アジア動向年報
Online ISSN : 2434-0847
Print ISSN : 0915-1109
各国・地域の動向
2013年のスリランカ 25年ぶりの北部州選挙実施
荒井 悦代
著者情報
解説誌・一般情報誌 フリー HTML

2014 年 2014 巻 p. 569-592

詳細

2013年のスリランカ 25年ぶりの北部州選挙実施

概況

内戦終結後4年以上が経過し,タミル人が大多数を占める北部州で9月に25年ぶりに州評議会選挙が行われて,タミル政党が38議席中30議席を獲得した。復興事業としての地雷撤去や再定住,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)元メンバーらのリハビリや社会復帰などに関しても進展している,と政府は主張している。しかし,3月には国連人権理事会(UNHRC)で内戦末期の未解決問題に関して,さらに取り組みを強化するよう求める決議が採択された。また11月にスリランカで開催された英連邦首脳会議(CHOGM)でも,人権問題が注目されるなど,戦争末期の人権問題に関して国際社会との意識の齟齬は解消されていない。

国内政治では地方への権限委譲を後退させるような憲法改正の動きがみられたものの,議論は最終的な結論には至らなかった。

社会では急進的な仏教団体によるムスリム団体やキリスト教教会への攻撃という,これまで目立たなかった対立の構図が明確に現れはじめた。

物価上昇率は1桁台を維持し,内戦終結後に急増した輸入の伸びも沈静化するなど,マクロ指標はコントロールできている。2013年のGDP成長率は7%を見込んでいる。中央銀行は経済運営に自信を示しており,金融緩和策を打ち出してさらなる景気浮揚を期待している。

インドとの関係は冷え込んだ。3月のUNHRC決議のスリランカ決議案にインドは2年続けて賛成した。加えて双方の海軍や沿岸警備隊が漁船を拿捕したこと,タミル・ナードゥ州政府が反スリランカキャンペーンを張ったことが外交問題となっている。2013年もオーストラリアに向けて違法に移住しようとする人々を乗せた船舶が数多く拿捕された。中国との関係は前年に引き続き強化されたほか,マヒンダ・ラージャパクセ大統領自らがアフリカ諸国を頻繁に訪問し,関係を強化しようとする動きがみられた。

国内政治

憲法改正の動き

1月17日に政府スポークスマンのメディア・情報大臣が新憲法か第19次憲法改正を導入することを考慮中であると発表した。同時期に問題になっていた司法と立法府との対立(『アジア動向年報2013』528ページ参照)を解消することが目的で,最高裁長官の任期を3年にすること(現行では定年の65歳まで任期無制限)などが盛り込まれた。

しかしこれは意外な内容であった。2012年の10月にマヒンダ・ラージャパクセ大統領の実弟ゴーターベ・ラージャパクセ国防・都市開発次官が,第13次改正憲法を廃止するか現状に則した形に改めるべきであると主張したこと,北部で州評議会選挙が予想されていたことから,州評議会への権限委譲を弱体化する形で第13次改正憲法が見直されるのではないかと危惧されていたためである。

そして5月には国内メディアが,政府が改憲案を検討中であると伝えた。それによれば,改憲案は大統領の任期を現行の6年から5年に短縮すること,最高裁長官の任期を5年に変更すること,第13次改正憲法で州評議会に与えられた土地利用に関する権限と警察権を廃止すること,州の統合条項を廃止することなどを含む。その後,シンハラ国民の遺産(JHU)や統一国民党(UNP)なども競って改憲案を打ち出しはじめた。JHUの案は第13次改正項目をすべて撤廃するような過激なものであった。UNPの案は大統領制,選挙における選好票システムの廃止や独立した人事委員会の再設置などを含む。タミル政党やムスリム政党は,地方の権限を弱めるような第13次改正憲法の改正に反対である。

6月13日,政府は18日にも州の統合を規定した条項の廃止を含む第19次憲法改正案を緊急法案として国会に提出すると発表した。そして州の権限に関する重要な法案に関しては,新たに任命される国会選任委員会(PSC)で討議されることとなった。政府は,憲法改正の理由として,第13次改正がなされたのは25年前であり,状況が変化していることを挙げている。とくに第13次改正が1987年のインド・スリランカ合意とともにスリランカ国民の合意なしに導入されたことを強調している。しかし,緊急法案は提出されることはなかった。

ところが,6月21日に政府は,憲法改正案を協議するためのPSCの委員を任命し,各党にPSCへの参加を呼び掛けた。これにUNPや人民解放戦線(JVP),タミル国民連合(TNA),スリランカ・ムスリム会議(SLMC)などは参加していない。UNPは政府が過去の教訓・和解委員会(LLRC)の勧告を完全実施すること,第17次改正憲法の内容(独立委員会の設置など)を実施すること,メディアの自由で独立した活動が認められることなどを参加の条件としている。TNAが参加しない理由は,シンハラ人が多数の話し合いに参加しても多数決で押し切られるだけだからである。野党が参加を拒んだため,PSCの構成は与党・統一人民自由連合(UPFA)議員19人のみで,さらに権限委譲を積極的に推進する立場をとってきた議員らが除かれるなど,偏ったものになっている。

現政権は,改正に向けて積極的であるようにみられた。ゴーターベ国防・都市開発次官が5月に,土地利用や警察に関する権限をタミル政党が過半数を占めそうな州評議会に委譲することは,いまだに分離独立を望んでいるグループもあるなかで,安全保障上深刻な影響をもたらすと述べている。 そして,この改正によってもっとも影響を受ける州評議会も6月末にかけて次々に修正案に賛成したので,これによって憲法改正が実現するのではとみられた。

しかし第13次改正憲法の改正に反対していたのはタミル政党だけではなかった。UPFAのなかでもダグラス・デヴァナンダ伝統工業・小企業開発大臣や社会主義政党に属する古参議員らは7月5日に,改正に反対の立場を表明した。そして,自分たちに賛同する議員は38人おり,政府は改憲に必要な国会議員の3分の2を確保できないだろうと述べた。

第13次改正憲法の権限委譲条項の効力を弱めて中央集権化を推進したいスリランカ政府にとって,インドも大きな障害となった。政府が改憲を提示する見込みが報じられてすぐの5月にはインドのクルシード外務大臣がピーリス外務大臣と電話会談を行い,州評議会からの土地利用権および警察権の剥奪に懸念を表明した。6月16~19日にかけてTNA議員らがインドを訪問し,シン首相と会談した際にもシン首相は北部州選挙前に第13次憲法の改正を行うことにはっきりと失望を表明し,そのような動きは州への権限委譲に基づいた政治的解決を求めるLLRCの勧告とは相容れないと述べている。また,インドのメノン国家安全保障顧問も同様の趣旨の発言を行っている。その後もPSCは開催されているものの,インドが大反対していることや,11月のCHOGMの開催もあって,改憲論議は終息していった。

多くの報道がなされ,PSCも設立され議論が進んだにもかかわらず,明確な指針がないまま議論が終息したのだが,一連の議論は大統領らの打ち上げた「観測気球」であったとの見方がなされている。国内外の反応をみて,可能ならば実施し,反対が根強いならば見送るという方針である。スリランカ政府がとくに気にしたのはインドの出方であった。国会では与党が3分の2を確保しており手続き的には憲法改正はいつでも可能であると踏んでいる。権限委譲を後退させたいのが政府の本音だが,インドが難色を示しているだけでなく国際社会も国民和解と権限委譲を結びつけているため,政府は大胆な行動をとることができない。

野党の動き

4月24日に国会で電気料金値上げ案が提出された際に,UNPは議場でロウソクをともして席を立ち,議場の中心に集まり抗議した。それに対して与党議員はボトルを投げるなどしたので議場は騒然とした。UNPの抗議活動は5月のメーデー集会でも大規模な支持を得て,政府はいったん引き上げた価格の見直しを行わざるをえなかった。これにより一般家庭などの少量消費者の料金は据え置きとなった。UNPの動きは,強大化する与党に対して野党として具体的な譲歩を引き出した近年にない成功例となった。

それでもUNP内部では党首ラニル・ウィクレマシンハに対する反発が強まっている。7月24日には北西部クルネーガラ選出の国会議員ダヤシリ・ジャヤセーカラがUPFAに党籍替えしている。ダヤシリは若く人気があるだけでなく,UNPの中央執行部に対して党内改革を訴えるなどUNPの改革派の急先鋒だった。

10月5日には南部マータラ県のデヴィヌワラで,UNP執行部に対立するグループがデモ行進を開始した。そのときにラニル支持のサマラヴィーラ議員のグループとデモ隊が衝突した。地方でも反ラニルの動きが高まっていることを明確に示した。

このような内部対立の高まりを受けてUNPは指導者委員会を設立し,重要な方針決定などを分担するようにしはじめたが,ラニルが党首である点について変更はなく,はっきりした解決には至っていない。

北部州評議会選挙

マヒンダ・ラージャパクセ大統領は3月3日に,北部州評議会選挙を9月に行う予定であることを明らかにした。北部州は内戦の主戦場であったこと,および内戦後の地雷除去のため選挙が実施できず,州評議会選挙の実施は25年ぶりであった。北部州はタミル人が人口の93%を占める(2012年センサス)。そのため州評議会選挙の実施は戦後復興のシンボルとして注目された。

9月21日の投票の結果としてはランカ・タミル連邦党(ITAK)が北部州の票の80%,38議席中30議席を獲得して圧倒的な勝利となった(表1)。ほかの州では与党UPFAが勝利を収めているのとは対照的であった。州主席大臣には,C.W.ヴィグネスヴァランが選出された。ヴィグネスヴァランはコロンボ生まれのタミル人である。コロンボのロイヤル・カレッジを卒業し,法律家となり最高裁判事も務めた。息子らはシンハラ人政治家の娘と結婚している。政治家としての経験はない。これらの点は,タミル政党と今までにない関係が築けるのではないかとシンハラ人に好意的な印象を与えている。

表1  州評議会選挙の結果

(注) 「―」は立候補なし。もっとも得票した政党にボーナスシートとして2議席が配分される。 ITAK=Ilankai Tamil Arasu Kadchi ランカ・タミル連邦党,UPFA=United People’s Freedom Alliance 統一人民自由党,UNP=United National Party 統一国民党,DP=Democratic Party 民主党,CWC=Ceylon Worker’s Congress セイロン労働者会議,SLMC=Sri Lanka Muslim Congress スリランカ・ムスリム会議,UPPF=Up-Country People’s Front 高地人民戦線,PLF=People’s Liberation Front 人民解放戦線。

(出所) Department of Elections.

しかし,タミル政党主導の州評議会が成立したとはいえ,今後も順調に北部の復興や民主化が進むかには疑問が残るスタートとなった。就任直後から問題になっているのは,州知事との対立である。州知事は大統領に任命されるが,2009年12月に任命された現知事は,ジャフナ地区を担当していた退役軍人のG.A. チャンドラシリである。ヴィグネスヴァランは軍人が知事であることは不適切であると主張し,現知事を辞任させ,文民の新知事を任命することを大統領に対して繰り返し要求している。州の事務官らも州主席大臣や州評議会と対立的であるという。さらに州主席大臣を含めて選出された州評議会メンバーらの多くは政治経験が少ない。タミルの人々の大きな期待を受けて発足した州評議会であるが,州内の意見の集約や開発政策の立案および実施そして中央政府との交渉など,山積する問題にどのように対処するかが課題となっている。

中央州,北西部州評議会選挙

北部州と同日の9月21日に中央州および北西部州でも選挙が行われた。前年に行われた東部州,北中部州,サバラガムワ州と同様に選好票をめぐるUPFAの党内抗争が散見されたが,選挙暴力は深刻ではなかった。選挙監視団や選挙管理委員会への申立数も多くはなかった。結果としては与党UPFAが圧勝し,UNPの議席数減少が著しく,中央州では22から16議席へ,北西部州では19から12議席へと減少している。

北西部州の選挙では,7月にUNPからUPFAに鞍替えしたダヤシリ・ジャヤセーカラが台風の目となっていた。ダヤシリの鞍替えはUNPからも,UPFAからも大きな反響をもって迎えられた。鞍替えと同時に9月の北西部州選挙に,UPFAの州主席大臣候補として立候補した。ダヤシリの党籍替えと州選挙での主席大臣への立候補に慌てたのが,やはり主席大臣のポストを狙っていたジョハーン・フェルナンドである。ジョハーンはジョンストン・フェルナンド協同組合・国内交易大臣の息子である。ジョンストン自身も2009年にUNPから党籍替えした政治家であるが,党籍替えしてきたダヤシリに自分の息子のポストを奪われるのが我慢ならなかった。選挙監視NGOの報告書には,ダヤシリとジョンストン・ジョハーン親子の選挙違反に関する記載が多くみられる。

結果は,ダヤシリが州評議会選挙における個人への選好票ではスリランカ史上最多の33万票を獲得しUPFAを勝利に導いた。対するジョハーンは13万票あまりだった。ちなみにそれまでの最多得票記録はチャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガが1993年に獲得した29万8000票である。

UNPが議席を減らしたのに対してサラット・フォンセーカ元陸軍司令官率いる民主党(DP)は,獲得議席数は少ないものの徐々に得票数を増やしており,2014年3月末の西部・南部州選挙でさらなる得票が見込まれそうである。

選挙監視NGOへの選挙暴力に関する報告数は減ったものの,選挙違反関連の報告が増えている。とくに,与党候補者による公務員の選挙運動への動員,政府の車両や施設を用いた選挙活動および物品の振る舞いなどである。また,選挙監視NGOは,与党が選挙活動を効率的に行えるよう,州評議会選挙の実施時期を評議会の任期である4年とは関係なく恣意的に決定していると批判して,任期にあわせた解散および選挙の実施を提起している。たとえば,2009年2月に中央州,北西部州,西部州で,8月に北中部州,サバラガムワ州,ウヴァ州で,そして10月に南部州で州評議会選挙が行われている。しかし,北中部州とサバラガムワ州では1年前倒しで2012年9月に選挙が行われ,中央州と北西部州では2013年9月に選挙が行われている。南部州と西部州は2014年1月に解散されており選挙は3月末に行われるが,一方ウヴァ州に関しては選挙の予定は発表されていない。

国連人権決議

前年に引き続き,今年のUNHRCの定期理事会(第22次,会期2月25日~3月22日)でスリランカは決議の対象となった。

2月11日付でピレー(Navi Pillay)国連人権高等弁務官はスリランカ政府に対して,和解を促進し説明責任を果たすための助言に関する報告書を発出している。報告書ではインフラの復興や地雷の撤去,国内避難民(IDP)の再定住の進展を評価している。しかし,司法,和解,生計の再開の分野では,なおなすべき点が多々あること,これまでの調査が不十分であること,誘拐,失踪などがあったことなどを挙げて必要な施策を提言している。その内容は真実追究メカニズムの構築,独立した専門家(任務保持者)の訪問など多岐にわたるが,もっとも強調したかったのはピレーが主張し続けている,2009年の戦争末期における政府軍によるタミル人の一般人大量殺害に関する戦争犯罪や人権侵害に関する,信頼できる独立した国際調査にほかならない。

さらに理事会にあわせるように2月18日に公開されたイギリスのテレビ局「チャンネル4」制作の新たなドキュメンタリー番組「No Fire Zone」が物議を醸した。番組中でプラバカランLTTE首領の12歳の息子バーラチャンドランが塹壕のなかで菓子を食べている写真と,胸に5発の銃弾を受けて死亡している写真が公開された。番組の画像は子どもが正面から銃殺されたことを示唆しており,大きな反響を呼んだ。メディア・情報大臣は,この画像が25日からの理事会審議にあわせて捏造されたものであると述べた。内戦当時陸軍司令官であったフォンセーカも軍の関与を否定した。

審議では,専門家の自由なアクセスをスリランカ政府が受け入れること,ピレーが求める国際調査を課すという項目が入るかどうかが懸案となっていた。これらはアメリカが提出した元々の草案に含まれており,実現すればスリランカ政府にとっては大きな負担となりかねなかった。

しかしこれらの項目は3月21日の最終的な決議からは削除されていた。基本的にピレーの報告書の内容に沿ったものになっているが,語調は草案よりもトーンダウンしている。決議は賛成25,反対13,棄権8で採択された。決議の具体的な内容としては,人権侵害に関する独立した調査をスリランカ政府が行うこと,LLRC勧告を実施すること,国内において法と和解が推進されるよう求めることなどであった。

LLRC勧告の実施状況など

2011年に最終報告書を提出したLLRCは,独立した委員会ではない,などの批判を受けていた。しかし2012年7月には「LLRC勧告実施のための国家行動計画」が作成され,勧告ごとに実施主体や完了予定時期が細かく提示された。そして2013年7月4日の閣議でさらに勧告が追加された。政府によれば報告書に記載された勧告や提案が徐々に実施されている。

3月21日にはメディア・情報大臣が定例記者会見で,人権保護だけでなく平和の促進のため,LLRC勧告の50%は実施を完了したと述べた。残りの勧告は,実施のための関連措置をとらなければならないため,時間がかかるとした。

また国家地雷活動センターによれば,地雷警戒地域の95%で除去が完了し,3月末の時点で残る警戒地域は,96平方キロメートルのみであるという。そして,8月には北部および東部での行方不明調査委員会が任命されている。

スリランカ政府は海外の人権関係者の訪問に積極的ではなかったが,方針を転換し8月末にピレーを招き,国内での自由な行動を容認した。戦後復興を成し遂げたとの自負があったからである。しかし,ピレーは7日間の滞在を締めくくる演説で,スリランカ政府は権威主義的な傾向にあると歯に衣着せぬ演説を行った。9月には人権問題に対するスリランカの取り組みが遅いと批判し,2014年3月までにさらなる進展がなければ国際的な審問を行うべきと主張している。

内戦後の国民和解や復興に関して,スリランカ政府の方向性と国際社会の求める方向性には相変わらず齟齬があるようにみえる。

急進的な仏教団体の動き

LTTEと政府の内戦が長期間継続したスリランカであるが,その対立軸は宗教ではなかった。しかし内戦後は,宗教を対立軸とするような衝突が発生している。2012年にはダンブッラで仏僧らがモスクの撤去を求めるデモを行ったが,2013年には,この動きの中心となっているシンハラ仏僧らの運動は拡大し,民族間の緊張の度合いもさらに高まっている。なかでも原理主義的な主張を掲げるボドゥ・バラ・セーナ(BBS)は活動的であり,イスラーム教のハラル食品認証マークに対する一連の運動や主張は象徴的であった。

BBSは2月に,ハラル認証システムが仏教徒に対して侮蔑的であるとして反ハラル・キャンペーンを開始した。スリランカでは全セイロン・ジャミヤトゥル・ウラマ(ACJU)という聖職者団体の一部局が,食品がハラルであることを認証し,証明書を発行していた。BBSは,イスラーム教徒は(仏教国である)スリランカの人々にムスリムの宗教食を強制しようとしている,将来的にはシャリーア(イスラーム法)までも導入させようとするものである,ハラル食品を生産する工場で非ハラル食品が作れないのは国家の分断につながる,と主張してハラル認証の廃止を求めた。これに対してACJUはハラル認証事業をやめ,スリランカ基準機構などの政府機関が行うことを提案した。しかし,BBSはあくまでハラル認証それ自体の廃止を求めてこの提案を拒否した。政府もBBSからの圧力を恐れて事業を政府機関で行うことはできないとした。

3月に行われたBBSとACJUおよびセイロン商工会議所による話し合いの結果,ACJUは国内向けの食品に対するハラル認証を行わないことになったが(輸出向けや外国人向けにのみ実施),それにも翌日BBSは反対し,結局,政府がACJUは今後ハラル認証を行わない,今後の認証システムに関しては新しい制度を作ると発表して一応の幕引きとなった。

BBSの主張は大きな矛盾を含む。スリランカの仏教徒は五戒(不殺生,不偸盗,不邪淫,不妄語,不飲酒)を守ることになっている。しかし実際は肉や魚を食べることもあり,この不都合を解消するために動物を屠殺し加工する行程をイスラーム教徒やキリスト教徒(漁民)に委ねているのである。一般のシンハラ仏教徒国民はBBSの主張に矛盾を感じながらも,ハラル認証にかかるコストが食品価格に上乗せされているのは,ハラル食品を食べる必要のない仏教徒には不合理だという世論に押されてBBSを支持していた。

ハラル問題の余韻がまだ残る3月末,コロンボ郊外のペピリヤーナでムスリム経営者の洋服チェーン店「ファッション・バグ」が,仏僧の呼び掛けによって集まった群衆によって襲撃された。15歳のシンハラ人女性従業員がムスリムによって暴行されたことに対する報復とされているが,経営者によれば従業員はすべて18歳以上であるという。このとき,警察官が付近にいたにもかかわらず暴徒を止めなかったことから,政府は一連の反ムスリム的な運動を容認しているのではないかとの憶測が流れた。

そして5月2日には,元コロンボ市の副市長で国民統一戦線(NUF)の創設者であるアサード・サーリが逮捕された。インドのタミル・ナードゥ州で発行されている『Junior Vikatan』という雑誌のインタビューで,ムスリムもタミルがしたように武器を取って戦うべきである,という趣旨のテロを支援し促進する発言をしたことが逮捕の引き金になったとされる。そのほかにも,人種差別を扇動するようなショートメッセージの配信やLTTEを支援する海外居住タミル人とのつながりも指摘されている。

一方でアサード・サーリは近年の人種差別,とくにムスリムに対するBBSやJHUからの攻撃を公の場で批判しており,ムスリム閣僚らが近年の人種差別に対して何も反応しないことに業を煮やしていた人々から喝采を浴びていた。そのため,逮捕は政府による抑圧であるとみなされている。

このほかにもBBSはムスリム女性のニカーブ(目以外を隠すベール)着用禁止を主張している。また,各地でムスリムの経営する肉屋,モスク,キリスト教教会への襲撃なども報告されている。

急進的な仏教団体の動きに対して,国民言語・社会統合大臣のヴァスデヴァ・ナーナヤッカラはBBSとそのほか2つの仏教団体の言動に関して,民族感情を煽るヘイト・スピーチの禁止を求めているものの,大きな支持を得ていない。前大統領のチャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガは中庸な仏教徒が急進派からの批判を恐れて発言できないでいると懸念を表明している。

高まる軍の存在感

北部における軍の存在感が大きいことに関しては,内戦終結直後から問題視されていた。内戦後4年以上が経過して,北部の町中でみかける制服姿の兵士の数は減ったものの,経済活動において軍の関与が指摘されてきた。たとえば観光や農業活動に従事しているとされる。そして近年は北部以外でも軍や警察の存在感の高まりが指摘されている。

さらにコロンボ近郊のガンパハ県ウェリウェリヤでは,8月1日工場排水によって飲料水が汚染されていることに対して住民がデモを行っていた。それを鎮圧しようとした軍が発砲し,公式発表では3人が死亡した。住民らが破壊行為を行ったため,危険を感じた警察が軍の出動を要請したと主張しているが,武装していない住民に対して軍が発砲するのが適切かどうかは疑問である。都市開発を担当する部局が国防省の管轄になっており,英連邦首脳会議の前などにコロンボの美化として大規模な開発に従事したのも兵士だといわれている。

経済

概況

農業成長率は対前年比(以下同じ)4.2%,工業部門が9.9%,サービス業が6.4%の成長を達成し,全体的には7.2%の経済成長を見込めそうだ。農業は,紅茶生産量は3%増だったが,ゴムとココナツはそれぞれ-14.1%,-15.6%と振るわなかった。マハ期(9~3月)の米収穫量は4.8%増にとどまったが,これは通年からすると高い水準にある。ヤラ期(4~8月)は天候に恵まれて57.2%増と好調だった。工業部門は3年連続の10%超えの成長はならなかったものの,建設や電力部門の貢献が顕著だった。

対外的には,安定的な為替レートの下で輸出は後半にかけて順調に伸びて,前年の落ち込みから回復した。輸入は内戦終結以降,輸出の伸びを上回るスピードで増加していたが,2012年に引き続いて前年を下回っている。その結果,貿易収支赤字は縮小傾向にある。このほか,観光客数も前年比26.7%増の127万人となって観光収入も増え,海外送金も順調である。海外直接投資(FDI)も前年の13億ドルを大きく上回り,25億ドル(GDPの18%)に達している。そのため経常収支は黒字となっている。外貨準備高も72億ドルと輸入の4.5カ月分まで増えている。

すでに述べたように政府は電気料金の引き上げを行い,野党勢力から反発があった。しかしコロンボ物価上昇率の値は1桁台で推移しており,物価上昇率をコントロールできていると認識した中央銀行は,5月と10月に政策金利をそれぞれ0.5ポイント引き下げ,6月には商業銀行への貸し出し据え置き期間を1週間から2週間に伸ばし,外国為替に対する規制も緩和した。12月末にはさらに融資を受けやすいシステムを導入するなどの金融緩和策を打ち出して景気浮揚策を強化した。これは2012年にとられた引き締め策とは逆方向である。

財政に関しては,長年の懸案だった電気料金引き上げによりセイロン石油公社とセイロン電気局の財務状況が改善した。財政赤字のGDP比は目標の5.8%に達しなかったものの,前年の6.4%から6.2%に減らすことができた。しかしこれは資本支出の削減によるもので,本来ならば税制控除やタックスホリデーなどの廃止や合理化などによる歳入強化が望ましいとIMFなどは述べている。

海外調達強化の方向へ

中央銀行は,2012年7月以降,IMFと拡大信用供与(EFF)に関して話し合いを続けたが,2013年2月にIMFからの借り入れを行わないと決定した。スリランカは2010年1月に,IMFの規定によるところの低位中所得国をとされてしまったこと,近年の経済状況の改善があることから,低利での資金調達ができなくなってしまったためである。

スリランカはインフラ建設のための資金を補うべく2007年から国際資本市場での国債発行による資本調達を行っているが, 2013年は,国民貯蓄銀行(NSB)やDFCC 銀行に国際資本市場で資本調達をさせた。9月にはNSBが8.87%で7億5000万ドル,10月にはDFCC銀行が9.62%で1億ドルを調達した。国内調達のための利子率が高いため,この条件でも有利であるという。IMFのスリランカ代表はこのような動きがスリランカの金融機関の発展を促す一方で,スリランカの債務状況や外的ショックに対する脆弱性を考慮するならば,監視の強化が必要であるとしている。一方でスリランカ政府は2014年には国債を発行して15億ドルを調達する予定であるとしている。

対外関係

大統領の海外訪問

2013年にマヒンダ・ラージャパクセ大統領は3月に日本,5月にウガンダと中国,6月にタンザニアとセーシェル,8月にベラルーシ,9月にアメリカ,そして12月には南アフリカとケニヤを訪問するなど積極的に諸外国を訪問した。なかでも中国との関係は2012年に引き続き経済協力などが強化された。そのほか,大統領はアフリカ諸国を頻繁に訪問した。ウガンダへの訪問は就任後2度目である。アフリカ諸国にとって,テロを制圧したスリランカへの関心は高い。一方スリランカにとって,アフリカ諸国との友好関係は国連での立場強化につながっている。

対印関係

3月の国連人権委員会では,アメリカの提案による「スリランカの和解と説明責任を促進する決議」が採択された。決議の行方はスリランカにとって重要であるだけでなかった。厳しい決議を強く求めていたのは,インド南部のタミル・ナードゥ(TN)州であった。TN州にはタミル人が多く居住し,隣国スリランカの民族問題への関心が高く,それを利用して2大政党であるドラヴィダ進歩同盟(DMK)と全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩同盟(AIADMK)が競い合っており,州内における政治イシューとなっているからである。

すでに述べたように,最終的な決議案は原案よりも軟化していた。その背後にはインド政府がかかわっているとして,DMKはインド中央政府を批判し,連立からの離脱を表明した(中央政府にDMK議員は18人おり,そのうち5人が入閣している)。インド政府が決議案を軟化させたのは,厳しい決議案でスリランカに強いプレッシャーを与えることがスリランカを国際社会から孤立させてしまうのではないか,という懸念があるからだとされている。とくにインドはスリランカの中国依存が高まっていることを懸念している。

タミル問題と同様に漁民・海域問題もTN州の内政が大きく影響している。内戦が終了し,北東部の海上におけるテロの危険がなくなった矢先に現れたのは対岸のインド漁船である。スリランカ側は,インド船が底引き網漁業を行い貴重な水産資源を荒らしていると批判している。双方の軍や沿岸警備隊は海域を越えた船を拿捕し,漁民と漁船を拘留している。年末までにインド人漁民300人余り,スリランカ人漁民は200人余りが拘留されている。

TN州における反スリランカ感情の高まりは,スリランカ人僧侶らが襲撃を受ける事件(3月)も引き起こしている。また,TN州で開催予定のクリケット選手権へのスリランカ選手参加拒否なども起きている。スリランカ政府は,TN州への訪問には十分注意するよう呼び掛けを行わざるをえなかった。

国際社会と人権

国連人権会議だけでなく,11月15~17日に開催されたCHOGMでも人権問題が焦点となった。スリランカ政府はCHOGMを復興アピールのチャンスとみなし,会議前にコロンボの美化やコロンボ=カトナヤケ空港間高速道路の開通などインフラを整備して準備に当たった。ピーリス外務大臣は精力的に各国を訪問し,CHOGMの円滑な開催に理解を求めた。エリザベス女王は欠席することになったがチャールズ皇太子が代理として出席した。

カナダ,インドは首相の出席を取りやめた。両国ともスリランカの人権問題に配慮したものである。モーリシャスも同様の理由で出席を取りやめた。一方オーストラリアは,スリランカで人権問題は深刻でない,という立場をとらざるをえないことから出席となった。これは2012年以来スリランカからオーストラリアに船で向かう難民が多発しているからである(『アジア動向年報2013』535ページ参照)。2012年だけで約1万人が船でオーストラリアを目指してスリランカを出発した。2013年になり,オーストラリアはこれらの難民に対して規制を強化し,船で違法にやってきたすべての難民申請者をオーストラリアに入国させず,パプアニューギニアに送る方針を打ち出した。スリランカ以外の国からも難民が押し寄せ,財政的に対処が難しくなってきているからである。スリランカからの難民申請者の多くは,実際は経済難民が多いと推測されるが,人権侵害を動機として挙げている。スリランカからの難民の受け入れが難しいオーストラリアは,スリランカの人権問題を批判することはできない。

2014年の課題

2014年は選挙の年になる。まずは南部,西部州での州評議会選挙が3月に行われる。その後には大統領選挙があるのではないかと予測されている。与党UPFAはまず州選挙で圧倒的な勝利を収めて,余裕を持って大統領選挙に臨むことを考えている。民主的に選挙を実施していることを自負しているスリランカにとって,自由かつ公正で暴力や選挙違反のない選挙を行うことは大きな課題である。

人権問題の解決をめぐる国際社会との綱引きも継続する。政府としてはインフラ開発による経済発展を優先させたいが,国際社会がそれを許さない。3月の人権理事会には3年連続してスリランカに対する決議が提案される見込みである。

内戦終結直後は内戦を終結させた現政権への支持が絶大だった。内戦終結から4年以上が経過してもなお,現政権への支持は厚い。しかし,長期政権を期待する現政権にとって中央と地方の政治的安定および地域的なバランスのとれた経済発展が必須である。とくに経済面でスリランカ政府は,インフラ整備を行ってきた。ただ今のところメガ・プロジェクトが産業の発展や地域の発展に直結しているとはいえない。経済が安定しているうちに,インフラ開発依存からの脱却の道筋をつくるべきだろう。

(地域研究センター研究グループ長代理)

重要日誌 スリランカ 2013年
  1月
2日 外国雇用局(SLBFE),女性の中東への出稼ぎを2020年までに80~90%減らすと発表。
3日 最高裁判所,国会選任委員会(PSC)は裁判官の法的権利に影響を与えるいかなる権限も有しない,と判断。
7日 控訴裁判所,PSCによる判断および報告書を棄却する命令を下す。
7日 国会,最高裁の違憲判決を審議。与党議員は退出。
8日 国会,デヴィ・ネグマ法案審議。賛成159票,反対42票で可決。
9日 サウジアラビアでスリランカ人女性のリザナ・ナフィークの死刑執行。
11日 国会でシラーニ・バンダラナイケ最高裁長官の弾劾動議,賛成155票,反対49票,棄権20票で可決。
13日 マヒンダ・ラージャパクセ大統領,最高裁長官罷免の命令書に署名。
15日 大統領,モハン・ピーリス前検事総長を新最高裁長官に任命。
22日 国会,刑事訴訟法(特別条項)を可決。
27日 タミル国民連合(TNA)代表ら,南アフリカ訪問。
28日 内閣一部改造。
  2月
4日 トリンコマリーで第65回独立記念式典開催。大統領,演説ですべての国民と国際社会が国連憲章を尊重することを強調。
5日 人民解放戦線(JVP)議員,マータレーで200体以上の人骨が発見されたと公表。
8日 国会,テロリストに対する資金供与禁止法改正案可決。
8日 大統領,インド(私的)訪問。
11日 国連専門家報告書,国連人権理事会(UNHRC)に提出される。
12日 大統領,ジャフナ訪問(~13日)。
15日 『サンデーリーダー』紙のジャーナリスト,何者かに銃撃され重傷。
18日 イギリスのテレビ局「チャンネル4」制作のドキュメンタリー番組「No Fire Zone」で,プラバカランLTTE首領の息子が殺害された写真を公開。
20日 統一国民党(UNP),ディラン・ペレーラ海外雇用促進大臣に不信任動議提出。
22日 セイロン石油公社(CPC),燃料価格引き上げ発表。
25日 ピレー国連人権高等弁務官,UNHRCの開会式で2009年の内戦終結時に大規模な戦争犯罪があったと演説。
  3月
12日 大統領,訪日(~15日)。
14日 インド外務省,漁民問題についてスリランカ大使を呼び出し。
16日 大統領,中国の習近平国家主席と電話会談。中国,国連でのスリランカ支持を表明。
16日 インドのティルチでスリランカ人僧侶が何者かに襲われる。
18日 マッタラ・ラージャパクセ国際空港(MRIA)開港。
18日 シラーニ・バンダラナイケ元最高裁長官,汚職調査委員会へ出頭するも委員たちに明らかな偏向があるとして証言せず。
19日 政府,ランカIOC社のトリンコマリー石油タンク使用差し止めを考慮中。
19日 スリランカ航空,3月21日からインドのチェンナイへのフライト数を減らすと発表。
19日 外務省,スリランカ人にタミル・ナードゥ州訪問時には厳重注意を呼び掛け。
19日 プラサード駐インド・スリランカ大使,シンハラ人の起源はオディッシャとベンガルと語る。
21日 UNHRC,アメリカ提案のスリランカ決議案採決。25カ国が決議に賛成,反対13カ国,棄権8カ国。
27日 オーストラリアに密入国しようとしていたスリランカ人97人がバティカロア沖でスリランカ海軍に逮捕される。
28日 ペピリヤーナで暴動。ムスリム経営の衣料品店が襲撃される。
  4月
1日 ラニル・ウィクレマシンハUNP総裁,インド訪問(~4日)。
2日 サラット・フォンセーカが率いる民主党が燃える松明のシンボルで政党登録。
3日 キリノッチのウタヤン新聞社事務所が何者かに襲撃される。
3日 オーストラリアのクリスマス島から密入国のスリランカ人20人送還。
5日 スリランカ海軍,ゴール沖でスリランカ人難民38人を拿捕。
8日 インド国会議員6人,来訪。政府要人,野党関係者らと面談。ジャフナ視察(~12日)。
9日 オーストラリア・パースの425キロメートル北の港ジェラルドトンにスリランカ人難民66人の乗った船が到着。
10日 軍による調査結果,過去の教訓・和解委員会(LLRC)で取り扱われた空爆は軍によるものではない。民間人の被害はタミル・イーラム解放の虎(LTTE)の攻撃によると発表。
13日 ジャフナでウタヤン新聞社事務所が襲撃・放火される。
17日 公共事業委員会,セイロン電力公社の電気料金引き上げを許可。
22日 大統領,2014年1月から電気料金の補助を行うと発表。
24日 UNP,電気料金引き上げに反対して国会でロウソクデモ実施。電力・エネルギー大臣に対する不信任動議を国会に提出。JVPも全国でデモ開催。
29日 電力省,低所得者層への電気料金引き下げの可能性について言及。
  5月
1日 野党,メーデーの大規模集会。
2日 アサード・サーリ元コロンボ市副市長,犯罪捜査局(CID)とテロ調査局により逮捕される。
2日 麻生太郎副総理兼財務相,来訪。
6日 大統領,アゼルバイジャンの外務大臣とテンプルツリー(大統領官邸)で会談。石油輸入の可能性について話し合い。
7日 野党議員によるテロリズム防止法(PTA)撤廃要求,国会で否決される。
7日 ディラン・ペレーラ海外雇用促進大臣に対する不信任動議,否決される。
9日 中央銀行,政策金利を0.5ポイント引き下げ。
10日 シラーニ,汚職調査委員会で,議長とメンバーの構成について異議申し立て。
11日 大統領,ウガンダ訪問(~14日)。
14日 マダワッチヤ=マドゥー間鉄道開通(工事開始は2011年3月27日)。
15日 電気料金引き上げに抗議する野党などの大規模デモ。政府系労働組合も同時に開催。
16日 軍,2064平方キロメートルの地雷原の95%から約100万個の地雷を除去と発表。
18日 第4回戦勝記念日。大統領,スリランカは外部の脅威にさらされていると主張。
23日 ゴーターベ国防・都市開発次官,州に警察権限や土地利用権限を与えることはないと明言。
24日 キャンディ仏歯寺前で,仔牛屠殺に抗議して僧侶1人が焼身自殺。コロンボに運ばれたものの25日に死亡。
27日 大統領,中国訪問。28日,習近平国家主席と会談。
29日 UNP,改憲案を発表。大統領制廃止・独立委員会の復活等を提案。シンハラ国民の遺産(JHU)も第13次改正憲法を廃止する法案を提出。
31日 タイのインラック首相,スリランカの国会で演説。
  6月
1日 中央銀行,商業銀行への貸し出しに対し据え置き期間を1週間から2週間に延長。
4日 政府,憲法改正に関するPSCを任命すると決定。
4日 インドのプラサード上院野党副代表ら国会議員6人,来訪。
11日 UNPのラニル総裁の乗った車がゴール県のバラピティヤで襲われる。
12日 外国人の資金取引自由化促進。
13日 政府報道官,政府は第13次改正憲法を改定し,州の合併権を廃止する緊急法案を次週提出すると発表。
16日 TNA議員ら,インド訪問(~19日)。
17日 メディア・情報省,出版や放送に際してメディアが従うべき倫理綱領を提示。
18日 JHU,第13次改正憲法の廃止を求める法案提出。
21日 憲法改正を審議するPSCに与党議員ら19人が任命される。
24日 インドのウエリントン・スタッフカレッジで訓練を受けていたスリランカ人軍人がタミル・ナードゥ州を離れる。
25日 サバラガムワ州,南部州,改憲案を支持。
27日 大統領,タンザニアとセイシェルを公式訪問。
28日 中央州,改憲案を支持。
29日 財務次官,24~25日に開催された共同タスクフォース会議でインドとの交易額を現在の50億㌦から3年後には100億㌦へ引き上げると合意した,と語る。
  7月
1日 バス料金6.2%引き上げ。
5日 2006年にトリンコマリーで5人の学生が殺害された事件で,警察官ら12人が逮捕される。
6日 モルディブのワヒード大統領,来訪。
8日 インドのメノン国家安全保障顧問,来訪。
10日 ディラン・ペレーラ海外雇用大臣,7月15日以降は,審査に通過した者のみがメイドとして出国できると発表。
11日 国会議長,ベトナムのチュオン・タン・サン国家主席と会談。
12日 タマネギの輸入関税1キログラム当たり15ルピ ー引き上げ。
13日 タミル・ナードゥ州のスリランカ副領事に脅迫状。
23日 ジャフナの軍指揮官,軍が収容していた土地を元の所有者に返還すると表明。
23日 インドネシア沖でオーストラリアに向かう難民船沈没。スリランカ人も含まれていた模様。
24日 ダヤシリ・ジャヤセーカラ,北西部州選挙に統一人民自由連合(UPFA)候補者として出馬を表明。UNPから党籍替え。
28日 新藤総務相,来訪。
  8月
1日 ガンパハ県ウェリウェリヤで住民と軍が衝突。負傷者30人以上。17歳の学生など3人が死亡。
5日 コロンボ港南ターミナル,オープン。
7日 インド,スリランカ大使を呼び出し。インド人漁民114人の拘留について。
10日 グランドパスでモスクが襲撃される。
13日 大統領,ウェリウェリヤの件で大臣や関係者と緊急話し合い。
14日 大統領,北部・東部での行方不明者調査委員会を任命したと発表。
17日 高円宮承子女王,来訪。
23日 新たに治安省設立。警察は国防省から治安省の管轄に移管。
25日 ピレー国連人権高等弁務官,スリランカの招きで来訪(7日間)。
25日 大統領,ベラルーシに出発。
28日 韓国の鄭烘原首相,来訪(~30日)。
28日 対ドルルピー為替下落。瞬間的に1㌦=135ルピーへ。
31日 ピレー,スリランカで権威主義の傾向がみえていることに懸念を表明。
  9月
9日 JHU,PSCの議論から退出。
9日 182人の元LTTE要員らがリハビリを経て釈放。これまでに1万1651人が釈放され,残りは339人。
14日 北西部州選挙でスリランカ自由党(SLFP)支持者らが衝突。
14日 大統領,オーマンタイ=キリノッチ間鉄道(62キロメートル)の開通式に出席。
16日 プドゥクドゥリップでUPFA支持者がほかのUPFA支持者によって殺害される。
21日 北部,中央,北西部州選挙投票。北部ではランカ・タミル連邦党(ITAK)が38議席中30議席を獲得し圧勝。
22日 大統領,ニューヨークへ出発。24日に国連総会で演説,潘基文国連事務総長と会談。
26日 最高裁,土地に関する権限は中央に属すると判断。
  10月
5日 UNPの改革を求めるグループがマータラ県デヴィヌワラでデモ。サマラヴィーラ国会議員らのグループと衝突。
7日 インドのクルシード外務大臣,来訪(2日間)。8日に大統領と会談。
7日 カナダのハーパー首相,スリランカが英連邦の価値を遵守していないとして英連邦会議(CHOGM)欠席を発表。
7日 サンプール発電所建設でインドと合意。
7日 UNP作業部会,最高評議会設置を決定。
10日 内閣一部改造。9人の副大臣を任命。
13日 「チャンネル4」のディレクターらの乗った列車がアヌラーダプラで足止めされる。
15日 中央銀行,政策金利を0.5ポイント引き下げ。
27日 コロンボ市とカトナヤケ国際空港を結ぶ有料高速道路開通。
  11月
4日 UNP作業委員会開催。9人からなる指導者委員会を承認し,ラニルをナショナルリーダーに任命。
4日 インド海軍とスリランカ海軍が共同訓練。
10日 インドのシン首相,ラージャパクセ大統領に書簡を送りCHOGM欠席を通知。
11日 北部州評議会でチャンドラシリ知事の辞任を求める動議通過。
14日 チャールズ英皇太子,来訪。
14日 イギリスのキャメロン首相,BBCテレビでスリランカが内戦時に「大きな罪を犯した疑いがある」として,CHOGMの議題にすると表明。
15日 CHOGM開催(コロンボ,~17日)。
15日 イギリスのキャメロン首相,ジャフナ訪問。
16日 ジャガイモ,タマネギの輸入税引下げ。
21日 大統領,財務大臣として2014年の予算を発表。
25日 インド洋における問題を話し合うゴール・ダイアログ開催(~26日)。
25日 政府,翌日の「英雄の日」を前に活動禁止団体であるLTTEを賞賛する発言を違法と発表。
26日 中国と軍事的な関係強化で合意。
26日 イギリスのキャメロン首相,改めてタミル人大量虐殺に対して透明で信頼できる独立の調査を要求。
  12月
3日 IMF,1年半にわたる26億㌦のスタンドバイ取り極めの結果,国際収支危機を回避し,経済的安定は確保できたが,財政・国際部門における脆弱性がまだ残ると語る。
9日 明石康スリランカ平和構築および復旧・復興担当日本政府代表,来訪。
11日 大統領,ケニヤに到着。
17日 メディア・情報大臣,「真実和解委員会」設置検討を発表。
26日 タミル・ナードゥ州発行の雑誌『Junior Vikatan』の記者,ジャフナで逮捕される。

参考資料 スリランカ 2013年
①  国家機構図(2013年12月末現在)
②  政府要人名簿(2013年12月末現在)
②  政府要人名簿(2013年12月末現在)(続き)

主要統計 スリランカ 2013年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2002年価格)
4  輸出・輸入分類
5  国際収支
 
© 2014 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
feedback
Top