2018 年 2018 巻 p. 539-562
内政面では,反対派グループ(Joint Opposition: JO)の政府批判がいっそう激しくなった。批判はとくにラニル・ウィクレマシンハ首相や統一国民党(UNP)に向けられた。本来ならばマイトリパーラ・シリセーナ大統領およびスリランカ自由党(SLFP)を中心とする統一人民自由連合(UPFA)は,国民政府の連立パートナーとして,共同してJOに立ち向かうべきところが,中央銀行の国債スキャンダルやハンバントタ港の中国への貸与などの問題に関して逆に対立する場面もしばしばあった。
経済面では,前年4.0%だった消費者物価上昇率が徐々に上昇し7.7%となった。干ばつや洪水などの自然災害の影響を受けた食料品価格の上昇が響いた。そのためコメ等の食料輸入が急増し,貿易赤字が拡大した。EUの一般特恵関税(GSP)プラス復活による衣類輸出の3.0%増加などの明るい材料を打ち消すほど,災害のダメージは大きかった。しかし,海外直接投資(FDI)流入の増加,負債の解消により外貨準備は安定状態にある。内国税収入法(IR)の成立により税収の増加も見込まれる。2017年のGDP成長率は3.1%となった。
外交面では,ハンバントタ港の中国への運営権貸与の最終合意をめぐって,著しく紆余曲折したものの,7月末に最終合意に至り12月に引き渡しが行われ,第1回目の支払いも実行された。中国の直接投資案件であるコロンボ・ポート・シティ・プロジェクトも順調に進捗している。インドとはモディ首相が来訪するなど良好な関係を継続したが,長年の懸案であるインド漁民の密漁を巡る問題は進展が見られなかった。
2015年に成立した国民政府はSLFPとUNPからなり,それぞれの党首シリセーナが大統領に,ラニルが首相になって政権を率いた。政権の課題はマヒンダ・ラージャパクサ前政権の汚職追及,憲法改正,和解,経済立て直し,国際社会との関係改善などへの取り組みであった。しかし,2016年に目立ちはじめた大統領と首相,およびSLFPとUNPの間の亀裂が2017年に拡大したうえ,SLFP内部の意見対立も加わり,政権は混乱した。前政権の残した課題はあまりに大きく,根深く,利害関係が複雑であり,意思決定の過程は遅延・混乱し政治的空転が続いた。そこに付け入るように,JOの政府批判はいっそう激しさを増した。
議会の議員構成はUPFAが95人に対しUNPが106人と若干多く,閣僚の構成としてもUNPに有力な大臣ポストが与えられている。両党の暗黙の取り決めで経済関係はUNPが担当することとなっており,首相が委員長を務める経済関係閣僚委員会(CCEM)が意思決定機関となっていた。「ハンバントタ総合開発」に関する議論も主にここで行われた。そのほかさまざまな決定事項に関して,UNPがSLFPと協議せずに決めてしまうことに対し,SLFPのシリセーナを支持する議員らは不満を募らせており,国民政府を解消してラージャパクサを中心とするJOと合流すべきだという声も上がった。
汚職追及に関しても,SLFP側は捜査の停滞にいらだちを隠していない。なぜなら,シリセーナは2015年1月の大統領選挙でラージャパクサ前政権の汚職を批判し,政権交代後はラニル・ウィクレマシンハ首相と共にグッドガバナンスを標榜していたからである。大統領は汚職調査委員会を任命したり警察の金融犯罪捜査局(FCID)などに調査をさせており,その結果ラージャパクサ一族やラージャパクサの側近らに捜査が及び,逮捕者が出ているにもかかわらず,肝心のラージャパクサが捜査対象になっていないのである。
大統領は,7月4日に「UNP閣僚と前大統領の間で水面下の取引があり,汚職捜査を意図的に遅らせている」とUNPに対して不満を表明した。その一方,SLFP議員らに対しては7月11日に,国民政府形成合意で決めた2017年12月末までUNPとの国民政府の継続を要請した。経済問題に関してはCCEMとは別に大統領が委員長を務める国家経済委員会(NEC)を設立することでバランスをとった。
汚職調査の遅れと国債発行スキャンダルで追及される政権前政権の汚職を追及する一方で,現政権のスキャンダルはJOにとって格好の攻撃の的となった。JOは,2017年も引き続き2015年の国債発行におけるスキャンダル(『アジア動向年報2017』参照)を追及し続けた。JOや人民解放戦線(JVP)は当時の中央銀行総裁のアルジュナ・マヘンドランがシンガポール国籍であることを指摘し,首相の任命責任を問うた。また2015年当時に財務大臣だったラヴィ・カルナナヤケ外務大臣(UNP)に対してJOは8月3日,不信任動議を提出した。マヘンドランの義理の息子が経営する国債引き受け会社から1億6500万ルピーのマンション(賃料と購入費)を得ていた件が明らかになったからである。
大統領と首相は協議の結果,不信任動議が国会で取り上げられる前にラヴィに自ら辞任することを要求した。8月10日,ラヴィはスキャンダルへの関与を全面的に否定しつつ辞任を表明した。もし国会で決議されるとなればSLFPだけでなくUNP議員も動議に賛成したとみられ,その場合首相の任命責任は免れない。投票前の辞任表明によって政府の面目は保たれた。また動議が成立したならば,JOの勢いが増す懸念もあった。ラヴィの辞任で危機は避けられたが,その後もJOの,首相やラヴィに対する追及は続いた。
11月には大統領が任命した調査委員会(PCoI)の召喚に首相が応じた。書簡で応じるのではなく本人が直接出向くことはこれまでなかった光景で,歴史的と評された。首相は委員会の場で国債発行額が予定よりも大幅に増大した理由について,前政権が帳簿(予算案)にない支出を行っていることが判明し,その返済のために資金が必要となったと明らかにした。発足したばかりの政権は,2013~2014年に実施した北部高速道路開発の工事の支払いをシンガポールの会社に求められて,その存在を初めて認識したという。帳簿にない支出が行われた理由として,首相は前政権がIMFの定めた財政赤字上限を超えることを恐れたため,と指摘した。
12月末にはPCoIおよび重大な不正・汚職・職権乱用に関する大統領調査委員会(PRECIFAC)の報告書が提出された。
地方選挙実施にむけた選挙法改正JOによる突き上げ,UNPとUPFAの政権内部での意見対立が露呈したことから地方議会選挙の実施が遅れた。選挙は2011年以来実施されておらず,本来ならば2015年中に行われるべきであった。JOは,選挙を実施しても政府が得票できないという理由で先延ばしにしていると批判した。政府が選挙を引き延ばしてきたのは,選挙区割り見直し委員会が作業中であったこともある。区割り見直し委員会が2017年1月に報告書を提出した後,政府は選挙方法について見直しを行い,さらに選挙の実施が遅れた。見直しは,少数政党の要望を受けて行われ,2012年の地方選挙法を改正し,小選挙区と比例で選出される割合を70対30から60対40に変更した。さらに前回の選挙では比例で選出される議員の決定は,選好票(PV)が用いられ,選好票をめぐってUPFA内部で死亡者が出るほど混乱したが,改正によってPVは廃止された。前回の選挙では,当該選挙区を含むより広い選挙区域からPVの順位にしたがって比例候補者が選出されたが,今回の見直しで当該選挙区で活動する候補者が選出されることになり,市町村レベルにおいては適切な改正といえる。また,女性議員の割合を25%以上とすることも定められた。スリランカは,1931年という世界的にも早期に男女普通選挙を導入したものの女性の政治参加は遅れている。女性議員の占める割合は,たとえば地方レベルでは1.9%,州レベルでは4.0%,国レベルでは5.7%である。とくにタミル人の多く居住する地域では女性の政治参加は遅れていて,北部州評議会では38人の議員のうち女性は1人である。
地方選挙法が可決された後,24の市議会,41の町議会,276の村議会において2018年2月10日に選挙が実施され,総計8356人の議員を選出した。新制度下であることから,選挙管理委員会は選挙違反にこれまでになく目を光らせた。各政党も,2015年8月の国会議員選挙以来の選挙ということで,市町村議会レベルの選挙であるにもかかわらず,大統領や首相までもが各地を飛び回り大規模な選挙キャンペーンを展開した。
州議会選挙についても2017年度中に行うべきであったが,7月の閣議で延期を決定し,さらに州評議会選挙を同時に実施できるように憲法改正が模索された。前政権時は,公務員や国有企業の資源を投入し,選挙キャンペーンを有利に展開する目的で州議会選挙の時期を恣意的にずらして選挙を行っていたとされる。したがって改正は公正な選挙のためにポジティブな意味を持つし,予算の節約にもなるが,JOや野党からは選挙の実施を延期するための口実だとも批判された。
すべての州評議会選挙を同時期に開催するとした第20次憲法改正案は,8月3日に告示された。しかし,いくつかの州評議会で改正案は否決されたうえ,最高裁判所が修正案成立には国会での3分の2の賛成票および国民投票が必要との判断を下したため,国会で審議しないことになった。これにより同日選挙の可能性はなくなった。9月20日には州評議会選挙法改正が通過し,州評議会選挙も単純小選挙区制と比例代表制の混合制度(50対50)で行うことになった。地方選挙と同様に女性議員の比率は25%以上とし,各党は,小選挙区の候補者リストには6人に1人以上,比例リストには半数以上の女性候補者を含まなければならない。
州評議会選挙の実施は,選挙区割りの見直しの必要があることから,2018年以降になる見込みである。
仏教ナショナリズムの高揚とイスラーム教徒攻撃,ロヒンギャ襲撃2017年になり,仏教過激派がイスラーム教徒,モスク,イスラーム教徒の経営する商業施設を襲撃する事件が頻発した。ニャーナサーラ僧に代表されるボドゥ・バラ・セーナ(BBS)が2013年にはハラル食品認証制度を非難し,2014年にはカルタラ県ダルガタウンを襲撃し死者も出た。背景には,イスラーム教徒の経済力が政治に与える影響を危惧しているとも,イスラーム教徒らが中東からの支援を受けて豊かになっているとも認識されており,仏教徒らに危機感があるためともいわれる。多数派であるシンハラ仏教徒にアピールするためにラージャパクサの一派が仏教過激派を支援したとも信じられている。2015年のラージャパクサ失脚以降,運動は下火になったが,2017年には地方選挙が意識されたため,再び活発化したようだ。
4月以降,5月20日にクルネーガラのモスクに火炎瓶が投げ込まれるまで,少なくとも15件の事件が起こったとの報告がある。マノー・ガネーシャン国民対話・公用語大臣は「いくつかの団体がイスラーム教を持ち出し,国を分断しようとしている」と批判し,ムスリムの政治家は大統領に対してBBSおよび新興の急進仏教団体に対して処分を求めた。
攻撃対象は国内のイスラーム教徒にとどまらなかった。9月15日に僧侶を含むシンハラ仏教団体がロヒンギャの人々の入国を禁止する署名とデモを行った。9月26日,コロンボ近郊のマウントラビニヤで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の保護下にあった30人のロヒンギャ難民が,僧侶を含むシンハラ仏教団体に襲撃される事件が発生した。襲撃されたのは,4月30日に海上で保護された16人の子供と7人の女性・妊婦を含む難民だった。9月27日に国連コンプレックス前で行われた集会では,仏教過激派はロヒンギャ難民を「仏教僧を殺害したテロリストである」と断言し,即刻スリランカからの退去を求めた。国内における反ムスリム感情の高まりが,ロヒンギャ難民に対する暴力的な襲撃を招いたといえる。
SAITMとミートタムッラのゴミ問題南アジア技術・医科大学(SAITM)に関する論争も,政治の空転を拡大する要素であった。SAITMは2008年にコロンボ近郊のマーラベに開校した民間の医科大学である。スリランカでは教育は基本的に無償であるが,SAITMは有料の私立大学として大学助成委員会(UGC)から学位授与機関として認定を受けている。このSAITMに対して医師会(GMOA)や学生連合(IUSF)が政府に対しSAITM廃止を求めてストやデモを繰り広げた。
医師会は,SAITMの入学基準や教育内容に疑義を提示し,医療の質を守る必要があると主張した。学生らは無償教育制度の存続を危うくし,貧困家庭の教育機会へのアクセスを奪うと主張した。確かにSAITM入学生の中には大学入試試験にあたるAレベル試験の理科系科目で十分な点数を得ていない学生もいる。しかし,医師や学生らの主張には既得権を保持したいという意図が見えた。医師らは,民間医科大学卒業生が新規参入者となることを嫌悪した。スリランカでは国立大学に入学できるのは,Aレベル試験受験者のわずか2%程度と狭き門である。にもかかわらず大卒者の失業率は高い。入学金と授業料を払えば,成績が優秀でなくても医科大学に入学でき,国の認定する医師免許が取得できることは,苦労して実力で入学した学生,とくに農村部や貧困層出身の学生にとって「不公平」と受け止められたようである。
医師会は数度にわたり全国ストライキを実施し,政府に圧力をかけた。折しもインフルエンザやデング熱の流行があったことなどから,ストライキやデモ行進に対して国民は批判的であったが,教育機会や医師の質に関する国民の関心は高く,注目を浴びた。
政府は,10月末にSAITMを廃止し非政府・非営利の学位授与機関とすることを発表し,低所得学生も低利子ローンを得て入学できることとした。これにより,約9カ月間講義をボイコットしていた医学部学生らは大学に戻った。しかし,この決断は海外投資家にネガティブな印象を与えた。なぜなら,スリランカ政府は後述するように経済政策の柱として官民パートナーシップ(PPP)推進やFDIの誘致を掲げているからである。今回の決定は,既存の私立大学の経営を国の管理下に置くことにほかならず,投資家の利益を損ねる。
現政権の政治的空転の多くは,前政権の残した課題や政権内部あるいはSLFP内部の調整不足に起因するものが多いが,現政権が取り組むべき課題を放置したために発生してしまった事件は,ミートタムッラのゴミ置き場崩壊だろう。
シンハラ・タミル新年さなかの4月14日,コロンボ郊外のミートタムッラの家庭ゴミ集積所で高さ100メートルを超えるゴミの山が崩れ,住宅100棟あまりが全半壊し,住民ら32人が死亡した。政府は,ゴミ処理を担当するコロンボ市の担当部局が20年以上にもわたり適切なゴミ処理を行わなかったことが事件発生の背景と説明した。しかし,2015年8月に都市開発・水道省によって報告書が提出され,プッタラムの最終埋め立て処分提案がなされていたこと,広域にわたる問題でコロンボ市議会だけでは解決できない問題であったこと,住民から再三の申し入れがなされていたことが発覚し,政府批判が起こった。なんらかの環境対策が急務となった政府は,9月1日より厚さ20ミクロン以下のポリエチレン袋の製造・販売・使用を禁止した。
人権と国際社会前政権時ほどではないものの,国際社会は引き続きスリランカに人権状況を改善するように圧力をかけている。3月,国連人権高等弁務官はスリランカの「移行期正義」のプロセスは遅く,過去の戦争犯罪に対する責任追及の意思が弱いとの報告書を発表した。同月の国連人権委員会では,2015年10月にスリランカとアメリカが共同提出し,承認された移行期正義に関する決議に対するフォローアップが行われ,決議の実施期間を2年間延長する新決議が採択された。
遅れていると指摘されるのは,テロ防止法(PTA)の廃止や改正,スリランカ国内法に基づく戦争犯罪に関する司法メカニズムの整備などである。後者の問題については,JOが激しく反対しているだけでなく大統領も積極的でない。
失踪者調査局(OMP)は2016年8月に成立したものの,実際に機能し始めるまでには時間がかかった。まず2017年6月に外国資金の利用をなくすよう一部条項の削除が行われたうえで改正案が可決し,海外からの影響力を排除した。さらに政府は,OMPが扱うのは過去の事例ではなく将来の事例のみであることを確約し,軍関係者らが罪に問われる可能性を排除した。7月に大統領がOMP法に署名し,9月にゼイド国連人権高等弁務官に急かされるようにして,ようやくOMPに関する官報が発出され,12月に事務局のメンバー7人が選出された。ただ,過去の事例は扱わない,調査はしても法的措置をとらないなど,内戦で行方不明となった家族を抱え,この法律を待ち望んでいたタミル人にとっては事実上骨抜きの制度となった。
北部の状況――和解の遅れに嫌気すでに述べたように和解や経済開発は遅れていた。さらに政府は軍が使用していた土地の解放を行っているが,まだ不十分であるというのがタミル国民連合(TNA)の見解である。しびれを切らした北部の人々は,シリセーナ/ラニル政権や政権を支持するTNAなど伝統的な政党から離れ,C.V.ヴィグネスワラン北部州首相を中心に独自の運動を始めた(『アジア動向年報2017』参照)。
2017年6月には北部州評議会で州首相がTNA所属の州大臣らに対して,汚職への関与を理由に辞任を求めたことなどをきっかけに対立が鮮明となった。運動にはタミル・イーラム解放の虎(LTTE)回帰を連想させるイベントも加わっている。たとえば,内戦末期にムッリワーイッカールで亡くなった人々を追悼する集会は,これまでにない規模で開催された。9月には1987年に政治犯の釈放を求めるハンガーストライキで死亡したティリーパンを悼む集会が開催され,タミル政党も参加した。シンハラ人が多数居住する地域においてBBSの運動の活発化などのシンハラナショナリズムが高まりつつあるなかで,危険な兆候と見て取れる。
2017年の実質国内総生産(GDP)成長率は,前年より1.4ポイント低下し通年で3.1%であった。支出別(市場価格)ではGDPの6割を占める個人消費が対前年比(以下同じ)8.7%増,政府消費が11.4%増,固定資本形成が16.5%増で,消費は前年の伸びを上回ったが,固定資本形成は前年を5ポイント下回った。産業別では農林水産業が0.8%減,鉱工業が4.2%増(うち製造業が3.9%増),サービス業が3.2%増で,いずれも前年を下回る伸びであった。農業では,小さな国土のなかで近年まれに見る深刻な干ばつに見舞われた地域と極端な降雨が襲った地域が混在し,コメ生産はマハ期(2016年9月~2017年3月)49.2%減,ヤラ期(5~8月)32.4%増減,ココナツも17.3%減となった。鉱工業では建設業が落ち込んだ。
財貿易は,輸出額が前年比10.2%増の113億6020万ドル,輸入額が9.4%増の209億7980万ドルであった。輸出ではEUからGSPプラスを再び適用されることとなり,スリランカ最大の輸出品目である衣類が3.0%伸びた。さらに主たる輸出先であった欧米だけでなく,オーストラリア,香港,アラブ首長国連邦(UAE)にも販路を広げている。一方で,スリランカの経済レベルからすると早晩GSPプラスの適用除外になる可能性は高く,いつまでもこの状況に依存していることはできない。輸入では,生産減を補うため近隣諸国からコメの輸入に頼らざるをえず,前年が1280万ドルだった輸入額が,2017年には3億90万ドルへと急増した。貿易赤字額は96億1960万ドルで前年比8.4%増となった。
国際収支統計による海外からのFDIは,前年の8億200万ドルから16億3000万ドルへとほぼ倍増した。投資元では中国が最大のシェアを占める。ただ,FDIの内訳を見るとホテルや高級アパート建設などとなっており,必ずしも長期的な生産力形成に寄与するものではない。海外労働者からの送金は,中東情勢の不安定化により減少傾向にある。結果として外貨準備高は2016年が60億ドル(輸出の2.7カ月分)だったのが,80億ドル(3.3カ月分)に拡大した。
消費者物価上昇率は,食料生産の不足や洪水などによる供給網の寸断が影響し,2016年通年で4.0%であったが,2017年には徐々に上昇し7.7%となった。しかし柔軟なインフレターゲット政策がとられていること,銀行貸し出し額は前年が対前年比20%増だったのに対して15%増に抑えられたこと,他のマクロ指標が安定的であることから,中央銀行は3月に小幅な利上げを行うにとどめた。利上げが経済活動にもたらす影響を考慮したもので,インフレに対しては国内食料供給網の整備,食料の緊急輸入,食料の輸入関税引き下げなどの措置がとられた。
雇用面では失業率(通年)は男性が2.9%,女性が6.5%,全体では4.2%と前年よりも若干低くなった。これらの低い失業率は,労働者の海外への移動によって実現している面もある。
財政収支は2016年の付加価値税引き上げにより税収が増加して,プライマリーバランスが黒字となった。財政収支のGDP比は5.2%と見込まれ(2016年は5.4%)国際収支の赤字減とともに経済政策の成果が表れている。さらに2017年9月には制度の簡素化を目指して内国税収入法が改正され,2018年4月1日から導入されることも好材料になった。
ビジョン2025と経済政策ステートメント現政権が3年目を迎えた9月4日,シリセーナ大統領とウィクラマシンハ首相は経済開発プログラム「ビジョン2025」を発表した。このプログラムは大統領と首相の連名で出されたことに意味がある。なぜなら過去2年間,経済政策は主にUNPによって担われており,大統領およびSLFPとの間には意見の対立があったからである。報告書自体にもそれぞれの政党のカラーである青と緑がふんだんに用いられて,視覚的にも両党の連携が強調された。ビジョン2025では,スリランカをインド洋のハブにすることによって豊かな国を作るとした。これ自体はラージャパクサも同様の政策を提示しており,新しくはない。ただ,ラージャパクサが結局国内産業保護に向かってしまったのとは対照的に,ハブであることの利点を生かした民間投資や輸出産業の促進による成長を目指している。
予算案発表前の10月,首相は恒例の経済政策ステートメントを国会で発表した。政策の具体的な内容は,これまでに出されたステートメントと基本的に同じである。しかし,冒頭で首相は,スリランカの財政状況がいかに危機的であるかを説明し,債務管理の方法を変革する必要性を説いた。財政の現状は次のとおりである。2015年は政府歳入の90.6%を債務支払いに充てていたものが,2016年には80%に落ち着いた。内国税収入法成立により税収は増加するであろうが,2018,2019年には再び困難な局面に入ることが予想される。なぜなら国債の償還があるからで,2018年には1兆9740億ルピー,2019年には1兆5150億ルピーの支払いが予定されている。
首相やマリク・サマラヴィックラマ開発戦略・国際貿易大臣はインフラ建設ではなく,FDI誘致,とくに輸出指向型の産業育成,輸出の多様化・高付加価値化,民間主導の成長を,ことあるごとにアピールした。2017年のFDIは対前年比で倍増となったが,このままのペースでは政府が目標とする年間50億ドルを達成するのは難しそうだ。内政混乱や政策の稚拙さ,さらに既得権益団体や労働組合の反発が顕著で,海外投資家が二の足を踏む要因となっている。
FTA交渉中国,シンガポールとのFTA交渉は年間を通じて行われ,2018年1月にはシンガポールとの締結にこぎ着けた。インドとの経済・技術協力協定(ETCA)に関しては,今年も実現しなかった。政府としてはインドのバリューチェーンに入ることを利点とみなしているが,国内における反対派を説得することはできなかった。失職を恐れる医師などの専門職がとくに反対している。
7月に大統領がバングラデシュを訪問し,経済,農業,海運,高等教育,IT,メディアなどの分野で覚書(MoU)に調印した。事前に二国間ではFTAの交渉が進められていたが,訪問後は具体化に向けて加速した。両国はすでに南アジア自由貿易地域(SAFTA)やアジア太平洋貿易協定(APTA)に加入しているし,スリランカの対バングラデシュ輸出は1億1200万ドル(全体の1.1%),輸入は300万ドル(0.3%以下)に満たない(輸出入とも2016年)ものの,二国間協定に可能性を見い出している。たとえば,バングラデシュがシンガポールやマレーシアではなくコロンボ港を利用するようになれば,ヨーロッパまでの輸送日数が3日減り,輸送コストも安くなる。また,農業とくにコメ生産,自然災害対策,製薬産業,造船・海運などの事業においては,バングラデシュからスリランカが吸収できる点が多いと期待される。一方で,労働者の移動についてスリランカは慎重である。
このほか,インドネシア,マレーシア,タイなどともFTA協定を交渉中である。
2016年12月に,スリランカと中国はハンバントタ港の運営権を99年間中国とスリランカの合弁企業(株式所有比率は中国側80%,スリランカ側20%)に貸与することで枠組み合意に達した。しかし,スリランカ政府は,主に港湾の評価額,中国とスリランカ間の株式比率,港の貸与年限,工業団地用の土地の扱いに関して,ラージャパクサの息子や港湾労働者,周辺住民,さらには野党からの強い反対に直面した。
ハンバントタ事業に関しては,立案から関わったラージャパクサらの強力な反対勢力だけでなく,政権内部からの批判も受けた。首相およびUNP所属の主要閣僚は,膨大な対外債務を返済する必要性から合意の早期実現を求めた一方,大統領およびUPFA(SLFP)所属の議員らは国有財産の売却であるという視点から慎重な姿勢を見せた。そのため,2017年1月と4月には合意直前と報道がなされ,3月には中国国防大臣の常万全が来訪し,さらに4月には中国共産党中央政治局常務委員の兪正声も来訪したが,実現に至らなかった。この間に野党議員のバスデヴァ・ナーナヤッカラが最高裁判所に基本権訴訟を起こし,2016年12月8日の枠組み合意は無効で,国会の承認を得る必要があると主張した。
スリランカで議論が行われるさなか,首相の訪日(4月10日),訪印(4月末),モディ首相の来訪(5月11~12日)などで,スリランカがインド洋開発において日本やインドの役割に期待を表明する機会が多くあった。それを見計らうかのように,中国はモディ来訪時に中国潜水艦の寄港許可を要求した。中国は,2014年9月の安倍首相のスリランカ訪問時にコロンボ港に潜水艦を寄港させたが,これがインドの逆鱗に触れたとされている。その後,潜水艦の寄港に関しては,スリランカ政府に事前に許可を得れば可能としていたが,インド首相来訪時の寄港要請は,インドと中国の間でうまくバランスをとっていたつもりのスリランカに圧力を与えるものとなった。また,この直後に首相は一帯一路国際フォーラム出席を控えており,遅れているハンバントタ交渉に対する中国の圧力とみるのが妥当であろう。
5月31日に内閣改造が行われ,反対の立場をとっていた港湾・船舶大臣やスリランカ港湾局のチェアマンは交代させられた。さらに最高裁がナーナヤッカラの基本権訴訟を棄却したことで,合意に向けて法的な関門も通過した。債務負担の縮減に火急を要することを理由に首相が残る反対派を押し切り,株式比率に若干の変更を加えて中国側70%,スリランカ側30%として,さらに港湾の治安維持に関する業務はスリランカ側が管轄することで2017年7月末にようやく最終調印に至った。後者の確約は,ハンバントタ港が中国に軍事利用されるのではないか,という内外の強い懸念に対応したものである。その後,法務大臣が合意に反対意見を示したことに対して解任されたものの,まず工業団地の一部で11月初めに事務所がオープンした。ハンバントタ港の運営も12月初めに正式に中国との合弁企業(ハンバントタ国際港湾グループ[HIPG]と,ハンバントタ国際港湾サービス[HIPS])に引き渡され,支払いの一部である2億9210万ドルの支払いも行われた。
中国に対抗するインド4月に首相が訪印,5月11~12日にモディ首相が来訪するなど,二国間の関係は強化された。4月26日には経済プロジェクト協力覚書が締結され,LNG発電所(ケラワルピティヤ),太陽光発電所(サンプール),港湾開発(トリンコマリー),高速道路建設(ダンブッラ=トリンコマリー間)などのほか,スリランカの北東部に位置するトリンコマリーにある石油タンク利用についても合意に至った。スリランカとインドはすでに2003年にランカ・インド石油公社(LIOC)と合弁で石油タンクの復旧作業と利用契約が結ばれ,施設の35年間貸与が決まっていたが,その変更となった。
今回の合意では,山側の84基はLIOCとセイロン石油公社(CPC)が合弁で開発し,このうち10基はスリランカ政府の専用使用分として優先的に開発することとなった。海側の17基はLIOCが管理する。貸与期間は50年だが99年まで延長可能である。2003年の契約では,スリランカは持ち分がなかったが,今回の合意では10基の使用権を得た。一方,インドはより長い期間貸与されることになったことから双方両得の合意であると,スリランカ政府は成果を強調した。
しかし,国内ではハンバントタ港の貸与について議論が行われているさなかであること,すでにコロンボ・ポート・シティの一部も中国に99年貸与されることが決まっていることなどから,国内施設の外国への長期貸与契約について反対する声も上がった。とくにCPC労働者らのストライキは国民生活に影響を与えた。それに対して政府は,合弁事業でありインドによる開発ではないという点を強調して反対を押し切った。
5月のモディ首相来訪の主要な目的は,国連が釈迦の誕生と悟り・入滅の祭り(ウエサック)を公式に休日としたことを記念してコロンボで開催される,国連主催のイベントに参加することであった。ここで,インドはスリランカと文化的価値観を共有している点を強調したが,これは,近年スリランカで存在感を高める中国を意識したとみるべきである。モディ首相は,北部やTNA政治家を訪問することなく,インド出身者を起源とする茶園労働者の多く住むヌワラエリア県を訪問し,病院のオープン記念などに出席した。これも二国間の歴史的な関係の強さを強調したものである。
インド中央政府との関係は良好であるが,スリランカとタミル・ナードゥ州との漁業問題は前年に引き続き改善されなかった。スリランカ沿岸警備隊によるインド漁民の拿捕は頻発した。また,スリランカ国会が違法な漁業に高額の罰金を科す決定をしたことにインド漁民は反発した。
中国との関係でいえば,7月末にハンバントタ港の中国への貸与が最終合意に至ったが,その直後,ハンバントタ港から約30キロメートル離れたマッタラ空港をインドが経営するという報道がなされた。マッタラ空港は,2013年に開港したものの利用頻度がきわめて低かったが,中国の融資を受けてラージャパクサ政権時に作られた施設であり,ハンバントタ港と同様に中国が引き受けるものと見込まれていた。そのため,インドが経営を引き継ぐという報道は驚きをもって迎えられた。
南アジアにおける中国の影響力増大に対応することを主たる目的として2012年に始まったインドとスリランカの合同軍事演習(第5回ミトラ・シャクティ)が,2017年は10月にインドのプネーで行われた。このほかにもインドがスリランカ海軍に新型外洋巡視船2隻,スリランカ沿岸警備隊に巡視船を引き渡すなど,インドとの軍事的な関係は強化された。
スリランカの対中・対印関係を注視するアメリカと日本インドだけでなく,アメリカとの軍事的なつながりの強化もみられるようになった。3月には,ハンバントタ港でスリランカで初となるパシフィック・パートナーシップが開催された。パシフィック・パートナーシップは軍事的活動というよりも参加国の連携強化や災害活動の円滑化を図る活動であるが,主体はアメリカ海軍である。10月にはトリンコマリー港でアメリカ海軍との共同訓練であるCARATに初参加した。インドやアメリカとの関係強化については,インド洋でのテロ対策という側面もあろうが,増大する中国の影響を考慮したものと考えることができる。
日本には,首相が4月に訪問し,日本の「自由で開かれたインド太平洋戦略」について確認し,スリランカの海上保安能力を向上させるべく,日本は巡視艇を2隻供与した。また,スリランカの安定した発展のために港湾開発を行うにあたり,港湾施設がスリランカ政府の完全な管理の下に置かれ,開放され,透明性を持って,商業目的で利用されることの重要性を再確認した。
2年も延期された地方選挙は,2018年2月10日に投票が行われた。結果はラージャパクサを支持するスリランカ民衆戦線(SLPP)が圧勝する結果となった。地方議会の選挙とはいえ,国政への影響は大きい。大統領はJOと接近するか,距離を保つかの決断を迫られる。SLFPのメンバーの多くはJOと組むことを望んでおり,そうすればUNPよりも優位に立てる,しかし,その場合はラージャパクサに主導権を握られることになるだろう。JOと距離を保つことを選べば,SLFPの分裂は続き,結果としてUNPが漁夫の利を得る。
2018年には,年末に提出された国債スキャンダルに関連する2つの報告書に基づき,国会で審議がなされ責任者への処遇が決まる。シンハラナショナリスト的な動きやLTTE懐古的な動きも,新しい政治環境の中で展開を見せるだろう。
2018年1月にシンガポールとのFTAが締結されたのに引き続き,中国などの国々との交渉が進むだろう。インドとのETCAは国内の反対は根強いものの政府は輸出増を実現するためにもFDI誘致のためにも,実現したいところである。
中国の経済面における存在感は,ますます大きくなってゆくものと思われる。それに対して政治的・文化的にスリランカと関係の強いインドがどのような対応を見せるのか,注目される。
(地域研究センター研究グループ長)
1月 | |
2日 | コロンボでインドと漁業問題で大臣級会合。 |
4日 | インドと第3回経済・技術協力合意(ETCA)協議。 |
6日 | カトナヤケ国際空港で改修工事開始。1日8時間閉鎖。 |
7日 | ハンバントタ工業地区起工式にて反対派グループ(JO)が抗議活動。警察が催涙ガスと水砲を使用。 |
17日 | 首相,ダボス会議出席。 |
27日 | 中央銀行の国債発行問題について大統領特別諮問委員会(PCoI)設置。 |
2月 | |
1日 | 首相,中央高速道路の第2フェーズ着工式に出席。 |
3日 | 情報公開法(RTI)施行。 |
6日 | 南アジア技術・医科大学(SAITM)のCEO,襲撃される。 |
13日 | 首相,オーストラリア訪問(~17日)。国交70周年。 |
16日 | JOメンバー,憲法制定小委員会を辞任。 |
17日 | 首相,シンガポール首相リー・シェンロンと会談。 |
18日 | 犯罪捜査局(CID),Nation紙記者ケイス・ノヤール氏誘拐の件(2008年5月)で軍兵士3人を逮捕。19日にさらに2人逮捕。3月20日にも1人逮捕。 |
21日 | アメリカ議会の超党派グループ,大統領を表敬。 |
27日 | カルタラで囚人護送車に発砲。7人死亡。 |
3月 | |
1日 | 大統領,1817~1818年のウヴァ・ウェッラッサ反乱に参加した82人を国家的英雄と宣言。 |
2日 | 大統領,重大な不正・汚職・職権乱用に関する大統領調査委員会(PRECIFAC)の任期を6カ月延長。 |
3日 | 首相,外国人判事の導入には国民投票が必要で,政治的に現実味がないと発言。 |
6日 | インド漁民,スリランカ海軍に発砲され,1人死亡,1人負傷と主張。スリランカ海軍は発砲を否定。 |
6日 | コロンボ近郊のミートタムッラのゴミ廃棄場で近隣住民が反対運動。 |
6日 | 大統領,インドネシア訪問。環インド洋連合(IORA)に出席。インドネシア・ジョコ大統領と自由貿易協定締結に向けて協議(8日)。 |
7日 | アメリカ太平洋艦隊のフォール・リバー,ハンバントタ入港。パシフィック・パートナーシップ開催。 |
7日 | スリランカ海軍,インド人漁民の死亡について調査すると発表。 |
8日 | 緊張緩和のため,インド側19人とスリランカ側85人の漁民を解放すると決定。 |
13日 | ジブチ沖でソマリア海賊がタンカーAris13を襲撃。スリランカ人船員8人が乗船。17日に解放。 |
14日 | 法務長官,ギータ・クマラシンハはスイスとスリランカの二重国籍保持者と判断。第19次憲法改正に則り国会議員の資格を剥奪。 |
19日 | 中国国防大臣の常万全,来訪。大統領を表敬(20日)。 |
21日 | ミートタムッラゴミ廃棄場で火災。 |
21日 | 閣議,ハンバントタ港について招商局国際有限公司と政府の合弁で進めることで合意。 |
22日 | 大統領,ロシア訪問。プーチン大統領と会談(23日)。プーチンよりキャンディ王朝の剣を贈呈される。 |
23日 | 第34回国連人権委員会,スリランカに関する審議。2015年の30/1決議の実施に2年間の猶予を付与。 |
23日 | 首相,国会でデング熱の流行について,政府は最大限の努力をしていると語る。 |
24日 | 中央銀行,政策金利を0.25ポイント引き上げ。 |
29日 | 大統領,「戦争の英雄を戦争犯罪者としないが,殺人などで有罪と認められたものは保護されない」と発言。 |
4月 | |
4日 | 海軍,インド人漁民18人を解放。 |
6日 | 中国共産党中央政治局常務委員の兪正声,来訪(~8日)。 |
6日 | カトナヤケ国際空港,改修工事終了。 |
10日 | 首相,訪日。安倍首相と会談(12日)。 |
14日 | ミートタムッラのゴミ廃棄場が崩壊。32人死亡。66軒が全壊。 |
17日 | 医師会(GMOA),インフルエンザ流行を警告。 |
24日 | デリーで第4回ETCA協議。 |
26日 | 首相,デリーで経済プロジェクト協力覚書に署名。 |
27日 | 北・東部でハルタル(ゼネスト)。政府に失踪者に関する回答を求める。 |
5月 | |
11日 | モディ印首相,来訪(~12日)。 |
11日 | 中国から潜水艦の寄港を要求されるも拒否,と報道。 |
15日 | 首相,北京で開催の一帯一路国際フォーラムで「一帯一路構想はスリランカがインド洋のハブとなることを助ける」と演説。 |
18日 | 欧州連合(EU),スリランカへの一般特恵関税(GSP)プラス復活を発表。 |
22日 | 内閣改造。外相と財相のポスト交換などを含む9人宣誓。 |
23日 | 大統領,オーストラリア訪問。 |
25日 | 西部・南部で記録的大雨。300人以上死亡(~26日)。 |
31日 | 内閣改造。4国務大臣,4副大臣が宣誓。 |
31日 | マヒンダ・ラージャパクサ前大統領,訪日。 |
6月 | |
5日 | 首相,国連海洋協議に出席。 |
11日 | 警察副長官,4月以降に16件の過激な人種差別が発生,4人逮捕と報告。 |
12日 | 第35回国連人権理事会でピント国連特別報告者の報告書提出。スリランカの司法制度を批判。 |
14日 | 北部州評議会で,州首相のC.V.ヴィグネスワランに対して不信任動議が提出されるも19日に取り消し。 |
15日 | コロンボフォート・マジストレート裁判所,ボドゥ・バラ・セーナ(BBS)のニャーナサーラ僧への逮捕状発出。 |
19日 | 国営病院,デング熱患者多数により新規患者受け入れ中止を発表。 |
20日 | 在カタール・スリランカ大使館,15万人の在住スリランカ人に緊急避難の計画はないと発表。 |
21日 | ニャーナサーラ僧,出頭。逮捕されるも保釈。 |
21日 | 失踪者調査局(OMP)改正法案,全会一致で国会承認。 |
27日 | 電力大臣,インド・日本の支援によるサンプールにおける液化天然ガス発電所計画を中止すると発表。 |
7月 | |
6日 | 底引き網漁を禁止する漁業改正法案,国会で可決。 |
11日 | 大統領,SLFPメンバーに対し連立を去るかどうか決めるのは12月31日以降にするよう要請。 |
13日 | 大統領,バングラデシュ訪問。 |
13日 | 首相,コロンボで開催の南アジア地域協力連合(SAARC)の内務大臣会合に出席。 |
14日 | 国連特別報告者ベン・エマーソン,テロ防止法の廃止などを要求。 |
14日 | 災害管理センター(DMC),北部を中心に継続する深刻な干ばつにより90万人が被害と報告。 |
17日 | IMF,拡大信用供与(EFF)の2回目のレビューを終了し,1億6720万ドルの拠出を承認。 |
19日 | 国連政務局庁ジェフリー・フェルトマン,来訪。 |
20日 | 大統領,OMP法に署名。 |
22日 | ジャフナのナルラーで銃撃。警察官死亡。 |
23日 | PCoIでの証言,ラヴィ・カルナナヤケ外相のマンションの家賃をアルジューン・アローシウスが8カ月支払い。 |
25日 | 燃料供給が必須サービスと官報に掲載される。 |
25日 | 外国為替法(改正),国会通過。 |
25日 | 閣議,州評議会選挙は9州が同日に行えるまで延期すると決定。 |
28日 | 第20次憲法改正案,官報に掲載。 |
29日 | ハンバントタ港の99年貸与契約について中国招商局港口控股有限公司(CMPort)と署名。 |
8月 | |
1日 | 警察長官,タミル・イーラム解放の虎(LTTE)はいまだに完全に撲滅されていないと認識を表明。 |
3日 | 海軍,インド人漁民77人を解放。 |
3日 | JO,ラヴィ外相の不信任動議提出。 |
8日 | テロ捜査局(TID),北部のギャング・グループのメンバーを逮捕したと発表。 |
9日 | 閣議,マッタラ空港を40年間インド企業に貸与する件について承認。 |
10日 | ラヴィ外相,辞任。 |
13日 | DMC,2016年12月以来の干ばつで120万人に被害。 |
15日 | マヒンダ夫人,CIDに出頭。三男ローヒタは経済犯罪捜査局(FCID)に出頭。 |
15日 | 外相にティラク・マーラパナ就任。 |
15日 | インドの独立記念日,インド大使「スリランカはモディの近隣国ファーストのなかでもっとも価値のあるパートナー」と語る。 |
16日 | マヒンダ次男ヨーシタ,CIDに出頭。 |
23日 | ウジェダーサ・ラージャパクサ法務大臣,辞任。 |
23日 | 政府,第20次憲法改正案を国会に提出。 |
25日 | 地方選挙法改正案,国会を通過。 |
29日 | ブラジル大使で元陸軍幹部のジャガット・ジャヤスーリヤ,人権団体から戦争犯罪で訴えられる。 |
30日 | アメリカ国務次官補代行(南・中央アジア担当)アリス・ウェルズ,大統領と会談。 |
30日 | 大統領,2020年まで連立政権を維持すると語る。 |
31日 | 首相,セイシェル首相と会談。 |
9月 | |
1日 | コロンボでインド財団主催のインド洋会議開催。 |
1日 | 厚さ20ミクロン以下のポリエチレン袋の販売・使用禁止が官報に掲載される。 |
1日 | フォンセーカ地域開発相,ジャガット・ジャヤスーリヤが戦争犯罪を犯した件について証言する準備があると語る。 |
4日 | 首相と大統領,経済開発プログラム「ビジョン2025」発表。 |
7日 | 前大統領秘書のラリト・ウィーラトゥンガと通信規制委員会の委員長に資金の不正流用で懲役3年の判決。 |
7日 | 内国税収入法(IR)法案,国会を通過。 |
12日 | 大統領主催の国家経済委員会(NEC)第1回会合。 |
15日 | シンハラ仏教団体,ロヒンギャ難民の入国に反対の署名運動。 |
19日 | 大統領,国連で演説。 |
19日 | 国会議長,第20次憲法改正について国民投票が必要との最高裁判断を公表。これにより憲法改正案は国会で審議しないことに決定。 |
20日 | 州評議会選挙法改正,国会を通過。 |
21日 | 首相,憲法制定運営委員会の中間報告書を国会に提出。 |
26日 | 仏教僧の率いる集団,マウントラビニヤにあるロヒンギャ難民保護施設を襲撃。 |
27日 | 中銀,中期成長見通し発表。 |
28日 | 国連の北朝鮮制裁に合わせてビザ発給手続き強化を決定。 |
10月 | |
2日 | ロヒンギャ難民保護施設襲撃でダヤラトナ僧逮捕。 |
4日 | 首相,ヨーロッパ訪問(~12日)。 |
4日 | デリーで第5回ETCA協議。 |
6日 | ハンバントタのインド領事館前でインドへの空港貸与に反対するJOの抗議デモ。 |
9日 | 第8回ゴール・ダイアログ(2日間)。 |
10日 | ハンバントタ・デモ参加でナーマル・ラージャパクサ逮捕。 |
10日 | 国連特別報告者パブロ,来訪。 |
13日 | インド漁民の密漁問題に関してインド・スリランカ合同作業部会開催。14日に大臣会合開催。 |
20日 | 首相,経済政策ステートメント発表。 |
24日 | 大統領,カタール訪問。 |
28日 | アメリカ空母ミニッツ,来港。 |
29日 | 政府,SAITMの医学部を廃止し,非政府・非営利の学位授与機関とすると発表。 |
30日 | マーラパナ外相,王毅中国外相と会談。 |
11月 | |
2日 | オーストラリア首相マルコム・ターンブル,来訪。 |
3日 | 輸入石油の品質に問題が発覚した影響で全国的に燃料不足。 |
4日 | 首相,ハンバントタに1万5000エーカーの工業ゾーンの開設を宣言。 |
6日 | アメリカ国務次官トマス・シャノン,来訪。 |
13日 | 国営企業監視委員会(COPE)報告書国会に提出される。 |
16日 | 大統領,行方不明者家族と対談。秘密の拘留施設はないと断言。 |
17日 | ゴール県ギントタほかに外出禁止令発令。 |
20日 | 首相,PCoIで証言。 |
21日 | 首相,訪印。モディ首相と会談(23日)。 |
12月 | |
4日 | 恣意的な拘束に関する国連作業部会,調査のため来訪(~15日)。 |
5日 | 閣議,価格上昇の抑制のためココナツ輸入を決定。 |
5日 | スリランカ,拷問等禁止条約の選択議定書に加盟。 |
6日 | IMF,スリランカにEFFの2億5140万ドル(7億5660万ドルの一部)。 |
9日 | マンガラ蔵相,ハンバントタ港を中国合弁企業に正式引き渡し。第1回目の支払分の,2億9200万ドル(総額11億2000万ドル)を受領。 |
13日 | 地雷禁止条約の加入書を国連に寄託。163カ国目の締約国に。 |
15日 | ロシア,紅茶に異物混入で一時的にスリランカの農産物輸入停止。 |
17日 | マレーシアのナジブ首相,来訪。 |
18日 | 選挙管理委員長,地方選挙は2018年2月10日に実施すると発表。 |
21日 | スリランカ,国連でエルサレムをイスラエルの首都とするアメリカの主張を認めない決議に賛成。 |
29日 | アメリカ,スリランカなどに対し,2017年12月31日で一般特恵関税(GSP)を終了すると発表。 |
30日 | PCoI報告,大統領に手交される。 |
(出所) スリランカ政府ウェブサイト(http://www.president.gov.lk/the-cabinet/)より筆者作成。
(出所) スリランカ政府ウェブサイト(http://www.president.gov.lk/the-cabinet/)より筆者作成。
(注) 1) 暫定値。2)労働力人口は15才以上。3) 2015年11月より基準年が2013年に変更された。年末の対前年比。
(出所) Central Bank of Sri Lanka,Annual Report 2017,KEY ECONOMIC INDICATORS.
(注) 1) 改定値。2)暫定値。
(出所) 表1に同じ。TABLE 9.
(注) 1) 改定値。2)暫定値。
(出所) Department of Census and Statistics, National Accounts Estimates ofSri Lanka 2018.
(注) 1)改定値2)暫定値。
(出所) Central Bank of Sri Lanka,“Press Release”(2018年2月22日)。
(注) 1)改定値。2)暫定値。
(出所) Central Bank of Sri Lanka,Annual Report 2017, TABLE 88.