2015 年 2015 巻 p. 325-352
2014年5月22日,タイでは国軍が立憲革命以来13回目となるクーデタを実行した。これによってレームダック化していたインラック政権は崩壊し,プラユット・チャンオーチャー陸軍司令官を議長とする国家平和秩序維持評議会(NCPO)による統治が始まった。
NCPOは,政権掌握と同時にタクシン派の政治家や反クーデタ,反王制発言を行ったとする知識人を召喚するなど厳しい言論統制を布きつつ,暫定憲法に基づいて政治改革と恒久憲法起草に取り組んでいる。しかしながらその作業はNCPOが選出した組織によって進められており,国民の間からは改革の正当性を疑問視する声も挙がっている。
一方,政権掌握後にNCPOが迅速に行った治安対策や,2013年末から滞っていた経済政策が再開されたことを受け,景気は回復しつつある。暫定首相となったプラユットNCPO議長は,給付金や減税によって消費を刺激し,相続税・固定資産税の導入を試みるなど経済格差の是正に取り組む姿勢を見せている。しかし,輸出の不振や一次産品の価格下落に圧され,年内に本格的な景気回復はみられなかった。
クーデタの影響は内政にとどまらず,対外関係にも及んだ。クーデタを受けて,アメリカ,オーストラリア,欧州諸国は軍事援助を含む援助協力を直ちに凍結し,民主政治の再開を訴えた。一方で暫定政権は中国や近隣のメコン諸国と経済協力を軸に協力関係を深化させており,それを梃として欧米や日本との関係を牽制,あるいは均衡させようとしている。
2013年11月末に勃発した恩赦法強行採決をめぐる反政府運動は,インラック首相の即時退陣,選挙によらない諸団体の代表によって構成される「人民会議」への権限委譲を求める街頭運動へと発展した。2014年1月13日には,元民主党幹事長であるステープ・トゥアクスバンに率いられた「国王を元首とする民主主義のためのタイ改革人民委員会」(PDRC)が,「バンコク封鎖」と称して約17万人を動員し,都内の交通の要所約7カ所を占拠しつつ集会や行進を行った。さらにこうした抗議活動への爆弾攻撃や銃撃,警官との小競り合いが相次ぎ,4日間で約69人が負傷,1人が死亡する事態となった。
インラック首相は,1月15日に下院総選挙を予定どおり2月2日に実施すると発表した。またその一方で,21日には首都バンコク全域と周辺県に対し非常事態宣言を発令して治安の維持を図った。2013年12月23日から行われた立候補者受付では,PDRC側の妨害行為によって南部やバンコクの28選挙区で立候補者がゼロとなる事態が発生しており,今後さらなる混乱が予想されたためである。その危惧どおり,1月26日の期日前投票ではPDRCによる投票妨害のために全国375選挙区のうち83選挙区で投票が実施できなかった。しかし,インラック政権は,投票が実施できなかったのは南部とバンコクのみであるとして,2月2日総選挙実施の決定を堅持した。
騒然とした空気のなか,下院総選挙は予定どおり2月2日に行われた。PDRCが南部を中心に再び投票妨害を行った結果,全国の投票所約9万4000カ所のうち約1万カ所,全国375選挙区の2割弱にあたる69選挙区で投票が完了できない事態に陥った。選挙管理委員会は投票ができなかった選挙区での再投票を決定した。選挙実施後もPDRCは主張の焦点を「全閣僚の辞任」「人民会議の設置」に絞って抗議行動を継続した。反政府集会は「バンコク封鎖」をピークに参加者を減らしていたものの,週末になるとネットでの呼び掛けに応じてやってきた学生や会社員を吸収して膨れあがった。デモをめぐる暴力事件も後を絶たず,2月22日と23日には反政府デモ会場で相次いで起きた爆弾事件に巻き込まれ,子ども3人が死亡する事態に至る。一方PDRCの姿勢を受けて,政府支持派の間でも強硬路線を謳うグループが現れた。2月末にはナコンラーチャシーマーで「反独裁民主戦線」(UDD)の支持者の一部が新たなグループを結成し,一時は武装化も報じられた。UDDもまた4月5日にバンコク西部で約6万人からなる政府支持集会を開き,PDRCの動きを牽制しはじめる。5月2日にはアドゥン国家警察長官が,近々に政府派と反政府が衝突の恐れありとして警戒の強化を発表するなど,タクシン派と反タクシン派の対立は一触即発の状態となっていた。
司法による政権揺さぶり混迷のなかでもインラック首相が辞任を受け入れず選挙実施に固執したのは,もし辞任すれば刑法第157条によって職務放棄で起訴される恐れがあり,選挙実施日を変更すれば選挙管理委員会から訴えられる可能性が高いと判断したためである。しかしかかる判断も空しく,最終的にインラック首相は2007年以降のタクシン派の首相たちと同様に,司法判決によって失職した。
インラック政権とその政策に対する訴訟は,2013年11月に上院の民選化を定めた憲法改正案に憲法裁判所が違憲判決を下して以降,急増している。1月8日には,憲法裁判所が2007年憲法第190条の改正案を違憲とする判決を下す。また3月12日には,同じく憲法裁判所が,2013年11月20日に上院で可決された2兆バーツ規模のインフラ開発計画のための借入法案に違憲判決を下した。同計画は,インラック政権がタイを大陸部東南アジアの生産・運輸ハブにするという国家開発戦略のもとに提出した目玉政策だったが,借入法案が違憲とされたことで実施は不可能となった。
また憲法裁判所は,2月2日の下院総選挙の結果についても無効と判断した。投票妨害にあった選挙区のやり直し決定が,選挙の同日実施を定める憲法第108条に違反しているとの理由による。下院総選挙については,選挙実施後の2月4日に民主党議員が108条違反を訴えており,憲法裁判所はいったんこれを不受理とした(12日)。しかし,3月6日にオンブズマンが再度提訴するとこれを受理し,上述の判決を下したのである。与党議員や法学者は,法案の司法審査請求権しか認められていないオンブズマンによる提訴を却下せずに受理したのは憲法裁判所の越権行為だと反論したが,決定が覆ることはなかった。
インラック政権の命運を決したのは,5月7日に国家安全保障評議会(NSC)議長の人選をめぐるインラック首相の利益相反行為を認めた憲法裁判所の決定であった。インラック政権は,2011年8月の発足直後に公務員の人事異動を行い,この際にNSC議長だったタウィンを首相府顧問とし,後任に首相の義兄であるウィチアン警察長官を任命した。タウィンはこれを不服として2012年4月30日に異動取り消しを求めて行政裁判所に提訴した。行政裁判所は2014年3月7日にタウィンの訴えを認め,復職の決定を下した。これをふまえて上院議員が同日中に,タウィンの更迭を利益相反であり憲法違反だとして憲法裁判所に提訴した。憲法裁判所はその訴えを認め,首相以下閣僚10人を罷免する決定を行った結果,インラックは失職した。
インラックとタクシン派の政治家をめぐる訴訟のうち,今後影響がもっとも大きいと思われるのは,国家汚職防止取締委員会(NACC)による一連の訴追案件である。NACCは1月16日にインラックに対する籾米担保融資制度をめぐる不正容疑の捜査開始を決定し,5月8日には弾劾を決定した。また,4月29日には2013年11月の憲法改正案を承認した当時の国会議員308人(上院50下院258)のうち,上院議員36人に対する憲法違反(第270条)の訴追を決定している。インラックへの弾劾は,2015年1月23日に立法府にあたる国家立法会議で可決され,インラックは今後5年間の政治活動停止が確定した。党首の政治活動が停止されたことで,タイ貢献党はより不利な条件で民政復帰後の選挙を戦うことを余儀なくされた。
統制された国軍の行動相次ぐ司法の判断によって国政が機能不全状態に陥り,反政府派と政府支持派の間のデモ隊の緊張が最高潮に達していた5月20日,国軍司令官らと警察長官がタイ全土での戒厳令を発令した。22日には,プラユット陸軍司令官が2007年憲法の停止と下院解散を発表し,国家平和秩序維持評議会(NCPO)による行政権掌握を宣言した。今次のクーデタは,インラックを含むタクシン派勢力を超法規的な措置で権力中枢から追放したという点で,2006年のクーデタと同じ対立構造に基づいている。しかしながらクーデタに際して市内に戦車部隊が展開された前回に比べ,今回は国軍の出動のないまま政権掌握が果たされた点が異なる。2013年末以来の一連の騒動のなかにあって,国軍は常に静観の立場を維持していた。2014年12月にはPDRCのステープ議長が国軍に対し政府側と反政府側のいずれにつくのかを迫る局面もみられたが,プラユット陸軍司令官はこの要求を一蹴した。一方で国軍は「公正な選挙の実施を支持する」との立場を表明しつつ,公正な選挙が果たされなかった場合「国軍がクリーンな選挙をさせる用意がある」旨をほのめかし,1月13日の「バンコク封鎖」の前後には,子どもの日(11日)と国軍の日(18日)のパレードに史上初めて戦車部隊を導入し,国民の間でクーデタの噂を惹起させるなど,政府への牽制とも取れる行動を繰り返した。
5月に入ってもプラユット司令官は「法の枠内での対立解決」を主張していたが,同月5日以降にUDDとPDRCの武力衝突の可能性が高まったことに加え,12日に上院議員による非公式の会合で各機関,政党間での話し合いが膠着状態に陥った。プラユット司令官は20日に戒厳令を発動し,翌日選挙管理委員会幹部や上院議長代行,与党タイ貢献党と野党民主党の幹部,UDDとPDRCの指導者を招集して,調整会議を開催した。国軍による権力掌握と各派代表の身柄拘束を発表し,クーデタが実行されたのは,同会議の2日目の席上でのことであった。
このようにクーデタに至るまでの国軍の動きは,きわめて統制のとれたものだった。これは,国軍内部がタクシン首相派,反タクシン派に分裂していた2006年の時と異なり,今回は国軍内部が反タクシン路線で統率がとれていたためである。このためクーデタに際しても武力で軍内の首相派を制圧する必要はなく,むしろ出動すればかえって大衆運動組織を巻き込んだ暴力を誘発する恐れがあった。
徹底した反対派の排除と言論統制クーデタ後,タクシン派とみられていた警察長官,国営企業幹部や官僚が次々と更迭された。また11月には,タクシン派寄りといわれてきた警察で大規模汚職事件が発覚し,高級幹部の多くが逮捕,解任された。さらに今次のクーデタでは,一般市民やマスコミ,識者に対する徹底した言論統制が行われたのも特徴である。プラユット司令官らは,クーデタの直後に一般市民による無許可の武器携帯を禁じて小火器類を押収したほか,知識人や政治家に出頭命令を出し,政治活動に関する念書に署名をさせるなどして言論への統制を行った。出頭を拒否すると命令違反で逮捕されるため,海外へ避難する者も現れた。また一般人に対しても,ジョージ・オーウェルの小説『1984』の輪読会や,映画『ハンガーゲーム』のなかに出てくる反体制のサインを公共の場で示すことがクーデタ批判にあたるとして,こうした行為を禁止する措置をとった。さらにクーデタ批判と並んでNCPOが神経を尖らせているのが,王室への侮辱行為である。刑法第112条(不敬罪)による起訴件数は2006年以来急増していたが,国際的NGOヒューマンライツウォッチ(Human Rights Watch)の報告によれば,クーデタ以降新たに14件が起訴されている。なかには,クーデタ以前に取り下げられた事件が暫定政権下で再度起訴されて実刑判決を受けた例もあり,その恣意的な運用に国内外から批判が寄せられている。
一方でNCPOは「国民に幸福を返還する」を標語として,クーデタ発生後に軍の提供による無料音楽祭の開催や,歴史映画『ナレースワン』の無料上映,サッカーワールドカップの全試合テレビ視聴無料化といった政策を打ち出した。また上記の標語をタイトルとしたトーク番組を毎週金曜の夕方に放映し,暫定首相となったプラユット議長が政府の政策について国民に語りかける試みを行うなど,人心の掌握にも力を注いでいる。
NCPO体制下の憲法起草作業クーデタを決行したプラユット陸軍司令官は,5月24日付けの文書でNCPO議長に就任した。さらに国王による暫定憲法の承認を経て,8月21日に暫定立法府である国家立法会議から選出され,8月24日に国王の承認を受けて暫定首相に就任した。クーデタの指導者が首相を兼務するのは,1992年のスチンダー陸軍司令官以来である。また前回2006年のクーデタでは指導者らが直ちに国王に拝謁して承認されているのに対し,プラユット司令官による直接の拝謁は,7月22日の暫定憲法下賜までなされなかった。暫定体制構築のための手続きについても,憲法公布までの日数は62日(前回は13日),暫定首相選出までは91日(前回は13日)と,前回に比べ大幅に遅れている。さらに総選挙までの日数は1年半以上(前回は14カ月)かかるとみられており,前回と比べ,クーデタ実行グループによる直接統治期間が長いのが特徴である。
プラユットNCPO議長は5月31日に総選挙実施までのロードマップを発表し,新たな政治体制構築までの道程を提示した。そのスケジュールに沿って7月22日に発布された暫定憲法は,恒久憲法の内容や成立までの手続きを詳しく規定する過去に例のないものであった。
2014年暫定憲法は,2006年にも設けられた臨時立法府である国家立法会議(NLA)のほかに,国家改革評議会(NRC)の設置を定めている(第27条)。NRCは県の代表77人と11の分野から選ばれた代表173人の計250人からなり,NCPOは県別と分野別それぞれのためのNRC評議員選考委員を選出し,選ばれてきた候補者を250人に絞り込む権限をもつ(第30条)。こうして選ばれたNRC評議員は,憲法起草委員による憲法草案に助言,提案できるほか,NLAへ法案を提出する権限をもつ。NCPOは,NRC評議員選出のほか,NLA議員の推薦権,憲法起草委員会(CDC)議長と委員のうち5人の推薦権を有する(第6条,第30条,第32条)。
さらに暫定憲法は,CDCが起草する恒久憲法の内容についても言及し,汚職防止,汚職議員の政界追放,議員への党議拘束解除,道徳や倫理の振興,ポピュリスト政策の禁止,所得再配分における財政健全性の確保,改革続行のための制度整備などを定める。そのなかでも重要なのは,恒久憲法の原則を維持するための仕組みを講じることを定めている点である(第35条9項)。これによって,新たに成立する恒久憲法は改正がきわめて困難なものになるであろうことが予想される。
つまりNCPOは暫定体制のみならず,暫定憲法や憲法起草過程を通じて,新たな恒久憲法に基づく将来の政治体制についても強力な影響を及ぼしているといえよう。たとえば,8月13日に任命されたNRC評議員選出のための選出委員会は,11の部会のうち5つの部会の議長をNCPO顧問が務める。そして10月6日に発足したNRC評議員250人には,タクシン派政権を批判してきた「グループ40」と称される上院議員グループのメンバー(22人)や,PDRCに近い人物など,反タクシン派とみられる議員が多数選出されている。この人選に対して前与党・タイ貢献党のスラポン前外相は「失望した」との意見を表明し,政治改革の公平性に疑問を投げかけた。
12月前半を通じたNRC,NCPOとの協議をふまえて,CDCは12月22日に以下のような案をとりまとめた。
(1)下院の議席定数を500から450に削減し,小選挙区比例代表併用制(MMP方式)を導入する。
(2)上院議員は全員任命制とする。
(3)首相は下院で選出されるが,非議員も就任可能とする。
(4)選挙管理委員会については,当選者の認定などに権限を限定する。
12月25日に発表された上記の案は,民選の下院議員の議席数を削減し,上院を任命制に戻すなど,全体として民選政治家と政党の影響を削ぐものとなっている。そのなかでも議論の焦点となったのが,(1)と(3)であった。
新しい選挙制度として採用されたMMP方式は,選挙区制と比例代表制の2つの選出方式を連関させるところに特徴がある。まず,全議席を全国レベルでの比例代表制の得票率に応じて各政党に配分する。そして選挙区での当選者数がその政党が得た議席総数に満たない場合,残り議席を政党名簿上位候補者から埋めていく。この方式によると死票がなくなり,より民意に近い形で議席配分を行うことができる一方で,大政党による議席独占が事実上困難になり,連立を促すと考えられる。
首相の選出方法については,NRCから首相直接選出制を推す意見が出されていた。これは行政権と立法権の完全な分離を目指して提案したものだが,CDCでは反対や懐疑的意見も多く,最終的には見送られた。非議員の首相を可能としたのは,政治混乱に陥った場合も首相を立てられるようにするための措置だが,タイ貢献党や民主党からは「国民を議会から遠ざけ民主主義に反する」などとして批判の声が挙がっている。
このように体制内でもさまざまな意見を抱えたまま,CDCは2015年1月から憲法起草作業を開始した。NCPOの発表では2015年10月に憲法草案を承認,施行の予定だが,2014年末には暫定政権閣僚が2015年末に予定されていた総選挙の延期を示唆するなど,民政復帰までの道程はいまだ不透明である。
(出所) 筆者作成。
プラユット・NCPO政権の経済面での課題は,インラック政権末期に起きた政策の行き詰まりを打開し,経済を再び成長軌道に乗せることだった。以下では年間を通じたマクロ経済の動きを概観した後,インラック政権によって導入された籾米担保融資制度の顛末と,2兆バーツインフラ開発計画の変遷,そしてプラユット政権による経済政策のうち相続税・固定資産税と国境近隣経済特区計画に焦点をあてて記述する。
マクロ経済の動き2015年2月16日に発表された国家経済社会開発庁(NESDB)の統計によると,2014年の実質GDP成長率は0.7%であり,2012年の6.5%,2013年の2.9%を大きく下回って2年連続の低下となった。ただし四半期ごとの変遷をみると,第1四半期(1~3月)が前年同期比マイナス0.5%(季節調整済み前期比マイナス1.9%)だったのに対し,第2四半期(4~6月)は前年同期比で0.4%(同1.2%),第3四半期(7~9月)には0.6%(同1.2%),第4四半期(10~12月)では前年同期比で2.3%(同1.7%)と緩やかながら回復しつつある。
回復の鍵は民間消費と輸出であろう。タイのGDPの半分を占める民間消費は,2013年第4四半期の前年同期比マイナス4.1%を底として上昇しつつあり,第1四半期にはマイナス3.0%だったものが,第3四半期には2.2%まで拡大した。投資は年間で前年比マイナス2.8%だが,これも通年でみると前年第4四半期のマイナス11.4%を底として,民間投資に主導される形で第3四半期にプラスに転じ,第4四半期には前年同期比で3.2%まで伸長した。かたや政府投資は,年間を通じて前年比マイナス6.1%と低調である。
第1四半期の民間消費の低迷は,主に耐久財消費需要の落ち込みによってもたらされた。なかでも顕著だったのが自動車販売台数の低下である。タイ工業連盟(FTI)自動車部会が2014年12月に発表した統計によると,2014年の自動車国内販売台数と生産台数はそれぞれ前年比で33.7%,23.5%の減少となっている。これは前年第1四半期に初めての新車購入税還付措置に基づく納車が続き,比較ベースが高水準になっていたことに加え,政治混乱に由来する消費者信頼感の低下や,籾米担保融資制度の支払停滞による農業所得の下落が影響した。
またタイの家計債務がGDPに占める割合は,2008年の55.8%から2013年の82.3%へと大きく増加しており,ASEAN諸国のなかでも突出している。中央銀行のデータによると,2014年6月の時点で家計債務残高は約10兆バーツに達している。一方で,中央銀行は3月以降政策金利を2.0%で維持しているが,石油価格の下落によりインフレ率が低下したため,実質の金利は上昇を続けている。
民間消費とともにタイ経済を牽引してきた輸出部門だが,商務省によると2014年の輸出額は2275億7400万ドルで,前年比マイナス0.14%となった。なかでも農産品および農産加工品の輸出額は年間でマイナス2.5%となっており,天然ゴムや冷凍水産品・加工品,砂糖の輸出縮小と,世界市場における農産品・水産品の価格下落の影響を受けた形である。一方でコメの輸出額は,籾米担保融資制度の保管米を政府が放出した効果で23.0%と増加している。
一方,工業品の2014年輸出額は1.1%増となり,とくにアメリカでの景気回復の影響を受けて同国向け輸出が伸びた。自動車については,2014年通年の輸出台数は前年比横ばいの112万8102台となった(FTI自動車部会発表)。輸出先の上位を占めるオーストラリアやインドネシアで,完成車の販売不振が続いているためである。オーストラリアでは,主たる貿易相手である中国の成長鈍化の影響で景気が低迷しており,インドネシアでは日系メーカーが完成車の現地生産を開始したことでタイへの需要が縮小した。
国別にみた場合,2014年通年では,アメリカ,EU,ASEAN向け輸出がそれぞれ4.1%,4.7%,0.2%の増加だったのに対し,日本,中国向けはそれぞれマイナス1.9%,マイナス7.9%と減少を記録した。これは日本国内での消費税増税や中国での景気減速の影響によるものとみられる。
こうした状況にあって目を引くのが,近隣諸国との国境貿易の拡大である。2014年に国境を接するマレーシア,カンボジア,ラオス,ミャンマーとの国境地帯で行われた貿易は,通年で9875億7200万バーツ,前年比6.9%増を記録した。うち最大の相手国はマレーシアであり,タイの国境貿易総額の約51%を占める。ミャンマー,ラオス,カンボジアはそれぞれ前年比8.9%,14.3%,22.0%の増加となっている。
籾米担保融資制度の経緯インラック政権は籾米担保融資制度の導入を選挙公約としていた。これはタクシン政権で従来の制度を改変して実施したスキームであり,コメの市場買い取り価格を大きく上回る融資基準額を設定し,実質的に籾米を農民から高額で買い上げるというものであった。同制度は2010年から停止されていたが,インラック政権はこれを導入することで農村部における所得向上とタイ貢献党への支持固めをねらったのである。しかし,結果的にはこの政策がインラック政権を揺るがし,首相の政治家としての立場を追い詰めることとなった。
インラック政権によるこの制度は,政府が市場価格よりも高く買い取ったコメをいくらで輸出できるかにかかっていた。政府はタイ産米の価格が上がれば国際市場価格も上昇すると見込んでいたが,実際にはインドやベトナムからの輸出が増えたため,価格は上昇せず,結局タイ政府は1700万トンもの在庫米を抱えることとなった。これはタイの2014年の年間輸出量の約1.5倍にあたる。
こうしたことから2013年には,同制度の破綻が各方面から指摘されるようになっていた。2013年12月頃には実際に籾米融資の支払いが滞りはじめ,タイ商務省の報告では2013年11月以降に政府が引き取った籾米の代金1155億バーツが2013年12月の時点で未払いとなっていた。東北部や北部,中部の稲作農家は,モミ代金の支払いを求めて各地で抗議のデモを開始した。稲作農家のなかにはモミ代金を当て込んで多額の借金を負った者も多く,2014年1月には状況を悲観した農民の自殺事件が起きた。PDRCのステープ議長はすかさず農家への共感を表明し,バンコク市内で稲作農家への義援金を募るデモを行うなど,支払要求を政権打倒運動に繋げるための働きかけを開始した。
農民らの抗議に対し,政府は支払いの遅延は政治混乱による行政機能の停滞によるものであり,資金に不足はないと釈明した。しかし2013年12月9日に下院が解散したことで政府は大規模な国債発行などの権限を失い,支払いはいっそう困難となった。
暫定政府となったインラック政権は,各地で行われる稲作農家の支払要求デモに対し時限付きで支払いを約束したものの,代金支払い窓口となっている農業農協組合銀行(BAAC)が手持ち資金による立替拠出を拒否したために約束は実行されず,かえって農家の怒りの火に油を注ぐ結果となった。2月6日には,農民団体「タイ農民ネットワーク」の呼び掛けで東北部,中部の稲作農民数千人がノンタブリー県にある商務省庁舎前に押し寄せ,融資金の即時支払いを求めて座り込みを始めた。12日には国家農民会議ロッブリー支部が,19日に中部・北部の24県の農民代表による抗議集会をバンコクで開催予定であると発表,21日には北部・中部で稲作農民や精米業者5000人がバンコクを目指し,トラクターでのデモ行進を開始した。
かかる事態をふまえ,当初政府は政府銀行間融資によって資金を調達しようとした。しかし,2月16日に政府系金融機関である政府貯蓄銀行(GSB)がBAACに50億バーツを貸し付ける計画が明らかになると,直後から南部,バンコクを中心にGSBへの取り付け騒ぎが発生,預金約300億バーツが1日で引き出される事態となった。やむを得ずGSBは,17日にBAACへの追加融資150億バーツの実施見合わせを発表し,この手段は失敗した。ニワッタムロン商務相は2月19日に商務省前に居座る農民の代表と会談し,28日までの支払を約束してデモをいったん解散させた。そして24日に中央予算緊急予備費から200億バーツを支払に充てる案について選挙管理委員会の承認を求める一方,在庫米の管理を担当する商務省に対し,コメの市場放出による資金回収を急がせた。
その結果,選挙管理委員会は3月に中央予算からの支出を承認し,支払いは4月7日に開始された。しかし,対象が2013年11月に籾米を担保にした農家のみだったことから,農家の側でも評価は分かれた。タイ農民協会は選挙管理委員会の決定に満足を表明した一方,タイ農民ネットワークは,すべての農民への支払いを求めてインラック首相や関係政府機関を刑事告訴し中央行政裁判所はこの訴えを受理している。ほかにもピチット県の農民グループをはじめ,約600人の農民が最高検察庁を通じて政府機関を告訴した。
解決の糸口となったのは,クーデタであった。5月25日,NCPOは農家の困窮解消に優先的に取り組むとして,融資金総額900億バーツの支払い開始を発表した。BAACの運転資金から約400億バーツ,残りを国内金融機関からの借り入れで賄うというものである。実際に26日から支払いが始まり,BAACは2日間で3万9487人の稲作農民に対し43億1000万バーツの融資金を支払ったと発表した。しかし2013年から始まった保管米の大量放出の影響もあってコメの市場価格は低迷を続け,コメ農家は窮状が続いた。このためプラユット政権は10月1日に新たに景気刺激策の一環として総額400億バーツを340万戸の稲作農家に支給することを決定したが,これは一戸当たり上限1500バーツ(1ライ=約1600平方メートル当たり1000バーツ)を支給するに留まるものであった。このため効果については疑問視する声も多く,かえって同様に価格低迷に悩むゴム農家の反発を招いている。その結果,政権は16日に新たにゴム農家へ同様の政策を適用することを決定した。
最終的に,2014年までに政府が籾米担保融資制度へ投じた資金は約8780億バーツ,うち損失は5800億バーツとなり,籾米担保融資のために2011年当初に政府が用意した原資5000億バーツを上回った。NACCは2014年1月6日に籾米担保融資制度における職務怠慢容疑でインラック首相の捜査開始を決定していた。同制度で当初から指摘されていた汚職対策のための措置を取らず,またずさんな運営に対し監督責任を放棄したというのがその容疑の内容である。インラックはNACCに出頭し,政策レベルでの汚職は存在しないと証言したが,NACCは5月8日にインラックの弾劾を決定,7月17日には巨額の損失を国家に負わせたことを理由に,刑事告訴を決定した。
クーデタ後の経済運営NCPOは,5月22日の政権掌握直後からインラック政権下で滞っていた各種の政策を実施した。5月27日に政策顧問団を任命し,経済担当としてプリーディヤトーン元財務相,ナロンチャイ元商務相,ソムキット元財務相といったテクノクラートや専門家を配して,政策形成にあたらせた。6月3日には「緊急計画」として,コメ価格保証制度,国家インフラ投資,国境地域経済開発,中小企業への低利信用供与,OTOP(一村一品運動)の振興,低利住宅の供給,インフォーマルセクターの負債者救済措置,税制改革などを打ち出す。そして7日には活動を停止していた投資委員会(BOI)委員を選出,プラユット自ら委員長に就任し,10日に2兆5750億バーツ(前年度比2%増)からなる新年度予算を編成した。
プラユット政権の経済政策で,もっとも注目されるのが相続税と固定資産税導入の試みである。タイでは1944年に相続税が廃止されていたが,9月のNLAでプラユット暫定首相が固定資産税とともに導入を表明した。これらの税制が実施されれば,階層間での富の再配分が促され,所得格差の是正に繋がる。2006年以降続く政治混乱の原因は経済格差にあるとの判断に基づき,対立の抜本的解決策として提案されたのが同案だった。11月18日の閣議で承認された案は5000万バーツ以上の資産に限定し,税率上限は10%(非累進課税)とするものである。NLAでの審議が順調に進めば,施行は2015年6月頃に予定されている。しかし富裕層からの抵抗も大きく,2015年に入っても協議が続いている。
抜本的改革と平行し,プラユット政権は公共事業による雇用創出や減税,給付金による消費刺激策にも力を入れている。10月1日に行われた閣議では,2014年予算の消化分(1471億バーツ)と2015年予算の前倒し実施(1295億バーツ)からなる総額3644億7000万バーツの景気刺激策が承認された。この政策は,先述した農家への給付金による消費の刺激のほか,2011年の大洪水で損傷した道路や,全国8000カ所の学校の修復や新設,全国1000カ所の医療施設の修復などの公共工事による雇用創出と波及効果をねらったものである。さらに年末が近づくにつれ,公務員の賃上げ,学士未満の学歴で一定収入以下の公務員への生活費補助,中小企業法人税減税,中小企業支援のためのベンチャーキャピタル基金の設置,従来より緩い信用審査基準で年利36%未満(手数料など含む)の小口融資などの中間層や低所得者向けの措置が次々に打ち出された。政府は当面こうした措置によって消費を促し,景気浮揚と人心掌握をねらうものと思われる。
2兆バーツインフラ開発計画の「復活」前政権の「負の遺産」として打ち切られた籾米担保融資制度とは対照的に,形を変えて復活した計画もある。それが2兆バーツインフラ開発計画である。同計画は,インラック政権がタイを地域の製造・輸送ハブにすることを目指し,国家予算にほぼ匹敵する2兆バーツの特別予算を組んで立てたものであった。その要点は,高コストの道路輸送を鉄道,水運などに転換し,メコン地域やASEAN諸国への連結性を向上させるため,インフラ整備,輸送設備を改善してモビリティの向上を図るという点にあり,なかでも高速鉄道の導入や複線化といった鉄道システム改善に重点がおかれていた。この計画のためにインラック政権は2013年11月に「国の運輸分野インフラ開発のための借入権限を財務省に付与する法律」を成立させたが,同法案は憲法裁判所の判断により2014年3月に違憲判決を受け,計画は宙に浮いていた。
NCPOは当初,新たに設けた運輸戦略委員会に同計画を検討させ,総額を1兆2000億バーツに縮小し,国鉄の複線化を先行して,高速鉄道については棚上げすると発表していた。ところが7月末,急きょ総額2兆5750億バーツの交通インフラ整備計画(2014~2022年)を決定したのである。その内容は,プラチュアップキリカーン~チュムポーン線(全長167キロメートル),ナコンパトム~ホアヒン線(全長165キロメートル)など鉄道6路線の複線化,バンコク首都圏の電車網整備,主要国道の4車線化に加え,ノーンカーイ~ナコンラーチャシーマー~サラブリー~チョンブリーを経てマープタープット港に至る全長737キロメートルの路線(3926億バーツ)と,チェンラーイ~プレー~アユタヤーを経て,マープタープットに至る全長655キロメートルの路線(3489億バーツ)の2路線からなる高速鉄道計画も含まれていた。
高速鉄道計画が復活した背景には,中国の影響がうかがわれる。財務省は,2兆バーツ借入法案が廃案となった後の4月に,新たな資金調達先として中国が提唱していたアジアインフラ投資銀行(AIIB)構想への参画を示唆していた。中国は2010年のアピシット民主党政権の時代にもタイの南北を貫通し,雲南省からシンガポールまで繋ぐ鉄道建設の合弁計画に合意した経緯がある。AIIBによるインフラ開発の重点地域として中国が検討しているのは,カンボジア,ラオス,タイ,ミャンマー,ベトナムの東南アジアの大陸国だといわれており,中国側にとってもタイ側の鉄道建設計画は魅力的であった。10月に運輸省運輸交通政策企画事務局が2本の高速鉄道路線の実地調査に入ると,中国政府は在バンコク中国大使館を通じて運輸省次官に接触し,鉄道建設プロジェクトへの投資に関心がある旨を表明している。そして11月9日のプラユット暫定首相による中国訪問時に,両国首脳は中国による高速鉄道計画への計画について合意した。同計画は12月7日のNLAで承認された後,19日に正式に覚書が調印された。
国境経済特区構想と外国人労働者政策11月,プラユット暫定首相はタイ国内の国境沿いに経済特区を設け,そこで外国人労働者を使った農業や縫製産業を誘致し,輸出のための生産拠点とする計画を発表した。BOIは,この国境経済特区への投資に3年間の法人税免除措置を設けるとしている。特恵対象となっているのはムクダーハーン,アランヤプラテート,サケーウ,ターク,ソンクラーの5カ所の経済特区である。ここではそれぞれ国境を接するラオス,カンボジア,ミャンマー,マレーシアからの労働者が日帰りで出入国し,特区内で就労することが想定されている。
タイでは急速に進んだ少子高齢化によって,ここ数年労働力不足が続いている。タイ国内に合法滞在者のみで約155万人(2012年統計)以上いるといわれるカンボジア,ラオス,ミャンマーからの移民労働者は,いまや建設,漁業,農業などの分野で重要な労働力となっている。クーデタ後の6月には,軍政による不法滞在者の摘発を恐れたカンボジア人労働者らが大挙して帰国する騒動が起きたが,その数は25万人に及び,改めてその存在の大きさを感じさせた。
こうした近隣諸国からの移民労働者に対し,NCPOは就労合法化の名の下に管理を強化しようとしている。今次の国境経済特区構想は低廉な労働力としての外国人労働者に着目したのだが,NCPOによる移民労働者管理強化策の一環としても位置づけられるだろう。
2014年の対外関係は,一見,「クーデタをめぐり欧米諸国と対立」した結果,「中国へ急接近」したかのようにみえる。確かにクーデタの発生を受け,諸外国の対応は分かれた。欧米諸国が軍事援助を含む援助協力を直ちに凍結して民主政治の再開を訴えたのに対し,中国やASEAN諸国はNCPOに対する明示的な批判を控えた。なかでも中国とは,高速鉄道の開発計画や通貨スワップに関する新たな協定を交わし,中国主導のAIIBへの参加を表明するなど蜜月の到来を印象づける出来事が続いている。しかし注意が必要なのは,冷戦後のタイにとって欧米(とくにアメリカ)と中国との関係はゼロサムではなく,むしろ両国との関係を維持しつつ,米中を互いのバランサーとして機能させる戦略をとってきたという点である。NCPO体制下でもこの戦略は基本的に変わらず,むしろ意思決定制度が凝集的になった分,より顕著に現れたといえよう。
クーデタ後,アメリカは国内法にしたがって5月24日にタイへの軍事協力,軍事演習,要人交流,その他の協力を停止した。6月27日にはケニー駐バンコクアメリカ大使がNCPOの外交担当だったプラジン空軍司令官と会見している。しかし,7月4日に在バンコクアメリカ大使館で行われた恒例の独立記念日記念式典では,NCPO幹部は招待されず,インラック政権の元閣僚やUDDの幹部が招かれるという異例の事態となった。こうしたアメリカの措置に対し,タイ国内ではクーデタ支持派の市民やマスコミを中心に内政干渉だとしてデモやネットでの批判が行われたが,NCPO自体は明示的な批判を行っていない。また経済・外交問題を担当するプラジンNCPO副議長(空軍司令官)は,6月26日に多国籍軍事演習「コブラ・ゴールド」について言及し,同演習はタイ・アメリカ双方にとって利益となっていることを強調し,暗に他国への移転を牽制した。コブラ・ゴールドはタイ米間の軍事演習として始まり,現在は他のASEAN諸国や日本,中国も参加する東アジア安全保障上の重要な信頼醸成のための制度となっている。タイ国軍にとってこうした多国間の取り組みを主催することの戦略的意義は大きい。またタイにとってアメリカは冷戦時代以来の同盟国であり,両国軍の人事交流も長い歴史をもつ。こうした事情をふまえると,NCPOにとってアメリカとの関係を断絶する対外的な理由はないと考えられる。
一方中国は,クーデタ直後にNCPOへ治安回復を賞賛するメッセージを送り,6月には両国軍幹部の往来,交流を実施している。25日にはプラジン副議長が駐バンコク中国大使と会見しているが,これに先んじて6日にプラユット議長が中国のビジネス訪問団と会見している。これはクーデタ直後にNCPOが接触した民間訪問団との会見の中でもっとも早いものであった。この後,タイはAIIBへの参加を公式表明し,7月末には一時中断していたタイ中経済合同委員会の再開も報じられた。そして7月以降,タイと中国は両国を結ぶ高速鉄道開発計画での協力を発表し,年末には覚書を調印している。
中国に加え,カンボジア,ミャンマー,ラオス,ベトナムといった近隣諸国との関係も友好が維持されている。カンボジアとは2009年から2010年にかけて国境地帯の領土問題をめぐり対立状態にあったが,7月2日にカンボジア政府が紛争地帯で拘束されたタイ人を解放し,軍政へ友好のサインを示している。一方でプラユット議長は,首相就任後にこれらの近隣諸国を歴訪し,各国で経済協力や貿易投資促進を約束した。
さらにNCPOは,クーデタ後の選択肢が限られた国際関係のなかで,中国への「急接近」をアメリカや日本,インドといった他の国々に対する牽制として利用するかのような動きをみせている。たとえば日本とは,年末にカンボジア国境からミャンマー国境まで横断する鉄道路線の開発計画が浮上しており,幹線鉄道の南北を中国と,東西を日本との協力で進める構図になりつつある。また2014年末にタイ閣僚が選挙の延期を示唆した時,アメリカ国務省は直ちにこれを批判する声明を発表した。しかし,2015年2月に予定されていたコブラ・ゴールドに関しては,参加兵力を削減したものの参加を表明している。このように,アメリカとタイの関係は,中国や他の友好国との距離を測りつつ,正常化に向けてそのタイミングと条件を探りつつあるものと考えられる。
プラユット政権にとって最大の課題は,恒久憲法公布と選挙の実施である。現在CDCで起草作業が続いているが,その内容についてはCDC内,CDCとNCPOの間でも意見の相違がみられる。2015年8月に予定どおりNRCが憲法草案を承認すれば国王の署名を経て発効するが,否決された場合,NRCとCDCを再選出して起草作業をやり直すことが暫定憲法で定められている。そうなれば2016年2月に予定されている総選挙はさらに延期となろう。短期的には言論統制によって秩序は維持され,タイ貢献党やUDDも雌伏して選挙の実施を待っている。しかし長期化した場合,政府の抑圧に対する国民の不満と不信が鬱積し,再びデモやテロとして噴出する恐れがある。
経済は復調傾向にあるが,本格的な回復は消費の回復と輸出の拡大が鍵となろう。回復のための「特効薬」となる政策は現在のところ提示されておらず,政府は当面減税や給付金などで家計の消費を促す政策を続けることになろう。また長期的には,2015年のASEAN共同体成立を控え,サービス貿易の自由化や大型インフラ開発計画,なかでも高速鉄道計画の実施によるインフラ連携などの早期実施が望まれる。
外交面では,対米関係の正常化が注目される。早期選挙実施を促すアメリカ政府の発言は年明けから頻度を増しており,民政復帰への圧力が高まっている。こうした圧力をNCPOがどう受け止め,どのタイミングで関係を正常化させるかが注視される。一方メコン地域では,中国との関係を軸として政治経済的関係の緊密化が予想される。中国・メコン関係と欧米諸国,そして日本との関係をどう具体的にバランスさせていくのかが,2015年の課題となるだろう。
(地域研究センター)
1月 | |
1日 | 下院選挙立候補受付締切日。南部28選挙区で立候補登録できず。 |
3日 | 選管,2月2日の下院総選挙実施を決定。 |
8日 | 憲法裁,国会の憲法第190条改正承認を違憲と判断。 |
10日 | インラック首相代行,辞任を否定。 |
13日 | PDRC,バンコク内の複数の道路を封鎖。警察発表で17万人が参加。 |
15日 | ポンテープ副首相,予定どおり2月2日に総選挙を実施すると発表。 |
16日 | 国家汚職防止取締委員会(NACC),籾米担保融資制度をめぐる不正疑惑でインラック首相の捜査開始決定。 |
17日 | PDRCデモに爆発物。35人が負傷し,男性1人が死亡。 |
17日 | タヌーサック財務副相,籾米担保制支払金調達を農業農協銀行へ要請。 |
21日 | 政府,バンコクおよび周辺地域に22日より60日間非常事態宣言の発令。 |
22日 | 中銀,政策金利を2.25%に据え置き。 |
24日 | 反タクシン派上院議員および民主党の前下院議員,22日発令の非常事態宣言の違憲性について憲法裁判所に提訴。 |
26日 | 下院選挙期日前投票日。PDRCの妨害で375選挙区のうち83区で投票できず。 |
27日 | PDRCデモ会場で相次いで爆発・発砲事件。3人が重軽傷。 |
2月 | |
1日 | バンコク都ラクシー区の投票所近くで爆発事件。3人負傷。 |
2日 | 下院議員総選挙投票日。375選挙区のうち18県69区で妨害により実施できず。 |
3日 | 選管,非公式の選挙結果公表。選挙実施された68県で投票率45.8%。 |
4日 | 民主党,憲法裁判所に対し,同日投票を定めた憲法第108条違反で下院選挙の無効を提訴。 |
4日 | 商務相,中国の籾米売却契約撤回を発表。 |
5日 | ステープPDRC事務局長,ラーマ8世橋など複数の道路封鎖解除。 |
6日 | 東北部,北部,中部の稲作農家,商務省前で籾米担保制度支払い要求のデモ。 |
11日 | 選管,下院総選挙で投票できなかった選挙区の再選挙日を4月20・27日と決定。 |
12日 | 憲法裁,民主党による下院選挙無効の訴えを却下。 |
12日 | 多国間軍事演習「コブラ・ゴールド」実施(~22日)。史上初めて中国軍が参加。 |
16日 | 政府貯蓄銀行による農業農協銀行への50億バーツ貸し付け計画が報道され,取り付け騒動発生。政府貯蓄銀行は1日に300億バーツの引き出しを受け,農業農協銀行への融資見合わせ決定(17日)。 |
18日 | 国会前で反政府デモ隊と警官隊が衝突。警官含む5人が死亡,負傷者70人。 |
19日 | ニワッタムロン商務相,籾米担保制度の未払い金問題で米農家および精米業者の代表者と会談。 |
22日 | トラート県の反政府デモ会場で爆発事件,子ども1人が死亡,34人が負傷。 |
23日 | バンコク,トラートの反政府デモ会場で爆発。子ども3人が死亡。 |
25日 | 暫定内閣,籾米担保融資制度の支払金として緊急予備費から200億バーツの支出を決定。さらに選管が中央予算から7億1200万バーツの支出を暫定内閣に許可。 |
3月 | |
2日 | 第3回ベンガル湾多分野経済技術協力(BIMSTEC)首脳会議開催(ネーピードー)。外務次官が首相代理で参加。 |
3日 | PDRC,「バンコク封鎖」解除を宣言。 |
4日 | 上院選挙立候補受付開始(~8日)。 |
6日 | 国家オンブズマン,憲法裁に2月2日下院選挙の無効を提訴。 |
7日 | 最高行政裁,タウィン前NSC議長の復職を認める判決。 |
12日 | 中銀,政策金利を年2.25%から年2.00%に引き下げ。 |
12日 | 憲法裁,財務省に2兆バーツの借入権限を与える法律に違憲判決。 |
18日 | NCAA,籾米担保制度をめぐる背任容疑でインラック首相の事情聴取を発表。 |
19日 | バンコクと周辺地域での非常事態宣言解除。国内治安維持法を適用。 |
19日 | ラクシー区での銃撃戦の容疑者逮捕。反政府デモ隊との関与を認める。 |
21日 | 憲法裁,2月の下院選挙に無効判決。 |
26日 | 内閣,タウィンNSC前議長の復職を決定。 |
30日 | 上院議員選挙投票日。投票率42.8%。 |
31日 | インラック首相,NACCに出頭。籾米担保制度をめぐる不正容疑を否認。 |
4月 | |
1日 | タイ改革国民学生同盟の反政府デモ会場で銃撃事件。3人負傷,1人死亡。 |
1日 | 憲法裁,NSC議長の人事をめぐりインラック政権に憲法違反があったとする上院議員らの訴えを受理。 |
5日 | 反独裁民主戦線(UDD),バンコク西部ウタヤーン通りで政府支持集会。 |
6日 | 第2回メコン川委員会首脳会議開催(ホーチミン)。外務次官が首相代理で参加。 |
6日 | 深南部ヤラー市で連続爆発事件,1人死亡,30人負傷。 |
7日 | 農業農協銀行,2000億バーツの籾米担保代金の支払い開始。 |
8日 | 選管,上院当選者58人の名簿発表。 |
8日 | PDRC,内務省と首相府を除く官公庁の封鎖解除。 |
10日 | タイ発電公社,タイ北部の2つのダムで水位が50%を切ったため節水を呼び掛け。 |
15日 | バンコク,ルンピニ公園の反政府デモ会場で銃撃事件。1人が死亡。 |
22日 | インラック首相,BOI委員を選出。BOIは5月1日に業務再開。 |
28日 | 暫定内閣,バンコク首都圏への国内治安維持法適用を60日間延長することを決定。 |
29日 | NACC,2013年違憲と判断された憲法改正案を支持したとして上院議員36人の訴追を決定。 |
30日 | 選管,下院選挙の再投票日を7月20日と発表。 |
5月 | |
6日 | ソンクラー県ハジャイ市内の2カ所で爆弾事件。負傷者10人。 |
7日 | 憲法裁,NSC議長の人事に違憲判決。インラック首相代行以下閣僚10人が失職。首相代行後任にニワッタムロン商務相。 |
8日 | NACC,籾米担保融資制度をめぐる職務怠慢容疑でインラック元首相の弾劾請求を決定。 |
8日 | 最高検察庁,PDRC指導者を反乱罪と不法集会の容疑で起訴決定。 |
9日 | ASEAN首脳会議開催(ネーピードー)。首相,外相欠席。 |
20日 | 四軍司令官と警察長官,タイ全土に戒厳令布告。平和治安維持本部設置。 |
21日 | 平和治安維持本部にて,4軍司令官と警察長官,上院議長,選管,民主党とタイ貢献党,PDRC,UDDの代表者が協議。 |
22日 | 国軍と警察による全行政権維持と2007年憲法の停止を宣言。国家平和秩序評議会(NCPO)設置。夜間外出禁止令発令。 |
22日 | ケリー米国務長官,クーデタ非難声明。 |
23日 | NCPO,インラック元首相らタクシン派政治家,軍人,UDD,PDRC幹部,元閣僚,官僚など114人に出頭命令。 |
23日 | プラユット陸軍司令官,在タイ58外国公館代表者に事態説明。外国人保護を約束。 |
24日 | プラユット,NCPO議長就任。国王拝謁はなし。 |
24日 | アメリカ,オーストラリア,軍事援助およびその他の援助停止決定。 |
25日 | NCPO,籾米担保融資制度の融資金の支払いを開始。 |
31日 | プラユットNCPO議長,テレビ演説で民主化までのロードマップ提示。 |
6月 | |
3日 | NCPO,パタヤなど7カ所で夜間外出禁止令解除(13日に全国で解除)。 |
3日 | NCPO,緊急計画発表。コメ価格保証制度,国家インフラ投資,国境地域経済開発,中小企業への低利信用供与,OTOP,低利住宅供給,インフォーマルセクター金融負債者救済,税制改革を実行へ。 |
5日 | NCPO,消費財生産・販売業者の代表へ11月までの価格凍結に協力を要請。 |
6日 | プラユットNCPO議長,中国のビジネス訪問団と会見。経済関係の発展を保障。 |
7日 | BOI任命。委員長はプラユット議長。 |
9日 | NCPO,憲法付属法の継続を決定。 |
9日 | NCPO,国家エネルギー政策委員会の設置決定。 |
10日 | NCPO,2015年度予算の大枠を発表。歳出総額2兆5750億バーツ,編成時赤字2500億バーツ。 |
10日 | 外国人労働者に関する小委員会設置。 |
11日 | 運輸戦略委員会,高速鉄道計画棚上げを決定。 |
12日 | カンボジア人労働者の大量出国始まる。その後1カ月で約25万人が帰国。 |
18日 | 中銀,政策金利を2.00%に据置き。 |
20日 | 米国務省人身取引報告書,タイを最低ランクに格下げ。 |
24日 | NCPO,中国のAIIB構想に参加表明。 |
25日 | EU,タイとの協力協定調印を見送り公式訪問を停止。 |
25日 | プラジン空軍司令官,中国大使と会見。 |
26日 | ケニー米国大使,タナサック最高司令官と会見。 |
26日 | プラジン空軍司令官,韓国大使と会見。 |
26日 | NCPO,サケーウなど東部国境4カ所に外国人労働者登録センター開設。 |
27日 | ケニー米国大使,タイ政府の移民労働者規制政策に支持表明。 |
7月 | |
7日 | ラオス,ミャンマー,カンボジアの駐タイ大使,新しい移民労働者政策を支持。 |
9日 | 日本人商工会議所会頭ら,バンコクにてプラジン空軍司令官と会談。 |
22日 | プラユットNCPO議長,国王拝謁。暫定憲法公布。 |
22日 | NCPO,BOIを工業省から首相府に移管。 |
24日 | プラユットNCPO議長,バンコクにてシンガポール国軍司令官と会談。 |
27日 | プラユットNCPO議長,バンコクにてカンボジア国防相と会談。 |
29日 | ソムキット経済顧問,特別大使として中国を訪問。 |
29日 | NCPO,総額2兆4000億バーツの交通インフラ整備計画(2014~2022年)を承認。 |
31日 | 国家立法会議(NLA)発足。 |
31日 | NCPO,相続税と固定資産税導入案を原則承認。 |
31日 | ウボンラーチャターニー県裁判所,2012年に不敬罪で起訴され,6月に再度起訴されていた男性に禁錮14年10カ月の実刑判決。 |
8月 | |
6日 | 国王,シリラート病院に入院。 |
6日 | 中銀,政策金利を据え置き。 |
8日 | NLA初会合。 |
13日 | NCPO,NRC評議員を選出する77人の委員を選出。 |
20日 | タナサック最高司令官,定例の二国間高レベル会合でミャンマー訪問(~22日)。 |
21日 | NLA,プラユットNCPO議長を暫定首相に選出。 |
21日 | NCPO,ダウェイ経済特区開発計画継続を承認。 |
25日 | 第46回ASEAN経済閣僚会議開催(~28日)。第9次サービス自由化協定調印。 |
27日 | タイ・欧州ビジネス評議会,プラユットNCPO議長と会見。 |
28日 | 刑事裁判所,特別捜査局によるアピシット元首相らの2010年赤シャツ強制排除における殺人容疑での起訴を棄却。 |
31日 | 国王,プラユットNCPO議長が提出した閣僚名簿を承認。 |
9月 | |
4日 | 国王,プラユット暫定内閣承認。 |
8日 | 国軍人事発表。ウドムデート陸軍副司令官が陸軍司令官に就任。 |
12日 | プラユット首相,施政方針演説。 |
15日 | 国王,シリラート病院を退院。 |
16日 | NCPO新メンバー発表。 |
22日 | アメリカ,人身取引問題での制裁を行わないことを決定。 |
27日 | NCPO,NLAに28人を追加任命。 |
10月 | |
1日 | NCPO,総額3644億7000万バーツの景気刺激策を承認。 |
2日 | 首相,城内外務副大臣と会談。 |
3日 | 国王,シリラート病院に再入院。 |
6日 | 国家改革評議会(NRC)発足。 |
9日 | 首相,初外遊でミャンマー訪問(~10日)。 |
15日 | 首相, ASEM首脳会議出席のためイタリア訪問。安倍首相と会談(16日)。 |
21日 | 国家改革評議会 (NRC),初会合開催。 |
22日 | 運輸省,タクシー値上げを承認。 |
24日 | 国家米穀政策委員会,作物価格安定のための農産物管理計画を承認。 |
30日 | 首相,カンボジア訪問(~31日)。 |
11月 | |
3日 | 首相,アメリカ企業代表34人と会談。 |
4日 | 憲法起草委員会(CDC),発足。 |
9日 | 首相,北京訪問。習近平国家主席と会談。APEC首脳会議出席(10~11日)。 |
12日 | 首相,ミャンマー訪問(~14日)。第25回ASEAN首脳会議出席の後,安倍首相と会談(13日)。 |
25日 | ポンパット前警察庁中央捜査局長ら警察幹部が不敬罪・資金洗浄容疑で逮捕。 |
27日 | 首相,ラオス,ベトナム訪問。 |
27日 | プラヴィット副首相,総選挙は2016年になるとの談話発表。 |
29日 | 皇太子秘書局,皇太子妃の欽賜姓剥奪を発表。 |
12月 | |
8日 | NRC政治改革部会,首相・閣僚の直接選挙制度を賛成多数で提案。 |
9日 | NCPO,中長期景気対策承認。 |
12日 | 皇太子妃,王族の地位を返上して離婚。 |
15日 | NRC,憲法起草に関する提言事項を審議。19日にCDCへ提出。 |
16日 | NCPO,汚職対策委員会設置。 |
17日 | 中銀,政策金利6回連続据え置き。 |
18日 | 相続税法案,NLA第1読会通過。 |
18日 | NLA,キティラット元財相と国会議員308人の弾劾取り下げを決定。 |
19日 | 第5回大メコン圏(GMS)首脳会議開催(バンコク)。 |
19日 | 首相,李克強中国首相と会談。高速鉄道開発計画協力と農産物貿易協力覚書調印。 |
22日 | CDC,NRCなどによる憲法案についての提言審議。首相・閣僚の直接選挙制については不採用を決定。 |
24日 | 米国務省,選挙延期に非難声明。 |
30日 | NCPO,治水事業の2015年度予算559億5800万バーツを承認。 |