アジア動向年報
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アジアにおける米軍再編の展開
知花 いづみ
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2015 年 2015 巻 p. 23-36

詳細

概況

米軍再編という概念に注目が集まるようになったのは,1990年代中頃のことである。1991年の湾岸戦争を契機に,「軍事における革命」(Revolution in Military Affairs)をめぐる議論が盛んになりはじめた。軍事における革命とは,新技術が軍事システムに導入・運用される際に,戦闘能力と効率性が著しく向上し,従来の戦争のあり方を根本的に変えうる根本的変革のことをいう。これは古くは歩兵,砲兵,要塞,帆船と大砲による革命に始まり,近年では機械化や情報化に加えて原子力革命などが該当する。とくに現代では装甲師団,装甲車,海軍の航空力と空母戦闘群,長距離戦略爆撃機,原子力潜水艦,大陸間弾道ミサイルなどを生み出すことにつながった。

米軍再編の必要性は,国家安全保障上の課題として,アメリカ国内において常に注目を集めてきた。2000年以降は,「4年ごとの国防計画見直し」(Quadrennial Defense Review)といった定期的な報告書をはじめ,米軍の「グローバルな態勢の見直し」(Global Posture Review),軍事態勢の再編(Transformation)といった長期的軍事計画に関する議論を中心に,態勢の見直しが進められてきた。

冷戦後戦略の基本

共和党のジョージ・ブッシュ(父)政権が成立した後,冷戦の終了により国際政治の構造に大きな変化が生じ,アメリカは従来の軍事戦略を変更せざるをえなくなった。1989年末,ブッシュ大統領はソ連のゴルバチョフ書記長と地中海のマルタ島で2日間の首脳会談を行い,歴史的な冷戦の終焉を宣言した。その後,ブッシュ政権は冷戦時代下の「対ソ封じ込め」に代わって,地域紛争を抑止するための「新国防戦略」を打ち出した。この主たる内容としては,同盟体制の強化,世界的規模で前進配置されている米軍の機動力の維持,強い海軍力の確保,米軍兵力の削減を推進しつつも有事の際には米軍を再編できる能力の確保,そして,強力な攻撃および防衛能力の堅持などが含まれていた。

とりわけ東アジアに関しては,従来のヨーロッパ重視を保ちつつも,アジア地域の重要性をよりいっそう強調する前進配置を掲げ,同地域における同盟諸国との相互協力と,それに基づく総合的な安保協力関係の構築を目指す路線へと方向転換した。

当時のブッシュ政権にとっては,レーガン政権期までに累積された巨額の財政赤字を削減することが重要課題のひとつであった。ブッシュ大統領が就任直後に取り組んだ政策が,1993年を目処とする「財政赤字ゼロ計画」であった。前政権から引き継がれた負の遺産ともいえる財政・貿易の双方の赤字問題は,その後,議会のブッシュ政権に対する対外軍事コミットメントの縮小要求を誘発するとともに,同盟国に対する責任分担の拡大を求めるうえでのひとつの根拠となった。

在韓米軍基地

こうしたアメリカ政府の方針転換によって大きな影響を受けた国に韓国がある。

1980年代初頭には,アメリカの韓国に対する安全保障面でのコミットメントは強化されていた。1981年1月に発足したレーガン政権は,強いアメリカの再建を柱とする「新保守主義」を掲げた。これを受け,レーガン政権の外交政策の基調は,ベトナム戦争前までアメリカが享受してきた覇権的地位への復帰,それを実現させるためのソ連に対する軍事力優位の確保,第三世界に対する介入など,それまでとはかなり趣の異なるものとなった。韓国に対する安全保障面でのコミットメント強化もこうした新たな外交政策基調のもとに実行されたものであった。

レーガン大統領は,韓国を共産主義に対抗するための「最前線」として認識し,韓国との関係改善に意欲を示した。このことは,クーデタによって政権を掌握した全斗煥大統領を,就任直後に最初の国賓としてワシントンに招待したことからも分かる。レーガン大統領は,同盟国としての韓国の内政に干渉せず,カーター前大統領の人権外交路線とは一線を画する姿勢を示したのであった。首脳会談でレーガン大統領は,在韓米軍撤退計画の完全中止と,韓国軍近代化のための防衛産業技術の移転および武器の売却を約束した。

しかし,こうした米韓の緊密な関係は,レーガン政権第2期に入った後に変化が生じはじめた。背景には,1980年代半ば以降,冷戦構造の収束という国際政治上の構造的変化が生じつつあったことがある。1985年に誕生したゴルバチョフ政権によるソ連の軍備縮小と米ソ間の軍縮交渉の進展によって,アメリカ国内に対ソ脅威が低下したとの認識が広がるようになり,レーガン政権の対ソ強硬路線はその説得力を保ち続けることが難しくなっていた。

また,財政逼迫と貿易赤字に代表されるアメリカ経済の状況悪化により,国防費削減の必要性がアメリカ国内で指摘されはじめたことも少なからず影響している。こうした流れは同盟国への安全保障の履行に伴う受益者負担の増大要求につながっていった。とくに,対韓政策においては,韓国の持続的な経済成長と自国防衛能力の増大,そして韓国の民主化運動の過程で表面化した反米感情の高揚などの要因が相まって,アメリカは韓国との安全保障関係の再調整の必要性を強く認識するようになった。

米韓同盟関係を見直そうとのアメリカの意図は,1987年にアーミテージ国防次官補が,韓国での記者会見の席上で「韓国国民がもはや米軍の駐留は必要ないと判断したならば,我々は撤退する以外に道はないだろう」とコメントしたことに端的に表れている。また,議会での在韓米軍撤退論の高まりも追い風となった。1989年には,民主党のサム・ナン上院委員会委員長らが在韓米軍の地政学的意義,戦力構造,任務などを再評価したうえで,韓国が自国の防衛のためにより多くの責任と費用を負担することを求める法案を提出した。この法案提出をきっかけに,議会内では東アジア地域におけるアメリカの安全保障戦略全般に対する見直し要求が具体化しはじめた。

こうした動きを受けて,アメリカ国務省は1990年に「東アジア戦略構想」(East Asia Strategy Initiative:EASI)と呼ばれる報告書を議会に提出し,在韓米軍の削減を含む再調整を提案した。具体的には,1990~1992年,1993~1995年,1996年以降の3つの時期に分けて,米軍戦闘兵力の削減や韓国軍の兵力増加などが目指された。しかし,この3段階の在韓米軍撤退計画も,第1段階だけが実施され,第2段階以降の計画は1992年に浮上した北朝鮮の核開発疑惑を理由に中止されることになった。

在比米軍基地

他方,近隣の東南アジア地域に属するフィリピンにおける米軍基地の駐留および撤退は,韓国の場合とは趣を異にする。第二次世界大戦後にアメリカ統治から独立したフィリピンは,1947年に99年間の米軍基地の存続規定を含む米比軍事基地協定を締結した。その後,協定の有効期間は1966年のラモス・ラスク覚書交換により25年に短縮された。同協定が満了となった1991年時点での主要な基地としては,スービック海軍基地,クラーク空軍基地のほか,両基地に付随する施設としてバギオ市のキャンプ・ジョン・ヘイ基地,ラ・ウニオン州ポロ・ポイントのキャンプ・ワレス航空機警戒管制所などがあるが,フィリピンの基地政策転換と関連して注目を集めたのはスービックとクラークの2基地のケースである。

スービック海軍基地は,1946年の独立の後に米軍により本格的基地として建設された。この基地はピナツボ山に隣接する深い入江にある天然の良港で,戦闘機の洋上離着艦訓練を行うための空母を擁する米海軍艦隊の母港とされた。また,1965年のベトナム戦争最盛期には,艦隊に対する食料,武器弾薬の補給地,将兵休養など後方兵站基地となった。さらに,1991年の湾岸戦争時にもアジア・太平洋における軍事拠点とされた。

他方,クラーク空軍基地は,前述の米比軍事基地協定調印の後に米陸軍のストッツェンブルグ要塞と同要塞飛行場が統合され,太平洋空軍が司令部を置く基地となった。同基地は,アメリカ国内のネバダ州のネリス空軍基地に次ぐ広さの国外最大の空軍基地で,同基地のクロー・バレーには海外からの訓練機が飛来し,空中戦の模擬訓練をするなど基地の利用価値は高かった。1950年代の朝鮮戦争やベトナム戦争,また,その後の湾岸戦争の際には,空軍輸送司令部として重要な役割を担った。

上述のフィリピン国内の米軍基地は第2次大戦後の激変する東アジアの国際環境の中でそれぞれ重要な役割を担ったが,1980年代後半になると基地をめぐるフィリピン国内外の環境は大きく変化した。国内的には1986年のピープル・パワーによる政変後に制定された1987年憲法によって,協定終了後の外国軍基地存続に関して高いハードルが課されたことなどがある。同憲法第18条25項により米比軍事基地協定が満了となる1991年以降の外国軍駐留が認められないこととなったが,上院議員3分の2以上の承認を受けたうえで駐留に関する条約が締結された(下院が必要とする場合には国民投票による承認も必要)場合にのみ例外的に外国軍の駐留が認められることとなった。こうした条件に加えて,国際社会においては冷戦構造の終焉があった。また,1991年6月のルソン島中部のピナツボ山噴火では基地が受けた被害は甚大で,その使用価値は大きく低下した。

基地存続を盛り込んだ新協定は「米比友好協力安全保障条約」と名付けられ,1991年に両政府により調印された。締結までの経過における議論の多くは,基地存続によりもたらされる経済効果に関するものであった。基地存続交渉の主要議題は基地使用料や対フィリピン援助の額であった。また,1989年からは世界銀行の主導による対フィリピン多国間援助計画が登場し,経済開発支援と基地存続交渉が同時進行した。フィリピン経済への支援は基地存続を前提条件としたものであったが,結局は協定発効に必要な上院の承認は得られなかった。そしてアメリカは1992年にスービック海軍基地を正式に返還し,在フィリピン米軍基地は完全に撤収された。それでも,アメリカ国務省はフィリピン国軍の近代化に関する経済支援を行ったほか,アブサヤフなど対テロ対策を念頭に置いた米比合同演習を毎年実施するなど,二国間の軍事協力関係は継続した。

2014年,アメリカとフィリピンは,米軍のフィリピン展開強化を柱とする新軍事協定に調印した。本協定の有効期間は10年とし,常駐ではないことが明記されているが,協定の更新は可能とされる。これにより,米軍は南シナ海に面するスービック海軍基地を含むフィリピン軍の軍施設を利用できるようになり,物資補給のための施設建設,航空機や艦船の派遣も可能となる。背景には,米軍のフィリピン駐留を拡大することで,南シナ海へ進出し事実上の領有権主張を強める中国を牽制するねらいがある。

在グアム米軍基地

アンダーセン空軍基地,原子力潜水艦や原子力空母が寄港するアプラ軍港,海軍弾薬庫地区,海軍通信基地などが置かれているグアムは,朝鮮戦争,ベトナム戦争,湾岸戦争といった第二次大戦以後の主要な紛争において重要な軍事的役割を果たしてきた。

そのおもな理由はグアムの地理的優位性にある。西太平洋の中央部に位置するグアムは,台湾,朝鮮半島,東南アジアに近く,アジア・太平洋方面への展開に最適の位置にあるという地理的条件から,戦略展開拠点のひとつとされている。米太平洋軍はハワイのホノルルに司令部を構えているが,その管轄範囲はアメリカ本土西岸からアフリカ大陸東岸までの広大なものである。グアムのように戦略的位置にある拠点の利用価値は大変大きい。

また,グアムはアメリカ領ではあるが,連邦50州とは異なる準州であって合衆国憲法が全面的には適用されない。また,同盟諸国への駐留の場合と異なり,基地建設や部隊の行動に関して条約上の制約を受けない。これらの事情から,面積は沖縄本島の約半分しかないにもかかわらず,島の3分の1は国防総省の所有地となっている。

島の北部にあるアンダーセン基地は,米軍の太平洋における地域軍事協力,軍事訓練の要となっているだけでなく,太平洋とインド洋に向けた航空機運用兵站支援の役割も担っている。かつてここに置かれていた司令部はハワイに移動したが,基地機能は維持しており,在日米空軍,在韓米空軍部隊から展開してくる部隊の受け入れや後方支援を実施する態勢がとられている。米空軍は2004年より,5年から10年かけて総額20億ドルを投じるアンダーセン基地の拡充計画に着手した。

在シンガポール米軍基地

シンガポールは冷戦終結直後の1991年にアメリカと安全保障関係協定を締結し,以後パヤ・レバー空軍基地に米軍戦闘機部隊が駐留するようになった。戦闘機部隊は在日米軍や在韓米空軍の戦闘機が派遣されており,東アジアにおける米軍戦闘機部隊の派遣訓練を支援する機能を担っている。パヤ・レバー空軍基地はその戦略的な地理的位置から,太平洋,インド洋,中東方面への中継基地として米軍の輸送機や哨戒機の発着も受け入れている。

2004年には,チャンギ国際空港の東側の埋め立て地にチャンギ東空軍基地が完成した。これにより,シンガポール政府は米軍に対して基地用地を提供することができるようになり,同基地は,すでに閉鎖されたフィリピンのスービック海軍基地に代わって南シナ海方面の作戦基地として機能することになった。

2005年,訪米したリー・シェンロン首相とジョージ・W・ブッシュ米大統領(子)との間で,両国の安全保障協力関係を強化する「防衛と安全保障におけるより緊密な協力関係のためのアメリカ・シンガポール戦略枠組み合意」が調印された。本文書では,対テロ作戦や大量破壊兵器の拡散防止など,両国にとって共通する脅威に対応するために共同訓練や軍事技術面での協力事項について合意がなされた。

国防態勢の見直し

現在のアメリカ国防総省の海外軍備体制における基本的考え方を表す「グローバル態勢の見直し」は,2001年にブッシュ(子)政権によって作成された「4年ごとの国防計画見直し」で初めて打ち出された。これに基づき,ブッシュ大統領(子)は2003年に,「新しい安全保障環境に最善に対処するのにもっとも適した場所へ適切な軍事能力を配置するため,海外軍備態勢の見直しに関する交渉を開始する」と述べ,米軍再編の開始を対外的に宣言した。

こうした動きの背景には,クリントン政権下のアメリカ国防総省が提唱した「米軍再編」(US Forces Transformation)の流れと,ブッシュ(子)政権下で開始された「テロとの戦争」に伴う諸事態に対応せざるをえない事情とがあった。当時は,イラクに十数万人,アフガニスタンに1万数千人という兵員を,終了時期未定という形で派遣することとなり,兵員のやりくりに米軍は悩まされるようになった。そして,こうした兵員調整の困難は世界各地の米軍の配備態勢の問題点をも浮かび上がらせたのであった。1997年5月にクリントン政権が発表した「21世紀の国家安全保障戦略」では,米軍の軍事的優位を確保するために,装備・戦闘システムの重点的近代化,「軍事における革命」および「(国防総省)業務における革命」の推進,不確定な未来の脅威に対する対処といった点が強調された。

クリントン政権下における米軍再編の特徴は,情報技術(IT)の発展をふまえて,陸軍,海軍,空軍,海兵隊という4つの部隊をひとつにまとめる統合化を推進したことにある。これは,規模の大きい組織が物流勝負の戦争を繰り広げることを前提としていた従来の考え方から脱却し,距離が離れていても瞬時に情報共有が可能なIT技術を駆使することで,各軍の間で相互補完効果をもたらそうとした試みである。このような方針をふまえて,米軍統合参謀本部では「統合ビジョン2010」(1996年)および「統合ビジョン2020」(2000年)が策定された。ここでのビジョンは,1999年に地域軍であった「米大西洋軍」を廃止し,「統合部隊軍」(Joint Forces Command)が形成されたことなどに表れている。

当時,アメリカ政府は,発展著しい情報関連技術がテロリストらに力を与え,アメリカに対してこれまでとは異質で看過しえない脅威をもたらしている点を指摘し,それまでの冷戦的脅威と工業化時代の戦略を前提とした組織のあり方の変革を図るために,新しい概念と戦略をもって取り組んでいくことを明言した。

2001年に公表された国防総省の「4年ごとの国防計画見直し」では,以下のような主要目標を掲げて軍再編の必要性を具体的に提示した(表1を参照)。同報告書では,軍備の数よりも,能力に焦点を当てる考え方が重視された。具体的には,旧来の「誰が脅威か」という「脅威ベース」の発想から,「どのような能力を持った敵か」を想定する「能力ベース」への転換が行われた。これは,敵が誰かを予測し,準備することは困難であるが,どのような能力を持って襲ってくるかを予測することはできる,という捉え方である。ここでいう敵の能力は,大量破壊兵器,ミサイル,潜水艦などが想定されており,これによって「多くの兵員,多くの戦車,多くの飛行機」で対応するという物量重視の姿勢からの脱却が指摘された。

表1  「4年ごとの国防計画見直し2001」の主要目標

(出所) 筆者作成。

米軍の配備態勢の見直しは,海外基地のネットワークをより有機的に活用する誘因となった。従来,米軍の海外でのプレゼンスは,アメリカの国益とそれに対して起こりうる脅威と密接な関係があった。事実,冷戦とソ連の封じ込め策が終了した1990年代初期以降,2つの地域で同時発生する大規模戦争に備える目的で再配置と調整が進められてきた。しかし,現況に鑑みると,西ヨーロッパと北東アジアに集中した在外米軍の態勢は必ずしも適切であるとはいえない。なぜなら,アメリカの国益はいまや世界規模へと拡大し,当初想定していた以外の地域においても脅威の可能性が現れつつあるからである。2001年の9・11同時多発テロ以降は,テロリストや国家単位によらない集団によって引き起こされる課題に焦点が当てられ,そうした紛争を処理しうるよう,再配置と調整が進められてきた。

これと関連し,同報告書では「世界の重要地域において米軍の機動性を増すよう基地システムを発展させる。アメリカは西ヨーロッパや東北アジアの重要基地を維持し,これらの基地は,世界の他の地域における不測の事態に対して軍事力を投入するためのハブの役割をも果たすことになる」と指摘されており,既存の主要海外基地には前方に兵力を展開するための後方支援拠点としての役割を担わせようとする方針が示されている。

2004年のアメリカ下院軍事委員会では,各国と再編交渉を進めるにあたっての具体的な方針が提示された。それらは,(1)同盟国の役割を強化する,(2)不確実性と戦うために柔軟性を高める,(3)地域内のみならず,地域を越えた役割を担う,(4)迅速に展開する能力を発展させる,(5)数量ではなく,能力を重視した軍備を行う,の5点であった。

その後,これらの方針は,2005年の「国防戦略」の一部として公表された。この「国防戦略」では,米軍再編は同盟国とアメリカとの共通の利益のために行われるのだから,同盟国自身にも変化してほしい,との主張が記されている。また,その具体策として,同盟国や友好国が自国の軍隊,軍事ドクトリン,戦略を近代化することに協力することや,米軍とともに軍事能力の転換方法を検討することなどが挙げられている。

同報告書では,基地機能を大きく3つに分類した。第1が主要作戦基地(Main Operating Bases)である。これは常駐部隊が配備された恒久的な基地で,訓練,安全保障協力,作戦部隊等が配備できるものである。第2が前進作戦地(Forward Operating Sites)である。これは少人数支援部隊が常駐するより簡素な基地であって,ローテーションの作戦部隊の配置ができるほか,必要に応じて装備を事前集積する場所が確保できるものである。第3が,安保協力地点(Cooperative Security Locations)である。これは,不測の事態におけるアクセス,兵站支援,ローテーション作戦部隊の一時使用等に使われるもので,受入国への短い通告で使用可能な軍事活動支援場所を指す。

報告書では,大型で費用のかかる「主要作戦基地」を削減する代わりに,前進作戦地や安保協力地点など機動力の高い基地ネットワークの再構築を優先する方針が示された。また,こうした世界各地の基地機能を最大限に活かして,テロリスト・ネットワークの撃破,万全の本土防衛,戦略的な岐路に立つ国家への適切な誘導,敵対的な国家や非国家勢力による大量破壊兵器の入手と使用の防止といった4つを優先分野とすることが明記されている。

グローバル態勢見直しと海外派兵規模の削減

全世界レベルでの態勢見直しの動きは,2000年代後半に入って海外兵員の減少という形で顕在化してくる。

それに先立つ2004年,ブッシュ大統領(子)は米軍の海外派兵の規模と基地配置をはじめとする,世界各地における態勢を見直すことを,国防総省の報告書「グローバル態勢の見直し」で発表した。これによれば,約23万人の在外米軍兵力のうち,6~7万人をその後10年かけてアメリカ本土へ撤収させる内容であった。削減対象は(ドイツ駐留の7万5000人の陸軍兵力を含む)約12万人からなる欧州司令軍および約10万人の兵力からなる太平洋司令軍であった。

同年,米韓両国は2008年までに3段階に分けて米軍兵力を1万2500人削減することで最終合意した。また,2005年からは非武装地帯を韓国軍のみで防衛することになった。

こうした軍事態勢の改編が必要な理由として,同報告書では,「これまで米軍は西欧と北東アジアに集中的に配置されてきたが,実際の軍事作戦はペルシャ湾,バルカン,中央アジアで行われている。前方展開戦力の任務は戦争地域までの距離にかかわらず,急な命令にも即時に対応し,作戦を実施しうることにある」という点が挙げられている。米軍の地理的配置と実際の作戦地点との乖離があることを指摘したのは2001年の「4年ごとの国防計画見直し」と同様であるが,2004年の報告書では,静的防衛から頻繁な緊急展開作戦に対応できるよう再編される必要があるとの指摘がなされた点が注目される。同報告書では,変革の指針として考慮すべき,以下の6つの戦略的原則が掲げられている(表2を参照)。

表2  防衛態勢強化に向けた戦略的原則(2004年)

(出所) 筆者作成。

米軍再編の範囲

アメリカ国防総省は,軍再編の範囲に,いかに戦うかということに加えて,国防総省内での業務実施方法の向上および他の省庁および外国政府との連携関係の構築を含むと定めている。国防総省の軍再編の取り組みについて,ここでは「統合作戦コンセプト」「能力ベースアプローチ」「グローバル戦略計画」の3つに着目する。

ひとつめの統合作戦コンセプトとは,司令官が仮想敵陣の能力や危機的状況に備えていかに統合軍を準備,派遣,運用,維持するかという点に重点を置いており,戦略的な指針と統合軍の能力の統一的適用を目指すものである。具体的には,統合運用の強化,米軍の情報優位性の利用,柔軟な戦力の展開などからなり,ネットワーク化された質の高い状況認識の共有,兵力の分散,迅速な指揮,計画・実行の柔軟性に重点が置かれている。

このコンセプトは,米軍と同盟国軍との間で物質面以外での相乗効果をもたらし,共同演習や共同訓練の価値や効果をいっそう高めるのに役立つ。また,米軍の作戦概念を理解することによって,米軍と同盟国軍がそれぞれの比較優位を活かしつつ双方が内包する脆弱性を最小化できる。このように,米軍との対話を通じて情報を共有できることが,共通の兵器システムを用いること以上に重要となりうる。さらに,新しい作戦概念への共通理解と相互信頼を通じて,同盟関係の重要性に対する認識が深まるとともに,外部からの攻撃に対する抑止力を大幅に強化することになる。

2つめの能力ベースアプローチに基づく計画立案は,戦場にいる部隊を支援する国防総省の業務改革の一環である。ブッシュ(子)政権は発足当初から,民間企業のビジネス手法を取り入れて国防総省の業務過程を改革することで,効率性を向上させることを目指していた。しかし,その後能力ベースの計画立案を進めていくには,新規の計画管理方法に合わせて国防総省内での意思決定プロセスを大幅に変更する必要があることが明らかになった。また,統合軍の間のコミュニケーション過程を変更するにあたっては,情報システムへの大規模な投資が不可欠であり,また,アメリカ流の意思決定方法に精通していない同盟国にも,アメリカの作戦や計画を理解し,支持してもらうためには,事前の教育投資が必要であることも明らかとなった。

3つめのグローバル戦略計画では,再編後の米軍が対処すべき将来の脅威を,(1)従来型の大規模通常兵器による攻撃,(2)テロリストや反政府活動家による非正規的な攻撃または大量破壊兵器を含む壊滅的な攻撃,(3)飛躍的な技術革新や新たな非対称戦術による破壊的な挑戦,の3つに分けて認識している。米軍は従来,ひとつあるいはふたつの地域で発生する伝統的な有事を想定して地域戦闘軍を編成していたが,今後は国境を越えて広がっているこのような問題に対処し,国家安全保障上の目標を達成するために,広範囲にわたっての計画力,指令力,指揮統制の調整能力が必要となりうる。こうした要請に応えるのがグローバル戦略計画である。

東アジアにおける再編

過去15年における東アジアでの米軍再編を振り返ると,朝鮮半島における米軍のプレゼンスを削減し,近代化を実施しようと試みた「東アジア戦略構想」が代表的構想のひとつとして挙げられる。本構想は,スービック湾のような大規模な恒久基地からアクセス協定方式への移行を提案し,その後のアメリカとシンガポール間の協定協議の検討方針に引き継がれた。

上述のように,朝鮮半島においては米軍プレゼンスの再配置と再編が進んだ。これは,米軍再編の流れのなか2003年に発足した未来同盟構想(Future of the Alliance)での協議に基づくものであった。米韓は米軍の非武装地帯からの撤退に合意し,韓国は米軍から主要任務を引き継いで自国防衛により大きな責任を負うことになったほか,米韓両政府は共同戦力の向上に相互投資を実施することで合意した。このほか,米韓は長年の懸案だった龍山基地の移転と2004年からの4年間で在韓米軍の兵力1万2500人の削減に合意した。

また,日本でも米軍再編の影響は小さくなかった。湾岸戦争から10年を経た小泉政権下では,2001年の9・11同時多発テロの後,多国籍軍の作戦支援のため海上自衛隊をインド洋とペルシャ湾に派遣することを決定した。2003年にはイラク復興への自衛隊参加を認める特別措置法が成立し,最初の自衛隊部隊がイラクに派遣された。さらに同年には小泉政権による「防衛力のあり方の検討」が開始された。日本政府は新たな国際環境に鑑み,自衛隊がテロリストや大量破壊兵器拡散の脅威に対処し,世界の安全保障維持へ貢献できるようにすることを目標に掲げた。自衛隊の機動力を,より柔軟で汎用性の高いものに変えることが,この見直しの大きな焦点とされた。

続く2004年に自民党が発表した提言「新しい日本の防衛政策」は,自衛隊の全面的な改革を求めた。首相の諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」は同年,弾道ミサイル攻撃,日本周辺での小規模紛争,ゲリラや特殊部隊の基幹インフラへの攻撃,非国家主体の脅威からの日本防衛と,国際的安全保障環境を改善するための活動に自衛隊が参加することを勧告した。同年末にまとめられた新「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」は,自衛隊の再編をその後さらに促進するものとなった。

2012年末の自民党の政権復帰により安倍政権が誕生した。これを契機に自衛隊の機能強化の流れが強まった感がある。2014年7月には同政権が集団的自衛権の行使は可能とする憲法解釈の変更を閣議決定したほか,同年12月の衆院選では自民党が改憲発議ラインである3分の2を超える議席を獲得している。改憲のうえでの自衛隊の国防軍化や集団的自衛権の明記という自民党の長年の持論が,その実現に向けた動きを見せるかが注視されるところである。

今後の展望

米軍の再編は,2001年9月11日のアメリカの政治・経済の中枢部に対する同時多発テロ攻撃のかなり前から始まっていたが,この出来事が軍再編のプロセスに拍車をかけることになったのはいうまでもない。軍の再編は,技術を引き金としながら,軍隊の組織,運用,戦いのあり方といったものを根本的に変革することを目指すものであった。国防総省が焦点を当てている「統合作戦コンセプト」「能力ベースアプローチ」「グローバル戦略計画」の3つの重点分野は,軍の再編の本質が広い範囲にわたるものであることを示している。

こうした方針は現在のオバマ政権にも引き継がれており,2010年のいわゆる「アラブの春」以後,アメリカにとっては国際的な安全保障環境全般において不安定要因が増大しており,従来とは異なる形でのアメリカの関与が必要となる状況が生じてきている。しかし,アメリカ国内では公的支出の削減が重要な政治課題となっており,国防予算の強制削減すら発動されかねない状況となっている。2013年にオバマ政権と共和党との対立が表面化して連邦政府の機能が一部停止に至ったことからもわかるように,今後も予算をめぐる政争が断続的に展開することが予想される。一方,現在の安全保障をめぐる環境においては,中国の台頭によるパワーバランスの変化に加え,高度の軍事技術を有する国家が増加することによって,軍事バランスにも大きな変化が生じる可能性がある。これらは超大国であり続けてきたアメリカの国防戦略に根本的な変革を迫りうるほどの大きな変化である。単に国家予算の配分額の多寡を論じるだけではなく,予算配分の指針となる国防戦略のあり方そのものを問い直す必要性が高まっている。アジア太平洋地域における抑止態勢は,アメリカの能力だけを整備していくことによって構築されるものではないため,今後はますますフィリピンや日本をはじめとする同盟国との協力を進めることが不可欠であろう。

(新領域研究センター)

 
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