アジア動向年報
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各国・地域の動向
2014年のスリランカ マヒンダ・ラージャパクセ失脚
荒井 悦代
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2015 年 2015 巻 p. 593-616

詳細

2014年のスリランカ マヒンダ・ラージャパクセ失脚

概況

2014年のスリランカでは,強気な政策を推し進めてきたマヒンダ・ラージャパクセ政権に徐々にほころびが生じ始めた。6月には,急進的仏僧組織ボドゥ・バラ・セーナ(BBS)によるムスリム襲撃などが発生したが,BBSの動きを積極的に統制しない政府への不信が強まった。9月のウヴァ州の州評議会選挙においては,これまで圧倒的な支持を得てきた与党統一人民自由連合(UPFA)の人気に陰りがみえた。11月,ラージャパクセ大統領は,2年の任期を残して2015年1月に大統領選挙を行うと発表した。ラージャパクセの3選は確実視されていたが,突如与党の一角をなすスリランカ自由党(SLFP)の幹事長であるマイトリパーラ・シリセーナが離反し,野党の統一候補として立候補することになった。選挙は接戦の末にシリセーナが勝利した。ラージャパクセ政権の権威主義体制,汚職や一族支配,中国偏重の外交政策への批判が大統領の交代を促した。

経済面では,7.7%の成長が見込まれている。観光収入,海外送金のほか,直接投資,株式市場への投資,民間部門の活動などが活発になり,国際収支は改善した。不安定な天候が災いし,コメや野菜などの生産が落ち込み,インフレが懸念されたが燃料価格の下落に助けられている。

外交面では,中国との関係が大型プロジェクトの推進などでさらに強化された一方で,不透明な取引に疑惑が高まった。インドとは相互に近海における境界線侵犯や漁民の拿捕が多発した。インド中央政府との関係は良好なものの,タミル・ナードゥ州との関係が問題解決を困難にしている。3月の国連人権理事会(UNHRC)では,国際的な調査団による調査が決議され,スリランカ政府は対応を迫られている。

国内政治

西部・南部州およびウヴァ州評議会選挙

現政権は,州評議会選挙の時期を分散してタイミング良く効果的に行うことで,人員や資金などを集中させ勝利してきた。2014年も同様に3月に,西部州と南部州,9月にはウヴァ州で選挙が行われた。とくに3月の選挙は国連人権理事会の開催に合わせて実施したとみられる。大統領は2月の独立記念日の演説でも,戦争犯罪に対する人権侵害を理由に介入しようとする国際社会に対して,勝ち得た自由を明け渡す準備はないとして,愛国心に訴えた。選挙集会では,与党が勝利することで国民が政府の政策に満足していることを示せば,国際社会に対する明確なメッセージになると発言し,国連決議を牽制した。

結果は表1のとおりで,西部州で与党UPFAは68議席から56議席に減少しているが,最大野党の統一国民党(UNP)も議席を減らしているのでUPFAにとってそれほど問題ではない。もともと大統領の支持基盤は農村であり,都市部での得票の減少は想定内だった。

表1  州評議会選挙結果

(注) UPFA(統一人民自由連合),UNP(統一国民党),PLF(人民解放戦線),SLMC(スリランカ・ムスリム会議)。

(出所) Department of Election.

しかし9月のウヴァ州選挙では,与党への支持に陰りがみられた。ウヴァ州選挙は,大統領選挙実施前としては最後の州評議会選挙であり,大統領選挙の前哨戦でもあった。そのため,UPFAは周到に準備し,選挙キャンペーンに総力をつぎ込んだ。ウヴァ州はモナラーガラ県とバドゥッラ県で構成される。バドゥッラ県の人口はモナラーガラ県の1.8倍である。にもかかわらず,政府は今回の選挙前に議員定員をバドゥッラ県では3議席減らし,モナラーガラ県では3議席増やしている。モナラーガラ県が堅固なUPFA支持基盤だからである。大統領自らも,安倍晋三首相や習近平中国国家主席の来訪のために,コロンボに戻った以外は現地に張り付いた。公務員,サムルディ開発行政官,地方議員および公務員に採用されたばかりの大卒者などを選挙キャンペーンに動員した。そのため,選挙区のホテルや宿は予約でいっぱいとなり,野党陣営は宿を確保することができなかった。各省庁の公用車なども利用されたと,選挙管理委員会は指摘している。

結果は,UPFAが議席の過半数を確保したものの,25議席から19議席へ減少させ,UNPが7議席から13議席へ躍進した。バドゥッラ県ではUPFAが過半数を割る選挙区もあった。国会議員をあえて辞職して主席大臣候補として立候補した若手のハリン・フェルナンドの存在もUNP票の拡大につながった。2009年の同州の選挙や3月の西部および南部州選挙の投票率が65%ほどだったのに対して,ウヴァ州では72%を超え,関心の高さを示した。UPFAにとっては票田である農村部が多いうえに,総力戦で挑んだウヴァ州評議会選挙で得票が伸び悩んだことは,打撃となった。

UPFAのスシル・プレマジャヤンタ国会議員は,得票率低迷の原因のひとつは若手や新人の擁立に失敗したことを挙げている。同時に,前回(2009年)の選挙時は内戦直後の高揚感があったことを指摘して,単純に比較できないとしている。一方で内戦終結以来,すべての選挙で敗北していたUNPは久々に沸いた。

野党UNP内部では,この流れに乗って反政府運動の機運を高めようと党内改革の議論も高まった。党首のラニル・ウィクレマシンハとサジット・プレマダーサら改革支持派は党の方針をめぐって対立していたが,幹事長のティッサ・アタナヤケらの調整が実り,サジットを副党首に任命し,サジットもそれを受け入れることで,党内の合意は形成されたようにみえた。

北部地方における復興・和解,政治動向

2013年に州評議会選挙が行われ,タミル人政党が過半数を得たことで北部州における民族問題の政治的解決に向けての糸口になるかと期待されたものの,大統領が任命した元軍人であるG.A.チャンドラシリ州知事との対立が生じていた(『アジア動向年報2014』,573~575ページ参照)。7月には,同知事が大統領に5年間の任期で再任され,北部州評議会は失望した。

北部州評議会は,積極的に決議を採択するなど,民主的なプロセスに従ってタミル人の要望を打ち出している。たとえば,1月にはスリランカにおける人権侵害に関する国際調査を求める決議や北部州とインドを結ぶ航空直行便の運行を呼び掛ける決議を採択している。国会ではタミル国民連合(TNA)が国会選任委員会(PSC)への参加を拒んでいるため,タミル人の要求が議論されることがない。そのなかでの北部州評議会の決議採択は北部地方のタミル人の要望についての貴重なメッセージとなっている。

北部地方では,ヨーロッパ在住のタミル人らの支援を受けて,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)の廃棄した武器の回収,情報ネットワークの再構築,リハビリを受けた元メンバーらのリクルートなど,LTTEの復興を目指す動きがあるとして,警察が取り締まりを強化している。3月にはキリノッチで元LTTEメンバーのゴピを捜査していたテロ捜査局(TID)捜査員が銃で撃たれて負傷した。ゴピは逃走し,ゴピを匿っていたとされる人権活動家は逮捕され,また同時期に別の人権活動家らも逮捕されている。ゴピを含めて3人の元LTTEメンバーが4月に警察に殺害された。

スリランカ政府のテロ対策は国内だけでなく,海外にもおよんでいる。3月21日付けの官報で16団体および419人をテロ関連団体・個人に指定して,その資産を凍結する命令を出した。個人の多くが海外在住のタミル人である。

10月には,大統領が北部州を訪問し,タミル人住民2万人に土地権利書の交付し,LTTE銀行に預けられていた金・宝石類の返還式に出席し,パライ=ジャフナ駅間の列車の開通にも立ち会うなど復興の進展ぶりを誇示した。また大統領任命の行方不明者調査委員会の公聴会が各地で開催されるなど和解・和平は進展しているようにみえる。しかし,ジャフナまでの鉄道開設にもかかわらず,10月15日,軍報道官が北部州を訪問する外国人に事前の許可取得を求めると発表した。少数の外国人が民族対立をあおるような活動をしているという理由である。北部地方に対する政府の監視体制はいまだ解けていない。

大統領選挙

大統領の任期は6年であるが,現行憲法では就任後4年を過ぎれば選挙を行うことができる。2010年1月に選挙を行い,同年11月に就任宣言を行ったラージャパクセ大統領の任期は2014年11月で4年となる。国内メディアは3月末から大統領選挙が近いのではないかと報道しはじめた。

各党も野党候補の顔ぶれのほか,大統領制度廃止,権限委譲,選挙改革などの憲法改正についてそれぞれ意見を述べている。

政党外の運動としては,ラージャパクセ政権の権威主義や一族支配に対して僧侶のソービタ師らが「社会正義のための国民会議」を結成し,憲法改正について議論を重ねており,これに野党勢力が結集するようにみえた。

9月のウヴァ州評議会選挙で与党票を減らした大統領は,任期半ばでの選挙に打って出ることにしたが,これには元最高裁長官であるサラット・N・シルバが「3選禁止規定を廃止した第18次憲法改正は,現大統領が2期目に選出された後に成立した。そのため現大統領には適用されない」と主張したため,大統領は最高裁に問い合わせた。最高裁が法的障害はないと回答したのを受けて,大統領は11月20日に選挙実施を宣言した。この時点でラージャパクセの3選は確実視されていた。UPFAはこれまでの選挙同様に持てる資源とエネルギーをすべてつぎ込んでくると予測された。それに対して野党勢力は野党統一候補者を選ぶか,各党の独自の候補者を擁立するかについてさえ,大統領が選挙の実施宣言を行った時点で明らかになっていなかった。UNP内部にはラニルやサジット,カル・ジャヤスーリヤ,民主党(DP)のサラット・フォンセーカなど有力な人物の名前が浮かんではいたものの,どの人物への反対も相応に強く,野党勢力の分裂を招く懸念があったからである。とくにUNP内部の対立は深刻であった。

そのため与党UPFAのうちの最大政党であるSLFPの幹事長であるマイトリパーラ・シリセーナの立候補声明(21日)は青天の霹靂だった。シリセーナは1969年に入党し,2001年からは党の幹事長を務めており,立候補声明時も現役の幹事長であり,保健大臣であった。

最終的にSLFPのベテランであるシリセーナが統一候補に擁立されたのは,統一候補を見いだすことができない野党勢力を結集して,ラージャパクセの3選をなんとしても阻止しなければならない,という前大統領のチャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガの働き掛けがあったからである。この機を逃すと,通常ならば6年,悪くすると8年間ラージャパクセ政権が継続することになるという危機感があった(ラージャパクセの主張では,2010年1月の大統領選挙で国民から6年間という信託を得て大統領に就任した。2015年の選挙に勝利したならば,任期は2期目の残りの任期の2年と3期目の任期の6年を足した8年となる)。その間にラージャパクセは野党の分裂に乗じて,さらに大統領の権限を強化し,民主主義を形骸化させるに違いないという考えが野党側にあった。

そこで,チャンドリカは野党からではなく与党からの候補者擁立という手に打って出た。与党内にはラージャパクセの政治方針に反対するも無視され,一族支配によって閑職に追いやられて不満を抱いていたメンバーらがいた。そのなかからシリセーナが擁立され,現職の大臣・副大臣,地方議会の要人らもシリセーナとともに反旗を翻したのだった。シリセーナの立候補表明と同時に離反したのはラージタ・セナラトナ漁業大臣,ドゥミンダ・ディサナヤケ教育サービス大臣,M.K.D.S.グナワルダナ仏教振興副大臣,国会議員のラジーヴァ・ウィジェシンハとアルジュナ・ラナトゥンガであった。

立候補声明でシリセーナは,現政権が第18次憲法改正により3選禁止を廃止し,独立委員会の任命権を大統領に付与したことで,大統領の権限を強化し,人々の自由と権利,国会の権限を奪ったことは深刻な過ちであると批判した。現政権下で汚職,不正行為,不正義がまかり通っており,司法は崩壊し,警察は弱体化し,一族支配による独裁となっていると指摘した。そして大統領就任後100日間で大統領の権限を縮小し,第17次改正憲法を復活させ(独立した警察,選挙管理,行政,司法委員会を復活させること),UNP党首のラニルを首相に任命すると公約した。

選挙実施宣言の数日前からメディアはシリセーナの動向を注目していたものの,ラージャパクセの対立候補として弱いとの懸念があったが,大統領側は大きく動揺した。シリセーナらが出演するテレビ番組が受信できなくなる,シリセーナの選挙キャンペーン開始時にUNP党本部の周辺が停電するなど,大統領側はあからさまな妨害を行ったとみられている。また,大統領や大臣らの失言も相次いだ。大統領は,離反者らの「ファイル」を持っている(不正行為を記録したファイルを公開する)と離反者を脅すような発言をした。マヒンダ・ラトナヴィーラ災害管理大臣は,これ以上収奪しようとは思わないから政権交代しない方が国民にとってよいという意味で「現政権の大臣らはもう十分収奪した」と発言し,失笑を買った。また,ラージャパクセは12月に入り,インドのティルパティ寺院を訪れている。この寺院に願えばどんな願いでも叶うとされている。無風が予想されていた大統領選挙が一転したことで,大統領の危機感や焦燥感がうかがえた。

選挙前からラージャパクセ側では物価の引き下げや2015年度予算での公務員の給与引き上げなど「ばらまき」を行った。一方シリセーナ陣営はクリーンさを打ち出し,ラージャパクセ政権の腐敗・汚職,中国に偏りすぎた外交政策を徹底して追及した。

12月19日に発表されたシリセーナの選挙公約は以下のとおりである。(1)政治制度改革:憲法改正(大統領の権限縮小,大臣数削減,選挙暴力を助長する選好票廃止などの選挙制度改革,司法・警察,選挙,会計などの独立委員会の権限強化)。(2)経済開発:メガプロジェクトの見直し,汚職と無駄の撲滅,国家経済計画委員会の設立,優先順位の設定。サムルディ補助金引き上げ,公務員の給与引き上げ。(3)道徳的な社会:危険な薬品の流入阻止。文化・宗教振興。(4)食料安全保障:危険な農薬輸入の即時停止,生物多様性保護,外国企業への土地移転の一時中止,北部での灌漑開発,農産物買い取り価格安定など。(5)ヘルスケア:保健医療予算引き上げ。出産手当,伝統医療手当,薬価引き下げ。(6)教育:教育関連予算引き上げ。奨学金引き上げ。国立大学増設など。(7)国際関係:外交官などの政治的任用廃止。(8)産業政策:中小企業の活動助成,輸出多様化促進,輸入代替促進,青年層の失業対策,海外労働者の年金整備など。(9)公共サービス:長期・正規雇用の拡大。サラット・フォンセーカ元陸軍司令官,シラーニ・バンダラナイケ前最高裁判所長官の復権など。(10)エネルギー政策:化石燃料にかかる補助金削減,再生可能エネルギーへの転換など。(11)メディアの自由:国会中継の復活など。

シリセーナの選挙公約後に発表されたラージャパクセの選挙公約では,「世界レベル実現への道」を掲げて,内戦を終えてインフラを整えた次の段階は,工業発展を含めた世界レベルの活躍・繁栄を目指す,とした。憲法委員会を設立し,「法の支配」を徹底することなどを主張している。これまで経済政策としては大規模インフラ開発一辺倒だったものが,農民への土地の配分,海外で長く働いた労働者に車を安く買う権利を与える,帰国後の住宅建設補助,海外在住者への投票権の付与,デヴィ・ネグマ政策による農村生活の質の向上,大学入学者数の拡大(現在の2万人から10万人へ),などターゲットを明確にしたばらまき的な政策が打ち出されている。

選挙キャンペーン中も議員の鞍替えが相次ぎ,12月22日にリシャード・バディユディーン大臣らが鞍替えし,163あった与党の議席数は148に減り,3分の2を割り込んだ。その後は与党を構成するムスリム政党やタミル政党からの鞍替えもあった。ムスリム政党は,ムスリムが多数を占める財界が政府を支持している一方で,急進派仏教僧団体を取り締まらない政府に対する不信感があった。タミル政党は,和解プロセスや権限委譲が進まないことへの苛立ちがあった。逆の動きとしては,12月8日,UNPの幹事長ティッサ・アタナヤケが辞任し,ラージャパクセ支持を表明した。ティッサの後に続くUNP議員は少なく,与党は議席を回復することはできなかった。

選挙キャンペーンは白熱した。国営メディアがあからさまにラージャパクセ寄りの映像や野党候補者の人格を否定するようなニュースを放送した。投票当日に国営ルーパバヒニ放送は,UNPの副党首のサジットが鞍替えしたというニュースを流したが,これはねつ造だった。

選挙日や選挙後の暴力が懸念され,2015年1月8日投票当日のスーパーマーケットは水や食料を買い求める人々で混雑した。2010年の大統領選挙後の騒動(『アジア動向年報2011』参照)が記憶にあり,外出禁止令が発令されると危惧したからである。しかし,投票日には,北部州で爆発事件が発生したもののけが人はなかった。目立った暴力事件や,選挙違反も報告されていない。

結果は,シリセーナ621万7162票(有効投票数の51.3%),ラージャパクセ576万8090票(同47.6%),投票率81.5%となった。

キリスト教徒,ムスリムへの迫害

2013年にBBSはハラル食品をめぐり,イスラーム教徒へ圧力をかけたが,2014年には非仏教徒に対するより直接的な暴力となって現れた。1月には,ヒッカドゥワで仏教僧らの暴徒が福音主義教会の閉鎖を求めて教会を襲撃した。ホマガマでも同様に教会が襲撃されている。

6月12日のポーヤ(満月)日に,ムスリム居住区の西部州カルタラ県ダルガタウンで僧侶とムスリム青年らの間でもめ事になり,僧侶が暴力をふるわれた。この事件には尾ひれがつき暴徒化したシンハラ住民がダルガタウンのムスリム家屋や商店を襲撃し,ムスリム住民も対抗してシンハラ人商店などを襲撃した。15日にはダルガタウンに隣接するアルトゥガマでBBSが抗議集会を開催した。BBSのニャーナサーラ僧は「少数民族は組織化している。シンハラも目覚めて,破壊される前に反撃しなければならない」などと扇動的な演説を行った。集会後,集会参加者および外部から動員された暴徒らがムスリム住民と衝突した。これによりムスリム3人が死亡し,多数の負傷者を出した。

政府はすべてのメディアに宗教間の不調和をもたらすような報道の自粛を呼び掛け,大統領は事件後現地を訪問するなど沈静化を試みたが,スリランカ・ムスリム会議(SLMC)は警察や軍が見て見ぬ振りをしていたことなどから18日,国会をボイコットしている。

経済

2014年のGDPの実質成長率は2013年の7.2%を超え7.7%(第3四半期まで。以下同じ)となった。農業部門が1.3%,工業部門が12.5%,サービス部門が6.4%増となった。工業部門では建設,鉱業,製造業が貢献した。サービス部門では,卸売り・小売り,運輸・通信,ホテル・レストランが好調だった。

農業では,年初の北部・北中央部,東部における干ばつにより農業生産,とくにマハ期(2013年9月~2014年3月)のコメ生産は223万トン(前年同期比21.4%減)と落ち込んだ。コメの価格高騰を抑制するため4月にはコメ輸入にかかる税金を引き下げた。その結果,7月までに前年に比べて約8倍の13万トンが輸入された。続くヤラ期(4~8月)のコメ生産は,干ばつと遅れて始まった雨期の豪雨の多発により南部地方で洪水や地滑りが多発したため114万トン(35.5%減)となった。スリランカ政府とバングラデシュ政府間の取り決めでコメ2万5000トンをバングラデシュから輸入するなどの施策を行った。

コメの不作は物価を引き上げる恐れがあったが,2014年の物価上昇率は3.3%と前年の6.9%を下回った。燃料など輸入品価格が安定していたことから9月には電気料金や燃料価格が引き下げられたこと,および輸入税の引き上げと引き下げが柔軟に行われたことから,国内物価上昇率も低い水準を維持することができた。たとえば,ジャガイモやタマネギの収穫期には輸入税は引き上げられ,国内の需給が逼迫している際は引き下げられた。

内戦終結以降,低下傾向にある失業率は2014年も改善して4.1%となった。男女ともに下がっているが,女性の失業率がより低下している。部門別の就労者数では,初めて工業就労者が農業就労者を上回った。

輸出は衣類,食料品,機械類,ココナツ関連品などが伸び,7.0%増と好調だったが,輸入も7.9%増えたため貿易収支赤字は9.1%増の83億ドルとなった。輸入でとくに増えたのは消費財で食料・飲料品や車両などだった。投資財輸入は2.4%減と振るわなかった。

経常収支の赤字は,観光収入(前年比[以下同]28.6%増,22億ドル)や海外送金(9.5%増,70億ドル),海外からのコロンボ株式市場への資金流入・国債購入(14.9%増,48億ドル)および海外直接投資(35.9%増,12億ドル)などで相殺され,全体の国際収支は13億7570万ドルの黒字となった。観光客数は152万人(19.6%増)と順調に増加している。スリランカ航空の社債も1億7500万ドルを集めることができた。海外直接投資は,ホテル・レストラン,IT-BPO分野などサービス部門への投資が半分以上だった。外貨準備も82億ドルと輸入の5.1カ月分が確保できている。直接投資の内容や観光客の内訳をみると,中国国営企業や中国人観光客(136%増)の増加が観察され,経済面でも中国との関係の強さがみられる。

海外労働

スリランカでは女性の家事労働者が海外労働者の多くを占めていたが,近年では,技能労働者の出国が7.7%増,未熟練労働者の出国は10.9%減と労働者の構成も変化している。それに伴い送金額も増加傾向にある。女性の家事労働者の減少は,政府の政策的な意図の現れでもある。

減少しているとはいえ,海外で働く女性家事労働者はいまだに170万人いるとされており,スリランカ政府は主に中東で働く家事労働者に対する保護政策の策定を進めた。2013年1月のサウジアラビアにおけるリザナ処刑(『アジア動向年報2013』参照)後,スリランカ政府は未熟練労働者の送り出しに慎重にならざるをえなくなった。そのために出国前に基本的なアラビア語や電気製品を用いた家事,基本的な介護技術の習得などを義務づけた。また女性(母親)の不在がもたらす弊害が社会問題とみなされるようになり,母親の出国に制限を課すなどしている。

一方,サウジアラビアでは家内労働者が不足傾向にあった。そのため,1月にはサウジアラビアと,家事労働者を保護するための協定が結ばれた。サウジアラビアには35万人のスリランカ人がおり,そのうち8割は家事労働者である。両政府は労働者自らがパスポートを保持できること,賃金の支払いを銀行振り込みにすること,労働者の理解できる言語で契約書を作成することなどで合意した。両国間では6月に合意書が結ばれ,スリランカ人家事労働者は双方の求人エージェントを通じて雇用され,正式な契約書が交わされるべきことが確認された。

対外関係

3月国連決議,国際調査をめぐる攻防

2月24日,国連人権高等弁務官のピレーは,最終報告書でスリランカ政府が過去の教訓・和解委員会(LLRC)が行った勧告をほとんど実行していないと切り捨て,スリランカ政府には政治的な意志が不足しており,自国による調査は不可能であるとしてスリランカに国際的な調査団の受け入れを求めた。アメリカは3年連続でスリランカ政府を非難する国連決議案を提出することになった。

これに対してスリランカ政府は最終報告書について反論するとともに,国際調査実施を拒否しUNHRC理事国への働き掛けを強化した。インドに対しても賛成票を投じないように働きかけがなされたが,選挙を間近に控えていたインドは,タミル・ナードゥ州のタミル人の感情に配慮してスリランカに対して逆にプレッシャーをかけた。国内ではコロンボの国連オフィス・コンプレックスの前でアメリカによる決議案提出に対する抗議デモが行われ,国内各地で愛国心に訴えるような呼び掛けが盛んに行われた。3月16日のハンウェッラの住民運動など反政府的な動きも,スリランカをおとしめようとする外国の陰謀であると解釈する報道がなされるなど,神経質なムードが漂った。

スリランカに人権問題に関する国際調査を求める厳しい決議は賛成23,反対12,棄権12で採択された。これに対して大統領は国際調査を拒否する旨の発言をしている。採択にあたり注目された動きは,過去の2回の決議には賛成票を投じていたインドが最終的に棄権したことである。インドは,外部調査はスリランカが和解を促進するのを阻害し,国内の状況を複雑化するという理由で棄権したが,スリランカで中国の存在感が高まっていることから,賛成票を投じることで中国依存がさらに高まることを懸念したとされる。

その後の調査に関しては,スリランカが調査団へのビザの発給を拒否するなど,調査団を受け入れない姿勢を強固にしている一方で,国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)側ではニューヨーク,ジュネーブ,バンコクなどを拠点に面談や電話,ビデオ,スカイプなどによる証拠収集を行うとしている。

中国との関係

中国との関係については,要人の相手国訪問が相次いだ。2月にピーリス外相が中国を訪問し,中国の「21世紀の海のシルクロード構想」への協力や二国間の自由貿易協定(FTA)が議論された。海のシルクロード構想とは,中国沿岸部からアラビア半島までを結ぶ海上交通路を結ぶもので,中国が,陸のシルクロードとあわせて400億ドルの基金を設立し,対象地域のインフラ整備を支援するというものである。スリランカは中国のいわゆる「真珠の首飾り戦略」でも重要な位置を占めていた。3月にはジャヤスンドラ財務次官が訪中した。4月には劉振民外交部副部長が来訪し,海のシルクロード構想支持に謝意を示した。5月には許其亮中国共産党中央軍事委員会副主席が来訪し,その後ラージャパクセ大統領が訪中して第4回アジア信頼醸成措置会議(CICA)首脳会議にオブザーバーとして参加している。6月にはバジル・ラージャパクセ経済開発相が訪中している。

習近平国家主席による南アジア歴訪では,9月16~17日に来訪し,コロンボ・ポート・シティ(CPCP)の起工式などに列席した。CPCPは,スリランカ港湾局と中国港湾行程有限責任公司の間で,外資によるプロジェクトとしては最大の総額14億ドルの覚書が結ばれ,工事は中国交通建設集団有限公司が行う。コロンボ港の南側を233ヘクタール埋め立て,オフィス街・住宅地・ショッピングセンター・ホテル・ゴルフ場などを建設するという。このうち20ヘクタールは中国交通建設集団が保有し,88ヘクタールは同社に99年間リースされる。ポート・シティは中国の海のシルクロード構想とラージャパクセの提言しているハブ構想に合致しており,スリランカの発展に貢献すると大統領は演説で述べている。習近平国家主席の来訪前に,中国の潜水艦がコロンボ港に寄港していたことが後に明らかにされた。さらに9月下旬にはゴーターベ国防次官が訪中し,中国共産党中央軍事委員会副主席の許其亮と会談し,両国の軍事協力の強化を確認した。中国の潜水艦は10月末から11月初めにかけてもコロンボ港に寄港している。2度にわたる中国の潜水艦のコロンボ来港は,後に述べるようにインドを刺激した。

これらの要人往来の際には,FTAの早期実現が話し合われたとされ,調印間近といわれたが,政権交代前に実現することはなかった。

インドとの関係

内戦終結後,北部地方での漁業が可能になって以降,この海域でインド・スリランカ両国は相手国の漁民を境界線侵犯により拿捕することが続いていた。インド漁民らはスリランカ海軍から暴力や破壊行為を受けていると主張している。

2014年はモディ印首相の就任を契機に,スリランカ側はイベントごとに拿捕した漁民や薬物所持で死刑判決を受けた漁民を釈放するなど歩み寄りをみせており,これにはインドも好意的に応じている。その一方で,スリランカ側は漁船の返還には応じていない。さらに漁民問題に関しては,インドのタミル・ナードゥ(TN)州政府というもうひとつの関係者がおり,糸口を見いだせそうになるとまた新たな障害が立ちふさがるという状態であった。

1月15日にセナラトネ漁業相とインドのクルシード外相がデリーで会談し,漁民問題について協議した。翌日には,二国間合同漁業委員会が開催された。漁民間でも交渉が行われている。1月(チェンナイ),5月(コロンボ)は漁民間でもその代表による交渉が行われた。また8月に政府間協議が開催された。インド漁民らは従来の底引き網漁をすぐには廃止できないので,時間をかけてやめる方針を示している。すなわち,インド漁民がスリランカ海域内で漁業を行う権利を要求していることになる。政府やスリランカ漁民らはインド漁船の底引き網漁業が環境破壊・資源枯渇を招くとしてこれを拒否して物別れに終わった。スリランカの北部漁民の漁法は,近代化されているインド漁民に比べて遅れており,議論がかみ合わない理由となっている。

海域問題に関しては,TN州政府は,カッチャティーヴ島がインドのものであると主張しているが,1月24日,インド中央政府はマドラス高等裁判所に対し,インドの漁民はカッチャティーヴ島付近で漁業をする権利はないとするなど,インド中央政府とTN州政府の見解が異なっている。

漁民・海域問題での解決が難しいところに,中国の潜水艦寄港もありインドとスリランカの間に緊張が高まった。3月の国連決議でインドが棄権したのもスリランカにおける中国の存在感を意識したからだとされている。潜水艦寄港の目的は,ソマリア沖の海賊対策だと中国は主張しているが,インドにとって安全保障上の脅威となった。さらに,スリランカ政府は否定しているが,インドは9月に寄港したのが原子力潜水艦であったとして警戒感をあらわにしている。

日本との関係

9月7日から8日にかけて安倍首相がスリランカを訪問した。日本の首相としては1990年以来24年ぶりで,また安倍首相の祖父である岸信介首相が初めてスリランカを公式訪問していたことから,両国の世代を超えた友好関係が確認された。両首脳は,両国間の関係を「海洋国家間の新たなパートナーシップ」に高めて,太平洋・インド洋地域の安定と繁栄に資する協力関係を構築してゆくことになった。

日本は,スリランカが地上デジタルテレビ方式として日本方式を採用したことを受けてアンテナ塔,送信所,電気機材の整備など137億1700万円を上限とする円借款を行うことになった。字幕放送や多言語放送によって民族融和や災害弱者への情報提供が可能になり,社会の脆弱性の軽減に寄与するほか,スリランカの情報通信産業の健全な発展を通じた経済成長の促進が期待される。

2015年の課題

1月8日に行われた大統領選挙ではシリセーナが勝利した。新大統領は首相に任命されたラニルと,選挙公約である100日プログラムに取り組んでいる。とくに汚職追及,中国傾斜を改めた全方向外交を打ち出している。国民の反感を買っていたこれまでの政策の転換は歓迎されている。しかし,この後は憲法改正や権限委譲といった難しい判断を迫られる。SLFPも協力する姿勢を示しているものの,寄り合い政権であることから,明確な方向性を示し,迅速に実施できるかどうかが政権運営の鍵となる。国民は経済的な成果も期待している。また,中国依存脱却後の資金調達も課題である。

インドとの関係は,外相・大統領が就任早々に訪印するなど,改善した。今後はバランスのとれた外交に回帰することになろう。漁民・海域問題,難民帰還問題など実質的な問題に取り組む下地ができたが,タミル・ナードゥ州との関係も注目していかねばならない。

(地域研究センター研究グループ長代理)

重要日誌 スリランカ 2014年
  1月
5日 マヒンダ・ラージャパクセ大統領,中東(ヨルダン,パレスチナ,イスラエル)歴訪(~10日)。
8日 ジャヤラトネ首相に謝罪を求める僧侶ら,首相官邸前で抗議。首相が書簡で謝罪し,沈静化。
12日 西部・南部州評議会解散。
15日 スリランカ漁業相,デリー訪問。インド外相と会談。すべての漁民を釈放することで合意。
18日 行方不明者調査委員会,キリノッチ県で公聴会開催(~21日)。440人が出席。
  2月
2日 人民解放戦線(JVP)の新リーダーにアヌラ・クマール・ディサナヤケが就任。
4日 独立記念日の演説で大統領,人権問題を理由に干渉する国際社会を批判。
14日 行方不明者調査委員会,ジャフナで公聴会開催(~17日)。984人が出席。
21日 最高裁,控訴裁の判決「国会選任委員会(PSC)による元最高裁長官シラーニの弾劾に対する意見は無効」を取り消す決定。
22日 中国代表団,来訪。
24日 国連人権高等弁務官ピレー,スリランカ調査報告書提出。国際調査を求める。
  3月
3日 大統領,ベンガル湾多分野技術経済協力イニシアティブ(BIMSTEC)首脳会合に出席するためミャンマーに出発(~4日)。
4日 ヤラ・デヴィ列車,キリノッチ=パライ間開通。
5日 アフガニスタンのカルザイ大統領,来訪。
15日 ゴール=マータラ間の南部高速道路(30㌔)開通。
16日 ハンウェッラのゴム工場で住民が水質汚染に抗議。警察が水砲,催涙弾使用。住民の倒した木が警察署長を直撃,署長死亡。
16日 人権活動家ルキ・フェルナンド,プラヴィーン神父,テロ防止法(PTA)違反容疑でテロ捜査局(TID)に逮捕される。
20日 行方不明者調査委員会,バティカロア県で公聴会開催(~22日)。
21日 政府,海外の16団体をタミル・イーラム解放の虎(LTTE)に関連するテロ団体に指定。
27日 国連人権理事会(UNHRC)で国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)にスリランカの国際的な調査を求める決議,賛成23,反対12,棄権はインドを含む12カ国で採択される。
29日 西部・南部州評議会選挙投票。与党・統一人民自由連合(UPFA)が過半数獲得。
29日 オーストラリア政府,巡視船をスリランカ海軍に引き渡し。
  4月
2日 軍,82平方㌔のみ地雷撤去されていないと発表。これまでに100万個の地雷を撤去。
9日 コメ輸入に関する関税引き下げ。
10日 LTTE幹部ら3人,ヴァヴニヤ県ネドゥンケニで警察と銃撃のうえ死亡。
14日 大統領,新年のメッセージで共存と和解が新年の祭りの伝統であると言及。
17日 ハンバントタを訪問した統一国民党(UNP)議員ら,空港や港で嫌がらせを受ける。
24日 国会でカジノ法案が通過。130対42,棄権は68。
28日 大統領,バーレーン訪問(~29日)。
29日 チェンナイでスリランカ人ザヒール・フセインが逮捕される。在コロンボのパキスタン大使館員に命じられ,南インドの在外公館へのテロ攻撃について調査した疑い。
  5月
4日 人権委員会,2013年8月のウェリウエリヤ衝突(軍の発砲で住民3人死亡)は,軍の権限と責任内での行動だったと解釈。
7日 ハンバントタを訪問したUNP議員ら,メガプロジェクトが拙速で,利益を生んでいないと批判する中間報告書発表。
12日 第2回スリランカ・インド漁民間協議,コロンボで開催。
15日 マレーシア警察,LTTEの復興を企てる元メンバーら3人を逮捕。
19日 大統領,第4回アジア信頼醸成措置会議(CICA)出席のため中国へ出発。22日,上海で習近平国家主席と会談。
20日 首相府への不信任動議(不適切な薬品の流入事件について)が議論され, 94票差で否決される(~21日)。
25日 大統領,インドのモディ首相の就任にあわせてインド人漁民全員の釈放を命じる。
26日 大統領,モディ印首相の宣誓式に出席するためデリーに出発。
  6月
3日 南西部で洪水発生,22人死亡。約2万7000人,7500世帯が避難。
4日 外相,国会で大統領とインド首相の会談時に州への警察権限の委譲はありえないと伝えたことを明らかに。解決策はPSCで決めるとも。
5日 内閣報道官ケヘリヤ・ランブクウェラ,2015年1月選挙の可能性はあるが,占星術師が別の日時も示している,と発言。
6日 行方不明者調査委員会,バティカロア県(カッタンクディ,マンムナイパットゥ)で開催(~9日)。216件の新規申し立て受付。
7日 ピレー,スリランカ政府にOHCHRの調査に協力するよう求める。
12日 大統領,G77首脳会議に出席するためボリビアに出発。
12日 ダルガタウンで暴徒化したシンハラ住民らがムスリム商店などを襲撃。
12日 スリランカの漁業相とインドの漁業相が話し合い。合意形成に失敗。
15日 アルトゥガマでボドゥ・バラ・セーナ(BBS)らの集会後,暴動。ムスリム3人死亡。36人負傷。商店やモスクが放火される。
16日 アメリカ大使館,アルトゥガマとベルワラでの暴力の蔓延を批難。
18日 スリランカ・ムスリム会議(SLMC),国会をボイコット。
18日 国会でUNHRCのスリランカ決議への反対が144対10で可決される。UNPは棄権。SLMCとJVPは欠席。
18日 大統領,ベルワラ,アルトゥガマ訪問。
21日 パーナドゥラのノーリミット(ムスリム経営の衣料品店)で火災。
25日 大統領,モルディブ,セイシェル訪問(~28日)。
27日 現地紙,パキスタンからの亡命希望者の増加を受けて,スリランカ当局はパキスタン人への到着ビザを無効にしたと報道。
28日 スリランカ人難民153人の乗った船がクリスマス島の250㌔沖で漂流。
30日 ゴーターべ国防次官,BBSとの関係を否定。
  7月
2日 国連専門家,スリランカ政府に民族憎悪への対策をとるよう強いメッセージ。
2日 犯罪捜査局,BBSのニャーナサーラ僧を事情聴取。
5日 行方不明者調査委員会,ムライティブ県で開催(~8日)。128件の申し立て受付。
8日 NGOナショナルセクレタリアット(国防省管轄下),NGOによる記者会見やジャーナリストの訓練などを禁止と発表。
11日 ウヴァ州評議会,解散。
11日 G. A. チャンドラシリ,大統領によって北部州知事に再任命される。
11日 最高裁,セイロンたばこ(CTC)に対して健康被害に関する公告が60%以下のパッケージのたばこの販売を禁止。
15日 政府,行方不明者調査委員会の任務拡大と同委員会への諮問機関設置を官報公布。
16日 みずほ銀行,国営セイロン銀行と業務提携と発表。
20日 ポルトガル首相,来訪(~21日)。
26日 穀類(主に豆)の輸入税引き下げ。
  8月
1日 政府,国防省ホームページ掲載の風刺画についてモディ印首相とジャヤラリタ印タミル・ナードゥ州首相に謝罪。
4日 社会・宗教センター (CSR)で,アメリカ,フランス,ドイツ,イギリス,スイスの各国大使館職員を交えた行方不明者家族会合に乱入者。
8日 行方不明者調査委員会,マナーで開催(~11日)。
12日 現地紙,政府がインド人活動家を行方不明者調査諮問委員会に招聘と報道。
12日 コロンボ治安判事裁判所,BBSなどの仏教急進派に13日の集会について禁止を命令。
19日 大統領,さらに2人の専門家を行方不明者調査諮問委員会の委員に任命。
22日 タミル国民連合(TNA)議員,インド訪問。外相会談。
23日 モディ印首相,TNA議員らにタミル人に平等,尊厳,正義,自尊心を確保できるようスリランカに求めると述べる。
29日 ニューデリーでインド・スリランカ漁業協同委員会開催。
  9月
7日 安倍首相,来訪(~8日)。
16日 習近平中国国家主席,来訪(~17日)。
19日 9月7~14日にコロンボ港に中国の潜水艦と支援艦が来港していたと現地メディアが報道。
20日 ウヴァ州評議会選挙。UPFAは19議席,UNPは13議席獲得。
22日 UNP幹事長ティッサ・アタナナヤケ,指導者委員会からの辞表を提出。
23日 UNP,ラニル・ウィクレマシンハを大統領候補にすると決定。UNPの副リーダーにサジット・プレマダーサ任命。
23日 ゴーターベ国防次官,中国共産党中央軍事委員会の許其亮副主席と会談。
23日 大統領,国連総会出席のために訪米。
28日 大統領とモディ印首相が会談,関係強化を確認。
29日 最高裁,人権団体などによるPIL訴訟(パキスタンからの難民申請)を却下。
30日 ミャンマーの969運動のウィラトゥ師とBBS,合意書に署名。
  10月
2日 大統領,バチカン・イタリア訪問。
10日 インドの国防次官,キャンディで大統領と会談。
13日 ヤラ・デヴィ列車,パライ=ジャフナ間開通。大統領,式典出席。
13日 ナヴィン・ディサナヤケ経営改革相,党籍替えの噂を否定。
14日 オーストラリアの高等裁判所で157人のスリランカ人難民申請者の裁判開始。
14日 EU,スリランカからの水産加工物の輸入禁止。
15日 大統領,与党政治家らに1月の大統領選挙に備えるように告げる。
15日 国防省,外国人の北部地方旅行に国防・都会開発省の事前許可を義務づけると発表。
16日 政府,EUがLTTEの活動禁止措置を解除したことに懸念。
20日 漁業省前で漁民ら大規模デモ実施。
20日 ゴーターベ国防次官,インドを訪問。インド,中国の軍事的存在感に懸念表明。
20日 ラニルUNP総裁,シンガポール訪問(~21日)。
21日 港湾施設を視察中のUNP議員らが暴徒に襲われる。
24日 大統領,国会で来年度予算演説。
27日 インド訪問中のペレーラ海軍司令官,中国の存在感を懸念するインドに,そのような事実はないと否定。
29日 バドゥッラ県で地滑り発生。
30日 スリランカ裁判所でインド人5人とスリランカ人3人に薬物の密輸で死刑判決。
  11月
2日 行方不明者調査委員会,ムライティブで公聴会開催。166件の新規申し立て受付(~5日)。
3日 スリランカ海軍,中国海軍の潜水艦が10月31日よりコロンボ港に停泊していることを公表。
5日 大統領,最高裁に3選出馬について意見を求める。
5日 サジット,UNPの大統領候補はラニルと明言。
9日 大統領とモディ印首相,電話会談。
9日 北部州主席大臣,国家の暴力は続いている。司法もタミル人を2級市民扱いしていると発言。
10日 最高裁,第18次改正に基づきラージャパクセの3期目への立候補に法的障害なしと判断。
10日 社会正義のための国民運動が組織した野党会合にUNP,JVP,TNAなどが参加。
12日 大統領の権限縮小などの第19次憲法改正導入を求める大規模集会開催。
13日 モーリタニア大統領,来訪。
14日 コロンボ=キャンディ間高速道路起工式。
15日 大統領,内戦中にノルウェーがLTTEを財政的に支援していたと批判。
18日 JHUのチャンピカ技術・研究・原子力エネルギー相辞任。西部州のウダヤ・ガンマピラ大臣も辞任。
19日 インド人漁師ら5人釈放。
20日 大統領,大統領選挙実施を宣言。
21日 マイトリパーラ・シリセーナ保健相,野党統一候補として大統領選挙出馬表明。
21日 大統領,シリセーナらを党除名処分。
24日 2015年予算案が国会を通過。
25日 大統領,南アジア地域協力連合(SAARC)に出席するためにネパールへ出発。
26日 ティッサ・アタナヤケUNP幹事長,鞍替えしないと明言。
  12月
1日 シリセーナと政党や市民団体間の覚書締結。
3日 バングラデシュから2万5000㌧のコメ輸入で合意。コメの輸出はバングラデシュにとって初めて。
4日 LTTE銀行に質入れされていた金や宝飾品などを元の所有者に返還するセレモニー開催。
5日 燃料価格引き下げ。12.5㌔のガスシリンダー価格250ルピー引き下げ。
8日 UNP幹事長のティッサ,UPFAに鞍替え表明。
9日 大統領,インドのティルパティ寺院訪問。
17日 シリセーナの選挙キャンペーン会場が襲撃される。
19日 シリセーナ,選挙公約発表。
22日 ティッサ,ラニルとTNA間に密約ありと署名入りの文書を暴露。
23日 ラージャパクセ,選挙公約発表。
23日 シリセーナの集会で発砲事件発生。
24日 シリコタUNP党事務所前で衝突。
28日 ハキームSLMC総裁,SLMCのシリセーナ支持を表明。
29日 シリセーナを支持する芸術家らが選挙キャンペーン中に襲われる。
30日 TNA,シリセーナ支持を表明。

参考資料 スリランカ 2014年
①  国家機構図(2014年12月末現在)
②  政府要人名簿(2014年12月末現在)
②  政府要人名簿(2014年12月末現在)(続き)

主要統計 スリランカ 2014年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質: 2002年価格)
4  輸出・輸入分類
5  国際収支
 
© 2015 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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