2019年のアジアは,前年から続く米中貿易摩擦による影響に加え,一部の国ではテロや選挙後の情勢不安などもあり,不確実性が高まった1年となった。「逃亡犯条例改正案」に起因する香港のデモは,民主主義自体が問われる事態へと発展し,米中関係や台湾内政にも影響をおよぼした。一方,タイ,インドネシア,インド,スリランカ,アフガニスタンなどでは選挙後の情勢が不安定化した。検察改革問題で揺れた韓国,権威主義化が進むカンボジア,そして与党内や与野党間の権力争いが続くマレーシア,ティモール・レステ,ネパールなどでは,政治面での不透明感が漂った。ミャンマーでは一部地域で内戦が激化し,スリランカ,パキスタン,インドネシアではテロも発生した。
経済は米中貿易摩擦の影響などから地域全体で低迷したが,カンボジア,ベトナム,バングラデシュなどは好調を維持した。またアメリカは中国だけでなく,タイ,シンガポールなど一部のアジア諸国に対しても経済的圧力を強めた。一方,東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉は翌年の妥結で合意されたが,11月にインドが交渉から離脱した。
多くの国の対外関係は,米中などの大国との関係をひとつの軸に,また隣国関係をもう一方の軸として展開されている。米朝首脳会談は2度行われたが非核化問題で進展はなかった。良好な対中関係の構築はアジア各国にとっては欠かせず,なかでもカンボジアやラオスは関係を深化させている。一方,ベトナム,フィリピン,台湾などは南シナ海問題で中国と衝突した。また,日韓,インド・パキスタン,マレーシア・シンガポールなど,隣国間での問題も尽きることはなかった。
2019年のアジアで最も注目を集めたのは香港のデモだろう。3月から始まった「逃亡犯条例改正案」反対デモは,デモ参加者と警察当局との衝突が繰り返され,次第に体制の民主化を求める運動へと発展した。11月の区議会議員選挙で民主派が圧勝したように,市民はデモ支持の姿勢を示している。香港では2020年秋に立法議会選挙が控えており,中国政府の対応とともに今後の動向が注目される。
香港問題は米中関係にも影響を与えた。両国の貿易摩擦が深刻化するなかで,米上下両院で「香港人権・民主主義法案」が可決され,11月にトランプ大統領が署名した。これに中国が反発し香港問題は米中間の新たな争点となった。12月には米下院で「ウイグル人権法案」も可決され,中国はさらに反発を強めた。一方,香港問題は翌年に控える台湾総統選の候補者選びにも影響をおよぼした。
前年に選挙を終えた国でも政治不安が続いている。カンボジアではフン・セン首相による権威主義化が進み,野党の機能は著しく低下している。マレーシアでは与党希望連盟が補欠選挙などで相次いで敗戦し,与党内の権力争いも表面化した。ネパールも同様に与党ネパール共産党内で不和がみられる。ティモール・レステでも,国会多数派連合(AMP)とルオロ大統領の対立が続いた。バングラデシュでは3期目のハシナ政権が誕生したが,すでに後継者問題が浮上している。モンゴルでも憲法改正をめぐり大統領と議会が対立した。
2019年も一部の国で選挙後の情勢が不安定化した。4月に現職のジョコウィ大統領が再選を果たしたインドネシアでは,5月に野党支持者がジャカルタ中心部でデモを組織し,一部が暴徒化した。選挙結果を力で覆そうとしたのは民主化後初めてのことである。タイでは3月に下院選挙が行われ,6月にプラユット国家平和秩序評議会議長が首相に選出された。新政権は実質的に軍事政権の衣替えであり,野党新未来党への圧力も続いている。インドでは4月に第17次連邦下院選挙が行われ,モディ首相率いるインド人民党が圧勝した。第2次モディ政権はヒンドゥー民族主義政策を進め,市民の反発を招いている。11月にゴタバヤ新大統領が誕生したスリランカでは,すでに政治的報復とみられる動きもある。アフガニスタンでは9月の大統領選挙の結果をめぐって混乱が生じている。
翌年の選挙に向けた動きもあった。韓国では検察改革をめぐる混乱や選挙法改正をめぐり国会で与野党対立が激化した。ミャンマーでも与党国民民主連盟が憲法改正に動き,選挙に向けて有権者へのアピールを開始した。
一部の国ではテロや内戦が続いた。スリランカでは4月にテロが発生し,それに伴うムスリムを攻撃対象とする暴動も起きたことで,社会が震撼した。2月にはインドのジャンムー・カシミール(JK)州で,パキスタンに拠点をおく「ムハンマドの軍隊」(JeM)による自爆テロが発生し,印パ間の緊張が高まった。またミャンマーでは,仏教徒ヤカイン人の民族自決を掲げるアラカン軍(AA)と国軍の戦闘が激化し,和平プロセスが難航している。
前年から続く米中貿易摩擦などの影響により地域経済は全体的に落ち込んだ。米中間の争いは12月13日に両国が第1段階の貿易交渉で合意に至り,同月15日予定の関税引き上げは見送られることになったが,問題が解決したわけではなく,先行きは不透明である。
アジア開発銀行によると2019年の東アジアの実質国内総生産(GDP)成長率は,2018年の6.0%から5.5%に,東南アジアは5.1%から4.5%に,そして南アジアは6.6%から6.2%へとそれぞれ低下した。中国の実質GDP成長率は6.1%(年末発表数値)となり目標値はかろうじてクリアしたが,香港はデモの影響から成長率は-1.2%(速報値),韓国も景気減速に歯止めがかからず2.0%(暫定値)と,両国ともリーマン・ショック以降で最低値を記録した。シンガポールの実質GDP成長率も前年の3.4%から0.7%に低下し,タイもクーデタが起きた2014年以来の低水準2.4%となった。インドも2018/19年度の成長率が第1次改定値で6.1%,さらに2019/20年度の第1次予測値は5.0%と減速傾向が続いている。国際収支危機に直面したパキスタンのGDP成長率は3.3%と伸び悩んだ。
一方で,カンボジアの実質GDP成長率は縫製品輸出などに支えられ7.1%(推計値)と好調を維持した。台湾も前年を若干上回る2.71%成長となり,対米輸出は前年比17.2%増と過去最高額(462億6800万ドル)を記録した。ベトナムは前年より若干下げたものの,実質GDP成長率は7.02%と好調であった。バングラデシュも2018/19年度の実質GDP成長率が過去最高の8.15%を記録した。以上4カ国は中国からの生産地の移転先となり,米中貿易摩擦の恩恵を受けたともいわれている。地域経済は低迷したものの,国によって明暗が分かれる形となった。
地域経済が低迷するなか,一部の国に対する欧米の経済的圧力が強まった。5月,米財務省が中国やシンガポールなど9カ国を通貨政策の監視対象に指定した。またアメリカは6月にインドに対する一般特恵関税制度(GSP)の適用を終了し,7月にはベトナムで加工された鉄鋼製品の一部に最大456%の関税を課すことを決定した。アメリカは10月にもタイへのGSPの一部停止を発表している。安全保障でアメリカに依存するアジア諸国にとっては難しい対応を迫られた。一方EUも,人権問題を理由にカンボジアへのGSP停止圧力を強めた。
このようななか,新たな経済枠組みとしてRCEPへの期待が高まり,2020年の交渉妥結で合意された。しかし11月,大幅な関税引き下げに難色を示したインドが交渉から離脱したことで,枠組み自体が揺らぎかねないとの懸念がでている。
貿易摩擦に限らず,米中は安全保障面でもアジア各国に影響をおよぼしている。アメリカは「自由で開かれたインド太平洋」構想を推し進め,ASEANとは軍事関係を深めるとともに,インドとも戦略的関係を維持した。一方の中国は,「一帯一路」構想を推進し,多くの国とパートナーシップ関係を結んだ。また中国もインドとの関係を重視し,カシミールをめぐる印パ問題では融和的な姿勢を示した。
二国間関係では問題が相次いだ。米朝会談は2月と6月に2度行われたが,北朝鮮の非核化では合意できず交渉は事実上決裂した。一方韓国と北朝鮮は関係が疎遠化し,北朝鮮は韓国への批判を強めた。その韓国は日本との関係でも問題を抱えた。7月に日本が対韓輸出管理強化に踏み切り,8月に韓国が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を延長しないことを決めるなど,日韓関係は悪化した。マレーシアとシンガポールの間では水資源や領海・領空問題などが相次いだ。ネパールとインドは経済協力関係を維持する一方で,領土をめぐって対立した。カンボジアとラオスの間の領土問題も再燃した。インドとパキスタンはJeMによるテロに加え,インドがJK州の特別自治権を剥奪したことで関係が冷却化した。ベトナム,フィリピン,台湾などは南シナ海問題で中国と衝突し,アメリカは同問題に積極的に関与する姿勢を示した。そのアメリカはアフガニスタンのターリバーンと和平交渉を続け,進展が見られたが,アフガニスタン政府とターリバーンの和平協議は実現せず,先行きは不透明である。
2019年末に中国で発生した新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し,世界経済への影響は必至である。米中貿易摩擦や欧米によるアジア諸国への経済圧力もあり,地域経済はさらに厳しい状況が続くだろう。国内政治では台湾,韓国,ミャンマー,モンゴルで選挙を控え,シンガポールは指導部交代の時期に差しかかる。2020年2月に政変が発生したマレーシア,3月に2人の大統領が就任式を実施したアフガニスタンなど,一部の国では2019年の政治的不安要因が具体的な問題として現れている。多国間・二国間問題の多くも解決の見通しが立っていない。2020年は不確実性がさらに増すことが予想される。
(地域研究センター)