アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のスリランカ シリセーナ/ラニル政権の成立
荒井 悦代
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2016 年 2016 巻 p. 549-572

詳細

2015年のスリランカ シリセーナ/ラニル政権の成立

概況

2015年のスリランカは大統領選挙で幕を開けた。2期9年にわたったマヒンダ・ラージャパクサ政権は倒れた。新しく就任したマイトリパーラ・シリセーナ大統領は統一国民党(UNP)のラニル・ウィクレマシンハ党首を首相に指名した。6月には第19次憲法改正を行い,大統領権限を縮減した。8月の国会議員総選挙では,統一人民自由連合(UPFA)内でラージャパクサ勢力の盛り返しがみられたものの,UNPが第1党になった。選挙後,UNPとスリランカ自由党(SLFP)が国民政府形成で合意した。大統領と首相の政治改革の方向性は一致しているものの,国民政府内および与野党間の意見の相違により選挙制度改革や汚職捜査,具体的な民族和解措置などはスムーズには進んでいない。

経済面では実質GDP成長率は,約5.2%と見込まれている。消費者物価指数の基準年が11月に変更となった。11月までの年平均インフレ率は0.7%と前年の3.3%からさらに低下した。

バランス外交を標榜するシリセーナ大統領は,インドへの訪問を皮切りに積極的な外交を展開した。中国との関係では,前政権時に鳴り物入りで始まったコロンボ・ポートシティ・プロジェクト(PCP)の建設が3月に一旦停止となった。

国内政治

大統領選挙結果──ラージャパクサの3選を阻止しシリセーナが勝利

2015年のスリランカは1月8日の大統領選挙で幕を開けた。内戦を終結させ,その後の経済発展を牽引したラージャパクサ大統領が3選を果たすか,野党統一候補のシリセーナ元保健大臣がそれを阻止するかが注目された(『アジア動向年報 2015』参照)。

結果はシリセーナ621万7162票(51.3%),ラージャパクサ576万8090票(47.6%),投票率は81.5%であった。表1には県ごとの各候補者の得票率を示した。シリセーナとラージャパクサの勝敗の分かれ目となったのは北部での得票であった。ラージャパクサはシンハラ人の多く居住する州ではシリセーナよりも20万票ほど多く得票している。しかし北・東部(バティカロア県,アンパラ県,トリンコマリー県,ジャフナ県,ヴァヴニヤ県)の得票数はラージャパクサの32万3600票に対してシリセーナの97万8111票と,その差は65万票にもなった。北・東部の復興の進展により,有効投票数が増えたことがシリセーナの勝利につながった。

表1  2015年1月大統領選挙,8月総選挙県別結果

(注) 大統領選挙では野党統一候補が多数を獲得した県,総選挙ではUNP(UNFGG)が多数を獲得した県を網掛け。1) 政党別全得票数のカッコ内はそれぞれ県,ナショナルリストによる獲得議席数。UNP(United National Party,統一国民党),UPFA(United People's Freedom Alliance,統一人民自由連合),TNA(Tamill National Alliance,タミル国民連盟),JVP(Janatha Vimukuthi Peramuna,人民解放戦線),SLMC(Sri Lanka Muslim Congress,スリランカムスリム会議),EPDP(Eelam People's Democratic Party,イーラム人民民主党)。

(出所) http://www.slelections.gov.lk/.

投票の翌日9日の朝6時半,敗北を認めたラージャパクサは官邸を去った。2010年の大統領選挙後に対立候補だったサラット・フォンセーカ一行を捕らえたラージャパクサとは思えない平和的な政権交代であった。ところが,投票後の深夜から早朝にかけてラージャパクサらによる最後の抵抗,すなわち選挙結果を軍事力で覆そうとするクーデタ計画が立てられていたことが明らかになった。そのため10日に予定されていた大統領の宣誓式は,急遽9日に独立広場で行われた。

新政権の船出

シリセーナ大統領は公約どおりUNPのラニルを首相に任命した。SLFPから離反して大統領選に出馬したシリセーナであったが,選挙後にSLFPおよびUPFA(SLFPを中心とする連合政党)に党首として復帰したため,SLFP党首とUNP党首が合意の下に大統領と首相を務めるというこれまでにない政治体制となった。そしてシリセーナ/ラニル政権は前政権との違いを打ち出すかのように矢継ぎ早に改革を発表した。

北部情勢に関しては,外国人の北部訪問に必要だった許可を不要とし,G.A. チャンドラシリ北部州知事を解任し,元外交官のH. M. G. S. パリハッカーラを任命した。コロンボでも高度警戒地区(HSZ)に指定されていたフォートが開放された。人事に関しては,1月21日に大統領がフォンセーカ民主党党首に対して,剥奪されていた軍歴,肩書,年金,選挙権などを回復させると宣言し,28日にはモハン・ピーリス最高裁長官の任命手続きに問題があったとして解任し,シラーニ・バンダーラナイケ前長官(『アジア動向年報 2013』参照)を復職させた。そのほか1月22日にはポートシティ・プロジェクト(PCP)や北部高速などのインフラ事業を見直すための,首相を長とする委員会の設置を承認した。29日には,公務員の給与引き上げ,生活必需品の値下げなどを含む補正予算(ミニ予算)を国会に提出した。

矢継ぎ早の改革が打ち出される一方で,憲法改正や選挙制度改正等の公約の実現は難航した。もともとラージャパクサの3選阻止で結集した寄せ集めであったうえに,シリセーナの党内における地位が政局を複雑にした。シリセーナは2014年の11月にSLFPから離脱したが,大統領選挙後SLFPに復帰し,もっとも高い国家ポストにあるものが党首となるというSLFPの規定に準じてラージャパクサに替わり,党首として迎えられた(UPFAにも党首として復帰)。SLFP中央委員会は国会内では野党の席に着くと決定した。これにより後述するようにUPFA(SLFP)議員も大臣職に就いているが,名目上は野党という変則的な状況になった。

このような変則的な状況になったのは,シリセーナが大統領という地位を利用して,ラージャパクサによって乱されたSLFPの党内秩序を修復しようとしたからであった。一方SLFPおよびUPFAは,大統領を党首に迎え入れることで,野党でありながらUNPに対して強い立場に立てると期待した。しかし両者の思惑はかみ合わず,さらに後述するようにラージャパクサおよび彼を支持する内部のグループがUPFA(SLFP)内で勢力を盛り返し,シリセーナらと対立するようになった。

政権運営をめぐるUNPとUPFAの対立は,たとえば国会議員総選挙の時期にみられる。少数与党のUNPは1月の大統領選挙勝利の余勢を駆って形勢を逆転すべく早期選挙を主張した。これに対してUPFAは,政府与党の公約実現を阻止しつつ勢力復活の時間稼ぎをする必要があり早期の選挙に反対した。勢力の復活とはラージャパクサの復活にほかならない。

苦しい政権運営は,大臣数の増加に現れている。1月12日の発足当時,閣僚はUNP議員およびシリセーナとともに2014年11月にUPFAを離脱した議員で構成され,閣僚,国務大臣,副大臣を合わせても45人と前政権と比べてコンパクトになった。しかし,後述するように政権はUPFA所属議員を取り込み与党の地位を安定させて問題に対処する必要が生じ,大臣数は3月22日にUPFA議員26人が加わり76に膨れ上がった。その後も離脱と加入があり,6月には前政権には及ばないものの80人の大所帯になり,年末には90人を超えた。

第19次憲法改正──大統領権限の縮減

憲法改正による大統領の権限縮減は新大統領の公約の柱のひとつであった。3月12日に首相が閣議に62ページにわたるUNP作成の改正案を提出した。改正案では大統領制度の廃止と首相権限の強化が盛り込まれており,これには閣内からもチャンピカ・ラナヴァカやラージタ・セナラトナら非UNP議員が反対した。彼らは大統領の権限を縮小することには賛成でも,大統領制度廃止には反対であった。非UNP議員からすれば,UNP党首が首相を務めている以上,UNP案による首相の権限強化に同意することはできなかったからである。

3月19日に首相,大統領,クマーラトゥンガ元大統領が会合し,反対派を取り込むために国家統一政府形成で合意した。その後の閣議で,非UNP議員は大統領制度の廃止には反対したものの,改憲案は承認され翌日,官報に掲載された。

官報掲載後,改憲案に対して最高裁にいくつかの訴えが提示され,審議がなされた。4月9日の国会議長の報告によれば,最高裁は,改正案は合憲であるがいくつかの条項には,国会の3分の2の賛成と国民投票での過半数の賛成が必要と判断されたという。その条項とは,首相の権限強化(首相を閣議の長とする,首相に閣僚数と所轄を決定する権限を付与)およびメディアの政治利用の防止(選挙期間中に国営・民間メディアによる報道を監視・処罰する機関を設ける)であった。

最高裁の判断に基づいて国民投票を行うと,時間がかかってしまう。先に述べたようにUNPは早期の解散を望んでいた。そのため政府は首相の権限拡大につながる条項を削除することにした。

改憲に関する議論が進行中,汚職調査委員会がラージャパクサを召喚したことから,ラージャパクサ支持派の議員らが国会内・外で抗議活動を行ったため国会議長は休会を宣言せざるをえなかった。

国会における審議は4月27日に再開し,改憲案中のメディアに関する項目については,野党やメディア関係者から強い反発があり,首相はこれを削除した。4月28日,12時間の審議の後採決が行われ,225議席中,212人が賛成し,10人は欠席,1人は反対し,1人は棄権した。14人のタミル国民連合(TNA)議員も憲法改正案に賛成した。

第19次改正の主な内容は以下のとおりである。大統領は依然として国家元首で首相の任命権を持つ政府首班であり,軍最高司令官として指揮権を保持するなど強い権限を持つ。変更ないし追加点は,大統領および国会議員の任期を6年から5年に短縮,大統領の3選禁止復活,大統領の国会解散権について「国会招集後4年は執行できず」と制限(現在は1年),内閣大臣数は30,副大臣数も40までに限定,大統領による最高裁判事任命(憲法評議会との協議のうえで),二重国籍者の議員資格停止,各種行政委員会(司法,選挙,人事,警察,監査,人権,汚職・腐敗調査,財政,選挙区画策定,調達, 大学助成)の委員は憲法評議会(国会議員7人と評議員3人で構成)によって選定されることなどである。

選挙制度改革

選挙制度をめぐってもUNPとUPFAが対立した。現状では全体で225議席(選挙区196議席と全国比例区29議席)を,UNP提案は全体の議席数はそのままで選挙区125議席,比例区100議席とするものであった。一方でUPFAや少数政党は255議席への増員を主張しており,6月4日に首相への不信任動議を議長に手交して政府案への反対の意思を表明していた。それでも6月8日には首相の提案(選挙区125,選挙区ベースの比例75,全国比例区25)が閣議で一旦承認された。

ところが6月12日に特別閣議が開催され,大統領が新たに議員総数の237(選挙区145,比例区92)への増加を提案してきた。大統領がUPFAの主張に押し切られた形である。提案は閣議で合意された。

しかし,UNPは閣議の後に行われた作業部会で閣議合意に反対すると決定し,総議員数225と早期の解散に固執した。その後6月23日に国会で特別討議が行われたものの結論に至らず決裂し,26日には大統領が突然に国会の解散と現行制度での選挙の実施を宣言するという幕切れとなった。国会解散の決断は,大統領がUNPの意向に沿った結果であり,大統領がUPFAとUNPの間に挟まれて揺れていることを示している。

国会議員総選挙──ラージャパクサ勢力の盛り返し

2月18日コロンボ郊外ヌゲゴダでUPFAを構成する政党が,ラージャパクサの復活を求める集会を行った。これには主催者発表によれば50万人が参加した。その後,政府はラージャパクサ支持派を弱体化させようと,3月22日にUPFA議員26人を閣内に取り込むなど切り崩しを図った。しかし,その直後26日にラトナプラで開催されたラージャパクサ支持集会には国会議員25人のほか7000人(主催者発表)が激しい雨のなか参加した。22日の内閣改造は大規模だったが,135人のUPFA議員の26人のみがポストを与えられただけで,ラージャパクサ支持派を取り込もうとする戦略は逆効果だった。5月,大統領とラージャパクサが,総選挙でラージャパクサをSLFPの首相候補とするか否かについて協議したが,結論には至らなかった。その後も各地でラージャパクサの首相としての立候補を求める集会が相次いで開催され,UPFA議員らも多く駆けつけるなど,ラージャパクサへの支持がUPFA内部で広がった。

ラージャパクサは7月1日ハンバントタ県メダムラナの自宅で,国民の期待に応えて,党と国のために総選挙に出馬すると表明した。このときも多くのUPFA議員が駆けつけた。この時点ではどの政党から立候補するかは発表されなかった。

ラージャパクサは7月8日に,クルネーガラ選挙区からUPFA公認候補として出馬する署名を行ったが,これは大統領がラージャパクサの出馬の要件として事前に提示したハンバントタ県からの出馬とは食い違っていた。

しかし結局,大統領はラージャパクサのUPFA公認を承認した。このことは1月の大統領選挙に協力した人々を失望させた。シンハラ民族の遺産党(JHU)のチャンピカ・ラナヴァカは,7月5日,UPFAを離脱する意向を表明した。

ここで再び反ラージャパクサの機運が盛り上がりUNP, JHU,SLFPの一派,タミル進歩同盟,スリランカ・ムスリム会議(SLMC)が7月13日の選挙登録締め切りの直前に新政党連合,「良い統治のための統一国民戦線」(UNFGG)を設立し,総選挙をUNPの象の政党シンボルで戦う決定を下し,覚書を締結した。ただしUNFGGを政党として登録する時間がなかったため,UNPから出馬することになった。

大統領選挙でシリセーナを支持した「社会正義のための国民運動」代表の仏僧ソービタ師および「より良い明日のための公正な社会に向けた国民運動」代表でJHU議員でもある仏僧ラタナ師らもラージャパクサの出馬を認めた大統領に対して失望と怒りを表明した。

UPFA党内でラージャパクサ支持派と自らの支持派の板挟みになった大統領は,選挙登録が終了した翌日の7月14日夕刻に記者会見を開き,「UPFA議員の大半がラージャパクサの出馬を要請してきたため,不本意にもそれを認めざるをえなかった。UPFAが勝利したとしてもラージャパクサのほかに適切な年長者がいる。自身は総選挙では中立的立場を維持し,自由・公正な選挙のために役割を果たす」と述べた。これは実質的にUNPへの投票の呼び掛けであった。UNPは,大統領の会見を歓迎したものの,UPFAのラージャパクサ支持派は,選挙運動への打撃となるとして怒りを表明した。

党首でありながらライバル政党へ投票の呼び掛けをしたことについて協議するために,SLFP幹事長は15日,党中央委員会を同日夕刻に開催すると述べた。一方で同日,大統領は相談がなかったことを理由に党中央委員会の開催を中止するように党本部に指示した。さらに同日コロンボ地裁は,シリセーナ大統領・SLFP党首の承認を得ないまま党中央委員会が開催されようとしているとの訴えを受け,SLFP幹事長に対し14日間,開催の差し止めを命じるなど,混乱を極めた。ラージャパクサ出馬をめぐるUPFAの混乱は選挙キャンペーン中も続き,大統領とラージャパクサ支持派の対立は,SLFP内部に深刻な亀裂を引き起こした。

8月5日,SLFP顧問であるクマーラトゥンガ元大統領は沈黙を破って特別声明を発出し,1月の大統領選挙の勝利を静かな革命と呼び,その勝利を守るべく国のためにビジョンと決意を持った候補者に投票するよう呼び掛けた。これも7月14 日の大統領演説と同様,実質的にUPFAへの投票を控えるよう要請したものであった。

さらに8月13日,大統領は SLFP党首としてラージャパクサに書簡を送り,仮にUPFAが過半数の議席を獲得した際は,ほかのSLFP幹部に首相の座を譲るように要請した。また人種差別的な発言をし,民族対立をあおることは,国にとっても党にとっても害をもたらすなどと,ラージャパクサに苦言を呈した。

投票を8月17日に控えてのラージャパクサへの異例の書簡は有権者に影響を及ぼしたと考えられるが,大統領はさらに強硬策をとった。14日,大統領は,SLFPの党役員でありながら,党の指示に反して行動するグループ側に味方したとして,SLFPとUPFA幹事長の党員資格を停止した。これまでUPFAの分裂を回避するためにさまざまな妥協策を採用してきたシリセーナであったが,選挙の直前になって強硬策をとらざるをえないほど,ラージャパクサ勢力の巻き返しとそれに対する支持は強かった。

ラグビー選手事故死検証

選挙キャンペーンの終盤にラージャパクサ陣営を揺さぶるような捜査が行われた。8月6日,コロンボ治安裁判所は,2012年5月にコロンボ市内で交通事故死したとされる人気ラグビー選手のワシム・タジュディーン氏の死因に不審な点があるとの警察犯罪捜査部の訴えを受け入れ,10日に遺体を掘り起こして再検死するよう命じた。同日,セナラトネ保健相・内閣報道官は,これまでの捜査で,前政権幹部の息子の指示を受けた大統領警護官により殺害されたとの疑惑が浮上していると述べた。一連の捜査はラージャパクサ陣営に打撃となったが,捜査の必要性と時期に関してはシリセーナ/ラニル政権が標榜するグッドガバナンスからかけ離れているのではないかと疑問も提示された。

国会議員総選挙結果

8月17日の投票率は79.8%と1月の大統領選挙と比べると若干落ちたものの,有権者の関心は高かった。UNPが509万8000票,UPFAは473万2000票とUNPが36万6000票差で勝利した。議席数ではUNPが60議席から106議席に増え,UPFAは144議席から95議席へと大きく減らした。TNAは16議席,人民解放戦線(JVP)は6議席,SLMCが1議席,イーラム人民民主党(EPDP)が1議席となった(表1参照)。ラージャパクサ参戦の波乱があったものの,有権者は大統領選挙以降のシリセーナ/ラニル政権を支持した。選挙によってUNPは過半数を得られなかったものの多数派となり,少数与党という変則的な体制が解消された。

新政権の再スタート

8月20日,シリセーナの公邸で開催されたSLFP中央委員会で,UNP率いるUNFGGと国家統一内閣を樹立することに合意した。翌日に行われたラニル首相の就任式の直後,SLFP幹事長代理とUNP幹事長が,最低2年は党籍替えを禁止し,国家統一内閣を維持し,スリランカの最優先課題に取り組む,との内容の覚書を締結した。両党は経済開発,自由の回復,汚職の撲滅,教育と保健開発,外交関係の修復など10項目に合意した。国会における野党リーダーには,TNAのR. サンバンダンが指名された。

第19次憲法改正で大臣数は制限されたはずだが,新政権の大臣数はそれを上回った。国民政府を形成する場合はこの限りではない,という条項を適用したためである。今後も,ポストを求める議員らの要求を満たしつつ政治改革を進める必要があるため,党内の調整は困難が続きそうである。

人権問題──国際社会の軟化,国連人権理事会で共同決議を提出

これまで国際社会とスリランカ政府は人権問題,とくに内戦末期の戦争犯罪の事実調査に関して国際調査を行うか否かで対立してきた。新政権もこれまでと同様の立場をとるものの,国連や西欧諸国は,新政権に対して寛容である。

1月19日,首相はスリランカが国際調査に関する国際刑事裁判所ローマ規定に署名していないため人権問題に関しては国内法に基づく調査を行うと述べた。しかし新政府は,国連人権理事会および関心を持つメンバーと合意が形成できるように積極的に行動する,と声明を出している。

また政府は,南アフリカの真実和解委員会をモデルとした機構を設置し,民族紛争の被害者への補償や民族間の和解促進に取り組むこと,その際に在外スリランカ人の協力を得ること,証人保護法も整備することなどを明らかにした。これに対しジェフリー・フェルトマン国連政務局長は3月11日,新政権のこれまでの取り組みを称え,スリランカは,国際社会の基準に見合った信頼できる国内和解プロセスを設立するという歴史的な機会を迎えているとの声明を発表した。

国際社会において好評価を得た新政権であったが,新政権が最重要とみなしたのは国連人権理事会だった。9月15日,2014年の国連人権理事会の決議を受けて国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が作成した報告書が発表された。報告書では2002年から2011年の内戦中および内戦終結後に政府とLTTEが犯した重大な人権侵害について述べられ,スリランカ政府が加害者としての責任をとらないでいる点が問題とされた。また政治的な影響を受けない捜査・訴追機関と国際的な判事・検事・弁護団・捜査官からなるハイブリッド特別法廷の設置が勧告された。人権理事会決議草案もこの報告書に沿って作成され,スリランカ国内外の専門家で構成される特別法廷が設置される可能性が示された。

前政権ならばこのような国際社会の介入に強硬に反対しただろう。しかしスリランカ新政権は9月24日,アメリカ提出の対スリランカ人権理事会決議案に共同提案者として加わることになった。前政権では考えられない展開であった。中国やパキスタンなども決議案を支持し,同案は10月1日全会一致で採択された。決議内容は,土地の返還,テロ防止法の廃止,強制失跡防止条約の批准,国内外の判事・検事・弁護団・捜査官を含む司法機関の設立などである。

経済

国際収支とGDP

輸出全体の58.6%を占める衣類と茶が対前年比(以下同じ)それぞれ2.2%,17.7%減となった。茶に関しては世界的な需要減と価格低下および主たる輸入国である中東諸国の情勢悪化が影響した。これにより輸出額は5.6%減となった。輸入額は原油価格低下により全体としては2.5%減となった。その結果貿易収支赤字額は1.7%増となった。

国際収支面では,観光収入が増え(22.6%増),また国債発行やポートフォリオ,インドとの通貨スワップによる11億ドル調達(4月および7月)があり,堅調であった。観光ではインド・中国からの観光客の増加が目立ち,とくに中国からの観光客は37.6%増となった。ただ,これまで順調だった海外送金は0.5%減となった。

国際収支が堅調だったことから,中央銀行は9月4日に為替変動幅を拡大したところ,それまで対ドルのルピー相場は前年比2%減に止まっていたのが,一気に前年比7%減にまで落ち込み,年末には約9%の下落となった。

実質GDP成長率(2010年基準)は,コメの生産が好調だった農業分野は6.1%,鉱工業3.6%,サービス業5.2%で,全体としては5.2%であった。

金融・財政政策

2014年後半以降に行われた燃料価格の引き下げ,新政権の公約である100日プログラムの実施に伴い,2015年暫定予算で示された燃料・ガスボンベ価格およびバス運賃などの引き下げ,および国内需要の低下によってインフレ率は低い水準にあった。そのため,中央銀行は4月に政策金利を0.5ポイント引き下げた。金利低下により消費財輸入および民間セクターへの融資は増えたものの,生産面の活動は活発化しなかった。中央銀行は12月末にインフレの傾向が見られるとして2013年以来6.0%と低い水準にあった法定準備率を1.5ポイント引き上げた。

低金利によってとくに増加したのは車両輸入(79.8%増,1~9月)であった。中央銀行は抑制策として,9月に車両の購入ローンの貸出上限を価格の70%までとするよう金融機関に通達した。11月の2016年予算でも税制面において車両輸入台数を減らす予算措置が執られた。

経済指標の計算方式・基準年の変更

7月にセンサス・統計局はGDPの基準年を2002年から2010年に変更した。同時に計算方式を国連SNA2008に変更した。旧方式では2013,2014年のGDP成長率はそれぞれ7.2%,7.4%だったが,新方式では3.4%,4.5%と修正された。  11月には,消費者物価指数についても基準年を2006/07年度から2013年に変更した。新基準による年末時点での年平均インフレ率は3.8%であった。

対外関係

シリセーナは,大統領就任後初の外遊先としてインドを選んだ。その後は中国,イギリス,パキスタン,モルディブ,アメリカ,タイ,マルタ,フランス,イタリアを訪問するなど,前政権の中国偏重との違いをアピールするように広範囲な外交を展開した。

対中国──PCPをめぐる動き

コロンボ・ポートシティ・プロジェクト (PCP) は,中国国有企業である中国交通建設(CCCC)が14億ドルを出資する直接投資(FDI)事業で,2014年9月に建設が始まった(『アジア動向年報 2015』参照)。しかし,前政権の中国偏重外交を批判するラニル首相は選挙期間中から,シリセーナが大統領に当選したならばPCPはキャンセルすると発言していた。そして新政権は2015年3月5日に環境アセスメントなどの手続き上の問題があるとして,PCPの一時停止を命じた。

新政権は選挙運動中にバランス外交へ転換し,前政権の汚職についても厳しく追及すると述べた。中国を名指しで批判することはなかったものの,中国関連プロジェクトと汚職を関連づけていたことは明らかであった。

PCPは一旦中断したが,中国およびスリランカ双方にとっても再開しない,という選択肢は非現実的であった。まずCCCC側が主張しているように途中まで建設してしまっている。工事停止の1日の直接損失は38万ドルで,浸食を受けるため,工事を再開するにしても,追加的な費用が生じてしまう。

またスリランカは南アジアのハブとして直接投資に期待しており,政権交代つまり政治的不安定性による契約破棄は,全世界の投資家に対して内戦後の安定をアピールしたいスリランカとしては汚点となり避けたい事態であった。

8月の総選挙に勝利したシリセーナ/ラニル政権にとって,PCP問題はいつ,そして,どのような条件で再開するかが問題であった。具体的には政府は中国に対してこれまでなされた50億ドルともいわれる融資の返済条件の緩和を求めていた。スリランカは中国への返済のためにIMFに40億ドルの救援を求めたものの,3月に拒否されており,中国への返済開始時期が迫っていたため,対処が必要であった。

10月には中国から外務副大臣・劉振民が来訪しPCPの再開を求める公式な立場を示した。年末にかけて,スリランカ国内で環境面での問題はクリアされ,埋立て地における中国への土地の供与面積やリース期間について国内法との折り合いがついたと報道されている。

対インド──漁民問題

シリセーナ大統領およびラニル首相は就任後の初外遊先にインドを選ぶことで(それぞれ2月,9月),前政権の中国依存からの決別を示した。インドのモディ首相も3月に来訪するなど,二国間関係は改善した。その一方でポーク海峡における二国間の漁民の領海侵犯・密漁・拿捕が頻発し,政府首脳の訪問や各種行事に合わせて拿捕漁民の恩赦が行われたものの,2015年も解決に至らなかった。

2月の訪印の際に大統領は,タミル・ナードゥ(TN)州の漁民によるスリランカ領海内での底引き網漁が海洋資源を枯渇させると訴えた。共同会見においてモディ首相は双方の漁業団体の話し合いを促進すると述べた。インドのスワラージ外相もインド漁民は海上国境のインド側にとどまるべきと発言している。

モディ首相の来訪(3月)を前にスワラージ外相がスリランカを訪れた。ところがその直前に,ラニル首相がインドのテレビ局(Thanthi TV)のインタビューでインド漁民の密漁に関して「もし誰かが家に押し入ったら,撃つことができる」という例えを用いてスリランカ領海内でのインド漁民の漁を認めない方針を示した。インド漁民やTN州の政治家らは強硬に反発したものの,スワラージ外相は,漁民問題は人道的・感情的な問題であるとし,友人として時間をかけて解決すべきと呼び掛けた。モディ来訪の際には,インドの国内世論とくにTN州の世論を考慮したため,感情的問題であるとして具体的な解決策は提起されなかった。

双方の漁民団体による話し合いは3月24日にチェンナイで開催された。前年5月にも同様の会合がコロンボで開催され,その時インド側はスリランカ領海内での底引き網漁を3年間は行いたい,という要求を行った。しかしスリランカ側はこの要求を理不尽なものとして認めず決裂していた。

2015年の話し合いでインド側は,ポーク海峡での操業はTN漁民の伝統的な権利であるので認めること,スリランカ海軍はインド漁民に暴力的な攻撃をしないこと,拿捕した場合でも長期の拘留をしないこと,そしてインド漁民がスリランカ海域で3年間にわたり年間83日間操業することをスリランカは認めることなど7項目を要求してきた。インドでは1年間に出漁できるのは120日とされているにもかかわらずである。

スリランカ側は一旦持ち帰り協議するとしたが,インド側の要求はスリランカを苛立たせた。確かにインド漁民にとって漁業は所得を得るために絶対必要な生活手段である。しかし,インド側で魚を取り尽くしてしまったという理由で,スリランカ領海で漁をするならば,スリランカ漁民の生活を圧迫することになる。スリランカでは海洋資源を保全するため底引き網漁が認められておらず,インドの主張は受け入れがたいものであった。

そしてインド側が主張するように,潮に流されてスリランカ領海内に入り込んでしまった,という弁明は成り立たない。なぜなら,インド漁民らはスリランカの陸地から見える範囲でさえ操業しているからである。

さらに,スリランカ側にとって不満なのは2010年の合意では,スリランカ領海内での年間70日の操業を1年間行った後は,沿岸漁業からスリランカから離れた海域での沖合漁業に転換するというものだったのが,まったく守られていないことである。

加えてTN州の州首相のジャヤラリターは,1976年にスリランカ領とされたカッチャティーヴ島の返還も求めている。

インド連邦政府としては,沿岸漁業から沖合漁業への転換などにより問題を解決したいところであるが,TN州内からは反発が強い。2016年4月にTN州で州議会選挙が予定されている。漁民の数は多く,TN州の政党は彼らの声を無視することはできない。解決にはさらに時間がかかりそうである。

2016年の課題

1月の大統領選挙・8月の国会議員総選挙に勝利し,国民政府を形成することに成功したシリセーナ大統領であるが,UPFA党内外にラージャパクサを支持するグループが形成され共同野党として活動しており,新憲法の制定や選挙制度改革などは難航しそうである。

中国の景気後退がスリランカの国際収支にもたらす影響は小さいと考えられるが,PCP再開をめぐる議論に影響があるかもしれない。

インドとは,漁業問題に対する根本的な解決の糸口は見い出せそうにないが,二国間のサービス自由化について議論がなされる見込みである。

内戦末期の人道・人権問題調査に関しては,スリランカ政府が海外の司法専門家をどのように国内の司法システムに取り込み,公正で独立した調査を行うのか,注目される。

(地域研究センター研究グループ長)

重要日誌 スリランカ 2015年
  1月
2日 カンカサントゥライ=ジャフナ間の鉄道開通。
8日 大統領選挙投票。
9日 マヒンダ・ラージャパクサ,官邸を去る。マイトリパーラ・シリセーナ,独立広場で大統領就任宣言。大統領,ラニル・ウィクレマシンハを首相に任命。
11日 マンガラ・サマラウィーラ議員,ラージャパクサらによるクーデタ未遂があったと発表。
12日 新閣僚ら就任宣言。
13日 ローマ法王来訪(~15日)。
14日 大統領,北部州知事G.A.チャンドラシリに代えてH.M.G.S.パリハッカーラ任命。
16日 大統領,スリランカ自由党(SLFP)の議長就任宣言。
16日 外国人の北部立入制限解除。
17日 スリランカ航空,2月9日よりハンバントタ国際空港への就航を取りやめると発表。
17日 外相,インド訪問。モディ印首相らと会談。
18日 政府,コロンボ=キャンディ間高速道路建設の一時凍結を発表。
22日 反汚職委員会,首相が率いる閣議の小委員会として設置される。
22日 フォート地区の高度警戒地区(HSZ)オープン。
27日 北部,東部,サバラガムワ,中央,北中部,ウヴァの新州知事が宣誓。
28日 シラーニ・バンダーラナイケ,最高裁長官として職務復帰。翌日退任。国防省,サラット・フォンセーカの職責復帰。
29日 補正予算提出。
  2月
2日 ティッサ・アタナーヤケ議員,文書偽造の件で逮捕される。
4日 独立記念日。大統領「最大の課題は,和解プロセスを通じて国民の心をひとつにすること。あらゆる国と友好関係を築き,中道の外交政策を進める」と演説。
5日 三菱東京UFJ銀行,セイロン銀行と業務提携覚書を締結。
6日 野党,ジョン・アマラトゥンガ大臣への不信任動議提出。
10日 北部州評議会で国連にスリランカ政府のタミル人虐殺調査を求める決議可決。
15日 大統領,インド訪問。16日,モディ首相と会談。
18日 統一人民自由連合(UPFA),ラージャパクサを首相候補に推す集会をヌゲゴダで開催。
24日 南アフリカ国際関係・協力副大臣,和解に関する南アフリカの経験について話し合うために来訪。
27日 サマラウィーラ外相,中国訪問。ポートシティ・プロジェクト(PCP)について,中国と協議。新政権は中国の投資家を歓迎。
27日 中央銀行(中銀),10億㍓の国債発行を発表。
28日 ジェフリー・フェルトマン国連政務局長来訪。100日プログラム支持を表明。情報公開法制定の必要性を主張。
  3月
2日 サマラウィーラ外相,ジュネーブの人権理事会に出席。
3日 大統領,ジャフナ訪問。
5日 政府,PCP工事の一時停止を決定。
6日 インドのThanthi TVの放送で首相,スリランカ領海内での海軍によるインド漁民銃撃は正当化される,と発言。
6日 ラージャパクサを首相候補に擁立すべくキャンディで集会。ラージャパクサはメッセージを送付。
7日 来問中の城内実外務副大臣,コロンボの国際空港改善と配電網整備・効率化のために約700億円の円借款供与を表明。
7日 大統領,イギリス訪問(~11日)。10日にキャメロン首相と会談。
9日 ゴール治安裁判所,ゴーターバヤ前国防次官の出国禁止を発出。
12日 首相,閣議に改憲案提出。
13日 モディ印首相来訪。インド首相のスリランカ訪問は28年ぶり。
15日 大統領,UPFA議長に任命される。
17日 大統領,タミル語での国歌斉唱を許可。
22日 新たに閣僚11人,国務大臣5人,副大臣11人が宣誓。
24日 首相,第19次改憲案を国会に提出。
24日 インド・スリランカ漁業会談,チェンナイで開催。
25日 大統領,中国訪問(~28日)。26日,習近平国家主席と会談。28日,ボアオ・アジア・フォーラムに出席。
29日 中国と広東省で合同軍事演習「シルクロード協力2015」開始。
  4月
5日 大統領,パキスタン訪問(~7日)。原子力エネルギーに関する合意を含む6つの合意に調印。
9日 ブータン首相来訪(~11日)。
9日 最高裁,第19次改憲案のいくつかの条項については国民投票を要する,と判断。
15日 中銀,政策金利を0.5㌽引き下げ。
16日 ソーマワンサ・アマラシンハ,人民解放戦線を引退。
19日 マヒンダとゴーターバヤ前国防次官,汚職調査委員会に召喚予定と報道。
20日 UPFA議員,ラージャパクサの汚職調査委員会召喚に反対する署名を大統領に手交。
20日 ラージャパクサの汚職調査委員会召喚に反対する議員ら,国会で座り込み。
21日 UPFA議員ら,国会議事堂前で5時間にわたり抗議活動。
22日 大統領,アジア・アフリカ会議60周年,新アジア・アフリカ戦略的パートナーシップ10周年のためにジャカルタ訪問(~24日)。
22日 バジル・ラージャパクサ前経済開発大臣,公金横領で事情聴取後,逮捕される。
23日 大統領,100日プログラムについて特別講話。すべての国会議員に第19次憲法改正への賛成を呼び掛け。
27日 アジアインフラ投資銀行(AIIB)首脳代表会議(~28日)。
28日 第19次憲法改正,212賛成,1反対で通過。
  5月
2日 アメリカ国務長官ジョン・ケリー来訪。インド洋における領海や海洋権益を脅かす武力の行使や脅威に協力して対抗する。
2日 スリランカ空軍機C-130,ネパール大地震被災地へ物資供給。
6日 大統領,ラージャパクサ会合。
14日 ジャフナで行方不明になっていた女子学生の遺体が発見される。
18日 UPFA議員ら,財務大臣に対する不信任動議提出。
20日 ゴーターバヤ・ラージャパクサ前国防次官,金融犯罪捜査局で事情聴取。
20日 女子学生殺人事件の犯人引き渡しを求める集団がジャフナ裁判所に投石。127人逮捕。
26日 ボドゥ・バラ・セーナ(BBS)のニャーナサーラ,逮捕される。
26日 漁業・水産資源省,スリランカ領海内で年間83日の操業を求めるタミル・ナードゥ州漁民の要求を拒否。
  6月
4日 UPFA議員ら112人の署名をもって首相への不信任動議を国会議長に手交。
8日 大統領,すべての政党に選挙制度改革について意見表明を求める。特別閣議で第20次憲法改正を実施するための草案づくりを12日までに行うと決定。
9日 2012年のヴェリカダ刑務所暴動調査委員会,報告書を法務大臣に提出。
12日 閣議で選挙制度改革を中心とする第20次憲法改正案を承認。15日,官報掲載。
12日 ナマル・ラージャパクサ議員,犯罪捜査局で事情聴取。
18日 閣議でPCP再開を審議。
18日 サマラウィーラ外相,日本訪問。中国依存の外交からバランス外交への転換を宣言。
20日 SLFPの6人委員会,全会一致でラージャパクサを党の首相候補に立候補させると決定。
22日 スリランカ・中国合同軍事演習(第2回)。
23日 第20次改憲案について国会で特別討議。
26日 大統領,国会の解散と総選挙を宣言。
26日 元インド大統領カラム氏来訪。
29日 アメリカ商務省,スリランカへの一般特恵関税制度(GSP)適用再開を発表。
  7月
1日 ラージャパクサ,出馬表明。
3日 大統領,ラージャパクサのUPFAからの出馬に合意。
11日 ラージャパクサの出馬に反対のUPFA議員ら,グッドガバナンスのための統一国民戦線(UNFGG)を結成し,統一国民党(UNP)候補として出馬。
14日 大統領,ラージャパクサの出馬には反対と改めて表明しつつ中立を維持。
15日 12.5キログラムのガスボンベ価格100㍓引き下げ。
15日 コロンボ地裁,SLFP中央委員会開催に差止命令。
17日 中銀,インド準備銀行と11億㌦の通貨スワップ協定締結。
26日 大統領,モルディブ独立記念式典に出席。
28日 UNPのチケットで出馬する国会議員5人,SLFPから除名される。
28日 85の市民団体とUNFGG,14項目の合意に署名。
31日 コロンボ・コタヘーナで銃撃。ラヴィ・カルナナヤケ財務大臣支持者2人死亡。
  8月
3日 コロンボ=キャンディ間高速道路第1期の工事開始。
5日 クマーラトゥンガ元大統領,有権者に「大統領選挙後の政治に整合的な」立候補者を選ぶよう呼び掛け。
7日 UPFA幹事長,州評議員会議員ら4人をUPFAから除名。
10日 ラグビー選手ワシム・タジュディーンの遺体が掘り起こされる。
13日 大統領,ラージャパクサに書簡。UPFAが過半数を獲得してもラージャパクサを首相に任命しない。
14日 大統領,SLFPとUPFAの幹事長の党員資格を停止。
17日 総選挙投票。
20日 SLFP中央委員会で,UNPとの国民政府樹立について話し合い。
21日 ラニル・ウィクレマシンハ,4度目の首相就任。
24日 ジャーナリストのエクネリゴダ失踪で軍兵士4人逮捕。
25日 アメリカ国務次官補(南・中央アジア担当)ニシャー・ビスワル来訪。スリランカの国内調査支持を表明。
26日 UNP,SLFPと2年間の国民政府の形成に最終合意と発表。
29日 オーマンタイのチェックポイント撤去。
  9月
3日 国会議長,R.サンバンダン・タミル国民連合(TNA)議長を野党リーダーに指名。
4日 中銀,為替変動幅を拡大。
14日 首相,インド訪問(~25日)。
15日 国連人権高等弁務官事務所,スリランカに特別法廷の設置を求める報告書を提出。
22日 ラージャパクサ,「深刻な不正・汚職・職権濫用に関する大統領調査委員会」より事情聴取を受ける。
23日 大統領,国連総会に出席するために出発。26日に国連事務総長と会談。
24日 スリランカの説明責任に関する共同決議案が国連人権理事会に提出される。
29日 スリランカとインド,プネーで合同軍事演習(14日間)。
  10月
1日 国連人権理事会でスリランカ決議,無投票で承認。
4日 首相,京都で安倍首相と会談(~7日)。
6日 海軍,ゴール沖に停泊中の民間企業アバン・ガード所有の船より武器を発見。
12日 テロリズム防止法で拘留中の元タミル・イーラム解放の虎(LTTE)要員ら迅速な手続きを求めてハンガーストライキ。
14日 10月中に任期切れの地方自治体議会の任期を12月末まで延長。
16日 北京・第6回香山フォーラムに国防次官出席。
20日 行方不明者調査委員会報告書について国会で議論。
  11月
1日 大統領,タイ訪問。
8日 「社会正義のための国民運動」のソービタ師死去。
9日 国連の強制・非自発的行方不明作業グループ来訪。
20日 財務大臣,2016年予算を国会で読み上げ。
20日 政府,親LTTE団体の活動禁止措置解除。
21日 アメリカ国連大使のサマンサ・パワー来訪。北部を視察し,大統領は他の政治家がなしえないことを実現したと絶賛。
23日 スリランカ海軍主催の海軍シンポジウム第6回ゴール・ダイアログ開催(~24日)。
26日 大統領,第24回イギリス連邦首脳会議出席のためにマルタ訪問。その後,国連気候変動枠組条約第21回締約国会議に出席するためパリを訪問。
  12月
6日 政府,監視カメラの映像からVIPファミリーがタジュディーン殺害の背後にいることが判明と発表。
10日 スリランカ,強制失踪防止条約に調印。
14日 大統領,フランシスコ法王に謁見。
14日 アメリカのトマス・シャノン顧問来訪。
15日 私立医大学生の国立病院での訓練を最高裁が承認。
15日 TNA,刑法(改正)案の取り消しを求める。
19日 2016年予算,賛成160,反対51,欠席13で通過。
20日 ニシャー・ビスワル米国務次官補(南・中央アジア担当)来訪(~24日)。
20日 ヒルニカ・プレマチャンドラ議員の支持者らが,若者を拉致監禁。
23日 サウジアラビア政府,スリランカ人メイドの死刑を執行しないと決定。
26日 地方自治体議会の任期6カ月再延長。

参考資料 スリランカ 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  政府要人名簿(2015年12月末現在)
②  政府要人名簿(2015年12月末現在)(続き)

主要統計 スリランカ 2015年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2010年価格)
4  輸出・輸入分類
5  国際収支
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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