アジア動向年報
Online ISSN : 2434-0847
Print ISSN : 0915-1109
各国・地域の動向
2014年のバングラデシュ 総選挙後は行き詰まる野党に与党の独走
金澤 真実
著者情報
解説誌・一般情報誌 フリー HTML

2015 年 2015 巻 p. 511-536

詳細

2014年のバングラデシュ 総選挙後は行き詰まる野党に与党の独走

概況

2014年のバングラデシュは,「選挙」によって政権の座を維持したアワミ連盟(Awami League:AL)のハシナ政権が,その正当性に疑問を持たれながらも着々と既成事実を積み上げた1年であった。前年から続くバングラデシュ民族主義党(Bangladesh Nationalist Party:BNP)ら野党による選挙ボイコットの掛け声と暴力,交通封鎖の実施で幕を開けた2014年の1月5日に第10次総選挙が実施された。野党不在の選挙によってALは議席の3分の2以上を手にし,ハシナ政権は内政・外交ともに積極的な政権運営を進めた。一方,幹部の多くが総選挙での暴力行為に関連して訴えられているBNPは,党内の対立もありハシナ政権を揺るがすような反撃にでることができなかった。国内は一応の安定をみせ,ハシナ政権は圧倒的な議席を背景に政府の権限を強化する法案を次々に成立させた。独立戦争戦犯裁判では,最高裁へ上訴していた2人の被告と国際法廷の6人の被告に判決が出された。その一方で,拘留中の被告3人が,病気や高齢のために死亡し,独立戦争から43年の時の流れを感じさせた。

2014年はまた,東南アジアと南アジアの接点に位置するというバングラデシュのアジアにおける地政学的な重要性が改めて認識された年でもあった。全方位外交を掲げるハシナ首相は域内の大国である中国,日本,インドと良好な関係を維持し首相および閣僚の往来を行った。その成果として中国と日本からは多額の支援を引き出し,インドとは長年の懸案事項を解決,または解決に向けて確かな動きがあった。

国内政治

第10次国民議会選挙

野党BNPの求める非政党中立選挙内閣制度下での総選挙実施を拒否したハシナ政権は,1月5日,野党が「公正な選挙が保障されていない」として選挙をボイコットするなかで第10次総選挙を実施し,政府が全国に派遣した5万人規模の兵士が監視するなか,投票が行われた。国内各地で行われた野党勢力の暴力行為と治安当局との衝突の結果,少なくとも死者18人,負傷者300人以上を出した。これは民主制移行後に5回行われた選挙中,最悪の死傷者数であった。また,539カ所の投票所で投票が延期,100カ所以上の投票所が放火などで破壊,41投票所で1票も投じられなかったと報じられている。投票率は,現地英字新聞『デイリー・スター』(Daily Star)紙によれば30%前後である。選挙管理委員会委員長カジ・ラキブッディン・アハマドは,野党による選挙ボイコットと冷たい霧の日であったため投票率が低くなったとコメントした。

総選挙前に, 対立候補がいないためすでに全300議席中153議席で当選が確定していたが,選挙を通じて最終的にはALが300議席中3分の2を超える234議席を獲得した。野党連合の選挙ボイコットによる事実上の単独選挙となった今回の選挙だが,有権者数9190万人のうち4800万人が投票権を行使できなかった。そのため,国民が自らを代表する議員を選ぶという民主的権利を奪われた選挙だとして,その正当性を疑う声も多い。選挙後は,非政党中立選挙内閣制度の下,再選挙を求める野党勢力による反政府運動の激化が必至であると思われた。しかし,大方の予想に反して1月15日,BNPジア総裁が「対話を通じて合意に達する」と記者会見で述べたことでそれは杞憂に終わった。BNPがハルタル(ゼネスト)や交通封鎖などの手段を用いた強硬な反政府運動を封印した背景には,選挙前に同様の手段を用いて長期に反政府運動を繰り広げたにもかかわらず総選挙阻止に失敗したこと,ハルタルや交通封鎖などの戦術が,バスへの放火など一般庶民を巻き添えにした暴力に発展した結果,治安の悪化につながったこと,そのため国民の支持が得られなくなったことなどが挙げられる。

国民党(Jatiya Party: JP)副議長カンダカール・アブダス・サラムは自身の立候補をめぐる争いから,対立候補のいない選挙を承認している選挙人民代表令(RPO 1972年)19条は,直接選挙による国会議員の選任(65[2]条)と国民の投票権(122[1]条)を定めた憲法に違反しているという訴えを前年に高等裁判所に起こしていた。この訴えに対し,2014年6月19日,高裁は,RPO19条は憲法違反にあたらないという判決を下した。これにより,今回の選挙は国内では法的に認められたものとなった。ただし,判決後もBNPをはじめとする野党連合は選挙の正当性を認めず,非政党中立選挙内閣制度による再選挙を求め続けている。

国連の潘基文事務総長や欧米主要国は,選挙前から半数以上の選挙区で投票が行われず議席が確定したことに対し失望と懸念を表明し,早期の再選挙が望ましいと表明した。一方中国,ベトナム,カンボジアは新政府を祝福し,インドも選挙の結果を支持するコメントを出すなど,欧米とアジアでその対応は分かれた。後に,ハシナ首相は7月にイギリスを訪問した際,キャメロン首相から総選挙を直接に否定する言葉がなかったことをもって,今回の選挙がイギリスに受け入れられたと述べた。また11月に来訪したアメリカの南・中央アジア担当国務次官補は,「選挙のタイムテーブルを決めるのはバングラデシュの人々である」と発言した。選挙後に予想された国内の混乱が見られず,世論もハシナ政権を承認している(『ダカ・トリビューン』[Dhaka Tribune]紙調査,後述)現状から,選挙結果を追認する方向に動いたと思われる。

新政権の発足

1月12日,ハシナ総裁が首相就任宣言を行い新内閣が発足した。民主制移行後は,ALとBNPが選挙のたびに交互に政権を担ってきたが,今回ハシナAL総裁が前期に続いて首相に就任したことで,初の2期連続首相就任となった。今回,任期を満了すれば10年にわたる長期政権となる。ハシナ首相を含め49人の閣僚は, ALから43人,AL率いる連合の労働党(Worker’s Party: WP),民族社会党(Jatiya Samajtantrik Dal: JSD)から各1人,野党からはJPから3人とJPモンジュ派(Jatiya Party-Manju)から1人が任命された。首相のほか閣内相は29人,閣外相は17人,閣僚代理2人である。29人の閣内相のうち選挙で選ばれた閣僚はわずか4人,残り25人は無投票で選出された議員である。女性はハシナ首相を含めて4人となり,2009年の組閣時より1人減となった。

野党第1党となったJPより閣僚を任命したことは1996年の第1期ハシナ政権の時以来で,今回は再選挙を行わず5年の任期を全うするために野党も取り込み政権基盤の安定化をねらったものとみられる。

ウポジラ議会選挙

2~5月にかけて,全国487のウポジラ(郡)議会選挙が,6回に分けて実施された。ウポジラ議会は,議長,2人の副議長(うち1人は女性),ウポジラ内の各ユニオンの議長,任命女性議員で構成され,今回の選挙では議長および副議長が選出された。総選挙をボイコットした野党連合もこの選挙には参加した。ウポジラ選挙は,公式には非政党ベースで行われるものではあるが,BNPにとっては,先の総選挙が民意を反映していなかったことを証明し,やり直し選挙を求める反政府運動への追い風とする,またALにとっては現政権に対する国民の信託を得て長期政権への足がかりとする,どちらの党にとっても負けられない選挙であった。議長選は,ALが233,BNPが164, ジャマアテ・イスラーミー(Jamaat-e-Islami イスラーム党: JI)が35,JPが3,その他37でALが半数近い議長ポストを確保した。選挙後半からはAL系の活動家による選挙違反や暴力が多発し,負傷者は少なくとも25人,逮捕者11人を出した。BNPは,AL支持者による暴力が同党系の候補の落選に影響したとして,現政権下では自由公正な選挙は不可能と主張した。1月5日の総選挙直後に実施された民間コンサルタントによる世論調査によれば,57%がALによる新政権は信頼できないと回答した。しかし,総選挙後には治安が回復したこともあり,新政権承認の方向に民意が示されたと思われる。その後8月中旬に英字日刊新聞の『ダカ・トリビューン』紙によってハシナ政権誕生後6カ月の実績に対して行われた世論調査では,国民の75.3%がハシナ政権の実績に満足しており,69.4%が正しい方向に国を導いていると考えている。また53%が政権の任期満了を希望している。一方,71.5%がハシナ首相のBNPと対話をしないというスタンスを正しくないとしているが,BNPに対しても77.9%が反政府運動を望まないと回答した。

野党の動向

総選挙前には,ハシナ首相からBNPの対応次第では第10次国会の早期解散の用意があるとの発言もなされていた(『アジア動向年報2014』参照)。しかし選挙後は,一転して任期を満了する2019年以前の選挙の可能性を否定し,選挙についてBNPとの話し合いを拒否する強硬な姿勢を取り続けている。国民のAL支持への自信と,BNPの弱体化により反政府運動が力を失っていること,それらによって長期政権への道筋が見えてきたことなどが背景にあると考えられる。一方,BNPは引き続き再選挙のための反政府運動の再開を視野に非政党選挙管理内閣下での即時再選挙を要求し続けており,不利な形勢であっても妥協する気配はない。7月には, BNPダカ支部の組織改組が行われた。首都での反政府運動に失敗し,非政党選挙管理内閣による総選挙を実現できなかった責任を取ったとされるシディーク・ホセイン・コカ前委員長に代わり,前ダカ市長ミルザ・アッバスが新委員長に就任した。新委員長によって今後の反政府運動が担われると期待されたが,新委員長選出までの党内抗争は深刻で,委員長選出後もその対立は収まらなかった。このため党内は混沌とした状況が続き,BNP支持者の間に失望を広げた。このようなBNP内部での対立は党のさらなる弱体化を招くとともに,ジア総裁の指導力が問われるものである。ジア総裁や党幹部は,7月のイード(Eid-ul-Fitr,断食明け祭)後に反政府運動を行うとたびたび述べていたが実行に移されることはなく,8月16日に行われたイスラエルのガザへの攻撃に抗議するデモ行進が,総選挙以降BNP率いる野党連合による初めての運動となった。その後も,国家放送政策や最高裁判事の罷免に関する第16次憲法改正(後述)などに抗議するデモ行進や集会を行ったが,いずれもハシナ政権を揺るがすものとはならなかった。

このまま2014年が終わると思われた12月4日,BNP支持の上級官僚50人以上が,党事務所でジア総裁および党幹部と密会していたことが報道された。「国内外の圧力により2015年に総選挙が行われることを確信し,全面的な反政府運動に備えているBNPに支持を表明するため」の会議であったとされている。親BNP官僚によるこの動きに対してハシナ首相はすばやく反応し,12月11日には政治家との面会を禁じた公務員規則(Government Servants [Discipline and Appeal] Rules, 1985)に違反するとして,次官補の1人が強制的に退職させられた。

政府の権限強化

政情の一応の安定を見たハシナ政権は,2014年半ばから政府の権限を強化するいくつかの政策を実行に移した。

まず初めに,テレビやラジオのニュース,広告番組,討論番組の内容に「介入する」権限を政府に与えた「国家放送政策(National Broadcast Policy)2014」(以下NBP)が8月に公布された。NBPには,報道と広告に関するさまざまな制約が含まれる。報道に関しては,(1)国家の安全保障を脅かす報道,(2)反乱や政治的混乱,暴力的な行動を促進する報道,(3)外国との友好関係を妨げる可能性のある報道,(4)宗教的価値を傷つける報道,などを禁止している。広告に関しては,(1)軍や法執行機関を侮辱する広告,(2)国会・首相府・裁判所など国の重要な機関を使用した広告,(3)独立戦争・言語運動・独立記念日を使用した広告の禁止,など31項目もの「べき,べからず」を広告主に科している。NBPでは,大統領によって指名された放送委員会によってメディアの監視と包括的指針の制定が行われ,法に定めのない事案は委員会が決定権を持つことを定めているが,いまだ放送委員会は設立されていない。このNBPに対し,メディアと記者クラブ,広告業界など関係団体は,表現の自由を奪い,ジャーナリストの権利を抑制し,政府によるメディアコントロールにつながるものとしてこぞって反対の声をあげた。彼らは,NBPを印刷した紙を燃やすなどして激しく抗議し,メディア関係者を含めた独立の放送委員会を即時に設置することを求めている。BNPもまた,反政府運動の抗議活動に関する報道を禁止することをねらったものと受け止め,全国規模の抗議活動を行った。さらに政治評論家や有識者も,独裁政治と暴力の国を作るとして強く反対している。これらの強い抗議と反対の声に対し,政府は,NBPは「倫理ガイドラインであり罰則規定がない。言論の自由や民主主義を束縛するものという主張はまったく根拠がなく,憲法にも反しない。むしろメディアの透明性と責任を明確にするものである」と説明している。

9月には,法曹関係者からの強い反対にもかかわらず最高裁判事の罷免権を国会に与える第16次憲法改正案が議会で可決され,憲法が改正された。この改正により,証明された不正行為または能力の欠如を理由に議会の3分の2以上の決議によって最高裁判事を罷免できることとなった。建国当時の憲法(1972年)には同条項が含まれていたが,1979年にBNPジア総裁の夫であったジアウル・ラーマン大統領の第5次憲法改正で変更された経緯がある。この時の改正で,最高裁長官と2人の上級裁判官からなる最高司法評議会に最高裁判事の罷免権が与えられたが,今回の改正でこの制度は廃止された。憲法では,最高裁長官は大統領が任命し,その他の最高裁判事は,長官と大統領とで協議して任命することが決まっている(95条)。そのため,もともと政府が司法に関与しやすい素地があったが,今回最高裁判事の罷免に関しても議会が介入することで,さらに司法の独立について疑問符が付くこととなった。バングラデシュの各弁護士会を統括する中心的な組織であるバングラデシュ弁護士会や最高裁弁護士会,野党支持の弁護士らによる法廷のボイコット,黒旗デモ行進などの抗議運動が繰り広げられたが,野党不在の議会にその声は届かなかった。

12月には,閣議決定の後,国会の常任委員会で検討されていたNGO活動への規制を強化する「外国寄付行為(ボランティア活動)規制法(Foreign Grants [Voluntary Activities] Regulation Act)2014案」(以下NGO法)にハシナ首相が署名し法案は承認された。この後,官報に掲載され公布されるが,2014年末までに官報にも,監督官庁となるNGO局のウェブサイトにも掲載されていない。この法律は,バングラデシュのローカルNGOと国内に事務所を置く国際団体,また支援活動を行う個人に対して,首相府の下にあるNGO局の監督権限の強化を図るものである。NGO法では,寄付を「外国の政府,団体,個人のみならず在外バングラデシュ人も含め海外からバングラデシュに送られる現金,物品,寄付,あらゆる種類の貢献」と広義に定義しており,人的または知的貢献といった資金提供以外の分野での支援にも規制を行うことができる。また,NGO局の承認なしに海外資金を銀行から引き出すことを禁止し,活動計画にある外国人専門家・コンサルタント・政府関係者の人物調査書の提出とNGO局長官の承認,支援活動に従事している職員の仕事目的での海外渡航の事前届出などを求めている。また,NGO局への登録は10年間有効とされるが,法律違反があればいつでも取り消すことができる。政府は,海外からの寄付に対する適切な使用と透明性,説明責任を果たすために必要な規制だと主張しているが,政府にとって「不都合な」活動に取り組む国外からの支援を受ける団体(個人)への実質的な介入が行われる可能性を否定できない。バングラデシュの開発,人権,良い統治,環境保護活動などへの海外からの支援に大きな制約となることが予想されるNGO法に対して,人権活動団体からは厳しい批判があるものの,前述のNBPや憲法改正の時にみられたような抗議の声は,当事者であるはずのNGOや野党からほとんど挙がらず,従って新聞報道も少ない。NGOにとっては,登録を取り消され活動停止に陥る危険性が高い反対運動を行うことは難しいのかもしれない。

独立戦争戦犯裁判

ALは総選挙直前に発表した選挙マニフェストで,独立戦争戦犯裁判の完結と判決の履行を宣言しており, 2014年後半から死刑を含む判決が次々と出された(各被告の主な罪状や独立戦争時の活動は『アジア動向年報2012』参照)。

まず2013年の死刑判決後,最高裁へ上訴していた2人に判決が下された。1人目は,国際犯罪法廷に最初に起訴されたD. H. サイーディー(逮捕時の肩書[以下同様]:JIの副最高指導者)である。9月17日,最高裁は彼に対して終身刑を下した。この判決は,無罪を主張していた弁護側,死刑を望んでいた被害者側,全戦争犯罪者の死刑を求めているゴノジャゴロン・モンチョ(「人民覚醒プラットホーム」の意味,以下GMと記載。詳細は『アジア動向年報2014』参照)のいずれをも満足させなかった。AL率いる14党連合は,この判決を受け入れる声明を出したが,BNPはコメントを出さなかった。それは,BNP率いる20政党連合の重要な構成員であるJIへの配慮であったといえよう。判決の翌日,GMは抗議の座り込みを行い,JIもまた,翌日から2日間のハルタルを行った。サイーディーが2010年に逮捕されて以来,最高裁により最終的な結論が出るまで,実に4年の歳月が費やされた。2人目は,Md.カマルッザーマン(JIの書記長上級補佐)で,11月3日に最高裁が死刑を支持する判決を行った。JIは再び判決に対する抗議のハルタルを行った。比較的平和裏に行われていた全国規模のハルタルであったが,6日,ダカでJIの活動家が突然暴徒化し,バスへの放火,銃撃などを行い多数の活動家が逮捕された。カマルッザーマンは,死刑判決の翌日刑務所に移され,早期に刑の執行がなされると思われたが,手続き上の理由から2014年内の執行はなかった。

次に,国際法廷で判決が下された6人の被告は,全員が死刑判決であった。M. R. ニザーミー(JI最高指導者)は,10月29日に450人に対する大虐殺,知識人の殺害などの4つの罪が死刑にあたるとされた。ニザーミーは,判決後最高裁に上訴した。11月2日には,M. Q. アリ(JI中央評議会委員)が1人の兵士と2人の民間人の誘拐,拷問,殺害の罪で死刑とされた。ただし,民間人1人についての死刑判決は,裁判官の判断が分かれ,戦争犯罪裁判史上初の多数決による判決となった。「フォリドプールの虐殺者」として恐れられたMA. Z. ホセイン・ココン(逃亡中のBNP地方組織副議長)に,11月13日,人道に対する6つの罪で死刑が言い渡された。ココンは,2011年以来逃亡を続けており,2013年10月9日に本人不在のまま起訴された。現在は,スウェーデンのストックホルムに滞在中とされる。GMは,ココンの帰国と即時の死刑執行を求めているが,スウェーデンとバングラデシュの間には,犯罪人引き渡し条約が締結されておらず,バングラデシュに帰国させることは難しいとみられている。続いて,M. ホセイン(ブラモンバリアAL地方支部の元書記長)にも,33人を誘拐,殺害した罪で死刑の判決が言い渡された。ホセインは,独立戦争当時はJIに属していたが,その後ALへ移り地方支部の書記長として活動した。2012年,ホセインの戦争犯罪に対する調査が行われるまでその地位にあった。年末になっても判決の言い渡しは続き,12月23日,S. M. カイザル(元JP国会議員)は,主にヒンドゥー教徒108人に対する大虐殺やレイプなど7つの罪で死刑を宣告された。カイザルは,戦争終結直後は国外に逃亡していたが1975年に帰国し,1979年に国会議員に無所属候補として当選した。その後,BNPを経てJPに所属し,大臣まで務めた人物である。12月30日,2014年最後の判決を言い渡されたのは,ATM A. イスラム(JI書記長上級補佐)である。戦争中にJIの学生組織に属していた被告は,1400人に対する大虐殺を含む3つの罪で死刑を宣告された。

なお,判決を待たずに3人の被告が病気や高齢のため拘留中に死亡した。JIの副最高指導者で著名なイスラーム学者であったAKM ユザフ(88歳,2月9日死去[以下同様]),元BNPの国会議員であったA. アリム(83歳,8月30日),JIの最高指導者であったグラム・アザム(92歳,10月23日)である。独立戦争から43年が過ぎた現在,被告も証人も高齢化してきている。裁判に必要な証言を得ることが年々困難になることを考えると,より迅速な審理が望まれるところである。戦争裁判については,党幹部が追訴されているJIが反対しているだけでなく,国際的な人権保護団体からも裁判が国際標準を満たしていないとしてその公平性について疑問を呈されている。カマルッザーマン被告の判決後,ハシナ首相は戦争犯罪裁判に関するすべての判決を実行すると述べたが,EUは死刑反対の立場からカマルッザーマンに対する死刑を執行しないよう声明を出した。2013年のA. Q. モッラーに対する死刑執行に際しては,EUだけでなく,パキスタンとトルコからも非難の声が挙がった。これらの国際的な非難に対して沈黙する政府に,国際犯罪法廷の判事や検察官らは不満を抱いている。しかし,バングラデシュは10月に国連人権理事会の理事に選出された。国際的には,人権と基本的自由の促進,擁護に責任を持ち世界で人権が守られているかを監視する役割を担う理事国の立場と,国内的には,死刑を前提とした裁判を進めその判決を履行することを約束している立場との間でハシナ政権は対応に苦慮するところであろう。なお現行法ではできない政党を含む団体を裁くことを可能にする法改正を2015年1月にも予定している。

経済

マクロ経済

2013/14年度(7~6月)のGDP成長率は,前年度の6.0%をわずかに上回る6.1%となり2009/10年度以来5年連続して6%台の成長率が維持された。年度当初,政府は7.2%の成長率を見込んでいたが,総選挙をめぐる政治的混乱に起因する投資や個人消費の冷え込みを考慮して,1月に6.3%に下方修正を行っていた。最終的にはわずかに目標には届かなかったが,国際機関による2013/14年度の予測は,世界銀行(WB)5.7%(1月発表),アジア開発銀行(ADB)5.6%(5月発表)といずれも6%を下回っており,過去にも選挙の実施される年は経済成長率が低下したことを考えると,6%台の成長率を維持したことはバングラデシュ経済の安定性を国の内外に印象づけた。

各部門別の成長率では,農業3.35%(前年度2.46%,新基準年[2005/06=100]ベース,以下同様),鉱工業8.39%(同9.64%),サービス5.83%(同5.51%)と鉱工業を除いて成長率が上昇した。

農業部門(GDP比16.33%)の成長率上昇の主因は,深刻な洪水被害が発生した前年度に比して好天であったこと,高収量品種の導入,適切な肥料の使用や洪水のコントロール,灌漑などによるものである。コメの十分な備蓄を背景に,政府はスリランカ政府の求めに応じて,5万トンのコメを輸出することに合意した。12月に1万2500トンがスリランカに輸出され,残りは2015年1月以降に数回に分けて送られる予定となっている。5万トン規模のコメの輸出は独立以降初めてのことである。また公共投資の増大を受けて建設業も,今年度成長率8.56%(同8.04%)で好調であった。製造業の成長率は8.68%(同10.31%)で前年度より低下した。製造業(GDP比19.45%)のうち大・中規模製造業の成長率は9.16%で,2010/11年度以来10%超の高い成長率を記録していたが,4年ぶりに10%に届かなかった。小規模製造業の成長率は6.60%で,前年度(8.81%)をかなり下回る結果となった。バングラデシュの経済を牽引してきた衣料品(布帛およびニット)の輸出は,過去最高の245億ドルとなり,前年度比13.86%(織物12.7%,ニット15.02%)増加した。これは,2013/14年度の全輸出額301億7000万ドルの約80%を占める。反面,ジュート,ホームテキスタイル,建設資材,石油製品,冷凍魚,果物,切り花などの非衣類品の輸出は不振で,63億5000万ドルの目標に対し,56億8000万ドルとなった。中東など輸出先の政情不安や EUがパキスタンに一般特恵関税制度(GSP)より,より多くの恩恵を受けることが出来る特別特恵関税制(GSPプラス)を与えたことなどが影響していると関係者は分析している。衣料品とともにバングラデシュの外貨獲得に貢献してきた海外出稼ぎ労働者送金については,前年度比1.6%減となった(詳細後述)。

財政に関しては6月5日,ムヒト財務相によって2014/15年度予算案が発表された。予算規模は2兆5000億タカで前年度より16%増となっており,電気・ガス・湾岸開発を重視,またポッダ橋建設やダカ=チタゴン間高速道路などの巨大インフラ整備に多くの予算を配分している。貧困削減と社会保障施策では,高齢者手当や障害者への奨学金の拡充,少数民族の社会経済開発などに, 150億タカを配分した。経済成長率は7.3%,インフレ率は6%に抑えることを目標としている。この予算に対し,経済界からはおおむねインフラへの大きな予算配分を称賛する声が多い。一方,高所得者(年収442万タカ以上)の所得税を25%から30%に引き上げるほか,英語教育校(English Medium School)や携帯電話への消費税率の引き上げ,LPGガス輸入税率の増加,個人投資家のキャピタルゲインへの課税強化なども盛り込まれ,歳入のGDP比を5年間で17%に拡大することを目標に課税の網を広げている。新予算の下で富裕層のみならず中間層にとっても家計への負担感が増す年となりそうである。

ポッダ川多目的橋(ポッダ橋):中国企業と契約

2011年4月にWBとの間で融資契約が調印されたポッダ(Padma:ガンジス)川多目的橋をめぐる不正疑惑とその後の契約破棄は,第2期ハシナ政権最大の疑獄事件であった(詳細は『アジア動向年報』2011,2012年)。首都ダカと南西部を結ぶ全長6.15キロメートルのポッダ橋は,完成後はGDPを1.2%押し上げる効果があると試算されており,今期ハシナ政権にとってその建設は最優先課題となっている。

5月に,橋梁部分は想定されたコストよりも1割以上安い15億5000万ドルで中国企業が落札した。ハシナ首相は,6月,ポッダ橋について「多くの陰謀が政権を弱体化させるために準備されたが,それらの陰謀を覆して国家予算で今月から建設を開始する」と議会で語り,200億ドルの外貨準備高を背景に2018年までの建設に自信を示した。9月には護岸工事を別の中国企業が落札した。自国予算による建国以来最大の国家的プロジェクトとなるポッダ橋工事が実施にこぎつけたことは,バングラデシュの経済の強さを対外的に示すことになっただけでなく,ビジョン2021(独立50周年にあたる2021年までに中所得国になることを目指す政策)実現に向けて同国民に大きな自信を与えるものとなる。その一方で,外貨準備高の一部をポッダ橋建設プロジェクトに充てるとしたムヒト財務相の発言に,一部の経済学者は収支バランスに負の影響を与えるという懸念を表明している。

海外出稼ぎ労働者

衣類産業とともにバングラデシュの外貨獲得の大きな部分を占める海外出稼ぎ労働者からの送金は,2013/14年度には過去13年ぶりにマイナスとなり前年度(144億6000万ドル)から,1.6%減の142億3000万ドルとなった。伝統的な出稼ぎ国であった8つの湾岸諸国からの送金額は,前年度から7億6000万ドル減少している。他方,アメリカからの送金は4億6000万ドル増加したが,中東諸国からのマイナス分をカバーするには至らなかった。これはサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)が,バングラデシュ人労働者を受け入れなくなっていることが大きい(詳細『アジア動向年報2012』参照)。

ハシナ首相によるUAE訪問(10月)では,2012年以来続いていたバングラデシュからの出稼ぎ労働者へのビザ発給停止措置が全面的に解除されるのではとの期待があった。しかし,交わされた了解覚書は,毎月1000~2000人の女性受け入れ枠拡大のみであった。女性の海外出稼ぎ労働者は年々増加しており,2014年には海外出稼ぎ労働者の約17%を占め,主にサウジアラビア,レバノン,ヨルダンの3カ国でハウスメイドとして単純労働を行っている。マレーシアは,プランテーションでのみバングラデシュからの労働者を受け入れていたが,新たに建築,製造,サービス業で1万2000人の労働者を受け入れる了解覚書をハシナ首相のマレーシア訪問(12月)に合わせて交わした。さらに,12月に入り7年間労働者の受け入れを停止していたクウェートが,2015年2月に受け入れを再開するという報道がなされた。

ハシナ首相による積極的な海外労働者の送り出し政策に,一抹の不安を与えているのが,MRP (機械読取式旅券)でない旅券(非MRP)の廃止問題である。旅券の国際標準を定める国際民間航空機関(ICAO)は,2015年11月24日までにすべての非MRPの廃止を推進しており,外国政府はMRPを所持していない渡航者に対して入国やビザの発行を拒否することができる。600万~800万人といわれるバングラデシュの海外出稼ぎ労働者のうち,中東諸国やマレーシアに滞在する労働者の大半が非MRP所持者だといわれている。政府は,2010年からMRPの発行を開始したが,現在の発行ペースでは2015年11月までに全員にMRPを発行することは難しく,旅券を切り替えることのできなかった人々は,不法滞在者となる可能性があると懸念されている。政府は,期限までにMRPの発行を終了することは不可能として,非MRPの廃止を2017年まで延期することをICAOに求めるとしている。いずれにしても,期限までに発行が間に合わず,非MRP保持者が不法滞在者としてバングラデシュに送還されるような事態となれば,外貨獲得や国内経済に大打撃となるだろう。そのため,今後ICAOへの非MRP廃止期限延長交渉の有無や速やかなMRP発給措置など政府の対応に注目する必要がある。

ラナ・プラザ崩壊事故後

2013年4月24日,死者約1130人,負傷者2500人以上という世界的にも最大級の労災事故がダカ近郊のシャバールで起こった。この事故を契機に,先進国の大手小売企業やバイヤー主導で工場の構造的な安全,防火対策,配電を検査する2つの団体が構成された。ひとつは,欧州系の企業が参加したAccord on Fire and Building Safety in Bangladesh(バングラデシュにおける火災予防および・建物の安全に関わる協定,以下「アコード」)と,北米系の企業が参加した Alliance for Bangladesh Worker Safety(バングラデシュ労働者の安全を目指す連合,以下「アライアンス」)である(詳細『アジア動向年報2014』)。アコードは2~9月,アライアンスは3~7月に工場の立ち入り検査を行った。両団体の調査の結果についてバングラデシュ縫製品製造輸出業協会(BGMEA)のアラン・イスラム会長は,「調査された2075工場のうち,23工場が防火や電気設備,建物の安全性などの問題で閉鎖となったが,バングラデシュの衣料品工場の99%は,国際基準を満たすことに成功した」と語り,同時に,労働者の賃金は過去4年間で219%上昇,236の労働組合が結成されたことを指摘した。このようなBGMEA側の見解に対し,人権団体はアコードとアライアンスの調査は「工場の安全性」に特化したもので労働者の権利の向上は図られておらず,ラナ・プラザ崩壊事故の被害者への十分な補償もいまだなされていないことを問題視している。また,両団体の調査が始まってから,基準を満たすことが不可能と判断したオーナーによる自主的な廃業や賃金の上昇とオーダーの減少から破産した工場が約220あり,8万~8万2000人が失業したとの報道もある。工場の安全性に関していえば,下請けや孫請けなど何重もの生産体制のなかでアコードやアライアンスの調査対象となったのは一部の企業だけともいえる。そのため,今後は,衣類産業の下層に位置する労働者の労働環境や人権が守られているかどうかをチェックしていく必要があるだろう。アライアンスの調査は終了したものの,アメリカによるGSPの適用停止は依然として続いている。

対外関係

中国との関係発展と活発な全方位外交

政情の一応の安定と長期政権化の兆しから,ハシナ首相はマニフェストにある全方位外交を積極的に繰り広げた。ハシナ首相の外遊は,ミャンマー(3月),日本(5月),中国(6月),イギリス(7月),アメリカ (国連総会,9月),UAE・イタリア(10月),ネパール (南アジア地域協力連合[SAARC]サミット,11月),マレーシア(12月)と下半期は8月を除き毎月海外を訪問した。

2014年は,諸外国の中でも中国との関係が急速に進展した。6月のハシナ首相訪中では,チタゴンでの中国企業への経済特区の設立の了解覚書やパトウアカリでの1320MWの石炭発電所建設に関する合弁契約など二国間の経済,技術,エネルギー,インフラ建設などの分野における協力のための6つの文書に調印した。ハシナ首相は,バングラデシュは中国との関係を最重要視し,「中国が主導するアジアの世紀の積極的なパートナーとなる」と述べて,中国と関係を深めたいという意欲を示した。さらに,2013年5月に中国が提案したバングラデシュ・中国・インド・ミャンマー経済回廊(BCIM-EC)への積極的な参加を表明した。中国の昆明からインドのコルカタまでを結ぶこの経済回廊計画は,中国が進めている「一帯一路」(One Belt,One Road)戦略において重要な位置にあたる。「一帯一路」とは,中国からヨーロッパに至る陸路のシルクロード経済圏(一帯)と中国からアラビア半島を結ぶ海上交通路「21世紀の海のシルクロード」(一路)の2つからなり,国境を超える鉄道や道路,港湾などの建設を行う取り組みである。アメリカによって名づけられた軍事由来のいわゆる「真珠の首飾り」(String of Pearls)戦略地域を包含し,中国の経済力を背景に経済・インフラ投資によるアジアからヨーロッパに至る地域への影響力を強めるねらいがある。バングラデシュは,「一帯一路」において,東南アジアと南アジアを結ぶハブとして重要な役割を担うこととなる。10月には,中国の提唱するアジアインフラ投資銀行(Asian Infrastructure Investment Bank,以下AIIB)設立の了解覚書に他の20カ国とともに設立メンバーとして調印した。AIIBは,インフラ構築を優先し融資の際には,環境や人権などを含め「政治的な条件を付ける」ことはほとんどないとされている。今後さらなるインフラ整備を進めたいバングラデシュにとって,ポッダ橋建設事業をめぐり「国内事情に口をはさみ」(『アジア動向年報2012』参照)融資契約を破棄したWBやADBに代わる第3の選択肢の出現であり歓迎すべきことであろう。AIIBの「寛大な」融資がWBとADBの今後の融資行動に影響を与えるのか,バングラデシュのみならずアジア地域の国際情勢にもたらす影響などにも注視する必要があるだろう。

日本との関係

バングラデシュの経済的な潜在力,地政学上の重要性,中国の影響力の増大などを背景として,日本は他国に先駆けてバングラデシュとのさらなる関係強化を図った。3月の岸田外相の訪問は,ハシナ政権発足後もっとも早い先進国からの閣僚訪問となった。岸田外相は現地英字新聞『プロトム・アロー』(Prothom Alo)紙(3月21日付)に『日本はバングラデシュの信頼できる友である』と題する文書を寄稿し,バングラデシュ独立以来の日本との友好関係を強調, 「二国間経済関係強化を通じて,ウィン・ウィンの関係を築く」と述べた。5月には,ハシナ首相が訪日,続いて9月に安倍首相が来訪した。日本としては14年ぶりの首相訪問,バングラデシュとしては総選挙後の初の先進国首脳による公式訪問として,日バ両国の友好関係を内外に強調した。この一連の往来の成果は2つある。ひとつは,日本がバングラデシュへ破格の経済支援を約束したこと,もうひとつはバングラデシュが日本の2015年国連安全保障理事会非常任理事国選挙への支持を約束したことである。日本は,二国間の「包括的パートナーシップ」の下「ベンガル湾産業成長地帯」(BIG-B)構想を打ち出し,今後4~5年を目処に総額最大6000億円の経済協力を約束した。2010~2013年の経済協力が,4年間で755億円(『デイリー・スター』紙 9月6日付)であったことを考えると破格の支援となる。BIG-Bには,チタゴンでのマタバリ石炭火力発電所,ダカ都市高速鉄道など,運輸・交通インフラ整備,電力・エネルギー安定供給,経済特区整備等の都市開発,金融アクセス向上等の民間セクター開発の4分野の開発が含まれる。日本の支援に対して,バングラデシュは,「両国関係のいっそうの促進のため」2015年の国連安保理選挙の立候補を取り下げ,日本の立候補を支持することを表明した。安倍首相が,現地新聞のインタビューに「2014年は両国にとって特別な年,飛躍の年」と語ったことにも表れているように,日本にとってバングラデシュは,援助の供与国から安全保障やビジネス上の重要なパートナーへと変化してきている。

インドとは長年の懸案事項解決へ道筋

インドは,総選挙翌日の1月6日,他国に先駆けてその結果を支持するコメントを出した。インドにとって独立戦争の時代から関係が深いALが政権をとったことは歓迎すべきことであった。5月には,ヒンドゥー至上主義政党であるインド人民党のモディ政権が発足し,バングラデシュとの関係が懸念された。しかし,6月に就任後初の外遊先としてバングラデシュを訪問したスラワージ外相のメッセージは,内政には干渉せず,南アジアの安定と繁栄のために印バの協力関係を強化していくというものであった。同時に,二国間の長年の懸案であった国境画定条約(LBA)とティスタ河水配分協定を含むすべての二国間の懸案事項(『アジア動向年報2014』参照)の解決に積極的な姿勢を示した。

両国の飛び地交換については,1974年に両国政府間で合意されたLBAをバングラデシュは批准しているが,インドは人民党やアッサム州の地域政党の反対で棚上げとなっていた。モディ首相は首相就任後,批准のための憲法改正に向けて着々と準備を進めてきた。11月には反対の立場を取っていた西ベンガル州ママタ・バネルジー首相が飛び地交換に同意し,条約の批准に支援を約束した。12月にはこの問題について異議を申し立てていた西ベンガル州の草の根会議派政権が,異議を撤回することを決定した(『アジア動向年報2011』参照)。12月下旬には憲法改正案が議会を通過するかと思われたが,モディ政権がインド国内の経済改革に関連する法案の通過を優先したため,2014年内の成立はなかった。しかし,与野党をはじめとしたすべての関係者の同意があることから,2015年2月頃には法案が可決される見通しであると報道されている。ティスタ河水配分協定については,就任当初は前向きな発言がみられたモディ首相だったが,実質的な進展はなかった。9月にニューヨークで行われた二国間会議でモディ首相は,「LBAの実行については時間の問題だが,ティスタ河水配分協定については真剣に調査する必要がある」と述べたとされる。インドのメディアは,2016年に予定されている西ベンガル州の選挙前にティスタ河に関する協定を結ぶことは望ましくないと報じている。しかし,12月のバングラデシュ,ハミド大統領のインド訪問の際に,モディ首相は,ティスタ河とLBA問題という重要課題の解決のためインド政府は継続的に取り組んでいると語り,なお解決へ向けての姿勢をアピールした。

一方,長年対立があったベンガル湾における海上境界紛争の判決が,7月,ハーグの常設仲裁裁判所で下され,完全な解決をみた。判決は,紛争海域のうち約8割をバングラデシュが領有するというものであった。これによりバングラデシュは,石油や天然ガスなどの海底資源や水産資源開発への道が開けた。この判決に,バングラデシュのアリ外務大臣は「(判決における)勝利は両国のもので,友情の勝利だ」と語り,インド側も「両国間の相互理解と友好をいっそう促進する」と応じ,両国とも好意的にこの判決を受け入れた。判決はバングラデシュの主張をほぼ認めたものであったが,国内の経済発展を最優先するモディ政権が隣国との対立による経済への影響を避けると同時に,台頭する中国の影響が南アジア地域に及ぶことへの対策として,バングラデシュとの友好関係を優先したと思われる。

2015年の課題

総選挙後の政情は一応の小康状態を保っていたが,2015年に入り事態は一変した。総選挙1周年を迎える1月5日にBNPは「民主主義が死んだ日」を記念する集会を計画していた。しかしハシナ政権は, 1月3日にBNPのジア総裁を党事務所に軟禁し,翌日には党副事務局長のルフル・カビール・リズビを警察によって強制入院させる暴挙にでた。また,そのことに抗議する支持者を警察によって強制排除した。これを機に,BNP率いる野党連合による無期限の交通封鎖と度重なるハルタル,バスなど公共交通機関への放火,車両や線路の破壊とそれによる列車の運行妨害など総選挙前の状況と同じような暴力の連鎖が続いている。軟禁状態が続くBNPジア総裁も,対するハシナ首相も一歩も引かない構えで,事態はますます混迷してきている。ジア総裁は,「平和的な反政府運動」を行うと公言してきたが,ハルタルや交通封鎖に代わる「効果的な」運動を生み出すことはできず,反政府運動は盛り上がりに欠け行き詰まった。その結果,「伝統的」な戦術に再び戻ったようにみえる。対するハシナ政権は,民衆の高い支持率を背景に治安部隊によって,デモ隊への暴力や強制排除,政治家等の逮捕,軟禁などを行っている。このような政権側の行為に対して,人権団体は,政治家の恣意的な逮捕を止めるべきだと非難している。政情がこのまま安定し長期政権になるかと思われたハシナ政権の先行きは不透明になってきた。またこのような政治的混乱は,経済にも大きな打撃を与えることは免れないだろう。ビジョン2021を達成するためには,インフラ整備と政治的安定が必要とたびたび指摘されてきた。2年目に入ったハシナ政権は,この政治的混乱を収束させ,ポッダ橋を初めとした道路・港湾・電力等の基礎的な巨大インフラ整備事業を滞りなく進めることが求められている。

(一橋大学大学院経済学研究科)

重要日誌 バングラデシュ 2014年
  1月
1日 バングラデシュ民族主義党(BNP),全国規模の交通封鎖実施(~9日)。
4日 BNP率いる野党連合,5日の選挙の中止を求めて,ハルタル実施(~5日)。
5日 総選挙投票日。投票終了後も暴力行為が続く。
6日 BNP,全国でハルタル実施(~8日)。
9日 当選議員284人が国会で就任の宣誓。
12日 ハシナ・アワミ連盟(AL)総裁を首相とする内閣発足。
12日 BNP率いる野党連合,交通封鎖実施。
15日 BNPジア総裁,記者会見。ALに対し「対話を通じての合意」を呼び掛け。
  2月
6日 ジャマアテ・イスラーミー(JI),ニザーミー死刑判決に抗議してハルタル実施。
9日 戦争犯罪で服役中のJI副最高指導者で著名なイスラーム学者のAKM ユザフ,脳卒中で死去(88歳)。
19日 ウポジラ選挙第1回,97ウポジラで実施。BNPが42議長席,72副議長席獲得。
26日 ハシナ首相により指名された外務大臣他計2人を内閣に追加。
27日 ウポジラ選挙第2回,115ウポジラで実施。BNPが51議長席獲得。副議長席は,JIが32,BNPが32,ALが30獲得。
  3月
3日 ハシナ首相,ベンガル湾多分野技術経済協力(BIMSTEC)サミットに出席のためミャンマー訪問(~4日)。インドのシン首相とも会談。
15日 ウポジラ選挙第3回,81ウポジラで実施。ALが37議長席獲得。副議長席はBNPが58席獲得。
21日 岸田外相ダカ来訪(~22日)。
23日 ウポジラ選挙第4回,91ウポジラで実施。ALが53議長席獲得。
26日 独立記念日に25万4537人が一斉に国家を歌い,ギネス世界記録に登録。
27日 WHOによってポリオ撲滅宣言。
31日 ウポジラ選挙第5回,73ウポジラで実施。ALが51議長席獲得。
  4月
22日 BNP,インドによるティスタ河水適正利用要求のため,ダカからロングプールまでの抗議行進開始(~23日)。
28日 BNP,ジア総裁の不正事件での起訴およびBNP幹部・活動家への抑圧に対する抗議の全国集会実施。
  5月
4日 BNP,ジア総裁の不正事件での起訴およびBNP幹部・活動家への抑圧に対する抗議のハンガーストライキ。
18日 ハシナ首相,インドのモディ新首相に祝福の電話。
19日 ウポジラ選挙第6回,13ウポジラで実施。ALが7議長席獲得。
25日 ハシナ首相,訪日(~28日)。
  6月
3日 予算国会開幕。
5日 2014/15年度予算案国会上程。30日に可決。
6日 ハシナ首相,訪中(~11日)。
10日 バングラデシュ政府の進めるA2I(Access to Information Program)が国際電気通信連合(ITU)による「世界情報社会サミット(WSIS)賞2014」受賞。
10日 バングラデシュ国境警備隊(BGB)とミャンマー国境警備警察(BGP)サミット開始(~13日)。BGB隊員がBGPの攻撃で死亡(5月28日)後の両国国境緊張の緩和のため。
12日 ハミド大統領,ボリビア(14~15日),アメリカ(16~21日)訪問。
16日 カンボジアのフン・セン首相来訪(~18日)。
19日 ニューヨークの国連本部で潘基文国連事務総長,ハミド大統領と面会。1月5日の総選挙に遺憾の意。
19日 高裁,対立候補なしの選挙合憲判断下す。
25日 インドのスワラージ外相来訪(~27日)。二国間の懸案事項解決に意欲。
  7月
7日 ベンガル湾における海上境界紛争の判決,印バ両国とも判決受け入れ。
18日 BNPダカ支部,ミルザ・アッバス新委員長就任。
19日 BNPジア総裁,サウジアラビア政府の招待を受けて訪問。
20日 ハシナ首相,ガールズ・サミット出席のためイギリス訪問(~24日)。児童婚防止を確約。
24日 人間開発指数,バングラデシュ142位。順位を1つ上げる。
  8月
4日 国家放送政策案,閣議決定。メディアの説明責任の明確化か表現の自由の侵害かで政府とメディアが対立。
7日 国家放送政策が官報により公布。
15日 国家哀悼日,ハシナ首相の父で国父ムジブル・ラーマン39回目の暗殺記念日。BNPジア総裁は自らの「誕生日」を祝う。
16日 BNP以下20政党連合,ダカほかでガザへの攻撃に対する抗議の黒旗行進実施。1月5日の総選挙以来初の路上プログラム。
19日 内閣,最高裁判事罷免権を議会に与えるための憲法改正法案承認。
19日 BNP以下20政党連合,国家放送政策案への抗議のための行進実施。
21日 BNP幹部,地方支部訪問開始(~31日)。地方組織の強化目的。
26日 BNP,抗議集会。憲法改正に抗議(~28日)。
30日 戦争犯罪で服役中の元BNP国会議員のA. アリム,肺がんで死去(83歳)。
31日 バングラデシュ・イスラーム・フロントら,指導者S. N. ファルクィ殺害に抗議して半日ハルタル実施。
  9月
6日 安倍首相来訪(~7日)。
17日 死刑判決の後最高裁へ上訴していた戦犯,JI副最高指導者のD. H. サイーディーに終身刑の判決。
18日 ゴノジャゴロン・モンチョ(GM),サイーディー判決に抗議の座り込み。
18日 JI,サイーディー判決に抗議してハルタル実施。
18日 最高裁判事を議会が罷免できるとする第16次憲法改正,国会で可決。
20日 ハシナ首相,国連総会出席のため訪米(~29日)。随行員185人多すぎると批判。
21日 JI,サイーディー判決に抗議してハルタル実施(~22日)。
22日 BNP,第16次憲法改正に抗議してハルタル実施。BNP,JI合わせて活動家100人逮捕。
23日 ハシナ首相,国連気候サミット出席。
24日 ハシナ首相,国連世界教育推進活動(GEFI)出席。
25日 ハシナ首相,コイララ・ネパール首相と会見。
26日 ハシナ首相,国連PKOに関するハイレベル会合を安倍首相,バイデン米副大統領らと共催。
27日 ハシナ首相,モディ印首相と会見。
  10月
1日 情報通信技術省,世界情報サービス産業機構(WITSA)の公共部門カテゴリーで世界ICT優秀賞2014を受賞。
15日 ハシナ首相,第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会議出席のためミラノ訪問(~18日)。
21日 国連人権理事会理事国選挙,バングラデシュが理事国となる。任期は2015~2017年。
23日 戦争犯罪で服役中のJI前最高指導者グラム・アザム,合併症のため死去(92歳)。
23日 BNPジア総裁,20政党連合キャンペーンのため地方遊説開始(~11月12日)。
24日 バングラデシュ,アジアインフラ投資銀行(AIIB)設立の了解覚書に署名。21カ国が参加。
25日 ハシナ首相,アラブ首長国連邦訪問(~27日)。
26日 イスラーム政党同盟による,ハルタル実施。反イスラーム発言を行ったA. L. シッディーク郵政・電気通信・情報技術大臣の逮捕を要求。
27日 バングラデシュ,国際電気通信連合(ITU)アジア太平洋地域の理事に選出。任期は2015~2018年。
28日 第3回「バングラデシュUSパートナーシップ対話」ワシントンで開催(~29日)。シャディウル・ホク外相出席。
29日 戦争犯罪裁判,JI最高指導者M. R. ニザーミーに死刑判決。
30日 JI,ニザーミー判決に抗議してハルタル実施。活動家44人逮捕。
  11月
1日 バングラデシュ全土で停電(~2日午前中)。インドからの電力輸入に使用している送電線の故障。
2日 戦争犯罪裁判,JI中央評議会委員M. Q. アリに死刑判決。
3日 死刑判決の後最高裁へ上訴していた戦犯,JI書記長上級補佐のMd. カマルッザーマンに死刑の判決。
3日 JI,ニザーミー判決に抗議して,ハルタル実施。
5日 JI,カマルッザーマンおよびM. Q. アリ判決に抗議して2日間のハルタル実施(~6日)。
6日 ハミド大統領,訪中(~16日)。
7日 BNP制定の「革命連帯記念日」。
11日 ハミド大統領,テインセイン・ミャンマー大統領と会見(北京)。ロヒンギャ問題解決に協力。
12日 BNPジア総裁,総選挙後の反政府運動を継続しなかったBNPの決断は間違いだったと発言。
13日 戦争犯罪裁判,BNP地方組織副議長MA. Z. ホセイン・ココン(逃亡中)に死刑判決。
21日 ハシナ首相,国際連合南南協力事務所主催の国連南南開発Expo-2014で,「国連南南協力先駆者賞」受賞。
24日 戦争犯罪裁判,AL地方支部の元書記長M. ホセインに死刑判決。
26日 第18回南アジア地域協力連合(SAARC)サミット開催(~27日)。25~28日,ハシナ首相,ネパール訪問。モディ印首相およびシャリーフ・パキスタン首相と会見。
  12月
3日 ハシナ首相,マレーシア訪問(~5日)。
6日 ブータンのツェリン・トブゲー首相,来訪。相互貿易協定の更新のため(~8日)。
9日 ラナ・プラザ崩落事件のビル所有者,保釈金を納め釈放。
18日 ハミド大統領,インド訪問(~24日)。大統領のインド訪問は30年ぶり。
23日 戦争犯罪裁判,元JP国会議員S. M. カイザルに死刑判決。
29日 BNP率いる20政党,ガジプールでの集会不許可に抗議して,ハルタル実施。
30日 戦争犯罪裁判,JI書記長上級補佐ATM A. イスラムに死刑判決。
31日 JI,ATM A. イスラム判決に抗議して,ハルタル実施。

参考資料 バングラデシュ 2014年
①  国家機構図(2014年12月末現在)
②  行政単位
③  要人名簿

主要統計 バングラデシュ 2014年
1  基礎統計
2  産業別国内総生産(新基準年2005/06年度価格)
3  主要輸出品
4  国際収支
5  政府財政
 
© 2015 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
feedback
Top