アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のカンボジア 与野党間の対話と対立
初鹿野 直美
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2016 年 2016 巻 p. 249-268

詳細

2015年のカンボジア 与野党間の対話と対立

概況

与党人民党と野党救国党は,2014年7月の政治的合意を尊重し,「対話の文化」を重視した姿勢のもと,新国家選挙管理委員会の設置,国民議会選挙法改正,新投票人登録システムの試験運用など,選挙制度改革を進めた。しかし,2015年後半には,人民党支持者による救国党所属国民議会議員への暴力事件やサム・ランシー救国党党首の逮捕状発行など,与野党が激しく対立する事態が相次いだ。

経済は,雨が少なかったためコメの生産は停滞したが,縫製業,建設・不動産,観光業などが成長を後押しし,7%の実質GDP成長率は確保できる見通しである。また,産業開発政策を策定し,外資を積極的に受け入れつつ中小企業育成も両立していく方向で長期的な産業育成を進めていく道筋を示した。

対外的には,隣国タイやベトナムと国境画定や国境管理の問題を抱えつつも,政府レベルでは友好的な関係を保った。過去数年と同じく中国との経済関係の強化は続いているが,同時に,日本,フランス,ロシアなどとの首脳会談を重ね,バランスのとれた外交を推進した。

国内政治

与野党の対話による選挙制度改革の進展

2014年7月の人民党と救国党の合意では選挙制度の改革が約束され,2015年には新しい制度作りが本格化した。国家選挙管理委員会の発足のための国家選挙管理委員会組織法の制定と委員の人選,2018年の国民議会選挙に向けた国民議会議員選挙法および2017年の地方議会選挙に向けた地方議会議員選挙法の改正が行われ,さらに,投票人登録システムの整備が始まった。

国家選挙管理委員会組織法の成立(3月19日)と同委員の国民議会による承認(4月9日)を経て,国家選挙管理委員会が正式に発足した。委員は,人民党推薦者4人,救国党推薦者4人,そして両党のコンセンサスによって推薦される中立委員1人の合計9人で構成される。中立委員は,当初,人権NGO代表のプン・チウケック氏が内定していたが,外国籍を持つことが問題となり,最終的に,選挙監視NGO代表を務めてきたホン・プーティア氏が就任した。

国民議会議員選挙法も,与野党間の話し合いにより調整を行い,総議席数を123議席から125議席に増員する(6条,プレアシハヌーク州選挙区を1議席から3議席に増員),選挙運動期間を30日間から21日間へと短縮する(72条),選挙結果を受け入れない場合は議席を失う(138条)としてボイコットによる政治空白の長期化を防ぐ,とした改正法が,3月19日の国民議会で可決された。なお,選挙運動期間中にNGOなどの諸団体が候補者や政党を侮辱してはならないなどといった条項が含まれることから(84条),言論の自由に大きく影響を及ぼすとして,NGOは改正法に反発したが,その意見は反映されなかった。さらに,地方議会議員選挙法も,同様に6~10月に与野党間で議論が重ねられ,10月30日に国民議会にて法案が可決された。改正法では,選挙運動期間を14日間とすること(70条)などが定められた。

2013年の国民議会選挙では,「投票人名簿の不備による与党支持者の二重投票などの不正があった」と主張する救国党は,選挙結果受入を拒否した。ゆえに,投票人名簿への登録の仕組みを抜本的に改革することは,次の選挙までに実現すべき最重要課題となっている。内務省は,日本とEUの支援により,登録者がIDカードを持参して,写真と指紋をデータベースに登録するシステムの導入を目指し,11月に試験プロジェクトを実施した。試験は2週間行われたが,電力不足,インターネットの遅さ,係員の技術不足,IDカードの発行の遅れなどにより,目標の約半分の1万7556人分しか終わらせることができなかった。現在のIDカードの発行は2012年から行われているが,460万枚がまだ本人の元に届いておらず,今後の登録作業の障害となることが予想される。

与野党の対立

与野党間の「対話の文化」を重視しようという試みの一方で,人民党は7月に国民議会で「結社およびNGOに関する法(NGO法)」案を強行採決したり,2014年7月に救国党が開催した集会で生じた衝突を扇動した罪に問われている救国党党員ら11人に7~20年の禁錮刑判決が出るなど,対話路線に水を差すような出来事もあった。一方の救国党も,政府が進めるベトナムとの国境画定作業がカンボジアにとって不利なものになっているのではないかというキャンペーンを展開し,与野党は次第に対立を深めていった。

NGO法は,カンボジアで活動する国内・国際NGOなどを対象とした法律である。NGOに政治的中立を求める条項(24条)が,結社の自由や表現の自由を害する可能性があるとして,多くのNGOが警戒感を示し,救国党も反対してきた。しかし,7月13日,人民党は救国党の合意を得ずに国民議会でNGO法案を強行採決した。24日に同法が上院を通過した後,国王に署名しないようにという嘆願も行われたが,8月12日に憲法評議会で合憲性が確認されると,同月23日の国王署名を経て,9月2日にNGO法は施行された。

ベトナム国境画定問題は,歴史的にベトナム政府と近い関係にある人民党政権の方針に疑念を持つ救国党にとって,もっとも重要な関心事のひとつである。6月および7月,救国党国民議会議員と同党支持者が,スヴァーイリアン州とベトナム・ロンアン省の国境(国境標202~203付近)付近のベトナムが道路を建設している地域に立ち入ったことで,ベトナム側治安関係者ともみ合いになった(二国間関係については後述)。救国党は,「政府が国境画定に使用しているのは,カンボジア王国憲法2条で定めたフランスが作成した地図(1933~1953年に作成され1963~1969年に国際的に認知された10万分の1地図)ではなく,ベトナムが自らに都合のよいように作成した地図である」と主張した。これに対して,フン・セン首相は,国連およびフランス政府が所蔵する地図を取り寄せた。国連は,当初カンボジア政府が要請した「シハヌーク前国王が1964年に国連に託した1933年製のボンヌ図法の地図」がなかったとして,代わりに1964年から国連に所蔵されるユニバーサル横メルカトル(UTM)図法による地図を届けた。政府は,政府の使用する地図と国連の地図を重ね合わせ,違いがないと主張した。さらに,フランスから届いた1955年製の地図(複写)は,全26枚中25枚がボンヌ図法,1枚のみUTM図法のものを含んでいたが,基本的には政府の地図と国境線が同一であることが説明された。野党は,地図が憲法の規定するものと同一ではなかったために,必ずしも納得しなかったが,地図問題はいったん収束に向かった。

一連のベトナム国境画定問題キャンペーンを主導していたサム・ランシー党(国民議会では救国党であるが,上院では合併前の名称を使用)のホン・ソクフオ上院議員は,ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)上に1979年のベトナムとの平和・友好・協力条約の一部条文が改変された文書を投稿し,国境画定についての密約があるとした。これが公文書偽造・偽造文書行使罪および扇動罪にあたるとして,8月15日,同議員は逮捕され,事後的に不逮捕特権がはく奪された。

さらに,救国党のクム・ソカー副党首によるフン・セン首相への挑発的発言に抗議する人民党支持者が,同副党首の国民議会第一副議長解任を求めるデモを国民議会前で行っていた10月26日,救国党議員ニャイ・チョムラウン,コン・ソピアらが暴力を受け負傷するという事件が発生した。クム・ソカーは10月30日に第一副議長を解任され,救国党は,議会をボイコットした。

11月13日には,突然,サム・ランシー党首に対して過去の有罪判決執行のための逮捕状が出された。同党首は2008年4月に,ハオ・ナムホン外相が民主カンプチア政権時代のボン・トラバエク収容所で起きた虐殺に対して責任があると主張したことで,名誉毀損罪と扇動罪に問われ,2011年4月に禁錮2年の有罪判決を受けていた。同党首は外遊先からの帰国を取りやめ,海外亡命状態に陥った。その後も,ヘン・ソクフオ上院議員の事件への関与や,ヘン・サムリン国民議会議長への名誉毀損罪の疑いなどで,裁判所からの召喚命令が続いた。また,国民議会常設委員会は,11月16日に,同党首の国民議会議員資格をはく奪した。

与野党の対立は激しさを増したが,対話の扉は閉ざされたわけではなく,救国党のクム・ソカー副党首と人民党のソー・ケーン副党首は,12月に国民議会内で会談した。両者は,労働組合法制定に向けた今後の国民議会運営の方針などに合意し,10月末からの救国党の国民議会ボイコットも約2カ月で解消された。

次期選挙に向けた政党の動き

人民党では,2013年の国民議会議員選挙での後退を機に,改革路線を強調してきた。1月30日~2月1日に開催された党大会では,中央委員に新たに306人を追加し合計545人とした。今後さらに増加する若年人口からの支持を得るべく,若い世代の委員を加え,党の活性化を図った。6月には,フン・セン首相と長年のライバル関係にあったチア・シム上院議長・人民党党首が病気により死去した。これに伴い,副党首であったフン・セン首相が党首に,副党首には,チア・シムの義弟のソー・ケーン内相およびチア・シムの後任として上院議長に就任したサイ・チュム党幹事長(前上院副議長)が選出された。

救国党は,人民党との対話で自分たちの意見を法案に反映させつつ,ベトナム国境問題キャンペーンで挑発的な姿勢をみせた。サム・ランシー党首は海外滞在のあいだも,SNSなどを通じて支持者にメッセージを送り続け,国内ではクム・ソカー副党首を中心に党運営を行った。より効果的な発信のために,2014年の与野党合意で認められた救国党のテレビ局「太陽テレビ」の設置準備を進めた。

2013年選挙では非人民党支持者の多くが救国党に投票したが,救国党では自分たちの意見が届きにくいと感じる人,救国党が人民党と何らかの政治的取引をしているのではないかとの疑念を抱く人たちが出てきた。そのような声を吸い上げるべく,政治評論家のカエム・ライは2014年に「クメールのためのクメール」というネットワーク組織を発足させた。この組織を元に,8月,法律扶助NGOの元代表イエン・ヴィレアクを党首として草の根民主主義党が発足した。このほかに,2015年中に,蜂の巣社会民主党(モム・ソナンド党首),クメールの力党(スオン・セレイ・ラタ党首),クメール連帯党(ラック・ソピアプ党首),カンボジア自由党(チア・チャムロン党首),カンボジア先住民民主党(ブラン・シン党首)といった小規模政党が次々に結成された。また,ノロドム・ラナリットは,2006年に党首を解任されて以来別の道を歩んでいたフンシンペック党への復帰を果たし,1月19日の党大会で同党の党首に再選出され,王党派が再統合した。

野党勢力がひとつにまとまらずに分裂することは,人民党への対抗勢力の力を分散させることにつながり,2017年地方議会選挙や2018年国民議会選挙の結果に大きな影響をもたらす。2015年は,人民党以外の諸勢力は分散傾向にあり,結集するような動きはなかった。

汚職撲滅への取り組み

政府高官や富豪・実業家が容疑者の場合,国外に逃亡するなどして不処罰に終わるケースが多いが,2015年には,2012年にスヴァーイリアン州バベット市のマンハッタン経済特区内で抗議活動中の労働者に発砲した元バベット市長のチョーク・バンディッド,2014年に実業家の暗殺を教唆しベトナムに逃亡した国防省職員トーン・サラット少将,違法に武器を所持していたトーン・サラットの両親のケオ・サリーとトーン・チャムロンなどが逮捕され,裁判を受けることになった。

トーン・サラット事件に関しては,捜査過程で違法に武器を所持していたことが明らかになった彼の両親が2014年末に逮捕されていたが,2月に保釈された。しかし,彼らはベトナムへの逃走を謀ったために,再逮捕された。2月の保釈決定時に,当時のプノンペン都裁判所長アン・ミアルタイが多額の賄賂を受け取っていたことが明らかになり,裁判所長を更迭され,4月8日に同氏は逮捕された。さらに,反汚職ユニット(ACU)の捜査によると,同氏は,薬物事件の容疑者の高級車を押収し,息子に与えていたことがわかり,8月16日に再逮捕された。裁判所の腐敗はかねてより指摘されてきたことではあるが,裁判所長自らが汚職に積極的にかかわっていたことが明らかにされた。

クメール・ルージュ裁判

民主カンプチア(クメール・ルージュ)の最高幹部のヌオン・チアおよびキュー・サンパンを対象とした第2事案では,1975 年4月17日~1979年1月6日にカンボジア全土で起きた事件のうち「住民の強制移住や収容所での虐殺などの人道に対する犯罪」を対象とした第2‐01事案(2014年8月に1審で終身刑判決)に続き,チャム人やベトナム人の虐殺,強制結婚やレイプ,内部でのパージといった事項を扱う第2‐02事案の1審の審理が行われた。なお,2013年に認知症のために第2事案の手続きから外されていたイエン・チリトが,8月にパイリン州の自宅で死亡した。

中堅幹部を対象とした第3事案は,プノンペンのS21政治犯収容所,コンポンチャームやコンポンサオム(現プレアシハヌーク州)の処刑場,各地の強制労働の現場で起きた犯罪,同じく中堅幹部を対象とする第4事案は,コンポンチャームのチャム人やタケオやポーサットのクメール・クロム(ベトナム南部のメコン・デルタ出身者)に対して行われた行為,東部管区での避難民への行為,中部管区および北西部管区でのパージに焦点を当てている。最高幹部以外への捜査実施に,フン・セン首相は「カンボジアが内戦状態に戻ってしまう危険性がある」と主張し,捜査が始まった2009年以来,裁判所と政府は対立を繰り返してきた。捜査を担う共同捜査判事は,国連側が派遣する判事と,カンボジア側が担う判事の2人によるが,カンボジア側のユー・ブンレン共同捜査判事は第3,4事案の捜査に否定的な立場を取る。ゆえに,第3事案は2011年4月に一度捜査終了が宣言されたが,後に国連側のマーク・ハーモン共同捜査判事単独の署名により捜査が再開された。ハーモン共同捜査判事により,3月3日にミアス・ムット元海軍司令官(第3事案),イム・チャエム元プレアネットプレア郡書記(第4事案)を不在のまま起訴,3月27日には,アオ・アン元中部管区副書記(通称ター・アン,第4事案)が召喚され起訴された。8月25日にハーモン共同捜査判事が離任し,ミハエル・ボーランダー共同捜査判事就任後は,12月9日にジム・ティット元北西部管区書記代理(通称ター・ティット,第4事案)が召喚・起訴され,さらに,12月14日,召喚に応じたミアス・ムットが改めて起訴された(3月の起訴は破棄)。いずれもカンボジア側の共同捜査判事だけでなく,逮捕に必要なカンボジア警察の協力も得られず,困難な運営を迫られている。

経済

概況

カンボジア経済は,過去5年にわたり平均7%以上の実質GDP成長率を達成してきた。2015年も縫製業は緩やかな成長を続け,不動産・建設セクターの活況,石油価格の下落などが景気を支え,7%の成長が見込まれている。一方,主要産業のひとつである農業セクターでは,エルニーニョ現象の影響を受け雨が少なかったため,コメ生産は停滞した(後述)。観光業は,外国人観光客が480万人(前年比6.1%増),観光収入は35億ドルに達した。

2015年の輸出は前年度に比べて17%増加し,80億3800万ドルに上った(商業省)。コメ(前年比17%増)と靴(前年比43%増)の輸出の増加,EU向けを中心とした衣料品(前年比7%増)の輸出がこの成長を牽引した。衣料品については,EU市場への輸出が「武器以外すべて」(EBA)の特恵関税の適用条件が緩和されてから急増しており,2015年には衣料品輸出総額57億ドルの43.9%を占めた。ただし,このEBAは後発途上国対象の特恵関税であり,恒久的なものではない。今後,隣国ベトナムとEUの自由貿易協定(FTA)発効やカンボジアの賃金水準上昇など,環境の変化が予想されていることから,縫製業自身もさらなる生産性の向上や新規市場開拓などの変化の必要性に迫られている。

投資は,インフラ,農業,観光業への投資を中心として,前年比18%の伸びがみられた。カンボジア投資委員会によると,46億ドルの投資総額のうち,32億ドルがカンボジア企業によるもので,海外からは中国(8億6000万ドル),イギリス(1億3900万ドル)が上位を占めた。

最低賃金動向

10月8日,労働諮問委員会(政府,労働組合,企業代表28人による会議)は,2016年1月1日からの縫製・製靴労働者の月額最低賃金を前年の128ドルから5.5%増の135ドルとする案を可決した。これを受け,フン・セン首相が5ドル上乗せを決定し,最終的には140ドルに引き上げられた。

労働諮問委員会での交渉では,企業は物価上昇率以上の引き上げに難色を示し,133ドルを主張した。政府は,隣国の賃金情勢とも比較して,135ドルであればカンボジアの縫製・製靴業の競争力を損なうことなく,労働者の生活賃金を守ることができると主張した。労働組合は,最後まで2代表が160ドルを主張したが,ほかの代表は135ドルの案に賛成した。

労働運動は,引き続き活発な状態が続いた。12月には,スヴァーイリアン州バベット市の経済特区で,約3万人の労働者が賃金の148ドルへの引き上げを求めて集会を行い,1週間近く特区内の工場が閉鎖された。

産業開発政策

「産業開発政策2015~2025年」は3月に閣僚評議会で承認され,8月に始動した。同政策は,国内産業の基盤が外資主導の縫製業に依存しており,依然として脆弱なままであるという状況から脱却し,ASEAN経済共同体の便益をより多く得ていくための今後の10年の方向性を展望したものである。産業開発政策の最大の目標は,2025年までに労働集約産業中心の経済から技術に裏打ちされた知識集約産業中心の経済へと転換することであり,従来通り外資を活用する姿勢は維持しつつ,地場企業の成長につなげていくことを目指すべく,以下の目標を掲げる。(1)第二次産業のGDPに占める割合を30%にする,(2)輸出産品を多様化する,(3)中小企業を育成する。そして,その実現のために,(1)海外直接投資を誘致しつつ,地場企業への技術移転を促進する,(2)中小企業を育成・近代化する,(3)既存の法規制環境を再考・改善する,(4)関連する政策を調整する(人材育成,インフラ,運輸,情報技術,電力,水,金融など)といったアプローチをとる。

コメの生産と輸出

2015年は,雨季の始まりが遅れ,雨量も例年と比較して少なかった。そのため,13州で干ばつが宣言され,11月に予定されていたプノンペンでの水祭りのボートレースも水不足を理由に取りやめとなった。ただし,コメ生産高は920万トンを見込んでおり,大幅な減産にはなっていない。背景には,近年の灌漑設備の整備や品種の選択など,生産性向上への努力の成果も指摘される。

カンボジア政府は2010年の「コメの生産と輸出の振興政策」で,2015年までに100万トンの精米輸出を目指してきた。輸出量は2011年に20万1000トンだったのが,2015年には,目標には及ばないものの53万8000トン(前年比39.1%増)まで伸びた。主な市場は, 10万トンの輸入を約束している中国(11万6000トン),EBAを利用して無税で輸出ができるEU(33万9000トン,内フランス7万5000トン,ポーランド5万8000トン)である。農林水産省によると,「干ばつの影響はほとんどなく,余剰米は400万トンある」という。コメの生産性向上以外に,資金へのアクセス,電力などのインフラの改善などを通した精米業者のキャパシティの拡大やさらなる市場開拓など,精米輸出を促進していくうえで課題は多い。

対外関係

ベトナムとの関係

ベトナムとの関係においては,基本的な友好関係は継続しつつも, 2014年から続く外国人センサスは2015年も継続され,4000人弱のベトナム人不法移民(主に建設労働者)を国外退去させた。一方で,2014年末以降,「ベトナムで恒常的に政治・宗教的迫害を受けている」と主張するベトナム中部に住む山岳少数民族数百人がラッタナキリー州に越境したが,カンボジア政府は大半を送還し,13人を難民として第三国へと出国させた。

国境画定に関しては,カンボジア国内の世論を反映した動きがあった。ベトナム国境地域では,ベトナムの建造物がカンボジア領内に入り込んでいることが確認され,ハオ・ナムホン外相はベトナム政府に対して抗議を行った。スヴァーイリアン州コンポンロー郡とベトナム・ロンアン省の国境では,ベトナムによる道路建設が確認され,現場付近では,救国党支持者らが抗議の集会を行った (既述)。ラッタナキリー州オーヤダーウ郡の国境では灌漑池が,カンダール州コットム郡の国境ではベトナム軍が設置した建造物が,カンボジア領内に設置されていた。

このような事実に対し,カンボジア国内での反発が高まると,7月7~9日に緊急にベトナム・カンボジア合同国境委員会が開催され,両国民に国境画定に関する情報の周知を図ること,国境付近の治安維持に努めることを合意した。10月28日には,ベトナム・ホーチミンで開催された第8回国境地域開発協力会議にて,国境画定作業を急ぐこと,双方の敵対する勢力の侵入防止などの国境管理に努めること,国境地域協力や貿易振興など16項目に合意した。落ち着きを取り戻した12月26日,問題となったラッタナキリー州オーヤダーウ郡での国境画定作業を終え,国境標の設置式典が行われた。式典には,両国の首相が出席し,友好関係を確認した。

タイとの関係

タイとの関係においては,移民労働者や人身取引など,国境管理および人の移動の管理が重要な課題となった。労働者については,2014年に73万人ものカンボジア人不法就労者たちに対し暫定労働許可・滞在許可が与えられ,彼らの正式な登録のために必要となる国籍証明手続きを待っていた。しかし,約60万人が延長された期限である2015年3月までに手続きを終えることができず,タイ政府は3月10日,暫定労働許可・滞在許可の期限延長を発表した。その後も,タイ国内の非熟練労働者の不足を受けて,多くのカンボジア人労働者はステータスが曖昧なままタイ国内で就労し続けた。

12月18~19日,フン・セン首相は閣僚たちとともにタイを10年ぶりに公式訪問した。滞在中,プラユット・チャンオーチャー・タイ首相と会談し,第2回合同内閣リトリートに出席した。両国は,違法伐採や薬物・人身取引などの取り締まりなどの国境地域での治安協力,両国間を結ぶ鉄道の2016年末の開通や両国国境地域の経済特区開発などを通した貿易・投資の活発化,移民労働者の待遇改善やカンボジアでの職業訓練支援といった労働分野での協力,その他農業・医療・観光分野での協力推進に合意した。

日本との関係

2015年は,日カンボジア友好条約署名60周年の年であった。2015年4月,日本が支援をしてきたネアックルン橋(通称つばさ橋)が開通し,これによってバンコクからプノンペン,ホーチミンをつなぐメコン地域の南部経済回廊が接続された。近代的なデザインの橋は,新500リエル札にも印刷された。

フン・セン首相は3月の国連防災世界会議,7月の日メコン首脳会議の機会に訪日し,11月のクアラルンプールでのASEAN首脳会議の際にも,安倍首相との会談を行い,日本は,選挙制度改革への支援および良質なインフラの整備への支援を約束した。とくに,バンコクとプノンペンをつなぐ国道5号線の改修計画に対して,3月に第1期(スレアマアム=バッタンバンおよびシソポン=ポイペト,円借款192億800万円)の交換公文が署名され,11月には,第2期(プレッククダム=スレアマアム)として,円借款172億9800万円の事前通報がなされた。

中国との関係

中国とは,例年どおり,経済面では重要なパートナーとしての関係が継続された。6月,カンボジアは中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創設メンバーとして加盟することに合意した。AIIBには, 6200万ドルを出資する予定である(国民議会は2016年1月に批准)。中国は,カンボジアにとって最大の精米輸出先であり,2015年は事前に約束された10万トンが輸出され,2016年も10万トンの輸出が約束されている。引き続き,道路や橋などのインフラへの積極的な支援も行われ,4月にメコン川にかかるカンボジア・中国友好ストゥントラエン橋および国道9号線が,8月にはタクマオにカンボジア・中国友好橋が開通した。

良好な経済関係の一方で,2015年には,中国への出稼ぎに期待をもつカンボジア人女性たちをターゲットとする結婚による人身取引被害が多く報告された。外務・国際協力省によると,2015年は85人のカンボジア人女性が中国国内の領事館に保護された。なお,2014年には合計59人の女性が救出されている。

2016年の課題

国内政治は,選挙制度改革や,労働組合法案のような人々の権利に重大な影響を及ぼす法案の議論が進むなか,与野党間の生産的な対話をどのように進めていくのかは重要な課題である。

経済面では,産業開発政策の推進が第1の課題であり,電力価格の引き下げ,ロジスティクスの改善,労働市場の改善,プレアシハヌーク州のモデル経済特区開発といった,2018年までの優先課題に取り組んでいくことになる。

対外的には,タイやベトナムとのあいだの国境地域での課題など,域内の二国間の課題をひとつずつ解消していくことが,ASEAN共同体実現のメリットを生かしていくうえでも重要となってくるであろう。

(バンコク事務所)

重要日誌 カンボジア 2015年
  1月
6日 コン・サムオル環境相,2014年に見直した経済土地コンセッション(ELC)113件中23件(9万ヘクタール)の取り消しを発表。
14日 フン・セン首相,在職30年を記録。
14日 日カンボジア航空協定締結。
15日 ハオ・ナムホン外相,タナサック・タイ外相と会談(於シアムレアプ)。
19日 フンシンペック党大会,ノロドム・ラナリットを党首に選出。
20日 国民議会,人民党のソー・ケーン内相を多数党院内総務,救国党のサム・ランシー党首を少数党院内総務に任命。
  2月
13日 救国党のヴァン・ソム・ウアン国民議会議員が辞職・離党し,人民党入党。
18日 プノンペン裁判所長,アン・ミアルタイからタン・ソンラーイに交代。
20日 デンソー,プノンペン経済特区に投資金額1900万㌦の工場計画を発表。稼働は2016年3月予定。
23日 スペイン国籍の環境NGO活動家で,コッコン州アーレン峡谷のダム開発に批判的な活動を展開していたアレックス・ゴンザレス・デビッドソン氏,国外強制退去。
  3月
3日 クメール・ルージュ裁判,第3事案としてミアス・ムット元民主カンプチア海軍司令官,第4事案としてイム・チャエム元郡書記を不在のまま起訴。
10日 タイ政府,約60万人のカンボジア人労働者の暫定労働許可の期限を延長。
15日 フン・セン首相,国連防災世界会議参加のため訪日。安倍首相と会談。
15日 障害児教育に貢献した教師ニアン・パラ氏,グローバル・ティーチャー賞受賞。
18日 国道58号線起工式。中国の借款122万㌦により建設。
19日 国民議会,改正国民議会議員選挙法および国家選挙管理委員会組織法を可決。
21日 ミシェル・オバマ米大統領夫人,女子教育普及活動の一環としてシアムレアプ訪問(~22日)。
27日 クメール・ルージュ裁判,第4事案としてアオ・アン(通称ター・アン)元民主カンプチア中部管区副書記が召喚に応じ起訴。
30日 ハオ・ナムホン外相,日本による国道5号線修復(第1期,借款192億800万円)およびプノンペン首都圏送配電網拡張整備(借款38億1600万円)支援の交換公文署名。
31日 豊田通商,ポイペト市にテクノパーク開発を発表。
  4月
1日 カンボジア・中国友好ストゥントラエン橋および国道9号線開通式典。
6日 ネアックルン橋(通称つばさ橋)開通。
8日 アン・ミアルタイ前プノンペン裁判所長,汚職で逮捕。
9日 国民議会,選挙管理委員会委員承認。
16日 2014年11月の実業家殺人事件を教唆した疑いで逃亡中の国防省職員トーン・サラット,ベトナムにて逮捕・移送。
25日 ノロドム・ラナリット夫妻,当て逃げの交通事故で夫人が重傷。
29日 モン・ルッティーグループ,プレアシハヌーク州にパームオイル第2工場を設置。投資金額2000万㌦。タイのTCCグループとの合弁。
  5月
10日 タイのミットポン・シュガー社, ウッドーミアンチェイ州でのサトウキビ・プランテーション事業を取りやめ。
11日 人身取引被害に遭い,4月にインドネシア沖で救出された59人の漁船員帰国。
17日 巨額詐欺事件容疑者のロシア人富豪セルゲイ・ポロンスキーを強制送還。
19日 スヴァーイリアン州でバスとバンが衝突し,18人が死亡。
31日 プノンペン日本人学校開校。
  6月
4日 2014年9月にオーストラリアと合意した覚書に基づき,ナウルに収容されていたミャンマー人1人,イラン人3人の難民がプノンペンに到着。
8日 チア・シム上院議長・人民党党首,病気のため死亡。82歳。19日に国葬。
20日 人民党中央委員会,フン・センを党首,ソー・ケーンおよびサイ・チュムを副党首に選出。
23日 ハオ・ナムホン外相,カンダール州内のベトナム国境付近にベトナム軍が設置した建造物について,ベトナム政府に抗議。
28日 スヴァーイリアン州のベトナム国境で救国党支持者がデモ。ベトナム側治安関係者らとの乱闘発生。
  7月
4日 フン・セン首相,日メコン首脳会議のため訪日。安倍首相と会談。5日,北九州市・下関市視察。
7日 ベトナムとの合同国境委員会開催(於プノンペン,~9日)。
11日 フン・セン首相とサム・ランシー救国党党首の双方の家族が集まり食事会開催。両氏が並んで写った写真が公開される。
13日 国民議会,NGO法を可決。救国党は欠席。
19日 スヴァーイリアン州のベトナム国境で救国党支持者が再びデモ。
19日 女性タレントへの暴力事件後シンガポールに渡航していた実業家ソク・ブンが帰国・逮捕。
20日 プノンペン都裁判所, 2014年7月の集会での暴力を扇動した罪で救国党活動家3人に禁錮20年,8人に禁錮7年の判決。
24日 上院,NGO法を可決。
  8月
2日 元NGO代表のイエン・ヴィレアクを党首として, 草の根民主主義党が発足。
3日 カンボジア・中国友好タクマオ橋開通。
8日 2012年にマンハッタン経済特区内で抗議運動をしていた労働者に発砲したチョーク・バンディッド前バベット市長,逮捕。
12日 憲法評議会,NGO法の合憲性を確認。
15日 サム・ランシー党ホン・ソクフオ上院議員がベトナム国境に関する偽造文書をインターネット上に掲載したとして逮捕。
20日 国連,1964年から所蔵する地図をカンボジア政府に貸し出し。
22日 クメール・ルージュ裁判第2事案の被告で認知症のため裁判手続きから外されていたイエン・チリト,死亡。83歳。
23日 シハモニ国王, NGO法に署名。
25日 クメール・ルージュ裁判所,国際共同捜査判事がマーク・ハーモン(アメリカ)からミハエル・ボーランダー(ドイツ)に交代。
26日 ソー・ケーン内相,アヌポン・タイ内相と国境問題について交渉(~28日)。
26日 カンボジア政府,産業開発政策2015~2025を発表。
  9月
2日 シハモニ国王,習近平中国国家主席と会談(於北京)。
3日 フランス大使館,カンボジア政府に1955年製の10万分の1地図(複製)を手交。
12日 12年生修了(高校卒業)試験,4万6560人(55.8%)が合格。108人がA評価。
17日 アメリカ人女優のアンジェリーナ・ジョリー来訪。フン・セン首相と会談。
19日 バッサカ航空,障害のある女性に乗降の補助のための機材費用240㌦を請求。
  10月
8日 労働諮問委員会,縫製・製靴労働者の2016年1月からの月額最低賃金を135㌦に決定。その後,フン・セン首相の命令で140㌦に引き上げ。
15日 フン・セン首相,習近平中国国家主席と会談(於北京)。2016年も10万㌧のカンボジア産精米輸入を約束。
19日 シハモニ国王,ベトナム公式訪問(~22日)。
22日 フン・セン首相次男フン・マニット,国軍インテリジェンス・ユニット長に就任。
25日 フン・セン首相,フランス公式訪問(~27日)。26日にオランド仏大統領と会談。
26日 国民議会前にて,クム・ソカー国民議会第一副議長退任を求めるデモ。救国党国民議会議員2人が暴行を受け負傷。
28日 第8回カンボジア・ベトナム国境地域開発協力会議。
30日 国民議会,クム・ソカー国民議会第一副議長の解任を決定。改正地方議会議員選挙法および国民議会内部規則変更を可決。
31日 プレアシハヌーク州警察,インターネット電話詐欺集団の中国人168人を摘発。
  11月
1日 選挙管理委員会,指紋認証による投票人登録試験を実施(~15日)。
1日 フン・セン首相,水不足のため,水祭りのボートレース取りやめを発表。
12日 救国党のサム・ランシー党首,クム・ソカー副党首訪日。
13日 プノンペン都裁判所,サム・ランシー救国党党首に対してハオ・ナムホン外相への名誉棄損罪(2011年判決)で逮捕状発行。国民議会,16日に同党首の議員資格はく奪。同党首は外遊先からの帰国を中止。
17日 サッカー・ワールドカップ予選,日本代表とカンボジア代表が対決(於プノンペン)。2-0で日本勝利。
21日 フン・セン首相,安倍首相と会談(於クアラルンプール)。
22日 フン・セン首相,メドベージェフ・ロシア首相と会談(於プノンペン)。原子力,マネーロンダリング防止等の協力に合意。
30日 国民議会,2016年予算法,統計法,電気通信法を可決。2016年予算は4億3000万㌦(前年比12%増)。教育分野が28%増。
  12月
3日 バッタンバン州裁判所,HIVを広めた無免許医師に対し,禁錮25年,罰金500万リエルの有罪判決。被害者107人への補償金支払いを命令。
9日 プノンペン港湾公社,株式上場。
9日 クメール・ルージュ裁判所,第4事案としてジム・ティット(通称ター・ティット)元民主カンプチア北西部管区書記代理を起訴。
10日 国民議会内にて,ソー・ケーン人民党副党首とクム・ソカー救国党副党首が会談。労働組合法案をめぐる今後の議会運営等に合意。救国党は16日から国民議会審議に復帰。
10日 マレーシアへのカンボジア人家事労働者派遣に関する覚書署名。
14日 クメール・ルージュ裁判所,ミアス・ムット元民主カンプチア海軍司令官を再度起訴(3月の起訴は取り消し)。
14日 チア・シム前人民党党首・前上院議長の息子チア・ソムティー警察副長官,プレイヴェーン州知事に就任。
16日 バベットの経済特区にて,賃上げを求める抗議集会。約3万人が参加(~23日)。
18日 フン・セン首相,タイ公式訪問(~19日)。プラユット・タイ首相と会談。
22日 プノンペン国際空港内にカンボジア初のスターバックスが出店。
23日 ストゥンタタイ水力発電ダム,開業。
26日 ラッタナキリー州オーヤダウ郡にてベトナムとの国境杭設置式典開催。フン・セン首相, ベトナムのグエン・タン・ズン首相が出席。
30日 グオン・ニュル国民議会議長の息子グオン・ソチアト,コンポントム州知事に就任。

参考資料 カンボジア 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  大臣会議名簿(2013年9月24日承認,2013年12月20日追加承認)
③  立法府
④  司法府
⑤  国家選挙管理委員会

主要統計 カンボジア 2015年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  中央政府財政
7  中央政府財政支出
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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