2015 年 2015 巻 p. 569-592
2014年1月22日に第2次憲法制定議会(憲制議,立法議会も兼ねる)が発足した。旧勢力のネパール国民会議派(NC)とネパール共産党統一マルクスレーニン主義派(CPN-UML)が中心となり,コイララNC総裁を首相とする連立内閣が誕生した。新勢力の統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)は野党勢力の中心になった。かくして,憲制議を舞台に選挙公約である新憲法制定期限(2015年1月22日)に向けて攻防が開始された。与野党に分かれた新旧勢力は,第1次憲制議で決着がつかなかった連邦制,政治体制,選挙制度,司法制度の4分野で引き続き鋭く対立した。憲制議内に設置された委員会や本会議のみならず,主要政党の最高首脳協議の場でも両者の歩み寄りはみられなかった。与党側が憲法草案の決定を票決に持ち込む戦略に打って出ると,野党勢力はあくまで合意による決定を訴え,憲制議外の政党も巻き込んだ街頭宣伝行動で対抗した。年末に妥協案がいくつか浮かび上がったが,連邦制をめぐる対立が続くまま年が明け,結局,期限内の憲法制定は反古になった。
2013/14年度(年度当初8カ月)の国内総生産(GDP)は7342億ルピー(2000/01年価格)で,対前年同期比5.5%増となり,過去5年間で最高水準となった。海外出稼ぎ者の送金総額は3567億ルピー(同)に達した。政府は改革と投資志向の積極財政を打ち出し,海外直接投資の増加を図った。
第18回南アジア地域協力連合(SAARC)サミットがカトマンドゥで開催され,議長国ネパールは「カトマンドゥ宣言」採択の衝に当たった。コイララ首相は,国連総会でネパール外交の優先順位は隣国から始まると演説し,インドと中国の両国に軸足を置くと表明した。インドからはモディ新首相が2度来訪し,ネパール・インド協力関係の新時代を画した。中国はネパールを南アジアへの架け橋と位置づけ経済協力関係の強化を図り,2015年の国交樹立60周年の布石を打った。
新憲法制定を最大の政治課題とする2014年のネパール政治は,第2回憲制議選挙(2013年11月19日投票日)の最終当選者の公式発表で幕を開けた。
各党は,選挙管理委員会(選管)が公表した政党別比例区当選議席数に見合う当選者名簿(比例区立候補者一覧名簿のなかから政党が選定)を作成し,選管に提出することになっている。党内派閥抗争により,選管は当選者名簿の提出期限を3度延長し,ようやく最後の党が当選者名簿を選管に提出したのは1月2日であった。選管は,同日中に名簿の点検を済ませ大統領に当選者名簿を提出し,これによって公式に憲制議議員が確定した。
旧勢力のNCとCPN-UMLが,それぞれ第1党および第2党に返り咲き,新勢力のUCPN-Mが第3党に転落した。ヒンドゥー教国家への回帰や王政復活を唱えるネパール国民民主党(RPP-N)が第4位を占めた。分裂したマデシ(タライ平野に居住するインド系ネパール人でひとつの独立州を要求している)勢力はいずれも小規模政党の座に甘んじることになった。
憲政議外の政党勢力は,ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M)が反憲制議33党の結束を呼び掛けたほか,3月にはUCPN-Mと分裂後初の共闘関係の声明を発表した。両党は,年末にかけて再統合に向けた協議を続けた。
第2次憲制議の招集2007年暫定憲法は,選管が当選者名簿を大統領に提出した日から21日以内に憲制議を招集すると規定しているが,この招集権の解釈をめぐってヤダヴ大統領(大統領府)とレグミ暫定選挙内閣閣僚会議議長(首相府)との間で駆け引きがあった。大統領側は憲制議の招集権は,暫定憲法の趣旨に基づく限り大統領にあるとの解釈に立っていた。しかし,レグミ議長側は,2008年の第1次憲制議では故G・P・コイララ首相(当時,兼国家代表代行)が憲制議を招集した経緯があることを盾に,両者の権限争いに発展したのである。結局,首相府に軍配が上がり,レグミ議長が招集することになった。
第1回の憲制議は1月22日に開会した。立法議会としての第1回本会議は1月26日に開会した。憲制議議長には,2月18日に,ネムワンCPN-UML議員が単独立候補者でありかつ反対ゼロで選出された。第1次憲制議に引き続く議長就任となった。副議長選挙は2月26日に行われ,ガルティUCPN-M議員が489票中484票を集めて当選した。ネムワン議長は就任後間もなく,主要3党(NC,CPN-UML,UCPN-M)が2013年12月24日に合意した1年以内の憲法制定期限の起算日は2014年1月22日と明言した。この結果,新憲法制定期限が2015年1月22日と確定した。
コイララ連立政権の誕生主要3党は,選挙結果をふまえて,党議員団長(首相候補者)の選出に向けた派閥間の協議に入った。NCは,コイララ総裁とデウバ議員の一騎打ちとなり,1月26日に投票の結果,ポーデル副総裁派閥の支持を取り付けたコイララ総裁が105票対89票で選出された。CPN-UMLでは2月4日に選挙が行われ,オリ議員がカナル委員長を98票対75票で破り党議員団長に選出された。UCPN-Mでは,2006年以降の和平協定や各種の合意締結文書に署名してきた経緯から,党所属議員の推薦により1月28日にダハール議長が党議員団長に選出された。党中央委員会で承認後,首相選出に臨んだ。
ヤダヴ大統領は,憲制議発足前から3党合意による政権樹立を助言し,また発足後は暫定憲法の規定に基づく首相選出を要請した。これを受けてNCは全党協議を呼び掛けたが,憲政議31党(無所属を含む)中13党の参加しか得られず,多数決による首相選出となった。
他方,NCとCPN-UMLを軸に進められた協議では,後者が議席獲得数ではNCに21の差をつけられたものの,両党は同等の勢力であるとして大統領,副大統領,首相,正副議長のポストを両党で分け合うことや,内相および財務相など重要閣僚ポストの配分を連立政権参加の条件としてやり取りが行われた。NCは途中UCPN-Mとの連立を標榜してCPN-UMLを牽制したが,結局,2月9日にNCとCPN-UMLは連立政権7項目合意(1年以内の憲法制定,第1次憲制議の成果継承,正副大統領の議会承認,CPN-UMLのコイララ政権支持,憲法制定後1年以内に正副大統領・首相選挙実施,1週間以内の共通最小計画策定,NCのCPN-UML支持)を結び,2月10日の首相選挙を迎えた。
首相選挙立候補者はスシル・コイララNC総裁(1939年生まれ)ひとりで,投票の結果,賛成405票,反対153票で第37代首相に決定した。しかし,コイララ首相就任後もNCとCPN-UMLの閣僚ポスト争いは続き,最初の組閣が完了したのは2月25日だった。そして,4月7日の追加任命を経て,24閣僚の布陣となった。最終的に連立政権には国民民主党(RPP),ネパール共産党マルクスレーニン主義派(CPN-ML),RPP-Nの3党が加わり,全5党の議席総数は433(議席総数601の72%)となった。コイララ首相は,新憲法制定を最大の政治課題として政権運営を開始したが,5月29日に新憲法制定後に後進に道を譲る意向を表明した。6月11日に舌がんであり,さらに肺がんの疑いもあることを公表し,同月16日から5週間余りアメリカで治療に専念した。回復後帰国し,職務に復帰した。
憲制議補欠選挙憲制議選挙の小選挙区は二重立候補が認められており,先の選挙ではNCのコイララ総裁とデウバ議員,ならびにCPN-UMLのネパール元首相とガウタム副委員長が二重当選した。そこで,当選辞退が4小選挙区において生じたため,補欠選挙が4月10日に公示され,6月22日に投票が行われた。投票結果は,NCが3選挙区を獲得し,CPN-UMLは1選挙区で議席を確保した。UCPN-Mの立候補者は遠く及ばなかった。憲制議の勢力は,NCが197議席,CPN-UMLは174議席となり,両党の合計は371議席で補欠選前と変わりなかった。
内閣推薦26議席の帰趨憲制議の601議席は,小選挙区議席240,比例区議席335,内閣推薦議席26と規定されている。この内閣推薦議席制度は,第1次憲制議当時から落選議員の救済など政権政党による恣意的運用が問題にされてきた。また,第2次憲制議と第1次憲制議の議席を比較すると,女性197から172,障害者3から0,性的少数者1から0,低カースト50から40,少数民族218から183といずれの区分も減少し,包摂主義精神の後退が指摘されていた。このため,少数民族の団体や政党は,内閣推薦議席を要求する声を上げた。なかでも低カースト・少数民族党(2議席保有)は,少数民族の声を憲法草案作成に反映させるため,内閣に少数民族を推薦するよう最高裁に訴えを起こした。
与野党は,3月26日に推薦議席の配分(NC9,CPN-UML8,UCPN-M4,RPP-N1,少数政党計4)について合意したが,各党は推薦者の最終決定を持ち越していた。そこへ,5月12日,最高裁は推薦議員の任命がない限り憲制議は未完であり,したがってその正当性が問われるとし,内閣に対して15日以内の推薦,先の選挙立候補者の推薦禁止,暫定憲法の規定(国民生活への著しい貢献および選挙で代表が選出されない少数民族への配慮)に基づく推薦を命じた。これに対して,コイララ内閣は,政党間の政争により推薦が遅れていることを棚上げし,推薦期限の延期と推薦条件の緩和を求める請求を最高裁に対して行った。
その後,移行期の司法制度問題(後述)にかき消された状態が続いたが,8月に入ってヤダヴ大統領が暫定憲法に規定された内閣推薦議員任命の遅れに対して懸念を表明した。憲制議の審議正常化を図る目的も加わり,ようやく8月29日にNCとCPN-UMLなどが指名した17人(NC8,CPN-UML8,RPP-N1)が内閣推薦議員となり,そのうち16人(RPP-N1欠席)が31日に宣誓式に臨んだ。推薦議員を輩出した政党内からは,党首脳の身びいきや内密の人選に対する批判がわき起こり,また推薦枠の配分を受けられなかった政党からは無視に対する怒りと落胆の声が上がった。UCPN-M配分の4人の任命はさらに遅れて10月16日に行われた。しかし,なお5議席が未推薦のままであり,暫定憲法の規定上,第2次憲制議は未完成の状態が続いた。
共通最小計画連立政権の発足後1週間以内に共通最小計画(CMP)を策定するとしていたが,公表までに約1カ月を要した。閣僚および公務員の倫理規定(連立政権の円滑な運営,不要な予算執行削減)とともに公表されたCMPは145項目からなり,政府の意思決定に基づく行政行為の透明性および説明責任を確保することを強調した。主な内容は,(1)1年以内の新憲法草案の作成および早期の地方選挙告示,(2)和平工程の完遂および移行期の司法制度確立,(3)節度の維持と汚職に対する不寛容,(4)国内ニーズと優先度に基づく海外資金の導入,(5)大規模水力発電計画の推進,(6)国際空港および地方空港の整備,などとなっている。
地方選挙問題1997年以来,地方選挙(集落委員会,村開発委員会,町委員会,郡開発委員会)が実施されていない。NCは第2回憲制議選挙の公約に,憲制議発足後6カ月以内の地方選実施を掲げていた。先の選挙で勝利を収めた勢いに乗り,NCとCPN-UMLはCMPにも地方選の早期実施を盛り込んだ。ところが,UCPN-Mとマデシ系政党の一部は,憲制議選挙の敗北により地方組織の立て直しを迫られているため,地方選の早期実施に強く抵抗した。そして,地方選によって憲法制定を最優先とする政党の任務が分散されることや,連邦制による地方制度再編期の選挙実施は暫定憲法の趣旨に反することを挙げ,憲法制定後の実施を主張した。
選管は,連立政権発足直後から地方選の準備に取り掛かり,予算や有権者名簿はすでに整っていることから,関係法令の改正を急いだ。そして,政党の女性最少立候補者割合50%,各委員会の女性議員割合5分の2以上,各委員会の重要ポストへの男女交代就任,先の憲制議選挙比例区立候補者の立候補禁止などの規程を盛り込んだ改正案をまとめた。
与野党の意見対立から,5~6月の地方選は先送りとなった。選管は7月24日に憲制議の全政党と協議の場を設け,法改正の趣旨説明を行った。与党側は,いま地方選を見送ると実質的に数年先まで見送る結果になると主張した。これに対して野党側は,地方選は与党にとって(国家資金による)安上がりの宣伝行為であり,現行地方制度のままの選挙は連邦制による国家再編に逆効果だとして反論した。結局,2014年内の地方選挙の実施は見送られることになった。
主要政党の大会CPN-UMLは7月前半に第9回党員総会を開催し,現カナル執行部の活動報告を承認した後,任期5年の党役員選挙が行われた。カナル委員長が投票直前まで対立候補者間の話し合いによる新執行部選出を訴えたが,マダヴ・クマール・ネパール元首相とオリ議員との競り合いとなった。最終開票結果は,1002票を獲得したオリ議員が963票を集めたネパール元首相に39票の差をつけて新委員長に当選した。オリ委員長とネパール元首相との間では,その後も党内派閥抗争が続いた。
UCPN-Mは,先の選挙敗北をめぐってバッタライ副議長がダハール議長の責任を指摘し,党運営の方針転換を迫るなど,運動方針をめぐる論議が高まっていた。5月初旬に党大会が開催され,最終日に中央委員99人が選出されたが,同副議長派は投票を拒否した。同議長は中央委員を151人まで増員して反議長派閥を取り込んで初回の中央委員会を開催し,5月25日の選挙で政治局員,常任委員,執行部をそれぞれ選出した。
第4党の座を占め,ヒンドゥー教国家への回帰と王制復活をうたうRPP-Nは,5月下旬に開催した第1回党大会で,王制復活の要求を後退させ,ヒンドゥー教国家への回帰に重点を置いた運動方針を打ち出した。これは,党運動を時流に適合させるためとされている。また,憲法草案で政党の合意が成立しない場合,世俗主義と連邦制と共和制について国民投票にかける要求を掲げた。
これに関連して,10月末に,NC議員25人がネパールのヒンドゥー教国家への回帰を目指す委員会組織を立ち上げた。こうしたヒンドゥー教国家への回帰や王制復活を,野党勢力は暫定憲法の精神に反するものとしている。しかしながら,インドにおけるヒンドゥー教勢力の政治的台頭を背景にしたものであり,今後の動向が注目される。
移行期の司法制度問題ネパールの内戦(1996~2006年)に関わる人権侵害事件に対して,政府は真実究明・調停委員会(TRC)ならびに行方不明者調査委員会(CED)法(2013年3月13日大統領署名,翌14日大統領令として公表)を制定した。しかし,最高裁は,1月2日,TRCおよびCEDの分離設置,包括的特赦の不可,国際人権基準に基づく被害者保護・救済などを組み込んだ同法の再制定を命ずる判決を下した。これに対して,1月29日,政府は同大統領令を無修正のまま立法議会に提出し承認を求めたが,逆に批判を受け同大統領令を別法案により差し替えるとした。
政府は,ようやく3月末から4月にかけて差し替え法案作成のための作業に入り,4月9日に改正法案を立法議会に提出した。この間,4月2日に,TRC法未定の場合に内戦期の犯罪行為に刑法適用可能という判断を最高裁が下した。4月中旬には,元UCPN-M運動員が2004年に起きたチトワン郡下の殺人事件で逮捕・起訴される事案が発生した。UCPN-Mは逮捕者の釈放を要求して3党協議をボイコットし続けた。同党は,内戦期の犯罪事件は一般犯罪と別扱いとすること,および政治的事件に対して包括的特赦を適用することを要求してきたが,第2,第3の逮捕者を出すことを恐れて,改正TRC・CED法案をのまざるをえなかった。
同改正法案は,国連人権高等弁務官事務所から,犠牲者中心でかつ政治的影響から独立した内容に変更する必要があると批判を受けたが,4月25日に可決された。かくしてTRC委員の人選に焦点が移行した。6月にTRC委員推薦委員会が設置されたが,人選に手間取り,TRC委員候補者名簿の作成が完了し公表されたのは年が明けた2015年1月であった。
憲法制定に関連した委員会の設置第2次憲制議の発足直後に議院運営委員会(BAC)が設置され,議事運営に関する規則の制定と2015年1月22日までの作業工程の作成が始められた。主な工程は,第1草案作成10月中旬まで,公聴会開催11月中旬まで,憲法制定2015年1月22日である。また,この議院規則に基づいて,憲法草案策定作業に関わる委員会が設置された。第1次憲制議では11の委員会が設けられたが,第1次憲制議での合意達成事項の継承や議事の促進を理由に,表1の5委員会に絞られ,3月28日,憲制議はこれらの設置を全会一致で承認した。
(注) *統一ネパール共産党,**マデシ人権フォーラム(ネパール)。
(出所) The Rising Nepal, 2014年3月29日および4月 27日。
各委員会は検討結果を憲制議に送り,承認を得たものが次の委員会に送付されることになっている。まず,調査委員会が第1次憲制議の合意事項と対立事項を選別する。前者に基づいて起草委員会は草案を作成する。後者は合意委員会において審議され合意案を得ると,起草委員会に回され草案作成となる。管理委員会と広報委員会は憲法草案作成の側面支援を担当する。
与野党の攻防は表1の(1)~(3)の委員会が中心になることから,委員長の人選は難航し,最終決着をみるまでに約1カ月を要した。その間に,最高齢委員を暫定委員長に選任し委員会活動が開始された。委員の人数が多いのは,憲制議議員をいずれかの委員会に配属するためと,委員会の決定が票決に持ち込まれた場合を考慮した与党側の戦略によるものである。
このほか,4項目合意(2013年12月24日)に基づいて,高級レベル政治委員会(HLPC)を設置することが3月25日に決定された。UCPN-Mは,憲制議外に政治協議メカニズムを確保して新憲法制定後も影響力を確保したい立場から,委員長ポストを同党に引き渡すよう働き掛けたが,NCとCPN-UMLは頑なにこれを拒否した。さらに,その直後にコイララ首相は前言を翻し,HLPCは不要とし設置そのものを否定した。そのため,HLPCの設置を急ぎたいUCPN-Mと見送りたい与党との間の対立の火種になった。
憲法論争とその帰趨憲制議の憲法論議は,5委員会の設置と作業工程の策定により,順調な滑り出しをみせた。そして,憲法草案策定のための重要な協議は,5委員会の役割分担からしてほとんどすべて合意委員会と3党の首脳会議の場に委ねられた。
合意委員会は5月,2006年以降に政府が政党と取り決めた協定・覚書をレビューし,憲法草案作成において考慮すべき149点の洗い出しを行った。また,憲制議内外の政党や利害関係者を憲法論議に参加させるため,争点解消小委員会(DRS)と非公式協議小委員会(ITS)を設置した。さらに,CPN-M,小規模政党,タライの武装勢力との間で憲法制定に関する協議を8月にかけて断続的に行った。とくに,CPN-Mとの協議では,憲制議内31党(無所属を含む)および憲制議外33党による全政党総会の開催にこぎつけた。この全政党総会は,9月16日の開催直前にCPN-Mが主張する開催趣旨と異なることを理由に欠席することにしたため,延期になった。合意委員会は,憲法論議に多くの政党を参加させる包摂主義的な環境づくり,武装勢力との協議(一部は武装解除),徴兵制問題の決着(国軍のほか奉仕活動への参加で合意)で実績を上げた。
しかしながら,3党の意見に大きな隔たりがあり,第1次憲制議を解散にまで追い込んだ連邦制,政治体制,選挙制度,司法制度の4分野の憲法草案については,合意委員会においてもまったく議論が進展しなかった。バッタライ委員長は,連立政権が標榜する票決強行の回避,UCPN-Mによる憲法作成過程の牽引と制定後の影響力確保,憲法のオーナーシップ醸成を理由に,合意による憲法草案作成にこだわった。合意委員会は,9月上旬の委員会協議期限を11月1日まで3回にわたって延長し,さらに会期終了後も協議を継続した。公式協議と非公式協議の並行開催や2党間協議を積み重ねて妥協点を見いだす努力を重ねた。
3党は10月5日に5項目合意(HLPCの設置,同委員長ポストの3党輪番制,内戦犠牲者救済金支給,特定遠隔地における自動車登録料減額,インド登録車両のネパール国内通行料徴収継続)に署名し,憲制議の協議正常化が期待された。NCとCPN-UMLの委員は両党共同提案を11月3日に提出し,それを合意委員会案として提出するようバッタライ委員長に迫った。同委員長は協議引き延ばしを図ったが押し切られ,12月5日に各論併記の委員会報告書を憲制議に提出した。憲制議での審議は12月15日から開始された。憲法制定期限を盾に票決を急ぎたい与党は,憲法制定時の国民政府樹立への参加を呼び掛けて野党勢力の切り崩しを図った。しかし,民族主義連邦制だけは譲れない野党との溝を埋めるには至らなかった。協議未完のまま年が終わり,結論は2015年以降に持ち越された。
2013/14年度(年度当初8カ月間)の経済成長率は5.5%で,前年度の3.9%を上回った。農業部門4.7%増,工業部門2.7%増,サービス部門6.1%増で,いずれも前年度を上回った。産業区分別では,成長率が高かったのは「卸小売・ホテル・飲食業」「運輸・倉庫・通信」「教育」で,逆に低かったのは「製造業」「金融・不動産・賃貸業」「建設業」であった。
農業部門が経済全体に占める割合は2013/14年度は33.1%であった。2013/14年度の食料穀物(コメ,トウモロコシ,小麦,大麦,雑穀,ソバ)の生産は,合計で956万4280トンとなり,前年度を8.5%上回った。これら食料作物の作付面積は合計348万ヘクタールであり,対前年度比3.3%増であった。3大穀物についてみると,コメ生産は前年度の450万4000トンから504万7000トンへ,12.1%増加した。これは2011/12年度の507万2000トンに次ぐ水準である。作付面積は148万7000ヘクタール,単収はヘクタール当たり3.39トンであった。トウモロコシ生産は228万3000トンで,対前年度比9.8%の増加となった。また,作付面積は92万9000ヘクタールで,単収はヘクタール当たり2.46トンであった。小麦生産は前年度とほぼ同じ188万3000トンで,作付面積は75万4000ヘクタール,ヘクタール当たりの単収は2.50トンであった。コメの増産要因は,改良品種の普及と降雨に恵まれたこととされている。
貿易と海外出稼ぎの状況2013/14年度(年度当初8カ月間)の輸出入は,輸出総額が609億ルピーで,対前年度比19.4%増加した。輸出額の3分の2を占める対インド向けではトタン板,カルダモン,果汁,砂,砕石が増加し,非インド向けは,羊毛絨毯,縫製品,薬草,高級羊毛が増加した。同期間の輸入総額は4578億5000万ルピーで,27.0%の増加となった。インドからの輸入が28.1%,その他の国からが24.8%,それぞれ増加した。この結果,貿易収支の赤字は対前年度比28.2%増の3969億6000万ルピーになった。
ネパールからの海外出稼ぎは,政府の就労許可を得た者に限っても119万2924人(2013/14年度中の総数でインドを除く)に達し,このうち6万1087人が女性である。就労先国は109カ国に及ぶ。2013/14年度(2014年3月末時点)の新規就労許可件数は58万5662人に上り,このうち前回と同じ就労先国への再出稼ぎ者は10万9427人に達している。海外出稼ぎ者の総数は350万人と推定されている。2013/14年度(年度当初8カ月間)の海外出稼ぎ者からの送金額は3567億ルピー(約35億9000万ドル)であり,対前年同期比34.1%の増加となった。出稼ぎ者の送金総額は対GDP比で25.7%,移転所得に占める割合は85.6%(いずれも2012/13年度)に達する。
経済政策の動向コイララ連立内閣は3月,移行過程の公正な社会システムの形成(憲法制定,地方選挙,TRC・CED法の定着など),2022年までの最貧国から途上国への転換,100万人を動員した奉仕活動による国家形成,海外援助依存の削減を柱とするCMPを公表した。7月には,改革と投資を志向した6180億ルピーに上る2014/15年度予算を公表した。年経済成長率は6%と見込まれている。
予算配分の重点分野は,インフラ整備,エネルギー(水力発電),農業,観光,鉱業,製造業,人間開発(教育,保健)である。エネルギー関連では,「明るいネパール,栄えるネパール」を掲げ,インドと中国の援助による大規模水力発電に取り組むほか,「人々の電気,人々の投資」キャンペーンによる官民連携の小水力発電にも力を入れるとしている。農業分野では,「農業革命の10年」を宣言し農業の転換を図り,食料自給政策を推進し,食料主権を確立するとされる。また,インド国境の近くに経済特別区を設置し,輸出農産物や農産加工品の開発を行うとしている。「森林の10年」を宣言し,「1家1本,1村1森,1町多公園」に基づく植林事業を推進するほか,「万人のためのスポーツ」のスローガンを掲げて大会の誘致やスポーツ振興に取り組むとしている。
この予算編成に関連して,NCおよびCPN-UML所属議員からの強い要請により,政府は選挙区開発基金の名目で議員1人当たり1000万ルピーを支給することになった。当初は1小選挙区議員当たり5000万ルピーの要求額であったが,予算段階で減額された。ただし,各選挙区で5000万ルピー規模の事業が実施できるよう追加資金を手当てすることになっている。議員個人の自由裁量によって支出可能な補助金の支給は不正の温床との強い批判があがったが,財政当局は与党の要求に押し切られた。これとは別に,従来から議員個人に支給されている議会開発基金は,これまで1人当たり100万ルピーであったが,本年度から150万ルピーに増額された。
政府は6月下旬に新開発援助政策を公表し,援助額の相当割合が外国系コンサルタントに還流しているとされながら,実情を把握できていなかった海外からの技術援助について,政府の一元的な管理システムの下に置くことをねらいに,技術協力事業者に詳細報告を義務づけた。また,援助事業の規模について初めて基準が導入され,贈与は1件当たり最低500万ドル,低利融資は1件当たり最低1000万ドル,その他の融資は1件当たり最低2000万ドルと設定された。
また,「2014年海外投資政策」に基づいて,海外からネパールへの投資に対して,直接投資は1件20万ドル以上(現行5万ドル以上),水力発電事業は出力30MW以上,ホテル事業は最低3つ星以上の基準が導入された。最低投資基準の設定は外国人のネパール居住の口実を排除する意図もあるとされるが,観光やIT部門では小規模投資が求められており,実態を無視した政策という批判が強い。ネパールへの積極的な投資国はインドと中国である。2012/13年度と2013/14年度の動向をみると,インドの投資額(約束ベース,以下同じ)は28億ルピーから65億4000万ルピーへ2.3倍増のところ,中国のそれは27億7000万ルピーから73億1000万ルピーへ2.6倍増であった。その結果,中国がネパールへの最大の直接投資国になった。
11月26日から27日までの2日間,首都カトマンドゥで第18回SAARCサミットが開催され,ネパールは開催国として36項目からなる「カトマンドゥ宣言」の取りまとめに当たった。25日には,域内の電力取引の自由化を志向したSAARC電力エネルギー協力枠組協定が調印された。ネパールのP・C・ロハイ元外相は,サミットの成功を称える一方で,唯一の失策はモディ・インド首相の聖地ルンビニ参詣が実現しなかったこととした。
対インド関係コイララ首相は第3回ベンガル湾多部門技術経済協力イニシアティブ・サミットに出席するため,3月2日から6日までミャンマーおよびタイを訪問した。3日にミャンマーの首都ネーピードーでシン・インド首相と会談した。コイララ首相は,憲制議選挙の勝利を称えてくれたシン首相に対して,ネパールに招待したい意向を伝えた。
5月26日から27日の2日間,コイララ首相はインドを訪れ,モディ・インド新首相の就任式に列席した。27日に開催された二国間協議で,モディ首相はネパールの開発,とくに水資源開発に対して強い関心を表明した。また,ネパールの新憲法制定時期について,コイララ首相は政党間の意見の相違は政治体制と連邦制だけであり1年以内に制定される見通しを示した。なお,コイララ首相は 26日の就任式直前に,ネパールの和平に影響力を持ったが,去りゆくことになったマンモハン・シン首相を訪れた。
7月25日から3日間,スワラジ・インド外相が来訪した。26~27日に第3回ネパール・インド合同会議が開催され,水資源開発に対する経済協力とエネルギー貿易の推進,両国関係の全般的な見直し,1950年平和友好協定の改定など,合わせて26項目について合意が交わされた。
8月3日から4日の2日間,モディ首相がネパールを訪問した。インド首相によるネパール訪問は1997年以来の出来事となった。モディ首相は立法議会での演説と首脳会談の後,吉日の4日に首都のヒンドゥー教寺院パシュパティナートを参詣した。共同記者発表においてインフラ投資とエネルギー開発向けに10億ドルの資金供与を表明した。首脳外交の結果,10月21日に両国間の電力取引の自由化を目指すエネルギー貿易協定(PTA)が,11月25日に900MW規模のArunⅢ水力発電計画のプロジェクト開発協定(PDA)が,それぞれ両国関係者間で調印された。
モディ首相はこの年2度目のネパール訪問となるSAARCサミットの開催前日に,多数決による新憲法草案はネパールを混乱させるとし,合意による決定を示唆する発言を行った。与党勢力は,合意は最善なるも票決は不可避としたが,合意を主張するUCPN-Mは,ネパールの問題は自らで解決するとした。
対中国関係3月22日,李紀恒雲南省長が来訪し,雲南省昆明で開催予定の第2回中国・南アジア博覧会へコイララ首相を招待したい中国政府の意向を伝えた。ネパールの首相の外交慣例としてインド訪問を優先させたいコイララ首相は,モディ首相の就任式後であることからこの招待を受け入れ,6月5日から昆明を訪問し,汪洋国務院副総理と会見した。同博覧会でネパールは「栄誉の国」に選ばれた。また,南アジアへの足がかりを確保したい中国は,SAARC開催の支援を申し出た。
5月6日から10日間,カナルCPN-UML委員長(当時)が中国共産党の招きにより中国を訪問した。昆明では秦光栄雲南省党委員会書記と,北京では李源潮国家副主席と,それぞれ会談した。
10月28日,ロサン・ジャムカン・チベット自治区主席が来訪した。ネパール国内の反中国分子の取り締まりや国境付近における両国治安活動の協力を強調し,援助を2014年からさらに5年間継続し,年間2億元(別に治安目的で600万元支援)に増額することを公表した。
12月25日から27日まで,王毅中国国務院外交部長が来訪し,習近平政権の近隣外交と周辺外交の要としてネパール重視の姿勢を伝えた。そして,2015/16年度の贈与を前年度の5.3倍の8億元(約129億ドル)に増額することを表明した。
中国は南アジア(とくにインド)との橋渡しとしてネパールの重要性を位置づけ,また国交樹立60周年に当たる2015年に最高首脳のネパール訪問を予定している。これに関連して,ネパールは鉄道建設の要望を中国側に伝えている。中国側は青蔵鉄道を2020年までにネパール国境まで延伸する計画であるが,ネパール側はさらにカトマンドゥまでの延長を要請している。
その他の諸国アメリカは12月10日,インドと中国の対ネパール援助増額に対抗して,ミレニアム・チャレンジ公社を通じた資金援助対象国にネパールを指定し,1億~6億ドルを贈与することにした。また,コイララ首相は病気治療の便宜に対する返礼として,2015年にオバマ大統領をネパールに招待する意向を伝えた。
2015年1月22日の新憲法制定期限は,憲法草案すら明示されないまま経過した。第1次憲制議の4年にさらに1年を加えた5年の歳月を憲法協議に費やしたが,主要政党の間の憲法に関する考えには,2012年5月28日の第1次憲制議解散時点と同じ隔たりがなおも存在している。
年明けからの与野党の攻防は,合意形成に向けた憲法協議よりも,憲法協議に終止符を打つための手続きに重点が移行してきた。ネムワン議長は,議長の職責として憲制議の規定に則った議事の手続きを進める意思を表明し,事実それに向けた動きを取りはじめた。野党勢力は,憲制議内外の民族主義連邦制支持政党を糾合して街頭行動を繰り返しているが,手詰まり感は拭えない。強行採決は,2005年の12項目合意や,包括的和平協定,暫定憲法にうたわれた合意による意思決定にもとるため,憲法の正当性が問われ,政局の運営や選挙に深刻な影響を及ぼすことになろう。連立与党は,票決による憲法制定後の早期選挙で信を問うことにより新憲法に対する信認を得てその正当性を主張したいところであろう。しかし,連立政権は憲法制定までとされており,選挙になれば次の政権獲得競争が始まる可能性が高い。UCPN-Mをはじめ野党勢力は新たな戦略の立て直しを迫られることになろう。憲制議の存続期間はまだ3年あるため,国民に開かれた憲法論議をやり直す途もあるが,それにふさわしい仲介者の役割を誰が担うかという別の問題がある。
(日本大学教授)
1月 | |
2日 | 選挙管理委員会(選管),憲法制定議会(憲制議)選挙当選者名簿を大統領に提出。 |
2日 | 最高裁判所(最高裁),「真実究明・調停委員会(TRC)・行方不明者調査委員会(CED)大統領令(2013年3月13日)」の再制定命令。 |
5日 | ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M),反憲制議33政党の団結呼び掛け。 |
7日 | 最高裁,大統領府と首相府に憲制議招集権限根拠理由書提出を命令。 |
12日 | レグミ閣僚会議議長,憲制議招集(開会日1月22日)。 |
19日 | ヤダヴ大統領,3党(ネパール国民会議派〔NC〕,ネパール共産党統一マルクスレーニン主義派〔CPN-UML〕,統一ネパール共産党毛沢東主義派〔UCPN-M〕)に合意政権樹立助言。 |
20日 | タパ議員,最高齢議員として憲制議議長(暫定)就任。 |
21日 | 憲制議,議員宣誓式。 |
21日 | 憲制議裁判所,不正選挙嫌疑のUCPN-M議員1人登院禁止令(11月5日解除)。 |
22日 | 憲制議,本会議開会。 |
26日 | 立法議会(立法議),本会議開会。 |
26日 | NC,党議員団長にコイララ総裁選出。 |
26日 | ヤダヴ大統領,政党合意の政権樹立要請。 |
28日 | 憲制議全党会議,政権協議。 |
28日 | UCPN-M議員団,団長にダハール議長決定。 |
29日 | 憲制議,議院運営委員会(BAC)設置。 |
29日 | 政府,立法議にTRC・CED法案再提出。 |
29日 | タライマデシ民主党(TMLP)と友愛党(SP)とマデシ人権フォーラム(ネパール)(MJF-N),マデシ統一党結成。 |
2月 | |
1日 | 憲制議全党会議,合意による政権樹立協議。2日再開するも合意に至らず。 |
3日 | ヤダヴ大統領,憲制議政党に票決による首相選出要請。 |
4日 | CPN-UML,党議員団長にオリ議員選出。 |
5日 | 憲制議,首相選挙(2月10日)告示。 |
9日 | NCとCPN-UML,連立政権7項目合意。 |
10日 | 憲制議,首相にコイララNC総裁選出。 |
11日 | コイララ首相,宣誓式後に閣僚1人を任命し内閣発足。 |
11日 | レグミ前閣僚会議議長,最高裁長官辞任。 |
12日 | 憲制議,議院規則作成委員会設置。 |
18日 | 憲制議,議長にネムワンCPN-UML議員選出。 |
20日 | ネムワン議長,憲法制定期限を1月22日から起算と明言(2015年1月22日期限確定)。 |
24日 | CPN-UML,NCとの連立政権参加決定。 |
25日 | コイララ首相,閣僚19人を任命。 |
26日 | 憲制議,副議長にガルティUCPN-M議員選出。 |
3月 | |
2日 | コイララ首相,第3回ベンガル湾多部門技術経済協力イニシアティブ・サミット出席のためミャンマーとタイ訪問(~6日)。3日シン・インド首相と会見。 |
13日 | UCPN-MとCPN-M,分裂後初共同声明。 |
17日 | 憲制議裁判所,選挙違反のネパール国民民主党(RPP-N)議員1人登院禁止令。 |
17日 | アチャルヤ法相,TRC・CED法の改正表明。 |
18日 | 政府,共通最小計画(CMP)公表。 |
18日 | UCPN-MとRPP-N,燃料価格引き上げ反対し立法議の審議ボイコット。 |
21日 | 憲制議,議院規則制定。 |
24日 | NCとCPN-UML,2党間調整会議設置。 |
25日 | 3党,高級レベル政治委員会(HLPC)設置合意。 |
26日 | 3党,内閣推薦26議席の配分合意。 |
27日 | 政府,TRC・CED法検討委員会設置。 |
28日 | 憲制議,5委員会(合意,起草,調査,管理,広報)の設置を全会一致で承認。 |
4月 | |
2日 | 最高裁,TRC・CED法ない限り内戦時重大事件に刑法適用可能判決。 |
4日 | 憲制議,憲法草案作成工程承認。 |
4日 | TRC・CED法検討委員会,改正法案策定要項を政府に提出。 |
5日 | 政府,TRC・CED改正法案策定委員会設置。 |
6日 | 記録委員会,第1次憲制議の成果検討作業開始。 |
6日 | 合意委員会,政府が政党と結んだ協定の提出を政府に要望。 |
7日 | コイララ首相,3閣僚任命。 |
8日 | ネパール原住民連合(NEFIN),59少数民族団体による共同闘争委員会設置。 |
9日 | 政府,TRC・CED改正法案提出。 |
10日 | 政府,憲制議補欠選挙公示(投票日6月22日)。 |
11日 | シャルマ最高裁長官代行,最高裁長官就任。 |
14日 | ネムワン議長,憲法関連業務の優先を政党と政府に要請。 |
17日 | 人権団体,TRC・CED改正法案を批判。 |
19日 | UCPN-M,連邦社会主義党(ネパール)(FSPN)およびマデシ5党と共同行動合意。 |
22日 | 憲法委員会,最高裁判事8人推薦。 |
25日 | 立法議,TRC・CED改正法案可決。 |
26日 | 憲制議5委員会,委員長宣誓就任。 |
5月 | |
1日 | UCPN-M,党大会開催(~6日)。最終日に中央委員会委員99人選出。 |
3日 | サア元国務相で友愛党議員,2012年の爆破事件関与の疑いで逮捕。 |
5日 | 合意委員会,政府が政党と結んだ協定の内容検討作業開始。 |
7日 | 木原外務副大臣,来訪(~8日)。 |
11日 | ヤダヴ大統領,TRC・CED改正法認証。 |
11日 | ダハールUCPN-M議長,CPN-Mを憲制議選挙に参加させなかったことは誤りと発言。 |
12日 | 最高裁,内閣推薦議員の任命を命令。 |
15日 | 憲制議,記録委員会作成報告書に基づき憲法論議実質開始。 |
21日 | 憲制議,合意委員会に徴兵制検討要請。 |
22日 | 合意委員会,争点解消小委員会(DRS)と非公式協議小委員会(ITS)の設置決定。 |
24日 | RPP-N,党大会開催(~27日)。 |
25日 | UCPN-M,議長除く新執行部選挙実施。 |
26日 | コイララ首相,インド訪問(~27日)。 |
26日 | 立法議特別公聴会,憲法委員会推薦最高裁判事8人の就任を投票の結果承認。 |
27日 | 政府,最高裁に内閣推薦議員任命期限の延期請求。 |
29日 | コイララ首相,新憲法制定後の引退表明。 |
30日 | 起草委員会,憲法草案作成作業開始。 |
6月 | |
3日 | 内戦犠牲者団体,最高裁にTRC・CED改正法の見直し提訴。 |
4日 | ダハールUCPN-M議長,コイララ首相に憲制議正常化4項目要求。 |
5日 | コイララ首相,中国訪問(~6日)。 |
9日 | CPN-M,3党との会合で全政党総会(院内31党[含む無所属]と院外33党)開催提案。 |
11日 | コイララ首相,舌がん公表。 |
13日 | 立法議,UCPN-M要求の憲制議選挙不正調査委員会設置。 |
14日 | アウンサンスーチー氏,来訪(~17日)。 |
16日 | 政府,TRC・CED委員推薦委員会設置。 |
16日 | コイララ首相,がん治療のためアメリカ訪問(~7月22日)。ニューヨーク時間20日に潘基文国連事務総長と会談。 |
20日 | モディ・インド首相,コイララ首相に病気見舞状送付。 |
22日 | 憲制議補欠選挙投票日。 |
26日 | UCPN-M他6党,連邦共和制戦線結成。 |
28日 | UCPN-M,憲制議外4党同盟関係形成。 |
7月 | |
1日 | 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR),TRC・CED法の改正要望。 |
3日 | CPN-UML,党大会開催(~16日)。最終日にオリ委員長選出し新執行部発足。 |
3日 | 内戦犠牲者234人,政府に対するTRC・CED法改正命令を最高裁に提訴。 |
4日 | 国連人権問題専門家,政府にTRC・CED法改正要望。 |
7日 | ITS合意小委員会,憲制議外12小規模政党と憲法案協議(~8日)。 |
9日 | ITS合意小委員会,武装勢力との協議設営を政府に要請。 |
10日 | UCPN-M他6党,連邦共和制同盟(FRA)結成。 |
13日 | 政府,2014/15年度政府予算案公表。16日立法議で可決。 |
17日 | ネムワン議長,委員会業務を日程通り完了し次は党首脳の決断を急ぐことと発言。 |
21日 | 合意委員会,第1次憲制議合意48事項の継承検討開始。 |
24日 | 選管,憲制議全党と地方選挙協議。 |
25日 | スワラジ・インド外相,来訪(27日)。 |
28日 | 政府,地方自治法改正案提出。 |
8月 | |
1日 | 合意委員会,争点事項につき委員の保留意見を付した報告書作成方針決定。 |
2日 | レグミ元最高裁長官,民族主義連邦制は建設的でないと批判。 |
3日 | モディ・インド首相,来訪(~4日)。 |
6日 | 合意委員会,政党間非公式協議開始。 |
7日 | 合意委員会,政治学者と意見交換会。 |
11日 | 合意小委員会,武装勢力と協議(本日までの累計10組織)。 |
13日 | 起草委員会,合意事項に係る憲法草案作成作業終了。 |
14日 | 3党,合意形成のため協議促進合意。 |
14日 | 憲法学者,対立事項は見直す条件付き新憲法制定の妥協案提示。 |
17日 | 合意委員会,上下二院制議会案合意。 |
18日 | NEFIN,政府と締結した合意事項の憲法草案盛り込み要求。 |
18日 | 低カースト9団体,憲制議に27項目要求。 |
21日 | 選管,選挙不正行為なかったと憲制議選挙不正調査委員会で証言。 |
23日 | 報道関係10団体,政府に報道の自由と独立を求める10項目要求。 |
24日 | NCとCPN-UML,連邦6州案で合意。 |
29日 | 閣議,憲制議議員に17人推薦。 |
31日 | 憲制議,内閣推薦議員16人宣誓式。 |
31日 | ネムワン議長,憲法草案作成工程に変更ないと強調。 |
9月 | |
1日 | UCPN-M,連邦10州案が最低線と強調。 |
2日 | 3党,第2次憲制議で初の連邦制協議。 |
2日 | 合意委員会,連邦民主制による国家編成原理合意。RPP-Nと国民戦線は反対意見付帯。 |
3日 | 全与野党,全政党総会開催合意。 |
3日 | 元首相3人,4日中の合意達成強調。 |
5日 | 3党とCPN-M(4党),全政党総会開催準備のため委員8人の作業委員会設置。 |
7日 | 合意委員会,合意事項と対立事項の2報告書提出。ネムワン議長は協議継続要請。 |
12日 | コイララ首相,閣僚2人交代任命。 |
12日 | 合意委員会,再度対立事項報告書提出し期限延長要請。 |
16日 | 全政党総会,CPN-M不参加で延期。 |
18日 | 憲制議,合意委員会の期限9月30日まで延長。 |
19日 | コイララ首相,国連総会出席のためアメリカとベルギー訪問(10月2日)。 |
22日 | UCPN-MとCPN-M,統合協議。 |
24日 | UCPN-M,HLPC設置と委員長職再要求。 |
29日 | バッタライ委員長,合意未達成なら委員長辞任すると表明。 |
30日 | 合意委員会,10月7日まで協議延長。 |
10月 | |
6日 | 憲制議全党会議,憲法草案決定方法(合意か票決か)で結論に至らず。 |
6日 | UCPN-M主導22党,合意による連邦制要求する街頭運動計画(10月10~17日)公表。 |
6日 | 合意委員会,2小委員会の期限17日まで延長(親委員会も自動延長含意)。 |
7日 | NCとCPN-UML,8日開催の憲制議出席に党議拘束。 |
8日 | 3党,5項目合意し憲制議正常化へ。 |
8日 | 合意委員会,憲制議に報告書提出。 |
9日 | CPN-UML,合意ないなら票決と表明。 |
10日 | 憲制議,合意委員会期限1週間延長。 |
11日 | NC, 6~7州案含む憲法草案公表。 |
16日 | 内閣,憲制議内閣推薦議員4人追加。 |
16日 | 3党,2日間首脳協議開催(~17日)。 |
19日 | 合意委員会,憲制議に報告書提出。 |
19日 | 3党,合意形成期限10月末で合意。 |
21日 | 憲制議,合意委員会の期限10日間延長。 |
21日 | 3党,2日間集中協議(~22日)。 |
26日 | 選管,合意委員会に選挙制度提案。 |
27日 | 最高裁,合意委員会に対し最高裁内特別憲法法廷設置案提示。 |
30日 | バッタライ合意委員会委員長,小規模政党と憲法草案決定手続き協議。 |
11月 | |
2日 | NEFIN他少数民族運動指導者,民族主義連邦制全国運動開始。 |
3日 | NCとCPN-UML,連邦制等の共同提案書を合意委員会に提出。 |
4日 | 合意委員会,NC・CPN-UML共同提案の取り扱いで紛糾し途中休会。 |
6日 | 3党,ネムワン議長仲介で協議再開。 |
7日 | HLPC,NCとCPN-UMLの欠席で中止。 |
11日 | 合意委員会,NC・CPN-UML共同提案を委員会案の一部とする案を承認。 |
12日 | 合意委員会,バッタライ委員長が委員会内に党首協議会設置を提案。 |
13日 | UCPN-M,NCとCPN-UMLに対し両党共同提案は憲制議に提出するよう逆提案。 |
17日 | バッタライ合意委員会委員長,NC・CPN-UML共同提案採択要求に対し委員会無期限休会。 |
22日 | 第18回南アジア地域協力連合(SAARC)サミット関連会議開始(~25日)。 |
23日 | 3政党,合意委員会報告の憲制議提出承認。 |
26日 | SAARCサミット開催(~27日)。最終日に36項目のカトマンドゥ宣言採択。 |
30日 | HLPC,ネムワン議長斡旋で開催されるも協議進展なし。 |
12月 | |
1日 | CPN-UML,マデシ系政党に政権構想正式持ち掛け。 |
5日 | 合意委員会,憲制議に報告書提出。 |
8日 | コイララ首相,カトマンドゥのアメリカ大使館を通じオバマ大統領へ招待状送付。 |
15日 | 憲制議,合意委員会報告の審議開始。 |
15日 | NC,コイララ総裁兼首相に交渉一任。 |
18日 | 3党,公式非公式協議継続。 |
20日 | バッタライ合意委員会委員長,票決よりも合意による憲法の内容が重要と発言。 |
21日 | UCPN-M主導19党,街頭宣伝行動。 |
23日 | 職能団体連盟とネパールジャーナリスト連合と学生団体,それぞれ憲法の期限内制定求める街頭行動。 |
25日 | 3党とマデシ系政党,作業部会設置。 |
25日 | 王毅中国国務院外交部長,来訪(~27日)。 |
25日 | コイララ首相,連立与党内で次期政権構想協議開始。 |
26日 | 市民団体,政党の無意味な論争批判。 |
27日 | 25日設置の作業部会,合意不成立。 |
29日 | UCPN-M,全国街頭抗議行動準備。 |
30日 | ネムワン議長,政党に憲法制定手続きの合意強調。 |
31日 | NC,票決に持ち込むことを決定。 |