2015 年 2015 巻 p. 187-210
2014年の香港では,2017年に予定される次期行政長官選挙の方法をめぐり,激しい論戦が繰り広げられた。同選挙は普通選挙が初めて実施される,香港の30年以上続く民主化の歴史的な節目となりうるが,そこに出馬できる候補者を中央政府と対立する恐れのない親政府派のみに制限するかどうかについて,民主派と親政府派は正面から対立した。民主派は理想的な選挙方法案を選ぶ民間投票イベントやデモ,集会などで大量動員を行ったが,親政府派もこれに対抗して異例の大規模デモや署名活動を実施した。その間には,メディア関係者への襲撃や解雇,ネットメディアの広告ボイコット,テレビ局の新規開局の妨害,民主派系サイトへのハッカー攻撃など,言論の自由の後退を思わせる事件も相次いだ。また,中央政府は初めての「一国二制度の香港での実践白書」を発表して,香港に対する「全面的統治権」を持つと主張し,香港では自治の後退が懸念された。そのようななかで結局全人代常務委員会は民主派の要求を完全に無視する決定を行い,民主派は激しく反発した。民主派や学生団体は9月末以降,12月半ばにかけて79日間に及ぶ路上占拠の抗議活動を繰り広げた。
占拠行動の経済面への影響は,当初計画されていた金融街の占拠が行われなかったため,香港全体でみれば大きくはなかった。上海と香港の株式相互乗り入れも,占拠行動実施中の11月17日に実現している。大陸からの観光客も減っていない。一方,占拠行動の背景にある貧困や住宅難などへの対策が経済政策の焦点として議論され,今後10年間の公共住宅の建設目標が発表された。
対外関係においても占拠行動が焦点となった。欧米諸国の香港民主化問題に対する関心が高まったが,中央政府は,香港問題は中国の内政に属するものであるとして欧米に対して抗議の姿勢を示した。また,香港政府は2010年の「香港人ツアー人質事件」の処理の悪さについて謝罪を拒んできたフィリピン政府への制裁を発動したが,その後フィリピン側から謝罪がなされたため,制裁を解除した。
香港では1980年代から漸進的な民主化が進められてきたが,2007年末の全国人民代表大会常務委員会(全人代常務委)の決定により,2017年の行政長官選挙を普通選挙化することが認められていた。2013年12月4日から香港政府は5カ月間の諮問期間を設け,市民の選挙方法に関する方法案や意見を募集した。これに応じて,2014年前半には,多くの政党・研究者・団体などが具体的な選挙方法案を提案し,活発な議論が展開された。5月3日までに香港政府には合計13万通の意見書が寄せられた。
香港基本法第45条が,行政長官は「広汎な代表性のある指名委員会が民主的な手続きによって指名した後,普通選挙で選出する」と規定しているため,指名委員会をどのような構成にし,どのような条件を満たせば候補者になれるかという点が主たる争点となった。立法会の主要政党が政府に提出した選挙方法案は表1のとおりである。
(出所) 『二零一七年行政長官及二零一六年立法會產生辦法公眾諮詢報告 附錄一此連結將會以新視窗開啟立法會黨派及議員提出的書面意見及18區區議會會議記錄摘錄』(香港政府政制・内地事務局ウェブサイト,http://www.2017.gov.hk/filemanager/template/tc/doc/report/appendix_1.pdf)より筆者作成。
指名委員会の構成については,親政府派は主として現在行政長官を選出している1200人の「行政長官選挙委員会」を大きく変更せずに指名委員会とすることを提案した。同委員会は中央政府寄りの財界人が多数を占める構成になっている。一方,民主派は委員の普通選挙による選出や,委員会の構成を普通選挙で選ばれた政界人中心に改めることなどを提案した。また,指名の条件について,親政府派は指名委員の過半数の支持を条件とするなど,候補者を厳しく選別しようとしたのに対し,民主派は市民の連署や政党の推薦などによって出馬できる制度を提案し,候補者の篩い分けを最大限排除しようと試みた。
親政府派の方法案は,「中央政府と対立する者は行政長官になれない」とする中央政府の意見を反映し,選挙前の段階で民主派の出馬の可能性を大いに狭める効果をねらったものであった。民主派はこれを「ニセ普通選挙」と非難した。民主派は,出馬のハードルを下げ,誰もが立候補できる,国連人権規約にかなう「真の普通選挙」を行うべきであるとして,指名委員会が候補者の選別を極力行わない案を採用するよう求めた。これに対して親政府派は,指名委員会を迂回する方法は基本法の規定に合わないと批判した。
諮問期間中の4月11日には,中央政府の担当者との意見交換のため,全立法会議員が上海に招待された。中央政府と関係が悪く,大陸への通行証を所持していない社会民主連線の梁国雄立法会議員と工党の何秀蘭立法会議員も,中国旅行社から今回限りの通行証を発給され,上海訪問が許された。ところが,梁国雄は,着用していた「天安門母親運動」のTシャツを上海の空港で押収すると宣告され,これを拒否してそのまま香港に戻った。このほか数人の民主派議員もこの対応に抗議してすぐに香港に戻り,また,民主派の一部議員は上海の街頭で民主化問題についてのビラを配布した。13日には10人の民主派立法会議員が国務院香港マカオ弁公室(港澳弁)の王光亜主任,基本法委員会の李飛主任,中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)の張暁明主任と2時間にわたり会談した。しかし李飛らは民主派の提案が基本法違反であると主張し,双方の溝は埋まらなかった。
言論の自由の減退に対する懸念1月6日,比較的民主派寄りの論調をとっていた高級紙『明報』の劉進図編集長の別部門への異動が同紙から突如発表された。これには香港記者協会が憂慮を表明し,編集部職員が幹部に説明を求める騒ぎとなった。さらに,2月26日,劉進図が暴漢に襲われ,一時重体に陥る事件が発生した。3月2日,香港記者協会は「反暴力デモ」を開催し,主催者側発表1万3000人,警察発表8600人が参加した。3月9日には香港の黒社会(裏社会)関係者である犯人2人が広東省東莞市で逮捕され,後に他7人が香港で逮捕されたが,動機などについては謎が多い。
また,2月12日には,番組で政府批判を続けてきたラジオ司会者の李慧玲が,理由の説明なしにラジオ局「商業電台」から突如解雇された。李慧玲は記者会見で,梁振英行政長官に近い者からかつて放送内容について警告を受けていたと証言した。香港記者協会はこの事件を受けて2月23日,言論の自由の擁護を訴えるデモを行い,主催者側発表6000人,警察発表2200人が参加した。
2013年に無料放送のテレビ局の開局免許を申請したものの,政府から認可を受けられず問題となった香港電視網絡(HKTV)は,携帯電話で受信するモバイルテレビの放送を2014年7月1日から始めることを目指していた。しかし,政府はHKTVに対し,5000戸以上に無免許で放送を行うことが違法にあたると通達し,HKTVは同日の開局を断念した。同局はネットテレビに方式を変更し,11月19日に開局にこぎつけた。
民主派寄りメディアは政府に近い企業から広告掲載をボイコットされ,経営面でも苦戦した。1日30万人の閲覧があったニュースサイト「主場新聞」は,7月26日,突如サイトを閉鎖した。同サイトの設立者である蔡東豪は,広告ボイコットを受け続けた結果,同サイトが開設以来2年間赤字続きであったことなどを明かしたうえで,自身の恐怖や家族の心配などを説明し,憶測を呼んだ。同サイトは商業メディアではなく,寄付で運営する方式で12月23日に「立場新聞」と名を変えて再スタートした。
フランスのNGO「国境なき記者団」が発表した2014年版の世界の報道の自由ランキングでは,香港は調査対象180カ国・地域中,前年より3位下がって61位と評価された。同調査は,香港では中国政府が中連弁を通してメディアの多元的な発言を抑圧していると指摘した。
「セントラル占拠行動」の準備と中央政府の強硬化2017年行政長官普通選挙の具体的方法については,香港政府が夏にも全人代常務委に報告書を提出し,同委が選挙方法の枠組みについての決定をすることとなっていた。2013年から香港大学の戴耀廷副教授,香港中文大学の陳健民副教授および朱耀明牧師の3人は,「真の普通選挙」が認められない場合は,香港の政治・経済の中心部である中環(セントラル)地区で路上を占拠し,政治・経済を麻痺させる「セントラル占拠行動」を行うとし,その理念を説明してきた。民主派の政党や各種団体の大部分がこの計画に賛同した。
「セントラル占拠行動」の主催者たちは,香港政府による諮問と並行して,民間で理想的な行政長官普通選挙案を選ぶ模擬投票の準備を進めた。主催者たちは5月6日,「セントラル占拠行動」賛同者の集会を開催し,さまざまな政党や団体が提案する15の選挙方法案を対象とした投票を行った。結果,学生団体の案,急進民主派政党「人民力量」の案,民主派政党の連合組織「真普選連盟」の案が上位3案となった。これら3案にはそれぞれ相違はあるものの,いずれも中央政府が嫌う市民による指名を含む案であり,中央政府に配慮する穏健民主派の案は選ばれなかった。中央政府と民主派の対決姿勢はここに明確になった。
中央政府はかねてからメディアを通じて「セントラル占拠行動」を非難し続けていた。4月24日には李源潮国家副主席が香港メディアの訪問団と会談し,「占拠は違法であり,香港の繁栄と安定を破壊し普通選挙を妨げるものである」と述べ,中央政府として初めて直接批判した。さらに6月10日,中央政府は香港に関する返還後初めての白書である「一国二制度の香港での実践白書」を発表した。白書では,香港は中央政府が直轄する地方行政区域であると明言し,香港には中央政府が授与した地方問題の管理権があるのみであり,中央政府は香港に対する全面的な統治権を持つと記載されていた。これは香港の自治の後退を大いに懸念させた。また,裁判官・司法当局を香港統治者とみなし,彼らが国を愛することは当然であるとする内容もあった。司法の独立を重視する司法関係者は「白書」に抗議し,6月27日黒い服を着て無言でデモ行進した。法律界の黒い服でのデモは1999年と2005年の全人代常務委による基本法解釈に抗議するデモ以来,返還後3回目であり,前回2005年を大きく上回る主催者側発表1800人(警察発表850人)が参加した。
そんななか,「セントラル占拠行動」発起人らは6月20日から,5月に選んだ3案から,全香港市民にもっともよい選挙方法を選ばせる民間投票イベントを行った。すると,イベント開始前にこの電子投票サイトに大規模なハッカー攻撃が仕掛けられ,一時関連サイトがダウンする事態となった。
これら一連の出来事は民主派に近い市民の危機感を高め,かえって多くの市民を民主派の政治活動に参加させる結果となった。民間投票には79万人が参加し,「真普選連盟」の案が最多の得票を得た。民主派はこの案を基本として,候補者の選別のない「真の普通選挙」を中央政府が香港に与えない場合,占拠を実行に移すと気勢を上げた。その余勢を駆って,民主派が主催した7月1日の民主化要求デモには,主催者側発表で51万人が参加した。警察はこのデモの参加者数を最大で9万8600人であったと発表し,大きな差が開いたことから,双方の人数の計算方法には疑問も投げかけられたが,いずれの数字をとるにしても毎年恒例の「七一デモ」としては10年ぶりの規模となった。デモでは「中共の威嚇を懼れず」とのスローガンも掲げられ,中央政府との対決ムードが高まった。また,デモの終了後,デモの終着点であるセントラルの路上を一部の参加者が離れず,「セントラル占拠行動」の「予行演習」と称してそのまま翌朝まで座り込んだ。2日8時までに511人が警察に逮捕された。
しかし,中央政府は民主派の動きに怯むことはなかった。親政府派は,民主派の強硬姿勢は中央政府に警戒され,かえって普通選挙の実現を遠ざけると批判した。そして親政府派は,路上占拠に反対し普通選挙を守ると称する活動を展開し,150万人の署名を集めた。8月17日には親政府派はデモを行い,主催者側発表19万3000人,警察発表で11万1800人が参加したとされた。
全人代常務委,行政長官普通選挙から事実上民主派を排除する決定7月15日,梁振英行政長官は5月までに行った行政長官普通選挙の方法に関する諮問で政府に提出された市民の意見をまとめた報告書を全人代常務委に提出した。報告書は香港市民の意見について,(1)2017年の行政長官普通選挙実現を切に望んでいる,(2)基本法と全人代常務委の決定を基礎に理性的に議論すべきである,(3)2017年の行政長官普通選挙実現は施政・経済・市民生活にいずれもプラスの効果がある,(4)行政長官は国を愛し,香港を愛する者でなければならないとの共通認識ができていると指摘した。一方,2016年の立法会議員選挙については,まずは行政長官普通選挙の実現に集中すべきとして,選挙制度の変更を行うべきでないと結論づけた。
全人代常務委は8月25日からこれを審議し,31日に選挙方法の枠組みについて決定を下した。決定では,2017年に行政長官選挙を普通選挙化してもよいとした一方,普通選挙に出馬するためには,これまでの行政長官選挙委員会と同様の1200人で構成される指名委員会の過半数の指名を受けることが必要とし,出馬できる候補者の数も2~3人に限るとした。
この「8.31決定」の内容は,諮問の段階で提案された各種の選挙方法案のなかでももっとも厳しく候補者を絞り込む内容であり,民主派の立候補の道はほぼ閉ざされた。翌9月1日この決定を説明するために香港を訪れた李飛全人代常務委副秘書長は,「中央政府に対立する立場を堅持する者は過去,現在,未来にわたり行政長官になれない」と発言し,この決定が規定する立候補の条件が,2017年のみならず,それ以降の選挙においても恒久的に適用されることを強く示唆した。
香港では,中央政府がこの決定によって「零風険」(ゼロリスク)を求めたと評された。これが通れば,香港で「中央政府と対立する」民主派が行政長官になるリスクはゼロになるという意味である。実際,中央政府はこの決定をもって香港民主化問題の徹底解決としようとしたのである。
「8.31決定」への民主派の反発とセントラル占拠行動の発動中央政府が事実上候補者を政治的理由で選別する普通選挙が「最終目標」として固定されれば,民主派が出馬できる「真の普通選挙」は香港に永久にやってこないことになる。全人代常務委の決定に対し,30年以上にわたり民主化を求め続けてきた民主派は大いに失望し,激しく反発した。決定がなされた8月31日,「セントラル占拠行動」発起人の戴耀廷らは,予告どおり占拠を決行に移すと宣言した。道路占拠は違法行為であり,実行の具体的な日時・場所を宣伝した場合は罪に問われる可能性があったため,戴耀廷らは「10月1日に飲み会をやる」という暗号めいた情報を流し,中国の建国記念日である「国慶節」に合わせて占拠を決行する可能性を強く示唆した。
当初占拠行動は学者や民主派議員などの運動として計画されていた。しかし,実施にもっとも積極的な反応を示したのは,2012年に反国民教育運動を成功させた,政治意識の高い若者たちであった。9月22日,香港各大学の学生会の連合組織である「学連」は,「8.31決定」に抗議する1週間の授業ボイコットを発動した。9月26日には中高生を中心とする政治組織「学民思潮」も1日限りの授業ボイコットを行い,多数の中高生が大学生の動きに同調した。26日の集会が終わりを迎えようとしていた午後10時半,学生らは突如,入場を認められていなかった広場に乱入し,座り込んだ。多数の学生が警察に逮捕された。
翌27日には学生運動を支援すべく,多くの学生・市民が広場周辺に詰めかけた。広場のすぐ前の道路を会場として行われていた学生の集会の参加者は主催者側発表で5万人に達し,その勢いを前に,「セントラル占拠行動」発起人の戴耀廷は,日付が変わった28日午前1時38分に占拠行動の開始を突如宣言した。当初の計画より3日早く,しかも占拠した場所は当初予定されたセントラルではなく,政府庁舎のある金鐘(アドミラリティ)地区であった。
9月28日午後には,集会の現場に向かう学生や市民の数が数万人規模に達し,警察は政府庁舎付近へ向かう道路を封鎖した。しかし,その後も人の数は増え続け,ついに金鐘周辺の車道にあふれ出した。警察はこれを排除すべく,午後6時頃から合計87発の催涙弾を撃ったが,これがかえって市民の怒りを増幅させ,さらに大規模な市民の動員に繋がった。人々は催涙弾や催涙スプレーに,雨傘をさして対抗した。後にこの運動が「雨傘革命」または「雨傘運動」と称されるようになった所以である。混乱のなかで学生・市民は香港島第一の繁華街の銅鑼湾(コーズウェイベイ)や,九龍の盛り場の旺角(モンコック)などでも車道を占拠し,警察は排除を断念することとなった。ここに,長期に及ぶ占拠行動が開始されたのである。
79日間に及んだ占拠行動占拠行動の参加者は「8.31決定」の撤回を求めた。学連代表は10月21日に香港政府の林鄭月娥政務長官らと交渉を持ったが,香港政府は中央政府の決定を変更できないとして一切の妥協を拒んだ。学連は中央政府指導者との直接対話を目指し,11月15日には北京訪問を試みたが,大陸への通行証を無効とされて香港を発つことすらできなかった。成果を得られなかったため,占拠行動の参加者は退場する理由がなくなり,長期にわたり座り込むことになった。
学生が民主化を求めて道路に座り込んだこの事件は,「天安門事件」の再演となる可能性が心配された。全世界が注目するなか,占拠行動は暴動化することなく基本的に平穏に展開され,香港全体の治安に大きな影響は生じなかった。中央政府も人民解放軍を投入して鎮圧に出ることは避けた。中央政府と香港政府の「妥協せず,流血せず」の方針のため,占拠行動は長期化し,民主派や学生たちはテントを張って路上に住み込んだ。
しかし,長期化のなかでデモは徐々に弱体化していった。そのひとつの要因は市民の支持の低下である。香港中文大学の調査では,デモに対する支持率は10月には37.8%,反対は35.5%であったが,11月には支持33%,反対44%と逆転した。道路の通行止めで迷惑をこうむる市民や,とくに占拠地区周辺の商店主などに不満がつのっていた。10月25日から11月2日までに実施された占拠行動反対署名活動では,183万人が署名したとされていた。
また,長期化に伴い,占拠行動に参加している学生団体・「セントラル占拠行動」の指導者たち・民主派政党関係者などの間で,意見の相違が目立つようになった。とくに,民主派政党は支持を失って今後の選挙に不利になることを懸念し,早期収拾を志向した。しかし,学生は退去に消極的であり,参加者の多くは占拠行動を指導している団体指導者の指揮下にはなかった。そのため,運動全体は統率が困難な状態であった。11月19日には一部の急進的な者が立法会のガラスを破って突入を図り,非暴力を旨としてきた占拠行動のイメージに傷がついた。民主派政党や「セントラル占拠行動」発起人らはこの行動を強く非難したが,学生団体は当初譴責することを避けた。
警察は10月17日に旺角で大規模な強制排除を実施したものの,翌日に再び多数のデモ隊によって占拠され失敗に終わった。11月18日以降,警察は数日前に区域を指定して予告したうえで排除を行うことを繰り返し,少しずつ占拠区域を狭めていった。11月30日には学生団体は反撃に出て,政府庁舎を包囲しようと試みたが,警察に阻止され失敗した。
「セントラル占拠行動」発起人ら民主派の指導者65人は,違法集会などの罪を認めて12月3日に警察に出頭し,運動から身を引いた。12月11日には金鐘の最大の占拠区域のデモ隊が排除され,学連の周永康秘書長や15人の民主派立法会議員を含む249人が逮捕された。12月15日には最後まで残っていた銅鑼湾の占拠区域の排除が行われ,占拠行動はついに終結した。
中央政府および香港政府は,死者や重傷者を出さず,民主化問題で妥協することもなく,占拠行動を収束させることに成功した。しかし,繁華街を練り歩くゲリラ的なデモは年末まで継続した。
香港科技大学教授の雷鼎鳴は『晴報』ウェブ2014年10月3日に,占拠行動開始直後の9月29日・30日の2日間でハンセン株価指数が745ポイント下落したことを根拠に,占拠行動の損失は3500億香港ドルにのぼるとの試算を発表した。また,政府は11月14日に2014年の経済予測を発表したが,そのなかで,占拠行動の開始後金融市場は通常どおりに運営されたものの,消費や観光業への影響がみられたと述べた。さらに政府は,占拠行動が消費に影響したなどの理由で,通年のGDP成長率の予想を2.2%に「引き下げた」とした。しかし,政府は8月時点で通年成長率予測を2%から3%の間としており,「引き下げた」はずの予測値はこの範囲内に収まっている。占拠行動中の10月の大陸からの観光客も前年同期比18.3%増と,減るどころか大きく伸びた。
「セントラル占拠行動」の経済への具体的な影響があったとみられるのは,証券取引所の相互乗り入れの実施延期である。4月10日,李克強総理は上海と香港の証券取引所の相互乗り入れを半年後に開始すると発表した。この「滬港通」と称されるアレンジにより,香港の投資家は香港証券取引所を通じて上海市場のA株を,大陸の投資家は上海証券取引所から香港株を購入することが可能となる。香港株の大陸からの購入は2007年にも提案されたがその後実現しておらず,このプロジェクトは待望されたものであった。そこに「セントラル占拠行動」のためか,当初10月に予定された実現は11月17日にずれ込んだ。大陸からの購入の資格が個人投資家の場合,個人流動資産50万元以上を必要とするよう厳しく設定されたこともあり,1日の利用限度額を大幅に下回る範囲での低調な取引状況となっている。
インフラ建設の遅れと予算超過が続出,香港政府に批判集中「10大インフラ建設」と称される各種の公共事業が進められているが,2014年にはそれらのうち,地下鉄,香港珠海マカオ大橋,大陸とのチェックポイント,西九龍文化区などに総額1600億香港ドルもの予算超過が見込まれることになった。
なかでも,広州=深圳=香港を結ぶ高速鉄道について,香港鉄路(MTR)が2013年11月にすでに完成したと報告していた西九龍駅の地下4階部分が実際には未完であることが判明するなど,大幅な工期の遅れと予算超過が明らかとなった。工事責任者は4月28日に引責辞職した。
この問題について5月3日,張炳良運輸・房屋局長は,政府が実は2013年11月の時点で工期の遅れの事実を把握していたことを明らかにした。張炳良は,MTR側から工事を急ぐといわれ,「疑いながらも大目に見た」と証言し,立法会で強く批判された。張炳良はMTR幹部とともに5月5日に謝罪した。
香港政府,公共住宅建設の10年計画を発表香港政府は印紙税増税などの不動産価格抑制策に取り組んできたが,住宅価格の高騰には歯止めがかかっていない。2014年上期の不動産価格はほぼ横ばいであったが,下期に入って上昇に転じた。香港政府による不動産販売価格指数は,1999年を100として,2013年12月の245.1から,2014年11月に274.0(暫定値)に達した。
12月16日,香港政府は「長期的住宅戦略」を発表し,2015年から2025年までの10年間に合計48万戸の分譲用公共住宅を供給するとした。
また,12月18日には曽俊華財政長官は,今後の公共住宅建設費用の財源確保のために,2014年の政府の財政剰余の運用益270億香港ドルの全額を,新設する「住宅準備金」に充当することを発表した。
ただし,「長期的住宅戦略」には,一部の建設用地の確保ができていないなどの問題点がある。また,「長期的住宅戦略」の文書は,近年香港で社会問題化している「分割住宅」(1戸のマンションを間仕切りしてそれぞれ別の者に賃貸する低所得者向け住宅)が現在全香港に推計8万6400戸存在すると指摘したものの,政府は住宅難を悪化させる恐れがあるとしてこれを規制しない意向を示した。劣悪な住環境を問題視する親政府派・民主派双方の多くの立法会議員は,政府が家賃の規制などの対策をとらないことに失望を表明した。
大陸と香港の政財界を巻き込む大規模汚職事件習近平国家主席の「反腐敗運動」が大陸を席巻するなか,中国共産党中央紀律検査委員会(中紀委)は4月17日,かつて香港中国企業協会会長を務め,香港に多数の上場企業を抱える華潤集団董事長(会長)の宋林に対する捜査を開始したと発表した。金融機関以外では香港の国有企業高級幹部が汚職関連で捜査されたのは初めてのことである。5月16日には中紀委は香港中国旅行社副董事長(副会長)・総経理(社長)の王帥廷も,華潤集団に在籍時の規律違反について捜査を受けていると発表した。
一方,5月8日,許仕仁元政務長官,不動産大手である新鴻基地産共同主席の郭炳江および郭炳聯に対する裁判が開始された。許仕仁,郭炳江および郭炳聯は2012年3月に総額2800万香港ドルの贈収賄があったとして賄賂防止条例違反の容疑で逮捕されていた。 収賄側の許仕仁は裁判の過程で,2007年3月に政務長官への留任を打診された際,自身の経済的事情を理由に断ったものの,これを知った当時の廖暉港澳弁主任から資金面での支援の申し出があった,親友を通じて「謎の人物」から1118万2000香港ドルを受け取った,この資金は廖暉と関係があると証言した。しかし,許仕仁の弁護士は廖暉に法廷での証言を求める書簡を送ったものの返答がなかった。香港の汚職取り締まり部門である廉政公署も中央政府の要人である廖暉への調査は行えなかった。
12月19日,裁判所は許仕仁,郭炳江と他2人について有罪としたが,郭炳聯は無罪とされた。創業者の次男である郭炳江の有罪判決を受けて,新鴻基地産は郭炳江の息子である郭基煇を執行董事(役員)に昇格させた。12月23日,裁判所は許仕仁に7年6カ月,郭炳江に5年の懲役刑を言い渡した。
中国大陸からの観光客は過去数年急増しており,2013年には年間延べ4000万人を超えた。1月17日,蘇錦樑商務・経済発展局長は受け入れ観光客数を制限する意思はないと表明し,市民生活への影響は「地下鉄に乗る際に1本余計に待たねばならないかも知れない」程度のことと論じたが,商店や交通機関の混雑などが社会問題化している。大陸からの観光客は食い尽くして去る「イナゴ」と蔑称されており,2月16日にはネットで呼び掛けられた「反イナゴデモ」が行われ,大陸客に人気の高級品店が並ぶ地域で観光客を罵倒して行進した。参加人数は主催者側発表200人あまり,警察発表50人とごく小規模であったが,林鄭月娥政務長官ほか多くの高官がこのデモを強く非難した。また,張徳江全人代委員長は3月6日,一部の香港市民の差別的な発言を非難しつつ,国務院港澳弁と国家旅遊局に,香港の観光客受け入れ能力について研究させると述べた。
観光客の大量流入は確かに香港市民の対大陸感情に悪影響を与えているとみられる。香港中文大学香港アジア太平洋研究所が3月末に行った世論調査では,大陸からの個人旅行客が市民の日常生活に不便をもたらしているとみる者は61.1%,現在の個人旅行客の数は香港の受け入れ能力を超えていると考える者は53.6%,個人旅行客は自分に対し良い影響をより多くもたらしているとする者が27.8%であるのに対し,悪い影響をより多くもたらしていると述べる者は43%に達した。
このような問題は「中港矛盾」と呼ばれ,香港市民の大陸や中央政府に対する反感に繋がっている。6月4日の天安門事件追悼集会は主催者側発表で18万人あまりと過去最高(警察発表では9万9500人と2010年に次ぐ2位)の動員となった。こうした情勢はセントラル占拠行動の背景要因となっている。
香港の民主化・セントラル占拠行動に対する国際的関心4月4日,訪米中の陳方安生元政務長官・李柱銘元民主党主席はホワイトハウスでバイデン米副大統領と会談し,「一国二制度」が弱められ,香港の言論の自由・報道の自由・集会の自由が脅かされていると説明した。また,2014年が香港返還をめぐる中英共同声明調印30周年にあたることを受けて,イギリス議会外交委員会は7月22日,イギリスが香港の民主化において果たすべき役割について香港市民への聴取を含む調査を開始した。中国全人代外事委員会はこれを内政干渉であるとして調査の中止を求めたが,イギリス議会は調査を続行した。
9月28日に占拠行動が開始されると,欧米メディアはデモ参加者が催涙弾に傘を差して耐えたことから「雨傘革命」との呼称を与えた。イギリスのキャメロン首相が関心を表明し,国連の潘基文事務総長も香港の民主の原則は尊重されるべきと発言した。アメリカのオバマ大統領は訪米中の王毅外相に,香港のデモに対する関心を伝えた。
これに対して中国政府は,占拠行動に外国勢力が干渉したと見ている。10月11日に汪洋副総理は,西側が香港の反対派を支持して「カラー革命」をやろうとしていると発言し,10月21日に梁振英行政長官は,占拠行動に外国が参加しているというのは推論ではなく,適当な時機に証拠を示すと述べた。11月12日,APECのため訪中したオバマ大統領は習近平国家主席と会談したが,習近平は,香港問題は中国の内政に属するものであり,外国のあらゆる干渉に反対すると発言し,これに対してオバマは,アメリカは香港のデモに関与していないと述べた。
人質事件の処理をめぐりフィリピンに対し制裁発動香港政府は2月5日,フィリピンの外交・公用旅券保持者に対するビザ免除措置の停止の制裁措置を発動した。これは,2010年8月にマニラで発生した香港人ツアー客の乗ったバスの立てこもり事件で,フィリピン警察の対応ミスで香港人人質8人が死亡したことに対し,フィリピンから謝罪がないためであった。
4月23日,梁振英行政長官が香港を訪問したエストラーダ・マニラ市長とアルメンドラス内閣担当長官と会談した後,香港政府とフィリピン政府は共同コミュニケを発表した。これによって,フィリピン側は被害者と家族に対して「もっとも悲痛な遺憾の意と心からの同情」を伝え,被害者に慰問金を支払うことで合意し,制裁は解除された。しかし,11月20日には2013年のAPECの際にアキノ・フィリピン大統領に人質事件についての質問をした香港の記者がフィリピンへの入国を拒否される事件が発生した。
2015年には2017年の行政長官選挙方法案の立法会での審議と採決が予定される。長期の占拠行動を受けても中央政府,全人代は「8.31決定」を撤回する意思をまったく示していないので,法案はこの決定の枠組にそって作成されると予想される。しかし,その具体的手続きは予定されていた事前の諮問の開始が2カ月以上遅れるなど,占拠行動の影響を受けて停滞している。また,法案の立法会審議や採決の際には,再び大規模なデモや衝突が発生する可能性も高い。いずれにせよ,法案の可決には立法会の3分の2の賛成が必要で,政府は70議席中27議席を占める民主派から4票以上の賛成を獲得する必要があるが,現在の政治情勢ではその実現は困難であるとみられている。
占拠行動が収束した後の善後策も大きな課題である。中央政府は香港の政治的安定の実現のために,民主派が求める,自治をより尊重する政策への転換をする可能性も,愛国教育や「国家の安全」を害する行為への取り締まりの強化などの強硬策に出る可能性もある。
経済面では,過去10年以上にわたる大陸との経済融合政策の副作用が表面化している。不動産や金融に偏った刺激策への依存を是正することや,大陸と香港との経済関係のあり方の再検討が求められる。また,貧困や住宅難などへの対策を行うことも急務であろう。
(立教大学法学部准教授)
1月 | |
1日 | 民主派団体・民間人権陣線が民主化要求の「元旦大デモ」を実施,3万人(主催者側発表)が参加。 |
6日 | 高級紙『明報』の劉進図編集長が異動のため辞任。 |
6日 | 香港電視(HKTV),政府が2013年10月に下した免許不交付の行政決定の是非について裁判所の判断を申請したと発表。 |
7日 | 邵逸夫・無線電視名誉主席が死去。 |
8日 | 26人の民主派立法会議員による連合組織「真普選連盟」が2017年の行政長官普通選挙方法案を発表。 |
15日 | 梁振英行政長官,施政方針演説。貧困対策に重点。 |
2月 | |
5日 | 香港政府,フィリピン人質事件への対応をめぐり,フィリピン政府に対する制裁措置を発動。 |
12日 | 政府批判を続けてきた商業ラジオ司会者の李慧玲が解雇される。 |
16日 | 大陸からの観光客を非難するデモ行進,200人(主催者側発表)が参加。 |
22日 | 立法会,不動産取引にかかる印紙税の増税法案を4日間の審議の末に可決。 |
25日 | 中央政府,秋に香港での開催を予定していたAPEC財相会議の会場を北京に変更することを香港政府に伝達。 |
26日 | 『明報』の劉進図前編集長が襲撃され重傷を負う。 |
26日 | 曽俊華財政長官,2014/15年度の財政予算案を発表。2013年の実質域内総生産(GDP)は前年比プラス2.9%であったと発表。 |
3月 | |
2日 | 劉進図の襲撃を受けて香港記者協会が実施した「反暴力デモ」に主催者側発表で1.3万人が参加。 |
3日 | 香港政府の長期的財政計画ワーキンググループが報告書を発表,7年後に財政赤字が構造化する可能性を警告。 |
5日 | 「ユニクロ」のファーストリテイリングが香港株式市場に上場。 |
12日 | 香港警察,劉進図の襲撃事件について,広東省公安と協力して広東省・香港で合計9人の容疑者を逮捕したと発表。 |
20日 | 陳方安生元政務長官が召集人を務める「香港2020」が行政長官普通選挙方法案を発表。 |
22日 | 饒戈平基本法委員会委員・北京大学教授,香港政府のシンポジウムで行政長官普通選挙方法案に言及,市民や政党による候補者指名制度は基本法違反と指摘。 |
4月 | |
4日 | バイデン米副大統領,訪米中の陳方安生元政務長官・李柱銘元民主党主席と会談,香港の民主の発展と高度の自治を支持すると表明。 |
11日 | 上海を訪問した梁国雄立法会議員,天安門事件に抗議するシャツを着用したため上海空港で入境を拒否され香港に戻る。 |
13日 | 立法会議員上海訪問団,王光亜香港マカオ弁公室主任らと会談。民主派議員は王光亜らと2時間会談も民主化問題について意見の一致に至らず。 |
15日 | 香港鉄路(MTR),広州=香港間の高速鉄道の工事の遅れを明らかにし,開通が延期されると発表。 |
22日 | 親政府派政党・民主建港協進連盟,行政長官普通選挙方法案を発表。 |
23日 | フィリピン政府,人質事件について香港政府に遺憾の意を伝える。香港政府はフィリピンへの制裁を解除。 |
24日 | 李源潮国家副主席,香港メディアの北京訪問団と会談,「セントラル占拠行動」を違法行為として批判。 |
26日 | 天安門事件記念館が開館。 |
5月 | |
3日 | 2017年行政長官選挙・2016年立法会議員選挙制度改革に関する政府の諮問が終了。 |
5日 | 広州=香港間高速鉄道の工事遅延問題で張炳良運輸・房屋局長が立法会で謝罪。 |
6日 | 「セントラル占拠行動」主催者,支持者の会合を開き,民主的な行政長官選挙の方法案3案を選出。 |
7日 | 立法会,中国大陸からの個人旅行客に関する研究報告を発表,2013年の個人旅行客の香港での消費額は総額1700億香港㌦と推計。 |
20日 | 三菱東京UFJ銀行,香港で中国・香港以外の銀行としては初のオフショア人民元建債券(点心債)の発行を発表。 |
22日 | スイス国際経営開発研究所(IMD),世界競争力ランキングを発表,香港は前年の1位から4位に転落。 |
6月 | |
4日 | 民主派による天安門事件追悼集会に史上最多に並ぶ18万人以上が参加。同時に開催された急進派による集会は7000人(いずれも主催者側発表)。 |
4日 | 財政予算案が立法会を通過。 |
5日 | 許仕仁元政務長官の汚職疑惑の高等法院での公判が開始。 |
6日 | 立法会で新界東北部開発計画の審議中,計画反対者が立法会に侵入して座り込み抗議。 |
10日 | 国務院新聞弁公室,初の「一国二制度の香港での実践白書」を発表,中央政府は香港に対する全面的な統治権を持つと主張。 |
13日 | 新界東北部開発計画反対派,立法会への突入を図る。 |
16日 | 「セントラル占拠行動」が準備した行政長官普通選挙方法案の電子投票サイトに大規模なハッカー攻撃。 |
27日 | 「一国二制度の香港での実践白書」に抗議する法律関係者のデモが行われる。 |
27日 | 立法会財務委員会,新界東北部開発計画の必要経費を強行採決し通過させる。 |
29日 | 「セントラル占拠行動」の普通選挙方法案民間投票が終了,79万人が投票。 |
7月 | |
1日 | 民主派団体による民主化要求デモ,10年ぶりの大規模に。参加者の一部が翌朝まで道路上で座り込み,警察の強制排除により511人が逮捕される。 |
6日 | 香港記者協会,香港の言論の自由年報を発表,過去1年は数十年来もっとも暗い1年であったと記述。 |
7日 | 香港上海銀行(HSBC),世界市場展望報告を発表。「セントラル占拠行動」のリスクをふまえ香港株の売却を推奨,直後に修正版を発表しこの内容を削除。 |
15日 | 香港政府は選挙制度改革に関する政府の諮問結果の報告書を発表,梁振英行政長官は全人代常務委に報告書を提出,2017年行政長官普通選挙の実施と,2016年の立法会議員選挙方法の現状維持を提案。 |
15日 | 不動産価格の抑制を目的とする印紙税増税案が立法会で可決。 |
20日 | 張徳江全人代委員長,深圳を訪問し香港の親北京派各種団体関係者と会談。 |
22日 | イギリス議会,中英共同声明調印30周年を機に同声明の実施状況などに関する調査を行うことを発表。 |
26日 | ネットメディア「主場新聞」,突然営業を終了。 |
27日 | 香港マクドナルド,上海の食肉業者の劣悪な牛肉の使用を謝罪。 |
8月 | |
3日 | 「セントラル占拠行動」に反対する団体が警察への支持を訴えるデモを開催,主催者側発表1000人参加。 |
7日 | 曽鈺成立法会主席ら親政府派・民主派双方の穏健派39人が共同声明を発表,両陣営に対話を促す。 |
10日 | 曽俊華財政長官,ブログで「セントラル占拠行動」がホットマネーの流失と金融危機を招く可能性に言及。 |
14日 | ジャッキー・チェン氏の息子で俳優の房祖名が大麻の所持・使用により北京で逮捕される。 |
15日 | 張暁明中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)主任と民主派立法会議員の会談が開始(~19日)。 |
17日 | 「セントラル占拠行動」反対派のデモに主催者側発表19.3万人が参加。 |
20日 | 26人の民主派立法会議員,選挙制度改革の政府案が非民主的な内容である場合は法案に反対票を投じると共同で宣言。 |
22日 | 李飛基本法委員会主任・全人代常務委副秘書長,深圳で立法会議員と会談。 |
25日 | 全人代常務委開催,香港の選挙制度改革について審議(~31日)。 |
31日 | 全人代常務委,2017年行政長官普通選挙に出馬する候補者の指名要件について決定,民主派の立候補を事実上不可能に。 |
31日 | 「セントラル占拠行動」,全人代常務委の決定に抗議し,近日中に道路占拠の抗議活動を決行することを宣言。 |
9月 | |
1日 | 李飛全人代常務委副秘書長・基本法委員会主任が香港を訪問,全人代常務委の決定について説明。 |
4日 | 「滬港通」(上海・香港株式市場相互乗り入れ)協定調印。 |
17日 | 香港政府,2021~2030年の鉄道建設計画を発表。 |
22日 | 学連(大学学生会の連合組織)による1週間の授業ボイコットが開始。 |
26日 | 学連の授業ボイコットに学民思潮(中高生組織)が合流,政府庁舎前広場に乱入し警察と衝突,学民思潮召集人の黄之鋒らが警察襲撃罪で逮捕される。 |
28日 | 「セントラル占拠行動」発起人・戴耀廷は占拠の正式発動を宣言。警察はデモ隊の排除に失敗,中環,金鐘,湾仔,旺角が占拠される。 |
29日 | 香港政府,国慶節の花火中止を発表。 |
10月 | |
1日 | 湾仔金紫荊広場の国慶節国旗掲揚式典を学生が包囲。 |
1日 | オバマ米大統領,訪米中の王毅中国外相に香港のデモに対する関心を伝える。 |
2日 | 香港政府,学連の林鄭月娥政務長官との対話要求を受け入れ。 |
3日 | 占拠反対派が銅鑼湾,旺角に現れて衝突が多発,警察の催涙ガス使用を不満として学連は林鄭月娥政務長官との対話を延期。 |
9日 | 林鄭月娥政務長官,10日に予定されていた学連との対話を行わないと発表。 |
11日 | 汪洋副総理,ロシアでロゴージン副首相と会談,「西側諸国が香港でカラー革命をやろうとしている」と発言。 |
15日 | 1000人以上のデモ隊が政府本庁舎付近の道にあふれ,警察は強制排除して45人を逮捕。公民党員の曽健超が警官に集団暴行を受ける。 |
15日 | 人民日報,1面で「動乱は禍」との語で占拠行動を批判。 |
17日 | 旺角で警察がバリケードを撤去も,再度激しい衝突が発生し再度占拠される。 |
21日 | 学連と政府の代表者各5人の対話が行われる。 |
25日 | 占拠反対派の尖沙咀での集会で,取材中の記者が集会参加者に殴られる。 |
26日 | 民主派,この日予定していた占拠区で携帯端末を利用した「住民投票」を実施する計画を延期。 |
29日 | 全国政協常務委員会,梁振英行政長官の辞職を求めていた田北俊自由党首(立法会議員)の全国政協委員免職を決定。 |
11月 | |
2日 | 占拠反対派の香港警察支持の署名活動が終了,183万人が署名。 |
8日 | 村上春樹がドイツの文学賞受賞時に香港の学生を支持する発言。 |
10日 | 董建華元行政長官,シンクタンク「団結香港基金」を設立。 |
12日 | 習近平国家主席,APECで北京訪問中のオバマ大統領と会談,オバマは占拠行動にアメリカは介入していない,香港が公正・公平で透明な選挙をして欲しいと発言。 |
15日 | 学連幹部3人,李克強総理との面会を求め北京を訪問しようと試みるも,香港国際空港で回郷証(香港人の大陸入境の必要証明書)を無効とされ,飛行機に搭乗できず。 |
17日 | 「滬港通」(上海・香港株式市場相互乗り入れ)が開始。 |
17日 | 香港金融監督局,香港住民の1日あたり2万元の人民元兌換制限を撤廃。 |
19日 | デモ隊の一部が立法会に突入を試みガラス戸を破る。 |
20日 | アメリカ議会で香港の民主の将来と題する公聴会開催,パッテン元総督がテレビ中継で出席し証言。 |
24日 | 学連は20人の学生会幹部に大陸訪問を試行させ,うち17人が入境拒否される。 |
26日 | 警察は旺角の占拠区の強制排除を決行,旺角の占拠が終わる。デモ隊は周辺でゲリラ式のデモを継続。 |
26日 | 10月15日にデモ参加者に暴行した警官7人が逮捕される。 |
26日 | 占拠行動の被害者たちが「セントラル占拠行動」発起人の戴耀廷らに損害賠償請求の訴えを起こす。 |
28日 | 中国,イギリス下院議員による中英共同声明実施30周年調査のための香港訪問団を香港に入国させないと通告。 |
30日 | 学連・学民思潮,政府本庁舎の包囲を試み警察と激しく衝突。 |
12月 | |
1日 | 学連,政府本庁舎包囲に失敗したことを謝罪。 |
1日 | 黄之鋒学民思潮召集人ら,無期限ハンストを開始。 |
3日 | 「セントラル占拠行動」の3人の発起人ら65人が警察に出頭。 |
9日 | ハンストを続けていた学民思潮の最後の1人の女子学生がハンストを終了。 |
11日 | 警察は金鐘の占拠区の強制排除を執行,周永康学連秘書長や15人の民主派立法会議員も含む249人が逮捕される。 |
14日 | 『蘋果日報』などを発行するネクスト・メディア社の黎智英会長が辞任。 |
14日 | 民主党主席選,劉慧卿が再選される。 |
15日 | 警察は銅鑼湾の占拠区の強制排除を実施,占拠区が完全に排除され,占拠行動は79日で終結。 |
16日 | 政府,長期的住宅政策文書を発表。 |
18日 | 曽俊華財政長官,公共住宅建設準備金の新設を発表。 |
23日 | 高等法院,許仕仁元政務長官に収賄で懲役7年6カ月,新鴻基地産共同主席の郭炳江に贈賄で懲役5年の判決。 |
25日 | 梁振英行政長官,職務報告のため北京を訪問。 |
26日 | 梁振英行政長官,習近平国家主席や李克強総理らと会談。 |
27日 | 地下鉄(MTR)西港島線上環=堅尼地城間が開通。 |
29日 | 香港政府,新農業政策を発表。 |
29日 | 亜州電視,11月分の未払い給与の半額を遅れて支給。 |
30日 | イギリス,1985~1986年の外交機密文書を公開。 |
(出所) 「香港特別行政区政府機構図」(http://www.gov.hk/tc/about/govdirectory/govchart/)。 香港特別行政区司法機構(http://www.judiciary.gov.hk/tc/index/index.htm/)。
(注)* 女性。
(注)* 女性。
(注)* 女性。