部隊,極左武装勢力と戦闘。極左武装勢力13人を殺害。
15日 核搭載可能な大陸間弾道弾アグニV,発射実験に成功。
17日 政府,宝飾品輸入税を8%から15%に引き上げ(金の宝飾品輸入税については10%から15%に引き上げ)。
19日 2013年年金基金規制・開発庁法が発効。
20日 RBI,レポ・レートを0.25%引き上げ7.50%に。引き上げは約2年ぶり。またMSFを10.25%から9.50%に引き下げ。
25日 チダンバラン財務大臣,公務員の給与水準を決める第7次給与委員会の設立を発表(2014年2月5日発足)。
26日 JK州のジャンムー地方でゲリラによる警察と軍に対する襲撃事件。12人死亡。
27日 ムカルジー大統領,「2013年土地収用,移住,生活再建および再定住にかかる公正な補償と手続き透明性への権利法」を承認(2014年1月1日施行)。
27日 ムンバイでビル倒壊事故。死者は61人。
27日 訪米中のシン首相,オバマ大統領と会談。
29日 ニューヨークの国連でシン首相とパキスタンのシャリーフ首相懇談。LoCの不安定化について懸念を共有。
  10月
3日 シン内閣,内務省のAP州分割案を認める。大臣4人が抗議のため辞任。
7日 RBI,MSFを9.50%から9.00%に引き下げ。
12日 サイクロン「パイリン」,オディシャ,AP州直撃し甚大な被害。100万人以上が被災。
13日 マディヤ・プラデーシュ(MP)州ダティア県のナヴラトリ祭で人々が寺院に押しかけ115人が将棋倒しで圧死。
20日 北東部の10政党,「北東地域政治戦線」を結成。
21日 シン首相,ロシア,中国訪問(~23日)。
27日 ビハール州パトナでグジャラート州首相モディの集会所など7カ所で爆弾テロ。5人死亡。
29日 RBI,レポ・レートを2カ月連続で0.25%引き上げ7.75%に。またMSFを8.75%に引き下げ。
30日 インド共産党(マルクス主義)など左翼政党,デリーで反宗派主義集会を開催。JD(U)など諸政党が集結。
  11月
5日 インドと中国,中国の成都で対テロ合同軍事演習。
5日 火星探査ロケット,打ち上げ成功。
12日 岸田文雄外務大臣,来訪。
15日 シン首相,コロンボで開かれた英連邦首脳会議を欠席。スリランカ政府によるタミル人への「人権侵害」が背景に。
27日 ジャーナリストに性的暴力を振るった嫌疑でテヘルカ誌の編集長逮捕。
30日 天皇・皇后両陛下来訪(~12月6日)。
  12月
4日 シャルマ商工大臣,世界貿易機関(WTO)公式閣僚会議に出席。インドの農業分野の開放を拒否。
5日 連邦政府,AP州の10県からなるテーランガーナー州設立を承認。
8日 州議会選挙開票(~9日)。BJPは,MP,ラージャスターン,チャッティースガルで勝利,デリーでは第1党に。ミゾラム州では会議派が勝利。
9日 SENSEX,終値が最高値を更新。終値は2万1484。
12日 ニューヨーク・インド総領事館副総領事のデブヤニ・コブラガデ女史,インド人メイドの労働ビザを不正に取得するため,給与に関する虚偽の報告をした罪でアメリカの警察に逮捕。
16日 政府によると11月の卸売物価上昇率,7.52%を記録(14カ月ぶりの高水準)。
18日 政府,日本との通貨交換協定の上限額を150億㌦から500億㌦に引き上げることを承認(2014年1月10日発効)。
18日 RBI,レポ・レートを7.75%のまま据え置き。
20日 オディシャ州でコントラクターによって虐待など違法な扱いをされていた出稼ぎ労働者600人を解放。
24日 印パの軍事作戦局長会談。LoCにおける戦闘の停止,平和と安定を維持する努力を継続することを表明。
30日 外国投資促進委員会(FIPB),イギリスに拠点を置くテスコ社と,インドのタタ・グループのトレント社との合弁会社設立を承認。インド初の外資系複数ブランド小売店チェーン設立へ。

参考資料 インド 2013年
①  国家機構図(2013年12月末現在)
②  連邦政府主要人名簿(2013年12月末現在)
③  統一進歩連合閣僚名簿(2013年12月末現在)
③  統一進歩連合閣僚名簿(2013年12月末現在)(続き)

主要統計 インド 2013年
1  基礎統計
2  生産・物価指数
3  国民所得統計1)
4  産業別国内総生産(実質:2004/05年度価格)1)
5  国際収支
6  国・地域別貿易
7  中央政府財政
 
© 2014 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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