アジア動向年報
Online ISSN : 2434-0847
Print ISSN : 0915-1109
各国・地域の動向
2021年のアフガニスタン アメリカ軍撤退を受けて政権崩壊,ターリバーンが実権掌握
青木 健太(あおき けんた)
著者情報
解説誌・一般情報誌 フリー HTML

2022 年 2022 巻 p. 571-592

詳細

2021年のアフガニスタン

概 況

2021年のアフガニスタンは,アメリカ軍撤退を受けて,ターリバーンが捲土重来を果たす歴史に残る1年となった。対アフガニスタン政策の再検討を期すアメリカのバイデン大統領は4月14日,アメリカ同時多発テロ事件から20年目の節目に当たる9月11日までに駐留軍を無条件完全撤退させると明言した(後に「8月末まで」に変更)。以降,ターリバーンが,間隙を突くように国内各地で軍事攻勢を激化させ,7月末までに農村部のほとんどを制圧した。それでもアメリカ軍は7月2日にバグラム空軍基地を明け渡すなど,全面的な撤収を押し進めた。8月6日,南西部ニームルーズ州都ザランジがターリバーン側に陥落し,初の州都陥落となった。8月15日時点で,首都カーブルは完全にターリバーンに包囲される危機に陥った。同日,ガニー大統領が国外逃亡を図り,大統領府はターリバーンによって攻略された。こうして,アメリカの後ろ盾を得て発足したアフガニスタン・イスラーム共和国が事実上崩壊した。ターリバーンは9月7日,暫定政権の陣容を発表し,イスラーム共和国と入れ替わり新たに統治を開始した。

こうしたなか,アメリカ,世界銀行,および,国際通貨基金(IMF)は,ターリバーンが権力を独占しつつ,女性・少数民族の権利を保障していないことを問題視し,アフガニスタンの在外資産を凍結した。国庫が枯渇したターリバーン暫定政権は,公務員への給与支払い,医療・福祉・教育などの行政サービスを国民に向けて円滑に提供できない状況となった。失業増加,行政機能の麻痺,通貨暴落,物価高騰などが連鎖し,国内は深刻な人道危機に見舞われ,国連専門機関やNGOが人道支援活動に奔走した。多くの国民は庇護を求め,国外に逃れた。

対外関係の重心は,日本やインドを含めた欧米諸国から,中国,ロシア,パキスタン,イラン,カタール,トルコなどの地域諸国に移った。

国内政治

バイデン米政権による駐留軍の無条件完全撤退

2021年1月20日のアメリカでのバイデン大統領就任は,アフガニスタン情勢を大きく変化させた。

前任のトランプ大統領は2020年2月29日,アメリカとターリバーンとの間でドーハ合意を締結し,駐留軍の完全撤退に向けて舵を切った。同合意では,ターリバーンはアフガニスタンを国際テロ組織の活動拠点にしないと約束した一方で,アメリカは2021年5月までに駐留軍を完全撤退させると公言した。同合意に向けた交渉は,完全にイスラーム共和国政府の頭越しに進められた。約30の諸外国・機関の代表者が見守るなかで締結されたドーハ合意は,反政府武装勢力の立場に置かれていたターリバーンの政治的ステータスを一挙に押し上げることになった。これによって,全体的な構図は,アメリカの後ろ盾を失うイスラーム共和国が弱体化し,敵対するターリバーンが優位に立ち物事を進める形で推移した。

こうしたなか,バイデン政権成立直後の2021年1月22日,アメリカのサリバン国家安全保障担当大統領補佐官は,イスラーム共和国のモヒブ国家安全保障評議会書記と電話会談し,対アフガニスタン政策を再検討する意向を伝えた。同月28日,今度はブリンケン国務長官がガニー大統領との電話会談に臨み,アメリカはドーハ合意の内容を見直すとの方針を正式に伝達した。

2021年5月に向けて,アメリカは政治的動きを活発化させた。3月7日付民放「トロ・ニュース」(独立系)は,ブリンケン国務長官がガニー大統領宛にしたためた書簡を公開した。この書簡によれば,ブリンケン国務長官は,(1)国連に対してロシア・中国・パキスタン・イラン・インド・アメリカによる外相級会合を開催するよう要請すること,(2)アメリカが用意した「和平合意草案」を基にイスラーム共和国がターリバーンとの和平交渉を加速化させること,(3)トルコに和平交渉を決着させるための会合を開くよう要請すること,(4)ターリバーンによる春季攻勢を防ぐため90日間の暴力削減を実行する必要があること,の4点を伝達しガニー大統領からの協力を求めた。また,ブリンケン国務長官は,当初の計画どおりに5月までにアメリカ軍を完全撤収させる選択肢も残されていると付言した。なお,翌8日,アブドゥッラー国家和解高等評議会議長が受け取ったと認めたことから,同書簡は本物と考えられる。

上記(2)で言及された「和平合意草案」には,イスラーム共和国とターリバーンが暫定的に設置する「和平移行政権」に参画し相互に権力分有を図ること,現行憲法を基礎に新しい憲法を制定しロヤ・ジルガ(部族大会議)で承認を得ること,司法を統括する「イスラーム法学高等評議会」を設置すること,「停戦監視委員会」が停戦の履行をモニタリングすることなど,将来の政治体制が詳しく示された。しかし,イスラーム共和国有力政治家らは,外部から押し付けられた和平は受け入れられないと反発の声を上げた。また,ターリバーンは3月26日に「アフガニスタン・イスラーム首長国」名義の声明を発表し,もしアメリカが合意違反に及べばジハード(聖戦)を継続すると警告した。同様の主張は,2月16日の「アメリカ国民への公開書簡」や,同月28日のドーハ合意締結1周年記念を祝う声明などで繰り返された。

先行きへの不透明感が増す状況下,2021年3月18日,ロシア主催の拡大版「トロイカ」会合(以下,モスクワ会合)が開かれるなど,和平交渉の促進が試みられた。同会合は,1月6日に和平交渉の第2ラウンドが開始したものの長らく膠着状態にあったなかで前向きな動きではあったが,具体的な進展はなかった。一方で,上記(3)にあるトルコの仲介による和平交渉促進に向けた会合も計画された。

2021年4月14日,バイデン大統領は駐留軍の撤退を9月11日まで延期すると発表した。またバイデン大統領は,アメリカは10年前にアル=カーイダ(AQ)指導者のウサーマ・ビン・ラーディンを殺害し,その後の10年間もテロ対策で成功を収めたと述べた。そのうえで,「今こそアメリカにとって最長の戦争を終わらせる時だ。アメリカ軍が(アフガニスタンから)母国に帰還する時が来た」と明言した。そして,同大統領は,関係者・同盟国と慎重に検討した結果,9.11事件から20周年目に当たる9月11日まで撤退を延期する決断を下したと語った。

これに対して,翌4月15日,ターリバーンはアメリカの決定は明白なドーハ合意違反であり,所定の期日までに撤退しないのであればその責任はアメリカ側にあると警告した。ターリバーンは,イスラーム共和国はアメリカの「傀儡」に過ぎず,停戦合意や将来の政治体制について,外国軍が残留する間は交渉に応じないとの姿勢を堅持した。ターリバーンは,一貫して外国軍の放逐と,シャリーア(イスラーム法)に則った公正な社会作りの実現を目標に掲げた。一方のイスラーム共和国は,民主的な権力移行を提案し続けた。互いに一切の妥協点を見いだせないなか,アメリカが駐留軍の無条件完全撤退を表明したことで軍事的な重石が失われ,ターリバーンが優位なポジションに躍り出た。

ターリバーンによる農村部からの大攻勢

アメリカは時を置かずして段階的撤退に着手したが,これに呼応するかのようにターリバーンが軍事攻勢を激化させた。わずかな例外を除けば,ターリバーンは去り行く外国軍を攻撃対象にすることを控え,実効支配領域の獲得・拡大を企図して治安部隊に対する大規模攻勢を仕掛けた。5月上旬,ターリバーンは西部ヘラート州,ファラーフ州,および,南部ヘルマンド州に対して猛攻を浴びせた。5月5日には,北東部バグラーン州ボルカ郡がターリバーン側に陥落した。

2021年5~8月の軍事情勢には,以下の特徴が見られた。(1)ターリバーンは州都を含む各地で大規模攻勢を仕掛け,治安部隊が応戦するもターリバーン側に陥落した地域が増加した。(2)その一方で,ターリバーンは,アメリカ軍に死傷者を生じさせるほどの攻撃には及ばなかった。(3)アメリカは一時的にアフガニスタンに注入する軍事資源を増加させつつ,慎重,かつ,確実に撤退を進めた。ターリバーン内には,武力を用いた権力奪取を企図する強硬派もいた。ターリバーンは交渉への扉を開きつつ,軍事的圧力を加える硬軟両戦術を採用した。

筆者集計に基づくと,2021年5月5日から7月14日までの約2カ月半余りで,ターリバーンは全国407郡のうち,118郡を新たに攻略した(全体の29%)。ターリバーンは民家に押し入り「人間の盾」を利用しつつ,補給路の分断を狙い主要幹線道路沿いを対象にゲリラ戦を続けた。また,ターリバーンは,6月22日に北に接するタジキスタンとの国境であるシェール・ハーン・バンダルを制圧したほか,7月9日には西に接するイランとの国境であるイスラーム・カラを陥落させ,14日には東に接するパキスタン国境であるスピーン・ボルダックを攻略した。一方の治安部隊は,アメリカから供与された戦闘機や攻撃型ヘリコプターを用いた空爆や特殊部隊投入により,徹底抗戦を試みた。治安部隊要員数は約30万人で,一方のターリバーン兵力は多くとも10万人と見積もられていた。制空権は,イスラーム共和国が握った。しかし,このような非対称戦にもかかわらず,祖国解放に向けた強靭な意志に基づき進攻するターリバーンを前に,治安部隊が押し込まれる状況が続いた。

この過程では,ガニー大統領が6月19日にムハンマディ元国防相(元イスラーム協会野戦指揮官)を国防相代行に任命したほか,21日に北部地域の重鎮であるアター元バルフ州知事(元イスラーム協会野戦指揮官)が国民動員運動を宣言するなど,武装蜂起した元軍閥率いる自警団と国防省とが一体となって反ターリバーンを旗印に対抗した。また,7月9日には,西部ヘラート州で絶大な影響力を有するイスマーイール・ハーン元水・エネルギー相(元イスラーム協会野戦指揮官)が人民抵抗戦線を組織すると宣言した。

8月7日,療養中のトルコから帰国したドゥーストム元帥はガニー大統領と会談し,祖国と人民の防衛のために戦うと決意を示した。10日,ガニー大統領とドゥーストム元帥はターリバーンの猛攻を受けていた北部の要衝バルフ州都マザーリシャリーフ入りし徹底抗戦の構えを見せた。また,一般民衆も,ターリバーンに対抗する治安部隊と武装蜂起した自警団を支援すべく「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)と叫びながら行進するなどターリバーンへの抗議活動を激化させた。

イスラーム共和国政府が事実上崩壊

このような激しい抵抗にもかかわらず,事態はターリバーン優位で進展した。8月3日,ターリバーンは,ムハンマディ国防相代行の邸宅に対する自動車積載型爆弾による攻撃を仕掛け,死者8人,負傷者20人を出す治安事案を引き起こした。ムハンマディ国防相代行は不在のため無事だったものの,政府高官に対する脅威の深刻さの度合いが増した。そして6日,ニームルーズ州都ザランジが,ターリバーン側に陥落した。これは,全国34州にある州都がターリバーン側に陥落した初めての事例となった。

ザランジ陥落を受けて,州都の陥落ドミノが続いた。8月7日には,ドゥーストム元帥のお膝元である北部ジョウズジャーン州都シバルガーンが攻略されたうえ,8日には北東部クンドゥズ州,タハール州,および,北部サレポル州が瞬く間にターリバーン側に陥落した。続いて12日には,要衝である中央部ガズニー州,西部ヘラート州とともに南部カンダハール州がターリバーンによって制圧された。さらには14日に,マザーリシャリーフが攻略され,翌15日朝までに東部ナンガルハール州都ジャラーラーバードもターリバーン側に陥落した。

多くの場合,ターリバーン側の進攻を受けて,治安部隊は戦闘せずに州知事庁舎や基地を明け渡した。この背景には,ターリバーンが,内通者や部族長老を通じて,命の保証と引き換えに無血開城を迫ったことがある。8月12日に陥落したガズニー州では,同州知事が隣州をターリバーンに護衛されながら逃亡中に,治安部隊に逮捕された。ターリバーンと密約を交わしたものと考えられる。

8月15日昼頃,カーブルが包囲される緊迫した状況下,ターリバーンは,カーブルは大都市であり権力プロセスを平和裏に進めるためにも武力を用いて入城しないよう戦闘員らに指示した。また,時を同じくして,イスラーム共和国のミールザクワール内相代行もビデオ演説を配信し,移行政権樹立に向けて協議が進められている,カーブルが攻撃を受けることはない,よって国民は日常生活を続けるようにと呼びかけた。この時点で,ターリバーンとイスラーム共和国との間で権力移行が話し合われるものと考えられた。

しかし,同日夕方,ガニー大統領が国外逃亡を図ったことが明らかになると,ターリバーンは態度を一変,カーブル市内に治安要員が配置されておらず秩序が保たれていないとして,戦闘員にカーブル入城を指示した。ターリバーンはもはや警備が手薄となった大統領府に進攻し,警備隊と一切交戦することなく大統領府を掌握した。これによって,2001年12月に発足した暫定政権期を含め約20年間続いたイスラーム共和国政府が事実上崩壊した。ターリバーンの報復を恐れるアフガニスタン人や外国人は,唯一の退避ルートであるカーブル国際空港に殺到した。

ターリバーン暫定政権の発足

2021年9月7日,ターリバーンのムジャーヒド報道官は記者会見を開き,暫定内閣(33ポスト)を発表した。同報道官は,この閣僚リストはあくまでも現下の諸問題に対処するための暫定的なものだと付言した。それでも,イスラーム共和国が事実上崩壊し権力の所在が曖昧な状況が続いていたなか,新たな国家体制の輪郭が明らかにされたことは大きな一歩であった。

ターリバーンが9月7日まで暫定内閣の発表を控えた要因のひとつは,アメリカ軍の完全撤退が8月30日深夜だったことが挙げられる。ターリバーンの観点から「占領者」と見做される外国軍が去り「独立」を達したなかで,新たな体制を表明する意向があったと推測される。また,カーブルが陥落した時点でなお,アフマド・マスード(故アフマド・シャー・マスード司令官の息子)とサーレフ第一副大統領が率いる国民抵抗戦線(NRF)が,カーブル北方に位置する天然の要塞パンジシール渓谷に立て籠もっていた。ターリバーンは,NRFの完全制圧を一方的に宣言(9月6日)することで,暫定政権の成立条件を整えた。なお,9月4日,パキスタン軍統合情報局(ISI)のハミード長官がいち早くカーブル入りしており,同長官がターリバーン暫定政権発足に関与したのではと見る向きもある。

さて,暫定内閣33ポストの陣容を見ると,事前に謳っていた包摂的政権とはほど遠い内容であった。8月15日時点で,カルザイ元大統領,アブドゥッラー議長,および,ヘクマティヤール・イスラーム党指導者は,ターリバーンとの協議の窓口として調整評議会を設置しており,ターリバーンも同評議会と接触を図っていた。しかし,イスラーム共和国政府の政治有力者は1人も入閣せず,ターリバーン幹部が占めた。女性閣僚の顔ぶれも見られなかった。民族別に見ると,最大民族パシュトゥーン人が圧倒的多数であり,タジク人は2人,ウズベク人は1人に閣僚ポストが配分されたのみである。少数民族ハザーラ人は入閣しなかった。

事前の予測では,和平交渉を率いたバラーダル副指導者,あるいは,軍事部門を率いたヤクーブ副指導者兼軍事委員長(ムッラー・ウマルの息子)やスィラージュッディーン・ハッカーニー副指導者(ハッカーニー・ネットワーク[HQN]指導者)が首相職の有力候補と見られていた。しかし,蓋を開けてみれば,注目されていなかったムハンマド・ハサン・アーホンド元副首相が首相代行に就任した。バラーダル副指導者は副首相代行に就き,ヤクーブ副指導者には国防相代行職が,ハッカーニー副指導者には内相代行職が与えられた。

伝統的にジルガ(集会)などの合議制で物事を決めるアフガニスタン社会では,権力争いが発生した際に,あえて当事者以外の力の弱い人物を神輿の上に担ぐことで顔を立てる紛争解決手法が取られてきた。最善の解を見出すことよりも,「誰の面子も潰さない」ことが優先される部族社会の知恵である。過去には,1747年のアフマド・シャー・ドゥッラーニー国王の人選,1992年4月のムジャーヒディーン連立政権樹立時のムジャッディディー民族解放戦線指導者の暫定首班の擁立なども,緊張緩和の一例である。暫定内閣人事でも,同様の手法が取られた。

その後,ターリバーンは,9月21日(17ポスト),11月7日(44ポスト),および,11月22日(27ポスト)にも暫定内閣を逐次発表している。10月4日には,アブドゥルカビールが副首相代行に任命されており,最高指導者1人,首相代行1人,副首相代行3人という指導体制となった。なお,ターリバーン暫定政権は,10月初旬以降には,毎週,ハサン・アーホンド首相代行の主宰による閣議を開いており,各省庁の大臣代行あるいは副大臣代行が出席する形で,国家の重要事項について審議・決定を図るようになった。

ターリバーン暫定内閣の発足(9月7日)以降,NRFをはじめイスラーム共和国治安部隊要員らによる武装抵抗活動は収束に向かった。各国に派遣された在外公館に勤める大使らが,反ターリバーンの動きを結集させようとしたり,NRFとターリバーンとの小競り合いが一部地域で報じられたが,全体としては,ターリバーンがほぼ全土を制圧し,実質的な統治主体となった。

治安情勢

前述のような政治情勢だったことから,2021年の治安情勢は8月15日前後で大きく異なる。2021年1~6月に関していえば,国連アフガニスタン支援ミッションの報告書は,5183人(死者1659人,負傷者3524人)の民間人が武力紛争の結果死傷したと報告している(前年同期比47%増)。これは,ターリバーンがドーハでの和平交渉と平行して国内での軍事的圧力を強めるなかで,多数の民間人が戦闘の巻き添えになったことを示している。また,上半期には,犯行声明が出されない標的殺人が横行し,多数のウラマー(宗教知識人),ジャーナリスト,空軍パイロットらが暗殺された。

その一方,8月15日以降の治安情勢は,ターリバーンが実質的な統治主体となったことで改善した。これは,それまでターリバーンが行っていた殉教(自爆)攻撃,即席爆発装置,複合攻撃などが無くなったことに起因するものである。もっとも,ターリバーン指導部が大赦を宣言しているにもかかわらず,末端の戦闘員がイスラーム共和国治安部隊要員を殺害する事例が多発した。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは8月15日~10月30日の間に,ターリバーンが100人以上を処刑したと報告した。また,芸術家(音楽家,画家など)やアスリートなどはそれまで認められていた仕事がハラーム(禁忌)だとして処刑の対象になった。ターリバーンは,男性には髭剃りを禁止し,女性には髪や肌をヒジャーブで覆うよう指示しており,社会状況も一変した。

こうしたなか,ターリバーンにとって目下最大の治安上の脅威は,「イスラーム国ホラーサーン州」(ISKP)となった。アメリカ軍が国外退避ミッションを遂行する過程で,8月26日,カーブル国際空港付近でISKPによる自爆攻撃が発生し,アメリカ兵13人を含めた死者170人以上を出す大惨事が発生した。アメリカ中央軍は翌27日,東部ナンガルハール州で越境攻撃を実行し,ドローンでISKP戦闘員を殺害したと発表した。また,29日にも,カーブル市内で,カーブル国際空港への攻撃を企図する爆発物が積載された車両に対し,アメリカ軍はドローン攻撃を仕掛けたと主張した(死者10人は全員民間人だったことが後日判明。米軍は誤爆を認めた)。

その後も,ISKPは,北東部クンドゥズ州のシーア派モスクに対する自爆攻撃(10月8日),南部カンダハール州のシーア派モスクへの自爆攻撃(10月15日),カーブル軍病院の襲撃事件(11月2日),および,ハザーラ人居住地区のダシュテ・バロチー地区でのシーア派教徒に対する攻撃などを累次にわたって敢行した。

経 済

資産凍結と深刻な人道危機の到来

ガニー政権は発足当初,国内産品(農畜産物,鉱物資源など)の輸出を通じた外貨獲得によって経済的自立の達成を目指した。しかし,歳入の多くを援助に依存する財政構造に大きな変化は見られなかった。2020年11月23~24日に開催されたジュネーブ会合では,各ドナー国・機関から4年間(2021~2024年)で約120億ドル(約1兆2490億円)の支援がプレッジされた。これは,前回のブリュッセル会合で計152億ドル(約1兆5820億円)が集まったことと比べると減額ではあるが,依然としてアフガニスタンという中小国家に対する援助額として突出したものであることに変わりはなかった。

8月15日以降,諸外国・機関は,ターリバーンに対する経済制裁を科した。18日,アメリカは,アフガニスタン中央銀行の在外資産約95億ドル(約1兆円)を凍結した。また,IMFも同日,新たな特別引出権の割り当て停止を含めた資産凍結を発表したほか,24日には世界銀行が女性と子どもの権利保障への疑義を理由に支援を停止した。資産凍結により,国庫は枯渇し,銀行にも資金が不足する財政危機が訪れた。現金不足を背景として,中央銀行は国民1人当たり1週間で200ドルまでの預金引き出ししか認めず,銀行の前には連日長蛇の列が見られた。国民の多くは失業に苦しみ,食べるものを求めて家財道具を路上で売り払う者や,寡婦のなかには子どもを売る者が続出した。国連開発計画は,政治・経済的危機が続くようであれば,2022年半ばまでに全人口の97%が,生活収入が1人当たり1日1.9ドルの貧困ラインを下回る貧困層に陥ると警鐘を鳴らした。

国際社会からの支援の継続

アフガニスタン国民の生活が困窮する状況を受けて,国際社会からアフガニスタンに対する支えは緊急人道支援という形で継続した。9月13日には,国連のグテーレス事務総長が主催する「アフガニスタンの人道状況に関するハイレベル閣僚級会合」が開かれ,各国が計約12億ドル(約1300億円)の拠出を表明した。当初,国連は6億600万ドル(約700億円)の拠出を求めていたが,各国はそれを上回る額の拠出を決めた。

他方で,人道支援のほとんどは,国際機関とNGOを経由した緊急人道支援分野(食料配布,シェルター,医薬品など)での支援であり,国民が直面する諸問題の根本的な解決に資するものではない。教師や医師・看護師などを含めた公務員への給与支払いが滞り,行政サービスが麻痺した状況が,国民生活に混乱を生んだ。各国はターリバーン暫定政権を経由しない形での多国間支援を行った。

周辺国との連結性事業

ターリバーン暫定政権は明確な経済政策を打ち出していないが,援助依存から脱却し,自力で歳入を増大させる方向を模索している。このなかで重要なのが,国内産品輸出を通じた外貨獲得と,その方法としての連結性事業の実施である。ターリバーン暫定政権は中国との間で,アフガニスタン特産のドライフルーツや,リチウムなどの天然資源開発で協力を始めた。10月31日には,松の実45トンが中国向けに出荷されたと報じられた。また,11月23日付Global Times(電子版。中国英字紙)は,中国企業5社の代表団が埋蔵されるリチウムの開発に向けて11月上旬に実地調査を行ったと報じた。

周辺諸国との関係では,10月16日,ハナフィー副首相代行がウズベキスタンでウムルザーコフ副首相と会談し,投資,連結性強化,電力事業,難民支援,鉄道建設など,多くの課題について協議した。特に,両者は,テルメズ=マザーリシャリーフ=カーブル=ペシャーワル鉄道の建設で基本合意を交わした。同会談では,ウズベキスタン側は電力を供給し続けると約束しており,経済発展に向けて不可欠な交通インフラ整備や電力にも注意を払っている様子がうかがえる。

対外関係

アフガニスタンの政治過程が,アメリカとの外交関係を色濃く反映していることは,これまで述べたとおりである。以下ではここまでの記述のなかで充分に触れることのできなかった注目すべき対外関係上の動きについて提示しておく。

良好な関係を築く中国

2021年の政変を経て,アフガニスタンと中国との距離は一層縮まった。7月28日,ターリバーンのバラーダル副指導者は天津で,中国の王毅外相と会談し,和平交渉の進展やテロ対策などについて協議した。会談後の声明には,東トルキスタン・イスラーム運動(ETIM)にアフガニスタンの領土を使わせないことが記載された。中国がターリバーンと良好な関係を築く背景には,大国間の戦略的競争に加えて,ウイグル分離独立勢力を抑え込む思惑があると見られる。また,中国は中央部ローガル州アイナクの銅山開発にも投資をしてきており,ターリバーン統治下でも天然資源開発に積極的に関与した。もっとも,中国は内政不干渉原則を掲げていることから,政治的に機微な問題に関わることには慎重な姿勢である。

影響力を確保するロシア

ロシアは,3月のモスクワ会合以外にも,7月にターリバーン代表団をホストしたほか,10月20日に「アフガニスタンに関するモスクワ会合」を主催した。同会合では,ターリバーンが事実上の権力を担う「新しい現実」を認識する必要性を確認するなど,各国からの認知を求めるターリバーンにとってみれば貴重な後ろ盾となった。各国が国際会合のホストを通じて影響力確保に向けた争いを演じるなか,ロシアはターリバーンとの太いパイプを梃子に影響力を維持した。ロシアがターリバーンに関与する背景には,イスラーム過激派の流入により中央アジア諸国に治安不安定化が波及するリスクや,麻薬流入への懸念などもある。

関係強化を図りつつ係争も抱えるパキスタン

インドと対峙した時に,自国の西側に兵站路を設ける必要があるとの「戦略的縦深性」の観点から,ISIはターリバーンを支援していると長らくいわれてきた。その意味では,ターリバーンが捲土重来を果たしたことは,ISIにとって勝利と呼べる出来事となった。10月21日,パキスタンのクレーシー外相がカーブルを訪問し,ハサン・アーホンド首相代行と会談した。両者は,国境再開,人道支援,連結性事業等,多岐にわたって協議した。11月11日,パキスタンが拡大版「トロイカ」会合を主宰し,モッタキー外相率いるターリバーン代表団と,中国,ロシア,および,アメリカの特使らとの協議の場をセットした。他方,パキスタンがターリバーンと抱える係争には,デュランド・ライン(両国間の国境線)をめぐる争いがあり,今後の火種である。また,パキスタン側への難民流入,パキスタン・ターリバーン運動(TTP)への影響など,課題は多い。

相互の利益を背景に存在感を増すイラン

イランは,1998年イラン人外交官殺害事件にもかかわらず,近年はターリバーンと良好な関係を構築してきた。1月下旬,ターリバーン代表団はテヘランを訪問し,バラーダル副指導者がザリーフ外相と会談した。また,7月7日,イランは,イスラーム共和国・ターリバーン間の協議をホストするなど隠然とした影響力を行使した。10月27日,イランはアフガニスタンに関する近隣7カ国外相会合を主催するなど,アフガニスタンを重視する姿勢を維持している。この会合では,「包摂的,かつ,広範な政治機構が,アフガニスタンの諸問題の唯一の解決策である」ことを確認しており,イランはパシュトゥーン人以外の民族の政治参加を求めている。ターリバーン,および,NRFの双方にチャンネルを有するイランが有する影響力は大きく,和平プロセスで重要な役割を演じた。

イスラーム諸国の際立つ存在感

その他の対外関係で特筆すべきは,際立つカタールの存在感である。カタールは,反政府武装勢力だったターリバーンに政治事務所をあてがいホストし続けることで,強い影響力を保持するに至った。国外退避に際し,各国がカタールの持つ影響力に期待して護衛やルート確保などの口利きを求めた。カタールは,ターリバーンと国際社会との橋渡し役を担いはじめた。また,カタールはトルコとともに,カーブル国際空港の運用に名乗りを上げた。一方,アラブ首長国連邦(UAE)はガニー大統領を人道的観点から受け入れるなど,中東地域諸国の存在感が一層増した。

加えて,イスラーム協力機構(OIC)は12月19日,イスラマバードで緊急閣僚級会合を開くなど,深刻な人道危機への対応を講じた。ムスリム同士の連帯から,OICなどの国際・地域機関の動向も目立った。なお,アメリカを含むNATO諸国,インド,日本などもターリバーンとの関与を停止したわけではなく,ターリバーン実権掌握後も人道支援や大使館再開などをめぐって対話を継続した。

2022年の課題

2022年最大の課題は,発足して間もないターリバーン暫定政権が,自壊せずに,配下の構成員からの忠誠を保ち,内部凝集性を維持できるかである。原則的に,ターリバーンは,イスラーム的統治の実現を活動目標に掲げている。すなわち,シャリーアに則って社会の公正と秩序を取り戻すことを大義としている。とはいえ,2度にわたる全国制覇の過程で,ターリバーンは,創設メンバー以外にも,旧共産主義勢力,ムジャーヒディーン各派,および,非パシュトゥーン人など雑多な勢力を抱え込む巨大な組織になった。このため,組織の統率や戦闘員の士気の維持を図ることが,大義に勝るほど重要である。こうしたなかで,暴力的に住民から土地や財産を没収し,住民を恐怖で支配して,「戦利品」を配下の戦闘員に分配する「力による統治」を続ければ,民衆から支持が離れていくのは必定だ。民心掌握を図りつつ,いかに内部崩壊せず国を統治できるかが,今後のターリバーン暫定政権の安定性の試金石となる。

また,2021年12月31日時点で,ターリバーンを政府承認する国は現れておらず,諸外国と良好な関係を構築・維持できるかも重要である。ターリバーンとしては,包摂的政権の成立,および,女性・少数民族の権利保障などを遵守する姿勢を示し,凍結資産の解除につなげることが財政改善のために必要となっている。ターリバーンは,民族,性別,思想・信条にかかわらず,すべての国民に,平等な教育へのアクセスを含む,尊厳のある生活を保障できるかを試されている。一方,アフガニスタンが「対テロ戦争」の最前線になったそもそもの理由は,同国がAQなどの国際テロ組織の策源地になることを予防するためであった。したがって,国際社会にとっては,ターリバーンに対して引き続きアフガニスタンをテロの温床としないよう働きかけ,テロ対策を講じ続けることが肝要である。

(中東調査会研究員)

重要日誌 アフガニスタン 2021年

1月
6日 アフガニスタン政府・ターリバーン間の和平交渉第2ラウンドが開始。
15日 ミラー米国防長官,アフガニスタン駐留米軍を2500人まで削減完了したと発表。
28日 ガニー大統領,ブリンケン米国務長官と電話会談。国務長官は,アメリカのドーハ合意見直し方針を明言。
28日 ターリバーン・カタール政治事務所のスターネクザイ副代表一行,ロシアを訪問しカブロフ特使と会談。
31日 ターリバーンのバラーダル副指導者一行,テヘランでザリーフ外相と会談。
2月
10日 アフガニスタン捜査当局,中村哲医師殺害事件の容疑者であるパキスタン・ターリバーン運動(TTP)アミール・ナワーズが東部ナンガルハール州で死亡したと発表。
13日 イランとの国境付近で燃料タンクローリーが爆発する大規模な事故発生,引火し500台以上の車両が破損。
22日 アフガン暦1400年予算国会承認。
22日 ドーハで行われる和平交渉本格再開。
23日 COVID-19ワクチン接種開始。
3月
1日 外務省,アフガニスタン・トルコ外交関係樹立100周年の祝意声明を発出。
7日 民放「トロ・ニュース」,ブリンケン米国務長官発ガニー大統領宛の書簡を報道。同長官は,(1)国連主催による会合の開催,(2)和平交渉の促進,(3)トルコ主催による国際会合の開催,(4)90日間の暴力削減を提案。
18日 モスクワ会合が開催。アフガニスタン政府代表団(団長:アブドゥッラー国家和解高等評議会議長),および,ターリバーン代表団(団長:バラーダル副指導者)が参加。
19日 ガニー大統領,アンダラービー内相を更迭,ハヤート元ヘルマンド州知事を内相代行に任命。また,ハーレド国防相を更迭,ジア軍参謀長を国防相代行に任命。
21日 オースティン米国防長官がカーブルを電撃訪問,ガニー大統領と会談。
30日 第9回「アジアの中核」会合がドゥシャンベで開催。
4月
14日 バイデン米大統領,9月11日までに駐留米軍の完全撤退を発表。
14日 ガニー大統領,バイデン米大統領と電話会談。アメリカの決断を尊重すると発言。
14日 ブリンケン米国務長官,ブリュッセルのNATO本部で演説。アメリカとNATOは開始する時も終わる時もともに行動すると発言。
15日 ターリバーン,米軍撤退延期発表をドーハ合意違反と糾弾。
15日 ブリンケン米国務長官,カーブルを電撃訪問。首脳陣に,米軍撤退後もアメリカとアフガニスタンの同盟関係は続くと伝達。
27日 在カーブル米国大使館,一部職員の国外退避を指示。
27日 カービー米国防総省報道官,「確固たる支援」任務は5月1日を以て終了と発表。
29日 ホワイトハウスのジャンピエール副報道官,駐留米軍の撤退開始を認める。
30日 米・中・ロ・パキスタン4カ国による拡大版トロイカ会合がカタールで開催。
5月
3日 ターリバーン,西部ヘラート州,ファラーフ州および南部ヘルマンド州で攻勢。
5日 北東部バグラーン州ボルカ郡,ターリバーン側に陥落。
8日 カーブル西部ダシュテ・バロチー地区にある女子校近くで,自動車積載型爆弾を含む複数の爆発発生,女子学生40人以上が死亡,60人以上が負傷。
9日 ターリバーン,ラマダーン明けイードの3日間,一時停戦するよう戦闘員に指示。
6月
19日 大統領府,ムハンマディ元国防相を国防相代行に指名。
21日 北部地域の重鎮であるアター元イスラーム協会野戦指揮官が,国民動員運動を宣言。各地で元軍閥や国民が武装蜂起。
25日 ガニー大統領とアブドゥッラー国家和解高等評議会議長はアメリカを訪問。バイデン大統領は,民生・軍事支援を米軍撤退後も続けると発言。
7月
2日 バグラム空軍基地から,最後の駐留米軍兵士が出発。
7日 アフガニスタン政府(団長:カーヌーニー元副大統領)・ターリバーン(団長:スターネクザイ副代表)両代表団,テヘランで会談。
8日 バイデン米大統領,撤退期限を8月31日に変更。
8日 ターリバーンのシャハーブッディーン・デラーワル元駐サウジアラビア臨時代理大使一行がロシア訪問,カブロフ特使と会談。
10日 ターリバーン・カタール政治事務所のスターネクザイ副代表一行は,トルクメニスタンを訪問。
14日 南部カンダハール州スピーン・ボルダック国境が,ターリバーン側に陥落。
15日 タシュケントで国際会合「中央・南アジア:地域連結性,課題と機会」開催。ガニー大統領が演説。
16日 「ロイター通信」記者でピューリッツァー賞も受賞したインド人ジャーナリストのセディキ氏が,カンダハール州スピーン・ボルダック国境を従軍取材中,殺害された。
18日 アブドゥッラー国家和解高等評議会議長率いる政府代表団はカタールで,ターリバーン代表団と直接協議。
28日 ターリバーンのバラーダル副指導者,中国で王毅外相と会談。バラーダル副指導者は,アフガニスタンの国土を中国に危害を加えるために使用させないと発言。
8月
3日 ムハンマディ国防相代行の邸宅で自動車積載型爆弾爆発,少なくとも8人が死亡,20人が負傷。
5日 ガニー大統領,イランのライースィー大統領の宣誓式に出席。
6日 南西部ニームルーズ州都ザランジが,ターリバーン側に陥落。
7日 療養中のドゥーストム元帥,トルコから帰国。
11日 カタールでアフガニスタン和平に関する「トロイカ会合」が開催。
11日 国軍参謀長にアリーザイ将官(前特殊部隊司令官)が任命。
12日 中央部ガズニー州,西部ヘラート州,および,南部カンダハール州が,ターリバーン側に陥落。
12日 プライス米国務省報道官,文民退避のため米軍3000人を派遣すると発表。
12日 イスマーイール・ハーン元軍閥野戦指揮官が,ターリバーンによって拘束。
14日 北部バルフ州都マザーリシャリーフがターリバーン側に陥落。
14日 ドゥーストム元帥とアター元イスラーム協会野戦指揮官,ターリバーンの進攻に抗しきれず,ウズベキスタンに逃亡。
14日 ガニー大統領は国営放送で演説し,続投の意思を表明。
15日 バイデン米大統領,人員退避のため米軍5000人を派遣すると表明。
15日 東部ナンガルハール州都ジャラーラーバードが,ターリバーン側に陥落。
15日 ガニー大統領が国外逃亡。
15日 ターリバーン,大統領府を掌握。
16日 カーブル国際空港では外交団による退避が進んだため,全民間航空機が休止。
17日 ターリバーンのムジャーヒド報道官が初の記者会見。すべての者への恩赦を表明。
17日 サーレフ第一副大統領は,憲法規定に基づき,自らが暫定大統領と主張。
17日 日本政府外務省,在アフガニスタン日本大使館の職員12人を友好国の軍用機でアラブ首長国連邦(UAE)に退避させたと発表。
17日 ターリバーンのバラーダル副指導者,カタールから南部カンダハール入り。
18日 UAE外務省,ガニー大統領とその家族を人道的観点から歓迎したと表明。
18日 アメリカは,アフガニスタン中央銀行の在外資産約95億ドル(約1兆円)を凍結。
18日 国際通貨基金(IMF),対外的な外貨支払いの準備不足に備える特別引き出し権を含むアフガニスタン支援の停止を発表。
23日 日本政府,国外退避のため自衛隊輸送機3機の派遣を発表。
24日 世界銀行,女性の権利保障の先行きが不透明であることを理由として,アフガニスタンへの財政支援を一時停止。
26日 カーブル国際空港のアビー・ゲート付近で自爆攻撃が発生。米軍人13人を含む170人以上が死亡。「イスラーム国ホラーサーン州」(ISKP)が犯行を認めた。
27日 自衛隊が派遣した輸送機で,日本人1人,および,アフガニスタン人十数人が隣国パキスタンに空路で退避。
27日 米中央軍,東部ナンガルハール州のISKPの標的に対して,越境攻撃したと発表。
29日 米中央軍,カーブル空港付近でISKPに対する越境攻撃を実行したと発表。
29日 中央銀行,1週間当たり200米ドルまでの預金引き出し上限を設定。
30日 マッケンジー米中央軍司令官,米東部時間15時29分(アフガン時間23時59分)にアフガニスタンからの米軍撤退が完了したと発表。
31日 バイデン米大統領,8月30日にアフガニスタン戦争は終結したと宣言。
9月
1日 在アフガニスタン日本大使館,イスタンブルからドーハに臨時事務所を移転。
4日 パキスタンのハミード軍統合情報局(ISI)長官,カーブルを訪問しターリバーン高官らと協議。
4日 岡田隆駐アフガニスタン大使はカタールで,ターリバーン政治事務所幹部と会談。
6日 ターリバーンのムジャーヒド報道官,パンジシール州を完全に制圧したと発表。一方,国民抵抗戦線はこれを否定。
7日 ターリバーンのムジャーヒド報道官は,暫定内閣を発表。首相代行にはムッラー・ムハンマド・ハサン・アーホンド,副首相代行にバラーダル副指導者とハナフィー師,国防相代行にヤクーブ師,内相代行にスィラージュッディーン・ハッカーニー師が選出。
12日 カタールのムハンマド・ビン・アブドゥルラフマーン副首相兼外相,カーブルを訪問しターリバーンのハサン・アーホンド首相代行と会談。
13日 国連のグテーレス事務総長主催で,アフガニスタンの人道状況に関するハイレベル閣僚級会合が開催。各国は合計12億2000万ドルをプレッジ。
17日 ターリバーン,女性課題省の建物を宣教・教導・勧善懲悪省の建物として使用することを開始。
21日 ターリバーンのムジャーヒド報道官は,商業相代行と保健相代行を含む17ポストを追加発表。
22日 ターリバーンのムジャーヒド報道官,アブドゥルラフマーン・ラーシドを農業相代行に任命し,副大臣代行2人も任命。
27日 ターリバーンのシャライー司法相代行は,ザーヒル国王時代の1964年憲法を当面施行すると発言。
10月
4日 ターリバーン,実権掌握後初めて閣議を開催。新たに閣僚38ポストを任命。
5日 内務省,イスラーム共和国名義でパスポート発給を再開すると発表。
8日 北東部クンドゥズ州のシーア派モスクを標的とした自爆攻撃,礼拝中のシーア派教徒46人以上が死亡,複数人が負傷。ISKPが犯行を認めた。
10日 ターリバーンのモッタキー外相代行一行がカタールを訪問,米代表団と協議。
14日 ターリバーンのモッタキー外相代行一行がトルコを訪問,チャウシュオール外相と会談。
15日 南部カンダハール州のシーア派モスクに対する自爆攻撃で47人以上が死亡,70人以上が負傷。ISKPが犯行を認めた。
16日 ターリバーンのハナフィー副首相代行がウズベキスタンを訪問,ウムルザーコフ副首相と会談。地域連結性の強化,電力プロジェクトなどの課題について協議。
20日 ロシアは「アフガニスタンに関するモスクワ会合」を主催。
21日 パキスタンのクレーシー外相,カーブルを訪問し,ハサン・アーホンド首相代行と会談。人道支援など多岐にわたって協議。
21日 アフガニスタン・パキスタン間のトルハム国境が再開。
26日 中国の王毅外相がドーハで,ターリバーンのバラーダル副首相代行,および,モッタキー外相代行と個別に会談。
27日 イラン,アフガニスタンに関する近隣7カ国外相会合を主催。
11月
2日 ターリバーンが国民に対し,外国通貨使用を禁止。
2日 首都カーブル市内のサルダール・ムハンマド・ダーウード・ハーン軍病院に対する自爆攻撃,民間人19人以上が死亡,50人以上が負傷。ISKPが犯行を認めた。
3日 中央銀行,1週間当たりの預金引き出し上限を200ドル(2万アフガニー)から400ドル(3万アフガニー)に引き上げ。
7日 ターリバーン,州知事など44ポストを新たに発表。
8日 ターリバーンのスィラージュッディーン・ハッカーニー内相代行の仲介により,TTPとパキスタン政府が,11月9日から1カ月間の一時停戦に合意。
10日 インド,「アフガニスタンに関する地域安全保障対話」を主催。
11日 パキスタン,アフガニスタンに関する「拡大版トロイカ会合」を主催。
20日 UAE,カーブルの大使館業務再開。
22日 ターリバーンが追加の暫定内閣27ポストを発表。シャハーブッディーン・デラーワル鉱物・石油相代行らを含む。
23日 岡田隆大使がカーブルで,ターリバーンのアブドゥルカビール副首相代行と会談。
30日 サウジアラビア,在アフガニスタン大使館の領事機能を再開。
12月
3日 ターリバーン指導部,女性の権利に関する特別法令を発出。夫との死別に際する相続,重婚などへの対応を規定。
19日 イスラーム協力機構(OIC)緊急閣僚級会議がイスラマバードで開催。57カ国の代表団,および,アメリカ,中国,ロシア,EU,国連も参加。人道支援信託基金の設立で合意。
25日 ターリバーン暫定政権は,独立選挙委員会,独立選挙不服申し立て委員会,和平問題担当省,議会問題担当省を解体。
29日 米国務省,リナ・アミリ女史をアフガニスタン女性・少女・人権問題担当特使に任命。

参考資料 アフガニスタン 2021年

① 国家機構図(2021年12月末現在)

(出所)ターリバーン発表や各種報道を参考に筆者作成。

② 暫定政権(2021年12月末現在)
② 暫定政権(2021年12月末現在)(続き)

(出所) 各種報道や発表などを参考に筆者作成。

③ ターリバーン以外の勢力

主要統計 アフガニスタン 2021年

1 基礎統計

(注)2021年発行の年間統計から対象時期をアフガン暦から西暦に対応した会計年度に合致させた。従って、基本的に2020年統計資料に掲載されている過去3年間の統計のみについて記載する。 1)2020/21年度の人口は推計。2)為替レートはカーブル自由市場の年平均値。

(出所)National Statistics and Information Authority, Afghanistan Statistical Yearbook 2019, 同2020;NSIAウェブサイト。

2 支出別国内総生産(名目価格)

(注)在庫変動と統計誤差(いずれも推定値)を除く。

(出所)表1に同じ。

3 産業別国内総生産(実質価格)1)

(注)1)2016年度を基準とした実質価格。

(出所)表1に同じ。

4 国家財政

(出所)表1に同じ。

5 国別貿易

(注)輸出の「その他」にはウズベキスタン・トルクメニスタンが,輸入の「その他」にはイラクがそれぞれ含まれる。

(出所)表1に同じ。

 
© 2022 日本貿易振興機構 アジア経済研究所
feedback
Top