アジア動向年報
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各国・地域の動向
2015年のアフガニスタン ターリバーンとISの攻勢拡大により治安が急速に悪化
登利谷 正人
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2016 年 2016 巻 p. 599-620

詳細

2015年のアフガニスタン ターリバーンとISの攻勢拡大により治安が急速に悪化

概況

2015年の年明けとともに,ガニー大統領とアブドゥッラー行政長官の二頭体制からなる挙国一致政府(2014年9月29日発足)の閣僚人事の調整が進められたが,両者の対立により議会の承認をなかなか取り付けることができず,4月18日に至って国防相を除く閣僚が承認された。挙国一致政府成立時の合意条件となっていた選挙改革についても閣僚人事調整と並行する形で進められ,9月6日に選挙改革委員会からの提言がガニー大統領に承認された。

また,2015年は例年と異なり元々ターリバーンの勢力が強い南部や東部のみならず,北部のバダフシャーン州やクンドゥズ州などでも激しい攻勢が展開されるなどアフガニスタン全土に戦闘が拡大し,それに伴って治安情勢はさらに悪化した。その一方で,アフガニスタン政府とターリバーンとの非公式協議が進められ,7月7日にパキスタン政府の仲介によって史上初めての公式和平協議が実現した。和平協議の継続に注目が集まるなかで,ターリバーンの最高指導者モッラー・オマルが2013年4月にすでに死去していた情報が流れたため,和平協議は中断しターリバーンも後継者の地位をめぐって激しい内部対立が生じた。また,IS(「イスラーム国」)の勢力も東部ナンガルハール州をはじめ全土で影響力を拡大しており,政府との間のみならずターリバーンとの武力衝突も繰り返し発生しており,治安は各地で悪化の度合いを深めている。

このような治安悪化と厳しい雇用環境によってかつてないほど数多くの難民がヨーロッパへの移住を目指して国外に出た。経済状況の改善は厳しいものの,12月13日,トルクメニスタンで起工したTAPI(トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド)ガスパイプラインプロジェクトはその助けとなる可能性がある。

国内政治

二頭体制による閣僚人事遅延と選挙改革

2015年の年明けとともに,2014年9月29日に成立した挙国一致政府の閣僚人事の調整が行われた。そもそも挙国一致政府成立の条件として,ガニー大統領とアブドゥッラー行政長官は主要閣僚の指名を含めた重要決定事項に関して平等な権限を有することで合意していたが,行政長官という憲法に明記されない新たな役職の責務とその職権の範囲などはまったく不明瞭であった。そのため,将来的にはロヤ・ジルガ(国民大会議)を招集したうえでの憲法改正を経てその責務・権限を明確にした首相職を置く必要があるが,当面は大統領令で随時対応するという形になっている。このような状態では同等の権限を有する大統領と行政長官が政権運営を行う二頭体制とも言え,両者の関係によっては今後の政権運営に支障をきたす可能性もあった。

閣僚人事調整過程においても権力の等分が見られた。ガニー大統領が13人,アブドゥッラー行政長官が12人の閣僚候補者をそれぞれが指名した。ガニー大統領は国防相や財務相などを,アブドゥッラー行政長官は外務相や内務相などをそれぞれ主要閣僚候補として指名した。また,ガニー大統領,アブドゥッラー行政長官ともに自らが所属するパシュトゥーンとタジクからそれぞれ多く任命していることに加え,ガニー大統領は第二副大統領としてウズベク人の有力軍閥であったドスタム将軍を起用したのに続いて閣僚についてもウズベク人を多く登用しており,アブドゥッラー行政長官がハザーラ人を多く任命しているなどの配慮がうかがわれる(図1参照)。両者が指名した25閣僚に国家安全保障局(NDS)長官候補者を加えた全26人の閣僚候補者名簿は1月12日に発表された。しかし,1月28日に議会ではNDS長官を含む9閣僚のみが承認され,大半の閣僚ポストが空席という事態に陥ってしまった。翌29日からは45日間の冬期休会となったため,新内閣は早々から不安のなかでの船出となった。

図1  ガニー,アブドゥッラー指名閣僚の民族別構成

(注) 議会未承認の国防相を除き,NDS長官と第一・第二副大統領,および第一・第二行政副長官を含む全29閣僚についての民族分布。

(出所) 筆者作成。

その後,アフガン暦新年元日である3月21日に国防相を除く16人の閣僚候補者名簿が新たに公表され,翌月4月1日には議会に上程,18日に採決が行われた結果,承認された。国防相については4月6日にモハンマド・アフザル・ルーディンが指名されたが,そのわずか2日後の4月8日に指名を辞退した。この指名辞退には大統領派と行政長官派との間の激しい対立関係が影響していると考えられ,二頭体制の弊害が早々に表面化した事例と言えよう。国防相人事については,2002年から2004年まで通信相を務め,その後2009年からは高等和平評議会(HPC)の事務局長も務めたモハンマド・マアスーム・スターネクザイが5月21日に候補者指名を受けた。しかし,7月4日の議会採決で不信任とされたため,国防相は空席となり,スターネクザイは国防相代理として活動することになった。

閣僚人事調整と並行する形で選挙改革が進められた。これまで実施された大統領選挙や議会選挙では,不正が行われたり,得票数の再集計作業などが実施されたりするなどの問題があり,選挙そのものに対する信頼性を高める必要性があった。さらに選挙の実施体制に不満を持つアブドゥッラー行政長官は,挙国一致政府成立の際の合意条件として抜本的な選挙改革実施後に議会選挙を実施することを強く求めていた。これに応じる形で4月1日には選挙改革のため議会選挙の1年延期が発表され,6月19日にはガニー大統領が大統領令によって6月22日までの議員任期を次回選挙まで延長することを承認した。さらに7月17日には選挙改革委員会の委員16人が指名され,本格的な選挙改革が始動した。8月30日には約1カ月間検討した選挙改革案が選挙改革員会から提示されたが,同案には全議席数の3分の1に当たる83議席を政党に配分する比例代表制を採用することや,現行の選挙委員会を再構成すること,選挙不正防止のため州をさらに細かい選挙区に分割して投票を行う選挙制度の導入などが含まれていた。これらの選挙改革案の大半はおおむねアブドゥッラー行政長官の意向を反映したものであったが,ガニー大統領に近い委員は比例代表制などの一部改革案に反対していた。選挙改革においても大統領と行政長官の間の主張の相違が表面化するかに思われたが,9月6日にガニー大統領は選挙改革委員会からの提言を承認すると発表した。

ターリバーンとの和平交渉とモッラー・オマル死去の衝撃

2014年12月28日に米軍および北大西洋条約機構(NATO)軍を主力とする国際治安支援部隊(ISAF)が撤退を完了したことによって治安維持能力の低下が懸念されるなか,2015年4月には全土でターリバーンによる春の攻勢が開始された。これに先立つ3月22日にはガニー大統領とアブドゥッラー行政長官はアメリカを公式訪問してオバマ大統領やケリー国務長官と会談を行った。2014年5月28日のアフガニスタン撤退計画では2014年末に9800人が駐留を継続し,2015年末までに5500人と半減させることとなっていた。しかし会談の結果,オバマ大統領は2015年末の段階で9800人の規模をそのまま維持することを発表した。

2015年は例年と異なりターリバーンの勢力が強い南部や東部のみならず,北部のバダフシャーン州やクンドゥズ州などで激しい攻勢が展開された。4月14日にはバダフシャーン州での戦闘で政府軍の兵士33人が死亡し,同月27日にはクンドゥズ州での治安悪化の影響を受けてガニー大統領がインド訪問を遅らせるなどといった事例もあった。5月以降はターリバーンの襲撃がより広範囲で本格化していき,5月10日にはバードギース州の一部地域を占領するに至った。この春の攻勢においては,チェチェン,ウイグル,ウズベクといった多数の外国出身兵の姿が目撃されていることから,ウズベキスタン・イスラーム運動(IMU)がパキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)におけるパキスタン軍による掃討作戦の結果アフガニスタン北部に拠点を移したとの観測も流れた。この4月と5月のターリバーンの攻勢によって,250人以上が死亡し,700人近くが負傷するなど多大な被害が生じた。

さらにターリバーンは6月6日にバダフシャーン州ヤムガーン地区,21日と22日にはそれぞれクンドゥズ州チャルダラ地区とダシュテアルチー地区を,26日にはヌーリスターン州ワイガル地区を占領するなど北部での攻勢も継続した。また,22日にターリバーンがアフガニスタン議会を襲撃したことは,その脅威がカーブル中心部にまで及んでいることを示した。7月に入るとファーリヤーブ州やサレポル州でもターリバーンによって一部地域が占領され,戦闘は激化の一途をたどった。

ターリバーンによる攻勢が続いているさなかの5月2日,カタールのドーハにおいてアフガニスタン政府とターリバーンとの非公式協議が2日間の日程で行われた。協議の結果,ターリバーンの政治事務所をドーハに設立することで合意した。さらに同月下旬には中国のウルムチにおいて2回目の協議が行われ,6月16日にはノルウェーのオスロで開催された国際会議に合わせて非公式の接触があった。短期間で折衝を重ねた末,7月7日にパキスタンの首都イスラマバード北方の避暑地マリーにおいて,史上初めての公式和平協議が行われた。この公式和平協議はパキスタン政府の仲介によって実現し,アフガニスタン政府側からはヘクマト・ハリール・カルザイ外務副大臣が,ターリバーン側からはモッラー・ジャリール元外務副大臣がそれぞれ代表団主席として参加し,アメリカと中国の代表もオブザーバーとして同席した。アフガニスタン政府とターリバーンは今後の和平協議の継続とラマダン明けの7月17日に再度協議を行うことで合意した。さらに15日にはターリバーンの最高指導者モッラー・オマルが和平協議を承認する声明を発表し,本格的な和平が実現するとの期待が高まった。

2回目の公式和平協議が7月末に中国のウルムチで開催との観測が流れるなか,7月29日に衝撃的なニュースが報道された。それはモッラー・オマルが2013年4月の段階ですでに死亡していたという内容で,その後アフガニスタン政府はパキスタン・カラチの病院での死亡が確認されたと発表した。アメリカ国務省もオマル死去を確認したと発表し,オマルの親族もがオマルがアフガニスタンでC型肝炎により死亡したと発言した。パキスタン政府はオマルの親族の発言を肯定して自国領内でオマルが死去したとの説を否定するとともに,予定されていた第2回目の和平協議を延期すると発表した。オマル死去の情報がリークされたことについては,和平協議失敗を意図したものであるという説をはじめさまざまな憶測が流れたが,真相は明らかになっていない。

いずれにせよ,アフガニスタン政府とターリバーンとの和平交渉は暗礁に乗り上げた。ターリバーン内部にも動揺が生じたが,7月30日にターリバーンの幹部会は,モッラー・アフタル・マンスールが後継者指名を受けたと発表した。マンスールは1968年にカンダハール州マイワンドに生まれて「ターリバーン政権」時代には民間航空相を務め,米軍侵攻後は投降し,後にパキスタンへと逃れたと言われる人物である。この後継者指名をめぐって,ターリバーン内部で意見対立が生じ,オマルの側近や親族などの幹部のなかからもマンスールの後継者指名に反対するものが続出した。マンスールは8月1日には団結を求めるためにビデオメッセージを発したが,マンスール支持派と反対派の対立は激化し,ヘラート・ザーブル・クンドゥズの3州では両者による武力衝突が発生した。

ターリバーンの内部分裂が不可避と思われた状況下の8月22日にはターリバーンと宗教指導者らによる内紛解決のための協議が行われ,31日にはオマル死去の情報を2年間秘匿していたことをターリバーンが認めた。9月16日にはオマルの親族がマンスール支持を表明したため内紛が沈静化に向かうかとも思われた。しかし,20日にはアフガニスタン政府とターリバーンの和解協議が不調に終わったと発表された。さらに22日には犠牲祭に合わせてマンスール派と反マンスール派がそれぞれ異なる声明を発した。マンスール派は政府との和平協議再開の条件としてアメリカ,およびNATOとの間の安全保障協定の破棄と外国軍の完全撤退を求めた一方,反マンスール派は新指導者選出選挙の実施を要求した。24日には宗教指導者たちが,ターリバーン内部の和解調停に失敗したと発表し,内部分裂が進む可能性が濃厚になった。

ターリバーンは内部対立により弱体化するかと思われたものの,逆に9月以降は全土でさらに攻勢を強め,その存在感を誇示することとなった。とくに,9月28日にはアフガニスタン第5の人口規模を誇るクンドゥズが陥落し,政府軍に奪回されるまでの3日間ターリバーン占領下に置かれることとなった。これは2001年以降で初めてのことであり,アフガニスタン政府の治安維持能力と情報収集能力の両面で疑問が投げかけられる結果となった。政府軍は米軍をはじめとする外国駐留軍の支援を受けつつクンドゥズを奪回したものの,住居を失った住民が多数に上るなど市内の被害は甚大で,さらに占領下で大量の武器弾薬がターリバーン側に渡ったことにより,クンドゥズ州をはじめ北部各州ではターリバーンによる脅威がさらに拡大することとなった。

クンドゥズ占領はその後さまざまな問題を引き起こす原因にもなった。10月3日にはクンドゥズの「国境なき医師団」の病院を米軍機が誤って空爆し,患者とその家族,医師やスタッフなど42人が死亡するという事件が起こった。この病院誤爆事件には国際的非難が集中し,「国境なき医師団」の側からは調査委員会による徹底的な真相究明を求める声が上がった。10月8日にはオバマ大統領が謝罪するという事態に至り,11月25日に詳細な調査結果が報告され,キャンベル米軍司令官が誤爆であったことを正式に認めた。

一方で,ターリバーン内部の対立は激化した。反マンスール派は11月2日には長年にわたりオマルの側近を務めたとされるモッラー・モハンマド・ラスール・アーホンドをターリバーンの指導者として選出したと発表し,内部分裂はもはや決定的となった。その後もターリバーンの攻勢は続き,11月14日にはヘルマンド州サンギーン地区を占領した。政府軍の度重なる軍事作戦にもかかわらず12月22日には同州の大半の地区がその支配下にあると報じられた。29日には『ワシントンポスト』紙が国土の約30%がターリバーン支配下にあるとの推測を発表した。

ISの脅威拡大とターリバーンとの対立

1月26日,ISはアフガニスタンを含む広範な領域から構成される「ホラーサーン州」の最高指導者にパキスタン・ターリバーン運動(TTP)の元幹部であったハーフェズ・サイード・ハーンを任命したと発表した。北部や西部でもISの存在が確認されたが,とくに東部ナンガルハール州で著しく勢力を拡大している。一方,2015年はISとターリバーンの間の対立が確定的なものとなった年でもあった。4月20日にはISとターリバーンの双方が互いに相手への「聖戦」を宣言し,さらにISはモッラー・オマルを「無知で文盲」と蔑む発言をするなど一触即発の状況であった。そして5月16日にはついにナンガルハール州でISとターリバーンが武力衝突するという事態に至り,25日には西部ファラーフ州でも数日間にわたる戦闘が生じた。また,6月3日にはナンガルハール州でISにより10人のターリバーン兵が斬首のうえ殺害され,15日にも同州で軍事衝突が発生するなど双方の衝突が頻発するようになった。

このような状況のなか,ターリバーンの指導者オマルは6月16日にIS指導者のアブー・バクル・アル=バグダーディーに書簡を送付してアフガニスタンでの政府と駐留軍に対する「聖戦」に関与しないよう要請したと報道された。しかし,28日には再びナンガルハール州でターリバーンとISの衝突が発生するなど対立は深刻化するばかりであった。加えて7月5日には東部を地盤とするイスラーム党(ヘズベ・イスラーミー)党首のヘクマティヤールがISへの支持を表明し,ISはナンガルハール州を中心にその地盤を固めていった。その結果,ナンガルハール州においては米軍の無人偵察機によるISへの爆撃が本格化した。

オマル死亡の報とそれに伴うターリバーンの内部対立が生じた後の9月9日には,マンスール派の攻撃を受けて窮地に立たされたザーブル州のターリバーン司令官ダードゥッラーに対してファラーフ州のISが援軍を送り,その後ダードゥッラーはISに忠誠を誓うという状況が生じている。この事例は,ISがターリバーンの内紛に乗じてターリバーン勢力の一部を自らに取り込む形で勢力を伸張させているという典型例と言えよう。さらに10日にはISがナンガルハール州内に3つの私設刑務所を設置,20日には同州内の58の学校を閉鎖したとの報道があり,本格的支配体制が構築されつつあることをうかがわせた。

ISが政府軍,ターリバーンとの衝突を各地で繰り返すなか,11月8日,数カ月前にザーブル州の幹線道路上でISにより拉致された7人(3人が女性)が斬首遺体で発見されたが,これは人々に衝撃をもって受け止められた。この「ザーブルの7人斬首事件」は全国規模での一般市民の大規模デモへと発展し,11日にはカーブルで2万人以上が集結し,大統領宮殿前に群衆が押し寄せるという前代未聞の事態を引き起こした。同11日にガニー大統領が国民に向かってテレビ演説を行い,冷静な対応を呼び掛けるとともに,アブドゥッラー行政長官とともにデモ代表者たちと会談した。アフガニスタン史上これほどの大規模デモが全土で発生した例はなく,この事件が引き起こした衝撃とともに,政府の治安対策に対する不信感が国民の間でかつてなく高まっていることの証左と言える。

女性の社会進出と諸問題

ガニー大統領は政府要職への女性の積極的登用を促した。女性問題担当相,労働・社会問題・殉教者・障害者相,薬物対策相,高等教育相の4人の女性閣僚が議会により信任され,ゴール州とダーイクンディ州の州知事や大使などにも女性を起用した。さらに,最高裁判所判事も女性を指名したが,これは7月8日の議会採決にて否決されている。10月25日には『女性と公共政策』誌が創刊され,11月5日にはサキナ・アイユービーが「ターリバーン政権」期の女性への教育活動によって第7回国際教育サミットで受賞するなど,女性の政治への積極的な関与や社会進出を促す社会的風土も醸成されつつあると考えられる。

しかし,その一方で女性に対する扱いが問題視される事件も多数発生した。3月19日にカーブルで27歳の女性ファルホンダがクルアーン(コーラン)を焚書したという流言によって群衆にリンチで殺害され遺体が放火された。この事件はその残虐性からアフガニスタン社会における女性の地位について再考を迫る事件となり,5月2日のカーブル地方裁判所における初公判はテレビで生中継されるほどの注目を集めた。さらに,11月3日にはゴール州において強制結婚から逃れようとした19歳の少女がターリバーンによって石打刑で殺害されるという事件も発生している。このような女性に対する不当な扱いに対し,さまざまな手段で抗議の意を示して社会改革を促そうとする女性たちは確実に増えている。

汚職対策の進展

汚職はカルザイ政権期から常に懸案となってきた。ガニー大統領も就任直後から汚職撲滅を政権の最重要課題として位置づけており,2014年10月1日に,カーブル銀行における国際社会からの復興支援金約10億ドルの大半が回収不能に陥った不正融資事件の再捜査を命じた。2015年に入ってからも,1月19日に汚職を理由としてファラーフ州知事を解任,5月28日には都市開発省の幹部6人を汚職の疑いで解雇し,9月1日には汚職に対する「聖戦」を宣言するなど聖域を設けず汚職対策に取り組む姿勢を明確にしている。

そのようななか,11月4日に都市開発省が主体となって進められた「スマート・シティ街区」プロジェクト開始の式典が催された。これは9億ドルもの資金投資が想定される大規模宅地造成プロジェクトであったが,このプロジェクトに前述のカーブル銀行不正融資事件で禁錮15年の判決を受けた元カーブル銀行頭取も参画していたことが大きな批判の的となった。とくに,プロジェクト開始式典にはガニー大統領の法律顧問アブドゥル・アリー・モハンマディーやアフマド・ズィヤー・マスード大統領特使といった政権幹部が出席していたため,ガニー大統領の関与が取りざたされるなど波紋が広がった。そのため,7日にガニー大統領はプロジェクトに関する元頭取との契約を破棄すると発表した。事実関係の調査が進められた結果,モハンマディー大統領法律顧問が仲介役として都市開発省と元カーブル銀行頭取との契約を促したことが明らかとなり,ガニー大統領はモハンマディーの法律顧問としての資格を停止した。さらに,検事総長事務所とNDSとの共同調査の結果,都市開発省の財務担当の高官が,プロジェクトに関連して200万アフガニーの賄賂を受け取っていた容疑で逮捕された。

経済

厳しい雇用環境とTAPIパイプラインプロジェクトの始動

治安維持と並ぶ挙国一致政府最大の課題が経済発展に伴う雇用創出である。アフガニスタンの失業率は30%といわれ,雇用環境はきわめて厳しい。このような厳しい状況から自国に見切りをつけた若者などが過去最悪のペースでアフガニスタンからの国外脱出を図り,2015年にヨーロッパへ向かった難民の21%に相当する20万人以上がアフガニスタンからの難民で,これはシリアに次いで多い。旅券申請者が急増するとともに,毎月約20万人が国外移住を計画し,実際に6万人が隣国イランに不法入国してヨーロッパを目指しているとの情報もある。ターリバーンやISが影響力を拡大しており,治安悪化も顕著である。

経済状況の改善は難しい情勢にあるが,改善の一助となる可能性のある巨大プロジェクトが開始された。12月13日,トルクメニスタンのマリーでTAPIガスパイプラインプロジェクトの起工式が行われた。この式典には,トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領,ガニー大統領,パキスタンのシャリーフ首相,そしてインドのアンサーリー副大統領が出席した。このプロジェクトはトルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタン,インドまでを結ぶ総延長1814キロメートルにも及ぶパイプラインで運搬する計画で,幾度も計画が頓挫しながらも20年越しで今回ようやく着工に至ったものであり,2019年12月までの完成が見込まれている。アジア開発銀行(ADB)が主導的役割を果たしてプロジェクトを推進し,トルクメニスタン国営ガス公社であるトルクメンガスを筆頭株主として「TAPIパイプライン社」が設立され,今後の資金調達や運営,建設などを行う予定である。インドとパキスタンでは慢性的な電力不足が社会問題となっており,アフガニスタンでも電力供給不足が徐々に深刻化しつつある状況のなかで,世界第4位の天然ガス埋蔵量を誇るトルクメニスタンからのガス供給を行うTAPIプロジェクトはエネルギー確保の観点から重要な意味を持つと考えられる。

ケシ栽培は減少するも栽培地が拡散

薬物対策省が国連薬物・犯罪事務所と共同で行った調査結果である「アフガニスタン・ケシ栽培報告2015」によると,ケシの作付面積は前年比で19%少ない18万3000ヘクタールで,2009年以降初めて減少に転じた。推定生産量は48%減の3300トンで,この劇的とも言える生産量の低下は新摘みのケシで13%,乾燥ケシで29%の買い取り価格の上昇をもたらした。

その一方で,ケシを栽培している州は20州,栽培していないのは14州と前年より1州栽培している州が増加している。ケシ栽培がもっとも多い州がヘルマンド州で,これにファラーフ州,カンダハール州,バードギース州,ウルズガーン州,ナンガルハール州が続き,南部,東部,西部の諸州にケシ栽培地の98%が存在している。ただ,今年は前年比で中央部が38%,そして北部では158%もケシ栽培地が拡大している。これまでほとんどケシ栽培が行われてこなかったこれらの地域で栽培が拡大している背景には,ケシを資金源とするターリバーンやISといった勢力の伸張があることは疑いない。

最大のケシ栽培地であるヘルマンド州をはじめ,北部地域でもターリバーンの勢力が拡大しつつある。また,東部を中心にISも存在感を増しつつある。主な消費地である先進国は薬物対策の観点からも,アフガニスタンの治安回復についても積極的に関与する必要があると考えられる。

対外関係

対パキスタン関係

アフガニスタンにとってパキスタンはもっとも関係の深い重要な隣国であることは言を俟たない。2015年は近年でもっとも関係改善と交流が進んだ年であった。これは,2014年12月16日にペシャーワルの軍の運営する学校がTTPにより襲撃され140人以上が死亡した事件以降,パキスタン政府にとって国境地帯におけるTTP掃討が最重要課題となり,アフガニスタンとの協力関係を強化する必要に迫られたからである。2014年末にはパキスタン軍のラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長がカーブルを訪問してアフガニスタン軍司令官と会談を行い,年明け1月11日にはパキスタンの情報機関である三軍統合情報局(ISI)のアフタル長官もカーブルを訪問している。さらに2月17日には陸軍参謀長とISI長官の両者がそろってカーブルを訪問して,「アフガニスタンの敵はパキスタンの敵」と発言し,軍事・情報両面での協力関係構築を求めた。以降も4月18日にアフガニスタン軍司令官がパキスタンを,5月8日にはターリバーンとの和平協議について会談するためISI長官が,12日にはシャリーフ首相がカーブルをそれぞれ訪問しシャリーフ首相はガニー大統領との首脳会談を行っている。

これに続く5月18日にはアフガニスタンの情報機関であるNDSとパキスタンのISIがイスラーム過激派に対する協力関係を結ぶことで合意した。この合意は当事者であるナビールNDS長官やアブドゥッラー行政長官などパキスタンへの警戒感を抱く政府高官の間で強い不満を持って受け止められた。パキスタン政府の仲介によってターリバーンとの初めての公式和平協議実現へと漕ぎ付けたものの,オマル死去の報により和平協議は延期となった。8月にはデュアランド・ラインと呼称される国境線付近でのアフガニスタンとパキスタンの国境警備部隊の間での小競り合いが発生した。

しかし9月にはパキスタンのアズィーズ首相外交顧問が和平協議再開について発言し,ターリバーンにもアフガニスタン政府との交渉のテーブルにつくことを要求した。さらに10月22日に,アメリカを訪問したシャリーフ首相はオバマ大統領との首脳会談でもこの点について触れている。

しかしアフガニスタンでのパキスタンに対する不信感は根強く,10月6日にアフガニスタン軍高官が,ターリバーンによるクンドゥズ占領に関してパキスタン政府の関与が強く疑われると発言し,さらに31日にはアフマド・ズィヤー・マスード大統領特使が「ターリバーンはパキスタンの利益のために動く集団」とパキスタン非難を展開した。こうしてアフガニスタンとパキスタンの関係が冷え込むなか,11月30日,国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)に合わせパリでガニー大統領,シャリーフ首相にイギリスのキャメロン首相を加えた3者会談が行われた。この席上でシャリーフ首相は12月9日にイスラマバードで開催される「第5回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」にガニー大統領が出席するよう急遽要請した。

会議直前の12月6日にはアフガニスタン軍最高司令官が再びパキスタンを強く非難した。一方で,アメリカのアフガニスタン・パキスタン担当のオルソン特別代表は両国の関係改善を強く求めた。さまざまな思惑が交錯するなかでのガニー大統領の決断に注目が集まった。

ガニー大統領は12月9日に「第5回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」に出席し,会合冒頭でシャリーフ首相と共同で開会宣言を行い,演説のなかで,パキスタンの国民的詩人であるイクバールの詩を引用するなどして友好的雰囲気を強く印象づけた。さらに同日に開催されたアフガニスタン,パキスタン,アメリカ,中国の4カ国会合においてターリバーンとの和平協議再開に合意し,数週間以内に和平協議が再開される見通しとなった。

ガニー大統領は一貫してパキスタンとの友好関係構築に努めてきたが,この姿勢は挙国一致政府内部で摩擦を引き起こすこととなった。実際に翌日の12月10日にはナビールNDS長官が突如辞任を表明した。そもそもガニー大統領は,ターリバーンによる10月のクンドゥズ占領や12月8日に発生し54人以上が死亡したカンダハール空港への攻撃などにより,NDSの情報収集能力に疑問を感じていた。これに対してナビールNDS長官は,パキスタンがターリバーンの背後にいると信じていた。この相互不信が辞任の原因といわれている。この辞任については,アブドゥッラー行政長官やモハッケク第二行政副長官が辞任を承認することは容易ではないと発言し,パキスタンに対する強い不信感を露わにした。

しかし,年の瀬も押し迫った12月27日にパキスタン軍トップのシャリーフ陸軍参謀長がカーブルを訪問してガニー大統領およびアブドゥッラー行政長官と会談,年明けの1月に和平交渉を再開することを確認するとともに,安全保障と国境問題についても意見を交わすなど,パキスタンとの関係は紆余曲折を経ながらも着実に改善に向かっていると言えよう。

対中国関係

2015年はアフガニスタンと中国が外交関係を樹立して60周年に当たる年であった。ガニー大統領就任後2番目の訪問先が中国であり,2014年10月31日には「第4回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」が北京で開催されている。上述のとおりターリバーンとの和平協議においても中国は重要な役割を果たしており,2015年7月10日には軍事訓練や軍装備品提供を提案するなど多方面での協力関係が強化されつつある。11月3日には大統領宮殿で中国の李源潮国家副主席が出席して,国交樹立60周年を祝う盛大な祝賀式典が挙行されたが,同時に治安・復興・教育の3点で相互に協力する合意をガニー大統領との間で交わした。また,10月26日に北部バダフシャーン州を震源とする地震が発生し115人以上が死亡したが,11月4日には中国からの救援物資が到着した。続く9日には中国のアフガニスタン・パキスタン特別代表がカーブルを訪問してガニー大統領と会談した。そして12月9日にイスラマバードで開催された「第5回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」では,中国の王毅外相がガニー大統領に和平協議への協力と支援を直接約束した。さらに,12月14~15日に上海協力機構首脳会合が中国鄭州市で開催されたが,2012年以降アフガニスタンはオブザーバーとして参加しており,今回もアブドゥッラー行政長官が出席した。

中国は現在までにアフガニスタン国内の豊富な天然資源,とくに銅鉱山や石油開発などに多額の投資を行っており,今後も資源関連の投資は増加すると予想される。中国の主導で設立されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)にアフガニスタンは加盟していないが,ガニー大統領が3月27日に掲げた今後25年での国内鉄道網整備計画実施のうえでも重要な意味を持つと言えよう。

2016年の課題

2015年のアフガニスタンは挙国一致政府による政治的安定の確保,ISAF撤退後の自力での治安維持,さらには安定した経済成長による雇用環境改善といった喫緊の課題への対応が注目されたが,いずれも解決の見込みが立たなかった。しかも,閣僚人事の遅れや大統領派と行政長官派との対立の顕在化から今後の政権運営には幾多の困難が予想される。また,2016年にはターリバーンとの和平協議が本格化する可能性もあるものの,具体的な協議の行方やターリバーンの内部分裂抗争の状況など不安要素は数知れない。

選挙改革のため長く延期されていた議会選挙が地方議会選挙と同時に2016年10月15日に実施されることが,1月18日に選挙委員会により発表された。選挙改革委員会による提言に基づいた選挙改革をどのように実施に移すのか,さらには選挙のたびに問題となる選挙不正の監視体制をどのように構築するのかなど,選挙日が迫るなかで取り組むべき課題は山積している。

国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)が2016年2月14日に発表した調査結果では,2015年の民間人死傷者が前年比で4%増加して過去最悪を記録し,民間人死者は3545人,負傷者7457人で死傷者の4人に1人は子供であった。さらに,アフガニスタン独立人権委員会(AIHRC)は2015年12月19日に,2015年だけで約120万人が難民になったと発表している。これらは,治安悪化がいかに深刻な状況であるかを示している。最重要課題である治安回復のためにも,ターリバーンとの和平協議やISへの対策などの観点からもパキスタンとの連携は今後さらに重要になると考えられる。

(上智大学イスラーム研究センター特別研究員)

重要日誌 アフガニスタン 2015年
  1月
5日 ガニー大統領,外国部隊撤退計画の再検討を求める。
9日 挙国一致政府,ターリバーンに対し閣僚ポストを提案。
11日 パキスタン三軍統合情報局(ISI)のアフタル長官,カーブル来訪,ガニー大統領とパキスタン・ターリバーン運動(TTP)への対応などについて協議。
12日 挙国一致政府,全閣僚候補者名簿を公表。ガニー大統領が13人,アブドゥッラー行政長官が12人をそれぞれ指名。
26日 IS(「イスラーム国」)が「ホラーサーン州」の最高指導者に元TTP幹部のハーフェズ・サイード・ハーンを任命。
28日 下院議会,国家安全保障局(NDS)長官を含めた9閣僚を承認。
29日 議会が45日間の冬期休会入り。
  2月
17日 パキスタン軍のラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長とアフタルISI長官,カーブル来訪,ガニー大統領と会談。
  3月
18日 議会の新会期開会。
18日 北部のファーリヤーブ州とジョウズジャーン州でISの存在が確認される。
19日 カーブルで27歳の女性ファルホンダがクルアーンを焚書したとの流言によりリンチで殺害され遺体が放火される。
21日 ファルホンダの葬儀に数百人が参列。警察官8人を含む21人が逮捕される。
21日 挙国一致政府,新たに16人の閣僚候補者名簿を公表。
22日 ガニー大統領とアブドゥッラー行政長官,アメリカでオバマ大統領とケリー国務長官と会談。
25日 アメリカのオバマ大統領,2015年末での米軍駐留数を9800人規模に維持すると発表。
27日 ガニー大統領,25年間で国内の鉄道網を整備する計画に言及。
  4月
1日 ダーネシュ第二副大統領,2015年5月に任期切れとなる議会選挙を2016年に延期すると発表。
5日 ターリバーンがモッラー・オマルの履歴を公表。
6日 ガニー大統領,モハンマド・アフザル・ルーディンを国防相候補者に指名。8日に指名辞退。
14日 北部バダフシャーン州での武装勢力による襲撃で国軍兵士33人死亡。ターリバーンとISとの連携攻撃との報道も。
18日 東部ジャラーラーバードの自爆攻撃により33人死亡,負傷者100人以上。ガニー大統領,ISによる犯行の可能性を示唆。
18日 下院議会,4人の女性閣僚を含む16閣僚を信任。
18日 国軍司令官のシェール・モハンマド・カリーミー将軍,パキスタン訪問,対テロ作戦での両国の協力を要請。
20日 ターリバーンとISが相互に聖戦(ジハード)を宣言。
22日 ターリバーン,「春の攻勢」を開始と宣言。
27日 北部クンドゥズ州でターリバーンの襲撃により国軍兵士が30人以上死亡。クンドゥズ市近郊まで迫り,ガニー大統領はインド訪問を数時間遅延させる。
  5月
1日 国軍,クンドゥズでターリバーンの攻勢を撃退と発表。
1日 パキスタンがターリバーンによる「春の攻勢」を非難する異例の声明を発表。
2日 カタールのドーハでアフガニスタン政府とターリバーンが2日間の日程で和平のための非公式協議を開始。
2日 「ファルホンダ・リンチ殺害事件」の初公判。19人の警察官を含む49人が起訴され,裁判の様子は国営テレビで生中継。
4日 アフガニスタン政府との非公式和平協議にてターリバーンがカタールのドーハに政治事務所を設置することで同意と発表。
5日 「ファルホンダ・リンチ殺害事件」で4人に死刑,8人に16年の禁錮刑,18人は証拠不十分で無罪の判決。
8日 パキスタンISIのアフタル長官,カーブル来訪。
12日 パキスタンのシャリーフ首相,カーブル来訪,ガニー大統領と首脳会談。
14日 ターリバーンによるカーブルのゲストハウス襲撃で,外国人を含む14人が死亡。
16日 東部ナンガルハール州においてターリバーンとISが衝突,3人のターリバーン幹部が死亡,多数が死傷。
18日 アフガニスタンのNDSとパキスタンのISIがイスラーム過激派への対応で相互協力に合意。
19日 「ファルホンダ・リンチ殺害事件」で11人の警察官に1年の禁錮刑,8人は証拠不十分で無罪の判決。
21日 ガニー大統領,元通信相で元高等和平評議会(HPC)事務局長のモハンマド・マアスーム・スターネクザイを国防相候補に指名。
28日 ガニー大統領,都市開発省の幹部6人を汚職の疑いで解雇。
28日 パキスタン上院内務委員会,アフガニスタンに対してTTPの指導者モウラーナー・ファズルッラーの引き渡しを要求。
  6月
3日 東部ナンガルハール州でのターリバーンとISとの戦闘で,10人のターリバーンが斬首のうえ殺害。
16日 ノルウェーのオスロでアフガニスタン政府とターリバーンが非公式協議。
16日 モッラー・オマルがISの指導者にアフガニスタンでの「聖戦」に干渉しないよう求める書簡を送付したと報じられる。
19日 ガニー大統領,議会議員の任期延長を認める大統領令を発布。
22日 ターリバーン,アフガニスタン議会を襲撃。
30日 ガニー大統領,最高裁判所判事として女性を初めて指名。
  7月
1日 国防相候補,女性最高裁判所判事候補などが下院議会に上程される。
2日 高等裁判所「ファルホンダ・リンチ殺害事件」の下級審裁定を翻し,死刑判決の3人を20年の禁錮刑に,1人を10年の禁錮刑との判決。
2日 アフガニスタンとパキスタンの治安部隊が国境で衝突。
4日 下院議会,採決でスターネクザイ国防相候補者を不信任とする。
5日 イスラーム党(ヘズベ・イスラーミー)のヘクマティヤールが対ターリバーンでIS支持を表明。
6日 「ファルホンダ・リンチ殺害事件」の死刑判決減刑への抗議デモが広がる。
7日 イスラマバード北部の避暑地マリーにてアフガニスタン政府とターリバーンとの初の公式和平協議が開催。
10日 中国,アフガニスタンに軍事装備と訓練を提供すると発表。
15日 モッラー・オマル,ラマダン明けに先立つ声明で和平協議を支持。
17日 ガニー大統領,選挙改革委員会の委員を指名。
24日 アフガニスタン政府とターリバーンによる第2回公式和平協議が7月末開催との報道。開催地は中国のウルムチとの推測。
29日 アフガニスタン政府,パキスタン政府が相次いで2013年4月にモッラー・オマルが死去していたと発表。
30日 ターリバーン,モッラー・オマル死去を認め,モッラー・アフタル・マンスールを後継者と発表。
30日 パキスタン外務省,和平協議延期を発表。
31日 モッラー・オマルの親族がマンスールの後継者指名に反対。
  8月
4日 北部クンドゥズ州と西部ヘラート州でマンスール派と反マンスール派の衝突。
7日 カーブル市内と近郊での自爆攻撃により,2009年以降1日で最大となる50人が死亡。
13日 外相,国防相(臨時),NDS長官を含むアフガニスタン代表団,パキスタン訪問,アズィーズ首相補佐官と会談。
28日 南部ザーブル州でターリバーン同士での軍事衝突。
30日 選挙改革委員会が改革案を提示。
31日 ターリバーン,モッラー・オマルが2013年4月13日に死亡したことを認め,マンスールの履歴も公表。
  9月
1日 ガニー大統領,汚職に対する「聖戦」を宣言。
2日 ヘラート州シンダンド地区でターリバーン同士の武力衝突。
5日 アフガニスタンとパキスタン,相互非難を停止することで合意。
6日 ガニー大統領,選挙改革委員会の改革案を承認。
9日 反マンスール派ターリバーン司令官ダードゥッラーがISに忠誠を誓う。
10日 ナンガルハール州の3地区でISが私設刑務所を設立。
16日 モッラー・オマルの親族がマンスールの後継者指名を承認し,ターリバーンは内紛終結と発表。
20日 ISが東部ナンガルハール州の学校58校を閉鎖。
22日 マンスール,和平協議再開の条件としてアメリカとNATOとの安全保障協定破棄と外国軍完全撤退を要求。
26日 東部ナンガルハール州でISによる政府軍への大規模襲撃。
28日 ターリバーン,クンドゥズ市を3日間にわたって占領。
  10月
1日 政府軍がクンドゥズの大部分を奪回と発表。
1日 ターリバーン,バダフシャーン州の一部を占領。
3日 クンドゥズ市で「国境なき医師団」の病院が米軍により空爆される。スタッフや患者とその家族など42人が死亡。
8日 オバマ大統領,米軍の誤爆を謝罪。
9日 西部ヘラート州とファラーフ州で政府軍とターリバーンが交戦,28人が死亡。
12日 ガズニー州でのターリバーンの大攻勢により70人以上が死亡。
15日 オバマ大統領,2017年までの米軍撤退を延期し,数千人規模の駐留を維持すると発表。
18日 ターリバーン,北部ファーリヤーブ州などで攻勢。42人が死亡。
22日 ホワイトハウスでパキスタンのシャリーフ首相がオバマ大統領と会談し,ターリバーンに和平協議再開を要請。
26日 北部バダフシャーン州を震源とする地震発生,115人以上が死亡。
  11月
2日 ターリバーン内の反マンスール派,モッラー・モハンマド・ラスール・アーホンドを新指導者として選出したと発表。
3日 大統領宮殿で中国との国交樹立60周年記念式典挙行。
3日 南部ゴール州で,強制結婚から逃れようとした19歳の女性をターリバーンが石打刑で殺害。
7日 ガニー大統領が,元カーブル銀行頭取と都市開発省との間の大規模宅地造成計画の契約破棄を発表。
8日 ザーブル州でISにより拉致された3人の女性を含む7人が斬首により殺害。
11日 ザーブル州でのISによる斬首殺害に抗議する大規模デモが全国で発生。カーブルでは2万人以上が集結。
17日 ガニー大統領,大規模宅地造成計画に関連してアブドゥル・アリー・モハンマディー大統領法律顧問の資格停止。
19日 ガニー大統領,2日間の日程でカザフスタンを公式訪問。
23日 アメリカとパキスタン,ターリバーンとの和平協議再開で合意。
24日 内相,国軍最高司令官,NDS長官が共同記者会見にて対IS用民兵組織結成の動きを批判。
25日 キャンベル米軍司令官,クンドゥズの「国境なき医師団」の病院空爆を誤爆と認める調査結果を公表。
25日 パキスタン,登録証を有するアフガン難民の強制送還期限を2017年12月まで延長。
26日 ガニー大統領,クンドゥズ視察,NDSクンドゥズ担当長の解任を発表。
30日 ガニー大統領,国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)に合わせて,パリでシャリーフ・パキスタン首相,キャメロン英首相と会談。
  12月
1日 NATOが2016年の間1万6000人規模の駐留継続と2020年までの治安維持のための資金援助継続を発表。
3日 ガニー大統領,ベルリンでメルケル独首相と共同会見。
7日 西部ヘラート州でマンスール派とラスール派ターリバーンの武力衝突。
8日 カンダハール空港をターリバーンが襲撃し,54人以上が死亡。
8日 イスラマバードで「第5回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」が開催。
9日 「第5回アジア中核諸国―イスタンブルプロセス閣僚級会合」にガニー大統領出席。
10日 ナビールNDS長官が辞任。
13日 トルクメニスタンでのTAPIガスパイプライン起工式にガニー大統領が出席。
14日 中国河南省鄭州市での第14回上海協力機構首脳会合にアブドゥッラー行政長官が出席。
17日 アフガニスタンのWTO加盟が承認。
18日 アメリカのカーター国防長官がカーブル来訪。
18日 元ムジャーヒディーンを中心に「アフガニスタンにおける防備・安定評議会」が設立。
21日 下院議会が次年度予算案を否決。
22日 ガニー大統領がバクーでアゼルバイジャンのアリエフ大統領と会談。
24日 ガニー大統領がイスタンブルでエルドアン・トルコ大統領と会談。
25日 新議事堂の落成式にインドのモディ首相が出席し,インドの軍用ヘリ供与についても約束。
26日 下院議会が選挙法改正のための大統領令を否決。
27日 パキスタン軍のシャリーフ陸軍参謀長,カーブル来訪,和平協議について会談。
29日 外務省,和平協議再開のためのアフガニスタン・パキスタン・アメリカ・中国の4カ国会合の年明け開催を発表。

参考資料 アフガニスタン 2015年
①  国家機構図(2016年2月末現在)
②  内閣閣僚(2016年2月10日現在)
③  州知事(2016年2月10日現在)

主要統計 アフガニスタン 2015年
1  基礎統計
2  産業別国内総生産(実質価格)1)
3  国家財政
 
© 2016 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
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