2015 年 2015 巻 p. 487-510
テインセイン政権が任期の4年目を迎えた。経済の自由化政策の成果が現われ,外国からの投資が本格化した。他方,翌年に総選挙を控え,政治に関する議論が盛り上がったものの,際立った成果は生まれず,さまざまな難題を翌年に持ち越すことになった。
政治改革の最大の焦点は憲法改正であり,民主主義を標榜する野党陣営は大規模な改憲要求運動を組織した。しかし,現憲法下で行政府と立法府に影響力を確保する国軍の反対により事態は膠着状態に陥った。選挙制度については,与党側が総選挙での議席確保をねらって比例代表制の導入を図ったところ,野党や少数民族勢力が反対し,結果的に民族代表院のみで採用されることになった。また,近年の政治的自由の拡充に伴い,さまざまな社会運動が高揚してきたことを受けて,体制側がデモ参加者の逮捕やメディアの抑圧により統制を強化しようとする局面が目立つようになった。政府と少数民族武装組織との停戦交渉は,見解の相違を抱えつつも調整が続けられてきたが,年の後半に各地で戦闘が発生したため,先行きが不透明さを増した。ヤカイン州での仏教徒とイスラーム教徒の対立は解決をみないまま,急進的な反イスラーム・仏教保護運動が全国に広まっている。こうした潮流のなかで,異教徒間結婚や仏教徒女性の改宗を防止することを目的とした法案が作成され,議会に提出された。
対外的には,初就任となるASEAN議長国の役回りを無難にこなし,国際社会への完全復帰をアピールした。国内の人権侵害についての批判を受けながらも,日本や欧米との経済関係を深化させ,その一方で,中国との関係も改善するという多角的な外交を展開した。携帯電話事業や経済特区建設といった大型事業も始動して諸外国からの投資額が飛躍的に増加した。
前年から憲法改正に関する論議が盛り上がっていたが,2014年には改正手続きを規定した第436条の修正がとりわけ重要な争点となった。第436条は,憲法改正には連邦議会議員の75%を超える賛成が必要と規定しており,議席の4分の1を占める軍に実質的な拒否権を与えている。アウンサンスーチー氏(以下,スーチー氏)の率いる最大野党の国民民主連盟(NLD)と1988年民主化運動の担い手で構成される88世代学生ピース・アンド・オープン・ソサエティ(88GPOS)は第436条の修正が最優先との認識の下,協力して広く改憲の必要性を訴える運動を展開した。5月17日,NLDと88GPOSはヤンゴンで市民約1万人が参加する集会を開き,5月末から7月中旬までの全国署名キャンペーンで約500万人分の署名を集めた。
体制側では,年初の月例ラジオ放送でテインセイン大統領が改憲に前向きな姿勢を示しはしたものの,NLDらの活動を牽制する動きもみられた。選挙管理委員会は5月,軍人に改憲運動へ参加するよう呼び掛けるスーチー氏の発言は,議員就任時の憲法遵守の宣誓に反していると警告を発した。また,4月にNLDの改憲請求署名に応じたために逮捕勾留されていた陸軍少佐は,12月に軍紀違反と命令不服従で懲役2年の有罪判決を受けた。
連邦議会では,前年に設置された憲法見直し合同委員会が1月31日に,国民から募集していた提言の取りまとめ結果を報告した。それによると, 2万8000通の意見書が寄せられ,約10万人が署名により諸条項の改正を望まないとの意見を表明したという。2月3日には,これらの提言を検討し,憲法改正法案を起草するために新たに憲法改正業務実施委員会が設置された。与党・連邦団結発展党(USDP)議員14人,軍人議員7人,NLD議員2人を含む合計31人からなり,連邦議会副議長が委員長を務める。新華社通信の報道(5月21日)によると,同委員会は第436条について,改憲に必要な議会での賛成比率を75%から66%に引き下げる修正案を作成したという。11月中旬,これら2つの委員会の検討結果に基づいて連邦議会で議論が開始されたが,軍人議員たちは改正に反対の意向を示し,議事は行き詰まった。
この前後には,諸政治勢力のトップ会談による事態の打開も模索された。そもそもNLDは早くからスーチー氏とテインセイン大統領,シュエマン連邦議会議長,ミンアウンフライン国軍最高司令官の4者会談を提案していたが,長らく実現してこなかった。ところが,東アジア首脳会議(EAS)直前の10月31日に急遽,大統領の呼び掛けでハイレベル会談が開催されることになった。この会談には,上記の4人に加えて政府・軍・議会各々の第2位に相当する人物や複数の少数民族政党代表者なども含む合計14人が参加したが,具体的な成果は上がらなかった。連邦議会も議事膠着後の11月25日,上記4人に民族代表院議長と少数民族の代表者1人を加えた6者会談を改めて開催することを緊急提言した。しかし,これは大統領と国軍最高司令官の拒否によって実現しなかった。少数のトップ会談による早期改正を目指すNLDと,多様な勢力を巻き込みながら改正に慎重な姿勢を保とうとする政府や国軍とが対立し,年内は事態の膠着が続いた。
比例代表制の導入翌年の総選挙を前にして,選挙制度改革に関する議論も盛んになされた。焦点となったのは比例代表制導入の是非である。現行の小選挙区制度のままでは2015年総選挙でNLDが圧勝する可能性があり,与党USDPをはじめとする一部の政党が比例代表制の導入によって一定の議席数確保を図ったとみられる。6月初旬に民族代表院で国民民主勢力(NDF)議員が比例代表制の導入案を提起したところ,NLDおよび少数民族各政党から,選挙制度改革は時期尚早,全国的基盤を有さない小規模政党に不利などと反発が起きた。同月11日,民族代表院では,ビルマ民族の多い「管区域」部のみへの比例代表制の適用を選挙管理委員会に勧告することが賛成多数で決議された。
人民代表院においても,委員会が設置されて選挙制度改革の検討が行われた。しかし,小選挙区制以外の選挙制度は違憲との見解を憲法廷が示したことを契機として, 11月14日,人民代表院では現行制度の維持を決定した。他方,民族代表院では,同月24日,「管区域」部のみならず少数民族の多い「州」部も含む全国で比例代表制を導入することが新たに決議された。選挙区割りが郡と人口に基づくと規定される人民代表院(憲法第109条a項)と違い,民族代表院はひとつの「管区域」あるいは「州」を12人の議員が代表するとの規定(同第141条a項)があり,各々の「管区域」や「州」をひとつの選挙区とする比例代表制の導入が可能と解釈された結果である。これにより,2015年総選挙では連邦議会を構成する両院で異なる選挙制度が採用されることとなった。
社会運動の高揚と取り締まりテインセイン政権が政治的自由の拡充を進めてきたことで,国民の主張や要求の声はますます大きくなっている。土地問題絡みのデモやストライキの頻発に加え,2014年にとりわけ注目すべき動きとなったのが学生たちによる教育法への反対運動である。9月末に成立した教育法は学生の政治運動を禁止し,中央集権的な性格を残していた。11月14日からの4日間,ヤンゴンで400人以上の学生が学問の自由を求めて抗議デモを組織し,政府に対して60日以内に協議の場を設けなければ全国規模のデモを展開すると要求を突きつけた。ミャンマーでは歴史的に学生が反体制運動の急先鋒を担ってきたが,今回の反教育法運動はテインセイン政権下で最大規模の組織的学生運動となっており,その帰趨が注目される。
社会からのさまざまな要求が強まるなか,政権は新たなルール作りを試みている。6月24日,「平和的集会および行進に関する法」が改正された。2011年制定の同法は,政治的自由をある程度保証したが,集会やデモ行進の事前許可取得を義務づけ,違反者に対して1年以下の懲役もしくは3万チャット以下の罰金もしくはその両方を科す(第18条)と定めていたため,抑圧的として改正が求められていた。今次の改正では,懲役刑の刑期が半減され,一部では許可が下りやすくなったなど運用面での変化も指摘されている。しかし,同法改正後もこれを根拠とする活動家の逮捕が続いており,本質的な変化はないとの批判もみられる。
メディアの統制強化ルール作りは報道の分野でもみられた。法制上の自由化がある程度進んだが,他方で統制強化とみられる事態が散発し,政権とメディアとの緊張が高まった。
3月14日,メディア法と出版事業法が制定された。前者は政府とメディア双方の代表者からなる暫定メディア審議会(2012年設立)が法案を作成したものであり,ジャーナリストの遵守事項に曖昧な表現があるが,基本的に報道の自由を保証する姿勢が示された。後者は情報省が独自に作成したものであり,出版事業認可証の取り消しや停止の権限を情報省に留保しているが,事前検閲は廃止した。懲役刑も廃止され,両方の法律とも違反者に罰金刑のみを科すこととしている。
しかしながら,体制側の統制強化とみられる以下の2事例では,他の法律の適用によって懲役刑が科された。まず,1月25日付けの週刊誌『ユニティ』が「秘密化学兵器工場」と題した記事を掲載したところ,月末に,同誌CEOおよび記者4人が公務秘密法に基づいて逮捕起訴され,7月の第1審で5人全員に懲役10年の有罪判決が下された。第2の事例は,週刊誌『ビー・モンテーネー』に関するものである。同誌7月7日発売号は,スーチー氏と少数民族代表が暫定政権を樹立したと,ある政治活動家グループが発表したことを報じた。翌日,政府は「この報道は国民の誤解を招き,国家の名誉を損なうとともに治安を乱す恐れがある」との見解を国営紙に掲載した。同誌関係者は7年以下の懲役を科されうる1950年緊急事態対処法違反の容疑で逮捕された。
8月初旬,暫定メディア審議会は相次ぐ報道関連の事件について,刑の軽減を求めてテインセイン大統領と会談を行った。この後,『ビー・モンテーネー』の件では,刑罰の軽い刑法第505条b項(扇動罪)での起訴に変更され,10月に同誌記者・編集者3人と所有者2人に対し,懲役2年の有罪判決が下された。また,『ユニティ』裁判でも,10月の控訴審判決で被告全員の刑期が7年に減じられた。しかし,それ以降,これらの裁判で被告側による控訴や上告は棄却されている。
極端な事例としては,国軍による報道関係者の殺害もあった。10月23日,国軍は勾留中であったジャーナリストのパーヂー(別名アウンチョーナイン)氏を射殺したと暫定メディア審議会に報告した。パーヂー氏は1988年の民主化運動に参加した後,タイへ移住してフリーランスのジャーナリストとなった人物で,9月末にモン州で発生した国軍と民主カレン慈善軍(DKBA)の戦闘の取材に赴いてから行方不明であった。国軍によると,パーヂー氏はDKBAの政治部であるクロトゥーボー・カレン組織(KKO)に関与しており,戦闘地域で勾留中,銃を奪って逃亡を企てたので射殺したという。しかし,KKOとの関係について,KKOと遺族はともに否定した。国内外からの批判と真相解明要求のなか,10月30日,大統領府は人権委員会に事件の調査を命令した。掘り返された遺体の状態からパーヂー氏が生前に拷問を受けていた疑いが濃いと報道されたが,12月初旬に人権委員会の提出した報告書では,KKOへの関与や拷問の有無については証拠がないとして断定が避けられ,法廷での真相究明が勧告されることとなった。
その他,報道内容が政府に対する名誉毀損に当たるとして,情報省が報道関係者を告訴する事例が2例あった。いずれも告訴前に国営紙上でその旨が発表された。1件目は,ミャンマー・イレブン・グループ発行の週刊誌で,情報省の印刷機購入の入札時に不正があったと報じられたことが問題視され,10月,同グループの関係者5人が刑法第500条(名誉毀損)に基づき告訴された。もう1件は,週刊誌『ミャンマー・タンドーズィン』がNLD幹部のインタビュー記事を掲載したところ,記事内容が大統領の名誉を毀損しておりメディア法の遵守事項に反するとして,11月に同誌関係者11人が告訴された。メディア法による告訴は初となる。どちらも年内に判決をみなかったが,名誉毀損罪は刑法では2年以下の懲役が,メディア法では30万~100万チャットの罰金刑が科されうる。
センサス実施と停戦交渉の難航政策立案などに不可欠な基礎的なデータの不備不足を補うべく,3月30日から4月10日にかけて,31年ぶりのセンサスが国連の支援を受けて実施された。しかし,一部で既存の民族分類範疇に対する異議が唱えられたのみならず,カチン州,カイン州,ヤカイン州では紛争のために調査を実施できない地域があった。8月末発表の暫定結果では総人口が5142万人弱であり,従来の政府推計値6100万人を大幅に下回った。この差異はある程度,圧政,内戦,貧困などによる国外への人口流出で説明されると考えられる。また,上記総人口中の120万人ほどは調査を実施できなかった紛争地域の人口の推計値となっている。
全国的停戦に向けた交渉は,前年から引き続き,政府側の連邦平和構築作業委員会(UPWC)と少数民族武装組織16団体の代表からなる全国停戦調整代表団(NCCT)との間で行われた。両者は,停戦後の政治的課題について見解の相違を抱えつつも,1,2カ月ごとに会合を重ね,停戦文書策定に向けた調整を進めた。しかし,9月に南東部のカイン州やモン州,北東部のシャン州で国軍と少数民族武装組織の戦闘が発生し,11月19日には,カチン独立軍(KIA)の本拠地ライザ付近にある訓練キャンプを国軍が急襲して訓練生23人が死亡する事件が起きたため,停戦交渉は先行きの不透明さを増している。年内最後の12月22日の会合では,政府側は国軍代表者が,NCCT側は正副団長が参加しなかった。
ヤカイン問題の継続ヤカイン州では依然として仏教徒ラカイン人とイスラーム教徒のロヒンギャとの対立により不安定な情勢が続いている。1月中旬,バングラデシュ国境に近いマウンドー郡ドゥーチーヤータン村で暴動が発生した。現地人権団体の報告によると仏教徒の暴徒が10人以上のムスリムの女性や子供を殺害したが,政府は否定している。また,3月末には州都シットウェーで,仏教徒民衆が国際援助組織18団体の事務所などを襲撃する事件が発生した。背景には援助組織がムスリムを優遇しているという仏教徒の不満があるとみられる。
ロヒンギャの人々は自分たちがミャンマーの土着民族であると主張しているが,政府は彼らをバングラデシュからの不法入国者とみなし,市民権を与えない方針を維持している。センサスでも,調査票の民族欄に,「ロヒンギャ」と記入することを認めず,「ベンガリ」(ベンガル人)と記すよう指示した。このため多くのロヒンギャが調査をボイコットした。また,この問題に批判的な国際社会に対して,政府はしばしば態度を硬化させてきた。2月27日には,ヤカイン州で医療活動に従事していた国境なき医師団に国内での活動停止を命じた。
問題が泥沼化するなかで,2014年半ばにはヤカイン州政府の再編が行われた。6月下旬,大統領は国境副大臣であったマウンマウンオウン少将をヤカイン州首相に任命した(7月1日着任)。新州首相が現役の国軍幹部であることやビルマ人であることがラカイン人の不満を招いたが,憲法上,大統領の任命を州議会が覆すことはできなかった。8月末には州政府の閣僚5人も交代した。新州首相は州民の生活水準向上を第1に目指すとの方針を表明し,活動停止を命じられていた国境なき医師団は7月に医療援助活動,12月に基礎診療業務の再開を認められた。
他方,国際社会の批判は続いており, 12月29日にはミャンマー政府に対しロヒンギャへの市民権付与を勧告する国連総会決議が採択された。
急進的仏教保護運動の展開前年来,全国各地で反ムスリム暴動が頻発しており,上述のヤカイン州での暴動に加え,7月にはマンダレーで再び死亡者の出る暴動が起こった。この背景には,急進的仏教僧が主導する969運動と呼ばれる反イスラーム・仏教保護運動の拡大がある。2014年には,こうした潮流の下で高揚していた「民族保護法」制定要求が具体化した。「民族保護法」とは,異宗教間結婚と仏教徒女性の改宗を防止することを主たる目的とする4つの法案,つまり,改宗法案,婚姻法案,一夫一婦制実施法案,人口抑制法案の総称である。上記運動の推進主体である民族宗教保護協会(ビルマ語略称はマバタ)がこれら4法案を起草し,2013年7月,法律制定を要求する請願を130万人分の署名とともに政府に提出していた。
2014年2月末,テインセイン大統領はこれら4法案を審議するよう連邦議会に送付したが,議会はこれを政府へ差し戻し,政府の各担当省庁が法案を作成し直すこととなった。3月7日,とくに改宗法案と人口抑制法案については法案起草委員会が設置され(大統領府通知第19号),同委員会は5月27日に改宗法案を国営紙に掲載して国民の意見を求めた。11月末,政府の起草した4法案が連邦議会へ送られた。これらの審議は2015年の会期中に行われる。
また,2つの事例で,宗教侮辱罪(刑法第295A条など)の適用をめぐって,民族宗教保護協会の影響力が発揮された。コラムニストでNLD党員のティンリンウー氏が10月の演説で,偏見や差別を覆い隠すための仏教利用を批判したところ,この発言が問題視され,11月20日に宗教侮辱罪で告訴された。また,宣伝用チラシにヘッドフォンを装着した仏陀の図柄を用いたことを理由に,12月10日,ヤンゴンのバー経営者のニュージーランド人1人とミャンマー人2人が宗教侮辱罪で逮捕された。いずれも民族宗教保護協会による指摘を契機としてインターネット上で批判が広まり,行政を動かすに至った。
2014年1月から12月の対ミャンマー直接投資は217件,約85億ドルであった。前年同期の約27億ドルから大幅に増加し,海外からの投資が本格化しつつある。国別ではシンガポールが50件,約55億ドルで全体の約65%を占めた(表1)。シンガポールがミャンマーとの間で優位な租税協定を結んでいること,東南アジア地域のハブ機能を有していることから,近年,シンガポールを経由した他国からの投資が増えている。
(注) イギリスは海外領土を含む。
(出所) 中央統計局,投資企業管理局の資料より作成。
分野別では,輸送・通信,石油・ガスが約30%ずつ,製造業が約18%であった(表2)。従来は石油・ガスや電力といったエネルギー分野が主であったが,輸送・通信や製造業など投資分野が多角化してきている。通信分野では,前年に携帯電話事業権を落札したカタールのウリードゥ(Ooredoo)とノルウェーのテレノール(Telenor)がそれぞれ8月と9月にサービスを開始した。また,入札に敗れた日本のKDDIと住友商事も,民営化を予定されている国営のミャンマー郵電公社(MPT)と7月に共同事業契約を締結し,携帯電話事業へ参入することとなった。
(出所) 表1に同じ。
外資呼び込みのための制度的後押しもなされている。8月14日,ミャンマー投資委員会は新たな外国投資法の施行細則を発表した(通達第49号,第50号)。前年1月に公表された施行細則では,外国投資の禁止・制限分野が239分野示されていたところ,今次の新施行細則では135分野に削減され,外国企業の100%出資の認められる分野が大幅に増加した。
また,10月1日には,外国銀行に対する初めての営業免許交付が発表された。免許により支店の開設が認められ,外国企業への外貨建て融資や国内銀行への融資が可能となる。この免許は12カ月の期限を設けられた暫定的なもので,この間に中央銀行が設定した要件を満たせば正式な免許が交付される。なお,今回免許を交付された外国銀行9行には三菱東京UFJ銀行,三井住友銀行,みずほ銀行が含まれ,日本への厚遇が目立った。
新経済特区法の制定1月23日には新経済特区法が制定され,外資導入のための環境整備がいっそう進んだ。これによると,経済特区は輸出型産業のための区域と国内向け製造業などのための区域とに分けられ,免税などの優遇措置は全般的に外国投資法を上回るものとなる。また従来,投資申請の審査に時間がかかることが問題として指摘されていたが,同法では,投資申請が要件を備えていれば経済特区内のワンストップ・センターで30日以内に審査を終えることが明記された。
新経済特区法施行により,2011年の旧経済特区法とダウェー経済特区法は廃止されるが,すでに開発計画のあるティラワ,ダウェー,チャウッピューは新法下でも引き続き経済特区として認定されるとみられる。なかでもヤンゴン近郊のティラワでは,前年10月の協定に基づいて,1月に日本の商社連合(三菱商事,丸紅,住友商事)とミャンマー政府および民間企業による共同出資会社ミャンマー日本ティラワ・ディベロップメント(MJTD)が設立され,いち早く開発に着手した。電力や港湾といった周辺インフラ整備のための円借款供与など日本政府の強力な後押しもあり,2015年半ばでの先行開発地区約400ヘクタールの開業を目指して急速に工事が進められている。しかしながら,住民の移転に関して人権侵害があるとの批判も起きている。
観光産業の発展ホテル・観光省によると,2014年の外国人訪問者数は308万人(うちヤンゴン経由102万人,国境ゲート経由194万人)であり,観光収入は約18億ドルにものぼった。2012年は106万人で5億ドル,2013年は204万人で9億ドルであり,観光産業が急速に発展している。政府は2013年に観光マスタープランを策定し,2020年までに訪問者数750万人,観光収入100億ドルの達成を目標として設定した。まずは2016年を20年ぶりのミャンマー観光年と定め,観光の振興に精力的に取り組んでいる。
新たな国際航空便の就航も着々と増えており,ヤンゴン郊外の新国際空港建設およびヤンゴンとマンダレーの両国際空港の改修が計画されている。今後の観光客のいっそうの増加を見越して,2014年にはビザの電子申請システムが導入された。これはインターネットでビザを事前申請し,入国管理・人口省からの承認を得た後,ビザを印刷して入国時にパスポートと一緒に提出すれば入国できるというものである。同システムは,試験期間を経た9月1日,41カ国からの観光客を対象にヤンゴン国際空港で正式に始動した。その後,さらに対象国が拡充され,マンダレーやネーピードーの空港にも導入された。
また,6月には,ハリン,ベイッタノー,タイェキッタヤー(シュリクシェトラ)の紀元1千年紀の古代遺跡が,ミャンマー初のユネスコ世界遺産に登録された。こうした観光資源の国際的認証はより多くの観光客を引き寄せるであろう。
1997年のASEAN加盟以来,初めてミャンマーは議長国に就任した。かつて2006年に加盟国間での持ち回り順序に従って議長国に就任する予定であったが,欧米の圧力もあって辞退を余儀なくされたという経緯があった。2011年以後のテインセイン政権下で欧米との関係は飛躍的に改善しており,今次の議長国就任はミャンマーにとって,国際社会への完全復帰をアピールする絶好の機会であった。
2015年に目指されるASEAN共同体の発足を控えて,ミャンマーは就任期間のテーマを「平和で繁栄した共同体に向けて結束して前進する」と定め,加盟国間の結束を強調した。難題の南シナ海問題については,外相会議で「深刻な懸念を表明する」との声明を採択し,ASEANとして中国を非難する構えを作りつつ,いかなる採択文書でも中国への直接的な名指しを避けて中国に一定の配慮も示すという舵取りを行った。多数の会議を開催する事務能力に不安を抱え,国内人権問題への批判が続くなか,結果として大過なく議長国の責務を全うしたといえる。
多角的経済関係の強化前年に引き続き,外交を通じた多角的な経済関係の強化が図られた。
日本は,前年に発表された約1542億円の有償・無償の資金協力について書簡の交換を達成したうえで,さらなる援助の表明を立て続けに行った。1月6日には,国内和平の実現と紛争地での民生向上のために5年間で100億円の支援を行う用意があることが発表され,3月の岸田外相来訪時に,この一部として国際機関を通じた避難民支援16億円に関する署名がなされた。また,岸田外相は8月の再訪時に,ティラワ経済特区を含むヤンゴンほか主要都市での通信網改善のために105億円の円借款を供与することを事前通報した。さらに11月には,ASEAN関連首脳会議へ出席のため来訪中の安倍首相から,ヤンゴンの配電網改善,ティラワ周辺のインフラ改善,中小企業金融強化のための3件総額約260億円の円借款供与決定が発表された。こうした日本政府の後押しもあり,日本企業の大型事業への参入が続いている。上述の銀行業,携帯電話事業,ティラワ経済特区開発事業のほか,ヤンゴン郊外のハンターワディー国際空港新設事業では10月末にシンガポールのヨンナム・ホールディングス,チャンギ空港と日本の日揮の企業連合が事業権を落札した。
制裁緩和を進めてきたアメリカやEUもミャンマーとの経済関係を深めている。6月には,アメリカのペニー・プリツカー商務長官が同国財界要人とともに来訪した。アメリカ商務長官の来訪は史上初であり,国際貿易局のヤンゴン事務所が開設された。ただし,アメリカは改革の妨げとなりうる個人への制裁を続けており,10月末にはアメリカ財務省がアウンタウン人民代表院議員に対して新たな経済制裁を発動した。同氏は前政権で要職に就いていた保守派の有力者であり,近年の反ムスリム暴動の扇動に関与していたと考えられている。
EUは,前年に7年間,毎年9000万ユーロの援助を約束していたが,11月のEU大使の発言では,2014年から2016年までの戦略的協力プログラムの下でこれを一部加盟国(ドイツ,デンマーク,イギリス,スウェーデン,イタリア,フィンランド,ハンガリー,チェコ,アイルランド,ルクセンブルク,オランダ,ポーランド)の支援と一本化し, 3年間に毎年2億5000万ユーロの援助を行うとした。12月にはEU商業会議所がヤンゴンに開設された。また,ミャンマーへの投資増加に伴って投資保護協定の締結が各国の喫緊の課題となっており,EUは3月のカレル・ドゥグヒュト欧州委員会通商担当委員の来訪時に投資保護協定締結に向けた交渉を開始したが,年内の締結には至らなかった。
なお,日本とは前年末締結の自由化型の投資協定が8月に発効した。韓国とは6月の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官来訪時に投資保護協定を締結した。
国軍をめぐる国際関係アメリカのオバマ政権は前年来,両国軍隊間の関係構築を模索している。2014年にはこうした行政府の方針をめぐってアメリカ国内で議論が生じた。ミャンマーの改革推進には国軍への関与が必要との見方がある一方,国軍は依然として人権を侵害しており関係構築には時期尚早との見方も根強かった。結果的に12月19日,米軍のミャンマー国軍への関与を制限する規定を含んだ2015年度国防授権法が成立した。従来,米軍の関与は,人権や法の支配に関するレクチャーなどに限られていたが,この法律により災害救助や医療発展に関する教育や訓練も施せるようになった(国防授権法第1253条)。今後,この法律の枠内で慎重に関与が模索されていくと考えられる。
同様の動きがイギリスや日本にもみられる。イギリスは国軍改革への協力を表明しており,この目的のためにデイヴィッド・リチャーズ国防参謀総長が2013年6月に来訪し,退役後もコンスタントに訪問を続けている。日本からも5月末に自衛隊の岩崎茂統合幕僚長が来訪し,戦後初の高級武官のミャンマー訪問が実現した。9月にはミンアウンフライン国軍最高司令官が日本を訪問し,この結果,年末には日本財団による日本・ミャンマー将官級交流プログラムが開始された。5年間,毎年10人のミャンマー国軍将校が日本へ招待される。
とはいえ,欧米はミャンマーへの武器禁輸措置を継続しており,近い将来にこの制裁が緩和される見込みは小さい。ミャンマー国軍はASEAN諸国,中国,インド,バングラデシュといった近隣諸国の軍幹部と相互訪問を重ねて関係強化を図りつつ,とりわけ前年来,武器の調達先としてロシアとの交流を深めているようである。2013年には,3月にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がロシア国防相として初来訪し,6月にミンアウンフライン国軍最高司令官がロシアを訪問して,戦闘機工場などの軍事産業施設を視察した。2014年には,8月にソーウィン国軍副司令官がロシアを訪問して国際兵器見本市を視察し,11月にミンアウンフライン国軍司令官がベラルーシ訪問の途上,ロシアを訪問した。またロシアからも,11月にニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記が来訪した。
中国との関係修復日本や欧米との経済関係の強化が著しいなか,ミャンマー経済における中国の存在感は相対的に小さくなっている。外交的にもテインセイン大統領のミッソン・ダム建設凍結以来,両国関係は低調となり,中国から最高レベルの訪問はなされていなかった。しかしながら,新しい二国間関係構築の模索が続き,11月のASEAN関連首脳会議およびその後の公式訪問で李克強総理が初めてミャンマーを訪れ,関係の正常化を印象づけた。このとき李総理は総額80億ドル規模の経済支援を約束したという。2015年の総選挙を迎える前に大規模な経済支援を打ち出したのは,選挙後の政権を誰が握るかに左右されない,盤石な二国間関係を築いておくためであるとみられている。
こうした解釈は,2011年以来,中国がテインセイン政権だけでなくミャンマー国内の諸勢力と多様なチャンネルを持つようになったこととも整合する。なかでも特筆すべきはNLDとの接近である。在ミャンマー中国大使はスーチー氏と数回にわたり会談をもって関係を強化し,2014年2月には中国共産党の艾平中央対外連絡部副部長がヤンゴンのNLD本部を訪問した。スーチー氏は中国資本によるレッパダウン銅鉱山開発の是非を検討する委員会が組織された際,委員長を務めて計画続行の結論を出していた(『アジア動向年報2014』469ページ)。2013年には1年間に4度,NLD使節団が中国に招かれたが,スーチー氏自身の訪中は実現していない。スーチー氏にとって,中国との接近は民主主義の象徴という自身のイメージを損なうリスクを伴っている。
なお,レッパダウン銅鉱山では依然として土地収用への不満や環境への懸念から住民の抵抗が続いており,国民の中国に対する印象を悪いものにしている。12月下旬には現地の抗議デモに向けて警察が発砲し,女性1人が死亡するという事件が起きたが,これを契機にヤンゴンでも中国大使館前で抗議デモが組織された。
テインセイン政権は任期満了を迎え,11月頃に総選挙が実施される。総選挙前に憲法改正が行われる可能性はほぼなくなり,5月に改正の是非を問う国民投票が実施された後,具体的な憲法改正作業への着手は総選挙後となる見込みである。2014年には改憲手続きの改正が焦点となったが,議論は膠着状態に陥った。少数民族武装組織との全国停戦の達成も困難に直面している(本稿脱稿後の3月31日に停戦協定草稿に合意したとの発表があった)。こうした閉塞状況をいかに打開するかが国内政治の最大の課題となるだろう。総選挙前後の政治過程が注目される。
しかし,政治的議論の熟成を阻みうる不安要素がある。第1に,言論統制が目立ちはじめた。学生主導の反教育法運動は2015年に入って全国的な展開をみせたが,警察による弾圧が強まっている。第2に,反イスラーム・仏教保護運動の政策への影響がある。宗教侮辱罪の適用や「民族保護法」制定など言論や信仰の自由に対する抑圧的施策がとられつつある。さらに,改憲に関する国民投票でロヒンギャに投票権を与えるかどうかの問題をめぐって,2015年2月,投票権を付与するとの政府方針が反対運動の結果として即座に撤回されることとなった。
経済面においては,外資の流入による経済規模の拡大が続くなかで,それを受け入れる制度やインフラの整備を急ぎつつ,製造業分野の育成から持続的な経済発展へと道筋をつけることが課題となる。ただし,環境破壊や人権侵害にも十分に注意を払わねばならない。
(地域研究センター)
1月 | |
2日 | テインセイン大統領,月例ラジオ放送で改憲の必要性に言及。 |
6日 | 日本,国民和解に向けて5年間で100億円の支援を行うことを発表。 |
9日 | デンマークのピーターセン開発協力相,来訪。 |
10日 | 三菱商事,丸紅,住友商事がミャンマー民間企業連合とミャンマー日本ティラワ・ディベロップメント(MJTD)社を設立。 |
14日 | ヤカイン州マウンドー郡ドゥーチーヤータン村で暴動発生。 |
23日 | ソーテイン大統領府相,世界経済フォーラム(WEF,ダヴォス会議)に出席。 |
26日 | 世界銀行のジム・ヨン・キム総裁,来訪。3年間20億㌦援助計画につき協議。 |
28日 | イギリスのスワイアー外務閣外相(極東・南東アジア担当),来訪。 |
30日 | ノルウェーのテレノール,カタールのウリードゥへ通信事業免許発行。 |
31日 | 週刊誌『ユニティ』関係者5人,公務秘密法により逮捕。 |
31日 | 憲法見直し合同委員会,報告書提出。 |
2月 | |
3日 | 憲法改正業務実施委員会,設置。 |
9日 | ドイツのガウク大統領,来訪。 |
13日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,ラオス,インドネシア訪問(~20日)。 |
24日 | 中国の艾平共産党中央対外連絡部副部長,来訪。国民民主連盟(NLD)本部訪問。 |
25日 | 反腐敗委員会,設置。 |
25日 | ワナマウンルィン外相,韓国訪問。 |
25日 | テインセイン大統領,「民族保護法」4法案を議会へ送付。 |
27日 | 政府,国境なき医師団に国内での全活動中止を命令。 |
27日 | 連邦議会,「民族保護法」4法案を政府へ差し戻し。 |
3月 | |
1日 | ノルウェーのブレンデ外相,来訪。 |
4日 | 第3回ベンガル湾多分野技術経済協力構想(BIMSTEC)首脳会議,ネーピードーで開催。 |
5日 | 韓国の徐昇煥(ソ・スンファン)国土交通部長官,来訪。 |
7日 | 改宗と人口抑制に関する2法案作成のための委員会,設置。 |
7日 | アメリカのシャーマン国務次官(政治担当),来訪。 |
17日 | ソーテイン大統領府相,フランス,ベルギー歴訪(~23日)。 |
20日 | EUのドゥグヒュト欧州委員会委員(通商担当),来訪。投資保護協定につき協議。 |
23日 | 日本の岸田外相,来訪。 |
24日 | ブルネイのボルキア国王,来訪。 |
26日 | ヤカイン州シットウェーで仏教徒民衆が国際援助組織事務所などを襲撃。 |
30日 | センサス,実施(~4月10日)。 |
4月 | |
1日 | 電気料金,値上げ。 |
5日 | 連邦平和構築作業委員会(UPWC)と全国停戦調整代表団(NCCT)の交渉。 |
7日 | シュエマン連邦議会議長,中国,モンゴル訪問(~15日)。 |
7日 | ニャントゥン副大統領,中国訪問。 |
9日 | アウンサンスーチー氏(以下,スーチー氏)のドイツ,フランス訪問(~17日)。 |
9日 | アメリカのラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当),来訪。 |
21日 | NLD創設者ウィンティン氏,逝去。 |
5月 | |
7日 | オーストリアのブレス運輸革新技術相,来訪。 |
8日 | アメリカのスウォール国務次官(民間人保護・民主主義・人権担当),来訪。 |
13日 | マレーシアとミャンマー人移住労働者に関する閣僚級協議。 |
16日 | 中国の厳雋琪全人代常務委員会副委員長,来訪。 |
17日 | NLDと88世代学生ピース・アンド・オープン・ソサエティ(88GPOS),ヤンゴンで憲法改正を求める集会を開催。 |
18日 | 選挙管理委員会,改憲訴えるスーチー氏に対し警告。 |
19日 | ASEAN国防相会議(~21日)。 |
19日 | ティラワ経済特区,土地使用権販売開始。 |
21日 | UPWCとNCCTの交渉。 |
21日 | ニャントゥン副大統領,フィリピン訪問。WEF東アジア部会に出席。 |
21日 | ソーテイン大統領府相,訪日。 |
26日 | 日本の岩崎自衛隊統合幕僚長,来訪。 |
27日 | 国営紙,改宗法案を掲載。 |
28日 | バングラデシュ国境で銃撃戦発生。 |
6月 | |
3日 | オランダのファンハーゲン・インフラ環境相,来訪。 |
3日 | 韓国の申斉潤(シン・ジェユン)金融委員長,来訪。 |
3日 | タイ,複数都市で不法移民取り締まり。 |
5日 | アメリカのプリツカー商務長官,来訪。国際貿易局ヤンゴン事務所,開設。 |
5日 | 韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官,来訪。投資保護協定の締結。 |
9日 | 中国の王冠中人民解放軍副総参謀長,来訪。 |
10日 | 国連の康京和(カン・キュンワ)人道問題担当事務次長補,来訪。 |
11日 | 民族代表院が管区域部での比例代表制導入を決議。 |
22日 | 3古代都市がミャンマー初のユネスコ世界遺産に登録。 |
22日 | アメリカのマリノフスキ国務次官補(民主主義・人権・労働担当),来訪(~28日)。 |
27日 | テインセイン大統領,訪中。中緬印平和共存5原則発表60周年記念式典へ出席。 |
30日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,フィリピン,タイ訪問(~7月5日)。 |
7月 | |
1日 | ヤカイン州首相にマウンマウンオウン氏が就任。 |
1日 | マンダレーで暴動発生。 |
3日 | オーストラリアのビショップ外相,来訪。 |
8日 | 前日の週刊誌『ビー・モンテーネー』の報道を,政府が国営紙で非難。 |
10日 | 『ユニティ』裁判の第1審で,5人に懲役10年の有罪判決。 |
13日 | サイマウカン副大統領,シンガポール訪問(~17日)。 |
15日 | タイのメーソート付近で34人のミャンマー人不法移民労働者逮捕。 |
16日 | KDDIと住友商事がミャンマー郵電公社との提携を発表。 |
22日 | ワナマウンルィン外相,ベルギー訪問。第20回ASEAN・EU閣僚会議に出席。 |
23日 | 憲法改正業務実施委員会,予備調査報告書を連邦議会へ提出。 |
29日 | アメリカ・ASEANビジネス評議会代表団,来訪。 |
8月 | |
1日 | 私立銀行で預金金利の引き上げ。 |
1日 | 暫定メディア審議会,大統領と協議。 |
2日 | ウリードゥ,携帯サービス開始。 |
3日 | UPWCとNCCTの交渉。 |
6日 | シットウェーで暴動発生。 |
7日 | 日本との二国間投資協定が発効。 |
8日 | ASEAN関連外相会議(~10日)。日本は二者会談で通信網改善計画に対する円借款105億円供与を表明。 |
12日 | マレーシアへ偽造ビザで入国したミャンマー人52人に懲役1年の有罪判決。 |
13日 | ソーウィン国軍副司令官,ロシア訪問(~18日)。 |
14日 | ミャンマー投資委員会,外資規制分野の削減を発表。 |
15日 | UPWCとNCCTの交渉。 |
17日 | 反マネーロンダリング中央局,発足。 |
18日 | UPWCとNCCTが政党代表と会議。 |
19日 | タイのタナサック国軍最高司令官,来訪。 |
19日 | イギリスのスウェイン国際開発閣外相,来訪。 |
28日 | ヤカイン州政府,閣僚5人交代。 |
29日 | センサス暫定値の発表。人口は5142万人。 |
9月 | |
1日 | テインセイン大統領,ドイツ,スイス,オランダ訪問(~11日)。 |
1日 | 観光ビザの電子申請システム,正式開始。 |
5日 | シュエマン連邦議会議長,ベトナム訪問(~9日)。 |
5日 | 日本と631億6600万円を限度とする円借款4件に関する書簡の交換。 |
8日 | 国軍の人事異動。 |
11日 | 中国の王家瑞全国政協副主席兼党中央対外連絡部長,来訪。 |
14日 | シュエマン連邦議会議長,ラオス訪問。ASEAN議会会議出席。 |
15日 | ニャントゥン副大統領,中国訪問(~18日)。南寧で第11回中国・ASEAN博覧会,ビジネス投資サミットに出席。 |
22日 | ベトナムのグエン・バク・ソン情報通信相,来訪。 |
22日 | UPWCとNCCTの交渉。 |
22日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,日本,韓国訪問(~10月1日)。 |
25日 | ワナマウンルィン外相,アメリカ訪問(~10月5日)。国連総会で施政方針演説。 |
26日 | カイン州とモン州で,民主カレン慈善軍(DKBA)と国軍部隊との間で衝突発生。 |
27日 | UPWCとNCCTが政党代表と会議。 |
27日 | テレノール,携帯サービス開始。 |
10月 | |
1日 | 外国銀行9行に営業免許を交付。 |
1日 | 国営英字紙『ニュー・ライト・オブ・ミャンマー』が,国内私企業との合弁事業となり,『グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマー』として再出発。 |
1日 | 国家計画・経済発展省,ティラワ経済特区での投資申請手続きを公表。 |
1日 | イレブン・メディア・グループが情報省の不正に関する報道を行った件について,情報省が国営紙に告訴の予定があることを発表。 |
2日 | 『ユニティ』裁判の控訴審判決。刑期7年に減刑。 |
3日 | タイのタオ島で9月15日に起きたイギリス人観光客2人の殺害事件で,ミャンマー人移民労働者2人が容疑者として逮捕。 |
4日 | シュエマン連邦議会議長,イタリア訪問(~10日)。アジア欧州議員会議出席。 |
4日 | イスラエルと投資相互促進保護契約締結。 |
6日 | サイマウカン副大統領,中国訪問。 |
7日 | 大統領恩赦。3073人の囚人解放。 |
9日 | タイのプラユット首相,来訪。 |
10日 | ウィンシェイン財務相,アメリカ訪問(~15日)。IMF・世銀関連会議への出席。 |
15日 | テインセイン大統領,イタリア訪問(~21日)。アジア欧州会合(ASEM)首脳会合に出席。 |
16日 | 『ビー・モンテーネー』裁判で,同誌関係者5人に懲役2年の有罪判決。 |
23日 | 国軍,モン州の戦闘地域で勾留中のジャーナリスト・パーヂー氏の死亡を報告。 |
27日 | 『ビー・モンテーネー』裁判,控訴棄却。 |
29日 | ヨンナム・ホールディングス,チャンギ空港,日揮の企業連合がハンターワディー国際空港建設事業権を落札。 |
30日 | 中国の王英凡アジア担当特使,来訪。 |
30日 | ジャーナリスト・パーヂー氏の死亡について,大統領府から人権委員会に調査命令。 |
31日 | 改憲に関するハイレベル会議開催。 |
31日 | アメリカ財務省,アウンタウン人民代表院議員に経済制裁発動。 |
11月 | |
1日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,ベラルーシ訪問(~6日)。途上,ロシアに立ち寄り。 |
4日 | 情報省,週刊誌『ミャンマー・タンドーズィン』のスタッフを大統領に対する名誉棄損で告訴すると国営紙に掲載。 |
7日 | テインセイン大統領,中国訪問(~9日)。APEC首脳会議出席。 |
7日 | スロバキアのライチャーク副首相兼外務・欧州問題大臣,来訪。 |
12日 | ASEAN関連首脳会議(~13日)。 |
12日 | 日本の安倍首相,来訪(~13日)。ASEAN関連会議出席。260億円の円借款供与発表。 |
12日 | 中国の李克強総理,来訪(~14日)。ASEAN関連会議出席後に公式訪問。80億㌦規模の経済支援を表明。 |
12日 | アメリカのオバマ大統領,来訪(~14日)。ASEAN関連会議出席。スーチー氏と会談。 |
13日 | 連邦議会で改憲について議論開始。 |
14日 | ヤンゴンで学生の反教育法デモ。 |
14日 | 人民代表院,比例代表制導入を否決。 |
14日 | テインセイン大統領,オーストラリア訪問。ASEAN代表としてG20首脳会議参加。 |
19日 | 国軍,ライザ付近のカチン独立軍(KIA)訓練キャンプを攻撃。23人死亡。 |
20日 | NLDのティンリンウー党員の演説が問題視され,宗教侮辱罪で告訴される。 |
24日 | 民族代表院,州部を含む全国での比例代表制導入を決議。 |
24日 | EU,一部加盟国との援助一本化を発表。 |
24日 | タイのウォラポン国軍最高司令官,来訪。 |
24日 | 改宗法案,人口抑制法案,議会へ提出。 |
25日 | 連邦議会,改憲に関する6者会談の開催を緊急提言。 |
26日 | ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記,来訪。 |
26日 | 最高裁判所,『ユニティ』裁判の上告棄却。 |
26日 | 婚姻法案,一夫一婦制実施法案,議会へ。 |
27日 | デンマークのイエンセン貿易開発協力相,来訪。 |
30日 | ノルウェーのハーラル5世国王夫妻,来訪(~12月5日)。 |
12月 | |
1日 | 中国の楊伝堂交通運輸部長,来訪。 |
2日 | ジャーナリスト・パーヂー氏の死亡事件について,人権委員会が報告書提出。 |
5日 | フランスのジラルダン開発・フランコフォニー担当大臣,来訪。 |
5日 | NLDの改憲キャンペーンに応じて署名した陸軍少佐に懲役2年の判決。 |
8日 | 日本と将官級交流プログラム開始。 |
9日 | シュエマン連邦議会議長,フィリピン訪問。 |
10日 | ニュージーランド人1人含むヤンゴンのバー経営者3人が,宗教侮辱罪で逮捕。 |
10日 | テインセイン大統領,韓国訪問(~13日)。釜山で第25回ASEAN・韓国特別首脳会議に出席。 |
16日 | 中国の李源潮国家副主席,来訪。 |
17日 | タイのウドムデート陸軍司令官,来訪。 |
19日 | テインセイン大統領,タイ訪問(~21日)。第5回大メコン圏(GMS)首脳会議への出席。 |
19日 | アメリカで2015年度国防授権法成立。米軍とミャンマー軍との交流を規定。 |
22日 | レッパダウン銅鉱山で抗議デモに参加していた女性が警察の発砲により死亡。 |
22日 | UPWCとNCCTの交渉。 |
29日 | 国連総会,ミャンマー政府に対しロヒンギャへの市民権付与を勧告する決議。 |