2015 年 2015 巻 p. 211-240
国内政治では,中国との間で締結された両岸サービス貿易協定の発効を阻止するため,3~4月に学生らが立法院を占拠し(ひまわり[太陽花]学生運動),王金平立法院長が彼らに同調して立法院での審議を中止した。また4月には反原発運動も盛り上がり,馬英九政権は第4原発の建設中断を余儀なくされた。7月には馬英九総統の指名した監察院人事案の3分の1が立法院で否決された。11月末には統一地方選挙で与党国民党が惨敗し,馬英九総統は同党主席を辞任した。
経済では,民間消費と輸出の持続的な成長によって,2014年の実質経済成長率は3.74%であり,前年の2.23%より1.5ポイント増の成長が達成された。その一方,台湾では「食の安全」に関する問題が前年に引き続いて起こり,大きな社会問題となった。また,8月には高雄市で大規模ガス爆発が発生し,石油化学産業に大きな影響を与えることとなった。
対外関係では,馬英九政権と中国の信頼関係に揺らぎが見られた。新たに気象協力協定と地震観測協力協定を締結したものの,ひまわり学生運動の後は両岸物品貿易協定など重要な交渉が停滞した。馬英九総統が希望した北京でのAPEC首脳会議への出席と中国の習近平国家主席との会談も実現しなかった。年後半には馬英九総統が香港の民主化運動を支持し,中国が反発する場面も見られた。
1月22日,経済建設委員会と研究発展考核委員会が合併し,国家発展委員会が発足した。同委員会主任委員には管中閔経済建設委員会主任委員(政務委員を兼任)が就任した。2月17日には労工(労働)委員会が労動(労働)部に昇格した。3月3日には国家科学委員会が科技(科学技術)部に昇格した。朱敬一国家科学委員会主任委員は退任し,張善政政務委員が科技部長に転任した。3月26日には原住民族委員会が行政院の外局から部と同格の組織に昇格した。なお,1月28日には新北市新荘区に行政院新荘聯合弁公大樓(合同庁舎)が正式オープンし,従来台北市内で事務所を賃借していた文化部や原住民族委員会,客家委員会などが移転した。
行政院は2月7日,鄭麗文行政院報道官と黄光男政務委員が私的理由で辞任し,鄭麗文の後任に大学教員出身の孫立群公平交易委員会副主任委員,黄光男の後任に内政官僚出身の簡太郎行政院副秘書長が就任すると発表した。後者は国民党の屏東県長選候補に内定した簡太郎への箔付けであったが,黄光男は「報道で自分の『辞任』を知った」と述べた。本人の了解なく「辞任」を発表し,更迭する手法は8月の張顯耀大陸委員会副主任委員の事件(「対外関係」で後述)でも見られた。
2月26日には李鴻源内政部長の退任とその後任に地方官僚出身の陳威仁行政院秘書長が,陳威仁の後任に地方官僚出身の李四川新北市副市長が就任することが発表された。李鴻源は江宜樺院長と対立し,政務委員への転任の打診も拒否して大学での教職復帰を選んだ。同時に科技部長に転任した張善政政務委員(科学,食品安全担当)の後任に蔣丙煌台湾大学教授,薛琦政務委員(財政経済担当)の退任とその後任に経済官僚出身の鄧振中国家安全会議(国安会)副秘書長,沈世宏環境保護署長の退任とその後任に魏国彦台湾大学教授がそれぞれ就任することも発表された。
江宜樺内閣では,さらに閣僚6人,うち3人が不祥事で退任した。陳希舜政務委員兼公共工程委員会主任委員(4月24日)と潘世偉労働部長(7月24日)はそれぞれ不倫が発覚し,蔣偉寧教育部長(7月14日)は関わった論文で共著者による不正が指摘され,連帯責任を問われて辞任した。陳希舜の後任には交通官僚出身の許俊逸交通部次長,潘世偉の後任には地方官僚出身の陳雄文台北市副市長(8月20日),蔣偉寧の後任には呉思華政治大学校長(8月6日)が就任した。7月15日には黄玉振客家委員会主任委員が家庭の事情で退任し,劉慶中・同副主任委員が後任に就任した。8月1日には張博雅中央選挙委員会主任委員が監察院長就任(後述)のため退任したが,後任が決まらず,劉義周・同副主任委員が職責を代行した。同7日には民進党の陳其邁立法委員が高雄ガス爆発事故(「経済」を参照)の責任を張家祝経済部長に対して追及したところ,同部長は民進党の陳菊高雄市長と中央政府や国民党が責任を擦り付け合う「政党間の悪性競争の下では政策を進められない」と反発し,辞意表明した。江宜樺院長は慰留を試みたが,10日に辞任を了承した。後任には同じく官僚出身の杜紫軍経済部次長が就任した。
金溥聡国家安全会議秘書長の就任2月26日,総統府では袁健生国安会秘書長が退任し,後任に金溥聡駐米代表が就任する(着任は25日)と報道された。国安会秘書長は本来,総統の外交ブレーンが就任するポストであるが,統一地方選挙対策のほか,馬英九総統の訪中の実現を図るうえで「統一」を懸念する世論と「統一」を求める中国の間で微妙な舵取りが必要となる。そのため,メディア研究者出身で, 2回の総統選挙を指揮し,馬英九を当選に導いた金溥聡が任命されたと考えられる。
立法院における両岸サービス貿易協定の審議と「ひまわり学生運動」2013年6月に中国との間で両岸サービス貿易協定(中国語では「協議」)が締結された。しかし,中国人の流入や社会的安全への影響を懸念する声が大きいため,同協定を審議する内政委員会では国民党の立法委員が他委員会へ逃げ,少数野党の立法委員の勢力が比較的強くなった。国民党主席を兼ねる馬英九総統から対応を迫られた立法院党団(党議員団)幹部は2014年3月17日に全委員会による合同会議を招集し,所属する立法委員を総動員して強行採決を図った。
しかし,合同会議でも野党は頑強に抵抗し,同会議を主催する張慶忠内政委員会招集人(国民党)が委員長席に着き,開会を宣言することを阻んだ。そこで張慶忠は私物の拡声器を用いて「『両岸協議』は否決されない限り,一定期間後に自動発効する。そのため同協定の審議は終了し,本会議に送付されたとみなす」と宣言した。党団幹部や行政院(同日),馬英九総統(19日)もこれを支持した。
一方,野党や政権に批判的な人々はこれを憲政や国会のルールを無視する暴挙とみなし,同18日晩には激昂した学生活動家らが立法院の本会議場を占拠した。これが「ひまわり学生運動」の発端であるが,その直後から民進党関係者や周辺で集会を行っていた反原発活動家のほか,インターネットの交流サイトを見た学生や大学教員,市民など幅広い年齢の人々が応援に駆け付けた。
馬英九総統は学生の占拠を「暴力」と非難し,王金平立法院長に事態を打開するため協力を求めた。しかし,王金平立法院長は同協定の本会議送付を認めず,議院警察権を行使して学生を排除しないよう警官隊に命じ,20日に馬英九総統が招集した「府院協調会議」も欠席した。
馬英九総統は22日に江宜樺行政院長を派遣し,学生と対話させた。しかし,学生が要求した謝罪や審議方法を厳格化,明文化する「両岸協議監督条例」の制定,同条例にもとづく協定の再審議には応じなかった。また,江宜樺行政院長は同日晩,馬英九総統も23日朝の記者会見で,同協定の重要性を繰り返したうえで,それぞれ「理性的な議論ができない」「民主的ではない」と学生側を批判した。23日晩,これに反発した学生や市民の一部が行政院に侵入した。警官隊は彼らを行政院から排除し,多数の負傷者を出した。翌早朝には放水車も用い,周辺道路に座り込んだ学生や市民を強制排除した。
政権側と学生側は互いの「暴力」を非難したが,現場の様子がテレビ中継されたことや民進党の立法委員が警察側資料の矛盾を突いたことから,世論の大勢は警察を批判し,学生が立法院を占拠し続けることを支持した。立法院では24日に野党側がゲリラ的に内政委員会を招集して両岸サービス貿易協定を否決した。また,24日には17日の合同会議の議事録が出来上がり,同会議が開会に至らなかったと記され,張慶忠の宣言が無効であることが確定した。27日,学生側は総統府前で大規模な抗議集会の実施を決めた。30日の抗議集会には学生側発表で50万人,警察側発表で11万人以上が参加した。
一方の馬英九総統は28日に蒋偉寧教育部長や主要な国立大学の校長と,31日に財界人らと会談し,学生側との対話に意欲を示したが,自らも無効となった17日の張慶忠による宣言を支持したことを反省せず,同協定の再審議も拒否した。また,31日には行政院が大陸委員会による「両岸協議処理および監督条例」の草案作成を紹介したが,4月3日に公開された草案では「両岸協議」の審査が条約に比べて緩い点が是正されず,その両岸サービス貿易協定への適用も拒否した。結局,馬英九総統は実質的な譲歩を一切拒み続けた。
そのため学生側は前回選挙で辛勝した国民党立法委員のリストを作り,「彼らが態度を改めないなら,次回選挙で落選させる」と警告した。また,国民党党団幹部やテレビで学生側を非難した蔡正元立法委員の地元では,罷免を訴えるデモを行った。
事態を打開したのは王金平立法院長であった。4月6日,彼は立法院の建物前に与野党立法委員や報道関係者を集め,「立法院長として両岸協議監督条例が制定されるまで,両岸サービス貿易協定の与野党協議を開催しない」と述べると,すぐに民進党の柯建銘党団総招集人に連れられて本会議場に入り,学生らを見舞った。馬英九総統に従ってきた国民党党団幹部は王金平院長の発言を事前に知らされておらず,狼狽した表情を見せた。一方,学生側は7日に王金平立法院長の発言を受け入れ,清掃や修復をした後,10日に立法院から立ち退いた。
国民党は3月19日に王金平立法院長の党籍剥奪に関する訴訟で敗訴したが,学生らの退去と同じ4月10日に控訴を決定した。このため,同訴訟は馬英九総統が王金平立法院長を取り込むための交渉材料だった可能性がある。
苗栗県の強制収用をめぐる政府側敗訴,第4原発の「封印」世論が「ひまわり学生運動」を支持したのは,中国人労働者の流入や中国との「統一」に対する懸念のほか,馬英九政権が多くの場面で国民党独裁時代の面影をちらつかせたことも要因のひとつである。
2013年に苗栗県政府が内政部の許可を得て工業団地の拡張に伴う強制収用を行った前後には,大規模な抗議集会が起きた。この際も馬英九政権は抗議活動を違法行為と非難した。しかし,同年9月には自宅兼店舗を取り壊された男性が自殺し,2014年1月には台中高等行政法院が強制収用を一方的かつ違法とする政府側敗訴の判決を下した。内政部は世論の反発を恐れて,上告を断念した。
また,ひまわり学生運動の後,反原発運動が盛り上がった。とくに注目されたのは,4月22日,林義雄・元民進党主席が「第4原発の建設が中止されるまでハンガーストライキを行う。もし私が死んだら,権力者に殺されたと思ってほしい」と馬英九政権に凄み,また独裁時代に国民党の特務と思われる犯人に家族を殺された元自宅の教会をその会場に選んだことである。国民党内では郝龍斌台北市長らが地方統一選挙への影響を恐れ,馬英九総統に譲歩を迫った。馬英九政権は4月27日に「第4原発の建設を『中断』する。ただし,『中止』ではなく,必要な時に使えるよう設備を保存する。運転には国民投票での賛成を条件とする」と決定し,事実上,反原発運動の要求を受け入れた。また,江宜樺行政院長が使者として林義雄のいる教会を訪ねた。しかし,当初の発表は国民党の報道担当者が行ったため,林義雄は「なぜ,政府内の権限を持つ者が公式発表をしないのか」と批判し,ハンストを30日まで止めなかった。
民進党主席選挙5月25日に民進党は党員の直接投票による主席選挙を行い,蔡英文・前主席が93.75%の圧倒的な得票率で当選した。蔡英文は2012年総統選挙の敗北により引責辞任し,同年5月の前回同党主席選挙では党の創設メンバーで「四天王」(陳水扁総統時代,彼に次ぐ有力者)のひとりである蘇貞昌が当選した。しかし,世論は民進党の世代交代が進まないことに不満を持ち,党員歴の浅い蔡英文に党刷新を期待し続けた。また,「ひまわり学生運動」で脚光を浴びた学生のリーダーが蔡英文シンパであると報じられたことも,民進党内の世代交代を促した。4月14日,蘇貞昌主席は党主席選挙に出馬しないと表明し,同じく「四天王」のひとりだった謝長廷元主席もこれに続いた。
考試院と監察院の人事総統府は5月7日に考試院,8日に監察院の人事案を発表した。13日に馬英九総統が両院人事に関する指名を行い,立法院に同意を求めた。考試院については院長に伍錦霖同副院長,副院長に高永光考試委員(政治大学教授)のほか,19人が考試委員に指名された。6月20日,立法院で与党国民党の支持を得て,難なく承認された。野党がこの人事を批判したものの,考試院は公務員試験や国家資格など限られた事務を行うにすぎず,与党内では異論が少なかった。
しかし,監察院は総統府や立法院,司法院を含むすべての政府機関の問題を調査し,弾劾,糾弾する権限を持つ。今回の監察院人事案は院長候補の張博雅中央選挙委員会主任委員,副院長候補の孫大川・前原住民族委員会主任委員をはじめ,馬英九総統の取り巻きが多いとの批判が起きた。とくに張博雅は2013年9月に国民党が王金平院長の党籍を剥奪した際,その立法委員失職の手続きを急いだとの疑惑から,国民党内でも王金平に近い立法委員の反発を受けた。立法院では7月4日に採決が行われたが,張博雅院長の人事案が否決され,他の人事案の採決も見送りとなった。その後,委員候補1人が指名を辞退した。馬英九総統は党を通じて再採決を迫り,29日に正副院長と委員16人を承認させた。しかし,委員11人が否決され,張博雅への賛成も必要な過半数を1票上回るにとどまった。
統一地方選挙と直轄市,県・市長選挙における国民党の惨敗11月29日,統一地方選挙の投票が行われた。今回の選挙は直轄市長,県・省轄市(以下,県市),郷・鎮・(県轄)市,直轄市の「山地原住民区」の首長および議会(あるいは郷・鎮・市・区民代表会),村・里長と9つの公職選挙が同時に行われたことから「九合一」と呼ばれた。なお,桃園県は12月に直轄市へ昇格する予定であるため,新たな桃園市の市長と議会の選挙が行われた。また,直轄市の区は市の出先機関であり,基本的に市長が区長を任命し,区民代表会は設置されない。2010年に直轄市へ昇格した3県下の郷・鎮・市も区に移行して自治権を失い,民選公職が廃止された。しかし,「山地原住民族」(山間部の先住民)の多い「山地郷」では伝統コミュニティーの弱体化が懸念されたため,2014年1月14日の地方制度法改正により,「山地郷」から移行した直轄市の区は「山地原住民区」として以前と同様の自治が認められ,今回選挙では桃園市を含む4市6山地原住民区で区長,区民代表会の選挙が行われた。
6直轄市長選挙では与党国民党が新北市長選で辛勝したにとどまり,獲得ポストを前回の4からわずか1に激減させた(表1)。直轄市と県市の合計でも国民党は前回の15から6と半分以下となった。一方,民進党は直轄市長が前回の2から4へ,県市長との合計でも前回の6から13へと獲得ポストを倍増させた(表2)。
(注) 網かけしたのが当選者。柯文哲は無所属,民進党推薦。
(出所) 中央選挙委員会ウェブサイト(http://www.cec.gov.tw/)より,筆者作成。
(出所) 表1と同じ。
議会選挙では無所属の当選者も多く,与野党の勝敗が明確でないものの,直轄市議会では民進党が国民党を合計獲得議席で上回り,また新北・台南・高雄の3市で第1党となった。しかし,民進党は新議会において,高雄市の議長ポストしか獲得できなかった。台南市では所属議員の一部が国民党側に買収され,新北市では国民党が無所属議員を取り込み,民進党側と同数票を獲得したためくじ引きとなり,国民党に議長ポストを奪われた。
とりわけ,台北市長選挙は国民党にとってもっとも深刻な敗北であった。首都である台北市には公務員や外省人など国民党の支持者が多い。民主化後は国民党にとって分裂選挙となった1996年選挙をのぞき,同党の勝利が続いてきた。
今回の国民党候補,連勝文は父親の連戦・元副総統(国民党栄誉[名誉]主席)の威光で,若くして大企業役員や国民党内での地位を得てきた。また,祖父の連震東・元内政部長は本省人だが,戦前に中国へ渡航し,国民党に参加した「半山」(「半分,中国人」という意味)である。そのため,連勝文は保守的な外省人の支持を集める一方,大企業の味方で,庶民の苦境に冷淡という国民党批判の矢面に立たされやすい。連勝文陣営はテレビ広告でイメージの払拭をねらったが,「連勝文は金持ちなのに,あえて社会貢献の道を選んだ」との文言や,彼を王族出身の仏教の開祖シャカムニに例えたことで逆効果となった。また,選挙本部の幹部に蔡正元立法委員を迎えたが,彼は「ひまわり学生運動」の際,連日テレビ出演して学生側を批判し,後には若者や野党支持者が罷免運動を行い,罷免投票が現実味を帯びるほど反感を集めた人物だった。
一方,民進党は候補者を擁立しなかった。党内では呂秀蓮・元副総統や姚文智立法委員が出馬を表明したが,2013年12月に柯文哲台湾大学教授兼同附属病院医師が立候補を示唆し,既存政党に失望した世論の期待を集めた。柯文哲は民進党員でないが,陳水扁・前総統の元後援会長で,その娘婿の恩師でもあった。そこで蘇貞昌民進党主席(当時)は柯文哲に入党を呼び掛けた。しかし,柯文哲はこれを断り,1月6日に無所属での立候補を表明した。民進党は反発しつつも,4月23日に世論調査の評価に基づく,党内予選と無所属候補を含む「決選」の2段階選抜方式を採用し,6月16日に決選を制した柯文哲の推薦を決めた。
柯文哲は既成政党に批判的な世論に訴えるため,あえて「私は政治の素人だ」と強調した。また,選挙本部には民進党員のほか,国民党批判で有名なブロガーの潘建志(本職は精神科医)や外省人で元(民進党と対立する)新党所属の立法委員でありながら「ひまわり学生運動」を擁護し,蔡正元の好敵手とされた姚立明中国文化大学教授を迎え入れた。さらに選挙戦中は蔡英文民進党主席と顔を合わせることも避け,無党派のイメージを守った。こうして柯文哲は野党支持者だけでなく,馬英九政権に批判的な保守派にも支持を広げ,当初から優位に立った。
連勝文陣営は苦境を打開するため,ネガティブキャンペーンを仕掛けた。しかし,連勝文本人による台湾大学病院(柯文哲の職場)の「裏通帳」疑惑に対する追及は事実の歪曲が指摘された。父親の連戦(11月17日)や郝柏村・元行政院長(郝龍斌台北市長の父親,外省人で元軍人,18日)は「柯文哲の祖父は青山と名乗り,教師として日本による皇民化に協力した馬鹿者」と発言した。これは戦後中国から来た外省人が本省人を罵った言葉と重なる。また,柯文哲の祖父は228事件の犠牲者であったため,この発言は加害者が被害者を侮辱したと評された。しかし,連戦は「『馬鹿者』は言い過ぎだった」と釈明したものの,発言を撤回しなかった。結局,連勝文は劣勢を覆せず,柯文哲に24万票という大差で敗れた。
江宜樺内閣の総辞職と毛治国内閣の発足江宜樺行政院長は統一地方選挙での与党惨敗をうけ,当日夜の記者会見で辞意表明し,12月1日の臨時行政院会議(閣議)で内閣総辞職を正式決定した。3日,総統府は後任の行政院長に毛治国行政院副院長を,同じく副院長に張善政科技部長が任命されると発表した。しかし,新院長の毛治国は交通官僚出身の外省人で,従来の国民党や馬英九政権のイメージと重なる。また,閣僚の多くが留任し,杜紫軍経済部長と鄧振中政務委員が互いのポストに横滑りしあった。この新味のない人事には与党国民党内からも批判が起きた。
内閣を去ったのは龍應台・前文化部長,楊秋興および簡太郎・前政務委員,王進旺・前海岸巡防署長にとどまった。新たな閣僚には大学教員出身の葉欣誠環境保護署副署長が政務委員,官僚出身の宋餘俠国家発展委員会副主任委員が政務委員,検察官出身の王崇儀海岸巡防署政務副署長が同署長に就任した。なお,科技部長,文化部長,中央選挙委員会主任委員は2014年末時点で空席のままとされた。
馬英九総統の国民党主席辞任一方,国民党では曽永権秘書長が江宜樺行政院長と同様,統一地方選当日の11月29日に辞意表明した。しかし,この時点で馬英九総統は自らの党主席辞任に触れなかった。このため郝龍斌台北市長は党副主席の辞任を馬英九総統に口頭で申し出ることで,馬英九総統の党主席辞任をせまった。馬英九総統は30日に党主席辞任に言及したが,念を押すように呉敦義副総統も12月1日,やはり馬英九総統に口頭で党副主席の辞任を表明した。こうして馬英九総統は12月2日に「中山会報」(国民党幹部会合)で党主席の辞意を公に表明し,3日の中央常務委員会で正式に辞任した。その際,馬英九総統は郝龍斌と呉敦義に党副主席の辞意撤回を求め,呉敦義副総統が党主席代行を務めることになった。
後任の党主席は党員による直接選挙で選ばれるが,朱立倫新北市長だけが12月12日の締め切りまでに立候補を届け出,22日には必要数(党員の3%)を超える10万人から署名を集め,無投票での当選を確実とした。
2014年の実質経済成長率は前年比3.74%であり,2013年の2.23%から1.5ポイント増の成長率を達成した。四半期ごとの成長率をみると,第1四半期3.41%,第2四半期3.87%,第3四半期4.32%,第4四半期3.35%であり,すべての四半期で3%以上の成長率を記録した。その背景には,民間消費が前年の2.35%から2.96%,輸出が前年の3.51%から5.70%にそれぞれ持続的に成長したことがあげられる。とくに,台湾に来る旅行客が20%増加したことによって,サービス貿易の部分が前年の3.21%から10.45%に増加したことが輸出全体の成長に貢献したといえよう。
財貿易については,輸出が3138億ドル,輸入が2742億ドルであり,前年よりそれぞれ2.7%,1.6%の増加となった。相手先上位3国・地域は,輸出では中国,香港,アメリカ,輸入では中国,日本,アメリカであった。中国との貿易は,前年より輸出は0.4%,輸入は12.8%,それぞれ増加した。中国からの輸入が急増した結果,最大の輸入先が日本から中国へ初めて代わることとなり,輸入でも中国へ依存する貿易体制に変わった。そのため,貿易総額に占める中国の割合は前年の21.6%から22.1%となり,さらに中国大陸との貿易依存が高まることとなった。
2014年の中国を除く対外直接投資は,承認ベースで493件,72億9368万ドルであり,前年より件数で120件,金額で20億6141万ドルそれぞれ増加した。一方,対中直接投資は承認ベースで497件,102億7657万ドルであり,前年より件数で57件減少した一方で,金額では10億8648万ドル増加した。中国への投資のうち,製造業が件数の48.9%,金額の64.0%を占めたが,件数は前年の49.6%から微減した一方で,金額では前年の55.7%を上回り,投資額では再び製造業中心の投資が実施されつつあるといえる。
消費者物価の上昇率は1.20%であり,前年の0.79%を上回った。このうち,商品類は1.25%,サービス類は1.16%それぞれ上昇した。国内販売のうち,輸入品の価格が前年のマイナス4.45%からマイナス2.02%と半減したことも,消費者物価が上昇する要因となった。なお,失業率は3.96%であり,7年ぶりに4%を下回った。
社会を揺るがした「食の安全」問題2014年の経済や社会で注目されたのは,「食の安全」に関するものであった。衛生福利部食品薬物管理署は9月5日に食品の廃油から作られたラード「全統香猪油」が大手企業を含む台湾全土の食品メーカーや飲食業者に使用されていることを明らかにした。最終的にこのラードを使用していたのは1000社・業者以上に上った。このラードは大手食用油製造企業である強冠企業が製造したものであり,強冠企業が違法な食用油工場から廃油を購入してラードに25%混入していた。また,強冠企業は工業用ラードを食用と虚偽の申告をして香港から輸入していたことも明らかになった。
食品メーカー5社の14製品にはこのラードが混入していたにもかかわらず,適正製造規範のひとつである食品GMP認証を取得していた。食品GMP認証制度は台湾では1989年に導入され,2015年2月末現在400社,4658製品が認証を受けており,広く知られた認証制度である。しかも,2014年4月1日から国際基準に沿った制度へ移行したばかりのうえに,2015年4月1日からより厳格な制度に改正して運用することになっていた。食品GMP認証を受けていた製品に違法なラードが使用されていたことは,食品GMP認証自体の信頼が問われることになった。
10月8日には台湾を代表する食品製造グループである頂新国際グループ傘下の頂新製油と正義企業の食品製油企業2社が飼料用油脂や工業用油脂を混入させた食用ラードを販売していたことが新たに明らかになった。この頂新国際グループは魏一族によって経営され,中国で康師傳というブランドで有名な即席麺を製造,多くの企業を傘下に持つとともに,他業種にも投資を行っている企業グループである。
頂新グループ傘下の味全食品工業には食品GMP認証を受けた製品が廃油ラードを使用していたうえ,頂新グループの別会社の事件によって,経営にも影響を与えた。10月9日には味全食品工業,頂新製油および正義企業の魏応充董事長(取締役会長)が辞任を表明,さらに15日には魏応充董事長を含む3人の魏一族が味全食品の取締役を辞任して経営から退くことを発表した。翌16日午前には,魏応交頂新国際グループ董事長らが記者会見し,頂新製油と正義企業の事業を停止して食用油市場から撤退することなどを発表した。同日夕方,彰化地方法院検察署(日本の地方検察庁に相当)は記者会見に同席していた魏応充董事長に出頭を要請し,身柄を拘束した。翌日,彰化地方法院が彼の拘留を決定した。
さらに,10月15日には南僑化学工業がオーストラリアから輸入した牛脂の申告書類に工業用と記載されているため,桃園県衛生局が同社製品に工業用油脂が混入している可能性があることを指摘,南僑化学工業の陳飛龍董事長が緊急記者会見で記載ミスであることを強調した。しかし,スーパーや店舗は同社の油脂を使用していた商品を自主回収した。
これらの違法油製品の製造は,たとえば味全食品工業の製品に対する不買運動を引き起こしただけでなく,中国でも頂新グループの康師傳ブランド製品の不買運動まで誘発することになった。さらに,10月末までに日本やシンガポールなど11カ国・地域が違法油を使用した台湾製食品や食用油の輸入や販売停止の措置を取り,台湾製食品のイメージを損なうこととなった。
この一連の事件によって,行政院は9月17日に食品安全衛生管理法の改正案を立法院に提出することを表明,行政罰としての罰金を5000万元から2億元へ上限を引き上げ,不当に稼いだ売り上げ分に対しても罰金に算出することとなった。この改正案は立法院で11月18日に成立した。また,10月末からは油製品を食用,工業用,飼料用に分類して管理するとともに,ほかの食品についても3回に分けて品質管理制度を改正することとなった。さらに,行政院食品安全推進作業チームは行政院食品薬品安全会報(行政院食品薬品安全会合)の下に2014年9月に発足したが,10月22日に行政院食品安全事務室への名称変更と行政院直属の組織に改編された。政府がこの組織の改編を実施したのは,重大な食品事件に対応するために中央政府と地方政府間の調整,食品管理をクラウドで実現する制度を構築するためであった。
高雄市中心部でのガス爆発事故台湾第2の都市である高雄市では2014年7月31日深夜から8月1日にかけて大規模なガス爆発が連続して発生し,死者32人,重軽傷者800人を超す大事故となった。事故現場一帯では31日夜からガス臭が発生し,マンホールから炎や白い煙が出る現象もあったが,原因の特定に手間取って未然に事故を防ぐことはできなかった。この爆発によって,被害を受けた道路の距離は4.4キロメートル,面積は3平方キロメートルであった。この爆発事故は,華運倉儲実業(台聚グループ傘下の石油化学原料の貯蔵,輸送業者)から世界最大の可燃性プラスチックメーカーである李長栄化学工業(以下,LCYケミカル)の大社工場にプロピレンを輸送するパイプラインからのガス漏れが原因であった。
この事故の直接の原因になったパイプラインは1980年に台湾中油(当時は中国石油)がLCYケミカルの前身企業である福聚プラスチックから30年前に受託して埋設したものであった。しかし,そのパイプラインの維持管理の責任所在が不明確であることがわかった。LCYケミカル側は台湾中油に点検責任があると主張する一方,台湾中油側はパイプライン埋設後に所有権と管理責任はLCYケミカル側に移っているので責任はないと反論した。パイプラインの点検作業を怠っていたために,発生した事故であった。
また,高雄市政府の対応にも批判が出た。消防局は事故前にガス漏れの通報を複数受けていたにもかかわらず,バルブの閉鎖や市民の避難指示,周辺の通行止め措置などの対応を取らなかった。そのために,多くの市民が巻き込まれ,広範囲の地域で道路の陥没などの影響を受けることになった。また,爆発原因については,下水溝内で生じたさびがパイプラインを腐食して爆発に至ったことが明らかになったが,この下水溝は高雄市水利局の前身組織の発注で1991~1992年にかけて工事が行われたものであった。この工事はすでに敷設されているパイプラインに下水溝を通した違法なものであったため,高雄市政府にも責任が生じることになった。そのため,陳菊高雄市長は8月7日に市民に謝罪するとともに,高雄市政府は2015年1月末までに被害を受けた道路はすべて復旧させ,事故によって被害を受けた家屋,店舗や乗用車の所有者などに対して災害見舞金や修繕費用や休業期間中の補塡などを実施した。最終的に,高雄地方法院検察署は12月19日,失火罪,業務過失傷害罪などで高雄市政府関係者3人,LCYケミカル関係者6人,華運倉儲実業関係者3人の合計12人を起訴した。
この事故によって,高雄市中心部に違法なパイプラインが敷かれ,住民が危険と隣合わせで生活をしていることが明らかになった。そのため,陳菊高雄市長は8月5日に爆発事故の被災地でのパイプラン再敷設の禁止を表明した。また,8月11日には高雄市政府は操業している石油化学業者42社を集め,使用しているパイプラインを1カ月以内に申告するように求めた。期日までに申告がなかった場合には,操業許可延長や工場新設の拒否,電気・水道の供給停止,最悪の場合には操業停止を求めるという厳しい態度で臨んだ。こうした厳しい対応の一方で,石油化学製品の輸送手段がタンクローリーに限定されることになり,交通事故などのリスクが高くなって,かえって危険であるとの論調もあった。
経済部はこの事故を受けて,高雄港に石油化学専用区を開発して市街地で操業している石油化学企業を移転させる計画を立てていることが8月15日付の新聞各紙で報道された。報道によれば,石油化学専用区の予定地は行政院が2011年3月に高雄港洲際コンテナセンターの2期工事として決定し,2012年5月から工事を始めている石油化学製品貯蔵輸送センター(石化油品儲運中心)の計画地であった。この計画の余っている土地と新たな埋め立てを行い,高雄市内にある石油化学系企業を集積させようとしたのである。しかしながら,計画されている場所の近くには住宅地もあり,住民達が反対している。また,今後環境アセスメントも実施する必要があり,政府が計画している2019年完成,操業開始というスケジュール通りに進むかは不明である。
馬英九総統は2013年8月に「中国を訪問して,2014年のAPEC首脳会議に出席し,習近平国家主席との首脳会談(馬習会談)も行いたい」という目標を掲げた。また,馬習会談で中国側から台湾の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP),東アジア地域包括的経済連携(RCEP)参加への同意を取り付け,交渉の円滑化と中国が台湾の存在を認めたと国内世論にアピールすることを狙った。馬英九総統が両岸サービス貿易協定の発効を急いだのは,こうした中国との交渉を進めるためであった(「国内政治」を参照)。
2月11日から14日まで,王郁琦大陸委員会主任委員が同ポスト初の中国訪問を行い,11日に南京で中国の張志軍国務院台湾事務弁公室(国台弁)主任との会談(「王張会談」あるいは「両岸事務首長会議」)を公式に行った。非公式な「王張会談」は2013年にバリAPEC首脳会議の場を借りて行われていた。馬英九政権は実績をアピールするために今回の会談を公式会談と銘打ったが,双方間の協定や合意文書の署名は今後も「両岸ハイレベル会談」(台湾の海峡交流基金会[海基会]と中国の海峡両岸関係協会[海協会]のトップ会談)で行われる予定である。
台湾の立法院は今回の訪中に先立つ1月13日に「中国との交渉で『一つの中国』原則に言及しないよう」求める決議を採択した。馬英九総統は同決議を「行政権に対する侵害」と批判したが,国内世論の「統一」に対する懸念を払拭するため,中国側が台湾の地位を認めるよう訴えていることをアピールする必要があった。そこで,王郁琦大陸委員会主任委員は訪中2日目の12日に南京で孫文を祭る中山陵を訪れた際,奉納した祭文や弔辞にて「中華民国」を含む役職名を用い,13日に上海へ移動した後も張志軍国台弁主任との会談を急遽2回設けて,馬英九総統の訪中,APEC首脳会議出席,馬習会談の3点セットの実現を訴えた。しかし,中国側は王郁琦主任委員が中山陵で弔辞を述べた際に人員を撤収させ,馬習会談をAPECなど国際的な舞台を借りて行うことに難色を示した一方,台湾側に「平和協定」の交渉を提案した。台湾側は「平和協定には(中国が嫌う)国民投票による承認が必要だ」と述べるなど,両者の思惑は一致しなかった。
17日には連戦国民党名誉主席が訪中し,18日に習近平中国共産党(中共)総書記と会談した(「連習会談」)。そこでも,馬英九総統の訪中などについて話し合いが行われたが,中国側の反応は王郁琦訪中時と変わらなかった。
26日には中国から陳徳銘海協会会長が来訪した。27日,台北で林中森海基会董事長(理事長)と第10回「両岸ハイレベル会談」を行い,気象協力協定,地震観測協力協定を締結した。しかし,両岸サービス貿易協定と並ぶ両岸経済協力枠組協定(ECFA)の継続協議である両岸物品貿易協定や双方の代表部設置などの重要な課題は合意に至っておらず,次回会談での調印を目指すものとされた。
揺らぎはじめた馬英九政権と中国の信頼関係「ひまわり学生運動」が両岸サービス貿易協定の発効を阻止したため,両岸物品貿易協定や馬英九総統の訪中など3点セットの目標の実現も絶望的となった。それでも中国は野党民進党の頼清徳台南市長の訪中(6月)を受け入れた。また,張志軍国台弁主任の来訪中(6月26~28日)は第2回公式「王張会談」のほか,民進党の陳菊高雄市長とも会談し,台湾側への積極的な対話姿勢をアピールした。
しかし,年後半に入ると,馬英九政権と中国側の信頼関係は揺らぎはじめた。8月16日,行政院は対中交渉の要であった張顯耀大陸委員会副主任委員兼海基会副董事長が「家庭の事情で辞任した」と発表した。しかし,張顯耀本人は「国営企業会長への異動を拒否したら,突然更迭された」と述べた。すると大陸委員会は19日,張顯耀を中国への機密漏洩で法務部調査局に告発した。調査局は外患罪で書類送検したが,高等検察署は21日に証拠不足を理由に不受理とした。この真相について,8月21日付『蘋果日報』は張顯耀が「台湾側が中国の望む形で『一つの中国』原則を認めることはない」と口を滑らせ,馬英九総統の訪中,APEC首脳会議,馬習会談の3点セットの交渉を頓挫させたと報じた。このとおりなら張顯耀は失言したにすぎず,国営企業会長への天下りも不自然な話でない。また,刑事告発は馬英九政権に逆らった張顯耀に対する見せしめだった可能性がある。
中国の国台弁は張顯耀事件に対し,8月23日に「台湾のメディアは無責任で,でたらめな憶測をやめよ」と馬英九政権への批判を避ける形で不快感を示すにとどまった。一方,馬英九政権は10月8日に蕭萬長・前副総統のAPEC首脳会議派遣を発表するまで「馬英九総統のAPEC首脳会議出席や馬習会談は中国と交渉中だ」と主張した。しかし,8月下旬に来訪した龔清概国台弁副主任がAPEC首脳会議の招待状を台湾側に手渡しており,この時点で結論は出ていたと思われる。
また,香港の民主化運動も影を投げかけた。馬英九総統は9月3日の「中山会報」と10月10日の国慶節記念式典の演説において香港市民の民主化要求を支持し,中国政府に香港市民と理性的に対話するよう求めた。中国の国台弁はこれらの発言に反発し,とくに国慶節演説には同報道官が10月10日と15日の2回「無責任な発言をするべきではない」と強く非難した。しかし,国民党や大陸委員会は「台湾側の善意を汲み,香港市民と対話するよう」中国政府に改めて求めた。
また,中国の習近平国家主席は9月27日に新党など台湾の統一派と接見した際,就任後初めて「一国家二制度による統一」に言及した。これは香港情勢の悪化から,台湾にも強い態度を見せたと思われる。同日,台湾の馬瑋国総統府報道官や江宜樺行政院長は「(同発言を)受け入れられない」と反発した。
11月には蕭萬長・前副総統が訪中し,9日に習近平と会談し(「蕭習会談」),10日に北京APEC首脳会議に出席した。「蕭習会談」は蕭萬長が「両岸共同市場基金会栄誉董事長(名誉会長)」,習近平が中共総書記を名乗る従来通りの形式であった。APEC首脳会議でも主催国の中国は蕭萬長を「前副総統」と呼ばなかった。また,2013年のバリAPEC首脳会議と同様,王郁琦大陸委員会主任委員が同行し,12日に中国の張志軍国台弁主任と非公式会談を行ったが,具体的な合意はなく,双方の関係維持を確認したのみで終わった。
12月には中国から陳德銘海協会会長が「経済貿易交流団」を率いて来訪し,台湾各地を視察したが,政治家との会談は行われなかった。台湾の国民党と中国共産党による対話である「両岸経貿文化論壇」も馬英九総統が国民党主席を辞任したことから,2014年の開催が見送られた。
アメリカとの関係馬英九総統は寄航と称し,事実上2回の訪米を行った。1月のサントメ・プリンシペ,ブルキナファソ,ホンジュラス訪問では帰路,ロサンゼルスへ立ち寄った(28日)。同市では空港で米国在台協会(AIT)レイモンド・バーグハート理事長の出迎えを受けたほか,現地華僑団体との懇談やレーガン大統領図書館の見学を行った。また,6月末から7月のパナマ,エルサルバドル訪問では往路にハワイ(6月30日),帰路にサンフランシスコ(7月3~4日),再度ハワイ(4日)へ寄航した。パナマで大統領就任式に出席した際,ケリー米国務長官と3回に渡り「立ち話」を行い,サンフランシスコではバーグハートAIT理事長と会談し,台湾のTPP交渉参加や米台投資協定の可能性について話し合った。
アメリカからは4月13日にジーナ・マッカーシー環境保護庁長官が来訪し,14日に馬英九総統と会談した。アメリカの閣僚による来訪は14年ぶりであった。9月24日から28日にかけて,バーグハートAIT理事長が来訪し,25日に馬英九総統や王金平立法院長と会談したほか,26日に蔡英文民進党主席らとも会談した。
軍事面では2013年に始まったP-3C哨戒機やAH-64E戦闘ヘリの引き渡しが続き,AH-64Eは2014年中に引き渡しが完了した。12月にはUH-60M汎用ヘリの引き渡しが始まり,同4日には新たにオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート4隻の売却をアメリカ議会上院が承認した。10月初めには,邱国正国防部副部長が米台国防工業会議にて「中国の軍拡に対応するには潜水艦の増強が急務だ。輸入,自主建造,いずれの場合でもアメリカの協力が必要だ」と述べ,自主建造を試みる方向に動き出すことを明らかにした。12月29日には立法院が潜水艦の設計予算を承認した。ただし,台湾は潜水艦建造の経験がなく,このまま順調に自主建造の動きが進むのか今後の展開が注目される。
日本との関係1月,日台漁業委員会の第3回会議(23~24日)にて一部海域で日本側の操業ルールを採用することが合意された。2013年4月に締結した日台漁業取決めにもとづき,日本側は同年5月より尖閣諸島周辺の排他的経済水域における操業を台湾漁船に開放した。しかし,操業ルールは決まっておらず,同海域では言葉の通じない台湾漁船が密集し,沖縄を中心とした日本漁船は安全に操業できなくなった。台湾側はルールの厳格化に抵抗しており,今回の暫定合意も難航したが,今後も操業ルールに関する交渉は継続される。
台湾側は尖閣諸島や歴史問題について日本に批判的な姿勢を崩していない。外交部は尖閣諸島に関する日本外務省ウェブサイトの特集掲載や学習指導要領での取り扱いに抗議する声明をそれぞれ1月27日と28日に出した。4月には馬英九総統が元慰安婦と面会し,外交部が日本の閣僚による靖国神社参拝を批判した。
東京国立博物館(6月24日~9月15日)と九州国立博物館(10月7日~11月30日)で特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」が開催された。2011年に日本が海外美術品等公開促進法を制定したことで,同博物院による日本での展示が可能となった(『アジア動向年報 2012』参照)。この展示の開催直前,台湾側はポスターに記載された同博物院の名称から「國立」が抜け落ちたことに抗議し,周美青総統夫人の訪日と開催記念式典出席が中止された。日本側が謝罪と訂正に応じたため,展示は予定どおり開催され,周美青夫人も8月に東京国立博物館の招待で訪日した。なお,2016年の故宮博物院南院の完成後には,日本側の両博物館が今回の展示に対する返礼として,日本宮廷美術展を行う予定である。
6月19日,台湾の外交部報道官は,18日の日本の外務省報道官による「台湾のTPP参加は良いことだ」との発言を歓迎すると述べた。7月には交流協会の樽井澄夫台北事務所代表が退任し,後任に沼田幹夫・前ミャンマー大使が着任した。9月には双方がワーキングホリデーのビザを年5000人に拡大することで合意した。11月には来訪した交流協会の大橋光夫会長と李嘉進亜東関係協会長が,観光事業協力,原子力安全規制情報交換,特許手続上の微生物の寄託,出入境管理協力に関する4つの覚書に署名した。日本政府による外国人への叙勲では,春に4人(うち1人は在日),秋に3人の台湾人が受章した。いずれも国別の人数では3番目であった。このほか,李登輝・元総統が5年ぶりに訪日し,大阪,東京,北海道を訪れ(9月19~26日),各地で講演などを行った。
国民党主席には朱立倫新北市長が1月に就任し,王金平立法院長の党籍剥奪処分を見直す意向を示した。2016年1月には総統と立法委員の選挙が予定されており,2015年はその選挙戦が展開される。民進党では蔡英文主席が総統候補として最有力である。一方,支持率の低迷する国民党では朱立倫主席が最有力とされるものの,誰が立候補しても勝算が低いことから,見通しがはっきりしない。
経済では,行政院主計総処は2014年2月16 日,2015年の実質成長率を3.78%,消費者物価指数の上昇率を0.26%との予測を公表した。国内投資の持続的な成長と企業収益の改善によって,民間消費がさらに改善して実質民間消費は3.24%の増加を予測している。また,財輸出については,1.02%と低成長を見込んでいるが,物価変動やサービス輸出を考慮すると7.26%増と強気の予測をしている。モバイル製品の高精度液晶の需要増や半導体産業の投資増が見込まれるとして,民間投資は5.98%増を予測している。
対外関係では馬英九総統の影響力低下の影響を受け,中国との関係がさらに冷え込むであろう。馬英九政権はTPP参加を推し進める意向であるが,中国は陳水扁政権時代のようにアメリカなどに働きかけ,国際社会における台湾の動きを妨害するかもしれない。また,中国は台湾の動向が香港情勢の悪化にも影響したと考えており,台湾側,とくに民進党や蔡英文主席の言動に神経を尖らせるであろう。
(竹内:地域研究センター)
(池上:新領域研究センター研究グループ長代理)
1月 | |
1日 | 馬英九総統,環太平洋経済連携協定(TPP),東アジア地域包括的経済連携(RCEP)加盟を目指すと表明。 |
2日 | 高速道路の自動料金徴収システム(ETC)稼働。 |
3日 | 台中高等行政法院,苗栗県による大埔里での土地強制収容を違法とする判決。 |
11日 | 蔡同栄・前立法委員,死去。 |
13日 | 立法院,「一つの中国」原則で中国に譲歩しないよう求める決議を採択。 |
14日 | 立法院,地方制度法を修正。直轄市の「山地原住民」区の自治を回復。 |
21日 | 故宮博物院と大阪市立東洋陶磁美術館,収蔵品の借入展示の調印式。 |
22日 | 経済建設委員会と研究発展考核委員会を統合し,国家発展委員会が発足。 |
23日 | 馬英九総統,サントメ・プリンシペ,ブルキナファソ,ホンジュラスを訪問(~30日)。ホンジュラス大統領就任式に出席,帰途ロサンゼルスに寄航。 |
24日 | 日台,漁業取決めの細則に合意。 |
25日 | 総統府にダンプトラックが突入する事件が発生。 |
26日 | 馬英九総統,13日の立法院決議を「行政権の侵害」と批判。 |
2月 | |
6日 | 労工委員会,派遣労働者保護法草案作成。 |
10日 | 蔣偉寧教育部長,高校社会科指導要領の改定案を承認。野党や本土派は歴史教育の中国化と批判。 |
11日 | 王郁琦大陸委員会主任委員,中国を訪問,中国の張志軍国務院台湾事務弁公室(国台弁)主任と会談(11,13日)。 |
11日 | 両岸財経立法サミット,台北市で開催。 |
14日 | アメリカ国際貿易委員会(ITC),台湾および中国製太陽電池のダンピング仮認定。 |
17日 | 連戦国民党名誉主席訪中,習近平中国共産党総書記と会談(18日)。 |
17日 | 労働部,発足。労工委員会から改組。 |
26日 | 行政院,内閣改造人事を発表。 |
26日 | 中国の陳徳銘海峡両岸関係協会(以下,海協会)会長ら,来訪(~28日)。台湾の林中森海峡交流基金会董事長と会談(第10回両岸ハイレベル会談),2協定を締結。 |
3月 | |
3日 | 科技部,発足。国家科学委員会から改組。 |
5日 | 欧晋徳台湾高速鉄道会長,辞任。 |
7日 | 桃園地方法院,洪仲丘事件(陸軍での体罰による死亡)につき上官らに懲役8カ月もしくは6カ月の実刑判決。 |
13日 | 馬英九総統,顔大和最高検察署主任検察官を次期検察総長に指名。 |
16日 | 蔡英文,民進党主席選挙への立候補表明。 |
17日 | 立法院合同委員会会議で,国民党が両岸サービス貿易協定(以下,サービス協定)の審議打切り,本会議送付を宣言。 |
17日 | 行政院,サービス協定の本会議送付につき,与党委員への感謝を表明。 |
17日 | 内政部,2015年から祝祭日が土日と重なった場合,振替休日を設けることを決定。 |
18日 | サービス協定の審議打ち切りに抗議する学生ら,立法院本会議場を占拠。「ひまわり学生運動」が起きる。 |
19日 | 馬英九総統,サービス協定の本会議送付を評価,今会期中の可決を改めて要求。 |
19日 | 台北地方法院,王金平立法院長の国民党員資格はく奪を無効とする1審判決。 |
21日 | 台北地方法院,馬英九総統への盗聴記録漏えいにつき,黄世銘検察総長に懲役1年2カ月の1審判決。 |
22日 | 江宜樺行政院長,立法院にて学生側と対話の後,学生側を批判する声明。 |
23日 | 馬英九総統,緊急記者会見を開催,サービス協定の重要性を強調し,立法院を占拠した学生を非難。 |
23日 | 立法院占拠を支持する学生や市民,行政院に侵入。警官隊による鎮圧で負傷者を多数出す。 |
25日 | 金溥聡駐米代表,国家安全会議秘書長に就任。 |
25日 | 米下院外交委員会,台湾関係法の重要性確認決議案採択(現地時間)。 |
26日 | 原住民族委員会,部と完全に同格な組織に昇格。 |
27日 | 52の経済団体が立法院占拠の事態収拾を図るための提言発表。 |
29日 | 有志がニューヨークタイムズ紙国際版に学生運動に関する意見広告掲載。 |
30日 | サービス協定反対集会,主催者側発表で50万人が参加。 |
31日 | 行政院,経済貿易国是会議の早期開催の考えを表明。 |
4月 | |
1日 | サービス協定を支持する団体,デモ実施。 |
2日 | 中華航空取締役会,アメリカ独占禁止法違反訴訟に9000万㌦の賠償金による和解決定。 |
3日 | 馬英九総統,黄世銘検察総長の辞任を承認。 |
6日 | 王金平立法院長,両岸協議監督条例が制定されるまで,サービス協定を審議しないとの声明を発表。 |
7日 | 馬英九総統,両岸協議処理および監督条例をサービス協定に適用しないと表明。 |
10日 | 学生グループ,立法院を退去。 |
10日 | 国民党,王金平氏の党籍確認訴訟判決を不服として,控訴。 |
14日 | 蘇貞昌民進党主席,次期党主席選挙への不出馬を表明。 |
14日 | 馬英九総統,アメリカのマッカーシー環境保護局長官と会見。 |
14日 | 行政院金融監督管理委員会,中国信託グループの東京スター銀行買収案認可。 |
16日 | 中国人自由旅行者の1日当たり受け入れ人数を3000人から4000人に拡大。 |
19日 | 国民党,連勝文を台北市長候補に公認。 |
19日 | シンガポールとの経済パートナーシップ協定(ASTEP)発効。 |
21日 | ひまわり学生運動の指導者8人,台北地検に出頭。 |
22日 | 林義雄・元民進党主席,第4原発建設中止を求めハンガースト(~30日)。 |
24日 | 陳希舜政務委員兼公共工程委員会主任委員,不倫騒動で辞任。 |
27日 | 第4原発建設中止を求める集会,5万人が参加。一部は台北駅前の道路に座り込んだが,28日早朝に強制排除。 |
27日 | 馬英九総統,第4原発の建設中断と保存を表明。28日,江宜樺行政院長が正式に同方針を発表。 |
29日 | 立法院,顔大和検察総長の人事案を承認。 |
30日 | 国民党中央常務委員会(中常委),郝龍斌台北市長,朱立倫新北市長,胡志強台中市長の副主席就任を承認。詹春柏,林豊正,蒋孝厳副主席らは退任。 |
5月 | |
5日 | 経済部投資審議委員会,中国信託グループの東京スター銀行株購入を承認。 |
6日 | 宋楚瑜親民党主席,訪中(~9日)。7日に習近平国家主席と会談。 |
8日 | 総統府,監察院人事案を発表。 |
13日 | ベトナムの工業団地での反中デモで一部が暴徒化,台湾企業も被害。 |
21日 | 台北捷運板南線の列車で無差別殺人事件が発生。4人が死亡,24人が負傷。 |
25日 | 民進党主席選挙,蔡英文・前主席が当選。 |
30日 | 葉世文桃園県副県長,遠雄集団の趙藤雄会長ら,公有地でのマンション建設に関する贈収賄容疑で逮捕。 |
6月 | |
4日 | 国民党中常委,呉敦義副総統を同党副主席とする人事案を承認。 |
7日 | 頼清徳台南市長,中国上海の復旦大学で講演。「台湾独立は台湾社会のコンセンサス。台湾の前途は台湾人が決める」と発言。 |
11日 | 中国の范麗青国台弁報道官,頼清徳発言に対し「中国の主権,領土問題は全中国人が共に決める」と反論。 |
11日 | 馬瑋国総統府報道官,范麗青発言に対し「台湾の前途は台湾人が決める」と発言。 |
12日 | 柯文哲台湾大学教授,台北市長選に関する野党合同世論調査で1位に。16日,民進党の推薦候補に。 |
18日 | 黄景泰基隆市議会議長,汚職容疑で逮捕される。 |
24日 | 東京国立博物館で『台北 國立故宮博物院―神品至宝―』開催(~9月15日)。その後,九州国立博物館でも開催(10月7日~11月30日)。 |
26日 | 中国の張志軍国台弁主任,来訪(~28日),王郁琦大陸委員会主任委員と公式会談(26日)。高雄で抗議活動に遭い,台中での予定をキャンセル。 |
29日 | 馬英九総統,パナマ,エルサルバドルを訪問(~7月5日)。パナマ大統領就任式に出席,往路ハワイ,帰路サンフランシスコ,ハワイに寄航。 |
7月 | |
9日 | 国民党中常委,黄景泰への基隆市長候補公認を取消。 |
23日 | 復興航空機,澎湖県で墜落,48人が死亡。 |
24日 | 潘世偉労働部長,辞任。 |
26日 | アメリカ商務省,台湾メーカーなどの太陽電池関連製品に対して反ダンピング関税実施を仮決定。 |
29日 | 立法院,39人の監察院人事案のうち,11人を否決。 |
31日 | 高雄市中心部で地下ガスパイプラインが爆発,死者32人,重軽傷者800人以上を出す。 |
8月 | |
7日 | 張家祝経済部長,高雄ガス爆発につき引責辞任。杜紫軍同部政務次長が後任に。 |
12日 | 金融監督管理委員会,生命保険2社(国宝人寿,幸福人寿)を財務状況悪化のため接収。 |
13日 | 張善政科技部長,中国のサイバー軍が連日台湾のサーバーを攻撃していると発言。 |
16日 | 行政院,張顯耀大陸委員会副主任委員ら次長級政務官5人の退任を発表。張顯耀は発表を否定し,解任されたと主張。 |
19日 | 大陸委員会,張顯耀が機密漏えいを行っていたと法務部調査局に通報。 |
19日 | 中国の黄恵健駐マレーシア大使,「マレーシアが無断で中国の一部である台湾とFTAを締結することに反対」と発言。21日,杜紫軍経済部長,「中国の承諾は不要」と反論。 |
20日 | 台湾高等法院,李登輝・元総統に対する国家安全局経費不正使用疑惑につき無罪の2審判決。 |
29日 | 最高検察特偵部,李登輝・元総統の経費不正疑惑,陳水扁政権の総統府公文書不正廃棄疑惑の捜査終了を決定。 |
9月 | |
4日 | 内政部警政署南部打撃犯罪センター,屏東県で違法食用油工場を摘発。5日,大手食品メーカー強冠も同工場の油を原材料としていることが明らかに。 |
10日 | 総統府,立法院で否決された監察委員11人分の新人事案を発表。 |
13日 | 屏東地検,強冠の葉文祥会長を食用油の偽装容疑で逮捕。香港経由で中国製飼料用油を輸入したことが明らかに。 |
15日 | 国防部,軍,漢光30号演習の実動演習を実施(~19日)。15,16日,嘉義県の高速道路で航空機の離発着訓練を実施。17日,馬英九総統,海上演習を視察。 |
16日 | 曹啓鴻屏東県長,違法食用油工場に関する通報を放置していたことを謝罪。 |
26日 | 台湾高等法院,国民党の王金平立法院長の党籍剥奪を無効とする2審判決。 |
26日 | 中華航空が出資した格安航空会社(LCC)のタイガーエアー,就航。 |
30日 | 立法院,香港の民主化を求めるオキュパイセントラル(セントラル占拠行動)への支持を決議。 |
10月 | |
1日 | 台北市の自由広場などで香港の民主化運動を支持する集会,開催。 |
1日 | 江宜樺行政院長,香港の民主化を支持すると述べる。 |
3日 | 邱文達衛生福利部長,食用油偽装事件への対応につき引責辞任。 |
7(現地時間6)日 | 邱国正国防部副部長,米台国防工業会議で国産潜水艦建造への支持と協力をアメリカに求める。 |
8日 | 馬英九総統,蕭萬長副総統を今年のAPEC代表団長にすると発表。 |
8日 | 台南地検,大手食品メーカー頂新国際グループの「正義」社担当者と同社元社員(香港から中国製飼料用油を輸入)を食用油偽装容疑で身柄拘束。 |
10日 | 馬英九総統,国慶節(建国記念日)式典演説にて,中国に香港の民主化実現を要求。 |
16日 | 彰化地検,魏応充(正義,頂新製油,味全の3社で会長を兼務)を食用油偽装容疑で逮捕。17日,彰化地裁が拘留を決定。 |
11月 | |
8日 | 蕭萬長・前副総統,APEC首脳会議(10,11日)出席のため訪中(~12日)。9日,習近平中国共産党総書記と会談。12日,王郁琦大陸委員会主任委員と張志軍国台弁主任,非公式会談。 |
15日 | 台北MRT(地下鉄)松山線,開通。 |
18日 | 立法院,食品安全管理法改正案を可決。 |
29日 | 統一地方選挙,実施。国民党が大敗。江宜樺行政院長,曽永権国民党秘書長,辞意表明。 |
12月 | |
3日 | 馬英九総統,国民党主席を辞任。呉敦義副総統が主席代理に。 |
3日 | 馬英九総統,毛治国行政院副院長の院長昇格人事を発表。 |
4日 | アメリカ議会上院,ペリー級ミサイルフリゲート売却に同意。10日,下院も同意。 |
8日 | 毛治国行政院長,就任。 |
9日 | 中国の陳德銘海協会会長,来訪。 |
11日 | 高天忠国防部次長,国産潜水艦建造の具体策を検討中と述べる。 |
12日 | 朱立倫新北市長,国民党主席選挙への出馬を表明。 |
25日 | 新任地方首長,議員が就任。 |
25日 | 桃園県が直轄市に昇格し,桃園市に。 |
25日 | 台南市議会議長選挙で国民党の李全教議員が当選。多数派民進党の一部議員が買収され,造反した疑い。 |
29日 | 台中刑務所が招集した医療鑑定グループ,服役中の陳水扁・前総統について刑務所外での治療を許可するよう勧告。 |
(出所) 行政院(http://www.ey.gov.tw/),監察院(http://www.cy.gov.tw/)および司法院(http://www.judicial.gov.tw/)ウェブサイトを参照。