2016 年 2016 巻 p. 443-466
テインセイン政権が5年任期の最後の年を迎えた。任期中に大きな成果を上げたものの,未解決の課題も山積している。これらの課題に取り組むべき次期政権を決める総選挙が11月に実施され,長年にわたって反体制民主化運動を主導してきたアウンサンスーチー(以下,スーチー)議長率いる野党の国民民主連盟(NLD)が選挙議席数の4分の3以上を獲得して圧勝を収めた。
国内政治では,6月に連邦議会で憲法改正の審議がなされたものの,国軍の反対にあって重要条項の改正には至らなかった。総選挙前の政治過程では,与党の連邦団結発展党(USDP)で内紛が生じ,行政府や国軍内での大規模な人事異動をもたらした。総選挙はおおむね公正かつ自由に実施され,NLDは選挙後に現体制側との対話を開始して平和裏の政権交替を国内外に印象づけた。他方,テインセイン政権が取り組んできた少数民族武装組織との停戦交渉は,10月に一部組織との停戦協定署名という一定の成果を見た。実質的な全国停戦は先送りとなったが,停戦協定に基づく政治対話の準備が始められた。急進的仏教保護運動は依然として強勢であり,ロヒンギャを中心とする暫定身分証保持者の参政権が認められなくなるとともに,信仰の自由を制限するおそれのある「民族保護法」が成立した。
経済は8%台の成長を続け,外国からの直接投資も高い水準を保っている。9月には,日本が官民を挙げて整備を支援してきたティラワ経済特区が,ミャンマー初の経済特区として開業した。他方で,貿易赤字が拡大し,インフレやチャット安が進行した。前年に免許を交付された9つの外国銀行が順次営業を開始し,12月にミャンマーで初の証券取引所が開業するなど,金融市場の拡大と整備が進んだ。また,9月より日額の最低賃金3600チャットの適用が開始された。
対外関係として,中国とは,中国国境付近での国内紛争が中国を刺激したものの,両国経済関係は深化している。年末にはチャウッピュー経済特区の開発事業が中国の政府系企業に落札された。また,6月にはスーチー氏の中国訪問が実現し,習近平国家主席との会談など破格の待遇を受けた。東南アジア域内では,ミャンマーに関係する移民・難民問題が顕在化した。アメリカは,総選挙の結果を歓迎し,経済の活性化と次期政権の支援のために12月に制裁緩和を行った。
数年来の憲法改正論議の盛り上がりを受けて2月に国民投票法が成立したものの,年内に国民投票は実施されなかった。憲法第436条(a)項では,重要条項の改正には連邦議会全議員の75%を超える賛成と国民投票での有権者数の過半数の賛成が必要であると規定されている(その他の条項の改正では連邦議会の75%超の賛成のみで改正可能[同(b)項])。これは別の憲法規定によって全議席の4分の1が確保されている国軍に拒否権を与えるものである。6月下旬に連邦議会で与党提出の憲法改正法案が審議されたが,重要条項に関して提起された後述の6つの改正点のうち,5点で軍人議員の賛同を得られず,比較的瑣末な1点の改正しか承認されなかった。このため,7月22日の連邦議会で国民投票が総選挙後へと先送りにされたのである。改正に国民投票を必要としない条項については,別途法案が作成され,7月下旬に憲法改正法が成立した。
重要条項について提起された改正案6点は,(1)正副大統領資格に関する第59条(d)項「国家の事項である政治,行政,経済,軍事等に関する見識を有しておらねばならない」の「軍事」の「国防」への変更,(2)同じく第59条(f)項「本人,両親,配偶者,嫡出の子どもとその配偶者のいずれかが外国政府から恩恵を受けている者,もしくは外国政府の影響下にある者,もしくは外国国民であってはならない。その者たちは,外国政府の影響下にある者もしくは外国国民が享受しうる権利や恩恵を享受することを認められた者であってはならない」の対象からの子どもの配偶者の削除,(3)第60条(c)項で議員に限定されていなかった正副大統領候補者資格の連邦議会議員への限定,(4)議会の承認を得て任命された正副大統領以外のすべての役職者は「憲法にいかなる規定があろうと」国家非常事態宣言に伴って職務が停止されたものとみなされる,という内容の第418条(b)項における「憲法にいかなる規定があろうと」の文言の「憲法の例外として」への変更,(5)・(6)上述の憲法改正手続きに係る第436条(a)項と(b)項のそれぞれについて連邦議会での必要賛成数を75%超から70%超に引き下げること,である。連邦議会ではこのうちの(1)のみが承認された。
NLDはかねてよりスーチー氏の大統領就任を妨げる第59条(f)項の改正を要求してきた。同氏の配偶者(故人)および子どもが外国籍であるためであるが,与党主導で作られたこの改正案(2)では,たとえ可決されたとしても同氏に大統領となる資格は認められなかった。また,国軍の拒否権を崩すこととなるために重要な争点となっていた改正手続きの修正(5)と(6)も否決された。こうして数年来の改憲要求を無効化されたNLDは,まずは総選挙での勝利に注力することとなった。
候補者選定をめぐり与党USDP内部抗争選挙前の政治過程で,2大政党のNLDとUSDPでは候補者選定が党内で問題化したが,とりわけUSDPでは大きな内紛が生じた。選挙管理委員会(以下,選管)は,7月以来の西部での大雨災害の深刻化を受けて,当初8月8日としていた各政党からの候補者リストの提出期限を8月14日までに延長した。この期限直前の8月12日深夜にネーピードーのUSDP党本部を警察が取り囲み,その後,連邦議会議長を務めるシュエマン党首代行が党役職から解任されたのである。
この背景には党首であるテインセイン大統領との間での主導権争いがあったとみられる。憲法規定で大統領は任期中政党活動に携われないため,副党首であったシュエマン氏が党首職を兼務していた。8月12日までの数日間で以下の事態が進展した。(1)政権中枢を担うアウンミン,ソーテイン両大統領府相の出馬に関して,党中央執行委員会が両氏の希望する当選の可能性の高い選挙区を割り当てなかったため,両氏は独立候補としての出馬を表明した。(2)党中央執行委員会は,国軍が候補者として推薦する140人の軍人から60人弱のみを選定した。フラテーウィン統合参謀総長やテッスェ海軍司令官など高官を含むこれらの候補者は軍籍を離れて入党し,結果,軍内で大規模な人事異動が起きた。(3)テインセイン大統領の不出馬の意向が公表された。(4)大統領が内閣改造を行い,現役軍人である国防省と国境省の正副大臣4人が軍務復帰,その他4大臣4副大臣が辞職した。
解任劇の翌13日,USDPの新中央執行委員会が公表された。テインセイン大統領が引き続き党首であることが示され,シュエマン氏とその側近は解任,代わってテーウー副党首が党首職を兼務することとなり,(1)の両大統領府相や(2)・(4)の元軍人・元閣僚が委員に名を連ねた。シュエマン氏は党籍を維持し,連邦議会議長にも就き続けることとなったが,党内での主導権を失った。同氏がNLDへの接近姿勢を示していたことが,国軍やテインセイン大統領の反発を招き,粛清の原因となったとみる向きもある。
総選挙実施とNLD圧勝11月8日に体制移行後最初(現行憲法下で2度目)の総選挙が実施され,野党NLDが圧勝を収めた。国政選挙では連邦議会の民族代表院と人民代表院の両院,地方選挙では7管区域7州の地方議会のそれぞれについて,全議席数の4分の3を占める民選議員議席が改選された。
選挙制度は,前年に民族代表院において現行の小選挙区制から比例代表制への変更が決議されたものの,その後の議論が混迷して法案作成が遅れたため,結局,2015年選挙では両院とも従来どおりの小選挙区制が採用された。
投票日2カ月前から選挙戦が開始された。10月には内戦の影響で「自由で公正な選挙を行える状況にない」シャン州の7郡とその他全国約450カ村での選挙中止を選管が発表し,シャン州7郡の選挙区の議席は空席のままおかれることとなった。最終的に,今回の選挙には91政党が参加し,民族代表院168議席,人民代表院323議席,地方議会659議席がそれぞれ886人,1734人,3419人の候補者によって争われた。選挙実施過程では,有権者名簿の不備などの問題はあったが,国内外から選挙監視団を受け入れ,おおむね自由で公正な選挙が実施された。
結果は先述のとおりNLDの圧勝であった。NLDは国政選挙で約8割,地方選挙で4分の3強の議席を獲得し,軍人議員議席や空席を含めても全議席の過半数を占めることになる(表1参照)。最大の勝因はスーチー氏の圧倒的な人気であろう。また,2012年の補欠選挙以降,NLDは急速に党組織を拡充・強化していた。
与党USDPはテインセイン政権下での5年間の改革の成果を訴えつつ,一部で有権者への利益供与も行って集票を図ったが,党組織が弱く,軍事政権の悪いイメージを引き継いでいたことが敗因となった。
また,得票数の多い政党が議席数において過大に代表されるという小選挙区制の特性もNLDの地滑り的な勝利の原因となった。NLDとUSDPの得票率と選挙議席中の獲得議席の割合を比較すると,NLDの獲得議席割合が得票率よりも高くなっていることがわかる(表2)。
第三極を形成する可能性も指摘されていた少数民族諸政党は,実際はそれほど振るわなかった。とはいえ,一部の州で地元少数民族政党が一定数の議席を確保した。部分的に選挙が中止されたシャン州では,シャン民族民主連盟(SNLD)が連邦議会に15議席(州内選挙議席の25%),州議会に24議席(同23%)を獲得してUSDPやNLDと拮抗した。他方でヤカイン州では,ヤカイン民族党(ANP)が連邦議会に22議席(同76%),州議会に22議席(同63%)を獲得して大勝した。
(出所) 選挙管理委員会ウェブサイトより,筆者作成。
(出所) 選挙管理委員会ウェブサイトより,筆者作成。
総選挙後,次期NLD政権で重要な役割を担うこととなるスーチー氏は,シュエマン連邦議会議長(11月19日),テインセイン大統領,ミンアウンフライン国軍最高司令官(ともに12月2日),前軍事政権のトップであったタンシュエ元上級大将(12月4日)と立て続けに会談し,平和裏の政権交替を国内外に印象づけた。
一部武装組織との署名に至った全国停戦協定2013年末から続いてきた政府と16の少数民族武装組織の代表からなる全国停戦調整代表団(NCCT)との停戦交渉が,10月15日に全国停戦協定の署名という形で一定の成果を見た。ただし,協定に署名したのは一部の武装組織だけであり,実態は「全国」規模とは言い難いものであった。
3月31日には全国停戦協定草案で双方が合意に至ったものの,その後,交渉は行き詰まりを見せる。最大の要因は,2月にシャン州北東部の中国国境付近コーカン自治区で発生し,長期化したコーカン人武装組織「ミャンマー民族民主同盟軍」(MNDAA)と国軍との戦闘であった。国軍が2009年にMNDAAへ攻勢をかけた際に国軍との協力路線を採る内部勢力に追われて国外逃亡していた彭家声司令官が,再びMNDAAの名の下に勢力を結集し,2月9日に同自治区中心都市ラオカイを攻撃して国軍から一時的に奪還したのである。政府は徹底鎮圧の姿勢をとり,17日には同自治区に緊急事態宣言と軍政施行令を発出した。国軍優勢のなかで9月までに戦闘が収束に向かったものの,期限3カ月間の緊急事態宣言と軍政施行令は2度延長されて11月まで継続した。全国停戦協定をめぐる交渉では,政府側がMNDAAとこれに協力するタアン民族解放軍およびアラカン軍の3組織を停戦協定に含めないという強硬な態度をとる一方,NCCT側はこれらも含めた包括的な停戦協定を求め,双方の主張が平行線をたどった。
少数民族武装組織側は,5月初旬に最大の武装組織であるワ州連合軍(UWSA,NCCT不参加)の拠点パンカン(パンサン)で,6月初旬にはカレン民族同盟(KNU)支配地域のカイン州ローキーラーで,諸組織首脳を集めての会議を開催した。とくに後者では,一度合意に至ったはずの協定草案について,13点の修正を政府に対して要請することが決められ,政府との交渉窓口としてNCCTよりもハイレベルの高級調整代表団(SD)が組織された。これを受けて政府は,7月下旬と8月初旬にSDとの公式協議を開催した。この協議で,協定署名の際に政府側最高レベルの大統領や国軍最高司令官が自ら署名を行うことや,国内外から広く立会人を招聘することなどについて,政府側がSDの要望をある程度聞き入れたものの,包括的な停戦協定とするかどうかでは決着がつかなかった。
結局,政府側が総選挙前の署名実現を強く求めたため,少数民族組織側がコーカン紛争の当事者3組織を含めない協定を受け入れるかどうかで分裂することとなった。9月9日の少数民族武装組織の首脳級代表団と大統領との会談を経て,最終的に以下の8組織が協定へ署名する意向を固めた。KNU,民主カレン慈善軍,カレン民族同盟/カレン民族解放軍和平評議会(KNUとは別組織),シャン州復興評議会,チン民族戦線,アラカン解放党,パオ民族解放機構,全ビルマ学生民主戦線である。政府はこれら8組織を合法化し,10月15日に双方が全国停戦協定に署名するに至った。
全国停戦協定に従って,署名直後に停戦協定実現調整会議(JICM)が開催され,そこで停戦監視のための共同監視委員会(JMC)と政治対話を準備するための連邦平和対話共同委員会(UPDJC)の設立が決められた。JMCは行政の各レベルに応じて組織され,連邦レベル委員会は政府と少数民族側の8署名組織から10人ずつ,および両者の選ぶ文民6人の合計26人から構成される。UPDJCは,政府,8署名組織,政党から16人ずつの48人で構成される。これら2つの共同委員会は11月半ばまでにメンバーが確定された。後者が担当する政治対話に関しては,協定署名から60日以内に政治対話枠組みを設定し,90日以内に政治対話を開始すると定める停戦協定に従い,12月16日までに政治対話枠組みが定められ,2016年1月半ばに政治対話が開始されることとなった。
しかしながら,実質的な全国停戦までの道のりは依然として険しい。8署名組織の推定兵力は合計で1万人強と言われており,単独で少なくとも2万人規模の兵力を有するとみられるUWSAに及ばない。総選挙直前の11月初頭,UWSAは再びパンカンで11の非署名組織首脳を集めた会議を開催した。この会議で非署名諸組織は,翌年3月結成の新政権と協議する意向を示すとともに,協議に中国政府や中国人民解放軍を関与させる必要性を指摘した(少数民族問題をめぐる中国との関係については対外関係の項目も参照のこと)。
このパンカン会議の背景には,10月初旬からシャン州北部で国軍がシャン州進歩党/シャン州軍(SSPP/SSA)への攻勢を強めていたことがある。SSPP/SSAは政府から全国停戦に招かれていたものの署名しなかった。署名組織の多くは東部のタイ国境地域に拠るのに対し,北東部の中国国境地域を拠点とする組織の多くがコーカン紛争当事者3組織を除いての停戦協定に署名しなかったことは,ミャンマー北東部で大規模な武力衝突が発生し続けていることと無関係ではないだろう。
また,署名組織の方も一枚岩ではない。署名組織中の最大勢力KNUでは,内部で停戦協定をめぐる意見対立があると指摘されている。現段階での停戦協定署名に反対の立場である最高幹部のジポラ・セイン氏とデヴィッド・ターカボー氏は10月15日の署名式に欠席した。さらに両者は11月のパンカン会議にカレン民族防衛機構(KNDO)の代表として出席した。KNDOはKNU軍事部門の一翼をなすが,パンカン会議には非署名組織のひとつとして参加したとみられる。
暫定身分証保持者参政権問題と「民族保護法」成立ヤカイン州での仏教徒ヤカイン人とイスラーム教徒ロヒンギャの対立および全国での急進的仏教保護運動の高揚が,暫定身分証保持者の参政権を問う事態に進展した。正式の国籍を持たない暫定身分証(ホワイトカードとも呼ばれる)保持者は70万人以上おり,その大部分がロヒンギャであるとされている。2月初旬,暫定身分証保持者に投票権を認める国民投票法案が議会で審議され可決される過程で,急進的仏教保護運動を推進する民族宗教保護協会(ビルマ語通称マバタ)やヤカイン人から強い反発の声が上がった。政府は方針転換を余儀なくされ,法案通過翌日の2月11日,暫定身分証の有効期間を2015年3月31日までにする旨を発表して同法の当該規定を骨抜きにした。さらに,5月に暫定身分証保持者への参政権付与は違憲との憲法裁判所の判断がなされたことで,6月には国民投票法のみならず各種選挙法も改正された。こうして2010年総選挙では認められた多くのロヒンギャの選挙権が,2015年総選挙では認められなくなった。今次選挙でヤカイン民族党はとくにロヒンギャ人口の多いヤカイン州北部で大勝したが,その背景にはこうした事情もあった。
また,民族宗教保護協会が後押しする「民族保護法」4法案が相次いで議会を通過した。異宗教間結婚や仏教徒女性の改宗防止が目的とされる人口抑制健康管理法,改宗法,ミャンマー仏教徒女性特別婚姻法,一夫一婦制法の4つで,国際社会からは信仰の自由や女性の権利を抑圧するおそれがあるとして非難された。
9月のアジア開発銀行(ADB)の予測では,2015年度の実質GDP成長率は8.3%であった。7月と8月に大雨による洪水と地滑りが広範囲で発生し,被災者160万人ともいわれる深刻な被害をもたらしたものの,2012年度の7.3%,2013年度の8.4%,2014年度の8.7%(いずれもADB算出値)に続き,経済成長は堅調である。テインセイン政権下での投資・貿易に関する規制緩和,欧米の制裁大幅解除による外資参入,国内需要の高まりが相まって経済を活性化させている。
投資企業管理局(DICA)によると,2015年の暦年の対内直接投資は認可ベースで174件(前年比19.8%減),63億1172万ドル(同26.3%減)であった。おそらくは選挙時の政情不安定化が危惧されたために海外からの投資件数・金額ともに前年より少なくなっているものの,依然として高水準を保っている。本稿執筆時の報道によれば,2015年4月から2016年3月までの会計年度で見ても,ミャンマー投資委員会は年度目標額60億ドルを達成すると見込んでいるという(Myanmar Times 2016年1月25日)。
暦年の国別投資額では,前年同様,シンガポールが最大であり,40件,34億8131万ドルで全体の55%を占めた。これはシンガポールがミャンマーとの間で有利な租税協定を結んでいること,東南アジア地域のハブ機能を有していることにより,シンガポールを経由した他国からの投資が増えているためである。分野別では,石油・ガスが42%,輸送・通信が27%,製造業が17%であった。
9月23日,ミャンマー初の経済特区として日本が官民を挙げて整備を支援してきたティラワ経済特区が開業した。開業式には日本から麻生財務相が出席した。
なお,12月には,外国投資法と内国投資法が再び改正された。両法を統合して新たな投資法を制定しようとする動きもあるが,その成立は2016年になる見込みである。今次の改正で,ミャンマー投資委員会の投資認可権限が管区域と州の地方政府に一部委譲されることとなる。これにより,今後,地方ごとに特色のあるきめ細かい開発事業の展開が可能になると期待される。
貿易赤字の拡大とチャット安好況の一方で,貿易赤字が拡大している。前軍事政権は政策的に輸出を優先して輸入を抑制してきたが,テインセイン政権が規制緩和を進めた結果,旺盛な国内需要が輸入を急増させた。タイや中国向けの天然ガス輸出を中心に輸出も伸びてはいるが,輸入増の方が上回っている。中央統計局(CSO)の統計によると,貿易収支は2012年度に11年ぶりの赤字となり,赤字幅は2012年度の9190万ドルから,2013年度の25億5550万ドル,2014年度の41億950万ドルへと急速に膨れ上がった。2015年度も既発表の最初の4カ月間だけで19億7940億ドルの輸入超過となっており,赤字が前年度を上回りそうである。
そうしたなかで2015年にはさらなる輸入増加につながる規制緩和が行われた。3月には,外資による新車の輸入販売が条件付きで許可された。近年,日本車を中心とする中古車の輸入が盛んであるが,同時に新車への買い替え需要の伸びが見込まれている。従来は外国企業による貿易が一切認められていなかったため,現地企業に貿易取引を委託する必要があったが,現地企業との合弁企業を設立することなどの条件を満たせば,外国企業が直接,新車の輸入販売に関われるようになった。7月には,輸入ライセンスの取得が必要な4405品目が発表された。ミャンマーでは基本的にすべての貿易取引に許可制が採られており,これまでに輸出入ライセンスの取得が免除される品目リストが発表されるなど規制緩和が進んできたが,今回は輸入についてライセンスの取得が「必要」なネガティブリスト形式での発表となったことが画期的であった。さらに11月には,肥料,種,殺虫剤,医療機器の4品目について外資(合弁企業)による貿易取引が解禁された。ミャンマー国内で不足しがちな品目であるため,輸入増加が見込まれる。
また,国内ではインフレとチャット安が進行しており,貿易赤字の拡大がその一因と考えられる。2014年7月と2015年7月のCSO統計を比べると,インフレ率は10.2%であり,対ドル為替レートは972チャットから1236チャットへと27.2%下落した。
金融市場の拡充と整備前年に営業免許を交付された外国銀行9行が順次,ヤンゴンに支店を開設して,国内銀行および外国企業向けの融資業務を開始した。こうした国内での信用拡大も輸入増加に寄与する要因となる。ミャンマー中央銀行(中銀)は12月に,前年に続き第2弾となる外国銀行営業免許の申請受け付けを開始した。今回は,前回の9行が拠点を置く6カ国(日本,オーストラリア,マレーシア,中国,シンガポール,タイ)の銀行は申請が認められず,多様な国々からの銀行進出を促そうとする意図が読み取れる。
銀行セクターの規模の拡大に伴い,国内銀行の競争力強化と中銀による適切な規制と監督のもとでの金融市場育成とがいっそう重要になる。2015年はこの分野に関しても進展が見られた。第1に,日本の国際協力機構(JICA)の無償資金協力によって進められてきた中銀の基幹業務ICTシステムの構築が12月に完了した(2016年1月5日運用開始)。中央銀行と市中銀行をネットワークで接続し,従来は手作業・紙面で行われていた資金決済などの業務をオンラインで円滑に実行することが可能になった。日本銀行のシステムをベースとして,大和総研とNTTデータが開発した。第2に,中銀が金融機関に対して国際水準に見合う効果的な規制・監督を行えるようにすることを目的とした新しい金融機関法が,年間を通じて連邦議会で議論された(2016年1月25日成立)。
12月9日,ミャンマー初の証券取引所となるヤンゴン証券取引所が開業した。実際の取引は2016年から開始されるが,ミャンマー企業が投資家から直接資金を調達する道が開けた。運営会社はミャンマーと日本の合弁であり,国営のミャンマー経済銀行が51%,大和総研と日本取引所が合わせて49%を出資している。
最低賃金が日額3600チャットに2013年の最低賃金法の成立以来,具体的な最低賃金額の設定に向けた議論が続けられてきたが,政府は2015年8月28日,最低賃金を時給450チャット,日額(8時間労働)3600チャットとして9月1日から適用することを発表した。従業員15人未満の零細企業を除いて,あらゆる業種の労働者が対象とされる。労働者寄りの設定となったことで,縫製業などの一部の事業者から不満も出た一方,アメリカやカナダの業界団体からは支持が表明された。
2月にミャンマー中国国境付近で発生したコーカン紛争が対中国関係にも影を落とした。この紛争で中国がMNDAAを支援して国境を不安定化するメリットはあまりないと思われるが,ミャンマー国内では紛争勃発当初から中国の関与が噂された。3月1日,中国外交部の孔鉉佑アジア局長がこの噂を否定した。3月13日には,ミャンマー空軍機から発射された爆弾が中国領内に着弾し,中国人5人が死亡するという事件が起きた。中国はミャンマーを非難したが,ミャンマー政府は国軍の責任を認めずにMNDAAの策略であるとほのめかした。しかし,両国代表による調査の結果,ミャンマー空軍による誤爆であったことが明らかとなり,4月初めにワナマウンルィン外相が大統領特使として北京に謝罪へ赴くこととなった。5月中旬にまたもやミャンマー領内から発射された砲弾が中国領内へ着弾して負傷者を出すと,中国は6月2日にミャンマー国境付近での実弾軍事演習を敢行して牽制の構えを見せた。コーカン紛争の収束に伴って国境安全保障の問題は緊急性が減退したものの,依然として,両国関係において重要な位置を占めている。
国境情勢の不安定化の一方で,経済関係は着実に深化した。2015年(暦年)の中国からミャンマーへの投資額は9億2400万ドルであり,最盛期の2010年度の82億ドルという規模には遠く及ばないものの,前年の3倍以上となった。また,貿易では,2014年来,中国がミャンマーの最大の貿易相手国となっている。貿易額の増加は,2013年に開通した天然ガス・パイプラインを通じて,中国向けの天然ガス輸出が大きく伸びたためである。2015年1月には,新たに石油パイプラインも試運転が開始された。これらのパイプラインはヤカイン州ベンガル湾岸の港湾都市チャウッピューから,北東に走り,中国雲南省へと通じており,中国にとってはマラッカ海峡を経由せずにエネルギー資源を輸入するための戦略的に重要なルートとなっている。年末には,そのチャウッピューの深海港と経済特区の建設事業が,中国の政府系コングロマリットである中国中信集団公司(CITIC)が主導する2つの企業連合に落札されたとの発表がなされた。テインセイン大統領は9月の訪中の際,常振明CITIC董事長と会談していた。
選挙に先立つ6月中旬,スーチーNLD議長による初の中国公式訪問が実現した。長く没交渉であったスーチー氏・NLDと中国政府・中国共産党は,近年,政権交代の可能性を視野に含めて関係構築を図ってきた。今回のスーチー氏訪中はその成果であり,中国側は一野党党首に対して習近平国家主席との会談という破格の待遇で迎えた。他方,スーチー氏は,民主化運動の象徴というイメージを損なうリスクをおして,政治家としての現実的判断から訪中を実行したと考えられる。
移民・難民をめぐる諸問題ミャンマー以外の東南アジア域内に数百万人にも上るミャンマー出身の労働者や難民がおり,そのなかには過酷な生活・労働環境に身を置かねばならなくなっている人々も大勢含まれている。2015年にはミャンマーを取り巻く移民・難民問題が多方面にわたって顕在化した年であった。
3月25日,AP通信社が長期の取材に基づいて,インドネシア東部海域のベンジナ島で奴隷的状況に置かれたミャンマー人漁業労働者の存在を告発する記事をウェブサイトに掲載した。彼らの多くが人身取引などの結果として同地へたどり着き,監禁や暴力の下での労働を余儀なくされていた。彼らが獲った水産物はタイの水産加工工場を経由してアメリカなどの一般家庭の食卓へと届けられるが,グローバル・サプライ・チェーンを通過する過程で強制労働による漁獲物とその他の正当な手段による漁獲物とが混ざり合い区別が困難になるため,前者の不買などの対策をとりづらくなっているという。国際移住機関(IOM)によると,同海域でのこうした労働者の数はタイ人やネパール人も含めて約4000人に上ると推計された。問題の発覚後,インドネシア政府は一部の企業の漁業免許を停止して調査を進める一方で,随時,保護した漁業労働者の母国への送還を進めた。
5月初め,タイ南部ソンクラー県の山中で,タイ当局が遺棄された人身取引の拠点跡を捜索していたところ,ロヒンギャとみられる30体以上の遺体が埋められているのを発見した。同地には100人以上のミャンマーおよびバングラデシュからの人身取引被害者が収容されていたとみられる。これを皮切りにタイ側のみならず国境をはさんだマレーシア側でも同様の集団墓地が多数発見され,海路タイへ連れてきた被害者を陸路でマレーシアへと移送する人身取引のネットワークが明るみに出た。同時に,タイでの取り締まり強化により,行き場を失った密航船が数百人を乗せたままマレーシアやインドネシアへ流れ着くようになったが,両国が受け入れに消極的で密航船を追い返すなどしたため,ベンガル湾上を漂流する7000人もの「ボートピープル」が発生するという事態に進展した。ロヒンギャに対する抑圧を非難されてきたミャンマー政府は,そもそもロヒンギャはミャンマーに固有の民族でもミャンマー国民でもなくてバングラデシュからの「不法移民」であるという従来どおりの見解を貫き,また,現下の事態についてはタイやマレーシアで行われている人身取引が原因であるという立場をとった。関係各国が責任の押し付け合いをするなか,5月29日,事態の打開を図るべくバンコクで17カ国と国際機関,オブザーバー2カ国が参加する「インド洋非正規移民に関する特別会議」が開催された。会議の結果,マレーシアとインドネシアが1年以内の本国送還を条件にボートピープルの受け入れを認めたことで,非常事態はとりあえずの収束を見た。
前年9月にタイのリゾート地タオ島でイギリス人観光客の男女が殺害された事件で起訴されていたミャンマー人労働者2人に対し,12月24日,タイの裁判所が死刑判決を下した。2人は拷問により自供を強要されたと無罪を主張してきた。そのため,軍事クーデタ後のイメージ悪化を避けるために解決を急いだタイ当局が社会的立場の低い移民労働者をスケープゴートに仕立てたのではないかとの疑いが持たれ,欧米のメディアでもこの事件が注目されていた。ミャンマーでは判決を受けて,タイ大使館前で連日にわたる抗議デモが起きた。
総選挙後にアメリカが制裁を一部緩和アメリカとの間では人権問題をめぐって,年の前半には一定の緊張が生まれた。5月21日から翌日にかけて,アントニー・ブリンケン米国務副長官が来訪し,ミャンマー要人と会談して,暫定身分証の失効措置,「民族保護法」4法案の審議,ベンガル湾ボートピープルへの対応といったロヒンギャ関連の諸問題に関する懸念を示した。通常はアメリカからの要人訪問は次官補レベルでも政府系新聞で報道されるが,このブリンケン米国務副長官の来訪は報道されなかった。
しかし,総選挙でのNLD圧勝はアメリカに大いに歓迎されるところとなる。11月11日,オバマ米大統領はテインセイン大統領とスーチー氏にそれぞれ電話をかけて,成功裏に選挙が実施されたことについての祝辞を述べた。12月7日には,アメリカ財務省がミャンマーに対する制裁の一部停止を発表した。これにより6カ月間は,アメリカ企業がミャンマーの制裁対象企業の物流施設を利用して貿易することが認められることになった。従来,アメリカは制裁対象のミャンマー企業が運営する港湾や空港をアメリカ企業が利用することを認めておらず,しかも,ミャンマー最大の港湾施設がそれに該当していたため,両国貿易にとっての大きな支障となっていた。この制裁緩和措置には,両国貿易を促進するだけでなく,次期NLD政権の後押しをする目的もあるという。
2016年3月末をもってテインセイン政権の任期が満了となり,NLD政権が発足する。現行憲法下ではスーチー氏は正副大統領になる資格がない。選挙前から「自分が大統領の上に立ち」「政権を運営する」と公言していたスーチー氏の地位を含め,要職の人事が注目される。どのような顔ぶれになるにせよ,新政権はテインセイン政権の積み残した課題に取り組んでいかねばならない。
スーチー氏の訴えてきた憲法改正を強硬に主張すれば,国軍との対立は避けられない。他方で全国停戦や政治対話のプロセスでは,連邦制や地方分権化などについて国家体制の見直しが必ず議題に上るだろう。現実的かつ長期的視点に立った粘り強い対話が必要となる。
経済では,天然ガス輸出に頼らない多角的な輸出力を涵養しながら,金融・財政の緊縮によって貿易収支を是正してゆくことが課題となる。政策に実効性をもたせるための行政能力やインフラの充実も重要である。
対外関係では,基本的にテインセイン政権のバランス外交を継受することとなるであろう。アメリカと中国の両大国と経済関係を強化・拡大しながら,政治的にバランスを維持してゆくことが求められる。
(地域研究センター)
1月 | |
5日 | チャールズ・マウン・ボー大司教,ミャンマー初のカトリック枢機卿に。 |
7日 | 国連の李亮喜人権状況特別報告者,来訪(~16日)。 |
12日 | 改憲に関する第2回ハイレベル会合,開催。出席者48人。 |
14日 | ミャンマー・アメリカ第2回人権対話,開催(~15日)。 |
17日 | 国連のナンビアール事務総長特別顧問,来訪。ヤカイン州訪問。 |
19日 | サイマウカン副大統領,インド親善訪問(~24日)。 |
19日 | 高級官僚再教育コース,開設。 |
19日 | 教育法に反対する学生100人以上,マンダレーからヤンゴンへのデモ行進開始。 |
21日 | 韓国の崔潤喜合同参謀本部議長,来訪(~23日)。韓国軍制服組トップの来訪は1983年のラングーン事件以来初。 |
27日 | アメリカのローズ国務次官補(軍備管理・検証・順守担当),来訪。 |
29日 | ニャントゥン副大統領,タイ訪問(~31日)。ダウェー経済特区開発に関するハイレベル委員会に出席。 |
30日 | ミャンマー・中国石油パイプライン(チャウッピュー=昆明),試運転開始。 |
2月 | |
1日 | 教育法に関する4者会談(政府,議会,教育改革全国ネットワーク,学生),開催。 |
2日 | シンガポールのゴー名誉上級相,来訪(~5日)。 |
3日 | 外務省,国連人権状況特別報告者の報告内容に反論するプレスリリース発出。 |
9日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,マレーシア訪問(~11日)。 |
9日 | コーカン自治区で国軍とミャンマー民族民主同盟軍の武力衝突勃発。 |
11日 | 政府,暫定身分証は3月末に失効すると布告。 |
13日 | アウンサン将軍生誕100周年。 |
17日 | 政府,コーカン自治区に緊急事態宣言および軍政施行命令を発出。 |
17日 | フィンランドのトゥオミオヤ外相,来訪。 |
25日 | サイマウカン副大統領,タイ訪問。 |
3月 | |
1日 | 中国外交部の孔鉉佑アジア局長,コーカン紛争への中国の関与否定。 |
2日 | テインセイン大統領とアウンサンスーチー国民民主連盟(NLD)議長(以下,スーチー氏),会談。 |
3日 | ラオスのトンルン副首相,来訪。 |
5日 | ヤンゴン市庁舎前で教育法改正を求めるデモ。警察などによる暴力的鎮圧。 |
11日 | ベトナムのゾアン国家副主席,来訪。 |
12日 | テインセイン大統領,マレーシア訪問(~13日)。 |
13日 | コーカン紛争で,ミャンマー空軍機の爆弾が雲南省内に着弾して中国人5人死亡。 |
17日 | 第7回停戦協議開催(~21日)。 |
18日 | 商業省,外国企業に新車の輸入販売を認める通達を発表。 |
25日 | 財務省,4月1日からの公務員給与引き上げを発表。 |
25日 | AP通信社,インドネシア東部のベンジナ島で奴隷的状況に置かれたミャンマー人漁業労働者の存在を告発。 |
25日 | テインセイン大統領,シンガポールでリー元首相の葬儀参列。 |
30日 | ニャントゥン副大統領,ラオス・カンボジア訪問(~4月3日)。 |
30日 | オランダのマキシマ王妃,来訪(~4月2日)。 |
31日 | 全国停戦協定の文案に合意。 |
4月 | |
1日 | ワナマウンルィン外相,訪中(~2日)。大統領特使として前月の誤爆につき謝罪。 |
6日 | ワナマウンルィン外相,訪韓(~8日)。 |
10日 | 政府,各省庁に事務次官職を復活。 |
10日 | 大統領,国軍最高司令官,連邦議会議長,上院議長,スーチー氏,民族代表議員による6者会議,開催。 |
21日 | テインセイン大統領,インドネシア訪問(~23日)。アジア・アフリカ首脳会議に出席。バングラデシュ,中国と二者会談。 |
25日 | シュエマン連邦議会議長,訪中(~29日)。 |
26日 | テインセイン大統領,マレーシア訪問(~28日)。第26回ASEAN首脳会議出席。 |
30日 | シュエマン連邦議会議長,訪米(~6日)。 |
5月 | |
1日 | ワ州統一軍,拠点のパンカン(パンサン)で少数民族武装組織会議を開催(~6日)。 |
1日 | タイ南部のソンクラー県でロヒンギャの集団墓地発見との報道。 |
6日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,パキスタン,セルビア歴訪(~12日)。 |
9日 | ミャンマー・ラオス友好橋開通式。 |
11日 | 憲法裁判所,暫定身分証保持者の投票権を否定する判決。 |
11日 | 中国の楊晶国務院秘書長,来訪(~14日)。 |
14日 | ワナマウンルィン外相,モンゴル訪問(~17日)。 |
14日 | 中国雲南省にミャンマー領内から発射された砲弾が着弾(~15日)。 |
21日 | 海軍,ヤカイン州沖で船舶2隻から208人のバングラデシュ人を保護。 |
21日 | アメリカのブリンケン国務副長官,来訪(~22日)。 |
27日 | 国連のナンビアール事務総長特別顧問,来訪(~6月2日)。 |
28日 | ベトナムのミン副首相兼外相,来訪。 |
29日 | インド洋非正規移民に関する特別会議,バンコクで開催。 |
29日 | 2014年センサスの最終結果発表。 |
6月 | |
1日 | ロシアのサリューコフ陸軍総司令官,来訪(~2日)。 |
2日 | 少数民族武装組織,カイン州ローキーラーで会議開催(~9日)。 |
2日 | 中国,国境付近で実弾軍事演習敢行。 |
4日 | ニャントゥン副大統領,シンガポール訪問。SEA Games開会式に出席。 |
10日 | スーチー氏,訪中(~14日)。習近平国家主席と会談。 |
15日 | タイのプリディヤトーン副首相,来訪。 |
16日 | ニャントゥン副大統領,ロシア訪問(~20日)。 |
17日 | インドのドバル国家安全保障顧問,来訪。 |
18日 | 第2回ミャンマーEU人権対話,ネーピードーで開催。 |
22日 | 第7回カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム(CLMV)首脳会議,第6回エーヤーワディ・チャオプラヤ・メコン経済協力戦略会議(ACMECS)首脳会議,ネーピードーで開催(~23日)。 |
25日 | 連邦議会,憲法改正案投票。6項目中,1項目のみの改正を承認。 |
28日 | テインセイン大統領,モンゴル訪問(~30日)。 |
30日 | ヤンゴンにケンタッキー・フライドチキン1号店,開店。 |
30日 | シンガポールのテオ副首相,来訪(~7月1日)。 |
7月 | |
1日 | 新1万チャット紙幣の導入。 |
2日 | テインセイン大統領,訪日(~6日)。日メコン首脳会議に出席。 |
3日 | 国連人権理事会,ミャンマーの人権問題(ロヒンギャの保護)に関する決議を採択。 |
3日 | ウィンシェイン財務相,訪中。アジアインフラ投資銀行(AIIB)協定署名式に出席。 |
8日 | 選管,選挙日を11月8日と公示。 |
8日 | ワナマウンルィン外相,オランダの化学兵器禁止機関を訪問し,化学兵器禁止条約の批准書を寄託。1カ月後の8月8日より発効。 |
15日 | 第1回ミャンマー・インド合同協議委員会,ニューデリーで開催(~17日)。両国外相が議長。 |
22日 | 連邦議会,憲法改正にかかわる国民投票実施を総選挙後に延期。 |
22日 | ラオスのブンニャン副大統領,来訪。 |
22日 | 第8回公式停戦協議(~24日)。高級調整代表団との初公式会合。 |
26日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,インド訪問(~8月1日)。 |
27日 | 商業省,輸入ライセンス取得が必要な4405品目をネガティブリスト形式で発表。 |
28日 | 第8回ミャンマー・タイ二国間協力のための合同会議,チェンマイで開催。両国外相が共同議長。 |
29日 | 俳優で社会活動家のチョートゥー氏,マグサイサイ賞受賞。 |
29日 | タイのチェンマイに総領事館,開設。 |
29日 | アンジェリーナ・ジョリー国連親善大使,来訪(~8月1日)。 |
30日 | 囚人6966人に恩赦。 |
31日 | 政府,ミャンマー西部で洪水被害が深刻と発表。 |
8月 | |
2日 | 国連の李亮喜人権状況特別報告者,来訪(~7日)。 |
3日 | ワナマウンルィン外相,マレーシア訪問(~6日)。ASEAN外相会議出席。 |
4日 | タイのプリディヤトーン副首相,来訪(~5日)。ダウェー経済特区関連会議へ出席。 |
6日 | 第9回公式停戦協議(~7日)。 |
11日 | タイとの間でのビザなし訪問互恵協定,発効。 |
11日 | 出馬予定者軍籍離脱に伴う国軍人事異動。 |
12日 | テインセイン大統領,内閣改造。 |
12日 | 連邦団結発展党,深夜から翌日にかけて内紛で執行部交替。シュエマン党首代行解任。 |
14日 | 総選挙候補者名簿の提出締め切り。 |
17日 | ソーウィン国軍副司令官,ラオス,日本,タイ歴訪(~27日)。 |
19日 | ワナマウンルィン外相,コスタリカで第7回東アジア・ラテンアメリカ協力フォーラムに出席(~21日)。 |
27日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,タイ訪問(~29日)。 |
9月 | |
1日 | 日額3600チャットの最低賃金額,発効。 |
2日 | テインセイン大統領,訪中(~4日)。世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席。常振明中国中信集団公司(CITIC)董事長と会談。 |
3日 | アメリカのラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当),来訪(~5日)。 |
6日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,イスラエル訪問(~9日)。 |
8日 | 各政党,選挙キャンペーン開始。 |
9日 | 少数民族武装組織代表団,大統領および国軍最高司令官と会談。 |
14日 | 民族宗教保護協会,「民族保護法」4法の制定祝賀式典開催。 |
14日 | 総選挙投票者名簿の掲示開始。 |
17日 | サイマウカン副大統領,訪中(~19日)。南寧で中国・ASEAN博覧会出席。 |
20日 | 日本の麻生副首相兼財務相,来訪(~23日)。 |
20日 | ソーウィン国軍副司令官,訪中(~25日)。 |
21日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,自由で公正な選挙にすると発言。 |
23日 | ティラワ経済特区,開業。 |
24日 | ワナマウンルィン外相,訪米(~10月2日)。国連総会,ASEAN外相非公式会議など出席。アメリカ外相などと二者会談。 |
28日 | ロシアのフォミン・ミャンマー・ロシア軍事技術協力共同会議議長(ロシア連邦軍事技術協力庁長官),来訪。 |
10月 | |
3日 | タイのシリントン王女,来訪。 |
6日 | 国軍,シャン州進歩党/シャン州軍-北(SSPP/SSA-N)を大規模攻撃。 |
6日 | EUとの貿易発展プログラム,開始。 |
12日 | 選管,シャン州5郡などでの選挙中止を発表。 |
12日 | 政府,全国停戦協定に署名予定の8少数民族武装組織を合法化(~13日)。 |
15日 | 全国停戦協定の署名。直後に第1回停戦協定実現調整会議,開催(~17日)。 |
18日 | アメリカのローズ大統領副補佐官(国家安全保障担当),来訪(~20日)。 |
27日 | 選管,シャン州2郡などでの選挙中止を追加。 |
11月 | |
1日 | ワ州統一軍,パンカンに全国停戦協定非署名11組織を招待して会議を開催。 |
5日 | スーチー氏,「大統領の上」発言。 |
8日 | 総選挙投票日。 |
11日 | ワナマウンルィン外相,訪中(~13日)。雲南省景洪で第1回メコン河・瀾滄江協力外相会議出席。中国,タイ外相と二者会談。 |
11日 | 商業省,外資合弁企業の貿易取引を肥料,種,殺虫剤,医療機器の4品目に限り解禁。 |
11日 | アメリカのオバマ大統領,電話でテインセイン大統領とスーチー氏に選挙成功の祝辞。 |
17日 | コーカン自治区での軍政解除。 |
19日 | スーチー氏,シュエマン連邦議会議長と会談。 |
20日 | テインセイン大統領,マレーシア訪問(~23日)。ASEAN関連首脳会議に出席。ロシア首相,国連事務総長と二者会談。 |
21日 | カチン州パーカンのヒスイ(翡翠)鉱山で地滑り。死者100人超。 |
22日 | ソーウィン国軍副司令官,タイ訪問(~26日)。 |
24日 | アメリカのラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当),来訪。 |
27日 | 国連のナンビアール事務総長特別顧問,来訪。 |
12月 | |
2日 | 大統領府,競争法の効力発生時期を2017年2月14日からと発表。 |
2日 | スーチー氏,テインセイン大統領およびミンアウンフライン国軍最高司令官と会談。円滑かつ平和的な政権交替について協力合意。 |
3日 | 第2回インド洋非正規移民に関する特別会議,バンコクで開催(~4日)。 |
3日 | 中国の劉振民外交部副部長,来訪(~5日)。中国政府特使として選挙成功の祝辞。 |
4日 | スーチー氏,前軍事政権トップのタンシュエ元上級大将と会談。 |
7日 | アメリカ財務省,ミャンマーへの経済制裁を一部緩和。 |
8日 | 連邦議会,全国停戦協定を承認。 |
9日 | ヤンゴン証券取引所,開業。 |
9日 | 政府,第4の携帯電話事業免許入札の関心表明受け付け開始。 |
13日 | ニャントゥン副大統領,タイ訪問(~15日)。ダウェー経済特区関連会議に出席。 |
14日 | 中銀,第2弾の外国銀行営業免許の申請受け付け開始。 |
16日 | 政治対話枠組み,大統領に提出。 |
23日 | CITICの常振明董事長,来訪。 |
24日 | タイの裁判所,タオ島イギリス人男女殺害事件で起訴されていたミャンマー人2人に死刑判決。 |
28日 | エチオピアと国交樹立。 |
29日 | 連邦議会,チャウッピュー経済特区建設を承認。 |
30日 | CITIC主導の2つの企業連合,チャウッピュー深海港・経済特区建設事業落札。 |