アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のパキスタン インド首相が12年ぶりに来訪
牧野 百恵
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2016 年 2016 巻 p. 573-598

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2015年のパキスタン インド首相が12年ぶりに来訪

概況

2014年6月から「アズブの一撃」作戦を実行し,テロリスト掃討作戦を進めてきた軍の勢いは,2015年を通してますます強くなった。2014年末の学校襲撃事件を受けた第21次憲法改正により軍事法廷が設置され,司法に対する優位も印象づけた。ラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長は,これまでの軍のトップに比べても,テロリスト掃討,国内の治安維持に本気の姿勢をみせており,実際に治安も改善した。陸軍参謀長に対する国民の人気はうなぎ登りである。

2013年に開始されたIMFによる拡大信用供与措置(EFF)は,財政赤字の改善を条件としている。民営化もEFFの条件に含まれ,Habib Bank Limited(HBL)社など,銀行関連のものは2014年に引き続いて着実に実施された。一方で,パキスタン航空(PIA),パキスタン製鋼公社(PSM)および送・配電会社の民営化は,年内が期限であったにもかかわらず実施されないままであった。安定した電力供給を公約として掲げてきたナワーズ・シャリーフ政権にとっては,送・配電会社の民営化も合わせてサーキュラーデット(循環債務)問題を解決し,安定した電力供給を実現することは至上課題である。1月には,サーキュラーデット問題に端を発したエネルギー危機が深刻化し,首相の公務も大幅な変更を余儀なくされた。

12月25日,モディ印首相がラホールを電撃訪問した。インド首相の来訪は実に12年ぶりであった。公式な発表でも,訪問はその日に決まった電撃的なものであったとのことで,本当に電撃訪問かを含めさまざまな憶測を呼んだ。シャリーフ首相の私邸への友好訪問であり,会談自体も短く,二国間対話再開の実現に向けて協力していくことを確認し合ったにすぎず,具体的な進展があったわけではない。しかし,両首脳が友好関係にあることを国内外にアピールした意義は大きかったといえよう。

国内政治

軍の台頭

シャリーフ陸軍参謀長は,これまでの軍トップに比べても,テロリストを含む国内の反治安分子に容赦ない姿勢を貫いており,後述するように,実際にパキスタンの治安は改善している。結果としてシャリーフ陸軍参謀長に対する国民の人気はうなぎ登りである。陸軍参謀長自身はクーデタを起こす気はなさそうだが,舞台裏とは完全に言い切れないさまざまな局面でシャリーフ首相に圧力をかけているようにみえる。安全保障に関する軍のプレゼンスはもともと大きかったところ,10月23日,シャリーフ陸軍参謀長に近いとされるナスィール・ハーン・ジャンジュアー退役中将が国家安全保障担当首相顧問に就任し,同顧問を兼ねていたサルタージ・アズィーズが外務担当のみとなったことで軍の台頭に拍車がかかっており,国内外の安全保障に関する首相の権限はもはやなさそうである。以下では,軍の台頭をより鮮明にした2例を取り上げる。

⑴ 第21次憲法改正

2014年末の学校襲撃事件を受けて,シャリーフ首相が発表した対テロ「国家行動計画」は対テロ軍事法廷の設置を盛り込んでいたために,憲法改正の必要があった。1月6日,第21次憲法改正案が下院と上院双方の議会を通過し,7日にフサイン大統領が署名して発効した。野党のうち,イスラーム聖職者党ファズル派(JUI-F)やイスラーム党(JI)といった宗教政党は,純粋な宗教活動もテロとみなされかねないとして反対したが,それ以外の主だった反対はなかった。これにより,テロリストとみなされた民間人を軍事法廷が速やかに裁くことができることになり,軍の司法に対する優位を印象づけた。

2月9日,最高裁弁護士協会(SCBA),パキスタン弁護士協会(PBA)がそれぞれ,軍事法廷設置を認めた第21次憲法改正の無効を最高裁に訴えた。軍が民間人を裁くことができる点,司法の独立が脅かされる点が憲法矛盾であることが主な論拠である。4月2日,シャリーフ陸軍参謀長は,軍事法廷が下したパキスタン・ターリバーン運動(TTP)6人に対する死刑宣告を認可し,軍事法廷のもとで初めて死刑が確定した。4月15日,SCBAは同様の理由で死刑囚6人の処刑一時停止を訴え,16日,最高裁は第21次憲法改正に対する異議申し立てを吟味する必要があると判断し,一時停止を決定した。8月5日,最高裁大法廷は,17人中11人が支持する形で,第21次憲法改正無効の訴えを却下し,軍の司法に対する優位が決定的となった。

⑵ 統一民族運動(MQM)取り締まり

3月11日,レンジャー部隊がカラチのMQM本部に突入し,匿われていた容疑者数人を逮捕するとともに,武器を押収した。MQM活動家は,カラチの派閥間抗争への深い関与が疑われ,カラチ治安悪化に大きな責任があると目されてきた。しかし,MQMは2013年の総選挙でPTIが第3政党に躍進した現政権においても第4政党であり,歴代政権では連立政権の一角を担っていたこともあり,ここ数年カラチの治安が悪化するなかでも,本部に捜査の手が伸びることはなかった。レンジャー部隊は準軍として,公的には内務省の管轄下にあるため,シャリーフ首相の政治判断という解釈ができなくもないが,実質的には軍の指揮下にあることは周知の事実である。むしろ,警察ではなく軍指揮下のレンジャー部隊だからこそMQM本部に突入できたと考えるのが妥当だろう。しかし,パキスタン政治においては,暴力と政党の結びつきはMQMに限ったことではなく,MQMが軍にとって都合が悪いから標的にされたとの批判を真正面から覆すことは難しい。

レンジャー部隊によるMQM本部捜査に抗議して8月12日,MQM所属全議員が,連邦政府下院,上院,シンド州議会へ辞職願を提出した。辞職には,各院もしくは議会議長の承認が必要となるため,直ちに議員資格がなくなったわけではない。その後,政府の交渉・説得もあり,結局,10月9日に辞職願を取り下げた。

MQM本部突入が目立っているが,それに限らず,レンジャー部隊=軍は,ここ数年悪化の一途をたどっていたカラチの治安沈静化に本腰を入れている。実際,カラチの治安はこれまでと比べて明らかに改善されており,世論もシャリーフ陸軍参謀長に賛辞を惜しまない。

選挙

⑴ 上院議員選挙

3月5日,上院議員選挙が実施された。上院104議席のうち半数52議席(無投票当選を除くと48議席)の改選である。選挙人は地方議会議員と下院議員であるため,パキスタン人民党(PPP)からパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)へ政権交代があった2013年の総選挙結果が大きく反映された。パンジャーブ州では全11議席を独占するなどPML-Nの躍進は目覚ましく,18議席を獲得して改選前の16議席から26議席へと議席数を大幅に増やした。一方のPPPは8議席を獲得したのみで,改選前の41議席から27議席へと減らしたが,半数改選前の圧倒的な勢力のため,かろうじて多数を確保した。結果として,下院上院のねじれ現象は続くことになった。改選前後の政党別勢力内訳は図1のとおりである。12日,PPPのラザー・ラッバーニーが上院議長に選出された。

図1  改選前後の政党別上院議席の内訳

(注) 値は議席数。政党名はパキスタン人民党(PPP),パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N),パキスタン正義行動党(PTI),統一民族運動(MQM),大衆民族党(ANP)。

(出所) Election Commission of Pakistan, Senate of Pakistan.

⑵ ラホールでの下院議員補欠選挙

2013年総選挙における1ラホール選挙区の結果が不正により無効とのハーン・パキスタン正義行動党(PTI)党首の申し立てが裁判所に認められ,8月22日,アヤーズ・サーディク下院議長(PML-N)が議員資格を失った。10月11日,補欠選挙が実施された。PML-NがPTIを4100票の僅差で上回り,サーディク前下院議長が再選された。パンジャーブ州都ラホールは,同地を地盤とするシャリーフ首相にとって最重要選挙区といってよい。ラホールでの補選はシャリーフ政権に対する住民投票の意味合いがあると位置づけられていた。僅差であったとはいえ,PML-Nが議席を確保したことで,シャリーフ首相の面目はかろうじて保たれた。

⑶ 地方議会議員選挙

地方議会議員選挙が,ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州で5月30日,シンド州・パンジャーブ州で同選挙の第1フェーズが10月31日に実施された。これら3州で地方議会議員選挙が実施されたのは10年ぶりで,2008年の民政移管後も実施されないままであったので,実施されたこと自体評価された。パンジャーブ州・シンド州の同選挙は県ごとに全3フェーズに分けて実施され,第1フェーズ(パンジャーブ州12県・シンド州8県)が10月31日,第2フェーズ(同12県・15県)が11月19日,第3フェーズ(同12県・6県)が12月5日に実施された。

パンジャーブ州では,PTIがPML-Nの強固な地盤にどれだけ食い込むことができるかが注目されたが,思ったより伸びなかった。PTIは2014年の抗議行動では首相退陣を迫る勢いであったが,7月22日におおむね不正はなかったとの最高裁による司法判断が下されたことで面目が潰れ,抗議行動そのものがむしろマイナスになったとも思われる。シンド州では,全体として,とりわけ農村部におけるPPPの優位は変わらなかったが,第3フェーズ(6県ともカラチ)ではMQMが圧勝し,カラチにおける強さをみせつけた。

国内治安の改善

2015年のパキスタンの治安は,シャリーフ陸軍参謀長のリーダーシップのもと,軍が断固とした姿勢をとったことで明らかに改善した。第21次憲法改正により軍事法廷が設置され,テロリスト掃討に拍車がかかった。連邦政府直轄部族地域(FATA)ワジーリスタンでは,「アズブの一撃」作戦により,TTPをはじめとするテロリストが殺害されており,カラチなど都市部でもレンジャー部隊が反治安分子を容赦なく取り締まっている。パキスタン平和研究所(PIPS)の報告によると,テロ発生件数,犠牲者数はそれぞれ対前年比48%減,38%減であるという。しかしながら,2015年を通して1069人がテロの犠牲になったことを考慮すると,いまだ楽観視できる状況ではない。

件数としては少ないが,他宗派・異教徒を標的としたテロによる犠牲者は,1件当たりの被害が大きいこともあって前年より増加した。主なものは以下のとおりである。1月30日,シンド州シカルプールでシーア派モスクをねらった自爆テロが起こり,少なくとも64人が死亡した。TTPを離脱しIS(「イスラーム国」)参加を表明した武装組織ジュンダッラーが犯行声明を出した。ISは1月26日,パキスタン=アフガン地域(ホラーサーン)を領土と一方的に宣言し,ハーフィズ・サイヤド・ハーン・オーラクザイー元TTP司令官をホラーサーン知事に任命したが,この際ジュンダッラーを承認していた。よってパキスタンで初のIS関連のテロとなる。2月13日,ペシャーワルでシーア派モスクをねらったTTPによる自爆テロが起こり,少なくとも21人が死亡した。3月15日,ラホールで2カ所のキリスト教会をねらった自爆テロが起こり,少なくとも19人が死亡した。いったんはTTPを離脱し,3月12日に再加入したジャマーアトゥル・アハラール(JuA)が犯行声明を出した。5月13日,カラチでシーア派の乗客を乗せたバスをジュンダッラーが攻撃し,少なくとも47人が死亡した。

テロの件数も犠牲者数も減ったなかで,被害が大きかったジュンダッラーによる犯行が目立ったが,ISのパキスタンへの影響力については未知のままである。ホラーサーン知事に任命されたハーフィズ・サイヤド・ハーンは,7月11日にアフガニスタンにおいてアメリカの無人機攻撃により死亡したと発表された。ISという組織の活動よりは,ヨーロッパでみられたように,ISの思想が個人のテロリスト予備軍に与える影響が大きいのかもしれない。パキスタン国内には密かにISに共鳴している者も多いという。シャリーフ陸軍参謀長は訪英中の10月2日,「将来の最大の挑戦はISであり,アル・カーイダよりISの脅威の方が大きい」(The Express Tribune,2015年10月3日付)と発言しており,具体的な脅威があるのかもしれない。

一方で,軍によるテロリスト掃討といっても,その標的は軍の主観によって選別されているという印象はぬぐえない。要するに軍にとって都合のよい「良い」テロリストの活動には目をつぶっているようにみえる。20項目からなる「国家行動計画」では,違法組織が名前を変えて活動することも禁止しているが,実際には公然と活動を続けている組織も多い。たとえば,ラシュカレ・トイバ(LeT)は活動禁止組織だが,派生したジャマーアトゥッ・ダーワ(JuD)は2008年のムンバイ・テロ容疑がかけられているにもかかわらず公然と活動している。政府は1月22日,ハッカーニー・ネットワーク(HN),JuD,同様にLeTから派生したファラーヘ・インサーニヤット基金(FIF)を活動禁止組織としたが,口座凍結や海外渡航禁止などの実効性は疑わしい。その証拠に,LeT創始者兼最高指導者であるハーフィズ・ムハンマド・サイードはしばしば公衆の面前で演説を行っている。また,10月26日にアフガニスタン,バダフシャーン州で起きた地震の際には,FIFの被災者支援活動がメディアで報道されたほどである。パキスタン電気メディア統制庁(PEMRA)は11月2日,72活動禁止団体に関する報道を禁止したが,その実効性も疑問視されている。

経済

2014/15年度の経済概況

パキスタンの2014/15年度(2014年7月~2015年6月)の実質国内総生産(GDP)成長率は4.2%で前年度4.0%よりわずかに伸びたが,目標の5.1%には届かなかった(Economic Survey [経済白書],2015年6月4日)。セクター別では,農業部門が2.9%,鉱工業部門が3.6%,サービス部門が5.0%(いずれも対前年度比)の伸びであった。海外からの援助や国際原油価格の下落など対外的には追い風であったこと,国内の治安が改善したこと,政策金利が6.5%まで下がり42年ぶりの低水準であることを考慮すると,残念な結果といわざるをえない。シャリーフ政権が公約に掲げてきた慢性的なエネルギー危機の改善は遅々として進まず,製造業部門が伸び悩んだことが大きい。

経常収支赤字は対前年度16.1%減の263億ドルであった。貿易収支赤字が同4.7%増と悪化したにもかかわらず,相変わらず好調の海外労働者送金(同18.2%増の187億ドル)によるところが大きい。IMFによるEFFなど,海外からの融資も引き続き,年度末の外貨準備は史上最高の187億ドルに達した。これを反映して,為替相場も1ドル=101.3ルピー前後を安定して動き堅調であった。しかし,これらの一見したところ好ましい数字は,パキスタンの実体経済を反映したものではない。海外労働者送金は,出稼ぎ先の湾岸諸国の建設ブームによっているが,これがいつまで続くかはパキスタンの知るところではない。むしろ出稼ぎ先が湾岸諸国に集中してきていることを将来的なリスクと捉えた方がよさそうである(図2)。また海外からの有償資金援助は債務に変わりないため,将来的にみれば財政にとって大きな足かせとなる。

図2  受け入れ国別海外労働者送金の推移

(出所) State Bank of Pakistan, Statistical Bulletin, 各号。

実体経済はむしろ脆弱性が目立つ。対前年度比5.7%減の輸出額(237億ドル)は,国際的な物価下落を反映してほかの途上国でもみられる傾向であったが,物量でも3.9%減という点から,輸出の不振は明白である。さらに,パキスタンの最大の輸出先はアメリカであるが,アメリカの総輸入額が大幅に上昇した一方でパキスタンからの輸入はわずかではあるが減少したことは憂慮すべきである。アメリカのパキスタンからの輸入のうち,8割は綿製品(衣類とホームテキスタイル)であるところ,アメリカの繊維需要はほかの先進国同様,綿から合成繊維へシフトしつつある。パキスタンは世界第4位という綿花の生産によって繊維製品に特化し,その輸出額は全体の5割以上を占めるという産業構造になっているが,綿製品の今後の見通しは暗い。外国直接投資(FDI)も対前年度50.4%減となり,投資先として魅力がないといわざるをえない。パキスタンからのFDIの撤退はセメント,金属,医薬品などの分野で目立ったが,後2者に関しては一貫性のない政策など政府の責任に帰するところが大きい。政府のコミットメントのほか,産業構造のシフトも考慮に入れた,長期的な実体経済の改善が急務である。

インフレ率は対前年度の8.6%から,4.5%に下落した。石油を輸入に頼るパキスタンにとっては,国際原油価格の下落によるところが大きい。また,国際的な物価水準の下落に加えて,為替相場が前年度より堅調であったことで,輸入品が安価となった。インフレ率の予想以上の下落を受け,パキスタン中央銀行(SBP)は政策金利を連続して引き下げた。まず1月27日,割引率を1ポイント下げ8.5%とした。割引率は3月21日には8%,5月25日には7%となった。また5月25日,目標金利制度を導入した。目標金利は割引率の0.5ポイント下に設定されたため,政策金利が6.5%となった。これは42年ぶりの低水準である。

IMFと財政赤字の改善

財政赤字の改善はIMFによるEFF供与の条件である。2014/15年度の財政赤字は,前年度の対GDP比5.5%から5.3%へとわずかではあるが改善した。しかしながら,目標には遠く及ばなかった。とりわけ,税収増の目標達成度は6割に満たなかった。関税にしても国内の売上税にしても最大の割合を占める石油製品関連の税収を当てにしていたため,国際原油価格の下落は,税収にとってはマイナスに作用した。また,製造業の伸びが停滞したことも大きい。税収が期待したほど伸びない一方,IMFの要請により財政赤字は抑えなければならないため,開発関連支出が主たる抑制対象となった。公共セクターの開発支出は目標の半分にも届かなかった。

連邦政府支出のうち,43%は公的債務支払いに,23%は国防費に充てられているため,もともとパキスタンの財政支出には自由度がない。長期的な経済成長のためには開発関連の支出が不可欠であるが,これを可能にするためには,税収を増やすしか選択肢がない。税収の伸び悩みの根本要因は,原油価格の下落といった外生的な要因ではなく,構造的な問題である。2014/15年度の対GDP比税収は9.5%と途上国のなかでも最低水準だが,さらに問題なことに,ここ10年ほとんど改善がみられない。インフォーマル経済の蔓延,軽微な脱税コスト,確定申告の煩雑さ,汚職を含め政府の徴税能力の不備,といった構造的な問題の解決が必要であろう。

赤字体質の国営企業の民営化によって財政赤字を改善することも,EFFの条件である。IMFとの合意では,総数65国営企業の民営化を予定している。4月11日,政府はHBL社の42%株式(すでに51%はアーガー・ハーン基金が取得済み)の売却を発表した。外国投資家からの7億6400万ドルを含む10億ドルが売却益であった。シャリーフ政権は2014年から,United Bank Limited社,Allied Bank Limited社,Pakistan Petroleum Limited社といった比較的収益の高い国営企業の民営化を進めてきた。最大の難点は,PIA,PSMおよび送・配電会社の民営化である。これら国営企業の赤字垂れ流し体質は絶望的であり,投資家にとっても魅力的な案件ではない。とりわけ,左派のPPP政権下で正規雇用化を進めたPIAは,航空機1機当たり705人の人員を抱えているとされ,これは国際標準の3.5倍である。これらの国営企業は国家戦略部門ともいえる分野でもあって,民営化には野党の反発も大きく,政治的にも難しいといわれている。PIAとPSMの民営化の期限は10月とされていたが,結局手が付けられず,2016年へと持ち越されることになった。

エネルギー危機

1日に10時間以上に及ぶ停電の解決を公約として政権に返り咲いたシャリーフ首相にとって,エネルギー問題の改善,具体的には安定した電力・ガス供給は最重要課題といってよい。ここ数年にわたる慢性的なエネルギー問題であるが,1月には多くのガソリンスタンドで給油がまったくできないなど危機的な状況となり,エネルギー危機が政権を転覆させる旨の見出しが紙面を飾った。シャリーフ首相もその危機感を認識し,1月19日,エネルギー危機に対処するために,世界経済フォーラム(ダボス会議)参加を含むすべての公務をキャンセルした。

エネルギー危機の最大の原因はサーキュラーデットであるといわれる。送・配電会社が政府系を含む末端の消費者から料金を回収できず,発電会社が送・配電会社から料金を回収できず,発電会社から料金を回収できない燃料供給および輸入会社が輸入代金を支払えない,という状態が慢性化している。とりわけ1月のエネルギー危機は,国内需要の80%の石油を輸入しているパキスタン国営石油(PSO)が負債により買掛での輸入ができなくなったことに端を発する。政策により末端の消費者が払う電力料金が発電コストより低く抑えられており,その差額を政府が補助金で穴埋めすることになっているが,その支払いが慢性的に滞っているために問題が生じている。サーキュラーデットにはこれまで公的資金を充てることで小手先の解決がなされてきたが,EFFを供与するIMFが財政赤字の改善を条件としていることで,公的資金の注入が難しくなった。IMFと政府は5月13日,6000億ルピーに上るサーキュラーデットを3年以内に解決するために,電力料金の見直しや配電部門の民営化を含んだ計画に合意した。

IMFの主張どおり,補助金を減らし電力料金を引き上げることは必要だが,それでサーキュラーデット問題が解決するほど単純ではないこともわかってきた。国際原油価格が大幅に下落し,発電にかかる可変コストを対前年度比24%引き下げるなど,石油を輸入に頼るパキスタンにとっては追い風であったにもかかわらず,サーキュラーデットは2015年を通じてほとんど改善されなかった。国際原油価格の下落がそのまま末端の消費者が支払う電力料金の引き下げにつながったから,との意見もある(State Bank of Pakistan, Annual Report 2014-15)。確かに,2015年を通して電力料金は引き下げられていたが,IMFの圧力によりそれを相殺する規模の追加料金が課徴されたため,実際には補助金で充当されるべき差額は減少したはずである。IMFは,これまで指摘してきた差額の問題ではなく,新たに公共セクター,とりわけ地方政府とその関連団体からの支払い遅延が目立ったことを問題視した。

対外関係

対インド関係

2015年の対インド関係は,カシミールの実効支配線(事実上の国境)付近におけるパ印両軍による断続的な小交戦に始まり,一進一退を繰り返して,モディ印首相の初来訪により関係の改善を印象づける形で終わった。

4月10日,ムンバイ・テロの首謀者とされるザキールッ・ラハマーン・ラクヴィーLeT司令官が,訴訟手続き不備とのラホール高裁の決定により保釈された。保釈は直ちにインドの怒りを買った。また,この保釈は,2014年12月の学校襲撃事件を受けて,シャリーフ首相が「良い」テロリストと「悪い」テロリストを区別しないと明言したことにも矛盾する。

7月10日,ロシアで開かれていた上海協力機構首脳会議のサイドラインで,首相はモディ印首相と会談した。両者は対テロ協力を合意し,モディ首相は,2016年にパキスタンで開催予定の南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議への招待を快諾した。具体的な改善がみられたわけではないが,少なくとも関係悪化に歯止めをかけた意義はあったと思われる。

8月22日,パキスタンは23~24日に予定されていたパ印安全保障会議の中止を発表した。会議の開催自体は7月にシャリーフ首相とモディ印首相の間で確認されていたが,その内容には合意がなかった。インドは内容をテロのみと限定していたのに対し,パキスタンは広くカシミール問題も含めるよう主張していた。結局両者の主張は折り合わず,直前になってパキスタンが会議中止を通告した。

10月2日,マリーハ・ローディー・パキスタン国連大使は,インドがパキスタンの治安悪化に関与している旨の報告書を潘基文国連事務総長に提出した。とりわけ,バローチスタンの分離独立武装組織,TTP,MQMへの支援に言及した。

パキスタン建国の父ジンナーの139回目の生誕記念日かつシャリーフ首相の66歳の誕生日であった12月25日,モディ印首相がラホールを訪問した。報道官によると,当日の午前11時半にモディ首相の来訪意向がシャリーフ首相に直接電話で伝えられ,首相が滞在していたラホールの私邸で急遽会談との電撃的な訪問であったという。が,発表どおり電撃なのかをめぐってはさまざまな憶測が飛んだ。

用意周到に計画された訪問であったとの見方は以下のようである。核を保有する両国関係の安定は,アフガニスタンの安定のためにも,アメリカにとって非常に重要であり,現実には二国間の問題ではない。12年ぶりのインド首相来訪という一大事に対し,いくら私的な友好訪問といってもアメリカの圧力がないことは考えがたい。さらに,対インド関係は軍の専権事項である。シャリーフ首相はもともと親インド派で知られることもあり,就任以来,この点で自身の優位性を示そうとしたが,その試みはことごとく失敗し首相も軍に配慮する姿勢を示すようになった。10月23日,ナスィール・ハーン・ジャンジュアー退役中将が国家安全保障担当首相顧問に就任し,軍の影響力はさらに増した。11月中旬にシャリーフ陸軍参謀長がアメリカを訪問した際,アメリカからの意向を受けていた可能性が大きく,今回の訪問には,パキスタン軍の二国間対話再開への意思が強く働いたものと思われる。

他方,文字どおり電撃訪問であったとの見方は以下のようである。首相の私邸への私的なサプライズ訪問かつ短時間の会談であったため,アズィーズ外務担当首相特別顧問(事実上の外相)などは同席できなかった。対インド関係は軍の専権事項であり,首相が独断でインド首相の訪問を了承できるのかという疑問はもっともであるが,会談は短く友好関係を演じたにすぎず,実質的に何かが決定されたわけではないため,軍の意向を確認しなくても会談自体は実現できたと思われる。実際にイスラマバードでは外務省の動きがあわただしかったようであり,文字どおり電撃訪問だった可能性が大きい。

シャリーフ陸軍参謀長はこの訪問に関してはノーコメントを貫いており,本当のところは分からない。また,会談も二国間対話再開の実現に向けて協力していくことを確認し合ったにすぎず,具体的な進展があったわけではない。インドにとって対話の最重要事項はテロ問題であるが,パキスタンにとってはカシミール問題であり,この点での譲歩は考えにくい。しかし,ジンナーの生誕記念日かつシャリーフ首相の誕生日に12年ぶりにインド首相が来訪した事実は,少なくともパキスタンを尊重した姿勢を示しており,両首脳が友好関係にあることを国内外にアピールした。モディ首相の来訪について,野党のビラーワル・ブットーPPP代表,ハーンPTI党首も歓迎を表明した。国際社会も12年ぶりのインド首相によるパキスタン訪問を歓迎し,潘基文国連事務総長やオバマ米大統領などが評価した。

対アメリカ関係

1月12~13日,ケリー米国務長官が来訪した。12日,シャリーフ首相と会談をもち,「テロとの戦い」への共闘を確認した。ケリー長官は,学校襲撃事件の現場を訪れる意向もあったとされる。アフガン情勢の安定のため,同盟支援資金(Coalition Support Fund: CSF)が2015年も延長されており,財政難に苦しむパキスタンにとっては非常に意義が大きい。コミットメントを示すかのように,パキスタン政府はケリー長官滞在時だけで,7人のテロリストを処刑した。

シャリーフ首相は10月20~23日,アメリカを訪問した。両国関係においては,安全保障とりわけアフガン情勢の改善が最重要事項であるが,国内外の安全保障はパキスタンでは事実上軍の専権事項であることが知られているため,首相の訪問がどれほど意義をもつのかは当初から疑問視された。首相は21日にケリー米国務長官と,22日にオバマ大統領と会談した。会談では,両国が南アジア域内のテロに協力して取り組んでいくこと,また,アフガン政府主導の和平交渉が同国および地域の安定に資することを確認した。共同声明では,アフガン・ターリバーンに「カーブル=アフガン政府との直接協議に入るよう要請する」(ホワイトハウス報道官,2015年10月22日)と呼び掛け,和平交渉の再開を訴えた。

駐アフガンNATO軍は前線の戦闘部隊としては,2014年末に公式に撤退したが,名目上アフガン軍の訓練を目的とした約1万人規模のアメリカ軍はいまだにアフガニスタンに駐留しており,実際には無人機攻撃を含む戦闘活動を行っている。アメリカ軍は完全撤退の期限を2016年末までとしていたが,アフガン・ターリバーンがなお勢力を維持し治安が不安定であるため,完全撤退を延期した。アフガン情勢の改善と早期のアメリカ軍撤退を目指すアメリカ政府は,アフガン・ターリバーンと強いつながりがあり,背後で支援しているともいわれるパキスタンに圧力をかけてきた。CSF供与を見返りとしたアメリカのパキスタンに対する主な要求は従来どおり,パキスタン・アフガン国境における武装組織およびHNの掃討,アフガニスタンの治安安定化への協力である。

オバマ大統領はパキスタンの核兵器の増強にも懸念を深めており,「核の安全や戦略的安定を損なうリスクを伴う核兵器開発を避けることが重要だ」(ロイター通信,2015年10月22日)と首相に強調した。

アフガン和平への協力にしろ,核抑止にしろ,パキスタンにおいては軍の専権事項であることは,アメリカを含めて周知の事実である。シャリーフ陸軍参謀長は,シャリーフ首相に続いて11月15~20日,アメリカを訪問した。18日,ケリー国務長官と会談したが,オバマ大統領との会談がなされたかどうかは公にされていない。アメリカも,シャリーフ陸軍参謀長がシャリーフ首相以上に影響力が大きくなりすぎることを,少なくとも公には歓迎していないようである。

対アフガニスタン関係

3月25日,訪米中のガニー・アフガン大統領は,アフガン政府はアフガン・ターリバーンとの和平実現を楽観視していると演説した。和平対話開始の具体的な日程は決まっていなかったが,ガニー大統領が親パキスタン路線をとったことで,両国の関係が改善し,パキスタンによるターリバーンへの圧力が効いていることが大きな要因と考えられる。和平対話は2013年中旬からカルザイ前大統領のもと,中断していた。

5月12日,首相はアフガニスタンを訪問し,ガニー大統領と会談した。シャリーフ陸軍参謀長,アフタル三軍統合情報局(ISI)長官を同伴し,首相にとってはガニー大統領就任後初の訪問であった。アフガン・ターリバーンとの関係においても,パキスタンでは軍の意向が強く反映されることを象徴していた。

7月7日,カルザイ副外相らアフガン代表団が来訪し,8日にかけてアフガン・ターリバーンとの和平交渉をもった。パキスタンが仲裁した形である。ガニー大統領は,ターリバーンと直接協議したことを初めて公に認めた。2回目の協議は31日にもたれる予定であったが,ターリバーン最高指導者ムハンマド・ウマル師が2013年4月に死亡していたことが29日に公表されたことで,中止となった。新最高指導者には和平交渉を進める穏健派アフタル・マンスール師が選ばれたが,強硬派からの反発が強い。マンスール師も,副指導者のスィーラージュッディーン・ハッカーニー師もパキスタンとのつながりが強い人物とされ,和平交渉におけるパキスタンの存在感がさらに増した感がある。

8月10日,ガニー大統領はパキスタンがアフガン・ターリバーンを支援していると非難した。これは7日から断続的に起きたカーブルでのテロを受けたものであるが,同種の非難は従来からアフガン政府がしてきたものと変わりない。ガニー大統領は就任以来,カルザイ前大統領のもとで相互不信に陥った両国関係を改善する方針であったが,国内の治安が悪化するとたちまちお互いの非難に走ってしまうようであり,両国の相互不信の根深さを浮き彫りにした。

9月18日,パキスタンのバダービール空軍基地が武装組織により襲撃され,少なくとも29人が死亡した。TTP分派ホラーサーニーが犯行声明を出したが,パキスタン軍はアフガニスタンの関与を主張した。両国は5月の会談でお互いにテロリストの安全地帯としないことを合意していたが実効性は疑わしい。モウラーナー・ファズルッラーTTP最高指導者はアフガニスタンを拠点としており,パキスタン国内ではアフガン・ターリバーンの司令官たちが公然と生活をしている。21日にはシャリーフ首相もアフガニスタンを批判したが,TTP司令官たちを故意に匿っているという非難ではなく,アフガン政府が無力であるためにTTPの活動を制御できないという物言いであったことは,両国関係を悪化させないよう配慮したと考えられる。

12月9日,イスラマバードにおいて,パキスタンとアフガニスタンは共同で,イスタンブール・プロセス「アジアの中核」閣僚級会合を開催し,地域における和平実現に協力していくことを確認した。しかし,両国関係についても,パキスタンにおいては軍の意向が強いことを考慮すると,外相協議よりは,軍がアフガン関係にどのようなスタンスをとっているかの方が実質的な関係改善には重要だろう。モディ印首相が来訪した翌々日の12月27日に,シャリーフ陸軍参謀長がアフガニスタンを訪問し,アフガン・ターリバーンに関するパキスタン,アフガニスタン,アメリカ,中国による4カ国会議を2016年1月に開催することを合意した。また,ターリバーンとの和平交渉再開の具体的な計画などを話し合った。さらに,両国間の国境管理についても協議し,これに基づいて30日,両軍当局間で情報共有のためのホットラインを設置した。

対中国関係

4月20~21日,習近平中国国家主席が初めて来訪した。習主席はもともと2014年の9月に来訪予定であったが,2014年8月中旬からのパキスタン国内のデモが長期化していたために延期され,それが実現した形であった。訪問のあいだ,「中国パキスタン経済回廊」(CPEC)構想事業にかかる総額460億ドル規模のプロジェクトに関し,51もの合意がなされた。うち,350億ドルは火力発電プラント,水力発電プラント,太陽光発電など,エネルギー関連のプロジェクト向けである。残りはパキスタンのグワーダル港と中国の新疆を結ぶ高速道路などのインフラ建設向けである。パキスタン側で資金繰りのために建設が滞っているパキスタン=イランのガスパイプラインの建設資金にも充てられる予定である。

また同じく20日,中国の「一帯一路」構想実現のための「シルクロード基金」は初案件として,パキスタンの水力発電所建設向けに,長江三峡集団に融資すると発表した。融資額は16億5000万ドル規模である。

CPEC構想はさらに拍車がかかり,8月12~13日に新疆で開かれたCPECフォーラムでは,さらに総額16億ドル規模のプロジェクトが合意された。12月1日には新たに,15億ドル規模となる科学技術商業物流団地の建設につき,合意した。

また8月31日にはイギリスも,CPEC構想事業のインフラ向けに1億2160万ドルの無償資金協力をすることを明らかにした。パキスタンと中国の関係は「山より高く,海より深く,蜂蜜より甘く,鋼より強い」友好関係とお互い自認する一方で,国際社会からは冷めた警戒の視線を向けられてきたが,イギリスの参画は国際的な後押しといえよう。

2016年の課題

クーデタという表立った動きはないだろうが,シャリーフ陸軍参謀長の人気と軍の躍進は2016年も続くだろうと思われる。シャリーフ陸軍参謀長の任期は2016年11月に終わるが,公判中のムシャッラフ元大統領かつ元陸軍参謀長が9月17日,任期を3年延長すべきとの発言をしている。シャリーフ陸軍参謀長自身はコメントを控えている。「アズブの一撃」作戦とカラチの治安維持を継続するためには再任の可能性が高いと思われる。

IMFのEFFの条件である民営化がまたしても先延ばしにされ,PIA,PSM,送・配電会社の民営化とも,2016年が期限と再設定された。送・配電会社の民営化は,エネルギー問題の具体的な改善策として,電力料金の引き上げとともに挙げられている。これら改革が2016年中に実現できるか,シャリーフ政権の実力が試されている。

9月にイスラマバードで開催予定の第19回SAARC首脳会議に,モディ印首相は出席予定である。二国間対話の再開を含めた対インド関係の改善が期待されるが,これまでも一進一退を繰り返してきたことから,予想は難しい。対アフガニスタン関係とのバランスにもよるが,軍が対インド関係にどのようなスタンスをとるかにかかっているといえよう。

(地域研究センター)

重要日誌 パキスタン 2015年
  1月
6日 第21次憲法改正案,下院上院ともに通過。7日,フサイン大統領が署名し発効。軍事法廷の設置を含む対テロ「国家行動計画」が有効に。
6日 12月31日からのカシミール・パ印実行支配線(事実上の国境)付近における小交戦で,少なくとも10人死亡。
7日 シャリーフ首相,バーレーン訪問(~8日)。ハリーファ国王らと会談。
12日 ケリー米国務長官来訪(~13日)。シャリーフ首相らと会談。
14日 シャリーフ陸軍参謀長,訪英(~16日)。
15日 議会,フランスのシャルリ・エブド紙を非難する決議を採択。
15日 首相,アブドゥッラー国王の見舞いのため,サウジアラビア私的訪問(~16日)。
18日 パキスタン正義行動党(PTI),2014年8月中旬からの抗議行動を公式に終了。
22日 政府,ジャマーアトゥッ・ダーワ(JuD),ファラーへ・インサーニヤット基金(FIF),ハッカーニー・ネットワーク(HN)などを活動禁止組織に指定。
23日 首相,故アブドゥッラー国王葬儀に出席のため,サウジアラビア訪問。
24日 陸軍参謀長,訪中(~25日)。
24日 バローチスタン州ナスィーラバードで,バローチ分離独立派が送電施設を攻撃し,国内の8割が停電に。
26日 IS(「イスラーム国」),パキスタンを領土と一方的に宣言し,ハーフィズ・サイヤド・ハーン・オーラクザイー元パキスタン・ターリバーン運動(TTP)司令官をパキスタン=アフガン地域(ホラーサーン)知事に任命。
27日 パキスタン中央銀行(SBP),政策金利を1㌽引き下げ8.5%に。
30日 シンド州シカルプールでシーア派モスクをねらった自爆テロにより,少なくとも64人が死亡。TTPから離脱しIS参加を表明した武装組織ジュンダッラーが犯行声明。
  2月
9日 最高裁弁護士協会(SCBA),パキスタン弁護士協会(PBA)がそれぞれ最高裁に対し,第21次憲法改正無効の訴え。
11日 アメリカ政府,同盟支援資金(Coalition Support Fund: CSF)の一環として,7.16億㌦供与したことを明らかに。
13日 ペシャーワルでシーア派モスクをねらった自爆テロ。少なくとも21人死亡。TTPが犯行声明。
17日 ラホールで警察をねらった自爆テロ。少なくとも8人死亡。ジャマーアトゥル・アハラール(JuA)が犯行声明。
17日 陸軍参謀長,アフガニスタン訪問。
22日 陸軍参謀長,アラブ首長国連邦訪問。
  3月
4日 首相,サウジアラビア訪問。サルマーン国王と会談。首相はイエメン内戦に関するサウジアラビア協力(反イラン同盟)を断る。
5日 上院議員選挙。議席半数の改選。パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)は10増の26議席,パキスタン人民党(PPP)は14減の27議席と僅差で多数を維持。12日,ラザー・ラッバーニー(PPP)が上院議長に選出される。
9日 核弾道ミサイル・シャヒーンⅢの発射実験。同ミサイルでは初。
11日 レンジャー部隊がカラチの統一民族運動(MQM)本部に突入し数人逮捕。
11日 中国長江三峡集団がパキスタン初の風力発電プロジェクトを竣工。
12日 JuA,TTPへの再加入を発表。
15日 ラホールの2カ所のキリスト教会をねらった自爆テロ。少なくとも19人死亡。TTP-JuAが犯行声明。
19日 ソヘイル・アマーン,空軍参謀長に就任。
21日 SBP,政策金利を0.5㌽下げ,8%に。
27日 IMF,拡大信用供与措置(EFF)の第7次トランシュ約5.01億㌦を供与。
  4月
2日 軍事法廷のもと,TTPの6人に対して初の死刑が確定。
2日 2013年総選挙が不正により無効とのPTIの訴えに応じて,PML-Nは最高裁司法委員会の設置を合意。
5日 シリセーナ・スリランカ大統領,初来訪(~7日)。
10日 2008年ムンバイテロの首謀者,ラシュカレ・トイバ(LeT)司令官ザキールッ・ラハマーン・ラクヴィー被告を保釈。
10日 下院全会一致で,反イラン同盟参加を否決。
11日 政府はHabib Bank Limited社の42%株式の売却を発表。売却益は10億㌦。
15日 SCBA,軍事法廷が判決した死刑囚6人につき,処刑一時停止を最高裁に訴え。16日,最高裁は処刑一時停止を決定。
20日 習近平中国国家主席,初来訪(~21日)。シャリーフ首相と会談。「中パ経済回廊」(CPEC)構想事業に関する総額460億㌦プロジェクト,テロ掃討に関する連携を合意。
20日 中国「シルクロード基金」,初案件をパキスタンの水力発電所建設向けの融資と発表。16.5億㌦規模の融資先は長江三峡集団。
21日 TTP,ミサイル開発,試験発射成功を発表。
23日 首相,陸軍参謀長,サウジアラビア訪問。
24日 首相,訪英。キャメロン首相と会談。
  5月
7日 ラフィーク・ラジュワーナー(PML-N),パンジャーブ州知事に就任。
8日 ギルギット・バルティスタンで外交式典へ向かうヘリコプターが墜落。ノルウェー,フィリピン,インドネシア各大使を含む7人が犠牲に。
12日 首相,陸軍参謀長,アフガニスタン訪問。ガニー大統領らと会談。
13日 カラチでシーア派の乗客を乗せたバスに攻撃。少なくとも47人死亡。ジュンダッラーが犯行声明。
20日 首相,トルクメニスタン訪問(~21日)。ベルディムハメドフ大統領らと会談。
21日 首相,キルギスタン訪問(~22日)。サリエフ首相らと会談。
25日 SBP,政策金利を1.5㌽引き下げて6.5%(割引率7%,目標金利6.5%)に。
29日 バローチスタン州で武装集団がバス襲撃。少なくとも23人死亡。統一バローチ軍が犯行声明。
30日 ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州地方議会議員選挙。
  6月
4日 ダール財務相,経済白書発表。
5日 財務相,2015/16年度予算案発表。
8日 ギルギット・バルティスタンで地方議会議員選挙。同地域はカシミールの一部であるとしてインドが反対を表明。
9日 首相,タジキスタン訪問(~10日)。国連水会議出席,潘基文国連事務総長と会談。
15日 陸軍参謀長,ロシア訪問(~17日)。
17日 政府,上海電気によるパキスタン火力発電事業を承認。CPECの一環。
18日 世銀,持続可能な財政のための開発政策に5億㌦融資を承認。
26日 IMF,EFF第8次トランシュ約5億640万㌦供与。
  7月
2日 ワズィーラバードで橋が崩落し軍用列車が運河に落下。少なくとも18人死亡。
7日 アフガン代表団来訪。アフガン・ターリバーンと和平交渉(~8日)。
9日 首相,上海協力機構(SCO)首脳会議出席のため,ロシア訪問。10日,SCOへの正式加盟が承認される。プーチン大統領,モディ印首相と非公式会談。
11日 アフガン当局,アフガン東部ナンガルハール州へのアメリカの無人機攻撃により,ハーフィズ・サイヤド・ハーンIS 指導者殺害を発表。
17日 レンジャー部隊,MQM本部を再度捜索。
22日 最高裁司法委員会,PTIによる2013年総選挙無効の訴えを却下。
28日 アメリカ,CSFの一環,3.36億㌦を供与。
29日 アフガン政府,アフガン・ターリバーン最高指導者ムハンマド・ウマル師が2013年4月にパキスタンで死亡と発表。31日に予定された2回目の和平交渉は中止に。
  8月
1日 エルドアン・トルコ大統領,来訪。
5日 最高裁,第21次憲法改正無効の訴えを却下。
10日 首相,ベラルーシ訪問(~12日)。ルカシェンコ大統領らと会談。
12日 新疆でCPECフォーラム(~13日)。総額16億㌦規模のプロジェクトにつき合意。
12日 MQM所属下院,上院,シンド州議会全議員,辞職願を提出。
17日 ジャヴァード・ハワージャ,最高裁長官に就任。
22日 パキスタン,インドとの安全保障会議開催(23~24日開催予定)の中止を発表。
22日 選挙裁判所,アヤーズ・サーディク下院議長の2013年総選挙での当選は不正により無効とのPTIの訴えを認める判決。補選へ。
25日 首相,カザフスタン訪問(~26日)。ナザルバエフ大統領らと会談。
31日 イギリス,CPEC事業に関し,インフラ向け1.216億㌦無償資金協力を明らかに。
  9月
14日 SBP,政策金利を0.5㌽引き下げ6%に。
17日 ムシャッラフ元大統領,シャリーフ陸軍参謀長の再任を求める発言。
18日 ペシャーワル郊外のバダービール空軍基地を武装勢力が襲撃。少なくとも29人死亡。TTPが犯行声明。
20日 首相,アラブ首長国連邦訪問。ムハンマド首相に長男急逝の弔意を伝える。
23日 首相,訪英(~25日)。キャメロン首相らと会談。
24日 5億㌦分のユーロ債発行。
25日 首相,訪米(~10月1日)。第30回国連総会出席。27日,潘基文国連事務総長と会談。30日,国連総会で演説。
28日 IMF,EFF第9次トランシュ約5.05億㌦供与。
29日 陸軍参謀長,訪英(~10月3日)。
  10月
2日 マリーハ・ローディー・パキスタン国連大使,インドがパキスタンの治安悪化に関与している旨の報告書を潘基文国連事務総長に提出。
2日 アメリカ,CSFの一環,3.76億㌦を供与。
2日 ムーディーズ,パキスタン国債格付けをB3に引き上げ確定。
9日 MQM議員,辞職願を取り下げ。
11日 ラホールで補選。僅差でPML-NがPTIを上回り,サーディク前下院議長再選。
12日 陸軍参謀長,トルコ訪問(~14日)。エルドアン大統領らと会談。
20日 首相,訪米(~23日)。21日,ケリー米国務長官,22日,オバマ大統領と会談。
23日 ナスィール・ハーン・ジャンジュアー退役中将,国家安全保障担当首相顧問に就任。
26日 アフガニスタン,バダフシャーン州で地震。パキスタン北部での死者は少なくとも273人。
31日 パンジャーブ州とシンド州で地方議会議員選挙,第1フェーズの実施。前者ではPML-N,後者ではPPPの圧勝。
  11月
2日 世銀,電力部門改革のため5億㌦融資を承認。
2日 パキスタン電気メディア統制庁,72活動禁止団体に関する報道を禁止。
3日 陸軍参謀長,サウジアラビア訪問(~4日)。
4日 ラホールで工場倒壊。少なくとも45人死亡。
11日 グワーダル港自由貿易区の土地使用権3割を中国海外港口控股有限公司に移譲。CPEC事業の一部。
12日 ラフモン・タジキスタン大統領,来訪(~13日)。
15日 陸軍参謀長,訪米(~20日)。18日,ケリー米国務長官と会談。
17日 首相,ウズベキスタン訪問(~18日)。カリモフ大統領らと会談。
17日 ザーヒド・ハーミド元法相,気候変動相に就任。
19日 パンジャーブ州とシンド州の地方議会議員選挙,第2フェーズの実施。前者ではPML-N,後者ではPPPの圧勝。
20日 中国の油田エンジニアリング会社・華油恵博普科技,パキスタンで油田工事受注を発表。
20日 アジア開発銀行(ADB),電力部門改革のため3億㌦融資を承認。
29日 首相,フランス訪問(~30日)。国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)出席。モディ印首相と非公式会談。
  12月
1日 新規CPEC事業の一環として,15億㌦規模のパ中科学技術商業物流団地の建設につき合意。
5日 パンジャーブ州とシンド州の地方議会議員選挙,第3フェーズ(シンド州はカラチ管区のみ)の実施。前者ではPML-N,後者ではMQMの圧勝。
9日 アフガニスタンと共同で,イスタンブール・プロセス「アジアの中核」閣僚級会合を開催(イスラマバード)。会議出席のため,ガニー・アフガン大統領,スワラージ印外相らが来訪。印外相訪問は3年ぶり。
13日 連邦政府直轄部族地域パーラチナールの市場で爆発。少なくとも24人死亡。
13日 首相,トルクメニスタン訪問。トルクメン=アフガン=パキスタン=インド(TAPI)パイプラインの着工式出席のため。
14日 首相,SCO首脳会議出席のため中国訪問(~15日)。
18日 IMF,EFF第10次トランシュ約4.98億㌦供与。
22日 中国建設,カラチ=ラホール間高速道路の一部工事受注を契約。CPECインフラ事業のうち最大の28.9億㌦規模。
24日 サナーウッラー・ザハリー,バローチスタン州首相に就任。
25日 モディ印首相,印首相としては12年ぶりに来訪。シャリーフ首相と会談。
27日 陸軍参謀長,アフガニスタン訪問。アフガン・ターリバーンに関するパキスタン,アフガン,米,中4カ国会議につき翌年1月開催を合意。
29日 KP州マルダーンで自爆テロ。少なくとも26人死亡。TTPが犯行声明。
30日 パキスタン軍,アフガン軍当局間で情報共有のためのホットライン設置。

参考資料 パキスタン 2015年
①  国家機構図(2015年12月末現在)
②  政府等主要人物(2015年12月末現在)
②  政府等主要人物(2015年12月末現在)(続き)

主要統計 パキスタン 2015年
1  基礎統計1)
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(要素費用表示 2005/06年度価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  国家財政
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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