アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のバングラデシュ アワミ連盟政権,強権化と全方位外交の推進
日下部 尚徳
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2016 年 2016 巻 p. 467-490

詳細

2015年のバングラデシュ アワミ連盟政権,強権化と全方位外交の推進

概況

2014年末から小康を保っていたバングラデシュ政治情勢は,2015年に入り,再び不安定化した。国会総選挙から1年となる1月5日に,バングラデシュ民族主義党(Bangladesh Nationalist Party: BNP)を中心とする野党連合は,アワミ連盟(Awami League: AL)主導政権に対して再選挙を求める集会を計画していたが,ダカ警察は治安上の理由から許可を出さなかった。それに対して野党連合は,1月6日から全国規模の交通封鎖,およびゼネスト(ハルタル)を実施した。野党連合の要求は中立な選挙管理内閣の下での再選挙実施にあるが,与党側は,選挙をボイコットし,国民の政治参加の機会を奪ったのは野党の責任であるとして,交渉に応じる姿勢をみせず,膠着状態に陥った。

そんななか実施されたダカ南北・チタゴン同時市長選挙(4月)および全国234カ所の市長・市議会議員選挙(12月)ではALが勝利を収めたが,野党側は選挙の不正を訴え,与野党対立はより深刻化した。

反政府運動に伴う暴力行為に加えて,外国人をターゲットにした殺害事件,政治的な発言をインターネット上で行うブロガー殺害事件発生を機に,同国の治安情勢は,悪化要因が多様化するという意味で,これまでにない新たな局面を迎えることとなった。

経済では,度重なる交通封鎖,ハルタルが運送業や輸出産業,民間投資に悪影響を及ぼしたにもかかわらず,過去最大額を記録した海外送金,民間企業の賃金上昇,公共事業などによって内需が拡大し,6%台の成長率を維持した。

外交においては,長年の懸案事項であったインドとの地上国境線画定という大きな成果がみられた。安定した経済成長,地政学的な重要性から,中国,日本の同国への関心も高まりをみせるなか,ハシナ政権は全方位外交方針の下,各国のパワーバランスに配慮した外交戦略が求められる1年となった。

国内政治

膠着状態に陥る与野党の攻防

国会総選挙から1年となる2015年1月5日に,BNPを中心とする野党連合は「民主主義が死んだ日」として,再選挙を求める集会を計画していたが,治安上の理由からダカ警察は許可を出さなかった。また,1月3日にはジアBNP総裁の自宅周辺に警官隊を配備し,実質上の軟禁状態におくなど,治安維持を名目に,野党の抗議行動を押さえ込む措置をとった。

それに対して野党連合は,1月6日から全国規模の交通封鎖およびハルタルを宣言した。野党連合の要求は再選挙の実施にあるが,与党側は,選挙をボイコットし,国民の政治参加の機会を奪ったのは野党の責任であるとして,交渉に応じなかった。日本を含む外交団による再三の働きかけにもかかわらず,総選挙の枠組みに関する与野党協議は進まず,膠着状態に陥った。

さらに2月25日に,ダカ第三特別判事法廷は,ジアBNP総裁に対して関連団体のジア孤児基金およびジア慈善基金に関する資金横領事件の容疑で逮捕状を,3月1日に総裁事務所に対する家宅捜索令状を発付するなどして,野党連合への圧力をいっそう強めたことから,BNPおよびジャマアテ・イスラーミー(イスラーム協会,JI)の支持者による反政府運動はより先鋭化することとなった。火炎瓶や手製爆弾をバスや一般車両に投下する無差別的な事件が連日発生し,1月5日から3月7日までの死者83人のうち66人が一般人であった(現地英字紙Daily Star3月8日付)。これまでのバングラデシュにおける反政府運動においては,デモ参加者が警官隊と衝突することによって死傷者が出るケースが大半であったが,2015年に入ってから政治活動とは無関係な一般人が巻き込まれる暴力行為が頻発したことから,国民の批判も高まりをみせた。

ハシナ首相をはじめとするAL幹部は,BNPおよびJIによる交通封鎖・ハルタルに伴う暴力行為の残虐性を強調し,治安の悪化は野党連合の責任であると主張した。国連や欧米諸国は,ALとBNPに対して対話を求める声明を出したが,ALは,BNPが暴力行為を停止し,JIとの共闘関係を解消しなければ対話には応じないとの姿勢を維持した。しかしながら,3月に入ってから交通封鎖・ハルタルによる暴力事案は減少した。この背景には,反政府運動の長期化による資金の枯渇と動員力の低下,そして4月28日に実施が決定されたダカ南北市長選挙およびチタゴン市長選挙のための選挙準備が影響したと考えられる。

ダカ南北・チタゴン3都市同時市長選挙でAL勝利

2015年2月,ハシナ首相の指示の下,選挙管理委員会は,ダカ南・北およびチタゴンにおける3特別市同時市長選挙を4月28日に実施する旨を発表した。それに対してBNPは当初,選挙実施は野党連合による反政府運動から国民の関心をそらすための政略であるとして実施に批判的であったが,その後立場を一転させ,公正な選挙環境整備を条件に候補者を擁立する意向を固めた。交通封鎖・ハルタルによる反政府運動が行き詰まり,国民の不満も高まるなか,BNPは市長選挙への参加を通じて国民からの支持を喚起し,選挙管理内閣下での選挙実施を求める運動に弾みをつけたいとのねらいがあったものとみられる。BNPは1991年から1993年にかけてダカ市長を務め,閣僚経験もあるミルザ・アッバス党常任委員など,知名度の高い党幹部を候補者として擁立し,積極的な姿勢をみせた。一方ALの側には,市長選挙を通じて支持基盤を固めると同時に,選挙に注力させることにより野党連合による暴力的な反政府運動を沈静化させ,国内の治安を回復させる意図があったものとみられる。市長選挙は名目上非政党ベースの選挙だが,BNPも参加を表明したことから,与野党対立が票にどのように反映されるかという観点から大きな注目を集めることとなった。

ダカ市の市長選挙は,前回2002年に行われ,BNPの支持する候補者が勝利した。2007年5月に任期切れとなったが,非政党選挙管理内閣が非常事態宣言を発令していたことから延期された。政府は2011年にダカ市の行政区画を南北に分割したが,南北に分かれたダカ市の有権者リストの未整備などが理由で裁判所の許可が下りず,選挙は先延ばしにされてきた。南北の境界画定問題を政府が棚上げしてきたことから,延期が繰り返されてきたダカ南北市長選挙であったが,今年になってハシナ首相の強い要請を受け,急遽実施準備が整えられた。

チタゴン市長選挙は,前回2010年6月に実施され,BNPが支持する候補者が当選した。チタゴンに関しては,7月25日に任期が切れる予定となっていた。

選挙は4月28日に3都市同時に行われた。結果は3つのポストすべてで与党ALが支持する候補者の勝利となった。ALの3候補者の合計得票数は147万票余りで,得票率は55.43%,一方のBNPの3候補者の合計得票数は約90万票で,得票率は34.83%という結果となった。投票率は44%であったと,選挙管理委員会は現地報道機関に述べている。

今回の選挙は,事前の予想では野党BNPが善戦するともいわれていた。その背景には,2013年4月に実施されたラッシャヒ,クルナ,ボリシャル,シレットの特別市市長選挙,続く同年7月に実施されたガジプール特別市市長選挙において,BNPが支持する候補者が全勝した経緯がある(表1)。

表1  特別市市長選挙における得票率(%)

(出所) Daily Star,4月30日付より筆者作成。

そんななか,与党ALは選挙を少しでも有利に運ぶため,水面下で学生グループを動員し,野党側の選挙活動を妨害した。ジアBNP総裁本人がダカで選挙活動中に与党支持グループに襲われる事件も発生している。また,投票当日には市内各地で不正投票や票の水増し,報道関係者への暴力が報じられるなど,公正な選挙環境が整備されたとは言い難い状態であった。これに対して野党は,選挙に悪質な妨害行為があったとして投票当日12時を過ぎてからボイコットを宣言し,選挙の無効を訴えた。

ALはそれまで,すべての暴力行為の責任はBNPの側にあると主張し,同党の支持率低下を画策したが,今回の選挙において与党側にも責任の一端があることを白日の下にさらすこととなった。その一方で,欧米の大使館が公正性に疑義を申し立てるほどの選挙であり,投票途中でボイコットしたにもかかわらず,3割以上の票を獲得したBNPは,全敗しながらも支持基盤がいまだに強固であることを国内外に示す結果となった。

市長および市議会議員選挙でAL圧勝

12月30日には,特別市を除く324市のうち234カ所において市長および市議会議員選挙が行われた。BNPがボイコットするなか実施された2014年の国会総選挙以降初の全国規模での選挙であったことから,与野党の勢力図を反映する選挙として注目された。前回2011年の1月に実施された市長および市議会議員選挙では,市長ポストにおいて,BNPの候補が92人,ALの候補が88人当選しており,僅差ではあるがBNPがその影響力を示した。

一方,今回の選挙においては,市長ポストにおいてALの候補者が178人,BNPの候補者が23人当選と,大差をつけてALが勝利する結果となった。しかし,50カ所の投票所で暴力行為が発生し,投票が延期されたことに加え,複数のメディアが選挙中の不正を報道するなど,選挙の公正性についてはまたしても疑問符が付く結果となった。ALは,選挙は自由かつ公正に行われたと主張する一方で,BNPは選挙の不正を訴え,再選挙の実施を要求した。

戦犯裁判における死刑の執行

ALは2008年12月の総選挙で戦争犯罪法廷の設置を公約として掲げた。そして2009年1月に政権に復帰した後,2010年3月25日に国際犯罪(法廷)法(International Crime[Tribunal]Act)に基づく法廷を設置した。

裁判の対象は,1971年のバングラデシュ独立戦争当時,独立運動を弾圧したパキスタン軍に協力あるいは情報を提供した者や,独立支持派やヒンドゥー教徒を虐殺したとされる者たちである。西パキスタン側への協力者の多くは,イスラーム主義政党の支持者だった。そのなかでもとくに,地方にまで組織力をもつJIおよびその学生組織の指導者が反独立運動の中心的な役割を担っていた。JIは東パキスタン独立によるイスラーム国家の分断と,それによる南アジアにおけるインドの地政学的影響力の拡大を恐れ,西パキスタンに加担したとされる。

対象がJIとBNPの指導者に限定されていることから,戦犯法廷設置のねらいは,野党指導者を裁判にかけ,政治力を削ぐことにあるとして,JIなどのイスラーム主義政党とその学生組織による抵抗運動が激化した。2015年には,3人に死刑が執行されたが,2013年にA. Q. モッラーJI書記長上級補佐(逮捕当時)に対して死刑が執行された際には,その直後から,JIによるハルタルや暴力的な抗議活動が実施され,多数の死傷者が出たことから,政府は警戒を強めた。

4月11日に死刑が執行されたMd. カマルッザーマンJI書記長上級補佐(逮捕当時)には,シェルプルにおける民間人164人の殺害や拷問などの人道に反する罪に対して2013年5月に有罪判決が出ていた。

また,11月22日には,JI書記長上級補佐(逮捕当時)のA. A. M. ムジャヒードとBNP国会議員(逮捕当時)のS. Q. チョウドゥリーに対して死刑が執行された。A. A. M. ムジャヒードは,2001年から2006年までのBNP政権において社会福祉大臣を務めた経験をもつ。ダカでの知識人集団殺害ほかに関与したとして,2013年7月に死刑判決を受けていた。S. Q. チョウドゥリーはBNP常任委員会のメンバーで最高幹部のひとりであった。裁判所は独立支持者やヒンドゥー教徒に対する拷問・殺害などの罪に対して有罪判決を下していた。

ともに2015年6月に最高裁判所が控訴を棄却したことから刑が確定していたが,ハミド大統領が恩赦の訴えを棄却した結果,刑が執行された。死刑執行に際しては,JIおよびBNP支持者が暴動を起こすことを恐れ,政府は,事前にFacebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の閲覧を一時的に規制する措置をとった。JIは刑の執行に抗議し,翌23日に全国規模のハルタルを実施した。

ブロガー殺害事件の多発

2月26日夜,ウェブ上での世俗主義的な政治発言で知られるバングラデシュ生まれのアメリカ人ブロガー,アビジット・ロイと,その妻がダカ大学教師学生センター付近で,何者かに背後から切りつけられる事件が発生した。ロイは死亡,妻も重傷を負った。同氏は著作やブログを通じて,戦犯法廷の推進を主張しており,複数回にわたりネット上で脅迫を受けていた。

事件直後,Ansar Bangla7と自称するグループがTwitterに犯行をほのめかす投稿を行った。捜査関係者は,2013年に戦犯法廷において厳罰を求めるシャハバーグ運動の活動家殺害事件を実行したといわれるイスラーム過激派組織による犯行の可能性に言及している。

その後も,過激なイスラーム思想を批判する書き込みを行っていたブロガーや,彼らの著作を発行する出版社の人間が襲撃された。3月30日には,ダカで,宗教原理主義的な思想に反対する書き込みを行っていたブロガーのワシクル・ラフマンが刃物で切りつけられ,死亡した。

また,5月12日には,北東部シレットで,ブロガーのアナンタ・ビジョイ・ダスが,8月7日には,ダカでNGOに勤務していたブロガー,ニロイ・チャクラバルティが殺害された。両者は,ともにロイの発言に共感する書き込みを行っていた。また,10月31日には,ロイの著作の発行人であるファイサル・アレフィン・ディパンがダカで何者かに襲われ死亡した。この数時間前にも,ダカで世俗派ブロガー2人と発行人1人が襲われ負傷している。

5月2日に「インド亜大陸のアルカイーダ」(Al Qaeda in the Indian Subcontinent: AQIS)がアビジット・ロイとワシクル・ラフマンに加え,2013年と2014年に殺害されたブロガー,計4人の殺害に関してウェブ上の動画で犯行声明を出した。ニロイ殺害に対しても同組織が地元メディアにメールで犯行声明を送付したとされるが,真偽のほどは定かではない。また,2013年から2015年にかけてのブロガー殺害および襲撃に関与したとして,「アンサルラ・バングラ・チーム」が内務省によって2015年5月25日に活動禁止となった。

近年のインターネットの普及により,ブログでの書き込みが社会的に大きなインパクトをもつようになってきた。戦争犯罪人に対して極刑を求める2013年のシャハバーグ運動もBlogger & Online Activist Network(BOAN)に参加する若者たちが開始したものであったことから,ウェブ上での発言が,運動へとつながる可能性をムスリム保守層は警戒しているといえる。また,新たなコミュニケーションツールを使って,イスラームを軽視する発言を繰り返すことそのものが,伝統的なイスラームの教えに対する冒涜であるとして攻撃の対象となった可能性も否定できない。国連は一連のブロガー殺害事件の早期解決を求める声明を出した。

外国人殺害事件にISが犯行声明

2015年には外国人をターゲットにした襲撃事件が3件発生した。2012年にサウジアラビア大使館員がダカで銃殺される事件が起きているが,今回の一連の殺害はIS(「イスラーム国」)による犯行声明の下,連続して発生したことに加え,ISが自ら発行する広報誌「ダービク」(イシュー12)において,バングラデシュにおけるテロ活動の強化を示唆したことから,政府,各国大使館は警戒を強めた。

最初に殺害されたのは,オランダのNGOに所属する50代のイタリア人男性で,9月28日にダカで何者かに銃で撃たれ死亡した。同日,ISが同組織のロゴの下にバングラデシュと記した声明のなかで,犯行を認めた。続けてバングラデシュ北部ロングプルで10月3日,日本人男性が銃撃され死亡した。同日,同じくISが男性の殺害を主張する声明を,ウェブ上で公開した。日本政府関係者は翌日4日,死亡したのは星邦男氏(66歳)と確認した。同日チタゴン丘陵地帯を除くすべての地域における海外安全情報(危険情報)が「レベル2:不要不急の渡航は止めてください」に引き上げられ,ダカ在住の外国人居住者に対して注意喚起が行われた。

星氏は,バングラデシュ人の知人の家にホームステイする形でロングプルに滞在し,トウモロコシを栽培していたことから,国際協力機構(JICA)のプロジェクトで農業指導に来ていると誤認されたのではないかとの指摘もある。もしそうであるならば,バングラデシュで活動する外国人援助関係者を狙った殺人事件として,イタリア人NGO職員殺害事件との相関性も認められる。

バングラデシュ政府は10月6日,欧米諸国,日本などの大使館関係者を集め,一連の外国人殺害事件に対する政府の対応について説明した。アリ外相は記者団に,外国人の安全確保に全力を尽くす考えを示した。10日からはダカのバリダラ,ボナニ,グルシャン地区など,外国公館などが集中する地域に治安部隊が配備された。

しかし,11月18日には,北部ディナジプールで,再びイタリア人男性が銃で首などを撃たれ負傷する事件が発生した。男性は,キリスト教関連の病院で医師として勤務しており,教会で礼拝した帰りに襲撃を受けたとされる。2015年において3度目の外国人襲撃も援助関係者を狙った事件であり,またISが犯行声明を出しているという点でこれまでの事件と同様であった。11月20日にウェブ上に出された犯行声明には,男性を襲撃した際の様子と,男性がキリスト教への改宗活動を行っているとして非難する文面が掲載された。

これに対し,ハシナ首相は,国内にISの組織は存在しないとの立場を堅持したうえで,野党など国内の反政府グループの犯行の可能性を示唆した。当局は,声明と一連の事件との関連について捜査を継続している。

しかしながら一方で,5月30日に,ISへの勧誘容疑でダカで逮捕者が出ており,また10月2日から3日にかけて,マイメンシンでISへの勧誘ビラやポスターを配布したとして4人が逮捕されている。これらのことからも,バングラデシュ国内でISおよびその関連組織のメンバーが活動している可能性を否定することはできない。ISは広報誌「ダービク」で,バングラデシュにおけるテロ活動の強化を示唆するとともに,同国における勢力拡大を目的とした新たな攻撃を実施すると表明した。同誌においてイタリア人と日本人の殺害はISによるものであると言及し,「バングラデシュ政府は,事実の隠蔽を継続している」とも指摘している。これは,ISが犯行声明を出している複数の外国人襲撃事件に対して,政府がこれらの事件は国内の情勢不安定化をねらった反体制派によるものだと主張していることに対する牽制ともとれる。

一連の事件の背景に反政府グループの影があるのか,もしくは野党を追い詰めるための与党による事件の政治利用なのか,本当にISによる援助関係者を狙った殺害事件なのか,今後も当局による調査の動向を注視する必要がある。

また,外国人を狙った犯罪ではないが,10月24日に,ダカのシーア派宗教施設爆破事件(10代の少年1人が死亡,100人以上が負傷),11月26日に,ボグラのシーア派モスクにおいて無差別発砲事件(宗教指導者1人が死亡,3人が負傷),12月25日に,ラジシャヒにあるアフマディヤのモスクにおいて自爆事件(自爆した1人死亡,3人負傷)が発生し,ともにISが犯行声明を出した。当局は,事件の実行犯としてバングラデシュの非合法組織であるバングラデシュ・ムスリム戦士団(Jama'atul Mujahiddin. Bangladesh: JMB)が関連しているとして調査を行っている。12月にチタゴンのJMBのアジトから大量の爆発物の原料や自爆用ベストなどが押収されたことをふまえると,今後もこうした無差別殺害事件や外国人を狙った犯罪は十分に起こりうると考えられる。

バングラデシュからの不法移民の増加とロヒンギャ難民キャンプの移転

現地報道によると国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は,2015年1月から3月に,2万5000人もの人々がボートでバングラデシュから国外に向かったと発表した。この数は2014年の同時期の値の倍に上る。このなかには,国内での極度の貧困から抜け出すことを夢見て海外へと渡るバングラデシュ人最貧困層に加え,ミャンマーから難民としてバングラデシュに逃れてきたロヒンギャが含まれる。

バングラデシュ政府は5月27日に,ロヒンギャ難民キャンプを強制移転する意向を表明した。難民キャンプの移転先として政府が発表したのは,バングラデシュ南部のベンガル湾に浮かぶ島,ハティア島である。ハティア島はダカから南に約180キロメートルのところに位置し,船で15時間以上かかるため,本土との交流には不便を来す。大小さまざまな島によって構成されるが,今回政府が指定したのは,ハティア本島から北西に20キロメートルほどいったところに新たに出現した孤島である。ハティア島はガンジス川の河口に位置し,その周辺は土壌の浸食・堆積作用による急激な地形変化が繰り返されている。ロヒンギャ難民キャンプの候補地は,このような土壌の堆積作用によって新たに出現した湿地帯である。

表向きは,難民キャンプの存在がバングラデシュのリゾート地コックスバザールでの観光業に悪影響を及ぼすことが移転理由として指摘されているが,実際のところは,国境問題を抱えるミャンマーとの国境線付近に難民キャンプがあることで,紛争の火種になることへの懸念や,ミャンマー側からの新たな難民の流入を防ぐ思惑があると考えられる。

経済

マクロ経済状況

世界銀行の発表(7月1日)によると2014/15年度(7~6月)の1人当たり国民総所得(GNI)が1314ドルを記録したバングラデシュは,低所得国から中所得国となった。世銀は中所得国をさらに低中所得国と高中所得国の2つに分類しており,バングラデシュは,インドやベトナムと同じカテゴリーである「低中所得国」に位置づけられた。政府の策定した10カ年計画では,2021年までに中所得国となることがうたわれていたが,それよりも早く目標が達成されたことになる。

2014/15年度のGDP成長率は6.5%で,前年度の6.0%を上回る結果となった。1月から3月にかけての度重なる交通封鎖,ハルタルが運送業や民間投資に影響を与えたにもかかわらず,復調した海外送金,民間企業の賃金上昇,公共事業などによって内需が拡大した。6%台の成長率を維持したことは,バングラデシュ経済の安定性を国内外に示すだけでなく,強権的なAL政権に対する批判をかわす要因となった。

各部門の成長率は,農業3.0%(前年度4.3%,新基準年[2005/06=100]ベース,以下同),鉱工業9.6%(同8.1%),サービス5.8%(同5.6%)と,農業部門を除いて成長率が上昇した。

しかしながら,輸出額は3.3%増にとどまった。前年度が12.1%増だったことを考えると,低成長であったといわざるをえない。交通封鎖によってサプライチェーンが機能不全に陥ったことや欧米における需要の緩やかな低下,輸出の8割を占める縫製業の成長率が4.1%と低かったことなどが影響したと考えられる。

インフレは引き続き国民の生活を直撃する深刻な問題である。しかしながら,2014/15年度の消費者物価指数の上昇率は6.4%で,過去11年間で最も緩やかな上昇にとどまった。世界的な原油価格の下落に伴い燃料や肥料などの生産コストが低下したことによって,食糧価格全体のインフレが抑えられたことが要因である。また,過去最高の収穫高を記録したボロ米を中心に,コメの総生産量が前年比1%増の3470万トンとなったことや,インドからの安価な輸入米の流入によって,コメ価格が下落したことも影響した。歳入庁は12月,国内のコメ価格安定化を計り,生産者を保護する目的で,一部のコメに課す輸入関税をそれまでの10%から20%に引き上げる決定をした。これにより,インドからの輸入米の価格が上昇することから,コメ全体の価格が上昇に転じることが予想される。

一方で,交通封鎖によって移動や運搬にかかるコストが上昇したことに加え,医療コストも増加したことから,非食糧品においてはインフレがおきた。

縫製品輸出とともにバングラデシュの外貨獲得において大きな役割を果たしている海外出稼ぎ労働者からの送金は,前年(142億3000万ドル)から7.6%増の153億1000万ドルで,過去最高を記録した。中央銀行は,近年の積極的な海外労働者の送り出し政策によって,出稼ぎ出国者人口が増加したことが要因であるとしている。また,安定したタカとドルの為替レートや,中央銀行が主導して利便性の高いモバイルバンキングシステムを導入したことが,送金のインセンティブとなった。

政府は,2015/16年度のGDP成長率の目標を6.6%と設定している。サプライチェーンの寸断,搬送の遅れ,経費の増加,それらに伴う民間投資の減少など,交通封鎖やハルタルによる経済的損失は甚大であることから,成長目標が達成できるかどうかは,政治的安定にかかっているといえる。

深海港建設,日本案を支持

2015年9月に,政府が中国と協議を進めていたベンガル湾のソナディアにおける深海港建設を棚上げし,同地から25キロメートルほど離れたマタバリの深海港建設に資金提供する日本の提案を支持したとの報道がなされた。バングラデシュの主要港は水深が浅いことから大型船舶が停泊できず,港から小型船舶で大型船に貨物を運ぶことによる輸送経費の増加が問題視されていた。そのため,新たに建設される深海港は,同国の経済を牽引する縫製品などの輸出拠点として重要な役割を担うことが期待されている。

日本は,前年のハシナ首相訪日,安倍首相来訪を経て,二国間の「包括的パートナーシップ」の下,「ベンガル湾産業成長地帯」(BIG-B)構想を打ち出し,今後4~5年を目処に総額最大6000億円の支援を約束するなど,経済協力を通じた同国との関係強化に乗り出していた(『アジア動向年報 2015』参照)。マタバリにおいては,すでに出力600MWの石炭火力発電所2基の建設が進められており,今回の深海港建設を含めた地域の複合開発に対して,日本側が寛大な融資条件を提示したことが評価された。

一方で,中国による深海港建設に対しては隣国インドが不信感を示していた。ソナディア港の建設は,スリランカのハンバントタ港,パキスタンのグワダル港とともに,インドを海から取り囲むいわゆる「真珠の首飾り」構想の一環として考えられていた。前年9月にはスリランカのコロンボ港に中国の潜水艦が寄港したことから(『アジア動向年報 2015』スリランカの章を参照),同構想は極めて現実的なものとして受け止められ,インドは強い警戒感をあらわにした。そのため,将来的に中国の軍艦寄港可能性のあるソナディア港ではなく,日本の提案するマタバリ港を支持することにより,良好な関係にあるインドを刺激することを避けたいというバングラデシュ側の思惑があったとも考えられる。インドは,バングラデシュ南西部に位置し,インド国境に近いポトゥアカリ県パイラにおける深海港建設を後押ししている。

対外関係

対インド関係

今年のハシナ政権の外交における最大の成果が,長年の懸案事項であり国民の関心も高いインドとの地上国境線画定の合意である。両国を分ける国境には,バングラデシュ側に111カ所のインドの飛び地(総面積1万7160エーカー)が,インド側に51カ所のバングラデシュの飛び地(同7110エーカー)が存在する。飛び地においては,係争地であることに加え,物理的な距離が影響し,インフラ整備や社会開発の遅れが問題視されてきた。また,未確定な国境周辺が犯罪の温床になっているとの批判もあった。そのため,2011年に,インドのマンモハン・シン首相(当時)とハシナ首相が飛び地の住民と協議の下,住民の大規模移住なしで飛び地を交換することに合意した。しかし,当時野党だったインド人民党(BJP)やアッサム州の地域政党が,主権領土を放棄するものであるとして,協定の批准に反対したことから,条約を批准するために必要となる憲法改正の手続きが進まなかった。

しかし,2014年にBJPが政権に就くと,モディ首相は南アジアの安定と繁栄のために印バの協力関係を強化していくとの立場から,両国の関係改善を推し進めた。2015年5月に,インド両院で地上国境線画定協定批准に関する憲法改正案が可決されたことを受け,モディ首相は2015年6月6~7日にバングラデシュを訪問し,バングラデシュに対する20億ドルの融資供与を発表するなど,両国の良好な二国間関係をアピールした。訪問中には印バ間の新規航路開設や,インド側のチタゴンおよびモングラ港の使用に関する協定,コルカタなどからインド北東部州へ向かうインド製品のバングラデシュ領域通過許可に関する協定などが合意された。また,インド船舶のバングラデシュ領経由でのインド北東部へのアクセス拡大や新たなバス路線の開設などについても議論が交わされた。

7月31日には,国境線画定協定に基づき両国間の飛び地が交換され,インドとの領土問題が解決した記念すべき日となった。8月1日午前0時になると,バングラデシュ領内にある111のインドの飛び地と,インド領内にある51のバングラデシュの飛び地には新たな国旗が掲げられた。飛び地の住民はそれまでの土地に残って国籍を変えるか,自国領内に移住するかのどちらかを選択することができる。

一方で,国民の間で期待の高かったティスタ河水共有協定への署名は見送られた。ティスタ河はシッキム州を通り西ベンガル州からバングラデシュ北西部に流れ込む両国の共有河川であり,インド領内でのダム建設に伴う水量減少による農業への影響がバングラデシュ国内で問題となっている。2011年のシン首相(当時)のバングラデシュ訪問の際にはママター・バネルジー・西ベンガル州首相が同行し,前述の地上国境線画定協定に加え,ティスタ河水共有協定が署名される予定であった。しかし,訪問直前にバネルジー州首相が同協定に反対する意向を表明した結果,署名は見送られ,その後も進展はみられなかった。BNPはこの問題でAL政権の責任を厳しく追求し,2014年4月には大規模な抗議行進を実施した。さらに,例年乾期に入ると各報道機関がティスタ河の水量減少による北西部農民の窮状を報じるなど,国内世論の反インドひいては反AL感情を高めかねない事項となっていた。

2015年2月,バネルジー州首相は,アリ外相の招待を受け来訪した。その際に,これまでの姿勢を転換し,同州首相がティスタ河水共有協定署名に前向きな発言をしたとの報道がなされたことから,国内で問題解決への期待が高まった。しかしながら,最終的にはまたしても協定署名に至ることはなかった。この背景には,2016年の西ベンガル州議会選挙を前に,バングラデシュ側に譲歩したとみられたくないとする,バネルジー州首相が党首を務める全インド草の根会議派の意向が働いたことが予想される。BNPは,またしてもティスタ河水共有協定署名が実現しなかったことに対して,AL政権を激しく非難した。

対中国関係

中国はバングラデシュにとって最大の輸入相手であると同時に,武器装備品の供給国である。2015年12月には,小型護衛艦2隻がバングラデシュ側に引き渡されており,2016年には潜水艦が引き渡される予定となっている。ストックホルム国際平和研究所によると,2010年以降,上記のほかに海上哨戒船舶5隻,戦車44台,戦闘機16機をはじめ,地対空ミサイルや対艦ミサイルなどが供給されている。また,前年,中国軍高官がダカを訪問し,中国がバングラデシュ軍に対して軍事訓練を実施する合意がなされている。2015年12月には,バングラデシュの陸軍参謀長A. B. M. シャフィウル・ハックが中国の常万全国防部長と会談し,両国の軍事関係をさらに緊密にしていくことが確認された。

バングラデシュは中国が推し進めている経済圏構想である「一帯一路」構想において地政学上重要な役割を果たす。陸と海の2つの経路で中国から東南アジア,南アジア,アフリカなどを経由してヨーロッパまでを結ぶ同構想においてバングラデシュは,中国,インド,ミャンマーを結ぶ陸路(BCIM経済回廊構想)を構成する一部として,また,海上においてはベンガル湾の中心港として,東南アジアと南アジアを繋ぐハブ的役割を果たすことから,その地政学的重要性は高い。それに対してインドは,中バの接近,とりわけ,アメリカによって名づけられた軍事由来のいわゆる「真珠の首飾り」構想の一環であると指摘されている同国南東部における深海港建設に対して,同港への軍艦寄港可能性の観点から危機意識を募らせた。

バングラデシュは,印中2強国間の対立に巻き込まれることを避けるために,2014年国会総選挙におけるALの選挙マニフェストにある全方位外交方針の下,インドへの配慮の姿勢もみせた。モディ首相来訪の際に話し合われた,前述のインド側のチタゴンおよびモングラ港の使用に関する協定や,深海港建設における日本案の推進などは,ベンガル湾において影響力を強める中国を警戒するインドへの配慮があったものと考えられる。

2016年の課題

現在,与党ALは国会で3分の2以上の議席を占めており,単独で憲法改正を行うことが可能である。2014年9月には,法曹関係者からの強い反対にもかかわらず最高裁判事の罷免権を国会に与える第16次憲法改正案が議会で可決され,不正行為もしくは能力の欠如を理由に議会の3分の2以上の決議によって最高裁判事を罷免することができるようになった。AL単独で最高裁判事の罷免手続きを行えることから,司法の独立については疑問符が付かざるをえない。

また,メディアへの監視強化も指摘されている。2015年12月28日付Prothom Alo紙によると,2001年から2014年までの間に,バングラデシュの報道の自由は低下している。同紙が引用したBRAC大学の調査によると,2009年1月1日から2015年4月30日までの間に11人の記者が何者かに殺害され,1093人が負傷している。記者の逮捕や脅迫行為も報告されており,また野党との関係が噂されるテレビ局も複数閉鎖された。こうしたメディアへの圧力や特定政党に近いテレビ局の閉鎖は,過去のBNP政権下においてもみられたことであるが,2008年にALが政権を奪取して以降,より顕著にみられるようになった。また,今年に入り,暴動を未然に防ぐためとの名目で,インターネットにも規制が入り,SNS系のアプリケーションが遮断されるということもあった。

これらに鑑みれば,現状のバングラデシュにおいては,ALの独裁色が強まっていると指摘されてもおかしくない状況にある。それでも人々は,政治に対してそれほど関心を持っているようには見受けられない。繰り返される政治闘争と暴力行為よりも,好調な経済成長の果実により関心が高いと思われる。

人々の政治離れと経済成長の傘の下で,ALは野党を再起できないまでに追い詰めるために,治安部隊によるデモ隊の排除,野党政治家の逮捕,軟禁など,さまざまな手段を講じている。BNPとJIは,戦犯裁判による死刑や他の容疑による逮捕,抗争中の事故死,失踪などによって,中心的人物が政治の表舞台から去り,求心力を失いかけている。このままいけば,国会に議席を持たない両党の政治活動資金も枯渇することから,有効かつ正当な反政府運動を起こしにくくなることが予想される。こうした状況のなかで,国連や欧米諸国はALとBNPの対話を求める声明を幾度となく出しているが,それ以上踏み込む姿勢はみられない。オバマ米大統領の訪印に代表されるアメリカとインドの接近,そしてモディ首相の来訪に代表されるインドとの良好な二国間関係,そして縫製業に代表されるバングラデシュの経済的重要性の高まりが,現政権の強気な外交姿勢にも表れているといえる。

それでも,ダカ南北・チタゴン市長選挙で35%もの票を得たBNPに対する支持は決して少なくはない。BNPが政治の表舞台に復帰し,これまで通り2大政党による政治体制を望むのか,このままALの独裁体制の下での国家建設を望むのか,国民の信が問われているといえる。

(東京外国語大学特任講師)

重要日誌 バングラデシュ 2015年
  1月
3日 バングラデシュ(以下「バ」)警察がジアBNP総裁をダカの党事務所に軟禁。
4日 ダカ警察がダカ市内での集会を禁止。
5日 BNPなど20野党がハルタルと全国規模の道路,鉄道,河川交通の封鎖を6日から実施する旨を発表。
6日 各地で与党を批判する抗議活動が行われ,警官隊と衝突。北西部のラッシャヒなどで計3人が死亡。
7日 ノアカリ県でBNPの男性2人が銃で撃たれ死亡。
8日 チタゴン行きの列車が妨害に遭い脱線。少なくとも50人が負傷。
9日 抗議暴動で ALの学生組織のリーダーが死亡,50人が負傷。
11日 BNPの学生組織が14県でハルタルを実施。暴動で2人が死亡。
11日 ジアBNP総裁のアドバイザーであるS.ドゥドゥが逮捕。
12日 ハシナ首相が,ジアBNP総裁を「テロと暴力の女王」と発言。
13日 ジアBNP総裁のアドバイザーであるR.ラフマンがダカで射殺。BNPが翌日からのハルタルを宣言。
14日 ロングプルで手製爆弾がバス内で爆発,5人が死亡。
14日 EU,イギリス,アメリカが与野党対話と暴力の停止を求める。
15日 R. ラフマンの殺害に抗議して,野党20連合が全国規模のハルタルを実施。
15日 フランス,デンマーク,スウェーデン,オランダ,スペイン,オーストラリア,ノルウェー,カナダ,EUからなる使節団が,BNP幹部と会談。
16日 マハムッド水資源大臣が上野賢一郎国土交通大臣政務官を表敬訪問。
16日 国連人権委員会が政治情勢に懸念を表明,すべての政党に暴力行為の即時停止を求める。
19日 IS(「イスラーム国」)に関係があるとみられる4人をダカで拘束。容疑は不明。
24日 ジアBNP総裁の末息子A. ラフマンがクアラルンプールで死亡。
24日 ハシナ首相がジアBNP総裁のオフィスを訪問するが,ゲートが閉まっており,面会を断念。
27日 ジアBNP総裁の末息子の葬儀がダカで開かれ数万人が参列。
31日 ジアBNP総裁の自宅兼事務所の電気が約19時間止められる。
  2月
1日 ダカのプラスチック製品工場内で出火,13人が死亡。
1日 野党20連合がALへの抗議のため72時間のハルタルを宣言。
1日 ジアBNP総裁のアドバイザーであるM. A. ファルが逮捕。
2日 警察当局がジアBNP総裁への訪問を制限。
3日 クミッラでバスに手製爆弾が投げ込まれ7人が重傷。
5日 杉山外務審議官がダカにおいてシャヒドゥル・ハック外務次官との間で第1回日バ外務次官級協議を実施。
8日 ダカにて,サウジアラビア労働省外務次官を含む派遣団がK. M. ホセン在外居住者福利厚生・在外雇用相(当時)とサウジアラビアへの労働者の採用について協議。
14日 ハシナ首相とモディ印首相が電話で会談。モディ印首相は領土問題などの重要な課題を解決する意思があることを示す。
16日 AL活動家がグルシャン地区で交通封鎖・ハルタル撤回を求める集会・行進を実施。
18日 戦犯裁判特別法廷においてジャアマテ・イスラーミー(JI)の幹部A・スバンが民間人殺害に関与した罪などで死刑判決。
19日 ALとBNPが国連事務総長の求める対談に応じる姿勢を示す。
20日 AL,BNPの指導者がダカにてママター・バネルジー西ベンガル州首相と会談。
22日 中部マニクゴンジのパドマ川で船が沈没,48人死亡。
25日 ダカ第三特別判事法廷がジアBNP総裁に逮捕状。
26日 バングラデシュ出身でアメリカ国籍をもつブロガー,アビジット・ロイが殺害。妻も重傷。
  3月
1日 ジアBNP総裁事務所に家宅捜索令状。
2日 アビジット・ロイ殺害の容疑者を逮捕。
4日 ダカ第三特別判事法廷がジアBNP総裁に対する汚職事件の次回公判を4月5日と決定。
6日 ダカ国際空港で,金の延べ棒170本を持った在バ北朝鮮大使館のソン・ヤン一等書記官を拘束。
6日 アメリカ大使がバングラデシュ縫製工場輸出機構を訪問。
10日 S. アハメドBNP共同幹事長が行方不明。
27日 ダカ郊外で沐浴にきていた巡礼者らが将棋倒しになり,10人が死亡,数十人が負傷。
27日 N. D. ビスワル米国務次官補(南・中央アジア担当)が独立記念日式典に出席,バングラデシュとアメリカの関係強化を訴える。
29日 野党20党連合が,アハメドBNP共同幹事長の解放などを求め,市長選挙を控えるダカおよびチタゴンを除く全国で30日から48時間のハルタル実施を発表。
30日 ダカでブロガーのワシクル・ラフマンが殺害。容疑者3人のうち2人は逮捕,1人は行方不明。
  4月
1日 BNP幹部のH. シャハが選挙管理委員長と面会。
2日 ロシアの原子力企業ロスアトム社関連企業がバングラデシュにおける原子力人材育成支援のためのセミナーを開催。
11日 国際犯罪法廷において一般市民を虐殺したとして死刑判決を受けていたMd. カマルッザーマンJI書記長上級補佐に対して死刑を執行。
13日 JIが死刑執行に抗議し,ハルタルを実施。
21日 ハシナ首相がアジア・アフリカ会議出席のためインドネシアを訪問(~24日)。
22日 インドネシアにてハシナ首相と安倍首相が会談。6000億円の経済支援の実施を表明。
22日 ALの学生組織のメンバーが遊説中のジアBNP総裁の車両に投石。
23日 ハシナ首相がジョコ・ウィドド・インドネシア大統領とインドネシアにて会談。
24日 日本大使館が,市長選挙活動中の暴力行為に懸念を表明。
28日 ダカ南北・チタゴン市長選挙が実施され,AL支持の候補者が3都市で勝利。
30日 ハシナ首相とW. シャーマン米政治問題担当次官がダカで会談。
  5月
2日 ハシナ首相が国連事務総長に対して,BNPに政治参加を促す助言をしてほしいと求める。
2日 ジアBNP総裁とW. シャーマン米政治問題担当次官,米駐バ大使がダカにて会談。
12日 シレットでブロガーのA. B. ダスが殺害。
20日 国際協力機構(JICA)との間で「廃棄物管理機材整備計画」を対象とした14億8600万円の無償資金協力の贈与契約を締結。
22日 日本駐バ大使に渡辺正人サンフランシスコ総領事を充てる人事を決定。
24日 ハシナ首相が,ロヒンギャとバングラデシュ人が乗った密航船の問題について「国の印象を悪くしている」と非難。
24日 劉延東中国副総理がダカを訪れ,アブドゥル・ハミド大統領,ハシナ首相,アリ外務相と会談。公的・民間部門における二国間関係の強化を進める6つの取り決めに署名。
25日 有名ブロガー3人の殺害事件に関与した疑いがあるとして,「アンサルラ・バングラ・チーム」の国内での活動を禁止。
26日 ISへの戦闘員の勧誘活動を理由にバングラデシュ・ムスリム戦士団(Jama'atul Mujahiddin. Bangladesh: JMB)のメンバー2人を拘束。
27日 政府高官がロヒンギャ難民キャンプのノアカリ県ハティア島への移転を表明。
31日 ダカにおいて松永健在バ臨時代理大使とモハマド・メジバフッディン財務省経済関係局常務次官との間で無償資金協力に関する書簡の交換を実施。
  6月
1日 ラナ・プラザ崩壊事故について,ビル所有者を含む41人を殺人罪で起訴。
6日 ダカで,ハシナ首相とモディ印首相が会談,両国の国境付近に点在していた飛び地領土の交換などを通じて国境を画定させることで正式に合意。
8日 ドイツでG7サミットが開催,ラナ・プラザ崩壊事故を契機とした労働問題について討議。
24日 ダカにおいて松永バ臨時代理大使とモハマド・メジバフッディン財務省経済関係局上級次官との間で無償資金協力「ダカおよびロングプル気象レーダー整備計画」の供与に関する書簡の交換を実施。
24日 ハシナ首相と辞任するイクバル・カリル陸軍参謀長がダカで会談。
24日 新陸軍参謀長にA. B. M. S. ハックを指名。
  7月
1日 世銀,バングラデシュが低所得国から中所得国になったと発表。
26日 M. シャリル・アラム外務担当相が,モルディブ共和国独立50周年記念式典および記念晩餐会に出席し,中根外務大臣政務官と会談。
26日 新しく指名されたパキスタンの駐バ高等弁務官がジアBNP総裁と面会。
  8月
5日 クアラルンプールでアリ外務相と城内実外務副大臣が会談。
7日 ダカでブロガーのニロイ・チャクラバルティが殺害。
19日 ハシナ首相がニューデリーで,モディ印首相,ムカルジー大統領,ソニア・ガンディーとそれぞれ会談。
25日 ハシナ首相と高虎城中国商務部長が会談。中国からバングラデシュへの3億5000万㌦の投資を表明。
  9月
13日 バチカン市国の福音宣教省長官フェルナンド・フィローニ枢機卿がハシナ首相を訪問。
21日 フランスとドイツの外務大臣がハシナ首相を訪問。気候変動に関する取り組みへの支援を表明。
26日 ハシナ首相と習近平中国国家主席がニューヨークで会談。
28日 ダカでイタリア人男性が何者かに殺害。
28日 ハシナ首相と安倍首相が国連本部にて会談。
29日 関経済産業大臣政務官が来訪。商業大臣,ICT担当大臣ら政府要人と会談。
  10月
3日 ロングプルで日本人男性が銃撃され死亡。ISが日本人男性の殺害を表明。
4日 日本政府は死亡した男性を星邦男氏と断定。首相官邸に情報連絡室を設置。
10日 外国人殺害を受け,バリダラ,ボナニ,グルシャン地区に治安部隊が配備。
24日 ダカのイスラーム教シーア派の施設で複数の爆弾が爆発。1人死亡,100人以上が負傷。ISを名乗るグループが犯行声明。
25日 政府が国内でのISの活動を否定。
26日 イタリア人援助関係者の射殺事件で4人を逮捕。
28日 モメン駐日大使が離任。
31日 ブロガー2人と発行人1人がダカで襲われ負傷。
31日 2月に殺害されたブロガー,ロイの著作を出版していたF. A. ディパンが襲われ死亡。
  11月
4日 ハシナ首相がオランダのマルク・ルッテ首相と会談し,二国間貿易の強化に同意。
8日 少年を集団暴行などで殺害したとして,計6人の男に死刑判決。
11日 ハシナ首相がソーシャルメディアの利用禁止についてコメント。
13日 日本人男性が銃撃を受け殺害された事件で,治安部隊が容疑者の男3人を逮捕。
17日 ハシナ首相とネパール駐バ大使ハリ・シュレスタが会談。ネパールへの支援を要請。
18日 バングラデシュ北部でイタリア人男性が銃で撃たれ負傷。
18日 FacebookなどのSNSを政府が規制。
18日 オランダのマキシマ王妃がハシナ首相を訪問。ビジョン2021を実現させるための開発に力を尽くすことを約束。
19日 カマル計画相が北岡JICA理事,木原外務副大臣と,日本でそれぞれ会談。
19日 サベル・ホセイン・チョードリー・バングラデシュ列国議会同盟(IPU)議長と木原外務副大臣が日本で会談。
19日 ISが,ウェブ上の英字機関誌「ダービク」で日本人殺害を認める。
22日 国際犯罪法廷において有罪判決を受けていたJI書記長上級補佐のA. A. M. ムジャヒードとBNP国会議員のS. Q. チョウドゥリーに対して死刑が執行。
22日 政府がSNSの使用を制限。
24日 埋葬された日本人女性の遺体が発見。
25日 日本政府が難民不認定者を含むバングラデシュ人22人を強制送還。
26日 北西部ボグラでシーア派モスクが武装集団に襲撃され,1人が死亡,3人負傷。IS支部を名乗るグループが声明。
  12月
1日 バ代表団,同国初の原子力発電所建設を請け負ったロシアの発電所を視察。
2日 退任予定のロバート・ギブソン英高等弁務官とパンカジ・サラン印高等弁務官がハシナ首相を訪問。
5日 ディナジプル近郊のヒンドゥー教寺院で爆発,少なくとも10人が負傷。
8日 10月に日本人男性が殺害された事件で,JMBの司令官とされる容疑者が犯行を自供。
11日 中国製の小型護衛艦2隻がバングラデシュ海軍に引き渡し。
13日 JICAと円借款貸付契約に調印。6事業に過去最大規模の円借款を供与。
19日 バングラ海軍のモスクで爆発,海軍の6人が負傷。IS支部が犯行声明。
30日 特別市を除く324市のうち234カ所において市長および市議会議員選挙を実施。ALが地滑り的勝利。

参考資料 バングラデシュ 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  行政単位(2016年1月末現在)
③  要人名簿

主要統計 バングラデシュ 2015年
1  基礎統計
2  産業別国内総生産(新基準年2005/06年度価格)
3  主要輸出品
4  国際収支
5  政府財政
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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