アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のインド 改革に手間取るナレンドラ・モディ政権
近藤 則夫太田 仁志
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2016 年 2016 巻 p. 491-524

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2015年のインド 改革に手間取るナレンドラ・モディ政権

概況

2014年の連邦下院選挙では単独過半数を制し,人々の期待が集まったインド人民党(BJP)率いる国民民主連合(NDA)政権であったが,最重要課題としていた経済改革が思うように進んでいない。また,州議会選挙での敗北,ヒンドゥー民族主義の広がりに伴う紛争の顕在化など,NDAの政治は停滞気味である。原油安などに支えられた物価の安定,経済成長の回復によってナレンドラ・モディ首相の人気はまだ高いものの,選挙直後の「ハネムーン」は終わりつつあり人々は政権を冷静に評価しつつある。

経済に関しては,成長を高めるための経済のギアシフトにモディ政権はもがきながらも,経済改革を進めようとした。経済成長率は7.6%を記録するが,庶民生活においてはそこまでの実感は持ちづらい。財政健全化は道半ばであるものの,原油価格の下落もあって,経済ファンダメンタルズはこれまでの歴史に照らせば決して悪くない。物価も安定して比較的低位で推移しており,政府とインド準備銀行はインフレ・ターゲッティングの導入に合意した。経済成長にてこ入れすべく,外国直接投資に関する規制緩和や「JAMビジョン」を掲げて金融包摂に引き続き取り組んでいる。起業を促す「スタートアップ・インディア,スタンドアップ・インディア」が開始される一方,小規模零細企業の保護育成を目的とする生産留保が最後の20品目の廃止をもって終止符を打った。

国内政治

モディ政権は歴代のインド国民会議派(以下,「会議派」)政権の経済政策の象徴的組織である「計画委員会」を廃止し,1月1日には「政策委員会」(正式には「国立インド変革研究委員会」だが,頭文字の略語「NITI」がヒンディー語で「政策」の意味を持つのでこのように呼ばれる)を設立した。これが示すようにモディ政権は会議派色を払拭し改革をアピールしている。しかし,改革は思うように進んでいない。その最大の理由は連邦議会における議席が十分ではないからである。NDAは確かに連邦下院では定数545議席中336議席を占めるが,憲法改正に必要な3分の2には届かない。また上院では2015年8月時点では244議席中62議席を占めるにすぎない。上院は州議会(下院)による間接選挙で選出される議員,および,大統領任命の12議員からなり,任期6年で2年ごとに3分の1が改選される。したがって上院で勢力を伸ばすためには州議会選挙で勝利し続けなければならないが,それは短期的にはほぼ不可能である。

このような連邦議会の勢力図から,次に述べるように土地収用法の改正,物品・サービス税法案など議論が分かれる法案は通過が難しい状況が続いている。また,労働関連の法改正も労働組合などの反対で難航している。政府が労働関連法を改正する大きな目的は労働市場の柔軟化であるが,労働組合,とくに組織部門の労働組合はそれを雇用の不安定化,労働組合の影響縮小につながるものと捉えている。政府の法改正の動きに対して,BJP系の「バーラティヤ労働組合」(BMS)と「全国インド労働組合戦線」(NFITU)は参加しなかったが,ほかの主要な10労働組合組織のナショナル・センターは9月2日に政府の方針に反対する全国規模のゼネストを行った。2015年に労働関連の法で連邦議会を通過したのは冬期会期の12月に両院を通過した「ボーナス支払い」改正法だけである。しかし,これは従来ボーナスの算定が月給3500ルピーを上限として月給に比例する形であったのに対してその上限を7000ルピーにすること,法の適用が月給1万ルピーまでの労働者であったのに対してその上限を2万1000ルピーに引き上げるなど,労働者に有利な改正であった。

以下,土地収用法や物品・サービス税の改正問題,州議会選挙での敗北,ヒンドゥー民族主義勢力の活発な動きによる社会不安の広がり,カシミール地域の不安定化などモディ政権の不安定要素について説明する。

土地収用法の改正,および,物品・サービス税法案をめぐる与野党の対立

2月末に提出された2015年度予算案は初めての本格予算で,インフラ建設重視,法人税の引き下げなど成長重視型の予算といわれた。しかし道路などインフラ建設や工業団地の造成などを迅速に進めることを意図した土地収用法の改正は,結局,失敗した。会議派率いる統一進歩連合(UPA)政権が,住民の権利を無視しがちであった植民地時代からの旧法を廃止し,「土地収用・生活再建・再定住における公正な補償と透明性に関する権利法」(以下,「2013年土地収用法」)を成立させたのが2013年9月であった。この法は,立ち退きを強いられる住民に対してはその権利を相対的に厚く保護する内容となっていた。そのため産業界や官僚から不満が高かったが,それを受けてモディ政権によって打ち出されたのが2014年12月31日に発令された,同法を改正する大統領令であった。これは官民連携(PPP)や私企業の案件であっても,防衛,農村社会インフラ開発,住宅造成,工業地帯開発,インフラ開発についての案件では土地所有者からの同意取り付けおよび社会影響評価の実施が免除されるというものであった(以上『アジア動向年報 2015』を参照)。大統領令は国会が閉会しているとき内閣の要請に基づき大統領が発令するが,次の国会が開会されてから6週間で効力を失う。したがって,基本的には緊急時の一時的立法措置であるから,モディ政権にとって大統領令を立法化することが重要であった。

モディ政権が2013年土地収用法を改正する動きは,早くも2015年1月3日に会議派やほかの野党から反対が表明された。反対意見に押されてモディ政権は2月24日には改正案の修正も含めて野党との協議を行うと表明したが,連邦議会での対立は打開できなかった。3月10日には土地収用法改正案は,連邦下院を通過したものの上院を通過する見込みは立たなかった。そのため第2次の改正法案が5月11日に下院に提出されたが,やはり通過する見込みは立たなかった。政府はこの間,議会休会中の4月3日,および閉会中の5月31日に大統領令を発令し土地収用法の改正を維持しようとした。しかし,その後も法案通過は難しい状況が続き,結局,モディ政権は8月30日には大統領令を自然失効させることを明らかにした。そのうえで,2013年土地収用法はその「規則」の運用によって問題点をカバーすることとした。

政府が経済改革で重要視するもうひとつの法案が「物品・サービス税」(GST)法案であった。GSTは連邦政府,州政府がそれぞれ持つ消費税,売上税など諸税を整合的に統合し,税制の矛盾を除くことを目的とする一種の付加価値税で,かねてから立法化が望まれていた。2014年12月に法案が上程され2016年度からの施行を目標としていた。インドでは税の中央・州政府間の分担などは憲法で規定されているため,GST法案は憲法改正法案となり,連邦下院および上院それぞれの3分の2の賛成,さらに,半数以上の州の批准が必要となる。法案は5月6日に連邦下院を通過したが,会議派や左翼政党など野党の反対が続いた。そのため上院ではGST施行に伴う売上税などの廃止によって生じる州政府への補償の問題などについて審議するため5月14日に重要法案審議委員会に付託されることとなった。

審議が進まない大きな原因は議会が与党のスキャンダルなどで空転しているからである。6月14日には外務大臣スシマ・スワラージが,イギリス在住のインド・クリケット・リーグの元会長ラリット・モディの妻が手術を受けるためにポルトガルへ渡航する緊急の旅行関連書類を発給してくれるようにイギリス政府に要請したことが明らかになった。ラリット・モディはスシマ・スワラージやラージャスターン州首相V・ラージェーなどと密接なつながりがある人物であるが,マネー・ロンダリングなどの嫌疑で財務省の捜査機関に出頭を要請されイギリスに逃れていた。また6月29日にはマディヤ・プラデーシュ(MP)州で2013年に発覚した政府職員採用に関する汚職疑惑に関連して不可解な死亡を遂げた者が25人にも上ることが明らかにされ,州首相S・S・チョーハンは7月7日に中央捜査局の捜査を求めることを明らかにした。7月21日に始まった連邦議会のモンスーン会期ではこれら問題を追及する会議派など野党の攻勢で審議は紛糾した。野党は外務大臣やラージャスターン州首相,MP州首相のS・S・チョーハンの辞任を求めた。

8月7日にモディ首相は全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)などの協力を求めたが,空転は続き,9日には経済界からGST導入法案の審議が遅れることに対して懸念が表明された。審議はその後も進んでいない。冬期会期(11月26日~12月23日)が始まって間もない11月29日に,会議派はヒンドゥー民族主義勢力の攻勢(後述)で引き起こされた「不寛容」問題を国会で取り上げなければ,GSTの審議に協力しないと決定した。結局,冬期会期でもGST法案は通過しなかった。

デリー首都圏とビハール州での州議会選挙におけるBJPの敗北

州議会(上下2院を持つ州の場合は下院)は連邦上院議員の選挙母体となるため,連邦上院で党勢を拡大したいBJPにとって州議会選挙での党勢拡大は非常に重要であるが,2つの州議会選挙ではBJPは敗北した(表1)。

表1  州議会選挙結果

(注) 政党獲得議席の後のカッコ内は得票率。

(出所) インド選挙委員会データ (http://eci.nic.in) より筆者作成。

デリー首都圏では州議会選挙の開票が2月10日に行われ,A・ケジュリワル率いる庶民党が70議席中67議席を獲得する圧勝となった。デリー首都圏では,2013年12月に庶民党政権が会議派の支持を得て成立したが,腐敗防止のための一種のオンブズマン制度である「人民ローク・パール」法案が州議会で否決されたためケジュリワル州首相は2014年2月14日に辞任し,連邦政府は17日に大統領統治を敷いた。その後,デリー首都圏州議会は同年11月4日に解散された。今回の選挙は大統領統治からの復帰のための選挙であった。選挙に際して庶民党は「人民ローク・パール」法の成立,デリー首都圏に警察権などを含む完全な州の地位を与えることなど政治的要求に加えて,電気料金を半額にする,女性の安全のための措置を講じることなど,庶民生活に直結する争点を引き合いに出して選挙戦を戦った。2014年5月の連邦下院選挙ではデリーではBJPが圧勝し,また,2015年1月16日にはデリーの警察の元高級官僚で著名な社会活動家であるキラン・ベーディや,庶民党を脱退したシャーズィア・イルミがBJPに入党するなどBJPの優勢が伝えられるなかでの選挙であったが,結果は上述のように庶民党の圧勝であった。BJPは3議席,会議派は0議席と惨敗した。連邦下院選挙ではモディ首相の人気が人々を引きつけたが,今回は州議会選挙で状況が異なること,伝統的に会議派支持であった少数派が会議派から離れたことが大きな理由であったといわれる。州首相にはケジュリワルが2月14日に就任した。

圧勝を受けて庶民党政権は安定するかと思われたが,その後ケジュリワルは党内の有力指導者であるプラシャント・ブーシャンやヨゲンドラ・ヤーダヴと対立し,結局4月20日に党中央は両氏を除名した。2012年に結党された庶民党はもともと反腐敗を焦点とするさまざまな市民運動グループの連合であり,組織はまとまりに乏しい。そのためケジュリワルの指導強化に対する他の指導者の反発が分裂につながった。

デリー首都圏の敗北以上にBJPにとってダメージとなったのは,11月に行われたビハール州議会選挙であった。

ビハール州では,連邦下院選挙での敗北の責任をとってジャナター・ダル(統一派)(JD[U])の州首相ニティシュ・クマールが2014年5月17日に辞任し,代わりに同党のJ・R・マンジーが州首相に就任した。しかし,マンジーはダリト(旧不可触民カーストなど被抑圧階級)の利害を代表する政治家でJD(U)の主流派とは利害関係が食い違う面があり,それに乗じてBJPがマンジーに接近した。このような状況は,州議会選挙でBJPの勢いに対抗するために旧ジャナター・ダル系諸党の連合を協議しつつあったJD(U)指導部にとって容認できるものではなく,マンジーに州首相を交代するよう要請した。しかし,話し合いは結局は決裂した。ニティシュ・クマール派は内紛に中央政府の介入を許さないために,2015年2月10日に同派のビハール州議員をデリーに引きつれ同派が多数派であることを大統領の前で示した。このような駆け引きを経て22日には州首相はマンジーからニティシュ・クマールに交代し,3月11日にニティシュ・クマール政権は州議会の信任投票を乗り切った。

選挙は反BJP勢力とBJP率いるNDA連合の間の対立が軸となった。反BJP連合の選挙体制は,旧ジャナター・ダル系諸党の統合の動きとも関連しつつ形成された。6月7日にはJD(U) とラッルー・プラサード・ヤーダヴ率いる民族ジャナター・ダル(RJD)は州議会選挙での協力を明らかにした。7月19日にはこれに会議派およびナショナリスト会議派党を加えた「大連合」で選挙を戦うこと,そして8月11日には候補者の議席配分が発表された。ウッタル・プラデーシュ(UP)州を基盤とする社会主義党(SP)とも協議がなされたが,SPとRJDの支持基盤が同じで競合することもあり,9月4日には協議の決裂が明らかとなった。

BJPはモディ首相が8月18日にビハール州に特別支援パッケージを供与することを発表するなど肩入れした。しかし,11月8日の開票では大連合が全議席の7割を獲得し大勝した。選挙では大連合は女性への留保議席の設定,電化,若年失業者に対する手当,トイレの普及,飲料水供給,道路整備などをアピールしたが,決め手となったのはカーストなど支持基盤が異なる主要3党の選挙協力であることは明らかである。この結果,11月20日にニティシュ・クマールを州首相とする連立政権が発足した。

ビハール州での大連合の勝利はBJPに対抗するために政党間の連合が有効であるとの認識につながり,選挙を控えた州では政党連合の動きが活発化している。

安定しないジャンムー・カシミール州

ジャンムー・カシミール州では2014年12月に州議会選挙が行われたが,過半数を獲得した政党が現れず,連立政権が模索されていた。その結果,3月1日にはジャンムー・カシミール人民民主党(PDP)とBJPの連立政権が成立し,州首相にPDPのムフティ・モハンマド・サイードが就任した。分離主義者によって2月9日から11日にかけてゼネストが行われ暴力事件が起こり緊張が高まるなど,カシミール地域では政治の不安定化が慢性的になっているが,そのようななかでの連立政権の船出であった。ムスリム多住地域のカシミールを支持基盤とし州の自律性を強調するPDPと,ヒンドゥー教徒多住地域のジャンムー地域を支持基盤とし中央との結びつきを強調するBJPでは国家統合や州自治について方向性が異なり,政権の安定性が懸念された。たとえば州政府は3月13日にインド国旗とともに「州旗」をすべての州政府機関は掲げるようにと通達を出したが,BJPの反対で通達は撤回された。また4月7日に州政府は中央政府の要求を受けて1980年代末からの地域紛争でカシミールを離れたヒンドゥー教徒のブラーマン(パンディット)などの復帰ために特別区を設定するという要求を受け入れる案を明らかにしたが,これに対してカシミール地域では抗議のゼネストが11日に起こった。

連立政権発足後も治安は安定しない。パキスタンと支配地域を分ける「実効支配線」(LoC)を越えて侵入する勢力によるテロも起こっているが,中央政府に対する州民の不満が噴出する形での治安悪化が多くなっている。たとえば7月17日にはシュリナガルで,パレスチナとの連帯,州の独立,反インドを叫ぶ青年層を中心とする抗議デモが起こり警察と衝突した。

サイード州首相は,モディ首相の同州訪問を控えた10月30日に,かつてのヴァジペイー首相(BJP)のような融和的態度をモディ首相にも望むと表明し,中央政府の姿勢軟化を引き出すことによってカシミール地域の不満を和らげようとした。しかし,そのような州政府の思惑はほとんど効果がなく,カシミールの不満に基づく治安の不安定化は常態化している。同30日にシュリナガルでは分離主義武装組織「純粋者の軍隊」(LeT)の戦闘員の葬儀に参加した住民が警察と衝突し,多数の負傷者を出す事件が起こった。また,11月7日にモディ首相が州を訪問したが,抑圧的な法として知られる「軍特別権限法(ジャンムー・カシミール)」(1990年)の撤廃など,期待された政治面での思い切った政策は発表されなかった。モディ首相訪問に反対するカシミール地域の抗議運動は6日から始まり,警察などと暴力的衝突が起こった。11日には同地域に対して外出禁止を含む強い治安維持措置が出された。

連立政権が不安定で,かつ,治安が安定しない状況が続いているなか,2016年1月7日にサイード州首相が死去した。次の州首相が決まらず9日には州知事による「知事統治」が宣言され,州は中央政府の管理下に入った。

ヒンドゥー民族主義の拡散と社会的緊張の高まり

BJP率いるNDA政権の発足以来,ヒンドゥー民族主義勢力の動きが活発化し社会に不穏な影響を与えている。UP州メーラトでは,独立前からのヒンドゥー民族主義政党である「ヒンドゥー大連合」がマハトマ・ガンディーを暗殺したゴードセーの像を暗殺日の1月30日に建てようとしたが,同州のSP政権は警察を動員して阻止した。またヒンドゥー民族主義勢力によるキリスト教教会への襲撃も起こった。1月12日にはビハール州ジェハナバード県,2月2日にはデリー,3月15日にはハリヤーナー州ヒサール県で教会が荒らされた。モディ首相は2月17日に教会への攻撃に関して暴力は容認しないと発言し,内務大臣ラージナートも4月21日に反少数派の言動に政府は賛同しないと表明した。しかし,ヒンドゥー民族主義勢力の運動が引き起こす社会的軋轢に与党BJPがどれだけ真剣に対処しているのか疑問が呈されている。そのようななか,ハリヤーナー州ファリダバード県では5月25日に古いモスクの所有権をめぐってヒンドゥー教徒とムスリムの大規模な衝突が起き,多くのムスリム住民が村から避難する事件が起きた。

また,2014年10月の州議会選挙でBJP州政権が成立したハリヤーナー州,マハーラーシュトラ州では,3月にそれぞれ牛保護法,牛屠殺禁止法を成立させるなどヒンドゥー教徒の感情に沿う政策を打ち出しているが,それが社会的緊張を高めている。マハーラーシュトラ州のムスリム団体は貧しいムスリムやダリトを困窮させるものとして州政府を非難した。同州ではBJPと連立を組む政党シヴ・セーナーの反ムスリム,反パキスタン活動も社会的緊張を高めている。同党はパキスタンからの歌手の公演に反対し4月21日にプーネ公演,そして10月6日にムンバイ公演を中止に追いやった。

一方,連邦政府はBJPと密接に関連する民族奉仕団(RSS)のメンバーを政府機関の要職に任命し,物議を醸し出している。3月1日には「インド歴史研究評議会」が改組され,政府は議長にRSS系の学者を任命した。改組に伴って評議会の機関紙の編集方針が大きく転換されたため編集長は4月19日に辞任した。3月2日には,政府は多言語で啓蒙的書籍を出版する「国立書籍トラスト」の議長に元RSS系雑誌の編集長を任命したが,それに伴って書籍の記述内容が変わるのではないかと懸念された。

以上のような動きに対しては左翼勢力や少数派を代表する団体からたびたび反対が表明されている。たとえば,ムスリムの権利擁護を掲げる「全インドムスリム個人法協会」は3月22日にヒンドゥー民族主義勢力が影響力を広げているとして非難し,また,9月5日には政府は「ブラーマン的社会秩序」を押しつけていると声明を発表した。

ヒンドゥー民族主義の拡散により社会不安,とくにヒンドゥー教徒とムスリムの間の緊張が目立つのはUP州である。1月4日にはアグラで両宗教徒間の暴力事件が起き,緊張が高まった。9月4日にはアグラ近郊のシャムシャバードで暴力事件が起きた。RSSと密接につながる世界ヒンドゥー協会(VHP)がムスリムからの改宗運動を行っていることも緊張を高める要因となっている。そのようななかで9月28日にはデリー近郊のダードリーで牛を殺し肉を食べたという噂から村人のリンチでムスリムの老人が殺害され衝撃を与えた。警察はBJP関係者が扇動したとする報告を行ったが,危機感を抱いた連邦内務省は10月6日に各州の警察に宗教的感情につけ込むような事件に対して厳重な取り締まりを求めた。しかし,UP州では緊張状況が続き,10月10日にはマインプリ県カダール地域で牛が殺されたとの噂からムスリムとヒンドゥー教徒の間で暴力事件が発生した。ダードリー事件後,UP州では両宗教徒間の緊張はさらに高まり,SP政権は中央政府の準軍隊をカーンプル,カンノウジ,ファテープル各県に派遣するなど,押さえ込みに懸命となっている。そのようななかでも緊張を高める事件は断続的に起きている。UP州西部ではヒンドゥー大連合の指導者が予言者ムハンマドへ冒涜発言を行ったとして12月14日にはムスリムの抗議運動が起こった。また州中部のアヨーディヤーにラーマ寺院を建立することを訴えるVHPは12月21日に同地のVHP所有地に建立のための石材を搬入し,緊張を高めている。同地でラーマ寺院建立のために起こった1992年12月のモスクの破壊事件は大暴動につながったが,今回の動きも宗派間の暴力的対立を再燃させかねない。

経済

2015年のインド経済は,成長を高めるための経済のギアシフトにモディ政権はもがきながらも,経済改革,そしてまた金融面ではある種の構造改革にもなる取り組みを推し進めた。モディ政権がもがいているように映るのは,高い経済成長が国民からの政権支持に重要であることをモディ首相が理解し,しかし思うような形で進展していないことを示している。その滞りを象徴するのが,「国内政治」でふれた土地収用法改正法案とGST法案の頓挫(2015年末現在)である。それでも引き続き,新しい政策を打ち出し,規制緩和を進めてもいる。モディ政権の主要な改革アジェンダが議会に代表される民主主義の仕組みに阻止され,それがかえって成長一辺倒というわけではない経済運営となっているとの評価も可能であろう。

高すぎる経済成長率?

2015年のインド経済は,世界経済からみれば,堅調かつ高い成長率を記録している。中国の失速を尻目に,インドは2015/16年度のGDP成長率が7.6%と予測され,ついに中国の経済成長率を上回る見通しである。また,インド経済自体もGDP(旧)成長率は2012/13年度が4.5%,2013/14年度が4.9%(『アジア動向年報 2014』)という足踏みを記録し,それが2014年の政権交代のきっかけのひとつともなったのは記憶に新しい。今年度の7.6%という経済成長率は,主要先進諸国を含めて世界的な経済の暗い先行き感のなかにあって,輝きを放っているといえる。

一方,国内的には,経済成長率が示すほどの実感を今ひとつ持ちづらい感も否めない。経済が不調ではないことは確かだが,2015年1月末にGDP成長率の算出方法と計測基準年が変更され,それまでに比べて1~2ポイントほど高めに成長率が出されている印象をぬぐえない。新しい算出方法と基準年による,また,2016年1月29日に新たに改定されたGDP成長率は,2012/13年度は5.6%(+1.1),2013/14年度は6.6%(+1.7),2014/15年度は7.2%,そして既述のように2015/16年度は7.6%である。だが別の指標からみると,7.6%を記録するわりには,今ひとつさえないインド経済の姿が以下のように浮かんでくる。

表2は産業別実質成長率の推移をまとめたものである。全産業でみると,確かに2015/16年度は2014/15年度よりも0.2ポイントほど高い成長率となっている。しかし産業別で前年度を上回っているのは,農林漁業と製造業のみである。農林漁業の大部分を占める農業は,前年度を上回るといっても2015/16年度は1.1%と,2年続けてモンスーン季の雨不足の影響で低い成長率にとどまり,2013/14年度と比べると大きく見劣りする。他方,製造業は2014/15年度の5.5%から2015/16年度は9.5%と,4ポイントの大幅な上昇である。表2をみる限り,製造業がインド経済の成長を高めているかのようで,モディ首相が主導する「メイク・イン・インディア」の成果が首相就任から2年目に表れていると考えたいところである。

表2  産業部門別の実質成長率(%)

(注) 2011/12年度を基準年とする要素価格に基づき算出。いずれも予測値または暫定値に基づく。

(出所) インド統計・事業実施省中央統計局(CSO)のプレスノート(2015年5月29日および2016年2月9日付)に基づき筆者作成。

ところが同じく統計・事業実施省が発表する鉱工業指数(IIP)(基準年:2004/05年度)をみると,2014年12月は指数が185.9であるのに対し2015年12月は183.4と,2.5ポイント減となっている。そのうちIIPの75%強のウェイトを占める製造業に至っては,同196.8から192.0へと4.8ポイント減を記録している。

また,対前年同月比の貿易収支増減率を表した図1より輸出(石油関連,非石油関連別)をみると,2015年の年間を通じて一度も前年の2014年を上回った月がない。従来から輸出に占める比率がもっとも大きいのは石油関連製品だが,対前年同月比で5割程度もの減少率である。原油安は貿易収支の改善には資する一方,輸出の稼ぎ頭である石油関連にも負の影響をもたらしている。この間のインド・ルピーの対ドル為替レートは,2014年通年平均61.0ルピーから2015年は64.2ルピーへと,ドル高ルピー安に振れている。ルピー安にもかかわらず非石油関連輸出が伸びていない点は気になるところである。

図1  2015年月別貿易収支増減率(ドル建て)

(注) 前年同月比。

(出所) Reserve Bank of India, RBI Bulletin, 各号に基づき筆者作成。

さらに,代表的な株価指数であるSENSEXは,年初終値の2万7507.54から1月29日に終値史上最高値の2万9681.77を記録したのち,趨勢としては株価を落として12月31日に2万6117. 54で年内の取引を終えた。この間,9月7日に2万5000を割り込み,また12月中旬にも割り込みそうな雰囲気に陥った。したがって,年末にかけて持ち直してはいるものの,年末終値は年初よりも低く,1月末の最高値からは12%もの減価となった。

このように,2015年のインド経済は政府が発表するGDP成長率が示すほどには好調というわけではない。しかしそうはいっても,2015年の経済成長率は前年を上回っていて,2012/13~2013/14年度の足踏みからは抜け出したとみて間違いないだろう。表2をみれば,金融関連や商業・ホテル関連は10%前後の高い成長率を記録している。過度な楽観視はできないとしても,サービス産業が底堅さを示すなど,悲嘆するような状態にあるわけではないというのが,2015年のインド経済である。

財政健全化に向けた舵取り,貿易・経常赤字の動向

持続的な経済成長に不可欠なマクロ経済の安定に向けたインドの主要課題は,財政の健全化と物価問題である。そして2015年は,いずれも原油安の恩恵に浴している。まず財政面について,高い経済成長を目指す現政権は財政規律への配慮を怠らない姿勢は示しつつも,2015/16年度予算では財政責任・予算管理法(FRBM法)が定める対GDP比3%以内の財政赤字という目標達成を,規則変更で1年先延ばしにした。同時に当年度上限を当初計画の対GDP比3.6%から引き上げたこともあり,新たな目標となった3.9%以内は達成できる見通しである。目標値の引き上げによる財政赤字許容額の拡大は,主として雇用創出効果が大きいインフラへの投資を目的とするものだが,公的資金の投入による経済の下支えと浮揚をも意図した側面は否めないだろう。0.3ポイントに相当する額は7000億ルピー程度である。

財政赤字の対GDP比目標達成に大きく資することになったのは,歳入面での連邦物品税などの間接税収入の増加と,歳出面での原油安にともなう燃料関連の補助金の削減である。一方で,前年度までに比べ2015/16年度は医療や教育といった社会部門支出,また中央政府が資金を出すマハトマ・ガンディー全国農村雇用保証計画(MGNREGS)などの大規模事業への支出が,財政制約を理由に抑制された点も無視できない。

また,8月にはインド準備銀行(RBI)が中央政府に対し,6600億ルピー近くの余剰配当金の支払いを行う旨の発表がなされた。これは前年度比20%以上の増額で,80年のRBIの歴史でも最高額である。2015/16年度の財政赤字は5兆6000億ルピー程度と見積もられており,また先にみた対GDP比財政赤字比率の0.3ポイントの引き上げ相当額が7000億ルピー程度であることを考えると,決して小さい額ではない。

モディ政権が進めようとする公企業の持ち株売却・民営化も,財政赤字の削減に資する側面もある。1月には石炭インド公社(CIL)の10%分の持ち株売却で,2255億7000万ルピーの売却益を上げた。2015/16年度予算でも当年度の目標売却益を6950億ルピーとしている。しかし4~12月の達成益は1270億ルピー程度にとどまった。

財政の健全化にも関連する経常収支について,そのうちドルベースでみる貿易収支は図1にあるように,3~4,8,12月以外は対前年同月比でマイナス成長である。通年でもマイナスであるが,赤字幅は前年に比較して縮小している。原油安にともなう石油関連の輸入額の落ち込みは,貿易赤字削減に大きく資している。貿易収支の改善もあって,今年の経常赤字の対GDP比も昨年と同程度の1~1.5%の範囲に収まるものとみられる。

財政の健全化にはまだ道半ばだが,このように財政赤字と経常赤字の水準は危険領域にあるわけではない。むしろ,ことインドに関する経済ファンダメンタルズ(基礎的条件)としては評価できるポジションである。経済ファンダメンタルズのもうひとつの重要指標である物価について次にみる。

物価の推移,物価のマネジメントの諸相

RBIのラグラーム・ラージャン総裁は2013年9月の総裁就任以来,物価抑制に断固たる姿勢を示し,2014年1月までに3度の政策金利(レポ・レート)の引き上げを実施した。その成果もあって,とくに2013年下期には10%超の水準に上昇していた消費者物価指数(CPI)で測った物価上昇率も2014年6月以降,8%を下回る水準となった。その後,原油価格の下落にともない,物価上昇率も3~5%台に落ち着きをみせている。2015年12月末は5.6%であった。

原油安の物価への影響は図2からも明らかである。卸売物価指数(WPI)の変化率は2014年11月から対前年同月比でマイナスを記録しているが,これはWPI燃料・電力の同月からの大幅な下落を反映させている。2015年末にかけてWPIは上昇基調にあるが,2015年を通じてWPIの変動率はマイナスの領域にあった。

図2  物価上昇率の推移

(注) 前年同月比。

(出所) WPIについてはインド商工業省経済諮問室(OEA)のウェブサイト(http://www.eaindustry.nic.in/)のデータ(基準年:2004/05年度)に,CPIについては,2015年4月以降(基準年:2012年)はインド財務省 Economic Survey 2015-16のデータに,それ以外は統計・事業実施省コンピュータ・センターのサイト上での作表データ(http://164.100.34.62:8080/TimeSeries_2012.aspx および http://164.100.34.62:8080/TimeSeries.aspx)に,また,CPI工場労働者については労働・雇用省(http://labourbureau.nic.in/indtab.html)のデータ(基準年:2001年)に基づき筆者作成。

ラージャン総裁は当初からCPIを重視し,またその上昇率を6%以下にすることを目指していた。2014年11月以降物価上昇率が5%を下回ると,2015年1月15日にRBIは緊急政策会合を開き,レポ・レートを1年8カ月ぶりに引き下げて,25ベーシス・ポイント減の7.75%とした。引き下げは2月上旬となることが予想されていたところでのサプライズで,1月末にSENSEXが終値最高値を記録した伏線にもなっている。

このようななかでRBIと政府は2月20日,インフレ・ターゲッティングの設定に合意した。合意では2016年1月時点でのCPIの上昇率を6%以下とすること,また2016/17年度以降はそれを4±2%,つまり物価上昇率を2~6%の範囲とするとし,達成できなければRBIは政府に説明責任を負う。結論からいうと,その2016年1月のCPI暫定変化率は5.7%で,目標達成となった。2014年後半以降,原油安を受けて物価は大きく下落基調にあること,また2015年を通じてCPIは安定的に推移していたことから,目標達成を疑う向きはなかった。

しかし,インフレ・ターゲッティング合意前の2月12日,統計・事業実施省中央統計局(CSO)は実態をより正確に反映させる必要があるとして,CPI計測基準年を2010年から2012年に変更したが,これがCPI上昇率が低めに表れる要因である可能性がある。新基準のCPIは食料品のウェイトが旧基準より低いため,2015年末にかけてWPI食料農産物でみられるような食品物価が反映されづらい。図2には旧基準年に基づくCPI(2014年12月まで),および2001年を基準年とするCPI工業労働者の各上昇率も掲載したが,これらと比較して新基準年によるCPI上昇率の2014年後半以降の下振れ感は否めない。もしそうだとしたら,旧CPIに基づく金利政策すなわち金利の引き下げの程度や速度は実際よりも緩やかなものになっていただろう。インフレ・ターゲッティングをまさかいきなり達成し損なっていたなどということはなかっただろうが,金利負担増から,経済成長率はその分低くなっていた可能性がある。ともあれ,インフレ・ターゲッティングの導入はインドのマクロ経済の安定に有効として,好意的に受け止める意見が多数を占める。歴史的に物価変動の激しいインドにあって,大胆で,長期的にも機能していくようであれば,記念碑的な一歩と評価できる。

さて,RBIはインフレ・ターゲッティング合意後,3月4日,企業活動への悪影響の懸念から4月のレポ・レート引き下げを大方の予想どおり見送ったのち,6月2日,そして9月29日の年内計4回にわたってレポ・レートを引き下げ,CPIをにらみながらの金融緩和に舵を切った。2015年末現在のレポ・レートは6.75%と,1年で125ベーシス・ポイントの引き下げである。

6月のレポ・レート引き下げの際に,ラージャン総裁は長引く企業投資の弱さをその理由に挙げている。また産業界の要望でこの6月を除いて,1月と3月は予想されていなかったタイミングでの,そして9月は50ベーシス・ポイントという引き下げ幅の面でのサプライズであった。ラージャン総裁の懸案事項は,RBIが政策金利を引き下げても市中銀行がそれに追随せず金利が高止まったままで,結果,企業への貸し出しも進まず,したがって投資に結びつかないという構図である。銀行が貸し渋るのは,抱える不良債権(NPAs.主要19行の第3四半期[7~9月]のNPAは計2兆6000億ルピーに上ると報じられている)の重しのために積極的に動けないことが大きい。これに加えて,インドでは銀行の資金基盤が預金に偏重しており,政策金利の変更に反応しづらい点も挙げられる。この悪循環の要因である銀行の不良債権の処理問題,そして銀行システムの改革は,銀行を統括する立場にある中央銀行トップに課せられた課題である。また公営銀行の健全化は政府の責任でもあり,政府は8月,向こう4年で7000億ルピーの資本注入を行うと発表している(初年の本年度は2500億ルピー)。

いずれにしてもラージャン総裁はこのように,金融緩和を通じて,結果として経済や投資を活性化させたい政府を後押しする形になっている。しかし一方で,RBI・ラージャン総裁の物価抑制を至上命題とするスタンスと,投資の活性化を促したい政府の間には軋轢もあり,不協和音が漏れ伝わることもある。7月23日,財務省が発表したインド財政条例草案には,合議・過半数の支持により政策金利を決定する金融政策委員会を新設し,その全7人の委員の過半数を政府が指名すること,RBI総裁の金融政策の決定に関する拒否権をはく奪すること,などといったRBIの監督機関としての独立性を損なうような提案が盛り込まれていた。この提案に対し著名な投資格付け会社もインドの格下げを検討する可能性を示唆するなど,各方面から批判が集まった。もし草案にあるままの形で規制に変更が加えられたとしたら,そのような金融システムの不健全性がかえってインド経済の評価を落とし,結果,経済成長や投資にマイナスとなってしまうことは容易に推測がつきそうなものである。裏を返せば,そうまでしても政府は経済や投資の活性化を渇望しているということである。

モディ政権の経済改革,金融面でのある種の構造改革の進展

いっそうの経済の活性化に向けて,政府も手をこまぬいているだけではない。RBIが2度目の金融緩和を実施した3月4日,長らくの懸案であった保険法改正法案が連邦下院議会を通過,最終的に3月23日付で保険法(改正法)が施行された。これによりインドの保険会社への外国直接投資(FDI)上限が26%から49%に引き上げられ,外資系保険会社の参入が進むことが期待されている。同時に本改正により,年金分野にも同じく49%までの外資参入が認められることになった(4月27日通達)。外資関連政策ではこのほか49%までの外国ポートフォリオ投資(FPI)による複数ブランド小売,保険,年金,医薬品などの分野への自動承認ルートでの参入許可や(7月30日),銀行,メディア,建設・不動産などの15分野での規制緩和が発表されるなど(11月24日通達),2015年は大きな進展がみられた。

保険や年金領域への外資参入に関する規制緩和は,外資の持つノウハウのインドへの移植・活用や資本強化による産業競争力の向上だけでなく,保険会社が持つ資金や年金基金の市場運用による,有価証券市場の活性化をも視野に入る。実際,従業員規模20人以上の企業が原則加入する従業員退職準備基金(EPF)スキームおよび従業員年金スキーム(EPS)の基金は2015年4月,基金増加分の5%相当額(開始時相当額は500億ルピー)の上場投資信託での運用が始まった。ちなみに公企業の持ち株売却では,期待するほどに買い手がつかないことから,インドで最大の保険会社で,また最大規模の資産運用をするインド保険公社(LIC)がその売却株引き受けという形で,近年ますます存在感を増している。

また,社会保障に関して,2015/16年度予算案でも言及された「人々の保護」(Jan Suraksha)と銘打つ簡易の社会保障諸スキームの開始(5月9日)は重要な動きである。人々の保護諸スキームは,傷害保険の「首相による傷害保険計画」(PMSBY),年金計画の「アタル年金計画」(APY.アタルは元BJP党首のヴァジパイー元首相の名前であると同時に,「安定した・揺るがない」の意),そして生命保険の「首相による人生の灯火保険計画」(PMJJBY)の3つで構成されている。いずれも制度のカバレッジが不十分で,正式に制度化された社会保障として認めるのは難しい。事実,アメリカは取り組み不十分として,インドとの社会保障に関する二国間協定の締結を見送っている。しかし国民皆保険および皆年金が大きく未達のインドの歴史に照らせば,人々の保護諸スキームの開始の意義は決して小さくはない。PMSBYは2016年1月1日現在,銀行登録ベースでの延べ加入数が9280万件,PMJJBYは同2930万件以上,そしてAPYは2016年1月中旬には190万人ほどの加入と,全体としては急拡大をみせている。

これらの3スキームはいずれも,前年8月開始の「首相による人々のお金計画」(PMJDY)のもとでの開設口座と結び付けられる。PMJDYは銀行に口座を持たない貧困世帯や農村部で金融機関へのアクセスが限られている世帯に残高ゼロでも口座を開設させて「金融包摂」を実現しようとするもので,預金高以上の借り越しを5000ルピーまで認め,また10万ルピーの傷害保険を付帯する貧困層・低所得者を主として対象とするデビット・カード「RuPay」と連動している。PMJDYによる口座開設はすでに2億口座を上回り,RuPayカードのATM等での使用者数も9000万人は下らないとされる。残高ゼロでは口座開設には意味がないという批判も当初はなされたが,現在では3分の2程度の口座に残高が確認されるまでになっている。

金融包摂に関してはRBIも8月20日,預金上限を10万ルピーとする小口の決済銀行の設立認可をアディティア・ビルラ・ヌーヴォーやリライアンス・インダストリーズなど11組織に与えている。さしあたりは18カ月の暫定認可で,法規制遵守などに問題がなければ正式な免許に切り替える。

金融包摂が目指す銀行口座開設の普及は,補助金を受益者に直接給付することで費用を抑え,かつ補助金をめぐる汚職の撲滅にも資する手当直接給付(DBT)の普及も進めやすくなる。DBTは今日,42の事業で活用されている。DBT化や社会保障の導入には受益者の確定が必須で,国民の身分証明が重要となる。最高裁命令で給付受給の必要条件とはなっていないが,固有身分証明番号「Aadhar」の果たす役割は大きくなっている。

そして,携帯電話・スマートフォン,インターネットという情報通信技術によるオンライン化・デジタル化や情報インフラの整備で移動性=モビリティの向上を重視することで,金融包摂は補強される。これをモディ政権は「JAMビジョン」(J=Jan Dhan[人々のお金],A=Aadhar,M=Mobile)と銘打ち,力を入れている。人々のエンパワメントをJAMではかる,という位置づけである。

こうした動きに対して福祉から政府によるパターナリズムへの移行であるという批判もあるが,善し悪しは別に重要なのは,購買力等々という経済面にかぎらず,人々の生活や判断・意思決定に「お金」の存在感が速度を増してインドで大きくなっていくという点である。共同体に埋没しがちな「個」(社会のなかの個々の家計や個人)の顕在化を促すような,生活様式や伝統的な慣習をも変えうる意識の変化にはとどまらない,ある種の構造改革の進展をここにみることができる。AadharやDBTは前政権が開始したものだから,政権交代でこの動きが断ち切られるとは考えづらい。

最後に,中小・零細企業に関する政策では,社会主義型社会を目指したインドを象徴する経済政策のひとつ,小規模零細企業の保護育成を目的とする生産留保が4月13日,最後の20品目の留保の廃止をもって終止符を打ったことが特筆される。8月15日には起業の促進と,起業による雇用創出を促す取り組み「スタートアップ・インディア,スタンドアップ・インディア」の開始がモディ首相の独立記念日の演説で発表された。まずは宣伝コピーで関心を引こうとする,モディ政権のキャッチーな呼称戦略は2015年も健在である。

対外関係

域外主要国との関係

アメリカ,ロシア,中国,日本など域外大国との関係は安定的に推移した。

アメリカとは良好な関係が続いている。1月26日の共和国記念日の主賓としてオバマ大統領が25日に来訪した。オバマ大統領とモディ首相との共同声明では防衛協力を強化するとともに,ジェットエンジンや航空機など防衛関連装備の共同開発,共同生産の可能性を追求すること,民生用原子力協力については原子力災害時にメーカーに大きな責任を負わせる2010年の原子力損害賠償法に対処するため保険機構を設立することでアメリカ原子力企業の輸出を促すこと,気候変動緩和のためのクリーンエネルギーの開発や低炭素経済への転換のために両国の協力を強化すること,日米印3カ国協議の重要性の認識などを明らかにした。

両国関係では,イランの核開発問題で交渉を続けてきた6カ国が7月14日に最終合意に至り,イランのウラン濃縮能力を厳しく制限する代わりに経済制裁を解除することが決まったことも重要であった。アメリカはイランへの制裁に加わるようにインドに求めてきたが,インドは必ずしも求めに応じてこなかった。今回イラン問題が解消されることで両国関係の障害のひとつが解消された形である。8月21日にはモディ首相とオバマ大統領間のホットラインが開設された。

ロシアとの関係も順調である。2月21日には両国は第5世代戦闘機開発で基本的に合意し,5月8日にはロシアの戦勝記念日に出席したムカルジー大統領はプーチン大統領と会談し,伝統的な友好関係を確認した。7月10日にはロシアのウファで開かれた上海協力機構の会合にモディ首相が出席し,インドは同機構のフルメンバーとなることが決まった。また,モディ首相は年次首脳会議で12月24日にモスクワを訪問し,原子力開発,石油,太陽発電,鉄道,ビザなど16分野の協力協定に署名した。両首脳は政治や防衛分野などで両国間の戦略的パートナーシップを強化することも表明した。

中国との関係は国境問題で緊張はあるが,全体的には安定的に推移した。3月23日にはデリーで両国間の境界問題に関して第18回特別代表会議が開かれ両国間の境界地域での平和を維持するために必要な措置をとることを確認した。続いて4月10日に北京で年次防衛対話が開催され,境界地域の平静の維持,信頼醸成などが協議された。

インドは5月12日にはパキスタン支配下にあるカシミールで中国がインフラ建設を行うことに抗議した。これは,4月20日に習近平国家主席がパキスタンを初めて訪問した際に新疆ウイグル自治区からパキスタンのグワダル港を結ぶ道路や産業インフラ建設計画である「中国・パキスタン経済回廊」への本格的支援を始めることを表明したことへの反発でもあった。しかし,5月14日にモディ首相が年次会合で訪中した際にはインド側は中国と周辺諸国で対立が続く南シナ海問題については触れないなど配慮を見せている。モディ首相は14日には西安市で習近平国家主席と,15日には北京で李克強首相と会談した。会談では双方は戦略的協調を進め,宇宙や原子力発電の分野で協力することなどを確認し,貿易,鉄道,教育など24分野での協力に合意した。

このように国境問題では対立するが,全体的には信頼醸成という方向性には変化はない。5月26日には中国政府は北東部の,いわゆる「マクマホン・ライン」において国境は確定していないとの従来の立場を明らかにした。しかし,8月19日にはインドは9月3日に行われる中国の戦勝記念日に出席を決定し,外務国務大臣V・K・シンが出席した。また11月19日に両国はお互いの内務省を結ぶコミュニケーションを強化する仕組みを設立することを決定している。

日本との関係は良好な状態が続いている。年次首脳会合で12月11日にデリーを訪れた安倍首相は翌日モディ首相と会談した。今回の訪問では,防衛関係が強化されたことが特徴である。防衛装備移転や共同開発を可能とする基礎となる,防衛装備品・技術の目的外使用や第三国移転に関する管理を定めた協定,国家安全保障上重要な情報を交換する場合,受け取る政府が情報を保護することを定める協定などが結ばれた。またインドとアメリカが行ってきた海軍合同演習「マラバール」に,日本が正式に参加することも決定された。これまでも海上自衛隊はたびたびマラバール演習に参加しており,それを正式化するものである。一方,経済面では高速鉄道に関する協力覚書が結ばれムンバイとアーメダバードを結ぶ路線に日本の新幹線方式が採用されることが決まった。懸案となっている民生用の原子力協力に関しては「原子力の平和的利用における協力のための協定に関する覚書」が結ばれ協定の締結にむけて基本的に合意した。

周辺諸国との関係は以下のようである。

パキスタン

パキスタンとは関係改善が進まない。最大の要因はカシミール問題である。カシミールは3度にわたる印パ戦争の停戦ラインである「実効支配線」(LoC)を挟んで,緊張関係が続いている。インドは上述のように5月12日にパキスタンの支配下にあるカシミールで中国がインフラ建設を行うことに抗議した。またLoC地域では銃撃や砲撃がたびたび起こり緊張緩和を妨げている。6月から8月にかけて,銃撃戦でインド側は国境警備隊や軍の兵士数人が死亡した。11月2日にも砲撃により軍の兵士2人が死亡している。

ただし,このような状況でも緊張緩和の話し合いは継続している。ロシアのウファで開かれた上海協力機構の会合でモディ首相とパキスタンのナワーズ・シャリーフ首相が7月10日に会談し,両国の国家安全保障審議官や軍および国境警備隊の指導者レベルの会談を行うこと,また,2008年11月にムンバイで起こった大規模テロ容疑者のパキスタンでの裁判を促進することなどを取り決めた。

しかし,両国の国家安全保障審議官の会談は8月23日会合予定の直前になって中止となった。インド外務省は来訪するパキスタンの審議官がカシミールの分離主義グループと接触しないこと,議題をテロの問題に限ること,という制約を付けたが,パキスタン側がこれに反発したためである。一方,両国の国境警備隊の話し合いは9月11日にパキスタン武装警邏隊の代表団16人がデリーを訪問し行われた。会合では近年銃撃戦や不法侵入が多発しているジャンムー地域で平穏を維持することなどが話し合われた。

カシミール問題については11月16日にカシミール分離主義組織の「民族自決」の運動を賞賛するシャリーフ首相の手紙が明らかにされ,BJPは反発したが,緊張緩和の姿勢は継続されている。12月25日にはモディ首相がロシア訪問の帰途,アフガニスタンのカーブルとパキスタンのラホールを電撃的に訪れ関係者を驚かせた。インド首相がパキスタンを訪問するのは2004年以来となった。両国首脳の会談では「革新的」な外交が必要とされるとし,話し合い継続の重要性が強調された。

ネパール

インドとネパールの関係は9月以降悪化した。ネパールでは2014年1月に第2次憲法制定議会が成立し,ネパール国民会議派とネパール共産党統一マルクスレーニン主義派の連立政権が成立したが,連邦制の形態などをめぐり野党との妥協がならず,2015年初めまで憲法制定に至らなかった。インドはネパールの政情不安は望むところではなく,4月3日に外務次官が憲法制定で妥結に達することを望むとのモディ政権の希望を伝え妥結を促した。状況が変わったのが4月25日のネパール大地震であった。インド自身も多くの死傷者を出したが,インド政府はネパールに迅速に大規模な救援隊と救援物資を送った。その背景には近年,経済援助などによってネパールでプレゼンスを増している中国への対抗という意味合いがある。救援活動では中国も迅速に活動を開始した。このような状況がネパールの与野党が政争を控え協力することを促した。すなわち,大地震による人々の苦境と復興に迅速に対処する必要性があるなかで,インドや中国など外国の救援活動が活発なのに比べて,ネパール政府が役割を果たしていないという人々の批判が,ネパールの政党間の協力を促したのである。

ネパールの憲法制定議会は9月16日に新憲法をようやく承認した。新憲法は国を7州からなる連邦制としたが,しかし,州の境界をめぐってインドの平野部から続く「テライ」地方の「マデーシー」や「タールー」といわれる人々は,州境が彼らの分断を招く,議席数が少ないとして反発した。19日には,モディ首相の特使として派遣されたインド外務次官も,新憲法制定は歓迎しつつも,マデーシーやタールーの人々の賛成を得られていないとして性急な発布に疑問を表明した。そのようななかで新憲法は20日に発布された。

しかし,テライ地方の民族紛争は収まらず,それがインドからの燃料輸送の妨害に繋がり,生活を直撃した。ネパールは「燃料封鎖」にインド当局が関わっているとして非難し燃料を中国から輸入する。10月28日にネパール国営石油会社は北京で中国の石油会社と燃料を輸入する覚書に調印した。しかし,険しい山脈に阻まれて輸入量はネパールの必要に遠く及ばないため,ネパールでは燃料不足が深刻化し,電力不足,医薬品不足を引き起こしており,インドに対する反発が大きくなっているが,モディ政権の歩み寄りは見られない。

バングラデシュ

1947年の印パ分離独立以来,両国の国境地帯に残っていた「飛び地」の領土を相互に交換し整理する合意が7月31日の深夜,発効した。バングラデシュ独立後,1974年には両国間で「インド・バングラデシュ国境合意」が結ばれ国境の大部分は確定したが,「飛び地」など未確定部分が残り,1986年の協議でも決着がつかないでいた。しかし,バングラデシュでアワミ連盟政権成立後,2011年には両国の国境地図が確定され,ダカで国境の最終的な確定のための「国境合意」を施行するための議定書が調印された。今年に入りインドは5月7日に憲法改正を行い国境の変更にむけて準備が整った。6月6日にはモディ首相とママター・バネルジー西ベンガル州首相がダカを訪問し,両国間で批准文書を交換した。

同日にはモディ首相,シェイク・ハシナ・バングラデシュ首相,およびバネルジー州首相により両国を結ぶコルカタ-ダカ-アガルタラ,および,ダカ-シロン-グワハティ路線のバス運行が開始され友好ムードを高めた。また翌7日には共同声明が発表され,そのなかで問題となっているブラフマプトラ河支流のティースタ川の河川水利用をめぐる対立は速やかに解決するとの発表がなされた。同問題に重要な利害関係を有するバネルジー州首相は2011年の時には解決の見通しがつかないことに反発してダカ訪問をキャンセルしたが,2015年に入り2月21日にバングラデシュ・ダカ訪問中ハシナ首相と会談し,問題解決にむけて進展が期待できると見通しを表明した。それが今回の参加につながった。両国および西ベンガル州が合意したことで解決へむけての道筋が見えつつある。

領土交換は7月31日深夜に発効し,バングラデシュ側に残っていたインドの飛び地111カ所,インド側のバングラデシュの飛び地51カ所がそれぞれバングラデシュとインドに所属することになった。インド政府は10月13日にバングラデシュとの領土交換でインドにとどまったものにインド市民権を与えることを決定した。

2016年の課題

2016年の課題は,内政面では,行き詰まっているGST法案などを通過させ,改革の勢いを取り戻すこと,今や諸外国も注意を向け始めているヒンドゥー民族主義の拡散による社会的緊張の高まりに対処することが重要である。対外関係ではインドに対するネパールの不満を和らげ,一方,パキスタンとは引き続き緊張緩和・信頼醸成の努力を続けていくことが求められる。

経済については,2016/17年度のGDP成長率は2015/16年度を下回る7~7.5%との見通しが示されている。ただしアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)の利上げや世界経済の先行き不透明感など,下振れリスクは排除できない。国民の政権支持には高い経済成長が不可欠であるため,2016年も引き続き新政策の発表や規制緩和の取り組みの進展が予想される。銀行のNPAsの処理問題にめどをつけることも課題である。

(近藤:地域研究センター南アジア研究グループ長)

(太田:地域研究センター)

重要日誌 インド 2015年
  1月
1日 解散された計画委員会に代わり「国立インド変革研究委員会」(政策委員会)が設立。会議派や左翼政党非難。元コロンビア大学教授のアルビンド・パナガリヤが副議長(実質的には同委員会の長)に就任。
6日 全インド規模の石炭鉱山ストライキ,5日間の予定で開始,翌7日終了。
11日 第7回バイブラント・グジャラート・サミット開催(~13日)。
12日 ウッタル・プラデーシュ(UP)州ラクナウ近郊で密造酒により39人死亡(~15日)。
15日 インド準備銀行(RBI),レポ・レート(市中銀行への短期貸出金利)を25ベーシス・ポイント引き下げて7.75%に。
15日 サン・グループ,LCCのスパイス・ジェットの全株式を売却。
15日 インド証券取引委員会(SEBI),2015年SEBI(インサイダー取引禁止)規則を発表。
25日 共和国記念日の主賓としてオバマ米大統領来訪。モディ首相と会談。民生用原子力協定の実施などに関して議論。
30日 政府,石炭インド公社(CIL)の持ち株の10%売却。売却益は2255.7億ルピー。
  2月
2日 デリーでキリスト教会襲撃事件。
5日 中央政府,アーンドラ・プラデーシュ(AP)州とともにテーランガーナー州にも税制上の優遇措置を決定。
8日 政策委員会,第1回目の会議を開催。
9日 カシミール地域で分離主義グループによりゼネスト(~11日)。
10日 デリー首都圏州議会選挙開票。庶民党が圧勝。14日にA・ケジュリワル,州首相に就任。
10日 ビハール州ジャナター・ダル(統一派)(JD[U])のニティシュ・クマール派,デリーに到着。ビハール州議会で同派が多数派であることを大統領の前で示す。
12日 消費者物価指数の新基準年を2012年(=100)に変更。
14日 最高裁命令の取り消しに伴う,第1回目の石炭鉱区入札実施(第2回目を3月,第3回目を8月に実施)。
20日 RBIと財務省,インフレ・ターゲッティングの実施に合意。2016年1月時の消費者物価上昇率を6%以下とすることに。
21日 インドとロシア,第5世代戦闘機の共同開発で合意。
22日 ビハール州JD(U)政権,州首相がマンジーからニティシュ・クマールに交代。閣僚も交代。
26日 2015年度鉄道予算発表。
28日 2015年度予算発表。
  3月
1日 ジャンムー・カシミール州でジャンムー・カシミール人民民主党(PDP)とインド人民党(BJP)の連立政権成立。首相にPDPのムフティ・モハンマド・サイードが就任。
4日 マハーラーシュトラ州政府,ムスリムへの5%の留保を教育機関に設定する前政権の措置を取り消す。一方で,マラーターへの留保措置法案を提出。
4日 RBI,レポ・レートを25ベーシス・ポイント引き下げて7.50%に。
4日 保険法改正法案が連邦下院を通過(上院は12日に通過,23日付で官報掲載・施行)。
4日 連邦政府,800 MHz,900 MHz,1800 MHz,2100 MHz 帯の周波数入札の開始(~25日)。
10日 土地収用法,連邦下院を通過。
17日 最高裁,中央政府の「その他後進階級」(OBCs)リストにジャートを含めることはできないとの判断。統一進歩連合(UPA)政権の留保通知を破棄。
20日 鉱山・鉱物(開発と規制)法案,および石炭鉱山(特別規則)法案が連邦上院を通過(連邦下院は順に3日,4日に通過)。
23日 インドと中国,境界問題に関して第18回特別代表会議。
27日 ラージャスターン州政府,パンチャーヤト選挙への立候補資格として最低教育年数を定める。
  4月
1日 全国健康保険計画(RSBY)の所管が労働雇用省から保健・家族福祉省に変更。
1日 外国貿易政策(2015~2020年)発表。
3日 大統領,再度,土地収用令を裁可。
6日 インド軍によってイエメンから1000人のインド人救出。
10日 北京でインド・中国,年次防衛対話。両国間の境界をめぐる緊張の緩和を協議。
10日 モディ首相,フランス,ドイツ,ロシアを訪問(~13日)。
13日 連邦政府,中小企業の保護育成を目的とした生産留保品目について,最後の20品目の留保を廃止。
15日 カナダを訪問中のモディ首相,カナダからウランを購入する契約に署名。
21日 シヴ・セーナーの脅迫によってパキスタン人歌手のプーネ公演が中止。
25日 ネパール大地震。インドでも死傷者。インド政府,ネパールに救援隊。
27日 産業政策振興局,年金分野への外国直接投資(FDI)の上限を49%までに引き上げる旨,通達。
29日 都市開発新プロジェクト「スマート・シティ・ミッション」と「回復・都市変革アタル・ミッション」を閣議了承。
  5月
6日 物品・サービス税(GST)法案が連邦下院を通過。
9日 「人々の保護」と銘打つ簡易の社会保障スキームとして,傷害保険(PMSBY),生命保険(PMJJBY),年金計画(APY)が開始。
11日 カルナータカ高裁,元タミル・ナードゥ(TN)州首相J・ジャヤラリターほか3人を釈放。
11日 BRICSの5カ国が創設した新開発銀行(BRICS銀行)の総裁に元ICICI銀行会長のK・V・カマートが就任。
12日 FDI統合政策を開始。
14日 モディ首相,訪中(~16日)。習近平国家主席,李克強首相と会談。引き続きモンゴル(17日),韓国(18日)訪問。
21日 連邦政府,非居住インド人(NRIs),インド国外市民(OCIs),インド系移民(PIOs)による本国非送金投資を国内投資と扱うことを発表。
23日 ジャヤラリター,TN州首相に復帰。
26日 中国政府,マクマホン・ラインを認めないとの立場を明確化。
31日 大統領,3度目の土地収用令を発令。
  6月
1日 サービス税が本日から14%に引き上げ。
2日 RBI,レポ・レートを25ベーシス・ポイント引き下げて7.25%に。本年3度目の利下げ。
6日 モディ首相とママター・バネルジー西ベンガル州首相,バングラデシュのダカ訪問(~7日)。両国,「国境合意」を承認。
9日 軍とアッサム・ライフル,ナガランドとマニプルのミャンマー国境近くで掃討作戦。50人以上殺害。軍,ゲリラ捕捉のためミャンマー領に侵入と発表(10日)。
18日 マハーラーシュトラ州ムンバイで変造アルコール飲料を摂取後102人が死亡(~23日)。
18日 「2020年までにすべての人々に住居を」スキームを開始。
21日 国際ヨガの日。
29日 マディヤ・プラデーシュ(MP)州で2013年に発覚した政府職員採用に関する汚職疑惑に関して,これまで25人が死亡との発表。州首相S・S・チョーハン,中央捜査局(CBI)の捜査を求める(7月7日)。
29日 チェンナイ・メトロ,アランドゥール駅-コヤンベドゥ駅間で運行開始。
  7月
1日 モディ首相,より野心的なデジタル・インディア・プログラムの開始を発表。
3日 携帯電話番号ポータビリティ(MNP)をインド全土で開始。
6日 モディ首相,中央アジア諸国およびロシア訪問(~13日)。ロシアで上海協力機構(SCO)首脳会議出席。10日,モスクワでパキスタンのシャリーフ首相と非公式会談。
7日 BRICS銀行,モスクワで第1回総会。
18日 カシミールの実効支配線(LoC)でパキスタンと銃撃戦。
21日 BRICS銀行,上海で開業。
30日 1993年のムンバイ連続爆破事件の犯人ヤコブ・メノンの死刑が執行。
30日 連邦政府,49%までの外国ポートフォリオ投資(FPI)による複数ブランド小売,保険,年金,医薬品などの分野への自動承認ルートでの参入許可を発表。
31日 インドとバングラデシュが合計162カ所の飛び地領土を交換。
  8月
3日 政府,ナガランドの分離主義組織ナガランド・ナショナリスト社会主義評議会(イサクー・ムイヴァー派)と平和合意のフレームワーク締結。
7日 モディ首相,8月7日を全国手織り機記念日にすることを発表。
11日 最高裁判所,社会保障などの受給資格に国民身分証明書(Aadhaar)の保持を必要条件としない旨の中間命令。
15日 モディ首相,独立記念日の演説で起業と起業による雇用創出を促す「スタートアップ・インディア,スタンドアップ・インディア」を発表。
22日 グジャラート州でパテール・カーストがOBCsの認定,留保を求め運動。州政府は要求を拒否(23日)。運動は暴力化し,軍と中央政府治安部隊を投入(26日)。
30日 モディ首相,土地収用に関する大統領令は失効させることを表明(31日失効)。既成の土地収用法に関しては13点の規則を改正し,農民の利益を保障。
  9月
2日 主要な10労働組合組織,政府の労働法改正政策に反対して大規模ストライキ。BJP系のバーラティヤ労働組合(BMS)と全国インド労働組合戦線(NFITU)は参加せず。
5日 国防大臣マノーハル・パッリカル,退役軍人の年金を「同一階級同一年金」にするため5年ごとに見直しするとの発表。政府,同一階級同一年金の実施を公示(11月7日)。
7日 軍事法廷で2010年に「偽りの遭遇戦」によって民間人を殺害したとして軍人6人に終身刑を宣告。カシミールで人権侵害によって軍人が有罪判決を受けたのは初めて。
10日 サウジアラビア外交官がネパール人女性をグルガオンの自宅で性奴隷としていたとして抗議運動。
12日 インド海軍とオーストラリア海軍の共同訓練が始まる(~19日)。
12日 MP州ジャブア県ペトラワドで不法所持の爆発物が爆発し約100人死亡。州政府,特別捜査チームの組織を発表(14日)。
14日 ハリヤーナー州でもパンチャーヤト選挙で候補者に教育資格を設ける法を可決。最高裁,同法を差し止め(17日)。
19日 インド政府はネパール憲法をマデーシーやタールーの人々の賛成を得られていないとして批判。
24日 モディ首相,UN総会に出席のため訪米(~28日)。各国首脳と会談。
28日 デリー近郊のUP州ダードリーで牛を殺し肉を食べたという噂からムスリムが村人のリンチで殺害される。警察はBJP指導者3人が扇動したと報告(10月6日)。
28日 ジャイトリー財務大臣,先物市場委員会(FMC)のSEBIとの合併を発表。
29日 RBI,レポ・レートを50ベーシス・ポイント引き下げて6.75%に。
29日 連邦政府,2015年緑の街道(植林・移木・美化・整備)政策を発表。
  10月
12日 パンジャーブで教典を汚されたとしてシク教徒が抗議行動。14日には警察との衝突で2人死亡。
28日 モディ首相,来訪中のアフリカ首脳と会談。インド・アフリカ・フォーラム・サミット開幕(29日)。
28日 インドからの燃料輸入が激減したため,ネパール国営石油会社,中国側の石油会社と燃料を輸入する覚書に調印。
  11月
4日 パキスタンの有名なガザル歌手,デリー公演を中止。
7日 モディ首相,カシミールを訪問し特別経済支援を発表。同首相の訪問に反対し抗議運動激化。暴力的衝突の多発により外出禁止令(11日)。
8日 ビハール州議会選挙開票。JD(U),民族ジャナター・ダル,会議派の連合戦線が3分の2を獲得し勝利。ニティシュ・クマールが首相に就任(11月20日)。
9日 4000キロメートルの射程距離をもつアグニIVミサイル,発射実験成功。
10日 連邦政府,銀行,メディアなど15分野のFDI規制の緩和を発表(商工省産業政策振興局,24日に通達)。
11日 カシミール地域で騒乱。州政府,外出禁止令を出す。
12日 モディ首相,訪英。イギリスとの防衛・戦略的パートナーシップの強化を表明。またイギリスとの民生用原子力協定に署名。
15日 インド,オーストラリアからのウラン輸入の手続きを完了と発表。
19日 第7次中央給与委員会,中央政府公務員の賃上げに関する提言報告書を発表。同日,ケルカール委員会がインフラストラクチャー開発に関する官民連携(PPP)モデル再考・再活力化報告書を財務省に提出。
29日 会議派,他宗教への「不寛容」問題を国会で取り上げなければ,GSTの審議に協力しないと決定。
  12月
1日 RBI,政策金利を据え置き。
10日 パンチャーヤト選挙で候補者の最低教育資格を定めたハリヤーナー州パンチャーヤト選挙法,最高裁で合憲判断。
11日 安倍首相来訪(~13日)。両国間で軍事・戦略に関する諸協定を締結。日本,海軍合同演習マラバールに正式参加。ムンバイとアーメダバード間の高速鉄道に日本の新幹線方式を採用すること,民生用原子力協定の締結に向けて協議を進めることなどを決定。
20日 連邦内務省,ラージャスターン州とチャッティースガル州の反改宗法を承認せず,州政府に差し戻し。
23日 財務大臣ジャイトリーのデリー・クリケット協会時代のスキャンダルを非難したBJP国会議員アーザード,BJPから党員資格停止。
24日 モディ首相,年次会合でロシア訪問。
25日 モディ首相,インド首相としては12年ぶりのパキスタン電撃訪問。
31日 政府,国家開発評議会を解散しその権限を政策委員会の理事会に移す。

参考資料 インド 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  連邦政府主要人名簿(2015年12月末現在)
③  国民民主連合閣僚名簿(2015年12月末現在)
③  国民民主連合閣僚名簿(2015年12月末現在)(続き)

主要統計 インド 2015年
1  基礎統計
2  生産・物価指数
3  国民所得統計1)
4  産業別国内総生産(実質:2011/12年度価格)1)
5  国際収支
6  国・地域別貿易
7  中央政府財政
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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