アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のシンガポール 建国50周年という節目のなかで
久末 亮一
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2016 年 2016 巻 p. 375-398

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2015年のシンガポール 建国50周年という節目のなかで

概況

2015年のシンガポールは,建国50周年という節目の年であった。そのなかでの最大の出来事は,「建国の父」リー・クアンユー元首相の死去である。彼の先見性と指導力を基礎に,半世紀で世界有数の富裕な国家に変貌したシンガポールは,近年には統治・発展モデルの構造転換を余儀なくされている。リー元首相の死去は,過去のモデルからの転換が進むなかで,象徴的な出来事と言える。

政治面では,9月に総選挙が実施された。リー元首相の死去,予算案での低・中間所得層への配慮,低インフレ率の継続,建国50周年の記念行事など有利な条件がそろうなかで,与党「人民行動党」(PAP)は全29選挙区中27選挙区で勝利して合計83議席獲得し,得票率も69.9%まで回復させた。続く10月の内閣改造では,4月の内閣改造とあわせて,次世代指導者と目される40代の若手閣僚たちが地歩を固めている。もっとも,次世代指導者とリーダーシップのあり方については,いまだ完全なコンセンサスがないという課題も浮かび上がりつつある。

経済面では,国内外のリスク増大で不透明感が増すなか,GDP成長率が通年で2%となった。経済に不透明感が増すなか,シンガポール金融管理局(MAS)は,2回にわたって金融緩和を実施している。経済構造改革では,引き続き労働力・労働生産性改善による生産性向上と,「スマート国家構想」に代表される価値創造型の高付加価値産業への移行に注力している。もっとも,労働市場逼迫によるコスト増や生産性の低い伸び率,イノベーションが経済成長に貢献することの不確実性もあり,成否の判明には数年を要するであろう。このほか,人民元オフショア・センターの拡大,マレーシアとの高速鉄道計画の具体化などで進展が見られた。

対外関係では,国内での潜在的テロリストの拘束が相次ぐなか,対テロ協力をアメリカ,マレーシア,インドネシアなどと結んだ。南シナ海問題では,バランス外交の原則に基づいて仲介的役割を果たしつつも,アメリカとの防衛協定を改定して米軍哨戒機の配備を受け入れるなど,地域安定化を重視している。一方で,中国とは経済分野の連携をいっそう強めており,アジアインフラ投資銀行(AIIB)への積極参加,「一帯一路」構想に沿った西部開発共同事業,自由貿易協定(FTA)の改定などが進んだ。このほか,11月にはシンガポールが介助する形で,同地で中国と台湾の首脳会談が実現している。

国内政治

「建国の父」リー・クアンユーの死

2015年のシンガポールを語るには,まず「建国の父」であるリー・クアンユー元首相の死去に言及しなければならない。同氏は3月23日,91歳で世を去った。

リー元首相は1954年のPAP結成,1955年の議会選挙初当選を経て,1959年の議会選挙でPAPが第1党となったことで,シンガポール自治州の首相に就任する。1963年にはマレーシア連邦に加入したが,民族問題をめぐる政治的対立から1965年に連邦を追放される形で,シンガポールは分離・独立を余儀なくされた。

都市国家としての生存を余儀なくされたシンガポールを,リー元首相は不退転の決意と実行力で発展させた。1965年には1人当たりGDPが516米ドルにすぎなかったが,2015年には同5万2888米ドルに成長し,数値上では世界有数の富裕国に変貌した。一方で,彼のビジョンを実現させるため,実質的なPAP一党独裁の下で,長年にわたって強権・統制的かつ効率最優先の社会となってきたことも事実である。

リー元首相は1990年,ゴー・チョクトン前首相に政権を禅譲したが,自らは上級相(Senior Minister)として閣内にとどまり影響力を行使する。2004年に長男のリー・シェンロンが首相となった後も,顧問相(Minister Mentor)として活発に意見を発表し,活動を継続した。しかし,2010年に一心同体と言えたクワ・ギョクチュー夫人が死去。2011年には,総選挙でPAPが建国以来の後退を余儀なくされたため,顧問相とPAP中央執行委員を退任するなど,次第に表舞台から姿を消していった。死後明らかになったことは,この頃からパーキンソン病を患っており,急速に肉体的・精神的な衰えが増していったとされる。2014年頃からは,自著・他著を含めて関連書籍が大量に並びはじめ,変調を予感させていた。

2015年2月5日,首相府はリー元首相が重症の肺炎で入院したと発表し,21日には集中治療室で人工呼吸器を装着した状態と公表した。その後,小康状態を保ったものの,3月18日には危篤状態に陥ったとの発表があり,23日未明に死去した。同日から24日にかけて家族葬が営まれ,25日には遺体が国会に護送されて45万人の弔問を受ける。29日には国葬が営まれ,日本の安倍首相をはじめとして各国の現役首脳・元重鎮が参列した。

1965年にやむなく独立に追い込まれた一都市は,権威主義と開発独裁の体制下,半世紀の時間をかけて世界有数の富裕な国家に変貌した。そのプロセスにおける毀誉褒貶はあったとしても,リー・クアンユーという人物なくして,現在のシンガポールという特異な国家が存在しなかったことは,紛れもない事実である。

2015年度予算案

近年,国家予算配分では社会福祉を拡充しており,とくに高齢者・低所得層への再分配を重視してきた。この傾向は2015年度予算案でも継続し,とくに中間所得層への再分配を拡充している。

2月23日,ターマン・シャンムガラトナム副首相兼財務相は,2015年度予算案の国会演説を行った。歳出面の柱は,(1)65歳以上の低所得高齢者に3カ月ごと平均600 Sドルを給付,(2)一定条件の中間所得層に50%の税金還付,(3)老人・子供のいる中間所得層のメイド雇用税を半額に引き下げ,(4)中間所得層向け保育サービス費用の軽減,(5)空港・港湾拡張,都市鉄道延伸などのインフラ整備,(6)中小・新興企業の生産性改善,海外進出,イノベーションを支援するプログラムの拡大などである。とくに,社会開発支出の保健・福祉項目は前年比29.3%増,経済開発支出の運輸・インフラ項目は同80.6%増と重点が置かれている。

歳出拡大を補うため,歳入面では(1)高額所得者(課税所得 16万 Sドル以上)の所得税を2016年から最大22%まで引き上げ,(2)政府系投資会社テマセック・ホールディングスの収益を毎年最大50%歳入に繰り入れ,(3)ガソリン税の引き上げ,(4)建設業界の単純労働者雇用税引き上げなどを実施する。こうした措置にもかかわらず,2015年度の財政赤字は 67億 Sドルに急拡大すると予測している。

予算内容について,シャンムガラトナム副首相兼財務相は,「公平・進歩的な社会システムを次世代に持続させる目的」があるとする。そのうえで富裕層への増税や低・中間所得層への支援拡大は「社会全体が連帯して責任を負うべきもの」として,「中間所得層の負担を抑制し,低所得層が恩恵を受けるには,他国と比較して税率を抑えながらも,累進性の高い税制を維持する必要がある」と述べている。この2015年度予算案は,国会審議を経て3月13日に国会で可決された。

総選挙の実施

総選挙の実施時期について,2014年12月にリー首相は,2016年末の任期終了を待たずに解散・総選挙がありうるとの認識を示しており,2015年での実施観測が強まっていた。こうしたなかで,年前半はリー元首相の死去,予算案での低・中間所得層への配慮,低インフレ率の継続があり,年後半には建国50周年の愛国心を喚起する行事が予定され,与党に追い風となる条件がそろう。

このため,年前半からは総選挙への動きが活発化した。まずは前回総選挙で躍進した最大野党「労働者党」(WP)に対し,2月9日に会計監査局が問題を指摘した。内容は,WP選出議員の地盤であるアルジュニード,ホーガン,パンゴール各地区のタウンカウンシル(地区委員会)のコンプライアンスに,資金管理や利益相反など5項目で重大な欠陥があるというものである。2月12日には,コー・ブンワン国家開発相が「異常な事態」として強く批判した。WPは疑惑を否定したが,6月には一部問題を認めるなど,不手際が印象付けられる結果になった。

5月19日にはリー首相が,総選挙は「状況を考慮して適切なタイミングを判断する」「閣僚に登用可能な人材を含む,さらなる新人候補を擁立する」と述べ,与党の候補者調整が進んでいることを示唆した。6月には,66歳以上44万人の医療費口座に200~800 Sドルの補助金給付,建国50周年記念として全公務員8万2000人に500 Sドルの特別ボーナス支給を発表する。同月にはシンガポール民主党(SDP)のチー・スンジュアン党首が,総選挙は9月との予測を示した。

7月13日,リー首相は国会で,新しい選挙区の区割りを発表してから,解散・総選挙を実施すると正式表明した。同月24日には選挙区改定委員会が,1人区を13区,グループ選挙区を16選挙区,選挙区国会議員を2議席増の89議席とする旨を発表した。これは最大野党のWPにとって,PAPと競合する選挙区の一部が分割されるものであった。同月26日,ン・エンヘン国防相(党組織部長)は,次期総選挙の候補者はほぼ調整済みと表明し,一方で同月31日には国民団結党(NSP)主催の野党会合で,野党間の立候補者調整が確認され,NSPはマリンパレード選挙区とマクファーソン選挙区をWPに,国民第一党(Sing First)はアンモキオ選挙区を改革党(RP)に譲ることで合意した。8月20日には,選挙局が選挙規正法改正を突然発表し,同月27日には,異なる政党による同一会場での演説集会開催を禁じるとの声明を出した。これは混雑や衝突を防止するためとしているが,実際には野党間共闘の相互応援演説を不可能にするものでもある。

8月24日,リー首相は近日中に国会解散・総選挙を実施すると述べ,25日にタン大統領は国会解散を宣言し,投票日は9月11日と公布した。9月1日には第12回総選挙が公示され,正式な選挙戦が開始された。リー首相は演説で,「シンガポールが特別な国であり続けるのか,凡庸な国になるのか」「国は転換期を迎えており,前進し続けるのか,後退してしまうのか」と繰り返し訴えた。これに対してWPのロー・ティアキャン書記長は,野党が20議席以上を確保すべきと訴え,「不均衡な議会が次世代の利益となるのかを考えてほしい」と訴えた。

こうして迎えた9月11日の投票結果は,12日に大勢が判明した。その内容は,PAPが全29選挙区中27区で勝利して合計83議席獲得し,得票率も前回の60.1%から69.9%にまで回復させた。これに対して野党は,WPがホーガン小選挙区とアルジュニード・グループ選挙区を守ったが,後者では接戦となり,パンゴール・イースト小選挙区では敗北した。当初は,イーストコースト,マリンパレード,フェンシャンなどの選挙区でも善戦が予想されていたが,PAPが議席を堅持した。このほかの野党7党も,すべて敗北という結果に終わった。これを受けてリー首相は,「予想を上回る素晴らしい結果」「長期での国民のコンセンサスを維持し,清廉で腐敗なき政治を保ち,国民の要求に対応しつつもポピュリズムを抑制しながら,国民の多くが共有できる利益を高める」と演説した。一方で,野党には建設的協力を期待し,提起されている課題を国会で議論すると表明した。

選挙後の9月16日,選挙局は非選挙区選出議員を野党から3人指名した。この制度は,野党の存在を保証するためとして1984年に導入された制度で,惜敗率の高かった野党候補を最大9人まで指名し,予算案や憲法改正などの重要議案を除いて投票権を持たせるものである。今回は野党から6人が当選しているため,3人が指名された。もっとも,パンゴール・イースト小選挙区で敗北したものの非選挙区議員に指名されたリー・リリアン氏はこれを辞退すると表明し,その扱いは2016年1月15日の新国会召集後に議論されることになった。

今回の総選挙を総括すれば,前回の選挙以降に政府が取り組んできた移民,住宅,物価上昇などへの政策修正・対策が一定評価を得てきた一方で,野党側は建設的な存在感を4年間では明確に示せないなか,リー元首相死去や建国50周年のムードも追い風となり,国民がふたたびPAPに信任を与えたと言える。もっとも,シンガポール国立大学行政大学院政策研究所が11月に発表した総選挙意識調査では,与党投票者でも政府へのチェック機能や国会での多様な意見が必要との考えが増加した。また,WPは信頼できる政党かとの問いに賛成する比率も,2011年の56%から70%強まで拡大しており,今後に向けて注視が必要である。

内閣改造と後継者問題

2015年には2回の内閣改造が行われた。4月8日,リー首相は内閣改造を発表し,9日付でマサゴス・ズルキフリ上級国務相(内務兼外務担当)が首相府相兼第二内相兼第二外相に,チャン・シュンシン社会家庭開発相・第二国防相が首相府相に,タン・チュアンジン人材相が社会・家庭発展相を兼務し,5月4日付でリム・スイセイ首相府相が人材相に,ルイ・タックユー運輸相が第二国防相を兼務するという人事を発表した。

総選挙後の9月28日には,ふたたび内閣改造が発表された。この人事は10月1日付で,シャンムガラトナム副首相が財務相の兼任を解かれて経済社会政策調整相を兼務,テオ・チーヒエン副首相が内務相の兼任を解かれて国家安全保障調整相を兼務,シャンムガム法相が外務相の兼任を解かれて内務相を兼務,頻発した交通混乱の責任から総選挙出馬を辞退したルイ・タックユー運輸相の後任にコー・ブンワン国家開発相が運輸相兼インフラ調整相に,バラクリシュナン環境・水資源相が外務相に,リム・フンキャン通産相が通商担当通産相,S・イスワラン首相府相が産業担当通産相に,ヘン・スイーキア教育相が財務相に,ローレンス・ウオン文化・社会・青年相が国家開発相に,ズルキフリ首相府相が環境・水資源相に,グレース・フー首相府相が文化・社会・青年相に,それぞれ就任した。このほか,初当選した40代の議員であるン・チーメン,オン・イエクンの両氏が,それぞれ学校担当教育相と高等教育・スキル担当教育相に就任した。

2回の内閣改造の特徴は,いわゆる「第4世代」と呼ばれる40代の閣僚が,順調に歩を進めている点である。なかでも,チャン・チュンシン,タン・チュアンジン,ローレンス・ウオン,マサゴス・ズルキフリ,グレース・フーの5人は,将来を担う人物と目されている。彼らの台頭は,安定的・継続的な国家運営のため喫緊の課題となりつつある,次世代の指導者育成の延長線上にある。とくに,リー首相は2月16日に前立腺がん摘出手術を受け健康状態が磐石とは言い難く,年齢もすでに63歳となっている。首相自身,「自らが10年後も首相を続けるのではなく,若い世代が指導者になるべき」(5月2日)と以前から繰り返し公言している。今年は総選挙時にも,「次世代指導者の準備が総選挙の争点のひとつ」(5月1日),「将来の国家を率いる有能な政治家はそろいつつあるが,一段の充実が必要」(9月8日),「国民は年老いた指導者をいつまでも望んでいない」(9月19日),「次世代への継承を計画して積極推進する」(同)と発言している。

その言葉どおり,内閣改造では「第4世代」が地歩を固め,後には将来を担うであろう。リー首相は「次世代指導層の用意は喫緊の課題で,無駄な時間は残されていない。おそらく首相後継者は内閣にいる」(9月28日)と述べている。しかし,遡って7月3日にシャンムガラトナム副首相が,「将来的にマイノリティのインド系,マレー系,ユーラシア系から首相が誕生するのは不可避に思える」と述べた際,同席したリー首相は「可能性はあるが近い将来ではない」と発言するなど,微妙な認識の違いも表面化している。さらに問題なのは,次世代のリーダーシップのあり方については,具体的に議論されていない点である。リー元首相のようなカリスマはありえず,現在のリー首相のようにひとりが突出したリーダーシップを発揮することも難しく,さりとて集団指導体制のような運営も難しい。すなわち,次世代の指導者とそのリーダーシップのあり方については,いまだコンセンサスが形成されていないのが実情である。

経済

景気動向

2015年の経済は,GDP成長率が通年で2%となった。各期推移(季節調整済み,前期比・年率換算,改定値ベース)は,第1四半期3.2%,第2四半期マイナス4.0%,第3四半期1.9%,第4四半期6.2%であった。第1四半期は,製造業とサービスが低い伸び率であったが,建設業が12.9%で下支えして市場予想を上回った。しかし,第2四半期は,製造業がマイナス18.3%と急減し,建設・サービスの低迷も響いた。第3四半期は,電子製品とエンジニアリングが低迷し,建設業もマイナスで低い伸びとなったが,2四半期連続マイナス成長によるリセッション入りは回避した。第4四半期は,製造業の低迷をサービス業ほかが大幅に補った。

年初から通産省は,成長率は2.0~4.0%となるが,国内外のリスク増大で急速に不透明感が増していると分析していた。このため1月28日,シンガポール金融管理局(MAS)は,原油安によるインフレ見通しの急低下を理由に,Sドル上昇誘導を弱める緊急金融緩和を実施した。3月にはMASによる民間エコノミスト・アナリスト調査で,成長予測が前回調査から0.3%下方修正の2.8%と発表された。

こうしたことから,MASの4月金融政策会合での定期政策見直しで,ふたたび金融が緩和されると取りざたされたが,変更はなかった。これは4月28日に発表されたMASのマクロ経済レビューで,2~4%成長は可能であり,物価下落も全面的・持続的でないとの見通しに裏付けられている。7月21日にもメノンMAS長官は,世界経済全体の回復,国内の輸出部門への支援と建設部門の下支えから,「下半期にいっそう悪化する見通しは低い」との見通しを示していた。

しかし,8月11日に通産省は,中国の成長減速と世界経済の不透明感を理由に,成長見通しの上限を従来の4.0%から2.5%に大幅下方修正した。8月金融政策会合では「現在の金融政策は適切」として変更はなかったが,10月金融政策会合の定期政策見直しでは,Sドル上昇範囲をやや緩やかにする金融緩和が実施された。

MASは10月のマクロ経済レビューで,2015年は下振れリスクはあるが緩やかに回復し,2016年も外部環境は不安定であるが,国内イノベーションの下支えで,2~2.5%成長を見込むとする。11月9日にMASが発表した民間エコノミスト調査でも,成長率を2015年1.9%,2016年2.2%に下方修正した。通産省も2015年の成長率を2.0%と予測し,2016年は先進国の成長拡大と新興国・途上国の景気改善で上向き,国内経済は製造業の弱い基調が継続するものの,金融・卸売分野は成長するため,1~3%の成長を見込むとした。なお,リー首相は年初1月に,今後5年は年2~3%の成長を達成すれば順調との見解を表明している。

労働力・労働生産性改善の現状

シンガポールの転換期を経済面から象徴するのが,この数年で取り組んでいる経済構造改革である。リム人材相は「従来の経済発展の方法は持続可能でなく,過去数十年は正しい戦略でも,今後10年やそれ以降に最適とは限らない」(8月28日)と述べている。この構造改革の柱のひとつが,外国人労働者の増加を抑制しつつ,国内労働力の能力向上やイノベーションで生産性向上を目指すもので,目標は2019年までの労働生産性を年2~3%上昇させるものである。

もっとも,前年比での労働生産性は2012年0.5%低下,2013年0.3%上昇,2014年0.8%低下で,必ずしも順調ではない。8月に通産省は,算出方法を従来の1人当たり実質付加価値ではなく,実労働時間当たり実質付加価値に変更したことから,2009~2014年は以前より0.4%高い2.9%,2010~2014年は以前より1%高い1.3%となり,実際は改善が進んでいると強調した。しかし,2009年以降については,世界金融危機の反動で2010年に11.6%も上昇したことが牽引しており,構造改革が本格化した2011~2014年を見れば0.3%にとどまった。シャンムガラトナム副首相も「生産性向上は軌道に乗っているが,2009年からの2年に大きく伸び,その後は鈍化している」(10月29日)と述べている。人材省は,生産性向上の進展が労働市場の逼迫による現在の賃金上昇に追い付かず,一方では企業が将来的な賃金引き上げもできない負の連鎖に陥り,10年以内に競争力を失う可能性を警告した。

それでも政府が経済構造改革にこだわる理由は,労働市場に構造的限界を抱えるためである。国内労働力の伸びは,2006~2010年に2.7%であったが2010~2015年には1.7%まで鈍化しており,この傾向は将来の人口高齢化で強まることから,外国人を除く新規就業者数は2014年の9万5000人から2020年には年2万人まで低下すると考えられる。一方で,リー首相が「経済は外国人労働者なしでは困難に直面し国民が苦しむが,外国人労働者が増えれば経済は回っても社会問題を抱える」(8月2日),「簡単な答えはなく,どの選択も犠牲を伴い,否定的な部分が出る。制限すれば経済が成り立たず,受け入れすぎれば社会が麻痺する。均衡点を探して適切に対処する必要がある」(8月23日)と述べたように,外国人労働者の増加は国内労働力との競合や社会問題を惹起するため,一定まで抑制せざるをえない。このため「社会経済とビジネスに変革の必要な困難な道のりだが,生産性向上と経済成長は唯一の方策」(リー首相,6月30日)と認識している。

政府は「シンガポール人の労働力をコアに,優秀な海外人材も活用すべき」(リム人材相,8月4日)と述べながらも,引き続き外国人労働者の流入を制限している。7月には外国人技術専門職の採用を厳格化しつつ,現地人材の専門職・管理職採用・育成を実施した企業には,助成金を給付すると発表。同月には外国人の家族帯同も厳格化し,8月にはシンガポール人採用に非協力的な企業38社の外国人雇用も厳しく監視するとした。一方で,3月には建設業界の生産性向上に向けた4億5000万Sドルを拠出し,中小企業の生産性向上支援「イノベーション能力バウチャー」も大幅拡充している。

しかし,2019年までの政府目標が非現実的との意見は多く,経済界も政策修正を求めている。たとえば,シンガポール・ビジネス連盟は,労働市場逼迫による人件費上昇は最大の懸念事項で,生産性向上の方法を調整し,目標達成時期を2020年以降に延ばすべきとした。現実に人手の必要なサービス業や需要堅調な建設業では人員確保の困難が継続し,廃業する業者も増加している。こうした問題は「一部では経済構造改革によるコスト増や労働市場逼迫が圧力となっている」(シャンムガラトナム副首相,3月5日)として,政府も認識している。このため,8月19日にはリム人材相が,生産性向上を推進する中小企業による高技能職外国人労働者の採用を部分緩和すると発表し,10月5日にはテオ国務相(人材開発担当)が,企業負担の大きい外国人雇用税の見直しを検討すると表明している。

高付加価値産業の育成継続

経済構造改革のもうひとつの柱は,価値創造型の高付加価値産業への移行であり,模索が継続している。ヘン財務相は「価値創造型経済は質の良い雇用を生み,イノベーションと起業家精神ある企業を育成する基礎」(11月4日)と述べた。この方向性を戦略的に議論し,持続的成長に向けた政策に反映させるため,12月には「未来経済委員会」が設立された。ヘン財務相とイスワラン産業担当通産相が正副委員長となり,民間からは多国籍企業・地元企業の経営者が参加する。議論の中心は,雇用・企業・資源・技術・市場の分野での発展戦略とその相互連携・統合で,この切り口として具体化しつつあるのが「スマート国家構想」である。

これはインフラ関連70%,住民サービス関連30%の配分で,デジタル化やネットワーク化を駆使したイノベーションや実証実験を促進し,技術蓄積を海外輸出して,経済発展の柱のひとつにするものである。バラクリシュナン環境・水資源相は,「迅速な政治決定やコンパクトな国土を活用し,新技術を広範に導入できるため,理想的実験場になる」とし,リー首相もスマート国家構想の実現に向けて,交通・高齢化・ヘルスケアなどで実証実験への活用を呼び掛けた。6月には空港・港湾をセンサーでネットワーク化したスマート物流計画,公共の場を防犯カメラでネットワーク化する画像分析計画,住宅内にセンサーを設置して高齢者や持病のある人たちが確認可能となるスマート健康介助計画という3計画の研究開始が発表された。7月には国内外17社が参加する,HDBフラット(公団住宅)でのスマート技術の実証実験構想が発表された。もっとも,実証実験がどこまで進展し,具体的な技術輸出として経済成長の柱となるのかは,不透明でもある。

このほか,2014年度には前年比2倍以上となった革新的科学技術の研究開発投資も,積極的に継続している。政府は2015年からの研究開発支援5カ年計画で161億Sドルを拠出すると決定し,テオ副首相は科学技術開発が経済成長の鍵になると述べている。科学技術研究庁は,1月には使用済み製品を再利用して新製品を製造する「再製造技術研究所」を国内外企業29社の参加を得て開設し,10月には新産業研究拠点「フュージョノポリス」の第2期がオープンして,第1期とあわせて内外130社・約1万2000人の拠点に拡大した。

人民元オフショア・センター化の推進

2013年に開始された人民元オフショア・センター機能は,2015年も進展が見られた。1月6日,中国人民銀行が人民元決済銀行に指定した中国工商銀行(ICBC)シンガポール支店は,2013年5月のサービス開始以降,人民元累計決済額が40兆元に達したと発表した。6月時点でシンガポールの人民元建て預金は3220億元,人民元先物の売買代金は2014年10月以降1200億元,人民元建て債券(ライオンシティー債)発行残高は500億元に達している。

4月17日,シンガポール取引所(SGX)は中国銀行(BOC)との間で,人民元建てのコモディティやデリバティブの取引・清算・決済の分野で提携を強化すると発表。10月13日には,両国政府間で人民元のクロスボーダー取引拡大で合意した。この取り決めで,両国が共同開発した蘇州と天津の開発区に立地する企業は,シンガポール発行の人民元建て債券による資金全額の送金が可能となり,シンガポール系銀行も両市の企業に人民元建て融資が可能となった。

高速鉄道計画の具体化

2013年2月に合意したシンガポールとマレーシアのクアラルンプールを結ぶ高速鉄道は,内容が具体化した。4月10日,マレーシア連邦議会は計画を承認し,総事業費384億リンギ,2016年起工・2020年完成を目指すとした。ただし,すでに4月時点では開業が2年間遅れるとの観測が出た。5月5日,リー首相はマレーシアのナジブ首相と会談した後の記者会見で,2020年開業は「現実的でない」と再検討の必要を示し,9月2日にはマレーシア陸上公共輸送委員会(SPAD)の最高開発責任者が,2017年起工・2022年開業の予定を示した。11月5日にはマレーシア紙が消息筋情報として,総事業費が650億リンギに拡大し,起工も2018年にずれ込むと報道した。なお,5月にはシンガポール側発着駅が,南西部ジュロン・イースト地区に建設されると決定した。あわせて,都市開発庁は同地区を副都心として複合開発すると表明した。

10月8日,SPADはシンガポール陸上交通管理局(LTA)と共同で,事業参加を希望する企業から「情報提供依頼書」を募集すると発表した。これは設計・施工,運営,保守管理,資金調達について業者の意見を募り,今後の事業・調達計画に反映させるもので,11月18日の締め切りまでに98社・コンソーシアムから応募があった。国・地域別では欧州56社,東アジア14社,マレーシア13社,北米7社,シンガポール4社,オセアニア3社,中東1社となった。

すでに日本,フランス,ドイツ,中国,韓国などは参入に向けて活動している。日本は1月に国交省・日本貿易振興機構(ジェトロ)共催で新幹線紹介セミナーを開催し,西村国交副大臣とテオ上級国務相が出席した。さらに日本政府は,5月24日からナジブ首相を国賓招待している。25日には安倍首相がナジブ首相と会談後の記者会見で,「マレーシアを走る新幹線が見られることを期待している」と述べ,ナジブ首相は26日に新幹線を試乗した。11月5日の石井国交相によるナジブ首相やハミドSPAD議長との会見,11月20・21日の安倍首相によるリー首相やナジブ首相との会見でも,新幹線導入の働きかけを行っている。

一方で,5月後半にはマレーシア紙がフランスや韓国が強い関心を示していると報道した。10月6日には,韓国勢が約50社のコンソーシアムを結成し,同月の韓国国交副大臣とマレーシア運輸副大臣の会見でも強い参加意志が表明された。中国側もマレーシア政府首脳への働きかけなど政治工作を水面下で強めてきたと言われ,12月11~15日には中国の高速鉄道を紹介する大規模展示会を開催するなど,自国方式導入を国家全体で支援する動きを強めている。

不動産価格の動向

シンガポールでは2009年以降に不動産価格が急上昇し,インフレ率の押し上げや国民の住宅取得に影響を与え,政府への不満につながった。このため政府が不動産,とくに住宅価格の抑制対策を実施したことで,2013年から住宅価格は下落に転じ,2014年には通年で4%下落,2013年の高値からは8.2%下落した。この傾向は2015年も継続し,第1四半期の民間住宅価格は前期比1%下落,第2四半期は同0.9%下落,第3四半期は同1.3%下落,第4四半期は同0.5%下落となった。第1四半期の中古HDBフラット価格も前期比1.0%下落,第2四半期は同0.4%下落,第3四半期は同0.3%下落,第4四半期は同0.1%上昇となった。

不動産開発業界からは,価格抑制策の見直し要望が出ているが,政府は価格抑制効果を認めつつ,見直しには慎重姿勢を崩していない。7月にはMASのメノン長官が,2013年以降の価格下落は緩やかで,価格抑制策の解除は時期尚早と述べた。8月中旬にはコー国家開発相が,市場の需給バランスが適切に持続すれば調節や解除はありうるが,当面は価格抑制策を維持すると表明し,10月にもウオン国家開発相が,変化があれば必要に応じて調節するが,早急な価格反発を招くリスクを避けるためにも,現在は解除のタイミングではないと発言している。

今後の動向については,向こう3年の住宅供給が18万2500戸と11%増加の見通しとなっており,開発業者側は供給過剰を懸念している。しかし,実需による購買層が控えているうえ,開発業者側もコスト上昇から値引きに慎重で値下がりしにくく,中古住宅価格も取引件数の増加をともなって下げ止まる傾向にあることから,価格下落は引き続き緩やかなものになると考えられる。

対外関係

現実化するテロの脅威

2015年は世界中にテロの衝撃が走った年であった。とくに,IS(「イスラーム国」)の台頭によって,一部のイスラーム過激派系の若者が同勢力に参加する動きはシンガポールでも見られ,判明しているだけで2人のシンガポール国籍者がシリアに渡航している。これは治安を極度に重視するだけでなく,多民族・多宗教が混在している同国にとって,非常な危機感を募らせる問題となっている。

5月27日,内務省は内国治安法に基づき,IS参加を企てたとする19歳の少年を4月以降拘束していると発表した。少年はISに参加できなかった場合,国内の重要な人物や施設を襲撃する計画であったと供述したとされる。5月には過激思想を持つと思われる少年が拘束され,さらに7月には,トルコ経由でIS参加を企てた男性が強制送還され,内務省が内国治安法に基づき2年間拘束するとした。後者も過激思想に傾倒しており,国内でのテロも計画していたとされる。このほか,8月にも同様の容疑で2人の男性が拘束されている。

この動きを受けて,リー首相は9月8日に「我々は小さな赤い点のような国家であり,生存は容易ではない。テロやISといった脅威にさらされている」と述べ,国内の危険分子や国外の過激派による動向に言及し,「テロを起こさせないために最善を尽くすが,決して起きないという確信はない」と警告した。とくにパリ同時多発テロ以降は国内治安の警戒レベルを引き上げている。

一方で,宗教・民族の融和という,シンガポール建国以来の課題に,ふたたび焦点が当たっている。リー首相は「宗教間調和がうまくいっているからといって,敏感な問題でないとの考えは誤り」(5月12日),「民族・宗教の融和は継続的課題で,現在の調和は自然なものではなく,何十年の意志で維持・達成されている」(10月4日)とした。ヘン教育相も,「若い世代は民族・宗教間の調和を当たり前のものと受け取らず,慎重に扱うべき。異なる民族や宗教への誤解が広まれば,民族間の断絶が生まれる」として,教育プログラムの導入検討を表明した。

対外的にもテロ対策の協力関係を推進している。3月2日にはマレーシアと諜報分野の交流拡大,ISのような懸念事項への共同対処,海洋安全保障を柱とした軍事協力覚書に署名した。7月28日にはインドネシアとも,対テロ情報共有で合意している。この2国には,シンガポールを敵視する過激派が根強く存在し,両国当局との情報共有・共同対処は必須であった。このほか,11月22日にはリー首相がクアラルンプールでオバマ米大統領と会談し,テロ対策強化で一致した。

南シナ海問題

中国が海洋進出を異常に活発化させるなか,2015年は南シナ海問題をめぐって地域的緊張や駆け引きが強まった。こうしたなかで,シンガポールはバランス外交の原則に基づきつつ,同問題でも動きを見せている。

4月27日,リー首相はマレーシアで開催されたASEAN首脳非公開会合に出席し,南シナ海情勢の不安定化に言及した。このなかで,「的確に対処しなければ緊張が拡大して衝突に発展しかねず,ASEANは緊張を抑制する役割がある」と述べ,衝突回避の行動規範が早急に必要とした。ン国防相も5月19日に「法的拘束力を持つ紛争回避の行動規範が早急に必要」と述べたが,実現に至っていない。

5月29日,恒例のアジア安全保障会議(通称シャングリラ・ダイアローグ,イギリス国際戦略研究所主催)がシンガポールで開催され,リー首相が基調講演を行った。会議では中谷防衛相やカーター米国防長官が,中国を名指しで批判した。とくにカーター国防長官は,ASEANと中国の紛争防止行動規範の年内策定を訴え,東南アジアの海洋安全保障を支援する計画を表明した。一方で中国は,他国には左右されないとして,南シナ海での埋め立てや飛行場建設の推進を強調した。

7月21日,リー首相はシンガポールが仲介役となり,南シナ海の緊張緩和,ASEANと中国の関係構築に貢献すると表明。「問題を直ちに解決することは困難だが,緊張を緩和して対立を進化させないことは可能」とした。しかし,実際には緊張緩和は進展せず,むしろ年後半には米軍の「航行の自由」作戦による中国主張領域への航海,爆撃機の「誤侵入」などが発生し,中国も周辺国への妨害や埋め立て滑走路での飛行実験を行い,緊張が拡大している。

こうしたなかで,シンガポールは地域安定重視の視点から,アメリカとの連携に若干傾斜した。11月22日のリー首相とオバマ大統領の会談では,冒頭に南シナ海問題が取り上げられ,リー首相は「域内のすべての国がアメリカの経済・安全保障上の関与に感謝している」と発言した。12月7日にはワシントンを訪問中のン国防相が,アメリカとの二国間防衛協定を改定し,南シナ海の監視活動に従事すると考えられる米軍哨戒機の配備を受け入れている。

対中関係

南シナ海問題に焦点が当たる一方で,シンガポールは中国との関係も引き続き重視しており,とくに経済分野での連携をいっそう強めている。

2015年は中国主導の国際金融機関AIIBが話題となったが,シンガポールも一定の役割を果たした。リー首相は4月22日,既存の国際金融機関は新しい局面に対応できていないとして,「世界が新経済秩序を模索するなかでAIIB設立は正しい一歩」と述べ,積極参加の意向を表明した。5月20~22日,同国ではAIIB首席交渉官会合が開催され,シンガポール財務省のイー・ピンイ事務次官補を共同議長として,協定草案や運営方針の話し合いを進めた。8月17日には国会でAIIB設立協定が批准され,出資額2億5000万米ドル,議決権0.48%での参加が確定した。テオ上級国務相は,「国際金融センターであり地域ビジネスのハブでもあるシンガポールの参加は重要」「インフラ整備が地域の利便性・連動性を強化することは,交易・ビジネスのハブであるシンガポールの利益になる」と述べている。

このほかにも経済開発の協力を深化させており,2月4日に中国西部を訪問したチャン社会・家庭開発相は,中国政府との共同事業を考えていると述べた。8月にはシャンムガム外相が,シンガポールを訪問した中国の王毅外相と会談し,中国の「一帯一路」構想に沿った形での西部開発共同事業の推進,二国間FTAの改定などで合意した。この内容は,11月7日にリー首相が,シンガポールを訪問した習近平主席と調印した覚書で確認された。

もっとも,2015年の対中関係で一番の出来事は,シンガポールが介助する形で,同地で中国と台湾の首脳会談が実現したことである。11月3日,台湾総統府は,同月7日に馬英九総統と習近平主席の会談がシンガポールで行われると発表し,衝撃を与えた。これは1949年に双方が分断して以降,初の首脳会談となる。7日に開催された会談では,「ひとつの中国」の原則を確認すると同時に,関係改善が平和発展につながるとの認識で合意した。この会談では,シンガポールが積極的な仲介を行った。1993年の「第一次辜汪会談」(双方窓口機関トップの直接会談)を仲介したのもシンガポールであったが,今回も双方から支援要請があったとされる。外務省は,「長年の親友として直接対話の実現を助け,(中略)一貫して平和的関係に貢献することを支援してきた」との声明を出している。

2016年の課題

建国から50年の歳月を経たシンガポールは,かつて国家を発展に導いた「シンガポール・モデル」からの転換を迫られている。ひとりのカリスマの指導力によって,統制と効率優先のなかで政治,社会,経済のビジョンを描き,それを実行する時代は,すでに過ぎ去っている。その事実はかなり以前から,シンガポール自身が理解しており,ゴー前首相,リー首相の指導下で緩やかに変化してきた。

もっとも,その緩やかな変化のなかでも,実態的な権力や影響力の大小有無にかかわらず,依然としてリー・クアンユー元首相という存在自体が,政権にとっても,国民にとっても,あるいは彼の批判者にとっても,暗黙の拠り所,あるいは重石となってきた。言い換えれば,リー元首相という前提から,シンガポールというシステムは自立できていなかったのである。近年,新たな統治と発展のモデルを模索しつつも,実現に向けて大胆な舵を切ることができず,あるいは明確化できなかった本質的理由は,そこにある。

しかし,現実にリー元首相が死去した今,シンガポールは彼が体現し,その延長線上にあったモデルからの,自立と転換を余儀なくされている。それはあたかも,マレーシアという拠り所からの分離・独立を迫られた,50年前のシンガポールの姿とも重なる。では,次の50年に向けて国家を持続させるための,新たな統治と発展のモデルは構築可能なのであろうか。政治における次世代後継者・指導体制のコンセンサス確立,経済における構造改革の成否,社会における人口構成の維持や多様性の拡大など,取り組むべき根本的課題は多い。

表面の繁栄や安定とは裏腹に,この小さな都市国家は,真の意味で正念場を迎えている。その意味で2016年とは,かつてのモデルから自立し,未来に向かう重要な一歩の年になるであろう。

(新領域研究センター)

重要日誌 シンガポール 2015年
  1月
2日 通産省,2015年の経済にリスクと不透明感があるとの見通しを発表。
5日 シンガポール国際商事裁判所の開設。
13日 リー首相,汚職防止法改正を表明。
20日 コー国家開発相,公団住宅(HDB)の赤字は今後も高水準との見解。
23日 日本の国交省・ジェトロ主催で新幹線セミナー開催。西村国交副大臣が出席。
28日 シンガポール金融管理局(MAS),緊急金融緩和を実施。
29日 新医療保険制度「メディシールド・ライフ」法案が国会で可決。
  2月
2日 リー首相,選挙委員会に有権者名簿更新作業を4月末までに実施するよう指示。
3日 リー首相,ドイツを訪問。メルケル独首相と会見。
5日 リー元首相,重症の肺炎で入院。
9日 会計監査局,労働者党選挙地盤のタウンカウンシル(地区委員会)でコンプライアンス遵守に重大欠陥と指摘。
16日 リー首相の前立腺がん摘出手術が実施される。
21日 首相府,リー元首相が集中治療室で人工呼吸器を装着した状態にあると発表。
23日 シャンムガラトナム副首相兼財務相が国会で予算演説。
26日 ジョセフィン・テオ上級国務相,予算案の歳出増に伴う財源確保は可能と言明。
  3月
2日 マレーシアと軍事協力覚書に署名。
6日 台湾の朱立倫国民党主席が来訪。
13日 2015年度予算案を国会で可決。
14日 岸田外相が訪日中のシャンムガム外相兼法相と会談。
17日 首相府,リー元首相容体悪化と発表。
18日 首相府,リー元首相危篤状態と発表。
23日 リー元首相が死去。享年91歳。
25日 薗浦健太郎外務政務官が来訪。
29日 リー元首相国葬。安倍首相が参列。
30日 警察,リー元首相を中傷したとする動画をネット上に投稿した少年を逮捕。
  4月
1日 公共の場所での夜間飲酒・小売酒類販売を禁止する法律が施行。
2日 テオ副首相兼内相,「戦略的政策局」設置を発表。
8日 リー首相,内閣改造を発表。
13日 ン国軍司令官が中国を訪問。
14日 MAS,金融政策を据え置き。
17日 シンガポール取引所(SGX)と中国銀行(BOC)が人民元建て分野の提携強化を発表。
27日 リー首相,ASEAN首脳の非公開会合に出席し,南シナ海情勢の不安定化に言及。
  5月
1日 リー首相,メーデー演説で次世代指導者準備が次期総選挙の争点と表明。
3日 木村太郎首相補佐官が来訪。
5日 リー首相,マレーシアのナジブ首相と会談。
12日 リー元首相をネット上で中傷したとされる少年に有罪判決。
19日 ン国防相,南シナ海での衝突回避行動規範が早急に必要と表明。
20日 第5回アジアインフラ投資銀行(AIIB)首席交渉官会合がシンガポールで開催。
21日 日本と通貨スワップ協定を再締結。
22日 通産省,EUとの自由貿易協定(FTA)発効は2017年以降との見通しを公表。
29日 リー首相,アジア安全保障会議で基調講演。
  6月
10日 労働者党(WP),問題を指摘された公的施設を自主管理すると表明。
21日 シンガポール民主党(SDP)が結党35周年を迎える。
  7月
3日 シャンムガラトナム副首相,非華人系首相誕生は将来的に時間の問題と指摘。
4日 ユネスコがボタニック・ガーデンズを同国初の世界文化遺産に認定。
6日 通産省とMAS,ミャンマー中央銀行と銀行監督覚書に署名。
7日 都市鉄道の南北・東西線が一時不通。
23日 警察,マレーシア政府系投資会社1MBD関連の銀行口座を凍結。
24日 区割り改定委員会,次期総選挙の区割りを発表して議席を89に設定。
26日 ン国防相(人民行動党[PAP]組織部長),次期総選挙候補者はほぼ調整済みと表明。
28日 インドネシアのジョコ・ウィドド大統領が来訪。
29日 リー首相とアボット豪首相が会見し,包括的戦略パートナーシップ協定を締結。
31日 野党会合が開催され,野党間で立候補者調整実施を確認。
  8月
3日 中国の王毅外相が来訪。
4日 ケリー米国務長官が来訪。
8日 麻生太郎副総理兼財務相が来訪。
9日 建国50周年の記念祝賀行事を開催。
11日 通産省,経済成長見通しの上限を引き下げ。
17日 AIIB設立協定を国会が批准。
20日 選挙局,選挙規正法改正を発表。
25日 タン大統領,国会を解散。
  9月
1日 総選挙公示。
11日 総選挙投票の実施。
12日 PAPが勝利宣言。
16日 選挙局,次期議会の非選挙区選出議員を野党から3人指名。
19日 リー首相,組閣では次世代指導層の登用を積極的に進めると明言。
24日 煙害による大気汚染が深刻化し,幼稚園・小中学校が休校。
28日 リー首相,内閣改造人事を発表。
  10月
1日 総選挙後の改造内閣が発足。
6日 財務省,OECDの定めた国際課税回避防止の新ルールを支持すると表明。
7日 インドネシアがシンガポールからの煙害対策支援の受け入れを表明。
8日 陸上交通管理局,マレーシアと高速鉄道事業の「情報提供依頼書」募集開始。
13日 テオ副首相,習近平中国主席の11月来訪を発表。人民元のクロスボーダー取引拡大でも中国と合意。
14日 MAS,小幅な金融緩和を実施。
29日 中国外務省が習主席のベトナム・シンガポール訪問を発表。
  11月
1日 「メディシールド・ライフ」運用開始。
3日 台湾総統府が馬・習会談のシンガポール開催を公表。
6日 習近平主席がシンガポールを訪問。
7日 中台首脳会談がシンガポールで開催される。
15日 リー首相,トルコで開催されたG20首脳会議に参加。
17日 モスクワでシンガポール・ロシア政府間委員会が開催され,経済関係促進を確認。
21日 リー首相,クアラルンプールで安倍首相と会談。
22日 リー首相,クアラルンプールでオバマ米大統領と会談。
23日 インドのモディ首相が来訪。
24日 ナショナル・ギャラリー・シンガポールが開館。
  12月
7日 アメリカとの二国間防衛協力協定を改定。アメリカの哨戒機配備を受け入れ。
17日 リー首相の名誉を毀損したとされるブロガーに賠償判決。

参考資料 シンガポール 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  閣僚名簿(2015年12月末現在)

主要統計 シンガポール 2015年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2010年価格)
4  国・地域別貿易額
5  国際収支
6  財政収支
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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