アジア動向年報
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各国・地域の動向
2014年のパキスタン シャリーフ安定政権の影で軍の存在感が増大
牧野 百恵
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2015 年 2015 巻 p. 617-642

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2014年のパキスタン シャリーフ安定政権の影で軍の存在感が増大

概況

2013年にパキスタン史上初の選挙による政権交代が実現し,下院議席の過半数を獲得して3度目の首相に返り咲いたナワーズ・シャリーフ率いるパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)政権には,安定政権として大きな期待が寄せられていた。しかしながら蓋を開けてみると,ことごとく期待外れに終わった。従来軍が主導権をもっていた,国内の武装勢力およびインドとの関係についても,シャリーフ首相は自らが主導権を握るかのような姿勢を当初はみせていたが,結局は,2014年を通して軍の存在感を増すことになった。とりわけ,シャリーフ政権は当初パキスタン・ターリバーン運動(TTP)との対話路線を打ち出していたが,12月16日に起こったTTPによる軍経営の学校襲撃事件により方針は180度転換され,軍が6月中旬から開始していたテロリスト一掃の「アズブの一撃」作戦が全面的に支持されることになった。

シャリーフ政権は,安定政権であるために野党と駆け引きをする必要もなく,とりわけビジネス界出身の首相が得意とする経済面の改革,具体的には財政赤字の削減とエネルギー危機の解決に邁進するものと思われていた。2013年に開始されたIMFによる拡大信用供与措置(EFF)においても,財政赤字の改善が融資条件であり,税収の拡大と電力事情の改善,民営化の促進が挙げられている。このうち民営化については,比較的世論を気にする必要がなく,またシャリーフ首相の手腕が期待された分野でもあるが,それすら予定どおりには進まなかった。

もともと親インド派で知られるシャリーフ首相には,対インド関係改善への期待も寄せられていたが,2014年を通してむしろ悪化した感がある。対照的に対米関係では,軍による「アズブの一撃」作戦が,アメリカの従来からの要求に応えるものでありかつ実効性をもったことから,パキスタンのテロとの戦いに対するコミットメントを示したとして評価された。

国内政治

シャリーフ政権と軍の勢力関係

2013年5月に実施された下院選挙で過半数の議席を確保し誕生したシャリーフPML-N政権は,パキスタン人民党(PPP)前政権と異なり連立を組む必要もなく,また前政権下で強かった司法や軍もトップが交代して比較的介入に積極的でないといわれたことから,安定政権と当初から評価されてきた。治安面では中道右派であることを生かして,武装勢力との対話を進めるものと思われた(「国内の治安とTTP」で後述)。シャリーフ第2次政権(1997~1999年)は,ムシャッラフ元大統領(当時は陸軍参謀長)による軍事クーデタによって失権した過去があるためか,軍に対して自身の主導権を示すような強気な姿勢が当初みられたが,総じて失速した感がある。シャリーフ政権と軍の勢力関係を示すもののうち,武装勢力とりわけTTP対策,および首都イスラマバードで長期化したデモについては後述するが,ここでは以下の2例を取り上げる。

⑴ GeoTV事件

4月9日,民営放送GeoTVの有名司会者であるハーミド・ミール氏の暗殺未遂事件が起きた。この事件は単なる有名人の暗殺未遂もしくは報道の自由という問題にとどまらず,軍と政府との緊張をもたらした。ミール氏は,ムシャッラフ元大統領・陸軍参謀長に対し軍が水面下で支援しているなど,従来から軍を批判してきたジャーナリストである。ミール氏は自身の暗殺事件の背後には三軍統合情報局(ISI)がいたと非難した。ISIを名指しした非難に応酬するかのように,4月22日,国防省はパキスタン電気メディア統制庁(PEMRA)に対し,GeoTVの放送ライセンスを取り消すよう要請した。ケーブルテレビ数社は,軍の圧力を受けてかGeoTVをチャンネルから排除した。GeoTVは軍と関係の深い宗教指導者,野党,競合テレビ会社から批判の嵐を受けた。たとえば宗教指導者は,5月14日放映の番組(それ自体軍とは関係のない内容)が冒涜罪を犯していると非難し,世論もこれを支持した。

首相はGeoTVとの関係が深いといわれているが,世論や野党の批判も合わせると,GeoTVを表立って支持することは政治的なリスクが大きかった。6月6日,PEMRAはGeoTVに対し,15日間の放送停止を命じるとともに罰金1000万ルピーを科した。シャリーフPML-N安定政権であっても,軍の意向を無視することはできないことを象徴した事件であったといえよう。

⑵ ムシャッラフ元大統領の裁判

2月18日,ムシャッラフ元大統領が在職中の2007年に非常事態宣言により憲法を停止したことが国家反逆罪にあたるとの容疑で,イスラマバード特別法廷に初出廷した。これまで,ムシャッラフは直前に出廷を回避することを繰り返してきており,その動向が注目されていた。3月31日,特別法廷はムシャッラフ元大統領に対し,正式に国家反逆罪での起訴を決定した。これにより退役した軍のトップがパキスタン史上初めて司法の裁きを受けることになった。軍はそのトップを経験したものが裁かれること,とりわけ国家反逆罪で有罪となれば死刑になることから,ムシャッラフ元大統領の裁判には嫌悪感を抱いており,元大統領の国外亡命を主張してきた。この裁判の行方が,政府と軍のパワーバランスを測るものといってもよいだろう。11月21日,特別法廷は,憲法停止が元大統領1人の責任ではないとのムシャッラフ元大統領の言い分を部分的に認めるかたちで,新たに3人の被告が必要と判断した。具体的にはショウカト・アズィーズ元首相,ザーヒド・ハーミド元法相,アブドゥル・ハミード・ドーガル元最高裁長官である。特別法廷の判断に対しては12月23日,イスラマバード高裁が異議を唱え判断が停止された。

長期化した首相退陣要求デモ

8月14日,パキスタン正義行動党(PTI)とパキスタン大衆運動(PAT)がそれぞれ別々にラホールから首都イスラマバードへのデモ行進を敢行し,そのまま首都において無期限の抗議行動に入った。PTIは国民的スポーツであるクリケット・ナショナルチームの元キャプテンであるイムラン・ハーンが党首であり,2013年の選挙で躍進し第3党となった。ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州では与党である。イムラン・ハーンは首相になる野心が強いといわれている。PATは議席をもたない小さな政党であるが,率いるターヒルル・カーディリー師が軍と親密な関係にあるとされ,2013年の1月に組織した大規模なデモは記憶に新しい。カーディリー師が6月にカナダから帰国して以来,軍と政府の緊張関係が増したともいわれた。PATは「アラブの春」のような政権転覆を訴え,PTIは2013年の選挙が不正であったとしてシャリーフ首相の退陣を求めた。当初は両者の政党としての存在が小さいこと,また21日,PTIを除く議会が野党第1党のPPPも含め満場一致で首相の辞職と議会解散を否決しPTIとPATのデモ行動に民主的な大義を付加することが難しくなったことから,影響はさほど大きくないと思われていた。しかしデモは予想以上に長期化し,それにより政府が首都の治安維持などを軍に頼らざるをえない状態が続き,軍の存在感が増した。長期化の背後には軍による暗黙の支持があったといわれる。また長期化により,いかに安定政権であっても,電力問題や財政赤字の解決に向けて世論の賛同を得られにくい急進的な改革を行うことが難しくなった。

デモ隊がイスラマバードに到着してから,軍は政府の建物に予防線を張り,政府とPTIおよびPATとの交渉をお膳立てするかたちとなった。政府が軍の意向に反して暴走することはできないことを暗に示す構図であった。軍は8月20日,政府と抗議側が対話により問題を解決するよう要求する声明を出した。軍はクーデタによる政権転覆を企てているわけではないだろうが,シャリーフ政権が余りにも強くなりすぎること,とりわけ従来軍が主導権を握ってきた国内の武装勢力や対インド関係に関して首相が出すぎていること,およびムシャッラフ元大統領の裁判に対して牽制するためだったのだろう。

9月1日,PTIとPATの支持者たちのデモが激化し,パキスタン国営放送(PTV)ビルに突入し3人が死亡した。抗議行動が激化したことで,軍が戒厳令などのかたちで介入することが懸念された。直ちにラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長と首相が会談を行ったが,その内容は不明である。前者が首相の辞職を迫ったともいわれたが,両者が否定した。

10月21日,PATが抗議行動の中止を決定した。一方PTIは抗議行動を継続していたが,12月16日ペシャーワルでTTPによる軍経営の学校襲撃により,少なくとも148人が犠牲となった事件を受けて,抗議行動の一時停止を発表した。

国内の治安とTTP

シャリーフ首相は,就任以来一貫してTTPに対し対話を呼び掛けてきた。その一方で軍は,「対話はTTPに勢力回復の猶予を与えるだけである」と反発してきた。野党第1党のPPPもTTPとの対話には消極的である。1月28日,ビラーワル・ブットーPPP代表はBBC放送のインタビューで,TTPと対話することは不可能であるとして軍事行動の強化を訴えた。

首相は1月29日,TTPと和平対話するための委員会を設置した。委員会は宗教政党のメンバー4人からなり,モウラーナー・サミーウル・ハク・イスラーム聖職者党サミー派(JUI-S:ターリバーンの支援者であり,イスラーム聖職者党ファズル派[JUI-F]のライバル)党首が委員長に就任した。イムラン・ハーンPTI党首,ファズルッ・ラハマーンJUI-F党首は政府による委員会のメンバーとなる旨の依頼を拒否した。委員会が政府や軍の代表を含んでいないことから,どれほどの実効性があるかは当初から疑問視された。2月6日,4人はTTPの代表と会談をもった。政府の要求は停戦であった。これに対しTTPは,アメリカのアフガニスタンからの撤退と,軍の連邦政府直轄部族地域(FATA)からの撤退,TTP囚人の釈放,憲法に代わってシャリーア(イスラーム法)の徹底といった,政府が応じることのできない要求を出した。

7日,TTP代表団の1人はシャリーアに基づく国づくりが議論されないかぎり,今後の協議には参加しないと表明した。TTPは約30の武装組織の連合体で,和平推進派ばかりでなく強硬派も多い。モウラーナー・ファズルッラーTTP最高指導者は強硬派といわれるが,長引く闘争で嫌気がさした派閥も多く,対話に応じた背景には強硬路線を貫くと組織の分裂を招くとの判断があったと思われる。その一方で強硬派の派閥は独自路線を貫いており,TTPが一枚岩ではないことがうかがわれた。2月16日,ハーリド・ホラーサーニー率いるTTP分派(8月にジャマーアトゥル・アハラール[TTP-JA]として離脱を表明)が治安部隊23人を処刑したことを受けて交渉は決裂した。20日,もともと対話に懐疑的な軍はワズィーリスタンの武装組織訓練施設を標的に空爆を開始した。全4回にわたる空爆により武装勢力100人以上が死亡したといわれる。

これらの攻撃で疲弊したためか,内部分裂が進んだためか,3月1日,TTPは一方的に1カ月の停戦を発表した。26日,政府の対TTP和平対話委員会とTTPは2度目の交渉を行い,TTPはシャリーアの徹底といった広い要求は諦め,囚人の釈放に要求を絞った。政府は4月3日,TTP分派の19人を釈放した。4日,TTPは10日までの停戦を発表した。パキスタン平和研究所(PIPS)の統計によると,2014年は(後述するように非人道的と国内外で非難された学校襲撃テロはあったものの)2013年に比してテロ,犠牲者の数ともに30%減少しており,これらは政府の交渉の成果とみる評価もあった。

6月8日,武装勢力10人がカラチのジンナー国際空港を襲撃し,空港職員ら少なくとも19人の民間人が犠牲となった。TTPとウズベキスタン・イスラーム運動(IMU)が犯行声明を出し,ハキームッラー・メヘスード前TTP最高指導者殺害への報復であるとした。警備の厳しい空港を標的とした今回の襲撃は,カラチでは2011年のメヘラーン海軍基地襲撃以来の衝撃であった。これを受けて15日,軍は「アズブ(直訳は預言者)の一撃」作戦を開始し,兵士3万人を動員した。この規模は2009年以来である。しかし,同作戦がどれほど功を奏したのかは定かではなく,多くの武装組織司令官たちはFATAの奥地や,越境してアフガニスタンに逃げたと考えられている。ファズルッラーTTP最高指導者はアフガニスタン東部のクナール州を拠点としているといわれている。

「アズブの一撃」作戦に対し,TTPは報復を発表し,外国投資家に国外退去を警告した。しかし,外国資本が流出した様子はなく,実際には作戦開始から2014年末まで,TTPの攻撃そのものは減った。同作戦によりこれまで2000人以上の武装勢力が殺害されたといわれており,勢力が弱くなった可能性もある。9月4日,8月にTTPから離脱したTTP-JAがTTP司令官の80%の支持を得たと主張したが,主張の真偽やTTPの弱体化・分裂については定かでない。

「アズブの一撃」作戦開始後,確かにTTPによる攻撃そのものは減ったが,国内外に衝撃を与えたTTPもしくは分派による大きなテロが2度起きた。ひとつは11月2日,ワガー・パ印国境における自爆テロで,少なくとも60人が死亡した。TTP分派ジュンドゥッラーとTTP-JAが軍の「アズブの一撃」作戦への報復であるとする犯行声明を出した。もうひとつは12月16日,ペシャーワルの軍経営の学校襲撃により少なくとも生徒134人を含む148人が犠牲になった事件である。TTPが「アズブの一撃」作戦で家族を殺害されたことによる報復であるとする犯行声明を出した。犠牲者の大半が子供だったこともあり,国内外に衝撃を与えるとともに多くの非難を巻き起こした。TTPはアフガニスタン・ターリバーンの最高指導者ウマル師に忠誠を誓っているが,17日,ウマル師もこのテロについては非難の声明を出した。

学校襲撃事件は,シャリーフ政権のTTPに対する姿勢を180度転換させた。政府は独自の対話路線を放棄し,軍による徹底的な掃討作戦支持に回った。17日には,ラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長がアフガニスタンを訪問しテロ撲滅への協力を要請した。同日,首相は,「良いターリバーン,悪いターリバーンを区別せず」(Dawn, 2014年12月18日付),テロリストを根絶すると発言した。また2008年以来凍結してきた死刑執行をテロリストに限り解禁し,18日,ムハンマド・アキールとアルシャド・マフムードの両名の死刑執行に始まり,続けて17人の死刑執行に踏み切った。さらに500人近くが執行されるといわれている。しかしながら,死刑執行された者は軍を標的としてきたテロリストばかりで,パキスタンにとって都合がよいか無害なテロリストに対しては依然として対処が甘い印象がある。たとえば,シーア派を標的とするテロ組織として国内外に認定されているラシュカレ・ジャングヴィーの指導者マリク・イスハークは,たまたま22日に拘留期間が満了という時期を迎えたが,2週間の再拘留となった程度である。いずれにせよ,学校襲撃事件が結果的に軍の優位性を増幅させたことには変わりない。

経済

2013/14年度の経済概況

パキスタンの2013/14年度(2013年7月~2014年6月)の実質国内総生産(GDP)成長率は4.1%で,前年度の3.7%よりは増加したが目標には届かなかった(Economic Survey [経済白書],2014年6月2日)。セクター別では,農業部門が2.1%,鉱工業部門が5.8%,サービス部門が4.3%(いずれも対前年度比)の伸びであった。パキスタンはGDPの21%を農業部門が占め,雇用の44%を吸収する農業国である。近代的な農業技術の導入が遅れており,いまだ天候などによって左右されるところが,実体経済の成長率にも影響している。慢性的なエネルギー危機にも改善の兆しがみられず,製造業部門の基幹をなす繊維産業も伸び悩んだ。

2013/14年度の輸出額は対前年度比3.6%減の304億ドル,輸入は同2.4%増の496億ドルで,貿易収支赤字は192億ドルと前年度から13.5%増大した。経常収支赤字は31億ドルと前年度に比べて24%悪化したが,前年度は同盟支援資金(Coalition Support Fund:CSF)によるところが大きく,これを除けば改善ともいえる。相変わらず堅調な海外労働者送金の伸び(対前年度比13.8%増)によるところが大きい。パキスタンの輸出に最大に貢献しているのは,もはや繊維ではなく労働力であるといっても過言ではない(図1)。一見したところ比較的安定した貿易および経常収支であったが,国際石油価格の下落,欧州連合(EU)諸国によるGSP-Plusの供与という大きな好材料があったにもかかわらず,貿易収支に改善がみられないことを問題視すべきである。石油を輸入に頼るパキスタンにとって国際石油価格の下落は願ってもない好材料であった。また輸出の50%以上を繊維製品が占めるパキスタンにとって,EU諸国がGSP-Plusを供与したことで,2014年1月から繊維製品のEU向け輸出が無関税となったことも追い風であった。

図1  海外からの労働者送金と繊維輸出の推移

(出所) State Bank of Pakistan, Statistical Bulletin,各号。

実体経済が伸び悩む一方で,以下に挙げるような対外的な要因に恵まれ,国際収支は大幅に改善した。なかでもIMFによるEFFが2013年9月から開始されたことが大きい。IMFによる融資プログラムは直接的な効果のほか,ADBや世銀などの援助機関や外国投資家による新規融資を促す間接的な効果も大きい。たとえば世銀が2014年に承認した融資総額は,前年の4.6倍にあたる23億ドルに上る。2月から3月にかけてサウジアラビアから15億ドルの無償資金提供があり,3月はじめから為替相場が一気にルピー高に動いた。4月9日には7年ぶりのソブリン債となるユーロ債を発行し,20億ドル分の外貨を調達した。4月14日に入札が開始された3G,4G周波数帯オークションは23日に完了し,落札総額は11億ドルとなった。また,6月12日にはUnited Bank Limited(UBL)社の株式19.8%を3億8700万ドルで売却した。2014年度末の外貨準備は前年度から31億ドル増加し,91億ドルとなった。国際収支の改善は好ましいことには違いないが,以上のような中身をみると,そのパフォーマンスはパキスタンの対外借り入れ能力にかかっていることがよくわかる。裏を返せば,パキスタンは外国からの借り入れが困難となれば,簡単に国際収支危機に陥る危険をはらんでいる。2014年末にアメリカをはじめとするNATO軍がアフガニスタンから公式に撤退したことから,今後アメリカからの大きな資金援助を望めないことは明らかであり,安定した国際収支を持続させるためには,さらなる民営化の推進など国内の構造的な改革が必要であろう。

インフレ率を抑えることもIMFの命題であり,8.6%と抑えられたのは前年度に引き続き好意的に評価された。しかしこれが,シャリーフ政権の政策による効果かと問われれば疑問である。石油を輸入に頼るパキスタンでは,インフレは国際石油価格に大きく左右される。国際石油価格の低下という対外的な要因がインフレ率を下げており,金融政策や財政政策の成果とはいえないためそれほど楽観視すべきではない。

エネルギー危機

シャリーフ首相は2013年の選挙戦におけるスローガンを「明るいパキスタン」とし,文字通り安定した電力供給を公約として戦い勝利したため,電力事情の改善は最大の課題であった。具体的には1日に12~18時間にも及ぶ停電の問題を改善し,またその背後にあるとされるサーキュラーデット(循環債務)問題を解決することである。電気やガスが供給不足になると真っ先に家庭向けへの供給が断たれるため,それに抗議するデモなども頻発している。停電の頻発は多くの産業にも大きな足かせとなっている。大規模製造業などでは停電の場合にも自家発電を行っているのが通常であるが,そのコストが企業の競争力を削いでいるといわれている。

エネルギー危機をもたらしているのはインフラなどの発電能力が不足しているからというよりは,サーキュラーデット問題を含め送電・配電に欠陥があるからである。サーキュラーデットの要因のひとつは未払い金が回収されていないことである。シャリーフ政権は発足直後の2013年7月,5000億ルピーをサーキュラーデット解消のために投じたが,このような補助金の使い方は構造的な改革にはつながらない。それ以降はサーキュラーデット解決のための公的資金は投入されておらず,それが財政赤字の減少(前年度の対GDP比8.2%に比し2014年度は5.5%)につながっている。サーキュラーデット解決のための公的資金投入はIMFが明確に反対しており,6月3日に発表された2014/15年度予算案でダール財務相は,このような使い方をしないことを明言した。

しかし,単に公的資金を投入しなければサーキュラーデットは膨らむ一方である。サーキュラーデットの根本的な要因は,発電コスト以下に電気料金が設定されていることだからである。その差額は政府が補助金で補塡する構造になっているところ,財政赤字の改善というEFFに条件付けたIMFの命題によってそれが難しくなった。EFF以前であっても,政府の財政状況がひっ迫しており補助金の支払いが滞っていたために,サーキュラーデットは膨らむ一方であった。したがって問題解決のためには,まず電気料金を適切な価格に設定することが必要であり,IMFもEFFを開始するにあたり,その点を強調してきた。PPP前政権は連立を必要とする不安定な政権であったため,世論の反感を買い野党が勢力を増しやすい改革に着手することができなかった。一方,シャリーフ政権は安定政権であるため,思い切った改革が期待されていた。また,前政権下では当時のチョウドリー最高裁長官による積極的な政治介入で,電気料金の引き上げが違法とされた例もあったが,次のジーラーニー最高裁長官,その後任で7月6日に就任したムルク最高裁長官ともに行政とは一線を引いている。このように改革を進めやすい環境にあるにもかかわらず,電気料金の引き上げは難しいようだ。とりわけ8月中旬からのPTIとPATの呼び掛けによるデモが長期化したことで,電気料金の引き上げが政治的な不安定をさらに加速しかねず,難しい選択となった。IMFが当初予定されていた8月のEFFの第5次トランシュ(5億5500万ドル分)供与に関し,なかなか許可を出さず,供与が遅れた理由のひとつはエネルギー部門への補助金の削減がなされていない点にあったとされるが,それでも電気料金の引き上げを断行できなかった。政府は10月19日,電気料金引き上げを決定するも,早くも21日には撤回した。まるでPPP前政権の二の舞であった。

民営化

民営化によって財政赤字(対GDP比5.5%)を削減および国際収支を改善することもシャリーフ政権の課題であり,IMFのEFFの条件でもある。第2次シャリーフ政権(1997~1999年)が民営化を敢行したことから首相の手腕への期待が高かったこともあり,期待どおりの成果とはいえないが,民営化には多少の進展がみられた。

6月12日,政府はUBL社株式の19.8%を3億8700万ドルで売却した。2008年以来初の民営化である。UBL社の民営化は,2002年51%株式の売却により始まり,2005年,2007年と段階的に行われてきた。UBL社に引き続き27日,Pakistan Petroleum Limited(PPL)社の5%株式が1億5500万ドルで売却された。シャリーフ政権発足以来,ダール財務相は民営化の推進をことあるごとに強調しており,1カ月足らずのあいだに,つぎつぎと民営化を進めるさまは目を見張るものがあった。民営化対象として,政府は65社の国営企業を挙げ,うち31社を優先的に民営化すべきだとしてきた。UBL社やPPL社の次は,Habib Bank Limited(HBL,すでに51%株式は売却されており,政府保有の49%株式の売却),Allied Bank,National Bank of Pakistan(NBP)といった銀行の民営化が続く予定であった。銀行以外では,Oil and Gas Development Company Limited(OGDCL),パキスタン航空(PIA),パキスタン製鋼公社(PSM)などが挙げられた。

候補は次々と挙がっている一方,民営化は当初の予定から遅れており,それがIMFの批判を招き,EFFの第5次供与の遅れにつながったとの見方もある。不採算部門を民営化し,財政赤字削減につなげることが第一義的な目的であるが,不採算部門については売却先投資家にとっても魅力がないため,民営化は遅れがちである。また,とりわけ国家的戦略部門ともいえる分野については野党の反発も大きい。8月中旬からのデモが長期化したことで国内政治が不安定化し,シャリーフ安定政権といえども野党の反発を招くような思い切った改革が難しくなったこともあるだろう。PIAやPSMの分割といった案件はその典型である。IMFはPIAの民営化の期限を当初2014年12月としていたが延期され,PIA26%株式の売却期限は2015年10月となった。

例外的に利益を上げているために民営化が反対されているケースもある。とりわけ,OGDCLについて,当初政府は75%保有株式のうち26%株式を売却する予定であったが,パキスタン国営石油(PSO)とPak-Arab Refinery Company(PARCO)などは利益が大きすぎるとして反対した。結局,OGDCLの7.5%株式を売却することにし,これにより8億ドルの売却益が期待されていた。しかし,11月5~7日にブック・ビルディング方式で投資家の需要を募ったが期待していたほどの入札がなかったことで,結局7.5%株式の売却も延期された。採算部門ですらこのように遅れているため,民営化の進展にあまり大きな期待はできそうにない。

対外関係

対インド関係

シャリーフ首相はもともと親インド派で知られており,パ印関係の改善が期待されていた。しかしパ印関係は2014年を通じて多少悪化した感がある。

5月26日,インドのナレンドラ・モディ新首相はシャリーフ首相を就任式に招待した。インドの総選挙がヒンドゥー民族主義政党のインド人民党(BJP)の勝利であったため,この招待はパ印関係にとって好ましいものと捉えられた。両者の会談で,モディ印首相は越境テロを防ぐようシャリーフ首相に要求した。

しかし,その後のパ印関係は改善がみられないどころか,一気に冷却した。その兆候は8月18日,インドが予定されていた外務次官級会談を中止したことにみられた。理由はバースィト駐印パキスタン高等弁務官がインドのカシミール分離派と会合をもったことを,パキスタンのインドに対する内政干渉とインドが判断したからである。9月26日に開催された第69回国連総会のサイドラインでも,パ印首脳会談は実現しなかった。

10月5~6日,カシミールの管理ライン(事実上のパ印国境)で両軍の小競り合いがあり,少なくとも9人が死亡した。ジャイトリー・インド国防相はパキスタンが2003年停戦合意を反故にしたと非難,アースィフ・パキスタン国防相は同様の理由でインドを非難した。似たような小衝突は12月31日に再燃した。

パ印関係はもともと軍の専権事項とされているため,いかなる首相であってもあまり差異はないのかもしれないが,シャリーフ首相は就任後,軍の専権事項に挑戦するかのようであったために,むしろ裏目に出たのかもしれない。

対アメリカ関係

対インド関係のみならず,対アメリカ関係も軍が主導権を握っていることが印象づけられた1年であった。

1月27日,サルタージ・アズィーズ国家安全保障・外交に関する首相特別顧問(事実上の外相)と,ケリー米国務長官がワシントンで会談をもった。2011年末の米軍によるサラーラ誤爆事件以降中断されていたパ米戦略対話の再開である。主な会談の内容は,2014年末アフガニスタンからのNATO軍撤退後の両国の協力についてであった。アフガニスタンにおける米軍展開への協力に付随したCSFは2014年だけで総額11億ドルに上り,国際収支を海外からの資金援助に頼るパキスタンにとって今後のアメリカとの関係は非常に重要な意味をもつ。

2014年末をもって米軍がアフガニスタンから撤退するため,今後のCSFが望めないことから,それに代わる軍事および資金援助が模索された。11月16日,ラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長がデンプシー米統合参謀本部議長の招待を受けてアメリカを訪問した。シャリーフ陸軍参謀長が1年前に就任して以来初の訪米であり,ヘーゲル米国防長官,ケリー米国務長官などとも会談をもった。6月15日以降北ワズィーリスタンで展開されているパキスタン軍による「アズブの一撃」作戦は,パキスタンのテロリスト掃討へのコミットメントを示すものとしてアメリカは大きく評価している。とりわけアフガニスタンにおいて,アフガニスタン政府や軍,NATO軍などへの攻撃を繰り返してきたハッカーニー・ネットワーク(HN)は,北ワズィーリスタンを拠点にしているといわれることから,北ワズィーリスタン掃討はアメリカの従来からの要求でもあった。シャリーフ陸軍参謀長は,国内武装グループに対してインドに対するのと同様の危惧を抱いており,従来の陸軍参謀長たちと比較してテロリスト掃討に本気であるといわれている。折しも17日,アズィーズ首相特別顧問が「アメリカの敵は必ずしもパキスタンの敵ではない」(ウルドゥー語版BBC放送)と,パキスタンにとって都合のよい武装グループは擁護し脅威となる武装グループは排除していると従来非難されてきた二面性をまるで弁護するかのような発言をして物議を醸したが,シャリーフ陸軍参謀長の訪米とアメリカの歓迎ぶりには何ら影響を与えなかった。

12月14日アメリカ議会は,CSFを1年延長する法案を承認し,最大10億ドルが2015年度予算として計上された。うち300万ドルはパキスタン軍による「アズブの一撃」作戦およびHN掃討の進展によると条件を付けた。

対アフガニスタン関係

2014年末のアフガニスタンからのNATO軍撤退に向け,地域和平におけるパキスタンの重要性がクローズアップされた1年であった。アフガニスタンの大統領選で新たにガニー大統領が就任したことで,カルザイ前政権下で冷え切った対アフガニスタン関係の改善が期待された。

ガニー大統領は世銀出身ということもあってか,カルザイ前大統領と比較して実利主義的であると評されている。両国関係の改善に経済協力が有効と考えるガニー大統領を象徴する一例として10月11日,両国財務相は中央アジア=南アジア送電貿易プロジェクトの送電料金に関して合意した。署名式はワシントンの世銀本部で行われた。

11月14~15日,ガニー大統領が就任後初めて来訪した。同日,シャリーフ首相と会談をもち,両国のテロ対策および地域和平構築に関し協力していくことに合意した。ガニー大統領は,カルザイ前政権下で悪化した両国関係を改善することを強調した。

12月16日,ペシャーワルで軍経営の学校をねらった襲撃により少なくとも生徒134人を含む148人が犠牲となった事件を受けて,17日シャリーフ陸軍参謀長はアフガニスタンを訪問した。ガニー大統領と会談し,アフガニスタンからパキスタンへの越境テロを阻止することを要求した。パキスタン軍が遂行している「アズブの一撃」作戦により,TTPの司令官たちは穴だらけの国境と揶揄されるデュアランド・ラインを越えてアフガニスタン側に逃げているといわれている。ファズルッラーTTP最高指導者の拠点はアフガニスタン東部のクナール州にあるとされる。シャリーフ陸軍参謀長は,学校襲撃事件を指示したファズルッラーTTP最高指導者の捜索・引渡しにつきアフガニスタン政府の協力を求めた。23日アフガニスタン軍はクナール州を攻撃した。同日,カリーミー・アフガニスタン陸軍参謀長,キャンベル国際治安支援部隊(ISAF)司令官が来訪し,シャリーフ陸軍参謀長と会談し,機密情報に関し協力することに合意した。

2014年の両国関係は実際に改善したが,それがガニー大統領の就任によるものかというとこれも疑問であろう。両国関係の改善も,パキスタン軍の「アズブの一撃」作戦により北ワズィーリスタンにおけるHNの拠点が打撃を受け,アフガニスタン国内におけるHNの勢力が減少したことが大きいと考えるのが妥当だろう。

対中国関係

「ヒマラヤよりも高い」と両者が認めるパ中関係は2014年も良好であった。2014年は従来からの軍事協力関係に加え,経済面での協力関係を強調する向きが目立った。実質的な政治権力はもたないが,国家元首であるフサイン大統領の中国訪問が目立った(計3回の外遊のうち2回)ことも,対中国関係を尊重するパキスタンの姿勢であろう。

2月18~22日,フサイン大統領は中国を訪問した。もともとシャリーフ首相が訪中する予定であったが,TTPとの対話が失敗に終わったことから国内にいる必要が生じ,大統領が名代として訪問することとなった。訪問にはシャリーフ首相の実弟であるシャハバーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相も同行した。19日,大統領は習近平中国国家主席と会談した。

5月20~22日,フサイン大統領はアジア信頼醸成措置会議出席のため中国を訪問した。同会議のサイドラインで22日,大統領は習国家主席と会談し,ラホールの地下鉄建設に関して合意した。総工費12億7000万ドルを中国が資金援助するというものである。

パキスタン外務省は9月6日,9月中旬に予定されていた習国家主席のパキスタン訪問の延期を明らかにした。首都イスラマバードでのPTIおよびPATによる反政府デモが続き,1日には激化したことを理由としている。習国家主席の訪問により,230億ドルの投資プロジェクトが合意される予定であったが,これが延期されたかたちとなった。

11月7~9日,シャリーフ首相は中国を訪問した。8日,習国家主席と会談をもった。李克強首相との会談では,パキスタンのエネルギー部門,インフラ部門など総額450億ドルに上る投資について合意した。パキスタンの報道では,国内で差し迫った問題であるエネルギー部門への投資が強調されたが,インドをはじめとする国外の報道では「中パ経済回廊」に関する合意が強調された。エネルギー部門の投資総額が338億ドルであることから,エネルギー部門における投資の合意が主要との見方が正しいだろう。「中パ経済回廊」は総工費3億ドルと全体でみると小さい投資規模であるが,KP州とアーザード・カシミールを走る高速道路であるためにインドが懸念を表明しており,国際的に強調された感がある。

2015年の課題

2015年3月には上院選挙を控えている。議席の半数の改選である。今のところ上院はPPPが最大議席数を占め,いわゆるねじれ現象が生じている。上院選挙の選挙人団はほとんどが州議会議員で構成されるため,上院選挙でPML-Nが勝利し,最大議席を確保して下院と合わせ安定政権を補強するものと予想される。また国内の治安面では,軍による「アズブの一撃」作戦がどのように展開し,国内の治安にどのような影響を与えるか,注目である。

PIAの民営化の期限は,IMFによって2015年10月に延期された。PIAをはじめ,2014年に遅れた民営化がどこまで進むか,シャリーフ首相の手腕が試されている。また,電力事情の改善は引き続きシャリーフ政権の最大の課題であり続けるだろう。

2014年末のNATO軍のアフガニスタンからの撤退により,アフガニスタンに影響力を及ぼしたいパ印両国の意向から,両国の緊張関係は増すとみられている。2014年に悪化したパ印関係の改善に,シャリーフ政権が独自色を出すことはあまり期待できないだろう。むしろ,存在感を増した軍が「アズブの一撃」作戦にどれほど力を入れるかにより,2015年の対インド関係も必然的に決まってくるだろうと思われる。

(地域研究センター)

重要日誌 パキスタン 2014年
  1月
2日 ムシャッラフ元大統領,心臓発作を理由に国家反逆罪容疑に関する公聴会出席を直前に回避。
6日 ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州ハングーの学校で,自爆テロ阻止した15歳の少年が死亡。
11日 サルマーン・アスラム・バット,法務長官に就任。
19日 連邦政府直轄部族地域(FATA)北ワズィーリスタン・バンヌーで車爆弾爆発。少なくとも兵士50人死亡。パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が犯行声明。
20日 ラーワルピンディで軍の検問所をねらったテロ。少なくとも13人死亡。
21日 クエッタでシーア派の乗客を乗せたバスに爆弾テロ。少なくとも28人死亡。
21日 金輸入の一時停止(期間30日間。後に3月31日まで延長)を発表。
25日 アメリカ,同盟支援資金(CSF)として3.52億㌦の拠出を承認。2月11日に供与。
27日 アズィーズ首相特別顧問(事実上の外相),訪米。ケリー米国務長官と会談。2011年末の米軍によるサラーラ誤爆以来中断されていたパ米戦略対話を再開。
27日 マラーラ・ユースフザイの自伝出版式典,ペシャーワル大学で開催予定も,地方当局の圧力で中止。
29日 首相,TTPと和平対話するための委員会を設置。モウラーナー・サミーウル・ハク・イスラーム聖職者党サミー派(JUI-S)党首が委員長に就任。
31日 アンワル中央銀行(SBP)総裁,辞任。ダール財務相と意見相違との報道。
  2月
6日 対TTP和平対話委員会,TTPと初の和平交渉(イスラマバード)。
9日 IMF,拡大信用供与措置(EFF)の第3次トランシュを承認。3月24日に5.56億㌦が拠出される。
11日 JICA,パキスタン女子教育を支援するため,無償で8億円提供に合意。
12日 首相,トルコ訪問(~14日)。エルドアン・トルコ首相,カルザイ・アフガニスタン大統領と会談。
16日 TTP分派(8月にジャマーアトゥル・アハラール[TTP-JA]としてTTPから離脱),国境警備隊兵23人を処刑。これを受け,軍は4回にわたってTTP拠点などを襲撃。武装勢力100人以上を殺害。
17日 駐印パキスタン高等弁務官にアブドゥル・バースィトを任命。
18日 ムシャッラフ元大統領,イスラマバードの特別法廷に初出廷。
18日 フサイン大統領,首相の代理で訪中(~22日)。19日,習近平中国国家主席と会談。
  3月
1日 TTP,1カ月の停戦実施を宣言。
3日 イスラマバードで裁判所が襲撃される。判事ら少なくとも11人死亡。
15日 財務相,2月から3月にかけてパキスタン開発資金(PDF)に15億㌦の無償資金提供があったことを発表。公言していないが,提供元はサウジアラビア。
22日 バローチスタン州でバス炎上事故。少なくとも35人死亡。
23日 米『ニューヨーク・タイムズ』紙,パキスタン三軍統合情報局(ISI)が2011年に殺害されたビン・ラーディン容疑者の所在を把握していたと報道。
24日 首相,オランダ訪問。核サミット(~25日)出席。
26日 対TTP和平対話委員会,TTPと2度目の交渉。
27日 大統領,アフガニスタン訪問。
31日 ムシャッラフ元大統領,2007年11月に非常事態宣言を出し憲法停止したことに関し,国家反逆罪で起訴される。
  4月
3日 政府はTTP分派の囚人19人を釈放。4日,TTPは10日までの停戦を発表。
9日 首相,訪中(~11日)。ボアオ・アジア・フォーラム出席。
9日 Geo TV司会者,ハーミド・ミール氏暗殺未遂事件。
9日 ユーロ債発行により20億㌦資金を調達。7年ぶりのソブリン債発行。
9日 イスラマバードでテロ。少なくとも24人死亡。統一バローチ軍が犯行声明。
14日 3G,4G周波数帯オークションの入札開始。23日に完了し落札総額は11億㌦。
14日 サルダール・メヘターブ・アッバースィー,新KP州知事に就任。
22日 国防省,パキスタン電気メディア統制庁(PEMRA)に対しGeo TVの放送ライセンス取り消しを要請。
24日 ADB,電力部門改革に4億㌦融資を承認。
29日 首相,訪英(~5月3日)。
29日 アシュラフ・マフムード・ワートゥラー,SBP総裁に就任。
  5月
1日 世銀,電力部門改革などに10億㌦融資を承認。
8日 核弾道ミサイル「ハトフIII」発射実験。
11日 首相,イラン訪問(~13日)。
20日 大統領,訪中(~22日)。アジア信頼醸成措置会議出席のため。22日,習近平中国国家主席と会談し,ラホールの地下鉄建設に関して合意。総工費は12.7億㌦。
21日 軍が北ワズィーリスタンを空爆。武装組織少なくとも60人殺害。
26日 首相,モディ印新首相の就任式に出席のため訪印。27日,パ印首脳会談。
27日 ハーリド・メヘスード率いる南ワズィーリスタン・ターリバーン運動,TTPからの離脱を表明。
  6月
2日 財務相,経済白書発表。
3日 財務相,2014/15年度予算案発表。
3日 アルターフ・フサイン統一民族運動(MQM)指導者,資金洗浄の容疑で逮捕(ロンドン)。
5日 JICA,電力分野の円借款50億円を締結。
6日 PEMRA,Geo TVに対し15日間の放送停止を命令。
8日 カラチのジンナー国際空港をTTPとウズベキスタン・イスラーム運動(IMU)が攻撃。警備員や空港職員少なくとも19人が犠牲。軍は武装勢力10人全員殺害。10日,TTP拠点を空爆し少なくとも15人殺害。
8日 クエッタでシーア派をねらった自爆テロにより少なくとも24人死亡。
10日 世銀,水力発電プロジェクトに10.5億㌦の融資を承認。
12日 United Bank Limited社(2002年の51%株式売却により民営化)の株式19.8%を3.87億㌦で売却。2008年民政化以降最初の民営化。
12日 米軍,北ワズィーリスタンで,今年初の無人機攻撃。少なくとも16人死亡。
15日 軍,北ワズィーリスタンにおいて,「アズブの一撃」作戦を開始。最初の空爆で武装組織140人を殺害。30日,地上作戦を開始。
17日 首相,タジキスタン訪問(~19日)。
27日 IMF,EFFの第4次トランシュ5.56億㌦の供与を承認。
27日 Pakistan Petroleum Limited社の株式5%を1.55億㌦で売却。
  7月
5日 ジーラーニー最高裁長官,定年退官。6日,後任にナースィルル・ムルク就任。
20日 首相,サウジアラビアを私的訪問(~29日)。
  8月
14日 独立記念日にパキスタン正義行動党(PTI)とパキスタン大衆運動(PAT)がそれぞれ大規模デモ行進。ラホールで開始し,15日イスラマバードへ。首相退陣を求める。
15日 TTP,クエッタの空軍飛行場を攻撃するも失敗。実行犯12人が殺害される。
18日 インド,バースィト駐印パキスタン高等弁務官がインドのカシミール分離派と会合をもったことを理由にパキスタンとの外務次官級会談を中止すると発表。
21日 PTIを除く議会,満場一致で首相の辞職と議会解散を否決。22日,PTI所属国会議員34人全員が,議員辞表を提出。
26日 ウマル・ハーリド・ホラーサーニー率いるTTP-JA,TTPからの離脱を表明。9月4日,TTP-JAがTTP司令官の80%の支持を得たと発表も,実態は不明。
28日 アメリカ,CSF 3.714億㌦を拠出。
  9月
1日 8月14日から始まった反政府デモが激化。PTIとPATはパキスタン国営放送(PTV)に突入,バリケードを突破し一時は首相官邸まで迫るも,軍の出動により比較的穏便に沈静化。3人が犠牲に。
6日 カシミール地方の洪水により,パキスタン側のみで10日までに257人が死亡。
6日 TTP,カラチで海軍施設攻撃するも失敗に終わる。武装組織10人が殺害される。
6日 習近平中国国家主席,9月中旬予定であった来訪の延期を発表。反政府デモが鎮静化していないことが理由。
11日 上海協力機構(SCO)首脳会議開催(~12日,ドゥシャンベ)。パ印の新加盟を2015年に認めることで合意。
12日 マラーラ襲撃犯10人を逮捕。
22日 リズワーン・アフタル,新ISI長官に任命され,11月8日就任。
23日 首相,訪米。第69回国連総会(26日)出席。モディ印首相との会談は実現せず。
26日 「ハトフIX」発射実験。
30日 アメリカ,CSF3.64億㌦を拠出。
  10月
4日 ファズルッラーTTP最高指導者,IS(「イスラーム国」)を「支援する用意がある」と発言。
4日 2014年のポリオ患者が202人を突破し,過去15年の記録更新。
6日 パ印国境カシミールで小競り合い。少なくとも9人死亡。
7日 ムハンマド・ザカーウッラー,新海軍参謀長に就任。
9日 首相,ラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長と北ワズィーリスタン・ミーラーンシャー訪問。首相の同地訪問は1996年以来初。
10日 マラーラ,史上最年少のノーベル平和賞受賞が決定。
11日 パ・アフガニスタン,中央アジア=南アジア送電貿易プロジェクトの送電料金に関して合意。
15日 シャヒードゥッラー・シャヒードTTP司令官らTTPを離脱し,ISへの忠誠を公式に表明。
19日 政府,電気料金引き上げを決定するも,21日には撤回。
21日 PATが抗議運動の中止を決定。PTIの抗議運動は継続。
23日 上海の衣料品製造業,嘉麟傑社がパキスタン最大手のマスード・テキスタイル・ミル社に出資を決定。マスード社の24%株式を2793万㌦で取得し,第2位株主に。
23日 モウラーナー・ファズルッ・ラハマーンイスラーム聖職者党ファズル派(JUI-F)党首をねらった自爆テロ。少なくとも3人死亡。
  11月
2日 パ印国境のワガーで自爆テロ。少なくとも60人死亡。TTP分派ジュンドゥッラーとTTP-JAが軍の「アズブの一撃」作戦への報復であるとする犯行声明。
5日 Oil and Gas Development Company Limited社の7.5%株式につき入札開始(~7日)。結局売却は延期に。
6日 シャリーフ陸軍参謀長,アフガニスタン訪問。
7日 首相,訪中(~9日)。8日,習近平中国国家主席と会談。エネルギー部門向けを中心に総額45億㌦に上る投資を合意。
10日 首相,ドイツ訪問(~11日)。
11日 シンド州ハイルプールでバスとトラックが衝突。子供を含む少なくとも56人が犠牲に。
12日 首相,訪英(~13日)。
13日 「ハトフVI」発射実験。
14日 ガニー・アフガニスタン大統領,初の来訪(~15日)。シャリーフ首相と会談。
15日 SBP,政策金利を0.5ポイント引き下げて9.5%に。
16日 シャリーフ陸軍参謀長,初の訪米。デンプシー米統合参謀本部議長,ケリー米国務長官らと会談。
16日 「ハトフIV」発射実験。
21日 特別法廷,ムシャッラフ裁判で3人の被告追加が必要と判断。12月23日,イスラマバード高裁が特別法廷の判断に異議を唱え停止させる。
26日 南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議(~27日,カトマンドゥ)。パ印首脳会談は実現せず。
27日 イスラーム債10億㌦発行。
  12月
2日 首相,訪英(~5日)。アフガニスタンに関するロンドン会議出席のため。
6日 軍,南ワズィーリスタンでアル・カーイダ司令官,アドナン・シュクリジュマ容疑者を殺害。
6日 米無人機,北ワズィーリスタン攻撃。アル・カーイダ指導者ウマル・ファルーク殺害。
8日 シェール・ジャハーン・ミール,ギルギット=バルティスタン州暫定首相に任命され,11日就任。
14日 米議会,CSFを1年延長する法案を承認。2015年で最大10億㌦の規模に。
16日 TTPがペシャーワルで軍経営の学校を襲撃。少なくとも生徒134人を含む148人が犠牲に。軍はこれを受けて18日までに武装組織77人を殺害。
16日 世銀,シンド州水部門改善に1.4億㌦融資を承認。
17日 シャリーフ陸軍参謀長,学校襲撃事件を受けてアフガニスタン訪問。
17日 IMF,EFFの第5・第6次トランシュ10.5億㌦の供与を承認。
18日 学校襲撃事件を受け,2008年以来凍結されていた死刑執行をテロリストに関して解禁。
18日 市民団体,「赤いモスク」において聖職者のモウラーナー・アブドゥル・アズィーズが学校襲撃を正当化したことに抗議。26日,市民団体に対する脅迫容疑でアズィーズ師に逮捕状。
23日 シャリーフ陸軍参謀長,カリーミー・アフガニスタン陸軍参謀長,キャンベル国際治安支援部隊(ISAF)司令官と会談(ラーワルピンディ)。機密情報の協力を合意。
24日 首相,対テロ軍事法廷の設置を盛り込んだ「対テロ行動計画」を発表。
31日 パ印国境カシミールで小競り合いが再燃。

参考資料 パキスタン 2014年
①  国家機構図(2014年12月末現在)
②  政府等主要人物(2014年12月末現在)
②  政府等主要人物(2014年12月末現在)(続き)

主要統計 パキスタン 2014年
1  基礎統計1)
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(要素費用表示  2005/06年度価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  国家財政
 
© 2015 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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