2015 年 2015 巻 p. 381-408
国内では保守的なイスラームの影響力の拡大を象徴する裁判が注目を集めた。裁判事例からは,憲法で保障されている信仰,表現,言論の自由などと,保守的なイスラームとの間での緊張関係が観察される。政党政治の面では,2013年総選挙で確固たる基盤を築いたはずの野党連合の人民連盟(Pakatan Rakyat: PR)の各党が選挙戦略の失敗や内紛によってその勢いをそがれ,政党間対立も表面化している。政府・与党側では,サラワク州での33年ぶりの州政権交代や華人系政党の内閣入りによって組織再編が図られるとともに,扇動法の適用によって野党への攻勢を強めている。
経済面では前年と比較して高い経済成長を達成しているものの,2013年から続く一連の補助金の削減および撤廃,2015年に導入が予定されている物品・サービス税(GST)などが原因で市民の間で物価上昇への懸念が広がっている。損失が拡大していたマレーシア航空の再建問題や,金融機関の大型合併計画も一般の関心を集めた。
対外関係ではマレーシア航空の3月の事故と7月の撃墜事件,インドネシア・エアアジアの12月の事故と,マレーシア系航空会社が相次いで悲劇に直面した。マレーシア政府は行方不明機の捜索や墜落原因の究明などを関係諸国と協力して進めた。政府外交の面では国交樹立40周年だったこともあって中国との関係強化が図られるとともに,4月のオバマ大統領の来訪でアメリカとの関係も強化された。
2014年は保守的なイスラームの影響力が拡大し,それに伴って引き起こされる社会的な軋轢が重要な争点として浮上した年だった。それを象徴するのが以下の3つの裁判である。
まず,アラビア語由来で神を意味する「アッラー」の言葉の使用をめぐって争われていた裁判である。裁判は内務省がカトリック教会の機関紙『ヘラルド』(Herald)のマレー語版での「アッラー」の言葉の使用を禁じたことに対し,カトリック教会が「アッラー」の言葉の使用を求めて提訴したことから始まった。1審の高等裁判所(高裁)ではカトリック教会側が勝訴し,2審の控訴裁判所(控訴裁)では敗訴した。2014年6月に最高裁にあたる連邦裁判所(連邦裁)の判決は,控訴裁判決を支持するものであり,カトリック教会側の敗訴が決まった。この裁判が喚起する重要な争点は,「アッラー」の言葉はムスリムに使用が限定される言葉であるのかという点であった。判決によって,司法は「アッラー」の使用は原則的にムスリムに限定される言葉であるとの判断を示したことになる。
問題をより複雑にさせているのは例外の存在である。マレーシアのキリスト教徒人口は全人口の9%程度だが,サバ州では26.6%,サラワク州では42.6%を占め,これらの州ではキリスト教会が伝統的に「アッラー」の言葉を使用してきた。こうしたサバ州とサラワク州の状況を念頭に,政府は2011年に「10カ条の方策」(10-point solution)を発表し,そのなかでマレー語,イバン語,インドネシア語などのキリスト教の聖書の輸入や印刷,配布などを認めると宣言した。しかし,2014年1月にはスランゴール州の宗教局によってマレー語とイバン語の聖書300冊余りがマレーシア聖書協会から押収される事件も起こっており,キリスト教徒たちの政府に対する不信感が募っているといわれている。
11月にはトランスジェンダーの人々をめぐる重要な判決があった。マレーシアでは,各州で生物学的に男性として生まれた人が女性の服装をすることを禁ずるシャリア刑法が制定されている。ヌグリスンビラン州では,服装規定を定めた州のシャリア刑法66条を根拠とした州宗教局によるトランスジェンダーの人々の逮捕が2010年に相次いだ。こうした逮捕を不服とするトランスジェンダーの集団がヌグリスンビラン州のシャリア刑法66条の撤廃を求めて2011年に裁判を起こした。高裁でトランスジェンダー側は敗訴したものの,2014年11月の控訴裁ではトランスジェンダー側の訴えが認められ,ヌグリスンビラン州のシャリア刑法66条が憲法違反であるとの判決が出された。
12月にはボーダーズ書店が連邦領宗教局(Jabatan Agama Islam Wilayah Persekutuan: JAWI)を相手取って起こした裁判の控訴裁判決が注目された。JAWIは発禁とされた本の『アッラー,自由と愛』(Allah, Liberty and Love)を販売している容疑で2012年5月23日にボーダーズ書店の捜索,本の押収と書店員の逮捕に踏み切った。しかし,この本が実際に発禁になったのは2012年6月14日のことであった。一連の裁判では出版物管理を行う内務省は発禁処分がなされる前でもシャリア刑法に基づいてJAWIは捜索や押収が可能との認識を示していたものの,2014年12月の控訴裁判決では高裁に続いてJAWIの行動が違法であるとの判決が出た。
以上の裁判の事例からは,近年勢いを増しつつある保守的なイスラームと,憲法で保障された信仰,表現,言論の自由などとの間での緊張関係が生じていることが観察できる。保守的なイスラームが拡大している背景には,政府や与党の統一マレー人国民組織(United Malays National Organizations: UMNO)内で2013年総選挙以降にマレー人の優遇やイスラームの重視を求める保守派の影響力が拡大していることが指摘できるだろう。また,こうした政府・与党内の力学の変化は,政府・与党の外でマレー人の優遇と保守的なイスラームの主張を強めるマレー系やイスラーム系のNGOの活性化とも軌を一にしている。
そうしたマレー系やイスラーム系のNGOのうち,ここ数年でその活動がとくに目立つようになってきたのがプルカサ(Persatuan Pribumi Perkasa,略称Perkasa)とマレーシア・ムスリム連帯(Ikatan Muslimim Malaysia: ISMA)である。両組織とも代表の過激な言動でよく知られており,ソーシャル・メディアを含めたメディア一般を通じて巧みに注目を集めている。プルカサについては過去にマハティール元首相も集会に参加していたことからもわかるように,UMNOとの繋がりが指摘されており,政府・与党への圧力団体として活発な活動を行っている。
保守的なイスラームの拡大に対抗する動きもみられる。60以上のNGOが参加した社会運動のヌガラク(Negara-ku)結成や,体制側にいる元官僚など著名な25人のマレー人による公開書状の発表がそうした動きにあたる。
DAPの戦略ミス2013年に総選挙が行われたばかりだが,2014年には連邦下院の2選挙区と州議会の3選挙区で補選が行われた。選挙結果は与党連合の国民戦線(Barisan Nasional: BN)の3勝2敗であり,BNが2013年総選挙で野党民主行動党 (Democratic Action Party: DAP)が得ていたテロック・インタン選挙区の連邦下院議席を奪回したことで勝ち越した形となった。表1は補選の詳細である。今回の補選は政党政治の動向と密接な関係があるため,以下ではその動向をみていくことにしよう。
(注) 補選結果の項目の最初の名前(太字)が当選候補者で,カッコの中は所属政党と得票数。
(出所) The Star Online, Malaysiakiniから筆者作成。
2013年総選挙では政権交代を達成できなかったものの,得票率で与党連合BNを逆転し,2大政党(連合)が競合するなかで対抗勢力としての確固たる基盤を築いた野党連合PRだが,2014年に入ると選挙戦略の失敗や党の内紛によってその勢いがそがれることになった。PRの構成政党であるDAP,人民公正党(Parti Kedadilan Rakyat: PKR),汎マレーシア・イスラーム党(Parti Islam Se-Malaysia: PAS)の3党の間での対立もみられている。
2013年総選挙で野党第1党となったDAPは,事故と病気で2人の下院議員を失いながら,5月にはブキッ・グルゴールとテロック・インタンの2選挙区で補選に突入した。ブキッ・グルゴール補選は,野党の大物指導者として知られ,DAP議長も経験したカルパル・シン(Karpal Singh)の交通事故死を受けて実施された。選挙はBNが候補者擁立を断念したこともあってDAP候補が圧勝した。
しかし,テロック・インタン補選では様相が異なり,DAPは予想外の敗北を喫することになった。テロック・インタン補選ではDAPは27歳のマレー系女性候補のダイアナ・ソフィア(Dyana Sofya Mohd Daud)を擁立した。従来からDAPは華人やインド人などの非マレー系住民を支持基盤としてきたが,2013年総選挙ではマレー系候補者を擁立し,2人の当選者を出した実績もある。DAPが従来のマレーシアの選挙ではみられなかった新人の20代マレー系女性候補を擁立したということで,メディアはダイアナに大いに注目した。前回(2013年),前々回(2008年)の2度の総選挙でDAPが議席を確保し,前回総選挙では7313票差で勝利していた。過去の選挙結果とダイアナに対するメディアの注目を合わせて選挙前の予想ではDAP有利とみられていた。しかし結果は,BN構成政党のマレーシア人民運動党 (Parti Gerakan Rakyat Malaysia: Gerakan)総裁であるマー・シュウコン(Mah Siew Keong)が238票差で勝利した。
DAP自身は敗因として低投票率,与党からの脅迫,候補の知名度不足などをあげているが,より実態に近いのはDAPの選挙戦略のミスマッチであると考えられる。DAPがダイアナに候補者を決定したことは,その支持基盤や歴史からみれば非常に挑戦的な試みであった。DAPはダイアナの立候補を通じて,民族中心で動いてきた従来までのマレーシア政治からの脱却を有権者に印象づけようとしたのである。こうした「脱民族政治」を掲げる選挙戦略は2013年総選挙では都市部を中心に一定の支持を集め,DAPの躍進に貢献した。しかし,政権選択に直接絡まない補選であり,有権者の6割以上が農業関連の職業に就いている半都市型のテロック・インタン選挙区では,有権者は選挙区の事情を把握し,地元に利益を誘導してくれる候補者を選んだものとみられる。つまり,今回の補選でダイアナは連邦レベルの政治を語ることには熱心だったが,選挙区事情や有権者の個別的利益に対する配慮が十分でなかったとみられ,これがDAPの大きな敗因のひとつとなったといえるだろう。テロック・インタンでの敗北で,DAPは2013年総選挙から続いてきた勢いを一時的にそがれるとともに,今後の政権交代に向けての戦略の再考を迫られることになった。
「カジャンの布石」とハッド刑導入PKRでは「カジャンの布石」(Kajang Move)と呼ばれるスランゴールの州首相(Menteri Besar)の交代劇のなかで内紛が起こり,その余波は他のPR構成党であるPASやDAPにも波及した。「カジャンの布石」は1月のスランゴール州カジャン選挙区選出のPKR州議員リー・チンチェ(Lee Chin Cheh)の突然の辞任に始まる。PKR所属の現職州議員の突然の辞任は,党を事実上率いるアンワル・イブラヒム(Anwar Ibrahim)がスランゴール州議員から州首相に就任するためであった。アンワルが2014年に入ってから州首相を目指すようになった背景には,PKR所属のスランゴール州首相であるカリッド・イブラヒム(Abdul Khalid Ibrahim)とPKRとの対立がある。
2008年にスランゴール州首相に就任したカリッドは,もとは国営企業のPNB (Permodalan Nasional Berhad)やガスリー(Guthrie)でキャリアを重ねた企業家であり,彼の大企業経営の経験に基づく効率的で手堅い政権運営は州民からの高い支持を得ていた。その反面,政治家としてのカリッドはPKRの党内政治には距離を取り,州首相の地位をねらうアズミン・アリ(Mohamed Azmin Ali) 副総裁ら党内で力を持つ集団との対立が深まっていた。
さらに,2013年総選挙を経て州首相として2期目に入ったカリッドは党から独立した動きもみせるようになった。そうした動きのひとつとして,2月のスランゴール州政府と連邦政府との水道事業をめぐる合意がある。首都圏を構成するスランゴール州では持続的な経済成長によって水需要が増え続けている。スランゴール州の水道事業は1994年以降の民営化によって民間企業が運営するようになっていった。しかし,水道料金の値上げと慢性化しつつある一部地域の水圧調整や断水を受けて,民間による運営の限界が近年指摘されてきた。カリッドは5年以上にわたる交渉の末に連邦政府から資金援助を得て水道事業を民間から買い戻して再び州営とする合意を2月に発表した。この時の連邦政府との合意に関して,カリッドはPKRへの報告や相談を十分に行っていなかったことから,党内では不快感を示す向きが強かった。
PKRで事実上のトップのアンワルが2014年という時期にスランゴール州首相就任を目指したのは,党と州首相との間で深まった対立を解消することが目的であったと考えられる。見方を変えていえば,州首相として2期目に入り,党から離れて独自の動きを強めつつあったカリッドを引き摺り下ろすためでもあった。
しかし,予定されていたアンワルの立候補は補選の公示直前に中止となる。控訴裁で同性愛容疑の逆転有罪判決が出たことで,アンワルは裁判に集中する必要が出てきたためである。この逆転判決を受けて,アンワルの妻でPKR総裁のワン・アジザ(Wan Azizah Wan Ismail)が急遽代理として立てられて補選に出馬することとなった。ワン・アジザは3月のカジャン補選で勝利していたが,PKR側では7月に入るとカリッドに代えてワン・アジザをスランゴール州首相とする動きが本格化していった。この動きにカリッドは反発し,手続き論を持ち出して抵抗した。カリッドの抵抗を受けて,PKRはカリッドの不正行為や(州)政策の失敗に関する文書を発表したうえで,党懲罰委員会の決定に基づいてカリッドを除名した。カリッドはPKR除名後も政党の支持なしで2週間以上,州首相として地位に留まろうと試みたものの,最終的には州首相辞任を発表した。
7月以降にカリッドとPKRの対立が深刻化するなかで,DAPはワン・アジザを次期州首相にしようとするPKRの方針に同調した。しかし,PASは総裁を中心とした首脳部がカリッドの州首相の継続を支持したために,野党連合PRの構成政党であるPKRおよびDAPと,PASとの間での対立が表面化して州首相任命のプロセスが混乱することになった。
また,スルタンの意向も州首相任命プロセスの混乱を助長した。PKRとDAPの所属議員の支持によってワン・アジザは全56議席のスランゴール州議会で過半数の州議員の支持を得ていた。これを理由に,PKRとDAPは自党から出す単独の州首相候補者としてワン・アジザを推薦し,スルタンに対して任命を求めた。しかし,州首相の任命権を持つスルタンは,一説によるとワン・アジザが女性であることを理由に,PKRなどにワン・アジザ以外にも複数の候補者を推薦するように指示したとも言われている。マレーシアの州首相の任命は連邦首相の任命と同じく,立憲君主制のモデルに依拠しており,原則としてスルタン(スルタンのいない州では州知事[Yang di-Pertua Negeri])が,州議会で多数の支持を集めることのできる州議員を州首相に任命する。BNが安定多数の州議席を確保していた時代には表面化しなかったが,2008年総選挙以降の与野党間の勢力伯仲の時代を迎えると,スルタンの意向が州首相の任命プロセスに入り込む事例が出てきた。5月にトレンガヌ州では州首相の交代にともなうUMNOの内紛が発生したが,この内紛も2008年の州首相任命プロセスでのスルタンの介入に端を発するものであった。
過半数の支持を集める政党の判断とは異なる意向を持つスルタンによってスランゴール州首相の任命プロセスの混乱に拍車がかかったが,最終的にはPKRが折れる形でワン・アジザを含む複数の州首相候補者の推薦がなされた。その結果,アズミン・アリPKR副総裁が新州首相に選ばれた。年初からの一連の内紛によってPKRは国民からの信頼を大きく損なうこととなった。さらにスランゴール州首相(候補)として支持する人物の違いはPRの構成政党間の対立を表面化させた。この政党間対立が尾を引いて9月のクランタン州のプンカラン・クボール州補選ではPASとPKRの間での候補者調整に手間取り,PAS候補がBN候補に2013年総選挙以上の票差をつけられて敗れることになった。
PASはDAPとの間でもクルアーンが禁じている5つの犯罪行為に対して定められた死刑や身体刑であるハッド(hudud)刑導入に関して対立している。PASは自らが州政権を担っているクランタン州の州法でハッド刑導入を目指しているが,DAPは反対の姿勢をとり,導入を見直すよう求めている。PAS内部では,イスラーム知識人のウラマーなどを中心にPRの他の構成政党と対立してもハッド刑の導入を目指す集団と,これまで維持してきたPRの協力関係を重視してハッド刑導入に慎重な集団との対立が存在し,PR結束の攪乱要因となっている。
与党の再編成と扇動法与党側に目を移せば,2月に入り,これまでサラワク州で33年にわたって州首相を務めてきたタイブ・マフムド(Abdul Taib Mahmud)が州首相を辞任して,州元首に就任することが発表された。タイブは州首相辞任とともに州議員も辞任したために,彼が選出されていたバリンギアン州選挙区で補選が行われ,BNの候補が勝利している。
タイブ政権下では,森林資源や土地収用をめぐるタイブのファミリー企業や取り巻き達による巨額の汚職や不正の影が常につきまとってきた。汚職や不正の批判が大きいにもかかわらず,33年間,77歳までサラワク州首相を務めたタイブは,熟練した政治手法を持つ強力な指導者としてサラワク州のみならず,BN体制の安定を支えてきた重要人物であった。とくに2008年総選挙以降に連邦下院での議席獲得数が3分の2以下になり,マレー半島部でPRに追い上げられているBNにとって,これまで常に安定的な議席を確保することが可能だったサラワク州の重要性は非常に大きなものとなっている。
タイブの後任州首相のアデナン・サテム(Adenan Satem)は,州特任担当大臣であったものの,これまでは有力な後継候補としてみなされてこなかった。そのため,タイブの州首相退任発表の直後には院政の可能性も指摘された。しかし,すでに高齢で州首相辞任により政治の表舞台から一歩引いたタイブの影響力が今後低下していくことは明白である。タイブという重しのとれたサラワク州政治に変化が現れるとすれば,2016年までに予定されている次回州議会選挙の時であろう。
2013年総選挙ではBNを構成する華人系与党のマレーシア華人協会(Malaysian Chinese Association: MCA)とGerakanが大幅に議席を減少させた。Gerakanは獲得議席がわずか1議席しかない一方で,MCAは選挙前の党大会において総選挙で議席を減らすことになれば,政府に閣僚を出さないことを自ら決議していたこともあって,華人系政党出身の政治家が閣僚に1人も存在しないという史上初の事態が生じることとなった。総選挙後に新たな総裁となったリョウ・ティオンライ(Liow Tiong Lai)の最初の大きな仕事は,MCAを内閣に復帰させることであった。MCAは2014年2月の臨時党大会で閣僚ポストを受諾する決議を採択したことで障害がなくなり,6月にGerakanとともに内閣に復帰した。MCAからは総裁のリョウ・ティオンライと副総裁のウィー・カション(Wee Ka Siong)が大臣に就任したほか,3人の副大臣が新たに誕生した。また,Gerakanからは5月の補選で当選したばかりのマー・シュウコン総裁が入閣した。この内閣改造によって華人系政党出身の政治家が閣僚に存在しないという異例の事態は解消された。
政府・与党の側はサラワク州首相の交代,MCAとGerakanの政治家の入閣といった組織の再編を進める一方で,野党指導者や市民社会活動家などに対する扇動法(Sedition Act)適用によって攻勢を強めてもいる。扇動法で起訴されたケースの大半は8月後半から9月半ばに集中し,起訴内容は与党やその指導者への中傷,州宗教局やイスラームへの批判,そして,スルタンへの批判などである。ナジブ首相は,2012年6月に扇動法を廃止して国家調和法(National Harmony Act)に置き換えることを明言し,そのための作業を政府内で進めているとこれまで述べてきた。しかし,2014年11月のUMNO党大会中の演説で,扇動法をこれまでどおり維持するだけでなく,イスラームおよび他の宗教の尊厳を守ることと,サバ州とサラワク州の分離主義に対抗することの2点に関してさらなる強化方針を示した。扇動法を維持する決定は,UMNOの年次党大会直前の11月25日に党幹部との非公開の話し合いで決定されたといわれている。UMNO党大会でナジブ首相がこれまで繰り返してきた公約を破ってでも扇動法の維持を明言した背景には,党内で勢力を拡大する保守派の意向があったとみられる。
2014年の実質GDP成長率は,第1四半期が6.2%,第2四半期が6.4%,第3四半期が5.6%,第4四半期が5.8%で,通年の成長率は前年の4.7%から6.0%へと伸びた。とくに第1四半期と第2四半期に6.0%を超えたことと,第4四半期に5.8%を達成したことは,大方のエコノミストの予想を上回っていた。経済成長が加速した理由として,安定した雇用市場や賃金上昇を背景とした内需の拡大と,世界経済の緩やかな回復を受けて輸出が改善したことを指摘できる。
セクター別でみても2014年は全セクターでプラス成長を記録している。通年での成長率は,サービス業が6.3%,製造業は6.2%,建設業は11.6%,鉱業は3.1%,農業は2.6%であり,従来からの成長のエンジンだった製造業のほかにもサービス業などが成長することで,経済構造の多角化に寄与している。
経済が好転しつつある一方で,市民の間では物価上昇に対する懸念が広がっている。2014年通年の消費者物価指数(2010年=100)は,110.5ポイントで2013年から3.2%上昇した。物価上昇に対する市民の懸念が高まっている背景には,財政赤字削減を目指して2013年から始められた政府による一連の補助金削減政策がある。とくに燃料費の補助金削減は2013年9月に続いて2014年10月にも実施され,レギュラーガソリン(RON95)とディーゼル油の価格が20センずつ引き上げられた。その後,政府は12月1日から燃料費の補助金を全廃し,燃料費の価格決定については原油の国際価格の過去1カ月の平均価格をもとに決定する管理フロート方式を採用するようになった。管理フロート方式導入後の燃料価格は,2014年後半から顕著になった世界的な原油価格下落を受けてわずかではあるが下落傾向にある。補助金削減だけでなく,2015年4月1日から税率6%として導入される物品・サービス税(Goods and Service Tax: GST)法案が連邦議会で可決されたことも市民の間で将来に向けた物価上昇への懸念を高めている。政府は10月に食品や生活必需品などに関する900以上の非課税品目リストやゼロ税率品目リストを発表しているが,エコノミストの一部からは品目が多くて非効率であるとの声もある。
補助金削減やGST導入による物価上昇に対する市民の懸念の広がりは,ナジブ政権の支持率を大きく左右する要因となっている。ナジブ政権の支持率は,2013年末の一連の補助金削減策などの影響で2014年1月には支持率が42%,不支持率が52%と政権発足後初めて不支持が支持を上回った。その後の支持率は若干の回復をみせたものの,2014年を通して40%台後半から50%台前半の間で停滞している。ナジブ政権は1月に副首相をトップとする物価上昇対策の特別委員会を設置するなど対応を進めているが,市民の懸念を払拭することはできていない。
マレーシア航空再建問題後述する3月の航空機事故と7月の撃墜事件によって,マレーシア航空の経営は苦境に立たされて大規模な再建計画が検討されるようになった。しかし,実のところマレーシア航空の経営悪化は3月の事故が起こる以前から顕著であり,歴史的にみても大規模な再建策が必要になったのは2014年が初めてではなかった。
マハティール政権下で民営化されたマレーシア航空は,1994年から2001年まで当時のマハティール首相や元財務大臣のダイム・ザイヌッディン (Daim Zainuddin)と親密な関係にあったマレー人企業家のタジュディン・ラムリ(Tajudin Ramli)によって経営された。タジュディンの会長時代にはアジア通貨危機の発生や彼が主導した不透明な取引の影響で,2001年に80億リンギの負債を抱えることとなった。政府はタジュディンから株を買い戻し,持株会社のマレーシア航空会社(Penerbangan Malaysia Berhad: PNB)を設立して経営再建に乗り出した結果,再びマレーシア航空を成長軌道に乗せることができた。
しかし,2005年には,マレーシア航空は燃料費の高騰などを受けて13億リンギの損失を計上する。この時に政府からマレーシア航空の再建を託されたのは,ロイヤル・ダッチ・シェル社でキャリアを積み,後にナジブ政権の閣僚となるイドリス・ジャラ(Idris Jala)である。彼の下で不採算路線の廃止や従業員の早期退職プランなどからなる再建策を実施することで,マレーシア航空は2007年には8億5100万リンギの利益を計上して復活した。
過去2度の大規模な経営再建が行われた時と同様に,2014年2月に発表された決算報告では,マレーシア航空が再び危機に陥りつつあることが明らかになった。2013年度決算では,純損失が2012年度の4億3260万リンギから,その2.7倍となる11億7369万リンギに拡大していた。また,2014年1月から2月の決算報告までの間にも計算上は毎日500万リンギの損失を計上していた。損失が拡大した理由として挙げられたのが,エアアジアなど他社との競争激化,燃料費高騰,為替差損の拡大などである。
ただし,これらの理由に加えて,過去2度の経営再建が目指された時と同じく,マレーシア航空自身が抱える構造的な問題が損失の拡大に影響しているといわれている。そのひとつが労働組合との合意もあって依然として過剰気味の従業員数である。マレーシア航空は108機の航空機を1万9500人の従業員で運用しているが,たとえばシンガポール航空は103機の航空機を1万4500人の従業員で運用しており,マレーシア航空の従業員の多さが目立っている。
さらに,マレーシア航空は国営石油会社のペトロナス(Petronas)のような政府系企業と同様に下請け契約の面で政治の影響を避けられず,経営の効率性や合理性の観点から問題を抱えているともいわれている。たとえば,マレーシア航空の機内食のケータリングは2003年から25年もの長期契約でブラヒムズ・エアライン・ケータリング(Brahim’s Airline Catering)社が担っているが,この会社の親会社の経営者はアブドゥラ前首相の弟であり,マハティール元首相などがこの契約を批判している。
以上のように,比較的短期の経営環境の変化に加えて構造的問題をも抱えるマレーシア航空は,3月の事故以前からすでに経営が悪化しつつあり,3月と7月に起こった惨事は経営悪化にとどめを刺す形となったのである。
そこでマレーシア航空の再建策が8月に打ち出されたが,その柱は国営投資会社のカザナ(Khazana Nasional Berhad)による完全国有化を通じたリストラ策であった。具体的には,8月時点で69.37%のマレーシア航空株を所有するカザナが全株を買収して株式上場を廃止するとともに完全国有化を達成する。そのうえで,60億リンギの資本注入,従業員の3割を削減して1万4000人の体制を目指す。これによって,290%の純負債比率を120%にまで圧縮する。さらに,赤字路線の見直しや本社を現在のスバンからクアラルンプール国際空港へと移すことも再建計画に盛り込まれた。スケジュールとしては,2015年に新会社を発足させ,3年後の2017年に黒字化を目指すことが発表されている。この再建策の実行に向けて,マレーシア航空は史上初の外国人経営者のクリストフ・ミュラー(Christoph R. Mueller)をトップに迎えることを発表した。クリストフ・ミュラーの採用は,経営危機に陥ったアイルランドの航空会社エアリンガス(Aer Lingus)を再建した実績を買われたためであるといわれている。
金融機関の大型合併計画とその蹉跌7月には金融機関の大型合併計画が発表され,関連金融機関が90日間の排他的合併交渉の期間に入り,株式取引が停止された。国内金融業界で第2位のCIMB(Commerce International Merchant Bankers)グループに第4位のRHBキャピタルと,不動産融資から始まって現在ではさまざまな金融業を営んでいるマレーシア建築協会(Malaysia Building Society Berhad: MBSB)とが加わった3金融機関の合併計画である。合併が成功すれば資産額で6137億リンギとなり,国内第1位のマラヤン・バンキング(Malayan Banking)グループの5780億リンギを超え,ASEAN内でも第4位の金融グループが誕生するとあって市場の話題を大きくさらった。
3金融機関の合併の主要な目標のひとつが,イスラーム金融でメガ・バンクを結成することであり,中央銀行のバンク・ヌガラが合併交渉に入るのを許可したのはこの点をとくに評価したためであるともいわれている。マレーシアのイスラーム金融は順調な成長を続けており,2009年末時点では金融システム全体のなかでイスラーム金融資産の占める割合が16%であったのが,2014年5月末時点で21%,金額にして4340億リンギにまで増大している。さらに,3金融機関の合併が発表された7月には,マレーシアのイスラーム銀行が2014年に入ってからの半年の間に,これまでの記録を更新する32億5000万リンギ相当のリンギ建てスクーク(イスラーム債券)を発行したとの発表もなされていた。
今回の合併を主導したCIMBグループは,1990年代末のアジア通貨危機以降に進んだ銀行合併のなかで,ブミプトラ・コマース銀行(Bumiputra-Commerce Bank)や南方銀行(Southern Bank)などの有力銀行との合併によって規模を拡大してきた金融グループである。アジア通貨危機後のCIMBを率いたのは,ナジブ首相の弟であるナジル・ラザク(Nazir Razak)だった。ナジルは1999年には33歳の若さでCEOに就任し,CIMBの拡大路線を主導してきた。彼の下でCIMBはイスラーム金融の事業を本格化させるとともに,積極的な国際展開を行い,現在では,ブルネイ,インドネシア,ミャンマー,タイ,シンガポールなどのASEAN各国に支店網を拡大するのみならず,ロンドン,ニューヨーク,バーレーン,香港などの金融センターでもその地位を拡大してきた。
CIMBがRHBおよびMBSBとの大型合併推進に踏み切った背景には,この3金融機関のいずれにおいても,日本の公的年金基金にあたる被雇用者退職基金(Employees Provident Fund: EPF)が大株主であることがあげられる。EPFの所有する持株比率はCIMB14.6%,RHB40.9%,MBSB64.6%である。EPFを所管するのは財務省で,ナジブ政権下では財務大臣は首相が兼任している。CIMBのトップがナジブ首相の弟であることもあり,市場ではこの合併計画は政府の後押しがあるとして実現可能性が高いと見込まれていた。
しかし,10月に入ると証券取引所ブルサ・マレーシア(Brusa Malaysia)の発表によって先行きに暗雲が立ち込めることなる。ブルサ・マレーシアは,合併を予定する3金融機関すべてで大株主であるEPFがそれぞれの株主総会で議決権行使することは,潜在的な利益相反となるために認められないと発表したのである。EPFの議決権が認められないことで障害となったのは,RHBの合併の議決である。RHBでは筆頭株主のEPFに次ぐ株主はアブダビの政府系ファンドであるアアバル(Aabar)で,21.2%の株式を所有している。もし,EPF抜きで議決をとるならば,アアバルの持株比率が36.3%に上昇して筆頭株主となる。10月にEPFが議決に参加できないとわかった後も合併交渉は続けられたが,結局はアアバルを説得できずに計画は完全に暗礁に乗り上げた。CIMBが主導する合併計画は,久々の金融機関の大規模な合併計画として2014年には市場から大いに注目されたが,2015年1月に計画中止が正式に発表された。
2014年はマレーシア航空とエアアジアというマレーシア系航空会社にとって悪夢ともいうべき年となった。まず,3月8日にタイランド湾上空で乗務員12人を含む239人を乗せたクアラルンプール発北京行きのマレーシア航空370便(MH370)が消息を絶った。消息不明が伝えられた直後の情報は錯綜した。飛行機が墜落したとみられる位置と捜索の範囲は,消息不明となった直後にはタイランド湾から南シナ海にかけての海域であったのが,後にオーストラリアから西のインド洋南方となった。マレーシア政府は2015年1月に「事故」によって乗客・乗員が全員死亡したとみられると正式に発表した。しかし,2015年2月時点でも正確な「事故」の原因は明らかにできないまま,オーストラリアとマレーシアの両政府が共同で捜索活動を続けている。
この事故におけるマレーシア政府の情報提供のあり方については,対応の遅れや説明不足などがあり,国内外で批判を招いた。たとえば,パイロットの最後の交信内容を3週間以上経って修正したことは,もっとも多い被害者が出ている中国人乗客の家族の間でマレーシア政府に対する不信感を植え付けた。また,マレーシア航空が事故直後に発表した乗客リストの国籍には,イタリアとオーストリアの国籍が含まれていたが,これらの国籍の乗客は盗難されたパスポートを使っていたイラン人だったことが後に判明し,出入国管理業務でも課題が示された形となった。
行方不明となったマレーシア航空機の捜索のため,20カ国以上が衛星や艦艇を使った捜索を実施したが,各国の協調体制の不備や軍事機密の存在が事故直後の捜索を困難にしたとの指摘もある。とくに,マレーシアがレーダーによる捜索能力の限界を示すなかで,周辺国のなかには自国で機密となっているレーダー情報を公表することに難色を示す向きもあったといわれている。さらに,南シナ海の領有権問題を抱える中国がマレーシア航空機探索にあたって高解像度の衛星画像を公開したり,新型の艦船や航空機などを派遣したりしたことは,周辺国やアメリカなどに警戒感をもたらした可能性があるともいわれている。
マレーシア航空370便の行方がつかめないまま時間が過ぎていくなかで,マレーシア航空は7月に2度目の悲劇に巻き込まれた。オランダのアムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空17便(MH017)が7月17日にウクライナのドネツク州上空で爆発し墜落した。この結果,乗員15人を含む298人は全員が死亡した。マレーシア航空機墜落の原因については,ウクライナの新ロシア派組織による地対空ミサイルによって撃墜されたとの見方がウクライナやアメリカなどから出されている。しかし,ロシアはそうした見方を否定して逆にウクライナの陰謀を指摘していることから,誰がミサイルを撃ったかについては非難合戦の様相を呈しており決着がついていない。
犠牲者の遺体と航空機のブラックボックスの回収のためにナジブ首相はウクライナからの独立を宣言した「ドネツク人民共和国」(Donetsk People's Republic)の首相を名乗る親ロシア派指導者アレクサンドル・ボロダイ(Alexander Borodai)らと秘密裏の直接交渉を行った。交渉の結果,7月21日には遺体のオランダへの移送とブラックボックスの引き渡しに関する合意に達したことが発表された。しかし,回収された遺体は損傷が激しく,適切な回収が行われなかったこともあって,乗客・乗員298人全員の遺体は完全に回収されないままとなった。また,事故原因究明のために現地に入った国際調査団による調査も親ロシア派側の妨害によって困難に直面したといわれている。マレーシアでは,犠牲となったマレーシア航空17便の乗客・乗員を追悼する行事がマレーシア航空や一般市民の手で実施され,政府もマレーシア人20人の遺体がクアラルンプール国際空港に到着した8月22日を「国葬の日」として追悼行事を行った。
マレーシア航空の事故と撃墜事件の記憶も冷めやらないまま,12月28日にはマレーシアの格安航空会社のエアアジアの子会社であるインドネシア・エアアジアの航空機事故が起こった。事故は乗客・乗員162 人を乗せたスラバヤ発シンガポール行きのエアアジア8501便がジャワ島とカリマンタン島との間の上空を飛行中に連絡を絶ったものである。2015年1月に入ってエアアジア機の残骸が発見され,インドネシア当局によって事故原因が悪天候であったことが発表されている。事故機はインドネシアで運用されており,国籍もインドネシアであるが,マレーシアのエアアジアの子会社(株式比率はマレーシア本社が49%,インドネシア側が51%)であることからマレーシア系航空会社の事故として一般には認識されている。事故を受けて,エアアジア・グループCEOのトニー・フェルナンデス(Tony Fernandes)がインドネシアで対応を行った。
中国との関係2014年はマレーシアと中国との国交樹立40周年という記念の年であった。マレーシアと中国の間には南シナ海のジェームズ礁(中国名は曽母暗沙)をめぐる領有権問題が存在している。1月には中国の艦艇がジェームズ礁に侵入して一方的な「主権宣誓式」を行った。また,3月のマレーシア航空370便の事故で犠牲となった乗客の多くが中国人であり,マレーシア政府の事故対応に中国政府も不満を漏らしていたことから,両国間には一時的に険悪なムードが漂った。しかし,5月以降には両国はそうした対立ムードを払拭するかのように複数の行事を開催し,関係の親密さをアピールした。
5月末から6月にかけて,ナジブ首相は他の閣僚とともに中国を訪問し,李克強首相と会談した。会談では行方不明のマレーシア航空370便について話し合われたほか,2013年の習近平国家主席のマレーシア訪問時に約束された二国間貿易を2017年までに1600億ドル(約5110億リンギ)に拡大させる方針も確認された。そのほかにも,マレーシアが南寧,中国がペナンとコタキナバルにそれぞれ領事館を設置することや,中国が提唱する「21世紀海のシルクロード」計画への協力なども話し合われた。11月には,マレーシアの中央銀行バンク・ヌガラがそのカウンターパートの中国人民銀行とマレーシア国内における人民元決済手続きに関する覚書を交わし,今後の人民元決済事業での協力と情報交換などで合意した。
両国の文化や教育面での関係も深まっている。7月には,前年に両国間で合意した厦門大学マレーシア・キャンパスの建設が始まり,12月には,中国訪問中のムヒディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin)副首相兼教育大臣が標準中国語(北京語)と数学を教える中国人教師をマレーシアの公立学校に派遣することで中国政府と合意したと発表された。ほかにも,国交樹立40周年記念として,中国からパンダ2頭が貸与され,国立動物園で6月から一般公開された。
アメリカとの関係アメリカとの外交関係でも進展がみられた。4月にオバマ大統領が来訪し,ナジブ首相と会談した。アメリカの現職大統領による公式な来訪は1966年以来,48年ぶりのことであった。今回の来訪は,人権や民主主義などの価値観をめぐる対立からぎくしゃくしたマハティール政権下での両国関係から一歩を踏み出し,新たな二国間関係を演出するうえでまたとない機会となった。
首脳会談では南シナ海における中国とマレーシアの領有権問題を念頭に,海洋の安全保障を含む包括的な協力関係を強化することで両国が合意した。また,環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の早期妥結を目指すことも確認された。会談後の記者会見で,ナジブ首相はアメリカのリバランス政策に歓迎を示した。
先の中国との関係と合わせて考えれば,大国の間でバランスを取りながらマレーシアの国益を確保しようとするナジブ首相の巧みな外交をみることができる。
社会のなかで保守的なイスラームの影響力の拡大がどこまで進むかが2015年以降の注目すべき点である。その際,連邦と各州の宗教局,プルカサやISMAなどのマレー系やイスラーム系のNGO,UMNOの保守派などの政府・与党やそれに近いアクターだけでなく,クランタン州でハッド刑の導入を試みている野党PASの動向も今後のマレーシアのイスラームの方向性を左右すると考えられる。
2014年に野党連合PRのなかで要となるPKRは内紛によって大きなダメージを受けた。本稿の執筆時点(2015年2月)で,アンワルは同性愛容疑をめぐる連邦裁で敗訴が決定して収監されている。アンワルに代わる指導者が登場し,2014年の内紛で傷ついた党の勢いを回復すことができるか否かは,今後のPR全体の行方をも左右することになる。
2014年3月と7月の2度にわたる悲劇に見舞われたマレーシア航空の再建は2015年の新会社発足で本格化する。新しい外国人経営者の下,再建案に沿って過剰人員の問題など構造的問題についても着実に達成していけるか否かに注目が集まっている。
2015年4月からGST6%の徴収が始まる。GSTの経済や市民生活への実際の影響がどの程度のものとなるのかが2015年の重要な焦点のひとつとなるだろう。
(京都大学東南アジア研究所機関研究員)
1月 | |
2日 | スランゴール州宗教局(JAIS)がマレー語とイバン語のキリスト教聖書300冊余りを押収。 |
7日 | 内閣特別員会がファーストフード店での外国人労働者雇用の禁止を決定。 |
12日 | ナジブ首相がカンコン(空芯菜)の価格を取り上げて,政府の物価への取り組みを擁護する発言。 |
15日 | 内閣に副首相をトップとする物価上昇対策の特別委員会設置を発表。 |
15日 | 野党がペナンで物価高騰に抗議するデモを起こす。 |
19日 | 野党PKR指導者のアンワル・イブラヒムが日本入国を拒否される。 |
20日 | ムスタパ国際貿易大臣が国家自動車政策2014を発表。 |
21日 | 政府が外国人不法滞在者の全国規模の一斉取締活動(Operasi 6P Bersepadu)を開始。 |
26日 | 中国の艦艇3隻がマレーシアの排他的経済水域(EEZ)にあるジェームズ礁に侵入し,「主権宣誓式」を行う。 |
27日 | ペナン州ジョージタウンの教会に火炎瓶が投げ込まれる。 |
28日 | 前日にカジャン州選挙区選出の野党PKRの州議員が辞任したことを受けてアンワルが補選に立候補する意思があると表明。 |
2月 | |
5日 | ムヒディン副首相が2013年発表した高速料金値上げを今年は見送ると発表。 |
8日 | サラワク州で33年間,州政権を担ってきたタイブ・マフムド州首相が辞任表明。 |
12日 | アデナン・サテム州特任担当相のサラワク州首相就任が発表される。28日就任。 |
14日 | 国際貿易産業省が中小企業向けに吸収・合併(M&A)を促進する一連の政策を発表。 |
18日 | 「アッラー」に関する記述が原因でマレー語版「ウルトラマン・ウルトラ・パワー」の漫画本が発禁に。 |
18日 | マレーシア航空が2013年決算を発表。 |
21日 | 高裁,2009年のペラ州政治危機に関する発言で扇動罪に問われていた野党DAP指導者カルパル・シンに有罪判決。 |
23日 | MCAが臨時党大会を開催,2013年総選挙後に辞退していた閣僚ポストを受諾する決議を採択。 |
25日 | 首都圏の給水制限計画の第1弾が発表。第2弾発表は28日。 |
26日 | 連邦政府とスランゴール州政府との間で州が買収する水道事業の公有化計画の合意が成立。 |
3月 | |
1日 | ペナン第2大橋の開通式。 |
7日 | 控訴裁,野党PKR指導者アンワルの同性愛事件に対して高裁判決を覆し有罪に。 |
8日 | クアラルンプール発北京行きのマレーシア航空370便(MH370)が行方不明に。 |
11日 | スランゴール州カジャン州選挙区補選が告示。 |
14日 | ヘイズ(煙害)悪化によりスランゴール州のクランとバンティンでは大気汚染指数(API)で最悪の「危険」レベルを記録。 |
19日 | バンク・ヌガラ,2015年1月から現行の貸出基準金利(Base Lending Rate: BLR)を基準金利(Base Rate: BR)に変更すると発表。 |
23日 | スランゴール州カジャン州選挙区補選の投開票の結果,野党PKRの勝利。 |
25日 | 選挙制度改革運動のブルシ運動,模擬裁判を通じて2013年の総選挙結果が不正であったとの報告書を発表。 |
29日 | 州議員を退いたタイブ前州首相の選挙区であるサバ州のバリンギアン州選挙区で補選実施。投開票の結果,BNが勝利。 |
4月 | |
2日 | サバ州東海岸のスンポルナのリゾート地で中国人観光客とフィリピン人ホテル従業員が武装組織によって誘拐される。 |
7日 | ナジブ首相とシンガポールのリー・シェンロン首相がプトラジャヤで会談。 |
7日 | GST法案が連邦下院議会を通過。 |
17日 | 野党DAPの前議長だったカルパル・シンが交通事故で死亡。 |
17日 | ナジブ首相,トルコ訪問。自由貿易協定(FTA)を締結。 |
26日 | アメリカのオバマ大統領,来訪(~28日)。27日にナジブ首相と会談。 |
28日 | 華人系NGOの44団体が集まってBN寄りの新党のペナン前進党(Penang Front Party: PFP)を結成。 |
5月 | |
1日 | クアラルンプールでNGOおよび野党主導によるGST導入に反対する大規模なデモ行進が実施される。 |
1日 | 運輸省,行方不明になったマレーシア航空370便の調査報告書を発表。 |
4日 | 下村博文文部科学大臣,来訪(~6日)。 |
5日 | GST法案が連邦上院議会を通過。 |
6日 | サラワク州議会,サラワク州の石油ロイヤルティの取り分を現行5%から20%に引き上げを求める決議採択。 |
9日 | 格安航空会社(LCC)専用の第2クアラルンプール国際空港(KLIA2)が開港。 |
11日 | PASが6月予定していた連邦下院でのハッド法案上程の延期を発表。 |
12日 | トレンガヌ州でUMNO所属のアフマド・サイド州首相が辞任。後任州首相として,アフマド・ラジフが就任。 |
12日 | 政府変革プログラム(Government Transformation Program: GTP)と経済変革プログラム(Economic Transformation Program: ETP)の年次報告書が発表される。 |
18日 | ナジブ首相,アブダビ訪問,ドバイのシェイク・モハメド首長と会談。 |
21日 | マレーシアと中国の国交樹立40周年を記念して,中国からパンダ2頭が到着。 |
21日 | ナジブ首相,訪日。翌22日にルック・イースト政策の第2波をテーマに安倍首相と会談。23日には日本経済新聞社主催の会議で演説。 |
24日 | 保健省,イギリス菓子メーカー,キャドバリーのハラル認証取り消し。チョコレート2商品で豚のDNAが検出されたとして。 |
25日 | ペナン州のブキッ・グルゴール連邦議会選挙区補選で投開票の結果,DAPが勝利。 |
26日 | マレーシア航空の労働組合,経営者の辞任と雇用の確保を求めてスバン空港でピケを張る。 |
27日 | ナジブ首相を代表とする政府代表団,中国訪問(~1日)。李克強首相と会談(29日)。マレーシアと中国の国交樹立40周年記念行事に出席(31日)。 |
28日 | ペラ州スルタンのアズラン・シャーが死去。 |
29日 | ジョホール州スルタンのイブラヒム・イスマイル,州議会における演説で州の公的部門だけでなく,民間部門も金曜日を休日とするよう要請。 |
31日 | ペラ州のテロック・インタン連邦議会選挙区補選で投開票の結果,BNが勝利。 |
6月 | |
1日 | ペナン州で宿泊税徴収が始まる。 |
9日 | ナジブ首相,「インベスト・マレーシア」の会場で信用格付けのない社債やスクークの流通規定を2015年以降に緩和し,金融自由化を進めることを発表。 |
10日 | ナジブ首相,トルクメニスタンを訪問。グルバングル・ベルディムハメドフ大統領と会談。 |
16日 | ジャミル・キール首相府大臣(宗教担当),マレーシアは世俗国家ではないとの認識を示す。 |
23日 | 連邦裁,カトリック教会の機関紙『ヘラルド』のマレー語版が「アッラー」の使用を禁ずる判決を出す。 |
25日 | 内閣改造実施。2013年総選挙以降,入閣を辞退してきたMCAおよびGerakan所属の議員が入閣。 |
25日 | 外務省,18日の国連発表に基づき,6月半ばまでの時点で,IS(「イスラーム国」)に参加して15人のマレーシア人が死亡したことを確認。 |
26日 | ペトロナスCEOの「ペトロナスの資産は全マレーシア人のものである」との発言に,プルカサが反発。CEO辞任を求める。 |
28日 | UMNOを侮辱したとされるDAP所属のペナン州議員R.S.N.ライエルの自宅に牛の生首が投げ込まれる。R.S.N.ライエルは後に扇動法で罪に問われる。 |
7月 | |
2日 | MRT(地下鉄)のスンガイ・ブロ-カジャン線の工事現場で大規模陥没事故が発生し,3人死亡。 |
3日 | 厦門大学マレーシア・キャンパスの建設開始。 |
10日 | CIMBなどの3金融機関がバンク・ヌガラから合併交渉の許可を得たことを発表。90日間の排他的合併交渉の期間に入り,株式取引が停止される。 |
10日 | 保守的なイスラームや極端なマレー優先主義に反対するNGOらが社会運動のヌガラクを結成。 |
17日 | マレーシア航空17便(MH17)がウクライナで墜落。 |
21日 | ナジブ首相,マレーシア航空17便の遺体移送とブラックボックス引き渡しで親ロシア派トップと合意したと発表。 |
22日 | アンワルが記者会見でPKRはスランゴール州首相を現在のカリッド・イブラヒムからワン・アジザ総裁に替える意向であることを発表。カリッド州首相は反発。 |
8月 | |
9日 | PKR,スランゴール州首相のカリッド・イブラヒムを党から除名。 |
12日 | カリッド・スランゴール州首相,スルタンに書状を送り,DAPとPKR出身の州行政評議会メンバー5人の解任を伝える。 |
19日 | 7月2日に起こった地下鉄工事事故を受けて,MRT社のCEOが辞任発表。 |
19日 | 太田昭宏国土交通大臣,来訪(~14日)。 |
22日 | 撃墜されたマレーシア航空17便の乗客の遺体がマレーシアに戻る。政府は22日を「国葬の日」に定めて追悼行事を実施。 |
25日 | ジョホール州クライジャヤのJCY インターナショナル社の工場においてネパール人労働者約1000人がストライキ実施。健康管理に関する不満を抱いたとして。その結果,44人のネパール人労働者が逮捕される。 |
26日 | カリッド・スランゴール州首相,スルタンに州首相辞任を申し出る。 |
29日 | マレーシア航空の再建案発表。 |
31日 | 警察,ペナン州の独立記念行事でパレード中の志願制パトロール団(Pasukan Peronda Sukarela: PPS)156人を逮捕。 |
9月 | |
2日 | ライナス社によるパハン州グベンのレアアース製錬施設(LAMP),原子力認可委員会から2年間有効の完全操業免許を得る。 |
2日 | ムヒディン副首相兼教育大臣,国立大学の英語科目合格を必須にする方針を表明。 |
4日 | アブドゥル国王が中国訪問(~6日)。習近平国家主席と会談(5日)。 |
7日 | 首相府大臣,「2014年世帯所得調査」予備報告書の結果を受けて,マレーシアの1月の平均世帯収入が2012年の5000リンギから5900リンギに上昇したと発表。 |
23日 | アズミン・アリPKR副総裁,スランゴール州首相に就任。 |
25日 | クランタン州のプンカラン・クボール州選挙区補選で投開票の結果,BNが当選。 |
10月 | |
2日 | 政府の補助金削減の一環としてレギュラーガソリン(RON95)とディーゼル油の価格がそれぞれ20セン引き上げられる。 |
9日 | CIMBなどの3金融機関が合併を進めることで合意。 |
10日 | ナジブ首相兼財務大臣が2015年度予算案を連邦下院に上程。 |
13日 | 政府,GSTの非課税品目とゼロ税率品目リスト発表。 |
16日 | クアラルンプールで弁護士協会やブルシ運動などが主体となって扇動法に反対するデモ行進実施。 |
20日 | ナジブ首相,インドネシア訪問。ジョコ・ウィドド大統領の就任式に出席。大統領とも会談。 |
21日 | ブルサ・マレーシア,CIBMなどの3金融機関合併を承認するそれぞれの株主総会において,EPFは議決権行使を実施できないと発表。 |
27日 | アンワルのマラヤ大学での講演をめぐって大学当局と学生側が対立。学生側は大学の門を破ってアンワルを招き入れる。 |
28日 | 連邦裁でアンワルの同性愛裁判の最終弁論が開始。 |
28日 | ナジブ首相,ドバイで開かれた第10回世界イスラーム経済フォーラムで演説。 |
11月 | |
2日 | マラッカ州教育局が州内の全学校に対し,校内の掲示板等ではローマ字表記に加えてアラビア語表記(ジャーウィー)を併記するように通達。 |
6日 | マレーシア航空の臨時株主総会が開かれ,カザナによる株式公開買い付け提案が可決される。 |
7日 | 控訴裁,異性の服装を着ることを禁じたヌグリスンビラン州のシャリア刑法が違憲との判決を出す。 |
9日 | ナジブ首相,APEC首脳会議のため北京訪問(~11日)。 |
10日 | バンク・ヌガラと中国人民銀行との間で人民元決済に関する覚書締結。 |
23日 | プルカサが主導する「国民団結会議」(National Unity Convention)で政府に中国語とタミール語の民族語学校の廃止を求める決議が出される。 |
24日 | 政府,12月1日レギュラーガソリン(RON95)とディーゼル油の補助金を廃止し,管理フロート式で価格を管理すると発表。 |
25日 | UMNOの青年部,婦人部,青年女性部の年次大会が開催(~26日)。 |
27日 | UMNO年次党大会が開催(~29日)。 |
12月 | |
1日 | 中国訪問中のムヒディン副首相兼教育大臣,中国政府と北京語と数学の教師のマレーシア派遣について同意したと発表。 |
3日 | サバ州の不法移民問題を調査していた王立調査委員会,調査結果を発表。 |
4日 | スランゴール州のスルタン王宮がアンワルのダトッ・スリ(Datuk Seri)の称号を11月3日付で剥奪したことを発表。 |
8日 | 保守的なイスラームの動きを懸念する著名マレー人25人が公開書状を発表。 |
9日 | ナジブ首相,韓国訪問(~12日)。10日に朴槿恵大統領と会談。 |
15日 | プルカサの年次大会が開催。 |
18日 | MIC本部でパラニヴェル総裁が党役員の再選挙を求める群衆に取り囲まれる。 |
28日 | インドネシア・エアアジア8501便(QZ8501)が消息を絶つ。機体は2015年1月に発見される。 |
30日 | 控訴裁,JAWIによるボーダーズ書店捜査と従業員逮捕に関して,JAWIの行動を違法と判断。 |